青春の旅立ち−関西本線完乗の旅




 1.青春18きっぷと関西本線の旅−1泊2日の旅の計画

青春18きっぷは国鉄末期の1982年に発売された青春のびのびきっぷがその始まりで、
翌年から「青春18きっぷ」の名に改められ、利用期間や価格などが何度か変わり、
現在では学生の長期休みに合わせて春、夏、冬の5回(人)に、
快速を含む普通列車普通席に一日乗り放題になるというもので、
他の企画切符などとは違い新幹線、特急などの特急券との併用は認められない。
新幹線開業による並行在来線の第三セクター化に合わせ、
一部孤立したJR路線へのアクセスのために、
独自の併用切符の発売や第三セクターが用意した補助切符などもあり、
上手く組み合わせることで旅の可能性は無限に広がるといえるだろう。

これまでもこの切符を使って多くの旅をしてきたが、
2016年夏にまた「青春18きっぷ」を使った旅を企画してみた。
今勤めている会社は決まった夏期休暇というものはなく、
その代わり7月、8月の2ヶ月間の間に2日間夏期休暇を申請できる。
しかし今の職場はこの春に転勤してきたばかりであり、
事前に上手く調整できなかったので長期の旅は断念し、
土日の1泊2日と日帰りの旅3回で5回(人)分を使い果たそうと思っている。
その中でも土日を使った1泊2日はホテルを早めに予約する必要があり、
まだ新学期が始まる前の3月12日にネット経由でヴィアイン新大阪を予約した。
ヴィアイン新大阪のホームページで調べたところ、
青春18きっぷの夏版の利用期間である7月21日から9月10日まででは、
7月23日土曜からの1泊だけであった。
そこでこのホテルで1泊することを前提に計画を立てていき、
関西本線を完乗するという計画に行き着いた。

7月23日土曜日は06:00東京始発の東海道新幹線「のぞみ1号」で名古屋まで行き、
ここから関西本線完乗に挑戦する。
快速みえを利用しつつJR東海とJR西日本の境界駅の亀山まで行き、
気動車で加茂、電車に乗り換えて王寺まで行き、ここで昼食。
JR難波まで行って関西本線の完乗を完成させてから、
久宝寺まで戻りおおさか東線で放出、いったん木津まで行ってから尼崎まで戻り、
東海道本線を吹田まで行って夕食、新大阪まで戻ってヴィアイン新大阪にチェックインする。

7月24日日曜日はホテルをチェックアウトして東海道本線で大阪に移動、
始発の丹波路快速で篠山口、福知山線の普通列車に乗り換えて福知山まで行く。
駅前のC11形40号機を取材、昼食後に山陰本線で綾部、
舞鶴線の普通リレー号で西舞鶴、東舞鶴と移動し、ここから小浜線を一気に敦賀まで行く。
夕食後に北陸本線で米原まで移動し、東海道新幹線で東京まで戻る。

この計画に合わせて6月23日木曜日、24日金曜日に新幹線の乗車券と特急券を購入、
7月1日に発売になった「青春18きっぷ」を7月4日月曜日に指定席券売機で購入した。


 2.関西本線の成立と展開−旅の始まり

関西本線は名古屋から奈良を経由してJR難波までを結ぶ174.9kmの路線であり、
国鉄分割民営化以降、名古屋から亀山までがJR東海、亀山からJR難波がJR西日本の所属となる。
JR東海区間と加茂からJR難波までが電化区間、亀山から加茂までが非電化区間である。
名古屋から木津までは関西鉄道、木津から奈良までは奈良鉄道、奈良から湊町(現・JR難波)は大阪鉄道が敷設した。
奈良鉄道、大阪鉄道は関西鉄道に路線を譲渡、1907年10月1日に関西鉄道は国有化された。
亀山が紀勢本線の起点駅だが、特急「南紀」や快速「みえ」は伊勢鉄道経由となるため、
名古屋から伊勢鉄道の起点となる河原田までは紀伊半島方面の列車が運転され、列車の本数も多いが、
その先はグッと本数が減ってしまい、本線とは名ばかりのローカル線の様相を呈している。
亀山からはさらに運転本数も減り、JR西日本所属のキハ120系が繋いでいる。
加茂からは再び電化区間となり、“大和路線”の愛称もつけられ、
大阪環状線から大和路快速も乗り入れている。
関西本線は2014年の青春18きっぷでの紀伊半島の旅で、
奈良線との併用区間となっている奈良から木津の区間が乗車済みであるものの、
亀山から木津と奈良からJR難波のほとんどの区間が未乗車区間であり、
この夏の青春18きっぷの旅ではまず関西本線の乗り潰しに挑戦することにしたのだ。

