名鉄まるごと2日間の旅 2014




 1.闘病中の旅行計画と治療の断念

今年3月に悪性リンパ腫の再発が見つかり、検査を積み重ねて7月より抗癌剤治療を開始した。
抗癌剤治療は正常な白血球にも影響を及ぼしてしまうため、
点滴での投与のあと白血球減少が始まりそれがある程度戻るまで入院し、
いったん退院して再度抗癌剤治療に堪えうるまで数値が戻ったら再入院する。
予定では3回の抗癌剤治療のあと、末梢血の幹細胞を採取して冷凍保存し、
後半は自己末梢血を移植しながら大量化学療法を行うことになっていた。
しかし3回目の治療の最後に行う予定だった末梢血採取が可能な量に戻らず、
予定外の4回目の入院をしてエンドキサンという抗癌剤単体を大量投与して、
再び末梢血の採取を試みたが上手くいかなかった。
結局前半の抗癌剤投与で治療を中断することになってしまった。

千葉県がんセンターは病室にLANソケットが設置され、
別料金を取られることなくネットが使い放題になっている。
そこで2回目の入院から予備機として持っていたノートパソコンを持ち込んだ。
入院中の暇潰しとしてJTBパブリッシングの「JR私鉄全線乗りつぶし地図帳」を購入し、
自分のホームページやブログを見ながら蛍光ペンで乗車区間を塗りつぶしていった。
日本全国に鉄道写真を撮りに行っていてほとんどの区間を乗りつぶしていると思っていたが、
意外と乗っていない区間が多いことに気がついた。
今現在は乗りつぶしは特にやっておらず、今後も今すぐやるつもりはなかった。
将来、定年退職後の楽しみに取っておこうと思っていたのだ。
しかし未乗車区間が意外と多いことに気付いたため、
今後の旅行計画では乗りつぶしにも配慮しながら計画していこうと思った。
勿論、基本は車両取材や駅取材が中心であることに変わりはないが、
その中でルート決定には乗ったことのない路線を優先していこうと思ったのだ。

また暇潰しに旅行計画を立てていった。
主治医からの治療計画の話によると、治療には約半年を予定しているとのこと。
つまり7月から治療を開始しているので来年3月に終了することになる。
この時期は春の「青春18きっぷ」の利用区間に合致するので、
社会復帰の前に闘病に耐えた自分へのご褒美として「青春18きっぷ」の旅を企画した。
入院中は日和見感染の対策としてなるべく他人に会わないようにしていたため、
入浴とトイレ以外は病室のベッドから出られなかった。
そこで暇潰しにどんどん旅行計画を立てていった。

「青春18きっぷ」の春季の利用期間は3月1日から4月10日の40日間である。
そこで今回は休職中であることもあり、2枚10回分を使った旅を計画した。
そのうち4回分を使って山陰本線乗りつぶしに挑戦する。
空路を使って山口宇部空港に降り、山陽本線経由で幡生まで行き、3泊で京都を目指す。
あとは2回分を使って1泊で紀勢本線を乗りつぶす紀伊半島の旅、
2回分を使って宮崎空港に降りて未乗車区間の吉都線、指宿枕崎線を乗りつぶす。
残りの4回分については吾妻線新線完乗や久留里線完乗、成田線成田−我孫子間の全駅取材など、
1回分ずつの旅を挟んで10回分を使い切る。

ところが治療が上手くいかず、11月に最終的に治療を断念することになった。
それによって社会復帰も早まることになり、春季の「青春18きっぷ」の計画もご破算となってしまった。
そこで冬季の「青春18きっぷ」で再度計画を練り直すことになったのだ。


 2.名鉄電車2DAYフリーきっぷの旅の計画

名古屋鉄道はその名の通り、名古屋を中心に中部地区に路線を延ばす大手私鉄である。
名古屋以西を敷設した名岐鉄道と名古屋以東を敷設した愛知電気鉄道が合併して誕生した。
その他にも多くの鉄道会社を合併し、現在の路線を確立していった。
名古屋鉄道に関しては2002年9月にナゴヤドームに野球を観に行った時、
早めに名古屋入りして名鉄ナゴヤ球場前(現・山王)で車両取材したことはあるが、
乗車区間はそれだけでほとんどの区間は乗ったことがなく、
勿論中部国際空港の開港に合わせて登場した「ミュースカイ」などの車両取材は手つかずだ。

