青春の旅立ち−大船渡線と気仙沼線の旅−with BRT



 1.東日本大震災と東北の後悔

2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生した。
震源地は宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmで、
地震の規模はマグニチュード9.0だった。
JR東日本在来線では7線区、23駅が流出、
線路も約60kmに渡って被災した。
また第三セクターの三陸鉄道も北リアス線、南リアス線が、
線路流出や高架橋の決壊などで一時全線が不通となった。
その後、直ぐに復旧した区間もあれば、
路盤の流出などで復興が遅れた区間もあった。
それでも高台移転とともに新駅建設で復興したのが石巻線だ。
終点の女川駅は4年の歳月を経て再開、
2015年3月21日に全線開業した。
山田線釜石から宮古の区間は地元自治体も一部負担することで、
2015年より復旧工事が着工、2019年に漸く完成、
完成した区間を三陸鉄道に移管した。
三陸鉄道は北リアス線、南リアス線と移管された山田線の区間を、
三陸鉄道リアス線として同年3月より運行を再開した。
一方で鉄道での再開を断念、BRT化による復旧に踏み切った路線もある。
それが気仙沼線柳津から気仙沼の区間と、
大船渡線気仙沼から盛の区間である。

被災路線のうち、2011年3月11日現在で、
主な未乗車区間は以下の通りである。

 釜石線/花巻−釜石全区間
 山田線/宮古−釜石
 石巻線/石巻−女川
 気仙沼線/前谷地−気仙沼全区間
 大船渡線/一ノ関−盛全区間

このうち釜石線は2020年9月22日に完乗、
石巻線は2017年5月14日に完乗した。
しかし山田線宮古から釜石の区間は完乗することなく三陸鉄道に移管、
気仙沼線の柳津から気仙沼間、大船渡線の気仙沼から盛間も、
鉄道として乗車することなく廃止、BRT化されてしまった。


 2.大船渡線と気仙沼線のBRT

BRTとは“bus rapid transit”の略で、
「バス高速輸送システム」のことである。
交通量の多いエリアは専用走行路を走行、
一般道でも専用レーンや優先レーンを走行するなど、
路線バスのように交通量に左右されることなく、
定時輸送や速達性の向上などを目指したシステムである。

JR東日本では東日本大震災で被災した、
気仙沼線の柳津から気仙沼の区間と、
大船渡線の気仙沼から盛の区間がBRT化された。

気仙沼線は柳井津から気仙沼の区間が廃止、BRT化されたが、
前谷地から柳井津までの鉄道残存区間にもノンストップで直通している。
気仙沼線の専用道区間は、柳津から志津川の区間と、
清水浜から小金沢の区間、陸前階上から気仙沼までの区間である。
それ以外の区間は一般道を走行する。

大舟渡線は気仙沼から盛までの区間がBRT化され、
専用道区間は気仙沼から鹿折唐桑、栃ヶ沢公園から陸前矢作、
西下から盛までの区間であり、一般道区間も意外と長い。

JR東日本のホームページによると、
気仙沼線は直通区間も含めて72.8km、約140分、
大舟渡線は43.7km、約75分、高田高校前経由は約90分とある。

2021年夏の青春18きっぷの旅では、
8月8日日曜日山の日と8月9日月曜日山の日振替休日の1泊2日で、
BRT区間を含めて大舟渡線と気仙沼線の全区間乗り潰しに挑戦する。

乗り潰しに関しては一般道走行区間は単なるバス旅なので、
鉄道の乗り潰し区間には含めず、
専用区間のみを乗り潰しの対象とする。
また「Station−駅から始まる物語」のための駅取材は、
鉄道との乗換駅のみを対象、バス停は対象としない。
このルールに従って取材予定を作成してみる。


 3.大船渡線と気仙沼線の乗り潰し計画

BRT区間も含めて大舟渡線と気仙沼線の乗り潰し計画を立ててみる。
予定は8月8日日曜日から1泊2日で、
8日日曜日は大舟渡線、9日月曜日は気仙沼線の完乗に挑戦する。
最初は乗り潰しのほかに奇跡の一本松など、
震災遺産なども見学しようかと考えたが、
運転本数が1時間1本しかなく、いろいろと組んでみたが、
結局乗り潰しのみを実行することにした。

 2021年8月8日日曜日山の日

06:04東京始発の東北新幹線「やまびこ51号」で2時間31分、
一ノ関まで行き、34分の乗り換えで大舟渡線に乗り換える。
大船渡線の鉄道区間を1時間25分して乗り潰し、
終点の気仙沼から大船渡線BRTで1時間17分、
終点の盛まで行きここで昼食を取る。
大舟渡線は支線の栃ヶ沢公園から陸前矢作の区間も専用道のため、
午後からこの区間の乗り潰しに行く。
13:41盛から陸前矢作行で1時間5分で終点まで行く。
折り返しで戻るのだが、陸前高田で下車してここで夕食を喰う。
1時間後の次のダイヤで盛まで戻り、大舟渡まで折り返し、
ホテルルートイン大船渡にチェックインする。

 8月9日月曜日山の日振替休日

ホテルの無料バイキングで朝食を喰い、
いったん盛までいってから09:07始発の大舟渡線BRTで気仙沼、
ここで気仙沼線BRTに乗り換えて38分で本吉まで行く。
40分の乗り換え時間で大舟渡線BRTで柳津まで行き、
ここからは気仙沼線鉄道線で終点の小牛田まで行く。
小牛田で昼食を喰い、東北本線で仙台まで行く。
仙石線で小鶴新田まで往復して駅取材し、仙台で夕食を喰う。
18:21仙台発の「はやぶさ112号」で東京まで戻る。


 4.計画決定−ホテルの予約と切符の購入

計画が決定し、それに従って3月6日土曜日に、
「ホテルルートイン大船渡」のホームページにアクセスして、
2021年8月8日日曜日山の日から1泊で予約を入れる。

 チェックイン日 : 2021年08月08日
 ご到着予定時刻 : 20:00
 チェックアウト日 : 2021年08月09日
 プラン名 : Net DE Sundayプライス
 料金総合計 : 6450 円(税込)

