青春の旅立ち−飯田線の旅リベンジ



 1.飯田線−現状と4つの歴史

飯田線は東海道本線豊橋と中央本線辰野の間を結ぶ、
地方交通線で、全区間がJR東海に所属している。
線路距離は195.7kmで、愛知県、静岡県、長野県の3県に跨がる。
豊橋から豊川間は複線だが、その先は単線となっている。
豊橋から小坂井駅手前の信号場まではJR東海が下り線、
名鉄が上り線を所有しており、
両社が共用することで複線として使用している。

飯田線はには豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道、
4つの鉄道会社が開業させた区間を、
国有化して一つの路線としたものである。

豊橋から大海までは豊川鉄道が開業させた。
1987年7月15日に豊橋から豊川までが開業され、
1900年9月23日に大海まで延伸した。
1925年には電化され、
1926年4月1日より愛知電気鉄道(現・名古屋鉄道)が、
小坂井から豊川まで乗り入れを開始した。

大海から三河川合までは、
1923年2月1日に鳳来寺鉄道が開業させた。
この区間も1925年7月に電化された。

三河川合から天竜峡までは、
1927年に設立された三信鉄道によって開業された。
地層のもろさや天竜川渓谷沿いという建設地であるために工事は困難を極め、
朝鮮半島からの労働者の過酷な労働条件や賃金未払いなど、
多くの問題をはらんだ中での工事だった。
三信鉄道は最初から電化開業させていた。
1932年10月30日に天竜峡から門島までが開業、
1933年12月21日には三河川合から三輪村からが開業した。
その後延伸をくり返し、1937年8月20日には、
最後まで残った小和田から大嵐までの区間が開業して全通した。

天竜峡から辰野までは伊那電気鉄道が開業させた。
設立当初は伊那電車軌道と名乗っていた。
1909年12月28日に辰野(後の西野、現廃止)から、
松島(現・伊那松島)までが軌道法によって開業した。
この区間は一部に供用区間も存在した。
この先は地方鉄道法による鉄道線として延伸開業していき、
1927年12月26日に天竜峡までの延伸が完成し、
辰野から天竜峡までが全通した。
国有鉄道の辰野まで乗り入れたことで、
伊那電気軌道辰野駅は西野に駅名を変更、
この駅は後に廃止された。
1919年には社名を伊那電気鉄道に変更し、
1923年3月16日には辰野から伊那松島間を経路変更し、
軌道法から鉄道法に変更した。

戦時中の1943年8月1日に伊那電気鉄道、三信鉄道、鳳来寺鉄道、豊川鉄道は、
鉄道路線が買収され国有化し、全線を飯田線とした。
1955年4月には佐久間ダム建設のため、
佐久間から大嵐の区間がルート変更された。


 2.2009年飯田線の旅

かつて飯田線中部天竜駅には「佐久間レールパーク」という、
鉄道車両保存展示施設が併設されていた。
しかも駅までの切符を有していれば入場は無料である。
しかしJR東海はJR東日本の「鉄道博物館」のように、
本格的な鉄道車両展示の博物館を建設する計画があり、
「佐久間レールパーク」は2009年11月1日で、
廃止されることが決まっていた。
ここで展示されていた車両の多くは、
あおなみ線金城ふ頭に建設予定の「JR東海博物館(仮)」に、
移設展示することになっていたのだ。
この「JR東海博物館(仮)」が、
2011年3月14日に開館した「リニア・鉄道館」である。

この廃止される「佐久間レールパーク」の見学を含め、
2009年8月8日土曜日に飯田線の乗り潰しを計画した。

 2009年8月8日土曜日

東京駅06:26始発の東海道新幹線「ひかり501号」で豊橋まで行き、
飯田線に乗り換えて2時間6分で中部天竜まで行く。
ここでの乗り換え時間は2時間18分で、
この時間を使って「佐久間レールパーク」を見学する。
12:40中部天竜発の飯田線で1時間25分かけて天竜峡まで行き、
天竜峡始発に乗り換えて3時間5分掛けて上諏訪まで行き、
17:44上諏訪発の「スーパーあずさ30号」に乗車する。
この特急で3時間6分かけて千葉まで行き、総武緩行線で帰る。


 3.2009年飯田線の未達−落石のバス代行

2009年夏季の青春18きっぷの4回目、
8月8日土曜日に予定通り、飯田線の旅を決行した。
「佐久間レールパーク」が土曜、日曜、祝日しか公開されないため、
土曜日に予定したのである。
青春18きっぷ4回(人)で幕張駅を入場、
東京まで行き、06:26始発の「ひかり501号」に乗り込む。
しかし豊橋で下車して在来線ホームに出てその事実を知った。
構内放送で「飯田線は落石のため、
一部区間がバス代行になっています。」と云っていた。
乗り込んだ08:12発の119系の車内放送でも、
「門島、唐笠間の 落石の復旧作業のため、
平岡から天竜峡間の間で運転を見合わせていて、
バスによる代行を行っています」とのこと。
しかも「所用時間は1時間30分程度を見込んでいます。」と云っていた。
そのため接続できない列車も出るかもしれないとのこと。
乗り込んだ列車もダイヤでは天竜峡行きなのだったが、
実際は平岡止まりになっていた。
それでも「佐久間レールパーク」はこの年の11月1日で閉鎖のため、
予定通り中部天竜で下車してここで車両取材し、
12:40中部天竜発の飯田線で平岡を目指した。
もともとこの列車も天竜峡行きだったのだが、
平岡から天竜峡まではバス代行になってしまった。



ここで飯田線の平岡から天竜峡の区間が未乗車区間として残ってしまった。
代行バスは途中駅に停車することなく天竜峡に直行したが、
それでも道路と線路とでは到着時間に差が出てしまう。
中部天竜から乗った電車のダイヤでは14:05に天竜峡に到着し、
30分の乗り換えで14:35始発に乗り換え、上諏訪を目指すことになっていたが、
実際に天竜峡に到着したのは14:36だった。
しかも14:35天竜峡始発の247Mはバスが駅に到着するのと同時に、
無情にも上諏訪に向かって発車してしまった。
全然間に合わないのならまだ諦めもつくが、
乗るべき電車をバスから見ていただけに、納得がいかない。
代行バスの利用者も、たった2〜3分なんだから、
発車を待てばいいじゃないかと職員に詰め寄っていた。
本来なら次のダイヤは16:16岡谷行きまでないが、
急遽15:20飯田行きの臨時列車が出ることになった。
途中駅を経由して天竜峡に着いた代行バスの到着を待ち、
1両編成の119系が飯田まで走ることになる。
この臨時列車に乗れば、飯田で16:00始発の上諏訪行きに間に合う。
帰りの「スーパーあずさ30号」には間に合わず、
天竜峡はJR東海のため切符にコメントを書いて貰って、
JR東日本のエリアで手数料免除で解約、
諏訪駅で「スーパーあずさ32号」で新宿行きの特急券を購入、
新宿から中央快速線で東京、総武快速線に乗り換えて帰宅した。


