九州完乗の旅再び



 1.福岡に実物大νガンダム立像が誕生

2021年年末、突然福岡に、
νガンダムの実物大立像が設置されるというニュースが飛び込んできた。
ガンダムの実物大立像は、RX-78-2ガンダムが、
2009年7月11日からお台場の潮風公園に登場し、
同年8月末まで公開されたものが最初である。



 ※お台場潮風公園のRX-78-2ガンダム
 ※撮影日時 2009/08/03 14:45:27

このRX-78-2ガンダム立像はその後静岡に移転されたが、
2012年からは再び東京に戻り、ダイバーシティ東京の前で公開されていた。
それは2017年3月5日で公開は終了した。

そのあと同年9月24日日曜日から、
新たにユニコーンガンダム立像が設置された。
ユニコーンガンダムはファーストガンダムの一年戦争終結から16年後の世界が舞台で、
“ラプラスの箱”を巡るネオジオンの残党と連邦軍の戦いを描いた、
OVAで公開された「機動戦士ガンダムUC」と、
それを再編集したテレビシリーズ「機動戦士ガンダムユニコーン RE:0096」の、
主人公バナージ・リンクスが搭乗するモビルスーツで、
普段は額のブレードアンテナが一本角になっているが、
搭載されているNT-Dが発動するとデストロイモードに変形、
格納されていたサイコフレームがむき出しになる。



 ※ダイバーシティ東京前のユニコーンガンダム
 ※撮影日時 2022/04/10 9:10:46

そして国内3体目として登場したのが福岡のνガンダムである。
福岡に新たに開業したららぽーと福岡の目玉として、
2022年4月25日に公開された。
νガンダムは映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」に登場した、
アムロ・レイが搭乗する機体で、フィン・ファンネルが特徴的なデザインである。
ファーストガンダムの一年戦争終結から14年後の世界が舞台で、
アムロ・レイとシャア・アズナブルが再び敵同士となって、モビルスーツ戦を繰り広げる。
ただ、νガンダムのフィン・ファンネルの取り付けた機体は左右非対称で立像には向かない。
そこでアムロが乗ったRX-93νガンダムの後続機という設定で、
νガンダム立像のRX-93ffνガンダムが誕生した。
アムロ専用機であったRX-93のロールアウトには間に合わなかった、
ロングレンジ・フィン・ファンネルを装備し、
RX-93を艦載していたラー・カイラムに残っていたデータを元に復元したという設定である。
実際の問題としてはロングレンジにすることで本体とバランスがとれるというメリットもある。
設定は後付けだろうが、それでもνガンダムはどうしても見てみたい。
これを見るためにもう一度九州に行ってみてもいいかなと思い始めていた。


 2.西九州新幹線の部分開業

日本全国に計画された整備新幹線だが、
九州地区は博多から鹿児島と博多から長崎の2つの路線が計画されていた。
そのうち博多から鹿児島で計画された九州新幹線鹿児島ルートは、
2004年3月13日に新八代から鹿児島中央の区間が部分開業、
正式名称も「九州新幹線」となった。
この時、博多から新八代の区間は「リレーつばめ」が繋ぎ、
新八代では渡り線で直接新幹線ホームに乗り入れ、
同一ホーム内で乗り換えが出来るようになっていた。
島式2面4線の下りの1本を狭軌で敷設することで可能になった。
2011年3月12日は新八代から博多まで延伸して全通、
山陽新幹線とも相互乗り入れを開始した。

一方、九州新幹線長崎ルートは沿線自治体との調整が難航し、
紆余曲折の上、2022年9月23日に武雄温泉から長崎の区間が部分開業した。
正式名称は「西九州新幹線」と決定し、
九州新幹線と同様、博多から武雄温泉の区間は「リレーかもめ」が繋ぎ、
武雄温泉の下りホームの一つを狭軌で敷設して同一ホームでの乗り換えを可能にした。
一方で九州新幹線からの分岐駅となる予定の新鳥栖から武雄温泉の区間は、
敷設方式で沿線自治体との協議が難航し、未だ着工に至っていない。
この区間は在来線狭軌区間を走行してそのまま新幹線に乗り入れることが出来る、
フリーゲージトレインの導入が検討されていたが、
車両の保守や軌道負荷などの課題が解決できず、導入が断念された。
そのため全区間フル規格での敷設を主張するJR九州と、
沿線の経済的負担や並行在来線のダイヤ減などで難色を示す佐賀県との溝は埋まらず、
工事の承認が出ていないなど先行きは不透明である。

部分開業した西九州新幹線は営業キロ69.6kmと日本の新幹線の中で最も短く、
駅も武雄温泉、嬉野温泉、新大村、諫早、長崎の5つしかない。
車両はN700S720番台が投入された。
デザインは九州新幹線も担当した水戸岡鋭治氏が担当している。

この距離と駅数なら1日で十分取材可能である。
乗り放題の切符があれば「リレーかもめ」を含め西九州新幹線の取材をしたいと思った。


 3.九州完乗の旅再び第1案

2022年4月25日に開業した「ららぽーと福岡」には、
実寸大のRX-93ffνガンダムが誕生し、
2022年9月23日には西九州新幹線が部分開業した。

九州の鉄道は新幹線、JR九州、大手私鉄、中小私鉄、
更には地下鉄や路面電車に至るまで全区間で乗り潰しが完了している。
しかし西九州新幹線が開業したことで、未乗車区間が誕生してしまった。

そこでららぽーと福岡のνガンダム立像の取材と絡めて、
西九州新幹線の全駅取材を検討した。
ららぽーと福岡は博多の隣の竹下駅から徒歩約9分の距離である。
予定は2023年5月のゴールデンウィークを考え、
5月3日火曜日憲法記念日と5月4日水曜日みどりの日で、
1泊2日の予定で計画を立ててみた。

 2023年5月3日水曜日/1日目

羽田空港−空路−福岡空港
福岡空港−福岡市地下鉄空港線−博多

 ※新幹線にも乗れるJR九州乗り放題切符

博多−鹿児島本線−竹下

 ※ららぽーと福岡に実物大ガンダム立像 「RX-93ffνガンダム」

竹下−鹿児島本線−博多
博多−リレーかもめ−武雄温泉
武雄温泉−西九州新幹線−嬉野温泉
嬉野温泉−西九州新幹線−諫早
諫早−西九州新幹線−長崎

 ※No.160 アパホテル〈長崎駅前〉泊

 2023年5月4日木曜日/2日目

 ※長崎市電車両取材

長崎−西九州新幹線−新大村
新大村−大村線−大村
大村駅−長崎県交通局大村市内線10系統−長崎空港
長崎空港−空路−羽田空港

 ※参考:三井ショッピングパーク「ららぽーと福岡」ホームページ https://mitsui-shopping-park.com/lalaport/fukuoka/


 4.九州完乗の旅再び第2案

西九州新幹線完乗の旅は2023年5月3日から1泊2日で考えていたが、
2022年11月には23日水曜日に勤労感謝の日がある。
現在の勤務体系は会社自体は月曜から金曜までが開業日で、
土曜、日曜は休日となっているが、
土曜日は当直による臨時開業状態になっていて、
土曜日は固定出勤で、月曜が代休になっている。
つまり、11月20日日曜日、21日月曜日は定休で、
23日水曜日も祝日である。
つまり22日火曜日に有給休暇を取得すれば4連休になるのだ。
そこで会社と交渉し、同僚にもお願いして調整し、
11月22日火曜日の有給休暇取得に成功した。

これに合わせて九州完乗の旅を2023年5月から移植、
更に20日日曜日から22日火曜日までの2泊3日で計画し、
23日水曜日は“お疲れ休み”として静養日にする。
それに合わせて2泊3日で計画することにした。

11月20日日曜日

04:56幕張−総武緩行線・三鷹行(7)−05:03津田沼[2]
05:05JR津田沼駅南口−空港リムジンバス(55)−06:00羽田空港第2ターミナル[30]

 ※朝食/空弁

06:30羽田空港−ANA239便(115/1:55)−08:25福岡空港[22]
08:47福岡空港−福岡市地下鉄空港線・姪浜行(6)−08:53博多[47]
09:40博多−鹿児島本線・鳥栖行(3)−09:43竹下[56]

 ※ららぽーと福岡/RX-93ffνガンダム立像

10:38竹下−鹿児島本線・福間行(3)−10:41博多

 ※昼食/博多一幸舎・総本店 11:00〜21:00

 ※ホテルルートイン博多駅前チェックイン

11月21日月曜日

 ※ホテルルートイン博多駅前チェックアウト

08:12博多※−鹿児島本線・区間快速・荒尾行(32)−08:44鳥栖[4]
08:48鳥栖※−長崎本線・肥前山口行(50)−09:38肥前山口[6]
09:44肥前山口※−佐世保線・早岐行(16)−10:00武雄温泉

武雄温泉−西九州新幹線−嬉野温泉
嬉野温泉−西九州新幹線−新大村
新大村−西九州新幹線−長崎

 ※長崎市電車両取材

 ※No.160 アパホテル〈長崎駅前〉チェックイン

11月22日火曜日

 ※No.160 アパホテル〈長崎駅前〉チェックアウト

 ※長崎市電車両取材

16:00長崎−シーサイドライナー・佐世保行(31)−16:31諫早[29]
17:00諫早−大村線(15)−17:13大村[53]

 ※夕食/銀丁

18:06大村駅前−長崎県交通局大村市内線10系統(12)−18:18長崎空港[52]
19:10長崎空港−ANA670便(105/1:45)−20:55羽田空港
羽田空港第2ターミナル−空港リムジンバス−JR津田沼駅
津田沼−総武緩行線・千葉行−幕張

計画を立てた時にはまだ九州新幹線のダイヤが発表になっておらず、
新幹線のダイヤが空白になっている。
また諫早は新幹線で下車するのではなく、
在来線で行くことで特急料金を1回分浮かそうとしている。


 5.九州完乗の旅再び第3案

日程は2022年11月20日から2泊3日は決定として、
まだ開業前なので情報がなかなか入ってこず、
肝心の西九州新幹線の日程はなかなか決まらなかったが、
開業が近づくにつれ、新幹線の駅の完成などがニュースで伝えられ、
西九州新幹線開業の気運が盛り上がってきた。

