富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅



 1.富山地方鉄道の設立と軌道線未乗車区間

富山地方鉄道は富山を中心に鉄道線と軌道線を所有する地方鉄道で、
富山電気鉄道を母体に1943年施行の「陸上交通事業調整法」に基づき、
現在の鉄道線の本線の一部と立山線の一部を所有していた富山電気鉄道を中心に、
加越鉄道、富山県営鉄道、黒部鉄道、越中鉄道、富山市営軌道の6社が合併して誕生した。
この大合併の前にも富山電気鉄道は立山線の一部となる立山鉄道、
現在の不二越線を所有していた富南鉄道、富岩線を所有していた富岩鉄道を合併している。
富岩線はのちに国鉄富山港線となり、現在の富山ライトレールとなった。

現在の鉄道路線の所有路線は電鉄富山から宇奈月温泉までの本線53.3km、
本線の寺田から分岐して立山までの立山線24.2km、
稲荷町から南富山までの不二越線3.3km、
南富山から岩峅寺までの上滝線12.4kmの4路線を所有する。

市内線は1913年9月1日に富山電気軌道として開業し、
1920年7月1日に富山市に譲渡され、
一時は市営電車であった時期もある。
戦時中に富山電気鉄道に譲渡され、
富山地方鉄道市内線として再出発した。

地方の路面電車がそうであるように、
富山地方鉄道軌道線も路面を縮小したが、
2009年12月23日に循環線である富山都心線を新設、
さらにJR富山港線を引き継いだ誕生した富山ライトレールを、
北陸新幹線開業に合わせて在来線富山駅も高架化され、
2020年3月21日に富山港線と直通運転を開始、
直通に先立って同年2月22日に富山ライトレールを合併している。

富山地方鉄道市内線のうち、本線、支線、安野屋線、呉羽線、
富山都心線、富山駅南北接続線は乗車済だが、
富山港線は富山地方鉄道市内線としては全区間未乗車である。
富山ライトレール時代には既に全区間乗車済、全電停も取材済だったが、
合併に伴い、富山地方鉄道市内線としては全区間未乗車となる。
また、合併時にオークスカナルパークホテル富山前停留場と、
龍谷富山高校前(永楽町)の2つの電停が新設された。
また本線の中町(西町北)電停が未取材のままである。
そこで本線の中町(西町北)と富山駅南北接続線の富山駅、
富山港線の全電停を取材対象に1日がかりで十分に取材したい。


 2.万葉線の設立と軌道線未乗車区間

万葉線は北陸本線高岡駅から越ノ潟までを結ぶ12.8kmの路線で、
そのうち10kmは単線区間である。
その路線は高岡軌道線と新湊港線(鉄道線)とに分かれる。
高岡軌道線は1948年から富山地方鉄道によって作られ、
1959年に加越能鉄道に譲渡された。
新湊港線は1922年の射水電気軌道に始まり、
1943年施行の「陸上交通事業調整法」で富山電気鉄道に譲渡され、
1966年に富山新港建設によって分断されて、
高岡側が加越能鉄道に譲渡された。
加越能鉄道の鉄道事業撤退から廃線の危機にあったが、
高岡市や新湊市が中心となって、
第三セクターの万葉線株式会社が設立され、
2002年2月に再出発した。
2011年8月28日にJR高岡駅が橋上駅舎化され、
それに伴い2014年3月29日に駅ビルが完成、
万葉線高岡駅が北口ロータリーから駅舎内に移動、
そのため営業距離が0.1km延長された。

この延伸により万葉線完乗がたった0.1kmだが未乗車区間が出来てしまった。
この区間の乗り潰しのため、高岡まで行って末広町まで乗車し、
帰りは徒歩で戻ろうかと思ったが、
移転に伴い高岡駅前電停が高岡駅電停に名称変更され、
更に本丸会館前電停がを急患医療センター前電停に改称された。
2016年10月11日には射水市役所の新庁舎完成により新湊庁舎が廃止、
そのため射水市新湊庁舎前駅を西新湊駅に改称している。
そこで乗り潰しの他にこの3つの電停の乗り潰し、
またドラえもん装飾を施したドラえもん電停となった、
志貴野中学校前(高岡市役所前)も取材対象に加え、
4つの電停を取材したい。
またアイトラムも未取材車両があるし、
ドラえもんのラッピングが施された、“ドラえもんトラム”も取材したい。

そこでこれらの取材のために1日乗車券を利用してゆっくりと取材するのもいい。
富山地方鉄道の取材と絡め、1泊2日の旅を計画してみる。


 3.旅行計画−第1案と第2案

2020年10月の段階では万葉線は延伸区間の乗り潰ししか考えていなかった。
そのため2日目にこの区間を乗り潰し、
金沢まで出て昼食を喰い、新幹線で帰郷する計画を考えていた。

 2021年秋 日曜日

06:16東京発の北陸新幹線「かがやき501号」で富山までで、
富山地方鉄道・市内電車・バス1日ふりーきっぷ650円を購入、
未取材電停を取材して富山地鉄ホテルにチェックインする。

 2021年秋 月曜日

ホテルをチェックアウトして07:52富山発のあいの風とやま鉄道線で高岡まで移動、
高岡駅から万葉線で片原町まで行き、ここから高岡駅まで徒歩移動する。
10:03高岡発のあいの風とやま鉄道線・IRいしかわ鉄道で40分掛け、
10:43に金沢に到着、昼食を喰ってから、
北陸新幹線「はくたか546号」で東京まで戻る。
東京到着時間は15:52で、これなら翌日仕事でも体調管理は可能だろう。


しかし2021年3月になり、改めて計画を見直した。
その中で万葉線の本丸会館前電停と射水市新湊庁舎前駅が名称変更していた。
さらに志貴野中学校前(高岡市役所前)が“ドラえもんトラム”化されていた。
これらの取材をするためには一日乗車券を購入し、
他の電停や車両取材も含めて一日がかりで取材したい。
そこで9月21日火曜日に計画年休を取得、
9月19日日曜日、20日月曜日敬老の日の1泊2日で決行することにした。
21日火曜日を休養日に当てることにして、
夜遅くまでの活動を可能にした。

