青春の旅立ち−井原鉄道と水島臨海鉄道の旅




 1.青春の挫折と復活−新たなる旅へ

国鉄時代に企画された企画切符に「青春18きっぷ」がある。
これは国鉄末期に近い1982年に「青春18のびのびきっぷ」の名称で登場、
翌年から「青春18きっぷ」に改称され、国鉄分割民営化後の現在まで続いている。
国鉄末期の増収策として、若者向けに普通列車自由席の旅を気楽に愉しんでもらおうと企画され、
名称に“青春18”と付けているが、購入に関して年齢制限はなく、
昨今の鉄道ブームもあって若者だけではなく、年齢を重ねたリタイア世代にも好評である。
主に学生が長期休暇に入る春、夏、冬に発売され、春季は利用期間が3月1日から4月10日、
夏季は利用期間が7月20日から9月10日、冬季は利用期間が12月10日から翌年1月10日となる。
発売期間は概ね利用期間より10日ほど前倒しとなり、利用できる列車は快速を含む普通車自由席となる。
グリーン車自由席にはグリーン券を購入すれば乗車は可能だが、
新幹線を含む特急、急行などは利用が不可能で、特急券を購入しても乗車運賃は有効にならない。
ここら辺の他の企画切符とは根本的に違うところである。
利用回数は利用期間内に5回で、必ずしも連続している必要はなく、
また同一工程に限り複数での利用も可能である。

毎年この「青春18きっぷ」を利用して主に夏休みに旅行を企画していた。
今年の夏もこの切符を利用した旅を企画していて、年の初めの頃からホテルの予約などもしていた。
2017年の予定としては8月の第3週の金曜日に有休を取得、
2泊3日で山陰本線の乗り潰しに挑戦することにした。
これに併せて益田と鳥取でホテルを予約、
行きは空路を利用することとして羽田空港発山口宇部空港行きのANA3811便も予約した。
5回(人)分のうち、ここで3回(人)分を使用、残りが2回(人)分となったため、
7月第3週の土日に1泊2日で長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅を企画した。
土曜日に長浜鉄道スクエアの見学と福井鉄道の電停取材、
福井駅前に1泊して翌日九頭竜線を乗り潰して金沢から帰京する。
これに併せてホテルも予約していた。

ところが、5月末に家庭の事情で突然外泊を含めた旅が難しくなり、
いろいろ迷ったが今年の“青春18きっぷ”の旅は断念することにした。
当然、事前に予約した益田、鳥取、福井のそれぞれのホテルは予約をキャンセル、
空路だけはキャンセルせずに8月18日に日帰りで宇部線の乗り潰しだけをして、
新下関から新幹線で帰京するという日帰り旅を割引切符なしで実費の旅に降格して実行することとした。

ところがその後、家庭の事情が好転し、外泊も不可能ではなくなったため、
再び“青春18きっぷ”の旅を再始動することにした。
しかし予約したホテルのうち、益田は再予約可能だったものの、
鳥取と福井は既に満室となっていた。
そこで山陰本線乗り潰しはいろいろと精査し、豊岡だったらホテルが取れることが分かった。
そこで予定を見直して益田と豊岡に1泊ずつするという企画に変更した。

しかし福井駅前では別のホテルを見つけることも不可能で、
結局長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅の企画自体を断念することにした。
青春18きっぷの残りの2回(人)分については既に7月になっていることから宿泊は断念、
7月22日土曜日と29日土曜日の2む週に渡って日帰りの旅を企画することとした。
その1回(人)目の旅として企画したのが井原鉄道と水島臨海鉄道の旅である。
これは青春18きっぷの旅に関していくつが原案を作っていたうちのひとつで、
こんなにすぐに企画が実行に移されるとは思っても居なかった。


 2.2つの第三セクター鉄道の設立と展開−計画決定

井原鉄道は井原線を運営する第三セクター鉄道で、1986年12月1日に設立された。
現在の井原線の区間はかつて井笠鉄道という軽便鉄道が運行されていたことはあったが、
国有鉄道は運行されておらず、吉備線の延長線として井原線が計画されていた。
井原線の建設に併せて井笠鉄道は廃止となり、路線跡が買収されて井原線に転用されることになった。
日本鉄道建設公団によって井原線の建設が始まったが、
1980年施行の国鉄再建法によって井原線の建設は中止、凍結となってしまった。
これを受けて岡山県、広島県、総社市、倉敷市などが出資し井原鉄道が設立され、
建設途中の井原線の転換を受けて建設を引き継ぎ、1999年1月11日に開業した。
井原線の正式区間は総社から神辺までの41.7kmだが、
運行はJR伯備線総社からJR福塩線神辺までの区間となっており、
総社−清音間は伯備線に乗り入れる第2鉄道事業者となる。

