2012年越中の旅




 1.ライトレール最後の取材-富山旅行計画

10年くらい前からずっと日本全国の路面電車の取材を行ってきた。
目標は日本の路面電車の21路線の全603電停の取材だった。
去年は2月に長崎、5月に熊本、8月に松山と鹿児島を取材し、
今年の2月にも広島と岡山の取材を敢行し、
残すは富山地方鉄道の新規開業線である富山都心線の4電停と、
再取材の本線の南富山駅前電停のみとなった。
そこでゴールデンウィークも終わり、
鉄道などが落ち着きを取り戻した5月の第3週に富山旅行を計画した。
以前から富山旅行の計画を何度か立てていたのだが、
取材対象が少ないことから何時も後回しになっていた。
それに寝台特急「北陸」が廃止になったことも後回しになった大きな理由のひとつだ。
しかし残りが富山だけになったことで、
路面電車の取材の集大成として今年5月に富山旅行を計画した。
現在は北陸新幹線を建設中で、これに合わせて北陸本線も高架化される。
そうなると地上に空間が出来るため、
富山地方鉄道と富山ライトレールが繋がることになっている。
そうなるとまた新しい電停が開業するかもしれないが、
その前に現在の形でまず取材を完了させておきたい。
2008年に取材に来た時には地鉄市内電車、富山ライトレール、
それに加え地鉄バス\270区間が乗り放題になる、
“富山まちなか・岩瀬フリーきっぷ”800円を使用したが、
今回は富山ライトレールはパープルのTLR0600形未取材車両、
TLR0607のみがターゲットのため、
これは富山駅北電停で狙うとして、
今回は“地鉄電車・バス1日フリーきっぷ”600円を利用することにした。
これは富山地方鉄道の発行する同社の路線のみ使用出来るもので、
軌道線全線と路線バスの270円区間は同じだが、
富山ライトレールが使えない代わりに、
鉄道線の富山から南富山までの区間が使用出来る。
これで途中の稲荷町駅を取材出来るし、また地鉄富山駅で入場券としても使用出来る。
むしろこちらの切符の方が便利である。
帰りはまだ全区間完乗したことのない高山本線経由で帰ることとする。
富山での取材は一日で十分と判断し、
二日目は高山本線の一部で普通列車を使用し、美濃太田で駅取材を挟む。
それを踏まえて検討し、以下のような計画を立案した。

5月19日(土)

05:44幕張-総武緩行線・上り553B(41)-06:25秋葉原[4]
06:29秋葉原-京浜東北線・南行509A(4)-06:33東京[27]
07:00東京※-上越新幹線「Maxとき303号」(71/1:11)-08:11越後湯沢[9]
08:20越後湯沢※-特急「はくたか2号」(115/1:55)-10:15富山

※富山市観光案内所/地鉄電車・バス1日フリーきっぷ\600購入

※アパホテル富山駅前 チェックイン \4,200

5月20日(日)

※アパホテル富山駅前 チェックアウト

08:00富山※-特急「ワイドビューひだ6号」(198/3:18)-11:18美濃太田[35]
11:53-56美濃太田-高山本線・上り3722C(36)-12:32岐阜[11]
12:43岐阜※-東海道本線・上り3166F(27)-13:10名古屋[74/1:14]
14:24名古屋-東海道新幹線「ひかり522号」(106/1:46)-16:10東京

今回はアパホテルを利用することにした。
このホテルは派手好きな女性社長で有名なホテルグループだが、
今まで利用したことがなかった。
2日目は8:00a.m.には富山を出発しなければならないので、
朝食は車中で駅弁を喰うこととし、ホテルでの無料朝食は不要なので、
朝食なしを選べてその分安価な禁煙シングルのあるホテルを探していたのだ。
また、出来れば大浴場のある方がいい。
これらの条件を踏まえて富山駅近辺で検索したところ、このホテルに行き着いた。
ネットで予約し、同時にクレジット決済した。
4月19日木曜日にJR稲毛駅の指定席券売機で、
「Maxとき303号」「はくたか2号」の指定特急券と幕張から富山までの乗車券を購入、
4月20日金曜日にJR稲毛駅のみどりの窓口で、
「ワイドビューひだ6号」と「ひかり522号」の指定席特急券と、
富山から幕張までの乗車券を購入した。
当日の天気予報も悪くなく、新しく購入したEOS 7Dを持参することに決め、
前日は禁酒して5:00a.m.に起床した。