 2021年9月19日日曜日

この日は前回と同じ北陸新幹線「かがやき501号」で富山に行き、
未取材電停を取材して富山地鉄ホテルにチェックインする。

 2021年9月20日月曜日敬老の日

富山地鉄ホテルをチェックアウトして旅行用バッグをコインロッカーに預け、
あいの風とやま鉄道線で高岡まで移動する。
万葉線1日フリーきっぷを購入して6時間55分の滞在時間で、
高岡駅や名称変更、デザイン変更した電停と未取材車両を取材する。
15:07高岡発であいの風とやま鉄道線で富山まで戻る。
コインロッカーから荷物を取り出し、
16:16富山発の北陸新幹線「はくたか510号」で東京に戻る。
乗車時間は2時間12分で、帰りはグランクラスを利用する。
車内で軽食が提供されるため、駅弁を買う必要もなく、
ゆったりと帰ってくることに出来る。

この計画で4月1日木曜日の夜に富山地鉄ホテルのホームページにアクセスし、

 チェックイン日時:2021年09月19日20:00
 宿泊日数:1泊
 部屋タイプ:【禁煙】スーペリアシングル
 プラン名:★スーペリアシングル早割2WEEKプラン♪♪(朝食付き)
 チェックイン可能時間:15:00〜26:00
 チェックアウト時間:11:00
 支払料金:6,400円(税込・サービス料込)

の内容で予約を入れた。
1ヶ月前の8月19日を待って半幹線の切符を購入し、
あとは当日を待つだけ・・・の予定だった。


 4.グランクラスの中止と再開−旅行計画の決定

2021年7月になって突然驚きの情報が飛び込んできた。
JR東日本、JR北海道、JR西日本の連名で、
「グランクラス(飲料・軽食あり)の車内サービス中止について」の発表があった。
それによると「新幹線グランクラスアテンダントの新型コロナウイルス感染が確認されたため、
グランクラス(飲料・軽食あり)の車内サービスを以下のとおり中止いたします。
サービスを再開する際は、あらためてお知らせいたします。」とのこと。
これには目が点になった。
期間は文書が発表になった翌日の7月16日金曜日以降、当面の間とされ、
すべてのグランクラス(飲料・軽食あり)の営業を中止して発売を見合わせる。
グランクラス(飲料・軽食なし)は発売を継続するとのこと。
グランクラスの座席は利用出来るが、サービスは全く受けられない。
乗車前に駅弁やビールなどを買って持ち込むことは出来るが、
それではグランクラスに乗る意味が見いだせない。
それならグリーン車で十分である。

その後、8月3日にJR東日本、JR北海道、JR西日本の連名で、
「グランクラス(飲料・軽食あり)の車内サービス再開について」との発表があり、
アテンダントの感染が収束して環境が整ったとのことで、
8月6日金曜日から飲料・軽食提供のサービスは再開された。
しかし「当面の間は酒類の提供を休止します。」とのこと。

飲料・軽食提供のサービス再開はしたものの、酒類は提供されない。
アルコール好きとしてはこれはちょっと厳しい。
この“当面の間”がどれくらいか分からないが、
新幹線の起点である東京都が緊急事態宣言中で、
飲食店に対して酒類の提供を中止するように求めている間は、
新幹線だけ特別扱いというのは難しいだろう。
そこでやはりグランクラスは諦め、グリーン車で帰京することにした。
それならば帰りの新幹線を繰り下げて、富山で夕食を喰うのもいい。

 2021年9月19日日曜日

北陸新幹線「かがやき501号」のグリーン車で2時間9分で富山まで行く。
富山地方鉄道・市内電車・バス1日ふりーきっぷ650円を購入、
未取材電停と富山ライトレールから移管された電停を再取材する。
詳細な訪問時間は決めず、現場判断で取材を進めていく。
この日は富山地鉄ホテルに宿泊する。

 2021年9月20日月曜日敬老の日

ホテルバイキングで朝食を喰ってからチェックアウト、
あいの風とやま鉄道で高岡まで行き、
万葉線1日フリーきっぷ900円を購入、
全駅取材済ではあるが、名称変更や再取材したい電停を取材、
16:52高岡始発のあいの風とやま鉄道線で富山まで戻り、
富山で夕食を喰ったあと北陸新幹線「はくたか514号」で帰京する。
しかし・・・。


 5.新型コロナ拡大と緊急事態宣言の延長−計画中止の決断

2021年9月19日日曜日、20日月曜日の約1ヶ月前、
新幹線の切符を購入する直前の8月17日火曜日、
東京都に、埼玉県、千葉県、神奈川県、大阪府、
茨城県、栃木県、群馬県、静岡県、京都府、兵庫県に発出されていた緊急事態宣言が、
8月30日までの期限が9月12日まで延長された。
旅行の区間は延長期間には入っていないが、
この日の全国の感染者数は1万9954人で、
あと2週間で感染者数が激減するとはこの段階では考えられなかった。
再延長は容易に考えられた。
そこでこの計画は中止という決断をした。
8月19日木曜日に「富山地鉄ホテル」のホームページにアクセスし、
4月2日金曜日に予約した、

 部屋タイプ:【禁煙】スーペリアシングル
 プラン名:★スーペリアシングル早割2WEEKプラン♪♪(朝食付き)

のキャンセルの手続きをした。
この計画は来年以降、感染状況を見て考えよう。

予測通り、9月9日木曜日に緊急事態前言の再延長が発表され、
北海道、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、岐阜県、静岡県、
愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、広島県、福岡県、沖縄県の都道府県が、
9月30日木曜日まで延長されることになった。
中止の決断はやはり正しかった。


 6.11月飛び石連休への移植−計画決定

2021年5月3日日曜日から1泊2日で予定していた、
京都大阪乗り潰しの旅は感染拡大のため中止、
6月20日日曜日からの1泊2日再度計画したが、
新型コロナの感染拡大が止まらず、
この計画も中止することになった。
最初の計画から半年後、11月21日日曜日と、
23日火曜日の勤労感謝の日の飛び石連休を間の月曜に有休を取得、
3連休にしてここの計画を移植する検討をした。
11月21日日曜日から1泊で計画し、
新大阪のホテルも予約したのだが、
8月には新型コロナ感染が拡大して、
8月18日水曜日のネットニュースでは、
大阪府で一日の感染者数が2000人を越え、
過去最多になったと書かれていた。
8月の段階では今後の感染状況は読めず、
11月の飛び石連休での決行は断念して、
2022年5月のゴールデンウィークに移植することにした。

