青春の旅立ち−錦川鉄道と可部線、呉線の旅



 1.青春18きっぷの旅2019年夏編−錦川鉄道のリベンジ

“青春18きっぷ”は年に3回、
主に学生が長期休みとなる区間に向けれて発売される、
JR旅客会社共通の企画切符である。
その歴史は国鉄時代に遡り、
国鉄末期の1982年に発売された“青春のびのびきっぷ”に始まる。
社会人は出張などで鉄道を利用する機会も多かったが、
学生は主に通学利用などで比較的短距離に限られているとされてた。
その学生を囲い込み、国鉄の増収施策の一環として企画されたのがこの切符である。
長期休みに学生に旅行で利用して貰いたいという狙いだが、
学生は特急などは利用せずに普通列車の利用が多いという分析から、
特急などの利用は不可とされ、別に特急券を購入しても利用できない。
また学生をターゲットに企画されたが利用に年齢制限はなく、
近年ではリタイヤした高齢の利用者も増えている。

この切符は今までに何度も利用してきていて、
特に夏季の青春18きっぷは毎年の恒例となっている。
2019年の夏にもこの切符を使った旅を計画した。
去年は土日の1泊2日の旅を3回企画したが、
今年も同じく土日で旅を計画した。
青春18きっぷの夏季は発売が7月1日から、
利用は7月20日から9月10日までとなっており、
今年の第1段は2回(人)分を使い、
7月27日土曜日から28日日曜日までの1泊2日の旅を企画した。

今回の旅は去年の“青春の旅立ち−美祢線と山口線”のリベンジ企画である。
このたびは2018年7月21日土曜日に美祢線を乗り潰し、
山陰本線を移動して益田に一泊、22日日曜日に山口線を乗り潰し、
山口から岩国に移動、錦川鉄道を往復し、
清流新岩国で隣接する新岩国から新幹線に乗り換え、帰郷することにしていた。
しかし2018年7月4日水曜から8日日曜日にかけて、
台風7号の影響を受けた梅雨前線が長期に停滞し、
西日本を中心に集中豪雨が発生し、浸水や土砂災害など、
200人を超える死者を出す平成最悪の災害となってしまった。
この災害JR西日本の多くの路線でも浸水や土砂流出を受け、
山陽本線の柳井から徳山までの区間が不通でバス代行、
錦川鉄道も岩国から清流新岩国の間が不通になっていた。
これでは錦川鉄道の乗り潰しも不可能であり、
去年は錦川鉄道の乗り潰しは断念した。
今年はその錦川鉄道乗り潰しに挑戦することを目標とした。


 2.青春18きっぷの旅2019年夏編−可部線のリベンジ

可部線は大日本軌道広島支社によって敷設されたのが最初で、
1909年12月19日に横川から祇園(現・廃止)までの区間が開業、
1910年11月19日古市橋まで延伸、1911年6月12日に可部まで延伸された。
路線は1919年3月11日に可部軌道に譲渡、
1926年5月1日には広島電気に譲渡された。
その後路線は広島電気によって改軌、電化され、
1931年7月1日に広島電気全額出資の広浜鉄道に譲渡された。
その後1936年9月1日に国有化され、可部線の名称となった。
国有化直後の1936年10月13日には安芸飯室まで非電化区間として延伸、
戦時中には一部の駅が休止されたが、戦後の1946年8月15日に布まで延伸、
1954年3月30日に加計まで延伸された。
1968年9月4日には可部線可部から加計までの区間が、
国鉄赤字83年に揚げられ廃止勧告を受けるが、
翌年の1969年7月27日には三段峡まで延伸、全通した。
山陰本線浜田から三段峡を結ぶ今福線の計画があり、
可部線と直通して山陽本線と山陰本線を結ぶ予定になっていて、
1974年には実際に工事にも着手されたが、
1980年12月27日に制定された国鉄再建法により工事は中止された。
国鉄分割民営化後にJR西日本が可部から三段峡の廃止を表明、
2003年12月1日に廃止された。

