近鉄週末フリーパスの旅




 1.前売りのみの乗り放題きっぷと近鉄未乗車区間

近畿日本鉄道は私鉄としては最長路線網を誇る大手私鉄である。
近畿圏から東海圏への私鉄最長の約570kmの路線を保有している。
その母体は1910年9月16日に奈良軌道として設立され、
同年10月15日に社名変更した大阪電気軌道がその始まりで、
1914年4月30日には現在の近鉄奈良線の一部に当たる上本町−奈良間を開業させる。
その後天理軽便鉄道を買収、生駒鋼索鉄道を合併、参宮急行電鉄を設立、長谷鉄道を合併し、
1928年11月15日には京阪電気鉄道と共同出資で奈良電気鉄道を設立、
更に伊賀電気鉄道を合併、吉野鉄道を合併、関西急行電鉄を設立、参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併する。
戦時中の陸上交通事業調整法で大阪電気軌道、参宮急行電鉄、関西急行電鉄などが統合し、
1941年3月15日に関西急行電鉄に再編される。
この前後も養老鉄道を合併、大阪鉄道を合併、南和電気鉄道、信貴山急行電鉄を合併する。
1944年6月1日に関西急行電鉄と南海鉄道が合併し、近畿日本鉄道が誕生する。
戦後直ぐに南海鉄道の路線を分離して南海電気鉄道が設立される。
戦後も奈良電気鉄道を合併、信貴生駒電鉄を合併、三重電気鉄道を合併して現在の形になる。
その設立の経緯から標準軌、狭軌、特殊狭軌の3軌間の路線を所有とていたが、
2015年4月に特殊狭軌の内部線、八王子線を四日市あすなろう鉄道に移管した。
総営業キロ数は501.2kmで2位の東武鉄道、3位の名古屋鉄道を押さえて私鉄としては日本一である。

今までにも何度か近鉄の路線に乗る機会があったが、それでも約3分の2は未乗車区間である。
そこでこの区間の乗り潰しに利用できる良い企画切符がないかと近鉄のホームページを見て、
「近鉄週末フリーパス」というものを見つけた。
この切符は週末を含む3日間連続で近鉄全線が乗り放題になるというもの。
つまり金、土、日か土、日、月で利用することが出来る。
価格は4,100円であるが、条件として「前売りのみ」で当日購入は出来ない。
前売りは1ヶ月前からで、そこで近鉄週末フリーパスの旅を5月22日金曜日から24日日曜日に決定、
5月11日月曜日と12日火曜日に「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」を企画、
1日目の朝は東海道新幹線で名古屋に行き、旅をスタートさせる前に近鉄の窓口に行き、
「近鉄週末フリーパス」と座席指定の特急券を購入することにした。

今回は2泊3日で近鉄のみ乗車区間の乗り潰しに挑戦する。
標準軌の大阪線、名古屋線系統と奈良線、京都線系統に分かれ、狭軌は南大阪線系統存在、
また大阪市営地下鉄中央線と直通するけいはんな線は第三軌条方式直流750Vが採用されている。
近鉄の未乗車区間は以下の通りである。

  標準軌

 大阪線/布施−伊勢中川
 生駒線/王寺−生駒
 橿原線/平端−橿原神宮前
 田原本線/新王寺−西田原本
 信貴線/河内山本−信貴山口
 名古屋線/伊勢中川−近鉄四日市、桑名−近鉄名古屋
 鈴鹿線/伊勢若松−平田町
 湯の山線/近鉄四日市−湯の山温泉
 山田線/伊勢中川−宇治山田
 鳥羽線/宇治山田−鳥羽
 志摩線/鳥羽−賢島

  狭軌

 南大阪線/古市−橿原神宮前
 道明寺線/道明寺−柏原
 御所線/尺土−近鉄御所
 吉野線/橿原神宮前−吉野

この区間の完乗を目指して計画を立てることにした。


 2.計画決定と朝の東京駅−旅の始まり

近鉄週末フリーパスの旅の1日目、5月22日金曜日、
朝一番の東海道新幹線「のぞみ1号」で京都へ行き、
近鉄に乗り換えてまず大和西大寺に移動し、荷物をコインロッカーに預ける。
橿原線で終点の橿原神宮前に行き、狭軌の吉野線で終点の吉野まで行く。
折り返して南大阪線に直通して古市まで行って昼食、
道明寺に移動して道明寺線で柏原まで往復、尺土に移動して御所線で近鉄御所に往復する。
JR御所駅を取材して橿原神宮前まで移動、橿原線で八木西口まで行き、
徒歩でJR畝傍駅まで行って取材してから大和八木まで歩く。
大和西大寺まで戻って夕食後にコインロッカーで荷物を取り出してから、
スーパーホテル奈良新大宮駅前にチェックインする。