しかし11月の飛び石連休は旅行に適しており、
富山県なら感染状況もそこまで酷くなっていないと判断、
9月の計画をそのまま、11月の飛び石連休に移植することにした。
その計画に合わせ、8月19日木曜日に「富山地鉄ホテル」のホームページにアクセスし、

 チェックイン日時:2021年11月21日20:00
 部屋タイプ:【禁煙】スーペリアシングル
 プラン名:★スーペリアシングル早割2WEEKプラン♪♪(朝食付き)
 チェックイン可能時間:15:00〜26:00
 チェックアウト時間:11:00

で予約した。
グランクラスでの酒類提供は未だに解禁されていないため、
やはり往復ともグリーン車を使用し、
11月22日月曜日の夕食は富山で取ることにした。

計画の1ヶ月前、10月21日に東船橋の指定席券売機で幕張から富山までの乗車券と、
11月21日東京から富山までの「かがやき501号」の新幹線特急券・グリーン券を購入、
翌日も東船橋の指定席券売機で10月22日に富山から幕張までの乗車券と、
11月22日富山から東京までの「かがやき514号」の新幹線特急券・グリーン券を購入した。


 7.雨の予報と前日の計画変更

1ヶ月前に新幹線の切符も購入し、あとは当日を待つだけとなった。
しかし11月21日日曜日の1週間前の天気予報では、
21日日曜日、22日月曜日ともに雨になっていた。
今回は両日とも一日中外での撮影を中心に計画していたので、
雨は最大の敵と云える。
16日火曜日に日本気象協会のtenki.jpで確認したところ、
21日日曜日18時〜24時に降水確率70%、
22日月曜日は一日中70%〜90%、
高岡市、射水市も同じ予報だった。
21日日曜日は何とか取材できそうだが、
22日月曜日はずっと雨のようだ。
これだと万葉線の取材は不可能と云える。
2日前の19日金曜日夜に確認したところ、
射水市の22日月曜日の予報は、
0時〜6時は晴のち曇で降水確率は40%だったが、
6時〜12時で降水確率は50%、降水量は1mm、
12時〜18時だと100%、22mmと本降りの予報だった。
そこで前日、20日土曜日の出社前、急遽予定を組み直した。
22日月曜日は午前中はそれほど雨は強くない。
そこで万葉線の電停取材はドラえもん電停となった、
志貴野中学校前のみとして午前中のうちに富山に戻り、
帰りの新幹線までの時間は富山地方鉄道市内線の車両取材に費やす。
21日日曜日はもともとの計画で実行、
22日月曜日のみ予定を書き直した。

11月22日月曜日

ホテルでバイキングの朝食をとったあとチェックアウトし、
駅のコインロッカーに旅行用バッグを預け、
07:52富山発のあいの風とやま鉄道線で高岡に移動、
08:30高岡駅発の万葉線で志貴野中学校前まで行き、
ドラえもん電停を取材し、09:11発で高岡駅まで戻る。
今回は万葉線1日フリーきっぷ900円は購入せず、
現金での支払いをすることにすることにして、
片道200円で往復400円、100円玉4枚を事前に用意する。
09:48高岡発のあいの風とやま鉄道線で富山に戻り、
ここから新幹線の時間まで富山地方鉄道市内線の車両取材する。
昼食は「ラーメン一心・富山駅前本店」、
夕食は「白えび亭」の白えび天丼を予定している。
時間いっぱいまで車両取材し、コインロッカーから荷物を取り出して、
16:16富山発の北陸新幹線「はくたか510号」で帰京する。
この計画を入力してプリントアウトし、持参することにした。
しかし、ここで自分の鉄道旅行至上最大の大失態を犯したのである。


 8.早朝の出発とグリーン車の「かがやき」−旅の始まり

前日の20日土曜日は自宅に生ゴミを起きたくないという意味もあり、
夕食は仕事帰りに「富士そば・津田沼店」で、
ミニカレーセット、かけそばを選択、550円を喰う。
自宅に戻り、荷物のチェックやスマホの充電などを確認して入浴し、
歯を磨いたあと飲酒せずに早めに就寝する。
それでも仕事の終わりは9:00p.m.で、
寄り道して帰宅したため、就寝は11:30p.m.過ぎになってしまった。
翌日は4:00a.m.にアラームをかけて起床し、
昨夜タイマーセットした洗濯機の洗い物を室内干しし、
予定通りに家を出て04:56幕張発の総武緩行線に乗車する。



富山までの切符を購入してあるので、
Suicaをタッチしないように気をつけなければならない。
日曜日ということもあって車内は思ったほど混んでいなかった。
総武緩行線で秋葉原まで行き、京浜東北線で東京まで行く。
乗り換え時間は27分で、新幹線改札口に、
ここまでの乗車券と新幹線特急券を重ねて入れて入場する。



まだ予定していた「かがやき501号」は入線していなかった。
売店で駅弁「東北福興弁当」1,200円やお茶などを買い、待合室で到着を待つ。
6:00a.m.を過ぎた頃に「かがやき501号」充当の列車が入線してくる。



充当されていた車両はJR西日本所有のW7系W8編成だった。



今回はグランクラスではなく、グリーン車に席を取った。
車内は利用率は6割くらいで、ここも思ったほど混んでいなかった。


 9.富山駅の到着とSL静態保存機

東京駅を06:16定時に発車した「かがやき501号」は、
2時間9分かけて富山に到着する。
グリーン車の予約座席は11号車12番A席である。



E7系、W7系は今まで普通席、グランクラスに乗ったことはあるものの、
グリーン車に乗った記憶はなく、初めてのグリーン車体験である。
北陸新幹線は太平洋側から日本海側に列島を縦断する。
在来線時代にはアプト式のラックレールを用いたり、
補助機を連結しての粘着運転など、碓氷峠越えには苦労したが、
北陸新幹線はトンネルで長野まで至るルートで建設された。