 2.初陣と最後の戦い-旅の始まり

今回の旅は4月28日土曜日に購入した新しいデジタルカメラ、
CANON EOS Degital 7Dの初陣でもある。
発売して約2年が過ぎたが、今回漸く購入に踏み切ったもので、
出来ることならカメラに慣れる意味でも、
富山旅行の前に日帰りで鉄道写真を撮りに行くべきだったが、
天気や休日勤務などの条件が重なって行くことが出来ず、
結局今回の富山旅行が初めての撮影体験となってしまった。
事前にマニュアルはすべて目を通したけれど、
やはり不安だったのでマニュアルをカメラ用のバッグに入れて持参した。
キヤノンの一眼レフデジカメはこれで4台目だが、
今回の7Dは少し操作方法が違っている。
グレードの問題というよりも40D発売から時間が経っているので、
基本的な操作方法が変化していると考える方が正しいだろう。
勿論慣れてしまえば新しい操作方法が馴染むのだろうが、
それまでは少しもたつくことがあるかもしれない。
出発直前まで慣れ親しんだ40Dを持参しようかと思ったが、
今回の取材は基本的に緩いものなので、
7Dの初陣にはちょうどいいと思い、新しいカメラを持って行くことにした。
初電から3本目の05:44の総武緩行線・上り電車に乗り込む。



今回は幕張から富山までの乗車券を購入したため、
自動改札機に直接切符を挿入して入場、秋葉原から京浜東北線で東京に行く。
東京で東北・上越新幹線の改札に富山までの乗車券と一緒に、
「Maxとき303号」の新幹線特急券を挿入する。



この列車は07:00に東京駅を出発する。
それまでの時間に売店で駅弁「青葉の宴」1,300円を購入し、
出発まで少し写真を撮る。



上越新幹線の2階建てといえばE1系が充当されることが多かったが、
E5系の投入でE4系が余剰となり、
200系を淘汰する目的で上越新幹線にも使われるようになったのだろう。
そしてこの写真が7Dの初めての撮影画像でもある。
こうして路面電車全21路線全電停取材の最後の撮影に旅立つ。


 3.富山アクセスの3つのルート-“はくたか”編

首都圏から鉄道で富山にアクセスする方法はおおよそ3つである。
ひとつは東京から上越新幹線で越後湯沢まで行き、
ここから越後湯沢と金沢を結ぶ特急「はくたか」に乗って富山で途中下車する。
もう一つは東海道新幹線に乗って名古屋に行き、
ここから名古屋と金沢、富山、和倉温泉を結ぶ特急「しらさぎ」を利用、
そしてもう一つは名古屋から高山本線の特急「ひだ」に乗って富山へ。
行きはいちばんオーソドックスな“はくたか”ルートを使うことにした。
このルートで富山や金沢を目指すのは既に何度か行っている。
上越新幹線「Maxとき303号」は東京と新潟を結ぶ新幹線で、
東京を出ると上野、大宮と止まって次は越後湯沢までノンストップである。
乗車時間は1時間11分で、この時間を利用して朝食の駅弁を喰う。
越後湯沢での乗り換え時間を9分で、接続発車といえる絶妙な時間である。
新幹線改札口から在来線に出て、「はくたか2号」に乗車する。



今回はちょっと贅沢にグリーン車で指定席を取る。
この列車は681系が充当されていて、グリーン車は2+1配列である。
指定席券売機で座席指定した時に1列の方を指定しておいたのだ。
特に「はくたか2号」は停車駅が少なく、
越後湯沢を出るとJR東日本とJR西日本の境界駅である直江津に停車、
ここで運転手と車掌が交代、そして車内販売も乗り込んで次はもう富山である。
富山を出たあと高岡に停まって金沢に到着する。
越後湯沢を出ると北越急行ほくほく線を経由し、
GG信号で特例的に160km/hの運転が許可された区間である。
45分で直江津に着き、そのあとは1時間10分ノンストップで富山まで行く。
車内販売でコーヒーを買ってブレイクする。
北陸本線は日本海に沿って敷設されており、時折海も見える。
10:15に富山に到着する。



455系、521系など交直流近郊形電車など、少しホームで車両取材する。
富山は何度か来ているが、今は北陸新幹線の建設が既に始まっており、
南口は仮駅舎になっている。
今後、在来線も高架化され、南北を道路が直通する予定で、
その際にはそれに併せて富山ライトレールと富山地方鉄道市内線が直通する予定である。
改札を出て観光案内所で訊き、電鉄富山駅の総合案内所で、
“地鉄電車・バス1日フリーきっぷ”600円を購入する。
ここから富山地方鉄道市内線の取材を開始するのだ。


