青春の旅立ち-小海の風、辰野の風




 1.青春の試練-倒木による混乱

“青春18きっぷ”の旅、2回目は1回目で取材できなかった小海線清里駅と、
以前取材しようと思ったが雨のために下車できなかった中央本線辰野支線を取材する。
帰りは1回目と同様、特急「あずさ」で千葉まで戻る。
この予定を元に以下のような計画を立てた。

8月7日(土)

04:35幕張-総武緩行線・下り410C(5)-04:40稲毛[9]
04:49稲毛-総武快速線・上り454F(34)-05:23東京[44]
06:07東京※-中央快速線・下り641T(58)-07:05高尾[21]
07:26高尾※-中央本線・下り525M(174/2:54)-10:20小淵沢[33]
 ※相模湖07:35-46(11)
 ※塩山08:45-58(13)
 ※甲府09:18-32(14)
 ※日野春09:59-10:06(7)
10:53小淵沢※-小海線・下り・八ヶ岳高原列車3号(24)-11:17清里[44]
12:01-02清里-小海線・上り228D(22)-12:24小淵沢[14]
12:38-39小淵沢-中央本線・下り437M(21)-13:00-01茅野[90/1:30]
14:31茅野-中央本線・下り1541M(14)-14:45岡谷[3]
14:48岡谷-中央本線・下り232M(10)-14:58-15:03辰野[4~0]
15:02辰野※-中央本線辰野支線・下り163M(10)-15:12-13小野[74/1:14]
16:27小野-中央本線辰野支線・上り162M(5)-16:32信濃川島[34]
17:06-07信濃川島-中央本線辰野支線・下り165M(15)-17:23塩尻[3]
17:26-27塩尻-特急「スーパーあずさ30号」(203/3:23)-20:50千葉[5]
21:02千葉-総武緩行線・下り2179B(59)-21:12幕張

しかしこの計画は悉く断念することになる。
当日は1回目と同じく04:35の下りで稲毛まで行き、そこで快速に乗るつもりだった。
しかし起きる時間が少し遅くなってしまい、支度がちょっと遅くなった。
そのため04:35の下り電車には間に合わず、04:40の上り電車に乗る。
快速には乗らずにそのまま秋葉原まで行き、京浜東北線で東京へ。
今回も幕張駅の改札に駅員がおらず、強行突破した。
東京駅丸の内側の改札で“青春18きっぷ”に検印して貰う。




ここで「ありがとうございますJR東日本8.7東京駅(C)」と2回(人)に検印して貰い、
05:41の中央快速線で高尾まで行く。
朝が早くて途中で爆睡してしまい、八王子近くで目が覚めたが、
車内の案内で中央本線が倒木のために普通になっていることを知る。
高尾駅に行くと、やはりその先の115系は全て留置線に停まっていてホームには着いていない。
急遽改札を出るが、上野原と藤野の間で架線に障害物で不通になっているとのこと。



仕方がないのでMacDonald高尾ダイエー店でソーセージエッグマフィンセット440円喰い、時間を潰す。
それでも運転再開の見込みは立っていないので、一端八王子まで戻り、
ここで停車中の電気機関車EH200-8を取材する。
旅客車両だけでなく、当然貨物列車も足止めを喰っている。
八王子で見掛けていたのでこれを取材した。
再び高尾まで行くと漸く下りが運転再開したようで、08:00頃に発車した115系に飛び乗る。


 2.高原列車は、ラララ、行くよ!

8:00a.m.頃、高尾駅を発車した115系は1時間40分遅れだった。
下りは漸く再開したものの、上り列車はまだ不通のままであった。
倒木があったのが上りの線路のようで、
丁度、上野原と藤野の間で倒木の伐採作業が行われていた。
この列車はもともと06:14に高尾を発車し、09:50に松本に到着する列車だ。
車内は登山客が多く、大月で大半が降りていった。
富士急に乗り換えるのだろう。
思ったより順調に走っていったが、塩山で特急の追い抜き待ちで暫く待たされる。
しかも先行していた特急が山梨市駅でパンタグラフの点検のため暫く停車し、
そのため後続の「あずさ3号」も急遽、塩山で追い抜きになる。
これは千葉駅を発車して南小谷まで行く“千葉あずさ”だ。
塩山には20分停車したが、それでも塩山を1時間35分遅れで出発できた。
順調に走った分の貯金を使い果たしたが、
何とか小淵沢には、10:53の10分前には到着した。
ここから臨時列車の「八ヶ岳高原列車3号」で清里に行く。
臨時列車だったので当然、キハE200系のハイブリッド気動車かと思ったが、
実際はキハ110系が充当されていた。



清里はJRで2番目に高い場所にある駅で、
それと同時に避暑地としても有名な場所だが、
今回この場所に来たかったのは駅前に静態保存されているC57型が目当てだったのだ。



