寝台特急「富士」の旅



1.寝台特急「富士」の現状


寝台特急「富士」は、東京と大分を結ぶ夜行列車である。
2008年現在、九州アクセスの寝台特急はこの「富士」と、
門司まで連結運転され、熊本を目指す「はやぶさ」しかなくなってしまった。
その「はやぶさ」と「富士」も2009年3月に廃止され、
とうとう九州アクセス寝台のは全滅してしまった。
北海道アクセスの「北斗星」、「カシオペア」、「トワイライトエクスプレス」がプラチナチケットとして、
特にA寝台が取りにくい現状と比べると、この差は雲泥である。
その背景には車両の老朽化などもあり、
また新しい設備投資に見合う利用客増も期待できないなど、
“民間企業”となったJRの経営判断もあるのだろう。
しかし寝台特急には新幹線などにはない、特別な“旅情”があり、
また飛行機や新幹線がいくら速くても、寝ている間に移動できるメリットは大きい。
今後も新しい形での寝台列車の存続を心から期待したい。


2.寝台特急「富士」のダイヤ


寝台特急「富士」は東京−大分間の1262.3kmを結ぶ寝台特急で、14系客車を用いている。
牽引機は東京から下関までが直流区間専用のEF66型電気機関車、
下関から門司までが関門トンネル専用の塩害対策済みのEF81型電気機関車、
そして門司から大分までが交流区間専用のED76型電気機関車である。
東京から門司までは東京−熊本間の寝台特急「はやぶさ」と連結されて運転される。
下り列車は18:03に東京駅を出発し、翌朝08:32に下関に到着する。
ここで機関車を付け替えて08:38に出発し、08:46には門司に到着する。
ここで「はやぶさ」と切り離し、09:10に大分に向けて出発、11:17に終点大分に到着する。
上り列車は16:43に大分を出発し、18:58に門司に到着、
熊本からの寝台特急「はやぶさ」と連結して19:15に出発、関門トンネルを潜り、19:22に下関に到着する。
19:27に機関車を付け替えて出発し、翌朝09:58に東京に到着する。


牽引機関車

東京−下関間
EF66型電気機関車(直流専用機)


取材場所:東京駅
下関−門司間
EF81型電気機関車(交直流専用機)


取材場所:門司駅
門司−大分間
ED76型電気機関車(交流専用機)


取材場所:大分駅

客車

東京−大分間
14系客車


取材場所:大分駅


3.A寝台一人用個室“シングルDX”の室内

寝台特急「富士」の一人用A寝台個室は、
“シングルデラックス”というグレードになっている。
基本的には「はやぶさ」と変わらない。
手狭ではあるが、それでも個室でしかも部屋の中で立てるというのは、
思った以上にリラックスできる。
寝間着と掛け布団とタオルが重ねておいてある。
上着用に木製ハンガーも用意されている。
      
ドアのキーは暗証番号方式で、
自分で登録した暗証番号で、
ドアを開けるようになっている。


3−1.A個室のアメニティ
寝台特急「富士」のA寝台個室“シングルDX”のアメニティは、
タオルが1枚だけである。
それでもJR九州のオリジナルで、
「はやぶさ」と「富士」、
それに既に廃止となった「さくら」のヘッドマークがデザインされている。
ビニール袋に入った状態の表側 ビニール袋に入った状態の裏側


3−2.シングルデラックスの寝台設備

室内にはソファがあって、それがシングルベッドになる。
出発時間が早いため、
始発駅ではソファのままで、自分でベッドに変形させる。


ソファーの肘掛けをあげると、
それと同時に背もたれがフラットになる仕組みになっている。
またソファ下のレバーを操作して、
寝台の幅を変えることができるようになっている。
ソファの状態。 ベッドの状態。


ベッドの下には非常用のハンマーが設置されている。
万が一の時はこれで、
ガラスを割って車外に脱出するようににっている。
ベッド下に収納されている安全柵は、
引き出して立てると固定するようになっている。
安全柵の使い方や、寝台の幅の換え方が、
ステッカーではってある。


3−3.シングルデラックスの車内設備

A寝台一人用個室“シングルデラックス”は1両しかないため、
すべてが「喫煙室」扱いで灰皿が設置されている。
さらにペーパータオルとくず入れ、スリッパが装備されている。
室内は「はやぶさ」と基本的に一緒である。
側面に付いている小さなテーブル。
飲み物や携帯など、
小さなものを置くのに意外と便利。
テーブルは
磁石で壁に固定できる。
窓側にテーブルがついている。
机代わりには少し小さすぎるが、
それでもお菓子や飲み物、
弁当などを置くには重宝である。
テーブルを開くと中に洗面台。
石鹸も装備され、
ちゃんとお湯も出るようになっている。
さすがはA寝台だけのことはある。
廊下側扉上のスペースは荷物置き場になっている。
部屋が狭い分、このスペースはありがたい。
カメラ用バッグ、旅行用バッグなどが十分に置けた。
天井の様子。
蛍光灯の室内灯とエアコンのダクトがあった。
室内燈、床燈のスイッチ、冷房と暖房の調節つまみ、
それと警報用のボタン。


