黒部渓谷鉄道と富山地方鉄道完乗の旅



 1.富山地方鉄道の設立と未乗車区間

富山地方鉄道は富山を中心に鉄道路線と軌道路線を所有する鉄道会社である。
戦時中の「陸上交通事業調整法」に基づき、
1943年1月1日に現在の鉄道線の本線の一部と立山線の一部を所有していた富山電気鉄道を中心に、
加越鉄道、富山県営鉄道、黒部鉄道、越中鉄道、富山市営軌道の6社が合併して誕生した。
この大合併の前にも富山電気鉄道は立山線の一部となる立山鉄道、
現在の不二越線を所有していた富南鉄道、富岩線を所有していた富岩鉄道を合併している。
富岩線はのちに国鉄富山港線となり、現在の富山ライトレールとなった。

現在の鉄道路線の所有路線は電鉄富山から宇奈月温泉までの本線53.3km、
本線の寺田から分岐して立山までの立山線24.2km、
稲荷町から南富山までの不二越線3.3km、
南富山から岩峅寺までの上滝線12.4kmの4路線を所有する。

本線53.3kmのうち、電鉄富山から滑川までの区間と
不二越線の全区間は乗車済みだが、
本線の滑川から宇奈月温泉までの区間と、
立山線、上滝線の全区間は未乗車である。

富山地方鉄道には全線2日フリー乗車券があり、
以前からこれを使った全線乗り潰しを考えていた。
北陸鉄道石川線の乗り潰しと絡めて計画を立てたりもしたが、
別の計画で北陸鉄道石川線は既に乗車済みになっており、
1泊2日では少し時間を持て余してしまうなと思っていた。


 2.黒部峡谷鉄道の設立とネット予約

黒部峡谷鉄道は黒部川に水力発電所を建設するため、
その資材運搬用の鉄道として762mmの期間で、
1923年から日本電力が建設を始めた路線で、
1926年10月23日に宇奈月から猫又までの区間が開業、
1929年12月26日には小屋平まで延伸、
1931年7月30日には小黒部まで延伸、
1937年6月30日には欅平まで延伸された。
日本鉄道は1941年10月1日に、
日本発送電に発電設備などを現物出資、
この時同時に専用鉄道も譲渡された。
戦後、1951年5月1日に日本発送電は関西電力に設備を譲渡、
鉄道路線も関西電力に引き継がれ、
1953年には地方鉄道法による免許を受け、
同年11月16日から正式な鉄道路線として営業を開始した。
1971年7月には関西鉄道には分社化され、
100%出資の子会社として黒部峡谷鉄道が誕生した。

利用は原則として事前の予約が必要であり、
以前ホームページを覗いた時には満席ばかりで、
なかなか取れないという印象だった。

2019年に再びホームページで確認、
7月8月の夏休み期間は無理だったが、
夏休みが過ぎた9月に確認したところ、
一部に空きがあるのを見つけた。
そこで同年7月8日、黒部峡谷鉄道Web予約システムから、
往復の乗車券をリラックス客車で予約した。

 [行き] 9月14日土曜 宇奈月11:48発−欅平13:06着【リラックス客車】
 [帰り] 9月14日土曜 欅平13:31発−宇奈月14:48着【リラックス客車】

リラックス客車は窓のあるタイプの車両で、
一般車はトロッコで窓がないため、
ちょうどいい季節は心地よいのかもしれないが、
暑すぎたり寒すぎたり、また雨の時などは大変である。
一般車の場合、雨合羽を着用しなければ乗れないのだ。
そこで窓のあるリラックス車両で予約することにした。
料金は往復で3,960円でリラックス車両の利用料は片道530円で計5,020円となる。
支払いはクレジット決済で、予約完了画面を印刷して、
利用当日、黒部峡谷鉄道の宇奈月駅1番窓口に持参、乗車券と引き換える。


 3.1泊2日の黒部峡谷鉄道と富山地方鉄道の完乗計画

9月14日土曜日に黒部渓谷鉄道の乗り潰しを決行することになり、
これに合わせて富山地方鉄道鉄道線の未乗車区間の完乗に挑戦する。
富山地方鉄道の乗り潰しは9月15日にすることにして、
翌日の15日日曜日に富山地方鉄道の乗り潰しを実行することにしよう。
既に黒部渓谷鉄道の予定は決定しているため、
それに併せて新幹線の予定を決定、
宿泊はホテルルートイン富山駅前にすることにした。
しかしそのあとよく調べてみたら、
富山地鉄ホテルも宿泊可能なことが分かり、
ここを利用することとして以下のような予定を立てた。