このC57型には以下のような解説が書かれていた。

   C56149のはたらき

 製造年月日 昭和13年6月28日 三菱重工神戸造船所
 使用開始  S13.7.6~S14.12.19 
       新潟鉄道局米沢機関区所属
       この間の走行キロ数(米坂線) 61,728.8km
 転属    S14.12.20~S16.12.8
       仙台釜石機関区所属
       この間の走行キロ数(釜石線) 106,739.6km
 転属    S16.12.9~S47.12.5
       長野鉄道管理局中込機関区所属
       この間の走行キロ数(小海線) 1,478,507.7km
 走行キロ数合計 1,647,006.1km
 走行年数 通算 34年5ヶ月
 使用休止年月  昭和47年10月31日

   蒸気機関車展示の趣旨

  C56149蒸気機関車は戦前戦後を通し輸送の主力として
 八ヶ岳山麓を力強く走り続け地域の発展に大きく貢献し、
 また高原の「ポニー号」と称され多くの方々から親しまれてきました。
 まだ充分活躍出来る能力はありましたが、
 時代の進歩の激しさには勝てず退役となりました。
 引退までの34年5ヶ月、実に31年間も小海線で走り続け
 優美な清里高原を全国に伝える原動力となりました。
  退役後、長年親しまれ活躍してきたC56の
 学術的、歴史的功績をたたえると共に郷土を語る貴重な資源として、
 また未来を担う子供達の豊かな心を育てる教育的、社会的教材として
 後世に伝えるべく、「たかね荘」の敷地内で静態保存されていたものを
 清里駅周辺地区の整備の一環として地元からの要望に基づき
 観光振興に役立てばとの思いから、清里駅前に設置しました。

予定では12:02の列車で小淵沢まで戻るつもりだったが、
下りで乗った“八ヶ岳高原列車”が野辺山で折り返してきて、
11:45に清里に到着したのでこれに乗る。
ここから茅野経由で辰野支線の取材に移ることにする。


 3.辰野支線駅取材計画-遅延による断念

小淵沢から12:18頃発車の長野行きに乗り込む。
辰野線取材の前に茅野駅で途中下車する。
茅野は既に駅取材が済んでいるが、
東口が整備されたため追加取材と、
ここにも蒸気機関車が静態保存されたのでそれも取材したい。
茅野駅東口に静態保存されたのはC12型蒸気機関車である。



この蒸気機関車には以下のような説明書きがあった。

   蒸気機関車C1267

  このC12形式タンク機関車は、昭和7年に誕生し、
 国内の産業・経済・文化の発展に大きく貢献しました。
 このC1267は、その67号機です。
 太平洋戦争中、現在の市内北山地籍にあった諏訪鉄山から
 軍需用に鉄鉱石が採掘されました。
 その輸送のため茅野駅まで専用鉄道が敷かれ、
 田園地帯を蒸気機関車が走りました。
 そこで活躍したのが、この機関車と同じC12型の機関車でした。
  市では、この機関車の廃止に際し、昭和48年、
 かつての歴史を伝える社会的教材として
 旧国鉄(現JR)から貸与を受けました。
  そして現在、機関車にふさわしい駅前の交通広場に配置し、
 この場所で市民の皆さんや遠来の方々に
 一時を憩っていただけるよう展示しています。

 (付記)
  この機関車は、昭和8年、茨城県日立製作所で製造され、
 全国各地に配属され役目を果たしましたが、
 電気機関車の普及に伴い、昭和48年に廃車となりました。
 この間40年、約158万km(地球を約39.5周)を走行しました。

 全長11.35m、重量49t、動輪直径1.4m、高さ3.9m、
 馬力520馬力、走行距離1,588,699.8km

予定では茅野で1時間30分の取材時間を取っていたが、
未だに中央本線のダイヤが乱れていて、帰って早めの列車に乗ることが出来た。
茅野を1:20p.m.頃発車する長野行きに乗って岡谷へ。
ここから辰野に行く予定だったが、その前に昼食を喰おうと思って岡谷駅周辺を散策する。
しかし特に入りたい店も見つからず、
しかも辰野方面の列車も時間が合わず、
仕方がないので1:57p.m.頃の松本行きで塩尻まで行く。
ここで待合室に併設されていた「桔梗」で天ぷらうどん360円を喰い、
123系に乗り込んで信濃川島まで行く。



辰野支線は塩尻と辰野の間に2つの無人駅があり、信濃川島はそのひとつ。
本来ならもうひとつの小野も取材するはずだったが、
中央本線の遅れで接続を取って飯田線も遅れ、
そのために辰野支線にも影響が出てしまっていた。
予定では2つの駅を取材したあと、塩尻で帰りの特急には乗り換え時間が3分しかない。
もし3分以上の遅れが出ると帰りの特急に間に合わなくなる。
そこで小野駅の取材は断念し、次回への宿題とした。
しかし小野駅を取材しないと時間が余ってしまい、塩尻で時間を潰すのに苦労した。
帰りは“千葉あずさ”である「あずさ30号」に乗り込む。



中央本線は帰りの時間になってもまだ乱れが続いていて、
千葉駅に到着したのは7分遅れだった。





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