青春の残り火−八高線完乗の旅



 1.姫路からの3つの旅−計画作成

山陽本線姫路駅から分岐する3つの地方交通線は、
何年も前からまとめて乗り潰しを考えていたが、
なかなか機会に恵まれず、青春18きっぷで計画をしたものの、
ほかの予定を優先して、結局“没”に何っていたりしていた。
そこで2019年夏の青春18きっぷの旅で、
今まで実行できなかった計画を再度決行することにした。

基本的には去年の計画をそのまま採用、
ダイヤ改正により発射時刻が変わっていないかを確認した。
この夏の青春18きっぷの4回(人)と5回(人)を使い、
8月24日土曜日から1泊2日で計画した。

1日目の8月24日土曜日は「のぞみ1号」で新神戸まで行き、
14分の乗り換えで「ひかり495号」で姫路まで行く。
ここから午前中は播但線の乗り潰しに挑戦する。
09:28姫路始発で福崎まで行き、駅取材後に寺前まで移動する。
ここから先は非電化区間になるために2分の乗り換えで気動車に乗り換え、
48分の乗車で終点の和田山まで行って乗り潰し完了、
昼食後に山陰本線で福知山まで移動、福知山線で谷川まで移動、
午後から加古川線を登方面に乗り潰しする。
15:13谷川始発で西脇市まで行き、西脇市始発で加古川まで戻る。
これで加古川線の完乗が完了、夕食後に山陽本線で姫路に戻る。
姫路ではJR西日本系列のヴィアイン姫路で1泊する。

2日目の25日日曜日はホテル無料バイキングのあとチェックアウト、
姫新線の乗り潰しに挑戦、姫路始発で余部、播磨新宮、作用と、
駅取材をしつつ乗り換え、12:02に津山に到着。
ここで昼食を取って津山始発で新見まで行き乗り潰し完了。
伯備線で岡山まで出て山陽本線で姫路まで戻り、
18:49姫路発の「のぞみ52号」で帰京する。

この計画に合わせ、2月10日にはヴィアイン姫路のホームページより、
8月24日土曜日からの1泊で禁煙・シングルを予約する。
メンバー専用、室数限定の早期割28、朝食付きで5,900円だった。


 2.播但線と加古川線と姫新線

播但線は山陽本線姫路から山陰本線和田山を結ぶ陰陽連絡線の一つである。
路線距離は65.7km、全区間が単線で、姫路から寺前までが直流電化されている。
播但線は播但鉄道により1894年7月26日に姫路から寺前までの区間が敷設された。
1895年1月15日には隣の長谷まで延伸、
同年4月17日には姫路から飾磨までと長谷から生野までが延伸、
1901年8月29日には生野から新井までが延伸された。
播但鉄道は1903年6月1日に全路線を山陽鉄道に譲渡、
山陽鉄道により1906年4月1日に新井から和田山まで延伸、全通した。
1906年12月1日に山陽鉄道は国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定により、
姫路から飾磨港、姫路から和田山、
そして山陰東線として既設された城崎(現・城崎温泉)までが播但線に制定された。
播但線としてその後福知山まで延伸されるが、
1912年3月1日に和田山から福知山までの区間が山陰本線に編入された。
初代の飾磨は1915年9月21日に飾磨港に改称されたが、
戦後の1986年11月1日に姫路から飾磨港までの区間は廃止された。

加古川線は山陽本線加古川駅から福知山線谷川をまでの、
路線距離487.5kmの全線単線の直流電化路線である。
加古川線は加古川水系の河川舟運を代替する目的で設立された播州鉄道が、
加古川町から国包(現・厄神)までの区間を1913年4月1日に敷設したのに始まる。
同年8月10日には西脇(西脇市とは別駅)まで延伸、
同年10月22日に途中駅として野村(現・西脇市)が開業した。
1915年5月14日に起点の加古川町を国鉄加古川に統合、
播州鉄道は1923年12月21日に播丹鉄道に路線を譲渡、
播丹鉄道によって1924年12月27日に野村から谷川まで延伸、全通した。
戦時中の1943年6月1日に播丹鉄道が国有化され、
加古川から野村を経由して谷川までの区間を加古川線、
野村から分岐して西脇の区間はその後鍛冶屋まで延伸した区間を含めて鍛冶屋線となる。
鍛冶屋線は第3次特定地方交通線として廃止が承認され、
分割民営化後にJR西日本に継承後の1990年4月1日に全線が廃止された。
この時に野村は駅名を西脇市に改称した。