 9月14日土曜日

東京駅06:16発の北陸新幹線「かがやき501号」で富山まで行き、
23分の乗り換え時間で旅行用バッグをコインロッカーに入れ、
富山乗車券センターで地鉄電車2日ふりーきっぷを購入、
08:49電鉄富山始発の本線で1時間57分かけて宇奈月温泉まで行く。
昼食後に11:48宇奈月発の黒部渓谷鉄道で欅平まで行き、
25分で折り返し再び宇奈月まで戻り、
15:28宇奈月温泉発で24分かけて新黒部まで行き、
25分後に到着する後続が来るまで北陸新幹線黒部宇奈月温泉駅を取材、
16:23新黒部発の本線1時間14分で電鉄富山まで戻る。
夕食後に富山地鉄ホテルにチェックインする。

 9月15日日曜日

翌日はホテルの和洋バイキングで朝食後にチェックアウト、
富山電鉄08:28始発の不二越、上滝線で35分の乗車で岩峅寺、
ここから特急「立山3号」に乗り換えて立山まで行く。
1時間かけて立山駅を取材、立山線で電鉄富山まで戻る。
このあと富山地鉄市内環状線で新設の未乗車区間を乗り潰し、
昼食と富山地方鉄道市内線車両取材を含め4時間49分かける。
富山駅17:07発の北陸新幹線「かがやき512号」で帰京する。


 4.計画第2案と本計画への昇格

計画を立てている時には気付かなかったが、
9月14日土曜日、15日日曜日の翌日は敬老の日で、
結果的に9月14日土曜日は三連休の初日にあたる。
そのためもしかしたら北陸新幹線の、
東京駅初電の優等列車である「かがやき501号」は、
指定席が取れない可能性も出てくる。
そこでその時のために計画第2案を作成した。
それは富山まで行かず、「はくたか551号」で黒部宇奈月温泉に行く。
ここで隣接する富山地方鉄道本線新黒部に乗り換える。
これだと富山での区間をショートカットできる。
そのため荷物をコインロッカーに入れることが出来なくなるが、
これなら黒部宇奈月温泉での乗り換え時間が1時間9分となり、
新幹線駅と富山地鉄新黒部の駅取材に十分な時間をかけることが出来る。

最初は第2案として計画したが、
よく考えるとこの方が駅取材に時間が取れるのでいい。
富山でコインロッカーが使えないが、
その分帰りに新黒部で下車して敢えて黒部宇奈月温泉で駅取材する必要がなく、
またこの駅の改札内も取材可能になる。
代わりに電鉄黒部で下車して後続列車到着まで駅取材してもいい。
いろいろ考えて第2案を本計画に昇格させることにした。

黒部峡谷鉄道の乗車券を予約した日に富山地鉄ホテルにもアクセス、
スーペリアシングル早割2WEEKプラン・朝食付7,600円も予約する。
計画の1ヶ月前、8月14日水曜日、早めに家を出て幕張駅の指定席券売機で、
9月14日分の指定席特急券と乗車券を購入する。
翌日、8月15日木曜日にも同じく早めに家を出て幕張駅の指定席券売機で、
9月15日分の指定席特急券と乗車券を購入した。
これで全ての準備が完了、あとは当日を待つだけとなった。


 5.前日の予定変更と工事中の御茶ノ水−旅の始まり

9月14日土曜日は06:28東京発の「はくたか551号」に乗るが、
当初は04:40幕張発、初電の総武緩行線で秋葉原まで行く。
秋葉原到着は05:20で4分の乗り換え時間で京浜東北線に乗る。
京浜東北線は05:24に秋葉原を出て、4分で東京に着く。
東京の到着時間は05:28で、「サンライズ出雲」はくたか551号」まで48分ある。
東京駅での乗り換えに48分は少し長すぎると思い、
出発前日にいろいろ調べ、御茶ノ水から中央線で東京に行くことにした。
これなら初電から2本目に乗れる。
手書きのメモを持参し、04:56の総武緩行線の上りに乗り込む。



