愛と青春の旅立ち〜九州縦断の旅




 1.青春の挫折と新たなる希望

JRグループの企画切符「青春18きっぷ」は、
年3回、夏、冬、春に発売されるJR全線乗り放題の切符である。
そのルーツは国鉄時代にさかのぼり、学生が長期に休みとなる時期に合わせ、
決められた40日間に普通車自由席に5回分乗ることが出来る。
1枚の切符を複数で使うことも出来るし、連続して使用しなくてもよい。
「青春18きっぷ」というネーミングだが、もちろん年齢制限はない。
昨今の鉄道ブームも追い風となり、最近はこの切符の人気も高まってきている。
この切符は今までに何度も使ったことがあるし、これでまた旅がしたいと思う。

2014年3月に悪性リンパ腫の再発が見つかり、7月より抗癌剤治療を続けてきた。
主治医の話では治療には概ね半年はかかるだろうということで、
計算すると翌年の春頃には治療も終わり、外出許可も出るのではないかと思った。
そこで入院中にいろいろと計画を考え、その中から春の「青春18きっぷ」を使い、
いくつかの計画を実行に移そうと考えた。
休職中でもあり、時間的余裕があるこの時期に集中して旅行の計画を実行しようと思い、
「青春18きっぷ」を2枚、10回分の予定を立てることにした。
10回分のうちの4回分を使い、3泊4日で山陰本線完乗の旅に出る。
空路を使って山口宇部空港に降り、山陽本線経由で幡生まで移動、3泊で京都を目指す。
あとは2回分を使って1泊で紀勢本線を乗りつぶす紀伊半島の旅、
2回分を使って宮崎空港に降りて未乗車区間の吉都線、指宿枕崎線を乗りつぶす。
残りの4回分については吾妻線新線完乗や久留里線完乗、成田線成田−我孫子間の全駅取材など、
1回分ずつの旅を挟んで10回分を使い切る。
しかしこの予定は思わぬ理由で頓挫することになる。

今回の治療は前半に約2週間の入院を3回繰り返し、4種類の抗癌剤を3日間に分けて投与する。
3回目の入院時に末梢血の幹細胞を採取し、約1ヶ月の間を置き、
後半は採取した幹細胞の自己血輸血をしながら大量抗癌剤投与による治療を行う。
しかし末梢血の幹細胞の量が思った程上がらずに、
4回目の入院でエンドキサン単体の大量投与を行うが、
それでも末梢血の幹細胞の量が増えずに予定していた後半の治療を断念することとなった。
それに伴い、10月で抗癌剤治療が実質的に終了してしまったのである。

結果として春の「青春18きっぷ」を使った計画は実行不可能となった。
予定より早い段階で抗癌剤からの脱却がはかれることになり、
その分社会復帰の予定が早まってしまうことになる。
外出禁止解除が冬の「青春18きっぷ」の利用期間に重なることもあり、
この期間で予定を実行しようと思ったが、山陰本線完乗の旅は雪の多い時期は危険である。
積雪や降雪でダイヤが乱れることも十分に予想できるし、積雪が多ければ駅取材にも不自由する。
そこで山陰本線完乗の旅を断念し、「青春18きっぷ」1枚、5回分で予定を再構築する。
2回分で紀勢本線の旅、2回分で南九州の旅、1回分で吾妻線完乗の旅を選択した。


 2.七転八倒の九州満喫きっぷ

JR九州には「旅名人の九州満喫きっぷ」という企画切符がある。
これはJR九州だけでなく、九州に路線を持つほとんどの鉄道会社が利用可能で、
切符購入から3ヶ月の間のうち3回分普通列車自由席が利用できる。
JR九州のほかに大手私鉄の西日本鉄道、中小私鉄、第三セクター、
さらには路面電車や福岡市地下鉄なども利用範囲に入っている。
国鉄やJRから転換した第三セクターなどが利用可能な企画切符は他のJRグループでも存在するが、
鹿児島本線と競合する天神大牟田線を本線格とする西鉄までが利用可能というのは驚きである。
他社との顧客獲得競争よりは、互いに協力して九州に観光客を呼び寄せたいという、
九州人気質がこの企画切符を実現に結びつけたのであろう。

この切符も今まで何度か利用したことがあるし、2013年の夏休みもこの切符を使った。
そこで2015年の夏休みにこの切符を使って再び九州を旅しようと思った。
九州新幹線新新八代−鹿児島中央の部分開業に合わせ、
並行在来線である鹿児島本線川内−八代間が分離され、第三セクター化された。
その肥薩おれんじ鉄道については車両取材するチャンスは何度かあったのだが、
この区間を乗ったことは全くなかった。
そこで肥薩おれんじ鉄道の全線乗り潰しをしたい。
また観光列車「おれんじ食堂」の車両取材も実行したい。
北九州エリアの日田彦山線や福北ゆたか線などもほとんど手つかずの状態である。
乗り潰しをしながら駅取材にも挑戦したい。
まだ先のことだが入院中で時間を持て余していたこともあり、行動予定を作成してみた。
いろいろの可能性を考え、幾つもの予定案を作成していった。

