青春の旅立ち−飯田線の旅




1.飯田線の歴史と閉鎖される佐久間レールパーク

鉄道はレールの上を車両が走ることによって成立する。
そしてその車両は経年の劣化に加え、技術革新によって陳腐化し、やがてその活躍を終える。
鉄道車両は所詮機械の固まりだし、レールの上を走ることが出来なければただの素材ゴミである。
多くの車両が除籍後廃車され、解体されていく。
それは鉄道の歴史の上で仕方のない結末であろう。
ただ、それでも鉄道が多くの人々から愛され、退職後もその解体を真逃れた車両がある。
蒸気機関車などは多くの駅前や公園で保存展示されているが、
あまり見向きもされなかった旅客車両や業務用車両なども、
集めて展示保存する施設が全国に幾つか存在している。
東京では秋葉原にあった“交通博物館”が有名であるし、
そのほかにも大宮に新設された「鉄道博物館」、
信越本線横川にある「碓氷峠鉄道文化むら」、
青梅駅近くの「青梅鉄道公園」、
京都の「梅小路蒸気機関車館」、
大阪環状線弁天町駅に隣接する「交通科学博物館」、
鹿児島本線門司港駅に近接する「九州鉄道記念館」など、
思いつくまま列挙してもいくつもあるし、
さらに民間鉄道や展示車両数の少ないマイナーなところも含めると、
全国に多数存在すると思う。
その中の一つにJR飯田線の中部天竜駅に隣接いる「佐久間レールパーク」がある。
鉄道車両の中でも客車の保有数が多い。
大阪の「交通科学博物館」と並んでまだ訪問したことのない鉄道手車両展示施設のひとつである。
しかもJR東海ではあおなみ線金城ふ頭に「JR東海博物館」を計画しており、
「佐久間レールパーク」の展示車両を収容する予定であるという。
そのためことは11月1日で「佐久間レールパーク」は閉鎖されることが決まった。
「佐久間レールパーク」は飯田線中部天竜駅に隣接していて、
駅までの切符を所有していれば入場無料となっている。
しかし飯田線中部天竜駅は豊橋から特急でも1時間かかる位置にあり、
それほど遠い場所ではないにも拘わらず、飯田線は今まで乗ったことがない。
岡谷と豊橋で119系の取材をしたことがある程度である。
そこで「青春18きっぷ」の残り2日(回)分のうち、1日(回)分を使い、、
この「佐久間レールパーク」取材を含めた飯田線完乗の旅に出掛けようと思う。

飯田線は東海道本線豊橋と中央本線辰野間を結ぶ地方交通線である。
全区間がJR東海に所属し、基本的に119系が使用されている。
119系はローカル線向けの直流通勤形電車である105系をベースに、
ローカル線向けの近郊形電車として開発され、飯田線に投入された。
119系は飯田線のみに配属された専用電車で、
急勾配に対応した1M方式が採用されている。
豊橋−豊川間は複線だが、その先は単線となっている。
豊橋から小坂井駅手前の信号場まではJR東海が下り線、名鉄が上り線を所有しており、
両社が共用することで複線として使用している。
飯田線はには豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道の4つの鉄道会社が開業させた区間を、
国有化して一つの路線としたものである。
豊橋−大海間は豊川鉄道が開業させた。
1987年7月15日に豊橋−豊川間が開業され、
1900年9月23日に大海までの延伸した。
1925年には電化され、1926年4月1日より愛知電気鉄道が小坂井から豊川まで乗り入れを開始した。
大海から三河川合間は1923年2月1日に鳳来寺鉄道が開業させた。
この区間も1925年7月に電化された。
三河川合−天竜峡間は1927年に設立された三信鉄道によって開業された。
地層のもろさや天竜川渓谷沿いという建設地であるために工事は困難を極め、
朝鮮半島からの労働者の過酷な労働条件や賃金未払いなど、多くの問題をはらんだ中での工事だった。
この難工事に成功したことで、飛鳥組の熊谷三太郎は熊谷組を造る基盤を得た。
三信鉄道は最初から電化開業させていた。
1932年10月30日に天竜峡から門島までが開業、
1933年12月21日には三河川合から三輪村からが開業した。
その後延伸をくり返し、
1937年8月20日には最後まで残った小和田−大嵐間が開業して全通した。
天竜峡−辰野間は伊那電気鉄道が開業させた。
設立当初は伊那電車軌道と名乗っていた。
1909年12月28日に辰野−松島間が軌道法によって開業した。
この辰野は西町に変更され、後に廃駅となった伊那電車軌道の辰野駅である。
この区間は一部に供用区間も存在した。
この先は地方鉄道法による鉄道線として延伸開業していき、
1927年12月26日に天竜峡までの延伸が完成し、辰野から天竜峡までが全通した。
1919年には社名を伊那電気鉄道に変更し、
1923年3月16日には辰野−伊那松島間を経路変更し、軌道法から鉄道法に変更した。
この4つの鉄道が国有化され、路線名が飯田線に変更されたのは1943年8月1日である。
1955年4月には佐久間ダム建設のため、佐久間−大嵐間がルート変更された。