東京駅を出た時は闇に包まれていたが、
長野駅を出たところでは薄曇りの中、太陽が昇っていた。
08:25定時に富山駅に到着し、下車する。
改札を出て、まずは富山地方鉄道・市内電車・バス1日ふりーきっぷを購入する。
販売所が分からなかったため、駅の案内書で尋ねた。
北口を出たところに富山地方鉄道の販売所があると教えられ、
そこに行って市内電車・バス1日ふりーきっぷを購入する。



価格は650円で、今日使うと云ったらスクラッチを削ってくれた。



今日はこれを使って富山地方鉄道市内線の取材する予定だが、
その前にこの販売所に向かう時に偶然この先の公園にSLを見つけてしまった。
そこで市内電車取材の前にまずはこれを取材する。



保存されていたのは9600形9628号機で、
案内板には「9628号は大正3年10月27日川崎造船所兵庫工場で製作され、
地球606周を越える24,654,247kmを走行し、使命を全うしました。」とある。


 10.富山港線取材−オークスカナルパークホテル富山前と龍谷富山高校前(永楽町)

富山駅北口で偶然見つけた9600形9628号機を取材し、
改めてここから富山地方鉄道富山港線の取材をする。

富山港線を最初に敷設したのは富岩鉄道で、
1924年7月23日に富山口(現・廃止)から、
岩瀬港(現・岩瀬浜)までの区間が敷設された。
1928年には富山口から富山まで延伸され全通した。
富岩鉄道は1941年12月1日に路線を富山電気鉄道に譲渡し、
路線名を富岩線に変更、富岩鉄道は解散した。
富山電気鉄道は陸上交通事業調整法によって、
1943年1月1日に富山県内の鉄道を統合、
会社名を富山地方鉄道に変更した。
しかし富岩線は戦時買収により国有化され、国鉄富山港線となった。
国有化されたものの、北陸本線は交流電化区間、
富山港線は直流電化区間であったため、
直流電車で折り返し運転され、北陸本線からの直通の設定はなかった。
旧型電車廃車後には交直流電車が使用されたものの、
直通されることはなく、国鉄分割民営化後はJR西日本に引き継がれ、
旅客減少から廃止も検討されることになり、
富山市が中心となって設立された第三セクターの富山地方鉄道に引き継がれた。
2006年3月1日にJR西日本富山港線は廃止され、
奥田中学校前から供用区間に入り、富山駅北までの区間を新設、
同年4月29日より富山ライトレールとしてLRT化された。
北陸新幹線金沢延伸に併せ、在来線も高架化され、
富山地方鉄道史内線と直通運転が計画され、
2020年2月22日に富山ライトレールは富山地方鉄道に吸収合併された。
富山港線は戦時買収されてから77年経って再び富山地方鉄道の路線になった。
同年3月21日に富山港線は富山軌道線と相互直通が開始された。

2020年3月21日の相互直通の準備として、
北口駅前まで乗り入れていた富山北電停は、
オーパードホールの横に仮設の電停を設置して、
駅前工事のために場所を提供した。



 ※仮設時代の富山ライトレール富山駅北電停
 ※撮影日時 2019/09/15 13:41:17

この仮設の富山駅北電停は2020年3月21日の、
富山軌道線の相互直通によって廃止された。
しかし富山駅とインテック本社前の間に電停があった方が、
オーバードホールや富山市総合体育館、富岩運河環水公園、
富山県美術館などへのアクセス利便性がいいとして、
旧・富山駅北仮設電停の近くに2021年3月21日に電停が新設された。



電停は命名権をオークスカナルパークホテル富山が取得、
電停名は「オークスカナルパークホテル富山前」となった。
ここを取材して2つ先の龍谷富山高校前(永楽町)に行く。

ここはインテック本社前と奥田中学校前の間に新設された電停で、
龍谷富山高校を運営する学校法人藤命名権を命名権を取得、
電停名が「龍谷富山高校前(永楽町)」となった。



この区間もバス停はあるものの、富山ライトレール時代は電停間が長く、
近くにある高校生にとっては通学にも便利だろう。
今回の富山旅行はこの2つの電停の取材と、
富山駅から廃止された富山駅北仮設電停の区間の乗り潰しだった。
この時点で今回の旅行の目的は達成された。


 11.富山港線取材−奥田中学校前と下奥井

龍谷富山高校前(永楽町)を取材して隣の奥田中学校前に行く。
ここは富山ライトレール時代から供用区間と専用区間の境目の駅である。



路上から大きく90度カーブして専用区間に入り、
直ぐに電停が設置されている。



国鉄、JR西日本時代の富山港線はここから直進して北陸本線に合流していた。
富山ライトレールに転換された時、ここから先の区間を廃止して、
路面電車として道路区間を走行する形態に変更、
ここから先の供用区間は富山ライトレールによって新設された。
そのため、鉄道としてはここに0キロポストが設置されている。



線路には地上設備が設置されているのが見える。



これは地上子と呼ばれる装置で、
この部分を通過することによってと列車の位置を確認出来る。
ここからは富岩鉄道によって敷設された区間になる。
富山ライトレールに転換された時に鉄道事業法適用区間と、
軌道法適用区間の境目として電停が設置された。

次に隣の下奥井に行く。
ここは1927年6月1日に富岩鉄道が路線を敷設した時に、
同時に駅が設置された場所である。



国鉄、JR時代は相対式2面2線構造で列車のすれ違いも可能であったが、
のちに単式1面1面構造に変更された。
現在は千鳥式2面1線構造である。
千鳥式とは上下線のホームが千鳥足のようにずれて設置されるもので、
路面電車などでは十字路に設置する電停の場合、
交通渋滞を緩和するため、
右左折車両の少ない側に電停を設置したりする時に採用される。
このあと3つ先の城川原電停に向かう。


 12.富山港線取材−城川原と岩瀬浜

城川原電停も富岩鉄道が1924年7月23日に、
富山口(現・廃止)から岩瀬港(現・岩瀬浜)までの区間が開業した時、
同時に開業した駅であり、車両基地も併設していた。
1943年6月1日に国有化されたが、
国鉄時代の1955年1月16日に富山運輸区が設置され、
国鉄末期まで車両基地だけでなく、運輸区も設置されていた。
その流れでLRT化され、
富山ライトレールに転換された時にはここに本社が設置された。
富山地方鉄道に合併後は南富山運転区城川原管理所となった。