7月23日土曜日、この日はJR幕張駅上り列車の初電である04:40に乗り込む。
改札口で青春18きっぷの1回(人)のところに、
「ありがとうございますJR東日本 7.23 幕張駅」と検印を押してもらう。



幕張駅の側線にはちょうど485系「ニューなのはな」が入線するところだった。
この車両は485系交直流形特急電車の足回りを利用し、
車体のみを新造した団体客専用列車で、“ジョイフルトレイン”と呼ばれた車両のひとつである。



今夏での引退がすでにアナウンスされており、最後のご奉公といったところだろうか。
このところはなかなか出番もなく、幕張車両センターの片隅で踞っていることが多かった。
40分で秋葉原まで行き、京浜東北線の南行に乗り換えて東京駅まで行く。
東京駅でいったん有人改札から丸の内駅舎側に出る。



駅前は再開発の工事中で駅舎全体像はなかなか上手く撮ることが出来なかったが、
駅前に流れる車両の流れを制限し、御幸通りを大幅に拡張して皇居から真っ直ぐ伸びる大きな道が造られる予定である。
これも2020年に向けての再開発の一環なのであろうか。


 3.3分の遅延と関西本線いきなりの予定変更

東京駅丸の内駅舎でいったん青春18きっぷで外に出て、
ここから事前に購入した「のぞみ1号」の乗車券・指定席特急券で入場する。



そのまま新幹線改札口もくぐり、すでに入線していた「のぞみ1号」に乗り込む。
荷物を座席においてから売店で駅弁「鶏照焼き重」870円などを購入、
車内に持ち込んで朝食として座席で喰う。
東海道新幹線「のぞみ1号」は06:00東京駅の予定だったが、
駆け込み乗車をした客が車両からなかなか離れなかったため、発車が3分遅れた。
名古屋での乗り換えは8分で「快速みえ」を予定していたが、
3分遅れのまま名古屋まで行くと乗り換え時間は5分になる。
それでも時間的には十分にだろう。
その後、遅れを取り戻し三河安城駅を通過する時には予定の時間まで取り戻していた。
名古屋までは1時間34分で、新幹線改札口を出て在来線ホームに移動、
予定では8分の乗り換え時間で「快速みえ」に乗り換え、四日市まで行く。
「快速みえ」はその名の通り、伊勢鉄道を経由して紀勢本線に入る。
伊勢鉄道は元々は国鉄伊勢線であったが、
分割民営化直前の1987年3月27日に第三セクターの伊勢鉄道に転換された。
そのため青春18きっぷでの利用が出来ないため、四日市で下車し、
07:36始発で関西本線に直通して亀山まで行く、普通列車に乗り換える。
だが、定時に到着したため関西本線の普通への乗り換え時間が2分になり、
特に在来線に乗り換えるのには自動改札が使えたため、
そのまますぐに関西本線のホームへ行くと出発前の普通4309Mに間に合った。
そこで「快速みえ」には乗らずに四日市で乗り換え予定だった普通列車に乗り込み、
そのまま2時間24分かけて亀山まで行く。
車内でのアナウンスはなかったが、到着が少し遅れていたようで、
駅取材する時間が取れずにそのまま隣ホームに停車していたキハ120に乗り換えた。
関西本線はここからJR東海からJR西日本に所有が変わるが、
同時にここから加茂までは非電化区間となる。
そのためJR西日本が開発した汎用普通気動車キハ120が充当されている。
途中、伊賀上野で5分の停車時間があり、ここでこの旅初めての駅取材を敢行する。



伊賀上野は伊賀鉄道への乗換駅にもなっており、2両編成の200系がちょうど停車していた。
伊賀鉄道は2007年より近鉄伊賀線が線を引き継いで運営している連結子会社で、
近鉄の子会社ながら電車は東急1000系に松本零士氏のキャラがラッピングを施して運行している。
亀山から1時間20分かけて加茂までたどり着き、ここで16分の乗り換え時間で駅取材する。
駅の側線には乗ってきたキハ120系と同じ塗色の2両編成が2本留置されていた。


