青春の旅立ち〜山陰本線完乗の旅




 1.闘病中の夢想−山陰本線完乗とKTRの旅

2009年に罹患した濾胞性リンパ腫が2014年に再発、
同年5月20日で休職して治療に専念することにした。
7月から抗がん剤治療を開始、約半年間で投薬を終了、
体調回復に3ヶ月を見込んでいたため、
社会復帰するのは翌年の4月頃と予定していた。
抗がん剤投与中及びその直後は副作用により免疫力が低下しているため、
日和見感染の危険性が増大しており、外出が制限されているが、
免疫力が戻ってからは体力増強のために散歩などの運動が求められる。
ちょうど3月頃がその時期に当たり、青春18きっぷの春季と重なる。
そこで入院中に持ち込んだノートパソコンでネットで調べ、
青春18きっぷの旅をいろいろと企画した。
その中のひとつに山陰本線の乗り潰しがあった。

山陰本線は中国地方の日本海側、山陰地方を結ぶ、
京都から幡生までの676.0kmの幹線で全区間がJR西日本の所有である。
京都から園部までは京都鉄道に敷設され、国有化後に綾部まで延伸された。
綾部から福知山までは現在の福知山線の一部として阪鶴鉄道によって敷設、
阪鶴鉄道が国有化後に阪鶴線となった。
福知山から香住までは播但線の一部として敷設された。
一方、宇田郷から阿川までは美祢線の一部として開業、
阿川から幡生までは小串線として開業、
間の香住から宇田郷までは山陰本線として順次開業され、
1933年2月24日に須佐から宇田郷までが延伸開業して全通、
全区間を山陰本線に編入した。

山陰本線乗り潰しの最初の企画は「愛と青春の旅立ち〜山陰本線完乗とKTRの旅〜」として、
日程が決まらないまま、曜日だけの設定で3泊4日の計画を考えた。

1日目/木曜日は羽田空港からANA691便で山口宇部空港まで行き、
徒歩で宇部線草江まで歩き、宇部から山陽本線に入って幡生まで行き、
路線バスで下関まで移動、ここから山陰本線の旅をスタートさせる。
川棚温泉で瓦そばを喰い、小串、長門市、益田、浜田で乗り換えて出雲市まで行き、
スーパーホテル出雲駅前にチェックインする。
2日目/金曜日は山陰本線を米子、倉吉、鳥取、浜坂、餘部、浜坂で乗り換え、
豊岡パークホテルにチェックインする。
3日目/土曜日は青春18切符は使わず北近畿タンゴ鉄道一日券を購入、
豊岡から宮津線で西舞鶴まで行って朝食を喰い、
宮津線で天橋立まで往復して宮津まで行って宮福線に乗り換えて福知山まで行く。
昼食と福知山駅南口公園の保存SLを取材してから宮津まで戻り、
宮津線で豊岡まで行って豊岡パークホテルに連泊する。
4日目/日曜日は再び青春18きっぷで山陰本線に乗り一端城崎温泉まで戻り、
和田山、福知山、園部、馬堀と行って嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線トロッコ亀岡駅を取材、
保津峡に移動して嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線トロッコ保津峡駅を取材、
嵯峨嵐山に移動して嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線トロッコ嵐山駅を取材して京都まで行く。
京都から東海道新幹線「のぞみ240号」で東京まで戻る。

第2案では1日目/水曜日に下関に行かずに代わりに新下関で途中下車して駅取材、
長門市から山陰本線仙崎支線で仙崎まで往復し、
宿泊も益田グリーンホテルモーリスに変更した。
2日目/木曜日は西出雲で昼食を取って伯耆大山、倉吉と途中下車し、
鳥取グリーンホテルモーリスにチェックインする。
3日目/金曜日は浜坂、岩美、餘部と途中下車していきアールイン福知山にチェックイン。
4日目/土曜日は北近畿タンゴ鉄道一日券で第1案通りに乗り潰して豊岡パークホテルに宿泊する。
5日目/日曜日も第1案と同じルートで帰京する。

第3案では1日目/水曜日、2日目/木曜日は第2案通りだが、
3日目/金曜日の宿泊を福知山ではなく豊岡グリーンホテルモーリスに変更して連泊する。


 2.的外れな青春−想定外の治療長期化と計画の断念

青春18きっぷは学生の長期休暇の時期に合わせ、
利用期間は春季は3月1日から4月10日、夏季は7月20日から9月10日、
そして冬季は12月10日から1月10日となる。
発売は利用期間の10日前となり、期間中に5回利用できる。
利用区間はJRグループ全区間で、快速を含む普通列車普通席である。

愛と青春の旅立ち〜山陰本線完乗とKTRの旅〜もこの期間に併せて実行しようと思った。
2014年に再発が確認された濾胞性リンパ腫を治療するため、
同年5月21日より会社を休職し、7月より抗がん剤治療を開始した。
当初の予定では抗がん剤治療は約3ヶ月で終了、約3ヶ月の療養を経て仕事復帰する。
順調なら2010年の年明けから仕事復帰になる筈で、
療養期間の終盤は体力を回復させるために散歩や外出を勧められる。
そこで仕事復帰の前に青春18きっぷで山陰本線とKTRの完乗に挑戦しようと思った。
しかし、実際はそんなに思うようには行かなかった。
前半の抗がん剤治療が上手くいかずに、追加の治療でも結果が出なかった。
そこで一端体力の回復を目指し、2010年1月に別の抗がん剤治療に切り替えた。
治療は順調に進み、抗がん剤の効果も認められたが、
新しい薬は効果が強い分副作用も強く、造血作用を抑制してしまう。
そのため抗がん剤治療終了後から定期的に輸血しなければならず、
それが3月くらいまで続き、実際に外出許可が出たのは4月後半になってからだった。
この時期はもう青春18きっぷの春季の利用期間も終わっており、
愛と青春の旅立ち〜山陰本線完乗とKTRの旅〜の企画を実行することは不可能になってしまった。

