土佐日記2010




 1.決戦は金曜日-旅の始まり

2010年の始まりは土佐電の取材から始めることになった。
これは一昨年に1泊2日で全電停取材に挑戦したものの、
全76電停中35電停の取材に終わり、41電停が未取材となってしまった。
そこで残った41電停の完全取材を目標に、
1月23日土曜日から1泊2日で計画を立てた。
さらに現在日本を走るA個室のある寝台列車の中で、
唯一乗ったことのない「サンライズ瀬戸」にも乗ってみたい。
そこで金曜日の夜に仕事の終わりに東京から「サンライズ瀬戸」で高松まで行き、
土曜日の朝に高知まで特急で移動して2日間で土佐電取材を決行する。
そして日曜日に最終の飛行機で東京に戻る。
そこで以下のような計画を立てた。

1月22日(金)

20:36幕張-総武緩行線・下り1912C(11)-20:47千葉[15]
21:02千葉※-総武快速線2148F(40)-21:42東京[18]
22:00東京※-寝台特急「サンライズ瀬戸」シングルデラックス(567/9:27)-

1月23日(土)

-寝台特急「サンライズ瀬戸」シングルデラックス(567/9:27)-07:27高松[58]
08:25高松※-L特急「しまんと5号」(132/2:12)-10:37高知
 ※高知駅バス案内所 土佐電気鉄道一日乗車券\800購入
 ※土佐電気鉄道全電停取材

 ※スーパーホテル高知チェックイン

1月24日(日)

 ※スーパーホテル高知チェックアウト

 ※高知駅バス案内所 土佐電気鉄道一日乗車券\800購入
 ※土佐電気鉄道全電停取材

15:30高知駅-土佐電ドリームサービス(36)-16:06高知龍馬空港[64/1:04]
17:10高知龍馬空港-ANA568便(75/1:15)-18:25羽田空港

この計画に合わせてANAのホームページから24日の568便の座席を購入し、
スーパーホテルのホームページから高知の23日からのシングル1泊を予約した。
また1ヶ月前になって「サンライズ瀬戸」の乗車券と寝台特急券、
「しまんと5号」の乗車券と特急券も購入した。
今回の企画は金曜日に仕事をしたあと、寝台列車に乗ることになる。
そのため、22日の金曜日に如何に早く仕事を上がるかが鍵となる。
8:30p.m.以前に家を出ないと予定通りの行動ができない。
なるべく“まいて”仕事したが、それでも金曜日である。
忙しくて何とか仕事が終わったのは6:45p.m.だった。
それから急いで日報を書き、慌てて帰宅する。
家に戻って着替え、予定より1本早い20:29の電車で千葉に出る。
予定ではここで駅弁を購入し、「サンライズ瀬戸」の車内で夕食として喰おうと思っていたが、
すでに「万葉軒」の駅弁はほとんど売り切れていて、いいものがなかった。
そこで予定より早い20:49始発の東京行きで終点の東京まで行く。
東京駅で東京日本橋三代目たいめいけんの“ハンバーグ弁当”1,000円を購入する。
さらに朝食用に“昔懐かしのカツサンド”650円も購入する。
そして9番線10番線ホームに上がる。
ここからいよいよ「サンライズ瀬戸」の旅が始まるのだ。


 2.「サンライズ瀬戸」と「しまんと5号」

東海道本線9番線10番線ホームは主に特急などに用いられる。
かつてあった「はやぶさ」や「富士」などの寝台列車もこのホームから発着していた。
しかしこのホームから寝台列車に乗り込むのは、実は今回が初めてである。
九州方面や出雲から東京に戻った時にこのホームに降りたことは何回もあるが、
ここから寝台列車に乗るのは今回が最初となった。

