妙高の風 阿武隈の風




 1.久々の0泊2日−週末パスの旅の計画

週末パスはJR東日本の企画切符で、文字通り週末の土日のみ有効になるフリー切符である。
エリアは大まかに云ってJR東日本の首都圏に近い南半分で、
相互乗り入れをしていたり、JR東日本から分離して第三セクターとなった鉄道会社など、
JR東日本以外の鉄道会社に乗れるのも魅力的だ。
この週末パスは以前から土日きっぷなどの名称で存在していて、
この切符を用いて敢えて2日間の日帰りの旅をするのが好きだ。
今までにも何度もこの切符を使って旅をしてきたが、
この度北陸新幹線が金沢まで延伸し、並行在来線が第三セクター化したことで、
利用区間が変更され、北陸新幹線の利用区間も上越妙高までとなった。
そこで久しぶりに週末パスを用いた0泊2日の旅を企画することにした。
全国の鉄道の乗り潰しに挑戦中だが、それと同時に拙作「Station−駅から始まる物語」で、
新幹線の停車駅についても全駅取材に挑戦している。
そこで今回新たに利用範囲に加わった北陸新幹線上越妙高の駅取材を絡め、
北陸新幹線の並行在来線を中心に日帰りの旅を計画した。
また以前に計画していながらお蔵入りになっていた、
阿武隈急行と福島交通飯坂線の乗り潰しにも挑戦したい。
そこで入院中に考えていた計画なども参考にしながら、以下のような計画を立ててみた。

土曜日は北陸新幹線で週末パスで行ける限界の上越妙高駅まで行き、
分離された信越本線を受け継いだえちごトキめき鉄道を乗り潰す。
そのためいったん直江津まで行き、折り返して妙高高原まで行く。
ここからはしなの鉄道に転換されたために乗り換えて長野まで行く。
長野から松本まで移動するが、途中駅でホームからの眺めが絶景と云われる姨捨で途中下車、
松本から全区間未乗車の地方鉄道アルピコ交通を乗り潰し、千葉あずさで帰る。

日曜日は東北新幹線で限界のくりこま高原まで行き、駅取材後に仙台まで戻る。
東北本線で船岡まで行き、静態保存されているED71形37号機+オハフ61形客車を取材する。
槻木まで戻って阿武隈急行で福島までを乗り潰す。
福島で福島交通飯坂線に乗り換えて飯坂温泉までを往復する。
東北本線で更に郡山まで南下し、磐越東線でいわきで乗り潰して特急「ひたち」で帰京する。

11月14日土曜日と15日日曜日に予定を決行することに決め、
今回は宿泊を伴わないので出社前にJR幕張駅の指定席券売機で切符を購入した。
週末パスは8,730円で指定された区間で普通車に2日間有効で、
特急や新幹線も特急券を追加すれば乗車券として有効になる。



週末パスそのものは購入できたのだが、1ヶ月前にもかかわらず、
新幹線や特急の指定席は購入できなかった。
あとから分かったのだが、指定席は1ヶ月前の10:20a.m.からだったのだ。
翌日に指定席を購入、15日日曜日のくりこま高原から仙台までの新幹線の自由席を買うのを忘れたことに気付き、
10月26日に追加して購入、これで準備は整った。
しかし予定日の週末は雨の予想で、当日になっても天気予報から雨マークは消えなかった。


 2.強風の上越妙高と直江津の折り返し

11月14日土曜日は北陸新幹線「はくたか551号」で上越妙高まで行く。
予定では05:14の総武緩行線に乗るつもりだったが、
思ったよりも早く支度が出来たため、04:56に乗り秋葉原まで行く。
京浜東北線に乗り換えて05:47には東京駅に到着する。
新幹線の発車時間までは41分あるため、改札を出てまだ暗闇に包まれていた駅舎を取材する。