2日目、23日土曜日は近鉄奈良で駅取材してから、
08:44大和西大寺発の全線指定特急で一気に賢島まで行く。
普通列車で折り返して五十鈴川で急行に乗り換えて伊勢若松まで行く。
鈴鹿線で平田町まで往復、ここで昼食も済ませる。
名古屋線で津まで戻って駅取材、伊勢中川まで戻って大阪線で大和八木まで戻り、
橿原線に乗り換えて大和西大寺で奈良線に乗り換えて近鉄奈良で夕食を喰う。

3日目、24日日曜日は奈良線で生駒まで行き、生駒線で王寺まで行く。
舟戸児童公園で静態保存されているD51形895号機を取材してから、
田原本線で西田原本まで行き、橿原線に乗り換えて大和八木で大阪線へ。
河内山本まで移動して信貴線を信貴山口まで往復、布施まで行って昼食、
鶴橋から名古屋線直通の全席指定特急で近鉄四日市まで行き、
湯の山線で湯の山温泉まで往復して近鉄名古屋まで出て、
夕食後に18:22名古屋発の東海道新幹線「のぞみ136号」で帰京する。

この計画に基づいて4月23日木曜日にネット経由で、
スーパーホテル奈良新大宮駅前を予約した。

5月22日金曜日、当日は総武緩行線上りの一番電車に乗り込む。



40分の乗車時間で秋葉原に到着する。
さすがに4:00a.m.起きだったため、車内でウトウトしてしまい、
危うく秋葉原で降り損なうところだった。
3分の乗り換え時間で京浜東北線の南行で05:27に東京に到着する。
東京駅の新幹線改札口は5:30a.m.ちょうどに開く。
京浜東北線のホームからだと3分もかからないので改札前で待つことになる。
5:30a.m.になると一斉に自動改札が開き、
まるで競馬のスタートみたいに一斉に改札を潜ることになる。



東海道新幹線「のぞみ1号」は既に東京駅14番線ホームに停車していたが、
まだ客扉は開いておらず、駅員が放送で車掌に呼びかけ、ドアが開く。
売店で「寿司風幕の内万葉」1,030円とペットボトルのお茶を買い、
6号車5番E席について食べ始める。
発車までに30分の余裕があったため、おおかた食べ終わる頃に漸く東京駅を発車した。


 3.標準軌と狭軌の出会いと天武天皇の御製歌

東京を06:00に出発した「のぞみ1号」は2時間11分で京都に到着する。
改札を出ると反対側が近鉄線の改札口になっていた。
そのまま駅のコンコースを突っ切り、
近鉄の改札口を事前に購入した「近鉄週末フリーパス」で入場する。



近鉄京都には2002年5月19日にも入場券を購入して車両取材したが、
2007年に駅の改良工事が実施されていたみたいで、
当時は少しくらいイメージがあったのだが、非常に明るく洗練されていてびっくりした。
ちょうど伊勢志摩ライナーが停車していたのでそれを取材し、
予定していた08:39京都発の急行近鉄奈良行きで大和西大寺まで行く。
旅行用のバッグをコインロッカーに入れ、予定より1本早い09:23発の始発急行で橿原神宮前まで行く。
事前に大和西大寺のコインロッカーの場所を確認しておいたので、
迷わず行けたために15分の乗り換え時間を設定していたのだが、3分で乗り換えできた。
橿原神宮前は14分の乗り換え時間を設定していたが、
予定より1本速い電車で行けたので駅取材も十分に出来た。
橿原線は橿原神宮前が終点で、直通する南大阪線、吉野線が少し離れた場所に設置されている。
その中間に中央口があり、それぞれの路線側にも個別の出入り口と駅舎がある。
標準軌の橿原線は島式2面4線ホームだが、いちばん外側の線路は狭軌になっており、
南大阪線からの団体列車や皇室用の臨時列車などが使用する。
狭軌の南大阪線、吉野線は島式2面4線で線路を地下から潜る形で西口に繋がっている。
35分の乗り換え時間を十分に堪能し、10:30の吉野行きの普通列車に乗車する。
ラビットカー復活塗色の6200系で終点の吉野まで行く。
吉野で15分の折り返し時間を利用して駅取材する。
駅前には天武天皇の歌碑が設置してあった。