 4.関西本線の完乗とおおさか東線への挑戦

加茂駅で駅取材してからすでに停車していた大和路快速に乗り込む。
大和路快速は関西本線の終点であるJR難波まで行くが、
途中の王寺で下車してカレー専門店「横浜・王寺店」で昼食を喰う。
予定ではこのあと12:07始発の関西本線でJR難波まで行くことになっていたが、
11:54に入線し、11:55発の快速に何とか間に合ったため、そのまま乗り込む。
普通列車で行く予定が快速に乗ったため、
早めの列車に乗った時間も合わせて25分早めにJR難波に到着するため、
予定にはなかったJR難波で駅取材する。



JR難波は関西本線の終点であるが、地下ホームのため地上はOCATになっている。
OCATとは大阪シティーターミナルの略である。
関西本線は加茂からJR難波まで大和路線の愛称がつけられていて、
電化路線で223系などが充当されている大阪近郊の所要路線として機能している。
天王寺から今宮までの1.0kmは大阪環状線と併走する形になる。
今宮からは効果から一気に地下に入ってJR難波は地下ホームという形になる。
ここに於いてJR関西本線の完乗は完了した。
駅取材しても予定より早めに折り返し電車に乗り込み、久宝寺まで行く。
久宝寺で南北の駅舎取材をするが、南口のロータリーの脇には以下のような石碑があった。



そこには以下のように書かれていた。

    久宝寺遺跡跡の碑

 当時は、古大和川の長瀬川と平野川に挟まれた扇状地性低地にあり、
 東西1.6km、南北1.7kmに広がる久宝寺遺跡の一角を占める。
 遺跡の北部では、古墳時代初頭に遡る我が国最古の準構造船が発見され、
 港津的な役割が窺われるが、朝鮮半島に祖形をもつ土器が出土していることから
 国内のみならず海外との交流が想定される。
 西部では、 河内でも珍しい前方後方墳が検出されている。
 飛鳥時代には物部氏との深い関係が『日本書紀』に記載されているが、
 廃仏派の守屋滅亡後の七世紀前半には市内最古の渋川廃寺が建立された。
 ここJR久宝寺駅前に広がる市街地は、かつて国鉄竜華操車場であったが、
 昭和六十一年に廃止となり平成九年以降、
 八尾市竜華都市拠点土地区画整理事業の再開発に伴い発掘調査が行われた。
 調査では、弥生時代後期から古墳時代の住居跡や墓域、奈良時代から中世の住居跡が見つかったが、
 八十基に及ぶ古墳時代初頭の墳墓群や割竹形木棺をもち底部穿孔壺を置いていた久宝寺一号墳、
 平野部では珍しい横穴式石室をもつ後期の七ツ門古墳が検出され、注目を集めた。
 また古墳時代中期には大規模な合掌形の堰が河川に築かれており、
 河内平野の開発に、新たな技術を備えた人々が積極的に
 導入されたことが考えられることなど貴重な発見があった。

          平成十七年十月八日 やお文化協会建立

久宝寺からおおさか東線を完乗して放出まで行く。
おおさか東線は元々片町線の貨物支線の城東貨物線であったが、
これを改造の上旅客転用して関西本線久宝寺と片町線放出を結ぶ路線として、
路線を第三セクターの大阪外環状鉄道が第三種鉄道事業者として所有し、
JR西日本が二種鉄道事業者として車両を運行する。
将来的には放出から新大阪まで路線を延長する予定になっている。
放出からさらに片町線、JR東西線と乗り潰しに挑戦していく。
ちなみに「放出」は「はなてん」と読み、放出は難読駅名としても有名なのである。


 5.片町線、JR東西線の完乗と東淀川のリベンジ

放出に到着したのは事前の計画より早かったので、
予定では14:27発の区間快速に乗り込むことになっていたが、
13:35の四条畷行きに間に合ったのでそれに乗って終点まで行き、駅取材する。
ここで十分に駅取材して14:06の木津行きの区間快速で終点まで行く。
木津は関西本線の駅でもあり、電化区間と非電化区間の切り替え駅の加茂の隣である。
京都と奈良を結ぶ奈良線の駅でもあり、奈良線は木津から奈良までは関西本線と共用している。
奈良線には未だに103系が更新を繰り返しながら充当されている。