 4.12年後のリベンジ−飯田線完乗の旅計画

2009年の旅では飯田線の全区間の完乗を目指したものの、
落石による不通で平岡から天竜峡まではバス代行になってしまった。
そこで12年後の2021年の夏に再び飯田線の完乗を目指すことにした。
前回は「佐久間レールパーク」見学のため、
中部天竜駅に2時間18分滞在、そのため帰りは、
天竜峡始発に乗り換えて3時間5分掛けて上諏訪まで行き、
17:44上諏訪発の「スーパーあずさ30号」に乗車した。
この特急は所謂“千葉あずさ”で、新宿から千葉まで延長運転される。
今回もこの“千葉あずさ”に乗れるように計画を立てた。
前回の“千葉あずさ”はE257系だったが、
今はE353系が充当されており、
この車両は写真を撮ったことはあるがまだ乗車したことがない。
そこでこれに乗って千葉まで戻ることを前提に予定を組んだ。

 2021年8月22日日曜日

06:27東京発の東海道新幹線「ひかり631号」で豊橋まで行き、
36分の乗り換え時間で07:58豊橋始発の飯田線で長山、
29分の乗り換え時間で50分乗車で本長篠、
17分の乗り換え時間でここからは時短のために、
特急「ワイドビュー伊那路」に乗車して飯田まで行く。
ここで昼食を喰い、14:07飯田発で駒ヶ根、
7分の乗り換え時間で駒ヶ根始発に乗り換え岡谷まで行く。
37分の乗り換え時間で夕食を喰い、特急「あずさ50号」で千葉まで行く。

この計画に合わせて2021年7月23日金曜日、
この年限定で東京オリンピック対応のためスポーツの日がで10月11日から移動した。
午前中、津田沼に出てみどりの窓口で特急券や乗車券を購入した。
この旅は日帰りのため宿の予約はない。
あとは当日を待つだけとなった。
しかし・・・。


 5.新型コロナ感染第5波と青春18きっぷの旅の中止

2021年夏の青春18きっぷの旅は、
7月21日水曜日夏季休暇と7月22日木曜日海の日の、
1泊2日でおおさか東線と福塩線の旅、
8月8日日曜日山の日と9日月曜日の振替休日で、
大船渡線全線、気仙沼線の旅、
そして8月22日日曜日に飯田線の旅を計画した。

しかし7月23日木曜日、
おおさか東線と福塩線の旅から帰ってきた翌日、
新型コロナの感染拡大が話題となり、
「全国で第5波に入ってきている」と報道された。
7月12日に東京都と沖縄県に出されていた緊急事態宣言が、
7月31日には千葉県、埼玉県、神奈川県、大阪府に拡大された。
居住地の千葉県に緊急事態宣言が発令された段階で、
このあとの青春18きっぷの旅は計画は中止せざるを得なくなってしまった。

そこで泣く泣く8月8日日曜日、9日月曜日の大船渡線全線、気仙沼線の旅と、
8月22日日曜日に飯田線の旅の計画は中止、
既に購入していた特急や新幹線の切符は8月4日水曜日、
出社前に津田沼で下車してみどりの窓口で全て払い戻し手続きする。





新型コロナ過が理由の場合、手数料はなしだった。
残り3回(人)分は千葉県内の日帰りの駅取材や使用で消化することにした。
飯田線の完乗の旅は翌年、2022年の青春18きっぷの旅に移植することにしよう。


 6.橋梁傾斜による部分運休と架空の代替案

2021年夏季の飯田線完乗の旅は中止になったが、
予定日一週間前の8月15日日曜日、
関東地方、東海地方では激しい雨が降り、
翌日、その影響で飯田線の橋梁が傾いていたことが分かった。
飯田線宮木駅と辰野駅の間にある横川橋梁で橋脚が傾斜、
その影響でレールも曲がってしまい走行不能になってしまった。
そのため伊那松島から辰野の区間は当面の間、運転を見合わせることになった。
その後、運転見合わせの区間は伊那新町から辰野の区間に縮小され、
その区間はバス代行になった。

予定は既に中止していたが、もし決行していたらどうしただろう。
飯田線は2009年に乗り潰しに挑戦したが、
この時は落石による不通で平岡から天竜峡の区間が未乗車となってしまった。
この区間は代行バスで移動、天竜峡から辰野までの乗り潰しは既に完了している。
つまり、今回は平岡から天竜峡まで乗り潰せればそれで完乗は完了する。
そこでもし予定を決行していたらという想定の下、計画を考えてみた。
豊橋から天竜峡まで行って折り返してもいいが、
折角なので飯田線の路線名の元となった飯田駅まで行くことにする。
行きは普通列車で行き、帰りは時間短縮のため特急を利用する。

 2021年8月22日日曜日

東京駅06:27始発の東海道新幹線「ひかり631号」で豊橋まで行き、
08:34豊橋始発の飯田線で29分掛けて長山、50分掛けて本長篠、
時間潰しに1つ戻って長篠城、ここから3時間3分掛けて飯田まで行く。
飯田到着は14:43で1時間15分で折り返し、その間に遅めの昼食も喰う。
15:58飯田始発の特急「ワイドビュー伊那路4号」で豊橋まで戻り、
ここで夕食を喰って19:41発東海道新幹線「こだま748号」で帰京する。

これは予定を決行するためのものではなく、
あくまで予定決行を想定して作ったものだが、
もし来年夏になってもまだ不通が続くようだったら、
こちらの案が決定稿になるかもしれない。


 7.2022年飯田線の旅第1案〜第3案

2022年の青春18きっぷの旅で、
1回(人)を使って去年中止にした飯田線完乗の旅を再計画した。
予定は他の旅行の計画などから8月7日日曜日に決定、
それに合わせて幾つか候補案に作成した。
飯田線は2009年8月8日土曜日に、
「佐久間レールパーク」の見学を含め、乗り潰しを計画した。
しかし門島−唐笠間の落石の影響で、
平岡から天竜峡までの間が運転見合わせ、バス代行になっていた。
このバス代行区間を鉄道で乗り潰すのが今回の旅の目的である。
平岡から天竜峡の区間さえ乗車すればいいわけで、
飯田線の全区間を乗り潰す必要はない。
天竜峡で折り返すというのもありである。

