京都鉄道博物館と京都丹後鉄道の旅




 1.切り捨てられた丹鉄の旅と1泊2日での復活案

2018年夏季の青春18きっぷの旅は土日に1泊する旅を3本計画した。
去年は山陰本線乗り潰しの旅と長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅を企画したが、
家庭の事情でいったん急遽全ての予定をキャンセルした。
しかしその後状況が好転したため、再度計画を再開することにした。
山陰本線乗り潰しの旅では鳥取での宿が取れず、
豊岡での宿泊に変更を余儀なくされたが計画時代は実行できた。
しかし長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅はホテルが取れずに予定をキャンセルした。

今年は去年のリベンジも兼ねて再び長浜鉄道スクエアと九頭竜線の旅を企画した。
また新しく未乗車である美祢線と山口線の旅も企画して、
これで青春18きっぷの旅の5回分のうち、4回分を使用することにした。
残りの1回分の使い方について、本来何ら日帰りの旅を企画するのだが、
今回は1泊2日の旅を企画して、足りない1日分は乗り放題きっぷを使用、
現地へのアクセスには全額別料金で切符を購入することにした。

去年の青春18きっぷの旅で山陰本線の乗り潰しを実行したが、
最初に企画したのは闘病中のベッドの上で、
2015年の春の青春18きっぷで3泊4日の旅で企画、
豊岡に2泊して北近畿タンゴ鉄道(現・京都丹後鉄道)の乗り潰しを考えていた。
しかしこの時は治療が長引いて青春18きっぷの春季に間に合わず、
結果として青春18きっぷでの山陰本線の旅はいったんお蔵入りにした。

2017年夏季にこの企画を再度考え、計画してみたが、
3泊4日の旅で夏季休暇を2日間連続で取るのは仕事の関係などで難しいと考え、
予定を2泊3日に短縮、仕方がないので京都丹後鉄道の乗り潰しは外すことにした。
山陰本線完乗の旅では2泊3日で益田、豊岡に宿泊、
3日目は京都から新幹線で帰京したのだが、その昼食を取ったのが福知山だった。
予定していた店が休店だったため、南口の以前に入った中華店に再訪したのだが、
その時南口のロータリーでアールイン福知山というホテルを見つけた。
以前に福知山を訪問した時にも見ていたのだが、
去年再度見てこのホテルを使うことを思いついた。
福知山はJR西日本と京都丹後鉄道の両方が接続するため、
青春18きっぷでのアクセスも可能だし、翌日に京都丹後鉄道の乗り潰しも実行できる。
前乗りの形なら日帰りよりも多くの駅取材も可能だ。

もともとは西舞鶴での宿泊を考えていて、以下のような計画を考えた。

 1日目の土曜日は東海道新幹線で京都に行き、「京都鉄道博物館」を見学、
 昼食後に徒歩で京都駅に移動、山陰本線で亀岡、園部、綾部経由で西舞鶴まで行く。
 夕食は綾部で喰うこととして、宿泊はプラザホテル舞鶴を考えた。
 2日目日曜日は京都丹後鉄道の一日券を購入して、
 宮舞線で福知山、宮豊線で天橋立、豊岡に移動してここで昼食を取り、
 特急「こうのとり」で新大阪に出て東海道新幹線で帰京する。

しかし福知山に宿泊すると2日目の京都丹後鉄道の乗り潰の実行は、
1日目での移動が多くなりすぎて厳しいことになると思った。

 2.土日入れ替えの予定作成と事前準備

福知山での宿泊を考えた時、なかなか上手く予定が立てられなかった。
そこで思いついたのが、丹鉄の旅を1日目の土曜日に変更、
2日目日曜日に京都で「京都鉄道博物館」を見学することにした。
福知山から京都まで園部乗り換えで移動することとした。
さらに2日目に「京都鉄道博物館」を見学すると午後から時間が出来るため、
最初は早めに帰ることを考えていたが、
パソコンソフト「駅すぱあと」で路線図を見ていて、
京都から奈良線で2つめに稲荷という駅があることを発見、
ネット上の地図で確認すると距離は190m、
さらにこの付近でJR奈良線とほぼ並行する京阪本線の駅も近い。
地図で見ると伏見稲荷駅と深草駅も徒歩圏内のように見える。
伏見稲荷大社から京阪伏見稲荷駅までは約500m、
隣の深草駅からJR伏見駅までも約450mである。
そこで午後から伏見稲荷を参拝がてら、3つの駅の駅取材を決行する。
そこで最終的に以下のような計画を立てた。

