九州満喫きっぷと出雲の旅




 1.ドロップアウト−再びの抗がん剤治療

2008年の人間ドックで腹部エコーで陰が見つかり、
その後、近所の病院で診察してもらったところ、悪性リンパ腫が疑われた。
そこで千葉県がんセンターに紹介状を書いてもらい、腫瘍血液内科を受診した。
血液造影剤によるCTスキャンやガリウムシンチ、
さらには日帰り手術によるリンパ腺の摘出など、長期間に渡っての検査の結果、
同年12月24日に“濾胞性リンパ腫”と診断された。
この病気は悪性リンパ腫の中でも進行が遅く、
そのためリンパ節の腫れから見つかることが多いのだが、
腹部エコーで偶然見つかったのは、近所の病院の担当医がたまたま、
千葉県柏市の国立がん研究センター東病院の医師だったからだ。
専門医だからこそ、悪性リンパ腫を疑ったが、
もし普通の内科医だったらもっと病状が進行して、
リンパ節が腫れるまで気付かなかったかもしれない。
たまたま人間ドックの腹部エコーに影が映り、
たまたまそれを見たのががんの専門医だったという偶然の重なりが、
早期の発見に繋がったのだ。
翌年から抗がん剤による治療が始まった。
治療には3種類の抗がん剤と副腎皮質ホルモン剤と併用するCHOP療法が取られる。
CHOP療法とは、Cyclophosphamide、商品名エンドキサンの“C”、
Hydroxydaunorubicin、商品名アドリアシンの“H”、
Oncovin、オンコビンの“O”
Prednisolone、プレドニゾロンの“P”の頭文字を取ったものである。
さらにrituximab、商品名リツキサンを加えたr-CHOPが採用された。
リツキサンは抗CD20モノクロナール抗体という、
リンパ球の中のB細胞の表面の特殊なタンパクに結合してリンパ腫細胞を死滅させる。
リツキサン単体では十分な効果が期待できないことも多いので、
副作用の多いCHOP療法と敢えて組み合わせて投与される。
これらの薬剤は副作用も強いので、時間をかけて生理食塩水に混ぜて点滴される。
しかも全てを1日で点滴するのは無理なので、2日に分けて点滴する。
3週間ごとに8回行い、最初は副作用が出た場合に直ぐ対処するために入院したが、
2回目以降は通院で点滴を行った。
抗がん剤の副作用で髪の毛は抜け、激しい吐き気や指先の感覚がなくなるなど、
厳しい副作用との戦いが半年以上も続いた。
そのあと体調が戻るまで自宅療養し、2009年10月から仕事復帰した。
半年間の抗がん剤治療で“寛解”まで至ったが、
それでもこの病気は“完治”することは現在の医療技術では不可能であり、
必ず再発するといわれていた。
そのため仕事復帰していたからも定期的に千葉県がんセンターに通院して検査してきた。
そして“寛解”から約5年後の2014年3月6日、
この日の血液検査でデータの異常が確認された。
今年6月6日に血管造影剤を使ったCTスキャンを行う予定になった。
検査を行った3月6日の翌日、会社の上司に再発したことを報告、
今後の検査次第では暫く仕事を休むことになることを告げた。
現在の人員配置では自分が仕事を抜けた場合、会社の仕事が回らなくなってしまう。
特に運行管理者としての仕事は国家資格を持つ運行管理者有資格者から指名しなければならない。
そのために確定診断が出る前に事前に上司に状況を報告したのだ。
治療開始までは仕事を続けるつもりだったが、
上司から治療が始まればまた1年くらい旅行に行くことができなくなってしまうだろうから、
少し早めに休暇を取って治療開始の前に少しゆっくりするがいいとの言葉をもらった。
その言葉に甘えて、仕事は引き継ぎが充分にできる5月20日(火)までの勤務として、
そこから休暇を取ることにした。
そして仕事を休む5月21日(水)から旅行に行くことを計画することにしたのだ。


 2.九州満喫きっぷの旅2014 第1案

少し早めに長期休暇に入り、その初日の5月21日(水)から旅行に行くことに決めた。
今まで仕事が忙しく、なかなかゆっくりと静養する機会もなかったので、
ここで治療開始の前に少しゆっくり旅をしようと思った。
しかし温泉でゆっくりするのはやはり正直云って柄ではない。
温泉での静養は治療が終わり、“寛解”となってから仕事復帰までの間に残し、
今回はあくまで通常の鉄道取材にすることにした。
去年8月に“旅名人の九州満喫きっぷ”を使って、
夏期所定休日2日と土日を合わせて熊本を起点に九州を楽しんだ。
“旅名人の九州満喫きっぷ”とは九州の普通列車が乗り放題になる切符である。
しかもJR九州だけではなく、参加している鉄道会社は、
 JR九州
 北九州モノレール
 平成筑豊鉄道
 筑豊電気鉄道
 福岡市地下鉄
 西日本鉄道
 甘木鉄道
 松浦鉄道
 長崎電気軌道
 島原鉄道
 熊本電気鉄道
 熊本市電
 南阿蘇鉄道
 くま川鉄道
 肥薩おれんじ鉄道
 鹿児島市電
と、JR、大手私鉄、中小私鉄、第三セクター、路面電車、地下鉄と多岐に渡る。
期間は切符を購入した日から3ヶ月間に3回(人)である。
連続して使用しなくても3ヶ月間は有効で、
“青春18きっぷ”のように同一行程なら複数で1枚の切符を使用することも可能なのだ。
九州のほとんどの鉄道会社の普通車自由席が乗り放題となるわけだが、
JR九州の有料特急や新幹線、一部の観光列車、バス路線などは利用できず、
機動力には制限がかかるが、それでも上手く利用すればかなり広範囲の旅が可能だ。
今年の夏休みにもこの切符を使った旅を決行しようと漠然と思っていた。
しかし今年は夏休みに旅行に行くことは出来そうもない。
そこでこの“九州満喫きっぷの旅2014”を5月に決行しようと思った。
しかし3月の段階ではまだ漠然とした計画しかなかった。

8月20日(水)

20:00羽田空港−ANA273便−21:55福岡空港

 ※ホテルルートイン博多駅前チェックイン

8月21日(木)

 ※ホテルルートイン博多駅前アウト

07:30博多※−特急「みどり1号」−09:25佐世保

 ※松浦鉄道全線乗り潰し&駅取材

伊万里−筑紫線−唐津
唐津−筑紫線・福岡市地下鉄・空港線−博多

 ※ホテルルートイン博多駅前イン

8月22日(金)

 ※ホテルルートイン博多駅前アウト

8:00博多−福岡市地下鉄・空港線−08:06天神
08:30西鉄福岡・天神−西日本鉄道天神大牟田線−09:36大牟田
10:12-13大牟田−鹿児島本線・下り−10:17荒尾
10:37荒尾※−鹿児島本線・上り4238M−10:55筑後船小屋
11:09筑後船小屋−鹿児島本線・上り−11:31久留米
12:10久留米−鹿児島本線・上り4242M−12:22基山
13:12基山※−甘木鉄道・下り131−13:39甘木
13:58甘木※−西日本鉄道甘木線・上り7533−14:38-53花畑
15:02花畑※−西日本鉄道天神大牟田線・上りG150−15:27西鉄二日市
15:40西鉄二日市※−西日本鉄道太宰府線・下り6157−15:46太宰府
16:28太宰府※−西日本鉄道太宰府線・上り6164−16:35西鉄二日市
16:43※西鉄二日市※−西日本鉄道天神大牟田線・上り5162−17:12西鉄福岡・天神

 ※ホテルルートイン博多駅前イン

8月23日(土)

 ※筑豊地区取材

8月24日(日)

 ※ホテルルートイン博多駅前アウト

09:05博多※−東海道・山陽新幹線「のぞみ16号」(308/5:08)−14:13東京[52]

 ※東京駅駅舎取材/昼食

15:05東京※−総武快速線・下り1547F−15:32津田沼
15:43津田沼−総武緩行線・下り1438B−15:50幕張

この時はまだ8月21日木曜日と22日金曜日に夏期所定休日を取得して、
その前日となる20日水曜日の仕事終わりに飛行機で前乗り、
1日目の21日木曜日は松浦鉄道の全線乗車と駅取材、車両取材、
2日目の22日金曜日は去年雨のために断念した甘木鉄道取材、
3日目の23日土曜日はまだ決めていなかったが、筑豊地区の取材を考えようと思う。
切符はこの3日で使い切り、最終日は新幹線で帰京するために使う。
この計画をそのまま5月に持ってくるとともに、
時間的に余裕もあるので、さらに帰りに寝台列車に乗ることも検討して計画を練っていった。


 3.九州満喫きっぷの旅2014 第2案

8月の所定休日を使った計画を5月に置き換えるのだが、
土曜日曜を含めても4日間しかない休日が、もっとふんだんに使える。
前日の移動も仕事をしてから行く必要がなく、
また朝早く出発することもない。
夕方に博多に到着する便を選べば良く、逆算して乗る便を探し、
15:00に羽田を離陸するANA259便を選んだ。
この便は羽田から福岡に行く便の中で唯一ボーイング787型機を使用している。
バッテリーの不具合から緊急着陸し、そのあと暫く運行停止になっていた。
その後安全対策を施して去年6月からは定期運行を再開、
いろいろと問題はあっても最新機であることに変わりはなく、
やはり一度は乗ってみたいと思っていたのだ。
早めに羽田に行って空弁で昼食、夕方には博多に到着してゆったりする。
また帰りも博多から新幹線での帰京ではつまらないので、
できれば寝台列車で帰りたい。
しかし九州アクセスの寝台特急は既に全滅している。
そこでサンライズエクスプレスのアクセスのある出雲市に移動し、
そこから“サンライズ出雲”で帰京したいと思った。
しかし陸路での移動は時間的に難しく、空路を選択した。
4日目の朝に福岡空港から出雲空港に空路で移動、
一畑電車の駅取材と出雲大社の参拝で夕方まで過ごし、
18:55出雲市発の「サンライズ出雲」で帰京する。
翌日の07:08に東京に到着するので朝食を兼ねて東京駅の駅舎取材もしたい。
3日目の予定はまだ決まっていないが、取り敢えず以下のような計画を立ててみた。

5月21日(水)

12:18幕張−総武緩行線・上り1267B(6)−12:24津田沼[6]
12:30JR津田沼駅南口−空港リムジンバス(60/1:00)−13:30羽田空港第2ターミナル[90/1:30]
15:00羽田空港−ANA259便(110/1:50)−16:50福岡空港[25]
17:15福岡空港※−福岡市地下鉄空港線・姪浜方面493C(6)−17:21博多

 ※ホテルルートイン博多駅前チェックイン

5月22日(木)

 ※ホテルルートイン博多駅前アウト

07:30博多※−特急「みどり1号」−09:25佐世保

 ※松浦鉄道全線乗り潰し&駅取材

伊万里−筑紫線−唐津
唐津−筑紫線・福岡市地下鉄・空港線−博多

 ※ホテルルートイン博多駅前イン

5月23日(金)

 ※ホテルルートイン博多駅前アウト

8:00博多−福岡市地下鉄・空港線(6)−08:06天神[24]
08:30西鉄福岡・天神−西日本鉄道天神大牟田線(66/1:06)−09:36大牟田[36]
10:12-13大牟田−鹿児島本線・下り(4)−10:17荒尾[20]
10:37荒尾※−鹿児島本線・上り4238M(18)−10:55筑後船小屋[14]
11:09筑後船小屋−鹿児島本線・上り(22)−11:31久留米[39]
12:10久留米−鹿児島本線・上り4242M(22)−12:22基山[50]
13:12基山※−甘木鉄道・下り131(27)−13:39甘木[19]
13:58甘木※−西日本鉄道甘木線・上り7533(40)−14:38-53花畑[22]
15:02花畑※−西日本鉄道天神大牟田線・上りG150(25)−15:27西鉄二日市[13]
15:40西鉄二日市※−西日本鉄道太宰府線・下り6157(6)−15:46太宰府[42]
16:28太宰府※−西日本鉄道太宰府線・上り6164(7)−16:35西鉄二日市[8]
16:43西鉄二日市※−西日本鉄道天神大牟田線・上り5162(29)−17:12西鉄福岡・天神

 ※ホテルルートイン博多駅前イン

5月24日(土)

筑豊地区取材

5月25日(日)

 ※ホテルルートイン博多駅前チェックアウト

7:33博多−福岡市地下鉄空港線・福岡空港方面428C(5)−17:38福岡空港[52]
08:30福岡空港−JAC3551便(65/1:05)−09:35出雲空港[10]
09:45出雲空港−空港リムジンバス(25)−10:10出雲市駅

 ※一畑電車取材、出雲大社参拝

18:55出雲市※−「サンライズ出雲」(733/12:13)−

5月26日(月)

−「サンライズ出雲」(733/12:13)−07:08東京[152/2:32]
09:40東京※−特急「しおさい3号」(28)−10:08-09千葉[9]
10:18千葉※−総武緩行線・上り1035B(9)−10:27幕張

4日目の福岡空港から出雲空港へは、ANAが航路を設定していないため、
JALの子会社のJACを利用することになる。
しかも距離が短いためにジェット機ではなく36人乗りのプロペラ機である。
実は以前から一度はプロペラ機に乗ってみたいと思っていたのだ。
今まで鉄道取材の旅で何度も飛行機には乗っているけれど、
全てジェット機でプロペラ機に乗ったことは一度もなかった。
今回空路を選択したのも、プロペラ機に乗りたいというのも大きかったのだ。
機種はサーブ340Bで座席配列は1+2であり、
新幹線どころか在来線のグリーン車並みである。
また「サンライズ出雲」も人気列車なので取れないということもある。
そのため、切符が取れなかった時のために第2案も用意しておいた方がいいかもしれない。