2022年4月27日にはJR九州から、
西九州新幹線の普通運賃と特急料金が発表された。
武雄温泉から長崎までは営業キロは69.6km、
普通運賃は1,310円、特急料金は1,760円となる。
これは隣の駅まで行ってもこの料金になるが、
近距離利用促進を図るため、
隣駅まで行く自由席特急料金を870円に設定している。
指定席の場合は通常期530円、繁忙期730円が加算される。

2022年6月10日には西九州新幹線の開業に合わせ、
同年9月23日のダイヤ改正が行われることが発表された。
運行体系や開業する駅の完成予定図も公開された。
この時、大村線に開業する新駅として、大村車両基地駅が紹介された。
どうせならここもついでに取材したいなと思った。

発表されたダイヤを元に第3案を作成する。

11月20日日曜日

この日の予定は第2案と同じ。
昼食以降の予定はまだ未定。

11月21日月曜日

 ※ホテルルートイン博多駅前チェックアウト

08:10博多※−特急「リレーかもめ9号」(66/1:06)−09:16武雄温泉[44]
10:00武雄温泉※−西九州新幹線「かもめ13号」(7)−10:07嬉野温泉[118/1:58]
12:05嬉野温泉−西九州新幹線「かもめ21号」(9)−12:14新大村[54]
13:08新大村−西九州新幹線「かもめ25号」(7)−13:15諫早[86/1:26]
14:41諫早−大村線・佐世保行(22)−15:03大村車両基地(松原で換算)[60/1:00]
16:03大村車両基地(松原で換算)−大村線・佐世保行(34)−16:37ハウステンボス[33]
17:10ハウステンボス−大村線・長崎行(120/2:00)−19:10長崎

 ※No.160 アパホテル〈長崎駅前〉チェックイン

11月22日火曜日

この日の予定も第2案と同じだが、
長崎電気軌道で未取材車両をリスト化し、
16:00長崎発のシーサイドライナー乗車までは、
車両取材に特化して仕事をする。

 ※参考/長崎市電未取材車両

 87形/87(貨物電車)
 160形/168
 201形/201、207
 211形/211、212、213、214
 300形/301、302、303、306、307、310
 360形/361、363
 370形/377
 500形/504
 600形/601
 1200形/1202
 1300形/1304、1305
 1500形/1503
 2000形/2001、2002
 5000形/5002、5003
 6000形/6001

11月21日月曜日は諫早で昼食を喰うこととして、
ここも西九州新幹線で訪問することに変更、
博多からの特急「リレーかもめ9号」は事前に指定席特急券を購入する。
西九州新幹線の武雄温泉から嬉野温泉、嬉野温泉から新大村、
新大村から諫早の新幹線自由席特急券は現地購入とした。
また第3案考案時にはお大村車両基地は開業しておらず、
そこを含めた大村線の新ダイヤも発表になっていなかったため、
あくまでも隣の松原で換算している。
在来線のダイヤも発表になったら、それに合わせて変更したい。


 6.九州完乗の旅再び第4案

日程は2022年11月20日から2泊3日は決定として、
まだ開業前なので情報がなかなか入ってこず、
肝心の西九州新幹線の日程はなかなか決まらなかったが、
開業が近づくにつれ、新幹線の駅の完成などがニュースで伝えられ、
西九州新幹線開業の気運が盛り上がってきた。

2022年4月27日にはJR九州から、
西九州新幹線の普通運賃と特急料金が発表された。
武雄温泉から長崎までは営業キロは69.6km、
普通運賃は1,310円、特急料金は1,760円となる。
これは隣の駅まで行ってもこの料金になるが、
近距離利用促進を図るため、
隣駅まで行く自由席特急料金を870円に設定している。
指定席の場合は通常期530円、繁忙期730円が加算される。

2022年6月10日には西九州新幹線の開業に合わせ、
同年9月23日のダイヤ改正が行われることが発表された。
運行体系や開業する駅の完成予定図も公開された。
この時、大村線に開業する新駅として、大村車両基地駅が紹介された。
どうせならここもついでに取材したいなと思った。

発表されたダイヤを元に第3案を作成する。

11月20日日曜日

この日の予定は第2案と同じ。
昼食以降の予定はまだ未定。

11月21日月曜日

 ※ホテルルートイン博多駅前チェックアウト

08:10博多※−特急「リレーかもめ9号」(66/1:06)−09:16武雄温泉[44]
10:00武雄温泉※−西九州新幹線「かもめ13号」(7)−10:07嬉野温泉[118/1:58]
12:05嬉野温泉−西九州新幹線「かもめ21号」(9)−12:14新大村[54]
13:08新大村−西九州新幹線「かもめ25号」(7)−13:15諫早[86/1:26]
14:41諫早−大村線・佐世保行(22)−15:03大村車両基地(松原で換算)[60/1:00]
16:03大村車両基地(松原で換算)−大村線・佐世保行(34)−16:37ハウステンボス[33]
17:10ハウステンボス−大村線・長崎行(120/2:00)−19:10長崎

 ※No.160 アパホテル〈長崎駅前〉チェックイン

11月22日火曜日

この日の予定も第2案と同じだが、
長崎電気軌道で未取材車両をリスト化し、
16:00長崎発のシーサイドライナー乗車までは、
車両取材に特化して仕事をする。

 ※参考/長崎市電未取材車両

 87形/87(貨物電車)
 160形/168
 201形/201、207
 211形/211、212、213、214
 300形/301、302、303、306、307、310
 360形/361、363
 370形/377
 500形/504
 600形/601
 1200形/1202
 1300形/1304、1305
 1500形/1503
 2000形/2001、2002
 5000形/5002、5003
 6000形/6001

11月21日月曜日は諫早で昼食を喰うこととして、
ここも西九州新幹線で訪問することに変更、
博多からの特急「リレーかもめ9号」は事前に指定席特急券を購入する。
西九州新幹線の武雄温泉から嬉野温泉、嬉野温泉から新大村、
新大村から諫早の新幹線自由席特急券は現地購入とした。
また第3案考案時にはお大村車両基地は開業しておらず、
そこを含めた大村線の新ダイヤも発表になっていなかったため、
あくまでも隣の松原で換算している。
在来線のダイヤも発表になったら、それに合わせて変更したい。


 7.ANAからのメール−出発と到着時刻の変更

今回の九州旅行は往復とも飛行機で移動することとして、
2022年4月18日月曜日、ANAのホームページアクセスして、
11月20日日曜日の06:30羽田空港発福岡空港行きのANA239便と、
11月22日火曜日の19:10長崎空港発羽田空港行きのANA670便を予約した。
予約後に座席の指定もして、以下のように予約が完了した。

 □2022年11月20日(日) ANA 239
 東京(羽田)(06:30) - 福岡(08:25)
 普通席
 スーパーバリュー75L
 9K
  11,180円

 □2022年11月22日(火) ANA 670
  長崎(19:10) - 東京(羽田)(20:55)
 普通席
 スーパーバリュー75L
 7K
  13,470円

これで往復の飛行機の予約は完了した。
しかし第4案を作成したあとの2022年8月5日金曜日、ANAからメールが届いた。
それによると「お客様の予約内容に変更が生じました。」とのことで、

 【変更前】
 ---------------------------------
 □ 便情報
 [1] 2022年11月20日(日) ANA 239
  東京(羽田)(06:30) - 福岡(08:25)
 普通席
 予約番号0101
 ご予約の出発時刻が変更になりました。


 【変更後】
 ---------------------------------
 □ 便情報
 [1] 2022年11月20日(日) ANA 239
  東京(羽田)(06:25) - 福岡(08:25)
 普通席
 予約番号0101

機材や座席は変更になっておらず、出発時間が5分だけ早くなった。
この日の予定は、05:05JR津田沼駅南口発の空港リムジンバスを追加予定しており、
羽田空港第2ターミナル到着予定は06:00になっている。
空港到着から出発までは30分しかない。
その時間で保安検査場を追加し、搭乗口まで移動、
更に売店で空弁を購入して朝食を喰わなければならない。
それが出発が5分早くなるということは、この予定を25分でこなさなければならない。
かなりタイトだが、最悪の場合、朝食を抜きにして飛行機に乗るか、
空の上で朝食を喰うのもいいだろう。

しかし2022年8月25日木曜日、再びANAからメールが届いた。
それによるとまた「お客様の予約内容に変更が生じました。」とのこと。
「ご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますことを深くお詫び申し上げます。」と書かれていたが、
最近は予約内容がよく変更される。

 【変更前】
 ---------------------------------
 □ 便情報
 [1] 2022年11月22日(火) ANA 670
  長崎(19:10) - 東京(羽田)(20:55)
 普通席
 予約番号0101
 ご予約の到着時刻が変更になりました。

 【変更後】
 ---------------------------------
 □ 便情報
 [1] 2022年11月22日(火) ANA 670
    長崎(19:10) - 東京(羽田)(20:50)
    普通席
    予約番号0101

今度は羽田空港到着が5分早くなるようだ。
この5分は正直云ってその後の予定にはほぼ影響はないし、
敢えて連絡してくるほどのこともない。
出発時刻の変更は問題だが、到着は大幅に遅れない限り、
大勢に影響はない。


 8.九州完乗の旅再び第5案−最終決定稿

その後、JR九州のホームページで、
在来線のダイヤも発表され、未定だった区間の予定も立てた。
11月20日日曜日の午後からの予定と、
11月21日月曜日の大村車両基地の駅取材も検討して、
第5案、最終決定した予定を作成した。

11月20日日曜日

04:56幕張−総武緩行線・三鷹行(7)−05:03津田沼[2]
05:05JR津田沼駅南口−空港リムジンバス(55)−06:00羽田空港第2ターミナル[25]

 ※朝食/空弁

06:25羽田空港−ANA239便(115/1:55)−08:25福岡空港[22]
08:47福岡空港−福岡市地下鉄空港線・姪浜行(6)−08:53博多[47]

 ※ぐるっと九州きっぷ 15,800円購入
 ※コインロッカー使用

09:40博多−鹿児島本線・鳥栖行(3)−09:43竹下[63/1:03]

 ※ららぽーと福岡/RX-93ffνガンダム立像

10:46竹下−鹿児島本線・二日市行(18)−11:04二日市[73/1:13]

 ※昼食/小林カレー 11:00〜15:00

12:17二日市−鹿児島本線・羽犬塚行(5)−12:22原田[25]
12:47原田−鹿児島本線・区間快速・福間行(48)−13:35ししぶ[18]
13:53ししぶ−鹿児島本線・区間快速・海老津行(39)−14:32海老津[17]
14:49海老津−鹿児島本線・区間快速・小倉行(16)−15:05黒崎[44]