ホームは相対式2面2線構造で、構内踏切で結ばれている。



旧本社の1階は待合室にもなっていて、
路面電車としては珍しく、室内で列車を待つことが出来る。
壁には「頑張れ!富山ライトレール」と書かれた額と、
「七色のポートラム」の歌詞が掲げられていた。



牧野好男作詞、佐藤進作曲と書かれているが、
残念ながらこの歌を聴いたことはない。
富山県民ならお馴染みの歌なのだろうか。

このあとそのまま終点の岩瀬浜まで行く。
岩瀬浜も富岩鉄道が路線を敷設した時、
終点として岩瀬港の名称で開業した駅である。



現在は電停ホームの反対側がバス停となっており、
電車の到着とあわせて出発するフィルダーバスが運行されている。
ここが終点として、車止めが設置されている。



岩瀬浜駅は富山ライトレール転換直前、
JR西日本富山港線時代の2005年7月22日に訪問している。



 ※JR富山港線岩瀬浜駅
 ※撮影日時 2005/07/22 8:43:38

この時は475系が充当されていた。



 ※岩瀬浜駅ホーム停車中の475系
 ※撮影日時 2005/07/22 8:41:10

475系は国鉄急行形457系列の交直流電車で、
交流区間が60Hzのみ対応の電動機出力120kW、抑速ブレーキ搭載のグループである。



 ※JR西日本時代の車止め。
 ※撮影日時 2005/07/22 8:47:27

ここを十分に取材して、10:46富山大学前行きの列車に乗り込み、
昼食を喰うためにまずは丸の内電停を目指す。


 13.富山港線取材−丸の内と大手モールと中町(西町北)

岩瀬浜を10:46に出た富山大学前行きは、11:20に丸の内に到着する。
乗り込んだ列車は岩瀬浜と富山大学前の区間を往復する5系統だった。



今回は事前に調べたとんかつ店で昼食を喰うことにしていて、
最寄りの電停はグランドプラザ前である。
グランドプラザ前電停は富山都心線の運転系統なので、
富山駅でも乗り換えられるが、支線の終点の丸の内でも乗り換えられる。
富山都心線は新規開業区間は国際会議場前からグランドプラザ前だが、
運用上は本線、支線と繋がり一方向の循環路線となっている。
丸の内から本線、支線を循環する3系統に乗り換え、
大手モールで下車した。



ここから事前に自宅でプリントアウトしておいた地図を見て、
予定していたとんかつ店を目指す。
しかし幾ら歩き回っても目指していたとんかつ店にたどり着けなかった。
その途中で中町(西町北)に偶然たどり着き、そこを取材する。



結局、予定していたとんかつ店は見つけられず、
仕方がないので駅前まで行き、ここで飲食店を探すことにした。

現地では全く気付かなかったのだが、
地図上では最寄り電停はグランドプラザ前なのだが、
降りた電停は大手モールで全くの勘違いだった。
しかも大手モールから交差点を左折してグランドプラザ前に至るため、
地図上にはない城址大通りに出てしまい、パニクった。
勿論、南北の移動のつもりで東西に移動しているため、
予定していたとんかつ店には辿り着く筈もなかった。


 14.富山港線取材−トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前(五福末広町)と富山大学前

中町(西町北)電停から電鉄富山駅・エスタ前まで戻り、
駅前で昼食を喰えるようなところを探す。



とやマルシェの中も考えたが、
以前来た時に気になっていた「ガッツリ!えびすこ」に行き、
富山ブラックラーメン850円を喰うことにした。
そのあと5系統でトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)に行く。



この電停は富山電気軌道時代の1916年11月22日に、
「新大橋西詰」の名称で開業した。
富山電気軌道は1920年7月1日に路線を富山市に譲渡、
富山市営軌道の路線となった。
1937年4月10日に電停名を「富山大橋西詰」に改称、
その後、時期は不明だが越中鉄道新富山駅の最寄りのことから、
電停名を「新富山駅前」に改称した。
しかし越中鉄道の路線を引き継いだ富山地方鉄道射水線が
1980年4月1日に廃止されると、
電停名を「新富山」に変更した。
「新富山電停」時代の2008年7月27日にここを訪問している。



 ※新富山電停時代のトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)
 ※撮影日時 2008/07/27 10:03:45

2012年3月24日に大学前寄りに120m移動、五福交差点東詰へ移設された。
2015年3月14日、富山トヨペットがネーミングライツを取得、
電停名が「富山トヨペット本社前(五福末広町)」に変更された。
その後、富山トヨペットが企業統合により本社を移転、
本社のあった場所はトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前となったことから、
2021年1月1日、電停名を「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前」と変更した。



移転後は複線に相対式ホームが設置される形の電停になっている。

次に隣の富山大学前電停に行く。



ここは呉羽線の終点の電停で、現在の呉羽線は1.4kmの区間だが、
もともと呉羽線は呉羽公園までの区間が敷設されていた。
開業は富山電気軌道時代の1916年11月22日で、
開業時は富山大学前に「大学前」電停があり、
ここは五福公園五福野球広場の最寄りから、
1954年3月20日に「球場前」の電停名で開業した。
1969年10月1日に球場前から大学前の区間が廃止され、
球場前電停が新たに「大学前」の電停名に変更された。
ここも2008年7月27日に訪問していている。



 ※大学前電停時代の富山大学前
 ※撮影日時 2008/07/27 10:21:52

ここから5系統の電車を待って乗り込み、
このあとは再び富山港線の取材に入る。


 15.富山港線取材−犬島新町と蓮町(馬場記念公園前)

ここからは午前中、残した電停の取材に挑戦する。
時間的に全て取材できるか分からないが、
光量的に限界まで取材することにする。
まずは犬島新町に行く。
千鳥配置のホームが設置されている電停で、
高屋敷田踏切を挟んで上下のホームが千鳥式に配置されている。



犬島新町は国鉄時代には駅はなく、
富山ライトレールに転換されたのと同時に電停が設置された。
この付近は線路が真っ直ぐ延びていて、
隣の電停も遠くに見ることが出来る。