 4.九州満喫きっぷの旅2014 第3案

第2案では基本的な日程は決まったが、
まだラフな計画しか決まっていない部分があった。
そこで細かな計画を作成し、それに合わせて事前の準備をしていく。
5月21日水曜日は飛行機の予定が決まったためにその前後の予定も自動的に決まった。
翌日の5月22日木曜日は特急「みどり1号」で佐世保まで移動し、
そこから松浦鉄道を取材しながら博多に戻るコースを考えていた。
しかし伊万里から唐津の筑紫線の本数が少なくうまく予定が組めない。
そこで伊万里から唐津までをショートカットするのではなく、
有田まで出て佐世保線から唐津線を経由する遠回りの予定に変更した。
5月23日金曜日は既に前回雨で断念した甘木鉄道取材を絡めた計画が決定している。
そして5月24日土曜日は“筑豊地区取材”とだけ決めていたが、
これを破棄して22日に断念した筑紫線の乗り潰しを実行、
さらに大村線経由で諫早まで行き、島原鉄道を乗り潰しする。
島原鉄道については諫早で駅取材した時に偶然車両取材はできたが、乗ったことはなかった。
そこで今回は全区間を乗り潰し、さらには幾つかの駅取材も実行したい。
さらな長崎本線長与支線経由で長崎まで行き、特急「かもめ46号」で博多に帰る。
長崎本線の喜々津から浦上まではもともと長与支線が旧本線だったが、
短絡線である市布経由の新線が開通、こちらが電化されたために特急などはこちらを通る。
今回は非電化の長与支線の乗り潰しも決行する。
こうした2つの路線があるケースは、函館本線大沼から森の区間や、
中央本線岡谷から塩尻の区間などで見られる。
5月25日日曜日については駅取材も兼ねて出雲市から松江まではJR山陰本線で移動、
路線バスで松江しんじ湖温泉まで行き、戻りながら駅取材も兼ねて移動、
さらに出雲大社の参拝して「サンライズ出雲」の出発を待つ。
これらを踏まえて詳細な計画を策定した。

5月21日(水)

12:18幕張−総武緩行線・上り1267B(6)−12:24津田沼[6]
12:30JR津田沼駅南口−空港リムジンバス(60/1:00)−13:30羽田空港第2ターミナル[90/1:30]
15:00羽田空港−ANA259便(110/1:50)−16:50福岡空港[25]
17:15福岡空港※−福岡市地下鉄空港線・姪浜方面493C(6)−17:21博多

 ※デュークスホテル博多チェックイン

5月22日(木)

 ※デュークスホテル博多アウト

07:30博多※−特急「みどり1号」(115/1:55)−09:25佐世保[31]
9:56佐世保※−松浦鉄道西九州線・上り130D(42)−10:38佐々[31]
11:07-09佐々−松浦鉄道西九州線・上り6332D(36)−11:45-48たびら平戸口[60/1:00]
12:44-48たびら平戸口−松浦鉄道西九州線・上り336D(67/1:07)−13:55伊万里[9]
14:04伊万里※−松浦鉄道西九州線・上り630D(26)−14:30有田[15]
14:45-46有田−佐世保線・上り2934M(51)−15:37-38久保田[10]
15:48久保田※−唐津線・下り5847D(56)−16:47西唐津[17]
17:04西唐津−筑肥線・上り648C(90/1:30)−18:37博多

 ※デュークスホテル博多イン

5月23日(金)

 ※デュークスホテル博多アウト

07:32博多−福岡市地下鉄・空港線435C(6)−07:38天神[52]
08:30西鉄福岡・天神−西日本鉄道天神大牟田線(66/1:06)−09:36大牟田[36]
10:12-13大牟田−鹿児島本線・下り(4)−10:17荒尾[20]
10:37荒尾※−鹿児島本線・上り4238M(18)−10:55筑後船小屋[14]
11:09筑後船小屋−鹿児島本線・上り(22)−11:31久留米[39]
12:10久留米−鹿児島本線・上り4242M(22)−12:22基山[50]
13:12基山※−甘木鉄道・下り131(27)−13:39甘木[19]
13:58甘木※−西日本鉄道甘木線・上り7533(40)−14:38-53花畑[22]
15:02花畑※−西日本鉄道天神大牟田線・上りG150(25)−15:27西鉄二日市[13]
15:40西鉄二日市※−西日本鉄道太宰府線・下り6157(6)−15:46太宰府[42]
16:28太宰府※−西日本鉄道太宰府線・上り6164(7)−16:35西鉄二日市[8]
16:43西鉄二日市※−西日本鉄道天神大牟田線・上り5162(29)−17:12西鉄福岡・天神

 ※デュークスホテル博多イン

5月24日(土)

 ※デュークスホテル博多アウト

06:52博多−福岡市地下鉄空港線・姪浜方面621C(79/1:19)−08:11-14唐津[19]
08:30-33唐津−筑肥線・下り2525D(50)−09:23伊万里[5]
09:28伊万里※−松浦鉄道西九州線・上り618D(22)−09:52有田[32]
10:34-35有田−佐世保線・下り929M(13)−10:48-57早岐[8]
10:56早岐※−大村線・下り235D(12)−12:08-14諫早[7]
12:15諫早※−島原鉄道線・下り207(55)−13:10島原本社前[102/1:42]
 ※徒歩移動 島原本社前〜島原
14:52島原−島原鉄道線・下り119(11)−15:03島原外港[22]
15:25島原外港※−島原鉄道線・上り124(75/1:15)−16:40諫早[18]
16:58-17:06諫早−長崎本線・下り245D(9)−17:15喜々津[5]
17:20-22喜々津−長崎本線・下り247D(31)−17:51-54長与[30]
18:24長与※−長崎本線長与支線・下り5141D(16)−18:40長崎[42]
19:22長崎※−特急「かもめ46号」(112/1:52)−21:14博多

 ※デュークスホテル博多イン

5月25日(日)

 ※デュークスホテル博多チェックアウト

7:33博多−福岡市地下鉄空港線・福岡空港方面428C(5)−17:38福岡空港[52]
08:30福岡空港−JAC3551便(65/1:05)−09:35出雲空港[10]
09:45出雲空港−空港リムジンバス(25)−10:10出雲市駅[23]
10:33-41出雲市−山陰本線・上り132K(45)−11:26-27松江[39]
12:05松江駅※−松江市交通局北循環線外回り(23)−12:28松江しんじ湖温泉駅[68/1:08]
13:36松江しんじ湖温泉※−一畑電鉄北松江線・上り108(38)−14:14雲州平田[21]
14:35雲州平田−一畑電鉄北松江線・下り109(11)−14:46一畑口[12]
14:58一畑口−一畑電鉄北松江線・上り110(21)−15:19-21川跡[2]
15:21川跡−一畑電鉄大社線・下り22(11)−15:32出雲大社前[202/3:22]
 ※旧JR大社駅
 ※出雲大社参拝
17:54出雲大社前※−一畑電鉄大社線・上り11(9)−18:05川跡[3]
18:08川跡−一畑電鉄北松江線・上り310(9)−18:17電鉄出雲市[38]
18:55出雲市※−「サンライズ出雲」(733/12:13)−

5月26日(月)

−「サンライズ出雲」(733/12:13)−07:08東京[152/2:32]
09:40東京※−特急「しおさい3号」(28)−10:08-09千葉[9] Suica使用
10:18千葉※−総武緩行線・上り1035B(9)−10:27幕張

宿泊はホテルルートイン博多駅前を予定していたのだが、
まさかの満室で取ることが出来なかった。
このホテルチェーンは大浴場を完備しているところが多く、
またネット予約で朝食バイキングが無料になる。
とくに大浴場は寝起きにそのまま一番風呂を楽しみ、部屋に戻ってクールダウンする。
しかし満室では仕方がない。
ネットで博多駅から徒歩圏内のビジネスホテルを検索し、
空室のあるホテルの中から価格的に手頃なところを探し、
デュークスホテル博多に決めた。
5月21日水曜日の羽田空港から福岡空港のANA259便と、
5月25日日曜日の福岡空港から出雲空港のJAC3551便もネット経由で申し込み、
クレジット決済で支払いも完了させた。
また5月21日水曜日の空港アクセスのための空港リムジンバスも電話で予約を取る。
あとは5月22日木曜日の特急「みどり1号」、
5月24日土曜日の特急「かもめ46号」、さらに「サンライズ出雲」の切符を取るだけとなった。


 5.決戦は金曜日−最終決定案とキャンセル待ち

3月6日木曜日の通院検査で癌の再発の可能性が見つかり、
6月6日金曜日に血管造影剤を使ったCTスキャンを行う予定になった。
検査を行った翌日の3月7日金曜日に会社の上司に再発したこと、
今後の検査次第では暫く仕事を休むことになることを報告した。
翌週の3月10日月曜日に上司から、
「闘病生活に入ったら暫く旅行に行くことはできなくなるので、
早めに休暇を取ってゆっくりしてもいい」と云われ、
今回の旅を企画することとなった。
ただ、3月15日土曜日から16日日曜日は若桜、智頭を旅することとなっていて、
どうしてもそちらの準備の方が優先してしまい、
5月の休みの旅の計画にはなかなか着手できなかった。
若桜・智頭の旅を終えた3月17日月曜日から今回の旅の計画を早速練り始めた。
この日のうちに取り敢えず今年の夏休みに考えていた九州満喫きっぷの旅を、
そのまま5月に当て嵌めることを決定、
その日程を5月22日木曜日から3日間にすることも決定した。
その前日に前乗りするのだが、仕事を休めるのなら無理して夜の便にすることもなく、
日中の便で博多に向かい、早めにチェックインすることとして、
5月21日水曜日の羽田空港15:00発のANA259便を利用することも決めた。
そして宿泊には予定していたホテルルートイン博多駅前のホームページにアクセスした。
しかしここで目が点になった。
まだ2ヶ月以上余裕があるのにまさかの満室だったのだ。
慌てて博多駅近隣のビジネスホテルの空室状況を調べ、
その中で価格的にも折り合いの付くデュークスホテル博多に決定、
早速ネット経由で“Dukes☆連泊割”5月21日水曜日から23日金曜日まで予約を入れた。
価格は素泊まり3泊で32,400円となった。
朝食付きのプランもあったが、敢えて素泊まりにしたのだ。
ホテルで朝食を取らない分、早く行動できる。
出発時間とその後の行動予定では朝食を喰う暇がないケースもあるが、
そういうときは前日に駅弁を買い込んでホテルの部屋で喰えばいい。
この時に漠然と帰りは「サンライズ出雲」に乗りたいと思い、
福岡空港から出雲空港に向かう飛行機を探し、
08:30福岡空港発のJAC3551便に乗ることも決定、
ホテルを探すのに手間取って日付を跨いでしまったが、
ANAとJALのホームページにアクセスし、予定の飛行機のチケットを予約、
クレジット決済で支払いも済ませた。
行きと帰りの飛行機と宿泊のホテルを決定、「サンライズ出雲」での帰京も決めた。
JRの切符は1ヶ月前にならないと発売されない。
そこでその間に詳しい日程を決め、
結果として5月22日木曜日の特急「みどり1号」の博多から佐世保まで、
5月24日土曜日の特急「かもめ46号」の長崎から博多までを追加購入することも決めた。
また「サンライズ出雲」ではできれば“シングルデラックス”に泊まりたいが、
それが駄目なら“シングル”にダウングレード、
もしも“シングル”も取れなければ“ソロ”は回避して、
第2案として特急「やくも」で岡山まで行き、「サンライズ瀬戸」に乗り込むことも考え、
以下のような代替案第2案を作成した。

【代替案 第2案】

5月25日(日)

18:35出雲市※−特急「やくも30号」(180/3:00)−21:35岡山[58]
22:33岡山−「サンライズ瀬戸」(515/8:35)−

5月26日(月)

−「サンライズ瀬戸」(515/8:35)−07:08東京[152/2:32]
09:40東京※−特急「しおさい3号」(28)−10:08-09千葉[9]
10:18千葉※−総武緩行線・上り1035B(9)−10:27幕張

しかし夜10時半過ぎに寝台列車に乗り込んでも面白くないなと思い、
更に代替案第3案として、特急「やくも」で岡山へ行ったあと、
新幹線で広島まで移動してここで宿泊し、
午前中広電取材をしてから夕方に新幹線で帰京するのも悪くないと思った。
広電には新型車両1000形が導入されたが、まだ未取材である。
この1000形は連接車で現在まで計5編成が導入されたが、
1001号車が「 PICCOLO」、1002号車が「 PICCOLA」、
そして1003からは「GREEN MOVER LEX」と塗色と愛称名が違う。
新幹線の時間までこれらを追いかけて取材するのもいいし、
余力があれば宮島まで渡ってみてもいい。
安芸の宮島は高校の時に修学旅行で行ったことがあるだけで、
広電で宮島口までは行くものの、その先の船には乗っていない。
いずれにしろ、以下のような代替案を考えた。

【代替案 第3案】

5月25日(日)