最初に考えたのは土曜日に空路で鹿児島まで行き、
鹿児島中央から肥薩おれんじ鉄道直通の「快速オーシャンライナーさつま2号」に乗り込む。
途中の阿久根で下車して駅取材と「おれんじ食堂」の車両取材する。
「おれんじ食堂」はその名の通り、車内で食事が楽しめる観光列車なのだが、
料理は車内で調理するのではなく、沿線の料理店で用意して停車駅で積み込みをする方式。
つまり停車駅では客扱いだけでなく、料理の積み込みに時間を掛けるため車両取材の時間も取れる。
阿久根での停車時間は18分もあり、車両取材には充分である。
そのあと八代まで完乗して熊本で一泊、2日目は三角線の完乗と駅取材、熊本電鉄の完乗と駅取材をする。
博多まで九州新幹線で当日移動して一泊、福北ゆたか線と日田彦山線の乗りつぶしをして、
由布院から特急「ゆふいんの森4号」で博多に戻り、夕方福岡空港から帰京する。

第2案および第3案は最終日の予定を変更、「ゆふいんの森」の久大本線完乗を断念し、
その分筑豊本線の原田線や若松線などの乗りつぶしを目指した。
第4案および第5案、第6案は2日目の大分まで移動して「ゆふいんの森」に頼らず久大本線の完乗を目指した。
第7案では熊本電鉄の完乗を諦め、1日目に無理して三角線の乗りつぶしを実行、
博多まで新幹線で当日移動し、2日目、3日目の2日間に分けて日田彦山線、久大本線、筑豊本線の乗りつぶしを実行する。


 3.「青春」と「満喫」の合体−最終計画の決定

抗癌剤治療が途中で中断となり、春の「青春18きっぷ」の計画が冬に変更を余儀なくされ、
山陰本線完乗の旅が中止となってしまった。
そこでいろいろと考え、2015年の夏休みに予定していた「九州満喫きっぷ」の旅を、
「青春18きっぷ」の旅に繋げてみようと思った。
吉都線、指宿枕崎線を乗りつぶす「青春18きっぷ」の旅は、
2日目に鹿児島中央で取材を終え、鹿児島空港から帰京することになっている。
一方、「九州満喫きっぷ」の旅は鹿児島空港から鹿児島中央駅に移動して取材を開始する。
つまり鹿児島中央駅で1泊することによって2つの予定を連結できる。
旅行の予定が減った分、夏休みの予定を前倒しすることによって、
飛行機の往復分を浮かすことも出来る。

冬の「青春18きっぷ」は利用期間が12月10日から翌年1月10日までである。
年末年始は利用客が集中するし、きっぷが取りづらい。
そこを避けて予定を組んでいかなければならない。
また「おれんじ食堂」が休日に限定して運行されているため、
肥薩おれんじ鉄道の乗りつぶしを日曜日とし、
他の「青春18きっぷ」の旅の兼ね合いを考え、
12月12日金曜日から16日火曜日までを旅行期間とした。
飛行機に乗る日を平日にすることによって予約が取りやすくなるという効果もある。
12日、13日は「青春18きっぷ」で、14日から16日までは「九州満喫きっぷ」を使用する。

12月12日金曜日は06:45羽田空港発のANA3751便で宮崎空港へ行く。
宮崎空港線も未乗車区間のために乗りつぶしも兼ねている。
日豊本線で都城まで行きここで昼食、午後から吉都線吉松経由で大隅横川に行く。
ここは嘉例川と並んで九州最古の木造駅舎で一度行ってみたかったのだ。
肥薩線で隼人まで行き、宿泊は鹿児島中央駅近くの「B&Bパークホテル鹿児島アネックス」にチェックイン。

13日土曜日は指宿枕崎線を完乗する。
日本最南端の駅として西大山までは行ったことがあるが、
その先は未乗車区間なので、終点の枕崎を目指すことにする。
途中駅として山川、喜入、中名で下車して駅取材する。
ダイヤ的に昼食をゆったりと喰う時間が取れないが、その分早めに鹿児島中央に戻ってくるので、
昼食兼の夕食を早めに喰って、駅前で鹿児島市電の車両取材をやっても良い。

14日日曜日からは「九州満喫きっぷ」の旅になるので、
鹿児島市電の未乗車区間である谷山線の武之橋−交通局前の乗りつぶしと車両取材をしてから、
もともとの予定通り「快速オーシャンライナーさつま2号」で阿久根に行き、
快速「おれんじ食堂2号」の車両取材と昼食、八代まで移動してJRに乗り換え、
鹿児島本線宇土から三角線を乗りつぶし、
熊本の「黒亭」で玉子入ラーメンを喰って九州新幹線で博多まで移動、
「ホテルルートイン博多駅前」にチェックインする。

15日月曜日は鹿児島本線で小倉まで移動し、日田彦山線を完乗する。
途中、彦山、歓遊舎ひこさん、日田と下車して由布院まで行き、
久大本線下りで湯平の駅取材してから特急「ゆふいんの森6号」で博多まで戻る。
特急の乗車区間が久大本線の未乗車区間と合致する。

最終日の16日火曜日は筑豊本線と平成筑豊鉄道の未乗車区間の完乗に挑戦する。
筑豊本線原田線、平成筑豊鉄道伊田線金田から田川伊田までの区間、
後藤寺線、筑豊本線若松線などを乗りつぶし、18:00福岡空港発のANA266便で帰京する。