寝台特急「サンライズ瀬戸」は、東京と高松を結ぶ夜行列車である。
使用列車は285系及び285系3000番台の交直流電車である。
国鉄時代にも寝台電車581系列が製造されたが、
当時は新幹線などもなく、昼夜を使えるように寝台と座席の両方に使えるように設計された。
この電車は国鉄分割民営化以降初めて製造された寝台車両である。
車内は住宅メーカーにデザインを依頼するなど、居住性にも配慮されている。
個室を中心に構成され、開放B寝台はない。
その代わり、のびのび座席という寝台料金不要のフルフラットシートが設置された。
285系は7両固定編成で、JR西日本所属車が0番台、
JR東海所属車が3000番台となっている。
車内の設備に若干の違いはあるものの、基本的な構成は同じである。
東京-高松間は以前はブルートレインを使用した寝台特急「瀬戸」として運行されていたが、
1998年7月10日に「サンライズ瀬戸」が誕生したため、
前日の7月9日で客車寝台特急「瀬戸」は廃止された。
東京-高松間の804.7kmで、
東京-岡山間は「サンライズ出雲」と連結して運転され、
東海道本線、山陽本線を14両で走り抜ける。
「サンライズ出雲」は岡山から伯備線経由で出雲市まで行く。
下り列車は10:00に東京を出発し、翌朝06:27に岡山に到着する。
岡山で「サンライズ出雲」と切り離され、07:27に高松に到着する。

サンライズエクスプレスに乗るのは2度目で、前回は出雲市から東京に戻るのに使用した。
今回もA個室“シングルデラックス”を利用する。
個室内には洗面設備もあるが、バス、トイレはない。
その代わり、シングルデラックス利用者には専用のシャワールームが用意され、
使用料金も寝台料金に含まれている。
入線して出発時間まで車両取材し、出発後は車内取材をする。
車掌が来て検印して貰い、シャワールームの空きを見計らって先に浴びる。
シャワールームは時間の制限はないが、お湯に関しては6分間である。
普通にシャワーを浴びる時は6分は短いように思えるが、
実際列車内では6分あれば十分である。
部屋に戻って出発直前に買ったビールを飲みながら、買い込んだ駅弁を喰う。
部屋には小さなテレビもあるが、
衛星放送を受信しているためトンネルに入ったときなど受信状態が悪いときも多く、
このテレビはあまり集中してみるには耐えられない。
ビールの酔いもあって眠くなり、沼津を通過するのを確認したところで寝てしまった。
翌朝は岡山到着前にモーニングコールをセットし、
「サンライズ出雲」との分割シーンを取材する。
しかし先に「・・・瀬戸」が出発するためにゆっくり取材はできない。
連結幌が外されたところまで取材して慌てて列車に戻る。
そのあと車窓を見ながら部屋の整理などをして、
昨日買い込んだカツサンドを喰いながら高松までの旅を楽しむ。
岡山ではまだ夜の帳が空け切れていなかったが、瀬戸大橋を渡る頃には朝焼けが広がり、
高松に到着したときにはすっかり夜は明けていた。



高松駅でJR四国7000系、キハ47形、1500系、113系四国改造車、N2000系などを取材、
その間にいったん改札を出て瀬戸内海を眺めてから再び入場し、
特急「いしづち」として4両編成で入線したN2000系のうち、
うしろ2両を切り離して「しまんと5号」となった2両編成のN2000系に乗り込む。
この列車は前の車両のさらに前半分が指定席で、その後は自由席になる。
2時間12分の旅で高知に向かう。
振り子式なのでカーブの多い土讃線でも快適に走行する。
山の中を抜けて四国を縦断し、10:37に高知に到着する。
ここで偶然ごめんなはり線9640形10を見かけて取材する。
阪神タイガースカラーを纏った車両である。
改札を出て駅取材をしてから高知駅バス案内所で土佐電気鉄道一日乗車券800円を購入する。
駅舎は高架化され、以前来たときとは違っていた。
それに合わせて土佐電土佐駅前電停も30m北に移動し、桟橋線も30m路線延長した。
ここからいよいよ土佐電の取材開始である。