 8月4日土曜日は東海道新幹線「のぞみ1号」で今日まで行き、
 27分の乗り換えで特急「まいづる1号」で西舞鶴まで行く。
 西舞鶴で1日券を購入して宮舞線で豊岡まで行って昼食を喰う。
 午後から宮豊線で宮津まで行き、時間調整のために丹後由良まで往復、
 宮福線で福知山まで行って夕食後にアールイン福知山にチェックインする。
 8月5日日曜日は青春18きっぷで園部まで行って朝食を喰い、京都まで出る。
 東海道本線で隣の西大路まで行き、「京都鉄道博物館」を見学、
 近隣の市電ひろばやすざくゆめ広場・ちんちん電車なども取材して昼食を喰う。
 午後から奈良線で稲荷まで行って伏見稲荷神社を参拝する。
 徒歩移動で京阪電鉄の伏見稲荷まで行って隣の深草まで行く。
 再び徒歩移動で稲荷まで行き京都まで戻る。
 夕食後に東海道新幹線「のぞみ252号」で帰京する。

今年1月4日にほかの2つの旅とともに、アールイン福知山に予約を入れた。
アールイン福知山はアパホテルの系列で、
週末限定プランで素泊まり5,600円のプランである。
また京都丹後鉄道のホームページで調べて、“家族お出かけきっぷ”を見つけた。
これは名前の通り、大人1名と子供1名が京都丹後鉄道全区間を1日乗り放題なるという、
土、日、祝日のみの限定発売の企画切符である。
通常料金は1,800円だが、インターネット予約で1,500円になる。
勿論大人1名のみでの利用も可能で、主な有人駅で発売される。
今回1日目に西舞鶴まで行くが、勿論を公開いたしました。での購入も可能である。
6月14日に京都丹後鉄道を運営するWILLER TRAVELに会員登録し、ネット予約した。
登録内容は後日プリントアウトし、当日持参する。



また予定の1ヶ月前、7月4日水曜日の出社前にJR幕張駅の指定席券売機で、
8月4日土曜日分の幕張駅から西舞鶴までの乗車券、
東京から京都までの東海道新幹線「のぞみ3号」の新幹線指定席特急券と、
京都から西舞鶴までの特急「まいづる1号」の指定席特急券を購入する。
予定では「のぞみ1号」を取るつもりだったが、
乗り換え切符のため乗り換え時間の短い設定に自動的に選択されてしまった。
そのため乗り換え時間が10分で車両取材の時間がなくなってしまったが、
まあ一般的な乗り換えには十分な時間である。
翌日には8月5日日曜日分の京都から東京までの、
東海道新幹線「のぞみ252号」の指定席特急券と同区間の乗車券をセットで購入した。
今回は東京から京都までと約2時間の乗車なので新幹線も普通席を取った。
これで事前の準備は万端、あとは当日を待つだけとなった。

 3.西日本豪雨の影響の予定変更−完乗の断念

7月4日水曜から8日日曜日にかけて、
台風7号の影響を受けた梅雨前線が長期に停滞、
西日本を中心に集中豪雨が発生し、
多くの土砂災害や雨水による洪水が発生、多くの家屋が被災し、
死者は200人以上となる平成最悪の災害となった。

この西日本豪雨の影響で京都丹後鉄道宮津線の東雲と四所の間で、
斜面崩壊が起こり、西舞鶴から東雲の区間が不通になってしまった。
この影響で西舞鶴から宮津の区間が運休となってしまい、
7月25日から東雲から宮津の区間は運転再開になったものの、
斜面崩壊の区間は早期復旧が不可能な状態で、
西舞鶴から東雲までの区間は7月25日から代行バスが運行されることとなった。
結果として、今回の旅では丹鉄乗り潰しは不可能になってしまった。
天災なのでこれは仕方がない。
この区間が完全復旧したら、再挑戦することにしよう。