 4.予約完了と買い忘れた切符−遅延続きの旅の始まり

今回の旅では基本的に「青春18きっぷ」と「九州満喫きっぷ」を使うが、
12月14日の熊本から博多への移動と15日の由布院から博多への帰りには、
時間との関係で新幹線や特急を使うことになった。
そこで12月15日の1ヶ月前、11月15日土曜日に切符を購入することにした。
この日はちょうど休日おでかけパスを使い、ひかりプラザと京王れーるランドを見学した。
ひかりプラザの最寄り駅である立川駅に到着したのが、
1ヶ月後の指定席券が発売になる時間の10:00a.m.だったため、
立川駅のみどりの窓口で14日の熊本から博多の九州新幹線「つばめ342号」の指定席特急券と乗車券、
15日の由布院から博多までの「ゆふいんの森6号」の指定席B特急券と乗車券を購入した。
「青春18きっぷ」は12月1日から発売なので、この時は購入しなかった。
また計画に合わせて10月20日にはANAのホームページから往復の飛行機を予約、
B&Bパークホテル鹿児島アネックスに12月12日から2泊、
ホテルルートイン博多駅前に12月14日からの2泊も予約した。
さらには12月12日のJR津田沼駅南口から05:05発、
羽田第2ターミナルビル行きの空港連絡バスも電話で予約した。
これで準備はすべて完了、あとは当日を待つだけと思っていた。

しかし荷造りをしていて肝心な切符を買い忘れていることに気付いた。
「青春18きっぷ」を購入するのを忘れていたのだ。
出発前日の12月11日木曜日に慌ててJR幕張駅の指定席券売機で購入した。



価格は11,850円で以前より消費税増税により350円値上がりしていた。

12月12日金曜日、この旅の初日、初電から2本目の04:56で津田沼まで行く。
JR幕張駅の改札口で「青春18きっぷ」の1回(人)のところに、
「ありがとうございます JR東日本 12.12 幕張駅」の検印を貰う。
この列車の津田沼駅到着は05:02で、3分の乗り換え時間で05:05JR津田沼駅南口発の、
空港リムジンバスで羽田空港第2ターミナルビルに行くことになっていた。
いつもなら既にバスが来ている筈だが、姿が見えない。
そこに並んで暫く待ち、15分遅れで漸く京成高速バスが到着した。
予約番号を告げて乗り込み、羽田空港第2ターミナルビルを目指す。
いつもなら京成津田沼駅に寄っていくのだが、今回は別便が出ているようでそのまま羽田に向かった。
運転手からは遅れたことに対する謝罪があったが、理由は説明されなかった。
京成津田沼駅を経由しなかったためか、到着は予定より3分遅れにまで圧縮されていた。
保安検査場を潜り、501番搭乗口に移動する。
ここは1階の飛行機まではバス移動の搭乗口である。
売店で空弁「銀座旬菜青山のそら弁」1,296円など買ってベンチで喰う。
バス移動のためにその分搭乗開始が早く、
食べ始めてからバスへの案内時間まで5分くらいしかなくて慌てて喰う羽目になってしまった。
ANA3751便はソラシドエアとの共同運航便であった。
ソラシドエアとはスカイネットアジア航空のブランド名である。
搭乗するまで知らなかったが、2014年9月1日から航空法が改正となり、
電波を発しない状態の電子機器は離着陸時でも使用できるようになった。



離陸直後の窓の様子を早速携帯したコンパクトデジカメで撮影してみる。
翼の先に飛び立ったD滑走路が見える。
機内のドリンクサービスのスープはコンソメの代わりにアゴユズが出てきた。
あご出汁のスープにゆずが搾ってあるもので、九州の特産品に拘ったソラシドエアのオリジナルである。
宮崎空港到着予定は08:35だったが、向かい風のために15分遅れとなってしまった。
慌ててJR九州宮崎空港駅を取材し、南宮崎行きの列車に飛び乗る。
普通列車だったが、回送の意味合いもあるのか787系が充当されていた。


 5.一日目−あいもこいもな都城と大隅横川の機銃掃射

南宮崎で18分の乗り換え時間に側線に停車中の気動車などを取材する。
09:34南宮崎発西都城行きの普通列車に乗り込み都城を目指す。
817系が充当されていて、途中の清武、青井岳で列車交換待ちに駅取材する。
1時間23分で都城に到着し、駅取材したあとに予定していた店を目指す。
昼食に行こうと事前に調べて地図もプリントアウトして持参したのは、
駅から約400mの距離にあるカレー専門店「トプカ」である。
ここでチキン南蛮カレー980円を喰い、駅に戻る。
この店はカレー専門店でありながら、
「あいもこいもカフェ」というスイーツコーナーを併設しており、
どぶろくジェラートなどというアイスなどの品揃えもある。
駅に戻った時には微かに雨も降り出していた。
1時間15分の乗り換え時間で昼食を喰い、12:06始発の吉都線に乗り込む。
吉都線は肥薩線吉松から日豊本線都城までを結ぶ非電化単線路線で、
肥薩線八代から吉松までの区間と合わせて「えびの高原線」の愛称がつけられている。
乗り込んだ列車は吉都線を走破したあとスイッチバックして肥薩線に入り隼人まで運行される。
しかし吉松での停車時間が25分あり、いったん外を出て駅前で時間を潰す。
吉松駅は以前に訪問した時に取材済みだが、時間があったので再取材する。
駅前にはC55形52号機が静態保存されている。