「佐久間レールパーク」は土曜、日曜、祝日のみ公開のため、
8月8日土曜日に行くことにして、
行きは東海土新幹線が東京から豊橋まで移動し、飯田線を北上する。
中部天竜駅で下車して「佐久間レールパーク」を見学し、
さらに北上して中央本線を特急「あずさ」で帰ることにする。
特急「あずさ」は新宿−松本を結ぶ中央本線の特急で、
一部は大糸線に入ってJR西日本との境界駅である南小谷まで行く。
しかし朝の松本方面と夜の新宿方面に12本ずつ千葉まで延伸運転されるダイヤがある。
朝の松本方面は「あずさ3号」が06:38に千葉を出て10:27松本着、11:14南小谷着である。
一方夜の新宿方面は「あずさ30号」が17:18に松本を出て20:08新宿着、20:50千葉着である。
ちばまでそのまま特急に乗って帰って来られるのは楽なので、
「あずさ30号」に間に合うダイヤを検討し、上諏訪で乗り換え時間4分で接続する予定を組む。
この予定に従って「ひかり501号」東京−豊橋間の乗車券と指定席新幹線特急券、
「あずさ30号」上諏訪−千葉間の乗車券と指定席特急券を購入する。

8月8日(土)

04:35幕張−総武緩行線・下り416C(10)−04:45千葉[21]
05:06千葉(8)※−総武快速線・上り518F(38)−5:44東京[42]
06:26東京※−東海道新幹線「ひかり501号」(93/1:33)−07:59豊橋[13]
08:12豊橋−飯田線・下り511M(126/2:06)−10:18中部天竜[138/2:18]
 ※三河一宮08:31-37(6)
 ※三河槙原09-35-45(10)

 ※佐久間レールパーク見学
 ※伊那路1号11:19-20

12:34-40中部天竜−飯田線・下り519M(85/1:25)−14:05天竜峡[30]
 ※伊那小沢13:18-25(7)
14:35天竜峡※−飯田線・下り247M(185/3:05)−17:40上諏訪[4]
17:44上諏訪−「スーパーあずさ30号」(186/3:06)−20:50千葉[9]
21:02千葉※−中央・総武緩行線・上り2181B(10)−21:12幕張


2.4つめの青春−新幹線移動と炎天下のレールパーク

飯田線の旅は8月8日土曜日に決行された。
「佐久間レールパーク」が土曜、日曜、祝日しか公開されないため、
土曜日に行くことにしたのである。
04:35の下りの初電で千葉に行くため、3:50a.m.に起床する。
「青春18きっぷ」の旅は何時も初電で旅立つことになる。
幕張駅の改札で、「ありがとうございますJR東日本8.8幕張駅」と検印して貰い、
4番線ホームに降りて下り列車に乗り込む。



千葉駅で初電の上り快速線に乗り込み、東京駅を目指す。
「青春18きっぷ」は快速を含む普通列車にしか乗れず、
特急などは乗車券も別に購入しなければならない。
東京駅で東海道新幹線改札を潜り、ホームに登る。
「青春18きっぷ」でここまで来たために、自動改札を通ることが出来ない。
駅員のいる改札口で切符を見せて検印して貰う。

少し写真を撮って売店で「牛すき重」\1,000を購入し、「ひかり501号」に乗り込む。
「ひかり501号」は300系が充当されていた。
12号車13番E席に座って豊橋を目指す。
豊橋は以前、「青春18きっぷ」で豊橋鉄道の取材のために来たことがある。
そのため駅の外には出ずにそのまま飯田線のホームに行く。
「佐久間レールパーク」が今年11月1日で廃止されることが宣伝されているため、
多くの客が飯田線に並んでいた。
1番線ホームに並んで08:12の電車を待つ。
しかし待っている途中で構内放送を聞いていて耳を疑った。
飯田線が落石のために一部区間がバス代行になっているという。
08:12発の飯田線119系に乗り込み、車内放送で確認した。
それによると「門島、唐笠間の 落石の復旧作業のため、
平岡から天竜峡間の間で運転を見合わせていて、バスによる代行を行っています」とのこと。
しかも「所用時間は1時間30分程度を見込んでいます」とのことで、
接続できない列車も出るかもしれないとのこと。
乗り込んだ列車もダイヤでは天竜峡行きなのだが、実際は平岡止まりになっていた。
これはいやな予感がする。
天竜峡での乗り換え時間が30分しかない。
代行バスがどれくらいの遅れになるのかが分からないが、
場合によっては予定している帰りの「あずさ30号」に乗れないかもしれない。
119系はは自動ドアではなく、自分で開けなければならない。
しかも無人駅では車掌が切符を確認し、
「佐久間レールパーク」利用者が多くて混雑しているため、
途中駅で下車しての駅取材は断念した。
中部天竜まではほぼ予定通りの時間に到着する。
やはりこの駅で乗客の半数以上は下車した。
「佐久間レールパーク」は中部天竜駅に併設する形で、旧中部天竜機関区の跡地にの建設された。
蒸気機関車はないものの、旧型客車が多く、電車、気動車、電気機関車などの保存車両が展示されている。
天気は良く、青空の下で実車を見るのはやはり気持ちのいいものだ。