この時間は中央緩行線との直通はなく、全てが御茶ノ水止まりだ。
御茶ノ水は島式2面4線で方面別ホームとなっている。
2番線に到着した総武緩行線の乗客のほとんどは1番線の中央線下りに乗り込む。
東京方面は4番線のホームに発着するため隣のホームに移動する。
御茶ノ水駅は工事中で、通路は養生に囲われていた。
4分の乗り換え時間で05:42で東京に行く。
東京到着は05:46で、乗り換え時間は42分で、
今日は外に出ず、そのまま新幹線改札を通過する。



ホームに上がった時にはまだ「はくたか551号」は入線していなかった。
東北新幹線の0キロポストなどを取材し、入線を待つ。



42分でも待ち時間は少し長い。
考えてみればグランクラス利用なら駅弁を買う必要もないので、
乗り換え時間はもう少し短くても良かった。


 6.グランクラスの旅と黒部宇奈月温泉での下車

程なくして「はくたか551号」が入線してきた。
グランクラスではアテンダントが入り口で出迎えてくれる。



グランクラスは12号車で1両に18席しかない。
座席配列は1+2席で、1人用の5番A席をだった。
出発するとアテンダントからおしぼりが配られ、飲み物を訊かれる。
ビールをオーダー、和軽食とビールが届けられる。



和軽食は橋本幹造氏の監修で、上りと下りとではメニューが違うようだ。



弁当には「お献立」として料理の種類が書かれた紙がつけられており、
北陸方面行きのメニューは以下の通り。



更にグランクラスにはおつまみとしてパウンドケーキとあられが配られる。
パウンドケーキはその時々で種類が変わっており、
今回は“石川県産五郎島金時のパウンドケーキ”だった。



追加の飲み物もビールを頼んでしまい、ついつい車中でうとうとする。
目を覚ますと既に新幹線は減速し、黒部宇奈月温泉駅に入線するところだった。
慌てて荷物を取り出し、下車する。
黒部宇奈月温泉での到着は08:58で1分の停車で出発する。
JRとしては単独駅であるが、富山地方鉄道本線の新黒部駅が近接する。
ここでの乗り換え時間は1時間9分で、ゆっくりと取材できる。


 7.黒部宇奈月温泉駅と「トロッコ電車のはじまり」

黒部宇奈月温泉駅は相対式2面2線の高架駅で通過線はない。
2015年3月14日に北陸新幹線が、
長野から金沢まで延伸時に同時に開業した。
余談だが新幹線の駅名で一番字数が多いらしい。
駅舎を時間をかけて取材したが、
その時にトロッコ列車が飾られているのを見つける。



それはJR黒部宇奈月温泉駅ではなく、
隣接する富山地方鉄道本線の新黒部駅のロータリーにあった。
飾られているのは勿論黒部峡谷鉄道のもので、
解説には以下のように書かれている。

   トロッコ電車のはじまり

  トロッコ電車は、黒部川流域の電源開発のために
 日本電力(株)によって建設工事が進められたことが
 はじまりで大正12(1923)年9月、
 黒部峡谷で初めての本格的な発電所となる
 柳川原発電所を建設するため、
 一般的な線路幅である狭軌(軌間1067mm)よりも狭く、
 敷設に必要な土地も車両のサイズも小さくて済む
 ナローゲージ(762mm)が採用された。
  発電所の建設資材は三日市駅(のちの北陸本線、
 現・あいの風とやま鉄道線の黒部駅)で集積され、
 そこから黒部鉄道(現・富山地方鉄道本線の一部、
 三日市駅〜現在の電鉄黒部駅間は昭和44年8月に
 廃止)を使って宇奈月に運ばれ、黒部専用鉄道に
 積み替えられて発電所の各工事現場へ送り込まれていった。
  洪水・大雪崩が頻発する厳しい環境の中、
 鉄道の敷設工事は困難を極めたが、
 大正14(1925)年6月には宇奈月〜佛石(ほとけいし
 現・柳橋駅〜森石駅間の地点)間の開業に漕ぎつけた。
  その後、上流部発電所建設のために延伸工事が進められ、
 昭和12(1937)年7月に欅平駅間(20.1km)が全通したのである。
  この時代のトロッコ電車は、専用鉄道として建設資材や
 作業員の輸送に重点が置かれていたが、
 美しい黒部峡谷の秘境を探勝したいという登山客や
 一般観光客からの乗車希望が絶えず、
 「命の保証をしない」という前提で便乗を認めることとなった。
  その後、黒部峡谷の自然を求める観光客の増加と
 地元民の強い要望により、昭和28(1953)年に
 地方鉄道法(現・鉄道事業法)による営業免許を受け、
 正式に旅客列車が走るようになり、
 そして昭和46(1971)年5月には
 「黒部峡谷鉄道」が発足した。
 依頼、この鉄道は「黒部峡谷トロッコ電車」の愛称で親しまれ、
 毎年多くの観光客が峡谷美や温泉、登山を楽しむために利用している。