夜闇が残る中で煉瓦の駅舎は幻想的に写る。
再び東京駅に入場し、東北・上越新幹線の改札をくぐる。



ホームに上がって車両の入線を待つ間、E3系「つばさ」塗色変更車などの車両取材する。
売店で「駅弁誕生130周年記念 秋の味覚弁当」1,300円などを購入、
社内に持ち込んで朝食として喰う。
北陸新幹線「はくたか551号」は06:28に東京駅を出発する。
車内アナウンスで車掌が云っていたが、指定席は満席のようだ。
「はくたか」は停車駅が比較的多く、東海道新幹線に換算すると「ひかり」にあたる。
人気は大宮を出ると長野と富山しか停まらない「かがやき」だろうが、
それが取れなければ「はくたか」でもいいから金沢まで行きたいということなのだろう。
途中車窓からはポツポツと雨が降るのが見えていた。
北陸新幹線「はくたか551号」は08:32に上越妙高に到着する。
上越妙高はかつて信越本線脇野田駅だったところで、
北陸新幹線開通に伴い、新幹線と交差する現地点に120m移設されて改称された。
脇野田駅で下車したことはないが、2001年4月21日に土日きっぷを利用して旅をした時、
行き違いの貨物列車を待つために停車した駅で、EF64形1040号機の撮影に成功している。
上越妙高で下車した時には雨は降っていなかったもの、風は激しく吹き荒れていた。
おかげで並行在来線のえちごトキめき鉄道では、一部の区間で徐行運転をしているらしい。
強風の中、26分の乗り換え時間で駅舎取材を完了させ、
下りのえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの電車に乗り込む。
直江津まで行って折り返すことになっていたが、途中に徐行区間があったため5分遅れになってしまった。
直江津では予定していたE653系1100番台特急「しらゆき」のほか、
えちごトキめき鉄道ET122系気動車、北越急行HK100形気動車「ゆめそらII」、
えちごトキめき鉄道ET127系電車などを取材した。
本来ならいったん外に出て駅舎取材をするつもりだったが、その余裕はなかった。
ホーム上で車両取材を堪能して09:47直江津始発の、
えちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの上り列車で妙高高原へと向かう。


 3.長野駅の立ち喰いと断念した姨捨の絶景

直江津から乗ったえちごトキめき鉄道ET127系も当然のことながら、
一部の区間で徐行運転をしていた。
それでも大きな遅れもなく、55分の乗車で妙高高原へと到着した。
えちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインは直江津から妙高高原までで、
ここから長野までは長野県になるため、
長野県が中心となって出資した第三セクターのしなの鉄道の区間になる。
北陸新幹線金沢延伸で新たに分離された区間は北しなの線となっている。
えちごトキめき鉄道ET127系はJR東日本が製造し、第三セクターかと同時に譲渡されたが、
しなの鉄道では国鉄時代に製造された115系が赤とグレーの塗色を纏って運行されている。
乗り換え時間は21分で、えちごトキめき鉄道ET127系が妙高高原に到着した時には、
しなの鉄道の113系は既に停車していたが、駅取材を強行した。



JR東日本時代の2007年4月21にもこの駅を訪問しているが、
その時にちょうど本屋外装修繕中で足場が組まれてしまっていた。
今回はそのリベンジの意味合いも含まれている。
しなの鉄道・北しなの線は妙高高原から長野までで、42分の乗車時間であった。
JR長野駅は今までにも何度か訪れていて、駅取材は完了していたが、
北陸新幹線の金沢延伸に合わせて駅舎が改装されたため、改めて取材する。
本当はここで駅近くのラーメン店に行くことになっていたが、
雨が心配だったため路面店は断念し、駅舎内の「ナガシマ会館」で天ぷらそば390円を喰う。
さすが信州の表玄関駅だけあって、駅蕎麦にもうどんの設定はなく、蕎麦のみで勝負している。
長野駅には冬季オリンピックの時のエンブレムが誇らしく掲げられている。



2020年の新しいエンブレムは東京駅に半永久的に飾られるのだろうか。
長野からはJRに乗り換え、始発の篠ノ井線で松本を目指す。
予定では姨捨で減車して一本あとの列車まで待ち、
その時間を利用して駅取材をするつもりだったが、
雨の心配があったために姨捨で下車することは断念した。
それでも車窓からは絶景が楽しめた。
この駅はスイッチバックの駅でもありそれも楽しんで13:57、松本に到着した。