  第1案/豊橋から天竜峡で折り返し

 06:21東京※−東海道新幹線「ひかり631号」(87/1:27)−07:48豊橋[23]
 08:11豊橋※−飯田線・天竜峡行(236/3:56)−12:07天竜峡[26]
 12:50天竜峡−飯田線・豊橋行(206/3:26)−16:16豊橋[205/3:25]

  ※豊橋鉄道・東田本線車両取材
  ※夕食/開明軒・豊橋駅カルミア店 11:00〜22:00

 19:41豊橋−東海道新幹線「こだま748号」(127/2:07)−21:48東京

この案では豊橋で豊橋鉄道・東田本線の車両取材ができるのが特筆である。
だが、逆に天竜峡での折り返し時間が26分のため、
ここで昼食を喰うことができない。
結果として昼飯抜きになってしまう。
そこで天竜峡からその先も進んで飯田線の路線名にもなった飯田まで行く。
ここで昼食を喰い、折り返す。

  第2案/豊橋から飯田折り返し

 06:21東京※−東海道新幹線「ひかり631号」(87/1:27)−07:48豊橋[23]
 08:11豊橋※−飯田線・天竜峡行(236/3:56)−12:07天竜峡[26]
 12:33天竜峡※−飯田線・茅野行(30)−13:03飯田[101/1:41]

 ※昼食/新京亭 10:30〜20:00

 14:44飯田−飯田線・天竜峡行(25)−15:09天竜峡[3]
 15:12天竜峡※−飯田線・豊橋行(192/3:12)−18:24豊橋[77/1:17]

 ※夕食/開明軒・豊橋駅カルミア店 11:00〜22:00

 19:41豊橋−東海道新幹線「こだま748号」(127/2:07)−21:48東京[28]

しかしこれだと青春18きっぷの効力は最大限に発揮出来るが、
往復とも3時間以上普通列車に揺られることになる。
そこで途中で特急を利用するという手も考えられる。

  第3案/豊橋から飯田折り返し、特急使用

 06:21東京※−東海道新幹線「ひかり631号」(87/1:27)−07:48豊橋[23]
 08:11豊橋※−飯田線・天竜峡行(236/3:56)−12:07天竜峡[26]
 12:33天竜峡※−飯田線・茅野行(30)−13:03飯田[101/1:41]

 ※昼食/新京亭 10:30〜20:00

 14:44飯田−飯田線・天竜峡行(25)−15:09天竜峡[3]
 15:12天竜峡※−飯田線・豊橋行(33)−15:45平岡[57]
 16:42平岡−特急「ワイドビュー伊那路4号」(109/1:49)−18:31豊橋[70/1:10]

 ※夕食/開明軒・豊橋駅カルミア店 11:00〜22:00

19:41豊橋−東海道新幹線「こだま748号」(127/2:07)−21:48東京[28]

この案だと、昼食も喰えて、前回バスに乗り込むだけで駅取材できなかった、
平岡でもたっぷりと駅取材ができる。


 8.2022年飯田線の旅第4案

今回の目的は平岡から天竜峡の区間の乗り潰しだが、
飯田線を完乗するという方法もある。
飯田線へのアクセスは東海道新幹線で豊橋まで行く方法のほかに、
豊橋から辰野までの全区間を乗り潰し、
辰野支線から中央本線にアクセスして、
岡谷から特急「あずさ」で帰京する方法もある。
さらに特急「あずさ」には朝の千葉発と夜の千葉着の設定がある。
この通称“千葉あずさ”を利用すれば、
東京まで出る必要なく、千葉駅で特急を利用出来る。
この“千葉あずさ”は今まで何度か利用してきているが、
その時はまだ183系、189系やE257系0番台だった。



 ※参考/新宿駅停車中の183系「あずさ」
 ※撮影日時 2001/05/19 12:13:32



 ※参考/新宿駅停車中のE257系0番台「あずさ」
 ※撮影日時 2003/10/04 6:39:58

しかし現在は2017年12月より投入された、
E353系が使用されている。
この車両は勿論何度も見かけているが、
実際に乗ったことはない。
今回の旅でこれに乗ってみたいという想いもある。
そこで豊橋から辰野経由で岡谷まで飯田線を完乗し、
帰りに“千葉あずさ”で帰るという計画を立ててみた。

  第4案/豊橋から辰野経由岡谷まで

 06:21東京※−東海道新幹線「ひかり631号」(87/1:27)−07:48豊橋[23]
 08:11豊橋※−飯田線・天竜峡行(236/3:56)−12:07天竜峡[26]
 12:33天竜峡※−飯田線・茅野行(30)−13:03飯田[100/1:40]

  ※昼食/新京亭 10:30〜20:00

 14:43-50飯田−飯田線・岡谷行(150/2:30)−17:33岡谷[4]

  ※夕食/駅弁

 17:37岡谷−特急「あずさ50号」(153/2:33)−20:10千葉

飯田までの行程は第2案、第3案と同じである。
違うのは飯田で折り返さずそのまま岡谷方面を目指すというところである。
これなら特急で千葉まで来られるので帰りが楽である。


 9.2022年飯田線の旅第5案

第4案を作成中にいろいろとネットで調べていたところ、
中央本線岡谷駅がリニューアルされていることに気付いた。
ここは2002年8月4日に取材済だが、
もう20年前の訪問なので、だいぶ様相も変わっている。
そこで岡谷駅を取材出来ないかと考え始めた。
第4案で“千葉あずさ”を断念すれば岡谷駅で時間は作れる。
しかし岡谷駅到着は17:33で幾ら夏と云っても光量的には厳しいと思う。
そこで正しく逆転の発想なのだが、
行きに“千葉あずさ”を使い、岡谷で駅取材してから、
飯田線を2009年8月とは逆方向で乗り潰す。
そして豊橋から東海道新幹線で帰京する。

  第5案/岡谷から辰野経由で豊橋へ

 06:38千葉※−特急「あずさ3号」(207/3:27)−10:05岡谷[37]
 10:42岡谷※−飯田線・天竜峡行(161/2:41)−13:23飯田[78/1:18]

