山形の風 上田の風−週末パスの旅




 1.週末パスの計画と“雨”の天気予報−旅の始まり

週末パスは2013年4月から発売されたその名の通り、
土曜日、日曜日の2日間連続で利用できるJR東日本の企画切符で、
使用できるエリアはJR東日本のおおよそ南半分である。
もともとは土日きっぷとして2001年に発売され、
2010年3月にウィークエンドにリニューアル、
そして2013年4月から週末パスに変更、
さらに北陸新幹線金沢延伸に合わせて一部利用区間も変更された。
この切符は過去に二度利用したことがあり、
1回目は2013年11月にSLばんえつ物語の乗車を絡めた磐越の旅と、
千葉から鹿島臨海鉄道経由で水戸にアクセスし、
ひたちなか海浜鉄道の乗り潰しを敢行した。
2回目は2015年11月に北陸新幹線のJR西日本との境界駅である上越妙高と、
えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン、しなの鉄道北しなの線を乗り潰し、
姨捨での駅取材とアルピコ交通を乗り潰して千葉あずさで帰る。
2日目はくりこま高原まで新幹線で行き、
阿武隈急行、福島交通飯坂線、JR磐越東線の乗り潰しを敢行した。

2回目の土曜日に姨捨での駅取材をする予定だったが、
雨のためにここでの下車を断念していた。
そこで再度姨捨での駅取材をこの切符で企画してみた。
上田電鉄別所線は以前に上田原まで往復したことはあるが、
そこから先、終点の別所温泉までは行ったことがない。
また北陸新幹線が長野まで部分開業した時に第三セクターに転換したしなの鉄道も、
軽井沢から上田までがまだ未乗車である。
そこで北陸新幹線で軽井沢まで行き、しなの鉄道に乗り換えて上田まで行く。
上田電鉄を終点の別所温泉まで往復してしなの鉄道で篠ノ井まで行き、
篠ノ井線で松本まで行き千葉あずさで千葉まで戻る。
その途中で前回雨のために断念した姨捨での下車も決行する。
1回分の計画は簡単に決まったが2日目の計画が決まらず、
ずっとこの切符の計画は保留になっていたのだ。

山形新幹線のE3系2000番台が2014年4月頃から塗色変更が開始され、
2016年10月に旧塗色車による営業運転が終了した。
この新塗色車の取材を考え、山形新幹線の沿線でまだ未乗車区間がある左沢線と、
全区間が未乗車の山形鉄道フラワー長井線の乗り潰しと絡めて計画を考えてみた。
山形新幹線で山形まで行き、左沢線の終点の左沢まで往復する。
奥羽本線普通列車で赤湯まで戻り、山形鉄道フラワー長井線を乗り潰す。
普通列車で米沢まで戻り、ここから再び山形新幹線を使って東京に戻る。

この二つの日帰り旅行を週末パスを使って実行することを計画し、
2016年11月19日土曜日に山形旅行、翌日の20日日曜日には上田旅行を計画し、
1ヶ月前の10月19日水曜日に週末パスと往復の「つばさ」のグリーン車指定席、
20日木曜日に行きの北陸新幹線「はくたか」の普通車指定席、
帰りの特急「あずさ」のグリーン車指定席券を購入した。



今回は思った通りに指定席券も購入でき、あとは当日を待つだけとなった。
しかし天気予報が良くなく、1週間前には2日間とも雨となっていた。
当日が近づくにつれて予報は少し良くなったが、
19日土曜日は雨の予報のまま当日を迎えることになってしまった。


 2.新塗色の山形新幹線と雨の左沢線往復

2016年11月19日土曜日、当日になっても雨の予報は変わらなかった。
初電から2番目の04:56に乗り、秋葉原まで向かう。
自宅を出る時はほとんど雨は降っておらず、傘を差さずに駅までたどり着いたが、
秋葉原で乗り換える時には既に本降りの雨になっていた。
京浜東北線で東京まで行き、週末パスと指定席特急券を同時に入れて新幹線改札口を潜る。



20番線ホームに上がるとまだそこには新幹線車両は来ておらず、
車両取材などして山形新幹線「つばさ121号」の到着を待つ。
6:00a.m.前に雨の中、山形新幹線E3系2000番台が入線してくる。