2015年7月から仕事復帰となるが、当然仕事のシフトも分からず、
この年の夏季休暇ではこの計画を実行に移すことは不可能だった。
翌年の2016年の夏季休暇でこの計画を実行に移そうと思ったが、
この年の4月に別の支店に転勤となり、夏季休暇の調整が出来ずにこの年も断念した。
そこで2017年の夏季休暇に併せていよいよ山陰本線の旅を実行に移そうと思い、
事前に綿密に計画を立てて1年前にはKTR完乗を外し、2泊3日で予定を組み直し、
新たに青春の旅立ち〜山陰本線完乗2泊3日の旅とした。

1日目/水曜日は羽田空港からANA3811便で山口宇部空港に行き、
徒歩移動で草江駅まで行き、宇部線で宇部新川乗り換えで宇部、
山陽本線で新下関駅取材を絡めて幡生まで行く。
山陰本線の乗り潰しに入り、川棚温泉で瓦そばを愉しみ、小串、長門市で乗り換え、
仙崎支線を往復して益田グリーンホテルモーリスにチェックインする。
2日目/木曜日は益田から快速「アクアライナー」で浜田、西出雲で昼食を喰い、
伯耆大山、倉吉乗り換えで鳥取グリーンホテルモーリスにチェックインする。
3日目/金曜日は快速「山陰海岸ジオライナー」で餘部に行き、普通で城崎温泉まで行く。
ここから特急「きのさき16号」で京都まで出て、東海道新幹線「のぞみ238号」で東京に戻る。


 3.2017年青春の旅立ち〜山陰本線完乗の旅と大どんでん返し

KTRを断念したことと3日目に特急を使うことで2泊3日の旅に短縮することに成功した。
青春18きっぷは5回分使えるために残り2回分が余ることになる。
そこでこの2回分で7月に長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅を企画することにした。

青春18ふっぷの有効期間の開始から最初の土日に当たる7月22日土曜日、
東海道新幹線「ひかり501号」で米原まで行き、
北陸本線で長浜まで行って鉄道保存施設の長浜鉄道スクエアを取材、
そこから更に北陸本線で近江塩津、敦賀、武生と移動し、
昼食後に福井鉄道の土日祝日1日フリー乗車券を購入して、
未取材電停を取材しながら福井まで行ってルートイン福井駅前にチェックイン。
2日目の7月23日日曜日は九頭竜線の愛称のある越美北線で九頭竜湖まで往復し、
北陸本線で金沢まで移動して北陸新幹線「かがやき510号」で東京に戻る。

さらに本編の山陰本線緩徐の旅も計画を見直し、
第2案では3日目の餘部での駅取材を断念することで時間を創出、
城崎温泉から福知山、園部乗り換えで京都まで青春18きっぷで移動することにした。
ダイヤ改正なども踏まえて最終的には次のような計画になった。

8月18日金曜日/1日目は羽田からANA3811便で山口宇部空港、
草江駅まで歩いて移動、宇部線で宇部、山陽本線で新下関で駅取材、
下関まで行って山陰本線に入り、川棚温泉、小串と乗り換えてここで昼食、
時間の関係で仙崎支線は断念し、長門市乗り換えで益田まで行く。
夕食は豊味軒で五目焼飯を喰い、益田グリーンホテルモーリスにチェックインする。
8月19日土曜日/2日目は快速「アクアライナー」で米子まで行き昼食を喰う。
倉吉乗り換えで鳥取まで行き、時間が余ったので因美線で郡家まで往復、
夕食は名物チキンカツカレーを堪能して鳥取グリーンホテルモーリスにチェックインする。
8月20日日曜日/3日目は快速「山陰海岸ジオライナー」で豊岡まで一気に行き、
城崎温泉で乗り換えて福知山まで行き昼食を喰い園部乗り換えで京都まで行く。
京都から東海道新幹線「のぞみ42号」で東京に帰る。

この計画に合わせて飛行機やホテルの予約をする。
今年1月にあるテレビ番組で川棚温泉の瓦そばを名物として紹介していて、
思い出してANAのホームページを見てみると“ 旅割75”の残り席数が“1”になっており、
慌ててANA3811便を予約、同時にクレジット決済して座席も確定させた。
2月になって益田グリーンホテルモーリスを予約、3月を待って鳥取グリーンホテルモーリスも予約した。
飛行機とホテルは押さえ、あとは7月を待って京成高速バス予約センターに空港リムジンバスの予約、
指定席券売機で帰りの京都から東京への東海道新幹線「のぞみ42号」の切符を購入するだけとなった。

しかし5月になって突然状況が変わってしまった。
家庭の事情で外泊を絡めた旅行が出来なくなってしまったのである。
正しく大どんでん返しだった。


 4.2泊3日の旅の中止と日帰り旅での復活

突然の家庭の事情で旅行の予定を遂行するのが厳しくなった。
仕方がないので全ての予定をキャンセルことにした。
益田グリーンホテルモーリス、鳥取グリーンホテルモーリスをホームページから解約、
また、7月の長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅のルートイン福井駅前もキャンセルした。
本来は飛行機も解約して旅行自体を全てやめてしまうべきなのだが、
いろいろと考えてANA3811便の予約は活かし、
青春の旅立ち〜山陰本線完乗の旅の2泊3日のうちの1日目午前中だけを実施することにした。
今回全ての予定をバラして来年以降全く同じ計画をやるのも面白くないし、
今回の旅は山陰本線乗り潰しのほかに、宇部線の居能から宇部までの区間が未乗車区間であり、
また山陽新幹線の停車駅である新下関も駅取材したい。
そこで1日目午前中の新下関までの予定は決行し、新下関から帰京することにした。
これによって山陰本線乗り潰しは下関からスタートすることが出来、
敢えて山口宇部空港を使う必要がなく、下関に近い北九州空港を利用できる。
北九州空港から小倉まで空港アクセスバスでノンストップなら33分である。
日豊本線朽網なら16分で行けるし、駅取材をひとつ追加できる。
そのため断念していた山陰本線仙崎支線の取材も追加できるかもしれない。
そこで今回日帰りで宇部線の乗り潰しと新下関の駅取材を強行することにした。