しかし廃止された区間にあった河戸駅付近の住民から再延伸の運動が起こり、
2013年2月1日に可部線電化延伸についてJR西日本と広島市が合意、
広島市は国の補助を受けて可部からあき亀山までの区間を敷設、
JR西日本はこの区間を第三種鉄道事業者として乗り入れのこととして、
2017年3月4日に延伸開業した。

実は可部線については2009年に青春18きっぷで、
横川から可部の区間を乗り潰しが完了しているが、
2017年の延伸区間1.6kmが未乗車区間となってしまった。
今回の旅では延伸区間を乗り潰すべく、
可部線乗り潰しにも再チャレンジした。


 3.青春18きっぷの旅2019年夏編−呉線のリベンジ

呉線は広島から三原までを海寄りに走る路線で、
正確には山陽本線海田市から呉を経由して山陽本線三原に至る電化単線路線である。
呉は戦前から軍港として栄えた場所であり、
軍事都市であった広島との間に官設鉄道として1903年(明治36年)に敷設された。
広まで延伸したのは1935年(昭和10年)である。
三原から広までは三呉線と呼ばれ、
1930年(昭和5年)に三原から須波までが開業し、
その後翌年には安芸幸崎、その翌年には竹原まで延伸し、
1935年(昭和10年)には三津内海(現・安浦)まで延伸した。
同年11月24日には三津内海と広が接続し、この時に三呉線は呉線に編入された。

呉線は2005年10月に広島・瀬戸内フリーきっぷの旅で、
2泊3日の初日、2005年10月21日金曜日に乗り潰す予定でいた。
予定ではこの日、「のぞみ1号」で広島まで行き、
10:29広島始発の呉線・安芸路ライナーで呉、31分の乗り換え時間で広まで行き、
22分の乗り換えで呉線下りで三原まで行くこととしていた。
しかし呉駅でこの年の4月にオープンした[大和ミュージアム」を観に行ったため、
予定していた呉駅乗り換えの電車に乗れず、
1本あとの列車で広駅に行くことになってしまった。
また広での駅取材も38分の予定になっていたが、
特筆することもなく、反対方面の広島行きに乗り込んでしまった。
この時はまだ乗り潰しという概念はなく、
取材対象がないのなら撤退は当然という考えでいた。
そのため呉線は乗車区間が海田市から広までとなり、
広から三原までは未乗車区間となってしまった。
今回の旅では広島から三原までを広駅乗り換えで乗り潰すことにした。


 4.3つの路線完乗計画とその修正案−計画決定

去年は山口線の乗り潰しのあとに在来線で岩国に移動、
錦川鉄道錦川清流線を終点の錦町まで乗り潰したあと、
清流新岩国まで戻り、ここから新岩国まで徒歩移動、
「こだま」で広島まで出て、「のぞみ」に乗り換えて帰京する予定だった。

7月27日土曜日はこの予定をそのまま流用し、
更に全区間未乗車の岩徳線も乗り潰すため、新幹線で徳山まで行く。
しかし06:00東京始発の「のぞみ1号」は徳山に停車しない。
手前の広島には09:49に到着、ここで「こだま733号」に乗り換えたとしても、
徳山到着は11:13になってしまい、11:13発の岩徳線には絶対に乗り換えられない。
そこでいろいろと検索して思案したところ、
実は「のぞみ1号」よりも前を走る「のぞみ」があることを知った。
これは品川06:00始発の「のぞみ99号」で、
しかもこれは徳山に停車する。
そこでこの「のぞみ99号」を利用することとして、計画を検討した。

04:40幕張発の初電で津田沼まで行き、10分の乗り換えで、
横須賀線直通の総武快速線で品川まで行く。
品川駅での乗り換え時間は27分で、これなら駅取材や駅弁購入にも十分である。
06:00品川始発の「のぞみ99号」は4時間3分で徳山に到着する。
ここで1時間10分の待ち合わせで岩徳線に乗り換えて岩国まで行く。
昼食後に錦川鉄道・錦川清流線で終点の錦町まで行く。料金は1,150円である。
折り返し列車に乗り込み、上りは清流新岩国で下車する。
ここは山陽新幹線新岩国に近接し、徒歩での乗り換えが可能である。
17:29新岩国発の「こだま750号」で広島まで行き、
夕食後にヴィアイン広島にチェックインする。