歌碑には「天武天皇 淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見與 良人四未三 孝書」と書かれていて、
隣には立て札があり「天武天皇 吉野の宮に幸しし時の御製歌」と書かれている。
また「よき人の よしとよく見て よしと言ひし 芳野よく見よ よき人よく見」という読み方と、
「昔のよい人が よい所だと よく見て よいと言った 吉野を よく見なさい よい人よ よく見なさい」と現代語訳がある。
揮毫は文学博士で文化功労者の犬養孝氏である。
天武天皇は壬申の乱で兄の天智天皇の子である大友皇子を武力で滅ぼし即位していたため、
自分の子供たちには皇位継承で争いごとを起こさないように、吉野に行幸して自分の皇子たちにそれを誓わせたのだろう。
駅前には吉野ロープウェイ千本口駅があり、吉野山の下千本駅まで登れるようになっている。
折り返しの普通列車の隣には16000系特急電車が停まっている。



11:37折り返し発のラビットカー復活塗色の6200系で古市まで折り返す。
古市に来たのはここで昼食を喰うためで、事前に調べた「パインコーン」でポークカツカレー980円を喰う。
午後からは支線を含めた近鉄狭軌区間の乗り潰しに挑戦する。


 4.道明寺合戦と201系ウグイス色−近鉄狭軌の完乗

昼食を喰って古市駅まで戻り、隣の道明寺まで行く。
道明寺は大坂夏の陣で「道明寺の合戦」と呼ばれる戦が行われた場所である。
駅前には「道明寺合戦記念碑」が建っていたが、
その前に工事車両が路駐していたため写真は撮れなかった。
藤井寺市の設置した付近の地図の下には道明寺まちづくり協議会が設置した説明文があり、
そこには以下のように書かれている。

 豊臣方、徳川方の最後の決戦が決まった慶長二十年(一六一五年)
 泉南地方や八尾・若江など各地で大きな戦が繰り広げられていた。
 その中でも、大阪の関ヶ原と云われる激戦が繰り広げられたのが、
 この「道明寺の合戦」である。
 慶長二十年五月六日の未明、大阪城を出た「後藤又兵衛基次」は、
 徳川方の出鼻をくじくため河内国分へと二千八百の兵を進めた。
 道明寺に着いた又兵衛は、石川を渡り小松山(玉手山付近)に
 上り河内国分を見下ろすと、きこにはすでに数万の徳川軍が集結を終えていた。
 かまわず果敢に戦いを挑んだ又兵衛は、「奥田忠次三郎左右衛門」を
 討取るなど戦果をあげたが多勢に無勢。八時間にわたる激闘の末、
 「水野勝成」や「伊達政宗」の軍勢に圧されて自刃、隊は壊滅した。
 勢いづいた徳川軍は、石川を渡って道明寺へと進軍。
 そこへ、遅れて到着した「蒲田隼人正兼相」や「明石全登」が
 迎え撃つも徳川勢の勢いは止まらず蒲田隼人は善戦空しく討死。
 いよいよ崩れかけた豊臣方を立て直したのが「真田信繁」(幸村)であった。
 幸村は、誉田八幡宮付近に布陣。これには伊達政宗の
 武将「片倉重長」(小十郎)が盛んに攻め立て両者譲らず、戦いは膠着した。
 そこに届いたのが、八尾・若江の戦線で、豊臣方の防衛が突破されたとの知らせであった。
 (この八尾・若江の戦は、道明寺より聞こえてきた銃声が合図となりはじまったとも言われている)
 この知らせを受け、戦場を縮小し大阪城の守りに転ずべしとの「毛利勝永」の采配で、
 戦の舞台は道明寺から天王寺へと移された。
 その際、殿軍を努めた幸村は、「関東勢百万と候え、男は一人もなく候」と
 徳川軍を嘲笑しながら悠然と立ち去ったと言われている。
 翌5月7日、「真田幸村」は、討死、大阪城は陥落した。

