青春の旅立ち−美祢線と山口線




 1.青春18きっぷの基礎知識と2018年の計画

青春18きっぷは学生の長期休みに合わせ、春、夏、冬に発売される。
国鉄時代から発売されている企画切符であり、
国鉄分割民営化後もJRグループの旅客会社全区間で利用できる。
快速を含む普通列車のみ有効で、特急料金を追加しても乗車は出来ない。
夏季は発売期間が7月1日から8月31日まで、
利用期間が7月20日から9月10日で、期間内に5回利用出来る。

闘病などで行けない年もあるが、基本的には夏季に何時もこの切符の旅を企画している。
2017年夏は山陰本線の全区間乗り潰しを計画した。
この計画は以前から企画していたが、やはり闘病などで先延ばしになり、
去年漸く計画を実行することが出来たのだ。
もともとは3泊4日で計画し、豊岡で2泊して、
この間に北近畿タンゴ鉄道(現・京都丹後鉄道)の乗り潰しを考えていた。
しかし4日間連続で休みを取るのは難しいと考え、
青春18きっぷの旅の間に北近畿タンゴ鉄道の乗り潰しを実行するのをやめ
山口宇部空港から山陽本線経由で下関まで行き、
益田、鳥取で宿泊して京都まで2泊3日の旅を企画した。
実際には家庭の事情でいったん企画を白紙に戻し、
そのあと再度企画をしたために鳥取での宿が取れず、
豊岡での宿泊に企画変更して実行に移した。

残りの2回分に関しては1泊2日で長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅を企画した。
しかし家庭の事情で一度企画を白紙に戻したため、
再び腹囲のホテルに予約しようとした時は満室となっていて予約できなかった。
そこで2回分を日帰りで井原鉄道と水島臨海鉄道の旅、
及び草津線と名松線の旅を企画して実行に移した。

2018年の青春18きっぷの旅は去年ホテルが取れずにボツにした、
長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅を再び企画した。
これは前回の計画をほぼそのまま移行する形とした。
残りの3回分のうち、1回分を使って山陰本線乗り潰しの旅で計画から外した、
京都丹後鉄道完乗の旅を考えた。
日帰りで行くとかなり厳しいので、1泊2日の企画とすることにした。
去年、山陰本線完乗の旅の3日目、福知山で昼食を喰ったのだが、
この時南口のロータリーから見えるところにアールイン福知山というホテルを見つけた。
この時、京都丹後鉄道が接続する福知山に前乗りで一泊すれば、
その分十分に時間を取ることが出来る。
前乗りの時間を使ってまだ未訪問だった京都鉄道博物館を見学することにする。
1日目に青春18きっぷを使い、2日目は京都丹後鉄道の乗り放題きっぷを使用、
帰りは幕張までの乗車券を購入して新幹線で帰京することにする。

そして残った12回分は全く新しい企画で旅行を決行することにした。
以前、拙作「旅の徒然に」の「全国普通鉄道乗り潰しの旅」を見ていた時、
やはり中国地方の乗り潰しが進んでいないと感じていた。
そんな中で三江線が全線廃止のニュースが飛び込んできて、さらに危機感を感じていた。
そこで未乗車だった美祢線と山口線の旅を企画した。
特に美祢線は2010年の大雨で橋梁や路盤が流失して1年以上不通になった。
青春の旅立ち−山陰、山陽、九州、四国の旅で厚狭のホテルに泊まった時、
代行バスを見て美祢線は再開しないかもしれないと心配したことを思い出した。
実際には2011年9月に全区間で運転を再開して安心したが、
廃線の危険性がなくなったわけではない。
そこでこの2つ陰陽連絡線の乗り潰しを計画することにした。