名鉄には大手私鉄には珍しく全線乗り放題の設定の企画切符がある。
名鉄全線1日乗り放題の「まる乗り1DAYフリーきっぷ」である。
価格は3,100円で昼間帯だったら特別車にも乗れる。
但し、座席の指定は出来ず、指定席を購入した乗客が来た時には席を譲るのが条件である。
さらに2日間有効の「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」もあり、価格は4,000円である。
以前からこのきっぷの存在は知っていたし、何れはこれを使って名鉄の集中取材もしたいと思っていた。

そこで入院中に「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を使うことを前提とした2日の計画を立てた。
計画を立てた時点では直ぐに実行するつもりはなく、
社会復帰したのちに何れ土日を使って計画を実行できればいいなという漠然とした計画だった。
最初は行きは空路を利用して中部国際空港に降り、そこから取材を開始するつもりだったが、
いろいろと計画を練って行くにあたり、行きも帰りも新幹線を利用することにした。
計画の制定にあたっては新羽島での駅取材を前提とした。
名鉄の新羽島駅はJR岐阜羽島駅と隣接しており、岐阜羽島はJR在来線と接続のない新幹線駅である。
つまり新幹線に乗ってわざわざ途中下車するか、名鉄で新羽島まで行くしか駅取材が出来ない。
そこでこの駅に行くことを前提に計画を立案し、
また名鉄とJR高山本線とほぼ併走する形で敷設される各務原線で両駅を取材できる駅を選定、
犬山線、広見線、小牧線で駅取材をしながら名古屋市営地下鉄名城線経由で栄まで行く。
宿泊は「ホテルルートイン名古屋栄」を選んだ。
栄は名古屋地区での繁華街であり、名古屋駅前よりもホテルの価格が安いということもあるが、
それ以上にこの地を宿泊地に選んだのは味噌煮込みうどんを食べたかったからである。
味噌煮込みうどんの名店「山本屋総本家」に行ってみたかったのだ。
二日目は尾張瀬戸に行って「瀬戸蔵ミュージアム」でモ750形モ754のカットボディを取材し、
新安城から西尾線、蒲郡線で蒲郡まで行き、時短のためにJR東海道線で豊橋まで移動する。
ここから別料金になるが、豊橋鉄道渥美線の乗りつぶしを行い、豊橋から東海道新幹線で帰京する。

この計画はあくまで何れ行くつもりで計画していたのだが、
抗癌剤治療が途中で挫折し、それによって社会復帰前の旅行計画も大幅に変更を余儀なくされた。
日本海側は雪が厳しい地区であるし、山陰本線の各駅停車の旅は冬季には難しい。
そうなると「青春18きっぷ」も2枚は必要ない。
そこで計画を大きく見直し、1枚5回分を紀勢本線の旅2回分、吉都線と指宿枕崎線の旅で2回分、
あと1回分は日帰りの旅で使うことにした。
冬季は年末年始の帰省ラッシュの時期と重なるのであまりタイトに計画は立てられない。
しかしそれでは当初の予定よりは縮小してしまったため、
その穴埋め的な意味合いも込めて「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を使った旅を復帰前に実行することにした。


 3.計画決定と指定席券売機の大失態

12月10日から「青春18きっぷ」の利用開始時間となるため、
「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を使った旅はそれ以前、
12月第1週は千葉県がんセンターへの通院があるため、
その前の11月第4周に計画を決行することに決め、
11月26日水曜日、27日木曜日に決めた。
それに合わせてネット経由で「ホテルルートイン名古屋栄」に予約を入れた。

11月26日水曜日は東海道新幹線の一番列車である「のぞみ1号」で名古屋まで行き、
名鉄名古屋で「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を購入する。
名鉄名古屋本線で笠松まで行って竹鼻線に乗り換え新羽島へ。
JR岐阜羽島駅を取材してから名鉄岐阜に移動する。
昼食後に各務原線で新那加、名電各務原、新鵜沼と途中下車しながら犬山に行く。
広見線を乗りつぶして犬山まで戻り、小牧線で平安通まで行き、
別料金で名古屋市営地下鉄名城線で栄まで行ってホテルルートイン名古屋栄にチェックインする。