水島臨海鉄道は倉敷市交通局から譲渡された鉄道路線を有する第三セクター鉄道である。
水島本線などの鉄道線はもともと水島工業都市開発が所有したもので、
1952年に倉敷市交通局が発足してこれを継承、
この路線を継承するため国鉄や倉敷市などの出資で水島臨海鉄道は1970年2月2日に設立された。
1970年4月1日に倉敷市交通局の市営鉄道線全線を譲渡されて営業を開始したが、
その当時は貨物線のみで、旅客営業を開始したのは1972年9月18日である。
現在でも倉敷市から三菱自工前までの旅客営業線のほか、貨物専用線もいくつか存在する。

井原鉄道は2006年1月に総社駅を訪れた時に車両取材には成功しているものの、
まだ全区間が未乗車となっている。
水島臨海鉄道も井原鉄道と同じ2006年1月に倉敷市から水島まで乗車、
水島から三菱自工前までは徒歩移動で駅取材は完了している。
しかし水島から三菱自工前までの1.2kmは結局未乗車のままだ。

そこで今年の青春18きっぷの旅で急遽日帰りの旅を企画することとなり、
この2つの鉄道の乗り潰しに新幹線駅でまだ未取材だった福山、新倉敷も駅取材する。
岡山まで新幹線で往復し、この2つの鉄道を乗り潰すこととして以下のような計画を立てた。

東海道新幹線「のぞみ1号」で岡山まで行き、吉備線で総社まで移動する。
井原鉄道スーパーホリデーパスを列車運転手から購入して神辺まで行く。
乗り換え時間5分で福塩線に乗り込み福山まで行く。
ここで駅取材と昼食を済ませ、山陽本線で倉敷まで行く。
水島臨海鉄道倉敷市駅に移動し、ここは普通の切符で終点の三菱自工前まで行く。
周辺の取材を含めて水島まで徒歩移動し、ここから倉敷市まで戻る。
倉敷から新倉敷まで行ってここで駅取材と夕食を済まし、
新倉敷から快速「サンライナー」で岡山まで行き、
山陽新幹線「のぞみ52号」で東京まで戻る。

この予定に合わせて7月1日土曜日に土曜日直の前に東船橋の指定席券売機で、
東京都区内から岡山までの往復乗車券と新幹線指定席グリーン乗車券を購入した。


 3.降水確率50%の岡山と東京駅のもう一つの顔−旅の始まり

岡山への往復の新幹線と乗車券は7月1日土曜日に購入済みだが、
肝心の青春18きっぷを購入するのを忘れていて、
7月14日金曜日に近所の歯科医院に通院する途中で、
JR幕張駅の指定席券売機で購入する。
青春18きっぷの価格は11,850円で、指定席券売機でも購入できるようになった。

1週間前の天気予報では岡山の天気は晴天になっていたが、
前日になって日本気象協会のホームページを見たら、午後から降水確率50%になっていた。
梅雨前線が東北地方に停滞していて、それが遠因で土曜日に天気が崩れるらしい。
午後から水島臨海鉄道の三菱自工前から水島まで歩く予定なのだが、
予報だとちょうどそのタイミングで雨に降られることになる。
「とほほ・・・。」な気持ちのまま、当日の朝を迎えた。

JR幕張駅の上りの一番列車は04:40発のお茶の水行きである。
今回も「のぞみ1号」に乗るために一番列車に乗ることにする。
青春18きっぷの1回(人)のところに、
「ありがとうございます JR東日本 7.22 幕張駅」のスタンプを押して貰う。



この時間でもそこそこの乗客はいるもので、そのまま秋葉原まで行き、
京浜東北線南行に乗り換えて東京まで行く。
何時もは丸の内駅舎側に出るのだが、今日は新幹線改札口に直接は入れる八重洲口から出場する。
乗り換え時間は33分あるため、少し八重洲口の駅取材をする。