ウグイス色は山手線に103系が初めて投入された時の塗色で、
かつては関東でも八高線で見られたが、関西では今でも103系が健在なのだ。
15:28木津始発の宝塚行き快速で一気に片町線、JR東西線を乗り潰し、
尼崎で東海道本線に乗り換えて宿泊先である新大阪を通過し、吹田まで行く。
片町線は学研都市線の愛称もつけられていて、関西文化学術研究都市へのアクセス線ともなっている。
関西文化学術研究都市とは大阪府、京都府、奈良県にまたがる京阪奈地区に造られた広域都市で、
私鉄では近鉄けいはんな線がこの都市へのアクセス鉄道の役割を担っている。
片町線は木津から京橋を結ぶ路線だが、その延長線として京橋と尼崎を結ぶ路線で、
片町線と福知山線を結ぶ片副連絡線として国鉄時代に計画されたものの、
全区間が地下で大阪の中心部を突っ切る形の敷設に費用が増大で、
国鉄時代には工事に着工できず、JR西日本も単独での建設は困難ということになり、
大阪府、大阪市、JR西日本が同額出資して設立された、
第三セクターの関西高速鉄道が第三種鉄道事業者となって路線を敷設、
JR西日本が第二種鉄道事業者として車両を運行している。
片町線とJR東西線は建設の経緯が違うが、事実上は同一路線として運行されている。
尼崎ではそのまま東海道本線に乗り換え、新大阪を通り過ぎて吹田まで行く。
吹田は新大阪の2つ隣の駅であり、予定ではここで夕食を喰おうと思ったが、
いい店が見つからなかったのでひとつ戻って東淀川に行く。



5月に“KANSAI3dayチケット”で旅をした時にすでに訪問、駅取材済みだが、
その時に「a龍・JR東淀川駅前店」という店を見つけていた。
しかし昼食を喰った後だったために訪問することが出来なかった。
そこでこの店を思い出し、ここで夕食を喰うことにする。
新大阪まで戻ってくくるで10個入りのたこ焼きを買い、
パントリー、ハートインでビールやつまみなどを買ってヴィアイン新大阪にチェックインする。


 6.新大阪の夜と朝−大阪の右往左往

たこ焼きやつまみを買って関西旅行の時には定宿としているヴィアイン新大阪に行き、
チェックインしようとしてまたメンバーズカードを忘れたことに気づいた。
5月にを公開いたしました。に連泊した時もメンバーズカードを忘れたのた。
事情を話し、予備のカードを貸して貰う。
カウンターで受付したら支払いはチェックイン専用機で行う。
データを登録した予備カードをチェックイン専用機に挿入すると、
宿泊期間や値段などが表示され、クレジットカードで支払いを済ませると、
そこで初めて部屋番号を記された領収書を兼ねたレシートが発行される。
部屋番号のドアのリーダーにカードをかざすと解錠できる仕組みとなっている。
部屋に入ってカメラのメンテナンスをしてから買い込んだたこ焼きをつまみにビールを飲む。



5月に泊まった時もそうだったが、ヴィアイン新大阪で宿泊する時には、
いつも新大阪駅のくくるでたこ焼きを買い、ビールのつまみに喰う。
すでに夕食を済ませたため、外出せずにそのままシャワーを浴びずに寝てしまう。
翌朝は6:00a.m.に起床してシャワーを浴び、6:30a.m.を待って1階に降り、
食堂「はるか」でバイキング形式の朝食を喰う。