翌日の28日日曜日はホテル提携の店舗で朝食後にチェックアウト、
可部線の延伸区間の終点であるあき亀山まで往復する。
広島に戻って駅前で広電の車両取材と昼食、
12:40広島発の呉線で広、乗り換えて三原まで行き、
山陽本線で福山まで出て「のぞみ44号」で帰京する。

当初はこの計画で実行を考えていたが、
徳山での待ち時間が長すぎるため、隣の櫛ヶ浜まで往復しての駅取材を追加、
更に翌日の三原から隣の糸崎終点に乗り換えてここで駅取材も追加する。
修正案を加えてこの計画で実行することにした。


 5.雨の予報と「1」より早い「99」−旅の始まり

計画に合わせて2月10日にはヴィアイン広島のホームページから、
朝食なし禁煙・シングルA11,000円を予約した。
また1ヶ月前の6月27日には7月27日土曜日の、
品川から徳山までの「のぞみ99号」のグリーン車指定席と乗車券と、
新岩国から広島までの自由席特急券をJR幕張駅の指定席券売機で購入、
翌日の6月28日には同じくJR幕張駅の指定席券売機で、
7月28日日曜日の福山から東京までのグリーン席指定券と乗車券を購入した。
肝心の青春18きっぷを購入していなかったことに気付き、
10日前の7月17日にJR幕張駅の指定席券売機で購入した。

事前の天気予報では晴れとなっていたが、
直前では大雨になっていた。
7月27日土曜日も朝起きた時には雨は降っていなかったものの、
灰色の雲が空を覆っていた。
JR幕張駅の窓口で1回(人)に「ありがとうございます
JR東日本 7.27 幕張駅」と検印を押して貰う。



04:40幕張発の一番電車で津田沼まで行く。
家を出る時には薄曇りでまだ雨は降っていなかった。
津田沼で降りて横須賀線直通の総武快速線に乗り換える。
乗り換えたE217系は思ったほど混んでいなかった。
今後はこの乗り換えルートも選択しに入れるべきかもしれない。
乗った時には雨の気配はなかったが、市川あたりで激しい雨になった。
品川で下車していったん青春18きっぷで改札を出て、
新幹線改札口に徳山のでの特急券と一緒になった乗車券で入場する。



品川で新幹線改札口を潜ったのは初めてである。
ここでの乗り換え時間は27分で、駅取材には十分である。
売店で駅弁「江戸甘からあげ弁当」900円など買い、
グリーン車10号車2番A席に乗り込む。
朝食として駅弁を喰い、そのあと車内で爆睡する。
前日も金曜日で40分の残業になり、睡眠不足だったのだ。
東海道新幹線東京駅発の一番列車は06:00発だが、
更にその前を先行する列車があった。
それが「のぞみ99号」である。
この列車は00:60に品川を発車する。
つまり2つの列車は同時刻に東京と品川を発車していることになる。
「のぞみ1号」は品川に06:06に到着、06:07発で、
つまり「のぞみ1号」より「のぞみ99号」は7分先行して運行されているのだ。


 6.快晴の中国地方とリニューアルされた徳山駅

品川を出た時も雲は多かったが新横浜あたりでは快晴になっていた。
しかし名古屋あたりまで来ると再び雲が出てきて、
途中雨も降り出してきたが、広島を過ぎると快晴となった。