 4.渕東なぎさなアルピコ交通と千葉あずさの帰宅

姨捨での駅取材を断念したため、予定よりも1時間早い13:57には松本に到着した。
そこで夕食に行こうと事前に調べておいた洋食店「どんぐり」に行く。
松本駅から外に出ると既にポツポツと雨が降り出していた。
しかし傘は差さずにそのまま店まで行き、ハンバーグステーキ1,450円を喰う。
帰りは更に雨が強くなっていたが、そのまま松本駅まで戻った。
1時間の前倒しがここで食事をしたために相殺され、
予定通りの15:27松本発のアルピコ交通・上高地線に乗り込む。
アルピコ交通はアルピコホールディングスの完全子会社で、鉄道事業やバス事業などを展開する。
アルピコとはALPIne COrporationの頭文字を取って命名され、
ALPIne COrporation(アルパインコーポレーション)とは直訳すればアルプスの会社ということになる。
グループ会社には地元に根ざしたホテル、レジャー、流通などの企業がある。
上高地線は1920年に設立された筑摩鉄道が1922年に松本から島々までの区間を敷設した。
筑摩鉄道は1922年に筑摩電気鉄道に社名変更、1932年に松本電気鉄道に社名変更した。
戦時下に松本自動車と合併、その後も多くの企業と合併し、レジャー産業グループとして成長した。
1983年には災害により新島々−島々間が休止になり、翌年には正式に廃止された。
車両は京王電鉄井の頭線3000系を譲渡され、CIの「Highland Express」と5色のイメージカラーが表された。
しかし乗り込んだ車両には知らないアニメ風のキャラクターが描かれていた。



このキャラクターは「渕東なぎさ」といい、設定では新村駅に勤務していることになっている。
因みに名字は「えんどう」と読み、名前とともに上高地線の駅から取られている。
アルピコ交通のホームページによると、身長は152cm、年齢は19歳、
好きな食べ物はりんご、スイカ、ワッフル、趣味はショッピング、お菓子作り、旅行となっている。
このキャラクターの名前の由来となった渚、渕東の駅名標は渕東なぎさのキャラが描かれている。

アルピコ交通・上高地線で終点の新島々まで行って折り返しの7分の間に駅取材する。
雨が降っていたが、強行して写真を撮った。
そのまま乗ってきた「なぎさトレイン」で松本まで戻り、
44分の乗り換え時間でお土産や駅弁などを買い、17:18松本始発の特急「あずさ30号」に乗り込む。



特急「あずさ」は新宿と松本、一部は大糸線南小谷までを結ぶ中央東線の特急であるが、
朝晩の一往復ずつは千葉駅の発着となる設定がある。
通称「千葉あずさ」と呼ばれ、朝の松本方面と夕方の千葉方面の列車がある。
千葉から総武快速線の線路を走り、錦糸町を出たところで緩行線に転線し、
両国、浅草橋、秋葉原と総武緩行線を走り、御茶ノ水で中央快速線に転線して新宿まで行く。
今までにも何度かこの特急を利用したことがあるが、今回もこれを使って千葉まで戻る。
やはり自宅の近くまで特急で帰れるというのは楽である。
以前、183系国鉄形を使用している時は秋葉原駅にも停車したが、
今のE257系は11両編成のため、10両編成に合わせて造られた緩行線ホームには停まれない。
3時間32分という長旅のため、グリーン席をキープした。
駅弁をつまみにビールを飲みながら至福の時を過ごして千葉に到着する。



千葉からは緩行線で自宅に戻る。
一日目の旅は21:12に幕張駅に戻ったところで終わった。


 5.深夜の計画変更−雨の日曜日

特急「あずさ」で千葉まで戻ったところで、外は既に本降りの雨だった。
そこで幕張で下車したところでNewDays幕張でビニール傘を買って家まで帰った。

翌日15日日曜日は事前に用意していた予定では、
東北新幹線でくりこま高原まで行って駅取材、仙台まで戻り、
東北本線で船岡まで行って駅近くに静態保存されている、
交流電気機関車ED71形37号機+客車オハフ61形客車を取材する。
東北本線で槻木まで戻ってここで昼食を取る。
槻木から阿武隈急行線経由で福島まで行き、福島交通・飯坂線を往復する。
東北本線で郡山まで出て磐越東線でいわきまで行き、
特急「ひたち24号」で東京まで戻ることになっていた。