 ※筑豊電気鉄道・筑豊電気鉄道線黒崎駅前電停取材

15:49黒崎−鹿児島本線・門司港行(45)−16:34門司港[22]
16:56門司港※−鹿児島本線・快速・大牟田行(83/1:23)−18:19博多

 ※夕食/博多一幸舎・総本店 11:00〜21:00

 ※コインローカー取出

 ※ホテルルートイン博多駅前チェックイン

11月21日月曜日

 ※朝食/ホテル無料バイキング
 ※ホテルルートイン博多駅前チェックアウト

08:10博多※−特急「リレーかもめ9号」(66/1:06)−09:16武雄温泉[44]
10:00武雄温泉※−西九州新幹線「かもめ13号」(16)−10:16新大村[38] ※自由席特急特急券購入
10:54新大村−シーサイドライナー・佐世保行(6)−11:00大村車両基地[66/1:06]
12:06大村車両基地−シーサイドライナー・長崎行(22)−12:28-36諫早[143/2:23]

 ※昼食/竹野鮮魚 11:00〜14:00

14:51諫早−西九州新幹線「かもめ36号」(15)−15:06嬉野温泉[60/1:00] ※自由席特急特急券購入
16:04嬉野温泉−西九州新幹線「かもめ37号」(23)−16:27長崎 ※自由席特急特急券購入

 ※夕食/中華 大八 17:30〜21:00(L.O.20:30)

 ※No.160 アパホテル〈長崎駅前〉チェックイン 素泊まりプラン

11月22日火曜日

 ※No.160 アパホテル〈長崎駅前〉チェックアウト

 ※朝食/シアトルズ・ベスト・コーヒー 長崎駅店 7:30〜21:00

 ※長崎電気軌道 電車一日乗車券 600円購入

※住吉電停−西浦上駅 徒歩4分 280m
※浦上駅前電停−浦上駅 徒歩2分 120m

 ※昼食/カフェレストラン CHILD BOX 11:30〜14:00(L.O.13:30)

16:00長崎※−シーサイドライナー・佐世保行(53)−16:53大村[73/1:13]

 ※夕食/銀丁

18:06大村駅前−長崎県交通局大村市内線10系統(12)−18:18長崎空港[52]
19:10長崎空港−ANA670便(100/1:40)−20:50羽田空港[25]
21:15羽田空港第2ターミナル−空港リムジンバス(50)−22:05JR津田沼駅[7]
22:12津田沼−総武緩行線・千葉行(5)−22:17幕張

第3案では11月21日月曜日に大村車両基地を取材したあと、
そのままハウステンボス駅を取材、在来線で長崎に出る予定になっていたが、
これでは諫早から長崎の区間の西九州新幹線の乗り潰しが未達になってしまう。
計画を立てた段階では気付いていなかった。
そこでハウステンボス駅の取材は断念し、
また取材する駅の順番も変更して、西九州新幹線を堪能する旅へと変更した。
また折角ぐるっと九州きっぷがあるのだから、
11月22日火曜日も長崎電気軌道の電停から徒歩移動で、
西浦上駅と浦上駅を訪問して駅取材、
時間が合えばそのまま電車移動もありと考えた。
浦上は取材済だが、駅舎がリニューアルしているので再取材が必要である。
食事する場所も事前に調べて予定を入れた。
勿論、現場判断でこれを覆すこともありである。


 9.ホテルの予約と切符の事前購入

計画を2023年5月3日水曜日からの1泊2日から、
2022年11月20日日曜日からの2泊3日に移植したあと、
直ぐに博多と長崎で宿を探し、
博多は今まで何度か泊まったことのある、
ホテルルートイン博多駅前で予約を取ることにして、
長崎はネットで色々検索し、
最終的にNo.160 アパホテル〈長崎駅前〉に決定した。
両ホテルともに予約開始を待って、開始とともに予約を入れた。

「ホテルルートイン博多駅前」

 ご予約番号 :164072
 ご予約日 :2022年04月18日
 チェックイン日 :2022年11月20日
 ご到着予定時刻 :21:00
 チェックアウト日 :2022年11月21日
 プラン名 :Net DE 早割 7 日前プラン
 料金総合計 :7400 円(税込)
 客室タイプ :◇禁煙◇シングル

 「アパホテル〈長崎駅前〉」

 【予約No】220501000696
 【ホテル名】アパホテル〈長崎駅前〉
 宿泊日:2022年11月21日(月)〜2022年11月22日(火)
 プラン名:素泊まりプラン 事前オンライン決済で更に100円割引!
 到着予定時刻:22:00
 (1部屋目)シングル 禁煙室
 宿泊代金:6,170円
 支払い方法:オンライン決済 クレジットカード

切符は西九州新幹線に関しては自由席特急特急券を当日現地購入とし、
11月21日月曜日の特急「リレーかもめ9号」の、
博多から武雄温泉までの指定席特急券のみ事前購入する日ことにした。
1ヶ月前の10月21日金曜日、えきねっとにアクセスし、
3号車2番A席の指定席B特急券を購入、
当日出社前にJR幕張駅の指定席券売機で発券した。
また10月22日土曜日に京成高速バス予約センターに電話し、
11月20日日曜日の05:05JR津田沼駅南口発の空港アクセスバスを予約した。
予約番号は「108」だった。
これで全ての準備が整い、あとは当日を待つだけとなった。


 10.雨の予報と前日の好天−持参機の変更

旅行決行日の11月20日日曜日の3日前、
そろそろ当日の天気が気になり、
日本気象協会tenki.jpにアクセスし、
2泊3日の天気予報を確認した。

11月20日日曜日は空路で福岡に行き、
博多を中心にガンダム立像取材と駅取材を予定、
21日月曜日は西九州新幹線全駅取材で、
博多から武雄温泉に特急で移動、駅取材しながら長崎に移動、
22日火曜日は長崎で路面電車取材して、
長崎空港から空路で帰京する。

11月17日木曜日1:00a.m.現在の天気予報を見てみると、
20日日曜日福岡の天気は00時から12時までは雨、降水確率70%、
12時以降は晴れ時々曇りになっていた。
21日月曜日は福岡から長崎までの移動なので、
途中の佐賀での天気で確認すると、
日日中晴れから曇りで、降水確率も10%から50%になっていた。
22日火曜日は午前中は曇りだったが、
12時以降は曇りから雨、18時以降は“雨マーク”のみになっていた。
降水確率も70%になっていて、昼以降は降水量1mmになっていた。

21日月曜日は晴れているが、20日月曜日と22日火曜日は雨の心配があり、
特に20日日曜日のガンダム立像取材時は雨となっていた。
予定を変更して雨が止んでから取材することも考えなければならない。
一眼レフはメインで使っているCanon EOS 90Dと、
予備機で平時や雨天時に使用するCanon EOS 7Dを持っているが、
この天気では予備機の7Dを持参する方がいいようだ。

しかし前日、11月19日土曜日の出社前に、
再び日本気象協会tenki.jpにアクセスしてみると、
思ったよりも好転していることが分かった。
19日土曜日9:30a.m.現在の天気予報によると、
20日日曜日は全日“晴れマーク”が並んでいて、
雨の心配がなくなっていた。
翌日、21日月曜日の佐賀の天気も全日晴れ、
22日火曜日は晴れから曇りで、
18時以降は雨の予報で降水確率も80%になっていた。
22日火曜日は18:04大村駅前発のバスで長崎空港に向かうことになっており、
取材を撤収するタイミングで雨になる予報である。
勿論、早めに雨が降る可能性もあるが、
概ね天気予報は後ろにずれることが多い。
今回の旅では雨の可能性が低くなっていると判断、
予定していた予備機7Dではなく、メイン機90Dを持参出来る。
そこで既にカメラバッグにセットしていた7Dを取り出し、
90Dのカメラ内時計を117の時報で合わせ、
カメラバッグに詰め込んだ。
今回は概ね予定通りの取材が出来る筈だ。


 11.遅れた津田沼駅入線と喰えなかった空弁−旅の始まり

2022年11月20日日曜日、いよいよ博多、長崎の旅に出る。
初電から2本目の04:56で津田沼に出る。
予約していた空港連絡バスは05:05で、
04:56に載った総武緩行線・上り列車は予定では05:03に津田沼に到着する。
しかし乗り込んだ電車が津田沼に入線直前で減速、
徐行しながらゆっくり入線していった。
乗り換えに2分しかないのに徐行による入線では乗り換え不可能になる可能性がある。
ジリジリしながら津田沼到着を待った。
津田沼に到着した時には既に時計の針は5:04a.m.を指していた。
慌ててバス乗り場までダッシュして何とか間に合った。
予約していた空港連絡バスはJR津田沼駅南口を05:05に発車し、
京成津田沼駅に寄って羽田空港を目指す。
価格は1,250円で、早朝という事もあり、
高速も渋滞なく進んでほぼ定刻通りにで羽田空港第2ターミナルに到着する。
ここから保安検査場をSKiPで通過する。



 ※プライバシー保護のため、一部画像を加工しています。

ANAは2023年3月31日でSKiPサービスを終了するとアナウンスしている。
今回の九州旅行から先、来年3月まで飛行機による旅行は予定していないので、
SKiPを使うのは今回が最後になると思う。
既にスマホで事前にオンラインチェックインが始まっており、
保安検査場や搭乗口では修了画面を見せるだけで通過できるようになる。
そこで行きの羽田から博多はSKiPで通過し、
帰りの長崎から羽田はオンラインでチェックインを初めて体験しようと思う。
保安検査場を通過し、64搭乗口を目指す。
搭乗締め切りは06:25で25分しかない。
COMEL RICE BURGER羽田63ゲート店で、
穴守おこわいなり850円とお茶を購入する。
何時もは搭乗前に朝食として空弁を喰うのだが、
今回は搭乗口に移動と購入に時間がかかり、
既に優先搭乗が始まっていた。
そこでロビーで食べる事は諦め、機内で喰うことにした。



 ※プライバシー保護のため、一部画像を加工しています。

登場順グループ3で、SKiPで搭乗口を通過し、
予約していた9Kに着席する。



ANA239便は定刻通りに搭乗口をロックし、離陸していった。

 ※参考:ANAホームページ https://www.ana.co.jp/


 12.空での“空弁”と大混雑の“みどりの窓口”