ホームの売店で駅弁「秋露のささやき」とお茶を購入、
山形新幹線「つばさ121号」11号車に乗り込む。
東北、上越、北陸新幹線は東京から大宮まで同じ線路を使用するため、
数多くの列車を走らせる工夫として、
在来線に直通するミニ新幹線を東北新幹線に連結して走らせ、
山形新幹線は福島、秋田新幹線は福島で分離と連結する。
しかし早朝の列車のために06:12に東京を出発する「つばさ121号」は連結運転されない。
本降りの雨の中を定時に出発し、終点の新庄に向けて東北新幹線の線路を走っていく。
車内で購入した駅弁を喰い、車販でホットコーヒーを購入してまったりする。
東北新幹線の線路を福島まで行き、信号待ちの3分の停車で奥羽本線に入っていく。
奥羽本線は山形新幹線を直通するために在来線でありながら標準軌に改軌されている。
それでも在来線なのでカーブも多いし踏切もあって速度制限がきつい。
普通の特急と同じようなスピードで走り、08:57に山形駅に到着する。
山形駅は奥羽本線のほか、左沢線と仙山線も接続する。
標準軌の山形新幹線、奥羽本線と狭軌の左沢線、仙山線がホームを並べている。
山形新幹線のホームは1番線が山形で折り返し専用、2番線は上下線兼用となっており、
新庄方面に新幹線乗り換え改札口が設置されている。
在来線の6番線は左沢線のホームになっており、34分の乗り換え時間で留置車両などを取材する。
山形で乗り換えた時には雨は降っておらず、おかげで留置中のキハ101も撮影できた。
しかし09:31に山形を出発して43分で終点の左沢に到着する。
出発して一つ目の北山形当てたりで雨が降り始め、
左沢に到着した時にも小雨が降っていたが、駅取材を強行する。
7分の折り返し時間で駅舎の取材だけして乗ってきた列車に乗り直して山形まで戻る。
山形から山形鉄道フラワー長い線の起点駅である赤湯を目指す。
乗り換え時間は5分で、30分の乗車時間で赤湯に到着する。
赤湯まで戻ってきた時には既に雨は本降りになっていた。


 3.本降りの赤湯−山形鉄道の往復と明暗

赤湯での乗り換え時間は57分で、このあと山形鉄道フラワー長井線に乗り込む。
この待ち時間で昼食を喰う予定になっており、
駅前にある「ドングリ屋」という食堂も事前に検索していた。
雨は本降りであり、少し躊躇したが予定通りこの店に行くことにした。
駅舎の待合室には駅蕎麦店も入っていたが、
やはり予定通り持参した折り畳み傘を差して「ドングリ屋」に行く。
ここで豚丼とラーメンのBセット1,200円を喰う。
セットメニューは豚丼の豚の量でA、B、Cに分かれている。
ラーメンは醤油味でアゴだしが効いていて美味しかった。
無理して傘を差してでも訪問して良かったと思った。
赤湯駅はJR東日本が管理しており、山形鉄道は自前の駅舎を持っているものの、
改札は存在していなくて車内で精算するシステムを採用している。
乗車する時には入り口にある整理券を取り、下車する時に精算する。
これは駅員は駅員配置駅でも同じ手法が取られていた。
雨の中、無理して充当車両YR-888を取材し、12:25荒砥に向けて出発する。
赤湯を出た時にはロングシートの座席が7割程度の乗車率だったが、
途中から学生が多く乗り込み、さらにクラブツーリズムの団体が乗り込んで大混雑した。
山形鉄道の社員が同乗して車窓の観光案内をしていたので、退屈ではなかった。
また女性社員も法被を着てウサギのキャラクターのタオルなどを販売していた。
予定では終点の荒砥で1本見送って14:32に乗ることになっていたが、
到着した時もまだ本降りの雨で行動が制限されているので、
駅取材したあとに5分後に折り返す列車に乗り込み、赤湯まで戻ることにした。
下り列車は立ち客も多くいたが、荒砥から戻る列車に客はなく、
ここまで同情した山形鉄道の社員2人も乗っていたので、
運転手を含めると自分一人のために山形鉄道の社員が3人乗り込んでいることになる。
これでは収支が厳しく存続の危機と云われても仕方がないと思う。
途中で何人か乗り込んできたものの、終始ガラガラで14:16に赤湯に到着した。
予定より1本早い列車で赤湯に到着し、そのため米沢に向かう列車も1本速い電車に間に合う。
そこで14:54発の米沢行きに乗り込むことにした。
すれ違い列車が遅れたためということで、赤湯駅を8分遅れで到着する。