そこには凸形電気機関車EDとトロッコ車ハフ26とハフ27があり、
更にそこには写真を撮る位置が事前に表示されていた。



観光客向けのサービスが徹底している。
北陸新幹線で黒部宇奈月温泉まで来て、
ここで乗り換える客のためのためのサービスなのだろう。
旧式ではあるが、これを見ると気分も盛り上がる。
ここで富山地方鉄道本線の新黒部駅に乗り換える。


 8.「地鉄電車2日ふりーきっぷ」の購入と宇奈月駅の退屈

駅前で静態保存のトロッコ電車を十分に取材し、
富山地方鉄道本線の新黒部駅に行く。
事前に富山地方鉄道のホームページで確認したところ、
新富山駅はお得な切符の販売所一覧には載っていなかったので、
新黒部から宇奈月温泉までは切符を購入、
宇奈月温泉は販売所一覧に載っていたため、
ここで「地鉄電車2日ふりーきっぷ」を購入するつもりだったが、
新黒部駅の駅員に訊いたところ、ここでも売っているとのことで、
「地鉄電車2日ふりーきっぷ」4,530円を購入した。



ホームで列車の到着を待ち、
到着したモハ10041+モハ10042に乗り込む。
この列車は元京阪3000系で、
テレビ電車と呼ばれた車両の先頭車両のみで編成された。
31分の乗車で本線終点の宇奈月温泉に到着する。



ここでの乗り換え時間は1時間10分で、
この時間を利用して昼食を喰うことにする。
事前に調べた「ささや」に行き、カツ丼840円を喰う。
それでも時間が十分に余っているので、
黒部川電気記念館やトロッコ広場などを見学する。
また黒部峡谷鉄道宇奈月駅の窓口に行き、
ネットで予約、クレジット決済した切符を受け取る。
“オンライン予約”が完了した内容をプリントアウト、
これを窓口に持参すると予約番号から切符を発行してくれる。
発車時間に合わせて改札するため、
出発前で列車がホームに入線しないと入れない。
改札の前に並んで開くのを待つことにする。


 9.黒部峡谷鉄道線の往復−窓付きのトロッコ列車

改札開始を待ってホームに入場する。
普通のトロッコ列車の後方に窓付きの車両が連結されている。
これが「リラックス車両」と呼ばれるもので、
片道につき530円を払うことで利用できる。



季節がいい時期はトロッコ車両もいいのだが、
暑いときや寒いとき、更に雨などではトロッコ車両は辛い。
黒部峡谷鉄道のホームページでは、雨天時はカッパを用意してくださいとある。
片道1時間17分ずっと雨に打たれているのはきつい。
今回は往復両方ともリラックス車両を予約した。
そのため窓口では3枚の切符を渡される。



行きの11:48宇奈月発は9号車、帰りの欅平発は12号車になった。
車両券はあくまで利用車両が指定されるだけで、
車内は自由席で何処に座っても良い。
ただ、座席数しか販売されないため、座れないということはない。
出発まで宇奈月駅側線で入れ替え作業などをする電気機関車を取材する。



ナローゲージなので電気機関車も小さく、運転手も少し窮屈そうである。
出発すると車内の案内放送は富山出身の女優、室井滋さんが担当していた。
黒部川沿いを進んでいき、ダムなどを紹介してくれる。



1時間18分かけて欅平に到着する。
ここでの折り返し時間は25分で、駅取材後に少し外を散策する。
再び駅に戻り、また1時間17分かけて宇奈月まで戻る。
ここから富山地方鉄道富山まで戻るが、乗り換え時間は40分で、少し時間を持て余す。


