九州バースデイきっぷの旅




 1.再びのバースディ切符「〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜」

2012年は9月の誕生月にJR四国の“バースディきっぷ”で、
敬老の日を含めた3連休で四国を旅した。
この切符は自分の誕生月にのみ購入できる切符で、
連続する3日間、特急を含めたJR四国と土佐くろしお鉄道全線が乗り放題、
しかも特急グリーン車指定席も取り放題で価格は10,000円という
利用価値の非常に高い切符だった。
そこで2013年9月にも誕生月限定の切符で旅がしたいと思い、
まず手始めにJR九州のホームページを調べたところ、
同じく“〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜”というものがあった。
これは同じく誕生月限定で連続する3日間が乗り放題になるというもの。
しかしJR四国と比べると路線総距離が長い分、価格も20,000円となり、
また新幹線を含めた特急も乗り放題だが、
グリーン車指定席、普通車指定席を合わせて6回までしか取れない。
さらにJR四国はネット経由で申し込みが可能で、
指定席も発行して貰い、郵送で送ってくれたが、
JR九州の方は発売箇所がJR九州の駅のみどりの窓口や駅旅行センター、
JR九州旅行支店、九州内の主な旅行会社と九州限定である。
つまり九州まで行かないとこの切符を購入することは出来ない。
もともと全国に向けてというより、
九州在住の人向けのサービスといった要素が強いのだろう。
それでも九州在住限定の発売ではないのだから、切符を買いに九州まで行けばいい。
そこで9月14日土曜日から16日月曜日の敬老の日までの3日間に日程を決め、
その1ヶ月前の8月16日以降に切符を買いに行くことにした。
8月はちょうど夏期休暇の所定休の利用可能期間でもある。
今の会社は決まったお盆休みというものはなくカレンダー通りに営業するが、
7月、8月の2ヶ月間の間に有給休暇とは別に所定休が2日取れる。
そこでこの所定休を8月22日木曜日と23日金曜日に取得し、
続く24日土曜日、25日日曜日と合わせて4連休にする。
この期間を利用して九州旅行に出掛け、
その時にこの“〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜”を購入することにした。
8月の九州旅行では“旅名人の九州満喫きっぷ”を利用、
その旅行の途中に9月の“〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜”を購入する。
それに今年は運転免許の更新時期とも重なり、
誕生日の1ヶ月前の8月7日以降に運転免許センターにも行かなければならない。
いろいろと熟考した結果、8月22日木曜日の午前中に運転免許センターに行き、
午後から陸路で九州を目指して1泊、23日金曜日から“旅名人の九州満喫きっぷ”を利用する。
帰りは空路で帰京することとすれば3日間を十分に楽しむことも出来る。
この予定で8月の旅行は予定を組み、さらに9月の九州旅行についても検討を重ねていく。
9月の旅行は自分からの誕生日プレゼントという意味合いもあり、
移動は全て“鉄道”で、というコンセプトを打ち出した。
確かに飛行機の方が移動時間の短縮が出来るが、
せっかく鉄道が好きで、鉄道の写真を撮ることを目的に旅をするのだから、
今回は全て陸路での移動を前提に、行きも帰りも新幹線を利用する。
以前の会社で勤続20年の表彰の副賞として貰ったJTBの旅行券150,000円のうち、
まだ68,000円分が残っている。
これを利用して往復の新幹線代を捻出することにする。
JR九州全線が利用できるということで、どういうルートをまわるか漠然と考え、
会社で(たぶん)勤務時間外に何となく第1稿をつくってみた。



[補足] 蛍光ペンは指定席を顕し、ピンクはJTB旅行券で購入、
     黄色は“〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜”の6回分を使用、
     水色は別途負担して追加購入するもの。

この時は手元にパソコンがなかったので、本当に漠然と考えたままであったが、
このあとこのメモを自宅に持ち帰って、本格的なルート作成に入るのだった。


 2.九州バースデイきっぷの旅第1案

9月14日土曜日から16日月曜日までの三連休で、
〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜の3日分を使うとして、
14日土曜日に一気に博多まで移動すると「のぞみ1号」に乗ったとしても、
博多に着くのは10:56でほぼ半日が潰れてしまう。
そこで前日の仕事終わりで新幹線に乗り、広島まで行くことにした。
定時の退社時間は3:45p.m.だが、金曜日なのでさすがにノー残業は無理なので、
1時間半の残業で5:15p.m.に仕事を終え5:30p.m.に退社することとして、
そうすれば東京駅には18:30発の新幹線には乗車できる。
この列車は「のぞみ123号」で広島止まりである。
広島到着は22:40なので素泊まりで1泊しすれば、翌日は約1時間の乗車で博多に到着する。
朝から〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜を十分に有効に使うことが出来るのだ。
14日土曜日は別府と大分の駅取材を中心に予定を組む。
別府も大分も一度訪問したことがあるが、
そのあとに駅がリニューアルされたので再訪問したいと思っていたのだ。
2日目の15日は観光特急「海幸山幸」を利用、日南線の終点まで往復する。
九州は新幹線鹿児島ルートの全通に合わせて観光列車を増やしており、
宮崎を発着する日南線特急「海幸山幸」は乗車どころか、見たこともなかったのだ。
なかなか宮崎に行く機会もなかったので、今回は車両取材も含めて日南線駅取材を企画した。
16日月曜日は午後から東京に帰るのでほぼ半日しか取材時間が取れない。
そこで九州新幹線鹿児島ルートで未取材の駅取材を実施する。
新幹線も乗り放題の切符だからこそ出来る駅取材である。
特に新幹線の単独駅で在来線の接続のない駅は、今回の機会は逃せない。
メモを参考に以下のような予定を計画した。

9月13日(金)

17:00退社[13]
17:13東船橋−総武緩行線・上り1739B(32)−17:45秋葉原[5]
17:50秋葉原−京浜東北線・南行1713A(4)−17:54東京[36]
18:30東京※−東海道・山陽新幹線「のぞみ123号」(250/4:10)−22:40広島

 ※ヴィアイン広島チェックイン

9月14日(土)

 ※ヴィアイン広島チェックアウト

07:21-22広島−山陽新幹線「みずほ601号」(1:03)−08:25-27博多[35]
09:02博多※−特急「ソニック9号」(114/1:54)−10:56-57別府[31]
11:28別府−特急「ソニック11号」(10)−11:38大分[17]
11:55-56大分−特急「九州横断特急43号」(64/1:04)−13:00豊後竹田[30]
13:30豊後竹田※−特急「九州横断特急44号」(119/1:59)−14:29-30大分[15]
14:45大分※−特急「ソニック40号」(122/2:02)−16:47博多[49]
17:34-36博多−新幹線「さくら561号」(84/1:24)−19:00鹿児島中央

 ※B&Bパークホテル鹿児島チェックイン

9月15日(日)

 ※B&Bパークホテル鹿児島アウト

07:37鹿児島中央※−特急「きりしま4号」(142/2:22)−09:59宮崎[7]
10:06宮崎※−特急「海幸山幸」(1:21)−11:27油津[24]
11:51-58油津−日南線・下り1935D(71/1:11)−13:09志布志[35]
13:44志布志※−日南線・上り1942D(57)−14:41-42南郷[53]
15:35南郷※−特急「海幸山幸」(99/1:39)−17:14宮崎[22]
17:36宮崎※−特急「きりしま17号」(126/2:06)−19:42鹿児島中央

 ※B&Bパークホテル鹿児島チェックイン

9月16日(月)