 4.感情的な環状線-全国全電停取材完了

まずは富山駅前電停で少し車両取材し、そのまま南富山駅前電停に行く。
ここで電停取材し、11:30a.m.になるのを待って「創菜キッチン トミッポ」で昼食喰う。
ここは前回富山に来た時に偶然入った店で、
その時に気に入っていて次に富山に来る際には行こうと思っていたのである。
南富山駅前まで行ってここから富山駅前まで行き、少し車両取材する。
地下に作られた東西自由通路を通って北口に行き、富山ライトレールの車両取材する。
富山ライトレールは前回全電停取材が完了しており、車両取材も十分にしたのだが、
TLR0600形の全7両のうち、TLR0607号車が唯一未取材なのだ。
富山ライトレールは全7両でイメージカラーが違っていて、
TLR0607号車は白い車体にパープルを纏っている。
これを狙ったがそう上手く来るわけもになく、
レッドとイエローを見かけたところで取材を中断する。
今回の旅では富山地方鉄道の軌道線のほか、
鉄道線も富山から南富山まで乗車することが出来る。
そこで鉄道線も車両取材と駅取材を考えているのだが、
特に狙いたいのが16010形「アルプスエクスプレス」である。
16010形は元西武鉄道5000系で、
特急に充当されていた「レッドアロー」の愛称で親しまれていた車両である。
2011年12月に水戸岡鋭治氏のデザインによってリニューアルされ、
「アルプスエクスプレス」という名称になって生まれ変わった。
ダイヤもホームページに公開されており、
12:11発の「アルプスエクスプレス」を取材するためにそれに併せて入場する。
既に16010形は入場していた。



これを取材し、さらに10030形に乗って南富山まで行く。
駅取材してT100形で西町まで行き、ここから徒歩でグランドプラザ前まで行く。
ここから環状線の取材に入るが、環状線は単線で反時計回りの一方向だけしかない。
新設された富山都心線は単線で敷設され、
グランドプラザ前から本線に合流し、支線の丸の内から再び分岐して富山都心線に入る。
環状線は富山市が製造し、富山地方鉄道に運行を依頼している9000形が専属で使用されている。
9000形は3両製造されたが、9001号車と9003号車の2両が運行されていた。
また富山都心線の新しくできた3つの電停には、
富山ライトレールと同様の“電停個性化スペース”が設置されている。
“個性化スペース”とは、「地域の景観、歴史を掲示」しているスペースのことである。
国際会議場前電停には「富山城」と「大手通りの始まり」が設置されている。



 富山城

 江戸時代の富山城は、加賀前田家の分家である、富山前田家10万石の居城でした。
 寛文元年(1661)以後、初代藩主前田利次によって整備が進められました。
 城の中心であった本丸御殿は、藩主が政治を執る場であり、また生活の場でもありました。
 初代の本丸御殿は、正徳4年(1714)に失火で焼失してしまい、
 その後、100年余り本丸御殿は存在しませんでした。
 天保4年(1833)、2代目の御殿が再建され、明治32年で焼失するまで残っていました。



 大手通りのはじまり

 市民プラザの少し南側あたりに、富山城の正門である大手門があったことから、
 この通りが大手通り(現在の大手モール)と呼ばれました。
 この大手通りは、明治の廃城後、富山城の本丸と二之丸をつなぐ土橋から三之丸の屋敷の間の道、
 そして大手門を結んでできた道です。
 また、富山国際会議場付近には、三之丸から二之丸への入り口である二階(にかい)櫓門(やぐらもん)がありました。
 この門は、城の中枢部を守るための重要地点であり、また、威儀を正さなければならない場所ともなっていました。

大手モール電停には「市内電車の開通」と「昭和期の市内電車」が設置されている。



 市内電車の開通

 大正2年に市街に初めて市電が開通しました。
 同年開催された共進会(博覧会の前身の呼称)の会場と市街を結ぶため、
 富山駅前-小泉町間の本線と富山駅前-西町間の支線(全線5.0km)を開通させました。
 その後、大正4年小泉町-堀川新駅前間、大正5年郵便局前-呉羽公園下、
 昭和3年西町-東田地方間、昭和11年東田地方-電気ビル間が開通し、
 市の中心部を一周する環状運転が開始され、10.8kmの路線となりました。
 ここに東西、南北の縦貫線に富山駅、西町という二つの中心地を環状線で結ぶという
 富山市内の幹線交通が形成されました。