乗り込んでから車内で考えたのだけれども、
赤湯と米沢の間には山形新幹線停車駅である高畠があり、まだ未取材だった。
そこで高畠で下車して駅取材してもともと乗る予定だった列車に乗り込むことにした。
しかし高畠に到着して目が点になった。
駅舎に足場が組まれて養生のネットが張られていたのだ。
これでは下車しても駅舎の取材はできない。
そこで下車するつもりだったが慌てて中止した。
そのまま米沢まで行き、15:11に米沢に到着する。



予定では米沢の乗り換え時間は27分だったが、予定より1時間は約到着してしまったため、
米沢で時間を持て余してしまい、雨の中いったん外に出てみた。
その間に売店で駅弁「牛肉どまん中・カレー」1,250円を購入する。
「牛肉どまん中」は米沢駅前のすき焼き店の新杵屋が提供する有名駅弁である。
カレー味がひとつだけ残っていたので思わず買ってしまった。


 4.カレーなる「牛肉どまん中」と東京駅のイルミネーション

米坂線は非電化路線であり、ここに充当されているキハE120を取材する。
それでも時間を持て余し、ホーム内の暖房が効いた待合室で時間を潰す。
16:38米沢発の「つばさ150号」は時間通りに米沢駅1番線に到着する。



帰りもグリーン車に座席を予約していたのでゆったりと帰ることができた。



駅の売店で購入した駅弁「牛肉どまん中・カレー」を喰う。
普段は帰りの駅弁ではビールを飲むのだが、
今回は缶ワイン「山形高畠・赤」を飲むことにした。
山形新幹線米沢の隣の高畠は「まほろばの里」と呼ばれていて、
缶には「『まほろば』とは、周囲を山々に囲まれた実り豊かで美しく、
住みよい土地という意味の古語です。
高畠町には洞窟や古墳が点在し、縄文創期(約一万年前)から
人々が地域で恵まれた環境の中で生活をしていたと言われています。」と書かれている。
牛肉と赤ワインは良く合い、またカレーも思ったより辛くて美味しかった。
米沢の隣は福島でここから東北新幹線の専用高架に入り、東北新幹線の車両と連結する。
ワインの酔いもあって爆睡して18:48に東京に到着、
快速が混んでいたため20:10に東京駅を始発する特急「しおさい11号」に乗ることにした。
1時間以上間があるので改札を出て丸善丸の内本店に行き、スマホのムックを購入する。
街は既にクリスマスモードで、東京駅丸の内付近もイルミネーションが綺麗だった。



再び東京駅の地下ホームに行き、ホーム内の券売機で自由席特急券510円を購入する。



快速でグリーン車に乗ると東京から津田沼、千葉までは570円で、
B特急券では東京から千葉まで510円で60円安く、さらに停車駅も錦糸町だけで千葉まで行く。
しかも利用客もそれほど多くなく、20:44に千葉駅に到着する。
千葉駅は11月20日に新駅舎に移行することになっていて、工事中の旧駅舎は今日が最後である。


 5.千葉駅新駅舎開業あと1日−1日目の終わり

千葉駅は高架上にホームのある高架駅であり、
それまでは実質的な中央口である東口はホームを降りて地上に降りる形になっているが、
明日開業する新駅舎ではいったん3階まで上がり、そこに改札がある。
駅ナカが多く設置され、改札を出てからエスカレーターで1階まで降りる。
3階に改札が出来たため、千葉都市モノレールと平行移動で乗り換えが出来るようになる。
特急「しおさい11号」は20:44に千葉駅10番線ホームに到着する。
現在の駅舎の最終日なので、記念にいったん改札の外に出てみる。



ずっと見てきたカウントダウンのデジタル掲示板も「あと『1』日」になっている。
最終日ということもあって構内の養生も一部で撤去されているところもあった。
そのため配管が丸見えの部分もある。