ミニパン6種、ソーセージ、サラダ、コーンポタージュスープ、オレンジジュース、
食後にコーヒーを飲んで少しまったりしてから部屋に戻り、チェックアウトする。
借りていたカードなので、昨日チェックインした時の機会に挿入するだけ。
カードは自動的に回収され、そのままホテルを出る。
JR新大阪駅まで行き、在来線有人改札口で青春18きっぷの2回(人)に、
「新大阪 7.24 JR西日本」の検印を押して貰う。
東海道本線で隣の大阪まで行き、07:53始発の丹波路快速で篠山口まで行くことにしていたが、
新大阪で07:37発の福知山線直通新三田行きに乗って大阪駅の6番線ホームで降りたのだが、
当然同じホームから福知山線直通列車が発車するのだろうと待っていたがなかなか来ない。
電光掲示板にも07:53丹波路快速篠山口の表示がない。
その後の列車が表示されたところでホームを間違えたことに気づく。
慌てて跨線橋を上がり、その上の全列車が表示される電光掲示板で発車番線を確認、
4番線から発車することを確認して慌てて行く。
始発列車なので早めに入線して信号が変わるのを待って発車のため、乗り遅れることはなかった。


 7.福知山線の完乗とJR西日本のトラウマ

福知山線は馬車軌道として川辺馬車鉄道によって尼ヶ崎(現・尼崎)から伊丹まで敷設されたのが始まりで、
軽便鉄道に改築して1893年12月12日に尼崎から池田(現・川西池田)までを開業、
川辺馬車鉄道は社名を摂津鉄道に変更した。
摂津鉄道は1897年2月16日に阪鶴鉄道と合併、改軌の上同年12月27日に宝塚まで延伸された。
阪鶴鉄道はその後も延伸を続け、1899年7月15日に福知山南口(現・福知山)まで延伸した。
福知山から綾部、新鶴舞(現・東鶴舞)までは官設鉄道として開業、
阪鶴鉄道は1907年8月1日に国有化、1909年10月12日の線路名称制定で阪鶴線となる。
1912年3月1日の線路名称改定で阪鶴線のうち福知山以南が福知山線となる。

福知山線を語る上でどうしても外せないのが2005年4月25日の福知山線脱線事故である。
尼崎から塚口に至るカーブを速度超過した207系が7両編成の快速電車の前5両が脱線、
沿線に建っていたマンションに叩き付けられ、乗員乗客107名が死亡するという悲惨な事故となった。
現場は半径304mという急カーブになっており、東海道本線から福知山方面に大きく弧を描いている。
そのため速度超過が起こりやすい場所として以前から知られていたという。

07:54に大阪駅を出た丹波路快速は東海道本線を尼崎まで行き、ここに停車する。
尼崎を出ると徐行しながら福知山線への分岐に行き、徐行しながら事故現場のカーブを曲がる。
本当に恐る恐る走っているという感じで、ここまでゆっくり出なくても大丈夫だと思うのだが、
やはのこの場所はJR西日本にとっては特別な場所であり、10年以上経ってもトラウマは消えないのだろう。
カーブを曲がりきって直線になっても徐行は続いたが、坂口を過ぎた当たりからスピードを上げる。
まるで事故現場は息を止めて通り過ぎたように元の快速電車に戻って伊丹まで進んでいく。
1時間9分で篠山口まで行き、ここで普通列車に乗り越える。



さらに57分の旅で終点の福知山まで行く。
福知山は福知山線の終着駅であり、山陰本線の駅でもある。
また京都丹後鉄道宮福線の終点でもあり、MF100形104が停車していた。
停車している115系6000番台、115系6500番台などを撮影して改札を出た。


 8.福知山駅前のSLと鶴舞線の完乗

改札を出て最初に北口を取材し、そのあと南口に出て駅取材する。
福知山駅は東海道本線尼ヶ崎(現・尼崎)と福知山南口(現・福知山)を結ぶ阪鶴鉄道と、
ロシア方面の港があった新鶴舞(現・東鶴舞)を結ぶ官設鉄道が1904年に敷設され、
1907年8月1日に阪鶴鉄道が国有化され、
国鉄分割民営化後の1988年7月16日に宮福鉄道が開業、
1989年にはJR宮津線を引き継いで北近畿タンゴ鉄道に社名変更、
旅行業者のWILLER ALLIANCEが設立した子会社WILLER TRAINSに移管され、京都丹後鉄道宮福線となる。
福知山は交通の要所だったことから南口にはかつて福知山機関区が設置されていた。
現在は福知山南口公園となっており、名残として転写台が残され、
かつて北近畿で活躍した蒸気機関車C11形40号機が設置されている。