予定より30分早い13:44の道明寺線で柏原まで行く。
柏原はJR関西本線と接続していて、関西本線の電化区間は大和路線の愛称があり、
201系関西ウグイス色が充当されている。



33分の乗り換え時間で駅取材、車両取材をして14:21道明寺まで戻り、
14:32河内長野行きに乗り換える。
しかしよく考えてみたら隣の古市から長野線に入ってしまうので、
古市で吉野行きの急行に乗り換えて尺土まで行く。
6分の乗り換えで御所線に乗り終点の近鉄御所まで行く。
近鉄御所の近くにはJR和歌山線御所駅があり、歩いてここまで行って駅取材する。
これで近鉄狭軌区間の乗り潰しは完了した。
予定では橿原神宮まで行って標準軌の橿原線に乗り換え、
八木西口で下車して徒歩でJR和歌山線畝傍駅まで行って駅取材、
さらに大和八木まで徒歩移動して大和西大寺まで戻ることになっていた。
しかし24日日曜日の雨の予報で計画を変更しようかと考え始めていた。


 5.計画変更の田原本線と逆行のD51形895号機

尺土から橿原神宮前に向かう電車の中でいろいろ考えたのだが、
明後日の24日日曜日は雨の予報であり、
そうなると駅間移動がある田原本線では傘を差さなければならなくなる。
そこで急遽予定を変更して八木西口から徒歩移動の大和八木への取材は断念し、
24日日曜日の午前中に予定していた田原本線、生駒線の移動と、
王寺駅近くの公園で静態保存されているSLの取材を敢行することにした。
狭軌の南大阪線で橿原神宮前に到着したのが15:51で、
標準軌の橿原線に乗り換えて停車していた15:57始発の普通の大和西大寺行きに飛び乗る。
八木西口では下車せず、そのまま田原本まで行く。
ちょうど高校生の下校時間と合致したのか、駅は通学帰りで混雑していた。
橿原線田原本駅と田原本線西田原本は直接繋がっておらず、
駅前ロータリーを挟んで対峙する距離にある。
田原本から新王寺方面に向かう途中で橿原線に最接近する場所があり、
そこに渡り線が設置されていてそのあと大きく左に大きくカーブを描く形の線形になっている。
両方の駅を十分に取材し、16:29西田原本発の電車で新王寺まで行く。
このあと舟渡児童公園で静態保存されているD51形895号機を取材する。
これは去年「愛と青春の旅立ち〜紀伊半島の旅」で最終日に和歌山線の完乗に挑戦した時、
王寺から折り返しの電車の車窓からSLが静態保存されているを発見し、
次に王寺に来る機会があったら取材したいと思っていたのだ。
事前に調べて地図もプリントアウトしておいたのだが、
24日日曜日の予定だったので旅行用バッグに入っていて今はコインロッカーの中だ。
しかし新王寺に入線する車窓からだいたいの場所を確認し、記憶を元に舟渡児童公園に向かった。
4:45p.m.頃、舟渡児童公園に到着した。
既に日は傾きかけ、全面は逆光になってしまったが、何とか自然光で取材できる状況だった。



逆に後方から見ると順光でちょうど良い。
やはり午前中に取材に来た方が良かったのだろうが取り敢えずこれはこれで良しとしよう。
運転席も解放されていて、親子連れが中で遊んでいた。
このあと王寺駅まで戻り、近鉄生駒線の王寺駅から入場、17:22王寺始発の列車に乗り込む。
田原本と同様、王寺も田原本線新王寺と生駒線王寺はJR王寺駅のを挟んで離れた場所にある。
17:46に生駒に到着し、17:49発の準急近鉄奈良行きに乗り換えて大和西大寺まで行く。
事前に調べておいた「マナビアン」で夕食としてチャーシューカレー900円喰い、
近鉄百貨店で雑誌1冊、イオン奈良店で焼酎とビールなど買い、
駅構内の「北浜ますせん」で練り天などを購入する。


