東北の私鉄と第三セクター鉄道−三連休東日本・函館パスの旅




 1.目が点!−ミッション名と計画の変更−北海道新幹線の断念

JR東日本には三連休の時にのみ発売される三連休乗車券があった。
ハッピーマンデーが設定され、月曜日に祭日が来る可能性が増えたため、
三連休で旅行の機会も増えたことに合わせ、2010年に登場した企画切符である。
JR東日本の全ての区間及びJR北海道の中小国から箱までの区間に乗車することが可能、
また別に特急券などを購入すれば新幹線や特急にも乗車することが出来る。
この三連休乗車券が北海道新幹線の開業に合わせ、
JR北海道管区の函館エリアまで利用区間が拡大された三連休東日本・函館パスにリニューアルされた。
この三連休東日本・函館パスを使って北海道新幹線の乗り潰しと、
並行在来線の江差線を引き継いだ道南いさりび鉄道を完乗を含めた、
函館エリアと東北エリアの2泊3日の旅を9月17日から2泊3日で計画した。

9月17日土曜日には東北・北海道新幹線「はやぶさ1号」で木古内まで行き、
昼食後に道南いさりび鉄道で函館、「快速はこだてライナー」で新函館北斗まで行く。
北海道新幹線で新青森、奥羽本線で弘前まで行きホテルルートイン弘前駅前チェックインする。
18日日曜日は弘南鉄道・弘南線で黒石まで往復し、奥羽本線、五能線で五所川原まで行き、
津軽鉄道で終点の津軽中里まで行って弘南バスで奥津軽いまべつ駅前まで移動、
駅取材後に津軽二股からいったん津軽線で三厩まで行ってから青森まで戻る。
夕食後に弘前まで戻って奥羽本線で弘前に戻る。
19日月曜日は奥羽本線で大館乗り換えで鷹ノ巣まで行く。
昼食後に秋田内陸縦貫鉄道で阿仁合乗り換えで角館まで行き、
田沢湖線で田沢湖まで行って夕食を喰い、秋田新幹線「こまち62号」で東京まで戻る。

この計画でホテルルートイン弘前駅前に予約を入れ、
計画の1ヶ月前に新幹線の特急券と三連休東日本・函館パスを購入することにした。
ホテルはシングル禁煙室が取れたのだが、「はやぶさ1号」が取れなかった。
9月17日土曜日の1ヶ月前、8月17日水曜日の出社前、
JR幕張駅の指定席券売機で東北・北海道新幹線「はやぶさ1号」の指定席乗車券を購入しようとしたが、
グランクラスはもちろんのこと、グリーン席も普通席も完売だった。
やはり三連休の初日だけに、この機会に函館まで新幹線で行ってみたいと思う人は多いのだろう。
途方に暮れたまま出社のために総武緩行線に乗り込む。
社内ではいろいろと考え、やはり予定を中断するしかないと結論づけた。
だが、ほかの時間帯の指定席は取れないかもう一度確認しようと思い、
JR東船橋駅の指定席券売機で再度確認したところ、
06:32東京発の「はやて1号」の前に臨時列車06:00東京発の「はやぶさ45号」を見つけた。
この列車はJR東日本管区の新青森止まりだったが、
グランクラスもまだ座席が残っており、その場で八戸までのグランクラスを購入した。
同時に三連休東日本・函館パス14,050円も購入、2日後に、秋田新幹線「こまち62号」のグリーン席を購入した。
予定では「北海道新幹線と東北の私鉄−三連休東日本・函館パスの旅」のミッション名にすることにしていたが、
この段階で北海道新幹線に乗れないことから函館エリアは断念、
ミッション名も「東北の私鉄と第三セクター鉄道−三連休東日本・函館パスの旅」に変更した。

9月17日土曜日は八戸で下車して青い森鉄道の未乗車区間の乗り潰しに挑戦、
浅虫温泉で途中下車して青森まで行き、昼食を喰う。
時間が余ったので2日目の予定の弘南鉄道の乗り潰しを1日目の午後に実行する。
以前調べておいた運動公園前下車で「レストラン ジョージの店」で夕食を取り、ホテルにチェックインする。
18日日曜日は弘南鉄道の往復がないため遅めにホテルを出て予定の行動を取る。
19日月曜日は普通列車で鷹ノ巣まで移動を特急「つがる2号」に変更、
1本早い秋田内陸縦貫鉄道に乗れるために阿仁合で下車し、
昼は駅併設の「こぐま亭」で馬肉シチュー黄金ライス添えを喰うことにする。