それ以外にも銀色の養生が垂れ下がっている部分もあった。



このあとの工事のためか、天井が大きく空いている場所もある。



工事前には存在していなかった通路も今日が最後である。



今まで親しんでいた駅蕎麦店「菜の花そば」も既にシャッターが閉まっていた。



改札内の養生他だらけの通路もこれで見納めである。



1番線、2番線の総武緩行線のホームに行くと、明日から使用予定の階段には明かりが灯っていた。



最後の旧駅舎を堪能して21:02千葉駅始発の総武緩行線で帰宅する。
こうして週末パスの1日目の旅は終わった。
幕張で下車した時にはもう既に雨は降っていなかった。


 6.W7系充当の北陸新幹線と特別限定の「チキン弁当」

20日日曜日には昨日降っていた雨は既に上がっていて、
初電から3本目の05:14で秋葉原まで行き、京浜東北線に乗り換えて東京まで行く。
東京駅での乗り換え時間は24分で、いったん丸の南口に出て駅舎を見てから再入場する。
丸の内南口には「原首相遭難現場」があり、壁には以下のプレートがあった。

    原首相遭難現場

 大正10年11月4日午後7時20分、内閣総理大臣原敬は、
 京都で開かれる政友会京都支部大会におもむくため、
 丸の内南口の改札口に向かっていた。
 そのとき、一人の青年が飛び出してきて案内にあたっていた
 高橋善一駅長(初代)の肩をかすめ、
 いきなり刃わたり5寸の短刀で原首相の右胸部を刺した。
 原首相はその場に倒れ、駅長室で手当を受けたが、すでに絶命していた。
 犯人は、原首相の卒いる政友会内閣の強引な施策に不満を抱いて凶行におよんだと供述し、
 背後関係は不明であった。

在来線改札内を通って東北・上越・北陸新幹線改札口を潜る。



20番線ホームから発車する「はくたか551号」にはW7系が充当されていた。



北陸新幹線金沢延伸に合わせて誕生したE7系はJR東日本所属車だが、
直通するJR西日本にも所有車があり、それはW7系となっている。
基本の仕様は同じだが、JR西日本車のため車内の小冊子が西日本のものになっている。
到着メロディもJR東日本所属車とは違っているように思えた。
売店で駅弁「信玄どりとチキン弁当」950円などを買い、車内で喰う。



「チキン弁当」は昔から定番の駅弁で、
以前ラジオで声優の故・野沢那智さんが「駅弁で一番好き」と語っていたのを思い出した。
今回は特急「あずさ」の50周年を記念して通過する甲府の武田信玄公から、特別企画として登場したようだ。
今日の帰りにはその特急「あずさ」に乗る予定になっているのだが、
なんだかフライングして先に特急「あずさ」50周年を味わうことになってしまった。
北陸新幹線は大宮まで東北新幹線の線路を走り、ここで北陸・上越新幹線と東北新幹線が分岐する。
さらに高崎で北陸新幹線と上越新幹線が分岐し、2つめの駅が軽井沢となる。
東京出発から1時間7分で碓氷峠を越えて軽井沢に到着する。
軽井沢に到着した時には霧が張っていて視界が悪かった。
以前、軽井沢に駅取材に行った時にも霧のために断念したことがあった。
7分の乗り換え時間で始発のしなの鉄道に乗り換える。


 7.霧の軽井沢と狸との遭遇−上田電鉄の歴史

軽井沢でしなの鉄道線に乗り換え、始発の車両に乗り込む。
しなの鉄道は北陸新幹線が長野まで部分開業し、長野新幹線の愛称で呼ばれた時、
並行在来線の横川から軽井沢までの碓氷峠区間は廃止、
軽井沢から篠ノ井までの区間が分離され、
長野県が中心となって開業した第三セクターしなの鉄道が分離区間を受け継いだ。
この鉄道会社は北陸新幹線金沢延伸時に長野から妙高高原までの区間も引き継ぎ、北しなの線とした。
分離後も電化区間として営業され、JR東日本から引き継いだ115系や165系を使用した。
現在では165系は廃車され、113系の山岳地区バージョンである115系を独自塗色で使用している。