 6.焼酎と練り天と夕暮れの近鉄線−新大宮の夜と朝

今回は連泊だったのでホテルの部屋飲みには焼酎のボトルを購入し、水割りにする。
ちょうど「鉄道ファン7」の購入で近鉄百貨店を訪れたので、
ついでに同じビルにあるイオン奈良店で麦焼酎「知心剣」を購入する。
駅に戻って「Time's Place 西大寺」の中にある「北浜ますせん」で練り天を購入する。
大和西大寺には展望デッキが新設され、大阪、京都方面の線路を2階から見ることが出来る。



既に日は傾き夜の帳が降り始めていたが、その中を走り去る電車も美しい。
展望デッキで行き来する近鉄車両を堪能してからコインロッカーの荷物を取り出し、
19:25快速急行で隣の新大宮に行き、予約していたスーパーホテル奈良・新大宮駅前にチェックインする。
新大宮は2013年1月に「スルッとKANSAI 3dayチケット」で私鉄の乗り継ぎの旅をした13日日曜日に、
近鉄奈良駅から徒歩でJR奈良駅に行った帰り、
近鉄線に戻るのに近鉄奈良に戻らず新大宮に行きここで駅取材している。
ホテルは駅前のロータリーを挟んで目の前にあり、直ぐに分かった。
ホテルの1階部分はセブンイレブン奈良芝辻町店となっており、2階がフロントになっている。
1階にフロントを置かないのがこのホテルの造りの特徴である。
自動チェックイン機はなく、カウンターで2泊分13,500円を払い、レシートタイプの領収書を受け取る。
この領収書には部屋番号と暗証番号が印字されており、
部屋のドアノブのあるテンキーで6桁の暗証番号を打ち込むと解錠する。
外出する時はこの領収書を持参することで鍵の代わりになるのだ。
部屋に荷物を置いて1階のセブンイレブン奈良芝辻町店で水、氷、お茶などを購入する。
部屋に戻って購入した麦焼酎「知心剣」で水割りを作り、「北浜ますせん」で練り天をつまみに飲む。



「北浜ますせん」で購入した練り天はごぼう天2個、イカ天2個、湯葉玉子天1個を購入した。
カメラのメンテナンスを先にやらなければならず、まずは缶ビールを飲む。
ゆっくり落ち着いたところで水割りを作って飲み始める。
初電に乗るために4:00a.m.に起床したため、アルコールはあっという間にまわって直ぐに眠くなった。

翌朝6:00a.m.に起床してシャワーを浴び、6:30a.m.からホテル2階の朝食スペースで無料朝食を喰う。
ウインナー、鹿尾菜の煮物、菠薐草の炒め、茹で玉子、中華丼のトッピング、
サラダ、マカロニサラダ、ご飯、高菜、梅干し、味噌汁、コーヒーなど。



バイキング形式で窓からは新大宮駅や横を通る踏切などがよく見える。
駅近ホテルならではのトレインビューである。
天気予報では午後から雨の予報も出ていて、外は雲は多く青空は見えなかった。
部屋に戻って歯を磨いてからカメラバッグだけ持って出掛ける。
今日は特急で一気に賢島まで行き、名古屋線に入って鈴鹿線を乗り潰す。


 7.改築された近鉄奈良駅と愛称のない特急の旅

5月23日土曜日は特急で賢島まで一気に行くことになっているが、
少し早めにホテルを出て07:40発の近鉄奈良行きで隣の近鉄奈良まで行って駅取材する。
ここは既に取材済みなのだが、そのあと駅ビルが改築されたので再度駅取材に向かった。
大和西大寺まで戻ってここで特急の到着まで車両取材する。
大和西大寺駅の近くには西大寺車庫があり、
そこから回送されてきた50000系「しまかぜ」を目撃した。



車両取材で時間を潰し、08:44大和西大寺発の賢島行きの特急に乗り込む。
近鉄ではすべての特急運用に愛称を設定しているわけではなく、
京都から賢島を結ぶこの特急にも愛称の設定はなかった。
車両は22000系「ACE」が充当されていた。
この車両は近鉄標準軌汎用特急車両で、国鉄の183系、485系に相当すると云えると思う。
事前に特急券を購入してあり、いちばん後ろの6号車に乗り込む。