もともとの予定では東海道新幹線で京都まで行き、
08:36京都発の特急「まいづる1号」で西舞鶴到着が10:03になり、
34分の乗り換え時間で西舞鶴始発の宮舞線に乗り込む。
この乗り換え時間で事前にネット購入していた、
“京都丹後鉄道・家族お出かけきっぷ”の発行をお願いする。
10:37西舞鶴始発の宮舞線で2時間11分かけて豊岡まで行くことにしていた。
しかし代行バスの場合は時間がかかるために、
西舞鶴発車は10:15の予定で、乗り換え時間は11分しかない。
この時間で“京都丹後鉄道・家族お出かけきっぷ”の発行をしなければならない。
かなりハードだが、11分あれば不可能ではない。
予定を書き換えて当日を待つことにした。

 4.京都駅0番線の長さの実感−旅の始まり

8月4日土曜日、4:00a.m.に起床、初電から2本目の04:56に乗り込む。
2週間前と同じ「のぞみ3号」に乗ることになっており、
当然ながら家を出る時間も乗り換える電車も同じである。
しかし今日は青春18きっぷは使用せず、
西舞鶴までは事前に購入した切符で向かうことにしている。
幕張から西舞鶴までのきっぷで自動改札を通過する。



御茶ノ水まで行き、今回は改札は出ずに中央緩行線に乗り換える。
東京まで出て、新幹線改札口を潜ってホームに行く。
ホーム内の売店で売店で「日本の味博覧・夏」1,100円とお茶を買い、
06:16発の「のぞみ3号」の12号車3番E席に座る。



東京から京都までは約2時間で、朝食の駅弁を喰って爆睡する。
東海道新幹線「のぞみ3号」は東京を出ると品川、新横浜と停まり、
そのあとは一気に名古屋まで行く。
次の停車は京都になるのだが、名古屋での乗降に時間がかかり、
ダイヤより2分遅れての名古屋駅発となってしまった。
京都に向かう間に1分の短縮が出来たが、
京都到着は08:26の予定だったが、1分遅れになってしまった。
京都からは08:36発の特急「まいづる1号」に乗り換えるのだが、
もともとの乗り換え予定時間は10分で、それが9分に短縮になってしまった。
12号車は東京寄りで東乗り換え口から出て地下通路に出る。
この時は京都駅の全体像が把握できず、案内標識に従って歩いたが、
山陰本線は0番線ホームの西側にあり、
つまり京都駅を南北と東西に移動しなければならない。
しかも外国人を中心とした観光客も多く移動もスムーズには行かない。
0番線を端から端まで移動して漸く30番線停車の特急「まいづる1号」に到着する。
京都駅0番線ホームは日本で一番長いホームだか、それを身を持って体験できた。

 5.西舞鶴での乗り換えと代行バス−丹鉄女性職員の奮闘

特急「まいづる1号」は特急「きのさき3号」と連結されている。
1号車から4号車までの287系基本編成は「きのさき3号」として運行、
附属編成の3両が「まいづる1号」として使用されている。
まずは予約していた7号車3番D席に荷物を置く。



0番線ホームを移動して到着した時にはあと3分くらいしかなく、
売店でアイスコーヒーだけ買って再び乗り込む。
山陰本線は去年乗り潰し済みで、まずはアイスコーヒーでまったりする。
京都を08:36に出た特急「きのさき3号」「まいづる1号」は、
二条、亀岡、園部、綾部と停車し綾部で2つの特急は分離される。
綾部を出て和知に差し掛かる頃には2つの特急の間の通行が制限され、準備作業に入る。
287系は電気連結器や自動解結装置を備えた密着連結器であり、
客扱いの前に分離し、基本編成4両の「きのさき3号」は、
そのまま山陰本線を福知山まで行く。
残された附属編成3両の特急「まいづる1号」は逆方向に走り出し、
舞鶴線に入って西舞鶴、東舞鶴に停車していく。
京都丹後鉄道に乗り換えるために西舞鶴で下車する。
乗り換え時間は11分で、改札を出て西口に向かう。
西口階段前には京都丹後鉄道の女性職員が出迎え、
「天橋立方面へお越しの方はいませんか!」と乗客に向かって声をかけていた。
申し出た乗客には東雲までの代行バスであることを伝え、
停車している観光バスに案内していた。
乗客ひとりひとりに手厚く対応するその姿には感動さえ覚える。
不通になったのは丹鉄の過失ではないが、
乗客に迷惑をかけていることに対する鉄道会社の姿勢が現れている。
この女性職員に家族お出かけきっぷを事前購入したことを伝え、
正式な切符を発行して貰う。