  ※昼食/新京亭 10:30〜20:00

 14:41-44飯田−飯田線・天竜峡行(25)−15:09天竜峡[3]
 15:12天竜峡※−飯田線・豊橋行(33)−15:45平岡[57]
 16:42平岡−特急「ワイドビュー伊那路4号」(109/1:49)−18:31豊橋[70/1:10]

  ※夕食/開明軒・豊橋駅カルミア店 11:00〜22:00

 19:41豊橋−東海道新幹線「こだま748号」(127/2:07)−21:48東京

飯田に到着して昼食後は第3案と同じ行程を進む。
これならE353系も乗車出来て、
岡谷駅で37分の乗り換え時間の間に駅取材も十分に可能である。
いろいろと検討した結果、この第5案で飯田線完乗のリベンジに挑戦することにした。


 10.第5案の料金−青春18きっぷの利用価値

青春18きっぷは快速を含む普通列車のみに有効で、
特急や新幹線を利用した場合、他の企画切符とは異なり、
その区間の運賃も別途必要になる。
そこで青春18きっぷを使用するのと、
普通に切符を事前購入するのとどちらが得か比較してみた。

  青春18きっぷを使用した場合

青春18きっぷの料金は、

 12,050÷5=2,410円

で、新幹線や特急の乗車区間は青春18きっぷは適用されないため、
千葉から岡谷までの運賃4,510円と、
平岡から豊橋経由東京までの運賃6,600円は別途必要になるので、
特急券、新幹線特急券は除いて運賃のみ計13,520円掛かることになる。

  青春18きっぷを使用しない場合

同じルートを切符を事前購入したとすると、
幕張から千葉はSuicaを利用、IC運賃は168円となる。
千葉で一度改札を出て事前購入した切符再入場する。
千葉から岡谷経由で飯田までの運賃は5,750円である。
飯田から豊橋、東京経由幕張までの運賃は7,700円で、
合計の運賃は13,618円となる。

つまり青春18きっぷを使った方が98円お得となる。
正直云って特急「ワイドビュー伊那路4号」を使うことによって、
青春18きっぷの利用効果はほとんどなくなってしまうが、
体力的なことも考えてこの特急利用の旅を決行することにした。


 11.まさかの落石部分不通と緊急第6案の作成

2022年6月1日、乗りものニュースから想定外のニュースが飛び込んできた。

 “飯田線に岩石ゴロゴロ… 線路施設が損傷 復旧めど立たず”

飯田線湯谷温泉駅と三河槙原駅の間で落石があり、
巨大な岩石が線路を塞いでしまったとのこと。
幸い、落石時に通行する列車はなく、人的被害はなかったが、
線路や架線も損傷しており、復旧の見込みは立っていないとのこと。
そのため同区間を含む本長篠から中部天竜の区間は、
当面のあいだ運転を見合わせるとのことである。

これには頭を抱えてしまった。
この“当面の間”には、「青春の旅立ち−飯田線の旅リベンジ」を予定している、
8月7日曜日も含まれることになるだろう。
しかも、中部天竜から辰野の区間でも本数を減らして運転する可能性がある、
また特急「伊那路」は当面のあいだ運休になるとのこと。

つまり、これまで計画した予定はたぶん、8月7日曜日には実現出来ないようだ。
未乗車区間の平岡から天竜峡を乗り潰すためには、
岡谷からのアクセスしかないということになってしまった。
そこで岡谷から往復出来ないか検討してみた。

  第6案/岡谷から平岡折り返し

 06:38千葉※−特急「あずさ3号」(207/3:27)−10:05岡谷[37]
 10:42岡谷※−飯田線・天竜峡行(161/2:41)−13:23飯田[78/1:18]

  ※昼食/新京亭 10:30〜20:00

 14:41-44飯田−飯田線・天竜峡行(25)−15:09天竜峡[3]
 15:12天竜峡※−飯田線・豊橋行(33)−15:45平岡[56]
 16:41平岡−飯田線・天竜峡行(35)−17:36天竜峡[2]
 17:18天竜峡※−飯田線・岡谷行(152/2:32)−20:02岡谷[24]
 20:26岡谷−特急「あずさ60号」(139/2:19)−22:22立川[6]
 22:28立川−中央快速線・東京行(22)−22:50三鷹[21]

未乗車区間だった平岡から天竜峡を乗り潰し、
平岡から折り返して岡谷まで行く。
当然、“千葉あずさ”には間に合わず、
特急「あずさ」新宿行きの最終列車である「あずさ60号」に、
岡谷での乗り換え時間が24分である。
列車の遅延などでこれに乗り遅れた場合、
当日中の帰宅は不可能である。
岡谷から往復することも時刻表上は可能だが、
あくまで机上の論理であり、体力的なことも含めて、
かなりリスキーな計画と云わざるを得ない。
これを強行するならば、当日帰宅は断念して、
岡谷か、或いは普通列車で移動可能な場所に宿泊して、
翌日に帰宅するのが妥当だろう。

 ※参考/乗りものニュース https://trafficnews.jp/


 12.飯田線の断念−代替案の東海道本線各駅停車の旅・東京〜静岡編

第6案では遅延の場合、日帰りでは家に戻れないリスクもあるため、
飯田線の旅を強行することは諦め、
青春18きっぷの代替案を作成することにした。
飯田線の乗り潰し企画は来年、2023年夏の青春18きっぷの旅に移植しよう。

日帰りでの企画ということでいろいろと検討した結果、
東海道本線全駅乗り潰しを企画することにした。
2022年は鉄道開業150周年だが、
その150年前、最初に敷設されたのが現在の東海道本線の一部である、
新橋(後の汐留貨物、現・廃止)から横浜(現・桜木町)であった。
1872年10月14日でこの日が鉄道記念日でもある。
同年6月12日に品川から横浜が仮開業していたが、
1日2往復で本格開業ではないため、10月14日を鉄道開業の日としている。
2年後には大阪から神戸の区間も敷設され、
1889年7月1日に全通した。

そこでこの東海道本線の全ての旅客駅を取材するという企画を考えた。
これまでも東海道本線の駅にはいろいろと下車して取材しているが、
どうしても他線や他社線との乗り継ぎでの下車が多く、
途中駅は素通りしていることも多い。
そこでこれから何回かに分けて、東海道本線の全ての駅に下車する。
2022年8月7日曜日の飯田線完乗の代替案では、
取り敢えず起点の東京から静岡までの区間を乗り潰す。
この区間にはJR東日本管区に33駅(熱海含む)と、
JR東海管区に17駅(熱海含まず)がある。
そのうち、未取材、及び再取材が必要な駅は、