軽井沢の旧駅舎は鉄道保存施設も兼ねていて、
旧駅舎に隣接したホームには横軽区間の補助機であるEF63形2号機、
しなの鉄道でも活躍していた165系の横軽協調機器を搭載したクモハ169-6、
アプト式電気機関車EC40形などが静態保存されている。
それらを車窓に見ながらの軽井沢の出発となった。
軽井沢から24分かけて小諸に到着する。
出発する時はかなり濃い霧の中を走り出したが、小諸に到着する頃には少し晴れてきた。
10分の乗り換え時間で小諸始発の長野行きに乗り換え、20分で上田まで行く。
上田での乗り換え時間は5分で、JR北陸新幹線、しなの鉄道、上田鉄道別所線は全て改札が別で、
しなの鉄道の改札を出てから慌てて上田鉄道別所線に乗り換える。
切符は週末パスが有効だったので、そのまま乗り換える。

上田電鉄は1920年に上田温泉軌道の社名で設立された旧上田電鉄と、
1916年に設立された丸子鉄道が1943年に合併して誕生した。
合併時は上田丸子交通を名乗っていたが、1969年5月31日に上田交通に社名変更された。
上田電鉄が施設した青木線、西丸子線、真田傍陽線、丸子鉄道が施設した丸子線などがあったが何れも廃線になり、
現在では上田から別所温泉までの11.6kmの別所線のみが残る。
1958年11月4日にに東急電鉄の系列になる。
2005年10月3日に鉄道部門を独立させて上田電鉄とし、上田交通は持ち株会社となった。

08:40上田始発の上田鉄道別所線の列車は途中の下之郷駅止まりだった。
下之郷は西丸子線の分岐駅であり、現在も当時の駅舎が保存されている。



また保存駅舎の横には「西丸子線」の解説と地図や写真が掲げられていた。

    西丸子線

 西丸子線(始めは依田窪線)は、下之郷と西丸子を走る電車で、
 全長八・六キロメートルの間に十一の駅・停留所がありました。
 上田温泉軌道株式会社により大正十五年に開通しました。
 依田窪・丸子方面と塩田・川西方面を結ぶ重要な路線として活躍し、
 チンチン電車・マッチ箱電車の愛称で親しまれ、
 通勤・通学時には大変込み合いました。
 しかし昭和三十六年の梅雨前線豪雨により、
 二ツ木峠のトンネルや依田川鉄橋など何か所も破損したので、
 電車の運行を休止するとともにバス運行にかわり、
 三十八年に廃止となりました。
 現在、西丸子線の線路跡は道路として一部残っています。
 冨士山、馬場、寿町などの停留所跡もあります。
 西丸子線下之郷駅のホームには、王寺のままの姿を留めています。

予定では下之郷で29分待って別所温泉まで行くことになっていたが、
駅待合室で調べたら上田から下之郷まで乗ってきた電車は09:07に上田に戻ることになっていて、
よていだった下り列車とはたぶん上田原で上下がすれ違うのだと考え、
途中の神畑で下り列車を待つことにした。
9分の待ち時間で予定だった下り電車に乗って終点の別所温泉まで行く。
別所温泉では袴姿の女性駅長が出迎えてくれた。
以前テレビで観た「鉄道むすめ」でAKB48(当時)の河西智美さんが演じていたキャラと一緒だ。
ここでは次の折り返し電車を待つ1時間1分の間、駅取材や保存車両取材のあと、
事前に調べた足湯に行くことにした。
スマホに落とした地図を見ながら辿っていくと道の先に一匹の猫を見つけた。
近寄っていくとこちらに気付いてさっと逃げてしまった。
焦げ茶の猫と思った野生動物は狸だった。
慌てて写真を撮ろうと思ったが、逃げられてしまった。
とほほ・・・。


 8.別所温泉の足湯と上田の「ろくもん」

狸を追いかけてみたが、民家に入られてしまい見失ってしまった。
仕方なく予定していた予定していた「大湯薬師の湯」に行く。
前日雨や今朝の霧のために足湯のベンチが濡れていて座る場所を確保するのが大変だった。



そのためがほかに利用客もなく、
あとから来たおばさんもベンチが濡れていたので入らずに帰ってしまった。
足湯は適温でゆっくりと入るにはちょうど良かった。
「温泉分析書」には泉温30.9度と書かれている。
ゆったりぬるめのと足湯を愉しんでから駅まで道を戻っていく。
また狸に合わないかなと思って少し寄り道をしてみたが、出会うことはなかった。
もしかしたら狸に会ったという記憶自体、狸に化かされているのかもしれない。
それでも途中の紅葉は綺麗で、別所温泉の秋を満喫できた。