また近代化産業遺産に指定された燃料この石倉などもある。
鉄道資料などの展示スペースなどもあり、見学して時間を潰した。
再び都城で乗り込んだ気動車に乗り、大隅横川まで行く。
大隅横田は嘉例川と並んで九州で最も古い駅舎として有名で、一度は訪れたかった駅のひとつである。
取材時間はちょうど1時間で、正直時間を持て余してしまった。
散歩に来ていたおじいさんに話しかけられ、暫く立ち話をする。
彼は満州鉄道に就職し、列車に荷物を積み込み発車の支持をする担当をしていたそうだ。
満州で産出される鉄鉱石を八幡製鉄所まで運んでいたが、
太平洋戦争後に近くの港を米軍に爆撃され、朝鮮総統府鉄道経由で日本に送り出したという。
武器弾薬を作る素となる鉄鉱石が中国大陸から入っていることも、
日本が戦争に踏み切ったひとつの要因であるといえる。
その現場にいたリアルな話は非常に興味深く、貴重な話が聞けた。
この大隅横田は太平洋戦争末期には米軍の機銃掃射を受けたこともあり、
その弾丸の跡が今も駅の柱に残っている。



待っている途中に特急「はやとの風」上り列車が5分停車したが、
その時にアテンダントの女性が話しかけてきた。
今回は「青春18きっぷ」で旅をしているので、次は乗らせてもらいますと話をする。
僅かな何気ない会話だが、こうした気遣いの積み重ねが集客に繋がっていく。
JR九州のおもてなし精神が隅々まで行き渡っていると感じた。


 6.芋焼酎と薩摩揚げとマッサージ機−鹿児島中央の夜と朝

大隅横川で次の下り列車までは1時間45分あるので、
上り列車でいったん隣の栗野まで行き、ここで23分の待ち時間のうちに駅取材する。
栗野はかつて水俣まで山野線が分岐していたが、第2次特定地方交通線に指定され、
国鉄分割民営化後の1988年2月1日に廃止された。
その名残として山野線のホームだった1番線は現在使われておらず、
2番線、3番線が肥薩線の上下線に使用されている。
駅舎と反対側には木を重ねて鱗を表現した謎のオブジェがある。



栗野から43分で隼人に到着し、駅取材をしてから日豊本線に乗り込む。
平日だったために意外と混雑していた。
隼人駅ではまだ駅取材するのに充分な光量があったが、
46分の乗車時間のうちにすっかりと日は暮れて鹿児島中央に到着した時には夜の帳が降りていた。
ネットで予約しておいた「B&Bパークホテル鹿児島アネックス」にチェックインする。
以前にもこの系列の「B&Bパークホテル鹿児島」に宿泊し、
その時はデラックスシングルにはマッサージ機が設置されていたが、
「・・・アネックス」ではすべての部屋にマッサージ機が設置されており、無料で楽しむことが出来る。
部屋に荷物を置き、再びホテルを出て「黒かつ亭」に行き、黒かつ亭定食980円喰う。
ここは以前に鹿児島中央に宿泊した時にいったことのある店であり、今回は2回目の訪問である。
駅まで行って改札階のみやげ横丁にある「薩摩焼酎蔵」で山元焼酎セット1,370円購入、
「さつま揚げ 玖子貴」で美味くらべ・小550円購入、
ファミリーマートナポリ通り店で水、氷、翌朝分のコーヒー、ビールなど買う。
ホテルに戻って薩摩揚げをつまみにビールや芋焼酎の水割りなどを飲む。
マッサージ機で足の疲れを集中的にケアしながら芋焼酎を0:00p.m.くらいまで嗜んだ。

翌朝は5:30a.m.に起床しシャワーを浴びてから6:30a.m.を待って1階に降りる。
このホテルは1階レストラン「菜波里」で無料朝食を準備している。
バイキング方式ではないが、ご飯や一部のおかずは自分で取り分けるようになっており量を調節できる。



ご飯、味噌汁、肉団子、ウインナー、目玉焼、鹿尾菜の煮物、沢庵、千切りのキャベツ、食後にコーヒー。
ちなみに目玉焼きの皿はコーヒーカップ用のソーサーだった。
飲み過ぎた身体には嬉しい胃に優しいメニューである。
部屋に戻って歯を磨いてからカメラバッグだけ持ってホテルを出る。
連泊なので撮影に必要のない荷物はホテルに置いていく。
今日は指宿枕崎線で終着の枕崎を目指すのだ。


 7.二日目−指宿枕崎線最南端の駅その先と突然の雨

テレビの天気予報で見たのだが、今日の降水確率は午前中が30%、午後が50%だった。
しかしホテルを出る時にはまだ青空も見えていが、アスファルトは濡れていた。
最初に鹿児島中央駅のみどりの窓口で「旅名人の九州満喫きっぷ」10,800円を購入する。
これは明日から3日間使うためのもので今日は使わない。
今日は「青春18きっぷ」で入場、改札で2回(人)のところに、
「鹿児島中央駅 12.13 [九]ありがとうございます」の検印を貰う。
ただ、実際には下半分が上手くスタンプされていなかった。
07:51鹿児島中央始発の指宿枕崎線「快速なのはな」で終点の山川まで行く。
ここはJR最南端の路線である指宿枕崎線の中で有人駅として最南端で、
駅前にはそのことを伝える木製の碑がある。



ここでの取材時間は21分で、駅前には鹿児島湾が広がっている。
山川からの下り列車は11:46までないため、いったん折り返して喜入を目指す。
途中雨が降り出し、そしてそれが止んで虹も見えた。