更に予定を1ヶ月前、7月8日木曜日、
出社前にJR幕張駅の指定席券売機で、
8月8日分の東北新幹線「やまびこ51号」の東京から一ノ関までの、
乗車券、新幹線特急券、グリーン券を購入する。
7月10日土曜日は午前中千葉に用事があり、
出社前に出掛けて直接会社に行ったが、
電車に乗る前に千葉駅の指定席券売機で、
8月9日分の東北新幹線「はやぶさ112号」の仙台から東京までの、
乗車券、新幹線特急券、グリーン券を購入する。
同時に「青春18きっぷ」も購入した。
これで全ての準備が整い、あとは当日を待つだけとなった。
しかし・・・。


 5.新型コロナ感染第5波と青春18きっぷの旅の中止

2021年夏の青春18きっぷの旅は、
7月21日水曜日夏季休暇と7月22日木曜日海の日の、
1泊2日でおおさか東線と福塩線の旅、
8月8日日曜日山の日と9日月曜日の振替休日で、
大船渡線全線、気仙沼線の旅、
そして8月22日日曜日に飯田線の旅を計画した。

しかし7月23日木曜日、
おおさか東線と福塩線の旅から帰ってきた翌日、
新型コロナの感染拡大が話題となり、
「全国で第5波に入ってきている」と報道された。
7月12日に東京都と沖縄県に出されていた緊急事態宣言が、
7月31日には千葉県、埼玉県、神奈川県、大阪府に拡大された。
居住地の千葉県に緊急事態宣言が発令された段階で、
このあとの青春18きっぷの旅は計画は中止せざるを得なくなってしまった。

そこで泣く泣く8月8日日曜日、9日月曜日の大船渡線全線、気仙沼線の旅と、
8月22日日曜日に飯田線の旅の計画は中止、
既に購入していた特急や新幹線の切符は8月4日水曜日、
出社前に津田沼で下車してみどりの窓口で全て払い戻し手続きする。









新型コロナ過が理由の場合、手数料はなしだった。
残り3回(人)分は千葉県内の日帰りの駅取材や私用で消化することにした。
また、8月8日木曜日には「ホテルルートイン大船渡」にアクセスして、
予約をキャンセルした。
この予定は来年の夏の青春18きっぷの旅でリベンジしよう。


 6.大船渡線と気仙沼線の旅2022年版

2021年に計画したBRT化された大船渡線と気仙沼線の旅は、
新型コロナウイルスの万延で緊急事態宣言が発令され、
計画を中止せざるを得なくなってしまった。
予約したホテルはネットからキャンセル、
事前購入した新幹線の指定席特急券も払い戻しした。

そして1年後の2022年夏の青春18きっぷの旅で、
再びこの大船渡線と気仙沼線の旅を計画した。
予定日は夏季の青春18きっぷ利用開始である、
7月21日から数えて最初の日曜日、
7月24日日曜日から1泊2日で計画した。

本来は2021年の計画をそのまま移植したかったが、
2022年春のダイヤ改正で予定が狂ってしまった。
3月12日土曜日に行われたJRグループのダイヤ改正で、
大船渡線や気仙沼線の大きな変更はなかったが、
アクセスのための新幹線のダイヤが変わってしまい、
予定していた列車に乗れなくなってしまった。
そこでダイヤ改正後、改めて2022年版の計画を再策定した。

青春の旅立ち−大船渡線と気仙沼線の旅−with BRT

 2022年7月24日日曜日

06:12東京始発の東北新幹線「はやぶさ209号」で2時間47分かけ、
一ノ関まで行き、18分の乗り換えで大船渡線で気仙沼まで行く。
気仙沼到着は11:45でここで昼食を喰い、
13:43気仙沼始発の大船渡線BRTで陸前高田まで行く。
7分の乗り換え時間で陸前矢作に乗り換え終点まで行く。
7陸前矢作での折り返し時間は46分で、
15:33陸前矢作始発で終点の盛まで行き、駅取材後、
大船渡線BRT気仙沼行で大船渡まで戻る。
夕食後にホテルルートイン大船渡にチェックインする。

 7月25日月曜日

ホテルの無料バイキングで朝食を喰い、
いったん盛までいってから09:07始発の大舟渡線BRTで気仙沼、
ここで気仙沼線BRTに乗り換えて38分で本吉まで行く。
40分の乗り換え時間で大舟渡線BRTで柳津まで行き、
ここからは気仙沼線鉄道線で終点の小牛田まで行く。
小牛田で昼食を喰い、東北本線で仙台まで行く。
仙石線で小鶴新田まで往復して駅取材し、仙台で夕食を喰う。
18:02仙台発の「はやぶさ256号」で東京まで戻る。

2日目の7月25日月曜日は帰りの新幹線以外、
ほとんど予定も時刻も変わりないが、
1日目は行きの新幹線が変更になってしまったため、
予定が大きく変わってしまった。


 7.ホテルの予約と切符の購入

2022年度版の計画に合わせ、
2022年1月3日にホテルルートイン大船渡のホームページから、
同年7月24日日曜日からの1泊を予約した。

 予約日 : 2022年01月03日
 チェックイン日 : 2022年07月24日
 ご到着予定時刻 : 19:00
 チェックアウト日 :2022年07月25日
 プラン名 : Net DE Sundayプライス
 料金総合計 : 6450 円(税込)
 客室タイプ : ◇禁煙◇シングル

考えてみれば去年も全く同じプラン名で同じ料金で予約していた。
そして予定のちょうど1ヶ月前、
2022年6月24日金曜日、出社前に幕張駅の指定席券売機で、
東京から一ノ関までの「はやぶさ101号」の普通車指定席新幹線特急券と、
同区間の乗車券を購入する。
価格は乗車券7,480円、特急券6,000円の計13,480円だった。
翌日、6月25日土曜日も出社前に幕張駅の指定席券売機で、
仙台から東京の「やまびこ218号」のの普通車指定席新幹線特急券と、
同区間の乗車券を購入する。
価格は乗車券6,050円と特急券5,040円の計11,090円だった。
これで全ての準備が整った。

・・・と思ったが、肝心の青春18きっぷを購入するのを忘れていた。
利用開始可能のの前日、7月19日火曜日に私用で千葉に行ったので、
その帰り、千葉駅みどりの窓口の指定席券売機で購入した。
2022年夏季の青春18きっぷは7月20日から9月10日まで利用可能、
価格は12,050円で、5回(人)利用できる。
これで間違いなく全ての準備が整い、当日を待つだけとなった。