 昭和期の市内電車

 市内軌道は、昭和20年の戦災によって全線損傷をうけましたが、
 富山市内の道路復興計画の進行に応じて復旧が進められました。

  昭和21年 富山駅前-南富山間、西町-新富山間 復旧
  昭和23年 西町-雪見橋間、雪見橋-上り立町間 復旧
  昭和24年 駅前-旅籠町間、上り立町-電気ビル間 復旧

 昭和27年からは、市内軌道整備計画により大改修が行われ、
 昭和36年には山室線の新設が行われました。
 しかし、昭和40年代以降は、車社会の進展により路線が縮小されました。

  昭和27年 丸の内-安野屋間 開通、旅籠町-安野屋間 廃止
  昭和29年 環状線全線の複線化完成。新富山-大学前間 復旧
  昭和36年 山室線(中教院前-不二越駅前間)開通
  昭和42年 系統の大改正により6種類の系統を運転
  昭和47年 中教院前-北新町-地鉄ビル前間を廃止
  昭和48年 西町-旅籠町-丸の内間を廃止
  昭和59年 西町-不二越駅間廃止

グランドプラザ前電停には「チンドンコンクール」と「旧北陸街道」が設置されている。



 チンドンコンクール

 毎年4月上旬に行われるチンドンコンクールの始まりは50年以上前にさかのぼります。
 昭和20年の富山大空襲により、市街地は壊滅状態となりました。
 その後、人々が焼跡から立ち上がり、氏の復興がほぼ完成した昭和30年、
 富山市に明るさと平和感を与えようと、
 富山商工会議所や富山市の発案で「全国チンドンコンクール」が誕生しました。
 例年この全国一を競う舞台に、東西からたくさんの趣向を凝らしたチンドンマンが参加し、
 沿道の人々の熱烈な声援を受け、会場一帯が笑いの渦となります。



 旧北陸街道

 市電環状線が通るこの道は、江戸時代の北陸街道にあたります。
 現在、道幅は約36mありますが、
 江戸時代は5間(約9m)だったことが発掘調査により確認されました。
 当時と比べ、南側に27m拡張されており、通りの南半分は家屋の敷地にあたります。
 また江戸時代から、この周辺は二番町(現在の総曲輪三丁目・西町)と呼ばれていました。
 これは、富山時用の大手前から、城の東にある藩主菩提寺の光厳寺(こうげんじ)までの道筋に沿って、
 一番町から順に五番町までに町名をつけた(四番町は無し)ことによります。

3つの電停を取材して西町まで徒歩移動し、ここから富山駅前まで行く。
ここで少し車両取材したあと、再び富山地鉄鉄道線の取材に入る。


 5.しょっぱい夜と露天風呂の朝

富山地方鉄道市内線の電停取材は完了したが、
“地鉄電車・バス1日フリーきっぷ”では鉄道線も電鉄富山から南富山まで利用出来る。
そこでこの区間のうち、車両基地も兼ね、
本線・立山線と不二越線・上滝線の分岐駅でもある稲荷町の駅取材も決行する。
電鉄富山駅でクハ170形や10030形京阪塗色を取材し、稲荷町まで行く。
10030形は元京阪3000系で、料金不要の特急に従事していた車両である。
富山に来て黄色と緑のツートンの新しい富山地鉄標準色を纏ったが、
2012年4月27日より1編成だけ京阪時代の塗色に戻されて運行されている。



因みに富山地鉄の鉄道アテンダントのブログによると、
黄色と緑のツートンは“かぼちゃ電車”として親しまれているという。
稲荷町駅に来て下車して駅舎取材、
敷地外から車庫に留置中の電気機関車デキ12021などを取材する。
ここで16010形が通過するのを待って写真に撮ろうと思ったが、
「アルプスエクスプレス」ではなく、普通車に充当されていて、
当然のことながら稲荷駅にも停まったのでそこを撮影。