 2.東北新幹線グランクラスの極上−旅の始まり

9月17日土曜日、九州方面は台風の接近で雨だったが、
逆に東北地方はまだ台風の影響はそれほどなく雨の予報はなかった。
三連休東日本・函館パスは自動改札を追加できるタイプの切符なので、
そのまま改札口を通過する。



当日は04:40幕張駅初電の上りで秋葉原まで行き、京浜東北線で東京まで行く。
早めに着いたので丸の内側の改札をいったん出てsuicaにチャージする。
再入場して東北・上越・北陸新幹線の改札を切符を2枚重ねて入場する。



今回はグランクラスに席を取っているために社内で軽食のサービスを受けられる。
ホームに上がるとまだ車両は入線していなかったが、駅弁などを購入する必要もない。
程なくして「はやぶさ45号」用E5系がE6系と連結して入線してくる。



アテンダントに迎えられてグランクラスに乗り込む。
グランクラスの座席は2+1で、1人用の5番A席を予約してある。
隣の席は2人掛けだが、一人分ずつが独立している。



東北新幹線「はやぶさ45号」は06:00に東京駅を発車する。
この時間は東海度新幹線の「のぞみ1号」と同時刻だ。
発車するとアテンダントが挨拶しておしぼりを配り始める。
そのあと飲み物のサービスを始めるが、ワゴンの中には軽食も用意され、
和軽食か洋軽食が選べるようになっている。
ドリンクはビール、食事は和定食をオーダー、
食後のデザートとしてグランクラスオリジナルパウンドケーキやあられも配られる。



グランクラス和軽食は出発地によって内容が変わるようで、
下り列車の内容は以下の通り。

 グランクラス和定食−東京編−

 お品書き

  さんま祐庵焼き
  銀杏串
  むかご真丈
  玉子焼

  きのこ醤油漬

  さつま芋あられ揚
  鶏肉ごま衣揚
  ピーマン揚

  煮物
   南瓜
   飾り人参
   いんげん
  茄子揚げ煮

  季節御飯



初電に乗っての出発で、しかもビールの酔いもあって、
朝食を食い終わる頃には穏やかなまどろみに包まれていた。
盛岡で秋田新幹線E6系「こまち45号」が切り離されて先に発車、
E5系「はやぶさ45号」のみがそのまま東北新幹線として新青森を目指す。
二戸に停まり、次はいよいよ八戸である。
支度をしてグランクラスの10号車を降車する。
下車する時もアテンダントが見送ってくれる。
「お世話様でした」と挨拶してホームに降りる。
しかし八戸での乗り換え時間は5分しかない。


 3.青い森鉄道の完乗と早すぎる弘前−SL銀河との遭遇

臨時列車東北新幹線「はやぶさ45号」は08:49に八戸に到着する。
1分の停車時間で新青森に出発した。
ここから青い森鉄道に乗り換えるのだが、乗り換え時間は5分しかない。
八戸駅は構造上、新幹線から在来線に直接乗り換えることは出来ず、
新幹線改札口を出てから跨線橋を横切って在来線改札口に行く。
しかもをここでの乗り換え客が多くて在来線改札口も混雑しており、
結果として出発ぎりぎりの乗車となってしまった。
車内は立ち客も出るほど混雑していた。
青い森鉄道の企画で乗り込んでいる客もいるようで、スタッフも同伴していた。
途中駅で地元の名産を売りに商店主が乗り込んできて客席をまわり、
隣の駅で下車していくといったことも行われていた。
スタッフと参加者は浅虫温泉で下車して行き、新たな乗客が大量に乗り込んできた。
もともとの予定では浅虫温泉で下車することになっていたが、
空模様が良くなく、さらに電車も混雑していたために浅虫温泉での下車を断念、
そのまま青森まで行くことにした。