 10.電鉄黒部の断念と富山ブラック−富山の夜と朝

既に黒部峡谷鉄道宇奈月駅も富山地方鉄道宇奈月温泉駅も取材済みで、
特にやることもなかったので宇奈月温泉駅に早めに行く。
しかし改札は閉まっていて、出発直前まで入場制限している。
仕方がないのでこの駅の待合室で待つことにした。
自販機でコカコーラの缶を買ったが、地名入りだった。



入場開始になり、停車中の14760形に乗り込む。
この電車は富山地方鉄道の創立50周年を記念して、
1979年に2両編成3本が登場した一般形の主力電車である。



乗り込んだモハ14765+モハ14766は第3編成で、
その後も増備が続き、2両編成×7本=14両が製造された。
誕生時はセミクロスシートだったがのちにクロスシート化された。
主電動機は東洋電機TDK-8205A形、
モーター出力110kW、中空軸平行カルダン駆動である。

事前の予定では宇奈月温泉から36分乗車し、
電鉄黒部で下車して駅取材することにしていたが、
疲労が溜まっていたためにここでは下車せず、
そのまま富山まで戻ることにした。
富山に戻ってス事駅前で市内電車の取材をしてからホテルにチェックインする。
予約した富山地鉄ホテルは電鉄富山駅に併設されている。



今回はいったん外に出てしまったが、
本来なら改札を出て駅ビルの外に出ずにチェックインできる。
ホテルに荷物を置いて夕食を喰うため外出する。
駅に入線する前、車窓から見えたラーメン店に行こうと思ったが、
大行列だったので断念した。
JR富山駅に併設されたとやまマルシェに行き、
そこで「白えび亭」にに行き、白えび天丼を喰おうと思ったが、
ここも行列が長くて辟易した。
そこで隣の「西町大喜・とやまマルシェ店」入り、
富山ブラックを喰うことにした。
夕食後、売店で地酒や地ビール、
それにつまみようとして白えびかまぼこや白えびチップ、
さらには富也萬、甘金丹なども買いホテルに戻る。



ホテルでつまみを喰いながら地ビールや地酒を愉しむ。
翌日は5:30a.m.に起床し、シャワーを浴びて6:30a.m.を待って朝食バイキングを喰う。



蒲鉾、玉子焼、鹿尾菜の煮物、焼鯖、焼鱒、鰤大根、お新香、つみれ汁、鱒の押し寿司、
なめこ汁、ソーセージ、スクランブルエッグ、ベーコン焼、クリームコロッケ、
サラダ(キャベツ、レタス、スイートコーン、ポテトサラダ)、コーヒーなど。
部屋に戻って歯を磨いてからチェックアウトする。
まずは旅行用バッグを入れるためにコインロッカーを探す。
今日はまずは残った富山地方鉄道のみ乗車区間の乗り潰しに挑戦する。


 11.瀟洒な岩峅寺−富山地鉄の乗り潰し

JR富山駅でコインロッカーを探し、旅行用バッグを入れる。
カメラバッグだけを持って行動開始する。
9月15日日曜日は8:28電鉄富山始発の電車で、
本線から直通する不二越・上滝線で岩峅寺まで行く
早めにホテルをチェックアウトしたので、
JR富山駅の駅取材と富山地鉄市内線の車両取材する。
富山は今までに何回か訪問していて、
JR富山駅も改装前、仮駅と取材しているが、
高架後の駅舎は初めて取材した。



このあと発車少し前に電鉄富山駅に入場する。
昨日購入した地鉄電車2日ふりーきっぷは、
その名の通り2日間連続で使え、日付印も今日付になっている。
入場すると、14760形第2編成が停車していた。



まだ客はあまりなく、車内は閑散としていた。
乗り込んだ14760形は08:28に電鉄富山を出発する。
隣の稲荷町で本線と別れ、35分で岩峅寺に到着する。
ここでの乗り換え時間は19分で、その間に駅取材する。
瀟洒な駅舎は、屋根や庇にも瓦が乗っている。