以前の八重洲口は大丸デパートが駅舎を兼ねていたが、
再開発により大丸デパートを横にずらし、低層の新設駅舎を設置した。
そうすることで空中権を近隣のビルに売却し、その資金で丸の内駅舎を戦前の形に復元したのだ。
そのため八重洲口駅舎は低層の帆を張った様なデザインとなり、
それまでの無機質な駅ビルとは全く様相を異にしている。
丸の内駅舎が明治時代からの歴史的要素を重視しているのに対し、
八重洲口は近未来的なデザインでこれからも東京駅が日本の中心であり続けることを誇示している。
自由分に八重洲口の駅取材をして、東海道新幹線改札口から入場する。



ここからは青春18きっぷではなく、別途購入した新幹線のきっぷで岡山まで行く。
ホームに上がって駅弁を購入し、既に停車していた「のぞみ1号」に乗車する。


 4.3時間3分のグリーン車と桃太郎伝説の吉備線

東海道・山陽新幹線の一番電車は06:00発の「のぞみ1号」で、
改札も5:30a.m.ちょうどに電源が入る。
これはJR東日本管轄の東北・上越・北陸新幹線の改札も同じである。
そのために東京駅05:27に到着する京浜東北線では若干時間が余ってしまい、
改札の前で何分か待つことになる。
そこで青春18きっぷでは一端改札の外に出られるため、
今回は八重洲口駅舎の駅取材で時間を潰すことにもなった。
東海道新幹線「のぞみ1号」の9号車4番A席に座り、購入した駅弁を喰う。



今回は岡山まで乗車時間が3時間3分と長時間だったためグリーン車に席を取った。
朝が早かったこともあり、駅弁を喰ったら急に眠くなり、目が覚めたら既に京都だった。
新大阪でJR東海からJR西日本に従業員が交代、
新大阪駅を出たところで車窓からはちょうど網干総合車両所宮原支所が見え、
留置中の「トワイライトエクスプレス瑞風」を上から見ることができた。
車内販売でコーヒーを頼んだら、「セットメニューがお得です。」と云われたため、
黒糖ドーナツ棒とのセットを購入した。



Suicaで支払ったら、キャンペーンで割引になると云うことで、
合計460円がセット割引で30円引き、コーヒーもICOCA割で100円引きで330円になった。
コーヒーと黒糖ドーナツ棒でまったりする。
黒糖ドーナツ棒は熊本で有名な御菓子で、熊本に行くと何時も買う大好きな御菓子である。
しかしさすがに3時間ともなるとグリーン車でも少し飽きてくる。
そんなことを思い始めているうちに岡山に到着した。
岡山で一端新幹線改札口から外に出て、青春18きっぷで再入場する。

ここで吉備線に乗り換えて終点の総社を目指す。
吉備線は今は“桃太郎線”の愛称が付けられており、
車内アナウンスでもこの桃太郎線が使われていた。
吉備線の路線名の元となった吉備駅は吉備津神社の最寄り駅であり、
この神社に奉られている吉備津彦命は桃太郎のモデルになったともいわれており、
そのためこの愛称が付けられているのだろう。
吉備線の起点である岡山駅にも犬、猿、雉子をお供にする桃太郎の像が設置されている。
吉備津彦命は第7代孝霊天皇の皇子であり、
日本神話で大和朝廷により派遣された四道将軍の一人とされ、
吉備津彦命は西道に派遣されたとされている。
西道とはのちの山陽道のことであり、
吉備津神社の縁起にはこの地を平定するにあたり、温羅という鬼を退治したとある。
温羅は鬼ノ城に住みこの地を荒らしていたが、
犬飼健、楽々森彦、留玉臣という家来とともにこれを退治、
祟りを押さえるために温羅の首を井戸に投げて封印したという。
その井戸がこの吉備津神社にあり、
蓋を乗せて湯を沸かした釜の音で吉凶を占う鳴釜神事として伝承されている。

岡山での乗り換え時間は17分で到着と同時に乗り込んだが、
出発までの間にどんどん乗り込んで大混雑になっていた。
主に高校生や大学生と思われる世代で、そのほとんどが途中の服部で降りていった。
近くに岡山県立大学があり、多分そこの学生なのだろう。
39分の乗車時間で総社に到着する。