このあと電鉄富山まで戻り、再び市内線に乗り換えて西町まで行き、
「西町大喜」というラーメン店にいって中華そば・小(並)700円を喰う。
オーダーをしてから生玉子50円を追加する。
ここは富山ブラック発祥の店といわれている有名店である。
富山ブラックは醤油ラーメンの一種だが、スープが黒くなるまで濃厚に仕上げ、
結果的にかなりしょっぱい。
西町から富山駅前まで戻って、南北自由通路で北口に出る。
ここからホテルに行こうと思ったら、なんと狙っていた、
富山ライトレールTLR0607号車が偶然停車していた。



程なくして発車したので慌ててこれを取材し、
予約していたアパホテル富山駅前にチェックインする。
このホテルは初めてだったので、チェックインの時に会員カードを作らされる。
南口の観光センターで購入したます寿しをつまみに地ビールの宇奈月ビールを飲む。



今回はぬるい取材になるかと思ったが、意外と濃厚な取材となり、
その分疲労も蓄積していて酔いの回りも早く、ビールを2本飲んでそのまま寝てしまった。

翌朝は5:30a.m.に起床する。
富山湾に陽が昇り、朝焼けが綺麗だった。



6:00a.m.を待ってホテル2階のラジウム人工温泉に行って入浴。
露天風呂もあるが、街の真ん中のためにコンクリートの壁がそそり立っていて、
露天風呂というよりは単なる屋外にある浴槽という感じだった。
今回は08:00の列車に乗らなければならないため、ホテルで朝食は取らず、
部屋に戻ってクールダウンし、7:00a.m.過ぎにはチェックアウトした。


 6.富山アクセスの3つのルート-“ひだ”編

首都圏から鉄道で富山にアクセスする3つの方法のうち、
行きは一番オーソドックスな上越新幹線+「はくたか」のルートを使ったが、
帰りは別ルートで帰ることとし、高山本線で名古屋にアクセスすることにした。
高山本線は越中八尾から猪谷、ここで折り返して富山までは乗ったことがあるけれど、
その先はまだ未乗車で、“乗り潰し”の意味合いも兼ねて、
特急「ひだ」+東海道新幹線のルートを選択することにした。
アパホテル富山駅前をチェックアウトして富山地鉄市内線の富山駅前電停に行き、
環状線の専用車両9000形のうち、昨日撮影出来なかった9002号車を狙う。
しかし充当している車両は昨日と同じ9001号車と9003号車だった。
今回は縁がなかったようだ。
富山駅に幕張までの乗車券で入場する。



既に特急「ひだ」に充当されるキハ85系はホームに停車していた。
指定席で取った座席に荷物を置いて車両取材する。
この段階で出発まであと15分。
北越急行所属の683系8000番台が入線するのを知ってホームを渡ってこれを撮影する。
売店で朝食用の駅弁を買って5分前くらいに漸くキハ85に乗車する。



特急「ひだ6号」は08:00に富山駅を発車する。



高山本線は非電化路線のため、気動車特急が充当されている。
北海道や四国では気動車の特急に乗ったことがあるが、本州では初めてかもしれない。
この「ひだ6号」は富山から名古屋までを結んでいるが、
今回は高山本線の駅取材もひとつくらいはしたいと思い、美濃太田までの切符にした。
どちらかというと山の中を突っ切る形の高山本線だが、
ここまで来ると平坦な土地になってくる。
美濃太田には11:18に到着予定になっていたが、3分遅れで到着した。
この時はまだこの3分の遅れは大して気にしていなかった。
しかし後々この遅れの原因に大きく飲み込まれることになるのだ…。
美濃太田は長良川鉄道も乗り入れていて、偶然停車中のナガラ300形303号車を取材する。
改札を出て駅舎の取材などする。
駅前ロータリーには坪内逍遙の銅像が建っており、そこには略歴が書かれていた。