2泊3日で予定していた1日目、8月18日金曜日に計画を実行する。
JR津田沼駅南口から空港リムジンバスで羽田空港第2ターミナルにアクセス、
ANA3811便で山口宇部空港まで行き、徒歩移動で宇部線草江まで行く。
宇部線で宇部まで行き、ここで下車して宇部駅を駅取材する。
さらにここから山陽本線で新下関まで行き、昼食と駅取材、
13:45新下関発の山陽新幹線「こだま744号」で新山口まで行き、
ここから14:46新山口発の東海道・山陽新幹線「のぞみ36号」で東京まで戻る。
朝食は羽田空港で空弁、夕食は新山口で駅弁を購入して車内で喰う。

ミッション名も「青春の残像−宇部線完乗の旅」と変更して、
あとは7月18日に指定席券売機で新下関から新山口までの山陽新幹線「こだま744号」と、
新山口から東京までの東海道・山陽新幹線「のぞみ36号」の新幹線特急券と乗車券を購入する。
山陽新幹線「こだま744号」は乗車時間が19分と短いため自由席、
東海道・山陽新幹線「のぞみ36号」は4時間27分と長時間のためグリーン席を取ることにした。

この計画を実行するつもりで切符購入の7月18日を待っていたが、
思いもよらず、家庭の事情が好転、宿泊を伴う旅が何とか可能になったのだった。


 5.大どんでん返しの大どんでん返し−再考の山陰本線完乗の旅

家庭の事情で宿泊を伴う旅が厳しいということになり、
全ての予定を中止し、予約したホテルもキャンセル、
山陰の旅の2泊3日の初日の午前中の予定だけを実行することにした。
しかし思ったよりも状況が好転し、
再び宿泊を伴う旅を実行することが可能になった。
そこで一度キャンセルしたホテルを再び予約して、計画を再開しようと思った。
しかし状況が好転したのは6月の末になってからで、
既に7月22日土曜日で予定していた福井駅前のホテルは満室、
8月18日金曜日の益田グリーンホテルモーリスは再予約できたものの、
8月19日土曜日の鳥取グリーンホテルモーリスは満室になっていた。
そこで7月の1泊2日の“長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅”は中止せざるを得ない。
しかし8月の山陰本線の2泊3日は金曜日の益田が再予約できたことから、
何とか土曜日の宿泊場所を探そうと思い、いろいろと探してみた。
鳥取ではなかなか良いところが見つからなかったが、
山陰本線の豊岡まで行くと、まだ予約を取れる場所があった。
そこで豊岡で2日目の宿泊が可能かどうか考えてみた。
その結果2日目をただひたすら山陰本線を乗り潰すことで何とか可能ということになった。
またダイヤ改正もあって1日目の予定も変更した。
6月30日に益田グリーンホテルモーリスと豊岡グリーンホテルモーリスを予約、
それに併せて予定も再度組み直した。

8月18日金曜日は羽田空港からANA3811便で山口宇部空港ので行き、
52分の乗り換え時間で草江まで歩き、宇部線で宇部まで行く。
山陽本線で新下関下車で駅取材をしてから下関まで行き、ここで昼食を喰う。
午後から山陰本線に入り、川棚温泉乗り換えで長門市まで行き、
仙崎支線で仙崎まで往復してから益田まで行き、
夕食後に益田グリーンホテルモーリスにチェックインする。

19日土曜日は益田始発の快速「アクアライナー」で3時間半かけて米子まで一気に行く。
倉吉乗り換えで鳥取まで行き、ここで昼食を喰い、浜坂乗り換えで豊岡まで行く。
ここで夕食を喰ってから豊岡グリーンホテルモーリスにチェックインする。

20日日曜日は豊岡から山陰本線上りで餘部乗り換えで城崎温泉まで行き、
ここから始発に乗り換えで福知山まで行って昼食を喰う。
山陰本線上りで園部乗り換えで京都まで行き、
ここで夕食、東海道新幹線「のぞみ402号」で東京まで戻る。

1日目では昼食を取る場所を小串から下関に変更したことで時間を短縮、
結果として仙崎支線を往復する時間を創出できた。
2日は宿泊場所が鳥取から豊岡に変更を余儀なくされたことで、
山口県益田から兵庫県豊岡まで366.1kmを大移動することになってしまった。
3日目は偽薬に移動距離が縮まったことから一端断念した餘部の下車が可能になった。

既に飛行機のチケットは確保されていることから、
7月14日金曜日に近所の歯科医院に通院する途中で、
JR幕張駅の指定席券売機で青春18きっぷ11,850円を購入する。
発売は7月1日からだがうっかり買い忘れていて、この時漸く購入した。
さらに7月20日木曜日は通院のために有休を取ったが、
その帰りに千葉駅の指定席券売機で、
京都からの東海道新幹線「のぞみ402号」の乗車券と指定席特急券を購入した。