 5.井原鉄道の完乗と薔薇の福山駅

総社での乗り換え時間は34分で、まだ井原鉄道の列車も到着しておらず、
改札を出て駅取材してから井原鉄道のホームに行ってみる。
総社駅は既に取材済みだが、時間潰しに再取材してみた。
井原鉄道はJRとは別の改札口を設置していたが、
無人化されてしまったため、そのまま素通りして整理券で精算する。
ホームで待っていると暑いので、戻ってJRの待合スペースで列車の到着を待つ。
列車が到着してから車両取材し、運転手からスーパーホリデーパス1,000円を購入する。



途中下車する予定はなかったが総社から神辺までの運賃が1,100円で、
直通するだけでも100円お得になる。
総社から乗り込んだ時は他にひと組しか利用客がなかったが、
JRとの分岐駅である清音で大勢乗り込んできて、
路線名の元となった井原では大勢の客が降り、また大勢の客が乗り込んできた。
終点の神辺は「かんなべ」と読み、ここでの乗り換え時間はこ5分しかない。
駅舎取材は諦めてそのまま乗り換える。



井原鉄道には改札はなく、降りる時に中間駅のように運転手に運賃を支払う。
既に一日券を持っていたのでそれを見せるだけで列車から降り、
JR神辺駅は有人改札となっていたためそこは青春18きっぷで入場する。
ここから福塩線で14分、終点の福山まで行く。
福山は新幹線停車駅であり、駅前には福山城もある。
たっぷりと駅取材してから事前に調べた「ともんちゃ」でオムかつセット1,150円を喰う。
その後戻って少し時間があったので追加で駅前を取材する。
福山は「ばらのまち福山」を目指しているようで、駅前には薔薇が多く植えられていた。



また福山城に関して、駅前に掲示物があった。

    福山城

  備後福山城は、江戸時代初期の1619年(元和5年)に、
 備後10万石の藩主として配置された譜代大名の水野勝成により築城された近世城郭で、
 1622年(元和8年)に完成しました。
  五層の天守を中心として、7棟の三重櫓、14棟の二重櫓、多くの渡櫓が建ち並び、
 内堀と外堀を備えた壮大な平山城で、
 外堀は築城当初、入江(入川)を通じて海と直接つながっていました。
  福山城は、江戸時代を通じて、
 水野氏、松平氏、阿部氏と続いた福山藩政の中心的な施設としての役割を果たしてきました。
 明治維新の後、廃城令により天守、伏見櫓、筋金御門などを残して城の建物は撤去されました。
 さらに内堀、外堀も鉄道用地や市街地化に伴って昭和初期に全て埋められました。

予定通り、13:11福山始発の山陽本線で倉敷を目指す。
しかしこの電車は思った以上に混雑していた。


  6.倉敷天領夏祭りの大混雑と水島臨海鉄道の現状

福山始発の山陽本線は思った以上に混んでいて、浴衣姿の女性も見受けられた。
41分の乗車時間で倉敷に到着する。
まるで通勤時間帯のような大混雑だった車内の乗客は倉敷で多くが下車した。
改札口に回ってその理由が初めて分かった。
構内アナウンスでは「本日は天領祭りのため、混雑が予想されます。
お帰りの切符は早めに購入することをお薦めします。」と云っていた。
「てんりょうまつり・・・?」その言葉を初めて聞いたが、
家に帰ってネットで調べて2017年7月22日土曜日は第47回倉敷天領夏祭りで、
会場はJR倉敷駅から徒歩約3分の倉敷中央通り及び倉敷駅前商店街にて開催されると知った。
そのため7分の乗り換え時間で水島臨海鉄道倉敷市駅発の14:00に乗ることになっていたが、
水島臨海鉄道倉敷市駅からJR倉敷駅まで多くの人の流れがあり、
逆に行くのがなかなか大変だった。
券売機で切符を買って列車に乗るとほぼ出発時間になってしまっていた。
車内も満席に近く、水島までは座席は結構埋まっていたが、
水島で全員降りていき、三菱自工前まで乗っていたのは自分一人だった。
三菱自工からそのまま直進し、車庫に回送されていった。
列車が視線から消えていくと一人でぽつんと取り残された。
この付近は工場街で個人宅やマンションはほとんどなく、土曜日だと走っている車も少ない。
事前に調べた地図で水島まで歩くことにする。
ここは以前、水島から三菱自工前まで徒歩で往復したことがあったが、
10年前なので記憶も曖昧になっており、念のために地図をプリントアウトして持参した。
昨日までの天気予報では午後から雨だったが、三菱自工で降りた時も快晴だった。