東青森に着く頃には実際に雨も降り始め、この先の予定も読めなくなってしまった。
もともとは青森で昼食を喰い、そのあと弘前に向かうことになっていたが、
予定していたラーメン店「味の札幌大西」は駅から650mの距離、
徒歩では10分程度かかり、雨の中を歩いて行くのはしんどい。
さらに6番線には10:39発の秋田行きが停車していた。
そこで早すぎるが、これに乗り込んで先に弘前に行くことにした。
3番線、4番線ホームでは何かのセレモニーの用意が行われており、
スーツを着た女性や保線区のスタッフが慌ただしく作業をしていた。
さらに途中駅にはカメラを持った鉄道ファンと思われて人々や警備員も多く見えた。
弘前に着いた時にその理由が分かった。
知らなかったのだが、7月から9月まで「青森県・函館デスティネーションキャンペーン」が行われており、
それに合わせて釜石線で使用されている「SL銀河」が、
臨時列車「SL銀河青函DC号」として、
9月17日には青森から弘前まで、19日には弘前から青森まで運転されることになっていたのだ。
「SL銀河」は岩手県の公園で静態保存されていたC58形239号機を動態復元させ、
釜石線で「SL銀河」として運転されているもので、
勾配区間の多い釜石線では蒸気機関車単機での運転は厳しいため、
客車をJR北海道で余剰になった客車改造の気動車を導入している。
構内放送で「SL銀河」が入線してくることを知り、
改札を出る前にこれを待ち構えて撮影することにした。



片道運転であるため到着してからもしばらく停車していて、多くの人が撮影していたりしていた。
ミスねぶたなども盛り上がりに花を添えていた。


 4.大黒様な弘南鉄道−黒石やきそばの断念と新里のSL

SL銀河はしばらくホームに停まっていて、多くの人がその余韻に浸っていた。
後ろ髪引かれる思いでこのホームを後にして、弘前駅城東口に降り、
弘南鉄道の改札口に行き、大黒様きっぷを購入する。



この切符は弘南鉄道一日乗り放題になる切符で価格は1,000円である。
弘南鉄道には弘前から黒石までの弘南線と大鰐から中央弘前までの大鰐線があり、
切符名の大黒様は大鰐の“大”と黒石の“黒”から来ている。
この切符を使って弘南鉄道の乗り潰しを実行する。
大鰐線は2005年9月18日に全線、弘前線は2007年11月17日に平賀まで往復した。
しかし終点の黒石までは行っていなかったため、今回終点まで行くことにした。
12:30の黒崎行きに乗って終点の黒石までに行く。
もともとの予定では15:00発の電車に乗ることになっていたので、2時間半の前倒しだった。
しかも青森で昼食を喰いそびれていたので、黒石で昼食を喰おうと思った。
黒石といえばB級グルメのつゆ焼きそばが有名で、
それを喰おうと駅のまわりを散策し、「やきそばの店ブラスト」を見つけてそこに行こうとした。
しかし道の反対側に「元祖みそラーメン」と看板に堂々と書かれた「大将」を見つけ、
ここに入り、みそラーメン720円とおにぎり(おかか)120円など喰う。
駅まで戻り、上り列車を待つ。
もともとの予定では津軽尾上で下車して30分で駅取材、
さらに運動公園前まで行き約600mの距離にある「レストラン ジョージの店」で夕食を喰う。
しかし黒石でラーメンとおにぎりを喰ったため、予定通りに夕食を喰うのはしんどい。
そこで運動公園前には行かずにその手前にある新里に行くことにした。
黒石に向かっている車窓から駅前にSLが静態保存されているのが見えたので、
これを取材しようと思ったのである。



黒石に着いた時には2時間半の前倒しだったので、時間的にも余力がある。
静態保存されていたのは8620形48640号機だった。
8620形はJR九州の「SL人吉」の牽引機にも使われている蒸気機関車で、
1914年から1929年に672両が製造された大正時代の標準型で“ハチロク”と呼ばれていた。
これを取材して予定していた津軽尾上に戻って駅取材する。
それでもそれほど空腹にはなっておらず、運動公園前にいっての夕食は断念し、
そのまま弘前まで戻って中央口の「そば処こぎん」で天ぷらうどん460円で軽い夕食を喰う。