ANA239便は早朝の羽田空港を離陸した。
窓からは離陸したD滑走路が見える。



羽田空港には多くの飛行機が見える。
こう見るとやはりD滑走路はかなり離れた場所にあるのがよく分かる。



離陸して暫くは上昇していたが、上空まで行くとベルト着用サインが消える。
機内アナウンスで「ベルト着用サインは消えましたが、
お客様の安全のため着席時はシートベルトをしっかりお絞めください。」と、
お決まりの台詞が放送される。



CAが着替えてドリンクサービスが始まる。
オーダーは何時ものコンソメスープにした。
このタイミングで羽田空港の売店で購入した空弁を喰う。



「5種の穴守おこわいなり」は名前の通り、
五目、赤飯、栗おこわ、山菜、梅の5種類の具が入ったいなり寿司が、
2つに切られてパック詰めされている。
一口で食べやすいようにとの配慮だろう。
福岡までの飛行時間は1時間55分で、
ほぼ定刻通り到着する。



福岡空港が近づくとどんどん陸が見えてくる。
ほぼ定刻に福岡空港に到着し、そのまま地下に降りて福岡空港駅に行く。



予定より1本遅い08:55始発の福岡市地下鉄空港線・姪浜行に乗り込む。
2つ先の博多駅には5分で到着する。
ここの移動はSuicaを利用した。
地上に出て先ずはコインロッカーを探し、旅行用のバッグを預けた。



そのあとみどりの窓口でぐるっと九州きっぷを購入する。
価格は15,800円で、3日間JR九州全線で利用可能で、
しかも追加で特急券を購入すれば、特急だけでなく、
九州新幹線、西九州新幹線も利用できる。



しかしここで大きな誤算だったのは、
想像以上に博多駅のみどりの窓口が大混雑だったのである。
それでも博多での乗り換え時間は40分を取っていて、
結果的には予定通りの電車に乗り込む事が出来た。


 13.ららぽーと福岡のRX-93ffνガンダム立像

みどりの窓口で購入したばかりのぐるっと九州きっぷで自動改札を入場し、
在来線の鹿児島本線下り09:36博多発で隣の竹下に行く。



先ずは竹下から徒歩でららぽーと福岡に行く。
公式ホームページでは竹下から徒歩9分となっている。
地図はプリントアウトしていなかったが、
事前にネットの地図で調べて竹下の駅で降りて線路沿いを、
更に下り方面に沿って歩けばたどり着けると確認していた。
そして竹下駅で下車した多くの人が同じ方向に歩いていて、
たぶんららぽーと福岡に向かって歩いているのだろう。
案の定、同じ方向に歩いていた人たちのほとんどがららぽーと福岡に入っていった。



ららぽーと福岡に到着したのは9:50p.m.過ぎで、
開店の10:00p.m.の約10分前に到着する事が出来た。
歩いてきた鹿児島本線沿いの道からの南側の入口には、
ガンダムの姿は見えなかった。
ららぽーと福岡の本館と立体駐車場の間の通路を通り、北側に出る。



こちら側に出ると目的のRX-93ffνガンダム立像があった。
こちら側には多くの人が集まっている。
開店時間になるとガンダム立像の右側のマニピュレータ、つまり右腕が上がり、
ららぽーと福岡の看板を指さすのである。
みんなこれを見たくてここに集まっていた。
このあとRX-93ffνガンダム立像を十分に堪能し、
北口からららぽーと福岡に入場する。
目的は4階にあるガンダムパークの見学である。
ここは所謂ガンプラの販売所で、勿論買うつもりはなかったが、
入口には映画「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」に出てくる、
νガンダムとサザビーの12分の1サイズのモデルが飾られている。



 ※アムロ搭乗機のνガンダム



 ※シャア搭乗機のサザビー

店の中には大きなモニターがあり、
そこにはスペースコロニーの映像が映し出されていた。



機動戦士ガンダムは人類がスペースコロニーに移住した世界を描いたものであり、
スペースコロニーに移住した人類の一部が独立自治を求め、
地球連邦政府に独立戦争を仕掛け、
そのための最新兵器となったのがモビルスーツというロボットである。



このあとここを出て竹下駅に戻るが、
ららぽーと福岡の4階には壁にもRX-93ffνガンダムの画が描かれていた。

 ※参考:ららぽーと福岡ホームページ https://mitsui-shopping-park.com/lalaport/fukuoka/


 14.RX-93ffνガンダム立像画像コレクション

ららぽーと福岡の開業に合わせて設置されたRX-93ffνガンダムの立像。
設定上の原寸大ということになっている。
モデルは「機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」に出てくる、
アムロ搭乗機のνガンダムなのだが、
このモビルスーツはフィン・ファンネルという機体から分離して、
自立して攻撃するファンネルに板状のものがあり、
映画ではこれがコの字に変形してメガ粒子砲として機能する。
ただ、左右非対称で宇宙空間での運用を前提にしており、
収納時はフィンを開いて左側背中に連結して収納するという性質上、
実物大立像には不向きであった。
そこでアムロの搭乗したRX-93νガンダムを元に、
戦後に搭載艦のラ・ーカイラムに残っていたデータを元に、
RX-93νガンダムのロールアウト時には間に合わなかった、
ロングレンジ・フィン・ファンネルを装備したRX-93ffνガンダムという設定となっている。
確かにこの方が普通の立像より後ろで支えることもできるので、
現実的にも利点がある。
足の甲の部分にはユニコーンをデザインしたAのマークが描かれている。
これはアムロ専用機という意味で、
アムロのイニシャルをデザイン化したということになっている。


















 15.鹿児島本線竹下駅と二日市駅−昼食予定先の断念

ららぽーと福岡でRX-93ffνガンダム立像を取材し、
徒歩で再び竹下駅を目指した。



途中、踏切で通過する813系を取材する。

JR竹下駅は島式1面2線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
1番線は下りが使用、2番線は上りが使用する。
橋上駅舎化され、東側の博多駅五十川線と西側の竹下2106号線に出入口がある。
駅は九州新幹線および博多南線の高架下に設置されている。
また、駅構内西側は博多運転区(旧・竹下気動車区・現南福岡車両区竹下車両派出)であり、
ホームからも多くの留置車両を見ることが出来る。
鹿児島本線は九州鉄道によって敷設された路線であり、
1889年12月11日に博多から千歳川仮停車場の区間が敷設されたのに始まり、
翌年、1890年3月1日に千歳川仮停車場から久留米まで延伸され、
千歳川仮停車場は廃止された。
しかしこの時点ではまだ竹下に駅は設置されておらず、
竹下に駅が設置されたのは1913年9月21日になってからである。
現在の駅舎が完成したのは1973年3月で、
西口通路が完成したのは2011年11月15日からである。
現在の駅所在地は福岡県福岡市博多区竹下四丁目であるが、
開業当時の地名は福岡県筑紫郡那珂村字竹下だった。
駅名は地名から取られており、“竹下”は古くは“岳下”と書き、
丘陵の麓という意味だったという。



改札口に入場する前に西側の竹下2106号線出入口を取材する。
ここから10:46発の鹿児島本線下りに乗り込む予定だったが、
これには間に合わず、10:59発の二日市で終点まで行く。



JR二日市駅は島式2面4線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
1番線、2番線は下り、3番線、4番線は上りが使用する。
かつては単式1面2線構造だったが、単式ホームの線路を撤去し、
3番線、4番線ホームを新設し、各ホームとは跨線橋で結ばれた。
下り特急は1番線を使用、上り特急は3番線を使用する。
二日市止まりで上りに折り返す下り列車は3番線に入線する。
鹿児島本線は九州鉄道によって敷設された路線であり、
1889年12月11日に博多から千歳川仮停車場の区間が敷設された。
二日市もこの時に同時に開業している。
翌年、1890年3月1日に千歳川仮停車場から久留米まで延伸され、
千歳川仮停車場は廃止された。
第61代から第63代内閣総理大臣を務めた佐藤栄作氏が、
鉄道省門司鉄道局時代に1926年11月から、
翌、1927年4月まで駅長として勤務していた。
現在の駅舎が供用開始されたのは国鉄分割民営化直前の、
1987年3月11日で、
太宰府天満宮をイメージしたデザインになっている。
ただ、ここから題材府天満宮とは約3.6km離れており、
西鉄でのアクセスの方が便利である。
駅所在地は福岡県筑紫野市二日市中央一丁目で、
開業当時の地名は福岡県御笠郡二日市村が駅名由来である。
“二日市”とは鎌倉時代に始まった市場を指し、
売り手と買い手が一所に集まって毎月、二のつく日に行ったたことから、
その市を“二日市”と呼ぶようになったという。



予定では二日市駅前にあるカレー店で昼食を喰うことにしていたが、
二日市に到着する間が遅れて11:24になってしまったため、
既に行列が出来ていて、この先の予定を考えるとこの列に並ぶことが得策とは思えず、
ここでの昼食は断念して先を急ぐことにした。