 8.6日前のカメラバッグ故障発覚と代替品の緊急発注

7月19日火曜日に千葉駅みどりの窓口の指定席券売機で、
買い忘れていた青春18きっぷを購入し、
これで間違いなく全ての準備が整い、当日を待つだけとなった。

しかし家に帰って準備を開始した時に大変なことに気付いた。
今まで使っていた旅行用カメラバッグのファスナーが故障していたのだ。



これには目が点になった。
カメラ本体を仕舞うことは可能だが、
後ろ側がチェックを閉まらないと持ち歩くのは難しい。
この段階で出発まで5日しかなく、21日木曜日は休みだが、
通院のためにバッグを探し歩く時間もない。
そこでネットで同じ物を再購入しようとして探してみた。
リュックタイプのカメラバッグは、

 tamrac Adventure 8

というものを使っていて、
カメラはレンズ部分を下にして入れるタイプである。
鉄道写真の場合、急に撮影が必要になることも多く、
取り出しやすさが第一条件となる。
このバッグはそれに適っているのだ。
しかしネットで探してみたが、ヤフオクなどでしか見当たらず、
ケンコー・トキナーのホームページで“Tamrac”を見てみたが、
リュックのコーナーに“Adventure”のブランドは既になかった。
仕方がないのでAmazonで探して、
HAKUBAカメラリュックSP-BS-BPMBKを見つけて発注、
それは7月21日木曜日、4:00p.m.から6:00p.m.の指定で配達依頼、
この日は有休を取って病院に検査受診していて、
帰宅時間で配達指定しておいたのだ。



一眼レフカメラは左側の横から入れるタイプである。
これではちょっと出し入れが面倒だが、急いで買ったので仕方がない。
薄型ならノートパソコンも収納可能になっている。
並べてみてみるとやはり少し大きいことが分かる。
側面のポケットがないので、収納力は少なくなっている。
三脚を持ち歩くことも想定しているので仕方がない。
ボトルポケットもあるので中に入れる必要がなく、
その分上部にいろいろなものを仕舞える。
価格は8,192円でクーポン使用で819円値引き、計7,373円だった。
これで本当に出発準備は完了した。


 9.東京駅丸の内の朝と「はやぶさ101号」−旅の始まり

今回は事前の天気予報でも概ね晴れとなっていた。
7月24日日曜日も雲は多かったが、
それでも雨の気配はなかった。
駅に向かって歩いて行くと、
下り快速線留置線に“千葉あずさ”が停まっている。
これは幕張本郷の幕張車両センターから回送され、
快速列車の合間を縫って千葉駅まで行き、
千葉始発の特急「あずさ」として運用される。
2週間後にはこれに乗って岡谷まで行き、
飯田線乗り潰しにリベンジする予定である。
幕張駅の改札口まで行き、青春18きっぷの1回(人)に、
「ありがとうございます JR東日本 7.24 幕張駅」と検印を貰う。



切符を駅員から渡してもらう時、
「いってらっしゃい」と声を掛けて貰った。
ちょっとした心遣いが嬉しい。
「行ってきます」と返事をして上り1番線、2番線ホームに降りる。
いよいよここから2022夏の青春18きっぷの旅の始まりである。
06:05発の総武緩行線・中野行で41分かけて秋葉原まで行く。
8分のの乗り換えで京浜東北線・大船行で東京まで出る。



青春18きっぷで丸の内南改札口の有人改札から外に出る。
ここから新幹線で一ノ関まで行くが、
青春18きっぷでは新幹線には乗れないため、
別途購入した「はやぶさ101号」の新幹線指定席特急券と、
東京都区内から一ノ関までの乗車券が一枚になった切符で、
丸の内南口自動改札を入場して、
そのまま新幹線改札口まで行って入場・・・しようと思ったが、
改札を通れず切符が戻ってきてしまった。
よく見てみるとJR東海の東海道新幹線の改札だった。
とほほ・・・。
改めてJR東日本の新幹線改札口を入場する。



改札を入り、21番線ホームに上がっていく。
既に「はやぶさ101号」充当のE5系は停車していた。



売店で駅弁を購入して「はやぶさ101号」に乗り込む。



予約した座席は5号車9番E席である。
普通席で少し狭いが、それでも乗り心地は良かった。
日曜の下り方面ということもあって、
乗車率は2〜3割程度だった。
座席に着くと早速購入した駅弁「なつ」を喰った。
一ノ関までは2時間5分の旅で、ゆったりと旅することが出来た。


 10.一ノ関の大槻三代と東口の留置車両

東京駅を07:16に出たE5系「はやぶさ101号」は、
上野、大宮と停車して仙台まではノンストップ、
仙台からは各駅に停車して終点の盛岡まで行く。
08:50に仙台を出ると、古川、くりこま高原と停車して一ノ関に行く。



多少雲は多いものの、青空も見えていていい天気だった。
一ノ関で下車して新幹線改札口から在来線に出る。
まずは玄関口である西口に出て駅取材する。

JR一ノ関駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する東北本線の駅であり、
また東北新幹線のホームも設置されていて、
相対式2面2線構造の高架ホームを有している。
在来線の単式ホームは1番線に付番され、
東北本線下りが使用、島式ホームは2番線、3番線に付番され、
2番線は東北本線下りが使用、
一ノ関は大船渡線の起点駅でもあり、3番線を発着する。
東北新幹線は11番線が下り新青森方面が使用、
12番線が上り東京方面が使用する。
ホームは副本線に設置されていて、
その間に通過線の上下主本線が設置されている。
大船渡線は一ノ関から気仙沼を経由して盛までを結ぶ105.7kmの非電化単線だったが、
2011年3月11日の東日本大震災で全線不通になり、
その後、一ノ関から気仙沼までは再開されたが、
被害が大きかった気仙沼から盛りまでの区間は鉄道での再開は断念され、
BRTへの転換が決定、2013年3月2日から運行が開始された。
大船渡線は路線が大きく蛇行している様子から、
“ドラゴンレール大船渡線”という愛称が付けられている。
一ノ関駅は1890年4月16日に日本鉄道が、
岩切から一ノ関まで延伸したのど同時に開業した。
この路線は現在の東北本線とは別のルートであり、
一般的に“山線”と呼ばれている。
後に短絡ルートが開設され、山線は廃止された。
しかし岩切から利府の区間は残され、
“利府支線”などと呼ばれている。
日本鉄道は1906年11月1日に国有化され、
1909年10月12日に線路名称制定で東北本線の所属駅となる。
1925年7月16日には大船渡線が摺沢までが部分開業した。
1982年6月23日に東北新幹線が大宮-盛岡で部分開業している。