水島臨海鉄道は旅客線と貨物線を兼ねている水島本線のほかに、
貨物専用線として港東線と西埠頭線があったが、
2016年7月15日に西埠頭線の0.8kmが廃止され、8月からは一部線路なども撤去された。
三菱自工前から水島まで線路沿いを歩いて行くと、西埠頭線との分岐点に行き当たる。



既にポイントは撤去され、直進の線路に変えられていたが、
撤去された線路はその場に置き去りのままで放置されている。
踏切は既に埋め込まれていて隙間はなくなっていたが、
踏切から先の西埠頭までの線路は一部が撤去されていただけで、
枕木などはそのまま残されていた。



撤去した後の用地の利用がまだ決まっていない中で、無理して撤去することもないのだろう。
炎天下の中、線路沿いを歩いて行くと公園があり、その先には水島港があった。
時間があっていって見ると外国船が停泊しているのが見えた。



茹だるような暑さだったが、港まで行くと海風が心地良かった。
水島駅まで歩き、駅舎の中で涼んでいると、予定より1本早い列車があることが分かった。
予定では16:13に乗ることにしていたのだが、15:36にも倉敷市行きがあったのだ。
三菱自工からの折り返しで考えていたため、水島始発を見落としていた。
この列車で帰ることとして切符を購入、ホームに上がる。
倉敷天領夏祭りがあるため、ホームには人で溢れていた。
入線してきた折り返し列車も撮影できないほどだった。
15:36の列車も途中駅で大勢の人たちが乗り込んできて通勤電車並みの混雑であった。
その中には浴衣姿の若者も多くいた。
満員のまま予定より35分早く、16:00に倉敷市に到着した。


 7.予定変更の前倒しと廃業になった「幸荘」

予定より早めに倉敷市に到着し、そのままJR倉敷駅に入場する。
このあと16:09の快速「サンライナー」で新倉敷まで行き駅取材する。
事前の予定では新倉敷の洋食店で夕食を喰う予定だったが、
前倒しで行動したため、17:01到着が16:16に着いてしまったため、
5:00p.m.から開店には早すぎてしまった。
また昼食のおむカツも結構腹持ちが良く、それほど空腹でもなかった。
そこで倉敷市での夕食は諦め、駅取材後に16:39の姫路行きに乗り込む。
岡山に到着したのは予定より1時間13分前倒しの17:06だった。
そこで予定にはなかった岡山電軌の車両取材する。



しかし5:00p.m.を過ぎていたため、肉眼ではまだ十分に明るかったが、
レンズ越しではかなり暗く自然光での撮影には限界だった。
ビックカメラで買い物をしてから西口に出て夕食を食える場所を探す。
西口にはかつて泊まったことのあるビジネスホテル「幸荘」があり、
店を探している途中で行ってみた。
すると既に工事用フェンスに覆われていて、廃業になっていた。



自宅に戻ってから調べたところ、オーナーからのコメントが掲示されていて、
「・・・大病の宣告を受け、・・・平成28年12月31日を持ちまして営業を終了・・・」とのこと。
このホテルにはあまり良い印象を持っていなかったが、
それでも廃業というのは一抹の寂しさを覚える。
2005年3月に青春18きっぷで2泊3日かけて最南端の指宿枕崎線の西大山駅まで行ったが、
その1日目に岡山で宿泊する時にここを事前に調べて宿泊した。
自分のホームページ「旅の徒然に」の旅行記「青春の旅立ち−西へ」には以下のように書いていた。