18:35出雲市※−特急「やくも30号」(180/3:00)−21:35岡山[20]
21:55岡山※−山陽新幹線「こだま767号」(69/1:09)−23:04-05広島

 ※ヴィアイン広島チェックイン

5月26日(月)

 ※ヴィアイン広島チェックアウト

 ※広電車両取材 電車一日乗車券\600購入
 ※1000形1001〜1005車両取材

 ※昼/ひろしまお好み物語駅前ひろば 若しくは 麗ちゃん

16:01広島※−東海道・山陽新幹線「のぞみ136号」(242/4:02)−20:03東京

これらの代替案を踏まえた上で、
4月22日火曜日には仕事の帰りにJR津田沼駅のみどりの窓口に行き、
博多から佐世保までの乗車券2,130円と同区間の特急「みどり1号」のB特急券・グリーン券2,800円を購入、
予定通り2+1列配列のグリーン車の1列側である1号車4番C席を確保できた。
この日の帰宅後にケータイから京成バス予約センターに電話し、
5月21日水曜日の12:30にJR津田沼駅南口を出る空港リムジンバスの予約を入れた。
価格は消費税増税に伴い1,230円に値上げしたが、全ての車両でSuicaが使えるようになったそうだ。
この路線は東京空港交通と京成バスの共同運行であり、
以前は京成バスの車両はSuicaが使えたが、東京空港交通の車両は使えなかった。
しかし価格改定で端数が出たためなのだろうか、全てのバスでPASMO対応になったという。
そして4月24日木曜日には長崎から博多までの乗車券・B特急券4,700円を購入、
特急「かもめ46号」普通席2号車4番D席を確保できた。
まあ、ここまでは想定の範囲内である。
しかし問題は「サンライズ出雲」の切符なのだ。
そして決戦の4月25日金曜日、仕事の帰りにJR津田沼駅のみどりの窓口に行き、
5月25日日曜日の「サンライズ出雲」の“シングルデラックス”の予約状況を見てもらった。
しかし残念ながら、“シングルデラックス”は満室だった。
とほほ・・・。
決戦に負けてしまった。
「“シングル”ならお取りできます」とのことで、
出雲市から東京都区内の乗車券11,990円と、
「サンライズ出雲」の特急券・B寝台券(個)10,800円を購入、
“シングル”は禁煙の7号車11番個室だった。
窓口の係員にキャンセル待ちを依頼し、出発前日の5月20日までにキャンセルがあったら、
自分のケータイに電話してもらうように手続きをした。
“シングルデラックス”のキャンセル待ちに一縷の望みを繋げ、
事前予約とチケット購入は完了した。


 6.出発準備−“旅行に持って行くもの”

1ヶ月前までに切符も購入し、あとは出発日を待つだけとなった。
出発日は同時に会社を休職する日でもある。

宿泊を伴う旅行に行く時は着替えなどの日常の荷物と、
カメラを入れるカメラバッグの二つに分けていくことにしている。
それは荷物の量やカメラの保護などの問題もあるが、
それ以上に機動力を確保することを考慮している。
連泊する時はホテルに、拠点を決めて動く時はコインロッカーに旅行用バッグを預け、
カメラバッグだけを持って移動するようにしている。
旅行用バッグに関しては布製のスポーツバッグを使用している。



理由は中の荷物の量によって形が自由に変えられること。
その方が形が決まっている飛行機の物入れなどに入れやすい。
中の荷物に関しては荷物の種類によって入れるものを分けることにしている。



白い巾着袋はカメラ用のバッテリーやコード類をしまうもの。
デジタルカメラはバッテリーが切れると全く役に立たないただの荷物となる。
だからバッテリーの充電器は必需品なのだ。
ホテルに泊まったら真っ先にするのがコンセントの場所を探し、
カメラのバッテリーを取り出して充電すること。
そのために一眼レフカメラ用とコンパクトカメラ用、
それぞれのバッテリーチャージャーを持参する。
さらに旅が長い時は携帯電話のバッテリーコードも持って行くことにする。
平べったいセカンドバッグは貴重品入れ。
財布に入りきれない現金や小銭、それに切符など、
当日は使わない現金や切符などを入れておく。
白と青のストライプのバッグは昔カセットテープの販促物として貰ったもの。
常備薬や目薬、ヘアブラシなどを入れている。
日程によっては歯ブラシなども持参する。
常備薬はピルケースに入れ、さらに巾着に入れて持ち歩く。
着替えに関しては一日分をビニール袋に入れて持参する。



これは以前、移動中に急に土砂降りに遭ったことがあり、
その時に布製のバッグだったために雨が滲みて、着替えが湿ってしまったことがある。
そこで万が一バッグが濡れてもいいように、衣類はビニール袋に入れる。
また日数分の着替えを間違いなく持参するためや、
ホテルで着替える時の“時短”も考慮して一日分をパックしておく。

カメラバッグは二種類持っていて、宿泊を伴う時はデイパックタイプを使用する。



これは一眼レフカメラにレンズをセットした状態で下向きにして仕舞う。
隙間には予備のバッテリー、防雨用カバー、
さらにタオルやブロアー、メモ帳やボールペン、レンズクリーナーなど。
予備のCFカードなども入れて、これだけで鉄道取材できる形にしている。

余談だが日帰りの撮影の時は別のカメラバッグを使用する。



このバッグはエパショルダーという商品で、
フォトイメージングエキスポというコンシュマー向け展示会で見掛けて気に入り、
当時はまだ発売前の参考展示だったため、ETSUMIのスタッフに発売時期を訊き、
さらに何度かビックカメラなどに足を運んで漸く手に入れたもの。
一番の特徴はカメラを中の仕切りがカメラの形に窪んでいて、カメラを横の置く形に仕舞える。
バッグはチャックでフルオープンすることが出来る様になっていて、
バッグを開けて直ぐにカメラを取り出すことが出来る。
これは鉄道取材時に、撮影する気がなくてただ移動している途中に、
急に撮影したい対象が走ってきた時に直ぐに撮影できる。
バッグを開けてレンズキャップを外し、電源を入れてから撮影まで5秒で可能である。
ショルダーバッグタイプや蓋のあるタイプなどではそう簡単にはいかない。
既にボロボロになっているが、これよりいいカメラバッグを見たことがない。
もし次にカメラバッグを買い直すとしても同じものを購入すると思う。

旅行に行く場合に持参するべきものは、一覧表にして一太郎のファイルにしてある。
今までずっといろいろな旅をしてきて、“必要と思ったもの”、
また持参しているけれどほとんど“使わないもの”など煮詰めていって、
旅行に持参するべきものを以下のように書き出してある。

   旅行に持って行くもの

   カメラバッグ(デイパックタイプ)
    CANON EOS 7D本体+18-200mmレンズ
    ブロアーブラシ
    予備バッテリー×1
    CFカード、CFカードケース
    ミニタオル
    メモ帳、ボールペン
    デジタルフォトレインカバーM E-6350(雨の予報の場合)

    バッテリーチャージャー
    CANON IXY 430F本体、バッテリーチャージャー、予備のSDカード

   旅行バッグ(5泊6日の場合)
    パンツ10枚
    Tシャツ5枚
    靴下5足
    シャツ5枚
    ハンカチ5枚
    コンビニの透明な袋5枚
    予備タオル2枚
    ノート
    ボールペン
    ヘアブラシ
    常備薬、目薬
    クリアファイル6枚

   セカンドバッグ
    Suica定期券、事前購入した切符
    腕時計
    財布、小銭100円玉多め、ホテルメンバーズカード
    携帯電話、携帯電話充電コード

   ポケットティッシュ、ウエットティッシュ
   折り畳み傘(雨の予報の場合)、ビニール袋
   予定表

これを出発前にプリントアウトし、消し込み表として使用する。
一方でキャンセル待ちだった「サンライズ出雲」の“シングルデラックス”は、
とうとう出発前日の期限切れになってもキャンセルが出たとの連絡はなかった。


 7.小雨の中のtaking off−旅の始まり

闘病のため5月20日火曜日で会社を休職した。
まだ有休が残っているので、実際の休職は7月に入ってからだが、
この日でいったん会社はお休みということで、
引継ぎや挨拶も済ませて会社をあとにした。
その翌日から九州満喫きっぷを使った旅に出る。
21日水曜日は飛行機で博多に行くだけなので、15:00の飛行機を選んだ。
それに合わせて津田沼からのリムジンバスは12:30を選択、
そのため幕張駅の総武緩行線上りには12:18で間に合う。
この日は朝から大雨が降っていたが、午前中いったん止んだ。
それでも家を出る時にはまた小雨が降り出す。
仕方がないので折りたたみの傘を差して出掛けることにした。
幕張から津田沼まではSuicaを利用、津田沼での待ち時間は6分である。
津田沼から羽田空港のリムジンバスは京成バスと東京空港交通の共同運用で、
以前は京成バスの車両しかPASMOに対応していなかったが、
この4月からは東京空港交通のバスもPASMOに対応したと、
予約センターに電話した時に係員が云っていた。
消費税が8%になったため、運賃も1,200円から1,230円に値上がっていた。
雨の影響か、湾岸道路が少し混んだが余裕を持って計画していたので、
それほどの影響はなく、羽田空港第2ターミナルへ到着。
折りたたみの傘はバスの中で綺麗に吹いてバッグの中にしまった。
これはホテルに着いてから部屋の中で乾そうと思う。
保安検査場を1:30p.m.過ぎに無事通過、65番搭乗口に移動する。
売店で空弁「やまやめんたい彩膳【福岡藩 粋の膳】」1,350円と、
「すえひろ天むす」772円などを購入する。
一緒に買ったお茶とともに「めんたい彩膳」は昼食として喰い、
「すえひろ天むす」は今夜の酒のつまみとしてホテルに持ち込む。
15:00離陸のANA259便は最新機ボーイング787が充当されていた。



当然のことながら地上は小雨が降っていたが、上空に上がると晴れていた。
座席は13Aで、窓からは笠をかぶった富士山も見えた。



最新機ボーイング787だが、機内は特別奇抜なデザインというわけでなく、
ほかの飛行機とそれほどの違いは感じられなかった。
それでもエンジンには“ROLLS ROYCE”と書かれ、
機体にも大きく書かれた“787”は誇らしげに見える。
福岡空港にもほぼ定刻に到着し、福岡市地下鉄で博多に移動する。
全国交通系のカードが共通で使えるようになったので、ここもSuicaを使用。
博多駅の駅舎の中に出て、いったん外に出る。
とりあえず荷物が重いので、先に予約しておいたホテルにチェックインすることにする。


 8.博多駅の迷子と夕暮れ

福岡市地下鉄を博多駅で下車してJR博多駅シティー側から外に出る。
予約したデュークスホテル博多の地図をプリントアウトするのを忘れ、
場所が分からなくなってしまう。
駅前に設置されていた近隣の地図で確認し、
こちら側で正しいことは理解しているのだが、見つからない。
結局荷物を持って辺りをうろちょろすることとなった。
その途中で「博多一幸舎」も見つける。
そしてようやくホテルを見つけてチェックインする。
自分が思い描いていたよりも遙かに駅に近かった。
4連泊で合計32,400円、クレジットカードで支払う。
カウンターで予約が簡単で割引になるAカードを作るというので、
チェックアウトの時までに作ってもらうことにする。
部屋は落ち着いた雰囲気で、価格の割には高級感がある。



それに駅からのこの距離を考えればお得と云える。
荷物を置いてカメラバッグだけ以てホテルを出る。
まずは迷子の途中で見つけた「博多一幸舎博多本店」で味玉チャーシューメン1,000円喰う。
ここは宿泊している途中で一度は訪問しようと思っていた店だった。
このあとJR博多駅のみどりの窓口に行き、旅名人の九州満喫きっぷ10,800円購入する。
これは明日から使うことになる。
まだ時間があるのでアミュプラザ博多の屋上に行く。
ここでは夕暮れに染まる街中が見て取れる。
さらには福岡空港から離陸する飛行機も遠くに見ることが出来た。



つばめの杜ひろばと名付けられたこの屋上には、
鉄道神社や表参道仲見世など、博多駅の新しい名所が設置されており、
時間が遅かったので終わっていたが、
水戸岡鋭治氏のデザインによる電気で動くつばめ電車も広場を走るようだ。
駅舎側には大きくガラス窓が設置され、列車展望スペースもある。
ここからは博多駅を発着する列車が手に取るように見える。



ここから在来線や新幹線などを充分に取材して、
8階の丸善で「鉄道ファン」を購入しようと思ったらまだ売っていなかった。
とほほ・・・。
博多阪急で麦焼酎「月の女神」など買い、ホテルに持ち込んで飲む。
明日からはいよいよ九州満喫きっぷの旅が始まるのだ。


 9.寝坊とお預けの特急「みどり」−佐世保駅の朝食の攻防

前乗りした翌日、5月22日木曜日よりいろいろ九州満喫きっぷの旅が始まる。
しかし松浦鉄道のある佐世保までこの切符で往復すると、
松浦鉄道時代の取材が充分に出来ないため、
博多から佐世保までは別料金で特急「みどり」に乗車してアクセスする。
この特急の一番列車は07:30に博多を出発する。
ホテルで朝食をパスしたのもこういうダイヤに対応するためでもある。
しかし前日麦焼酎を飲み過ぎたため、目が覚めたのは07:02a.m.だった。
本当はもっと早くに目覚ましをかけておいたのだが、知らずに止めてしまったらしい。
慌ててシャワーを浴び、クールダウンの途中で歯磨きをしてそのまま着替える。
1日分の着替えをパッキングしておくとこういう時に役に立つ。
ホテルを出て駅に到着したのが既に7:25a.m.だった。
ここからは運賃と特急券を別に払うため、それで改札を抜ける。