 ※B&Bパークホテル鹿児島チェックアウト

08:43鹿児島中央※−九州新幹線「さくら546号」(84/1:24)−10:07-09博多[40]
10:49博多※−九州新幹線「つばめ343号」(33)−11:22新大牟田[58]
12:20新大牟田−九州新幹線「つばめ345号」(8)−12:28新玉名[69/1:09]
13:37新玉名−九州新幹線「さくら558号」(17)−13:54新鳥栖[33]
14:27新鳥栖−九州新幹線「さくら406号」(13)−14:40博多[25]
15:05博多※−東海道・山陽新幹線「のぞみ42号」(308/5:08)−20:13東京[27]
20:40東京※−総武快速線・下り2069F(31)−21:11津田沼[13]
21:24津田沼−総武緩行線・下り2050B(5)−21:29幕張

13日金曜日は、何時も広島に泊まる時に利用しているホテル、ヴィアイン広島を利用、
14日土曜からの2泊3日は以前鹿児島を取材した時に使ったB&Bパークホテル鹿児島にした。
ホテルを固定すれば連泊で荷物を預けておけるし、何かと便利だ。
今回は宮崎から日南線を取材するために、鹿児島中央を選んだ。
3日目の九州新幹線駅取材にも好立地であるし、薩摩焼酎のボトルを買って、部屋で飲むのもいい。
この予定でホテルの手配と切符の購入をしようと思い、
特急「海幸山幸」の座席の様子を確認しようとネットで調べようとして、
JR九州のホームページにアクセスした時に、新たな事実を発見した。


 3.九州バースデイきっぷの旅第2案

第1案を作成した時はまだ豊肥本線が2012年7月12日の九州北部豪雨によって、
橋梁や流出や築堤の崩壊などで豊後竹田から宮地までが不通だった。
そこで9月14日土曜日は別府、大分と駅取材してから豊肥本線を豊後竹田まで行き、
ここで駅取材して再び大分まで戻り、ソニックで博多戻ることにしていたが、
2013年8月末に復旧するとJR九州のホームページに載っていた。
それならば豊肥本線を通って熊本まで行き、そこから九州新幹線で鹿児島中央に行きたい。
豊肥本線完乗ルートで予定を組み直すことにした。
さらに15日日曜日は07:37の特急「きりしま4号」に乗って宮崎に行くことになっており、
また16日月曜日は第1案では08:43の「さくら546号」に乗るところからスタートだったが、
これだと帰りの新幹線が東京に到着するのが20:13、
自宅に着くのは9:30p.m.くらいになってしまう。
そこで鹿児島中央で乗る新幹線の時間を07:03の「さくら542号」に繰り上げ、
全体的に早めに仕事をしてその分東京に到着する時間を18:13にすれば、
8:00p.m.には自宅に到着できる。
翌日への負担も考えると、あまり遅く帰宅するのも考えものだ。
そうなると、宿泊するホテルも考えなければならない。
予定していた“B&Bパークホテル鹿児島”はホテルから然程遠くないが、
それでも大きな通りを信号で渡るので5分くらいの余裕を見ておかなければならない。
2011年の夏休みこのホテルを使ったが、
その時はデラックスシングルルームを予約したのだが、
思ったより広く、またマッサージチェアが設置されていて自由に使えるようになっていて、
使い心地は良かったのだが、
無料朝食は7:00a.m.からとなり、当然のことながら07:03の「さくら542号」には絶対無理だし、
07:37の特急「きりしま」もうっかりすると難しい。
そこで朝食の設定のないプランの選択出来るホテルで、なるべく駅に近いところと探し、
“JR九州ホテル鹿児島”に変更することにした。
ここはその名の通り、JR九州の系列のホテルであり、鹿児島中央駅に隣接している。
ここで朝食無しのブランで予約することとして以下のような計画に変更した。

九州バースデイきっぷの旅第2案

9月13日(金)


17:00退社[13]
17:13東船橋−総武緩行線・上り1739B(32)−17:45秋葉原[5]
17:50秋葉原−京浜東北線・南行1713A(4)−17:54東京[36]
18:30東京※−東海道・山陽新幹線「のぞみ123号」(250/4:10)−22:40広島

 ※ヴィアイン広島チェックイン

9月14日(土)

 ※ヴィアイン広島チェックアウト

07:21-22広島−山陽新幹線「みずほ601号」(1:03)−08:25-27博多[35]
09:02博多※−特急「ソニック9号」(114/1:54)−10:56-57別府[31]
11:28別府−特急「ソニック11号」(10)−11:38大分[17]
11:55-56大分−特急「九州横断特急43号」(64/1:04)−13:00豊後竹田[87/1:27]
14:27豊後竹田※−豊肥本線・上り2424D(42)−15:09宮地[31]
15:40宮地−特急「あそぼーい!104号」(93/1:33)−17:13熊本[59]
18:12-13熊本−九州新幹線「さくら561号」(47)−19:00鹿児島中央

 ※JR九州ホテル鹿児島チェックイン

9月15日(日)

 ※JR九州ホテル鹿児島アウト

07:37鹿児島中央※−特急「きりしま4号」(142/2:22)−09:59宮崎[7]
10:06宮崎※−特急「海幸山幸」(1:21)−11:27油津[24]
11:51-58油津−日南線・下り1935D(71/1:11)−13:09志布志[35]
13:44志布志※−日南線・上り1942D(57)−14:41-42南郷[53]
15:35南郷※−特急「海幸山幸」(99/1:39)−17:14宮崎[22]
17:36宮崎※−特急「きりしま17号」(126/2:06)−19:42鹿児島中央

 ※JR九州ホテル鹿児島チェックイン

9月16日(月)

 ※JR九州ホテル鹿児島チェックアウト

07:03鹿児島中央※−九州新幹線「さくら542号」(96/1:36)−08:39-41博多[14]
08:55-57博多−九州新幹線「さくら451号」(13)−09:10-11新鳥栖[20]
09:31-32新鳥栖−九州新幹線「つばめ337号」(26)−09:50新大牟田[24]
10:14-15新大牟田−九州新幹線「つばめ339号」(8)−10:23新玉名[52]
11:15-16新玉名−九州新幹線「つばめ340号」(22)−11:55博多[70/1:10]
13:05博多※−東海道・山陽新幹線「のぞみ32号」(308/5:08)−18:13東京[54]
19:07東京※−総武快速線・下り1951F(27)−19:34津田沼[13]
19:47津田沼−総武緩行線・下り18744B(5)−19:52幕張

この計画で6月1日にヴィアイン広島、6月13日にはJR九州ホテル鹿児島に予約を入れた。
今回の計画では豊肥本線の移動に特急「あそぼーい!104号」を使う予定であるが、
もしこれの予約が取れなかったら、16:42宮地発の特急「九州横断特急5号」を利用することにする。
これなら17:53に熊本に到着するので、夕食時間を取らなければ「さくら561号」には間に合う。
いずれにしろ、「あそぼーい!104号」は“〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜”の、
指定席6回分とは別に発売日当日に予約を入れることにしよう。