姫新線は山陽本線姫路から伯備線新見までを結ぶ、
158.1kmの全線単線非電化路線である。
新見から伯備線に接続して山陰本線に接続しているため、
陰陽連絡線としても機能しているが、
路線距離が長いことなどから地域輸送が中心となっている。
姫新線は作備東線の名称で1923年8月21日に、
津山口から美作追分までが敷設されたのに始まる。
津山口から津山までは現在津山線に編入されている。
1924年5月1日に久世まで延伸、1925年3月15日に中国勝山まで延伸、
一方、作備西線として1929年4月14日に新見から岩山間の区間が部分開業、
1930年4月1日に中国勝山から岩山までの区間が開業し、
作備西線と新規開業区間を編入して作備線に改称された。
津山から東津山までの区間は因美南線として1928年3月15日に開業、
1932年7月1日に因美線全通とともに因美線に改称され、
1936年10月10日に津山から東津山までの区間が因美線から姫新線に編入された。
姫路方面からは姫津線として1930年9月1日に姫路から余部のでが部分開業、
1931年12月23日には東觜崎まで延伸、1932年7月11日に播磨新宮まで延伸、
1934年3月24日には三日月まで延伸した。
同年11月28日には東津山から美作江見までが開業して姫津西線が開業、
姫津線として開業していた姫路から三日月までが姫津東線に改称された。
1935年7月30に日には佐用まで延伸され、この時終着駅として開業した。、
1936年4月8日に美作江見まで延伸され、
姫津西線を姫津東線に編入して姫津線に改称された。
同年10月10日に作備線、因美線東津山から津山までを姫津線に編入の上、姫新線に改称した。


 3.切符の購入と直前の計画中止−あとで分かった重大過失

この計画に合わせて、7月23日火曜日に幕張駅の指定席券売機で、
8月23日の東京から姫路の新幹線切符を購入することにした。
予定では06:00東京駅発の「のぞみ1号」で新神戸まで行き、
そこで「ひかり495号」に乗り換えて姫路まで行くことにしていたが、
指定席券売機ではより安い方法を自動的に選択してしまうので、
06:06東京駅発の「のぞみ291号」で新大阪まで行き、
ここで「ひかり495号」にに乗り換えて姫路まで行く切符になってしまった。
本当は新神戸で駅名標を取材したかったのだが、仕方がない。



「のぞみ291号」は06:06に東京を出て08:33に新大阪に到着する。
そして「ひかり495号」は08:39に新大阪を出て09:15に姫路に到着する。
新大阪での乗り換え時間は6分しかないが、移動としては十分だ。
翌日、7月24日水曜日に有休を取って病院に検査に行った帰り、
千葉駅の指定席券売機で「のぞみ52号」のグリーン車指定席を購入する。



これで切符の購入は完了し、あとは当日を待つだけとなった。

しかし8月20日火曜になって家庭の都合で急に旅行が不可能になり、
そのため予定を全てキャンセルせざるを得なくなり、
ネット経由でヴィアイン姫路にアクセスして予約をキャンセルした。
さらに8月22日木曜の出社前に津田沼に出て、
みどりの窓口で購入した新幹線特急券乗車券の払い戻しをした。

7月23日分は購入価格20,730円で2本の新幹線を乗り継いでいるため、
払戻手数料は1,810円で、差し引き18,920円となった。



7月24日分は購入価格は22,120円で払戻手数料は550円、
差し引き21,570円となった。



Suica付属のクレジット機能で購入したため、
払い戻しもクレジットカードの引き落とし銀行への振り込みになる。

この姫路からの旅の計画は、2018年にも計画し、
その計画表もそのまま残っていたため、
これに基づいて切符を購入していたのだ。
2018年では8月23日は土曜日、24日は日曜日だったが、
今年2019年は8月23日は金曜日であり、24日は土曜日だったのだ。
つまり8月24日に東京から姫路、
25日に姫路から東京の切符を購入しなければならなかったのだ。
計画は家庭の事情でキャンセルになり、切符も払い戻したが、
もし計画通りに旅行に行っていたら、
当日東京駅で切符が全日のものと気付いて顔面蒼白になっていたに違いない。



 4.「週末パス」からの計画の流用で日帰りの旅

週末パスは土曜、日曜の連続する2日間、
主にJR東日本の南側半分のエリアに乗り放題になる切符で、
特急や新幹線も別に特急券や指定席券を購入すれば利用可能で、
更にJRだけでなく、山形鉄道、阿武隈急行、福島交通、
北越急行、上田電鉄、しなの鉄道、長野電鉄、アルピコ交通・松本電鉄、
ひたちなか海浜鉄道、鹿島臨海鉄道、富士急行、伊豆急行の全線、
また会津鉄道の西若松から会津田島の区間、
えちごトキめき鉄道の妙高高原から直江津の区間も利用できる。
この切符を使って利用区間の未乗車区間を乗り潰す計画を立てていた。