 2.美祢線と山口線の旅の企画

美祢線は山陽本線厚狭から山陰本線長門市に至る46.0kmの非電化単線の路線である。
厚狭から南大嶺と現在は廃止になった南大嶺から大嶺までは、
大嶺炭田で産出される石炭の運搬のために山陽鉄道が敷設した区間で、
1905年9月13日に全通した。
翌年、1906年12月1日に山陽鉄道が国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定で大嶺線となった。
一方、南大嶺から重安までは1916年9月15日に美祢軽便鉄道によって敷設された。
美祢軽便鉄道は1920年6月1日に国有化され、美禰軽便線となる。
同年10月30日には重安から於福までの区間が延伸した。
しかし軽便線の呼称廃止により1922年9月2日に美禰線となった。
1924年3月23日に於福から正明市(現・長門市)まで延伸、
この時の延伸区間と大嶺線が美禰線に編入され、全通した。
美禰線は1963年10月1日に美祢線の表記に変わった。

山口線は山陽本線新山口から山陰本線益田に至る93.9kmの非電化単線の路線である。
鉄道院によって陰陽連絡線として計画された路線で、
1913年2月20日に小郡(現・新山口)から山口までが部分開業した。
この区間は大日本軌道山口支社によって軽便鉄道が運行されていたが、
山口線の部分開業の前日に廃止された。
その後も延伸が続き1917年7月1日に篠目まで延伸、
1918年4月28日に三谷まで延伸、同年11月3日に徳佐まで延伸、
1922年8月5日に津和野まで延伸された。
翌年の1923年4月1日に石見益田駅(現・益田)まで延伸され全通した。
山口線は新山口から津和野までの「SLやまぐち号」の運行も特筆で、
山陽新幹線新山口が開業した4年後、1979年8月より運行が開始された。

2018年の青春18きっぷの旅は土日の1泊2日を3回実行することにして、
会社の土曜日直などの予定なども考慮して、
7月21日土曜日から1泊2日に美祢線と山口線の旅、
8月4日土曜日から1泊2日に京都鉄道博物館と丹鉄の旅、
8月25日土曜日から1泊2日で長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅を予定することにした。

青春18きっぷの利用開始の最初の週末である7月21日土曜日から、
最初の青春18きっぷの旅行は山口線と美祢線の旅を企画した。
7月21日土曜日は東海道・山陽新幹線「のぞみ3号」で新山口まで行き、
昼食後に山陽本線で厚狭に出て美祢線を全区間乗り潰しする。
そのあと山陰本線で駅取材しながら益田まで行き、
夕食後に去年利用した益田グリーンホテルモーリスにチェックインする。
22日日曜日にホテルのバイキングで朝食後にチェックアウト、
山口線で新山口まで乗り潰し、山陽本線で徳山、岩徳線で岩国に出る。
昼食後に錦川鉄道を喰いながら往復して乗り潰し、
帰りは岩国まで戻らず清流新岩国で下車して、
徒歩圏内の新岩国まで行って山陽新幹線「こだま750号」で広島まで移動、
東海道・山陽新幹線「のぞみ52号」で帰京する。


 3.旅行計画決定と大どんでん返し−西日本豪雨の影響

2018年夏季の青春18きっぷの旅は1泊2日の旅を3回企画したが、
今年1月4日にネットで調べて各ホテルが既に予約可能になっていたため、
3つのホテルにそれぞれネットで予約を入れた。
今年1回目の7月21日土曜日からの1泊2日の旅は、
去年泊まった益田グリーンホテルモーリスに再び予約をした。
7月21日土曜日、シングルAタイプ朝食付・禁煙を無事に予約、
更に6月21日木曜日に千葉教育会館で開かれた運行管理者等一般講習の受講したが、
その帰りに千葉駅の指定席券売機で7月21日土曜日分の新幹線特急券を購入、、
6月22日金曜日には幕張駅の指定席券売機で7月22日日曜日分の新幹線特急券を購入した。
予定では17:29新岩国から「こだま750号」で広島まで行き、
33分の乗り換え時間で18:17発の「のぞみ54号」に乗り換えるつもりだった。
しかし指定席券売機では一番近いダイヤしか乗り換え切符を発行できず、
仕方がないので予定より1本速い「のぞみ52号」で帰京することにした。
そのため乗り換え時間が8分になってしまった。