車内はほぼ満席に近い状態で、土曜日だったためか家族連れも多い。
大和西大寺から賢島までは2時間18分で、橿原線を南下して大和八木の手前で本線を外れ、
右から大きくまわって近鉄大阪線に合流する。
大和八木駅はJR東日本の秋葉原駅などと同じく、
ふたつの路線が垂直に交差しており、橿原線は地上線、大阪線は高架線となっている。
橿原線から直接大阪線に乗り入れるために特急専用の新ノ口連絡線が設置されているのである。
大阪線を伊勢中川まで行き、そのまま山田線、鳥羽線、志摩線と進んでいく。
伊勢神宮の外宮の最寄り駅である伊勢市で約半分の乗客が下車し、
内宮の最寄り駅となる五十鈴川でも多くの乗客が降りていき、
鳥羽ではほとんどの乗客が降りて行ってしまい、6号車では2人しか乗っていなかった。
11:02に賢島に到着し、13分の折り返し時間で駅取材する。
ここからは鈴鹿線にアクセスするためにまずは普通列車で志摩線を折り返す。


 8.30分早い鈴鹿線の折り返しと前倒しの信貴線取材

賢島からまずは鈴鹿線の分岐駅である伊勢若松を目指す。
志摩線、鳥羽線と普通列車で五十鈴川まで行き、6分の乗り換え時間で急行に乗り換える。
五十鈴川から始発の急行は鳥羽線から山田線で伊勢中川まで行き、
そのまま名古屋線に入って1時間2分の乗車時間で伊勢若松に到着する。
4分の乗り換え時間で鈴鹿線に乗り、終点の平田町まで行く。
今日の予定はここまでで、昼食を喰ってホテルまで戻ることになっている。
昼は事前に調べておいた「北国亭」で味噌チャーシュー麺880円喰う。
ここのランチタイムは2:00p.m.までで、平田町に到着したのが既に13:31だった。
昼食を喰っている途中でラストオーダーとなった。
予定では14:35で折り返すことになっていたが、1本早い14:05に間に合いそうだったので、
慌てて駅取材して折り返し電車に飛び乗り伊勢若松まで行く。
土曜日だったが学生が多かった。
伊勢若松に到着したのは14:15で、駅取材して14:28の急行に乗り込む。
予定通り津で下車して駅取材する。
ここは去年末に紀伊半島の旅で駅取材する予定だったが、
日の暮れるのが早くて断念した、そのリベンジ取材と云える。
14:46に津に到着し、駅取材してから15:06発の松阪行き急行で伊勢中川に行く。
伊勢中川に到着したのが15:19で、接続を取っていた15:20発大阪上本町行きの急行に乗り換える。
ここは同一ホームで乗り換えが出来るように工夫された線形とホーム配置になっている。
予定では大和八木で橿原線に乗り換えて帰ることになっていたが、
明日は雨の予報になっており、予定通りに動けない懸念があるので、
先に明日の午前中に予定していた信貴線の取材をこのまま決行することにした。
前倒しで行動できていたため、結果的に予定より1時間早く大和八木に到着することになった。
本当はここで下車して橿原線で大和西大寺まで戻ることになっていたが、
そのまま乗り越して河内国分まで行く。
急行は信貴線の分岐駅である河内山本には停車しないため、
準急に乗り換えて河内山本まで行き、ここで駅取材する。
日はまだ暮れていなかったが、もともと天気が悪く曇りがちのため自然光での取材は限界に近かった。
駅取材をしていたら17:15の信貴線に乗り損ない、次の17:31に乗って終点の信貴山口まで行く。
ここは近鉄が運営する西信貴鋼索線が接続発車する。



西信貴鋼索線は山上の高安山からさらにバスで信貴山朝護孫子寺までを結んでいる。
折り返し時間が2分しかないため、これは断念して次の18:00まで待つ。
その間に駅取材したが、時間を持て余してベンチでまったりする。
河内山本で2分の乗り換え時間で普通の大阪上本町行きに乗り込み、布施まで行く。
布施は大阪線から奈良線の分岐駅となっており、
予定では明日の昼食をこの駅にある洋食レストランで取ることになっていた。
前倒しでその洋食屋に行こうと思ったが、明日の予定だったために地図はホテルに置いてきており、
場所が分からず布施では夕食を諦めて駅取材だけする。
18:37発の準急に乗り込み、大和西大寺を目指すことにした。


