青春の旅立ち−東海道本線、山陽本線の旅



 1.青春の旅−2022年の右往左往

2021年夏の青春18きっぷの旅は、
7月21日水曜日から1泊2日でおおさか東線と福塩線の乗り潰し、
8月8日日曜日から1泊2日で大船渡線全線、気仙沼線の旅、
8月22日日曜日に飯田線の旅を計画していた。
しかしおおさか東線と福塩線の旅から帰ってきた翌日、
新型コロナの感染拡大が問題となり、
7月12日に東京都と沖縄県に出されていた緊急事態宣言が、
7月31日には千葉県、埼玉県、神奈川県、大阪府に拡大された。
居住地の千葉県に緊急事態宣言が発令された段階で、
このあとの青春18きっぷの旅は計画は中止せざるを得なかった。

2022年夏の青春18きっぷの旅は、
2021年に企画しながらコロナ過で中止になった、
大船渡線と気仙沼線の旅と飯田線の旅の再チャレンジを中心に考えた。
7月24日日曜日から1泊2日で大船渡線と気仙沼線の旅、
8月7日日曜日に日帰りで飯田線の旅を企画した。
しかしこれだけでは5回(人)分のうち2回(人)分が余ってしまう。
そこでこの2回(人)分は今までの乗り潰しの旅ではなく、
青春18きっぷの旅の効能を十分に発揮出来る企画として、
“全駅取材”に費やしてみようと思う。
これは乗り潰しのように始点から終点まで乗っていればいいというのではなく、
中間駅の全てに下車して駅取材を強行するというもの。
かなりクレージーな企画だが、これまでにも幾つかの路線では実行してきた。
残り2回(人)分、1泊2日でJRのある一定の路線の全駅取材を強行する。

この企画は運転本数がある程度ないと間延びしてしまう。
そこでいろいろと考えた結果、東海道本線、山陽本線の、
京都から姫路までの区間を今回のターゲット先とした。
宿泊は大阪駅で、1日目は京都から大阪、2日目は大阪から姫路までの、
未取材駅に全て下車して駅取材する。
1日目は日没まで、2日目は帰りの新幹線を撤退期限として、
事前に時刻表で予定は立てず、取材対象のみリストアップする。
撤収時間になったら残りは捨てて次回への宿題にする。
この企画を思いついたのはまだ門が取れない2022年1月3日だった。

しかし2022年ゴールデンウィークの旅で、
もともと企画していた“大阪周遊パス・阪急拡大版”を使った2日目の計画が、
この切符の発売中止に伴い、変更をせざるを得なくなってしまった。
そこで仕方なく“阪急阪神1dayパス”という、
阪急電車、阪神電車、神戸高速線の全線が1日乗り放題という切符を使い、
2日目に予定していた阪急電鉄のみ乗車区間の乗り潰しのみを決行、
大阪メトロの未乗車区間の乗り潰しは断念した。

そこでゴールデンウィークに断念した大阪メトロの乗り潰しを、
夏季の青春18きっぷの旅の東海道本線、山陽本線に移植して、
2日目の大阪から姫路までの企画は断念、
大阪メトロの乗り潰しを中心に企画を変更した。


 2.愛と青春の旅立ち−東海道本線と大阪周遊パスの旅

2日目に大阪周遊パスの旅を移植した計画を具体的に考えた。
今回の旅は細かな日程を設定せず、
訪問ルートのみを決め、時間がなくなったら途中で切り上げる。

 8月21日日曜日

06:00東京※−東海道新幹線「のぞみ1号」(128/2:08)−08:08京都

京都−山陰本線−梅小路京都西
梅小路京都西−山陰本線−京都
京都−東海道本線−桂川
桂川−東海道本線−向日町
向日町−東海道本線−山崎
山崎−東海道本線−島本
島本−東海道本線−高槻
高槻−東海道本線−摂津富田
摂津富田−東海道本線−JR総持寺
JR総持寺−東海道本線−茨木
茨木−東海道本線−千里丘
千里丘−東海道本線−岸辺
岸辺−東海道本線−東淀川
東淀川−東海道本線−大阪
大阪−大阪環状線−弁天町
弁天町−大阪環状線−西九条
西九条−桜島線−安治川口
安治川口−桜島線−西九条
西九条−大阪環状線−大阪

 ※ヴィアイン梅田チェックイン

8月22日月曜日

 ※ヴィアイン梅田チェックアウト

 ※大阪周遊パス1日券(大阪エリア版)2,800円購入

東梅田−谷町線−天王寺

 ※阪堺電軌上町線天王寺駅前電停で車両取材

天王寺−谷町線−谷町六丁目
谷町六丁目−長堀鶴見緑地線−門真南
門真南−長堀鶴見緑地線−大正
大正−長堀鶴見緑地線−玉造

 ※ビエラ玉造取材

玉造−長堀鶴見緑地線−森ノ宮
森ノ宮−中央線−高井田

 ※JRおおさか東線高井田中央駅取材

高井田−中央線−朝潮橋
朝潮橋−中央線−弁天町
弁天町−中央線−九条
九条−中央線−谷町四丁目
谷町四丁目−谷町線−天王寺

 ※阪堺電軌上町線天王寺駅前電停で車両取材

天王寺−御堂筋線−梅田
梅田−御堂筋線−江坂
江坂−御堂筋線−新大阪

19:33新大阪※−東海道新幹線「のぞみ250号」(146/2:26)−21:59東京


 3.柵原ふれあい鉱山公園の旅の余波−大阪周遊パスの断念

ゴールデンウィークの企画を変更して、
断念した大阪メトロの乗り潰しを、
夏季の青春18きっぷの旅の東海道本線、山陽本線に移植して、
2日目の大阪から姫路までの企画は断念、
大阪メトロの乗り潰しを中心に企画を変更した。

しかしそれでは青春18きっぷの5回(人)目が余ってしまう。
そこで単発の企画として考えていた“柵原ふれあい鉱山公園の旅”を、
2022年9月4日日曜日に入れてここで5回(人)目を使うことにした。
しかしその後、いろいろと検討した結果、
“柵原ふれあい鉱山公園の旅”は青春18きっぷを使用するより、
通常の往復切符を購入した方が安上がりということが分かった。
そこでこの企画は青春18きっぷを使わないこととした。

しかしそうすると再び青春18きっぷの5回(人)目が余ってしまうことになる。
そこでいろいろと考えた結果、8月21日日曜日からの1泊2日の旅で、
2日目の8月22日月曜日の大阪周遊パスの旅を断念し、
元来予定していた青春18きっぷで大阪から姫路までの、
全駅途中下車の旅を復活させることにして、
青春18きっぷの残りの1回(人)分を消化することにした。

当初の企画に戻し、以下のように計画した。


8月21日日曜日

04:40幕張−総武緩行線・三鷹行(43)−05:23秋葉原[8]
05:31秋葉原−山手線・外回り(4)−05:35東京[25]

 ※朝食/駅弁購入

06:00東京※−東海道新幹線「のぞみ1号」(128/2:08)−08:08京都

京都−山陰本線−梅小路京都西
梅小路京都西−山陰本線−京都
京都−東海道本線−桂川
桂川−東海道本線−向日町
向日町−東海道本線−山崎
山崎−東海道本線−島本
島本−東海道本線−高槻
高槻−東海道本線−摂津富田
摂津富田−東海道本線−JR総持寺
JR総持寺−東海道本線−茨木
茨木−東海道本線−千里丘