広島の乗り換え時間では夕食の駅弁とお土産を買うつもりだったが、
8分の短い時間ではお土産と駅弁の両方の購入は難しい。
ホームでも駅弁の売店があるので駅弁の購入はコンコースに降りずに可能だ。
青春18きっぷも発売日の翌日である7月2日月曜日に、
JR幕張駅の指定席券売機で購入した。

しかしこの予定が突然狂う事態が起こってしまった。
7月4日水曜から8日日曜日にかけて、台風7号の影響を受けた梅雨前線が長期に停滞、
西日本を中心に集中豪雨が発生し、多くの土砂災害や雨水による洪水が発生、
多くの家屋が被災し、死者は200人以上となる平成最悪の災害となった。
この西日本豪雨でJR西日本の多くの路線でも浸水や土砂流出を受け、
多くの区間が運休になり、一部は復旧したものの、
復旧までに時間がかかる区間が出てしまった。
山陽本線の柳井から徳山までの区間は不通が続いており、バス代行となっていた。
また錦川鉄道も岩国から清流新岩国の間が不通になっており、
錦川鉄道の乗り潰しも不可能になっていた。


 4.一週間前の緊急予定変更−JR津田沼駅みどりの窓口の攻防

錦川鉄道に乗れないのであれば敢えて新岩国まで行く必要もない。
いろいろと考えて2日目、新山口まで戻ったところで予定を終了、
ここから新幹線で帰京することにした。
しかし予定では07:38に益田始発の山口線に乗り込み、
一気に新山口まで戻ると到着は10:04で昼食前に予定が終わってしまう。
そこで時刻表を見直して、途中下車して駅取材を2件入れることにした。

 07:38益田−山口線・上り−08:18-19津和野
 10:04津和野−山口線・上り−11:12山口
 12:29山口−山口線・上り−12:51新山口

この予定では山口で乗り換え時間を増やしてこの間に昼食を喰うことにした。
新山口から14:46発の東海道・山陽新幹線「のぞみ36号」で帰京することにする。
当然、夕食は東京に着いてから取ることにした。
錦川鉄道は完全復旧してから可部線の延長区間取材と併せて再挑戦することにしよう。
この予定に合わせて三連休の7月15日日曜日に幕張駅の指定席券売機まで行って、
東海道・山陽新幹線「のぞみ36号」のグリーン車指定席特急券と乗車券を購入する。
7月17日火曜日の出社前に津田沼駅のみどりの窓口に行き、
6月22日金曜日には幕張駅の指定席券売機で購入した、
17:29新岩国から広島までの自由席特急券と、
「のぞみ52号」の広島から東京までのグリーン車特急券と、
新岩国から東京までの乗車券が1枚になった切符を払い戻しする。
窓口の職員に不通区間があるために予定を中止した旨を伝えたが、
そのあと職員は奥に入ってしまい、だいぶ待たされ、
結局払戻手数料は掛かるということになった。



何時も乗る列車の2本前に津田沼に来たが、お盆時期の1ヶ月前ということもあり、
行列が出来ていたこととだいぶ待たされたことにより、
手続きが済んだのは乗らなければならない列車の発車1分前になってしまった。
まあ、何とか間に合い会社に遅刻せずには済んだけれど・・・。


 5.幕張駅の強行突破と来なかった車内販売−旅の始まり

例年だとまだ梅雨も明けていない可能性もある時期だが、
今年は6月下旬に梅雨明けし、猛暑日が続いていたため雨の心配はなかった。
7月21日土曜日、青春18きっぷの1日目は始発から2本目の04:56で、
総武緩行線上りの終点のお茶の水まで行く。
総武緩行線は中央緩行線と相互乗り入れしており、
千葉から三鷹まで事実上は一体運用されているが、早朝や深夜は御茶ノ水折り返しになる。
逆に中央緩行線は快速線と同じく東京駅での折り返しの運用になる。
幕張駅の有人窓口は職員が不在だったために改札を強行突破、
そのまま42分かけてお茶の水まで行き、ここの有人改札を出る時に検印して貰う。