この切符を手に代行バスに乗り込み、東雲を目指す。
女性車掌なのだろうか、案内役が乗り込んだ。
また運転手の名札をつけた男性二人も乗り込んでいた。
東雲は無人駅で駅員の詰め所もないため、
交代職員も代行バスに乗って移動するのである。
まずは西舞鶴の隣の四所という駅に向かう。
ガイドの女性が駅の中にまで入って待っている客がいないか確認したが、
ここで乗降する客はおらず、東雲を目指す。
途中に崩落現場を確認しようと思ったが分からなかった。
途中道は混んでいたがほぼ予定通りに東雲に到着、
下車する間に駅舎取材を強行、列車に乗り込む。



東雲は相対式2面2線で駅舎と反対側のホームとは構内踏切で繋がっている。
停車していたのはKTR800形KTR801だった。
車内は転換シートになっており、観光利用を意識した造りになっている。
バス代行になっていなければ西舞鶴を10:37に西舞鶴を発車し、
東雲には10:52に到着、10:53に出発することになっており、
このダイヤに合わせて10:53にKTR800形KTR801は東雲を発車した。

 6.京都丹後鉄道の乗り潰しの挑戦−8.9kmの宿題

東雲を10:53に出た京都丹後鉄道宮舞線は1時間55分かけて豊岡に向かう。
途中天橋立に10分停車時間で間に隣に停車していた回送の「青松」を見つけ、
急遽これを取材するために荷物を置いたまま下車した。



豊岡には12:48に到着する。
ここでの乗り換え時間は1時間26分で、この時間を利用して昼食を喰う。
豊岡に来たのは2度目で前回は去年の山陰本線の乗り潰しの時に宿泊したのが最初だった。
この時に夕食として駅から約300mの「セブン」という洋食店だった。
しかしこの時はまさかの臨時休業で入れなかった。
今回はそのリベンジもあってこの店で昼食を喰うことにしたのだ。
昼食後に早めに駅に入り列車の到着を待つ。
暫くしてKTR800形KTR802が入線してきた。
これに乗ろうとしたらそのままホームの奥に移動してしまった。



そのあと側線に留置されていたKTR700形KTR701が移動、
結局これが宮豊線として東雲を目指して14:04に豊岡を発車する。
このあと天橋立で下車して宮津から福知山を目指すことになる。
今回は結局京都丹後鉄道の全線乗り潰しを目指したが、
バス代行になってしまった西舞鶴から東雲までの8.9kmが未乗車になってしまった。
この区間は何れ再度挑戦することにしたい。
加古川線や播但はまだ未乗車なので、この区間の乗り潰しと絡めて計画を立てるとしよう。

 7.天橋立−上から見るか下から見るか

京都丹後鉄道の乗り潰しに挑戦した1日目だが、
天橋立で1本あとの列車に乗り換えで53分の時間を創出し、
その機会に駅取材と天橋立見学を決行する。
天橋立駅は単式1面1線と島式1面2線の計3面3線の地上ホームを有する、
宮舞線の駅であり、島式ホームが1番線と2番線、駅舎側が3番線に付番されており、
駅舎側の単式ホームと島式ホームとは跨線橋で結ばれている。
また島式ホームの奥には2本の留置線が設置され、何れも電化設備が設置されている。
2番線が下り主本線、3番線が上り主本線となっており、1番線は上下線の副本線となっている。
上り下り返し列車はそのまま2番線から折り返して始発列車として運転される。
駅舎には観光案内所「丹後観光情報センター」が併設されている。



それでも時間が余ったため、天橋立を見学することとした。
方法としてはケーブルカーで傘松公園まで戻り、
天橋立の全景を見るという方法で、
旅番組で良く股覗きなどをやるあの公園である。
しかし思いつきだったためケーブルカーのダイヤを確認しておらず、
時間が読めないために直接天橋立に行ってみることにした。
直接行けば撤収時間を意識して行動することが出来る。
天橋立は宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる湾口砂州であり、
片側には海水浴場にもなっている。



時間を気にしながら天橋立を散策し、時間になったので撤収することにした。
行きは全く気にしていなかったのだが、
公園の入口の橋は廻旋橋となっており、
遊覧船が通過する時は橋を閉鎖し、旋回させることになっている。