 4.九州満喫きっぷの旅−裏のミッション

夏期所定休は予定通り、8月22日木曜日と23日金曜日に取得、
これに合わせて“九州バースデイきっぷの旅”を決行した。
その前の8月14日水曜日は定刻に退社し、
JR津田沼のみどりの窓口に行って、
9月14日土曜日の「あそぼーい!104号」の指定席特急券を購入する。
もしかしたら取れないかもしれないと思っていたが、上手く取ることが出来た。
翌日の8月15日木曜日も定時で退社、
9月15日日曜日の「海幸山幸」の往復の指定席特急券を購入する。
観光特急である「海幸山幸」は2+1の座席配列になっており、
C席が一人用の座席なのである。
そこで指定席を取る時にC席をリクエストしたが、
行きの宮崎から油津のでも帰りの南郷から宮崎までもC席が取れた。
これで〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜の6回分の指定席以外の、
別購入の指定席が予定通り取ることが出来た。
翌日の8月16日金曜日に、
仕事の帰りに津田沼で下車してJTBトラベランド津田沼イト―ヨ―カド―店に行き、
九州バースデイきっぷの往復の新幹線のチケットを購入する。
以前に勤続20年の賞品でJTBの旅行券と5日間のリフレッシュ休暇を貰った。
このリフレッシュ休暇では旅行券は使わずに自腹で旅行に行った。
そのため15万円分の旅行券はそのまま残ったのだ。
そのあと機会があることにJTBでのチケット購入に使ったが、
まだ68,000円分の旅行券が残っていた。
そこでこのJTB旅行券を使って幕張から福岡市内の往復乗車券24,760円、
9月13日金曜日の東京から広島の「のぞみ123号」グリーン車、
特急料金6,700円+グリーン料金7,440円=14,140円、
9月14日土曜日の広島から博多までの「みずほ601号」グリーン車、
特急料金3,450円+グリーン料金4,000円=7,450円、
9月16日月曜日の博多から東京までの「のぞみ32号」グリーン車、
特急料金8,370円+グリーン料金7,440円=15,810円を購入する。
合計62,160円で63,000円分の旅行券を使用、840円のおつりは現金で受け取る。
今回はバースディきっぷの旅なので、自分へのご褒美ということで、
全てグリーン車を利用することにした。
勿論JTB旅行券があったからこその贅沢でもある。
残りの5,000円分は何時かスルッとKANSAI 3dayチケットの購入に充てることにしよう。
これで九州満喫きっぷの旅の前の準備は完了した。

そして8月22日木曜日に夏期所定休1日目を使って、
午前中千葉運転免許センターで運転免許を更新、
そのまま京葉線で東京駅に出て、東海道・山陽新幹線「のぞみ33号」で博多、
九州新幹線「つばめ357号」で熊本まで移動する。
熊本駅に下車してホテルに行く前にみどりの窓口に行き、
ここで〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜を購入する。
利用開始日を伝え、その日が誕生月であることを証明できる公的書類を提示する。
この日の午前中に更新したばかりの運転免許証を初めて使用する。
今回の更新した免許を初めて利用したのは乗用車の運転ではなく切符の購入のための、
身分証明と誕生日の提示となった。
価格は20,000円で、同時に6回分の指定席の発行も受ける。



9月14日土曜日の博多から別府の特急「ソニック9号」と、
大分から豊後竹田までの特急「九州横断特急43号」、
熊本から鹿児島中央までの九州新幹線「さくら561号」、
9月15日日曜日の鹿児島中央と宮崎の、
往復の特急「きりしま4号」と特急「きりしま17号」、
9月16日月曜日の鹿児島中央から博多の九州新幹線「さくら542号」。
これであとは当日を待つだけとなった。


 5.仕事終わりの新幹線の旅立ち−旅の始まり

平日、勤務し時間通りに仕事をしてそのまま旅に出る。
今までに何回か採用してきた旅の始まり方だが、
その理由は主に二つで、ひとつは寝台列車の旅に出るため、
出発時間が夜になること。
そのため昼間の時間は会社で仕事をして、
そのまま寝台特急が発車する東京や上野に移動するというもの。
今では寝台列車が激減してしまったが、
それでも電車特急の“サンライズ・エクスプレス”は東京駅を22:00に出発するため、
仕事をしてからでも十分に間に合う。
そしてもう一つは少ない日程で十分な取材を行うために前日に現地入りする、
いわゆる“前乗り”である。
その場合は短時間で移動距離が稼げる航空機利用となる。
しかし今回は自分へのご褒美のバースディきっぷの旅のため、
あくまでも鉄道利用に特化した旅にしたい。
そこで九州アクセスにも往復新幹線を利用することにした。
しかし東京から鹿児島までは最短でも6時間20分、
博多まででも5時間はかかる。
仕事終わりで東京駅まで行った場合、博多到着の段階で深夜0時になってしまう。
そこで今回は完全な前乗りではなく、広島で一泊し、
翌日博多まで新幹線で移動することにした。
ひとつは「みずほ」に乗ってみたかった。
九州新幹線には「みずほ」、「さくら」、「つばめ」の3つの愛称がある。
東海道・山陽新幹線と同様、速達速度で愛称名を分けている。
「みずほ」は東海道・山陽新幹線では「のぞみ」に相当する最上グレードで、
「みずほ」、「さくら」は山陽新幹線にも乗り入れる。
日本を走っている新幹線の中で唯一乗ったことのない愛称名が「みずほ」なのである。
そこで今回はこの「みずほ601号」に乗ることにした。
山陽・九州新幹線「みずほ601号」は06:00に新大阪を出発し、
08:25に博多、鹿児島中央には09:44に到着する。
新大阪に宿泊したのでは朝が早すぎるので、ちょうど良い時間に接続する広島に宿泊地を決めた。
18:30に東京駅を出る「のぞみ123号」で4時間10分、22:40に広島に到着する。
この時間ならホテルにチェックインして十分に睡眠を取ることも出来る。
普段はスーツで出勤しているのだけれども、
9月14日土曜日の前日、13日金曜日は仕事終わりでそのまま東京駅まで行くため、
旅行に行く服装や靴でそのまま家を出て、
旅行用バッグやカメラバッグは東船橋駅のコインロッカーに預けて手ぶらで出社、
予定では5:00p.m.に退社して17:13の総武緩行線で秋葉原に行くことになっていたが、
予定よりも早く仕事が終わり、4:33p.m.に退社、
事前に購入していた幕張から福岡市内の切符で東船橋の改札を入場する。



16:47の中野行きで秋葉原まで行き、17:24の京浜東北線で東京まで行く。
新幹線改札口で東京から広島までの「のぞみ123号」のグリーン車指定席券と、
乗車券を合わせて入場する。



そのあとホームに上がって売店で駅弁「秋味満載」1,100円などを購入、
18:30東京発の「のぞみ123号」に乗車する。



当然のことながら、「のぞみ123号」はN700系が充当されていた。
既に空は日が暮れ始めており、車窓は街の明かりが光となって流れていく。
4時間10分の長旅で終点の広島に到着する。
予約していたヴィアイン広島は広島で宿泊する時に何回も使っていて、
勿論迷わずにホテルまで行き、チェックインした。
宿泊料は朝食無しの素泊まりで5,700円、
チェックイン前にLAWSON広島東局店でビールと翌朝分のお茶を買い、
東京駅の新幹線ホームで駅弁と一緒に購入したシウマイをつまみに飲む。



仕事の疲労と長距離移動で疲弊が蓄積していて、
ビールの酔いも手伝ってシャワーも浴びずに就寝する。


 6.一日目−「みずほ」の旅とバースディきっぷの始まり

ヴィアイン広島はあくまでも博多に向かう途中の宿泊であり、
素泊まりで予約したために朝食はない。
そのため逆に云うと朝食に合わせて起床する必要はない。
07:22の山陽新幹線「みずほ601号」に間に合えばいいので、
9月14日土曜日は6:00a.m.に目覚ましをかけて起床する。
昨日は通常勤務の疲弊もあって、シャワーを浴びずに寝てしまったため、
起床して直ぐにシャワーを浴び、クールダウンしてから支度して、
6:40a.m.頃チェックアウトする。
ここは会員カードを鍵として使っているため、
チェックアウトもチェックイン機にカードを差し込むだけでいい。
少し早めにチェックアウトしたので、
新幹線の時間まで南口で広電の車両取材する。
できれば1000形1001号車「PICCOLO」、
1002号車「PICCOLA」を撮れればいいな思ったが、
世の中そんなに甘くはない。
それでも、