 ※昼食/まんねん千里丘店 11:30〜15:00

千里丘−東海道本線−岸辺
岸辺−東海道本線−東淀川
東淀川−東海道本線−大阪
大阪−大阪環状線−弁天町
弁天町−大阪環状線−玉造
 ※ビエラ玉造
玉造−大阪環状線−西九条
西九条−桜島線−安治川口
安治川口−桜島線−西九条
西九条−大阪環状線−大阪
大阪−東海道本線−塚本
塚本−東海道本線−立花
立花−東海道本線−甲子園口

 ※夕食/大衆カレー たまき 18:00〜23:00

甲子園口−東海道本線−大阪

 ※ホテルヴィアイン梅田チェックイン


8月22日月曜日

 ※ホテルヴィアイン梅田チェックアウト

大阪−東海道本線−西宮
西宮−東海道本線−芦屋
芦屋−東海道本線−甲南山手
甲南山手−東海道本線−摂津本山
摂津本山−東海道本線−住吉
住吉−東海道本線−六甲道
六甲道−東海道本線−摩耶
摩耶−東海道本線−灘

 ※昼食/洋食SAEKI 11:00〜15:00

灘−東海道本線−元町
元町−東海道本線−鷹取
鷹取−山陽本線−須磨海浜公園
須磨海浜公園−山陽本線−須磨
 ※山陽須磨駅
須磨−山陽本線−塩屋
 ※山陽塩屋駅
塩屋−山陽本線−垂水
 ※山陽垂水駅 
垂水−山陽本線−朝霧
朝霧−山陽本線−大久保
大久保−山陽本線−魚住
魚住−山陽本線−土山
土山−山陽本線−東加古川
東加古川−山陽本線−加古川

 ※夕食/かつめしいろはーず 17:30〜21:00(L.O.20:30)

加古川−山陽本線−宝殿
宝殿−山陽本線−ひめじ別所
ひめじ別所−山陽本線−御着
御着−山陽本線−東姫路
東姫路−山陽本線−姫路

18:53姫路−東海道・山陽新幹線のぞみ52号(178/2:58)−21:51東京[24]
22:15東京※−総武快速線・千葉行(28)−22:43津田沼[12]
22:55津田沼−総武緩行線・千葉行(6)−23:01幕張

今回は新幹線と自宅から東京駅までの移動は事前に時間を決めているが、
あとは時間を決めず、取材対象先を順次取材し、
日照や天気など、現場判断で臨機応変に予定を変更することにする。


 4.出発準備と直前の天気予報

東海道本線、山陽本線の京都から姫路の、
未取材先の各駅下車の旅を8月21日日曜日から1泊2日で企画して、
ここで2022年夏季の青春18きっぷの、
4回(人)と5回(人)分を使用、使い切りを計画した。

8月21日日曜日は「のぞみ1号」で京都まで移動する。
京都到着は08:08で、山陰本線の新駅の梅小路京都西を取材してから、
東海道本線の未取材駅を各駅下車で取材していき、
甲子園口まで取材して大阪に戻りホテルヴィアイン梅田に1泊する。
ここは以前にも宿泊したことがあり、場所は確認済である。

2日目8月22日月曜日は西宮から東海道本線各駅下車を再開、
神戸から先は山陽本線に乗り入れて姫路を目指す。
帰りは18:53姫路発の「のぞみ52号」で帰京する。

この計画に合わせて、
2月1日にホテルヴィアイン梅田のホームページから、

 到着日: 2022/08/21 (日) (15:00)
 出発日: 2022/08/22 (月) (12:00) (1泊)
 プラン:【早期割 60】 60日前までの予約がめっちゃお得 (素泊まり)
 客室:【 禁煙 】 シングルA <13平米>
 大人@ 4,400 円 x 1 名

を予約した。
また、8月21日日曜日の1ヶ月前、
この日は病院での検査受診のために千葉に出たが、
その帰り、千葉駅の指定席券売機で、
「のぞみ1号」東京から京都までの、
乗車券・指定席新幹線特急券を購入した。
8月22日月曜日の姫路から東京の「のぞみ52号」は、
えきねっとで購入して7月22日に幕張駅の指定席券売機で発券した。

8月20日土曜日午前0時段階の天気予報を、
日本気象協会 tenki.jpで調べてみると、
京都の21日日曜日は04時から09時まで“小雨”マークが並んでいた。
13時以降は晴れるが、新幹線が京都に到着する08:08頃はまだ雨が残っている。
大阪も08時、09時は“小雨”マークだったが、
ここも13時以降は“晴れ”マークが並んでいた。
22日月曜日は大阪も姫路も晴れマークだった。
一日中本降りだったら京都鉄道博物館見学に切り替えてもいいかと思ったが、
会館の10:00a.m.には雨が止んでいるため、
今回は雨が止むまで京都駅で写真を撮りながら待つことにして、
無理して予定をこなすことはやめようと思う。

宿泊2日前にホテルヴィアイン梅田から確認メールが来る。
そこには、

 到着日 2022/08/21 (15:00)
 出発日 2022/08/22 (1 泊)

と書かれていた。
到着時間を設定するのを忘れていたようだ。
そこでホームページにアクセスして、
到着時間を変更して登録した。

 到着日:2022/08/21 (日) (20:00)
 出発日:2022/08/22 (月) (12:00) (1泊)

これであとは当日を待つだけとなった。

 ※参考/日本気象協会 tenki.jp https://tenki.jp/


 5.前日夜の天気予報と幕張駅職員の大失態−旅の始まり

8月21日日曜日の前日、仕事から帰って早く寝なければならないが、
最終的に天気予報を確認しようと思って、
日本気象協会のホームページ、tenki.jpにアクセスし、
最終的な天気予報を確認した。
8月20日土曜日午前11時段階の天気予報を、
日本気象協会 tenki.jpで調べてみると、
京都の21日日曜日は05時から21時までずっと“小雨”マークが並んでいる。
この日は実質的に取材は不可能ではないかとの結論に至った。
大阪は05時から小雨、10時からは弱雨で、16時以降は“晴れ”マークだった。
22日月曜日は大阪も姫路も“晴れ”若しくは“曇り”マークだった。
そこで夜に急遽、悪天候用の装備に変更することにした。

通常の鉄道撮影では一眼レフカメラはCANON EOS D90を使っているのだが、
雨の予報では一つ前に使っていたCANON EOS 7Dを使うことにしている。
最新機を濡らしたくないと考えているからである。
EOS 7Dの方が少し重いが、レンズが24mm-200mmで、
EOS D90の24mm-135mmよりは望遠側に強いという利点もある。

8月21日日曜日、当日朝は雲が蔓延っていたものの、
まだ雨は降っていなかった。
4:00a.m.前に起床し、04:40幕張発の初電に乗るべく駅に向かった。
幕張駅の窓口で青春18きっぷ4回(人)に検印してもらう。