特急「みどり1号」の発車時間ぎりぎりにホームに上がり、慌てて乗り込む。
おかげで駅弁処か、お茶を買う暇もなかった。
そして特急の車内に乗り込んで知ったのだが、この列車には車内販売がない。
車掌が車内アナウンスで云っていたのだが、出来れば経乗り込む前にアナウンスが欲しかった。
博多から佐世保までは1時間55分、朝食もお茶もお預けのままの発車となる。
暫くして車掌が検札に来る。



今回は少し贅沢にグリーン車を予約しておいたので、車内は快適だった。
空腹と喉の渇きに耐えながらの約2時間の旅で、09:25に佐世保に到着する。
特急「みどり1号」には783系CM3編成が充当されていた。



特急みどり仕様ではなく、汎用タイプの通常のハイパーサルーンである。
ここでの乗り換え時間は31分を確保しておいたので、改札を出てまずは駅取材する。
東口は街中に広がる玄関口だが、反対側のみとな口はその名の通り、
佐世保港が見渡せ、元軍港らしく自衛隊の艦船が停泊していた。



これはひうち型他用途支援艦4303「あまくさ」で、
5隻あるひうち型他用途支援船のうち、佐世保基地に配属されている艦船である。
充分に駅取材し、駅に戻って朝食を喰おうとした。
駅の中にうどん店を見つけたのでそこで朝食を喰おうと思ったら、
「開店は11:00a.m.からです。」と云われてしまった。
とほほ・・・。
仕方がないので隣の「トランドール佐世保駅店」で菓子パン2個、
デンマークソーセージドーナツ247円、塩バターパン118円を買い、
これは松浦鉄道の車内に持ち込んで喰うことにする。
ともあれ、これで何とか朝食はゲットできたので、
ここからはいよいよ本当の九州満喫きっぷの旅が始まる。


 10.松浦鉄道前線取材と普通鉄道最西端の駅

松浦鉄道は国鉄特定地方交通線であった松浦線を引き継ぎ、
1987年12月10日に設立された第三セクター鉄道である。
松浦線は有田から吉井間が伊万里鉄道によって敷設され、
佐世保から吉井までが佐世保鉄道によって敷設された。
伊万里鉄道は1898年8月7日に有田から伊万里までを開業させたが、
同年12月28日に九州鉄道に合併された。
1907年7月1日に鉄道国有法によって九州鉄道が国有化され、
1909年10月12日に国有鉄道線路名称制定によって伊万里線となる。
1930年3月21日には楠久まで延伸、10月1日には今福まで延伸、
1933年6月25日には志佐(現・松浦)まで延伸、
1935年8月6日には 平戸口(現・たびら平戸口)まで延伸、
1933年1月25日には潜竜(現・潜竜ヶ滝)まで延伸、
そして戦時中の1944年4月13日に肥前吉井(現・吉井)まで延伸開業した。
一方、佐世保軽便鉄道は石炭の運搬のため、
1920年3月27日に相浦から大野(現・左石)を経て柚木までを開業させた。
1921年10月17日には大野から上佐世保まで延伸した。
佐世保軽便鉄道は1923年12月26日に佐世保鉄道に社名を変更した。
1931年8月29日には実盛谷から四ツ指(のちの四ツ井樋)を経て臼ノ浦までを開業、
同年12月27日には四ツ指から佐々までを延伸、
1933年10月24日に岡本彦馬専用鉄道を買収、佐々から吉井を経て世知原までを延伸した。
1936年10月1日に佐世保鉄道全線が国有化され、松浦線となった。
軽便鉄道として開通していたため、狭軌に改軌が行われ、
1935年11月9日には北佐世保から佐世保までを延伸、
1943年8月30日には上佐世保から左石までを廃止、実盛谷から相浦までを廃止した。
1945年3月1日に肥前吉井−世知原間を世知原線、佐々−臼ノ浦間を臼ノ浦線、
左石−柚木間を柚木線として分離し、松浦線は有田−伊万里−佐世保間とした。
1984年6月22日に第2次特定地方交通線として廃止が承認され、第三セクター鉄道への転換が決定した。
1987年4月1日には国鉄分割民営化によってJR九州に継承、
1988年4月1日に松浦鉄道に転換、路線名を松浦線から西九州線に変更した。
西九州線の路線は有田から佐世保までの93.8kmである。

今回は佐世保から有田に向かって旅をする。
松浦鉄道の入口から入って早速九州満喫きっぷの1回(人)に検印を貰う。
しかし松浦鉄道に日付入りスタンプがなかったらしく、
JRとの連絡口の窓口からJR佐世保駅の検印を持ってきて、これで検印して貰う。



何はともあれ、1回(人)に「佐世保駅 5.22 九 ありがとうございます」の印が押された。
松浦鉄道佐世保駅の待合スペースには会社のキャラクター“マックスくん”が設置されていた。



しかもここからはMR-400形が充当されていた。
松浦鉄道は23両の両運転台気動車を保有しているが、
その内訳はイベント対応車のMR-500形「レトロン号」1両と普通車両のMR-600形21両である。
唯一の旧型車両がこのMR400形401で1998年製である。
さい先のいいスタートで、これにのってまずは佐々を目指す。
車中ではトランドール佐世保駅店」で買った菓子パンと自販で購入したお茶で遅ればせの朝食である。



09:56に佐世保を出発した松浦鉄道西九州線上り列車は42分で佐々に到着する。
佐々駅は松浦鉄道の車両基地も兼ねている場所で留置車両の取材も出来た。
予定ではこのひとつあとの列車が11:09に佐々を出発するので、
31分時間をかけて佐々駅を取材することになっていた。
しかし少し時間を持て余していたところに、10:56始発列車の設定があった。
車内の時刻表で調べてみたところ、隣の小浦に到着が10:59で、
11:04に小浦を出て予定通りの11:07佐々着11:09佐々発となる。
そこで急遽、この列車でひとつ隣の小浦も取材した。
小浦からそのまま佐々を通り過ぎ、11:45たびら片戸口で下車する。
ここは松浦鉄道で、・・・というより日本の普通鉄道で最も西にある駅である。
モノレールのゆいレールが出来たため、全ての鉄道事業となると話は違ってくるのだが、
2本の線路の上を走る普通鉄道に限定すれば、日本最西端の駅である。
これにて最北端のJR宗谷本線稚内駅、最南端の指宿枕崎線西大山駅、
そして最東端の根室本線東根室駅に次いで最西端の駅にも下車したことになる。



この駅には謎のオブジェがあった。



ここでの乗り換え時間はちょうど1時間確保してあり、
その間に徒歩で平戸瀬戸市場まで行き、昼食を喰う。
また徒歩でたびら片戸口駅まで戻り、12:48発の列車で伊万里まで行く。
1時間7分かけて13:55に伊万里まで到着する。
本来なら伊万里から筑肥線に乗って唐津経由で博多に戻るべきだが、
ちょうどこの時間は13:19の次は16:23まで列車がない。
そこで今日中に松浦鉄道完乗を完成し、有田まで行くことになったのだ。
松浦鉄道伊万里駅はスイッチバック構造となっており、
基本的に佐世保からと有田からの路線は別系統扱いとなっている。
9分の乗り換え時間で有田を目指す。


 11.筑肥線回避の佐世保線と唐津線−博多への帰還

伊万里から筑肥線1本で博多に帰れると思っていたが、
実際の筑肥線は姪浜から唐津、西唐津の系統と、
伊万里から山本、唐津線経由の唐津、西唐津に分断されていて、
名前は一緒でも同一系統にはなっていない。
これは紀勢本線の和歌山と和歌山市が完全に分離しているのに似ている。
伊万里から松浦鉄道で佐世保線有田まで出る。
有田はその名の通り有田焼で有名な場所で、駅にも有田焼が飾ってある。



ここまで来た列車の伊万里も焼き物では有名な場所で、
この辺りではたぶん焼き物に適した土などが産出されるのかも知れない。
有田から長崎本線久保田まで向かう。
佐世保線と長崎本線の合流地点の肥前山口で、
停車時間が8分あったのでこの時間に駅取材する。
肥前山口は九州新幹線長崎ルートでは途中駅が設置される予定の場所でもある。
長崎から武雄温泉まではフル規格、武雄温泉から新鳥栖までは在来線に乗り入れる予定である。
この乗り入れに関しては現在走行テスト中のフリーゲージトレインが採用の予定であるが、
JR西日本ではフリーゲージトレインの山陽新幹線乗り入れには難色を示しており、
今後はまだ予断を許さない。
それでも新幹線停車駅になれば駅も整備されることから、
このタイミングでの取材には価値がある。
久保田から唐津線に乗り換え、終点の西唐津に向かう。
平日ということもあり、学生を中心に混み合っていた。
西唐津で筑肥線に乗り換える。
ここからは福岡市地下鉄空港線に乗り入れるため、
JR九州で唯一の直流電化区間となる。
国鉄時代の直流通勤形電車103系を改造した103系1500番台が充当されていた。



そのほかにもJR九州が新造した直流通勤形電車303系も在籍する。
西唐津から我慢の1時間30分の旅で漸く博多に到着する。
夕食は筑紫口中比恵公園通りにある「洋食屋とまと畑」へ行くつもりだったが、
漸く場所を見つけていったら閉店だった。



仕方がないのでJR博多駅まで戻り、
ヨドバシ博多ビル4階の「Hamburg steak CALIFORNIA」で、
ハンバーグ&サイコロステーキ1,490円喰う。



博多駅中央街の酒屋で麦焼酎を購入してホテルに戻って飲む。


 12.間違えた地下鉄と福岡空港で朝食を

昨日は前日に焼酎をオン・ザ・ロックで飲み過ぎて寝坊したたが、
今日はちゃんと6:00a.m.起床予定前の5:45a.m.には目が覚めた。
シャワーを浴びて支度をして、6:45a.m.にホテルを出る。
今日は07:32の福岡市地下鉄空港線で天神に移動し、ここから西鉄で大牟田まで行く。
JR博多シティまで行き、地下に下りて福岡市地下鉄の改札で、
九州満喫きっぷの2回(人)のところに、
「福岡市交通局 26.5.23 博多駅(博多口)」の検印を貰う。
少し早めに到着したので早めの列車に乗り込んで天神へ・・・と思ったのだが、
気が付いたら福岡空港にいた。
逆方向に乗ってしまったのである・・・。
とほほ・・・。
今日は寝坊はしなかったが、やはり焼酎の影響で二日酔いだったのだろうか・・・。
予定では天神のうどん店で朝食を喰おうと思ったのだが、
折角空港まで来たのだから、ここでモーニングを喰うことにする。
福岡空港第2ターミナルビル3階カフェテリアの「VENT ET LUNE」で、
パン2個とコーヒー730円でまったりとモーニングする。



食事を終えて再び地下に戻り、福岡空港始発07:27の列車に乗る。
考えてみれば、この列車は博多駅で07:32に乗る予定だった列車である。
結局、早めに起きて空港でモーニングをした分、旅の予定を早めただけとなった。


 13.西日本鉄道完乗への旅−基山のカレー

多少の擦った揉んだはあったものの、予定通り07:38に天神に到着する。
ここから地上に上がり、西鉄福岡駅に移動する。
朝食はもう済ませてあるので、結局予定より速い列車に乗り込むこととなった。
西日本鉄道は福岡を中心に九州に広く路線展開している鉄道会社であり、
現在本線に当たる天神大牟田線のほか、3路線を所有する。
1908年に設立され、1911年に開業した九州電気軌道がその始まりで、
1942年施行の陸上交通事業調整法により、
福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道等と合併して西日本鉄道となった。
かつて現在の埼玉西武ライオンズである西鉄ライオンズを所有していたこともあった。
その所有路線は以下の通り。

 天神大牟田線/西鉄福岡(天神)−大牟田 74.8km
 太宰府線/西鉄二日市−太宰府 2.4km
 甘木線/宮の陣−甘木 17.9km
 貝塚線/貝塚−西鉄新宮 11.0km

このうち、本線格の天神大牟田線とは独立している貝塚線は既に取材済み、
全区間乗車済みだが、天神大牟田線は西鉄福岡から薬院までしか乗ったことがない。
そこで今回の旅では西日本鉄道未乗車区間の完乗を目指すことにしたのである。
本当は08:02の特急に乗ろうと思っていたのだが、西鉄福岡駅で並ぶところを間違え、
07:47急行西鉄二日市行きに乗ってしまった。
仕方がないので先に西鉄二日市で駅取材し、ここで改めて特急に乗り換える。
ここでも早めに動いたために予定よりもひとつ多く駅取材が出来た。
08:20に予定通りの特急に乗り換えて終点の大牟田へ。
ここはJR鹿児島本線と共同使用駅となっており、ここからJRに乗り換える。
あっという間だったが、西鉄天神大牟田線の完乗は完了した。
JR鹿児島本線でひとつ下った荒尾に行き、ここで駅取材する。
そのあと新幹線停車駅である筑後船小屋の駅取材に行く。
その前に急遽、銀水で下車して駅取材する。
銀水は以前、青春18きっぷの旅で乗った列車の終着駅で偶然下り、
木造の駅舎が気に入ったのだが既に夜だったために日中に訪問したいと思っていたのだ。
そして筑後船小屋はここはもともと船小屋という駅名だったが、
新幹線開業時に駅名変更した駅であり、正確には新幹線と在来線の駅舎は別となっている。