岩峅寺駅は1921年8月20日に富山県営鉄道が開業させた駅である。
この鉄道は現在の上滝線を敷設した鉄道会社で、
現在の立山線は立山鉄道が敷設、元々は別の駅だった。
1931年3月20日に富山電気鉄道が立山鉄道を合併、
富山電気鉄道は1936年8月18日に立山駅を廃止、
富山県営鉄道岩峅寺駅に乗り入れることになった。
戦時中の1943年1月1日、富山県営鉄道は路線を富山電気鉄道に譲渡、
富山電気鉄道は富山地方鉄道に改称された。

岩峅寺は相対式2面2線と島式1面2線の計3面4線の地上ホームを有する。
立山線が相対式ホームを使用、駅舎側が2番線、反対側が1番線に付番されている。
2番線は立山方面、1番線は寺田経由富山方面の列車が使用する。
島式ホームは不二越・上滝線が使用、運行上は岩峅寺が終着だが、
4番線はホームの先にも線路が延びていて、
立山線立山方面と繋がっている。
相対式ホームに対して島式ホームは少し開く形の線形になっている。

駅の中の看板にはこの駅舎が映画に使われていたことが記されていた。
それは「剱岳 点の記」という撮影技師の木村大作氏が監督した映画で、
原作は新田次郎の小説である。
100年前の富山駅という設定で使われたようだ。
早めにホームに入り、列車の到着を待つ。
やってきたのは16010形で元西武鉄道5000系の車両だった。



西武時代の面影もそのまま残っていて、「特急立山号」のヘッドマークをつけている。
これに乗って24分で立山を目指す。


 12.大混雑の立山−富山地鉄の乗り潰し

岩峅寺を出て24分で立山に着く。
立山駅は富山地方鉄道立山線の終着駅であり、
また立山黒部アルペンルートの立山ケーブルカーの乗り換え駅でもある。
富山地方鉄道の駅は頭端式3面2線の地上ホームで、
1番線ホーム側に改札がある。
改札を出ると左側に出入り口があるものの、
ほとんどの人が立山ケーブルカーに乗り換える。
立山ケーブルカーは階段を上って2階になる。
駅舎自体が坂に設置されているため、
2階に上がったケーブルカー側の駅舎を出ると、
駅前ロータリーになっていて、バスも乗り入れている。



こちら側から見ると富山地方鉄道の駅が地下にある感じに見える。
この階に立山ケーブルカーの乗り場になるが、
駅前広場側に出札カウンターがある。
電車の利用者だけでなく、ここまでバスなどで来た客への考慮で、
こういった配置になっているのだろう。
駅前ロータリーからはケーブルカーのホームが見える。



当然のことながら、ケーブルカーなのでホームも斜めになっている。
ケーブルカーの利用客などで駅前は大混雑だった。
さすがは人気の観光ルートである。
ここでの乗り換え時間は60分で、やはり時間を持て余す。
折り返し列車が来るまでは富山地方鉄道の改札も閉鎖されていて、
仕方がないので改札前で少し待つことにする。
ここまで来た列車も元西武鉄道5000系の16010形で、
こちらはヘッドマークのない普通車扱いの列車である。



この列車は10:46に立山駅を出発し、富山駅を目指す。
予定ではこれで富山駅まで帰るつもりだったが、
昨日帰りに見かけた寺田駅が気になり、急遽途中下車することにした。


 13.緊急途中下車の寺田と上市−富山地鉄の乗り潰し

立山を出発した富山行きは立山線経由で富山を目指す。
この段階で未乗車区間は立山線岩峅寺から寺田の区間である。
このまま乗って富山まで行く予定だったが、
昨日本線で帰る途中に、
すれ違い待ちで少し停車した寺田駅が気になったので、
予定にはなかったが緊急下車した。



この駅は電鉄富山から本線と立山線が分岐する駅であるが、
駅を出る前に既に線路が分岐していて、
そのため駅は駅自体が扇形になっており、
改札内にも扇の付け根に駅舎がある。
本線と立山線はそれぞれ相対式ホームとなっており、
それぞれの電鉄富山方面のホームが扇の付け根で繋がっているのだ。
改札は立山線の外側にあり、
そのため駅舎側から数えると、4番線、3番線、1番線、2番線となる。
その4番線には10020形第3編成が停車していた。