3−4.その他の車内

連結部分付近には、トイレや洗面台があり、
また飲料の販売機や公衆電話、
それに飲水機などが設置されている。



列車内のカード式公衆電話。
当然のことながら、関門海峡内や、
トンネル通過時は使用できない。
無料の飲水機。
ボタンを押して紙コップに水を出す。
紙コップは袋形で、
使用時にふくらませるスタイルである。


4.大分から東京へ−寝台特急「はやぶさ」の旅

 


4−1.駅弁を買い損なった旅立ち

2008年10月18日土曜日、
大分から東京まで寝台特急「富士」に乗った。
大分駅でお土産などを買っていたら、
既にホームに列車が入線してしまった。
ここから門司駅までの牽引は、
電気機関車ED76型90号機。
交流専用機である。
「富士」のエンブレムは既に破損がひどく、
この列車の行く末を暗示しているようであった。

16:43に大分駅を出発した。
17時間15分の東京への旅立ちだった。
程なくして車掌が検札に回ってくる。
乗車券・熊本→東京都区内
10月18日から8日間有効\14,280、
特急券・A寝台券(個)
熊本→東京6月21日はやぶさ号2号車
9番個室 シングルデラックス\16,500
内訳:特3,150、寝13,350。
“大分 10.18 車掌センター”という、
スタンプを押して貰う。
時間がなくて駅弁を買い損ない、
中津の8分間の停車時間に、
構内のコンビニで弁当を買う。




4−2.2度の牽引機の付け替え

門司駅と下関駅で牽引機の付け替えを行う。
門司駅での停車時間は17分。
ここまで牽引してきた機関車を切り離し、
その前に先に到着していた「はやぶさ」を、
後進で連結する。
ここからの牽引機は、EF81型400番台で、
これは基本番台に関門トンネル対応の、
耐塩害措置を追加した機種である。
EF81型電気機関車は関門トンネルを抜けると、
下関で外され、
ここから東京まではEF66型にバトンタッチする。
下関の停車時間は5分。
ここからは一路、東京を目指して本州を北上する。
 
機関車を切り離した寝台特急「富士」。
「はやぶさ」が連結するのを待つ。
係員の誘導で切り離された大分からの牽引機。
お役御免で明日の下り列車到着までしばしの眠りにつく。
寝台特急「はやぶさ」が後進で近づく。
貫通扉を開けて係員が誘導しながら近づく。
絶妙なタイミングで連結する。
係員の誘導と運転手の技術があって、
初めて可能な連結と分離。
乗客の多くがそのシーンに見とれていた。
二つの列車の連結部。
「はやぶさ」と「富士」のヘッドマークが貫通扉に伺える。


関門トンネルをEF81型で通過し、
下関で5分の停車時間に、
牽引機をEF66型に付け替える。

ここから東京に向けて、
夜の旅が始まる。


4−3.「富士」の夜と「富士」からの富士

2度の機関車付け替えを取材し、駅弁を喰うとやることもなくなる。
9:30p.m.には消灯して寝てしまった。
さすがに9:30p.m.に寝てしまったため、夜中の3:00a.m.頃に目が覚める。
列車は吹田から新大阪、東淀川を通過するところだった。

6:12a.m.に車掌から車内放送があった。
それによるとこの「富士」の前を走っていた貨物列車が鹿を撥ねたため、
10分程遅れているという。
どこで鹿を撥ねたのだろう。
山陽本線、東海道本線は比較的人の住んでいる、
太平洋側の海岸を走っていると思っていたのだが、
それでも鹿の出没する地域を走っていたのだ。

夜の闇の中を「富士」と「はやぶさ」はひた走る。
真夜中の車窓は思ったより明かりがある。
寝台特急「富士」の車窓から富士山を望む。
・・・駄洒落である(^_^;)

微かに冠雪が伺える。
この列車の愛称名にもなった富士山。



4−3.鹿身事故による遅延の東京到着−17時間15分の旅の終わり

門司で大分からの寝台特急「はやぶさ」を連結した、
寝台特急「富士」は、
定刻より5分遅れで東京駅に到着した。
ここまで乗ってきたオロネ15-3001。
経年の破損が目立つ。
10番線に到着した「富士/はやぶさ」は牽引機EF66型電気機関車を切り離して、
9番線から機回り回送して反対側に連結し、東海道本線の過密ダイヤの合間を縫って、
品川駅近くの留置線に回送していった。
一晩を共にした列車ともここでお別れである。
機関車は3機も変わったが、客車はずっと大分から一緒である。
機回り回送して連結したEF66型43号機と、
寝台特急「富士」1号車の14系15形客車スハネフ15-21。


5.「富士」と「はやぶさ」の分割と連結


5−1.上り列車の連結

門司駅で夜の上り列車の連結シーンを、
前日に取材した。
熊本から来た寝台特急「はやぶさ」。
鹿児島本線を門司までやってきた。
大分から来た寝台特急「富士」。
日豊本線を門司までやってきた。
ここから下関までは、
EF81型411号機が牽引する。
関門トンネルを潜るため、
塩害対策が施された専用機である。