 3.桟橋線、伊野線の補完取材-タブレット交換のある路面電車

土佐電桟橋線は高知駅前から桟橋五丁目までの3.2km、11電停の、
南北に走る短い路線である。
土佐電の路線は東西に長く、南北に短いが一応十字形である。
その南北の部分に当たるのが桟橋線である。
はりまや橋電停で伊野線、御免線と交差する。
はりまや橋の十字路は全方向から直進、右左折できるように線路が造られている。
この路線で未取材電停は蓮池町通と桟橋三丁目の二つ。
高知駅前で少し車両取材してから200形221号車で蓮池町まで行き、
さらに桟橋通三丁目まで移動して電停取材する。
ここからはりまや橋まで戻り、徒歩で伊野線のはりまや橋電停に行く。
桟橋線の多くははりまや橋を直進し、高知駅前と桟橋通五丁目間を往復する。
そのため、伊野線、御免線へはここで交差点を渡って電停を移動しなければならない。
伊野線ははりまや橋から伊野までの11.2km、34電停の路線である。
途中、鏡川橋から伊野までは単線区間となる。
はりまや橋電停で少し車両取材してから未取材だった大橋通まで移動する。
ここからは暫く未取材電停が続くため、徒歩移動で電停取材する。
街の中心部に近く、電停間が短いために十分に徒歩移動が可能である。
大橋通、高知城前、県庁前、グランド通と徒歩移動し、
さすがに少し疲れたのでグランド通から電車に乗り込み旭町一丁目まで移動する。
ここで電停取材してさらに一気に鴨部まで移動する。
5電停は後回しにして、単線区間を先に取材することにした。
鏡川橋電停までは複線だが、ここから単線となり鏡川橋を渡る。
さらに道幅が狭い区間を朝倉駅前まで進むことになる。
鴨部と曙町東町の間に市場前信号所があり、ここから先は通票方式になる。
ここでタブレットの交換が行われる。
鉄道では単線区間で未だにタブレットを使用した閉塞方式を用いているところは見られるが、
路面電車では珍しい。
これは土佐電の名物ともなっている。



タブレットの交換は市場前信号所のほか、朝倉電停と八代信号所で行われる。
土佐電の車両には受け取ったタブレットを保管するホルダーが運転席に設置されている。



鴨部から再び徒歩移動で曙町東町、曙町、朝倉と移動し、朝倉で乗車して宮の奥まで行く。
宮の奥、宇治団地前、朝倉神社前、咥内、北山、八代通、枝川、伊野商業前、伊野駅前と取材していく。
枝川では土讃線の普通列車の撮影にも成功する。
八代信号所でもすれ違う二つの列車を目撃することができた。



新しくなった伊野電停を取材し、始発電車に乗って一気に上町五丁目まで移動する。
午前中に残した電停を徒歩移動で取材していくことにする。
上町五丁目、上町四丁目、上町二丁目、上町一丁目、枡形と徒歩移動で取材し、
これで伊野線の全電停の取材を完了する。


 4.高知の夜と朝-龍馬先生誕生地と烏骨鶏と寝坊!

上町一丁目は土佐が生んだ英雄、坂本龍馬生誕の地であり、
そのことを示す石碑が建てられている。



そこには坂本龍馬の解説として以下のような文章が添えられていた。

   坂本龍馬(1835-1867)

  郷士坂本八平の次男 実名直柔 天保6年11月15日出生
 江戸に出て千葉定吉に師事 北辰一刀流の目録を受ける
 時勢に感じ武市瑞山の土佐勤王党に加盟 文久2年3月24日脱藩
 勝海舟門下生となり神戸海軍塾の塾頭を務める
 その他長崎に海援隊を組織し大政奉還運動を推進し目的を達する
 彼の政治改革案「舟中八策」は新日本の行く手を示す基案となった
 慶應3年11月15日京都の宿舎近江屋で反対勢力の襲撃にあい
 同志中岡慎太郎とともに斬られる 33才

やはり坂本龍馬は高知の人たちにとって英雄として誇りに思っているのだろう。
昼食を喰わずにぶっ続けで取材したため、さすがに腹が減った。
早朝に「サンライズ瀬戸」の車中でカツサンドを喰い、
「しまんと5号」の車中で昼食としてお遍路さん弁当を喰ったのだが、
お遍路さん弁当を喰ったのが8:00a.m.過ぎでほとんど朝食に近い時間だったのだ。
そこで前回来た時に行った“一汁三菜食堂”を探したが無かった。
戻ってからホームページで調べたら、はりまや橋店は閉店していたようである。
仕方がないのでこれも以前に行った「烏骨鶏ラーメン 龍」に行く。
しかしここは夜の部は6:00p.m.からのようである。
まだ時間があるために御免線の一部を先取り取材することにした。
御免線は明日取材予定だが、前倒しで電停取材をしてた置けば、
その分車両取材に時間を割けることになる。
徒歩移動で知寄町、知寄町二丁目を取材し、さらに電車に乗って北浦まで行く。
御免線は葛島橋東詰から先は専用区間となるが、
道路との境が無く、コンクリートが線路の直ぐ外まで来ているところもある。
つまり上りは道端のためにちゃんとした電停があるが、
下りはノーガード電停が多いのである。
そこで下りでもちゃんとプラットホームのある電停を探し、北浦まで来たのだ。
しかしここまで来て既に日はほとんど暮れかかっていて、
自然光での取材は限度と判断して今日の取材を切り上げ撤収する。
高知駅に行ってコインロッカーから荷物を取り出し、少しつまみ類を買い、
予約していた“スーパーホテル高知”にチェックインする。
ここを利用するのは2回目である。
チェックインして部屋に行き、荷物を置いて少し休憩してから再び出掛ける。
「烏骨鶏ラーメン 龍」に行き、餃子セット1,030円喰う。
ラーメンは味噌味を選択した。
ラーメンと餃子で腹を満たし、少し夜撮してホテルに戻る。