一ノ関駅西口には「大槻三賢人」の銅像が建っている。
大槻三代の胸像には以下のような解説文がついていた。

  大槻三代

 大槻玄沢(げんたく 一七五七−一八二七)正面像
  一ノ関藩医大槻玄梁の子、今の一関市中里に生まれる。
  号は磐水、我が国蘭学の先駆者であり、
  杉田玄白、前野良沢の教えを受け蘭学を開花せしめた。
  「蘭学階梯」「重訂解体新書」を著した。
 大槻盤渓(ばんけい 一八〇一−一八七八)左像
  大槻玄沢の次男、儒学者で幕末にあって開国論を主張し、
  日本の進路を予見した。
  「孟子約解」「近古史談」「献芹微喪」を著し、
  佐久間象山、福沢諭吉等にも親交があった。
 大月文彦(ふみひこ 一八四七−一九二八)右像
  大槻盤渓の三男、国語学者、史伝家、
  我が国初めての国語辞書「言海」を著し日本の近代化に大きく貢献した。
  「広日本文典」等時折中里でも執筆。「大言海」編纂中に逝く。

          建立 社団法人 一関青年会議所



大槻玄沢正面像



大槻盤渓左像



大月文彦右像

一ノ関での乗り換え時間は56分あり、
時間があるので東口まで行ってみた。
こちら側は駅というよりは“東口交流センター”となっており、
公民館や観光館的な役割を果たしている。



また一ノ関駅東口に隣接して一ノ関運輸区が設置されている。



一ノ関運輸区は大船渡線、北上線、東北本線で使用される気動車の車両基地で、
現在は国鉄形車両は淘汰され、キハ100系のみの所属である。
よく見るとキハ100-3「POKEMON with YOU トレイン」が見える。
余談だが、市の名前は「一関市」と表記するが、駅名では「一ノ関駅」となる。


 11.大船渡線鉄道区間の完乗と気仙沼の予定変更

一ノ関東口で少しゆっくり取材して、再入場する。
この地域は災害と隣り合わせの地域で、
東口駅舎を兼ねている“東口交流センター”には、
洪水の水位がどの位まで達したかの看板が設置されていた。



“昭和22年9月カスリン台風洪水位”と、
“昭和23年9月アイオン台風洪水位”が紹介されていた。



空は雲はあるものの相変わらず青空が広がっていた。
56分の乗り換え時間を十分に取材に当て、
東口から入場してホームで大船渡線の列車を待つ。
充当されていたのはキハ100-42とキハ100-44で、
両運転台の本来は単行用の車両だが、連結して使われていた。



10:17に一ノ関を出たキハ100形2両編成は、
1時間28分かけて気仙沼まで行く。
気仙沼での乗り換え時間は1時間58分で、
13:43発の大船渡線BRTに乗り換える。
この乗り換え時間を利用して、
事前に調べていたとんかつ店で昼食を喰うことにする。
・・・と思っていたが、まだそれほど腹も減っていなかったので、
ここでガッツリとんかつを喰う気になれず、
予定を変更して1本前のダイヤの11:57に乗り込むことにした。
気仙沼駅の駅取材して、到着した大船渡線BRTに乗り込む。



昼食を抜きにして、旅を急ぐことにした。
途中で昼食を喰えそうなところを見つけたら、
そこで喰えばいい。


 12.大船渡線BRTと陸前高田−左脛打撲

予定を1本前倒しして、11:57気仙沼発の大船渡線BRTに乗り込む。
乗り込むとは煮バスのステップから足を踏み外し、
左脛をステップの縁にぶつけてしまった。
この時はただ痛いと思っただけだったが、
ホテルでスラックスを脱いだ時に大きく瘡蓋が出来ているのに気付いた。



BRTとはBus Rapid Transit(バス・ラピッド・トランジット)の略で、
バス高速輸送システムのことである。
通常の路線バスとは違い、専用道路を利用することによって、
渋滞に巻き込まれずに運行出来る。
また、一般車両の走行する道路と交差する時も、
優先走行することが可能で、遅延を極力抑えることが出来る。
JR東日本が導入した大船渡線BRT、気仙沼線BRTは、
東日本大震災で被災した鉄道線の廃線跡を利用し、
BRT専用道路に転用している。
ただ、一部の区間は一般道を走行することで、
専用道の管理維持費の軽減にも繋げている。
また、一部区間は高速道路を通行することで、
専用道より早く運行することが出来ている。

大船渡線BRTの専用道区間は、

 気仙沼から鹿折唐桑間
 竹駒から陸前矢作間
 小友から盛間

で、気仙沼から鹿折唐桑の間は幾つかのトンネルもある。
ここを出ると一般道を走行し、
八幡大橋(東陵高校)から唐桑大沢の区間では、
自動車専用道路の三陸沿岸道路を通過する。
路線バスが高速道路を走るのは珍しい。
今回は利用客がみんな着席出来ていたが、
混雑時は立ち客もいる筈で、
その分運転も慎重にしなければならない。



陸前高田に着く前には車窓から奇跡の一本松も見えた。
奇跡の一本松とは東日本大震災の時、
この地に植林された松のほとんどは津波で浚われてしまったが、
奇跡的に1本だけ残った松のことである。
しかしその後枯死と判断、保存作業が加えられ、
震災遺稿として保存された。
12:36に陸前高田に到着する。
陸前高田から上り方面に乗り換えて陸前矢作を目指すが、
途中車窓から飲食店が並んでいるのを発見し、
ここで昼食を取ることにした。



しかし実際店の前まで行ってみると、何処も外まで列が出来ている。
ちょうど昼食時だったから仕方がない。
ここでの昼食は諦めて、先に陸前矢作まで行くことにした。



陸前高田はもともと大船渡線の駅であったが、
鉄道時代の所在地は現在地より南西に約400mの位置にあった。
BRT陸前高田駅には鉄道時代を模した駅舎が設置されていた。
また近くには慰霊碑も設置されていた。
12:58陸前高田始発陸前矢作行きのBRTに乗り込んだ。