隣の蓮町(馬場記念公園前)電停を出た富山方面の電車が見える。
これを見送り、岩瀬浜方面の電車を待って乗車する。
そして隣の蓮町(馬場記念公園前)電停に行く。



ここは1924年7月23日に富岩鉄道が敷設された時、
同時に「蓮町」の名称で駅が設置された。
富山ライトレール時代も「蓮町」の電停名だったが、
富山地方鉄道に吸収合併後の2020年3月21日に、
電停名を「蓮町(馬場記念公園前)」に変更された。
この電停も千鳥配置にホームが設置されている。
1番線の岩瀬浜方面を出ると道路を挟んで電停名にもある、
馬場記念公園が広がる。



公園の前には銅板で「馬場記念公園の由来と経緯」が設置されていた。

  当地は、富山市東岩瀬町の素封家馬場はる様の篤志により、
 大正十三年四月に開設された公立七年制の旧制富山高等学校の校舎跡地である。
  同校はその後、昭和十八年三月三十日に官立に移管され、
 さらに昭和二十四年四月七日に国立富山大学文理学部となったが、
 昭和三十七年三月に五幅キャンパスに移転したため、
 廃校となり旧校舎は取り壊された。
  長年多くの学生や学校関係者、そして地域住民から親しまれた伝統ある学園の地は
 昭和四十六年四月に市民の憩いの場として解放され、
 馬場はる様の遺徳をしのび、馬場記念公園と命名された。

公園の中はちょうど銀杏が黄色く色づいていた。



ここで少しまったりしてから再び電停取材に挑んだ。


 16.富山港線取材−萩浦小学校前と競輪場前

蓮町(馬場記念公園前)から隣の萩浦小学校前まで行き、下車する。
萩浦小学校前電停は相対式2面2線構造である。



富岩鉄道が現在の富山港線を敷設したのは1924年7月23日で、
に富山口(現・廃止)から岩瀬港(現・岩瀬浜)の部分開業だった。
1928年には富山口から富山まで延伸され全通した。
部分開業、全通時にこの場所には駅はなかったが、
1936年12月27日に西ノ宮信号所が開設され、
ここで分岐して岩瀬埠頭(のちの富山港、現・廃止)まで支線が設置される。
1939年2月8日に西ノ宮信号所を廃止、日満工場前駅として開業する。
富岩鉄道は1941年12月1日に路線を富山電気鉄道に譲渡、
富山電気鉄道は陸上交通事業調整法によって、
1943年1月1日に富山県内の鉄道を統合して富山地方鉄道となった。
同年6月1日に富岩線は戦時買収により国有化され、
路線名が富山港線となり、同時に駅名も大広田に変更された。
国鉄分割民営化の直前、1986年11月1日に富山港までの支線が廃止された。
富山港線も旅客減少から廃止も検討されることになり、
富山市が中心となって設立された第三セクターの富山ライトレールに引き継がれ、
2006年3月1日にJR西日本富山港線は廃止、
同年4月29日より富山ライトレールとしてLRT化された。
2020年2月22日に富山ライトレールは富山地方鉄道に吸収合併、
同年3月21日に富山港線は富山軌道線と相互直通が開始された。
相互直通開始とともに電停名を萩浦小学校前に変更した。

国鉄、JR西日本時代、普通鉄道の大広田駅は単式1面1線だった。
富山ライトレールに転換するにあたり、
近接する場所に相対式2面2線ホームが設置された。



確認は取れていないが、富山港までの支線があった時代、
その名残かもしれない無駄な鉄道用地が確認出来る。
また、枕木は一部新品が使用されているものの、
多くは国鉄時代からのものと思われる、
朽ちた木の枕木が残っている。



萩浦小学校前を取材して、二つ先の競輪場前まで行く。
ここはその名の通り、富山競輪場に隣接する駅である。



ここに駅が出来たのは1959年4月18日で、
競輪場利用者のための仮乗降場として開業、
国鉄分割民営化後、JR西日本に引き継がれた時に、
仮乗降場から臨時駅に昇格した。



画像の待合室が完成したのは1993年6月19日で、
国鉄、JR西日本時代は富山競輪開催日のみ客扱いをしていたが、
2006年4月29日に富山ライトレールに転換されたのと同時に、
常設駅として競輪開催に関係なく停車することになった。
これもLRT化の恩恵と云えるだろう。


 17.富山港線取材−越中中島と粟島(大阪屋ショップ前)

競輪場前電停から上りに乗り換え、越中中島に行く。
ここは構内踏切を挟んで千鳥配置にホームが設置されている。



ここは富岩鉄道が部分開業した1924年7月23日に同時に開業した。
開業当時は「奥田中島」の駅名だったが、
戦時買収により1943年6月1日に路線が国有化されたのと同時に、
駅名を「越中中島」に改称した。
ここで下車すると、ホームの外にいた猫が上がってきた。
次の電車の待ち時間の間、ずっとこの猫と遊んでいた。



少し離れた位置でこちらを気にしている。



近づこうとすると背を向ける。



こちらが諦めるとまた誘ってくる。
このツンデレ感が溜まらなく愛おしい。
この子のおかげで待ち時間があっという間であった。

このあと隣の粟島(大阪屋ショップ前)に行く。
相対式2面2線構造になっている。



この電停はJR富山港線が廃止され、富山ライトレールに移管された時、
新規に電停を敷設したうちのひとつである。
電停名通り、大阪屋ショップ粟島店の駐車場に隣接している。



ここの電停は富山市を中心に富山県、石川県にチェーン展開している、
スーパーマーケット大阪屋ショップがネーミングライツを取得、
有償譲渡されたが、店名が括弧書きの中になったため、
販売価格を減額、正式名称は「粟島」で「粟島(大阪屋ショップ前)」は愛称とされたが、
駅名標が「粟島(大阪屋ショップ前)」となっているため、
括弧付きの電停名が多く使われているようである。


 18.富山港線取材−東岩瀬とインテック本社前

粟島(大阪屋ショップ前)から再び下りに乗って、
終点の2つ手前の東岩瀬に行く。



富山港線は富岩鉄道によって1924年7月23日に、
富山口(現・廃止)から岩瀬港(現・岩瀬浜)までの区間が敷設、
1928年には富山口から富山まで延伸され全通した。
部分開業の時にはここには駅が無かったが、
岩瀬港(現・岩瀬浜)に不便を感じていた旅客からの要望で、
部分開業より2ヶ月後の1924年9月20日に、
「越中岩瀬」の駅名で開業した。