 1900形1906号車「西陣」
 3000形3003号車
 700形711号車
 3700形3704号車
 700形702号車

と、それなりの成果はあった。
撤収時間を7:00a.m.と決め、昨日途中下車した切符と、
広島から博多までの「みずほ601号」の新幹線特急券で入場する。



構内のひろしま駅弁で「清盛 瀬戸の彩り弁当」1,050円購入する。
「みずほ601号」はN700系7000番台が充当されていた。
山陽新幹線と九州新幹線の直通列車はN700系が充当されているが、
東海道・山陽新架線で使用されているN700系とは車体色や内装などが異なっている。
そのため、JR西日本所属車は7000番台、JR九州所属車は8000番台に区分される。
そして今回は「みずほ」に乗ることにも拘った。
現在日本を走っている新幹線の愛称名は、
「あさま」、「こだま」、「こまち」、「さくら」、「たにがわ」、「つばさ」、
「つばめ」、「とき」、「なすの」、「のぞみ」、「はくたか」、「はやて」、
「はやぶさ」、「ひかり」、「みずほ」、「やまびこ」とあるが、
この中でまだ乗ったことのないのが「みずほ」だけなのである。
そこでどうしても「みずほ」に乗りたかったのだ。
07:22に広島を出た「みずほ601号」は約1時間で博多に到着する。



博多駅でいったん幕張→福岡市内の切符で改札を出て、
ここからこの前の旅で事前購入した〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜で再入場する。



 ※一部画像を加工しています。

ここからいよいよバースディきっぷの旅が始まる。


 7.別府再訪問と“油屋熊八”の精神

博多駅からまずは別府を目指す。
別府駅は2004年5月23日に既に取材済みだが、
そのあと駅が2005年にリニューアル工事が施され、
外見が大幅に変わったために再訪問したかったのだ。
乗り換え時間は35分で一端新幹線改札から出て、
在来線改札口から“バースディきっぷ”で再入場しても充分時間がある。
駅で少し車両取材してから09:02始発の特急「ソニック9号」に乗り込む。



特急「ソニック9号」には883系第5編成が充当されていた。



883系は8編成が在籍するが、前面の“鼻”にあたる部分が、
第1編成、第2編成はリーフ形、第3編成はスリット形、第4編成以降はS字となっている。
またリニューアル前は第6編成から第8編成まではパネルの色も変わっていて、
第6編成は白、第7編成は黄色、第8編成は紺色となっている。
第1編成から第5編成までは7両編成、第6編成から第8編成までは5両編成で落成、
リニューアルによって塗色変更が行われたほか、
5両編成として落成した第6編成から第8編成に新造の1000番台2両を組み込み、
全ての編成が7両編成として運用できるようになった。
グリーン席では選任のアテンダントも乗車していて、飴玉を配ってくれた。
博多を出発して鹿児島本線を小倉まで行き、
小倉でスイッチバックして日豊本線に入って大分まで行く。
終点のひとつ前の別府で下車して、ここで駅取材する。



駅前にある銅像には「子供たちをあいした ピカピカのおじさん」と補足された、
「別府観光の父 油屋熊八の像」と書かれている。
銅像の側面にはプロフィールが書かれている。

    あぶらや・くまはち のプロフィール

 ・1863(文久3)年、愛媛県宇和島の米問屋に生まれる。
  小さいときから働きもので有名だった。

 ・30歳のとき大阪に出て、米の相場で成功し、巨万の富を手にする。
  つけられたアダ名が“油屋将軍”。

 ・34歳で相場に失敗し、全財産をなくす。
  臭くて暑い船底に乗りアメリカへ。

 ・3年間かけてカナダからメキシコまで旅し、38歳のとき帰国。
  アメリカでキリスト教の洗礼を受けていた。

 ・46歳のころ、別府温泉に移り住み、ホテルの経営をはじめた。
  それはやがてね世界のお金持ちを迎える一流ホテルに成長する。

 ・アメリカで目にしたスケールの大きな観光地づくりを実践。
  大阪の上空から飛行機でビラをまいたり、
  “山は富士 海は瀬戸内 湯は別府”と書いた標柱を富士山にかつぎあげて立てたり・・。
  当時はだれも思いつかないような奇抜なアイディアをつぎつぎに実行した。

 ・美人バスガイドが観光案内する観光バスを日本ではじめてつくったのもこの人である。
  “地獄めぐり”は爆発的人気をあつめた。

 ・この人のまわりには、別府観光のためならなんでもしようというオモシロイ人たちがあつまった。
  みんな子供たちが大好きで、『オトギ倶楽部』を結成し、童謡や歌や演奏を聞かせた。
  クリスマスにはサンタクロースが水上飛行機から下りてきて、子供たちをびっくりさせたりした。
  『オトギ倶楽部』で、あぶらや・くまはちは“ぴかぴかのおじさん”とよばれていた。

 ・湯布院温泉を観光地として開発したのもこの人だった。
  当時描いていた観光プランは別府−由布院−久住温泉−阿蘇−長崎をむすんで道路をつくるという、
  九州全体を視野に入れたものだった。

 ・1935(昭和10)年、別府市で死去。73歳だった。
  くまはちが抱いた“ここを世界の観光地にしよう”という夢は、
  いまもこの町のあちこちに生きて息づいている。

別府という温泉観光地を開発した開発した人物として、
油屋熊八は今もこの街の人たちに愛されているのだろう。
別府での取材時間は31分で充分すぎるくらい余裕があったのだが、
ここから11:28発の特急「ソニック11号」で大分に移動、10分の乗車時間だった。



特急「ソニック11号」には883系第8編成が充当されていた。
区間が短いので指定席は取らず、自由席での移動だった。
大分駅も別府駅同様リニューアルの計画があったが、
完成していたのは上野の森口(南口)だけで、
府内中央口(北口)はまだ工事中で工事用フェンスに覆われていた。
とほほ・・・。


 8.豊後竹田のカレーと全通した豊肥本線

大分駅での取材時間は17分だったが、
府内中央口(北口)の取材が出来なかったので時間は充分にあった。
ホームに上がって11:56発の別府からやってくる特急「九州横断特急3号」を待つ。
非常に説明的な愛称名で、国鉄時代から見てもなかなかない。
愛称名通り、日豊本線の別府から大分まで来て、豊肥本線で九州を横断、
熊本から鹿児島本線に入って八代から肥薩線に入って人吉まで行く。
別府から熊本までの特急「あそ」と熊本から人吉の「くまがわ」を統合する形で誕生した。
大分から豊後竹田まで約1時間の旅である。
モノクラスのため普通席で指定を取る。



赤く塗色変更されたJR四国から購入したキハ185系が充当されている。



キハ185系は国鉄末期に厳しい経営が予測されるJR四国のために造られた車両で、
2000系投入などで余剰になったものをJR九州が購入、
コーポレイトカラーである赤に塗色し、「あそ」や「くまがわ」、
2004年3月13日の九州新幹線鹿児島ルートの部分開業に合わせ、
特急「九州横断特急」にも従事されるようになった。
2両編成でグリーン席はなく、1号車が指定席、2号車が自由席となっている。
途中、中判田ですれ違い待ちの間に車両取材する。
13:00に豊後竹田に到着、駅取材してから駅前の「カレーハウスりんご屋」でカツカレー800円喰う。
先客もあって相席となったが、それでもカツカレーは美味かった。
会計を終えてから店主の女性が話しかけてきた。
豊肥本線が豊後竹田から宮地までが不通になっていたため、
ここで折り返す予定だったのだが、全通したためにこの先にも電車で行くという話や、
もともとここで下りる予定だったので、
敢えて特急を降りてここから先は普通列車で行くという話をした。
彼女は大学に通う息子が青春18きっぷで帰ってきたことがあるなどという話をしてくれた。
約20分くらい話したところで、女子高生たちが来店してきたのでここでお暇する。
ここではカレーパンのテイクアウトもやっていて、
彼女たちはそれを目当てにやってきたのだ。
豊後竹田での取材時間は1時間27分で、「りんご屋」でのお喋りを含めても、
少し時間を持て余してしまった。
ここから宮地までは2012年7月の九州北部豪雨によって運転見合わせをしていた区間である。
駅舎には立松和平氏がこの駅に書いた文の抜粋が掲示されていた。