 5.幻の駅弁と弘前の雨−1日目の夜と朝

弘前駅の駅舎内の蕎麦店で軽い夕食を喰い、
駅に隣接する複合商業施設「アプリーズ」の中にある、
パルシーやラグノオアプリで日本酒やにんにくせんべいを購入する。
この旅行に出る1週間前に日曜日の情報番組で東京駅の駅弁特集をやっていて、
専門家がお薦めする駅弁を紹介するコーナーで、
弘前の駅弁「ひとくちだらけ」が紹介されていた。
駅弁の中が24に細かく区切られていて、その中にいろいろな郷土料理が入っている。
番組の中では五所川原の業者が朝に作って東京に届けるので、
東京駅に届く時間は夕方になると云っていて、そのためマニアの間でも幻の弁当と云われている。
折角弘前まで来たのだから是非この駅弁を購入したいと思い、
この駅弁を探したが、既に弘前に戻った時にはなかった。
昼に弘前に着いた時には売っていたので、夕方になる前に売り切れてしまったのだろう。
東京では幻の駅弁だったが、弘前でも幻の駅弁になってしまったのである。
そこで仕方なく、駅ビルで青森特産の田子大蒜を使ったチップなどをつまみに買い、
弘前物産展で日本酒3本セットのじょっぱりあじわいセット1,300円も購入した。
普段は連泊する時には焼酎のボトルを購入し、コンビニで水と氷を購入して水割りにする。
しかしやはり青森は米処のためか、物産展には日本酒しか置いていなかった。
普段は日本酒はほとんど飲まないのだが、“郷に入れば郷に従え”ということで、
日本酒の3本セットを購入することにしたのだ。
さらにコンビニで追加のつまみなども購入して、
予約していたホテルルートイン弘前駅前にチェックインする。
ホテルに向かおうとした時に突然雨が降り出し、少し濡れてしまった。
ネットで予約した特典として1泊で水かお茶のペットボトルが貰えるとのことで、
お水をチョイス、2泊分で2本貰った。
部屋に入ってカメラのメンテナンスを済ませてから日本酒を飲み始める。



普段から日本酒は少し苦手だなと思っていたが、
それでも地酒を地元で飲むのは美味しく、その分酔いのまわりも早かった。
早めにチェックインしたこともあって10:00p.m.を待たずに眠くなってしまった。

翌朝は5:00a.m.前に起床し、ホテル最上階にある大浴場「旅人の湯」に行き、
ラジウム人工温泉の一番風呂を堪能する。
二日酔いだったが、それでもゆったり風呂に入って酔いを解す。
部屋に戻ってクールダウンし、6:30a.m.を待って1階「花茶屋」で朝食バイキングを喰う。
チェックインの時にフロントの係から「今日は満室なので朝食は混むかもしれません。」と云われたが、
その通り、少し前に行ったにもかかわらず、行列がフロントまで出来ていた。
少し待って漸く店内に入り、料理を取っていく。
体育会系の学生と思われる客が多く、たぶん近くで大会などが行われているのだろう。



スクランブルエッグ、ベーコン、コーン揚げ、コロッケ、鶏肉とキャベツの炒め、
マカロニサラダ、芋餅、サラダ、梅干し、沢庵、味噌汁、ほうじ茶など。
店内が混んでいたため、身動きできずに追加を取りに行くことも出来なかった。
部屋に戻って歯を磨いてから、カメラバッグだけを持ってホテルを出る。
2日目は津軽鉄道の乗り潰しに挑戦する。


 6.予定変更の撫牛子と津軽鉄道の完乗

予定では09:39弘前始発の五能線直通に乗って五所川原に行くことになっていたが、
朝食が早かったため、早めに出て弘前駅で車両取材する。
08:49発のリゾートしらかみがあり、新型ブナ編成を期待したがくまげら編成だった。
島式2番線3番線ホームで車両取材しいたら単式ホームの1番線に、
08:58青森行きが停まっており、それに乗って先に川部まで行こうと思った。
もう弘前に取材対象がなかったためだが、
電車に乗ってから気が変わり、弘前と川部の間にある撫牛子で下車することにした。
何も考えずに下車したが、やはり駅前には何もなく、ホームからは一面に田んぼが広がっていた。



42分の待ち時間があったため辺りを散策し、弘前で乗る予定だった五能線直通に乗り換える。
川部で乗り換え時間7分の間に車両取材と留置されていたホッパ車も取材する。
五所川原で津軽鉄道に乗り換えるが、4分しか時間がないため、
改札を出ずにそのまま直接津軽鉄道のホームに行く。
跨線橋を降りたところに若い車掌見習がいて、そこで切符を購入する。
窓口ではなく車掌から切符を購入したため、冊子に駅名や運賃の一覧表が印刷されたタイプで、
パンチで発駅や着駅、運賃などにパンチを入れて渡される。



昔は良くこういう切符を車掌から購入したりしたが、
JRなどではレシートタイプに変わっているために久しぶりにこの手のタイプの切符を見た。
乗り込んだ列車は津軽鉄道の秋の風物詩となっている鈴虫列車だった。
さらに太宰治列車2016使用になっていて、車内広告のスペースに太宰治ゆかりの場所などが紹介されていた。
車内には二人のアテンダントが乗り込んでいて沿線観光地の案内や記念品の車内販売なども行われていた。
車内はほぼ満席に近い状態だったが、ほとんどの客が金木で降りていった。
太宰治の生家を改装した記念館「斜陽館」を目指しているのだろうか。
さらに隣の芦野公園では残った乗客も降りていってしまい、車内の客は一人だけになってしまった。
それでもアテンダントの二人は車内に残っていて、
運転手を含めると一人の客のために3人の従業員がサービスするという図式になってしまった。
これでは赤字になるのも無理はないなと思った。
終点の津軽中里で下車して駅取材していると、乗り込んでいたアテンダントがわざわざ寄ってきて、
「最北端証明書」を渡してくれ、「裏に記念スタンプが押せるようになっているので是非どうぞ。」と云われた。