09:53に喜入に到着し、駅取材する。
予定では更に上り列車で中名まで行き、10:45の下り列車に乗るつもりだったが、
屋根のないホームの中名で列車を待つのは雨に降られる危険性が高いと判断し、
そのまま喜入で枕崎行きの列車を待つことにした。
56分の待ち時間で10:49喜入発の列車に乗り込む。
ずっと待合室で待っていたら駅員から「お待たせいたしました」と云われた。
「終点の枕崎まで行ってきます」と答え「青春18きっぷ」を提示して車両に乗り込む。
山川で13分の停車時間があり、またJR日本最南端の駅である西大山でも2分の停車時間を取っていた。
この駅は既に取材済みだが、外に出て再取材した。
この駅を出る頃から雨が降り出し、それは本降りのまま枕崎駅に到着してもまだ降り続いていた。
傘を差して観光案内所に行き、「日本最南端の終着駅のある町 到着証明書」200円を購入する。



ここを出る時には雨が小降りになっていたので、駅取材を強行する。
枕崎での折り返し時間は26分だったが雨のために自由に取材できなかった。
勿論、昼食を喰う場所を探す時間もなかったし、
観光案内所で菓子パン1個110円を購入し、昼食として列車内で喰う。
再び雨が強く降り出してそのまま列車内にとどまり、13:18の発車時間を迎えた。
帰りは枕崎から鹿児島中央まで一気に戻る。
所要時間は2時間31分で、途中で青空も見えてきた。


 8.芋焼酎と薩摩揚げとマッサージ機−鹿児島中央の夜と朝・パート2

枕崎を13:18に出た折り返し列車は15:49に鹿児島中央駅に到着した。
鹿児島中央に到着する直前は青空も見えていたが、
駅を出て鹿児島市電の車両取材しようと鹿児島中央駅前電停にいったが、
ここでポツポツと雨粒を落ちてきてJRの駅ビルで雨宿りをした。
しかし雨はどんどん強くなってきて、路面電車の車両取材は断念し、
少し早い夕食として「豚とろ鹿児島中央駅前店」に行く。
ここは西銀座通りにあり、駅から高い。
何故、「豚とろ」のある商店街が「西銀座通り」と呼ばれているかというと、
鹿児島中央は九州新幹線開業前は西鹿児島の駅名だったのだ。
本降りの雨の中、折りたたみ傘を指して店まで行き、
半熟煮玉子入り豚とろラーメン870円、チャーマヨめし250円を喰う。
駅ビルに戻ってみやげ横丁の中にある「揚立屋」で薩摩揚げを購入する。
昨日は「玖子貴」でセットを買ったが、
今日は辛み蓮根、薩摩芋、棒天、チーズ×2などを単品で購入する。
ファミリーマートナポリ通り店で氷、翌朝分のコーヒー、ビールなど買い、
少し早いがホテルに戻って薩摩揚げをつまみにビールや芋焼酎の水割りなどを飲む。
「揚立屋」の単品の方が微かに温かくて上手かった。
今日もマッサージ機で足の疲れを癒やしながら芋焼酎の水割りを楽しむが、
疲労が蓄積していたためか、マッサージ機の上で寝てしまった。

翌朝は5:15a.m.に起床してシャワーを浴び、6:30a.m.から1階レストラン「菜波里」で朝食を喰う。



ご飯、味噌汁、焼き鯖、もやしの辛みお浸し、ハムとレタスの酢和え、千切りキャベツ、沢庵、目玉焼。
食後にコーヒーを飲み、部屋に戻って歯を磨き、荷物をまとめてチェックアウトする。
今日は肥薩おれんじ鉄道を乗り潰しながら博多を目指すが、
その前に時間があるので鹿児島市電の取材をする。
そのためJR鹿児島中央駅で旅行用バッグをコインロッカーに預け、
在来線の改札口に行く。



ここで昨日購入した「旅名人の九州満喫きっぷ」の1回(人)に検印して貰う。
「鹿児島中央駅 12 14 [九]ありがとうございます」とスタンプを押してもらう。
駅員が改札をあけてくれたので仕方なく在来線ホームに行くが、
早々に切り上げて鹿児島市電の鹿児島中央駅前電停に向かう。