船が通り過ぎたあとに橋を回転させ、元に戻したあとに通行を再開する。
橋を回転させる時には橋上にも係員がいて利用客に時間とか通行方法などを案内していた。
駅に戻って待合室で少し待ち、16:17で丹後由良を目指す。

 8.丹後由良と宮津−京都丹後鉄道の完乗未完了

天橋立から東雲行きに乗り、丹後由良で下車する。
本来だったら宮津で乗り換えて宮福線に乗り換えても良いのだが、
少し時間的に余裕があるで、東雲から宮津までの無人駅の間で、
ちゃんと駅舎があって宮津に戻る列車との時間が取れる丹後由良まで行くことにしたのだ。
丹後由良での乗り換え時間は18分で、この時間に駅舎取材する。
この駅の待合室には「駅cafe Anne Seirley」が併設されている。



しかし既に閉店していて店は片されており、無人だった。
丹後由良から13分で宮津まで行く。
到着すると既に宮福線の車両は停車していて、先に列車の中に荷物を置く。
駅舎取材してから宮福線の車両に乗り込もうとした。



この時に分かったのだが、宮福線の4番線ホームの側にも駅舎があった。
宮福線はJR特急「はしだて」乗り入れのために電化されているが、
車両は宮福鉄道時代に投入された気動車MF100形MF104が投入されていた。
この列車は17:29に宮津を発車し、56分で福知山に到着する。
これで京都丹後鉄道の全区間を乗り潰した・・・といいたかったが、
西舞鶴から東雲の区間はバス代行で乗り潰したことにはならない。

 9.福知山の夜と朝−ラーメンとお預けの朝食

宮津を17:29に出たMF100形MF104は宮福線を56分走り、
18:25に夕焼けに染まる福知山に到着する。
宮福線はもともと宮福鉄道が敷設した路線であり、
この宮福鉄道が国鉄の敷設した宮津線を転換するにあたり、
社名を北近畿タンゴ鉄道に変更したのである。
深緑のMF100形MF104に夕日が当たり、更に濃厚に輝いていた。



福知山に到着したまずは夕食を喰うことにして、
南口から外に出て駅前のSLを横目に見ながら、
事前に調べておいたラーメン店「ふくちあん本店」に行き餃子セットを喰う。
プラス100円でシンプルラーメンをふくちあんラーメンに変更する。
セブンイレブン福知山駅南店で日本酒やつまみなど買い、
ネットで事前予約していたアールイン福知山にチェックインする。



ここはアパグループに参加していたが、
会員カードを要求されることもなく普通にチェックインできた。
土日限定週末限定5,600円のプランである。



フロントで手続きを終え、部屋に入って日本酒などを飲む。
コンビニで買った日本酒は月桂冠・純米大吟醸500ml998円で、
大手企業だが一応同じ京都府の会社である。



素泊まりだったため翌朝は5:00a.m.に起床してシャワーを浴び、
支度してそのままホテルをチェックアウトした。
福知山で朝食を喰う場所が上手く見つけられなかったため、
京都まで行ったから朝を喰うことにした。
そのため06:23福知山始発の列車に乗ることにしたのである。

 10.和知の8分と新幹線カレー−京都へ

6:00a.m.過ぎにホテルをチェックアウトし、
福知山駅に行って改札で青春18きっぷの3回(人)に、
「(西)福知山駅 8.−5 入鋏済」と検印して貰う。



始発列車なので早めに入線しているかと思ったが、
ホームに上がってみるとまだ入線しておらず、少し待つことになった。
先に入線してきた113系を撮影しながら待っていると、
京都行きの221系が漸く入線してきた。



これに乗って2時間3分で京都に向かう。
途中、和知で8分の停車時間があり、これを使って駅取材する。



京都に到着してまずはコインロッカーに旅行用バッグを入れる。
ICOCA対応のコインロッカーで、勿論Suicaも使える。



カメラバッグだけを背負って、
まずは京都駅構内のカレー専門店「スパイシーマサラ」に行き、
新幹線懐かしの食堂車プレミアムビーフカレー800円を喰う。
漸く朝食にありつき、ここから京都鉄道博物館を目指す。