この計画は「八高の風 飯山の風」として、
土曜、日曜の2日間、日帰りの旅を2回計画した。

 土曜日「八高の風」

東京駅06:28発の北陸新幹線「はくたか551号」で高崎に出て、
両毛線で伊勢崎まで行き、東武・伊勢崎線の未乗車区間、
伊勢崎から太田までの区間をSuica使用の別料金での乗り潰し、
伊勢崎から両毛線で高崎に戻る途中、高崎問屋町で下車して駅取材、
高崎で昼食、「Lucky」でカツカレーラーメンを喰う。
北陸新幹線で安中榛名まで往復して駅舎を取材する。
ここは以前取材済みだったが既に日が暮れていたため、
日中の駅舎の写真が欲しかったのだ。
高崎から八高線の非電化区間を高麗川まで乗り潰し、
この区間も未乗車区間だったために乗り潰しする。
高麗川から八高線の電化区間を川越線直通の電車で八王子まで行き、
中央快速線で三鷹まで出てここで夕食を喰う。
夕食後に始発の総武緩行線で帰宅する。

 日曜日「飯山の風」

日曜日は08:52東京発の上越新幹線「Maxとき309号」に乗るため、
いったん千葉に出て「そばいち」で朝食を喰い、
始発の総武快速線で東京まで行く。
上越新幹線で長岡まで行き、昼食を喰う。
ここから上越線で越後川口まで行き、飯山線の未乗車区間の乗り潰しに挑戦する。
13:10越後川口駅始発で2時間かけて戸狩野沢温泉まで行き、
ここで23分の乗り換え時間で飯山まで出て、
16:05飯山駅発の北陸新幹線「はくたか568号」で東京に戻る。
夕食は「伊達の牛たん本舗・東京駅グランルーフ店」で取り、
特急「しおさい9号」で千葉駅経由で帰る。

最初はこの土日も用事があると思っていたが、
土曜日は何とか時間が空くことが分かり、
このままでは青春18きっぷの2回分が無駄になってしまうため、
週末パスの計画の中から「八高の風」を流用、
八高線の乗り潰しを決行することにした。


 5.高崎線グリーン車の移動と4分の遅れ−旅の始まり

週末パスは別に特急券や指定席券を購入すれば、
運賃は週末パスが有効になって利用できる。
しかし青春18きっぷは普通車しか利用できず、
特急券や指定席券のほかに運賃も必要になる。
ならば敢えて新幹線を使わず、在来線での移動も検討してみる。

東京から高崎まで新幹線で移動した場合、乗車時間は50分、
在来線の高崎線で移動した場合は約1時間50分、
倍以上の時間が掛かってしまうが、
高崎問屋町の取材を省けば何とかなる。
それに伊勢崎線乗り潰しから戻ったあと、
高崎で昼食を取る予定にしていた「Lucky」が、
知らないうちに閉店になっていたのだ。
ここはカツカレーラーメンで有名で、
以前に行こうとしたら既に閉店になっていた記憶もあるので、
開店の11:00a.m.までに高崎に戻りたかったが、
ここに行く必要がなければ高崎に戻る時間にこだわる必要もない。

その代わり、1時間50分をロングシートでの移動はちょっときついので、
グリーン車での移動にしようと思う。

8月24日土曜日、始発から2本目の総武緩行線に乗る予定にしていたが、
早めに支度が出来たため04:40の初電に乗り込む。
JR幕張駅の改札口で4回(人)のところに、
「ありがとうございます JR東日本 8.24 幕張駅」と検印を押して貰う。



外に出た時はまだ夜の帳が降りたままで、闇夜が辺りを包んでいた。
秋葉原で山手線に乗り換えたが、既に雨が降り出していた。
上野に到着してから高崎線乗り換えまで少し時間があったため、
山手線E235系の車両取材などする。
売店が開くのを待ってサンドイッチとボトルコーヒーを購入、
ホームに降りてSuicaにグリーン券780円を購入する。



本当は上野で朝食を喰うつもりだったが、
ここではサンドイッチだけにして、高崎でたかべんに行くことにしよう。
06:15上野始発の高崎線で高崎を目指す。
しかし桶川駅到着直前で急ブレーキが掛かる。
車掌のアナウンスだとホームから転落した乗客がいたために、
車両が緊急停止の信号を受けて停車したらしい。
しかし安全確認が出来たためそのあと再び走り出した。
桶川を4分遅れで出発、高崎に向かった。


 6.伊勢崎の橋上化と伊勢崎線の完乗

4分遅れで高崎に到着し、まずは改めて朝食を喰うことにする。
以前あった「たかべん」は既になく、今は「八起家」という駅蕎麦になっていた。
「たかべん」は高崎弁当という会社がやっていたが、
「八起家」はNREの直営で、メニューは基本的には「いろり庵きらく」と変わりない。