そこには「日本最北端の民営鉄道の駅に到着した事を証明します。」と書かれていた。
予定では津軽中里から270mの距離にある「吉田チャンコ食堂」で昼食を喰うつもりだったが、
店の前まで行くと「営業中」の看板を出しながら休業していた。
この時は分からなかったが、後で調べると日曜定休だったようだ。
仕方がないので駅に併設されていた“駅ナカにぎわい空間”の中にある「駅ナカ食堂」で、
カレーライス・中辛500円を喰う。
この駅には中泊町無形民俗文化財「金多豆蔵人形芝居」の劇場も併設されていたが、
ちょうど休業期間になっていて閉まっていた。
もしここが空いていたらもう少し乗客がここまで来たのかもしれない。
57分の待ち時間で12:10津軽中里駅前発の弘南バスに乗り込む。


 7.弘南バスの早着と予定変更の津軽線−再びのSL銀河

北海道新幹線開業に合わせて北海道新幹線奥津軽いまべつ駅と、
津軽鉄道津軽中里の間に連絡バスが開業した。
新幹線のダイヤに合わせて1日4往復の設定があり、料金は大人1,200円である。
新幹線のダイヤに合わせているため、逆に津軽鉄道のダイヤにも合っておらず、
そのため57分の乗り換え時間が出来てしまったのだ。
使用されていたのはマイクロバスで、その大きさに見合う利用客しかいないようだ。
乗車時間は1時間10分が設定されていて、
それほど遠くない距離なのにどうしてこんなにかかるのか疑問だったが、
実際は大きな主要道路がなく、山道を進んで行くしかなかった。
途中、3つのバス停があったが乗車は出来ても下車は出来ない。
途中のバス停は奥津軽いまべつからの利用しか出来ないようだ。
山道を揺られながら奥津軽いまべつに到着したのは0:58p.m.で、予定より20分以上前に到着だ。
距離が長いために誤差も大きく、眺めに時間を取っていたのだろう。
早めに到着したために13:05の青森行きに間に合ってしまった。



この後は青森直通の列車はなく、15:08蟹田行きに乗って終点まで行き、
蟹田で38分の乗り換えで始発の青森行きに乗り換えるしかない。
1時間38分の乗り換え時間があるため、三厩まで往復する事にしていたのだ。
津軽線はもともと1日5本の設定しかなく、ここにリゾートあすなろが休日に走っているだけだ。
1時間18分の乗車時間で14:23に青森に到着する。
青森に到着すると隣のホームには「SL銀河」が停車していた。



慌ててこれを取材、今回は蒸気機関車の前にディーゼル機関車が連結されていた。
再びこの列車に会えるとは思わなかった。
隣のホームから気動車使用の客車を全車取材し、改札を出る。


 8.青森のリベンジと幻の駅弁再び−2日目の夜と朝

青森駅で改札を出て、今日予定していた食堂に行ったが、
中途半端な時間だったためかシャッターが閉まっていた。
そこで昨日行く予定だったが雨のために行けなかったラーメン店「味の札幌 大西」に行く。
ここで味噌カレー牛乳ラーメン(バター入り)830円を喰う。
昼食には遅すぎるが夕食には早すぎる中途半端の時間帯のためにすぐには入れた。
それでも店内には何組の客がいて、この店の人気が分かる。
青森で早めの夕食を喰ってから奥羽本線の電車で弘前まで戻る。
昨日買えなかった弘前の駅弁「ひとくちだらけ」を探したが今日も売り切れていた。
やはりテレビの力は偉大で、弘前に2泊しながら結局弘前の駅弁が喰えなかった。
正しく幻の駅弁となったのである。
駅に隣接する複合商業施設「アプリーズ」の中にあるパルシーで、
追加の日本酒を買い、セブンイレブンでビールやつまみの追加をかってホテルに戻る。



カメラのメンテナンスをしてから日本酒を買ったパルシーで、
一緒に購入した津軽半島浜小屋仕込み姫帆立塩焼をつまみに生貯蔵酒津軽じょんがらを飲む。
今日も積もった疲労もあってすぐに眠くなってしまい、シャワーも浴びずに就寝する。