11月27日木曜日は栄町から瀬戸線で尾張瀬戸まで行き、
「瀬戸蔵ミュージアム」で保存展示されているモ750形モ754のカットボディを取材、
栄町まで戻って別料金で名古屋市営地下鉄名城線で金山に行き、
名古屋本線で新安城、北安城で昼食を喰い、南安城まで歩いて西尾線で吉良吉田、
蒲郡線で蒲郡まで行き、別料金でJR東海道線に乗り換え豊橋まで行く。
豊橋鉄道渥美線を別料金で乗りつぶしてから東海道新幹線「ひかり530号」で帰る。

この計画に従って、10月27日にJR幕張駅の指定席券売機で、
往復の新幹線指定席特急券と乗車券を購入した。
しかしこの時に大きな失態をやらかしたのである。
行きの新幹線は名古屋で下車するが、帰りは豊橋から乗り込む。
そこで乗車券は別々に買わなければならないのに、
10月27日分の幕張から名古屋までの乗車券を、
指定席券売機の操作を誤って往復で購入してしまった。
そのことに気付いたのは自宅に戻ってからだった。
帰りの乗車券が名古屋からと豊橋からの2枚になってしまったのである。
本来なら豊橋からの切符でいいのだが、往復で割引になっているため、
名古屋からの切符を生かし、豊橋からの切符を払い戻すことにした。
11月5日水曜日に千葉県がんセンター通院の帰りに、
JR千葉駅のみどりの窓口で「豊橋→幕張」の乗車券を払い戻した。



手数料は220円だった。
何はともあれ、これで準備は出来た。
1週間前の天気予報では両日とも晴れとなっていたのだが、
計画日が近づくにつれて予想が悪化し、とうとう26日水曜日は終日雨の予想となってしまった。


 4.雨の旅立ちと全面予定変更な一日目

当日は3:50a.m.に起床し、初電の04:40に乗り込む。
家を出る時にも天気予報通り本降りの雨が降り続いていて、
機動力確保のために折りたたみの傘を差す。



秋葉原で京浜東北線に乗り換えて東京に行く。
幕張で初電に乗り込んだ時には疎らだった乗客だが、
05:23に京浜東北線に乗り込んだ時には既に混雑していた。
東京で下車して東海道新幹線の改札口に行ったが時間が改札口はまだ空いておらず、
少し待ってから新幹線改札口を潜る。



東海道新幹線「のぞみ1号」N700系は既にホームに停まっていた。
売店で駅弁「東海道新幹線50周年記念弁当」1,000円を購入して車中で喰う。
06:00に東京駅を出た「のぞみ1号」は1時間36分で名古屋に到着する。
桜通口から出て名鉄名古屋駅に行き、窓口で「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」4,000円購入する。



窓口のある場所が分からず少し迷った。
この切符はその名の通り、今日と明日の2日間有効の切符である。
名古屋についてもまだ雨が降っていて駅取材は不可能と判断し、
取り敢えず乗り潰しを決行しようとホームに来た急行電車に乗り込む。
須ヶ口から津島線に入る列車で、津島駅で下車、尾西線で佐屋経由で弥富まで行く。
ここで少し小降りになってきたので駅取材を決行、
折り返し列車が名古屋本線から西尾線に入って吉良吉田行きだったため、
この列車の終点までそのまま行く。
西尾線は明日取材予定だったが、そのまま蒲郡線に入って終点まで行く。
昼は北口の「麺屋しずる」でラーメン全部盛り・並1,030円を喰う。
雨は降っていたが傘を差して北口の駅取材を強行、吉良吉田まで戻る。
ここでもまだ雨が降っていたので駅取材は断念し、弥富行きに乗り込む。
雨は午後になっても止みそうにもないため、栄に向かうことにした。