総武緩行線で秋葉原まで行き、山手線・外回りで東京まで出る。
東京駅での乗り換え時間は25分で、
丸の内南口の有人改札を青春18きっぷで出る。



この時、駅員に検印が5回(人)に押されてしまっていることを指摘される。
検印自体も非常に薄くて見づらかったが、
確かに4回(人)の部分は空白で、
5回(人)のところに、「ありがとうございます JR東日本
8.−21 幕張駅」と押印してある。
東京駅の改札職員からは改札を出入りする時に、
4回(人)なのに5回(人)に押印されてしまった旨を伝えれば、
有効なのだと云われる。
逆に云えば改札を出入りする度にいちいち説明しなければならない。
とほほ・・・。
今回はの旅では駅取材を中心に考えているので、
そのたびにいちいち説明しなければならないのは非常に面倒だ。
いったん外に出て、ここからは東京から京都までの、
乗車券・新幹線指定席特急券で再入場する。



東京駅06:00発車の東海道新幹線「のぞみ1号」で京都を目指す。
車両は既に入線していて、今回もN700Sだった。



ホームに上がって売店で駅弁を購入する。
今回はジェイアール東海パッセンジャーズの「特製幕之内御膳」にした。
キャッチコピーには「関東、東海、関西の味を一度にお楽しみいただけます。」とある。
東京から新大阪を結ぶ東海道新幹線にはぴったりの駅弁である。
予約した席は6号車2番E席で、京都までの2時間8分の旅を愉しむ。

 ※参考/日本気象協会 tenki.jp https://tenki.jp/


 6.「のぞみ1号」の旅と車内での計画変更

駅弁を購入して停車していた「のぞみ1号」に乗り込む。
今回は乗車時間が2時間8分のため普通席を予約した。



指定席は6号車2番E席である。

今回の「のぞみ1号」もN700Sが充当されていた。
N700SはN700系の後継車両で、
その前に登場したN700Aは使用機器の変更など、
いわばマイナーチェンジだったが、
今回のN700Sは車両のデザインから変更された、
いわばフルモデルチェンジである。
ただ、国鉄時代から使っていた新幹線を3桁の数字で表す方式は、
既に800系が九州新幹線で使われており、
700系の後継車両をN700系にしたが、
次がないのでN700Sと結局“700”に固執した名前になった。



N700Sの“S”は“Supreme”の略で、“最高”を意味する。
JR東海のホームページによると、運行開始は2020年7月からで、
「安全性、安定性、快適性、環境性能などすべての面で最高の性能を備えた車両」とのこと。
また「高速鉄道で世界初となるバッテリ自走システムを搭載」しており、
停電時に駅間で停車し、乗客が何時間も通電してない車内に取り残される事態を避けるため、
搭載バッテリで自走して近くの駅まで行くことが出来る。

新横浜に着く頃には駅弁を食べ終え、車内でまったりする。
横浜の街を出ると車窓には緑が広がってくる。



車内でスマホから京都、大阪、神戸、姫路の天気をチェックする。
京都は午前中の降水確率が90%で、絶望的であった。
大阪、神戸は午前中は“雨マーク”だったが、
午後からは“曇りマーク”になっていた。
姫路も午前中に“雨マーク”が残っていたが、
今回の予定外である岡山を見てみると“雨マーク”はなかった。
本来の予定では今日は京都から大阪、明日は大阪から姫路と、
各駅の取材をすることになっていたが、
予定を変更せざるを得ない。
先ずは京都から姫路まで行き、
天気を見ながら取材出来そうだったからここからスタート、
無理そうであったら予定を大幅に変更して、
今日は岡山から姫路までの取材に変更してもいい。



いろいろと考えを巡らせていると、
「のぞみ1号」は定刻通り、08:08に京都駅に到着した。
京都で下車して見ると空は曇っていたが、
まだ雨の降る気配はなかった。
そこでここから直ぐに姫路に行くのではなく、
先ずは予定通り、山陰本線に乗り換え、
2019年3月に新規開業した梅小路京都西の取材を決行しよう。

 ※参考/JR東海 https://jr-central.co.jp/
 ※参考/日本気象協会 tenki.jp https://tenki.jp/


 7.山陰本線の寄り道−梅小路京都西

東海道新幹線「のぞみ1号」は08:08に京都に到着、
在来線乗り換え口から改札を出て、
山陰本線乗り場へと向かう。
京都駅の烏丸口駅舎に隣接する単式ホームは0番線に付番、
その西側が30番線乗り場となっていて、
30番線に並列するように櫛形ホーム31番線から34番線が、
山陰本線方面の列車が使用する。
因みに京都駅0番線ホームは30番線と合わせ、
全長558mで日本一長いホームとして知られている。
33番線ホームから08:15園部行きに乗り込む。
京都の隣が梅小路京都西である。



JR梅小路京都西駅は相対式2面2線の高架ホームを有する、
山陰本線の駅であり、京都から園部までの嵯峨野線の駅でもある。
1番線は上り京都方面、2番線は下り園部方面が使用する。
開業は2019年3月16日で、付近にある京都水族館や、
梅小路蒸気機関車館を拡張して2016年4月29日に開業した、
京都鉄道博物館への最寄り駅として京都市とJR西日本、
また国の補助金なども活用して建設された。

山陰本線は中国地方の日本海側、山陰地方を結ぶ、
京都から幡生までの676.0kmの幹線で全区間がJR西日本の所有である。
京都から園部までは京都鉄道に敷設され、国有化後に綾部まで延伸された。
綾部から福知山までは現在の福知山線の一部として阪鶴鉄道によって敷設、
阪鶴鉄道が国有化後に阪鶴線となった。
福知山から香住までは播但線の一部として敷設された。
一方、宇田郷から阿川までは美祢線の一部として開業、
阿川から幡生までは小串線として開業、
間の香住から宇田郷までは山陰本線として順次開業され、
1933年2月24日に須佐から宇田郷までが延伸開業して全通、
全区間を山陰本線に編入した。

改札口は自動改札になっており、
しかも駅員がいなくて青春18きっぷでは通れない。
仕方がないので自動改札を強行突破する。
警報が鳴っていたがそれは無視した。
ここでインターホンを押して駅員が来るのを待ってはいられない。
駅前の広場には旧京都市電の車両が静態保存されていた。



これは以前にも取材したことのある2000形2001号車だった。
駅の回りを散策して十分に取材する。
駅からゲートを挟んで隣には京都鉄道博物館が見える。



下車したのが08:17なので10:00p.m.の開館までには1時間半はあるが、
それでも入口には既に並んでいる客が多く見えた。
やはりこの施設は人気なのだろう。
十分に取材して京都に戻る。
梅小路京都西の改札口はやはり無人だった。
今回は強行突破はせず、インターホンを押してみる。
すると直ぐに声がして、青春18きっぷで入場したい旨の話しをすると、
インターホンの下に切符を奥スペースがあり、
それを係員が遠隔で確認して、自動改札のスイッチを一瞬だけ切ってくれる。
そのすきに入場するという仕組みのようだ。
こんなに便利なら出る時も強行突破するのではなかった。
ホームで08:42発の京都行きを待つ。
反対側の2番線には287系が通過していった。



これは京都を08:38に発車した「まいづる1号」である。
今年5月の関西京都大阪乗り潰しの旅で京都から西舞鶴まで乗った。
京都から福知山までは「はしだて1号」と連結して運転される。
梅小路京都西で08:42発に乗り込んで京都まで戻る。
京都に到着したのは08:45だった。
この段階ではまだ雨は降っていないものの、空は厚い雲に覆われていた。


