愛と青春の旅立ち〜紀伊半島の旅




 1.青春の困難と青空フリーパスの発見

5年前に見つかった悪性リンパ腫が2014年3月に再発し、7月から治療を開始した。
当初の計画では概ね半年で治療が完了し、そこから社会復帰することになっていた。
そこで入院中に「青春18きっぷ」を使った旅行を幾つか計画し、
社会復帰の前にその中の幾つかを実行に移そうと考えていた。
しかし治療が上手くいかず、抗癌剤投与は10月で終了してしまった。
そこで体調が戻る12月に前倒しして「青春18きっぷ」を使った旅を企画した。
ひとつは全5回分のうち2回分を使って吉都線、指宿枕崎線を完乗、
さらに「九州満喫きっぷ」を使って肥薩おれんじ鉄道や筑豊エリアの乗り潰しも行う。
そして2回分を使って紀伊半島乗り潰しを行い、残りの1回分で予讃線の旅をする。

紀伊半島乗り潰しについて計画作成は難航した。
JR東海エリアで非電化区間の多気から新宮までの区間は特に運転本数が少なく、
また河原田から津までの伊勢鉄道は「青春18きっぷ」では通過できない。
つまり伊勢鉄道を経由する快速「みえ」も利用できないのである。
伊勢鉄道を使わず紀勢本線の起点である亀山を経由の場合、
名古屋を06:24に発車する列車に乗らなければならず、結果的に前乗りするしか方法がない。
夕方に東京駅を出て名古屋に単純に停まるのでは面白くないので、
特急「あずさ」で塩尻まで行き、中央本線を乗りつぶして名古屋に向かうという計画も立ててみた。

入院中に病棟にあった雑誌を見て、初めてJR東海がエリア限定の乗り放題切符を出していることを知った。
それが「青空フリーパス」と「休日乗り放題きっぷ」である。
乗り放題になるエリアが違うが、2つのきっぷとも休日にしか発売されないことと普通車普通席にしか乗れない。
ただ、「青空フリーパス」は伊勢鉄道線が利用区間に含まれている。
そこでこの切符を使った日帰りの旅も計画していた。
フリー区間には紀勢本線の紀伊長島までが含まれている。
そこで紀勢本線や名松線、参宮線の乗り潰し、午後から太多線か武豊線を乗り潰す。
当初は日帰りでこの切符を使った旅を計画した。

紀伊半島の旅の前乗り案に苦戦していた時に「青空フリーパス」のことを思い出した。
この切符なら伊勢鉄道の区間も利用できるし、
紀伊長島から旅がスタートできればそのあとの日程も楽になる。
初日に「青空フリーパス」で伊勢鉄道を乗り潰し、2日目、3日目で「青春18きっぷ」を利用する。
宿泊できる場所を探していたらやはり伊勢神宮外宮の最寄り駅である伊勢市が限度で、
その先の紀勢本線は宿泊場所が見付けられず、2日目は伊勢市から多気に戻り、
ここから紀勢本線の旅をスタートさせることにした。


 2.有田川町鉄道公園の保存車と早期撤収計画

紀勢本線の旅の2日目が伊勢市からスタートするところまでは決まったが、
2日目の宿泊地として最初は和歌山を考えていた。
しかし紀勢本線での取材駅を検討している途中で有田川町鉄道公園の存在を知った。
この公園は有田川鉄道金屋口駅の跡地を整備した有田川町立の鉄道公園である。
有田川鉄道は有田みかんの輸送を主な目的に設立された地方鉄道で金屋口はその終着駅であったが、
輸送の主流がトラック運送に移り、2003年1月1日付けで鉄道路線は廃止された。
気動車2両が動態保存されているようで、ここに行きたいと思った。
ここは路線バスの設定はなく、有田川町観光施設巡回バスが藤並駅から公園前までを結んでいる。
しかし運行日は土日祝日および行楽期となっており、平日は運行されない。
また1日2便しかなく、行きは藤並駅東口10:10発と15:00発、
帰りの有田川鉄道公園は14:18発と18:23発となっている。
つまり滞在時間が3時間49分となってしまう。