 JR東日本管区

戸塚/未取材
辻堂/取材済・要再取材
大磯/未取材
二宮/未取材
鴨宮/未取材
早川/未取材
根府川/未取材
真鶴/未取材
湯河原/未取材
熱海/取材済・要再取材


 JR東海管区

函南/未取材
三島/取材済・要再取材・北口のみ
片浜/未取材
原/未取材
東田子の浦/未取材
富士川/未取材
新蒲原/未取材
蒲原/未取材
由比/未取材
興津/未取材
草薙/未取材
東静岡/未取材

で、JR東日本10駅とJR東海12駅である。
これを早朝から取材、行きは千葉から総武快速線、横須加線を使い、
最初の取材対象駅である戸塚まで行く。
帰りは静岡から東海道新幹線で帰京する。
つまり、帰りの新幹線の予約のみしておいて、
あとはフリーで取材していくのだ。
帰りの新幹線に間に合わないと判断した場合は後半の取材は飛ばし、
それは次回までの宿題として
そこからまた神戸方面の取材をしていけばいい。


 13.想定外の落石長期運休からの再開と再びの第5案決定

2022年夏の飯田線完乗の旅は断念し、
8月7日曜日の青春18きっぷの1回(人)分は、
東海道本線各駅停車の旅・東京〜静岡編に決めたところで、
また想定外のニュースが飛び込んできた。

2022年5月31日火曜日午後9時頃、
飯田線三河大野駅の信号に不具合が発生、
職員が現場を確認したところ、湯谷温泉から三河槙原の間で落石事故が発生、
大量の岩が落ちて線路を塞ぎ、地上設備も損傷していたとのこと。
この時は運転再開の目処は立っていないとのことで、
長期運休も想定されていて、そのため代替案を検討した。
しかし2022年6月15日、JR東海の発表によると、
運転見合わせバス代行輸送を行っていた本長篠から東栄の区間は、
6月20日月曜日の始発から全線で運転を再開、
運休になっていた特急「伊那路」を含む全列車が通常ダイヤに戻ったとのこと。

これには目が点になったが、いい方に転んでくれたので、
ここはもともと予定していた第5案を決行することにした。
「東海道本線各駅停車の旅・東京〜静岡編」は2023年夏に移植することにしよう。

 ※参考/JR東海 https://jr-central.co.jp/


 14.雨予報と雨天装備の出発−旅の始まり

第5案で結構することに決め、
千葉から岡谷までの切符はえきねっとで購入した。
これは1ヶ月前の7月7日木曜日、
津田沼の指定席券売機で発券した。
平岡から東京までの乗車券と、
特急「ワイドビュー伊那路4号」と、
東海道新幹線「こだま748号」の特急券に関しては、
乗り換え時間があまりにも長いために、
えきねっとの候補の中に表示されず、
仕方がないので同じ7月7日に津田沼駅のみどりの窓口に行き、
ここで職員に発券して貰った。

これで当日を待つだけだ。
だが、関東はずっと好天続きだったが、
長野県では天気が不安定になっていて、
出発前日の8月6日に長野県飯田市の天気予報を、
日本気象協会のtenki.jpで確認すると、
8月6日午前1時現在の天気予報は、
降水確率が40%から50%で、
13時から15時と19時以降に“小雨”マークが付いていた。
8月6日午前9時30分現在の天気予報では、
16時以降に“小雨”マークが並んでいた。
そこで当日は雨を想定した装備に変更することにした。

通常の鉄道撮影では一眼レフカメラはCANON EOS D90を使っているのだが、
雨の予報では一つ前に使っていたCANON EOS 7Dを使うことにしている。
最新機を濡らしたくないと考えているからだ。
EOS 7Dの方が少し重いが、レンズが24mm-200mmで、
EOS D90の24mm-135mmよりは望遠側に強い。
折りたたみ傘も持参するためカメラバッグもパンパンになってしまった。

しかし出発当日朝、8月7日日曜日の5時30分の天気予報を見てみると、
7時まで“小雨”マークが付いていたが、
そのあとはずっと“曇り”が並んでいて、
24時にならないと“小雨”マークはなかった。
それでも家を出る直前だったので装備変更をしている隙はなく、
そのまま雨天装備で出発することにした。

予定では06:16幕張発の総武緩行線で千葉に出ることにしていたが、
予定より早く支度が出来たので、1本前の06:01に乗ることにした。



駅に向かっていくとちょうど「あずさ3号」に充当されるE353系が、
快速線側線の留置線に入線してきた。
これは快速の合間を縫って稲毛から西千葉の間の留置線に移動する。
駅の改札に行くと窓口が閉まっていたため、そのまま強行突破して、
青春18きっぷの検印は千葉駅でお願いすることにしよう・・・と思ったが、
エスカレーターでホームに降りていく途中に駅員が追いかけてきた。
たぶん、無賃乗車だと思ったのだろう。
まあ、この段階では確かに無賃乗車を疑われても仕方がない。
エレベータ上で青春18きっぷを見せ、検印して貰いたいと云ったら、
駅員は「押印してくるのでお待ち下さい。」と云って切符を受け取り、
そのままエスカレーターを上がっていった。
少しして3回(人)に「ありがとうございます JR東日本
8.−7 幕張駅」と検印を押印した青春18きっぷを持って降りてきた。



「有り難うございます。」とお礼を云って切符を受け取り、
06:01の総武緩行線に乗り込んだ。
千葉駅には16:11に到着、有人改札を青春18きっぷで出た。



そして事前にえきねっとで購入した千葉から岡谷までの乗車券で、
自動改札から入場した。



そしてホームでE353系「あずさ3号」の入線を待った。


 15.特急「あずさ3号」−千葉の小雨と大月の分離

千葉駅に到着し、青春18きっぷで有人改札を出てから、
千葉から岡谷までの切符で事前購入した乗車券で自動改札から再入場する。
特急「あずさ3号」は8番線から発車する。



稲毛と西千葉の間にある待避線でタイミングを計り、千葉駅に入線してくる。
ここは正確には黒砂信号場という快速線上下線の間にある待避線で、
総武快速線は千葉駅で折り返す総武本線系統、外房線系統があり、
そこに総武快速線がそれぞれ乗り入れる。
そのため総武本線と佐倉で分岐する成田線、外房線と蘇我で分岐する内房線、
それが上下線と入り乱れているため、
総武快速線は特定の乗り場が設定出来ない
しかも千葉駅始発の列車は上下線や折り返し列車の間を縫って、
千葉駅に入線しなければならない。
そのための信号待ちの待避線がこの黒砂信号場なのである。
発車10分前頃になって8番線ホームにE353系が入線してきた。