電気機関車はED11型2号機、ED62型14号機の2両、
電車はクモヤ12形クモハ12054、モハ52形モハ52004、クヤ165形1号車、の3両、
キハ48000形キハ48036、キハ181形キハ181-1の2両、
客車はオハフ33形オハフ33-115、オハ35形オハ35206、
マイネ40形マイネ407、オロネ10形オロネ10-27の4両、
そのほか事業用では荷物車スニ30形スニ30-95、建築限界測定車オヤ31形オヤ31-12、
操重車ソ80-180+チキ6132などが展示中だった。
さらに0系新幹線の運転台部分が展示されている。
決して広くはないが、十分に楽しめる実車だった。
昼は壺屋弁当部の限定弁当「佐久間レールパークおべんとう」800円を買う。
テントの下にはのパイプ椅子と簡易なテーブルが用意されていて、そこで喰う。
ステージではジャズバンドの演奏も行われていた。
このほか駅取材などして、12:40の電車で平岡まで行く。
この列車も本来なら天竜峡まで行く筈の電車だった。
車掌が何処で降りる予定か、乗客一人ずつに質問していった。
今年の夏の「青春18きっぷ」の旅は何だか予定にないバスに乗ること羽目になるな・・・。
今まで代行バスに乗ったことなどなかったのに、2回連続して経験することになるとは・・・。
そんなことを考えていると、終点平岡に到着した。
到着時間は13:31、そこから代行バスに分乗して天竜峡を目指すことになる。


3.deja vu−バス代行と豪雨の遅延

平岡にはダイヤ通りに到着し、そこから代行バスに分乗する。
バスは2台で、1台はマイクロバスだった。
マイクロバスの方は天竜峡に直行するバスで、
大きなバスは途中、温田、 門島、唐笠に停車して天竜峡まで行く。
休日で「佐久間レールパーク」利用者などで乗客が多いため、
直行バスが乗り切れなくなり、天竜峡から平岡に向かっているバスを待ってから、
2台に分乗して天竜峡を目指すことになった。



空は青く晴れて気持ちよい夏空だったが、
台風の影響なのか、天竜川は水嵩が高く、茶色く濁っていた。
天竜峡に直行するバスに乗ったが、駅に到着したのは14:36だった。
本来なら14:35天竜峡始発の電車に乗ることになっていたが、
バスが駅に入るのと同時に247Mは無情にも上諏訪に向かって発車してしまった。
とほほ・・・。
全然間に合わないのならまだ諦めもつくが、
乗るべき電車をバスから見ていただけに、納得がいかない。
代行バスの利用者も、たった2〜3分なんだから、
発車を待てばいいじゃないかと職員に詰め寄っていた。
本来なら14:35上諏訪行きのダイヤの次は、16:16岡谷行きまでない。
そこで急遽、15:20飯田行きの臨時列車が出ることになった。
途中駅を経由して天竜峡に着いた代行バスの到着を待ち、
1両編成の119系が飯田まで走ることになる。
この臨時列車に乗れば、飯田駅で16:00始発の上諏訪行きに間に合う。
勿論、この電車に乗っても「スーパーあずさ30号」には間に合わない。
そこで駅で交渉して、「スーパーあずさ30号」の乗車券と指定特急券を払い戻しを要求する。
ただ、ビューカードで購入したため、返金もカードの口座にすることになるそうだ。
天竜峡駅はJR東海に所属するため、切符に事情をメモ書きして貰い、
JR東日本の駅で払い戻しをして貰うことになった。
「スーパーあずさ30号」は千葉までのため、
単純にそのあとの「あずさ」のダイヤに振り返ればいいというわけにも行かないのだ。
臨時列車は15:47に飯田に到着し、ここで16:00始発の上諏訪行きの電車に乗り換える。
飯田線はJR東海に所属し、辰野が境界駅だが、
使用された車両はJR東日本しなの色の115系だった。
飯田駅を出た時にはまだよく晴れていていたのだが、
それでも雲は多く、山吹で停車している時に突然大粒の雨粒が落ちてきた。
しかし雨は長くは続かず、隣の伊那大島から伊那田島にかけては虹も見えた。