 13.大船渡線BRTの完乗と盛の彷徨

陸前高田12:58始発の陸前矢作行きのBRTに乗り込み、
終点の陸前矢作を目指す。
陸前矢作も鉄道時代に駅のあった場所だが、
路線バスとしては少し離れた場所に当たるため、
陸前高田からの支線的な位置づけとなっており、
直通するダイヤは盛からの上りダイヤのみである。
そのため気仙沼から陸前矢作に行く場合は、
陸前高田で乗り換えなければならない。
陸前高田から陸前矢作へのBRTは、
竹駒から専用道路を走行することになる。



 ※車窓から見た竹駒停留所

陸前高田からのBRTは13:16に陸前矢作に到着する。
ここでの乗り換え時間は8分で、この間に停留所を取材する。



停留所の写真を撮っていると直ぐに始発のBRTが停留所に来る。
13:23に陸前矢作を出た大船渡線BRTは約1時間で盛に到着する。
小友からは専用道路に入る。



 ※車窓からみた小友停留所

専用道路に入ると窓からは青く美しい海が見えた。



こんなに綺麗な海も、時には凶器となって人々を襲う。
自然の前では人間は如何に無力化を感じていた。
14:20には大船渡に到着した。
ここで宿泊予定だったが、乗り潰しのために終点の盛まで行く。
田茂山を過ぎる頃には左手に線路が見えてきた。
三陸鉄道リアス線の線路である。



また駅直前には三陸鉄道運行本部大船渡派出所があり、
留置されている三陸鉄道の気動車も見える。
盛駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線構造の地上ホームを有している。
また三陸鉄道リアス線も接続する。
JR大船渡線BRTと三陸鉄道は駅舎が独立しているが、
駅構内では一緒になっている。
駅舎に隣接する単式ホームは1番線に付番され、
大船渡線BRT降車専用となっている。
島式ホームの内側は2番線に付番され、大船渡線BRTが使用。
1番線、2番線側には既に線路はなく、舗装されている。
島式ホームの外側は3番線に付番、三陸鉄道リアス線が使用する。
単式ホームと島式ホームとは跨線橋で結ばれている。



三陸鉄道盛駅の前には「三陸鉄道ここに始まる」という石碑がある。
駅取材してスマホで昼食を喰える場所を探すが、
検索に引っかかった場所にたどり着けず、
結局盛で昼食を喰うことは諦めた。
大船渡まで戻り、ここで食事出来る場所を探そう。
盛駅に戻ってホームでBRTが来るのを待つ。



跨線橋からは折り返しのBRTが停車しているのが見えた。
時間になるまでここで運転手が休憩しているのだろう。
安全運転のためには十分な休憩は必要だ。
15:16盛発の陸前矢作行きに乗り、大船度を目指す。
約5分で大船渡に到着する。


 14.昼食の断念と三陸鉄道新造車両−クウェートへの感謝

盛駅近辺で昼食を喰えるところを探したが、
上手く見つけられず、ここでの昼食を断念した。
駅に入ってBRTの到着を待っていると、
三陸鉄道の気動車が入線してきた。



これは折り返し久慈行きになる。
入線した車両は36-704だった。
三陸鉄道36-700形は東日本大震災の被災で、
廃車になった車両の代替に製造された車両である。
36-701から36-703の3両は、
クウェート国からの支援で製造された。
36-704は2014年に自社負担で製造された車両だが、
クウェート国への支援の言葉が車両に掲示されている。



そこにはアラビア語、英語、日本語が併記され、
英語では「We greatly appreciate the support from the State of Kuwaie.」と書かれ、
日本語では「クウェート国からの支援に感謝します。」と書かれている。

これを取材して、BRTを待っていると、盛行きが到着した。
駅舎に近接した1番線ホームに停車している。



外見は普通の路線バスであり、特に変わったことはない。
余談だが、リスのキャラクターは“おっぽくん”と云うらしい。
前面には「運行速度60キロメートル毎時以下」と書かれている。
高速走行時もこの速度を維持するということなのだろう。
立ち客も想定されるので当然かもしれない。



盛を15:16に発車するBRTに乗り込んで大船渡まで行く。
15:21に大船渡に到着し、今日のBRTの旅は終了である。
予定していたホテルルートイン大船渡は、
車窓から場所を確認していたので、迷わず行くことが出来た。


 15.大船渡の夜と朝−予想外の雨

盛をから約5分で大船渡に到着する。
大船渡は既に駅舎はなく、停留所が設置されているだけだった。
かもめテラスやキヤッセンを通り、
ホテルルートイン大船渡に行く。



目立つ建物だったので、陸前矢作から盛に向かう途中、
車窓から場所を確認していた。
ホテルにチェックインして部屋に入る。



ビジネスホテルでは壁際に机のあるタイプが多いが、
ここはひとり用のソファが設置されていた。



チェックイン時に翌朝の“ご朝食券”とコインが渡される。



このコインはネット予約限定で渡されるもので、
ホテル内の指定された自販機で使用出来る。
BOSSのボトルコーヒーを貰った。
ホテルに到着したのが4:00p.m.前だったので、
近隣の飲食店はランチタイムとディナータイムの狭間だったのだ。
まずはセブンイレブン大舟渡野々田店に行き買い物する。
ホテルに戻って時間を潰し、5:00p.m.を待って再び外出する。
しかし予定していた「ガガニコ食堂」は閉店していた。
仕方がないので当たりを散策して、
「オオフナトのケムリ」という店に入り、
昼食と夕食兼用で四元豚丼・大盛を喰う。
普段はしないのだが、昼食を喰っていなかったので大盛にした。



ホテルに戻る途中に気付いたのだが、
大船渡は海の近くの筈だが、全く見えなかった。
コンクリートの高い防波堤が設置されていたのだ。
勿論あれだけの大災害を経験したのだから仕方がないかもしれないが、
大船渡は海の見えない街になっていた。