駅まで戻って入場する前に保存されているモハ5250を取材する。
これは丸窓電車としてかつて別所線を走った車両で以下のような解説が掲示されている。

    モハ5250(丸窓電車)

 当社で最初の新造電車として、
 昭和2年日本車両会社で3両製造されました。
 ドアーの戸袋の窓が縦長楕円形であり、
 その形状から「丸窓電車」の愛称で親しまれ
 別所線の主力電車として塩田平を走りつづけましたが、
 昭和61年10月に5000形導入とともに引退しました。
 現在はその姿をここに保存し往時を偲んで頂いています。



10:39に別所温泉を折り返す電車には袴姿の女子大生が乗り込んで、
沿線のガイドを学生ボランティアという形で行っていた。
これは沿線の上田女子短期大学の学生のようで、
各駅ごとに手作りのフリップでいろいろな話をしてくれた。
学生と言うことで話は原稿棒読みでタイミングがずれるなどはあったが、
それでも乗客は暖かい拍手を送っていた。
おかげで帰りの車内も飽きることなく上田までの約30分を愉しむことが出来た。
上田に到着してお城口から外に出て、予定していた「とんかつ力亭」に行き、ヒレかつ定食1,600円を喰う。
上田での乗り換え時間は1時間22分を予定しいているが、
その途中に観光列車「ろくもん」が10分間停車する。
これを取材したくて早めにしなの鉄道の改札を潜り、到着を待つ。
この「ろくもん」はしなの鉄道で使用されていた115系S8編成を、
水戸岡鋭治氏のデザインで改造した観光列車である。



水戸岡さんらしいデザインの外観だが、車内も木をふんだんと使っていて、
車内で沿線有名店のシェフが監修した料理を楽しめ、軽井沢から長野までを運行している。
愛称名の「ろくもん」とは上田にゆかりの真田家の家紋「六文銭」に由来している。
上田での停車時間は12:03から12:12の0分間で、その間に十分取材できた。
停車中の駅のBGMも大河ドラマ「真田丸」のオープニングが繰り返し流されていた。
この車両を到着から出発まで十分に取材し、12:33発の長野行き普通列車に乗車する。


 9.再びの下車断念の姨捨と50年目の特急「あずさ」

上田を12:33に乗ったしなの鉄道の長野行きは13:02に篠ノ井に到着した。
篠ノ井はしなの鉄道線の終着駅であり、JR篠ノ井線と信越本線が接続している。
しなの鉄道はもともと北陸新幹線東京−長野区間が開業した時に、
軽井沢から篠ノ井までが信越本線から分離され、第三セクター化されたものである。
信越本線から篠ノ井線が松本まで分岐している形になっていたが、
現在はJRが篠ノ井線と信越本線長野までが直通運転されており、
しなの鉄道の方が接続線という形になっている。
篠ノ井で松本方面の篠ノ井線に乗り換えて松本から特急で帰ることになっているが、
篠ノ井での乗り換え時間が58分あり、しかも篠ノ井は既に駅取材済みだったため、
この時間を無駄にしないために信越本線を長野方面の電車に乗り、
長野のひとつ手前の安茂里まで行き、松本方面の電車を待つ18分で駅取材する。
松本方面の電車を待っている時に快速電車が追加したが、それが「ろくもん」だった。
安茂里駅を13:43に出た篠ノ井線直通の松本行きに乗り込み、姨捨を目指す。
姨捨はスイッチバックのある区間であり、
いったん通り過ぎてからポイントを切り替えてホームに入線する。
しかしその時にホームの様子を確認して目が点となった。
ホームが工事用フェンスに囲まれているのが見えたのだ。
家に帰ってからネットで調べて分かったのだが、クルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」に合わせ、
ホームの嵩上げや上り待合室のリニューアル工事が行われているようだ。
車窓から駅取材は不可能と判断し、急遽下車を断念、そのまま松本まで行くことにした。
姨捨にはリニューアル工事が終わったとの情報を待って再訪することにしよう。
松本に予定より約1時間半早く到着し、その時間を利用して松本駅で車両取材する。
ホームの横にはいくつもの側線があり、「あずさ」や「かいじ」用の車両が留置されているが、
その中にはE353系量産先行車の姿も見えた。
いったん改札を出て予定していたとんかつ店「たくま」でカツカレー1,000円を喰う。
再入場すると乗る予定だった特急「あずさ30号」の2本前の「あずさ26号」が発車前だった。
特急「あずさ」は11両編成だが、基本編成9両と付属編成2両で編成されているが、
ホームでは付属編成の2両が先に停車して南小谷からやってくる基本編成9両を待っていた。