しかし雨は明日の午前中を中心に本降りの予報になっており、
船岡での駅前の静態保存車両の取材は困難と予想される。
そこで家に戻ってから急遽、雨対策の新しい予定を組み直した。
東北新幹線でくりこま高原に行き、仙台まで戻るところは一緒だが、
船岡には行かずに東北本線で直接槻木まで行き、阿武隈急行線経由で福島に行く。
福島交通・飯坂線を往復して東北本線で郡山まで行って昼食を取る。
あとは従来の予定通り、磐越東線でいわきに出て特急「ひたち24号」で東京まで戻る。

真夜中に漸く新計画を作成してプリントアウトし、就寝する。
翌日は初電から三本目の05:14の電車に乗らねばならず、ほとんど寝ることが出来なかった。
翌朝も昨日の雨は続いていて本降りの中、昨日購入したビニール傘を差して幕張駅に向かう。
総武緩行線で秋葉原まで行き、京浜東北線で東京まで出る。
東北・上越新幹線の自動改札が故障しているようで有人改札を通ってホームに入る。



駅売店で駅弁「秋露のささやき」1,350円とお茶を購入して「やまびこ41号」に乗り込む。
E2系1000番台が充当されていた。
東北新幹線「やまびこ41号」は本降りの雨の中、06:04に東京駅を静かに発車した。


 6.くりこま高原の右往左往と阿武隈急行の南下

東北新幹線「やまびこ41号」は2時間22分でくりこま高原に到着した。
くりこま高原は仙台から2つ先の新幹線単独駅である。
08:26にくりこま高原に到着、単独駅のため新幹線で仙台まで戻ることになる。
24分の乗り換え時間で駅舎取材をして「はやて114号」に乗り込む。
雨の中を傘を差しながら何とか駅舎取材を完了したが、
そこで大きな過失に気付いた。
仙台に戻る「はやて114号」は全席指定で自由席はなかったのだ。
それなのに2駅で乗車時間も22分しかないため、自由席を選択してしまったのである。
しかしこのあとの予定を考えるとはやて114号」に乗らないわけにはいかない。
乗り換え時間残り10分を切ったところでそのことに気付き、
あわててくりこま高原駅のみどりの窓口に並んだ。
自由席の切符をキャンセルして、開いている指定席を取るためである。
残り5分で自分の番が来て、窓口の係員に事情を説明した。
しかし窓口の担当からは「仙台までなら空いている指定席に自由席の切符で座れますよ」と云われた。
特例でそういう規定になっているらしい。
指定席の切符を持っている客が来たら席を譲ることを条件に、
全席指定の列車の場合のみ自由席の切符で空いている指定席に座ることが出来るらしい。
知らないで自由席新幹線特急券を購入してしまったが、結果的には正解だったようだ。
3分前にくりこま高原から仙台までの自由席券で入場する。



くりこま高原08:51発の「はやて114号」は結果的にはかなりの空席があり、
案ずるまでもなく、余裕で座れて22分の旅を楽しんだ。
09:13に仙台に到着し、28分の乗り換え時間で09:41始発の白石行きに乗り込んだ。
乗り換え時間を利用して仙台東北ライン充当のHB-E210系気動車の車両取材も出来た。
HB-E210系気動車はシリーズハイブリッドと呼ばれる気動車で、
車両の駆動自体は交流モーターで行い、ディーゼルエンジンは発電専用となる。
ディーゼルエンジンで発電された電気や回生ブレーキで発生した電気はコンバータで直流に変換、
蓄電池に蓄積され、加速時などには蓄電池の電気とディーゼルエンジンで発電した電気を併用する。
東日本大震災からの復興でルート変更された仙石線に東北本線からの直通する新線として、
仙台東北ラインが約300mの新線が敷設され、この区間を走行できるハイブリッド気動車として、
HB-E210系気動車が新造された。