新幹線開業に伴って現在地に在来線の駅が移設された。
駅名は近くの矢部川の船小屋が多くあったからという在り来たりのものだった。
駅には「2016年、ホークスのファームが来る!」という垂れ幕がかかっていた。
10:55の列車で久留米まで行き、ここでも駅取材する。
久留米も九州新幹線の接続駅である。



駅前では松田聖子の「青い珊瑚礁」が流れていた。
彼女は久留米出身なのである。
また駅前には「久留米はとんこつラーメン発祥の地」とも書かれていた。
う〜ん、夕食はまた博多ラーメンを喰おう・・・。
11:29の門司行きで基山まで行く。
ここから甘木鉄道の取材に入るのだが、その前にここで昼食を喰うことにする。
駅には「立体駐輪場の裏 カレー」という看板が見えた。
立体駐車場を突っ切ると、「Wスパイス」としいう名のカレー専門があり、
ここでカレーライス500円を喰う。
ここから甘木鉄道に乗り換えて終点の甘木を目指す。


 14.卑弥呼の里の甘木鉄道−日本発祥の地

甘木鉄道は国鉄の第1次特定地方交通線の甘木線を引継ぎ、
1985年7月11日に設立された第三セクター鉄道である。
甘木線は鹿児島本線基山から分岐して甘木までを結ぶ路線で、
1939年4月28日に全線が同時に開業した。
1981年9月18日に第1次特定地方交通線として廃止が承認された。
それを受けて沿線地方自治体や貨物輸送を行っていた麒麟麦酒などが出資して、
第三セクターの甘木鉄道が設立された。
1986年4月1日に甘木線を引継ぎ、開業させた。
甘木線は基山から甘木までの全線非電化単線の13.7kmの路線である。
予定では13:12の列車で甘木に向かうつもりだったが、
基山で50分の時間は必要なかったため、
予定よりも1本早い12:30の列車で終点の甘木に向かう。



甘木鉄道では車両として軽快気動車を使用している。
これは富士重工のLE-DCシリーズのひとつで、2001年から導入、
一般型のAR300形は7両、イベント用AR400形1両が在籍する。
AR400形は「卑弥呼」の愛称がつけられている。
甘木駅は車両基地も兼ねており、側線に停まっている未投入の車両取材もする。
駅前には「日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ」という石碑がある。



ここ、甘木は邪馬台国の所在地候補のひとつとなっている。
邪馬台国の場所については近畿説、九州説があり、
九州説の中にも北部九州広域説、大宰府天満宮のあたり、
大分県の宇佐神宮、宮崎県西都原古墳群など諸説があり特定していない。
甘木が卑弥呼の出身地とする説も論拠が揃っているわけではなさそうだが、
地元にとってはこれも大きな観光財産となるのであろう。
邪馬台国が日本史の中で初めて出てくる中央集権的国家であり、
そういった意味ではもし甘木が卑弥呼生誕地であれば、
ここかせ日本発祥の地と云ってしまってもいいのかも知れない。
ここから西鉄甘木線の甘木駅まで歩き、13:31甘木発の列車に乗る。
予定ではこれで花畑まで行くつもりだったが、
気が変わって西鉄久留米で下車し、ここで駅取材する。
14:22発の特急に乗り込み、次の西鉄二日市まで行く。
甘木から通り越した宮の陣までが西鉄甘木線で、この区間も完乗したことになる。
これで西鉄の未乗車区間は太宰府線のみとなった。


 15.太宰府は春、いずれにしても春

14:22発の特急で西鉄二日市まで行き、ここから太宰府線に乗り換える。
西鉄太宰府線は中間に一駅がある2.4kmの短い路線で、
路線名通り、太宰府天満宮へのアクセスのために敷設された路線である。
駅前からを右に折れると太宰府天満宮への参道が広がる。



駅前には菅原道真の有名な句碑が建てられている。

 東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ



菅原道真が太宰府に“左遷”される時に庭の梅を見て詠んだとされる句で、
道真が九州に旅立ってから枝葉が枯れて、
ついには一晩のうちに太宰府まで飛んでいったという“飛梅”伝説の元となった句である。
参道には有名な梅ヶ枝餅の店が軒を並べている。
突き当たりを左に折れるといよいよ太宰府天満宮の境内に至る。



鳥居は花崗岩で造られた鎌倉期のものとされている。
その先には形が漢字の“心”に似ていることから“心字池”と呼ばれる池があり、
そこには3つの橋が架けられている。



一つ目の太鼓橋は“過去”、二つ目の平橋が“現在”、
そして三つ目の太鼓橋が“未来”を顕すという。
さだまさし氏の名曲「飛梅」もこの橋をモデルに別れ話を謳っており、
この曲の入った「風見鶏」というアルバムも持っていたので、
このことは改めて境内の解説を見なくても知っていた。
そしていよいよ本殿である。



菅原道真の墓所とされ、創建は延喜5年、西暦に換算すると905年とされる。
延喜19年、西暦919年に醍醐天皇の勅命により社殿として造営、
その後の戦乱で何度か失火したが、筑前国主の小早川隆景が5年をかけて造営、
天正19年、西暦1591年に現在の姿として誕生したという。


 16.“旅人”と緊急追加の篠栗線−豚骨ラーメンな夜、再び

太宰府天満宮を充分に取材し西鉄太宰府駅まで戻ると、
駅には見慣れない車両が停車していた。
これは8000系を改造した観光列車「旅人」だ。
実は駅のポスターなどで今日になってこういう列車があることを知り、
また西鉄二日市から太宰府に向かう途中の西鉄五条では、
上りホームにこの列車が停車しているのを車窓越しにも確認した。
それが偶然、太宰府のホームに停車していたのである。
そこで慌てて太宰府駅に入場し、この列車を取材した。



おかげで結局、梅ヶ枝餅を喰う暇もなかった。
この太宰府観光列車「旅人」は、特別料金不要の普通運賃のみで楽しめる観光列車で、
大幅な改造というより、8000系をラッピング処理しただけの車両のようである。
それでも話題性という面からは良い試みかも知れない。
車内広告のスペースを利用して、以下のような解説がある。




    太宰府観光列車「旅人−たびと−」

その名は旅人−たびと−

 名づけ親は、第39代太宰府天満宮宮司・西高辻信良氏。
 名前の由来は、万葉集の代表的な歌人・大伴旅人(おおとものたびと) 。
 大宰帥(だざいのそち)として大宰府に赴任した旅人は、
 この地で多くの歌を残したとされています。
 また旅人は"たびびと" と読めるため、
 太宰府を旅する列車という意味も込められています。

15:14太宰府発の「旅人」に乗って西鉄二日市まで戻る。
この「旅人」は基本的に西鉄二日市と太宰府の間の太宰府線を往復しているようである。
しかし西鉄二日市に到着すると、そのまま回送列車となってしまった。
これで太宰府線の乗り潰しも完了、これにて西鉄全線乗り潰しを完成させた。
しかし時間的にはまだ3時台でホテルに戻るには早すぎるため、
15:27の急行で薬院まで戻り、ここで3000系の車両取材を決行する。
前回もこの場所で車両取材は行ったものの、雨のために車体が濡れていた。
今回は完全な形での取材となった。
薬院から西鉄福岡(天神)まで戻り、16:23の福岡市地下鉄空港線で博多まで戻る。
それでもまだ時間があるので、急遽JR博多駅に入場、
少し車両取材してから篠栗線の取材をする。
篠栗線は“福北ゆたか線”の愛称がつけられている北九州の地方都市線で、
前回は長者原まで行って香椎線に乗り換えた。
そこで今回は路線名の由来となった篠栗まで行くことにした。
ここでちょうど運転系統も変わるようであり、ここで駅取材する。
再び817系2000番台で博多まで戻り、
夕食は博多めん街道内「元祖博多だるま」で全部のせラーメン1,030円を喰う。
昼間、久留米で「とんこつラーメン発祥の地」などという看板を見て、
どうしても豚骨ラーメンが喰いたくなってしまったのだ。
JR博多シティ・アミュプラザ屋上に行き、列車展望スペースを見る。



ここでは列車だけでなく、福岡空港を発着する飛行機も見られる。
ここで暫く空を眺め、JR博多シティ・アミュプラザ7階の丸善で雑誌1冊購入する。
途中つまみなどを買い、ホテルに帰って昨日買った焼酎など飲む。


 17.究極の早弁−リベンジの筑肥線経由で諫早へ

九州満喫きっぷの旅の3日目、今日は筑肥線経由で諫早に行き、
島原鉄道の完乗と駅取材、車両取材、長与支線経由で長崎に出て、
そこから特急「かもめ」で博多まで戻ることにしている。
筑肥線山本−伊万里間の列車に乗り込むために、
06:52博多駅発の福岡市地下鉄空港線・姪浜方面西唐津に乗り込まなければならない。
そのために5:00a.m.に目覚ましをセットしたが、少し前に目を覚ました。
しかしそれで安心したのがいけなかった。
再びウトウトし、目が覚めたら5:53a.m.だった。
あわててシャワーを浴びてクールダウンの間に昨日購入した駅弁を喰う。



今日は朝食を喰う暇がないため、ホテルで先に済ませることにしていたのである。
6:30a.m.には部屋を出る予定だったが、二度寝のおかげでタイトになってしまった。
それでも朝一で駅弁を喰い、歯を磨いて6:35a.m.にはホテルを出る。
今日はJR博多駅で九州満喫きっぷの3回(人)のところに、
「博多駅 5.24 九 ありがとうございます」と検印して貰った。
昨日は福岡市地下鉄だったので、敢えて別の検印が欲しかったのだ。
しかしここでは入場せず、そのまま地下に下りて
06:52発の福岡市地下鉄空港線西唐津粋に乗り込む。
303系が充当されていた。
土曜日だったが学生が多く乗り込んでいた。
たぶん、部活に出る高校生なのだろう。
姪浜の手前で地上に出て、途中の車窓からはバルーンが何基も見えていた。
佐賀は熱気球の盛んなところなのである。
広い平野が熱気球を飛ばすのに適しているのだろう。
唐津で下車して駅取材する。
ここから唐津線で長崎本線に抜けられることもあって、大きな駅だった。
唐津駅の改札には小さな金持ち神社のオブジェと手形があった。



現駅長の名字が“金持”さんのため、こういうアイディアが生まれたのだろう。
19分の乗り換え時間を十分に利用して駅取材し、
08:33唐津発の筑肥線伊万里行きに乗り込む。
ここからの筑肥線伊万里行きは1日10本しかなく、
9時台、10時台、12時台、13時台、19時台には1本も設定がない。
一昨日断念したこの区間の乗車に拘ってこの計画を立てたのである。
伊万里の5分の乗り換え時間でJR伊万里駅の駅取材をして松浦鉄道に乗り換える。
ここから有田までは一昨日も乗った区間である。
32分の乗り換え時間を持て余して佐世保線で早岐に出て、
ここから大村線に乗り換えて諫早に向かう。



乗り換え時間は8分でその間に駅取材するつもりであったが、
思った以上に駅が大きく複雑で、しかも工事中のために駅取材は断念した。
早岐の隣り駅はハウステンボスで、ここだけオランダに来たかのようである。
途中、竹松で9分の停車時間に駅取材し、
そのまま大村線を乗り潰し、12:08に諫早に到着する。


 18.雲仙普賢岳と霊丘神社でSL−島原鉄道完乗の旅

諫早での乗り換え時間は7分で、この時間に合わせて接続した島原鉄道に乗り換える。
島原鉄道は長崎県島原半島一帯で鉄道、路線バス、船舶などを運営している地方私鉄である。
1908年5月5日に設立され、1911年6月20日に元諫早−愛野村(現・愛野)間が開業した。
同年8月21日には諫早−元諫早間が延伸開業した。
1913年9月24日には島原湊(現・南島原)まで延伸し、島原鉄道線が全通した。
1935年6月1日に雲仙鉄道の営業委託を受けるが、1938年には廃止された。
島原鉄道によって開業した諫早から南島原までを北目線と呼ばれていた。
一方、1919年4月10日に設立された口之津鉄道によって、
1922年4月22日に島原湊−堂崎間が開業、
1928年3月1日には加津佐まで延伸され、全線が開通した。
南島原から加津佐までを南目線と呼ばれていた。
戦時中の1943年7月1日に島原鉄道が口之津鉄道を合併した。
1991年6月3日に発生した雲仙普賢岳噴火の火砕流で甚大な被害を受ける。
復旧のために1995年10月に資本金増資し、長崎県と沿線市町の出資を受けた。
1997年4月1日に雲仙普賢岳噴火災害復旧工事が完成し運行再開、観光トロッコ列車運転開始した。
しかし2008年4月1日に島原外港−加津佐間が廃止された。
現在の島原鉄道線は諫早から島原外港までの43.2kmである。
かつては国鉄から譲り受けた旧型気動車なども活躍していたが、
現在では新潟鐵工所で製造されたNDCシリーズ第二世代のキハ2500形と、
ブレーキの二重化などの強化を行ったキハ2550形が運行されている。
まずは諫早から島原本社前まで行く。
12:15の列車は急行扱いのため、諫早、本諫早を出ると愛野、吾妻と停まり、
西郷、神代町、多比良町と停まって大三東、島原と停車する。
13:10には島鉄本社前に到着した。
ここは特別取材すべき駅ではないが、駅近くの霊丘神社にSLが静態保存されている。
今回はそれの取材もかねてこの駅で下車したのである。
霊丘神社に併設されている霊丘公園の中にあるが、場所が分からず少し歩き回る。