新神戸を過ぎてから車内販売でホットコーヒー・スイーツセットを購入する。



これは100円プラスするとスイーツが付くというもので、
以下の4種類から一つを選べる。

 ピーカンナッツチョコレート
 黒糖ドーナツ棒
 生もみじ
 ベルギーワッフル

ここでは神戸には売店がある熊本の黒糖ドーナツ棒2本入りをチョイスする。
しかもホットコーヒーはレギュラーが310円、ラージが360円なのだが、
山陽新幹線の朝だけの新サービスということで、
レギュラーからラージへのサイズアップが無料とのこと。
勿論、サイズアップでお願いする。
4時間3分の旅で10:03に徳山に到着する。
ここから錦川清流線に乗るために岩徳線で岩国に向かうのだが、
徳山での乗り換え時間は1時間10分で時間を持て余すため、
山陽本線の隣駅である櫛ヶ浜まで往復する。
櫛ヶ浜は山陽本線と岩徳線の分岐駅でもある。
徳山に到着して8分で山陽本線上りに乗り込む。
隣駅の櫛ヶ浜での乗り換え時間は4分しかないが、
駅舎が一つしかない駅では4分あれば十分である。
駅舎取材して下りをホームで待ち、徳山に戻る。
これでもまだ51分の乗り換え時間がある。
駅に停車していたキハ40系の車両取材して、
それでも時間が余ったので駅の外に出てみる。



徳山駅は既に取材済みだったので駅舎取材するつもりはなかったが、
知らないうちにリニューアルされていた。
時間が余ったので休憩せずに外に出てみて良かった。
画像はみゆき口で在来線口にあたる。
隣には周南市立駅前図書館が併設されている。
最近は利用者の利便性を考え、
駅に図書館を併設しているところが増えている気がする。
新幹線口にあたるみなと口も取材、
さらに少し時間がたって太陽の位置が変わったので、
再び留置車両の取材をしてから11:13始発の岩徳線に乗り込む。


 7.岩徳線−勝間の猫とリニューアル中の岩国駅

岩徳線は岩国から櫛ケ浜を結ぶ43.7kmの非電化単線の地方交通線である。
山陽本線全通後、短絡線として1920年代に建設が開始され、
1929年4月5日に麻里布(現・岩国)から岩国(現・西岩国)の区間が開業、
この部分開業当時は“岩徳線”の名称だった。
1932年5月29日に櫛ヶ浜から周防花岡までの区間が岩徳西線として開業、
それに伴い、麻里布から岩国までの既設区間は岩徳東線に改称された。
岩徳西線は1934年3月28日には高水まで延伸、
同年12月1日には岩国から高水の区間が開業して全通、
これに伴い岩徳西線、岩徳東線はともに山陽本線に編入された。
同時に柳井を経由していた既設区間は山陽本線から分離され、柳井線とされた。
しかしその後、山陽本線の複線化が計画されたが、
新設した短絡線ではカーブが多いことや長大トンネルがあることから、
1944年10月11日には岩徳西線、岩徳東線として敷設された区間は、
山陽本線から切り離され岩徳線となり、柳井線が再び山陽本線に編入された。

非電化路線のため、国鉄標準色を纏ったキハ40系列が充当されていた。
11:13に徳山駅を出発、隣の櫛ヶ浜までは山陽本線の線路を走行、
ここで岩徳線に入って1時間18分で岩国を目指す。

途中の勝間駅は単式1面1線の無人駅だが、
黒白の痩せた猫がホームで乗客を出迎えていた。



誰かの飼い猫というわけではなさそうで、
降りてきた客は悉くこの猫を無視して階段を降りていく。
ひととおり乗客を見送ると、この猫も階段を降りていった。

岩国に到着したのは12:31で、ここでの乗り換え時間は1時間44分で、
まずは事前に調べて予定していた「香林」で昼食としてチリカツ丼900円喰う。
岩国は2005年10月に「広島・瀬戸内フリーきっぷ」で、
2泊3日で広島に泊まり、その2日目に訪問していた。
この時は広島から快速で岩国まで行き、
宮島口まで戻ってから広電取材をしながら広島まで戻った。
その時に駅取材は完了していたのだが、
駅舎は瓦が乗るモルタル造りの昭和な建物だった。



 ※撮影時刻 2005/10/22 09:05:51

しかし今回降りた時には以前の駅舎は既になく、新しくなっていた。
橋上駅舎化されていたが、駅前の整備事業はまだ継続していて、
工事中のフェンスが駅舎前に張られていて、逆に駅舎取材が出来なかった。