 9.三日目−寒風の鹿児島市電と阿久根の猫

今日は「九州満喫きっぷ」を使って旅をするが、
7:20a.m.にはホテルをチェックアウトできたため、30分くらい余裕が出来た。
そこで少し鹿児島中央駅前電停で車両取材してから高見馬場まで行き、
1系統に乗り換えて交通局前電停まで行く。
鹿児島市電では唯一谷山線の武之橋から交通局前までの1区間が未乗車だった。
そこで今日は肥薩おれんじ鉄道直通の快速列車に乗る前に、
この区間の乗り潰しと車両取材を決行した。
鹿児島市電の車両基地である鹿児島市交通局は、
交通局前電停から武之橋電停にかけて広がっている。
そのため前回は武之橋電停で下車して塀沿いに留置車両を取材していて、
そのまま交通局前電停まで行ってしまったのだ。
そこで今回は先に交通局前まで行き、逆戻りしながら武之橋電停まで歩いた。
風は冷たく、電車が来るのを待っていると吹き抜ける風が身体の芯まで凍らせるようである。
寒さの限界で鹿児島中央駅前電停まで戻り、
少し車両取材してからコインロッカーの荷物を取り出し、改札を通過する。
ホームで待っていると暫くして「快速オーシャンライナーさつま2号」が入線してくる。
肥薩おれんじ鉄道は八代から川内までの鹿児島本線が、
九州新幹線の開通により分離され、第三セクター鉄道となったものである。
利用者の利便性を考えて一部の列車は熊本、鹿児島中央まで直通する。
09:42に鹿児島中央を出発し、鹿児島本線を進みながら10:33に川内に到着する。
ここからが肥薩おれんじ鉄道の区間となり、乗務員が交替する。
隣のホームには「おれんじ食堂」充当の2両編成が停まっていた。
今回の旅の目的のひとつはこの「おれんじ食堂」の車両取材である。
そこで先行する「快速オーシャンライナーさつま2号」で阿久根まで行き、待ち伏せする。
この駅は水戸岡鋭治氏によって駅舎がリニューアルされており、
待合室も水戸岡さんらしく木のぬくもりが感じられるスペースとなっている。
駅に隣接して「あくねツーリングSTAYtion」があり、
寝台特急「なは」に充当されていた客車2両が簡易宿泊施設として利用されている。
駅舎やこの客車などを取材してから近くの「市場食堂ぶえんかん」まで行き、昼食を喰う。
オーダーはエビフライ定食(大)1,700円で、本当に大ぶりのエビフライだった。
戻っての「おれんじ食堂2号」の到着を待つ。
駅前には猫がいて辛抱強く呼んだら近寄ってきてくれた。



「おれんじ食堂」の到着時間までこの猫と戯れる。
駅務室の中にももう一匹猫がいて、
あとで駅員から訊いたのだけれど、彼等は阿久根駅で飼われているのだという。
12:19に快速「おれんじ食堂2号」が到着する。
肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」は既存の気動車を改造した食堂車で、
旅行と豪華な食事がセットになっている臨時列車である。
基本的に土曜、日曜、祝日にしか運行されない。
また料理は沿線の駅で積み込みをするため、その分停車時間も長い。
利用客がホームに出てくつろげるようにするため、この駅もリニューアルされているのだ。
阿久根駅の停車時間は18分あり、車両取材するには充分すぎる時間である。



「おれんじ食堂」を見送って待合室でまったりし、13:04阿久根発の列車で八代に向かう。
乗車時間は1時間58分で肥薩おれんじ鉄道を完乗する。
15分の乗り換え時間で鹿児島本線熊本行きの列車に乗り込む。
815系が充当されていて、この列車で宇土まで行く。
ここで24分の乗り換え時間の間に駅取材し、16:15発の三角線に乗り、終点を目指す。


 10.三角線の夕暮れと新幹線移動−博多の夜と朝

三角線は宇土から分岐する非電化単線で、キハ31+キハ40が充当されていた。
因みに「三角」は「みすみ」と読み、三角線には「あまくさみすみ線」の愛称もある。
熊本と三角の間には観光列車「A列車で行こう」も運行されている。
片道24分で16:51に三角駅に到着し、11分の折り返し時間の間に駅取材する。
日は既に傾きかけており、夕焼け空が見えている。



折り返し列車で終点の熊本まで行き、熊本市電で二本木口まで行く。
この電停から徒歩3分くらいの距離に熊本ラーメン専門店「黒亭」がある。
熊本を訪れた時には何時も行く店で、ラーメン630円、卵の黄身50円など喰う。
以前は卵入りの設定があったが、今回行ったらトッピングメニューに変更されていた。
二本木口まで戻ったが電車がなかなか来ないので田崎橋まで歩く。
熊本からは新幹線で博多まで移動する予定で、
夕食時間を込みで1時間15分の余裕があったが、
田崎橋でかなり時間をロスしたため、新幹線の時間にぎりぎりになってしまった。
それでも好物の「かどの駄菓子屋フジバンビ」のドーナツ棒はゲットした。
指定席を取ったのは熊本始発の「つばめ342号」である。



新幹線に乗車する場合は「青春18きっぷ」は無効になるため、乗車券も別に購入する。



慌てて乗ったので降りるまで気付かなかったが、この列車はU008編成が充当されていた。
これは「新800系」と呼ばれる800系2000番台で、
ドクターイエローを持たない九州新幹線で、
電気・通信・信号などの検測機器を搭載可能な仕様になっている。
博多で下車して駅ビル内の「壱岐の島」で芋焼酎古酒「市来院 川上畑」1,600円を購入、
ファミリーマート博多駅前店で水、氷、コーヒー、助六など買い、
予約しておいたホテルルートイン博多駅前にチェックインする。
部屋に入って助六をつまみ代わりに芋焼酎の水割りを堪能する。

翌朝は4:45a.m.にモーニングコールを合わせたが、
スイッチがOFFのままになっていて、目が覚めたら5:30a.m.だった。
ホテル地下1階の大浴場に行くが、ドアのロックが解除できなかった。
ルームキーで開くという説明だったが・・・。
後から来た人に付いていって入ったが、中は電気が付いていなかった。
部屋に戻ってクールダウンし、6:45a.m.を待って1階の「花茶屋」で無料朝食を喰う。



ご飯、味噌汁、ウインナー、オムレツ、鹿尾菜の煮物、焼鯖、フライドポテト、イカフライ、
春巻、玉子焼、ハム、沢庵、明太子、梅干、ポテトサラダ、生野菜、ゼリー、コーヒーなど。
部屋に戻って歯を磨いてからカメラバッグだけ持って出掛ける。
今日は日田彦山線の完乗に挑戦するのだ。