駅取材の後に事前に調べておいた「中華サン」で昼食を喰い、
ここから11:53福知山始発の普通列車で綾部まで行く。
福知山は普通列車全ての終着始発となっており、福知山を跨いで運行される列車はない。
綾部では既に鶴舞線の普通リレー号が停車していたが、
乗り換え時間が27分あったのでこの時間を利用して駅取材を強行する。
普通リレー号は東舞鶴行きであったが、手前の西舞鶴で下車してここで駅取材する。
西舞鶴は京都丹後鉄道宮舞線が接続しており、西舞鶴運転区も併設されている。
側線にちょうどKTR8000形「タンゴディスカバリー」のリニューアル改造車、
「丹後の海」が側線に停まっていた。



既に2編成が改造されたというのはアナウンスされていたが、
KTR8003+KTR8004改造の3編成目が既にここに停車していた。
普通車のリニューアルも担当した水戸岡鋭治氏のデザインで、
水戸岡さん特有のセンスの車両デザインだ。
十分に取材して13:26発の普通列車で終点の東舞鶴まで行く。
ここで舞鶴線の乗り潰しも完了、このあとは小浜線の乗り潰しに挑戦する。


 9.小浜線の完乗と米原の自動改札−旅の終わり

小浜線は敦賀から東舞鶴を結ぶ地方交通線で、北陸と山陰の架け橋とも云われる。
長らく非電化線だったが、2003年3月15日に直流電化され、
それに合わせて直流両運転台電車1125系が設計され、小浜線に投入された。
東舞鶴の乗り換え時間は1時間1分でゆっくり駅取材しても時間を持て余し、
早めにホームに上がったところで「丹後の海」が入線していた。
KTR8001+KTR8002使用の第2編成だった。
同じホームを前後に使って小浜線の125系2両編成も入線してくる。



小浜線125系は14:34に東舞鶴を出発し、1時間55分かけて敦賀まで行く。
途中、路線名と同じでアメリカ大統領と奇しくも同じ名前となった小浜、
さらには原発で名前を知られている美浜などを通過していった。
16:29にようやく敦賀に到着、直前には北陸本線と併走する線形になっていた。
敦賀駅には敦賀地域鉄道部が併設しており、トワイライト色のEF81形が留置されていた。
トワイライトエクスプレスが運行されていた時には、この駅で機関車の付け替えが行われていた。
大阪には機関区がないため、翌日下り列車で使用する機関車を上り列車で付け替えていた。
北陸本線は長浜まで交流電化されていたが、2006年に敦賀から長浜までが直流に切り替え、
米原から直流電車が敦賀まで直通できるようになった。
敦賀駅は2003年に富山から北陸本線を大阪まで行った時、立ち寄ったことがあるが、
既に駅舎はリニューアルされていたため、再度駅取材した。
その後事前に調べておいた「敦賀ヨーロッパ軒」でソースかつ丼を喰う。



このあと敦賀始発の北陸本線新快速で米原まで行く。
この区間を乗ることで北陸本線の乗り潰しも完了した。
敦賀で乗り込んだ時にはそれほどでもなかったが、途中から混雑してきた。
混雑したこともあって米原到着も少し遅れてしまった。
米原で6分の停車で東海道本線に入り、赤穂線に入って播州赤穂まで行く。
乗り換え時間は10分しかなく、そのため在来線から直接新幹線改札に入ろうとしたが、
在来線の入場記録がなく、自動改札が閉まってしまった。
慌てて有人改札に行き、青春18きっぷと新幹線の切符を見せて入場する。



当然のことながら入場記録がないため、東京でも有人改札を通らなければならない。
新幹線ホームに行くと既に「ひかり532号」が入線するところだった。
既に夕食を喰っているため、ビールとつまみだけ買って新幹線に乗り込もうと思ったが、
その時間もなく、車内販売でビールを買うことにした。
しかしこういうときに限って車内販売がなかなか回ってこなくて、
途中ふて寝してしまったこともあり、回ってきたことに気付かなかったらしく、
実際に車内販売を見かけたのは既に次の停車駅が新横浜になった時だった。
を公開いたしました。でビールを飲んだらとても東京駅で降りられないと思い、断念した。
予定より早い21:30始発の千葉行きに乗って津田沼まで行き、緩行線に乗り換えて帰る。





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