 8.予定変更の新快速−加古川の昼食

08:45に京都に到着してホームに降り、
東海道本線下りの乗り場に向かう。
そこには08:52京都発の新快速が停車していた。
ここからは新幹線の中で考えた通り、
新快速で姫路方面に向かい、空の様子を見ながら行動を決める。
京都で乗り込んだ時にはまだ雨は降っていなかった。
乗り込んだ新快速は野洲を始発して08:50に京都に到着、
2分の停車で京都を出発し、高槻までは各駅に停車する。
山崎を出た当たりで空は灰色と云うより黒に近くなっていた。
高槻発は09:15で、ここから快速運転となり、
茨木、新大阪、大阪と停車していく。
車窓からはずっと灰色の雲が見えていたが、
高槻を出たあたりでとうとう雨粒が窓に当たるようになってきた。



大阪到着は09:35である。
本来ならば各駅下車して今日はここで終了の筈だったが、
まだ朝のうちに大阪まで来てしまった。
大阪駅は各ホームの屋根を撤去し、
南北の駅ビルに跨がる形で大屋根が設置された。
ただ、ホーム屋根の支柱は標識や防犯カメラなどが設置されているため、
そのまま残されていて、ちょっと違和感を感じる。
これも新旧の融合ということなのだろうか。



またこの乗り場ではホームドアではなく、ホーム柵が設置されている。
この柵は昇降式になっており、電車のドアが閉まると柵が上から降りてくる。
関東ではあまり目にしない独特の方式である。
その後雨はいったん止んだが、
六甲道に到着する頃には再び雨粒が落ちてきた。
そのまま神戸から山陽本線に乗り入れ、
舞子当たりでは車窓から明石海峡大橋が見える。
魚住を過ぎた当たりから雨は止んで微かに日差しも見えるようになってきた。
そこで姫路まで行かず、加古川で下車することにした。
加古川は2020年7月23日に訪問済みだが、
その時予定していた加古川名物かつめしを喰えなかったので、
今回では明日の夕食にリベンジすることにしていた。
しかし折角ここまで来たのだし、
加古川到着は10:51で、予定している店舗の開店は11:00p.m.なのでちょうどいい。
ここで下車して少し駅取材して開店を待つことにした。



今回も下車する時に青春18きっぷの4回(人)なのに、
幕張駅で間違って5回(人)に押印された旨を説明し、改札を出る。
2年前の記憶を頼りに「かつめしいろはーす」に向かい、
ポークヒレかつめし1,100円を喰った。
再び駅まで戻り、青春18きっぷで入場する。
いろいろと考えた挙げ句、やはり原点である東海道本線全駅取材を敢行すべく、
先ずはここから神戸に向かい、未乗車駅を下車しながら大阪を目指すことにする。
それでどうしてもまた雨が強くなってきたら、
岡山方面に避難して雨の止んでいるところから駅取材すればいい。


 9.神戸からの東海道本線各駅下車の旅−元町と灘

加古川で念願だったかつめしを堪能し、再び入場する。
そして11:37発の新快速に乗り込む。
この列車は姫路始発で、加古川を出ると、
西明石、明石、神戸の順に停車していく。
神戸到着は12:03で、ここで下車して普通列車に乗り換える。
東海道本線の終点は神戸で、ここに港があったことが、
明治時代には大きな意味があったのだろう。
ここからいよいよ東海道本線全駅取材の旅の始まりである。

東海道本線は全長713.0kmの主要幹線で、総駅数は186駅、
支線を除いた本線のみでも173駅が存在する。
東京から熱海までのJR東日本には37駅、
熱海から米原までのJR東海には84駅、
米原から神戸までのJR西日本には52駅が存在する。

JR西日本管区の52駅の中で、
取材済なのは新大阪、大阪、三ノ宮、京都、長岡京、米原、
神戸、山科、膳所、石山、さくら夙川、東淀川、吹田の13駅のみである。
また東淀川は駅が橋上化されリニューアルしているので再取材したい。
そこで神戸から未取材駅をひとつずつ降り潰していく。

まずは神戸のひとつ隣の元町である。



元町駅はJR東海道本線のほか、阪神電鉄本線の駅もある。

JR元町駅は1934年7月20日開業で、
島式2面4線の高架ホーム構造になっている。
1番線、2番線は下りが使用、1番線は特急線として通過列車が使用、
一部の快速線のみが停車し、原則として2番線は緩行線を使用する。
3番線、4番線は上りが使用、原則として3番線緩行線を使用、
4番線特急線は通過列車と一部の快速のみが使用する。

阪神電鉄元町駅は島式1面2線の地下ホームを有している。
地上にはJR東海道本線元町駅があり、駅舎を共用している。
西口では東海道本線高架ホームの下に入口が設置してある。
また道を挟んだ向かい側のJRAウインズ神戸A館にも出入口がある。
阪神電気鉄道1899年6月12日に摂津電気鉄道として設立され、
同年7月7日に阪神電気鉄道に社名変更した。
本線は1905年4月12日に出入橋(現・廃止)から神戸の区間が開業した。
1906年12月21日には出入橋から梅田(現・大阪梅田)まで延伸した。
元町に駅が出来たのは1936年4月1日で、
国有鉄道東海道線元町駅開業の約2年後である。

元町で駅取材を完了し、13:01で隣の灘駅に行く。



JR灘駅は島式2面4線の高架ホーム構造になっている。
1番線、2番線は上りが使用、3番線4番線は下りが使用する。
島式ホーム外側の1番線と4番線は通過列車のみが使用し、
停車する車両は全て2番線、3番線を使用する。
そのため、1番線と4番線には事故防止のためロープが張られている。
橋上駅舎化されたのは2009年9月23日である。
初代の灘駅は現在の摩耶駅付近に設置されていた。
現在地に灘として開業したのは1917年12月1日で、
それに合わせて初代灘駅は東灘に改称、その後廃止された。



元町でも雨粒は落ちていたが、灘では本降りになってしまった。
ホームに戻り、隣の摩耶へ行く列車を待っていると、
貨物列車が通過していった。
咄嗟のことだったので、上手く撮影出来なかったが、
EF210形300番台だった。
瀬野八補機のEF67形の後継機として製造されたものである。
山陽本線瀬野から八本松の急勾配区間で、後押しの補助機関車として、
貨物列車の通過を補助するほか、
他のEF210形と同様に本務機としても使用できる汎用型である。
EF210-325は2020年度登場の4次車で、
吹田機関区所属機である。


 10.東海道本線各駅下車の旅−摩耶と六甲道

灘では本降りの雨になってしまったが、
取り敢えずそのまま隣の摩耶に行ってみることにした。
天候は不安定で、摩耶に到着した時には再び雨は止みかけていた。



JR摩耶駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り、2番線は下りが使用する。
緩行線のみにホームがあり、急行線にはホームはない。
画像は南口で、橋上駅舎化されており、こちら側出入口のみである。
摩耶駅は1904年2月1日に灘信号所が開設されたのに始まる。
1907年8月20日には神戸港への貨物線が開業した。
1910年10月1日に貨物駅として灘駅となり、
1917年12月1日に旅客営業の灘駅が開業したことにより、
貨物駅の灘駅は東灘駅に改称された。
しかし貨物取り扱いが廃止されたことにより、
1972年10月1日に東灘操車場に格下げされ、
国鉄分割民営化に合わせ、1987年4月1日に再び信号場となった。
2010年頃、この地に旅客駅の設置が計画され、
2016年3月26日に摩耶駅が開業した。
計画当時は“まや”と平仮名表記にする予定だったが、
最終的には“摩耶”となった。