 6.曇天の羽田と快晴の山口宇部−旅の始まり

今年の夏の青春18きっぷの旅は7月22日土曜日に井原鉄道と水島臨海鉄道の旅、
7月29日土曜日に青春の旅立ち−草津線と名松線の旅と日帰りを2回決行し、
残り3回(人)目から5回(人)目を使い、
8月18日金曜日に夏季休暇を取得して2泊3日の旅に出る。
しかし今回は空路で山口まで行くため、出発時の電車は津田沼までで、
ここから空港リムジンバスを使用することになる。
津田沼までは通勤定期の範囲内のため、敢えて青春18きっぷは使用せず、
幕張からSuica定期券を使用して初電の04:40で津田沼まで行き、
ここで下車して05:05発の京成高速バスを待つことにする。
天気は芳しくなく日中は雨の予報だったが、早朝の出発のためにまだ雨は降る前だった。
少し待ってバスが到着するが、京成が運行する空港リムジンバスは中型だった。
事前に予約していたため、優先的に乗車することが出来たが、
乗り切れないというほどではなく、そのまま京成津田沼駅に向かった。
京成津田沼駅では大型のバスが先に停まっていて、
これに乗りきれない乗客を拾うという運行形態だった。
だから中型で十分だということだったのだ。
ほぼ予定通りに羽田空港第2ターミナルに到着、直ぐに保安検査場に向かう。
今まではANAが発行するレシートを渡されたが、
今回は保安県査証という紙を渡され、そこに搭乗口と座席が書かれている。
今回は山口宇部空港というマイナーな空港のため、予想通りバス移動だった。
1階に降りてバス移動専用フロアで出発を待つ。
2階の売店で空弁「こだわりののり弁」などを買い、1階でこれを喰って待つ。
時間が来て優先搭乗のあとに窓際から先にバスに乗り込む。
空港内をバスで移動し、ここからタラップを上がる。



チケットはANAで取ったのだが、コードシェア便で機体はスターフライヤーのものだった。
この黒い機体は空港で見かけたことは何度かあったが、乗り込むのは初めてだった。
座席はエコノミーでも革張りで、しかもビデオ用のモニターまで付いている。



単なる格安航空会社というのではなく、クオリティーでも大手に差を付けようというのであろう。
乗り込む時に入口に立っていたCAさんが籠を持っていて、その中にイヤホンが入っていた。
ANAなどでは最初から座席の手前の物入れにイヤホンが入っているが、
スターフライヤーでは必要な人にだけ配るということなのだろう。
取り忘れるとビデオも音声が楽しめない。
まだ雨は降っていないものの羽田空港では曇天で日差しは全く見えなかったが、
離陸して雲を突き抜けると当たり前だが青空が広がっていた。
それでも関東地方は雨雲の上を飛んでいたので地上はほとんど見えなかった。
機内サービスもちゃんとあった羽田発はミネストローネ、羽田着はコンソメになる。
関西エリアに入ると雲も少しずつ取れてきて、地上も見えるようになってきた。



着陸した山口宇部空港は快晴で、日本列島の大きさを感じさせた。
ほぼ定刻通りに着陸し、ここからは徒歩で草江駅を目指す。
空港の前にはほかの空港と同じくバスが待っていて、客のほとんどはバスに乗り込み、
草江駅まで歩いて行く乗客はほかに一人も居なかった。
空港アクセスのための駅ではなく、
宇部線が敷設されていたところにたまたま山口宇部空港が出来たのだ。
そのため草江駅は単式1面1線の無人駅で、発着便とダイヤはリンクしていない。


 7.16分遅れの山陽本線と予定変更の新下関

山口宇部空港の発着便と草江駅のダイヤはリンクしていないため、
乗り換えに52分の時間があり、しかも山口宇部空港は快晴で蒸し暑く、
クーラーのない掘っ立て小屋のような待合室で長時間待つ羽目となった。
空港からの乗り換え客はいなかったものの、
町外れの無人駅でほかに4〜5人の待ち客がいた。
宇部線は2010年に新山口から居能まで乗り潰しているが、
居能から宇部までがまだ未乗車で、今回はこの区間の乗り潰しも目的だった。
2010年に乗った時はオリジナルと色だったが、今回は瀬戸内地区地域統一色だった。



ここから青春18きっぷの旅が始まるが、
草江は無人駅のためここで検印を受けることが出来ず、
そのまま宇部まで行くことにする。
宇部到着は10:15で、これで宇部線の乗り潰しは完了した。
有人改札口に行き、ここで青春18きっぷの3回(人)目に、
「(西)宇部駅 8.18 入鋏済」の検印をもらい、そのまま改札を出る。



ここで十分に駅取材してから再び入場し、10:37到着の山陽本線下関行きを待つ。
しかし山陽本線下りに遅れが発生していると構内放送があり、
新山口駅を16分遅れで発車したとのことで、宇部駅到着は10:52頃の見込みとのこと。
新下関では32分の乗り換え時間で駅取材することになっているが、
16分遅れだと残り時間は16分しかない。
新下関は新幹線停車駅であり、在来線と斜めに交差しているため、
駅取材には16分では時間が足りない。
到着した列車は予想通り大混雑だった。
このまま新下関で下車せずに終点の下関まで行けばこのあと予定通りに行動できると思った。
それに新下関で下車したとして次の列車も時間通りに来るか分からなかったが、
やはり新幹線停車駅は取材したいと思い、新下関の下車を強行する。
新下関到着の段階で18分遅れになっていた。
南口、西口、東口と駅舎取材した段階で既に予定していた11:42の列車には間に合わなくなっていた。
次の列車は12:25で30分以上時間があるため、ここで昼食を喰うことにした。
以前、「青春の残像−宇部線完乗の旅」のミッション名で日帰りの旅を計画し時、
新下関で昼食を喰ってここから新幹線で帰る予定を組んだ時に探した食堂に行く。
事前に調べていたが今回の旅では新下関で食事を取る予定ではなかったので、
地図を持参していなかったが、西口で駅取材した時に偶然見つけてここに入ることにした。
「肉×2食堂 USAGI」に行き牛ハンバーグステーキセット1,000円を喰い、
東口から在来線の改札を入ってホームに向かう。
新幹線のホームに併せて東口が設置されているため、
在来線ホームとは離れていて、そのため動く歩道まで設置されている。
12:25は予定通りに到着し、終点の下関まで行く。


 8.三角屋根の思い出と山陰本線の旅の始まり

山陽本線の遅れにより新下関から下関への移動が1本遅れ、
43分遅れで下関に到着したが、新下関で既に昼食を済ませたため、
ここでは駅取材だけで山陰本線に乗り込むことが出来る。
12:35に下関に到着し、26分の乗り換え時間の間に駅取材する。
下関は2005年3月6日に同じく青春18きっぷで日本最南端を目指す旅をした時、
その2日目に本州から九州に渡る時にこの駅を利用、その時に駅取材していた。
下関駅は三角屋根が特徴的で、2005年に訪問した時に駅舎取材していた。