ホテルに戻り、セブンイレブンで購入したビールなどでまったりする。
飲み始めが早すぎたためか、早めに寝てしまった。

翌朝、5:00a.m.にアラームを掛けて起床する。
ホテルの大浴場が5:00a.m.から開くのだ。



しかし窓の外を見て目が点になった。
本降りの雨だったのである。
一昨日確認した時もこの2日間は晴れになっていた。
昨日のうちに天気予報が変わっていたのだろうか。
朝風呂を愉しみ、部屋に戻って6:30a.m.を待ち、
1階「花茶屋」に行ってホテルの無料バイキングで朝食を喰う。



ご飯、みそ汁、スクランブルエッグ、ベーコン、焼鯖、クリームコロッケ、
鶏の梅肉磯辺揚げ、唐揚げ、菠薐草のキッシュ、チキンのレモンソース炒め、
肉団子の甘酢あんかけ、ほうじ茶、レタス、ポテトサラダ、コーヒーなど。
部屋に戻って支度をして、時間まで待ち、
チェックアウトして大船渡電停まで行く。
本当は早めに出て大船渡の朝の写真を撮るつもりだったが、
雨のために中止した。
しかし雨宿りしていたおかげで、
ホテルをチェックアウトした時には傘の必要がない程度に止みかけていた。


 16.営業外の盛と気仙沼での検印

朝から本降りの雨で時間ギリギリまでホテルを雨宿りし、
盛行きの発車時間08:50の10分前にホテルを出る。
雨は止みかけていて、ほとんど傘の必要のないくらいになっていた。



大船渡停留所はもともと大船渡線大船渡駅のあった場所だが、
鉄道線時代の駅舎は津波に浚われ消失してしまった。



ホームに立つと程なくして盛方面のBRTが到着した。
ここからは青春18きっぷの2回(人)を使用するが、
大船渡線BRT大船渡停留所は無人駅のため、
乗車証明だけ取ってそのまま乗り込み、
盛で降りる時に運転手に青春18きっぷ使用の旨を伝えて下車した。
ここの窓口で検印してもらう・・・予定だったが、
まさかの営業時間外だった。
とほほ・・・。
仕方がないので盛でそのまま10分の乗り換え時間を待ち、
09:06盛始発の快速BRTで気仙沼を目指す。
この区間は昨日既に乗車済である。



雨は止んだものの、まだ霞は山の頂上に掛かっており日差しはない。
今日は思ったよりも悪天候なのかもしれない。
鹿折唐桑からは再び専用区間に入り、気仙沼を目指す。



一般道走行中の車窓から鹿折唐桑停留所が見える。
手前にタクシーが止まっているところが、
鉄道駅時代の駅前ロータリー部分である。
BRT化後も残されているようである。
1時間17分掛けて大船渡線BRTを完乗し、10:23に気仙沼に到着した。



快速運転だったが、通過した停留所は高田病院、高田高校前、
そして陸前今泉の3つに停まらなかっただけであった。
気仙沼で下車して窓口へ行き、青春18きっぷに検印をお願いする。
しかし窓口の駅員は「記念にですか?」などと云っている。
そこで、大船渡と盛の乗車証明を渡し、
青春18きっぷの今日の分を使いたい旨を説明して、
2回(人)に駅名と日付の入った検印を押印するようにお願いした。
この駅ではここから青春18きっぷを使う人はいなかったのだろうか。
それでも「ありがとうございます JR東日本 7.25 気仙沼駅」と押印して貰った。
ここからいよいよ気仙沼線BRTと鉄道線の気仙沼線の乗り潰しに挑戦する。


 17.気仙沼線BRTと本吉の40分

大船渡線は気仙沼から盛までが、
気仙沼線は気仙沼から柳津までがBRTに転換されている。
つまり気仙沼では上下線にBRTが走っているが、ここで運転系統が変わる。



 ※大船渡線BRT盛方面



 ※気仙沼線BRT柳津方面

盛から気仙沼終着のBRTで気仙沼まで来て、
24分の乗り換えで気仙沼始発の本吉行きに乗り換える。

気仙沼線は前谷地から気仙沼までを結ぶ非電化単線として、
1977年12月11日に90.3kmが全通したが、
東日本大震災により一部区間が廃止、BRT転換され、
現在の鉄道線は17.5kmとなっている。
気仙沼線は明治期の三陸縦貫鉄道構想が礎になっており、
大船渡線の一部として1956年4月11日に、
気仙沼から気仙沼港の区間が開業したのが始まりである。
翌年、1957年2月11日に南気仙沼から分岐して本吉までが開業、
南気仙沼から気仙沼港の区間が支線としてともに気仙沼線として独立した。
一方、1968年10月24日には現在の鉄道線区間である、
前谷地から柳津の区間が柳津線として開業した。
1977年12月11日に柳津から本吉の区間が開業、
柳津線を編入して全通した。
支線の南気仙沼から気仙沼港の貨物線1.3kmは、
1979年11月1日に廃止された。
2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災、
同年4月29日に前谷地から柳津の区間が運転再開したが、
残された区間は被害が深刻で鉄道での復旧は断念され、
2012年12月22日に柳津から気仙沼間が気仙沼線BRTに転換された。

終点の柳津まで行くダイヤもあるが、
乗り込んだBRTは本吉止まりだった。



本吉は1957年2月11日に南気仙沼から部分開業した時に、
終着駅として開業した駅だった。
BRTに転換された現在は相対式2面2線構造だが、
鉄道駅時代は島式1面2線の地上ホームを有していた。
1番線は下り気仙沼方面、2番線は上り前谷地方面が使用していた。
駅舎はリニューアルされているが、鉄道時代のものを使用している。



本吉での乗り換え時間は40分で、ここで次のBRTを待っていると、
ポツポツと小雨が降り出した。
まだ雨雲は残っているようだった。


 18.気仙沼線BRTと一般道走行の意味

ポツポツと雨が降ってきたため、
40分の待ち時間は本吉の駅舎内で雨宿りする。



 ※本吉停留所から見た柳津方面

気仙沼線は非電化単線であったため、
吉本駅は上下線の列車交換が出来る島式ホームだった。
BRTの停留所に変更するのに当たって、
島式ホームから相対式に変更された。
バス車両の場合、進行方向に対して必ず左側に降りる必要があるので、
島式ホームにすると右側にホームが来てしまうのだ。
12:03に気仙沼から来たBRTが到着し、
これに乗ってBRTの終点である柳津を目指す。
一部のダイヤでは鉄道線の終点である前谷地まで行くものもあるが、
今回は勿論鉄道の乗り潰しが目的であるため、
柳津で下車することにした。