東岩瀬はJR時代の駅舎がそのまま保存され、
休憩室として利用可能になっている。



またJRのホームも一部残されていて、
JR富山港線時代の面影を唯一感じることができる。



駅の横に設置された看板には以下のように書かれている。

  東岩瀬駅

 旧富山港線時代から唯一残る駅舎。
 富岩鉄道の駅として開業した当時からの駅舎は
富山ライトレールへの運行移管後も保存されており、
 2007年に改修され休憩施設として利用されている。
 旧ホームは、旧駅舎に差し掛かっている区間が保存されている。

  東岩瀬駅の歩み

 1924年(大正13年)富岩鉄道の越中岩瀬駅として開業。
 1941年(昭和16年)富岩鉄道の富山電気鉄道への路線譲渡(富岩線)
 1943年(昭和18年)国有化により、国鉄富山港線の駅となる。
 1950年(昭和25年)東岩瀬駅に改称。同時に、北陸本線東岩瀬駅が東富山駅に改称。
 1987年(昭和62年)国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
 2006年(平成18年)3月1日廃止。
            4月29日富山ライトレールの駅として再開業

国鉄、JR西日本の普通鉄道時代は単式1面1線構造だったが、
富山ライトレール転換の時に2面1線の千鳥配置に変更された。
1番線岩瀬浜方面は踏切を挟んだ反対側にあるが、
2番線は富山駅旧駅舎の反対側にある。



旧駅舎のホームには柵が設置されているが、
2番線ホームからは旧駅舎がよく見える。

このあと上り富山駅方面に乗り込み、最後に残ったインテック本社前に行く。
東岩瀬からインテック本社前までは21分の乗車時間で、
東岩瀬はまではまだ自然光で十分写真が撮れたが、
インテック本社前に到着した時には16:24で、既に日が暮れかけていた。



自然光撮影には限界ではあったが、これで富山港線の再取材は完了した。
空には上昇する光が見えた。



飛行機にしては角度が急すぎる。
もしかしたらロケットかミサイルなのかもしれない。(嘘!)


 19.富山スモーキーハイボールとますまおすし−富山の夜と朝

インテック本社前電停で取材を終え、
16:39南富山駅前行きに乗り込み隣の富山駅電停まで行く。
余談だが、隣のオークスカナルパークホテル富山前電停は、
岩瀬浜方面のみ停車し、富山駅方面は通過するため、
インテック本社前の南富山駅前方面の隣は富山駅電停となる。
富山駅に着いてまずはとやマルシェに行き、
夕食として「白えび亭」で白えび天丼1,260円を喰う。
喰い終わって外に出ると、完全に夜の帳が降りていた。



とやマルシェやおみやげ処で酒やつまみなどを購入し、
コインロッカーから荷物を取り出して、
予約していた富山地鉄ホテルにチェックインする。
部屋は禁煙・スーペリアシングルで、
「★スーペリアシングル早割2WEEKプラン♪♪(朝食付き)」、
料金は6,100円を予約していた。



部屋に入ってカメラのメンテナンスをしてから、
ますのおすしをつまみに、日本酒や缶ハイボールを飲む。
源のますのおすしは今まで何度か食べたことはあるが、
今回は「富富富」の新米を使用した期間限定品である。



日本酒は富山駅のおみやげ処で購入した、
若鶴酒造の「玲碧 苗加屋」300ml、
精米歩合55%、アルコール分16度と、
「若鶴 生貯蔵酒 辛口 玄」300ml、
精米歩合67%、アルコール分14度以上15度未満である。
更に若鶴酒造が造った「HARRY CRANES Craft Highball」も購入する。
“富山スモーキーハイボール”と書かれている。
缶の裏には、

  北陸でただひとつの、
  ウイスキー醸造所から。

 戦後の1952年よりウイスキー製造を開始し、
 スモーキーなウイスキーにこだわってきた
 三郎丸醸造所によるクラフトハイボールである。
 今までになかった本格的なハイボールを目指し、
 吟味を重ねてたどり着いたスモーキーな香りと
 キレのある飲み口をお楽しみ下さい。

と書かれている。アルコール分は8%である。
缶のデザインもシックでかっこいい。

翌日は早めに起きてシャワーを浴び、
6:30a.m.を待って2階まで降り、朝食会場「ラガール」に行く。
朝食はバイキング形式で、マスク着用、アルコール消毒と手袋を着用、
一方方向で料理を取っていく。



焼き鯖、つぼ煮、鰤大根、ます寿司、昆布蒲鉾、玉子焼、漬物、梅干し、サラダなど。
お替わりも入口から入り、新しい手袋を着用するようになっている。



牛すじカレーとコーヒーを追加して部屋に戻る。



朝のうちはまだ雨は降っておらず、曇りだった。
部屋に戻って歯を磨き、支度をして富山地鉄ホテルをチェックアウトする。
今日も再び荷物をコインロッカーに預け、
07:52富山発のあいの風とやま鉄道線で高岡まで行く。
切符がないのでSuicaを使用する。


 20.短絡計画の万葉線取材−雨の撤収と空白の午後

2日目、11月22日月曜日は平日だったため、
乗り込んだ電車は高校生で混雑していた。
富山で乗り込んだ時にはまだ雨は降っていなかったが、
20分の乗車で高岡に到着した時にはポツポツと雨粒が落ち始めていた。
取材前にLAWSON高岡駅北口店でビニール傘715円を購入、
万葉線の高岡駅電停に行って予定通りの08:30高岡駅発に乗り込む。
乗り込んだ車両はデ7070形7073号車で、
1967年製造の車齢50年以上の“チンチン電車”だった。



12分で志貴野中学校前に到着する。
今回は往復するだけなので運賃200円は現金で清算する。
この電停は高岡市出身である藤子・F・不二雄氏の、
「藤子・F・不二雄ギャラリー」の最寄り電停であるため、
上下線の電停ともドラえもん装飾を施したドラえもん電停になっている。
このギャラリーは高岡市立美術館内にあり、
志貴野中学校前電停から徒歩約10分の距離にある。
電停取材を終えて上り電車を待っていると、
突然激しい雨が降ってきた。
高岡駅まで戻ってSuicaで入場し、
側線に停まっている国鉄形気動車を取材する。