 16.鹿児島本線原田駅とカレーなる昼食

二日市での昼食は断念し、予定通り鹿児島本線下りで原田に移動した。
原田は「はるだ」と読み、かつては交通の要衝でもあった場所である。



JR原田駅は単式1面1線と島式2面4戦の、
計3面5線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
また、筑豊本線の終点として接続する。
ただ、筑豊本線は若松から原田までの66.1kmの路線だが、
運行上は若松から折尾までは若松線、桂川から原田までは原田線として分離され、
折尾から桂川までは篠栗線吉塚から桂川までの区間と合わせて、
福北ゆたか線として運行されている。
駅舎に隣接した島式ホームは0番線、1番線に付番、
0番線は原田終着の筑豊本線原田線の専用ホームで行き止まりとなっている。
1番線は鹿児島本線下りが使用する。
島式ホーム2番線、3番線の2番線は鹿児島本線下り、3番線は鹿児島本線上りが使用、
駅舎の反対側の単式ホーム4番線も鹿児島本線上りが使用する。
2番線、3番線の島式ホームと4番線の単式ホームと駅舎とは跨線橋で結ばれている。
0番線は非電化の筑豊本線原田線専用なので架線は張られていない。
また1番線と筑豊本線原田線とは線路が繋がっていて、
鹿児島本線と筑豊本線原田線とは直通も可能な線形になっている。
鹿児島本線は九州鉄道によって敷設された路線であり、
1889年12月11日に博多から千歳川仮停車場の区間が敷設された。
原田もこの時に同時に開業している。
翌年、1890年3月1日に千歳川仮停車場から久留米まで延伸され、
千歳川仮停車場は廃止された。
筑豊本線は筑豊興業鉄道によって敷設された路線で、
1891年8月30日に若松から直方までの区間が開業、
その後延伸を繰り返し、1894年8月15日には社名を筑豊鉄道に変更、
筑豊鉄道は1897年10月1日に九州鉄道に合併した。
九州鉄道は鉄道国有法により国有化された。
筑豊本線が全通し、原田まで延伸したのは1929年12月7日である。
4番線はもともとなかったが、上り待避線にホームを設置する形で1996年3月16日に設置された。
現在の駅舎が登場したのは1999年3月13日である。
駅所在地は福岡県筑紫野市原田で、
開業当時の所在地名である福岡県御笠郡筑紫村字原田から駅名の由来である。
原田はかつて長崎街道の宿場町として栄えた。
地名の由来は古くから筑前国御笠郡原田邑と読まれていて、
平野部にある田を表す“原田”から来たとする説や、
この地を治めていたとされる大蔵氏の八代目である大蔵種直が、
大宰府の大監に任命された時に原田次郎(原田種直)を名乗り、
原田氏を立ち上げ、それがそのまま地名になったとする説などがある。

駅取材してここで昼食を喰える場所をネットで探し、
「TENSHO BURGER 原田店」を見つけ、
スマホで地図を見ながら行く。



イートイン可能の店であったが、
実際は店の前のオープンテラスにテーフルひとつしかなく、
さすがに寒さもあってここでは喰えないと思い、
ここに来る前に見かけた駅近くの「R's Cafe」に入店する。



ここでカレーライス・ランチセット1,350円を喰う。
昼食を喰い、原田駅に戻って上り方面に乗り込む。
乗った電車は12:47原田発の区間快速・福間行で、
事前に予定していた列車だった。


 17.鹿児島本線海老津駅と黒崎駅

原田駅でもともと予定していた12:47の区間快速でししぶを目指す。
・・・のつもりだったが、疲労の蓄積があったためが寝過ごしてしまい、
ここでの下車は断念して、次の予定であった海老津へ行く。



JR海老津駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の築堤上の高架ホームを有する鹿児島本線の駅である。
単式ホームの1番線は上り門司港方面が使用、
島式ホームの2番線は上下線の待避線、
3番線は下り久留米方面が使用する。
駅舎がホームより低い位置にあるため、地下道で繋がっている。
鹿児島本線は九州鉄道によって敷設された路線であり、
1889年12月11日に博多から千歳川仮停車場の区間が敷設されたのに始まり、
翌年、1890年9月28日には博多から赤間まで、
同年11月15日には赤間から遠賀川まで延伸された。
しかしこの時点で海老津駅は開業しておらず、
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
海老津に駅が出来たのは1910年2月6日になってからである。
現在の駅所在地は福岡県遠賀郡岡垣町海老津駅前1-1で、
駅の所在地が住所に反映された形になってといるが、
開業当時の所在地名は福岡県遠賀郡岡垣村字海老津で、
駅名は所在地から取られている。



駅に設置された「海老津・駅名の由来」には、

 「海老津」の「海老」は「曲がりくねった大地」、
 「津」は「港」を意味しこの地が曲線系の台地に設けられた
 川港の町であった事を表しています。

 ※「岡垣町」の前身であった「岡垣村」は1907年に
  「岡県(おかがた)村」と「矢矧(やはぎ)村」が合併してできた村だが、
  「矢矧村」は村の名前を残せなかったため、
  当時の遠賀郡長は「矢矧村」側の住民に配慮するために、
  あえて駅名を「岡垣」にせづに「矢矧村」の中心地だった
  「海老津」を駅名にしたに言われています。

と書かれている(原文のまま)。



海老津で駅取材して、14:14発の小倉行きに乗り込み、次に黒崎に行く。
ここは2003年7月5日に訪問、取材済みだが、
駅舎がリニューアルされていたので再取材したかった。



JR黒崎駅は島式2面4線の地上ホームを有する鹿児島本線の駅である。
また、筑豊電気鉄道の黒崎駅前駅にも接続する。
鹿児島本線のほか、折尾から直通する筑豊本線の福北ゆたか線も接続する。
1番線は鹿児島本線下りと折尾から福北ゆたか線直通列車が使用、
2番線は鹿児島本線からの上り列車が使用する。
3番線は福北ゆたか線からの直通で黒崎折り返し列車が使用、
4番線は福北ゆたか線からの鹿児島本線上り直通列車が使用する。
一部の折り返し列車は4番線も使用することがある。
現在の駅舎は1984年10月16日に完成した6代目で、
この時初めて橋上駅舎化された。
2016年3月5日に駅舎がリニューアルされた。
黒崎は北九州市の工場地帯に位置する駅で、
駅の北側には安川電機や三菱化学等の工場が広がり、
その北側には洞海湾に繋がる。
洞海湾の更に北側には筑豊本線(若松線)で行くことが出来る。
筑豊本線(若松線)には黒崎下りで2つめの折尾駅で乗り換えることが出来る。
黒崎駅は九州鉄道の駅として1891年2月28日に開業し、
九州鉄道の国有化とともに1907年7月1日に国鉄の駅となった。
1914年6月25日には九州電気軌道が黒崎駅前から折尾までを開業する。
九州電気軌道は香春口から北方間を開通させた小倉電気軌道などと、
戦時下の陸上交通事業調整法により1942年9月22日に合併し、西日本鉄道となった。
1951年には筑豊電気鉄道が設立され、
1956年3月21日には貞元(現・熊西)から筑豊中間までが開通し、
3年半後の1959年9月18日には熊西から−筑豊直方(ちくほうのおがた)までが開通した。
1995年4月1日には西鉄から北九州線の業務を委託され、
2000年11月26日には西鉄が黒崎駅前から折尾までの北九州線を廃止し、
熊西から黒崎駅前間を路線のみを所有する第三種鉄道事業者になり、
筑豊電気鉄道が路線に乗り入れる第二種鉄道事業者となった。
筑豊電気鉄道の黒崎駅前駅は駅前ロータリーの西側にあるCOM CITY黒崎の更に西側にある。
筑豊電気鉄道は鉄道法によって開業したが、西鉄九州線と乗り入れたために路面電車が使用されている。



筑豊電鉄黒崎駅前電停で車両取材し、そのあと熊西まで行って更に車両取材しようと思ったが、
付近の工事の影響で電停が利用休止となっていて、近寄ることも出来なかった。


 18.鹿児島本線緊急追加のスペースワールド駅

黒崎の次は門司港に行く予定になっていたが、
ししぶでの下車を飛ばしてしまったために少し時間に余裕が出来ていた。
そこで以前から気になっていたスペースワールドで下車して見ることにした。



JRスペースワールド駅は島式2面4線の高架ホームを有する鹿児島本線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、停車車両は1番線を使用、
2番線は原則として特急や貨物列車などの通過列車が使用する。



3番線、4番線は上りが使用、基本的には3番線を使用する。
一部の列車は4番線を使用する。
鹿児島本線は九州鉄道により敷設された路線だが、
1891年4月1日に黒崎から門司までの区間が開業した際、
現在より内陸部を走るルートによって敷設された。
その後、1902年12月27日に黒崎から小倉までを、
海側の短絡線を走る戸畑線が開業した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化されたが、
翌年、内陸部を走る経路は大蔵線と改称、1911年10月1日に廃止された。
戸畑線が正式な鹿児島本線のルートとなったが、
その当時は八幡製鐵所工場敷地を迂回するルートとして敷設されていた。
しかし1970年代になると一部の機能を移転したことにより遊休地が生じ、
そこに1990年4月22日に開業したのが、
宇宙を題材にしたテーマパークの“スペースワールド”である。
開業当時の最寄り駅は枝光だったが、
八幡製鐵所を迂回する形で敷設された鹿児島本線を、
遊休地の西側を直通する線形に変更することが検討され、
短絡ルートが1999年7月2日に高架路線として完成、
同時に“スペースワールド”への最寄り駅としてスペースワールド駅が開業した。



“スペースワールド”は入場者数の減少による経営難を理由に閉園が決定、
2018年1月1日午前2時に閉園した。
しかし閉園後も駅名の変更は行われず、そのまま“スペースワールド”のままである。
同じような事例には外房線行川アイランド駅などがある。
跡地にはイオン系の商業施設「「THE OUTLETS KITAKYUSHU」が開業した。



駅取材してこのあともともと予定していた門司港に行くことにする。


 19.鹿児島本線門司港駅再び

スペースワールド駅で緊急下車、駅取材してホームに戻り、
15:42発の下りで終点の門司港まで行く。



ここは2003年7月5日に訪問、取材済みだが、
2012年9月重要文化財である駅舎の保存修理が行われ、
2019年3月10日にグランドオープンした。
これを取材するために門司港を再訪問したのである。



JR門司港駅は頭端式2面4線の地上ホームを有する鹿児島本線の起点駅である。
関門トンネルが完成するまでは関門海峡を渡る連絡船の駅として賑わっていた。
1番線、2番線、4番線、5番線が鹿児島本線下りとなっており、
3番線はホームに面していない留置線のため欠番となっている。
ホームの東側には留置線が多くの留置線があり、
かつては外浜駅まで鹿児島本線の貨物支線が伸びていた。
外浜までのこの貨物支線は2005年10月1日に0月1日に営業休止、
2008年9月5日に廃止された。
廃止後も線路は残され、この線路を再利用する形で、
2009年4月26日に平成筑豊鉄道が門司港レトロ観光線のトロッコ列車の運行を開始した。