そこでタクシーでの撤収も含めて早期撤収計画を事前に計画した。
通常であれば14:18に有田川鉄道公園バス停を出て14:37に藤並駅東口に到着、
20分の乗り換え時間で14:57藤並発の紀勢本線・下り370Mに乗車して15:36に和歌山に着く。
そのあと和歌山線、桜井線、奈良線を乗り継いで京都まで行き、新幹線で帰京する。
早期に撤収することによってこのルートの取材駅も増えるので、
藤並駅に乗る列車とその和歌山駅に到着する時間、和歌山駅を出発する時間とそのルートを書き下し、
行動予定表とともに持参することにした。
紀勢本線の御坊から和歌山までの区間は1時間に約2本の設定があり、
それに合わせて和歌山駅で和歌山線に乗る時間も14:25発、14:55初、15:25発の前倒し案を設定した。
有田川町観光施設巡回バスで藤並駅に戻ってきた場合、和歌山に到着するのは15:36で、
19分の乗り換え時間で15:55和歌山始発列車に乗ることになる。

1日目の「青空フリーパス」と3日目の有田川町観光施設巡回バスは土曜日曜祝日しか利用できず、
冬季の「青春18きっぷ」の利用期間の中でこの並びになる日程として、
12月21日日曜日から23日の火曜日に決定した。
有田川町鉄道公園を取材するために2日目の宿泊場所として藤並の手前で探し、御坊に決定した。
宿泊場所1日目は伊勢シティーホテル、2日目はホテルグリーンヒル御坊駅前に決定してネット経由で予約、
11月23日日曜日夜にJR幕張駅の指定席券売機で、
行きの東京から名古屋までの新幹線指定席特急券と幕張から名古屋までの乗車券、
帰りの京都から東京までの新幹線指定席特急券と京都から幕張までの乗車券を購入する。
「青空フリーパス」は当日名古屋駅のみどりの窓口で購入することとし、
2日目、3日目の「青春18きっぷ」は九州縦断の旅の前日に購入して2回分は既に使用済みである。
この切符の3回分、4回分を使って2日目、3日目の旅をする。


 3.青空フリーパスの一日目−伊勢鉄道完乗と鳥羽の海へ

2014年12月21日日曜日、初電で秋葉原まで行き京浜東北線で東京へ。



東京駅に到着した時にはまだ新幹線の改札は開いていなかった。
3分の待ち時間で5:30a.m.ちょうどに自動改札の電源が入る。



既に「のぞみ1号」充当のN700系はホームに停車していた。
売店で「厳選素材 よくばり弁当」やお茶などを買って車内に持ち込み、朝食として喰う。
名古屋で下車してみどりの窓口で「青空フリーパス」2,570円を購入する。



ここからはこの切符を使って旅をする。
08:16名古屋始発の関西本線で四日市まで行き、ここで駅取材する。
貨物列車の拠点になっているようで、ディーゼル機関車が何機か留置されていた。
ここから伊勢鉄道の気動車に乗り換えて津を目指す。
津での乗り換え時間は12分で、予定では荷物をコインロッカーに入れるつもりだったが、
時間がなくてそのまま鳥羽行きのキハ11に乗ってしまった。
鳥羽では1時間54分の時間を取ってあり、十分な取材時間が確保してある。
鳥羽は近鉄との共同使用駅であり、ここで車両取材をしていると近鉄50000系が停車した。



近鉄50000系は「しまかぜ」の愛称のある民鉄有料特急の中でも最も人気のある車両である。
鳥羽で昼食を喰おうと思い街中を散策したが、
海の近くで海鮮ものの店しか見当たらなかった。
駅まで戻り、近鉄側と国道42号線を挟んだ海側に位置する鳥羽一番街に行く。
ここは真珠や鳥羽のお土産を売るショッピングセンターで、
そこの3階が食堂街となっており、「吉平」で伊勢うどん650円喰う。
ここから14:05の列車で参宮線を戻り、松阪に向かう。


 4.分断された名松線−伊勢市の夜と朝

ブランド牛で有名な松阪だが、ここも近鉄との共同使用駅である。
松阪で駅取材した後、名松線に乗り換えて家城まで行く。
名松線は名張から松阪を結ぶ路線として計画され伊勢奥津まで敷設されたが、
現在の近鉄大阪線に当たる参宮急行電鉄が別ルートで松阪から名張までを敷設したため、
計画は頓挫のまま現在に至った。
名松線は2009年10月18日に発生した台風18号の影響により、
家城から伊勢奥津の区間で約40箇所の土砂崩れや路盤流出が生じてこの区間が運休となり、
5年以上が経過した現在でもバス代行が続いている。
JR東海は治山、治水工事を行政が負担することで営業再開を検討しているとのことで、
2015年度の運転再開に向けて復旧工事に着手したと発表があった。
この区間が復旧するとしたらまた改めて訪問しなければならないが、
とりあえず現在の鉄道路線が運行されている家城まで往復することにした。
家城駅前には既に代行バスが停車していた。