 9.天麩羅うどんと笹寿司と予定外の快晴−新大宮二日目の夜と朝

布施で18:37発の準急に乗り込みそのまま大和西大寺まで行く。
布施で乗り込んだときは立ち客がいるほど混んでいたが、石切で多くの客が降りていった。
予定では近鉄奈良まで行って、駅から約300m離れた洋食屋さんに行くつもりだったが、
天気予報では今日の夜から雨となっており、実際に日差しはなかったため、
大和西大寺で下車して駅構内にある駅蕎麦「二条庵・大和西大寺店」で天ぷらうどん320円を喰う。



関西風の色の薄いダシの味が強く出ている汁と大きめのかき揚げが美味かった。
夕食をあっさりしたものにしたのは、夜食に柿の葉寿司を喰いたかったからで、
このあと近鉄奈良まで行って駅改札外の「ゐざさ」で柿の葉寿司を購入する。
さばとさけが3個ずつ入ったものが税込み777円だった。
隣の新大宮まで戻り、セブンイレブン奈良芝辻町店で氷など買ってからホテルに戻る。
柿の葉寿司をつまみに昨日の麦焼酎「知心剣」の残りを水割りで飲む。

昨日と同じように翌朝は6:00a.m.に起床してシャワーを浴び、
6:30a.m.からホテル2階の朝食スペースで無料朝食を喰う。
肉団子、オムレツ、サラダ、ポテトサラダ、カレー、お新香、梅干し、
コーンスープ、フルーツヨーグルト、コーヒーなど。
カレーが美味しくてご飯をおかわりしてしまった。



部屋に戻って荷物をまとめ、8:00a.m.頃ホテルを出る。
昨日までの天気予報では今日は朝から雨となっていたのだが、
実際にはよく晴れて青空も見えていた。
今日の雨の予報に対処するために予定を前倒しして、
今日の予定の生駒線、田原本線、信貴線は昨日までに乗り潰しており、
今朝の時点で未乗車区間は大阪線から名古屋線に直通する中川短絡線と、
近鉄四日市から分岐する湯の山線だけになっていた。


 10.予想外の快晴と大和八木駅の攻防

24日日曜日、事前の予定では生駒から生駒線で王寺まで移動、
駅近くの舟戸児童公園で静態保存されているSLを取材してから田原本線で西田原本まで行く。
橿原線で大和八木まで行って大阪線で河内山本、信貴線を往復してから布施まで行く。
昼食後に鶴橋まで移動して事前に指定席特急券を購入している特急で近鉄四日市に行く。
湯の山線を往復してから近鉄名古屋まで出て夕食後に新幹線で帰京することになっていた。
しかし昨日までの天気予報ではずっと雨となっていて、
雨対策として生駒線、田原本線、信貴線は昨日までに前倒しで乗り潰しており、
今日の予想外の快晴で逆にやることがなくなってしまった。
特急の時間は決まっており、12:36鶴橋発の近鉄名古屋行き特急までは時間を潰さなければならない。
そこで一昨日生駒線、田原本線の取材のために断念した八木駅付近の取材に費やすことにした。
大和八木は地上に橿原線、高架で大阪線が十字に交差しており、
また橿原線大和八木から大和西大寺寄りにひとつ行った新ノ口を出たところから、
大阪線に伊勢中川方面へのホームに入る渡り線が設置され、新ノ口連絡線と呼ばれている。
また橿原線の南側にある八木西口は別の駅でありながら大和八木の構内扱いになっている。
距離も約400mで徒歩移動も十分に可能な距離である。
そこで八木西口まで行ってさらに南側を芦原線と交差するJR和歌山線畝傍駅を取材、大和八木まで歩く。
八木西口は地上ホームで地下に改札口があり、南北で出入り口がある。
一見すると地下鉄の駅のようである。
徒歩で移動してJR和歌山線畝傍駅まで行き駅取材する。