C12形C1201号機は島原鉄道が鉄道省C12形を自社発注し、
1948年から1949年にかけて導入した5機のうちの一つである。
車体の近くには以下のような略歴が記されている。

    機関車の略歴

 昭和24年5月25日天皇陛下が御来島の折、
 お召列車の牽引車として重要な役割を果たした
 C.12型とは同型車である。
 なお同車の走行距離は853,096,8kmで
 使用期間は20年有余であった。
 昭和43年島原鉄道が蒸気機関車を廃止、
 ディーゼル機関車に切替える時点で同車は運転を中止し、
 車庫入りした。

 1.形式 C.12型
 2.番号 C.1201号
 3.最大寸法 (長)11.35m(幅)2.85m(高)3.90m
 4.重量 50.t
 5.馬力 500.HP
 6.製造年月日 昭和23年1月
 7.製造所名 日本車両、株式会社

公式記録にはないが、昭和天皇が島原半島に来られた時に、
C1204号機がお召し列車に充当されたようである。
ここで充分に取材したあと、徒歩で島原駅まで移動する。
島原本社前から島原までは1.0kmで、1時間42分の時間を取ってある。
途中、ビルの合間からは雲仙普賢岳が見えた。



今はおだやかなこの山だが、ひとたび噴火すれば巨大な土石流が容赦なく人々を飲み込む。
日本人は火山の多い島国の中で、その驚異に畏怖しながら生きてきた歴史がある。
美しい山はその分だけ凶器を火口に隠し持っているのだ。
島原駅近くの「ラーメンセンター島原駅前店」で昼食としてチャンポン650円喰う。
このあと14:52の下りで島原外港に行くことになっているが、
島原駅に到着したのがまだ2:00p.m.前で50分以上時間がある。
余裕を持って計画を立てたがいささか余力が有りすぎた。
そこで上り列車の14:17で大三東まで行く。



ここは「大三東」と書いて「おおみさき」と読む。
ここは相対式ホームの下り線側の向こうには有明海が広がる。
“なにもない”ということを充分に楽しみ、14:41の下り列車に乗り込む。
これは14:52に島原で乗り込む予定の列車で、
2両編成で運行されていたが南島原でうしろ1両を切り離した。
終点の島原外港の折り返し時間は22分で、この間に島原港まで行ってみる。



島原外港は2008年4月1日の加津佐までが廃止されるまでは途中駅で、
その名残として相対式ホーム2面2線構造になっているが、
駅舎の反対側のホームは使用されておらず、構内踏み切りも立ち入り禁止となっている。
ただ、駅舎側のホームから続く線路は暫く延びており、
かつてはこの先にも列車が走っていったことを物語っている。
15:25折り返し列車に乗って諫早まで一気に戻る。


 19.長与支線経由と幻の“ななつ星in九州”

予定通りの15:25島原外港発の列車で諫早まで戻る。
片道1時間15分の旅であった。
諫早での乗り換え時間は18分で特に車両取材もなかったため、
改札を出て諫早駅の駅取材をする。
以前に取材済みだが、塗り直したため再度取材した。
時間があったので横断歩道からの全景も取材する。



ここからは長崎本線を長与支線経由で長崎を目指す。
長与支線は長崎本線の旧線で喜々津から長与を経由して浦上に至る。
1972年10月2日に市布経由の新線が開業し、
1976年6月6日には鳥栖から市布経由で長崎までが電化、
旧線は非電化のまま現在に至っている。
当然のことながら特急や在来線電車は市布経由の新線を通るが、
旧線も気動車が繋いでいて、キハ66形+キハ67形などが充当されている。
新線開業後も旧線が残るのは函館本線大沼−森間や中央本線岡谷−塩尻などにも例がある。
今回は旧線乗り潰しのためまずは16:58諫早着17:06発の列車で喜々津まで行く。
この列車は新線経由のため、ここで下車して旧線経由の列車を待つ。
待ち合わせ時間は5分だったが、この時間に駅取材を強行、
1番線で下り列車を待っていた。
すると2番線に見慣れない茶色の光を放つ列車が入線してきた。
「もしや・・・」と思い、望遠側にレンズを設定して覗いたところ、
やはり“ななつ星in九州”だった。



“ななつ星in九州”のコースには1泊2日と3泊4日の2つのあり、
1泊2日のコースは確か由布院、阿蘇を回って長崎まで行く筈だった。
たぶんその帰りで長崎から博多に向かっているところなのだろう。
ディーゼル牽引の“ななつ星in九州”だから列車本数の少ない長与支線を経由したのだろう。
この列車には会えるとは思っていなかったので本当にラッキーだった。
たぶん、一生乗ることはないだろうけれど、
せめてその勇姿を拝めて、辛うじて写真にも撮れただけでも、
この旅は成功だったと云えると思う。
“ななつ星in九州”は下りの長与支線経由17:22発の列車の待ち合わせで、
喜々津駅の2番線ホームに停車したのである。
喜々津から31分かけて長与まで行き、ここで下車して駅取材する。
30分の待ち合わせは少し時間を持て余したが、
それでも駅取材、車両取材を充分にして18:24始発列車でいよいよ長崎を目指す。


 20.長崎シティセレナーデと特急「かもめ」

長与駅で30分の待ち合わせで18:24の折り返し始発列車に乗り込み、
16分かけて終点の長崎まで行く。
長崎に到着したのは18:40だった。
ここから一気に特急「かもめ」で博多まで戻ることにしている。
特急「かもめ46号」は19:22に長崎駅を出発する。
それまでの待ち合わせ時間は42分、この時間を使って長崎電軌の取材をする。
長崎電軌は既に全区間乗り潰し、全電停取材は完了しているものの、
資料取材はまだ完璧ではなく、またラッピング車両は広告変更もあるので、
長崎駅前電停で車両取材に従事する。



19:22の特急に乗るためには最終撤収時間を7:00p.m.と定め、
それまでの時間を長崎電軌車両取材に没頭する。
少しオーバーランした7:05p.m.に取材完了、
ここからは事前に購入した乗車券・B特急券で入場する。



夕食用に売店で駅弁を購入しようと思ったが、まさかの完売だった。
とほほ・・・。
たぶん、売り切れというより7:00p.m.で閉店なのだろう。
仕方がないので駅弁は車販で購入することとし、
残りの時間をホームに停まっている車両取材に当てる。
そして定刻になり、特急「かもめ46号」に乗り込む。



885系SM9編成「白いソニック」車体が充当されていた。
SM9編成は2次車で1次車と比べると前照灯の位置が外寄りに変更され、
丸みを帯びた部分にかかっているため、全体的に垂れ目な印象を与える。
車内販売で無事駅弁「肥前路弁当」も購入、車内で喰う。
長さから博多までは1時間52分の旅であった。
この列車は博多に近づいた途中駅から2号車と3号車の指定席に、
自由席特急券でも空いているところがあれば座っていいと車内アナウンスがあった。
但し、1号車は駄目だとのこと。
たぶん、1号車は半室グリーン車となっているので、混乱を避けるための措置だろう。
21:14に博多に到着し、売店でつまみなど買い、ホテルに戻る。
4泊したデュークスホテル博多とも明日でお別れのため、
冷蔵庫の中に残っている酒やつまみを整理の意味を込めて全部飲み食いし、
軽く荷造りをしてから就寝する。

 21.博多の夜−焼酎とつまみの駅弁と

前乗りした5月21日水曜日には、博多阪急の地下で買い物、
麦焼酎「月の女神」2,400円と博多通りもん5個、
ホテルの近くのコンビニで買ったヱビスやグランドキリンなどのビール、
チーズちくわや味付けゆで玉子などのつまみ、
それと羽田空港で出発前に購入した空弁「すえひろ・天むす」がつまみ。
氷はホテルの自販機コーナーからゲットし、
はじめにビールで乾杯、そのあと焼酎で水割りをつくる・・・と思ったら、
水を買うのを忘れてしまい、しょうがないのでオン・ザ・ロックで・・・。
これが翌日の寝坊の原因となる・・・。



5月22日木曜日は九州満喫きっぷの一日目で、
松浦鉄道完乗して長崎本線、唐津線経由で博多に戻ったあと、
博多駅中央街の住吉酒販で店員のお薦めで麦焼酎「杜翁」1,224円を購入、
JR博多駅の駅弁販売店「驛辨當・博多口店」でさば寿し、ゆで玉子、
さらにホテルの近所のコンビニで水割り用の水などを買い、
氷はホテルの自販機コーナーから拝借して部屋に持ち込んで飲む。

 「杜翁」は「もりのおきな」という名の麦焼酎で、
 「地元で契約栽培した国産二条大麦ニシノホシを原料に、
  じっくりと時間をかけて仕込みました。
  大麦の旨味を引き出す常圧蒸留による本格焼酎です。」とある。




5月23日金曜日、九州満喫きっぷの旅二日目は、
西日本鉄道全線乗り潰しと九州新幹線未取材駅の取材を決行し、
博多中央街の「ひよ子本舗吉野堂」でひよ子5個入り540円を購入する。



またJR博多駅の駅弁販売店「驛辨當・博多口店」で、
今日のつまみの「焼麦」540円と明日の朝食分の駅弁「かしわ飯」740円を購入、
焼麦や昨日の残りのつまみで昨日買った麦焼酎「杜翁」の残りを飲む。



5月24日土曜日、九州満喫きっぷのたびの最終日は、
筑肥線、松浦鉄道経由で諫早に至り、島原鉄道を完乗、
長与線経由で長崎まで出て、特急「かもめ」で一気に博多まで戻ってきた。
長かった博多の4泊5日もこの日が最終日、
冷蔵庫の中の整理もあってつまみはKiosk博多7号店で購入した、
博多豊島蒲鉾のヒリヒリれんこん天216円とたべてみ天216円のみ。
あとはまだ冷蔵庫の中に残っていたつまみで残りの焼酎を飲みきる。



やはり2日で1本のペースで焼酎を開けるのはきつい・・・。
それでも麦焼酎三昧の博多の夜は楽しかった・・・。


 22.人生初のプロペラ機の旅−出雲へ

博多を発つ日、5月25日日曜日は6:00a.m.にモーニングコールをセットしたが、
二度寝してしまい目が覚めたら6:35a.m.だった。
どうも昨日の焼酎の在庫一掃が祟ったらしい・・・。
シャワーを浴びて歯を磨き、7:25a.m.にはチェックアウトする。
チェックアウト時にAカードを受け取る。
07:33の福岡空港行きの地下鉄空港線で終点の福岡空港に行く。
しかし何時もの癖でついついANAの方に上がってしまい、
保安検査場を通過しようと思ったところで間違いに気付いた。
ここは第2ターミナルだが、JACは第1ターミナルの方だと係員に云われ、
一端建物の外に出て徒歩で第1ターミナルまで行くが、
空港の端っこにあるのでかなり歩いた。
しかも保安検査場では引っかかってしまった。
待合室も狭く、売店で空弁を買って朝食とする。
移動に時間を取られたので、
08:30の離陸から逆算した搭乗手続きの時間にぎりぎりになってしまった。
慌てて空弁を食い、飛行機へ。
当然のことながら移動はバスとなる。
しかも座席は全部で36席しかない小型機だ。
乗り込みも当然ハシゴである。



座席配列は2+1席で、新幹線どころか在来線特急グリーン車内の配列である。
しかも機体の中が狭いので、天井の物入れもびっくりするほど狭い。
プロペラが回り始めると機内はものすごくうるさくなった。
希望者には耳栓が配られるとCAが云っていた。
当然のことながらCAもひとりで、ドリンクサービスのない。
そのかわり、あめ玉が配られた。
窓からは翼につけられたプロペラの回る様子が見える。



飛行高度も低く感じられた。
ジェット機の場合は上空に出ると雲の絨毯が眼下に広がるのだが、
曇り絨毯が上空に広がっているような気がする。
途中、ジェット機とすれ違った。
飛行ルートはだいたい決められており、
それに沿って飛んでいるわけだからすれ違いもあるのだろう。
ただ、電車同士のように真横を通り過ぎるわけはなく、
ある程度距離を取ってすれ違う。
ジェット機の方がかなり上を飛んでいるように思えた。
そしてこれも当然のことながらものすごいスピードですれ違った。
地上で見ると優雅に飛んでいるように思えるのだが、
実際は失速しないスピードで飛んでいるわけだから、
飛行機同士のすれ違いはあっという間だ。
改めて飛行機のスピードが実感できた体験だった。
出雲空港に着陸してプロペラが止まったところで外に出る。



福岡空港では飛行機のところまでリムジンパスで行ったが、
出雲空港は飛行機から建物まで徒歩移動だった。
着陸して駐機スペースに移動するのだが、
機体が小さすぎてボーディングブリッジは設置できないのだろう。
人生初めてのプロペラ機は色々と面白い発見の連続だった。
JAC3551便が予定より早く到着したため、
リムジンバスも乗客が乗り込んだら出発時間より早く発車した。
ダイヤ通りの出発時間は09:45だったが、09:38には発車したのだ。
他には5人しか乗客がいなかった。
これで一端出雲市駅まで行き、荷物をコインロッカーに預ける。
そして580円の切符を購入し、10:33着10:41発の米子行きに乗り込む。