門司に最初に駅を設置したのは1887年に設立された九州鉄道で、
九州で初めての鉄道路線として1889年12月11日に、
博多から筑後川北岸にあった千歳川仮停車場までを敷設した。
1891年4月1日に千歳川仮停車場から門司(現・門司港)まで延伸、
また同年7月1日には熊本まで延伸している。
門司港に駅が出来たのはこの時で、開業時は「門司」の駅名だった。
1901年5月27日に山陽汽船が下関と門司の間に関門連絡船を就航させる。
1907年7月1日には九州鉄道が国有化され、山陽汽船も国鉄関門連絡船となる。
1909年10月12日の線路名称制定により鹿児島本線の所属となる。
1914年(大正3年)には東方から約200m移転し、現在の駅舎が完成する。
1942年7月1日に関門トンネルが完成し、
それに合わせて同年4月1日に駅名が「門司」から「門司港」に変更される。
戦後も国鉄関門連絡船は定期運用されていたが、1964年11月1日には廃止された。
現在の駅舎は2代目で、ネオ・ルネッサンス式木造2階建ての駅舎は九州で最も古い鉄道駅舎であり、
鉄道駅舎としては初めて国の重要文化財に指定され、
駅前には噴水が設置、周辺も門司港レトロ地区として観光スポットとなっている。
門司港駅に近接して2003年8月9日には九州鉄道記念館が開業した。
本館は元の九州鉄道の本社であり、
蒸気機関車2機、電気機関車2機、気動車1両、電車2両、客車1両、貨車1両、
さらには前頭部のみ電気機関車2両、1両が展示されている。



門司港駅周辺は門司港レトロと呼ばれ、古い建物が残っている。
その風景を求めて観光客が多く押し寄せている。



また駅の近くには「バナナの叩き売り発祥の地」の記念碑がある。
そこには以下のように書かれていた。

  バナナの叩き売り発祥由来の記

 昔を偲べば、大陸、欧州、台湾、国内航路の基幹と、
 九州鉄道の発着の基地点として大いに発展した。
 ここ桟橋通りは往昔の絵巻の一こまとして、
 アセチレンの灯のにぶい光の下で、
 黄色くうれたバナナを戸板にならべ、
 だれとはなしに産まれたと伝わる名セリフは大正初期〜昭和十三、四年まで不夜城を呈し、
 日本国中の旅行者の、目を楽しませた。
 バナナの叩き売りの風情は門司港のこの桟橋通り附近を発祥の地と由来せし。

  昭和五十三年四月吉日

          門司港発展期成会
          北九州市門司区役所

更に「平成29年(2017年)4月『門司港バナナの叩き売り』は、
関門“ノスタルジック”海峡の構成文化財の一つとして、
JR門司港駅、旧門司三井倶楽部とともに『日本遺産』に認定されました!」とも書かれている。


 20.吉塚駅緊急下車と「或る列車」

門司港で駅前を散策し、門司港レトロを堪能してから、
再び駅に戻り、16:42門司港始発の羽犬塚行きに乗り込む。



充当されていた821系はJR九州の標準タイプの一般型交流電車で、
2018年から製造が開始され、
2019年3月16日のダイヤ改正より営業運転が開始された。
現在、3両編成?10本=30両が新造され、
運転開始当時は南福岡車両区に配属され、
鹿児島本線博多エリアを中心に投入された。
2022年9月23日に全編成が熊本車両センターに転属、
鹿児島本線の門司港から八代、
更には福北ゆたか線や豊肥本線電化区間にも充当されるようになっている。

これに乗って博多まで戻り、夕食を喰ってからホテルにチェックインする予定だった。
しかし博多の隣の吉塚に停車した時、隣ホームに「或る列車」が停車しているのに気付いた。



疲労から少しうとうとしていたが、さすがに目が覚めた。
慌てて緊急下車し、これを取材することにした。

「或る列車」は国鉄形気動車を改造した団体列車の一つで、
種車はJR四国所属だったキハ47-176とキハ47-1505である。
小倉車両センターで改造し、2015年8月8日から運行が開始された。

この車両は愛称名にもなっている「或る列車」がデザインコンセプトになっている。
「或る列車」とは鹿児島本線を敷設した九州鉄道が、
明治時代にアメリカのJ.G.ブリル社に発注した5両編成の特別客車で、
日本で最も豪華な客車だったと云われている。
九州鉄道が国有化されたのちに受領され、
東京地区で外国要人や団体専用に投入されたが、
定期運用の実績はなく、戦後1950年代中期に廃車された。
正式名称はなく、そのため「或る列車」の愛称で呼ばれていた。
形式図は残っているものの、写真や映像はなく、そのため幻の客車となっていた。

JR九州では豪華列車「ななつ星in九州」に続く観光列車として、
ななつ星よりも手軽に乗れる豪華観光列車を製造することを決定、
九州鉄道が明治期に発注した「或る列車」をモチーフに気動車改造の観光列車を開発した。
「或る列車」はの情報に関しては世界的に著名な鉄道模型愛好家の原信太郎氏が、
形式図を元に製作した模型をベースに、JR九州デザイン顧問の水戸岡鋭治氏が設計した。
九州鉄道の「或る列車」の塗色はは青、若しくは黄緑と伝えられているが、
それも正確なことは分からず、原信太郎氏が作成した模型は塗色されていない。
そのため真鍮の色のままで完成されていて、この模型の色をそのまま採用した。



1号車はキハ47-176を種車として完成されたキロシ47-9776で、
トイレはなく定員は22名である。



2号車はキハ47-176を種車に完成されたキロシ47-9776で、
トイレ有り定員は18名となっている。

型式番号の“キロシ”は気動車の“キ”に、
客車のグレードを一等から三等に“イ、ロ、ハ”を当てた明治期の等級を継承し、
普通車を“ハ”、グリーン車を“ロ”にした国鉄時代の分類に、
食堂車を意味する“シ”を加えた。
“シ”は客車で使われる符号で、気動車に使われるは初めてである。

製造費用は2両で約6億円で、
水戸岡鋭治氏も「ちょっとお金を使いすぎてしまった」と発言している。
誕生当時は大分車両センターの所属だったが、
2017年3月3日付で佐世保車両センターに転属した。

回送車両だったのでゆっくり時間を掛けて取材できた。
既に夜の帳が降りてしまっていたので、
吉塚での駅取材は断念し、そのまま下り列車に乗って博多に向かった。


 21.博多の夜と朝−イルミネーションと小雨の予定変更

吉塚で「或る列車」を緊急取材し、18:47福北ゆたか線に乗り込む。
福北ゆたか線は博多から筑豊本線経由で折尾までを結ぶ路線で、
直方で運転系統が変わる。
吉塚で乗った電車も博多止まりである。
博多で降りた時には既に夜の帳が降りていて、
駅前にはイルミネーションが設置されていた。



ここを出て予定していた「博多一幸舎・総本店」に行こうとしたが、
駅を出たタイミングでちょうど雨粒が落ちてきた。
傘を差してまで行く必要はないと判断し、
ここに行くのは断念して駅舎内で飲食できるところを探した。
しかし既に“博多ラーメンの口”になってしまっていたので、
駅に併設されている商業施設「博多デイトス」の中にある、
「博多めん街道」に行くことにした。
ここは博多駅2階にあり、外に出なくて済む。
博多駅で食事を取る時に何度か訪問していて、
「博多一幸舎」に数回と「元祖博多だるま」にも一度入店したことがある。
本店に行きそびれたこともあり、今日は「博多一幸舎」に入ることにした。
オーダーは味玉ラーメン900円でにした。



喰い終わって外に出てみると既に雨は止んでいた。
駅内売店でつまみなどを買い、ファミマで酒を買って、
ホテルルートイン博多駅前にチェックインする。



ここは博多で宿泊する時には定宿にしているホテルで、
Net DE 早割7日前プランで予約、
禁煙・シングルで価格は7,400円である。



窓からは博多駅博多口のイルミネーションが見える。



購入した福太郎の明太せんべいでハイボールを愉しむ。

翌朝は5:00a.m.に起床して大浴場で朝風呂に入り、
部屋に戻ってクールダウンしながら6:30a.m.を待ち、
1階「花茶屋」に行った。
しかしまだ空いていない。
よく見るとここの朝食バイキングは6:45a.m.からだった。
いったん部屋に戻り、時間になって再び1階に降りる。



ここでスクランブルエッグ、ベーコン、肉団子、オニオンリング、鶏天、
もちポテト、ハム、玉子焼、沢庵、焼き鯖、明太子、海苔、
サラダ(千切りキャベツ、コーン、人参、ポテトサラダ)、お茶、コーヒーを喰う。



部屋に戻って歯を磨いてからチェックアウトする。
部屋の窓からは昨日の喧噪とは打って変わってビジネス街の様相を見せていた。
11月21日月曜日は西九州新幹線全駅取材をしながら長崎に移動する。
まずは08:10博多発の特急「リレーかもめ9号」で起点の武雄温泉を目指す。


 22.特急「リレーかもめ9号」と初めてのN700S80000番台

ホテルルートイン博多駅前をチェックアウトし、
通勤客とは逆走して博多駅に向かう。
ぐるっと九州きっぷと事前に購入していた、
「リレーかもめ9号」のB特急券で改札を潜り、ホームへと降りていく。



この特急券はえきねっとで購入し、
JR幕張駅の指定席券売機で発券したもの。
ホームにはまだ「リレーかもめ9号」は入線していなかったが、
隣のホームには783系が停車しており、
HUIS TEN BOSCHカラーの非貫通型先頭車を取材できた。
そうしているうちに特急「リレーかもめ9号」が入線してきた。



特急「リレーかもめ9号」は787系が充当されていた。
787系は1992年7月に登場した特急型交流電車である。
博多と西鹿児島(現・鹿児島中央)を結ぶ特急「つばめ」として登場した。
ダークグレーを基調としたカラーリングが特徴である。
しかし2004年3月13日に九州新幹線が部分開業したことにより、
博多から新八代を結ぶ「リレーつばめ」に充当、
しかし2011年3月12日に新八代から博多まで延伸、
九州新幹線が全通すると余剰車両が発生してしまった。
それから10年以上が経ち、西九州新幹線が、
2022年9月23日に部分開業すると、
博多と武雄温泉を結ぶ「リレーかもめ」として充当が開始された。



特急「リレーかもめ9号」は08:10に博多駅を出発する。
鹿児島本線を新鳥栖まで行き、ここから長崎本線に入線する。
西九州新幹線の未開業区間は新鳥栖から武雄温泉で、
新鳥栖から九州新幹線に乗り入れ、博多まで行く。
上越新幹線が大宮から東北新幹線に乗り入れるのと同じ理屈である。