ホテルに戻ってビールを飲み、テレビを見ながら11:00p.m.過ぎには就寝する。
ここのホテルは天然温泉があるが、男女で時間帯を分けているため、
男性用となるのは3:00p.m.~8:50p.m.と11:00p.m.~6:50a.m.である。
さすがに酔っぱらってしまって風呂に入る気力もない。
明日5:30p.m.に目覚ましをセットして朝風呂に入ることにしよう・・・。
と、思ったが、目が覚めて目が点になった。
既に7:00a.m.を過ぎている。
目覚ましを合わせたのだが、ONにするのを忘れていたらしい。
慌てて大浴場に行ったが、既に「女」という札に変わっていた。
とほほ・・・。
仕方がないので部屋に戻り、さっとシャワーを浴びて無料朝食を喰う。
スーパーホテルは無料にしては朝食のグレードは悪くない。
そこが“東横イン”との違いであり、こちらのグループを選ぶ理由の一つともなっている。
部屋に戻って歯を磨いてから支度をしてホテルを後にする。
ここはチェックアウトの必要はない。
そのまま出てくればいいのだ。
ここで旅行用バッグを昨日と同じコインロッカーに入れ、
高知駅バス案内所で土佐電気鉄道一日乗車券800円を購入する。
今日は御免線の取材を敢行するのだ。


 5.後免線補完取材-幻のゴメンジャー

24日日曜日は残った御免線の電停取材を敢行することにする。
今日は飛行機の最終便で東京に帰るため、
撤収時間を3:00p.m.に高知駅と設定し、なるべく遠い電停から取材することにした。
その方が帰る時に楽だからである。
まずは高知駅前からはりまや橋まで行き、そこから一気に後免中町まで行く。
徒歩で後免東町と取材して後免町で少し車両取材してから、
戻りながら電停取材することにした。
しかし後免東町で「第3回地産地消ごめんの軽トラ市」の看板を見つけ、
これを見学することにした。
これは南国市後免町商店街で開かれる軽トラの荷台を利用して、
地元特産品などが販売されるものである。
しかし今回ここを見学に行こうと思った理由は、
「ごめん戦隊ゴメンジャーショー」という広告を見つけたからだ。



この商店街は「やなせたかしロード」と呼ばれ、
アンパンマンのキャラが石像となって設置されている。
軽トラ市を一通り見て、アンパンマンキャラの石像の写真を撮ったが、
残念ながら“ゴメンジャー”には会えなかった。
昨今のローカルヒーロー流行りに便乗して誕生したようだが、
正直云ってせこいキャラである。
勿論、それがローカルヒーローのいいところかも知れないが・・・。
必殺技は「ごめん!」と謝ることなのだろうか・・・。
たぶん、今日も何処かで後免町の平和のために戦っていることだろう。
後免東町からさらに徒歩で後免町へ行き、
ここで少し車両取材などしてから、
はりまや方面に戻りながら電停取材することにする。
御免線は葛島橋東詰から先は土佐中街道沿いに路線が敷設されている。
一応は専用路線だが、道路との境界に縁石などはなく、
そのためはりまや橋方面はホームが設置されているところが多いのに対し、
上りの後免町方面はノーガード電停のところも多い。
乗り降りが大変なためにいったん後免町まで行き、
はりまや橋方面の列車で移動しながら電停取材を行う方が楽である。
住吉通、小籠通、長崎、明見橋、一条橋、清和学園前と取材していく。
一条橋と清和学園前は84mの距離で日本一近い。
舟戸、鹿児と取材していったが、鹿児で電停取材する前に電車に乗ってしまい、
結果的にこの電停は飛ばして東新木、新木、文珠通と取材し、
再び鹿児まで戻って電停取材する。
最後に残した葛島橋東詰で時間まで車両取材しようと思った。
暫くここで定点車両取材を敢行する。
以前来た時もここで車両取材をしたのだ。