     坪内逍遙略歴

  逍遙こと、坪内雄蔵(幼名)は安政六年五月二十二日(一八五九年)
 美濃国加茂郡大田村(現美濃加茂市太田本町太田小学校西北端)の
 尾張藩代官屋敷で父坪内平右衛門(後に平之進と改む)と母ミナの子として生まれた。
 折しも幕末維新の風雲急を告げ、中山道は人馬の往来激しく、
 陣内での父母の養育、手習を受け成長した。
 明治九年(一八七六年)県選抜生として上京、開成学校(現東京大学)に入学、
 十六年同校文学部本科を卒業するや東京専門学校(早大前身)の講師(後に教授)となり、
 教鞭のかたわら『当世書生気質』『小説神髄』を著して明治新文壇の先達となった。
 又逍遙は文人にとどまらず、文芸運動を指導し、演劇、新国民劇の創造改善にも心血をそそぎ、
 明治三十二年には文学博士の学位を受け、小学校国語読本全八巻などを刊行。
 かくして明治、大正、昭和の三代にわたる我が国文化の偉大な教導者として仰がれた。
 晩年の逍遙は熱海に双柿舎を開き住み宿願の『シェークスピヤ全集』の翻訳を完成、
 昭和十年(一九三五年)二月二十八日、七十七才の天寿を全うした。
 早稲田大学葬がおこなわれ、墓は熱海の海蔵寺にある。
 資産はすべて寄付され、数々の偉業は早稲田大学記念博物館に納められた。
 逍遙が最後にここ誕生の地を訪れたのは大正八年(一九一九年)の晩春。
 婦人セイを伴い、木曽川の清流にたたずみ、
 虚空蔵の大椋をなでて懐旧の情にむせんだ郷土が生んだ偉大な人物である。
  この偉業を顕彰するため、逍遙誕生百三十年に併せ、
 美濃加茂ライオンズクラブ結成三十周年記念事業として建立するものである。

美濃太田駅で約30分の取材を終了し、ここからは普通列車で岐阜まで行く。
キハ11系2両編成で36分、12:32に岐阜に到着する。


 7.列車遅延と名古屋駅のきしめん-旅の終わり

岐阜駅に到着したのが12:32で、ここでの乗り換え時間は11分。
その間に乗ってきたキハ11系を取材し、東海道本線の発車番線である1番線に移動する。
しかし何だか様子は変だ、ホームに人が溢れている。
そのあとの構内アナウンスでその理由が分かった。
岐阜に向かっていた特急「しらさぎ6号」が車両不具合により、
西岐阜-岐阜間で停車しているらしい。
そのため後続の列車もその先に進めずにダイヤが乱れているとのこと。
特急「しらさぎ6号」は09:09に富山を出て、定時運行ならば12:26に岐阜に到着、
終点の名古屋には12:48に着くことになっている。
首都圏と富山を結ぶ陸路のルートは3つ、
行きに使った上越新幹線+特急「はくたか」、
今回の旅で帰りに使う予定の東海道新幹線+特急「ひだ」、
そして3つめのルートとして考えられるのは東海道新幹線+特急「しらさぎ」である。
今回は高山本線完乗のために時間のかかる特急「ひだ」をチョイスしたが、
北陸本線経由を選んでいたら「しらさぎ6号」に乗っていただろう。
通常通りのダイヤなら岐阜駅に到着する5分前に特急「しらさぎ6号」は岐阜駅を出る。
つまり車両不具合が起きたのは岐阜駅に到着する少し前で、
ダイヤの混乱が始まったばかりだったのだ。
しかし現場では状況が分かっておらず、暫く1番線ホームで待っていた。
しかし構内アナウンスで4番線から発車する始発は通常通りのダイヤだと知り、
1番線ホームの乗客は退去して4番線ホームに移った。
12:58に岐阜を発車して浜松まで行く各駅停車に乗り込む。
予想通り大混雑だったが、何とか名古屋まで辿り着くことができた。
予定では13:10に名古屋に到着して1時間14分の乗り換え時間で、
東海道新幹線「ひかり522号」に乗り込むことになっていた。
しかし名古屋に到着したのは13:25で、乗り換え時間は1時間になってしまった。
本来なら途中下車扱いで改札を出て、“みそかつ”でも喰おうと思っていたが、
今回は在来線ホームで気動車を中心に車両取材をしつつ、
7番線8番線ホームの「住よし」でかき揚げ玉子入りきしめん550円喰う。



名古屋駅のホームにあるきしめんはテレビや雑誌で紹介された、
駅蕎麦の中でも特に有名な店である。
在来線ホームでの車両取材を終え、新幹線ホームに入場する。



帰りの新幹線は14:24名古屋発の「ひかり522号」に指定席を取ってある。
これだけ近いと敢えて少し割高な“のぞみ”は取らず、“ひかり”で十分である。
売店で駅弁を購入し、東京まで1時間46分の新幹線の旅を楽しむ。
16:10に東京に到着し、総武快速線で津田沼まで出て、緩行線に乗り換えて帰る。

 -撮影記録-

2012.05.19. 撮影 720枚 保存 68枚
2012.05.20. 撮影 244枚 保存 30枚

 合計   撮影 964枚 保存 98枚 採用率 10.2%





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