事前に調べたダイヤでは、

 10:45気仙沼※−気仙沼線BRT(38)−11:23本吉[40]
 12:03本吉−大舟渡線BRT(67/1:07)−13:10柳津[20]
 13:30柳津※−気仙沼線・小牛田行(36)−14:06小牛田[39]

だったが、何時の間にかダイヤ改正されていたようで、
実際のダイヤは、

 10:45気仙沼※−気仙沼線BRT(40)−11:25本吉[47]
 12:13本吉−大舟渡線BRT(66/1:06)−13:19柳津[11]
 13:30柳津※−気仙沼線・小牛田行(36)−14:06小牛田[39]

だった。
しかし実際旅をしている時にはこのことに気付かず、
1:10p.m.を過ぎても柳津に到着せず、遅れているのかと思っていた。
しかも予定では陸前戸倉から再び専用道に入る筈だったが、
運転手から「一般道を走行します。」と車内アナウンスがあり、
専用道には入らず一般道を走行していった。
旅行当時には一般道を走行しているため、遅延しているのかと思っていた。



車窓からは本来走る筈の鉄道線から転用されたBRT専用道が見える。
この時は一般道を走行する意味が分からなかったが、
家に戻ってからネットで調べてその意味を理解した。
2022年5月9日から同年11月30日まで、
柳津から陸前戸倉までのBRT専用道を閉鎖し、
自動運転の実証実験を行うそうである。
将来的な運転手不足に備えるため、
路線バスでも自動運転が必要な時代が来るのかもしれない。
13:19に柳津に到着し、ここで慌てて駅取材してから気動車に乗り換える。



駅前には専用道と駅前の一般道を繋ぐ出入口が見えた。
BRT以外の車両が間違って侵入しないように、
道路は警告色のオレンジに塗られ、
大きく「進入禁止」と書かれていた。
駅舎は「津山町観光物産館ゆうキャビン」と兼ねている。
この時は駅舎の中には入れなかった。



ホームにはキハ110-239が停車している。
これは「奥の細道」仕様になっていた。
これに乗って36分掛けて小牛田を目指す。
気仙沼線鉄道線は柳津から前谷地までだが、
石巻線に乗り入れ小牛田まで直通する。
昨日、一ノ関から気仙沼までキハ100系に乗って以来の鉄道車両である。
ディーゼルエンジンの音と揺れを愉しみながら、小牛田を目指す。


 19.気仙沼線鉄道区間の完乗と小牛田の逡巡

13:30に柳津を出たキハ110-239は、
鉄道線として残された17.5kmを各駅に停車して前谷地まで行き、
ここから石巻線に乗り入れ、小牛田を目指す。
36分の旅で14:06に小牛田に到着する。
小牛田は鉄道の要衝で、小牛田運輸区が併設されており、
また4番線の外側には非電化留置線があり、
ディーゼル機関車や貨物車などが留置されている。
小牛田での乗り換え時間は39分で、
この間に昼食を強行して取ることにしていた。
しかし側線には多くのキヤE195系1000番台が留置されていた。

キヤE195系はJR東海が導入したキヤ97系のJR東日本版と云える、
事業用気動車で、レールの運搬を専門とした車両である。
国鉄時代はチキと呼ばれた長物車を機関車が牽引するスタイルだったが、
経年劣化による代替として、動力分散方式の気動車による自走方式が採用され、
JR東海が開発したのがキヤ97系事業用気動車である。
この車両を踏襲してJR東日本が自社発注したのがキヤE195系で、
JR東海と同様、0番台は150mロングレール用、1000番台は25m定尺レール用である。
基本設計は同一だが、地域性を考慮して、耐寒・耐雪構造やATS機器類の変更を行っている。
2両1ユニットの固定編成で、東北本線盛岡方がキヤE195形1000番台、
上野方がキヤE195形1100番台となっている。

これを取材したかったが2日連続で昼食抜きは辛いので、
これは諦めて改札を出て昼食を喰うことにした。
事前に調べていた「丸竹食堂」でとりちゅうを喰い、駅に戻った。
小牛田駅は2002年6月8日に訪問済みで、
駅舎自体も変わりはないが、
20年前は確か1階に改札があったが、
今は2階に改札が移動して、1階は素通り出来るようになっていた。



更に20年前にはなかった東口が新設されていた。
たぶん、東口までの跨線橋を改札外にするために、
改札の位置を移動したのだろう。
10分前に駅まで戻れたので、発車直前まで側線の車両取材を強行する。



 ※側線留置中のキヤE195-1007+キヤE195-1107



 ※側線留置中のキヤE195-1003+キヤE195-1103



 ※側線留置中のキヤE195-1006+キヤE195-1106

更にはディーゼル機関車や気動車も取材する。
カラフルなラッピングのキハ111-3も見掛けた。
東口からなら取材可能だろうと思ったが、
さすがに出発寸前で東口に出るのは不可能である。
次の列車で仙台まで出て、
予定していた仙石線の取材は断念しようとも思ったが、
次の列車が何時にあり、それで仙台に戻って帰りの新幹線に間に合うのか、
出発寸前のため調べている暇もなかった。
これらは断念して予定通り、14:45に乗り込んで仙台に向かった。

家に戻ってから調べたところ、
次の列車は約1時間後の15:33の列車で、
これに乗って仙台に行き、仙石線の取材を断念した場合、

 13:30柳津※−気仙沼線・小牛田行(36)−14:06小牛田[1:27]
 15:33小牛田※−東北本線・仙台行(46)−16:19仙台[113/1:53]
 18:12仙台※−東北新幹線「やまびこ218号」(152/2:32)−20:44東京[16]

仙台で2時間弱の余裕が出来ていた。
ここで事前に予定していた小鶴新田の取材を強行した場合、

 13:30柳津※−気仙沼線・小牛田行(36)−14:06小牛田[1:27]
 15:33小牛田※−東北本線・仙台行(46)−16:19仙台[113/1:53]
 16:40仙台−仙石線・東塩釜行(10)−16:50小鶴新田[18]
 17:12小鶴新田※−仙石線・あおば通行(10)−17:22仙台[50]
 18:12仙台※−東北新幹線「やまびこ218号」(152/2:32)−20:44東京[16]