この駅で下車した多くの人が代行バスに乗り込んだが、
勿論バスの乗り潰しには興味がないので折り返し列車で松阪まで戻る。
予定では津に行って駅取材するつもりだったが、
既に日が傾き始めているのでそのままホテルを取ってある伊勢市に向かうことにした。
津で荷物を預けなかったのもこの予定変更に幸いしている。
16:46松阪発の快速「みえ15号」で伊勢市まで行く。
伊勢市に到着した17:06には既に空は真っ暗になっていた。
ここも近鉄との共同使用駅で、
JR側の南口で折りたため、踏切を渡って大きく迂回することになってしまった。
「伊勢シティーホテル」にチェックインし、この時に明日の朝食も予約する。
ホテルに荷物を置いてからファミリーマート伊勢河崎店で買い物して、
再び部屋に荷物を置いてホテル1階の「ステーキの石かわ伊勢店」に行き、
チーズハンバーグステーキ972円、ライスセット270円など喰う。
部屋に戻ってコンビニで買ったビールなど飲む。

翌朝は6:00a.m.に起床してシャワーを浴び、
7:00a.m.を待って昨日夕食を喰った1階の「石かわ」で朝食を喰う。
朝食は和食、洋食、朝粥のなかから選び、価格は740円である。
チェックイン時に予約することになっており、洋食をチョイスした。



ベーコン、スクランブルエッグ、茹でたほうれん草と薩摩芋、ロールパンとクロワッサン、
パイナップルと野菜ジュース、他に飲み物を選べるようになっており、コーヒーにした。
部屋に戻ってから歯を磨き、支度をしてチェックアウトする。
今日はいよいよ紀勢本線の乗り潰しに挑戦するのだ。


 5.青春18きっぷの二日目−紀勢本線の旅、JR東海エリア編

昨日は南口から外に出たが、今日はまず北口に行って駅取材し、
近鉄で150円の切符を購入して隣の宇治山田まで行く。
宇治山田駅は1931年開業当時の鉄筋コンクリート3階建ての駅舎が残っており、
南海電鉄難波駅や東武鉄道浅草駅を設計した久野節氏が手掛けている。



近鉄伊勢市駅と近接したので敢えて取材に来たが、正解だった。
帰りは徒歩で伊勢市駅南口まで行き、ここで「青春18きっぷ」に3回(人)に、
「(海)伊勢市駅 12.22.入挟済」と検印スタンプを押してもらう。



伊勢市駅で少し車両取材してから08:21の参宮線上りで多気まで行き、紀勢本線下りを待つ。
1時間の待ち時間で駅取材と車両取材をするが、とにかく寒さが辛かった。
車両取材している中で面白いものを見かけた。
キハ85系特急「南紀」の正面スカートにマットが貼り付けられている。



後で調べて分かったのだが、これは熊や鹿との衝突対策として設置された、
スポンジゴム製の衝撃緩和装置なのだそうである。
09:43多気始発の列車はキハ11-100番台+キハ11-300番台の2両編成が充当されていた。
終点は紀勢本線JR東海の終点である新宮である。
途中、紀伊長島で28分間の停車時間があり、駅取材する。
駅の入口には「笑門」と書かれた札のある注連縄が飾られていた。



木札の「笑門」には次のような逸話がある。

 素戔嗚尊が宿に困っていると貧しいが心の優しい蘇民将来が自分の家に泊めて手厚くもてなした。
 この善行に感激した素戔嗚尊は「後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云いて、
 芽の輪を以ちて腰に付けたる人は免れなむ」と言い残した。
 それ以来、疫病が流行った時も蘇民の子孫は芽の輪のおかげで災いから免れて繁栄したという。

この芽の輪が現在の注連縄となり、厄除けの意味で一年中飾っているのである。
因みに「笑門」とは「蘇民将来子孫家門」の略であるが、
平将門への連想を嫌って「将門」を「笑門」にしたと伝えられている。
3時間37分の長旅で新宮に行き、13:20に漸く新宮に到着した。


 6.紀勢本線の旅、JR西日本エリア編−御坊の夜と朝

新宮は紀勢本線のJR東海とJR西日本の境界駅であり、JR西日本の管轄となる。
新宮での乗り換え時間は40分で、この間に昼食を喰おうかと思ったが、
予定していた駅蕎麦「丸新」は既に廃業していた。
駅前で昼食を喰う場所を探すには少し時間が足りないため、
そのまま14:00新宮始発の串本行きに乗り込んだ。
ここからは電化区間となり、105系和歌山地区地域統一色が充当されていた。