 11.四日目−日田彦山線完乗と寅さん思い出の待合所

日田彦山線は日豊本線城野から久大本線夜明に至る全線単線非電化の68.7kmの路線である。
筑豊地区で産出される石灰石や石炭を運搬することを目的に敷設された。
城野から香春までは小倉鉄道が敷設し、戦時買収で国有化された。
田川伊田から西添田までは豊州鉄道及び九州鉄道が敷設、国有化後に田川線の一部となった。
香春から田川伊田までの現ルートは田川線の支線として開業、
西添田から夜明の区間は西田川から日田線の延伸として敷設、
同時に夜明から彦山線として大行司までが敷設され、全通後は日田線を名乗ったが、
香春から田川伊田までの支線を組み入れて日田彦山線となった。
この区間の本線ルートは添田線として独立したが、1985年に特定地方交通線として廃止された。

日田彦山線は田川後藤寺から田川伊田の一駅区間しか乗ったことがなく、
今回はその大部分が初乗車となる。
博多駅の有人改札口に行き、「旅名人の九州満喫きっぷ」の2回(人)に検印、
「博多駅 12 15 [九]ありがとうございます」とスタンプを押してもらう。
予定通りの08:07博多初の快速で小倉まで行き、時間があるので改札の外に出てみる。
再入場して乗り場に行くと列車が停まっていたので乗り込んだ。
しかしそれは下関行きの415系だった。
発車寸前で慌てて降りる。
気動車も電車もデザインが一緒なので気付かなかった。
危うく今日の予定が台無しになるところだった。
09:51小倉始発の日田彦山線で田川後藤寺まで行き、15分の乗り換えで彦山行きに乗り換える。
彦山は駅舎は立派だが無人で駅前も寂れた印象がぬぐえない。



折り返し列車に乗り込んで2つ戻った歓遊舎ひこさんまで行く。
ここは同名の道の駅に合わせて開業した無人駅である。
道の駅の中にあるレストラン「旬菜坊キッチン農家(みのりや)」で昼食を喰う。
12:40歓遊舎ひこさん発の日田行き列車で終点まで行く。
日田は夜明を通り過ぎて久大本線間単独駅だが、列車運行上は日田が終点となる。
路線名の一部となった駅が路線の中にないという事態になっているが、敷設の経緯のため仕方がない。
日田は駅前が開けており、彦山とは大違いだ。
駅前には「天領ひた」と書かれたオブジェもある。



「天領」とは徳川幕府の直轄地という意味で、町人文化が栄え古くから賑わいを見せていたようである。
40分の乗り換え時間で由布院行きの列車に乗り込み、終点まで行く。
ここから「ゆふいんの森6号」で博多に戻る予定だが、乗り換え時間が1時間41分もある。
そこでさらに下り列車で2つ先の湯平まで行き駅取材する。
湯平温泉は「男はつらいよ・花も嵐も寅次郎」の舞台になった場所のひとつであり、
駅でもロケが行われたようで、2番線待合室は「寅さん思い出の待合室」と書かれている。



余談だがマドンナは田中裕子さんで、映画上では沢田研二さんが演じる役と結ばれることとなる。
この共演がきっかけで二人は不倫関係となり、沢田研二さんは前妻と別れて田中裕子さんと再婚した。
待合室の中には撮影当時のスナップ写真が飾られている。
13分の折り返し時間で取材し、由布院に戻った。


 12.特急「ゆふいんの森」と博多の夜と朝・パート2

特急「ゆふいんの森」は全席ハイデッカーの観光列車で、デザインは水戸岡鋭治氏である。
専用車両はキハ71系「ゆふいんの森」1世とキハ72系「ゆふいんの森」3世の2本あり、
「ゆふいんの森6号」にはキハ72系の車両が充当されていた。



「青春18きっぷ」でいったん改札を出て、別購入の乗車券と「ゆふいんの森6号」の特急券で入場する。



「青春18きっぷ」では特急には乗車できないため、由布院から博多までの乗車券も購入していた。



特急「ゆふいんの森6号」は17:07に湯布院を出て久大本線を久留米まで行き、
鹿児島本線に入って19:17に博多に至る。
湯布院を出た頃には既に日が傾き始めていて、車窓はみるみるうちに夜の帳に包まれていった。
3号車ビュフェで少し早い夕食として駅弁「ゆふいんわっぱ」720円を購入、席に戻って喰う。
本当は駅弁「ゆふいんの森」が食べたかったが既に売り切れていた。
久留米到着時点で3分の遅れ、鳥栖で2分、博多到着も2分遅れだった。
終着の博多で「ゆふいんの森」を降り、驛辨當博多口で駅弁「香草物語」を購入、
ファミリーマート博多駅前店で氷、ビール、コーヒーなどを買ってホテルに戻る。
駅弁をつまみに昨日の残りの焼酎を水割りで飲む。
テレビの天気予報では明日の降水確率は午前が80%、午後が30%になっていた。
明日はもしかしたら予定を大幅に変更しなければならないかな・・・と思った。