13:16に摩耶を出て、隣の六甲道に行く。



JR六甲道駅は島式2面4線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、1番線は特急線として通過列車が使用、
一部の快速線のみが停車し、原則として2番線は緩行線を使用する。
3番線、4番線は上りが使用、原則として3番線緩行線を使用、
4番線特急線は通過列車と一部の快速のみが使用する。
高架下に駅機能を有している。
六甲道に駅が出来たのは、吹田から須磨までの区間が電化された、
1934年7月20日に同時に開業した。
高架化されたのは下り電車線が1976年6月29日、
上り電車線は同年10月26日である。


 11.東海道本線各駅下車の旅−住吉と再訪の六甲道

六甲道ではまた雨が降り出したが、
そのまま取材を続行することとして隣の住吉まで行く。

JR住吉駅は島式2面4線の地上ホームを有する。
1番線、2番線は上りが使用、1番線は特急線として通過列車が使用、
一部の快速線のみが停車し、原則として2番線は緩行線を使用する。
3番線、4番線は下りが使用、原則として3番線緩行線を使用、
4番線特急線は通過列車と一部の快速のみが使用する。
画像は北口で、橋上駅舎化されている。



また南口には神戸新交通六甲アイランド線の改札があり、
構内で乗り換えが可能になっている。
官設鉄道(現・東海道本線)の住吉駅が出来たのは1874年6月1日で、
六甲アイランド線の住吉駅が出来たのは1990年2月21日である。
神戸新交通は神戸市が中心となって設立された第三セクター鉄道で、
新交通システムのポートアイランド線と六甲アイランド線を運営している。

住吉での駅取材後に再び六甲道に戻る。
乗り込む時にちょっと印象的な駅名標を見掛けたからだ。
これを取材するためだけに六甲道に戻った。



この謎のデザインの駅名標はホームの端に1箇所だけ設置されていて、
あとは他の駅と同じようなJR西日本在来線の標準的なデザインである。
これを取材して、次は2つ先の摂津本山に行く。


 12.東海道本線各駅下車の旅−摂津本山と阪急岡本駅

JR摂津本山駅は島式2面4線の地上ホームを有する。
1番線、2番線は上り、3番線、4番線は下りが使用する。
ただ、外側の1番線、4番線は通過列車が使用、
そのため転落防止の柵が設置されている。
南北に駅舎があり、橋上駅舎化されている。
摂津本山に駅が出来たのは1935年12月25日である。
現在の所在地は兵庫県神戸市東灘区岡本一丁目だが、
武庫郡元山村であり、予讃線の元山駅と区別するため、
律令制の国名だった摂津を冠して摂津本山の駅名になった。



北口を取材する中で、全景撮影のために、
駅前の道を撮影ポイントを探しながら歩いていたら、
案内板に阪急岡本駅が徒歩圏内にあることを知る。
そこで予定はなかったが、急遽阪急岡本駅を取材することにした。



阪急電鉄岡本駅は相対式2面2線の地上ホームを有する神戸本線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用する。
画像は南口で、1番線に隣接して設置されており、
ホームより低い位置に南改札が設置されている。
2番線側にも北改札口が設置されているが、出入口に駅舎はない。
1番線と2番線の間は地下道で結ばれている。
以前は構内踏切で結ばれていた。
阪急は1906年10月19日に箕面有馬電気軌道として設立され、
1910年には宝塚本線、箕面線が完成した。
1918年2月4日には社名を阪神急行電鉄に変更し、
1920年には神戸本線、伊丹線が開業した。
戦時中の1943年10月1日に京阪電気鉄道と合併し、
京阪神急行電鉄となり、戦後京阪電鉄は独立するが、
新京阪鉄道が敷設した路線を譲り受け京都本線とした。
岡本駅は阪神急行電鉄神戸線(現・神戸本線)開通と同時に開業した。
所在地の兵庫県神戸市東灘区岡本五丁目で、地名から駅名が来ている。



阪急岡本駅を取材してJR摂津本山駅に戻る途中、
足下の石柱の案内には「国鉄元山」と書かれていた。
たぶん、国鉄分割民営化された、
1987年4月1日以前に設置されたのだろう。


 13.東海道本線各駅下車の旅−甲南山手と芦屋と西宮

摂津本山まで戻って青春18きっぷを使って入場し、
14:54発で隣の甲南山手に行く。



JR甲南山手駅は島式1面2線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り、2番線は下りが使用、
1番線、2番線の外側にホームのない通過線がある。
甲南山手に駅が出来たのは1996年10月1日である。

駅取材してからホームに戻り、15:11で隣の芦屋に行く。



JR芦屋駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り待避線、2番線は下り主本線、
3番線は上り主本線、4番線は上り待避線となっている。
そのため緩急接続が可能になっていて、
更に1番線と4番線の外側には通過線が設置されていて、
特急や貨物列車などが通過する際に使用する。
画像は北口で駅ビルが設置されており、橋上駅舎化されている。
芦屋に駅が設置されたのは1913年8月1日であった。

15:29発で芦屋から2つ先の西宮に行く。
間のさくら夙川は2016年5月13日に、
阪急で駅取材していた時に、阪急夙川から徒歩移動で取材しに来ていた。
乗り込んだ電車は15:33に西宮に到着する。



JR西宮駅は島式2面4線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、1番線は特急線として通過列車が使用、
一部の快速線のみが停車し、原則として2番線は緩行線を使用する。
3番線、4番線は上りが使用、原則として3番線緩行線を使用、
4番線特急線は通過列車と一部の快速のみが使用する。
西宮に駅が出来たのは1874年5月11日で、
神戸から大阪の区間が開通したのと同時に開業した。


 14.東海道本線各駅下車の旅−甲子園口と立花

西宮で駅取材して15:48で隣の甲子園口に行く。
西宮を出る時には細かな雨がまた降り始めていた。



JR甲子園口駅は島式2面4線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り、2番線は上り方面折り返し専用、3番線は上りが使用する。
4番線は上り通過列車が使用するため、柵が設置されている。
2番線は大阪方面から来て当駅で折り返す列車要で、
ホーム端には車止めが設置されている。
盛土上にホームが設置されていて、南北それぞれに駅舎が設置されている。
甲子園口に駅が設置されたのは1934年7月20日である。
駅所在地は兵庫県西宮市甲子園口二丁目で、駅名も地域名から来ている。
ただ、阪神甲子園球場までは2.3km離れている。

甲子園口を16:06に出る電車で隣の立花に行く。



JR立花口駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、1番線は通過列車が使用する。
3番線、4番線は上りが使用、4番線は通過列車が使用する。
1番線と4番線は事故防止のため柵が設置されている。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。
立花に駅が出来たのは1934年7月20日で、
橋上駅舎化されたのは1970年10月である。


 15.東海道本線各駅下車の旅−塚本と再訪の東淀川

立花を16:24に発車した電車で二つ先の塚本に行く。
中間の尼崎は2021年7月21日水曜日に、
おおさか東線の新大阪から放出まで乗り潰しで、
新大阪に戻るのに折り返さず、
放出からこJR東西線直通のJR片町線で尼崎まで出て、
夕食を取ってから東海道本線で戻った。
この時に駅取材も完了している。