富山地方鉄道10020形は1961年から運用を開始した車両で、
これは1964年に登場した第3編成である。
第1編成は2005年除籍、2007年3月には解体、
第2編成も2006年には除籍になっているので、
10020形はこの第3編成しか残っていない。
十分に駅取材してから電鉄富山に向かおうと思ったが、
先に11:51発の宇奈月温泉方面の列車だったので、
これに乗って上市まで行くことにした。
この列車は12:00に上市に到着した。
上市は頭端式2面3線の地上ホームで全ての列車がここで折り返す線形になっている。、
1番線が上り電鉄富山方面、2番線が下り宇奈月温泉方面が使用する。
そして3番線は上り始発列車が使用する。
ここに12:06始発の電車が止まっていた。



元東急8590系の17480形である。
富山地鉄オリジナル色ではなく、東急時代のカラーをそのまま使用している。
ステンレス製車体のために変更しようもないのだろう。
6分の間に改札を出て駅舎取材し、再入場する。
今度こそ始発の14780形で電鉄富山を目指すことにした。


 14.工事中の富山駅北口と富山地鉄市内線取材

電鉄富山に到着して、まずは富山駅電停に行く。
富山地方鉄道軌道線は既に2012年5月に、
富山都心線を乗り潰し、全区間完乗を完了していたが、
2015年3月14日の北陸新幹線開業に合わせ、
富山駅南北接続線が支線の分岐点から富山駅電停までの、
0.2kmが新規開業した。
これは富山ライトレールが富山駅まで延伸し、
南北の路線が相互直通することになっている。
今回はこの0.2kmを乗り潰すために富山駅電停に行き、
支線の接続点まで乗り潰す。
これで完乗になるが、そのまま2系統の終点、
大学前電停までそのまま乗っていく。



このあと富山駅まで戻り、更に地鉄ビル前まで行き、
徒歩で北口に移動する。



北口はまだ工事が続いていて、
これに合わせて富山駅北電停がロータリー横から、
オーバードホールの横に変更された。



これは仮設の電停で、南北直通されたらたぶん廃止になるのだろう。
直通されたらまた取材に来なければならない。
そう思いながら地下の南北自由通路で再び南側に行き、
循環線でグランドプラザ前、徒歩移動で桜町、
再び循環線で富山駅まで戻り、昼は「立山そば」でしろえび天そば530円喰う。
このあと時間まで市内線の車両取材を敢行する。



駅前にはインスタ映えを意識したモニュメントが設置されている。
身取材車両やラッピング変更された車両などを十分に取材、
駅でお土産や駅弁など買い、コインロッカーから荷物を出し、
17:07富山発の北陸新幹線「かがやき512号」に乗り込む。

この時は知らなかったが、家に戻ってから調べたら、
2019年4月に富山地方鉄道軌道線と、
富山ライトレールが富山駅電停で相互直通するのは、
2020年3月の予定で、
その時に富山ライトレールは富山地方鉄道と合併するとのこと。
富山ライトレールは経営的にも上手くいっているという印象だったので、
まさか富山地鉄に吸収される形で解散するとは思わなかった。


 15.再びのグランクラス−旅の終わり

東京に帰る新幹線の約30分前に買い物を完了させ、
コインロッカーから旅行用バッグを取り出し、
新幹線改札から入場する。



炎天下で車両取材していたため、大汗だった。
そこでトイレにある多目的室でTシャツを着替える。
こんな時のために予備のTシャツを持参していたのだ。
汗を拭き、新しいTシャツに着替えてホームに上り、
北陸新幹線「かがやき512号」の到着を待つ。
富山は途中駅のために到着して直ぐに乗り込まなければならない。
17:07に到着したE7系12号車に乗り込む。



予約した席は2番A席で、
着席するとアテンダントがおしぼりを待ってくる。
そのあと和軽食とオーダーしたビール、
更に行きと同じパウンドケーキ、あられを持ってきた。



下り金沢駅方面と上り東京駅方面とは内容が少し違う。
和軽食の中の「お献立」を見ると、
上りには「源」の鱒寿司などが加わっている。



ビールを飲みながら、和軽食を喰う。



更にビールをおかわりしてあられをつまみに飲む。



グランクラスを満席だった。
19:20に東京に到着する。



このあとまっすぐに地下総武快速線ホームに降りる。
19:35始発の君津行きに間に合い、これで津田沼まで行く。
小腹が空いたので津田沼駅の「いろり庵きらく」に入り、
わかめそばを喰ってから総武緩行線に乗り換えて帰る。





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