 23.松江への移動と松江しんじ湖温泉駅の足湯

出雲市駅に到着した空港リムジンバスから下車し、
駅の改札をSuicaで通過・・・と思ったら、出雲市はICOCA非対応だった。
仕方がないので券売機で580円の切符を購入、
改札を通過してホームに上がる。
10:33着10:41発米子行きの上り列車に乗り込む。
山陰本線は京都から城崎温泉、伯耆大山から西出雲までは、
接続する電車特急の兼ね合いから直流1500Vで電化されているものの、
基本的は非電化区間で普通車はキハ120系や国鉄形キハ47などが充当されている。
乗り込んだ米子行きもキハ47形2両編成で、
朱色5号単色の国鉄標準色に塗色されていた。
途中、宍道駅の木次線ホームにはキハ120形が朱色5号を纏って停まっていた。
まさか、キハ1220系にも単色化の波が押し寄せているわけではないだろうな・・・。
11:26に松江に到着し、ここで下車する。



この列車は1分の停車時間で11:27に松江を出発した。
この時にホームから子供が手を振っていた。
それを見つけた運転手も満面の笑みで手を振り返す。
とてもほほえましい光景だった。
子供にとってこういった体験はいい財産となる。
将来、いい鉄道ファンを育てることにもなるのだ。
暖かな気持ちになって松江駅を出て駅取材する。
北口では駅長と縁結び娘がイベントをやっていた。
縁結び娘はNPO法人松江ツーリズム研究会が主催する、
タクシーで巡る縁結びスポットに同乗する着物姿の女性のことで、
松江の観光に一役買っているようだ。
11:40の県営バスに乗って松江しんじ湖温泉駅バス停を目指す。
料金は210円で松江しんじ湖駅に到着した。



ここから一畑電車で出雲大社を目指す予定だが、
運悪く12:41まで電車がない。
しかも本当はここで昼食を喰うつもりだったのだが、
あまりいいところが見つからなかった。
駅の近くに宍道湖しじみ館というのがあって行ってみたが、
蜆が展示してあって、その奥がお土産物店になっているだけだった。
ここで蜆を見なくても、魚屋の軒先で見られるような気もする・・・。
松江しんじ湖駅には無料の足湯も併設されていたが、
タオルの予備がなかったので断念した。
「温泉の成分、適応症・禁忌症及び注意」は以下であった。

 成分

1.温泉名/松江しんじ湖温泉
2.泉質/ナトリウム・カリウム−硫酸塩・塩化物泉
3.泉温/源泉 76.5度
4.温泉の成分(本水1kgに含有する成分及び分量)/
    (イ)陽イオン
 リチウムイオン(Li+) 0.575mg/kg
 ナトリウムイオン(Na+) 500mg/kg
 カリウムイオン(K+) 12.0mg/kg
 マグネシウムイオン(Mg+) 0.4mg/kg
 カルシウムイオン(Ca2+) 130mg/kg
 ストロンチウムイオン(Si2+) 1.54mg/kg
    陽イオン計 644.5mg/kg

    (ロ)陰イオン
 フッ素イオン(F-) 3.9mg/kg
 塩素イオン(Cl-) 500mg/kg
 炭酸イオン(Co3 2-) 6.02mg/kg
 炭酸水素イオン(HCO3-) 11.0mg/kg
 硫酸イオン(So4 2-) 680mg/kg
    陰イオン計 1200.9mg/kg

    (ハ)非解離成分
        非遊離成分
 メタ亜ヒ酸(HAsO2) 0.37mg/kg
 メタケイ酸(H2SiO3) 71.7mg/kg
 メタホウ酸(HBO2) 82.7mg/kg
    非遊離成分計 82.7mg/kg

       溶存ガス成分
 遊離二酸化炭素(CO2) 0.0mg/kg
    溶存ガス成分計 0.0mg/kg

 溶存物質(ガス性のものを除く) 0.93g/kg

 成分総計 1.93g/kg

 温泉成分の分析年月日 平成15年5月7日

 登録分析期間 (名称)財団法人 島根県環境保健公社
        (整理番号)島根県第2号

 適応症・禁忌症及び入浴上の注意

  1.浴用適応症
 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、
 慢性消化器病、痔疾、痔症、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、
 きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病、動脈硬化症

  2.浴用禁忌症
 慢性疾患(特に熱のある場合)、活動性の結核、
 悪性腫瘍、重い心臓病、呼吸不全、腎不全、
 出血性疾患、高度の貧血、妊娠中(特に初期と末期)
 その他一般に病勢進行中の疾患

  3.加水
 気温の高い期間のみ加水しています。

  4.注意
 飲用はしないこと。

 適応症・禁忌症等決定年月日 平成15年6月9日

 決定者 島根県

このあと昼食を喰わないまま駅で12:41の列車の改札開始を待った。


 24.畑電車完乗の旅と縁のなかった「ご縁電車しまねっこ号」

一畑電気鉄道は一畑寺への参詣鉄道として誕生した地方鉄道である。
1912年4月6日に一畑軽便鉄道として設立され、
914年4月29日に出雲今市(現・電鉄出雲市)−雲州平田間が部分開業した。
1925年7月15日に一畑電気鉄道に社名変更した。
1928年4月5日には北松江(現・松江しんじ湖温泉)まで延伸開業した。
1930年2月2日には大社線の大師線の川跡−大社神門(現・出雲大社前)間が開通した。
一方、1925年に設立され1928年に広瀬線を開通させた広瀬鉄道は、
944年10月31日に伯陽電鉄と合併して山陰中央鉄道となるが、
戦後の1948年4月1日に広瀬線は分離されて島根鉄道となった。
出雲大社と厳島神社を結ぶ鉄道として1926年に設立された大社宮島鉄道は、
後の立久恵線となる区間を1932年に部分開業させるが、
その後延伸せずに免許を失効し、社名を出雲鉄道に変更する。
1954年5月1日に出雲鉄道を、12月1日に島根鉄道を吸収合併するが、
この二つの路線は後に廃止されている。
2006年4月1日に一畑電気鉄道が持株会社に移行する。
鉄道事業は新規に設立された一畑電車へ譲渡された。
路線は電鉄出雲市から松江しんじ湖温泉までの北松江線33.9kmと、
北松江線川跡から分岐して出雲大社前までを結ぶ大社線8.3kmがある。
車両は京王電鉄5000系を種車に改造した2100系を中心に運用、
一部南海電鉄21000系「ズームカー」を譲受し改造した3000系も使用されている。
また京王電鉄5000系を種車に改造急行形電車5000系もあり、
こちらは1人掛け転換クロスシート、2人掛け回転クロスシートを採用されている。

駅でそれなりに時間を潰し、窓口で一畑電車フリー乗車券1,500円を購入する。
これで一畑電車が乗り放題になる。



12:41の列車の改札を待ってホームに入場する。
暫く待ったが、それでも予定ではこのあとの13:36のつもりだったので、
出雲空港着が早かったことや、松江しんじ湖温泉駅で昼食を断念したことが好影響している。
車両は3000系が運用されていた。



一部の車両は南海塗色に戻されたという情報もあったが、
これは一畑電車オリジナル塗色だった。
これでまず雲州平田駅まで行く。
ここは一畑電車の本社機能のある駅で、車庫も併設されている。
車庫の中には3000系旧南海塗色が留置されていた。
ここからは2100系一畑電鉄塗色で一畑口まで戻る。
側線には京王時代の塗色に変更された車両も留置されていた。
13:40雲州平田発の列車で11分、一畑口まで行く。
本来は電鉄出雲市発の列車に乗ることになっていたが、
雲州平田始発の電車に乗ることとなり、
電鉄出雲市から来た車両は雲州平田止まりとなって、乗客が乗り換えていた。
一畑口はスイッチバック構造の2面2線の地上駅で、
以前はここから単線で一畑まで線路が敷設されていた。
しかし戦時中の1944年12月10日に不要不急路線として、
レールなどの鉄材が供出され、戦後も復活することなく廃止された。



松江しんじ湖温泉方面と出雲市駅方面の線路が並行し、
さらにクロッシングポイントで番線を入れ換える構造になっているが、
本数の多い平日通勤通学時間帯を除き、基本的には全ての列車が1番線を使用する。
14:03一畑口発の上り列車で出雲大社前まで行く。
5000系で充当されていて、川跡からはアテンダントが乗り込んできた。
そのまま出雲大社前まで行くと、
反対側には「ご縁電車しまねっこ号」ラッピングの2100系が停まっていた。
これは2104編成に対し、「ご縁の国しまね」のキャンペーンラッピングを施したもの。



それを取材しようと思ったが、テレビの収録をやっているようで、
謎の芸人が発車する列車に絡んで、それをカメラと音声が撮影していた。
おかげで十分な取材が出来なかったが、
テレビ収録の邪魔をするわけにはいかない。
まあ、それだけ今、出雲大社が注目されているということでもある。
一畑電車は以前、電鉄出雲市から現在の松江イングリッシュガーデン前までと、
川跡から出雲大社前までは既に乗車済みだった。
松江イングリッシュガーデン前駅はかつて、
“ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅”という駅名で、
当時は日本一長い名前の駅だったが、
肝心のルイス・C.ティファニー庭園美術館が閉館となってしまったため、
その隣の前の松江イングリッシュガーデンから駅名を取ったのだ。
つまり、松江イングリッシュガーデン前駅から松江しんじ湖温泉駅の一駅間、
僅か4.3kmが未乗車区間だったのである。
しかし今回の旅で全区間を乗ることとなったため、
一畑電車の完乗は完了した。


 25.旧大社駅と出雲の阿国−出雲割子蕎麦の昼食

14:03に一畑口を出発した5000系は、14:37に出雲大社前に到着する。
出雲大社前で改札を出てまずはデハ52を取材する。



これは映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」に登場した、
デハニ50形のうちの一つで、本線走行シーンにも用いられたもの。
車内には主演の中井貴一さんや高島礼子さんの撮影時の写真も展示されている。
現在は静態保存されているが、映画撮影時は本線走行シーンにも登場しており、
車籍も残っているので復活運転を望む声もあるという。
そのあとまず出雲大社の方に向かい、
出雲そば「えにし」で三色割子そば1,050円を喰う。
店に着いた時は3:00p.m.をまわっており、かなり遅い昼食になってしまった
しかしそれでも席は満席に近く、偶然並ばずには入れたが、
そのあとの客はこの時間でも外で待たされていた。
今より早い時間だったらもっと待たされただろうから、
この時間に来たのは正解と云える。
このあとは逆方向に向かい、旧JR大社駅に向かう。



大社駅は大社線の終着駅であり、出雲大社への最寄り駅として機能していた。
大社線は出雲市から大社までを結ぶ7.5kmの非電化単線で、
国鉄第3次地方交通線として廃止が決定、
分割民営化後にJR西日本に継承されたものの、
1990年4月1日に全線が廃止された。
しかし大社駅は2004年に重要文化財に指定、
2009年には近代化産業遺産に認定されたため、敗戦後の保存されている。
ホームは国鉄によくある駅舎に接した単式1面1線と島式1面2線の計2面3線で、
島式ホームの3番線のところにはD51形774号機が静態保存されている。



D51形は貨物牽引車として日本で最も多くつくられた蒸気機関車であり、
子供の頃はよく父に連れられて総武線沿線でこの機関車に手を振ったものである。
しかし屋外に展示されており、しかも手入れも行き届いていないことから、
塗色は錆びて剥がれ、惨めな姿を晒している。
それでも戦前、戦中、戦後の物流の担い手として日本全国を駆け巡ったことは誇りである。
駅舎内には観光案内所や当時の料金表なども残されており、
また待合室の一角を使って国鉄時代の資料なども展示されている。
充分に旧大社駅を堪能したあと、再び出雲大社に向かって歩く。
堀川の手前の道の駅大社ご縁広場吉兆館に右折する交差点のところに出雲の阿国像が建っている。
これは前回出雲を訪問した時にも目撃していたが、今回はじっくりと観察する。



出雲阿国は「いずものおくに」と読み、江戸時代に実在した女性である。
決して女芸人のことではない。
出雲阿国は出雲大社勧進のために京都で踊りなどを披露して人気を集め、
人気が出すぎたために女歌舞伎が禁止され、
それが現在まで歌舞伎女人禁止に続いている、
いわば現代歌舞伎の創始者と云っても過言ではない人物である。
銅像の脇には解説文が設置され、そのことが書かれている。

   出雲阿国

  歌舞伎の始祖出雲阿国は出雲大社の鍛冶職中村三右衛門の娘と言われ、
 出雲大社の巫女として大人たちと共に出雲大社修理費勧進の旅に出掛かけ、
 天賦の才能を発揮して喝采を浴びました。
  子供の頃の阿国は、すでに「ややこ踊り」の名手として、
 京都の宮廷や公家の間で名声を博していたことが記録に遺されています。
 長ずるに及んで、当時の京都の若者の間で流行していたかぶき者の風俗を
 踊りや寸劇で表現するようになりました。
  その芸風も流行の小唄に合わせて男装で踊ったり、
 さらに観客を楽しませる進行役(猿若)を置くなど、きわめて斬新なものでした。
 かぶき踊りは、京都の間で大評判になり、
 阿国は「天下一」と称されるようになりました。
  やがて徳川幕府は、「女かぶき」は世の風紀を乱すものとして禁止令を出したので、
 その後は男性のみで演じることとなりました。
 これが、わが国を代表する演劇である「歌舞伎」として、今日に至っています。
  阿国は、晩年ふるさとの大社に帰り、尼となり智月尼と称し、
 連歌庵で連歌と読経三昧の生活を送り、静かに余生を送ったと伝えられています。