    「竹田の月」

 「荒城の月」の作曲家瀧廉太郎は少年時代を竹田で過ごし、
 建物がすべて取り壊され荒れ果てた古城の中に、
 すでに存在しない高楼を幻視したのだ。
 日本人なら誰でも知っているこの曲が、
 岡城と竹田に限りない気品を与えているのである。

  私たちは竹田の人たちと、岡城ならぬ市内の長湯温泉で酒宴を張った。
 竹田の人たちは宴の最後に、この「荒城の月」を声を揃えて歌うのである。
 宴が果てた後、私は旅館にある茶室のような一人用の風呂にはいった。
 頭をぶつけないように注意して湯の中に身体を沈めると、
 目の前の夜空に満月が皓皓と輝いていたのであった。
 この月にも香り高い気品が漂っていた。

                   立松和平

              〜「竹田の月」より抜粋〜

ここからはキハ220系1両編成が充当されていた。



それのでのキハ200系より行き先表示が大きくなっている。
14:27に豊後竹田から42分かけて宮地まで行く。
利用客もそれほど多くなく、1両編成でも充分である。
宮地駅には「豊肥本線災害復旧資料館」が駅の待合室を利用して設置されていた。
JR九州のホームページによると豊後竹田から宮地の間の被害状況は、
線路内の土砂流入が55件、路盤の流失35件、さらには倒木や冠水など、
復旧にはかなりの労苦があったようで、
グチャグチャに折れ曲がったレールなどが展示されていた。
ここでの乗り換え時間は31分で、駅取材をしているとあそぼーい!が入線してきた。


 9.“あそぼーい!”と熊本のランデブー

特急「あそぼーい!」は2011年6月4日から運行を開始した、
キハ183系1000番台を専用車両に改造して充当している観光列車である。
かつては熊本と阿蘇を結ぶ「あそBOY」には、
8620型58654号機を牽引機としたSL列車として運行していたが、
その蒸気機関車が不具合を起こして運行を停止、
キハ58系気動車2両を改造した「あそ1962」が代わりに充当されていた。
九州新幹線鹿児島ルート全通に合わせて183系1000番台を使用した「あそぼーい!」に変更された。
183系は本来は北海道地区の寒冷地の特急形気動車であるが、
九州地区の観光列車「オランダ村特急」に従事させるために4両編成×1本のみを製造した。
観光列車として設計されているために2階に運転席を移し、
前面をパノラマ席としているのが特徴である。
この車両は何度も改造された流転の人生を歩んだ車両でもある。
JR九州発足直後の1988年から1992年までは「オランダ村特急」、
1992年に改造されて1999年までは「ゆふいんの森II世」、
1999年に改造されて2003年までは「シーボルト」、
2004年から2008年までは「ゆふDX」古代漆色、
塗色変更と一部改造を受け2008年から2011年は「ゆふDX」山吹色、
そして2011年からは「あそぼーい!」に改造され従事している。



15:40宮地始発の特急「あそぼーい!104号」に乗車する。



今回は普通席を取ったが、「あそぼーい!」にはほかにも、
特別料金はかかるが、前面眺望が楽しめるパノラマ席、
親子で座れる白いくろちゃんシートなどがある。
窓側の座席が少し小さめになっており、子供が座るのにちょうどいい。
くろちゃんシートのある3号車には子供の遊び場があり、
アテンダントが子供の遊びをサポートしてくれ、長距離の旅でも飽きさせない。
特急「あそぼーい!」でもアテンダントが「記念乗車証」を配っていた。



うしろには記念スタンプも押せるようになっていて、
以下のように書かれている。

   阿蘇のカルデラを行く“くろ”づくしの列車

 3号車の「白いくろちゃんシート」は、窓側が子ども席の転換式シート。
 木のボールに埋まって遊べる「木のプール」や展望窓、
 寝転がってもオーケーの畳敷の和室スペース、図書室、ベビーサークル、
 くろカフェ(ビュフェ)など、子どもが主人公の遊園地のような車両です。

特急「あそぼーい!」は立野駅でスイッチバックし、
1時間33分かけて熊本まで戻る。
豊肥本線から熊本駅を目指す「あそぼーい!」と、
肥薩線から来て八代から鹿児島本線を熊本を目指す「SL人吉」が、
駅入線直前で併走する。



先月、「SL人吉」に乗った時は車窓から「あそぼーい!」が見えたが、
今度は逆の立場で「SL人吉」を見る。
互いの乗客同士がアテンダントのあおりで手を振り合う。
単純なことだが、旅の終わりのダレた時間帯も乗客に楽しんで貰おうと、
JR九州の“おもてなし”精神を充分に味わった。
観光サービスとはお金をかけなくてもアイディア次第では、
乗客を楽しませることは出来るのだという良いお手本であろう。
17:13に熊本に到着する。


 10.鹿児島一日目の夜−芋焼酎と揚立屋の薩摩揚げ

熊本駅での乗り換え時間は59分で、この時間で夕食を喰う。
本当は別の店に行くつもりだったが、
ホームで車両取材に時間を割きすぎて気がついたら残り30分を切っていた。
食堂に入って調理するのを待っていた場合を想定すると、かなり厳しい。
そこで鹿児島に移動してから夕食を喰おうと思って新幹線口まで行く。
ちょうどそこに「まるうどん」という駅蕎麦店があったため、
ここからそれほど時間がかからずに調理できると思い、ここで夕食を喰うことにする。
オーダーはえび天うどん480円である。



このあと予定していた九州新幹線「さくら561号」で鹿児島中央に向かう。



移動時間は47分と短いが、“バースディきっぷ”の6回分の枠があるため、
グリーン車で予約を取った。



今回は機動力確保のために“駅近”ということを最優先にホテルを選んだため、
「JR九州ホテル鹿児島」に予約を入れてある。
地図上では駅の隣のビルという形になっているが、実際は駅に直結している。
ホテルの外に出なくても直接行き来できるようになっているのだ。
2泊で15,400円をクレジットカードで支払い、部屋に行って荷物を置く。



部屋の鍵はカード式で、このカードがないとエレベーターが動かない。
ホテルに荷物を置いてから取り敢えずカメラバッグだけ背負って再び出る。
駅と直結しているビックカメラで買い物をして、
フレスタ鹿児島内の薩摩焼酎蔵で芋焼酎“さつまの旅人”1,580円、
揚立屋でさつま揚げ5点790円など買い、
FamilyMart鹿児島中央駅店で氷や水など買い、
部屋に戻ってさつま揚げをつまみに芋焼酎を楽しむ。



テレビの天気予報で見たのだが、
台風18号の影響で九州以外は全国で雨のようである。


 11.Good morning−お預けの朝食と宮崎へ

九州満喫きっぷの旅の二日目、9月15日日曜日は、
前日に6:00a.m.にアラームを掛けて寝たが、5:30a.m.には目が覚めてしまった。
シャワーを浴びて支度をして、6:30a.m.にはホテルの部屋を出る。
今回は連泊素泊まりなので荷物は置いたままカメラバッグだけ持って出掛ける。
今日は宮崎に移動して観光列車「海幸山幸」を楽しむことになっているが、
宮崎に向かう特急「きりしま4号」の鹿児島中央出発時間は07:37で、
まだ1時間くらいの余裕がある。
そこで鹿児島市電の車両取材をしてから特急「きりしま4号」に乗り込むことにする。
しかし桜島口に行く前に、鹿児島中央駅でまだ未取材だった西口を取材することにする。
朝一番で駅の外に出て不思議に思ったことがある。
地面に惹かれたタイルに謎の模様が描かれているのである。