“千葉あずさ”充当のE353系は地元で何度も見たことがあるが、
実際に乗り込むのは今回が初めてである。
ホームでひのE353系を撮影していると、ポツポツと雨が降ってきた。
やっぱり天気予報通り、今回はあるとの戦いになる覚悟を決めた。
今回は乗車時間が3時間27分と長いため、グリーン車に席を予約した。



座席は9号車1番A席である。
E353系は基本編成+付属編成の12両編成である。
グリーン車は9号車のみとなっている。



赤を基調とした車内は落ち着いた雰囲気になっている。
特急「あずさ3号」は06:38に千葉駅を発車する。
総武快速線を船橋、錦糸町と停車して、
錦糸町を出てから渡り線で総武緩行線に転線して、
総武緩行線を御茶ノ水まで行く。
183系、189系時代は9両編成だったため、
秋葉原にも停車していたが、
E257系0番台は11両編成のため、
10編成の総武観光専用のホームには停車出来なくなり、
秋葉原は通過するようになった。
しかし前を走っている総武緩行線は、
浅草橋、秋葉原と停車しているため、
距離を取るためにこの区間はずっと徐行になっている。
御茶ノ水駅手前で今度は中央快速線に転線し、そのまま新宿まで行く。
新宿到着は07:30で、ここからはほかの「あずさ」と同じルートで松本まで行く。
新宿から車内販売が乗車する。
今回はここで駅弁を購入してこれを朝食として喰おうと思っていた。
しかし実際車内販売が来て聞いてみると、
飲み物やお菓子しか無く、弁当は売っていないとのこと。
とほほ・・・。
仕方がないのでボトル缶コーヒーのみ購入した。
朝食は岡谷到着までお預けだ・・・。
08:33には大月に到着する。



車窓からは普通列車充当の211系が見える。
115系で採用された長野色の帯を纏っていた。
E353系は千葉方1号車から3号車までが付属編成、
松本方4号車から12号車が基本編成となっている。
付属編成は大月で切り離され、
特急「富士回遊3号」としてここから富士急行線に乗り入れ、
富士山、河口湖方面に行く。



 ※石和温泉に到着する直前の車窓の様子。

大月を出ると車窓は田園風景が多くなり、
甲府には09:09、茅野には9:52に到着、10:06に岡谷に到着した。
ここで下車するが、特急「あずさ3号」は約20分で松本まで行く。


 16.岡谷の朝食綺譚と飯田線の旅の開始

特急「あずさ3号」は10:05に岡谷に到着する。
駅構内に駅蕎麦があればそこで朝食を喰おうと思っていたが、
残念ながら駅蕎麦店はなかった。
乗り換え時間は37分で、駅の外に出て先ずは駅舎取材する。



JR岡谷駅は単式1面1線と島式1面2面に加え、
単式ホームの辰野方を切り欠いた計2面4線の、
地上ホームを有する中央本線(中央東線)の駅である。
駅舎に隣接しいる単式ホームは1番線に付番、中央本線上りが使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番、中央本線下りが使用する。
単式ホームを切り欠いた飯田線専用のホームは0番線に付番されている。
一部の飯田線は2番線、3番線を使用することがある。
単式ホームと島式ホームは地下通路で結ばれている。

中央本線(中央東線)は甲武鉄道が、
1889年4月11日に新宿から立川の区間を開業させたのが始まりで、
同年8月11日には立川から八王子の区間が延伸開業した。
その後、1894年10月19日には牛込(現・廃止)まで延伸、
翌年には飯田町まで延伸した。
飯田町は現在の飯田橋とは異なる。
1904年12月31日には御茶ノ水まで延伸した。
1906年3月31日公布の鉄道国有法により、甲武鉄道は国有化された。
その一方で八王子より先は官設鉄道として建設された。
1901年8月1日には八王子から上野原までが開業し、
1903年6月11日には甲府までの延伸、
1905年11月25日には富士見から岡谷まで延伸、
その時終着駅として開業した。
更に官設鉄道は延伸を進め、1906年6月11日には塩尻までの延伸を完了する。
また1908年4月19日には御茶ノ水から更に昌平橋(現・廃止)まで延伸し、
1909年10月12日に国有鉄道線路名称設定で中央東線となった。
1911年には中央西線を編入する形で中央本線となる。
1912年4月1日には万世橋が開業して昌平橋は廃止、
1919年1月25日に東京駅に乗り入れとなった。
こうして中央東線は現在の形で全通するのだが、
この時は塩尻峠を迂回するため、岡谷から辰野を経由して塩尻に至るルートであった。
現在の辰野支線が本線としての正式ルートだったのである。
現在のみどり湖を経由する新ルートになったのは1983年6月21日からで、
この時に岡谷から辰野に至り、塩尻に行くルートは辰野支線に格下げになった。
現在では辰野から飯田線が岡谷まで直通している。

駅前には「ララ岡谷」という複合商業施設がある。
駅取材後にここに行ってみるが、朝食を喰えるような場所は無かった。



と云うか、入居するテナント27施設のうち、
現在残っているテナントは5件だけである。
第1案で夕食に予定していた「レストランよしの」も移転していた。
駅前施設でここまでのシャッター商店街になっているのは逆に珍しい。
仕方がないので、NewDaysでミックスサンド260円と天然水108円を購入、ベンチで喰う。



腹を満たして再入場し、0番線に行く。


 17.飯田線飯田までの旅−元善光寺の謎

岡谷駅0番線ホームに行くと既に313系が停車していた。
飯田線充当の313系は3000番台2両編成で、
ボックスシート採用のセミクロスシートだった。



これなら車内に飲食物も持ち込めるので、
サンドイッチを慌てて喰う必要はなかった。
駅の改札を出る前に確認しておけば良かった。



外は夏の雲が青空の中に広がっていて、
この時点ではまだ雨の降る気配は無かった。
飯田線は10:42に岡谷を発車する。
岡谷駅を出ると直ぐに中央本線とは分岐する。
岡谷から辰野までは中央本線の旧線で、通称・辰野支線と呼ばれている。
以前は塩尻から辰野までは123系荷物電車改造車が充当されていたが、
現在では211系2両編成が使用されている。