雪国らしく気動車だけでなく、ラッセルディーゼル機関車も停まっていた。
これらを十分に取材し、富山に戻ろうと思ったら、
隣のホームにIRいしかわ鉄道所属の521系が入線してきた。



今は北陸新幹線延伸開業に際して分離された北陸本線の石川県の区間は、
倶利伽羅から金沢までの17.8kmで、その分車両も2両編成×5本=10両しかない。
ほとんどがあいの風とやま鉄道の車両であるため、
IRいしかわ鉄道の車両を目撃するのは希である。
北陸新幹線は敦賀延伸されたらたぶん所属車両のバランスも変わるだろう。
これらを十分に取材し、09:48高岡始発の富山行で終点まで戻る。
富山に到着するとキハ120系が停車していたのでこれを取材する。
これで今回の旅の予定は全て終了していた。
帰りの新幹線までの時間が完全に空白になってしまった。


 21.土砂降りの富山と富山地鉄の車両取材

万葉線志貴野中学校前で降り出した雨は当然のことながら、
富山に戻ってもまだ激しく降り続いていた。



帰りの新幹線の時間まで時間が余ってしまったため、
富山駅南口の軒下から富山駅に向かって走る車両を取材する。
時には傘を差しての車両取材も決行とした。



未取材だった車両を含め、通過する列車を撮り続ける。
今日の昼食は「ラーメン一心・富山駅前本店」を予定していて、
開店前に車両取材を中断してここで黄金煮玉子ラーメンを喰う。
午後からも車両取材を決行するが、
今日営業運転している車両は全て撮り尽くすと、
いよいよ時間が余ってしまった。



前回富山駅北口のロータリーは未完成だったため、
ここの取材も予定に入れていたが、まだ完成していなかった。
ここはまた何時か富山に来た時の宿題としよう。



雨はいよいよ強くなってきて、時間を持て余していた。
帰りの新幹線は16:16富山発の北陸新幹線「はくたか510号」で、
3:45p.m.に撤収しておみやげ処でおみやげと駅弁を購入し、
コインロッカーから荷物を取り出し、新幹線改札口に向かった。
しかしこの時はまだ大失態に気付いていなかった。


 22.鉄道取材最大の失態−2時間前の帰京

帰りの新幹線の30分前におみやげや駅弁などを購入し、
新幹線改札口に向かった。
富山駅には天井からのライトで、床に光の模様を描いている。



天井からのカラーライト。



それを横目に見ながら新幹線改札口を通過する。



帰りの新幹線は16:16富山発の北陸新幹線「はくたか510号」である。
入線した新幹線に乗り込んで、グリーン車11号3番A席に行く。
するとそこには既に女性が座っていた。
彼女に切符を見せて貰うと正しい切符だった。
そこで改めて自分の切符を見て、自分の失敗に気付いた。
購入していた切符は「かがやき514号」だったのだ。



大変なミスをしてしまった。
鉄道マニアとして多少は鉄道に詳しいつもりでいたが、
これは万死に値する大失態である。
原因は旅行前日に10月22日月曜日の雨の予報を受けて、
万葉線の万葉線1日フリーきっぷを利用して、
16:52高岡発のあいの風とやま鉄道線で富山に戻る予定から、
志貴野中学校前電停のみの取材に変更した。
この時に予定の入力ミスをしていたのだ。
もともとの予定では、

  11月22日月曜

 16:52高岡※−あいの風とやま鉄道線・富山行(18)−17:10富山[51] \370

  ※夕食/ラーメン一心 富山駅前本店 17:30〜22:00(L.O.21:30)
    地鉄ビル前駅から61m

  ※コインロッカー取出

 18:16富山−北陸新幹線「かがやき514号」(2:07/127)−20:23東京[48]
 20:36東京※−総武快速線・君津行(29)−21:05津田沼[9]
 21:14津田沼−総武緩行線・千葉行(6)−21:19幕張

としていたのだが、前日に慌てて打ち直した時に、

  11月22日月曜日

 09:48高岡−あいの風とやま鉄道線・富山行(20)-10:08富山[368/6:08]

  ※昼食/ラーメン一心 富山駅前本店 11:30〜15:00(L.O.14:30)

  ※夕食/白えび亭 10:00〜21:30(L.O.21:00) 白えび天丼 \1,260

  ※コインロッカー取出

 16:16富山−北陸新幹線「はくたか510号」(2:12/132)−18:28東京[48]
 19:16東京※−総武快速線・千葉行(28)−19:44津田沼[4]
 19:48津田沼−総武緩行線・千葉行(5)−19:53幕張

と変更していた。
6:16p.m.富山発の新幹線に乗る予定を、16:16で入力してしまい、
その結果、本来乗るべき新幹線より2時間早い列車に乗り込んでしまった。
仕方がないので荷物を抱えたまま、通路を移動して車掌室を目指した。
途中、検札中の車掌を見つけ、乗り間違えたことを告げて相談した。
「かがやき」は富山を出ると長野までは停車しない。
既に「かがやき510号」は予約が満席になっている。
しかも全席指定で自由席はない。
車掌から空いている席で待っているように云われ、
少しして車掌が再び来て、予約したけど乗車のなかった席があり、
その席に振り替えして貰った。
切符に直接、11−15−Dと書いて貰った。
結果的にグリーン車で帰れることになった。



夕食は富山駅のおみやげ処で買った駅弁「雷鳥の歌」と、
ホームで購入したビールを飲みながら帰りの車内で喰う。
東京駅には18:28に到着、総武快速線で津田沼まで戻り、
総武緩行線に乗り換えて帰宅する。

今回の旅で富山地鉄市内線と万葉線の延伸部分の乗り潰しは達成、
また富山地鉄移管後の富山港線も完乗、全電停取材も完了した。
一方、富山駅北口の駅取材はまだ工事が完了していなかったために未達成、
万葉線も思うように取材できず、ドラえもんトラムも運休日だった。
これらはまたいずれ富山に来る機会があったら挑戦しよう。





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