3日目の朝も5:00a.m.に起床して朝風呂を愉しみ、部屋に戻ってクールダウンし、
6:30a.m.を待って1階「花茶屋」に行って朝食バイキングを喰う。
今日は体育会系の学生はおらず、ゆったりと食事が出来た。



スクランブルエッグ、ベーコン、コーン揚げ、コロッケ、鶏肉とキャベツの炒め、
マカロニサラダ、芋餅、サラダ、梅干し、沢庵、味噌汁、ほうじ茶など。
今日は09:39弘前発の特急「つがる2号」で鷹ノ巣まで行く事になっていたので、
ゆっくりと支度してホテルをチェックアウトする。


 9.特急「つがる2号」と待ってくれた内陸線の社員たち

ホテルを出て弘前駅に入場し、特急「つがる2号」を待つ間、車両取材する。
留置されていたディーゼル機関車や気動車などを撮影し、
09:37を待って特急「つがる2号」に乗車する。
特急「つがる」にはE751系が充当されている。



E751系は2000年3月のダイヤ改正で登場した交流専用の特急形車両で、
盛岡から青森までを結ぶ「スーパーはつかり」に充当されるために製造された。
2002年12月に東北新幹線が八戸まで延伸された時に特急「つがる」に名称変更され、
運行区間も八戸から青森までの東北本線と青森でスイッチバックして、
奥羽本線に入って弘前までを結ぶ区間に変更された。
2010年12月4日の東北新幹線全線開業の時に青森から秋田に区間が変更された。
青森と秋田を結ぶ特急といえば485系3両編成の「かもしか」が思い出されるが、
東北新幹線全線開業時にこの特急「かもしか」は廃止された。
もともとは6両編成として3本が製造されたが、2011年2月に運用を離脱、
4両編成に短編成化され、3本が青森車両センターに転属して運用されている。
特急「つがる」は09:37に弘前に到着し、2分後の09:39に弘前を発車する。
奥羽本線を52分かけて10:31に鷹ノ巣に到着する。



JR鷹ノ巣は秋田内陸縦貫鉄道鷹巣駅と接続している。
駅舎は二つ並んで外から見ると別の駅のように見えるが、実際は中で繋がっている。
JR鷹巣駅は単式1面1線と島式1面2線の計2面3線の地上ホームを有し、
駅舎側の奥羽本線上りが使用する単式ホームの反対側の一部を秋田内陸縦貫鉄道が使用している。
そのため秋田内陸縦貫鉄道からみると頭端式1面1線のホームといえる。
特急「つがる2号」が鷹巣に到着したのは10:31で、
秋田内陸縦貫鉄道の11Dが鷹巣を発車するのは10:34で乗り換え時間は3分しかない。
そこで特急「つがる」から直接ホームを走って秋田内陸縦貫鉄道の車両に乗り換えようとした。
ところが秋田内陸縦貫鉄道の社員から呼び止められ、
「乗車券はお持ちですか?」と訊かれたため、「ないです。」と答えたら、
「購入してから乗り換えてください。」と云われた。
秋田内陸縦貫鉄道の駅舎に行って窓口で切符を購入した。
既に発車時間が迫っていたが、運転手は外に出て発車する気がないことを乗客に見せている。
窓口で「阿仁合で下車してから角館まで行きたい。」と告げたら、
「この切符が良いかな・・・。」と「ホリデーきっぷA(鷹巣←→松葉)」1,000円を購入することにした。



松葉は阿仁合よりも角館に近い駅でこの切符なら阿仁合で途中下車できる。
この切符を購入して10:34発の秋田内陸縦貫鉄道の車両に乗り込んだ。
既に発車時間は過ぎていたが運転手は外で待っていて、
駅員が合図を送ると運転手に乗り込んで車両を発車させた。
JRとは違い、出発時間を守るよりもきちんと切符を売ることに力を入れている。
鷹巣を出た1両編成AN8803の軽快気動車は山の中に分け入っていくように進んでいった。