ここでかき揚げうどん430円を喰い、08:36の両毛線に乗り込む。
211系が充当されていて、予定より1本早いダイヤである。
これで伊勢崎まで行き、青春18きっぷで伊勢崎の改札を出る。
駅を出て、風景が全然変わっているのに気がついた。
この駅は以前は地上ホームだったが、いつの間にか高架ホームになっていたのだ。



調べてみると両毛線が高架化工事が完了したのは2010年5月30日で、
この年の3月13日には東武鉄道伊勢崎線も分離され仮設駅を設置、
JRにおくれること3年、2013年10月19日には伊勢崎線も高架化された。

参考:伊勢崎駅旧駅舎



 ※撮影日時 2004/10/07 14:03:33

参考:地上時代の伊勢崎線ホーム



 ※撮影日時 2004/10/07 14:14:39

旧駅舎時代は改札が共通だったが、高架化されて改札も独立した。
駅舎を取材してからSuicaを使用して09:18館林行きに乗り太田を目指す。
予定では太田での折り返し時間は8分だったが、
1本早めの電車に乗れたため、太田での折り返しも十分に取れた。
駅前には新田義貞の銅像があった。
事前に予定していた10:22に乗って伊勢崎まで戻り、
伊勢崎で3分の乗り換えで両毛線に乗り換え高崎に戻る。
予定通りのダイヤだったが、高崎問屋町では降りずにそのまま高崎まで来てしまった。


 7.二度目の「八起家」と安中榛名の断念

高崎問屋町で下車せずに高崎まで戻った。
到着時間は11:20で、元々の予定ではここで昼食を喰い、
そのあと青春18きっぷとは別に切符を購入し、
安中榛名まで往復し、ここで駅取材することにしていた。
安中榛名は新幹線単独駅で以前取材していた今年あるが、
既に日が暮れていて夜撮になってしまったので、
自然光で再取材したかったのだ。
13:02高崎発の北陸新幹線「あさま611号」で8分、
隣駅の安中榛名で55分の駅取材を満喫し、
14:05安中榛名発の北陸新幹線「あさま618号」で高崎まで戻る。
しかし11:56高崎発の八高線があることを知り、
いろいろと考えて今回は安中榛名の駅取材は断念した。
週末パスでは運賃が有効で新幹線特急券だけ購入すればいいが、
青春18きっぷでは運賃も負担しなければならない。
そこで今回は安中榛名の再駅取材は断念し、
そのまま11:56で高麗川を目指すことにした。
そうすると乗り換え時間は30分しかなくなり、
改札を出て昼食を取るのが不可能になってしまう。
そこみで改札内で簡単に済ませることとし、
結果として再び「八起家」に行くことにした。
朝はかき揚げうどんを喰ったが、
さすがに同じメニューでは辟易してしまうので、
昼食ではカレーライス410円を食うことにした。


 8.八高線乗り潰しと三鷹での彷徨−旅の終わり

橋上駅車の改札内の「八起家」で軽めの昼食を済ませ、
3番線の八高線専用ホームに行く。
八高線は4番線ホームの一部を切り欠いた3番線を発着する。
ホームに移行としたらEF64形が中線を移動していてこれを取材する。



高崎から先は山岳路線になるため、
電気機関車も勾配区間対応のEF64形が充当されていた。
八高線はその名の通り、八王子と高崎を結ぶ路線だが、
八王子から高麗川までは電化されていて、
大宮から高麗川までを結ぶ川越線と相互乗り入れしている。
一方高麗川から高崎までは未だ電化されておらず、
のどかな田園地帯が広がっている。
そのためキハ110系一般型気動車が充当されており、
乗り込んだ2両編成もキハ111-205+キハ112-205が充当されていた。



11:56に高崎を出たキハ110系は89分かけて高麗川に到着する。
高麗川に到着した時には隣ホームに113系八王子行きが停車していた。
接続時間は5分で42分かけて八王子に行く。
八王子到着は14:12で、ここでHD300形31号機を見かけた。
これを取材して中央本線快速で三鷹まで行く。
三鷹駅は今まで何度も行っていたが、
北口駅舎がリニューアルされていてこれを取材する。



そのあと少し早めだが夕食を喰おうと思い、
事前に調べておいた「味の彩華」に行き、Aセット830円を喰う。
Aセットはミニ塩らーめん+半炒飯+ミニサラダだった。
このあと三鷹始発の総武緩行線直通の中央緩行線で帰宅する。
これで青春18きっぷの4回(人)までを使ったが、
まだあと1回分が残ってしまった。





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