よく見るとそれは砂だった。
鹿児島中央駅では掃除が行き届いていないな・・・と思いながら、西口の駅取材する。
そのあと駅のコンコースを抜けて桜島口に出て、
鹿児島市電鹿児島中央駅前電停で車両取材する。
駅前の交番ではおまわりさんがミニパトを水洗いしていた。
平和なのか、勤務中に営業車(・・・というのも変だが)の洗車をしているのか。
さらに駅前のロータリーを作業員が掃除している。
この光景を見て、初めてこの砂と思っていたものが、
実は桜島から降り注いだ火山灰だったということに気付いた。
桜島に近いこの辺りは火山灰との戦いが日常なのだ。
鹿児島市電は何度か訪問して車両取材もしているのだが、
それでも未取材車両やラッピング変更車など取材対象は豊富だった。



2110形2112号車鹿児島市姉妹都市号、
9500形9505号車、
2130形2131号車、
1000形1011号車「薩摩くろす丸」車体部分広告車、
1000形1016号車、
9500形9506号車「生活安全号」、
9500形9507号車「交通安全号」。
特急「きりしま4号」の出発時間である07:37の30分前には、
撮影を切り上げるつもりでいたのだけれど、
撤収時間に9500型9506号車、9607号車が来て、
結局これを取材していたために撤収時間が7:17p.m.になってしまった。
ここからバースディきっぷで鹿児島中央駅に入場、
ホームに停車していた気動車の車両取材をする。
キハ147 1032、キハ47 8124、
キハ47 9078、キハ200 7、キハ200 1008と取材する。
この段階で既に7:30a.m.になっていて、
あと7分しか時間がなくなってしまった。
すでに特急「きりしま4号」充当の787系BO107編成はホームにいた。



これからホームの外に出て駅弁を買っている暇はない。
そこで駅弁は車販で購入することとして、お茶だけを自動販売機で購入する。
発車して直ぐに車内放送があり、この列車には車内販売は乗車していないと告げる。
そういうことは乗り込む前に云って欲しいな・・・。
結果として、乗車時間の2時間22分は自販で買ったお茶しか口に出来ない。
とほほ・・・。
車掌が来て検札する。



07:37に鹿児島中央を出た特急「きりしま4号」は、
日豊本線を宮崎に向けて走り続け、09:59になって漸く宮崎駅に到着した。
ここでの乗り換え時間は7分で、ここから観光特急「海幸山幸」に乗り込む。
乗り換え時間の7分の間に改札を出て、駅弁を探す。
宮崎駅は島式2面4線の高架ホームを有する構造になっており、
各ホームに個別に改札口が設置されている。
上下線が独立していて一端改札の外に出なければ隣のホームに行くことが出来ない。
駅舎内の駅弁売り場で元祖椎茸めし720円を見つけて購入する。
これを観光特急「海幸山幸」の車内で喰うことにする。
これがようやく今日初めて口にする食事なのだ。


 12.日南線「海幸山幸」の旅とお預けの昼食

観光特急「海幸山幸」は日南線を宮崎から南郷までを結ぶ。
車両は廃止となった高千穂鉄道で使用されていたもの2両をJR九州が購入、
同社のデザイン顧問である水戸岡鋭治氏によって観光列車にふさわしいデザインで生まれ変わった。
この車両はキハ125系に編入され、400番台に付番されている。
車内は2列+1列の座席配置で、1列側であるC席を取ることが出来た。



検札する時に「〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜」を見て、
アテンダントに「お誕生日おめでとう御座います。」と云われた。
何気ない一言だが、こういったことが気持ちを明るくしてくれる。
JR九州の“おもてなし精神”を見たような気がする。
特急「海幸山幸」は10:06に宮崎駅を出て南宮崎から日南線に入って南郷を目指す。
車内で購入した元祖椎茸めしを朝食として喰う。
途中、青島駅を過ぎたあたりから車窓には海が見えてくる。



この海岸線は「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状岩が約8kmも続いている。
この付近を通過する時は徐行して車窓を楽しめるようなダイヤとなっている。
途中、飫肥駅では10分の停車時間が取られていて、
乗客はホームに出て、そこで売られている地元の特産物などを買うことが出来る。
また列車を背景に記念写真を撮る乗客も多い。
その間に駅取材をして、この列車の終点のひとつ前の油津で下車する。
帰りには終点の南郷から乗り込むので、駅取材のために敢えてひとつ手前で下車したのだ。
24分の乗り換え時間でここからは普通列車で1時間11分かけて、
日南線の終着駅である志布志に行く。
この駅の近くの鉄道記念公園には、かつて日南線で活躍した鉄道車両が静態保存されている。



静態保存されているC58型112号機、ヨ8951、キハ52形130号車など取材、
再び志布志に戻って駅取材し、35分の乗り換え時間で再び日南線を戻り南郷を目指す。
南郷駅に到着したのは既に14:41で、ここで少し遅めの昼食を喰うことにしていた。
乗り換え時間は53分と余裕があるため、店を探す時間は充分にある・・・と企画段階では思っていた。
しかし近くを散策しても開いている店がない。
飲食店と思われる店はあるのだが、全て閉店中だった。
時間が遅すぎて昼の営業時間は終わり、夜の準備時間になっているのだろう。
また辺りを散策して分かったのだが、市町村合併により日南市と合併したために町役場も閉鎖となっている。
このことが付近の飲食店を廃業に追い込んだのかもしれない。
結局乗り換え時間を駆使して辺りを散策したのだがコンビニもなく、
結局食料を購入できそうな店は“A・COOP南郷店”だけだった。
仕方がないのでここで200円のカレーライスを20%引きで160円で購入して、
特急「海幸山幸」の車内で喰うことにした。



昼食もこの列車の中で喰うことになるとは・・・。
とほほ・・・。
15:35に始発の南郷駅を出た観光特急「海幸山幸」は1時間39分かけて宮崎まで戻る。



この列車に使用される専用の気動車キハ125-401+キハ125-402は、
キハ125-401の1号車には「山幸」、キハ125-402の2号車には「海幸」と名付けられている。



2号車の一部は自由席もあり、車内も水戸岡さんらしい木を使ったデザインが特徴的。



列車名の「海幸山幸」は日本の神話から来ている。
その内容は子どもにも分かりやすく要約され、「うみさちやまさち」という話として、
紙芝居になってアテンダントが子供たちに話をしている。



大国主命から国譲りを受けて高天原から葦原中国に下りてきたニニギノミコトと、
コノハナサクヤヒメノミコトの間に生まれた3兄弟のうち、
海幸彦は漁師、山幸彦は漁師をしていたが、ある時山幸彦が海幸彦と互いの道具を交換しようといい、
海幸彦は渋々交換したが山幸彦が両の途中で大事は釣り針を無くしてしまい、
怒りを買った海幸彦はシオツチノカミの提案でワタツミノカミの宮殿に行き、
そこで豊玉姫と出会い3年暮らすが、海幸彦との約束を思い出して釣り針を探して貰い、
ワタツミの神の力を得た山幸彦は海幸彦に釣り針を返し、
さらに嫌がらせをしてくる海幸彦を懲らしめ、遂に海幸彦は屈服したという。
ほかのJR九州の観光列車と同様に「記念乗車証」が配られる。