5−2.下り列車の分割

門司駅で当日の朝に、
下り列車の分割シーンを取材した。


寝台特急「はやぶさ」が分割され、
ここから先の機関車が後進で連結する。


交流専用機が連結され、
ここからまた大分までの旅が始まる。
係員が連結器を外すとゆっくりと二つの列車が分離される。
貫通幌の折りたたみやジャンパ栓の取り外しなど、素早い作業が要求される。


6.うれしはずかし朝帰り−寝台特急「はやぶさ」「富士」の帰還、怒濤の38連写


寝台特急「はやぶさ」は熊本から鹿児島本線経由で、
寝台特急「富士」は大分から日豊本線経由で門司に着き、
ここで連結されて山陽本線、東海道本線を経て、
東京に向かう。
門司まではそれぞれEF76型交流機に牽引されるが、
ここで塩害対策済みのEF81型に交換され、
関門トンネルを潜る。
下関でこのEF66型直流機に交換され、
山陽本線、東海道本線の深夜の旅が始まる。
EF66型は貨物用に開発された電気機関車だが、
大出力の電動機を搭載していることから、
単機での14両編成客車の牽引が可能であり、
1985年から「さくら」「はやぶさ」の牽引に用いられた。
熊本発の「はやぶさ」は鳥栖で「さくら」と連結され、
東京まで14両編成で運転されていたが、
2005年に長崎発の「さくら」が廃止された後、
単独で東京入りを果たしていた「富士」と連結され、
門司から連結運転されるようになった。
東京駅10番線に到着したあと、
EF66型は切り離され、
9番線を機回り回送したあと反対側に連結される。
東海道線の下り列車の過密ダイヤをぬって、
「はやぶさ」「ふじ」は車両基地に回送される。
上り列車は1号車から6号車が「富士」。
1号車は14系15形客車スハネフ15 21。
開放B寝台。
1号車と2号車の連結部分。
2号車は14系15形客車オロネ15-3001。
A寝台個室“シングルデラックス”。
2号車と3号車の連結部分。
3号車は14系15形客車オハネ15-2003。
B寝台個室“ソロ”。
3号車と4号車の連結部分。
4号車は14系15形客車オハネ15-1102。
開放B寝台。
4号車と5号車の連結部分。
5号車は14系15形客車オハネ15-1246。
開放B寝台。
5号車と6号車の連結部分。
6号車は14系客車スハネフ14-6。
開放B寝台。
6号車までが「富士」である。
門司で連結されるまではここが終端だった。
スハネフの記号は、
「ス」が自重に定員の乗客を乗せた合計の重量が、
37.5t以上42.5t未満の意味、
「ハ」は普通車、 B寝台車の意味、
一等車から三等車まであった明治時代に、
“イロハ”で区分した名残で、
座席車にも適用され、
「ネ」は寝台車の意味で合わせてB寝台。
「フ」はブレーキを意味して緩急車、
つまり緊急ブレーキの着いている車掌室ありの意味。
7号車から「はやぶさ」となる。
寝台の並びは基本的に「富士」と同じである。
7号車は14系客車スハネフ14 101。
開放B寝台。
7号車と8号車の連結部分。
8号車は14系15形客車オロネ15-3002。
A寝台個室“シングルデラックス”。
8号車と9号車の連結部分。
9号車は14系15形客車オハネ15-2002。
B寝台個室“ソロ”。
9号車と10号車の連結部分。
10号車は14系15形客車オハネ15-1。
開放B寝台。
10号車と11号車の連結部分。
11号車は14系15形客車オハネ15-2。
開放B寝台。
11号車と12号車の連結部分。
12号車は14系客車スハネフ14-11。
開放B寝台。
7号車から12号車は「はやぶさ」で、
12号車が終端になる。
隣にE2系新幹線が停まる10番線を回送されていく。
東海道線のダイヤをぬって回送されるため、
東京駅に着いてから30分以上経ってからの回送となる。
かつて多くの寝台列車が東京駅から発着していた頃は、
前の牽引機が次の客車を回送していたが、
今は機関車牽引夜行が「はやぶさ」「富士」しか無くなったため、
下関から牽引してきたEF66形が、
自ら回送牽引する。
電車寝台の「サンライズ瀬戸・出雲」は残るものの、
ブルートレインによる寝台列車は、
この「はやぶさ」「富士」のみとなってしまった。
この「はやぶさ」「富士」も来年のダイヤ改正では、
廃止の噂があり、
そうなると東京駅発着の客車寝台が全滅することになる。
東海道線本線に消えていくブルートレイン。
こんな日常の光景も、
もうあと半年しか見ることが出来なくなるのであろうか。




2009年3月13日、寝台特急「富士」は最後の旅となった。
翌日のダイヤ改正でその歴史に幕を閉じた。



取材期間:2008年10月18日土曜日〜10月19日日曜日
取材区間:大分駅(JR九州)〜東京駅(JR東日本)




REI RINGONO travel notes
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2009

inserted by FC2 system