せっかく岩国まで来たのに残念だが、
ここの駅舎取材は次のチャンスに持ち越しするしかないと思った。


 8.錦川清流線の完乗と錦町駅の車両入れ替え

岩国駅での乗り換え時間は1時間44分で、
食後に留置されていた気動車やHD300形22号機などを取材、
東口から西口に行ってみるが、こちらも駅前が工事中で、
こちら側も駅舎取材が出来なかった。
駅のベンチで錦川鉄道の車両が入線するのを待つ。
前回岩国に来た時にも車両が早めに入線していて、
それを車両取材した記憶があるのだ。
予想通り早めに車両が入線していて、それを取材してから乗り込む。

岩国駅には錦川鉄道の券売機は設置されておらず、
車内で精算する方式だった。
そのため岩国から分岐駅の川西までは、
精算時に青春18きっぷを見せればその区間は徴収されない。
転換クロスシートの車内には小さなテーブルも設置されていた。



14:15に岩国を出て、岩徳線を下り、川西で分岐して錦川清流線に入る。
錦川清流線はほぼ錦川と併走、車窓からは田園地帯が見渡せる。



1時間9分で終点の錦川に到着する。
ここでの乗り換え時間は38分で、駅取材してからホームに再び入る。



ここまで乗ってきた車両はNT3000形NT3004「きらめき号」だったが、
この車両は留置線に入り、給油と清掃が行われた。
岩国方面の折り返しにはNT3000形NT3001「せせらぎき号」が充当された。
これに乗り込み、帰りは清流新岩国で下車する。

 9.新岩国の乗り換えと獺祭おためしセット

錦川鉄道錦川清流線は国鉄時代の1960年に岩日線として、
岩国から山口線日原までを結ぶ路線として計画、建設された路線で、
1963年10月1日に錦町まで延伸されたが、
第2次特定地方交通線として廃止が決定、
国鉄分割民営化後にJR西日本に継承されたのち、
1987年7月25日に第三セクターの錦川鉄道に転換された。

清流岩国駅は国鉄時代の1960年11月1日に岩日線として、
川西から河山までの部分開業と同時に御庄の駅名で開業した。
1975年3月10日に山陽新幹線が岡山から博多まで延伸し全通した。
この時には御庄と新岩国同一駅とはされず、駅名も変更されなかった。
しかし岩日線が錦川鉄道に転換されたと同時に清流新岩国に改称された。

錦町から54分で清流新岩国に到着した。
ここでの乗り換え時間は33分で、2つの駅の取材には十分である。
清流新岩国には新岩国までのルートは駅にも掲示されている。



このルートに従いながら山陽新幹線新岩国まで行く。
ここで駅舎取材してから駅の売店で獺祭おためしセット2,786円を購入する。
“獺祭”は山口県の地酒で、ロンブーの田村淳さんも美味いと番組で云っていた。
これは自宅用ではなく、このあと行く広島のビジネスホテルで部屋飲み用である。



このセットは180mlの獺祭が3本入っている。
そこには以下のような解説が書かれていた。



 純米大吟醸磨き三割九分

  華やかな上立ち香と口を含んだときに
  見せる蜂蜜のような綺麗な甘み。
  飲み込んだ後の長い余韻。
  これぞ純米大吟醸。

 純米大吟醸磨き二割三分

  23%(77%)という極限まで磨いた山田錦を使い、
  最高の純米大吟醸に挑戦しました。
  華やかな上立ち香と口を含んだときに
  見せる蜂蜜のような綺麗な甘み。
  飲み込んだ後の口にはきれいに
  切れていきながらも長く続く余韻。

 純米大吟醸45

  「美味しくなければ意味がない」
  獺祭のスタンダード。
  山田錦を45%まで磨いた、
  米由来の繊細な甘みと華やかな香り。


 10.「こだま750号」と小雨の朝食−広島の夜と朝

獺祭おためしセットを買った売店「おみやげ街道」は、
セブンイレブンが運営していた。
最近は駅の売店をコンビニが運営し、
セブンイレブンのPBブランドとお土産を一緒に売っていたりする。
このあと時間まで改札外のベンチで待ち、
新幹線到着の少し前に改札に入場する。