車内は3〜4割の乗車率で、比較的ゆったりと旅が出来た。
渓流地帯を走るイメージの強い飯田線だが、
岡谷から飯田までは比較的田園地帯を走っている。



岡谷から飯田までの所要時間は2時間41分で、
13:10には元善光寺に到着、上下線交換のため4分停車する。



“もとぜんこうじ”?・・・。
停車位置からは駅名標が見えず、この時は漢字も確認出来なかった。
“ぜんこうじ”と云えば、「遠くとも一度は詣れ善光寺」の、
長野県長野市元善町にあるあの善光寺を連想するが、
ここはそれと関係あるのだろうか。
善光寺の賑わいとは全くかけ離れた閑散としたイメージの駅であった。
その謎を確認する術も無く、13:14には313系は元善光寺を発車する。
そして13:23に飯田に到着、ここで下車する。
飯田での乗り換え時間は1時間18分で、
ここでは駅取材のほかに昼食を取る予定にしている。


 18.飯田駅と飯田の昼食−予定変更の逆走

JR飯田駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する飯田線の駅である。
駅舎に隣接した単式ホームは1番線に付番、主に上り線が使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番され、
駅舎隣接の単式ホームとは跨線橋で結ばれている。
2番線は主に下り線が使用する。
飯田始発の特急「伊那路」は1番線を使用する。
発車番線は固定ではなく、列車によっては発車番線が変わることがある。
駅舎はリンゴをイメージしたデザインになっている。



飯田線のうち、天竜峡から辰野の区間は伊那電気鉄道が開業させた。
設立当初は伊那電車軌道と名乗っていた。
1909年12月28日に辰野から松島ま区間が軌道法によって開業した。
この辰野は西町に変更され、後に廃駅となった伊那電車軌道の辰野駅である。
この区間は一部に供用区間も存在した。
この先は地方鉄道法による鉄道線として延伸開業していった。
1911年2月22日に松島から木下の区間が開業、
同年11月3日に御園まで延伸、
1912年1月4日に伊那北まで延伸、同年5月11日に伊那町まで延伸、
1913年12月27日には宮田まで延伸、
1914年10月31日には赤穂まで延伸、同年12月26日に伊那福岡まで延伸、
1915年7月24日に伊那福岡終点仮停留場(現・廃止)まで延伸、
1918年2月11日に飯島まで延伸、同年7月23日には七久保まで延伸、
同年12月12日に高遠原まで延伸、
1920年11月22日に上片桐まで延伸、
1922年7月13日に伊那大島まで延伸、
1923年1月15日に山吹まで延伸、同年3月13日に市田まで延伸、
同年3月18日には元善光寺まで延伸、同年8月3日には飯田まで延伸し、
飯田は終着駅として開業した。
その後も延伸され、1926年12月27日には伊那八幡まで延伸、
1927年2月5日には毛賀終点仮停留場(現・廃止)までが延伸、
同年4月8日には駄科まで延伸、同年12月26日には天竜峡まで延伸、
辰野から天竜川の区間が全通した。

駅舎取材をして予定していた「新京亭」に行く。
事前に地図をプリントしていたが、
道が想像よりも細かったため、通り過ぎてしまい、
しばらく行ってから曲がり損なったことに気付き、
駅方面に戻って漸くたどり着いた。



ここで五目そば850円を喰う。
飯田での乗り換え時間は1時間18分で時間を持て余してしまう。
駅に戻ってみると、14:07岡谷行きが1番線に停まっていた。
時計を見ると午後2時6分で、発車寸前であった。
一瞬躊躇したが、それでもこの列車に飛び乗った。
飯田では14:41着14:44発の天竜峡行に乗る予定になっている。
少し手前の駅でこれに乗れば、その駅で駅取材が出来る。
そう思ってこれに飛び乗ってしまった。


 19.緊急取材の元善光寺−“元”の意味

飯田で昼食を喰い、
駅に戻ると14:07駒ヶ根行きが停車していて、
何も考えずこれに飛び乗った。
車内でスマホを駆使し、下車する駅を選定する。
本来は飯田で乗る予定だった列車は、
14:41に飯田に到着し、14:44に飯田を出て、
15:09に天竜峡に到着する。
主な停車駅は、

 12:29岡谷※→13:33-35駒ヶ根→14:26市田→
 14:31-32元善光寺→14:36伊那上郷→14:38-39桜町→

乗り込んだ列車は、

 13:23天竜峡※→13:52-14-07飯田→14:09-10桜町→
 14:12伊那上郷→14:16-17元善光寺→14:23-27市田→

となっていて、市田で上下線が交換することが分かる。
元善光寺では乗り換え時間が16分確保出来る。
16分あれば駅取材には十分である。



そこで乗り込んだ213系を元善光寺で下車する。
この駅は岡谷から飯田に来る途中にも気になっていて駅である。



JR元善光寺駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する飯田線の駅である。
駅舎に隣接する単式ホームは1番線に付番され、下り辰野方面が使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番され、2番線は上り天竜峡方面が使用する。



3番線は現在使用されておらず、フェンスが設置されていて、
実質的には相対式2面2線構造と云える。
単式ホームと島式ホームとは構内踏切で結ばれている。

駅で降りて初めて気付いたが、
駅前には「元善光寺 西へ500m」と看板が出ており、
元善光寺という寺が実在し、駅名はそれに由来するのだった。
家に帰ってから調べたのだが、
元善光寺はその名の通り、現在の善光寺が以前あった場所で、
以前は坐光寺と呼ばれていた。
坐光寺は602年にこの地に住んでいた本田善光が、
難波の堀江(現・大阪市)で一光三尊阿弥陀如来を見つけ、
自宅に持ち帰って臼の上に安置したところ、
その臼が燦然と光を放ったことから坐光寺と呼ばれるようになった。
642年、皇極天皇の勅命により、
現在の長野市に遷座され、そこが善光寺となった。
そのため、坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになったという。



駅前には「田植え女の すねの白さよ 植残る 芙美緒」という句碑があった。
しかし“芙美緒”がだれなのかは調べても分からなかった。
予定通り、14:32元善光寺発の列車に乗り込んで、天竜峡を目指す。


 20.天竜峡の3分−飯田線完乗リベンジ達成

16分で元善光寺の駅取材を終え、
ホームで14:32発の天竜峡行きを待つ。
元善光寺の駅名の由来になった元善光寺は、
駅から西へ約500mの距離にあり、
時間があれば参拝したかったが、16分では難しい。
そんなことを考えていると、313系がやってきた。