 6.維新号の往復と龍馬の生まれた街-旅の終わり

土佐電鉄では今年の1月から来年の1月まで、
「電車一日乗車券で乗るイベント電車」を運行することになっている。
これはたぶん大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬ブームが来ることを見越して、
坂本龍馬の出身地である高知への観光客も増えるだろうと予測して、
便乗イベントを実施したのだろう。
いずれにしても、普段運行されることの少ないツーマン電車が運行されるのは嬉しい。
メインで使用されるのは7形「維新号」と元ポルトガル市電910号である。
7号「維新号」は1905年に製造され、1952年まで走っていた車両の復元車で、
1983年に復元された。
元ポルトガル市電910号は1947年に英国CCFL社で製作された900形で、
ポルトガルのリスボン市を走っていたものである。
1990年に高知にやってきた。
サポートで使用されるのはオーストリア・グラーツ電車の320号と、
ノルウェー・オスロ電車の198号である。
320号は1949年に204号として製造され、
オーストリアのグラーツ市公営運輸企業局の唯一のクラシック電車として活躍、
1992年に高知に転籍し、高知とグラーツの提携協定の3月20日に因んで、
320号に改称されたのである。
ノルウェー・オスロ市電の198号は1939年に製造され、
1985年までオスロ市内を走っていた。
この独特の形からゴールドフィッシュ(金魚電車)と呼ばれていた。
1991年に高知にやってきた。
今回は7号「維新号」が原則的に高知駅前から伊野線枡形までを走っていた。
そこで葛島橋東詰での車両取材を早々に切り上げ、
蓮池町通へ移動してここで車両取材を続け、7号「維新号」が来たところで乗車することにした。
この7号「維新号」は車内で愛好会の方々が色々と説明してくれる。
この7号「維新号」は2軸単車のため、ボギー車よりも車端の揺れが激しい。
しかもはりまや橋でカーブを曲がるため、この区間は特に徐行となる。
枡形までの旅を楽しみ、反対方向に高知駅前までさらに乗る。
この車両は一日乗車券でないと乗れない車両のため、折り返し乗車も可能である。
さらに高知駅までの間、保存会の人と色々な話をする。
台車はブリル21Eという明治時代に輸入されたアメリカ製の、
路面電車用の単台車が使用されており、その揺れも含めて楽しんだ。



高知駅で停車中のところを車両取材し、ここで撤収時間となった。
コインロッカーから旅行用バッグを取り出し、
高知駅の売店でお土産を購入して、
高知駅バス案内所で土佐電ドリームバスの高知龍馬空港行きのバスのチケット700円を券売機で購入する。
まだ少し時間があったため、「こがねうどん おがわ」に行き、
肉うどん2玉580円を喰う。
ここは讃岐うどんの系統で、1玉か2玉が選べ、さらに肉うどん2玉の場合は玉子がサービスになる。
ここで遅めの昼食を取ってからバスで高知龍馬空港に向かう。
時間かが少し早めのダイヤを選んだためか、意外と空いていた。
高知龍馬空港で空弁「土佐褐毛牛 牛めし」880円を購入し、
手荷物検査を終えてから飛行機の出発時間を待つ間に喰う。



当然このタイミングでは飲み物はビールとなる。
17:10出発予定のANA東京行き最終便568便に乗り込む。
まだ早い時間だったため、離陸時は日があり、
上空でベルト着用サインが消え、デジカメが使用できるようになってからも、
十分に夕日を撮影できた。




しかし東京に近づくにつれて徐々に日は傾いていき、
着陸時にはすっかり夜になっていた。
羽田空港からリムジンバスで津田沼まで行き、ここから電車で帰る。





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