山陽新幹線「こだま750号」は5:25p.m.頃に到着した。



かつて“ひかりレールスター”に充当されていた、
JR西日本所属の700系が単に“レールスター”の名称に変更され、
こだま号に充当されていた。
この車両は普通車でも座席配置が2列+2列になっており、
その分座席が広い。
新岩国からは広島までの乗車時間は14分で、自由席を用意した。
それでも利用客はそれほどおらず、十分だった。
広島に到着したのは17:43で、通過列車待ちで17分の停車時間がある。
改札を出て予約していた「ヴィアイン広島」にチェックインする。
駅に隣接しており、以前にも利用したことがある。
部屋に荷物を置いたあと、「ひろしまお好み物語・駅前ひろば」に行く。
ここはお好み焼きのフードパークで、
広島に来た時には何回か利用したことがある。
その中の「お玉のキャベツ」でお好み焼きとハイボールで夕食とする。
帰りに売店でビールやあなご天、かき味噌天など買い、ホテルに戻って飲む。



予約した時には食事なしで予約したのだが、
ホテルのフロントで朝食がホテルとなりの「駅膳」で500円というので、
それもチケットをチェックインの時に同時に購入する。



翌朝は少し早めに起きて朝食を喰いに行こうと思ったが、
ホテルの正面口が開いておらず、脇から出たらホテルの裏に出てしまい、
ぐるっとホテルを回って正面の駅前ロータリーに出た。
この時にはポツポツと雨が降り出していた。
2日目は小雨の中の旅になりそうだ。
広島駅前での広電の車両取材も考えていたのだが、
この雨では計画を変更せざるを得ないかもしれない。
「駅膳」の和定食は鮭定食と鯖定食があり、鮭定食をオーダーする。



一般の販売価格は580円で、ホテルで事前予約すると80円安くなる。
鮭定食は焼き鮭に柴漬け、金平牛蒡の小鉢、味噌汁、海苔が付いている。
朝食を食べ、一旦ホテルに戻って、歯を磨いてシャワーを浴び、
支度をしてヴィアイン広島をチェックアウトする。


 11.可部線の往復と広島駅前の広電車両

ホテルをチェックアウトしてまず最初にしたのは、
旅行用バッグをコインロッカーに入れることである。
ICOCA対応コインロッカーで、勿論Suicaも使える。
カメラバッグだけを抱えて広島駅改札口で、
青春18きっぷの2回(人)に、
「(西)広島駅 7.28 入鋏済」の検印を押して貰う。
07:41広島発の可部線に乗り込み、終点のあき亀山を目指す。
広島駅を出た時には小雨だったが、
可部線を進んで行くに連れてどんどん雨は降りが強くなっていった。
絶望的な気持ちのまま、車窓を眺めている。
かつては105系が充当されていた可部線も、
今は227系「Red Wing」が充当されている。
可部駅に着くまで車窓の雨は止むことなく降り続き、
隣の河戸帆待川駅でもまだ雨は降っていたが、
終点のあき亀山で下車した時には奇跡的に雨は止んだ。
あき亀山での折り返し時間は11分で、駅取材には十分である。



あき亀山駅は頭端式1面2線で、2番線側には側面もある。
乗ってきた227系に再び乗車し、広島を目指す。
あき亀山を出たのが08:42で、51分で広島に到着する。
ここから呉線で広乗り換えで三原を目指すのだが、
乗り換え時間は昼食を含めて3時間7分を取っており、
この時間で広島駅前で広電の車両取材を決行する。
朝起きた時には小雨で広電取材は不可能かと思ったが、
曇りながら雨は既に止んでおり、駅前で車両取材する。
広島は今までに何回も訪れており、広電の車両取材も何度も挑戦しているが、
2013年に登場した1000形はまだ見たことがなかった。
そこでこれを狙って駅前で撮影を試みる。