車窓から九州新幹線新鳥栖駅が見える。
博多を出てから1時間6分、09:16に武雄温泉に到着する。
武雄温泉の新幹線ホームは単式1面1線と島式1面2線構造になっているが、
島式ホームの10番線は標準軌ではなく、狭軌で敷設され、
在来線の長崎本線から分岐してここに接続する線形になっている。
そのため特急「リレーかもめ」はここに乗り入れ、
中間改札なく新幹線に直接乗り込める構造になっている。
ここで停車中の西九州新幹線「かもめ9号」が停車している。



充当されているのはN700S80000番台で、
東海道・山陽新幹線の最新車両N700Sをベースに
デザインはJR九州デザイン顧問の水戸岡鋭治氏が手がけている。
現時点で博多には乗り入れておらず、武雄温泉と長崎の折り返しのみなので、
6両編成となっていて、グリーン車は連結されていない。
ただ、自由席は東海道・山陽新幹線と同じ座席配列になっているが、
指定席は木を基調とした2席+2席になっており、
800系と同じデザインが採用されている。



自由席は東海道・山陽新幹線の普通席と同じタイプである。





西九州新幹線部分開業の2022年9月23日に合わせ、
前年末にY1編成が完成、年明けから大村車両基地に搬入が開始、
開業までに6両編成?4本=24両が新造された。
開業後に追加で1本と導入され、計5本30両が投入予定である。
また、現時点で東海道・山陽新幹線と連絡しておらず、
ドクターイエローの入線が難しいため、
Y1編成とY3編成に軌道検測器、Y2編成に架線検測器を搭載している。


 23.西九州新幹線武雄温泉駅と新大村駅

特急「リレーかもめ9号」で09:16に武雄温泉に到着し、
同一ホームで乗り換える西九州新幹線N700S80000番台を取材し、
これの発車を見送ってから有人改札で武雄温泉駅を出る。



JR武雄温泉駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の高架ホームを有する長崎本線の駅である。
また2022年9月23日に西九州新幹線が、
武雄温泉から長崎まで部分開業し、全通まで暫定的に起点駅となった。
南口御船山口で新幹線駅舎となっていて、
北口楼門口は在来線駅舎となっている。
新幹線ホームは在来線と並行して単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線構造の高架ホームになっているが、
現時点で博多からの特急「リレーかもめ」が新幹線ホームに乗り入れ、
中間改札なしで同一ホームの乗り換えが可能な構造になっている。
在来線は単式ホームが1番線に付番、島式ホームは2番線と10番線に付番されている。
1番線と2番線は佐世保線上下線が使用する。
基本的には1番線を使用、上下線の行き違いの時に2番線を使用する。
のた、2番線の反対側は10番線に付番され、
新幹線ホームと線路を共有し、現時点では新幹線側のホームを使用し、
特急「リレーかもめ」と西九州新幹線「かもめ」の同一ホーム乗り換えが可能になっている。
新幹線は島式ホームが在来線狭軌線路の10番線と新幹線標準軌の11番線に付番、
このホームで同一ホーム乗り換えが行われている。
西九州新幹線は減じたんで武雄温泉で折り返し運転のため、
原則として11番線に入線し、清掃後に折り返して長崎まで行く。
現時点で12番線は乗降には使用されておらず、予備ホームとなっている。

佐世保線は長崎本線肥前山口から分岐して佐世保までを結ぶ48.8kmの幹線である。
交流電化されている単線で、博多から特急も直通する。
早岐から大村線も分岐していて、ハウステンボス行きの特急も通過する。
佐世保線は九州鉄道が鳥栖と長崎を結ぶ幹線鉄道(現・長崎本線)の一部として建設されたもので、
1895年5月5日に佐賀から武雄(現・武雄温泉)までが延伸、
同時に武雄温泉が武雄の名称で終着駅として開業した。
1897年7月10日に早岐まで延伸、1898年1月20日に支線として佐世保まで延伸した。
長崎本線となる幹線も1897年7月22日に長崎(現・浦上)まで延伸している。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に佐賀から早岐までが長崎本線、早岐から佐世保が佐世保線となった。
有明線として開業していた肥前山口(現・江北)から諫早までの区間が、
1934年12月1日に長崎本線に編入、
これと同時に長崎本線として開業していた肥前山口から早岐までと、
既に佐世保線として開業していた支線の早岐から佐世保までを佐世保線とした。
1935年11月9日に北佐世保まで延伸したが、
1936年10月1日に佐世保鉄道が国有化されて松浦線が設立、
この時に佐世保線にも接続したが、
1943年8月30日に佐世保から北佐世保までが松浦線に編入された。

1975年6月19日に駅名を武雄温泉に改称、この時点で橋上駅舎化された。
2008年2月17日に島式ホーム2番線、3番線(現・10番線)が高架化された。
翌年、2009年12月5日に単式ホームの1番線も高架化された。



南口御船山口を取材してから北口楼門口に出て駅舎取材する。
こちら側は在来線駅舎だが、駅前の道には開業を祝う横断幕も飾られていた。
武雄温泉では接続する「かもめ9号」を見送り、
次の「かもめ13号」で新大村に向かう。
乗り換え時間は44分だった。



武雄温泉駅の券売機で新幹線自由席特急券1,260円を購入、
ぐるっと九州きっぷと重ねて自動改札に投入して通過する。



折り返し10:00武雄温泉始発の西九州新幹線「かもめ13号」で新大村まで行く。
乗車時間は16分で新大村駅に到着する。

JR新大村駅は単式1面1線の地上ホームを有する大村線の駅である。
また西九州新幹線の駅でもあり、相対式2面2線の高架ホームを有している。
在来線は単線の大村線の上下線が同一ホームを使用する。
新幹線は11番線が上り武雄温泉方面、12番線が下り長崎方面となっている。



もともと大村線には新大村は設置されておらず、
西九州新幹線の開業と同時に請願駅として開業した。
そのため新幹線の駅舎とは別に、高架下に在来線の駅が独立して存在する。



在来線は無人駅であり、新幹線駅とは独立している。
在来線が地上を走っているため、
さくら口(東口)とさざなみ口(西口)駅舎とは地下通路で結ばれている。
2022年9月23日の西九州新幹線開業と同時に新規開業した。

新大村での滞在時間は38分と長めで、この時間で駅取材をする。
駅前のロータリーでは人感センサーで音声案内が流れる仕組みになっていて、
長濱ねるさんがアナウンスを担当していた。


 24.緊急の大村線竹松駅往復と大村車両基地駅

新大村駅での取材時間は38分を設定していたが、
時間が余ってしまったので、在来線駅の時刻表を見て考え、
暇つぶしに隣の竹松まで往復することにした。
西九州新幹線で武雄温泉から新大村に到着したのは10:16で、
このあと38分の取材時間のあと、
10:54の在来線で大村車両基地に向かう予定だった。
しかし上り方面に10:35竹松行きがあり、
たぶん竹松で折り返すダイヤになっている筈なので、
これで戻ってくれば10:54新大村発の、
シーサイドライナー・佐世保行に間に合う。
竹松は既に取材済みではあるが、
新大村でやることもなくなってしまったので、
緊急で竹松まで往復することにした。



JR竹松駅は相対式2面2線の地上ホームを有する大村線の駅である。
駅舎側の1番線は上り列車と下り折り返し列車、
2番線は下り列車が使用する。
2つのホームは構内踏切で結ばれている。
大村線は現在の長崎本線の一部として開業し、
経路変更により分離されたものである。
長崎本線は鳥栖と長崎を結ぶ幹線鉄道として九州鉄道により建設されたもので、
1895年5月5日に佐賀から武雄(現・武雄温泉)までが開業、
現在の佐世保線に当たる経路で1897年7月10日に早岐まで延伸、
同年7月22日に長崎(現・浦上)まで延伸した。
1898年1月20日に支線として佐世保まで延伸した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に佐賀から早岐までが長崎本線、
早岐から佐世保が佐世保線となった。
竹松は国有化後の長崎線時代の、
1922年5月25日に開業している。

折り返しの数分の間に緊急に竹松で駅舎取材する。
そして再び載ってきた車両で新大村に戻る。
新大村に戻って再び上り列車を待ち、
10:54新大村発のシーサイドライナー・佐世保行に乗り込む。



充当されていたのはYC1系気動車である。
JR九州が開発したディーゼルエレクトトリック式のハイブリッド車両である。
普通の気動車はディーゼルエンジンで車輪を廻して走行するが、
ディーゼルエレクトトリック式はディーゼル発動機で発電機を回し、
その発電した三相交流電力で主電動機を廻して走行する。
更に発電した電力の一部や回生ブレーキによる電力を蓄電池に充電し、
それを使用することによって燃費を向上する仕組みになっている。
デザインは2018年から製造された821系般型交流電車と共通で、
前面に周囲にLEDライトを埋め込まれた独特のデザインである。



車内は水戸岡鋭治氏のデザインでJR九州の列車らしい、
乗っていて楽しいデザインになっている。

シーサイドライナー・佐世保行は6分で大村車両基地に到着する。
快速運転だったが、竹松に停車した。
これなら無理して新大村に戻る必要もなかった。



JR大村車両基地駅は単式1面1線の地上ホームを有する大村線の駅である。
その名の通り、西九州新幹線の熊本総合車両所大村車両管理室、
通称“大村車両基地”の最寄り駅で、
西九州新幹線の開業と同時に大村車両基地も開業した。
西九州新幹線大村車両基地は西九州新幹線と大村線に挟まれるように設置されていて、
高低差の関係で駅から新幹線車両を目撃することは出来ない。
大村市の請願駅で、設置費用を全額負担している。



駅からN700S西九州新幹線「つばめ」を見ることは出来ないが、
その代わり、駅には車輪やパンタグラフの一部などが展示されている。



予定では大村車両基地での駅取材に1時間6分を設定していたが、
車両基地そのものも見えないし、思ったより取材対象はなかった。
そこで予定を変更して11:09の下りで諫早を目指す。


 25.西九州新幹線諫早駅と予定外の昼食

予定より1本早い11:09の下りで諫早まで行く。
大村車両基地から約20分、11:30に到着する。
車窓からは大村湾が見られた。



また明日最後に取材する予定の大村駅も車窓から確認する。



諫早駅在来線ホームにはYC1が停まっていて、
乗ってきた下り列車も7分停車でこれを取材する。
取材中に駅のホームに立っていたおじさんとトラブルになり、少し言い合いになる。
最近鉄道マニアの存在もだいぶ認知されてきたが、
それでもたまに因縁を付けてくる人もいる。
ここで時間を取るわけにも行かず、適当にいなして駅の外に出る。



在来線の改札を出て、駅舎取材に入るが、
観光案内所の前に長濱ねるさんの等身大パネルがあった。

 ようこそ!
 3つの海に囲まれた
 自然豊かなまち 諫早へ!