 ※2005年3月6日訪問時の撮影画像

しかしこの翌年、下関駅放火事件により消失してしまった。
下関駅放火事件は2006年1月7日午前1時50分頃に無職の男性が下関駅に放火し、
東口の三角屋根を含む駅舎が全焼した事件で、
犯人は過去にも放火未遂事件を起こしており、
生活保護を受けられなかったことで刑務所に戻りたいといのが動機だとされている。
高架上のホームや線路、架線には被害はなかったものの、
復旧までに2日間の運休を余儀なくされ、また駅舎の損失も5億円とされ、
犯人の男性は懲役10年の実刑が言い渡された。
復旧後は仮設の駅舎が使われていたが、2014年3月に駅ビルが完成、
新駅舎として供用が開始された。
今回は追加の駅取材として26分の乗り換え時間でこれを取材することにした。
下関駅の三角屋根はシンボル的なものだが、駅ビルにもその面影がデザインされている。



下関駅の追加取材してから再入場し、ここからいよいよ山陰本線の旅が始まる。
予定通り13:01下関始発小串行きの山陰本線に乗り込む。
山陰本線は正確には京都から幡生までの区間だが、運行上は下関を発着したダイヤとなっており、
下関から幡生までは山陽本線を走り、幡生から山陰本線に分岐する線形になっている。
山陰本線は一部電化区間もあるが、ほとんどは非電化区間であり、
下関から朱色4号の国鉄標準色を纏ったキハ47形2両編成が充当されていた。
下関を定時13:01に発車した気動車は幡生で山陽本線下りと接続するため、4分停車する。
しかし山陽本線の遅れはまだ続いていたみたいで、
幡生では4分停車の予定が更に6分遅れ、10分の停車になってしまった。
それでも次の川棚温泉では42分の乗り換え時間があり、
ここでの6分の遅れは十分に吸収できる。
13:01発の列車は小串行きだがひとつ手前の川棚温泉で下車して駅取材する。



ここでの下車はもともと「元祖瓦そば・たかせ」に行くために下車することにしていたが、
予定が変更してここで昼食を喰うことがなくなってしまったため、
結果として駅取材だけして少しあたりを散策して14:25の長門市行きに乗り込む。


 9.仙崎支線の往復と長門市の彷徨

川棚温泉で乗り込んだ気動車も国鉄色を纏ったキハ47形2両編成だった。
ここから終点の長門市までは1時間34分の旅になる。
長門市は山陰本線のほかに山陽本線厚狭から美祢線が接続しており、
また運行上は美祢線車両が乗り入れている山陰本線仙崎支線も使用しており、
山陰本線の鉄道の要衝としての機能も有している。
広島支社長門鉄道部が併設されており、側線には多くの気動車が留置されている。



ここでの乗り換え時間は17分しかないため、車両取材のみで駅の外には出ず、
美祢線からやってきたキハ120形に乗り込む。
ここから仙崎支線で終点の仙崎まで行く。



仙崎はもともと貨物支線として開業した路線で、のちに旅客営業が開始された。
青海島観光船乗り場が200mの距離にあり、
またこの地の出身である童謡詩人金子みすゞの近くに記念館もあり、
観光需要が中心の駅となっている。
しかし乗ってきた列車の折り返し時間7分で駅舎取材しただけで、
そのまま長門市まで戻ることにした。
ひと駅なので乗車時間は4分で、ここから益田までは1時間5分の乗り換え時間がある。
仙崎支線に乗らなければ19分の乗り換え時間で始発の益田行きに乗り換えられたが、
仙崎支線を往復したためにこれに乗れず、次を待つことにした。
この時間を利用して駅舎取材や車両取材をするが、それでも時間を持て余し、
駅周辺で食事を出来るところがないかと駅前を彷徨する。
以前の計画で長門市で夕食に予定にした時に探した店の店名を思いだし、
スマホで検索して店の前まで行ったが、時間が早すぎて開店していなかった。



その他駅周辺を彷徨してみたが、5時前では普通の飲食店では開店しておらず、
諦めて駅に戻り、再入場して車両取材しながら17:36始発の益田行きを待つことにする。


 10.益田の夜と朝−山陰本線の旅二日目

長門市の駅構内で車両取材をしながら17:36発の山陰本線上り列車を待ち、
始発のキハ47形2両編成に乗り込み、約2時間かけて益田まで行く。
駅に到着した時には既に日は暮れていて駅舎取材は翌朝に持ち越しし、
事前に調べておいた駅近くの「豊味軒」で五目焼飯800円を喰う。
コンビニでビールやつまみなどを買い、益田グリーンホテルモーリスにチェックインする。
ほかの大手チェーンビジネスホテルに比べて部屋は広めで、
家具なども高級志向を意識していてゆったりした気持ちで過ごせる。



カメラの手入れをしたあと、コンビニで買ったビールや発泡日本酒などを飲む。
旅の疲労も蓄積していて、ビールを飲み終わる頃にはかなりの眠気に襲われる。



翌朝は5:00a.m.に起床し、ホテルに併設の大浴場で朝風呂を愉しむ。
このホテルは深夜も大浴場は入れるようになっており、
厳密には一番風呂ではなかったが、それでも朝イチで大きな風呂には入れるのは心地良い。
ホテルは駅のロータリーに隣接しており、窓からは駅や線路も見える。



部屋に戻ってクールダウンしながら6:30a.m.を待ってホテル2階の会場で、
チェックインの時にに予約したバイキング形式の朝食を喰う。



ウインナー、スクランブルエッグ、具入り玉子焼、スパゲティーサラダ、ナポリタン、
サラダ(キャベツ、人参、貝割れ大根、コーン)、ご飯、海苔、味噌汁、生玉子など。
このあとコーヒーを飲んでまったりしてから部屋に戻って歯を磨き、
7:15a.m.頃に益田グリーンホテルモーリスをチェックアウトする。
昨日できなかった駅取材をしてから益田駅の改札口で4回(人)目に、
「益田 8.19 米子支社(西)」の検印をして貰う。
ここから2日目の青春18きっぷの旅を開始する。