 5.瀬戸蔵ミュージアムと夜の栄

吉良吉田で乗った弥富行きで金山まで行くつもりだったが、
途中の豊明で留置している電気機関車を見掛けて急遽途中下車することにした。
2両の小型電気機関車が3両のホッパ車を挟んで連結されている。
外はまだ小雨が降っていたが、駅取材と留置車両を強行取材する。
ここで充分取材してから金山に向かう。
金山は名鉄名古屋本線のほか、JR東海道本線と中央本線、
それと名古屋市営地下鉄名城線、名港線が接続している。
そのため駅舎は鉄道会社を冠するのではなく、「金山総合駅」の看板を掲げている。
名鉄とJRとは直接乗り換えられる中間改札が設置されていた。
間違って中間改札に「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を入れてしまう。
駅員が出てきて、出口を教えて貰った。
南口、北口を取材してから地下に降り、名古屋市営地下鉄名城線で栄まで行く。
栄の地下街から名鉄瀬戸線栄町に行き、栄線に乗り込む。
名鉄は日本で3番目の路線延長距離を誇っており、ほとんどが名古屋本線から繋がっているが、
瀬戸線だけは路線が独立していて、移動には地下鉄に乗らなければならない。
瀬戸線も明日の午前中に行く予定だったが、まだ時間が早いので前倒しで乗りつぶす。
終点の瀬戸尾張まで行き、徒歩約5分の距離にある「瀬戸蔵ミュージアム」に行く。



ここは瀬戸焼の文化を伝える施設として、観光施設「瀬戸蔵」の2階部分に設置されている。
瀬戸は瀬戸焼と呼ばれる焼き物で有名な窯元のある場所であり、
現在の名鉄瀬戸線はもともとこの瀬戸焼を輸送するために地元の実業などが出資し、
瀬戸自動鉄道の名で設立されたのが始まりである。
「瀬戸蔵ミュージアム」には瀬戸線で活躍したモ750形モ754のカットボディが展示されている。
これを取材したくてここまで来たのだ。



入場料500円で入場し、館内をゆっくりと見る。
瀬戸焼だけでなく、焼き物の歴史が分かるように有史からの焼き物の展示もあった。
尾張瀬戸まで戻って瀬戸線で栄町まで行く。
予定では「山本屋総本家」に行き、味噌煮込みうどんを喰うことになっていたが、
すっかり日も暮れていて地図をプリントアウトして持参したのだが場所が分からず、
先に「ホテルルートイン名古屋栄」にチェックインする。
荷物を置いて夜の栄の街を彷徨したが、
昼間のラーメンがいわゆる“二郎系”でかなりヘヴィーだったので、
今でもそれほど空腹というわけではなく、「CoCo壱番屋・中区東新町店」で、
フライドチキンカレー\648、オレンジジュース\103など喰う。



サークルK名古屋東新町店でビールやつまみなど買い、ホテルに戻って飲む。


 6.快晴と予定逆行の二日目

前日は早朝からの取材で疲弊していて、ビールを飲んでいる途中で眠くなり、
10:00p.m.過ぎには寝てしまった。
それでも疲労は蓄積していたのか、モーニングコールで漸く目が覚めた。
5:00a.m.から1階の大浴場が開くのでタオルだけ持って朝風呂を楽しむ。
平日だけあってビジネスマンが多いのか、朝一で風呂に来る人も何人かいた。
部屋に戻ってクールダウンし、6:30a.m.からホテル1階の花茶屋に行き、
無料バイキングの朝食を喰う。



ご飯、味噌汁、ハム、オムレツ、ウインナーソーセージ、スパゲティ、
フライドポテト、梅干し、海苔、サラダ(レタス、マカロニ、ツナ)など。
ご飯はおかわりして食後にコーヒーを楽しむ。
部屋に戻って歯を磨いてからチェックアウトする。
セントラルパークまで行って地下に降りた。
昨日は結局一日雨に悩まされたが、今朝は雲ひとつない青空が広がっている。



名古屋市営地下鉄東山線で名古屋まで行き、
ここから「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を使い犬山線直通の列車でまずは犬山に行く。
昨日は雨のために予定を大幅に変更し、
今日予定していた西尾線、蒲郡線、瀬戸線を乗りつぶしてしまったので、
逆に今日は昨日の予定を主に実行することにする。
ただ、帰りの新幹線の時間は決まっているので、
途中で予定を切り上げやすいように犬山方面を先に取材し、
名古屋本線にアクセスしやすい区間を午後に回して、
時間がなくなったら直ぐに取材を切り上げて豊橋に行けるようにする。
予定表がないので時間が読めないための対策だ。
犬山で駅取材、車両取材してから広見線で新可児乗り換えで御嵩まで行く。