予定では串本で1時間44分の乗り換え時間を取っていたが、途中の紀伊勝浦で急遽下車した。
もともと計画していたわけではないが、紀伊勝浦はJR東海の特急「南紀」の終着駅であり、
わざわざJR西日本エリアまで乗り入れているのだからそれだけの意味はあるだろうと判断したのだ。
駅取材して駅前を散策していたら、「まぐろ丼」の看板を見つけ、「とらや食堂」に入った。
オーダーは看板にあったまぐろ丼1,050円にした。
店の中には「マグロの町 那智勝浦!」というポスターが貼られていた。
時間があるので駅に戻って時刻表で確認し、
いったん上りで2つ戻って那智に行き駅取材する。
熊野那智大社を模した社殿風の駅舎が特徴的で駅前が広く取られ、
駅舎と続きで熊野那智世界遺産情報センターと丹敷の湯という町営温泉が併設されている。
11分の乗り換え時間でこれらを取材する。
駅舎の反対側には丹敷浦が広がっている。



ここで串本で乗り換える予定にしていた列車に乗り込み、紀伊田辺を目指す。
105系ロングシートで2時間24分の旅はさすがにしんどかった。
紀伊勝浦を通過した時に車窓からSL保存機が見えた。
これは那智勝浦町築地公園に静態保存されているC58形353号機だった。
行き当たりばったりで下車したから全く情報が入っていなかった。
駅前ではなく、駅から少し離れていたので見つけられな買ったのだ。
紀伊田辺では駅取材を予定していて1時間14分の時間を取っていたが、
ここに到着する頃にはすっかり日も暮れていて、
予定を変更して隣のホームで接続を取っている御坊行きの113系に乗り込む。
車内は学生やサラリーマンで満員だった。
平日の帰宅ラッシュに巻き込まれてしまったのだ。
18:55に御坊に到着するが、駅前には食堂らしきものが全く見当たらない。
もともとの予定では紀伊田辺で夕食を喰うつもりだったのだが、
御坊まで来たのは結果的に失敗だった。
仕方がないので駅前に唯一あるLOWSON御坊駅前店でビールなどを買い込み、
予約していた「ホテルグリーンヒル御坊駅前」にチェックインする。
夕食はコンビニで買った助六で代用して、これをつまみにビールを飲んだ。
ホテルはチェーンではなく単独で自販機もない。
ビールは1本しか買わなかったので足りなくなってしまった。
2階の受付に行けばビールが買えるとなっていたが、面倒なのでそのまま寝てしまった。

翌朝は5:45a.m.に起床してシャワーを浴び、6:30a.m.を待って2階に下りる。
ここのホテルはパンなどの簡易な無料朝食があるが、
ロビーが狭いために部屋への持ち帰りが出来る。



食パンやロールパン、ヨモギが練り込まれたあんパン、ナッツパンなど、
オレンジジュース、コンソメスープ、ゆで玉子、ヨーグルト、コーヒーなど。
歯を磨いて支度をしてから8:20a.m.頃チェックアウトする。


 7.青春18きっぷの三日目−有田川町鉄道公園の冬

「ホテルグリーンヒル御坊駅前」チェッアウトして御坊駅に行き、
改札口で「青春18きっぷ」の4回(人)のところに、
「ありがとうございます JR西日本 12.23 御坊駅」と検印スタンプを押してもらう。
予定では09:08御坊始発の列車で藤並に行くことになっていたが、
早めにチェックアウトしたため、紀州鉄道のキテツ1形キテツ1を取材し、
1本早い08:35で和歌山方面に向かう。
電車の中で路線図を見ながら考え、紀伊由良で下車して駅取材する。
待合室で時刻表を確認し、一つ手前に戻っても予定の車両に乗れることが分かり、
吉良内原に行って駅取材し、09:11に予定していた和歌山行きに乗り込む。



藤並駅は2008年に橋上駅舎化されたため綺麗である。
観光案内所で有田川町観光施設巡回バスの乗車整理券を貰う。



このバスは有田川町が観光需要掘り起こしのために始めた無料バスで、
有田川鉄道公園も停車駅となっている。
駅取材をして1階の待合室でバスを待っていたら、
おばあさんから声をかけられ、「バスに乗るならもう来てるよ」と云われる。
出発の10分くらい前に既にバスは到着していた。
マイクロバスが充当され、利用客は自分以外はみんな地元の人らしく色々話をしていてた。
車内で出発を待っている間に、バス到着を教えてくれたおばあさんから飴チャンをもらう。
観光施設などをぐるぐる回って予定より少し遅れて有田川鉄道公園に到着した。
有田川鉄道公園は有田川沿いに造られた長閑な場所にある。
勿論、周辺にバス停などはないし、それどころかタクシーさえ見当たらなかった。
ここに降り立って、この鉄道施設の取材計画は失敗だったかな・・・と思った。
吹き抜ける風が妙に冷たかった。