何れはこの車両で仙台東北ラインの接続線も乗り潰しに挑戦したい。
09:41仙台始発の東北本線で槻木まで行き、駅取材する。
くりこま高原の時よりも雨は小降りになっていた。
既に折り返しの阿武隈急行線の8100系2両編成が停車していた。



阿武隈急行は国鉄丸森線を転換して槻木から丸森までを開業、
さらに未成線だった丸森から福島までを自力で開業させた地方鉄道である。
全通時に東北本線に合わせて交流電化され、一部の列車は東北本線を仙台まで直通する。
1時間18分をかけて一気に福島まで行く。


 7.福島交通飯坂線の往復と磐越東線の旅

JR福島駅は単式1面1線と島式2面4線、更に5番線を切り欠いた6番線があり、
さらに新幹線が島式2面4線の高架ホームを有する。
阿武隈急行と福島交通飯坂線は東口側の1番線単式ホームの東側に島式の共有ホームを設置、
西側を阿武隈急行線、東側を福島交通飯坂線がそれぞれ使用、改札を共有する。
さらにJRとの間には連絡通路があり、簡易Suica改札機も設置されている。
阿武隈急行線は東北本線と直通するために交流電化されているが、
福島交通飯坂線は直流電化されているため、ホームを共有しているだけで線路が交わることはない。

11:43に阿武隈急行の8100系2両編成が到着すると、
隣には既に11:45発の福島交通飯坂線7000系2両編成が停車していた。
福島交通7000系は元東急7000系で、中間車両に運転台を設置したため、
かなりのっぺりした印象を与える。
それでも東急は子会社に車両メーカーを有しているためか、
元東急の車両が地方の鉄道で第二の人生を送っていることが多く、
のっぺりした中間車両の制御車化も慣れたものである。
隣の車両に飛び乗り、そのまま飯坂温泉までの23分の旅を楽しむ。
飯坂温泉駅は頭端式2面1線の地上ホームで、乗車ホームと降車ホームが分けられている。
駅前の十綱橋からは高低差があり、改札を出て階段を昇ったところに駅舎がある。
駅前には松尾芭蕉の銅像と十綱橋の由来が設置されている。



十綱橋の由来には以下のように書かれている。

    十網橋由来

  みちのくの とつなの橋に くる綱の
   絶すも人に いひわたるかな     千載集

  平安の頃、この地に藤じるで編んだ吊り橋がかけられていた。
 文治五年(一一八九年)大鳥城主佐藤元治は、
 義経追討の鎌倉勢を迎え撃つため、
 この橋を自らの手で切り落とし、 石那坂の合戦に赴いた。
 その後は両岸に綱をはり舟をたぐる「とつなの渡し」にたよったが、
 摺上川はたびたび氾濫する川で、舟の往還にも難渋した。
  明治六年(一八三七年)盲人伊達一、
 天屋熊坂惣兵衛らの努力によりアーチ式の木橋が架けられ、
 「摺上橋」と命名されたが一年ほどして倒壊、
 同八年に宮中吹上御苑の吊り橋を模して十本の鉄線で支えられた
 吊橋が架けられ「十網橋」と名づけられた。
 大正四年(一九一五年)橋の老朽化に伴い、
 当時としては珍しい現在の十網橋が完成された。
 昭和四十年(一九六五年)に大補修が加えられ、
 飯坂温泉のシンボル的存在になっている。

  飯坂の はりかね橋に 雫する
   あづまの山の 水色のかぜ     与謝野晶子

27分の乗り換え時間で上り列車に乗り換え、また23分かけて福島まで戻る。
福島到着は12:58だったが、既に13:30発の郡山行きが停車していた。



この列車で49分かけて郡山まで南下する。
疲れからか列車の中で爆睡し、駅員に起こされて慌てて下車した。
郡山に到着した時には14:19となっており、ここで昼食を取ることにする。
雨を想定して予定変更したが、もともとの予定では槻木で昼食を取ることになっており、
夜中に予定を変更したために郡山で訪問すべき店までは調べ切れていなかった。
そこで東口から辺りを散策し、「麺家くさび」で野菜元気盛り味噌豚骨麺918円喰う。
郡山駅まで戻って15:11始発の磐越東線に乗り込む。
磐越東線は郡山といわきを結ぶ非電化路線で、キハ110系が充当されていた。
2両編成のキハ110系で1時間31分の旅となり、
16:42に漸くいわきまで到着する。