 11.猛暑の梅小路公園と京都市電の静態保存

京都駅で漸く朝食を喰い、予定より早い08:52発で隣の西大路まで行き、
ここで駅取材をしてから梅小路公園を目指して歩く。
今日も良く晴れていて歩いているだけで汗だくになってしまう。
梅小路公園も東海道本線の沿線にあるため、線路に沿って歩いて行くが、
気温と湿度が高くて到着する頃にはヘトヘトになってしまった。
京都鉄道博物館の前に到着したのは9:15a.m.過ぎで、
開館まで45分あったが、既に十数人が並んでいた。
京都鉄道博物館の横を走る山陰本線には、新駅が建設中で、
開業すれば京都鉄道博物館への最寄り駅になる。



駅名は7月20日に「梅小路京都西」に決定したようだ。
早く着きすぎたために先に梅小路公園の“市電ひろば”を取材することにした。
“市電ひろば”には500型505号車、1600形1065号車、
700型703号車、800型890号車の4両が静態保存され、
庇の下に保存されているために状態も良い。



500型505号車は「市電カフェ」、700型703号車「市電ショップ」になっている。
1600形1065号車と700型403号車、800型890号車は車内が開放され、
王寺のままに保存され、休憩所として使用されていている。
これに以外にも2000型2001号車と900型935号機は、
公園の両端に位置しては梅小路公園総合案内所として使用されている。
博物館的に静態保存されるのが理想だが、
残すために敢えて利用するというのも鉄道車両の保存のためには必要なのかもしれない。
このほかにも狭軌1型N27号車は動態保存、広軌1型29号車は静態保存されているが、
開園20分前になってしまったのでこれらは後回しにして、京都鉄道博物館に向かう。
しかし京都鉄道博物館の前には正しく長蛇の列が出来ていた。

 12.京都鉄道博物館の興奮−1割引の入館料

20分前に行列の最後尾に並び、開館を待つ。
開館までにな行列は更に倍近い長さになっていた。
熱中症対策のためか、移動式のミスト発生装置が行列の真横に置かれていて、
入場待ちの利用客が僅かながらに潤していた。



開演時間になってからも入場までに時間がかかってしまった。
今回は会社が契約しているベネフィットステーションをスマホにダウンロードしたため、
入場料が一般・大人1,200円が会員割引で1,080円になった。
しかし画面を表示したまま列に並んでいたら何時の間にか消えてしまい
受付で表示するのに手間取ってしまった。
とほほ・・・。



それでも何とか入場して展示車両を見学していく。
入場して最初に展示されているのが0系新幹線、80系湘南電車、C62形蒸気機関車、
更に奥にはDD54形ディーゼル機関車と食堂車として使用されている客車、
103系クハ103形のトップNo.などが展示されているプロムナードがある。



この奥には本館があり、500系新幹線、581系月光形、489系特急、
EF52形電気機関車、100系新幹線など12両の実車が静態保存されている。
その奥にはトワイライトエクスプレスで使われた客車など3両が保存されている。
屋外にも屋根の下にトワイライトエクスプレスに使用されていた、
EF81形電気機関車や客車、EF58形とEF65形の電気機関車も静態保存されている。



これらの保存車両を十分に堪能、更にその他の鉄道関連の資料も展示も見学する。
このあともともとの梅小路機関区の扇形機関庫を利用したSLの展示の見学に行く。

 13.C57形1号機の現状とバス移動

本館を十分に取材して2階に上がり、
そこから1階を覗くと本館展示の500系新幹線などが見えた。



さらに屋上に上がると京都の街が一望できる。
この場所からも五重塔が遠くに見える。
このあと出口に向かう途中にある扇形車庫に行き、保存されているSLを見学する。



ここは以前は梅小路機関車館としても後悔されていて、2度訪問したこともある。
1回目は高校の修学旅行で京都を訪れた時の班行動で訪問していた。
これらを1機ずつ丁寧に取材し、さらに入線してきたSLスチーム号も取材とした。



牽引機はC57形1号機で、これは「SLやまぐち号」で使われていた機体である。
しかし西日本豪雨で山陽本線が一部区間になってしまったため、
山口線まで回送できずに車両基地の梅小路で構内運転に従事している。
たぶん、火を落としてしまうとカマが傷んでしまうため、
SLスチーム号の牽引に従事させているのだろう。
再び扇形車庫に戻って保存SLの取材をして京都鉄道博物館を出る。
出口は旧二条駅舎が使用されている。