JR塚本駅は島式2面4線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り通過線、2番線は上り主本線、
3番線は下り主本線、4番線は下り通過線となっている。
1番線と4番線は事故防止のため柵が設置されている。
塚本に駅が設置されたのは1934年7月20日だが、
1918年5月15日には歌島仮信号所が設置され、
同年8月1日に北方貨物線の開業に伴い歌島聯絡所に改称された。
1922年4月1日に歌島信号場に改称された。
この信号場は1922年4月1日に一度廃止されたが、
1934年5月25日に再設置され、同年7月20日に駅に昇格した。

塚本の隣は大阪で16:41でもうひとつ隣の東淀川に行く。



 ※東淀川駅西口



 ※東淀川駅東口

JR東淀川駅は島式2面4線の地上ホームを有する。
1番線は下り通過線が使用、ホームは閉鎖、
2番線は下りが使用、3番線は上りが使用、
4番線は上り通過線が使用、ホームは閉鎖されている。
官設鉄道の大阪から向日町までの区間が敷設されたのは、
1876年7月26日であるが、
東淀川に駅が設置されたのは1940年4月1日である。
戦前の新幹線計画、一般的に云われていた“弾丸列車計画”で、
新大阪駅が設置される予定だったのがここであった。
しかし戦後改めて東海道新幹線の敷設が検討された際、
山陽新幹線延伸を考慮して東海道本線と北方貨物線の分岐点に予定を変更、
東淀川から約700m先に新大阪が設置され、東海道新幹線が乗り入れた。
そのため1964年10月1日の東海道新幹線開業に合わせ、
東淀川駅を廃止も検討されたが、
地元住民の反対もあり存続が決まった。



 ※東淀川駅旧駅舎
 ※撮影時刻 2016/05/15 15:10:02

画像の旧駅舎は西口で、旧駅舎時代は地下通路で結ばれていた。
北宮原踏切が“開かずの踏切”として問題視され、
2018年11月11日に橋上駅舎に切り替え、
それに併せて東西自由通路が設置された。

駅取材終了後、近くで見つけた「ラーメン虎と龍」に入店し、
夕食として白虎とんこつラーメン720円を喰った。
このあと大阪まで戻り、予約しているホテルヴィアイン梅田に行く。


 16.大阪の夜と朝−ビールとチーズの晩酌

東淀川を17:27に発車する下り列車で大阪まで戻り、
予約していたホテルヴィアイン梅田を目指す。
ここへ行くのは2度目で、前回少し迷子になったが、
今回も今ひとつ場所が分からず、
地下から最寄りの出口まで行くのは断念して、
地上から建物を目指して行くことにした。
しかし建物がどういうデザインなのか把握しておらず、
この作戦は失敗した。



ただ、大屋根が出来てからのJR大阪駅の姿を見られたのは収穫だった。
再び地下に行き、前回の記憶をたぐり寄せて何とかホテルに向かった。
ホテルの場所を確認してから地下商店街を戻り、
まるしげ・ホワイティ梅田店と成城石井・Whiyyうめだ店でつまみなど買い、
ホテルヴィアイン梅田にチェックインする。



ここは前回来た時に知ったのだが、
セブンイレブン・ハートインヴィアイン梅田店が併設されており、
購入したものをホテル専用のカゴに入れて、
そのまま部屋まで持ち込むことが出来る。



ここでビールや水などを買い、部屋に持ち込む。



まるしげと成城石井で購入したチーズやせんべいなどをつまみに、
ビールを部屋飲みする。
しかし考えてみると一晩で喰うには買いすぎた。
残りは持ち帰ることにした。
翌朝は6:00a.m.頃起床、支度をして、
6:45a.m.にはチェックアウトした。
最近のホテルヴィアインは朝食が有料になったため、
朝ご飯は食わずにホテルを出る。
しかしホテルを出た時間が早すぎたためか、
梅田の地下街で朝食を喰えるようなところは見つからなかった。
この先、駅取材しながら駅そばを探すことにしよう。


 17.2日目の東海道本線各駅下車の旅−岸辺と千里丘

ホテルをチェックアウトし、地上から大阪駅を目指す。
位置関係を頭に入れておくためである。
大阪駅の改札に行き、青春18切符に押印して貰う。
幕張駅で間違って5回目に押印されてしまったことを告げ、
代わりに4回(人)のところに、
「大阪 18.22 JR西日本」と押印して貰った。
ここから東海道本線完乗の旅の2日目が始まる。
まずは07:00発で3つ先の岸辺に行く。
隣の東淀川は昨日再取材済だし、
2つ先の吹田も2016年7月23日に取材している。



JR岸辺駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り通過列車、2番線は下り普通停車列車が使用、
3番線は上り普通停車列車が使用、4番線は上り通過列車が使用する。
そのため1番線と4番線には転倒防止用の柵が設置されている。
画像は南口で橋上駅舎化されている。
駅の北側には吹田貨物ターミナルが広がっている。
岸辺に駅が出来たのは戦後の1947年4月11日で、
2012年3月17日に現在の橋上駅舎が完成した。
2018年11月17日には駅北側に北大阪健康医療都市が開業、
吹田市民病院や複合商業施設VIERRA岸辺健都などが入り、
吹田貨物ターミナルを跨ぐペデストリアンデッキが設置された。

岸辺駅には駅そばはなかったため、ここでの朝食は断念、
07:37で隣の千里丘まで行く。



JR千里丘駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り通過線、2番線は上り主本線、
3番線は下り主本線、4番線は下り通過線となっている。
1番線と4番線は事故防止のため柵が設置されている。
橋上駅舎化され、画像は西口である。
千里丘に駅が出来たのは1938年12月1日で、
現在の橋上駅舎が完成したのは1983年3月18日である。

千里丘の東口で「コメダ珈琲」を見つけ、ここでモーニングを喰う。
朝食を喰って線路をアンダーパスする大阪府道142号正雀停車場線の、
歩道を通って西口を取材し、08:21発の上りで隣の茨木に行く。
この時は全く気がついていなかったが、
東口でモーニングを喰ってそのまま西口に向かってしまったが、
肝心の東口駅舎を取材していなかった。
とほほ・・・。
ここは再取材に来なければならないな・・・。


 18.東海道本線各駅下車の旅−茨木とJR総持寺

千里丘で腹を満たし、隣の茨木に行く。



JR茨木駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は下り、3番線、4番線は上りが使用、
1番線と4番線は平日朝のラッシュ時のみ使用され、
それ以外はロープが張られている。
のた上下線の外側に各1本ずつ通過線もある。
橋上駅舎化されていて、東西それぞれに出入口がある。
茨木に駅が出来たのは1876年8月9日で、
橋上駅舎化されたのは1969年10月1日である。



茨木で取材を終え、08:46で隣のJR総持寺に行く。



JRJR総持寺駅は島式1面2線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
複々線の内側のみにホームがあり、通過線にホームはない。
盛土上にホームが設置されており、1番線は下り、2番線は上りが使用する。
盛土を貫通する通路出る位置に改札が設置されている。
JR総持寺は2018年3月17日に開業した。
阪急京都線にも総持寺駅があり区別するため、
駅名を「JR総持寺」とした。
つまりJR〇〇駅という表記をする場合は、
“JRJR総持寺駅”となってしまう。


 19.東海道本線各駅下車の旅−摂津富田と高槻

JR総持寺を09:01に出る電車で隣の摂津富田に行く。



JR摂津富田駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り通過列車、2番線は下り停車列車が使用、
3番線は上り停車列車、4番線は上り通過列車が使用する。
1番線と4番線は落下防止のため柵が設置されている。
画像は南口で橋上駅舎化されている。
摂津富田に駅が出来たのは1924年7月25日で、
現在の橋上駅舎が完成したのは1970年7月1日である。
かつては松下電器産業高槻工場への貨物専用線も設置されていた。