 10.平穏な阿仁合の秋の訪れ−内陸線の完乗

鷹巣を少し遅れて発車した秋田内陸縦貫鉄道の11Dは58分で阿仁合に到着する。
途中の駅には駅員が配置されている駅もあったが、
多くは森の中にあるような無人駅で、この路線が黒字になるのは厳しいなと感じた。
乗り込んだ11Dは阿仁合止まりで、11:29に到着する。
阿仁合では島式ホームの反対側に阿仁合始発の11:31の列車が接続を取っている。
2分の乗り換え時間だが、狭いホームの左右の乗り換えなので十分である。
ここでは隣の列車には乗らずにいったん改札を出る。
阿仁合駅には「レストランこぐま亭」が併設されていて、
ここで下車したのは駅取材のほかにここで昼食を喰うためでもあった。
オーダーは馬肉シチュー黄金ライス添え1,000円を喰う。
ほかにも馬肉ハヤシライスや馬肉ラーメン、馬肉丼など馬肉押しのようである。
食事を終えてから駅の隣にあった「内陸線資料館」をゆっくり見学する。



ここには内陸線の誕生の歴史を写真や当時の新聞記事とともに紹介している。
また奥にはまたぎの生活を再現した空間も設置されていた。
ここをゆっくり見学しても待ち時間は2時間14分で時間を持て余し、
駅前を散策、羽州街道を少し南下して北秋田阿仁郷土文化保存伝承館を見つける。
ここは阿仁地区の鉱山や文化、また異人館なども保存公開されている。
しかしここには入場せず、屋外に展示されている外には阿仁線に使用されていた線路や、
鉱山に使用されたモーターカーなどの展示だけを見学する。
ここを出てそのまま阿仁川まで行く。



ここは“北緯40度カントリーパーク”という公園施設になっているようで、
また秋田内陸縦貫鉄道の路盤との間には「゚山」の一部が保存されている。
阿仁町が設置した説明の掲示板には以下のように書かれている。

    ゚山

 「゚」は、砕いた鉱石を溶鉱炉で溶かして、
 銅と不純物に分類した゚滓のことをいいます。
 「゚」は、「粒状」、「なべ型」、「角型」
 また古いものには「間吹き゚」の4種類あり、
 粒状の゚は、この地区一帯に捨てられ
 「゚」の上に建っている家屋もあり、
 また「゚山」も随所にみられます。
 「角型」は家屋の土台や、
 石垣等にも利用されてるようになり、
 町のいたる所に見ることが出来ます。
 古い時代の「間吹き゚」は、
 分類技術が進んでいなかったので、
 今だに金、銀、銅、の成分が含まれております。

この掲示物を見て「今だに」は「未だに」じゃないかと思ったが、
それはさておき、この゚山には秋田内陸縦貫鉄道の路盤も造られているようで、
線路そのものは見えないが、信号などの設備を見ることができる。



ゆっくりと流れる時間を十分に堪能し、
景色や生えている植物、飛んでいる蝶やトンボなど、
普段は撮らない題材の写真を撮りながら乗り換え時間を潰し、阿仁合駅に戻る。


 11.小渕早苗ちゃんと安穏な角館−田沢湖駅の午後

阿仁合駅で13:43始発の列車に乗り込むが、
少し早めに改札が開始されたので、
阿仁合駅に併設された車庫に留置されている車両の取材をする。
「内陸線資料館」に置いてあった「阿仁合周辺ぶらぶらマップ」によると、
「『阿仁』の名の由来は蝦夷語の『アンニ』(木立ちの意)から、
来たとされる説が有力なんだって!!」と書かれている。
阿仁合からの列車にはアテンダントが乗車しており、
車内販売や観光名所の案内などをしていた。
車内からは田んぼアートがいくつか見られ、それも紹介されていた。
阿仁合と小渕の間には秋田美人の田んぼアートがあった。



車窓から見た時には分からなかったのだが、
「内陸線資料館」のパンフレットによるとこの女性は“小渕早苗ちゃん”という名らしい。
たぶん地名の小渕と田んぼということで早苗と名付けられたのだろう。
途中の松葉では中国人と思われる外国人の集団が乗り込んできた。
通訳の女性も乗り込んでいて、アテンダントの解説を中国語に訳していた。
日本人には見放された田園風景も外国人から見ると魅力的なのかもしれない。
角館に到着し、ホリデーきっぷA(鷹巣←→松葉)」を見せて精算しようとしたら、
そのままどうぞと改札から出してくれた。
松葉までの切符の筈なのだが何故なのだろう。
角館は武家屋敷通りで有名だが、秋田内陸縦貫鉄道もそれに合わせ、
洋館と武家屋敷の和洋折衷の瀟洒な風情のある駅舎が設置されている。