 11.3時間30分のアクアライナーと1時間5分の普通列車

当初の予定では2日目は益田から鳥取の予定だったが、
一端計画を白紙に戻して再計画したため、2泊目が豊岡になってしまい、
その結果2日目は益田から豊岡までの移動になり、
移動距離は366.1km、総乗車時間は7時間20分の計画になってしまった。
2日目はほぼ移動だけで終わってしまう。
その中でも益田07:43始発の米子行き快速「アクアライナー」は、
乗車時間が今回最長の3時間30分になってしまう。
ホームや側線に停車している気動車を取材しながら列車の到着を待つ。
快速「アクアライナー」はJR西日本が開発したキハ120形2両編成が充当されていた。



アコモはキハ47より充実していたが、それでも3時間30分はしんどい。
日本海側を下すら米子を目指して走る列車は時折海沿いに出る。
車窓からは荒々しい日本海の様子を堪能できる景色を見ることができた。



11:13に漸く米子に到着するが、ここから16分で次の列車に乗り換えなければならない。
車両取材とトイレ休憩で11:29米子始発の倉吉行きに乗り換える。
既に列車は停車していて、荷物を置いて車両取材したが、
境線のラッピング車両は時間的に余裕がなく断念した。
11:29米子始発の列車は59分をかけて倉吉を目指す。
日本海の強い風を利用して風力発電のための風車がよく見られた。



12:34に倉吉に到着し、ここで駅取材する。
倉吉では接続する列車には乗らずに1本あとの列車まで待って時間を創出し、
駅取材の時間を取ったためにここでの待ち時間は1時間11分になってしまった。


 12.緊急取材の由良駅−コナンだらけの駅

倉吉の乗り換え時間は1時間11分で、南北の駅舎を取材しても時間は余る。
そこで駅取材のあとで駅のベンチでスマホを使って下り列車を調べる。
倉吉に到着したのは12:34で、予定では13:46発の快速「とっとりライナー」で鳥取まで行く。
快速「とっとりライナー」は米子発なので、下り列車で手前の駅から乗り込みたい。
13:10に下りの「とっとりライナー」があり、快速停車駅の由良なら、
倉吉で乗る予定だった米子発の「とっとりライナー」に十分間に合う。
そこでこの列車で由良に戻り、駅取材してから予定の行動に入る。
この計画を差し込み、13:10下りの快速「とっとりライナー」に乗り込んだ。
由良駅は上り列車で倉吉に向かっている途中で車窓から見て初めて知ったのだが、
この駅は何故か“名探偵コナン”に彩られている。
理由は分からなかったがそのため多くのアニメファンと思われる人が溢れていた。
更に下りの快速「とっとりライナー」はコナンラッピングだった。



倉吉から8分で由良に到着、下り「とっとりライナー」はここで4分停車しているが、
その間にも多くのアニメファンがこれを撮影していた。
日本人だけでなく、中国人だと思われるファンも多くいた。
改めて日本のアニメが世界で愛されていることを知った。
下りの快速「とっとりライナー」13:18に由良に到着して18分の乗り換え時間で上りに乗る。
駅舎も「由良駅」ではなく「コナン駅」と看板が出ていて、
駅前にはコナンの像が建っていて、ファンが並んで写真を撮っていた。



駅前のロータリーには由良駅の歴史などが書かれた掲示板が設置されていて、
そこには昔の駅の写真とともに駅の歴史などについて書かれていた。




    由良駅

  一八七二年(明治五年)十月十四日に新橋(汐留)〜横浜間の開業式典が行われ、
 翌日より正式に開業、日本の鉄道が生まれました。
 また、一八七二年(明治七年)には、大阪〜神戸間の鉄道が開業し、
 一八八九年(明治二二年)には現在の東海道本線に当たる新橋〜神戸間が開通しています。
  山陰地方の鉄道網は、一九〇二年(明治三五年)十一月一日、
 御来屋(大山町)〜米子から境(境港市)間が開通したことから始まります。
 翌年の八月には、御来屋〜八橋〜倉吉間が開通、その後、東は鳥取を経て京都へ、
 西は松江・出雲を経て下関まで路線を延ばし、「山陰本線」を形成しています。
  由良駅は、一九〇三年(明治三六年)十二月二十日、八橋〜倉吉間の開業時に設置された駅です。
 駅の構造は二面三線で貨物輸送の廃止や高速化整備などの影響で、
 線形の改良や線路の撤去が行われています。
 駅舎も内外装を改装していますが、基本的な構造は開業当時のもののようです。
 プラットホームは跨線橋の設置やコンクリートによるかさ上げなどを行っていますが、
 ほぼ開業当時の位置を保っているようで、
 断面には線路を横断していたころの名残が残っています。

十分に駅取材して改札を潜り、1番線で上りの快速「とっとりライナー」を待っていると、
2番線3番線の島式ホームの待合室がコナンラッピングになっているのに気付いた。
ここまで拘っているのだなと思った。
13:46倉吉で乗る予定だった上り快速「とっとりライナー」は、13:35に由良に到着する。
快速「とっとりライナー」はここからちょうど1時間で鳥取に到着する。


 13.緊急取材の郡家駅−建て替えられた新駅舎

由良から乗った快速「とっとりライナー」は14:35に鳥取に到着する。
鳥取での乗り換え時間は1時間47分を設定していて、
この間に遅めの昼食を喰うことにしていて、改札を出る。
駅前には以前鳥取県知事が「“スタバ”はないけど“すなば”はある」と発言していた、
その“すなば珈琲”を見つけることが出来た。