広島に到着したのは09:33で、 10:30a.m.を撤収時間と設定し、
それまでの時間を入線してくる車両を撮りまくる。
広電広島駅前電停は頭端式4面3線構造で、
複線の広島方面に向かってくる線路の延長線が1番線、
広島発側のホームが2つに分かれて2番線、3番線となっているが、
旅客案内上では番線区分はされていない。



広島駅に到着した車両はこの信号に従って、
入線する番線を確認、侵入することになっている。
また広島発の番線の信号手前にも乗り場があり、変則的な構造となっている。
10:30a.m.を少し過ぎるくらいまで車両取材に没頭し、
昼食として昨日夜に行った「お好み物語・駅前ひろば」に向かう。


 12.呉線の完乗と糸崎駅の追加取材

11:30a.m.過ぎに広電の車両取材から撤収、
ひろしまお好み物語・駅前ひろばに行き、
その中で「旬」という店に入り、旬ちゃんというお好み焼きを喰う。
そのあと再び青春18きっぷで広島駅に入場し、
ここから呉線で三原を目指すが、
電光掲示板の乗り換え案内を見て12:40発の呉線を待つ。
しかし別のホームから12:30発の安芸路ライナーがあった。
千葉駅などでもそうだが、同じ方面でも別のホームから出ることもある。
ターミナル駅ではたまにあるのだ。
しかしもともと12:40で予定を組んでいたので、
そのままこの普通列車で広を目指すことにした。
可部線からの直通で始発列車ではなかったので、
車内は混んでいたが、それでも途中で下車する客も多く、
また呉駅では17分の停車時間があり、
14:00発の安芸路ライナーにも追い越されていった。
1時間12分かけて漸く広に到着する。
広での停車時間は23分で、既に三原行きの227系が停車していた。



直ぐに乗り換えたが、さすがにこの列車はあまり乗客がおらず、
ここから更に1時間27分かけて三原を目指す。
当初の予定では7分の乗り換え時間で福山を目指し、
福山で44分の乗り換えで帰りの新幹線に乗車する。
しかしダイヤ改正で広駅発の列車が遅くなり、
そのため予定していた列車との接続が出来なくなってしまった。
更に上り列車で糸崎止まりがあり、
糸崎で14分待つと三原始発が糸崎に到着する。



待ち合わせ時間で糸崎での駅取材をして、
16:08に到着した福山行きで28分乗車して終点を目指す。
思ったより混んでいて、少し窮屈だった。
福山での到着時間は24分で、お土産などを買い、
17:02福山発の「のぞみ44号」で帰京する。


 13.瀬戸田レモンり帰京と東京ラーメンストリート−旅の終わり

岡山標準色の国鉄形近郊電車で福山まで戻り、
24分の乗り換え時間でお土産などを買い、
新幹線改札口を通過する。



改札内の売店「おみやげ街道」で、
瀬戸内レモンの缶チューハイを見つける。
ここに来るまでは缶ビールを買うつもりだったが、
これを見つけて急遽買うことにした。
最初に岡山で見つけて、
それ以来見つけるとつい買ってしまう。
瀬戸田とはしまなみ海道のほぼ中央にある、
生口島、高根島からなるの瀬戸田町のことで、
缶にも

 瀬戸田で大切に育てられた
 瀬戸田レモン100%で
 作ったチューハイです。
 澄んだ味わいを
 お楽しみください。

と書かれている。

17:02福山発の「のぞみ44号」のグリーン車に乗り込み、
つまみに買ったたこレモンとチーズのすり身揚げで、
瀬戸田レモンを楽しむ。



「のぞみ44号」3時間30分の旅で、20:33に東京へ到着する。
福山では乗り換え時間が短く、しかも駅弁も食べなかったので、
東京で夕食を喰うことにして、改札を出て東京ラーメンストリートに行く。
その中で「東京煮干ラーメン・玉」に行き、味玉さらりそば880円を喰う。
21:30始発の総武快速線で津田沼、緩行線に乗り換えて帰る。





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