だが好天も長くは続かず、日が暮れてくるに従って再び雲は多くなり、
進行方向に黒い雲がせり出しているのが車窓からも見えた。
何だか凄くいやな予感がしてきた。
黒い雲には雷光も見え、列車が黒い雲の下に近づくにつれて雷鳴が轟き、雷光が車窓を襲った。
そして雨も激しく降りだしてきた。
飯田線は単線ですれ違い列車が遅れているため、それを交換駅で待たなければならず、
少しずつダイヤに遅れが生じていく。
辰野では2分遅れだったが、終点の上諏訪ではホームが全て塞がってしまい、
入線待ちをしたために13分遅れで到着となった。
途中、辰野駅ではクモハ123-1の姿も見えたが、下車して飛び乗る時間も気力もなかった。
18:56に上諏訪駅に到着し、みどりの窓口に行って「スーパーあずさ30号」の払い戻しをする。
切符を見せると天竜峡の駅のハンコが押してあったため、直ぐに払い戻しに応じてたくれた。
そして今度は新宿までの特急の切符を購入する。
正規ダイヤで18:59上諏訪発の「スーパーあずさ32号」の指定席特急券と乗車券を購入する。



切符を購入した段階で既に18:59は過ぎていたが、ダイヤが乱れているため、
ひとつ前の18:49富士見行きも到着していないとのこと。
駅員も正確な時間は分からないがもうちょっと待って欲しいと行っていた。
こういう事態だから仕方がない。
それでもとりあえず指定席を確保できたので、新宿まではゆっくり出来る。
ニューデイズで駅弁を買おうと思ったが、おにぎり、サンドイッチを含めて全て売り切れだった。
気持ちよいぐらいにお弁当コーナーの棚には何一つ置かれていない。
列車内で買えばいいと思ったが、それは甘かった。
18:59の「スーパーあずさ32号」が上諏訪駅に到着したのは??19:22だった。
しかも途中赤信号で停まってしまい、新宿には予定の30分遅れで到着した。
車販で弁当を購入しようかと思ったが、
NREのアテンダントに「弁当、サンドイッチ類は全て売り切れです」と冷たく云われてしまった。
とほほ・・・。
新宿に到着した時間が21:36で、外に出て夕食を喰おうかとも思ったが、
色々考えてとりあえず東京駅まで行くことにした。
東京駅の駅弁売り場が10:00p.m.までやっていたと思ったので、そこで弁当を購入しようと思ったのだ。
新宿で乗った中央快速線が21:45発で、東京駅に到着したのが21:58。
慌てて駅弁売り場に行き、既に片付けを始めていた売店に飛び込んで、
「季節の吹き寄せ 平成二十一年度 なつ」1,300円を購入する。
残った弁当はこれとポケモン弁当しかなかった。
22:18東京駅始発の千葉行きのグリーン車に席を確保する。
ここでゆっくりと駅弁を喰い、千葉まで行く。
千葉で折り返して23:08のお茶の水行きで帰る。
従来の予定では21:12に幕張駅に着いていることになっていたので、約2時間の遅れでミッションを終了した。
とほほ・・・。

 行動報告

04:35幕張−総武緩行線・下り416C(10)−04:45千葉[21]
05:06千葉※−総武快速線・上り518F(38)−5:44東京[42]
 朝食/駅弁購入
06:26東京※−東海道新幹線「ひかり501号」(93/1:33)−07:59豊橋[13]
08:12豊橋−飯田線・下り511M(126/2:06)−10:18中部天竜[138/2:18]
 ※佐久間レールパーク見学
 昼食/駅弁購入
12:34-40中部天竜−飯田線・下り519M(51)−13:31平岡[14]
13:45平岡※−風越観光・鉄道代行(51)−14:36[44]
15:20天竜峡※−飯田線・下り臨時列車(27)−15:47飯田[13]
16:00飯田※−飯田線・下り249M(176/2:56)−18:56上諏訪[26]
19:22上諏訪−「スーパーあずさ32号」(134/2:14)−21:36新宿[9]
21:45新宿−中央快速線・上り2024H(13)−21:58東京[20]
22:18東京※−総武快速線・下り2261F(39)−22:57千葉[11]
23:08千葉※−中央・総武緩行線・上り2307B(9)−23:17幕張



REI RINGONO Museum
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2009

inserted by FC2 system