裏側にはスタンプが押せるようになっていて、以下のように書かれている。

   日向神話と海幸山幸

 天上界から地上に降臨したニニギノミコトの長男は海幸彦、三男は山幸彦。
 ある日海幸彦に借りた釣り針をなくした山幸彦は兄に責められ、
 海神ワタツミのもとを訪れ娘のトヨタマヒメと結ばれ、釣り針を取り戻します。
 ワタツミから授かった二つの玉で潮の干満を自由に操り、山幸彦は海幸彦を服従させます。
 海幸彦は隼人族の祖先、山幸彦は天皇家の祖先とされています。
 特急海幸山幸は、このような日向神話の舞台を駆け抜けます。

アテンダントに時刻表を借りて、予定では宮崎駅の乗り換え時間が22分となっているが、
宮崎駅は既に取材済みであり、ひとつ手前の南宮崎で駅取材できるか調べる。
特急「海幸山幸」は17:14に宮崎に到着して17:36始発の特急「きりしま17号」に乗り換える。
南宮崎に到着するのは17:09で、特急「きりしま17号」は17:42に南宮崎を出発する。
これなら距離が少し短くなったが時間的にはほぼ変わりない。
充分に取材できると判断して南宮崎での下車を決行、
南宮崎駅はJR宮崎総合鉄道事業部が併設されていて気動車が留置されており、
駅取材の後に車両取材する。
車両取材している途中で宮崎から折り返した「海幸山幸」のキハ125系400番台も見えた。
ここで充分な取材をして特急「きりしま17号」に乗り込む。


 13.鹿児島二日目の夜−芋焼酎と玖子貴の薩摩揚げ

予定を変更して南宮崎で駅取材と車両取材をして、
宮崎から切符をグリーン車指定席を取っておいた「きりしま17号」に乗り込む。
今回も2+1の座席配列のグリーン車の1列側、しかも今回は1番先頭の席を予約した。



17:39に到着して17:42に南宮崎を出た特急「きりしま17号」は、
ちょうど2時間で鹿児島中央駅に到着する。



南宮崎を出た時はまだ辺りは明るかったのだが、
鹿児島中央に近づくにつれて太陽は沈んでいき、夜の帳が降りてきた。
鹿児島中央で下車して「とんかつ川久」に行き、
上黒豚ヒレカツ200g2,500円喰う。
朝食も昼食も思ったように喰えなかったので、その分奮発した。
フレスタ鹿児島内の「さつま揚げ 玖子貴」で美味くらべ・小550円買い、
ホテルに帰って昨日の残りの芋焼酎「さつまの旅人」を飲む。



ホテルの自動販売機置き場には製氷機が設置されており、
今日はここから氷を紙コップで拝借して部屋に持ち込み、水割りに使った。
明日はチェックアウトなので、荷物を整理してから就寝する。


 14.Good morning−開いてなかった駅蕎麦と博多へ

九州バースディきっぷの旅の3日目、最終日である。
9月16日月曜日は5:30a.m.に起床してシャワーを浴び、
支度してから6:35a.m.にはチェックアウトする。



ホテルと駅舎が直結しているのでホテルを出たら直ぐに改札まで行ける。
今回は素泊まりだったため、朝食は新幹線改札内の「パティオ鹿児島店」へ行こうと思った。
ここは鹿児島中央駅に来るたびに気になっていたのだが、
なかなか入る機会がなかったいわゆる駅蕎麦店である。
「〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜」で新幹線改札口を潜ったが、
中に入って目が点になった。
まだ開いていなかったのである。
とほほ・・・。
ここは改札内のコンコース内にあり、
島式2面4線のホームに向かうエスカレーターの間にある。
駅蕎麦店は「うどん」と大きく書かれた暖簾の両サイドに薩摩藩の家紋がある。
更にその左隣には「SATSUMA 焼酎 BAR」があり、
焼酎のショットバーとなっているようである。
すでに新幹線改札口に入ってしまったのでもうほかの店に行くことも出来ない。
その中で駅弁販売コーナーだけは開いていたので、
ここで駅弁を購入して新幹線の車内で朝食として喰うことにした。
今日は午後から帰京するのだが、その前に九州新幹線未取材駅を取材することにしている。
帰京には東海道・山陽新幹線を使うつもりだったので、
まずは07:03鹿児島中央駅始発の「さくら542号」で博多まで行く。
「さくら542号」にはN700系8000番台R11編成が充当されていた。



この列車も「〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜」の指定席6回までの1回分を使用し、
グリーン車に予約を入れておいた。



発車時間までホームで写真を撮り、九州新幹線「さくら542号」で博多まで行く。
グリーン車だけ合って座席もゆとりがあり、駅弁を喰いながらゆったりと過ごすことが出来た。



1時間36分で博多駅に到着し、ここで下車する。
機動力確保のためコインロッカーに荷物を預け、ここからはカメラバッグだけ持っていく。
先月の旅行では博多駅で利用したコインロッカーの場所が分からなくなってしまい、
かなり焦ったので、今回は場所を忘れないようにしなきゃ・・・。


 15.3つの九州新幹線未取材駅の訪問と立ち喰いラーメン

博多でいったん改札を出て荷物をコインロッカーに預け、再び入場する。
改札を出たところのテレビモニターには、
台風18号の影響で東海道新幹線に大幅な遅れや運休が発生していると表示されている。



これはやばいな・・・。
しかし既に新幹線の指定席を取ってしまっているので、予定通りに熟していくしかない。
まずは08:57博多発の「さくら451号」で新鳥栖まで行く。
ここから九州新幹線鹿児島ルート未取材駅の駅取材を開始する。
九州新幹線鹿児島ルートは、2004年3月13日に新八代から鹿児島中央までが部分開業、
途中には新水俣、出水、川内の中間駅があり、これらは既に駅取材済みである。
2011年3月12日には博多から鹿児島までの区間が延伸開業して全通、
同時に一部の列車は山陽新幹線にも乗り入れを開始した。
部分開業時代は6両編成の800系が「つばめ」の愛称で運行されていたが、
全通に際して山陽新幹線と相互乗り入れするようになったため、
東海道・山陽新幹線で使用されているN700系をベースに、
直通運転用としてJR西日本がN700系7000番台S編成、
JR九州がN700系8000番台R編成が8利用編成で新造され充当されている。
直通列車に関しては「みずほ」、「さくら」の愛称が用いられ、
東海道・山陽新幹線系統の「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」に体して、
山陽・九州新幹線系統は「みずほ」、「さくら」、「つばめ」が使用される。
余談だが山陽新幹線には6つの愛称名を持った列車が走ることになる。
新八代から博多までの延伸開業区間には、
新鳥栖、久留米、筑後船小屋、新大牟田、新玉名の5駅の中間駅がある。
このうち筑後船小屋は8月の九州満喫きっぷの旅で取材する予定だった。
しかし大雨のために予定を変更せざるを得なくなり、また未取材である。
残りの4駅のうち、今回は在来線と接続のある久留米を抜いた3駅を取材することにする。
新鳥栖は長崎本線と接続するものの、新大牟田と新玉名は新幹線単独駅である。
つまり新幹線自由席に乗り放題の今回に取材しておく必要がある。
新鳥栖での取材時間は20分で駅舎取材する。
ここから09:31の「つばめ337号」で新大牟田まで行く。
駅前には“團琢磨之像”があった。