これは梅小路蒸気機関車館の入場口や資料展示館として使用されていたもので、
山陰本線の一部を敷設した京都鉄道の本社として1904年に建てられたものだ。
のちに山陰本線二条駅として使用され、梅小路に移築されたのだ。
京都鉄道博物館を出てから入館前に取材し損なった、
リチウムイオン電池搭載で動態保存され公園内を運行されている狭軌1型N27号車、
施設内で静態保存されている広軌1型29号車を取材する。
このあと予定では京都駅まで歩き、途中でとんかつ専門店で昼食を喰う予定にしていたが、
炎天下を徒歩で歩くのはかなり厳しそうなので、
路線バスの京都市バスを待ち、230円の運賃を払って京都まで戻ることにした。

 14.大混雑の洋食の断念と思いつきの移動−奈良へ

予定では京都鉄道博物館から京都駅まで歩き、
その途中でネットで見つけたとんかつ専門店によることにしていたが、
あまりの暑さのために京都市営バスで一気に京都まで戻ってしまった。
そのため京都駅で昼食を喰うこととして、
本来だったら夕食による予定にしていた京都駅地下にある、
「グリルアンドバー東洋亭」に行ってハンバーグを喰おうと思った。
しかし行ってみると長蛇の列になっていた。
ちょうど正午の昼食の時間だったために仕方がないのかもしれない。
京都駅付近で別の場所を探そうと思ったが、
やはり有名観光地のために何処も混んでいると判断し、
昼食後に伏見稲荷大社を参拝する予定にしていたので、
奈良線の沿線で何処か良い場所を探そうと思い、
取り敢えず青春18きっぷで入場し、奈良線に乗り込んだ。
スマホでいろいろと奈良線沿線で検索してみると、
奈良駅から徒歩圏内に人気の肉カレーうどん専門店があるのを発見した。
時間的にはかなり余裕があるため、奈良まで行く時間は十分にある。
そこでそのまま終点の奈良まで行くことにした。
12:33に京都発のみやこ路快速に乗り込んだため、13:18に奈良に到着した。
現在は高架化されたために高架下に駅を集積した構造になっているが、
以前の奈良駅は古都に相応しい寺院を模した駅舎が使用されていて、
これは観光案内所として保存されている。



これを見てスマホの地図を見ながら、
徒歩約5分の距離にある「熟成肉カレーうどん専門店・KAIUN本店」に行く。
ここで特選・奈良カレーうどん1,000円を喰う。
えび天カレーうどんにやみつき卵かけごはんがついてきた。
満腹のまま奈良駅まで戻り、このあと伏見稲荷大社の最寄り駅の稲荷を目指すことにした。

 15.自宅からの緊急電話と稲荷駅への移動

満腹のまま奈良駅に行き、奈良線で稲荷を目指す。
電車に乗り込み、発車してからスマホを見ると自宅から着信履歴があった。
既に発車していたため、隣の平城山で緊急下車した。
ホームで慌てて折り返し電話すると、こちらから着信があったので掛けたのだという。
ネットで昼食を喰うところを調べ、「熟成肉カレーうどん専門店・KAIUN本店」を探しだし、
奈良駅からネットの地図を見ながら店まで行ったのだが、
店に入る時に画面をOFFにするのを忘れたのだろう。
折角平城山で下車したのでここで駅取材することにする。



因みに「平城山」は「ならやま」と読む。
奈良には昔「平城京」があったため、この漢字が当てられたのだろう。
「日本書紀」の崇神天皇の項には「則ち精兵を率て、進みて那羅山に登りて軍す。
時に官軍屯聚みて、草木をふみならす。因りてその山を号けて、那羅山と曰う。」とあり、
現在の「奈良」の表記以前には「那羅」と現していたようだ。
再入場して奈良行きの方が先に来たのでこれに乗って奈良まで戻り、
普通の奈良線で稲荷まで戻る。
稲荷はその名の通り、伏見稲荷神社の最寄り駅であり、
当然のことながら駅は観光客で溢れている。
道を挟んで伏見稲荷神社の門前となっている。
改札を出ると直ぐに朱い鳥居が目に入った。