今日はそのまま名古屋まで行って新幹線で帰るため、旅行用バッグも持ち歩かなければならない。
天気も良くなって気温も上がったために思った以上にしんどかった。
そのまま橿原線と平行した道を北上して大和八木まで行く。
ここで駅取材して大阪線のホームに上がり、10:00大和八木発の急行上本町行きに乗り込む。
移動にかかった時間は畝傍駅の取材を含めても30分くらいだったが、
それでも炎天下で荷物も重かったためにかなり疲弊した。
さらに大阪線急行電車が混雑していて座れなかったために体力の消耗が激しかった。


 11.焼肉未練な鶴橋と愛称のない特急

もともとの予定では09:50の区間準急に乗り信貴線の乗り潰しに挑戦することになっていたが、
予定の列車に乗り遅れ10:00の急行に乗車した。
それでも信貴線は前倒しで取材済みなので時間的余裕があったし、
さらに急行が混雑していて座れなかったこともあって河内国分で下車してここで駅取材する。
13分の乗り換えで10:29の区間準急でそのまま終点の大阪上本町まで行く。
終点まで行って初めて知ったのだが、大阪上本町止まりの列車は地上ホームに入る。
大阪難波やさらにその先に乗り入れる列車は鶴橋を出ると地下に入るが、
そのまま地上の櫛形ホームも7面6線が用意されていて一部は下車専用のホームとして使用される。
また大阪上本町駅は地上部分が近鉄百貨店となっており、
地上ホームも実際はビルの1階部分に入り込んでいるために地下ホームのようである。
ここで駅取材して鶴橋まで戻り、特急の時間まで時間を潰す。
鶴橋は大阪環状線と交差する駅だが付近には狭い路地に多くの店が並び、
また韓国人が営む焼き肉店も多くあり、中には開店前に列の出来ている店もあった。



しかし朝食を喰いすぎたことや夕食に味噌煮込みうどんを喰う予定にしていたため、
昼食は軽めにしたいと思っていたので焼肉は泣く泣く断念する。
鶴橋市場から出た千日前通りを渡ったところで偶然見つけた「福島上等カレー」で、
トッピングは無しの普通のカレー480円を喰う。
時間的には余裕があったので早めにホームに上がり車両取材する。
鶴橋を12:36発の特急に乗り込み、近鉄四日市を目指す。



大阪難波を発車したこの特急は伊勢中川の手前で中川連絡線を渡って名古屋線に入る。
この特急も22000系「ACE」が充当されており、列車に愛称名はない。
鶴橋を出て直ぐくらいに途中で停まってしまった。
近くの踏切で異常を知らせる信号が発せられたと車内アナウンスがあったが、
それほど長く待たされることはなく直ぐに動き出した。
1時間44分で近鉄四日市に到着する。
この駅は以前に取材済みだったため、改札を出ることなく湯の山線に乗り換える。


 12.憧れの味噌煮込みうどんとケータイの死−旅の終わり

湯の山線は片道約25分の支線で予定では終点の湯の山温泉では、
37分の取材時間を見込んでいたが、
実際に行ってみると特に時間のかかる取材先ではなかったので、
到着した列車の折り返し時間の4分の間で駅取材を強行し、15:00発の列車で四日市に戻る。
15:25に近鉄四日市に到着し、少し車両取材をして15:42始発の準急で近鉄名古屋に行く。
準急は近鉄蟹江までは各駅に停車し、ここから6駅を飛ばして一気に近鉄名古屋まで行く。



近鉄名古屋に到着したのは16:32で、となりの名鉄百貨店に行き、
9階レストランフロアにある貨店内の「山本屋総本家名鉄店」で親子煮込みうどん1,652円を喰う。
少し時間が早かったがそれを見越して昼食を押さえていたので美味しく頂けた。
それに去年の名鉄二日間の旅で「山本屋総本家 本家」に行く予定だったが、
場所が分からずに断念したという経緯があったので、そのリベンジの意味合いもあった。



新幹線ホームに入場してから待合室に併設された売店でお土産など買い、
18:22名古屋発の東海道新幹線「のぞみ136号」で東京まで戻る。



東京に着いて地下ホームに移動し、総武快速線で津田沼まで行く。
総武快速線に乗り換えて初めて気付いたのだが、今日の12:40にケータイが完全に死んでいた。
バッテリーコードは持参していたのだが、一度も充電しなかった。





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