1回(人)の欄に「ありがとうございます JR東日本7.21御茶ノ水駅(本)」と押印される。
このスタンプを見るといよいよ青春18きっぷの旅が始まると感じられる。



御茶ノ水駅で改札の外に出たが、ここでの乗り換え時間は4分のため、
直ぐに新幹線指定席特急券と兼用の東京から新山口までの乗車券なで再入場する。
この切符で中央緩行線で東京まで行き、東海道新幹線の改札口に行く。



新幹線改札口を入って15番線乗り場に行き、売店で駅弁とお茶を購入する。
今日は笹八の「チキン南蛮弁当」870円を選んだ。
東海道新幹線下りの一番列車である「のぞみ1号」は新山口に停車しないため、
新山口に直接行ける「のぞみ3号」を選んだ。
それでも東京からの乗車時間は4時間18分になるため、グリーン車に予約を取った。
買い込んだ弁当を9号車3番A席で喰いながら出発を待つ。
食べてる途中で列車は緩やかに東京駅を滑り出し、
品川を出る頃には弁当も喰い終わる。
そのあとは朝早かったこともあって睡魔に襲われ、
名古屋到着で一度目が覚めるが再びうとうとして新大阪まで行く。
新大阪を過ぎ、新神戸を過ぎた頃にコーヒーが飲みたくなる。
さすがに寝飽きた頃で、ちょっと頭をすっきりさせたかった。
しかし車内販売というものは往々にして必要な時には来ないものだ。
途中再びうとうとしていたからかもしれないが、
到着20分前まで一度も見かけず、そのあと3往復してきた。
しかしさすがにもうすぐ降りる準備をする頃にホットコーヒーで待ったりも出来ず、
車内でのコーヒー購入は断念、10:34新山口に到着して新幹線を降りた。
グリーン車は普通車に比べればゆったりしているが、
それでも4時間以上の乗車はかなり苦痛であった。
在来線への改札を出てから青春18きっぷで外に出る。
新山口も快晴の青空が広がり、そして蒸し暑かった。


 6.新山口の変貌と「幕末ISHIN号」の美祢線

新山口は2009年にも訪問したことがある。
この時には山口線で長門市まで行き、山陰本線で出雲市に向かう予定だった。
直前の豪雨の影響で、1ヶ月前には完売だったSL山口号にキャンセルが出たため、
これに乗って津和野まで行き、在来線に乗り換えて長門市まで行くことにした。
だが、直前の豪雨の影響で山口線に土砂崩れが発生、
SLやまぐち号は仁保という無人駅で運転を中止、
代行バスは津和野まで行くパターンと新山口まで戻るパターンの2種類が用意されたが、
このまま津和野まで行ってもその先の乗り潰しはダイヤが乱れたために不可能と判断、
新山口まで戻って新幹線で岡山に移動してここで宿泊することにした。
ここでは外に出ずに乗り換えだけの予定だったが、
新山口まで戻ったために新幹線の乗車時間までの間、駅取材が出来ることになった。

しかし今回9年ぶりに新山口で驚いた。
自分が記憶していたのと全く違っていたのである。
新幹線口は以前と同じだったが、在来線口は別の駅みたいだった。



 ※2009年訪問時の在来線口 撮影時刻 2009/07/25 14:01:30

以前は1階に改札口があり、跨線橋から各ホームに移動する形になっていたが、
橋上駅舎化され、跨線橋は南北自由通路になっていた。
更に以前の在来線口は北口駅前広場0番線となっていた。



更にバス停も設置されていて、真新しい駅舎になっている。
ここの駅取材をしてから事前にネットで探していた「桃華園」に行き、
昼食としてBランチ、酢豚定食900円を喰う。
新山口駅まで戻って11:58着の山陽本線を待つ。
これに乗って厚狭まで行き、ここで美祢線に乗り換える。
乗り換え時間は45分あったが、厚狭は既に取材済みだったので改札の外には出ず、
駅舎に隣接した1番線で美祢線の到着を待つ。



美祢線にはJR西日本の標準的気動車であるキハ120系が充当されている。
13:24厚狭始発の美祢線は「幕末ISHIN号」が充当されていた。
山口県は以前の長州藩のあった場所で、
明治維新で活躍した人物を多く輩出した場所でもある。
明治維新150年を記念したキャンペーンをやっているようだ。