ここから伏見稲荷大社を参拝する。
予定では軽く伏見稲荷神社を参拝し、
徒歩移動で京阪本線の伏見稲荷まで行くことにしていた。
そこからひと駅の深草まで行き、再び徒歩移動で稲荷まで戻って奈良線で京都に出る。
しかし平城山で緊急下車したこともあり、また体力的にも炎天下で厳しいので、
今回はこのまま伏見稲荷神社の参拝のみに留めることにした。

 16.伏見稲荷大社−千本鳥居の幻想と外国人

予定では入口まで行ってそのまま撤収しようと思っていたが、
炎天下で京阪本線まで歩くのは厳しいと判断し、これを中止、
その分時間に余裕が出来たので奥の千本鳥居まで行ってみることにする。
駅から参道を歩くとまず楼門が見える。



この楼門は1589年に豊臣秀吉が造営したとされていて、
秀吉の母の大政所殿の病気に際し、「病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加する」とした、
“命乞いの願文”が楼門の解体修理時に見つかっている。
伏見稲荷大社の主祭神は素戔嗚尊と神大市比売の間に生まれた宇迦之御魂神で、
ほかに佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神を併せて稲荷大神という。
稲荷大神の使いとされているのが狐で、楼門の前にも狐がいて、
向かって左側にいる狐は鍵を銜えている。



この鍵は稲を貯蔵している倉庫の鍵を現しているといわれ、
五穀豊穣の象徴になっているようだ。



向かって右にいる狐は宝珠を銜えており、霊力の象徴だそうである。
更に奥に進むと有名な千本鳥居が見えてくる。



千本鳥居は個人が奉納した鳥居が飾ってあるもので、
独特の朱色が鮮やかであり、外国人が多く参拝していた。
ほぼ日本語が聞こえない観光客の中を進んでいくと奥社奉拝所がある。
ここにはおもかる石がある。



この石を持ち上げて軽く感じれば願いが叶うといわれている。
稲荷伏見大社は稲荷山そのものが神社となっており、
この奥にも多くの参拝施設があるのだが、時間的にここで撤収する。

 17.追加の奈良線取材と夕食の断念

予定では伏見稲荷神社を参拝したあと、
徒歩移動で京阪本線伏見稲荷まで行き、隣駅の深草まで行く。
ここからまた徒歩移動でJR奈良線稲荷まで行って京都に戻る。
しかし真夏日の中の徒歩移動はきついし、既にその体力も残っていない。
そこでそのままJR稲荷駅に行き帰ろうと思ったが、
新幹線の時間までまだ2時間半あり、そのまま京都に戻ると時間が余ってしまう。
そこでスマホで近隣の駅の画像を確かめ、桃山に行くことにした。
上りホームには205系が停まっていた。



205系は国鉄末期からJR発足当時に投入された通勤型直流電車で、
首都圏では山手線にも投入されたが、京浜東北線には投入されたことはなく、
従ってスカイブルーの帯色は関西でないと見られない。
下りで2つ隣の桃山まで行き駅取材する。



更にまだ時間があったため戻る途中で京都の隣の東福寺も取材する。



本当はまだ時間があったが、体力的にもキツくなってきたので、
を公開いたしました。で今回の取材は終了、京都に戻る。
まだ時間があるので京都で食事を出来るところを探そうと思ったが、
昼食のカレーうどんが思ったよりも腹持ちが良く、
京都駅近辺を散策してみたが今ひとつ食欲が湧かず、
結局夕食は断念することにした。

 18.3分遅れの東海道新幹線と駅弁のお土産−旅の終わり

京都駅まで戻り、いったん青春18きっぷで改札を出て、
夕食を喰う場所を探そうと思ったがそれほど空腹ではなかったため、
京都での夕食を断念して新幹線きっぷで再入場する。



新幹線改札内に入って駅弁屋おみやげなどを買い、時間まで待合室で待つ。
緊急に奈良線の駅を2つ追加取材したが、それでも時間を持て余してしまった。
出発直前に売店で京都麦酒・ペールエールと特選素材ソーセージを買う。
19:05京都発の東海道新幹線「のぞみ252号」に乗り込む。



順調に走っていたが、東京駅入線直前に信号待ちになり、
結局3分遅れで到着することになった。
ここから始発の総武快速線に乗り込む予定だったが、
結局総武快速線も2ほんのり遅れ、21:47になってしまった。
津田沼まで出て、総武緩行線に乗り換えて帰る。





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