入ってみたかったが事前に調べた場所で昼食を喰うために断念、
北口から徒歩5分の「ベニ屋」でチキンカツカレー800円を喰う。
そのまま戻って鳥取駅に再入場する。



鳥取は既に一度訪問していて駅取材していたため、
今回は駅取材しないでそのまま入場、ここで車両取材する。
しかし時間はまだ十分にあり、時間を持て余してしまう。
そこでスマホで時刻表を調べ、
以前鳥取宿泊の時に計画していた郡家までの往復が可能かどうか見てみた。
予定では鳥取16:22発の浜坂行きに乗車することにしていて、
それまでに鳥取に戻ってこれるダイヤかどうか調べた。
すると15:23始発の因美線だと15:43に郡家に到着、
上りの因美線で郡家15:46到着15:52出発の列車なら鳥取に16:05に戻れる。
17分の乗り換え時間で始発の浜坂行きに間に合う。
下りの列車は智頭急行普通列車用HOT3500形2両編成が充当されていた。
乗ってから気付いたのだが、鳥取の隣の津ノ井では8分の停車時間が設定されていた。
それなら下車して駅取材が出来たな・・・と思った。
郡家に到着して駅取材、9分間の乗り換え時間で駅取材を強行する。



ここは以前、2014年3月15日に駅舎取材しているが、
そのあと駅舎が建て替えになったために再取材したかったのだ。
上りの因美線は若桜鉄道WT3000形2両編成+WT3300形1両が充当されていた。
WT3300形は未取材だったが、何時の間にかスズキのバイク“ハヤブサ”ラッピングになっていた。
若桜鉄道には隼という駅があり、それが縁でこの駅にはライダーが集まったりするという。
それに合わせてのラッピング車両投入なのだろう。
鳥取から16:22始発の浜坂行きに乗って44分、終点の浜坂駅に降り立つ。


 14.豊岡の夜と朝−山陰本線の旅三日目

浜坂での乗り換え時間は16分で、
そのまま次の列車に乗り込んでしまおうとも思っていたが、
接続する豊岡行きの列車がまだ到着していなかったため駅舎取材を強行する。
取材を終えて駅に再入場すると既に列車が到着していてこれに乗り込む。
浜坂から豊岡までは1時間12分の旅で、長かった今日の旅も漸く終える。
当初は移動距離は366.1km、総乗車時間は7時間20分の計画だったが、
由良と郡家への往復が加わったため、
移動距離は406.7km、総乗車時間は8時間11分になってしまった。
山陰本線はほとんどの区間が非電化区間だが、
特急が直通する区間だけは電化されていて、
岡山から出雲市を結ぶ「やくも」の走る伯耆大山から回送区間を含めた西出雲と、
京都から各方面に走る特急のため城崎温泉まで直流電化されている。
城崎温泉駅に近づくと車窓からは宿の浴衣を着た女性たちがこちらを見てはしゃいでいた。
朱色の国鉄色を纏ったキハ47形はやはり珍しいのだろう。
こちらに向けて写メを撮りまくっていた。
城崎温泉では6分の停車時間があり、始発の特急「こうのとり」が接続発車していた。
豊岡には18:34に到着、跨線橋で繋がっている複合商業施設「アイティ」に行く。
ここを通って事前に調べた洋食店に夕食を喰おうと思ったが、
まさかの“臨時休業”だった。
仕方がないので先にホテルにチェックインしようと思い、
豊岡グリーンホテルモーリスにチェックインする。



豊岡グリーンホテルモーリスは2014年に開業した新しいホテルで、
部屋はカードキー方式になってエレベーターもこのカードがなければ乗ることが出来ない。
先にカードをタッチしてから自分の行く階のボタンを押さないと、
エレベーターが動かない構造になっている。
防犯上きちんとしたセキュリティーだが、
間違って先にボタンを押しちゃうとエレベーターが動かなくなってしまう。
一端降りて次に来るのを待たないと行けない。
部屋に荷物を置いてホテルの近くを散策し、
「ぎょうざ健天」でしょうゆらーめん750円、健天ぎょうざ300円など喰う。
部屋に戻ってホテルにチェックインする前に買った日本酒などを飲む。



一日中座席に座っての移動だったので疲労も蓄積していて、直ぐに眠くなってしまう。
5:00a.m.に起床して大浴場で朝風呂を愉しんでから部屋に戻ってクールダウンする。
部屋の前には朝刊が置かれていていた。



予定では餘部まで往復することになっていたが、
機能の疲労の蓄積もあり、また飲み過ぎたこともあって計画を変更することにした。
餘部は橋梁の脇にホームがあり、地上まで長い階段を降りることになるため、
体力的にちょっと無理のような気がしたため、
スマホでいろいろと調べて検討し、餘部までの往復の時間は豊岡で車両取材に充てることにした。
6:30a.m.を待って1階の会場に行き、バイキング形式のの朝食を喰う。
肉団子、コロッケ、ナポリタン、スクランブルエッグ、もやし炒め、焼き鯖、菠薐草、
サラダ(キャベツ、人参、貝割れ大根、コーン)、ポテトサラダ、金平牛蒡、
ご飯、味噌汁、海苔、お新香、茹で玉子、カレー、グレープフルーツジュース、コーヒーなど。



部屋に戻って歯を磨き、豊岡グリーンホテルモーリスをチェックアウトする。
城崎温泉まで往復してから再び豊岡に戻ってくるため、
宿泊用の荷物を入れているバッグはコインロッカーに入れ、
カメラバッグだけを担いで事前の予定より1本遅い08:44豊岡始発の列車に乗り込む。