 7.美祢線の完乗と時間調整のための駅取材−木与駅編

美祢線は山陽本線と山陰本線を結ぶ中国山地の陰陽連絡線だが、
思ったよりも山岳路線というわけではなく、
車窓からは田園風景が広がる。



1時間6分で終点の長門市まで到着する。
ダイヤによってはそのまま山陰本線仙崎支線に直通するものもあるが、
乗り込んだ列車は長門市止まりであった。
4分の乗り換え時間で山陰本線上りに乗り換える。
長門市駅には側線に山陰本線用のキハ40系が留置されており、
乗り換え時間の4分でこれらを全て取材し、伊予行きの列車に乗り込む。
長門市から始発した2両編成の列車は1時間2分で木与まで行く。
木与で下車して驚いたのだが、駅前には民家しかない無人駅だった。



相対式ホームになっているため上下で列車の交換が出来るが、
それでも古銭起用も撤去されていて、駅舎からは下りホームにしか行けず、
上りホームはホームの端の出入り口から出る。
このまま上り列車に乗るには駅近くの通路で線路の下を潜る形になっている。
駅近くにはそれを案内する看板も設置されていた。



木与ではここまで来たキハ40系2両編成が折り返す。
その間に駅舎側のホームに移動して取材する。
駅前には国道191号北浦街道に接しており、
その向こうには海が見えていた。



折り返し時間は23分で駅取材をして下り列車に乗り込む。


 8.時間調整のための駅取材−萩駅編

長門市から乗ってきた2両編成のキハ40系が23分の停車後、
再び長門市に向けて発車する。
これに乗り込んでいったん下り方面に行く。
木与唐崎は1日8本しかダイヤがなく、
ここで上りを待つと1時間44分の乗り換え時間になってしまう。
そこで時間調整のため下り方面に移動して駅取材を1件してから、
16:18長門市を出発した益田行きの列車に乗り込む。
予定では 東萩で下車して33分を待ち時間で駅取材する予定になっていた。
しかし長門市から木与に向かう列車の中で車窓から確認したところ、
隣の萩駅も面白そうな感じがした。
ネットで調べたところ、瀟洒な建物だったのでこれを取材することにした。
萩の到着は16:26で乗る予定だった列車が萩を発車するのは16:51、
25分の取材時間は確保できる。
萩で下車して跨線橋を渡り、まずは駅舎を取材する。



駅舎は鉄道遺産に登録されているようである。
現在は無人駅になっているため、正面の駅舎は観光用に内部に展示物が置いてある。



その中には駅舎に関する資料も掲示されており、1930年頃の写真とともに、
以下のように書かれていた。

    鉄道遺産「萩駅舎」

  萩駅は、美祢線(当時)の長門三隅−萩駅間の開通に伴い、
 1925年(大正14)4月3日に開業しました。
 以来、駅舎本屋は、一部補強改修はなされていますが、
 開業当初の姿に比較的良好に伝えています。
  萩駅は、その名が示すように、萩の町を代表する駅として設置されました。
 開業当初の萩駅には、駅舎内部に二等待合室(現在で言えば
 グリーン席利用者待合室)がもうけられていました。
  萩駅舎は、棟の端を切り落とした屋根の形や、
 採光や通気のためのドーマウインドウ、
 上下に開放する窓や細部のデザインなど、
 随所に西洋風の建築様式が採り入れられています。
  1996年(平成8年)に国の有形登録文化財に登録されていました。
 現在の建物内部の内側は、元々の内壁が保存されています。

駅舎内には通票閉塞器も展示されていた。



実際の駅舎は左側の一部に集約されていて、ここで列車の到着を待つ。
4:50p.m.前にホームに行くと、長門市方面から気動車が入線してくる。



この列車は両運転台のキハ40形だった。
これに乗り込んで終点の益田まで行く。


 9.益田の夜と朝−再びの中華定食とバイキングの朝食

益田駅に到着したのは18:08で、停止車両や留置車両を取材し、改札を出た。
去年もこの駅に来ているために駅取材は割愛し、
夕食を喰うために事前に調べていた「明珠」に行き、餃子定食900円を喰う。
このあとローソンで買い物などして、
事前に予約していた「益田グリーンホテルモーリス」にチェックインする。
このホテルは去年にも泊まっているので勝手は知っている。
シングルAタイプ朝食付・禁煙室で、
室料5,400円、朝食565円で税込5,965円だった。