 8.上野東京ラインの功績−特急「ひたち」での帰京

常磐線いわき駅は2004年5月8日に既に訪問、駅取材済みだが、
その時は前の駅ビルで、その時の駅ビルは2007年に閉鎖、
2009年6月19日からは新駅ビルの供用が開始されている。
本当はいわきでの39分の乗り換え時間で駅舎を取材するつもりだったが、
到着したのが16:42で既に日は暮れていた。



日が落ちる早さを恨みながらもホームページのための駅取材は次回に回し、
既に停車している折り返しの特急「ひたち」に乗車する。
かつては「白いタキシードを着た特急」と評された651系が充当していたが、
経年劣化によりE657系に置き換えられた。
651系の時代は上野から仙台までを常磐線経由で結んでいたが、
東日本大震災とそのあとの福島原発事故の影響で未だに常磐線の一部が不通となっており、
特急「ひたち」もいわき止まりとなっている。
もともとこのE657系は上野からいわきに充当され、
いわきから仙台までをフレッシュひたちに充当されていたE653系を当てる予定だったが、
これも震災と原発事故の影響で事実上の白紙撤回となり、
E653系の基本編成7両は改造、1000番台改番の上特急「いなほ」に充当、
付属編成4両は改造、1100番台に改番の上、
北陸新幹線金沢延伸に伴い新設された特急「しらゆき」に充当されている。
またE657系常磐線特急は愛称名を「スーパーひたち」、「フレッシュひたち」から、
停車駅の少ない速達タイプを「ひたち」、停車駅の多い列車を「ときわ」に改称した。
また今までの指定席、自由席の概念を撤廃、基本的には全席指定とし、
指定席と同一料金の座席未指定券というものが新設された。
座席の指定を受けなくても空席を利用できるというものである。
この券なら利用する列車が決まっていなくても事前に特急券を購入することが出来る。
多客期には指定席を取れないというリスクも自由席車を廃止した分軽減できる。
通常期、繁忙期、閑散期の料金変動がなく、その分料金も安いが、
総武快速線、横須賀線、東海道本線などのグリーン車などと同じで、
事前に駅で購入した料金よりも車内で車掌から購入した方が料金が高く設定されている。
云われてみれば指定席券売機で購入した特急券にもただ「特急券」とだけ書かれていた。



普通なら「指定席特急券」と書かれている筈なのだ。
17:21いわき始発の特急「ひたち24号」に乗り込み、事前にホーム売店で購入した駅弁を喰う。
常磐線は今までずっと上野発着だったが、上野東京ラインの開業により品川まで直通するようになった。
当然東京駅にも停車するため、総武快速線との乗り換えも便利になった。
19:43に東京駅9番ホームに到着し、そのまま地下まで行って総武快速線に乗り込む。
津田沼駅で緩行線に乗り換えようと思ったら、隣のホームに253系1000番台が停まっていた。



253系はもともと「成田エクスプレス」専用車両として誕生したが、
経年劣化によりE259系に譲り、一部は長野電鉄に譲渡されて「スノーモンキー」となった。
残った基本番台は廃車となったが、200番台6両編成2本は改造、1000番台に改番の上、
東武伊勢崎線経由で東武日光まで乗り入れる特急「日光」に充当されている。
この特急「日光」は基本的に新宿発着だが、臨時列車で「あずさ」と同じルートで千葉に至る設定がある。
ちょうど東武日光から千葉まで運転して、幕張車両センターに回送されるところなのだろう。
津田沼から緩行線で帰ったが、幕張で下車した時に初めて昨日NewDays幕張で購入したビニール傘を、
福島から郡山まで乗った電車の中に忘れてしまったことに気がついた。





REI RINGONO travelnotes
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2016

inserted by FC2 system