翌朝は4:45a.m.に起床して大浴場で朝風呂に入り部屋でクールダウンする。
今日はちゃんとルームキーで大浴場の中に入れた。
6:45a.m.から花茶屋でバイキングの朝食、ご飯、味噌汁、スクランブルエッグ、ベーコン、コロッケ、
肉団子、フライドポテト、焼き鯖、ハム、玉子焼、ポテトサラダ、生野菜、明太子、梅干、コーヒーなど。



部屋に戻って歯を磨いてからチェックアウトする。
昨日の天気予報通り、博多駅は雨が降っていた。


 13.五日目−筑豊本線・雨の大幅予定変更と事故遅延

宿泊したホテルルートイン博多駅前は博多駅に近接し、
屋根の付いた駅のペデストリアンデッキの出口と隣り合っているため、
雨が降っていても傘を差さずに駅まで行ける。
空全体に灰色の雲が覆っており、朝なのに暗い。
コインロッカーに荷物を預け、JR博多駅の改札口で「旅名人の九州満喫きっぷ」の3回(人)に検印、
「博多駅 12 16 [九]ありがとうございます」とスタンプを押してもらう。
赤間で事故があったとのことでダイヤが少し乱れていた。
予定より1本早い08:02で原田を目指す。
途中、竹下で側線に「ななつ星in九州」牽引専用のDF200形7000が留置されているのを見かけた。
原田では本降りの雨のために駅取材は断念し、そのまま原田線で桂川まで行く。
原田線は筑豊本線の一部だが、運行上は独立している。
因みに「原田」は「はるだ」、「桂川」は「けいせん」と読む。
桂川から福北ゆたか線で新飯塚まで行き、ここで後藤寺線に乗り換える。
予定では直方まで行って駅取材するつもりだったが、雨のために断念し、乗り潰しを優先する。
田川後藤寺で直方行きの平成筑豊鉄道糸田線の列車が停まっていたので乗車する。
しかし乗り込んでから糸田線は乗り潰していたことを気付く。
そこで金田で下車して平成筑豊鉄道伊田線で田川伊田を目指す。
平成筑豊鉄道の未乗車区間は伊田線の金田から田川伊田までの区間だったのだ。
ここから日田彦山線で田川後藤寺まで戻ることにしたが、1時間7分の空き時間となってしまった。
昼食を取りに行きたかったが、雨で駅の外には出られない。
結局、無駄に時間を潰すことになってしまった。
ホームには洗面設備が残されていていた。



地方の古いホームには未だに洗面設備が残っているところが多い。
これは蒸気機関車全盛時代に黒煙で顔が黒くなってしまったのを洗い落とすためのものだ。
昔の鉄道旅はそれだけ大変な思いをしたのだろう。
11:42の田川後藤寺行きに乗り込み、終点まで行く。
キハ47+キハ147が充当されていた。
乗り込んだが、池尻−豊前川崎間で事故が発生したとのことで暫く発車しなかった。
本当は田川後藤寺から再び平成筑豊鉄道で直方を目指すつもりだったが、
平成筑豊鉄道は接続を取らず、仕方がないので接続発車した後藤寺線に乗り込む。
これで新飯塚まで戻り、再び筑豊本線の取材を開始する。
灰色の雲は残っていたものの、雨は止んだので新飯塚で今日初めての駅取材をする。
12:10直方行きに乗って終点の直方まで行く。
前面の黒い福北ゆたか線仕様の813系が充当されていた。
直方で駅取材し、「東筑軒」で丸天うどん410円喰う。



丸天うどんは魚をすり身にして円形に揚げた薩摩揚げのようなもので、
これをうどんにトッピングする福岡のご当地うどんである。
駅前には直方出身の「大関魁皇」の銅像が設置されていた。
予定ではこのあと折尾まで出て若松線を乗り潰すことになっていたが、
これは断念して福北ゆたか線で博多に戻ることにした。
昨日の天気予報では降水確率30%だったが、まだ小雨が降り続いていた。
博多には13:58に到着し、帰りの飛行機まで4時間はある。
雨の予定変更で逆に少し時間を持て余してしまった。


 14.追加の駅取材と70分の遅延−旅の終わり

時間が余ったため、博多駅で車両取材をしていたが、
14:48の福間行き普通列車があったのでこれに乗り、終点まで行く。
電車に乗っている間に雨は完全に止んで青空も見えてきた。
15:25に福間に到着し、折り返しの22分の間に駅取材する。
ここは全く予定していなかったが、
今日は思うように駅取材できなかったのでその鬱憤を晴らす意味合いもあったのだ。
博多まで戻り、少し早めの夕食として博多デイトス内「博多一幸舎」で黄金セット1,000円喰う。
ラーメンにミニチャーハンのセットである。
お土産などを買ってコインロッカーから荷物を取り出し、
福岡市地下鉄空港線で福岡空港まで行く。
帰りの飛行機は福岡空港18:00発のANA266便を予約していたが、
保安検査場を通過して目が点になってしまった。
ANA266便の出発時間が19:10となっている。
70分も遅いのだ。
最初は予約する便を間違えたのかと思ったが、出発カウンターまで行って漸く事態が把握できた。



羽田から福岡に来る飛行機が遅れているようなのである。
これなら博多でもう少し時間を使っても良かった。
しかし保安検査場を潜ってしまったのでもう何も出来ない。
ここで時間を潰し、19:10のANA266便に乗り込んで東京へと向かう。
飛行機に乗り込んだ時点で既に日は暮れていた。
羽田から21:40の空港リムジンバスでJR津田沼駅南口まで戻り、武緩行線で帰る。





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