仙台での乗り換え時間は50分になり、夕食を喰うには十分の時間があった。
次に小牛田に行く機会があったら東口の取材時間も考慮して、
70mm−300mmの持参して敷地外からアップの写真も撮影したい。


 20.仙石線取材−小鶴新田駅

予定通り、14:45小牛田発で46分かけて仙台まで出る。
仙台に到着したのは15:31でホームからいったん2階コンコースに出て、
このあと地下に設置されている仙石線ホームに移動する。
仙石線は1925年6月5日に、
宮城電気鉄道が仙台から西塩釜までを敷設したのが始まりで、
戦時中の1944年5月1日に宮城電気鉄道は国有化され、仙石線となった。
2000年3月11日には仙台から陸前原ノ町までが地下化された。
宮城電気鉄道が直流で電化したため、
東北本線などが交流電化されている中で、異端の存在になっている。
現在も元山手線の205系3100番台が使用されている。
山手線からの改造、転籍は4両編成19本だったが、
東日本大震災でM7編成とM9編成が廃車となった。

予定では15:49東塩釜行で小鶴新田に行くことにしていたが、
15:39あおば通行きに間に合ったので先ずはそれに乗り、
あおば通始発15:48で小鶴新田へと向かう。



JR小鶴新田駅は相対式2面2線の地上ホームを有する仙石線の駅である。
橋上駅舎化され、画像は北口で、跨線橋は東西自由通路の役割も果たしている。
この一帯はもともと広大な水田地帯だったが、
土地区画整理事業によって宅地化され、
それに合わせて2004年3月13日に開業した。
駅の所在地は宮城県仙台市宮城野区新田東三丁目で、
計画段階の駅名も“新田東”だった。
駅名の“小鶴”は平安時代の三十六歌仙の一人である源重之の歌にも見られ、
戦国時代には小鶴城という平城があった。
“新田”は仙台藩二代藩主伊達忠宗によってこの地が開拓され、
新田町と称された事に由来する。


 21.追加の仙石線取材−陸前高砂と中野栄

小鶴新田で駅取材を終え、
本来ならこのあと仙台に戻って1時間44分の乗り換え時間で、
夕食とホームの車両取材を予定していたが、
小牛田で東口駅舎取材を断念した贖罪も含め、
ホームでの車両取材の時間を返上し、
追加で駅取材することにした。



隣の福田町は既に取材済だったため、
2つ先の陸前高砂まで行くことにした。



陸前高砂は相対式2面2線の地上ホームを有する仙石線の駅である。
1番線は仙石線上りあおば通方面、2番線は下り石巻方面が使用する。
駅舎は1番線に隣接され、2番線ホームとは跨線橋で結ばれている。
仙石線は1925年6月5日に、
宮城電気鉄道が仙台から西塩釜までを敷設したのが始まりで、
陸前高砂もこの時同時に開業した。



陸前高砂でホームに入場すると、
205系2100番台2WAY車を見掛けた。
これはクロスシートとロングシートの転換可能車両で、
快速運転時にクロスシート車として使用されていたが、
しかし現在では仙石東北ラインの登場で快速が廃止されたため、
ロングシートに固定されて運用されている。

このあと更に隣の中野栄も取材することにした。



JR中野栄駅は相対式2面2線の地上ホームを有する仙石線の駅である。
1番線は下り石巻方面、2番線はあおば通方面が使用する。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。
中野栄が開業したのは1981年4月1日である。
駅所在地は宮城県仙台市宮城野区栄四丁目だが、
旧地名は“中野字栄”で、開業前の仮称は“中野”だった。

16:54中野栄発のあおば通行きに乗り込み、仙台まで戻る。
仙台に到着したのは17:12だった。


 22.仙台の夕食と切迫した発車時間−旅の終わり

深追いの仙石線2駅の追加取材で仙台に戻ったのは17:12だった。
帰りの新幹線は18:12でちょうど1時間の乗り換え時間である。
時間がなかったら夕食は駅弁購入でもいいかなと思っていたが、
1時間あれば十分に夕食を喰うことが出来る。
まずは外に出て仙台駅の駅舎取材をする。



そのあと駅ビルに戻って牛たん通りすし通りに行く。
ここは仙台駅西口の3階部分にある飲食店街で、
仙台名物の牛タン店と寿司店に特化している。
その中で今まで何回か入ったことのある、
「伊達の牛たん・牛たん通り店」に入店する。
予定では「伊達の牛たん本舗・本店」に行くつもりだったが、
さすがにその時間はなかった。
今までは行列に並んで入店していたが、
今回はコロナ過の影響もあってか、並ばずに入店出来た。
カウンターに通され、オーダーは牛タン&チーズハンバーグ1,630円にした。
しかし料理に時間が掛かっているのかなかなか提供されず、
料理が出てきたのは新幹線発車の30分前だった。
慌てて食べて何とか出発15分前には喰い終わる。



新幹線改札を事前に購入していた切符で入場する。
売店でお土産やビールなどを購入してホームに上がる。
既に「やまびこ218号」充当のE2系は停車していた。



予約していた6号車7番E席に座る。
18:12仙台始発の東北新幹線「やまびこ218号」で帰京する。
乗り込んだ時にはまた日差しは残っていたが、
途中、日が暮れていった。



車内では売店で買ったビールでまったりしていた。



購入したビールは“花鳥風月”という生ビールだった。
2時間32分かけて東京まで戻る。
東京到着は20:44で16分の乗り換え時間で、
21:00東京始発総武快速線で津田沼まで行き、
総武緩行線に乗り換えて帰宅する。

 −参考資料−

 予定していた乗り潰し区間


 大船渡線/一ノ関−気仙沼

 大船渡線BRT専用道区間/

  気仙沼−鹿折唐桑
  竹駒−陸前矢作
  小友−盛

 気仙沼線/前谷地−柳津

 気仙沼線BRT専用道区間/

  気仙沼−大谷まち
  本吉−清水浜
  陸前戸倉−柳津

このうち陸前戸倉から柳津の区間は、
自動運転の実証試験のため使用中止となり、
一般道の移動となってしまった。
鉄道区間ではないのでこの区間の乗り潰しは敢えてリベンジしないが、
今後機会があったら乗ってみてもいい。





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