 7.蟹薬師のもみじと岐阜羽島のみそうどん

09:44に到着した列車は5分の停車時間で前2両を切り離し、
4両編成として新可児まで行く。
広見線は新可児でスイッチバックする構造になっているが、
直通する列車はなく、構内改札が設置されている。
2両編成の列車に乗り換えて11分で御嵩に到着する。
御嵩での折り返し時間は4分だが、駅取材をしていたら間に合わなかった。
9時台からはずっと1時間に2本、10時台からは29分と59分の等間隔で設定されている。
御嵩に到着したのが10:25だったので次の列車は10:59である。
まだ時間があるので駅前を散策した。
御嵩駅から道を挟んだ場所に「蟹薬師大寺山願興寺」があり、
もみじが綺麗だったので写真を撮る。



蟹薬師大寺山願興寺は天台宗の宗祖である最澄が布施屋(宿泊所)を造り薬師如来像を安置したのに始まり、
のちに近くの尼ヶ池から数千数万の蟹の背に乗って黄金色に輝く薬師如来像が現出したという。
その後朝廷の勅命によりが建立されるが、戦火により何度か焼失、
再建では地元の大工も借り出され、そのため粗雑な造りとなっている。

折り返しの電車で新可児まで行き、JR可児駅を含めて駅取材、
新可児で乗り込んだ列車は犬山から各務原線に入って名鉄岐阜まで行く。
終点で下車して駅取材してから昼食を取ろうと思ったが、
予定していた店が休みだったため名古屋本線で笠松まで行き、
ここから竹鼻線、羽島線で新羽島まで行く。
新鳥羽には東海道新幹線岐阜羽島駅に隣接し、
ここで駅取材して岐阜羽島駅内の「爽亭」でみそうどん620円喰う。
昨日夜にみそ煮込みうどんを喰うつもりで喰えなかったので、そのリベンジの意味合いもある。
ここから笠松まで戻って駅取材して名古屋本線に乗り換える。


 8.豊橋鉄道の断念と売り切れの稲荷寿司−旅の終わり

14:37笠松発の特急中部国際空港行きに乗って名古屋本線との分岐である神宮前まで行く。
ここで駅取材してから停車する列車の車両取材をする。
ここで取材していて思ったのだが、豊橋鉄道の取材は光量的に厳しいのではないかと思った。
1700系を取材したくて15:40神宮前発の豊橋行きに乗って終点の豊橋まで行く。
豊橋に到着したのは16:26で、予定では16:45新豊橋発の豊橋鉄道に乗り換え、
終点の三河田原まで往復することになっていたが、
既に日が傾きかけていて、終点の三河田原には17:20に到着することになっているが、
いまから35分後では完全に日が暮れてしまうと判断し、豊橋鉄道の取材は断念した。
帰りの新幹線まで2時間20分あったので、まず5:00p.m.まで豊鉄市内線の車両取材する。
その間にもどんどん日が暮れてきて、車両取材も限界だった。
5:00p.m.で撤収し、最後に豊橋鉄道新豊橋駅を取材する。



時間が余ってしまったのでここで夕食を喰うことにした。
豊橋鉄道の取材をすると夕食を喰う時間がなくなってしまうので、
駅弁を買って新幹線の車内で喰うつもりだったが、
豊橋鉄道取材を断念したために時間が出来たのだ。
駅前を散策したが結局駅ビル内の「みかわの郷」に行き、豊橋カレーうどん890円喰う。
このあとお土産など買い、早めに新幹線改札口を通る。



豊橋といえば豊川稲荷にも近いということから、
「いなり寿司」が名物駅弁になっている。
以前に豊橋から新幹線に乗って帰る時に駅構内で駅弁を購入したが、
その時もいなり寿司は売り切れで代わりに助六を購入した。
余談だが、「助六」は歌舞伎の「助六所縁江戸櫻」に由来するという。
源氏の宝刀を探して侠客の助六が吉原でわざと喧嘩を吹っ掛けるという話で、
助六の情婦の花魁が揚巻といい、そこからの連想でお揚げのいなり寿司と巻物の海苔巻きが入っている。
しかし今回は立売は終了しており、売店の駅弁はすべて売り切れていた。
18:46豊橋発の「ひかり530号」で東京に戻る。



いなり寿司どころか駅弁も完売していたので、つまみは無しでビールだけ買って社内で飲む。
東京駅で総武快速線に乗り換えて津田沼まで行き、緩行線に乗り換えて帰る。
平日だったのでちょうど帰宅時間帯にあたり、満員電車の中を帰ることになってしまった。





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