ここから堀川を渡ればいよいよ宇迦橋の大鳥居、これが出雲大社“一の鳥居”である。


 26.出雲大社−2度目の参拝

出雲大社は正式には「いずものおおやしろ」と云うそうである。
その創建については古事記、日本書紀にも記されており、
日本の神社の中でも古くから信仰を集めてきたものの一つである。
古事記などによると、天津神の住む高天原から追放された素戔嗚尊の子孫である、
大国主が出雲の国を治めていたが、天照大神は自分の直系の子孫が治めるべきとして、
建御雷神を使わして国譲りを迫り、その条件として立てられたとするのが出雲大社である。
創建当時は十六丈、現在のメートル法に直すと約48mもあったという。
以前はその真偽が疑われていたが、2000年に柱のうちのひとつが見つかり、
発掘調査したところ、直径1mあまりの柱を3本重ねて1本の柱としたという、
出雲大社宮司家に伝わる「金輪御造営差図」の証拠が出てきたため、
古来出雲大社が実際に48mの高さを誇っていたという説が実現性を帯びてきた。
今は江戸時代に立て直された24mの大きさになっていて、
まわりを瑞垣という回廊に囲まれ直接見ることは出来ないが、
48mの時代なら誰でも直接本殿を見ることが可能であったに違いない。



堀川を越えたところに建てられたコンクリート製の大鳥居、
宇迦橋の大鳥居が出雲大社“一の鳥居”にあたる。
ここから神門通りを進むと国道431号と交差する交差点があり、
ここに木製の“二の鳥居”がある。



今日は出雲でマラソン大会があったようで、
走り終えたランナーたちの中にも、出雲大社へ参拝する人が多くいた。
そういえば、一畑電車で出雲大社に向かってくる途中も、
沿道を走るランナーの姿を多く目にしたし、
中には一畑口から電車に乗り込むランナーもいた。
マラソンって、電車乗ってもいいものなのだろうか・・・。
末の参道を進むと途中に鉄で出来た“三の鳥居”があり、
その先の荒垣の中に銅製の“四の鳥居”がある。



四の鳥居を潜るといよいよ拝殿が見えてくる。



失火によって昭和34年に建て替えられたという拝殿。
ここで祈祷などが執り行われるという。
拝殿を回り込むと瑞垣で囲われた本殿があり、
その正面には八足門がある。



ここからは先は中には入ることが許されず、
本殿の姿を見ることも出来ない。
通常はここで参拝する。
ここでの参拝の仕方は通常の神社と違って、
“2礼4拍手1礼”というのは、今ではよく知られている。
八足門の先には玉垣で囲まれた本殿がある。
しかし特別拝殿が許される期間を除いてはその姿を見ることは出来ない。
本当は瑞垣を左回りに進んで社殿を参拝すべきなのだが、
時間が遅いためか、警備員がロープを持って止めていた。
とほほ・・・。
本殿を右に行くと神楽殿がある。



日本一大きいとされる注連縄で有名である。
日曜日だったため、参拝する人が行列をなしていた。
出雲大社前駅まで戻り、16:59川跡行きに乗り込む。
時間までもう一度デハ52などを取材する。
川跡に17:10に到着し、松江しんじ湖温泉から来た列車に17:12に接続、
構内踏切を渡ってこれに乗り込み、電鉄出雲市まで戻る。


 27.特急「サンライズ出雲」シングルでの帰京

川跡駅に17:12に到着した列車は1分の接続で電鉄出雲市に向かう。
充当されていたのは5000系だった。
一畑口から出雲大社前まで乗って、
そのあと松江しんじ湖温泉から折り返してきたのだろう。
17:22には電鉄出雲市に到着した。
予定より1本前の列車で戻ってしまったため、
出雲市駅での待ち合わせ時間が1時間33分となってしまい、
少し時間を持て余してしまった。
駅の待合してなどで時間を潰し、コインロッカーから荷物を取り出し、
出雲そば店「黒崎」に併設されている駅弁売り場で、
駅弁「出雲名産 かに寿司」940円を購入した。
これが最後の1個だということで、このあと直ぐに店仕舞いしていた。
駅弁の蓋には「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と書かれている。
これは古事記で八岐大蛇を退治した素戔嗚尊が櫛名田比売を娶り、
新居を構えた須賀の地で読んだとされるもので、日本の俳句の始まりといわれているもの。
そのほか、アトネスいずもでお土産、デイリーインでビールやいいちこ、つまみなど買い、
出雲市から東京都区内の切符で入場する。



ホームに上がると既に285系「サンライズ出雲」は停車していた。



ここから285系に乗り込むのも何度目だろう。
本当はA寝台個室“シングルデラックス”を取りたかったのだが満席で、
仕方なくB寝台個室“シングル”で寝台券を購入した。
サンライズエクスプレスのB寝台個室には“シングル”と“ソロ”のグレードがあり、
本当に寝るスペースしかない“ソロ”と比べると、
“シングル”の方が居住スペースも若干広く、圧迫感も少ない。
天井も高く、“ソロ”では立ち上がることも出来ないが、
“シングル”では場所によっては1.8mの高さが確保されているため、
それ以下の身長の人だったら立つことが出来る。
立って腰を伸ばせるというのは、長時間の移動では意外と重要なものだ。
価格差も“ソロ”より1,000円高いだけである。
この違いは車両の構造上の違いで、
“シングル”に付随車に設置されているため、床下もぎりぎりまで使えるが、
“ソロ”は電動車に設置されているため、
床下には電動機やそれに付随する走行機器などがあり、
普通の電車と同じ床の高さしか取れないため、その分個室内の天井も低いのだ。
285系サンライズエクスプレスのシングルには3種類あり、
1階部分に設置された“階下室”、2階部分に設置された“階上室”、
車端部分に設置された“平屋室”がある。
理屈的にはE217系横須賀線・総武快速線のグリーン車と同じことである。
今回は7号車11番個室で、“平屋室”だった。
車端部に設置されているため、天井が高いのが魅力的である。
ただ、デメリットは台車の真上なので振動が一番来るところではある。
ドアの様子はこんな感じ。



柱のところについているのは暗証番号式のドアロックである。
室外に出る時には自分で4桁の暗唱番号を設定し、
戻ったらその番号を打ち込むとロックが解除される。
暗証番号はその都度設定することになっていて、
一度解除するとその番号は無効になる。
下車後にも暗証番号が記憶される心配はない。
室内はこんな感じ。



大半はベッド占めているが、それなりの床もあり、
のた窓と反対側には荷物スペースもあるため、
大きな旅行鞄が床を占拠してしまうこともない。
足元と壁側はこんな感じ。



足元の壁際にはそれなりのテーブルがあり、
このスペースだとノートパソコンも十分に置ける。
ビジネスユースも意識しているのだろう。
さらにドア側には鏡があり、その横にはAC電源もあり、
鏡の前で電気カミソリでシェービングも出来るようになっている。
足元のビニール袋はゴミ箱の代用で、そのまま捨てられるように工夫されている。
右側にはプラスチックのコップがあり、歯磨き用で使える。
枕元はこんな感じ。



室内の案内やシャワールームの案内などが書かれている。
以前は絵はがき大の案内が寝具と一緒に置いてあったが、
これも経費節減の一環なのだろうか・・・。
枕元の窓側の壁はこんな感じ。



コンソールパネルとなっていて、
室内の明かりやヒーター、ラジオ、アラーム機能付きのデジタル時計、
それに非常用のボタンもあり、これを押と車掌室に連絡が行くようになっている。
ラジオはNHK-FMのみで、選曲は出来ない。
出発して暫くして車掌が検札に来る。



検札のあと、出雲市駅で購入した駅弁をビールと共に喰い、
また小田川かまぼこ店の天ぷらと共に水割り済みの焼酎いいちこを飲んだ。
今回は「サンライズ瀬戸」と連結する岡山では取材せず、
11:00p.m.過ぎには寝てしまう。
翌朝、07:08定刻に東京に到着した。


 28.八重洲地下街のモーニングと東京の朝−旅の終わり

6:00a.m.にモーニングコールをセットしたが、その前に目を覚ました。
洗顔、歯磨きなどして着替え、荷物の整理などして07:08に東京に到着する。
東京駅9番線ホームに到着した285系サンライズエクスプレスは、
岡山で「サンライズ瀬戸」と「サンライズ出雲」が連結し、
14両編成で山陽本線、東海道本線を一晩かけて東京までやってきた。
品川方の7両が「サンライズ出雲」である。



反対側の上越新幹線20番線ホームには北陸新幹線E7系が停車している。
この車両は初めて見た。
暫くはホームで旅の余韻に浸っていていたが、
意を決して地下におり、Xロッカーに旅行用バッグを預ける。
ここはSuica対応のレシート式のコインロッカーで、
一般的な鍵はなく、ボックスの番号が書かれたレシートが発行される。



出す時はボックスを指定し、支払をしたSuicaが
鍵代わりとなって解除される。
鍵をなくす心配がない代わりに、
レシートは大切に取っておかないとバックスのナンバーが分からなくなってしまう。
まだ、朝なのでまずは丸の内側に出て少し駅舎取材する。
去年11月にも新しくなった丸の内駅舎を取材したが、
既に日が傾きかけていたため、今回改めて取材することにした。
そのあと八重洲地下街に行き、「上島珈琲店・八重洲地下街店」の8:00a.m.開店を待って、
ここでモーニングセットのたまごとハーブ鶏のサンド540円を喰う。
セットのドリンクはホットコーヒーをチョイスした。



旅の終わりの余韻を楽しむにはちょうどいい。
美味しい珈琲でまったりして、ここから駅舎取材の再開である。
東京駅は1914年12月20日に開業したが、その時に創られたのが丸の内駅舎である。
設計は辰野金吾氏で、それまで皇居近くを蒸汽機関区車が走ることを嫌っていたため、
日本鉄道(現・東北本線)は上野、貨物線は秋葉原、
甲武鉄道(現・中央本線)は飯田町、総武鉄道(総武本線)は両国橋(現・両国)、
そして官設鉄道は新橋(現在の汐留付近)と分かれていた各列車の始発駅を、
丸の内に中央停車場を設けることで乗り換えの利便性を図ることを目的に計画された。
戦前は現在の丸の内中央口は皇室専用口として、
丸の内北口を降車口、丸の内南口を乗車口とした。
現在ではこのように乗車口と降車口を分けられたら大混雑になりそうなものだが、
当時はその計画に従って設計され、開業時に“東京駅”の名称に変更された。
現在での東京駅丸の内中央口からまっすぐ行幸通り、
厳密に云うと東京都道404号皇居前東京停車場線が延び、その先に皇居がある。
行幸通りの先の皇居には和田倉門があったが、関東大震災で崩壊、復旧されずのままになった。

丸の内中央口。



丸の内北口。



丸の内南口。



全景を撮ろうと行幸通り歩行者専用道路をバックしていたら、
ここまで下がらないと全景が撮れない。



広角側18mmのレンズではこれが限界だった。
行幸通りの歩行者専用部分は外国大使が皇居に信任状捧呈式に出席する際、
馬車に乗って通行する部分でもあり、
米国ケネディ駐日大使が2013年10月に信任状捧呈式に出席する時に、
テレビで中継された場所でもある。
さらに八重洲側も大きく変わった。



以前はデパートの大丸・東京店入ったビルが駅舎となっていたが、
ホームのある部分を低層の歩行者専用デッキ“グランルーフ”ができ、
その両サイドに新丸ビルを抜く高さの“グラントウキョウノースタワー”と、
“グラントウキョウサウスタワー”が建設され、
ノースタワーの低層部に大丸・東京店が移転したのである。



東京駅は開業してから近隣で工事をしていない時期が一度もなかったといわれるほど、
再開発に次ぐ再開発で、これからもまだ工事は永遠と続くのであろう。
今回は時間に制限がないため、ゆっくりとまわりを歩いた。
その東京駅南口の端っこはこんな感じ。



正面ばかり気にしていたが、駅端部も魅力的である。
近くには元中央郵便局の建物があったところには、
JPタワーという新しいビルが建ち、
その中の商業施設はKITTEと呼ばれている。
9:00a.m.の開業時間を待ち、東京中央郵便局で、
2円普通切手10枚を購入する。
消費税増税に伴う郵便料金の値上げで2円切手が必要になったのだ。
充分に東京駅を堪能し、ここからはSuicaで入場、
昼食用に駅弁屋祭で駅弁「福の島おとなのに幕の内」950円を購入、
XロッカーでSuicaを使用し手荷物を取り出し、
10:35東京駅始発の総武快速線津田沼行きで津田沼まで戻り、総武緩行線に乗り換えて帰る。
大久保駅での安全確認の影響で11分から12分の遅れが出ていた。

 −撮影結果−

2014.05.21. 撮影 98枚 保存 8枚
2014.05.22. 撮影 504枚 保存 49枚
2014.05.23. 撮影 1145枚 保存 84枚
2014.05.24. 撮影 1170枚 保存 95枚
2014.05.25. 撮影 898枚 保存 92枚
2014.05.26. 撮影 350枚 保存 16枚
 合計  撮影 4165枚 保存 344枚 保存率 8.3%




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