東端の跨線橋には松下電器産業専用出口が設置されて、
開扉時間帯は平日の7:30a.m.から8:30a.m.である。
また休日には真如苑参拝者専用としても使用される。



摂津富田で取材して09:18で隣の高槻に行く。
この時は全く気付いていなかったが、
南口のみを取材して次の列車に乗ってしまい、
北口を取材するのを忘れていた。
ここも再取材が必要だな・・・。



JR高槻駅は単式2面2線と島式2面4線の、
計4面6線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
北側の単式ホームは1番線に付番され、上り新快速と特急「はるか」が使用、
2番線は上り快速と特急「サンダーバード」、3番線は上り普通列車が使用する。
4番線は下り普通列車、5番線は上り快速と特急「サンダーバード」が使用する。
南側の単式ホームは6番線に付番され、特急「はるか」が使用する。
2番線と3番線、4番線と5番線の島式ホームは緩急接続に使用される。
かつては島式2面4線構造で外側のホームを快速、新快速、特急が使用、
そのためホームが開くのを駅手米で停車して待つことが発生していた。
それを改称するため、留置線の一部を撤去して単式ホームを増設、
2016年3月26日から供用開始、新快速と特急「はるか」専用のホームとした。
高槻に駅が出来たのは1876年7月26日で、
大阪から向日町まで延伸した時に同時に開業した。
橋上駅舎化されたのは1979年7月1日である。


 20.東海道本線各駅下車の旅−島本と山崎

高槻を09:45に出て隣の島本に行く。

JR島本駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用する。
複々線の内側の線路にのみホームが設置されている。
島本が開業したのは2008年3月15日で請願駅である。



西口側は駅前が再開発中で駅舎取材が上手く出来なかった。
ここも再開発が終了したタイミングで再訪する必要がある。
10:04の電車で隣の山崎まで行く。



JR山崎駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り通過列車、2番線は下り停車列車、
3番線は上り停車列車、4番線は上り通過列車が使用する。
通過列車が使用する1番線と4番線には柵が設置されている。
傾斜地に設置されているため、駅舎はホームより低い場所にあり、
そのため改札口や駅舎は1箇所のみである。
山崎に駅が出来たのは1876年8月9日である。
阪急京都本線大山崎駅とも約250mの距離であり、
2022年5月4日水曜日みどりの日に、
阪急阪神1dayパスで阪神と阪急の駅取材をした時に、
大山崎駅の駅取材のあとにここにも来ようと思ったが、
事前に行き方を調べておらず、
駅前を少し散策してみたが分からず断念していた。
5月のリベンジを終了したことになる。


 21.東海道本線各駅下車の旅−向日町と桂川

山崎で取材を終え、10:21で2つ先の向日町まで行く。
乗り込んだ列車は221系B2編成である。



隣の長岡京は2003年9月8日に、
富山から大阪まで北陸から近畿までを旅した時に、
歴史的な都市の名前の付いた駅名に惹かれて途中下車した。
長岡京は784年から794年まで都とされていたところで、
山城国乙訓郡に存在した。
ただ、駅名は都としての“長岡京”よりも、
長岡町が1972年10月1日に市制施行時に、
新潟県長岡市との混同を避けるため、
“長岡京市”を名乗ったことによるものと思われる。
長岡京は784年(延暦3年)桓武天皇が平城京から遷都したが、
しかしわずか10年で平安京に再び遷都されることになる。



JR向日町駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り通過列車、2番線は上り停車列車、
向日町に駅が出来たのは1876年7月26日で、
大阪から向日町まで延伸した時に終着駅として開業した。
駅名は所在地の京都府向日町市寺戸町久々相から取られている。
現在の駅舎が出来たのは1966年7月1日である。

向日町で取材を終えたあと、10:43で隣の桂川に行く。



JR桂川駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用、
複々線の内側にのみホームが設置されている。
画像は西口で、橋上駅舎化されているが駅舎は西口のみで、
東口は階段、エスカレーター、エレベータの出入口があるのみである。
桂川に駅が出来たのは2008年10月18日で、
当初は“JR桂”の駅名の予定だったが、
近くを流れる桂川から駅名が取られた。
駅所在地は京都府京都市南区久世高田町にあり、
副駅名として「桂川(久世)」が付けられている。


 22.東海道本線各駅下車の旅−予定追加の京都越えと再訪の山科

本来の予定は21日日曜日は京都から大阪、
22日月曜日は大阪から神戸、
その先の姫路まで一部の駅を取材することにしていたが、
雨の影響で21日日曜日に神戸から大阪、
そして今日22日月曜日に大阪から京都までを取材した。
桂川の2つ先は京都で、これで東海道本線に関しては、
予定していた全部の駅を取材したことになる。
しかし桂川で駅取材を終えたのは11:00a.m.前で、
帰りの新幹線は18:53姫路発の「のぞみ52号」である。
この段階でまだ7時間53分の余裕がある。
京都から姫路までの移動を考えても時間が余りすぎる。
とは云っても、今更予定していた山陽本線の取材に向かうのも意味がない。
そこで京都から先の上り方面の駅取材を強行することにした。
昨日、今日の駅利用の中で上り方面の新快速は、
米原行き、野洲行き、近江塩津行きなどがあることが分かった。
米原は東海道本線でJR大阪とJR東海の区界駅となる。
更に近江塩津は米原から北陸本線に乗り入れた先にある。
そんな中で初めて目にした名前が野洲である。
野洲は京都から10先の駅で、近江八幡の2つて前である。
そこでこの先は野洲を目指して駅取材していき、
野洲で折り返す始発の新快速で姫路まで戻ることにした。
11:00発の電車で桂川から3つ先の山科まで行く。
一つ先の西大路は2018年8月5日に京都鉄道博物館を見学した時に、
この駅から徒歩で行った時に駅取材を完了している。
京都も今まで何度も訪問していて、敢えて駅取材することはない。
そこで3つ先の山科に行く。



JR山科駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
また湖西線の起点駅にもなっており、1番線、2番線は下り、3番線、4番線は上りが使用し、
1番線はJR京都線特急と湖西線、2番線はJR京都線普通、新快速、
3番線は琵琶湖線、湖西線、4番線は琵琶湖線特急と一部の湖西線が使用する。
1番線と4番線の外側に付番されていない通過線も設置されている。

この駅も2007年7月7日に訪問済みだが、
隣接する京阪電鉄京津線山科駅の取材が不十分だったので、
折角なのでこれを機会に駅取材する。



既に11:20a.m.になっていたのでこの駅で昼食を喰えるところを探す。
この駅はJR東海道本線、京阪京津線、京都市営地下鉄東西線と3路線が乗り入れる。
そのため駅前にも飲食店が見られる。
駅前を散策し、カレー専門店「得正・山科店」という店を見つける。
ここでトンカツカレー・卵付950円を喰い、駅に戻って野洲方面の旅を続ける。


 23.東海道本線各駅下車追加の旅−大津と瀬田

山科でカツカレーを喰い、腹を満たして隣の大津に行く。

JR大津駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は上り、3番線、4番線は下りが使用する。
基本的には島式ホーム内側の2番線、3番線を使用、
外側の1番線、4番線は一部の新快速、特急、草津線直通の列車が使用する。