部屋に入って事前にローソンで買った日本酒などを飲む。
普段は一切日本酒は飲まないが、
郷に入れば郷に従えで、旅行に出た時は地元の酒を飲むことにしている。
今回は島根県益田市の酒蔵「桑原酒場」の純米酒「扶桑鶴」720mlを購入した。



日本酒を飲んでまったりし、そのまま寝込んでしまう。
翌朝は5:30a.m.に起床して大浴場で朝風呂を愉しみ、
部屋でクールダウンしながら6:30a.m.を待つ。



窓からは夜の明ける益田の空が見えた。
1階の朝食会場ではバイキング形式の朝食が用意されていてこれを喰う。



焼鯖、ジャーマンポテト、スパゲティ、スクランブルエッグ、肉団子、
煮椎茸、南瓜の煮物、鹿尾菜の煮物、切り干し大根、サラダ、海苔、生玉子、
味噌汁、ふりかけ、ご飯、コーヒーなど。
部屋に戻ってホテルを益田グリーンホテルモーリスをチェックアウトし、
益田駅で青春18きっぷの2回(人)に、
「益田 7.22米子支社(西)」の検印して貰う。
このあと07:38益田始発の山口線上りで津和野を目指す。


 10.山口線の旅−津和野の1時間45分の使い方

2日目は07:38益田始発の列車に乗るために朝食を喰ってから、
歯を磨いて直ぐにホテルをチェックアウトして駅に向かった。
益田から新山口までの山口線を終着まで走るダイヤになっていて、
もともとの予定ではこれで新山口まで行き、
山陽本線、岩徳線で岩国まで行って錦川鉄道を乗り潰すことにしていたが、
錦川鉄道の一部がこないだの西日本豪雨で未だに運休になっており、
山口線を乗り潰したところで予定を切り上げて帰京することにした。
それでは時間が余ってしまうので、
山口線の津和野と山口で下車して駅取材することにしたのである。
08:18に津和野に到着し、ここで途中下車した。



津和野は観光地としても知名度が高いが、
時間が早かったのか駅で降りたのは数人しかおらず、閑散としていた。
津和野駅に停車する直前に車窓からSLを目撃した。
事前に調べ切れていなかったが、ここにはD51形194号機が静態保存されていた。



これを十分に取材したが、それでもこのあとの列車までは1時間45分あり、
時間を持て余してしまったので駅前を散策することにした。
駅前を行き、更に県道13号線を歩いて行くと、
昔ながらの酒蔵や武家屋敷跡、教会などが残っており、町の散策にはいい。
界隈を暫く歩いて行くと川があり、橋まで行ってみると隣に鉄橋が見えた。



津和野駅で時刻を確認した時に上りの10:11に「スーパーおき」があった。
スマホで調べて再確認し、これを取材しようかと思った。
いろいろとロケハンして最終的にこの鉄橋から取ろうと思った。
最終的には手持ちだったため、少し位置が気に入らなくて、
思った通りの撮影が出来なかったが、
それでも旅をしながらの撮影なので駅撮りが多くなってしまうため、
街中での撮影は貴重な体験となった。
それでも時間を持て余し、ゆっくりと駅に戻って待合室で列車を待った。
駅で待っている時に駅員と来客が話をしていたのを聞いて知ったのだが、
「SLやまぐち号」は西日本豪雨の影響で運休になっているという。
山口線は平常運行されているのだが、
「SLやまぐち号」の牽引機関車が輸送できないために運休になっているという。
山陽本線の一部区間が未だに不通になっているため、
SLの基地になっている京都の梅小路から機関車を輸送できないのだろう。
このあとホームに入って列車を待つ。