これに乗り込んで天竜峡を目指す。
もともと飯田で乗る予定だった列車である。
飯田では14:41に到着し、3分停車で14:44に出発する。
このわずかな時間で駅名標の取材を強行する。
飯田から天竜峡までの区間は、
2009年の飯田線乗り潰しチャレンジの時、
臨時列車で移動した区間である。
平岡から天竜峡までが落石により普通となり、
代行バスでの移動となった。
本来は天竜峡で14:35始発の上諏訪行きに乗る予定だったが、
平岡発天竜峡直行の代行バスが14:36に天竜峡に到着し、
無情にも上諏訪行きが発車してしまった。
本来なら14:35上諏訪行きのダイヤの次は、16:16岡谷行きまでない。
そこで乗客が駅員と交渉して、
途中駅に停車して天竜峡に到着したバスを待ち、
15:20飯田行きの臨時列車が出ることになった。
これに乗れば飯田で16:00始発上諏訪行きに間に合う。
2009年はそんな綱渡りの飯田線の旅だった。
元善光寺で乗り込んだ列車は15:09に天竜峡に到着する。
ホームの反対側には15:12始発の豊橋行きが停まっている。
3分の乗り換え時間で
これに乗り換えて平岡を目指す。



乗り換えた列車からここまで乗ってきた313系が見える。
天竜峡からは天竜川に沿って敷設されている。



 ※為栗駅停車時に見えた天竜川

天竜峡から平岡の区間は2009年の旅ではバス代行での移動で、
鉄道線飯田線としての未乗車区間である。
平岡までの33分の旅で未乗車区間を乗車し、
飯田線の完乗が完成した。
天竜峡で乗り込んだ列車は15:45に平岡に停車する。


 21.平岡の57分−天竜川と特急「ワイドビュー伊那路4号」

3分の乗り換え時間で天竜峡で乗り換えた列車は、
33分で平岡に到着した。
2009年の旅では代行バスに乗り込んだ駅である。
その時は電車を降りて直ぐにバスに乗り込んだため、
駅取材出来なかった。
この旅は平岡駅の駅取材のリベンジでもある。
平岡での乗り換え時間は57分で時間は十分にある。



事前の天気予報では午後には雨を想定していたが、
平岡でも良く晴れていて、青い空に白い雲が美しい。
平岡駅は島式1面2線の地上ホームを有する飯田線の駅である。
1番線は下り天竜峡方面、2番線は上り豊橋方面が使用する。
駅舎とホームとは構内踏切で結ばれている。

駅舎は“ふれあいステーション龍泉閣”が併設されている。
むしろ、龍泉閣のおまけで駅があるといった方がいい。
“ふれあいステーション龍泉閣”龍泉村が経営する温泉施設で、
1階には食堂、4階には温泉設備があり、2階には客室があり、
宿泊することも出来るようになっている。
平岡に駅が出来たのは三信鉄道が1936年4月26日に、
温田から延伸した時に終着駅として開業した。
開業時の駅名は“満島”だったが、
1952年11月15日に“平岡”に改名されている。
現在の駅舎が業容を開始したのは2001年4月2日である。

“ふれあいステーション龍泉閣”は日帰り入浴にも対応しており、
料金も300円と地元の銭湯より安い。
事前の予定ではここでひとっ風呂浴びて時間を潰そうと思っていたが、
ここまで汗だくで、しかも着替えを持参していなかったので、
一度Tシャツを脱いだら洗濯せずには着れそうもない。
日帰りだったのでカメラバッグしか持っていなかったため、
着替えまでは持ってくることが出来なかった。
残念ながら入浴は諦め、車窓から見た天竜川に行ってみることにした。





穏やかな天気で天竜川は大人しかったが、
坂道がキツく、余計汗だくになってしまった。



駅に戻る途中、天龍村役場の前のベンチで休憩させて貰う。



駅に戻ると1番線には上下線交換のため、
213系が停車していた。





ここからは特急に乗るために青春18きっぷは使えない。
事前に購入した切符と特急券で入場する。
ただ、無人駅だったのでそのまま通過しただけだったが・・・。
平岡駅のホームのベンチに座って特急「伊那路4号」の到着を待った。



16:42に飯田から出た特急「伊那路4号」が平岡駅に入線してくる。
これに乗って1時間49分かけて豊橋まで行く。



日は少しずつ傾き始めていた。
そして18:31豊橋に到着する。
切符は平岡から東京都区内までだったが、
夕食を喰うために途中下車する。
有人改札から外に出ようとしたが、
駅員から「自動改札で出られます。」と教えられ、
改めて自動改札から途中下車した。


 22.豊橋の夕食と深追いの罰−旅の終わり

平岡から乗車した特急「伊那路4号」で、
1時間49分かけて豊橋まで出た。



ここで改札を出て、先ずは夕食を喰う。
事前に調べておいた「開明軒・豊橋駅カルミア店」で、
デ味噌ースかつオムライス1,360円を喰った。
豊橋の乗り換え時間は1時間10分で、
夕食後この時間を利用して
豊橋鉄道・豊橋東田本線の車両取材する。



本来は暇つぶしの筈だったが、
深追いしすぎて気付いたら、
予定している豊橋19:41発の「こだま748号」の発車まで、
あと10分しかなかった。
慌てて撤収し、新幹線改札口に行き、
途中下車した平岡から東京都区内までの乗車券と、
豊橋から東京までの「こだま748号」の指定席特急券を重ねて入場する。
本当は売店でビールを買って車内に持ち込みたかったが、
当然のことながらそんな時間はない。
これも深追いの罰と思い、ホームの自販で水だけ買う。



乗り込んだ「こだま748号」はN700Sが充当されていた。



N700Sは今までに何回か目撃したこともあるし、
写真も撮ったこともあるのだが、実際乗車するのは初めてだった。
乗り込んだ車内は乗車率8割から9割で、思った以上に混んでいた。
新幹線は速達姓だけを重んじてしまう傾向にあるが、
途中駅の需要も捨てたものではない。
今回乗り込んで各駅に停車する時に気付いたのだが、
走行中は網棚のところのライトが弱く、
停車の案内が流れる頃に網棚のところが明るくなる。



 ※走行中のN700Sの車内の様子



 ※停車駅手前のN700Sの車内の様子

豊橋から2時間7分掛け、21:48に東京に到着する。
東京駅の乗り換え時間は28分で、
始発の22:16総武快速線千葉行きに乗り込み、津田沼まで行く。
津田沼で総武緩行線に乗り換え帰宅する。
今回の旅で飯田線の完乗を達成出来た。





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