 8.有田川町鉄道公園早期撤収−和歌山ラーメンの昼

有田川町鉄道公園はかつて有田鉄道の車両などを保存・展示する施設として、
有田川町が2010年3月にオープンした。
有田鉄道は藤並から金谷口まで結んでいたが、
その終点の金谷口の車庫や留置線の一部を利用して、
有田鉄道で使用されていた気動車の体験乗車などを行っている。



公園の入口にはD51形1085号機が静態保存されている。
来園した時には何故か前面の釜が少し開いていた。
公園の中には有田川町鉄道交流館があった。



公園そのものは入場無料だが、ここに入るのには200円の入場料が必要になる。



中には鉄道模型のジオラマが設置されているほか、有田鉄道の写真や道具などが展示されている。
しかし200円を払ってみる価値があるものは見受けられない。
普通なら無料で然るべき代物ばかりだ。
まあ、バスが無料だったこともあり、寄付と思えば納得できないこともない。
地元の人も心得ているのだろうか、中にはほかに客はおらず、
またそれほど広くもない建物で3時間49分の時間を潰すのは不可能だ。
かつての有田鉄道の路線跡が遊歩道として整備されているので、
歩けるところまで歩き、タクシーを見かけたら手を挙げようと思った。
その前に保存されている金谷口駅を取材する。
するとそこに1台のタクシーが停まっていた。
渡りに船とこのタクシーに乗り込み藤並駅まで戻る。
運転手さんに色々と話を訊いたところ、
有田川鉄道線は廃止になったものの会社は存続しており、
バスの運行やタクシーで経営を成り立たせているそうだ。
このタクシーもそのうちの1台であり、金谷口駅は本社として利用しているそうだ。
おかげで5.8kmを歩かなくても済んだ。
予定では14:57藤並発のきのくに線で和歌山に行き、
19分の乗り換え時間で和歌山線に乗ることになっていたが、
11:30に乗れたので大幅に余裕が出たため、
以前一度行ったことのある和歌山ラーメン専門店「井出商店」に行き、
中華そば700円を昼食として喰う。
和歌山駅まで戻り、12:55奈良行きの105系に乗り込んだ。


 9.和歌山線の完乗と奈良へ、京都へ−旅の終わり

今回の旅では紀勢本線の完乗をテーマにしたが、企画段階で早くも断念した。
そしてもうひとつの裏テーマが、和歌山線の完乗である。
和歌山線は王寺から和歌山までを結ぶ電化単線路線であり、
いままで全く乗車したことのない区間でもある。
予定では高田から桜井線に入ることになっていたが、
12:55奈良行きの和歌山線に乗り込んだために予定より3時間前倒しで進んでいる。
この時間を使って高田から王寺まで往復しようと思った。
列車の運行状況にもよるが、3時間あれば十分であろう。
和歌山線にも和歌山地区地域統一色を纏った105系が充当されていた。
橋本駅で10分、五条駅で9分の停車時間があり、これを使って駅取材する。
高田からはスイッチバックして桜井線に入るのだが、
ここで下車して王寺行きの列車を待つ。
待っている間に駅取材し、15:37の高田始発の快速で王寺まで行く。
王寺駅の駅取材、近鉄新王子駅の取材をして高田に戻る。
221系に乗り込んで待っている間に構内放送があって、
鶴橋駅で人身事故のため大阪環状線が運転を見合わせているとのこと。
そのためJR難波方面の列車も発車が遅れていた。
大阪ではなく京都を撤収駅にして正解だったなと思った。
16:22桜井線経由なら行きに乗り込み、王寺を出発する。
駅を出て直ぐにSLの保存機を見かけた。
舟戸児童公園のD51形895号機だった。
なんだか今回はSL取材には縁がないというか、後から後悔することばかりだな・・・。
奈良で下車して改札を出たが、
事前の下調べがないために食事を取れそうな場所が見当たらず、
奈良線に乗り換えて京都まで行くことにした。
京都に到着した時には既に日は完全に暮れて夜の帳があたりを包んでいた。



改札内の待合室で時間を潰し、21:16京都発の「のぞみ62号」乗り込む。



東京から快速で津田沼に出て、総武緩行線に乗り換える。



考えてみれば幕張まで乗車券を買わず、東京まででよかったなと思った。
折角「青春18きっぷ」があるのだし、
幕張に到着したのは00:31だが、東京近郊の電車特定区間に入っているのだから、
00:00を過ぎても終電まで「青春18きっぷ」の効力は有効になるのだ。





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