津和野駅は構造的には単式1面1線と島式1面2線の計2面3線構造になっているのだが、
駅舎側の1番線は使用されておらず、島式1面2線だけが使用される。
単式ホームは「SLやまぐち号」の機廻り用の留置などに使われる。
駅の外からでも「SLやまぐち号」を見えるようにと観光をし意識した配慮なのだろう。
このあと入線してきた10:04始発でこの列車の終着である山口を目指す。


 11.追加取材の検討と断念−山口線完乗

津和野始発の列車で1時間8分かけて山口に向かう。
山口線は以前に新山口から仁保までは「SLやまぐち号」で乗り潰していたが、
その先は土砂崩れの影響で代行バスで新山口まで引き返してしまった。
そのため山口駅で下車することもなかった。
仁保に到着した段階で山口線の完乗は完了した。
さらに仁保を出て山口まで来たのは11:22である。



ここでの乗り換え時間は1時間17分で、
この時間で事前に調べていた「チュラム」で昼食としてチキンカツカレー850円を喰う。
料理の出来る間に山口から新山口に向かう途中に途中下車出来ないか、
スマホで時刻表を調べてみた。
新山口での乗り換え時間は1時間54分で、
お土産を買って帰るだけにしては時間が余りすぎる。
そこで山口線で途中下車して1本遅らせても良いのではないかと考えた。
12:29山口始発の列車は12:51に新山口に着く。
そのあとのダイヤは13:06山口発13:29新山口着がある。
30分強の乗り換え時間だったら無人駅の駅取材にもちょうど良い。
しかし12:29に山口で乗り込んだ始発列車はかなり混んでいて、
途中で乗り込んでくる人も多く、
旅行用の大きなバッグを持っての乗り降りは大変そうだった。
山口線は非電化路線でローカル線というイメージが強いが、
新山口から山口までの区間は新興住宅地で、通勤通学客も多い。
途中下車は諦めてそのまま新山口まで行くことにした。



新山口駅は2014年3月に橋上駅舎化されたているが、
北口である在来線口が全面供用開始したのは2018年3月で、
まだ出来たばかりの北口は綺麗だった。


 12.新山口での1時間18分と東京駅での食事−旅の終わり

新山口に到着してここでの乗り換え時間は1時間54分ある。
しかも新山口は機能追加取材を終わらせていたため特にすることがない。
駅構内で少し車両取材してから外に出たが、
まだ昼食を喰ったばかりで夕食を喰うには早過ぎる。
お土産を買ったり追加取材をしながらも時間を持て余し、
待合室で時間が来るのをただひたすら待ち、
新幹線の到着10分前に新幹線改札口を入場する。



帰りの新幹線は14:46新山口を発車し、4時間27分で東京に到着する。
グリーン車を予約したのでその分は快適だったが、
それでも約4時間半は長すぎる。
新幹線改札口構内でビールと駅弁「山のおべんとう」を購入、
おにぎりなどをつまみにビールを飲み、そのあと爆睡する。
「のぞみ36号」が新大阪を出たあたりでまわってきた車内販売で、
ホットコーヒー320円を購入してまったりする。



それでも東京まではまだ2時間以上あった。
漸く東京に着いたのは19:13で、まだそれほど腹が減ってはいない。
予定では「みそかつ・矢場とん・グランルーフ店」で夕食を喰うつもりでいたが、
駅弁も食べてしまったし、丼物はきついと思い、
新幹線車内でネットで調べた東京ラーメンストリートに行くことにする。
ここは「六厘舎」などの有名店が出品していることでも知られており、
事前らネットで調べた結果、「東京駅斑鳩」に行くことにした。
ここは九段に本店のある動物系と魚介系のWスープの店で、
本店にはない豚骨魚介東京駅らー麺1,000をオーダーする。
少し行列に並んだが、それでも20分ぐらいで喰うことが出来た。
店内には日本人より中国人や韓国人を中心とした外国人が多いことに驚く。
店員までもが東南アジア系であり、日本でないみたいだった。
このあと総武快速線で津田沼まで出て、総武緩行線に乗り換えて帰る。




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