京都から大津(現・膳所)は開業当初は25パーセクの勾配が存在し、
そのため新線建設が計画され1921年8月1日に完成、
旧上り線の京都から稲荷までは奈良線に転用された。
この時、大津が馬場(現・膳所)に改称され、
京都と馬場の間に新しく大津駅が建設された。
駅舎は北口側にのみに建設され、北口改札はびわ湖口の愛称が付けられた。
2つの島式ホームは地下通路で結ばれ、
南側にも地下に改札が設置され、改札外に地上への階段が設置されている。

大津を12:01に出る電車に乗り込み、3つ先の瀬田に行く。
途中の膳所と石山は既に取材済である。
この2つの駅も富山から大阪まで北陸から近畿までを旅した時、
2007年7月7日に訪問済みである。



JR瀬田駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、基本的には2番線を使用する。
3番線、4番線は上りが使用、基本的には3銀線を使用、
草津線直通のみ4番線を使用、橋上駅舎化されている。
瀬田に駅が出来たのは1969年8月12日である。


 24.東海道本線各駅下車追加の旅−南草津と草津

瀬田から隣の南草津まで行く。



JR南草津駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線、2番線は下り、3番線、4番線は上りが使用、
基本的には内側の2番線、3番線を使用する。
ラッシュ時の新快速や特急は1番線、4番線を使用する。
日中は新快速も2番線、3番線を使用する場合もある。
橋上駅舎化され、東口、西口それぞれに駅舎が設置されている。
総事業費約30億円のうち、草津市が約25億円を負担した請願駅である。
1994年9月4日に開業した。



12:47発の列車で隣の草津まで行く。



JR草津駅は頭端式1面2線と島式2面4線の、
計3面6線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
また草津線も接続し、終点となっている。
橋上駅舎化され、画像は東口でペデストリアンデッキ上にあり、
西口には駅舎が設置されている。
草津線は関西鉄道が敷設した路線した路線で、
当初は名古屋から大津を結ぶ路線として計画された。
1889年12月25日で草津から三雲までの区間が開業、
1890年2月29日に三雲から柘植まで延伸した。
関西鉄道は1898年4月19日に本線を名古屋から加茂に変更、
柘植から草津は支線扱いになった。
関西鉄道は1907年10月1日に国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定により、
柘植から草津の支線が草津線となった。


 25.東海道本線各駅下車追加の旅−栗東と守山

草津を13:16に出た列車で隣の栗東に行く。



JR栗東駅は相対式2面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り方面、2番線は下り方面が使用する。
橋上駅舎化され、画像は東口である。
栗東に駅が出来たのは1991年3月16日で、
総工費5億5200万のうち90%を地元自治体が負担した請願駅である。



栗東を13:49に出る電車で隣の守山に行く。

JR守山駅は相対式2面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
橋上駅舎化され、画像は西口である。
上り1番線には西口にあるセブンイレブンハートインへの、
ICカード専用の無人改札機が設置されている。
以前は単式1面1線と島式1面2線構造で、
更にホームのない上り線もあったが、
貨物営業が終了したため相対式2面2線構造に変更された。
守山に駅が出来たのは1912年4月16日で、
橋上駅舎化したのは1973年4月1日である。


 26.東海道本線各駅下車追加の旅−野洲と始発新快速乗車

守山で駅取材を完了し、14:07で隣の野洲に行く。
本日の東海道本線での駅取材の最後の駅である。



JR野洲駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
単式ホームは1番線に付番され、下り列車が使用、
島式ホームの2番線、3番線は上り列車が使用、
2番線が待避線、3番線が主本線となっている。
野洲で折り返しの列車は2番線を使用する。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。
駅の北側には駅の北側には網干総合車両所宮原支所野洲派出所があり、
野洲を終着、始発する列車の設定がある。
野洲に駅が出来たのは1891年6月16日である。

野洲で駅取材を終えた2:30p.m.で、
青春18きっぷで再入場し、野洲始発の新快速に乗車する。
帰りの新幹線は18:53姫路発でまだ4時間以上の余裕があるが、
姫路からかなり離れてしまったので、
いったん姫路まで行って残りの時間の使い方を考えることにする。



乗り込んだ列車は225系で、14:25野洲始発である。
ずっと好天だったが、新大阪に至る頃には小雨が降り始めていた。
この新快速は網干行きで、姫路の3つ先まで行く。
網干到着は17:00になっており、まだ1時間53分の余裕がある。
たぶん、姫路で降りると約2時間の乗り換えで、
夕食を喰っても時間を持て余してしまう。
そこで姫路の隣の英賀保で下車して駅取材することにしよう。
時間的に日が傾き始めている筈だが、
まだ夏で日が長いので何とかなるだろう。


 27.山陽本線各駅下車追加の旅−英賀保とはりま勝原

野洲を14:45始発した新快速は京都に15:13、
新大阪に15:43、姫路には16:48に到着した。
そして野洲で乗り込んで2時間9分、姫路の一つ先の英賀保に到着した。



JR英賀保駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する山陽本線の駅である。
駅舎に隣接している単式ホームは1番線に付番され、下り列車が使用する。
島式ホームは2番線、3番線に付番され、下り列車が使用する。
下りは主に3番線が使用され、一部列車のみ2番線を使用する。
また上下線の回送列車も2番線を使用する。
島式ホームと駅舎に隣接する単式ホームは跨線橋で結ばれている。
英賀保に駅が出来たのは1913年4月15日で、
1911年11月1日には英賀保信号所が設置され、それが駅に昇格した。

駅周辺を散策すると、駅近くに「栄太呂ラーメン」というラーメン店を見つける。
開店を待って味噌ラーメン+ギョーザセットを喰う。
駅に戻るとまだ日差しが残っていて、光量的に何とかなると判断し、
17:35で隣のはりま勝原まで行って追加の駅取材をすることにした。



JRはりま勝原駅は相対式相対式2面2線の地上ホームを有する山陽本線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用、橋上駅舎化され、画像は南口である。
はりま勝原は姫路市の請願駅で、2008年3月15日に開業した。
計画段階では“播磨勝原”だったが、開業1年前に現駅名に決定された。



回送列車が上り方面を走っていく。



空は既に暮れかけており、自然光での取材には限界だと思った。
ここで駅取材は終了、撤収することにした。


 28.姫路の夜とグリーン車での帰京−旅の終わり

はりま勝原で取材を終え、18:01上りで2つ先の姫路まで戻る。
やってきたのは115系の国鉄形の鋼製電車だった。



姫路に到着したのは18:09だった。
既に英賀保で夕食を喰っていたので43分あれば余裕である。
駅の外に出てみると既に日は傾き始めていた。



お土産などを買って新幹線改札を事前購入した切符で入場する。





新幹線ホームに上がると既に夜の帳が降り始めていた。



18:53姫路に到着した「のぞみ52号」に乗り込む。
事前に売店でビールや日本酒、つまみ、水などを買い込む。



しかし疲労が蓄積していたためか、ビールを飲んだ段階で爆睡してしまい、
日本酒やつまみはそのまま自宅に持ち帰ることにした。
2時間28分の乗車で東京に到着する。



東京で在来線に出て、地下ホームまで移動し、
22:15東京始発の総武快速線千葉行に乗り津田沼まで行く。
ここで総武緩行線の乗り換えて帰宅する。





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