 15.予定変更の餘部取材中止と快速「天空の城竹田城跡号」

この旅の最終日の8月20日日曜日は餘部、城崎温泉、園部を駅取材し、
18:38京都発の新幹線で東京まで戻ることにしていた。
そのため07:42豊岡始発で餘部まで行き、
1時間4分で折り返して10:19に城崎温泉に到着、
1時間16分の滞在時間で11:40城崎温泉始発に乗って福知山まで行く。
しかし餘部橋梁を下まで降りるのは体力的に厳しいと思い、
さらに朝食後に少し横になりたかったため、
チェックアウトを1時間ずらし、08:44豊岡始発に乗って城崎温泉に行くことにした。
豊岡駅の改札で青春18きっぷの5回(人)のところに、
「(西)豊岡駅 8.20 入鋏済」に検印を押して貰う。
城崎温泉は志賀直哉の「城崎にて」で有名な場所で、
記憶が鮮明ではないので断言は出来ないが、
国語の教科書に一部が載っていたように思うが内容は全く覚えていない。



今はそれより泣いちゃった元・兵庫県議が、
2日に一度の割合で訪問していた(と主張していた)場所として有名になった。
作用と城崎温泉は兵庫県の西の端と東の端で、
云い換えればこの2カ所に行くのが一番交通費が掛かるのである。
早朝にスマホで調べた時には城崎温泉に1時間13分滞在し、
豊岡での乗り換え時間は38分と設定していたが、
城崎温泉の駅の列車表示に“09:27 快速天空の城竹田城跡号”を見つけた。
この駅に到着したのは08:56だったので、31分の折り返しで豊岡に帰れる。
豊岡の方が車両取材しやすいので駅員に青春18きっぷでも乗れることを確認し、
駅取材や周辺の散策をしてから早めにホームに入り、列車の到着を待つ。
この列車はキハ40形1両編成のラッピング車両で、
車内は片側のボックスシートを外向きの座席にアコモ改造されていた。



ボックスシートの方も転換クロスシートに改造されていて、乗り心地は改良されている。
快速なので途中の玄武洞には停車せず、09:38に豊岡に到着した。
ここで11分停車して和田山から播但線に入って寺前まで行く。
豊岡での乗り換え時間は早めに到着したこともあって1時間24分もある。
その間に駅側線に留置中の気動車などを取材する。
キハ41形も留置されていたが、うまく撮影できなかった。
十分に車両取材して、11:02始発の山陰本線に乗り込む。



ここまではずっと気動車での移動だったが、ここで漸く電化路線になる。
223系5500番台に乗り込み、1時間23分で福知山に到着する。


 16.閉店の洋食店と山陰本線の完乗

福知山は2016年7月の関西本線完乗の旅の時に、
一度訪問しているので駅取材の必要はないが、
昼食を喰うためにもともと1時間36分の訪問時間を設定していた。
事前の予定では11:40城崎温泉始発の電車で13:19福知山到着になっていたが、
実際には1本早い11:02豊岡始発で福知山に向かったため到着は12:25だった。
昼食は事前に調べた洋食店に行くことにしていたが、
場所が分からず北口を彷徨っていたが、漸く見つけたその店は閉店していた。
たまたま臨時休暇なのか閉店してしまったのかは分からない。
仕方がないので2016年7月に福知山で昼食を喰う時に入った店に行くことにした。
そこは南口にある中華店で、南口には蒸気機関車が静態保存されている。



もともとこの場所には福知山運転所があり、
現在でも当時使われていた転車台の上にC11形40号機が設置されている。
昼食には南口の「中華サン」で酢豚セット1,050円を喰う。
駅に戻って予定より1本早い上り13:54で園部まで行く。
ここで駅取材して37分の滞在で京都行きの上り列車に乗り込む。
この先は山陰本線の中でも京都中心部に向かっていくため、
221系5両+233系2両の計7両編成の直流電車が充当されていた。
44分かけて京都に向かっていくが、車窓が山間部からどんどん都市部に移り変わっていくのが分かる。
16:34京都駅の山陰本線用のホームに到着する。
これで幡生から京都までの673.8kmの完全乗車を達成した。
京都にはいろいろな寺院もあるが、やはり駅前の京都タワーを見ると京都に来たという気持ちになる。



ガラス張りの近代的な京都駅に京都タワーが映る。
帰りの新幹線は18:38京都発で、当初の予定では京都には17:27着だったが、
1本早い列車で京都に向かったため16:34に到着、
京都での乗り換え時間は2時間3分を確保することが出来た。


 17.終着の地京都と天むすな東海道新幹線−旅の終わり

京都には「新福菜館本店」という有名なラーメン店があり、
2013年1月に“スルッとKANSAI3dayチケット”で関西地方を旅した時、
その2日目、1月12日土曜日に実際に店舗の前まで行ったのだが、
0:00p.m.を少し過ぎた時間でちょうど昼食時だったため、
長蛇の列でそのあとの予定が完全に狂ってしまうために断念した。
今回早めに予定をこなし、京都での滞在時間を増やしたのは2013年のリベンジで、
どうしても「新福菜館本店」で夕食を喰いたかったのである。
京都に到着した時間は16:34で夕食には少し早い時間であり、
駅に到着して直ぐに店に向かった。
一度訪問していたので場所は既に頭に入っていた。



5:00p.m.前でも既に外にまで行列が出来ていた。
今回は2時間以上時間があったので行列に並んで順番を待つ。
オーダーは中華そば(並)700円で美味しいラーメンを堪能し、
駅に戻ってお土産になどを買い、新幹線改札口に入場する。



京都の新幹線改札内はお土産店が充実していて早めに入っても楽しい。
売店で天むすを購入、ホームに上がって乗車直前でビールを買う。



東海道新幹線「のぞみ42号」は17:55に京都を出発、
名古屋、品川と停車して東京に向かう。
2時間18分の乗車で東京に着く頃には夜の帳が完全に降りていた。
21:30東京始発の総武快速線で津田沼まで戻り、総武緩行線に乗り換える。
今回の旅では宇部線の草江から宇部、山陽本線の宇部から下関、
山陰本線の幡生から京都までと長崎市から仙崎までの往復、
鳥取から郡家までの因美線の往復を乗車、
その結果、宇部線の全区間と山陰本線の全区間と支線を完乗した。





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