そのため普段は見ることのできない付属編成の構内運転用の簡易運転室がそのまま見えた。
時間がまだ合ったのでこれをゆっくりと取材し、売店でワインなどを購入する。
E257の車体には「ありがとう 特急あずさ50周年」のステッカーが大きく貼られていた。



特急「あずさ」は基本的に新宿と松本を結ぶ特急で、一部は大糸線南小谷まで行くが、
そのほかに夕方に総武本線に乗り入れ千葉まで行く編成がある。
この車両は翌朝「あずさ3号」として松本までの列車に充当される。
座席はグリーン車に取ったのでその分ゆっくり帰ることが出来た。



夕食は既に喰っていたので、売店で買った間のワインを愉しみながら千葉を目指す。
ほかの特急「あずさ」は中央本線を新宿まで来るが、「あずさ30号」はそのまま中央快速線を進み、
お茶の水の手前で緩行線に転線し、総武緩行線を進んで秋葉原、浅草橋、両国を通過し、
錦糸町の手前で総武快速線に転線してそのまま千葉まで行く。
中央快速線も総武快速線も東京駅に発着するが、
中央快速線は1番線、2番線で東京駅で一番高いところにホームがあり、
一方、総武快速線は横須賀線と直通するため地下ホームなのである。
そのため中央快速線と総武快速線を直通するためには錦糸町からお茶の水までの区間を、
総武緩行線の線路を走るしかないのだ。


 10.新駅舎開業初日の千葉駅−旅の終わり

特急「あずさ」は総武快速線の線路を進んで20:50に千葉に到着する。
ここから総武緩行線に乗り換えて帰るのだが、
JR千葉駅は2016年11月20日に新駅舎が開業した。
昨日千葉に到着した時には開業一日前だったが、今日は開業初日となった。
そこで開業初日の千葉駅の様子を少し見てみることにする。
昨日立ち入り禁止だった3階に上がる階段が今日は解放されていた。



逆に地下に行く階段は閉鎖されていた。
新駅舎開業に合わせて新しいテナントが多く入り、
その中には「松戸富田麺業」も入っていた。



この店はつけ麺の有名店で、この日も長蛇の列だった。
駅構内のために駅ナカのスタッフが列を整理していた。
駅ナカ終了までは特急が到着した段階であと10分しかなかったが、
未だに行列は途切れることはなく、いつになったら最後の客が食べ終わるのだろう。
ほかに東京駅で観たことのある駅弁店も入っていた。



改札内にはJR東日本のほかの駅でよく見られるペリエも入っている。



夜も深い時間になってきたので利用客は少なくなっているが、
それでもコンコースには多くの人が行き交っていた。



改札を出て切符売り場はこんな感じになっている。



suicaチャージ専用機が3台設置され、直接suicaを置くだけチャージできるようになっている。
他だしこれは現金専用のようで、ビューカードのクレジット機能からの引き落としは出来ない。
外から見た正面はこんな感じになっている。



JR千葉駅の駅舎前には千葉都市モノレールの駅舎があり全景は見られないが、
3階まで続く4列のエスカレーターと同じ幅の階段が見られる。
ただ、今回の開業はあくまで3階コンコースと店舗の一部だけであり、
4階の駅ナカと駅ビルは2017年夏、
今まで使っていた1階と地下は2018年夏以降の開業予定である。
そのためこの先もまだ一部新駅舎が共用されながらも工事は続いていく。



工事中の千葉公園方面の跨線橋からは松本から乗ってきた特急「あずさ」が見て取れる。



再び入場してコンコースを進むと全列車の行き先を伝える掲示板が見渡せる。



今までの電光掲示板がデジタル表示に変わっていた。
1番線、2番線ホームに行き、21:14発の総武緩行線で帰宅する。





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