以前角館に来た時は吹雪の中だったので安穏な角館の街を初めて堪能した。
JR角館駅は以前とは少し変わった感じがする。
駅前には駅の由来が掲示されている。

   駅名の由来−角館駅−

  地名の由来は諸説ありますが最近では、
 桧木内川と院内川が交わった角(かど)の地に
 館がつくられたことから「角館=かくのだて」と
 呼ばれるようになったのではないかといわれています。
 角館が歴史の表舞台に登場するのは、
 豊臣秀吉の小田原攻めに参戦した戸沢氏が、
 その巧により秀吉より「領知朱印状」を
 与えられたのがはじまりです。
  城下町として栄え、
 江戸時代の町並みが今も残る武家屋敷通りと、
 京都から輿入れした姫君が持参したという枝垂れ桜が
 しっとしりとした風情を見せてくれます。
  また桧木内川の桜並木や名産樺細工など、
 桜と縁のある町です。

角館から在来線で田沢湖まで移動する。
田沢湖線は秋田新幹線が走るために狭軌から標準軌に改軌されており、
それに合わせて標準軌の701系5000番台が充当されている。



これに乗って田沢湖まで行くが、
秋田新幹線で臨時列車が走った関係でダイヤが変更になっているらしい。
田沢湖に到着して駅前食堂に入り、夕食としてカツ丼750円を喰う。
キオスクでお土産などを買い、16:41田沢湖発の秋田新幹線「こまち62号」を待つ。


 12.秋田新幹線「こまち」の帰京と調子扱いて銚行き−旅の終わり

秋田新幹線は2013年3月からE6系が投入されている。
開業当時はE3系が投入されたが、東北新幹線にE5系が投入され、
320km/h運転が開始されたのに伴い、併結運転している秋田新幹線も性能を合わせることとし、
同じく320km/h運転が可能なE6系が開発されたのである。
フェラーリのデザインも手がけたデザイナーが担当した流線型が斬新なエクステリアである。
秋田新幹線「こまち62号」は16:34に田沢湖に到着する予定だったが、
田沢湖に到着する時間は4分遅れだった。
行きはE5系グランクラスを選んだが、
帰りも東京まで2時間57分の乗車時間のためグリーン車を選んだ。



田沢湖から田沢湖線を走り、盛岡の手前で高架になって東北新幹線の高架と合流、
交差ポイントで線路を跨いで東北新幹線と合流する。
既に盛岡駅で待っていたE5系と連結作業する。
ホームに入ってからいったん停まり、徐行してE5系前でさらに止まり、
そして前進して自動連結する。
以前の列車は連結器はただ繋がるだけで、電気信号などはジャンパ栓という専用の管があり、
地上係員が線路に降りて連結作業をするのだが、
今は連結器に信号などの情報も組み込まれた密連という方式になっており、
連結作業も数分で済むようになっている。
盛岡から東北新幹線に入るが、ここの段階で3分遅れだった。
大宮に到着する頃には雨が降り始めた。
東京に到着していったん改札を出てsuicaをチャージしてから再入場する。
東京駅構内の駅弁売り場「祭」に行って夜食用の駅弁を買おうと思ったのだが、
今回「祭」のいち押しが弘前の駅弁「ひとくちだらけ」だった。
弘前の駅弁が弘前で2泊したのにもかかわらず購入できなかったのだが、
まさか幻の駅弁を東京駅で購入できるとは思わなかった。
これを購入して総武快速線の地下ホームに行き、快速で帰ろうと思ったのだが、
やはり連休の最終日で総武快速線は大混雑だった。
そこで隣のホームに停車中だった特急「しおさい11号」を見つける。



三連休東日本・函館パスは特急券さえ購入すれば運賃は有効になるため、
車内で特急料金を払えばこれに乗ることもできる。
特急「しおさい」は東京を出ると錦糸町に停まったあと一気に千葉まで行くため、
これで千葉まで行き、総武緩行線で幕張まで戻ることにする。
車内は以外と空いていて、自由席で十分だった。
巡回していた車掌から千葉までの特急券を購入する。



東京から千葉までのB自由席特急券の料金は510円である。
同じ区間の総武快速線のグリーン席料金は570円なので特急に乗った方が安いのだ。
もちろん停車駅も少なくその分速達性も高いのである。
青春18きっぷでは運賃も必要になるので割高になるのだが、
三連休東日本・函館パスの効力を十分に生かすことしてこれで千葉まで行く。
調子に乗って銚子行きに乗ったが、2つめの停車駅の千葉で下車、20:48の総武緩行線上りで戻る。
東京に到着した時もずっと雨だったが、幕張駅を出た時にはほとんど止んでいた。





REI RINGONO travelnotes
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2016

inserted by FC2 system