 地図を見ながら「ビジネスホテル幸荘」に行く。
 ホテル提供の地図に加えて、
 ホテルの住所から“ゼンリン電子地図帳Z5”で場所を確認、
 プリントアウトしておいたので迷わず行くことが出来た。
 フロントには人はおらず、インターホンで呼び出す形式であった。
 チェックインしてから部屋に行って驚いた。
 一人部屋で予約しておいたのに部屋には行ったら二人部屋だった。
 フロントに電話したら、「うちは一人でも二人部屋で片方のベッドだけ使うんです」と云っていた。
 確かにその方が機動性がいいのだろうけれど・・・。
 部屋はその分広いが、バス、トイレは共同である。
 8:00p.m.頃ホテルを出て夕食を喰うことにする。
 ホテルを出る時にフロントの人がやってきてこのホテルは土足禁止なのだ怒っていた。
 そういうことはチェックインの時に云えよなぁ・・・。
 初めて利用するのにいきなりそういうことを云われても困るのだ。
 岡山駅2階に行き、「五彩」という中華料理店でチンジャオロース定食850円喰う。
 チンジャオロースに、鶏の唐揚げ、スープ、ご飯、お新香、杏仁豆腐など。
 カメラを背負って出たものの夜撮はせずにLAWSON岡山駅西口店でビールなど買い、ホテルに戻る。
 フロントの前を通った時にスタッフに、
 団体客がセミナーを行っているので今のうちに風呂には入れという。
 買ってきたビールを飲む暇もなく早々に風呂に入る。
 部屋風呂はなく大浴場だけで、大浴場といっても洗い場は6人分しかなく、
 浴槽も6人がいっぺんにはちょっときついという大きさなのだ。
 男風呂、女風呂の区別もなく、ふたつある風呂のうち開いている方に鍵を掛けて入った。
 とてもビジネスホテルというレベルではなく、ほとんど民宿に近い。
 料金は素泊まり4,200円と安いがその分サービスには限界がある。
 多少高くても普通のビジネスホテルの方がいいな・・・。
 風呂上がりに買ってきた缶ビールを飲みながらそんなことを考えていた。
 6:20a.m.にモーニングコールをセットして11:30p.m.には就寝する。
 旅の疲れからかぐっすり寝て、
 モーニングコール前に誰かに背中を思いっきり叩かれて目が覚める。
 夢だった。
 ボックスシートのきつい背もたれでずっと座ってきたので、
 背中に疲弊が溜まっていたのだろう。
 それが誰かに叩かれた夢になったのだ。
 ウトウトとそんなことを考えていたら6:20a.m.のモーニングコールが鳴った。
 部屋に風呂がないためにシャワーは浴びず、共同トイレの洗面所で顔だけ洗った。
 学校じゃないんだからトイレの洗面所で顔を洗うホテルというのも如何なものか・・・。
 たぶんこのホテルは二度と使うことはないだろう。
 支度して6:50a.m.にはチェックアウトする。

夕食は「幸荘」の近くのらーめん専門店「はなふさ」でらーめん680円、半熟煮玉子100円など喰う。
満腹のまま岡山駅まで戻り、駅に入場する。


 8.独歩と黍団子−旅の終わり

水島で1本前倒ししたおかげでかなり順調に岡山まで来て、
岡電取材までして夕食を喰ったが、それでもまだ時間的余裕があった。
岡山駅まで行って土産物店などを覗いてから、
事前に購入した切符で新幹線改札口から入場する。



改札内の土産物店で会社用のお土産として黍団子などを購入し、
さらに新幹線の車内で自分で喰うために別にひとつ買った。
少し時間を持て余し、ベンチに座って時間を潰し、それからホームに上がる。
ホームの売店でビールやお茶などを購入して列車の入線を待つ。
ビールはなるべく冷えたものを飲みたいため、乗車直前にホームで購入するのだ。
ホームの電光掲示板には入線予定の列車が3本先まで掲示される。



愛称名ごと色を変えて分かりやすく工夫されているのだが、
ひかり、のぞみ、さくら、こだま、みずほとバラエティに富んでいる。
東海道新幹線と山陽新幹線は速達順に「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」となり、
こだまは各駅停車となっている。
九州新幹線は速達順に「みずほ」、「さくら」、「つばめ」となっているが、
「レストラン山惣」みずほ」と「さくら」は山陽新幹線に直通するため、
山陽新幹線では5つの愛称が混在することになる。
九州新幹線の各駅停車になる「つばめ」は山陽新幹線には直通しない。
所属別ではJR東海、JR西日本、JR九州の車両が混在することにもなる。
そんなことを考えながらホームで待っていると、
18:29岡山発の山陽新幹線「のぞみ52号」が入線してくる。



帰りもグリーン車で、9号車14番A席をリザーブしてあった。
事前に売店で購入した岡山の地ビール「独歩」を車内で飲む。



つまみとして黍団子を買ってみたが、よく考えたら黍団子はビールとは合わない。
結局これは自分用のお土産として開封せずにそのまま持ち帰る。
岡山から東京までは3時間24分の旅となる。
途中、車内販売でホットコーヒーを購入してブレイクする。
東京から総武快速線で津田沼まで出て、総武緩行線で帰宅する。
2017年夏の青春18きっぷの1回(人)目の旅はこれで終わった。
しかし来週の土曜日には早くも2回(人)目の日帰り旅がやってくるのである。





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