團琢磨?と思って近づいてみると、
銅像の下には以下のように書かれていた。

    團 琢磨

 團琢磨は一八五八年(安政五年)八月一日福岡藩士の家に生まれました
 一八七一年(明治四年)明治政府が派遣した岩倉使節団の留学生の一員として十三歳で渡米
 ボストンのマサチューセッツ工科大学で鉱山学を学びました
 留学生の中には 後の津田塾大学創設者の津田梅子(六歳)など女子も含まれていました
 七年後に帰国 東京大学で助教授を務めた後 工部省に入り三池鉱山局御用掛として三池炭鉱に赴任しました
 一八八九年(明治二十二年)三池炭鉱が三井に払い下げられ事務長兼炭鉱長に就任
 豊かな知識と的確な判断力で三池炭鉱の発展に大きな貢献を果たしました
 出炭の増加に対応するため 潮の干満に応じて閘門を開閉する世界でも珍しい日本で唯一の港を考案
 五年の歳月をかけて三池港を造りました
 團は三池炭鉱を日本一の炭鉱へと発展させたばかりでなく 封建的な納屋制度や囚人労働を廃止し
 病院や学校を造るなど地域の発展にも大きな足跡を残しました
 また燃料として石炭を採掘するだけでなく 石炭を原料として様々な製品を生み出す化学工業を興し
 肥料 染料 化学薬品などの生産を行うほか亜鉛精錬事業 発電事業を行い
 日本で初めてコンビナートという発想を実現したのも團の大きな功績です
 その後 三井のトップとして活躍する傍ら
 日本工業倶楽部初代理事長や日本経済連盟会の初代会長を務めるなど
 我が国経済界のリーダーとして活躍しました
 團は我が国産業の近代化に貢献したばかりでなく
 一九三二年(昭和七年)心ない暴徒の凶弾に倒れるまで 欧米との戦争を回避しようと尽力するなど
 民間外交官としても諸外国との友好親善に努めました
 一九九七年(平成九年)三月 三池炭鉱は閉山しましたが
 團の発想でで生まれた化学コンビナートの工場群や百年後を予見して造られた三池港が
 これから更なる地域発展の原動力として明るい未来を切り拓いていくことを團も心から願っていることでしょう
 私たちは團の功績を決して忘れることはありません
 これからも團は 私たちの心の中に生き続けるでしょう

 平成二十三年 三月五日           團琢磨顕彰有志会

ここでの取材時間は24分で、「つばめ339号」で新玉名に行くために駅舎の中に入るが、
改札前には「●本日の運転状況●」として、台風の影響により、
東京〜新大阪間は運転を見合わせているとホワイトボードに書かれていた。



これにはさすがに目が点になった。
新大牟田駅では空は青く晴れて眩しい日差しが降り注いでいる。
とても新幹線が止まるほどの風も吹いていない。
それなのにとうとう止まってしまったか・・・。
それでも山陽新幹線に関してはインフォメーションが出ていないので、
とにかく行けるところまで行くことにしよう。
新玉名での取材時間は52分で、駅取材だけでは少々時間を持て余す。
駅のコンコースには玉名ラーメンを紹介する屋台と掲示板があり、
玉名ラーメン協議会に加盟する店の地図なども掲示されていた。



「熊本元祖 玉名ラーメン」と書かれていて、熊本ラーメンの源流なのかもしれない。
熊本ラーメンは博多ラーメンとは一線を画す独自の味である。
出来れば直接喰いに行きたかったが、ちょっと店まで行くには時間が足りない。
泣く泣く断念して11:16まで待って「つばめ40号」で博多まで行く。
博多で改札を出て昼食を喰える場所を探したが、
ちようど正午になってしまったために何処も混んでいる。
先月行った「博多デイトス 麺街道」にも行ってみたが何処も大行列である。
乗り換え時間は1時間10分なので、無理をすると東京行きの新幹線に間に合わなくなる。
そこで昼食は駅弁を購入することとして、余った時間を在来線ホームに上がって車両取材に当てる。
博多駅5番線6番線ホームで「ぷらっとラーメン 博多No.3を見つけ、
ここでラーメン500円とゆでたまご50円を喰う。
ゆでたまごはトッピングではなく、別皿でラーメンを待つ間の食前に喰う。
時間ギリギリまで在来線で車両取材し、新幹線ホームの改札を潜る。


 16.台風18号の影響と運転中止の恐怖−旅の終わり

駅のホームにあったラーメン店で昼食を済ませ、改札を出る。
今日は午前中ずっと新幹線駅の取材をしていたため、
「〜ハッピー・バースデイ♪九州パス〜」は入出場記録で一杯になってしまった。



博多駅のマイング博多内の売店でお土産などを購入し、
ここから13:05博多駅始発の東海道・山陽新幹線「のぞみ32号」に乗るために、
幕張から博多市内の往復で購入した乗車券の“かえり”の切符で入場する。



ホームで800系U008編成の取材などして、「のぞみ32号」に乗り込む。
ドアの上の電光掲示板には「三島から静岡で運転見合わせ」となっていた。
台風18号の影響で富士川の水位が上がっていて、通行できないとのこと。
暫くして車掌が検札にやってきた。



その時に「今のところ新大阪で運転中止になる予定なのでご了承下さい。」と云われた。
運転中止区間は三島から静岡までの区間だから、名古屋まで行くのかと思ったが、
名古屋駅では全ての「のぞみ」の折り返し運転が不可能なのだろう。
新大阪で「ひかり」か「こだま」に乗り換えて静岡まで行くしかない。
新山口を出た辺りで車内販売でコーヒーを頼む。



電車の中で飲むコーヒーは何故か美味しく感じる。
岡山駅に到着した頃には東海道新幹線の不通区間が運転再開したと情報が入った。
しかしこの列車が東京まで行くかどうかはまだ不明とのこと。
列車が各駅に緊急停車しているために、開通したからと云っても間引き運転がある。
3:00p.m.から運転再開したという情報が流れるが、
速度を落として運転しているのでダイヤは乱れているとのこと。
「のぞみ32号」は東京まで行くことに決まったが、
それでも新大阪駅に入るのに信号待ちでだいぶ待たされた。
ホームには運転中止で電車から降ろされた乗客が溢れている。
当然のことながら、東京に育子の列車にも乗客が押し寄せて、
普段は指定席に入ってこない自由席の乗客も通路にぎっしりと立っている状態になった。
まるで全盛期のスキー列車のようだ。
京都では7分遅れで到着、名古屋には10分遅れで到着した。
新大阪同様に運転中止で列車から降ろされた乗客でホームは埋め尽くされていて、
その乗客がどんどん乗り込んでくるために、新幹線の中は立錐の余地もないほどになっていた。
そのあと静岡では通過線の上で信号待ちで止まった。
本来なら「のぞみ」は停車しないのだか、前の列車が詰まっているためにここで停車したのだ。
静岡から三島の間を流れている富士川は運転再開しているものの、
まだ水位は高く徐行運転しているために静岡で通過の順番待ちをしているのである。
それでも普段は高速で通過するためにあっという間に見えなくなる富士山がよく見える。



富士川を通過する時は徐行運転だったが、その先は線路が開いているので普通のスピードに戻った。
それでも小田原を通過する時点で38分の遅れ、品川では39分の遅れだった。
結局、東京駅に到着する時も39分遅れだった。
東京駅で夕食用に駅弁「上野駅開業130周年記念弁当」1,050円を購入し、
19:26東京駅始発の総武快速線で津田沼まで行き、総武緩行線に乗り換えて帰る。
前月は最終日に雨に降られて大幅に予定を変更したが、
今回は台風18号の影響で帰りの新幹線が大幅に遅れたものの、雨には降られなかった。


 −撮影記録−

 2013.09.13. 撮影 27枚 保存 2枚
    09.14. 撮影 922枚 保存 73枚
    09.15. 撮影 1015枚 保存 90枚
    09.16. 撮影 391枚 保存 27枚


  合計 撮影 2355枚 保存 192枚 採用率 8.16%




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