と書かれた手書きのパネルを持っている。
襷には「西九州新幹線長崎県広報大使」と書かれている。
あとでネットで調べて知ったのだが、
長濱ねるさんは長崎県長崎市生まれで、
西九州新幹線開業の2022年9月23日には、
長崎駅で上り一番列車の発車の合図を担当したそうだ。



JR諫早駅は相対式島式2面4線の地上ホームを有する長崎本線の駅である。
また早岐起点の大村線の終点となっている。
1番線を切り欠いた単頭式ホームは0番線として島原鉄道の専用ホームとなっている。
JRと島原鉄道の間には中間改札が存在する。
1番線は長崎本線下り長崎方面始発専用で、上り方面に線路はない。
2番線は長崎方面下りおよび大村線を使用する。
3番線は長崎本線下りと大村線が使用、一部長崎本線上りも使用する。
4番線は長崎本線上りと大村線が使用する。
2022年9月23日に開業した西九州新幹線も、
相対式2面2線の高架ホームを有する。
11番線は上り武雄温泉方面、12番線は下り長崎方面が使用する。
新幹線ホームに通過線はなく、
そのため通過列車に対する安全のため可動式安全策が設置されている。

1891年に九州鉄道によって佐賀線として敷設された現在の長崎本線が、
1898年11月27日に大村から長与まで延伸した時に同時に開業した。
1907年7月1日に九州鉄道は国有化され、
1909年10月12日に線路名称制定により長崎本線となった。
1911年8月21日には島原鉄道が本諫早から諫早まで延伸し、島原鉄道の駅ともなる。
1934年3月24日には有明西線が開業、
同年12月1日に有明東線と有明西線が接続し、長崎本線有明ルートが完成する。
それまで長崎本線は備前山口から武雄(現・武雄温泉)、早岐ルートで敷設されており、
有明ルートが新しい長崎本線になったことで、
それまで長崎本線だった肥前山口(現・江北)から武雄(現・武雄温泉)、早岐までが、
早岐から佐世保までの佐世保線に編入され、
早岐から諫早までが大村線となった。
新幹線開業に合わせて、2018年8月4日に橋上駅舎化され、
駅舎も全面的に建て替えられた。

東口取材後に西口も取材し、そのあと再び東口に戻って、
昼食に予定していた店を探すが、見つからなかった。
仕方がないのでいったん駅に戻り、駅から一番近い店をスマホで検索し、
駅前ロータリーにあった「栄光」で野菜炒めラーメンを喰う。
ここからふたたび西九州新幹線に乗り換え、嬉野温泉を目指す。

 ※参考/長濱ねるオフィシャルウエブサイト https://nagahamaneru.jp/


 26.西九州新幹線嬉野温泉駅と長崎駅

予定では14:51諫早発の「かもめ36号」で嬉野温泉を目指すことになっていたが、
諫早で思ったよりも早く食事が出来たため、
1本早い12:50発の「かもめ28号」に間に合ったため、
これに乗って武雄温泉を目指した。
乗車時間は15分である。
ただ、武雄温泉駅は西九州新幹線単独駅で、
一定の時間は駅員不在になる。



ちょうど嬉野温泉駅で下車する時に駅員が不在だったため、
有人改札が使えずきっぷの持ち帰りが出来なかった。



JR嬉野温泉駅は相対式2面2線の相対式2面2線の高架ホームを有する、
西九州新幹線の単独駅である。
11番線は上り武雄温泉方面、12番線は下り長崎本線が使用する。
画像は温泉口(西口)で、在来線が走っていないため、
塩田川口(東口)とは駅舎の横から自由に行き来が可能である。
西九州新幹線は部分開業時の暫定的な起点駅である武雄温泉から、
大村線新大村を短絡する線形になっており、
そのためこの地には在来線が走っていない。
駅名は嬉野温泉駅だが、嬉野温泉街からは1.5kmの距離がある。
2022年9月23日の西九州新幹線が武雄温泉から長崎の区間の、
部分開業に合わせて同時に開業した。



改札外には折り紙で創った電車で、
嬉野温泉駅開業を祝うモニュメントが設置されていた。
「ギネス世界記録達成!!」と書かれている。
「折り紙で作った電車の最多展示数」で世界記録を達成したようである。

嬉野温泉駅には指定席券売機が設置されておらず、
自由席特急券の未対応の券売機が設置されている。
今までずっと由席で移動していたが、
座席デザインの違う指定席にも乗ってみたいと思い、
駅員が戻るのを待ってみどりの窓口でここから長崎までの指定席特急券を購入する。



購入したのは14:04嬉野温泉発の「かもめ29号」で、
24分で終点の長崎に到着する。



長崎は在来線の長崎本線も終着駅だが、
西九州新幹線も日本最西端の新幹線駅となっている。



長崎に到着したのは14:28で、もともとの予定ではここで終わりである。
もともとの予定では早めに着いて、駅前で長崎電軌の車両取材をしようかと思っていたが、
さすがに3:00p.m.は速すぎる。
それに明日は一日かけて長崎電軌の再取材を予定しているので、
今日無理をして車両取材する必要もない。
そこで在来線の長崎本線で駅取材を追加することにした。


 27.長崎駅の「ふたつ星」と鹿児島本線松原駅

3:00p.m.前に長崎に到着してしまったため、
予定を追加して、長崎本線の駅取材を追加することにした。



いったん西九州新幹線の改札を出て駅舎取材したあと、
在来線の改札をぐるっと九州きっぷで再入場する。
ホームに上がると、14:53発の「ふたつ星4047」が停車していた。



「ふたつ星4047」は西九州新幹線の開業に合わせ、
登場した国鉄形気動車を改造した観光列車である。
西九州新幹線開業により、
長崎本線の一部区間で電化設備を撤去、
非電化路線に転身したために、
特急電車改造の観光列車での長崎乗り入れが不可能になり、
その代替として気動車の観光列車が投入された。
運転区間は西九州新幹線と同じ武雄温泉から長崎である。



JR九州デザイン顧問の水戸岡鋭治氏が担当しており、
水戸岡車両デザインらしい、中間車両の大きめの窓も健在である。
3両編成で、種車は1号車キハ47-4047は元「はやとの風」のキハ47-8092、
2号車のキシ140-4047は「いざぶろう・しんぺい」の予備車キハ140-2125、
3号車のキハ147-4047は元「はやとの風」のキハ147-1045である。
2号車に座席はなく、まるまるラウンジカーとなっている。
そのため食堂車を意味する“キシ”となっている。
名称の「ふたつ星4047」は運行区間の佐賀県と長崎県をふたつ星と表現、
投入された種車のキハ40とキハ47を意味している。
運行区間も武雄温泉から佐世保線、大村線、長崎本線を通過、諫早経由と、
江北まで戻り、肥前浜経由の長崎本線を行く2つのルートがある。

「ふたつ星4047」の出発を見送り、15:08始発の区間快速「シーサイドライナー」に乗り込む。
投入さていたのはYC1で、喜々津経由だった。
長崎を出発すると浦上に停車し、喜々津、諫早と停車する。
これらの駅は既に取材済であり、下車する意味がない。
その先も大村、新大村、大村車両基地と停車するが、
これらの駅も取材済み、若しくは明日取材予定であるので下車する意味がない。
そこで15:53に到着した松原で下車することにした。



JR松原駅は相対式2面2線の地上ホームを有する大村線の駅である。
1番線は上り佐世保方面、2番線は下り長崎方面が使用する。
大村線は現在の長崎本線の一部として開業し、経路変更により分離されたものである。
長崎本線は鳥栖と長崎を結ぶ幹線鉄道として九州鉄道により建設されたもので、
1895年5月5日に佐賀から武雄(現・武雄温泉)までが開業、
現在の佐世保線に当たる経路で1897年7月10日に早岐まで延伸、
同年7月22日に長崎(現・浦上)まで延伸した。
1898年1月20日に支線として佐世保まで延伸した。
松原もこの時に同時に開業している。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に佐賀から早岐までが長崎本線、
早岐から佐世保が佐世保線となった。
現在の長崎本線のルートは有明線として敷設され、
1934年4月16日に有明線が全通、
同時に有明線を長崎本線に編入、
既存の長崎本線は早岐から佐世保までを佐世保線に編入、
この時に諫早から早岐までを大村線として分離させた。



かつては大村火力発電所に石炭燃料を輸送するための引き込み線があり、
現在も一部が残され、保線用車両が留置されていたりする。



先に出発した筈の「ふたつ星4047」が16:14頃通過していった。
途中駅で多めに停車している内に追い抜いていたのだろう。
駅取材をしたものの、帰りの下り列車は16:47までない。
そこで駅周辺を散策した。



駅近くの墓地には「相撲取り墓」があった。
説明板には以下のように書かれている。

  相撲取り墓

 この三基の自然石の墓は、相撲取りの墓です。
 墓石には、「大荒鷲岩」、「秀の川」などのしこ名が刻まれています。
 いずれも江戸時代後期のものです。
 残念ながらどのような活躍をした力士かは分かっていません。

 令和三年三月三十一日
              松原宿活性化協議会



駅に戻り、駅舎を再取材して予定していた列車に乗り込み長崎まで戻る。


 28.長崎の夜と朝−長崎チャンポンとツナメルト・オーブンサンド

緊急追加取材した大村線松原での駅取材を終え、
16:47発の長崎行きに乗り込む。
乗車時間は1時間25分で、長崎に到着したのは18:12だった。



長崎駅で下車した時には既に夜の帳は完全に降りていた。



長崎駅周辺は高低差も大きく、稲佐山の上にある建物が、
辺りが闇に包まれると空中に浮いているように見える。
長崎についてまず予定していた「中華大八」でちゃんぽんを喰う。
そのあと長崎駅内の「AMU」に行き、
喜味冨とFamilyMartで買い物して、
予約していた「No.160 アパホテル〈長崎駅前〉」にチェックインする。



用意されていた部屋は407号室で、
プラン名は「素泊まりプラン・事前オンライン決済で更に100円割引!」だ。



クレジットカードでのオンライン決済して価格は6,170円だった。



部屋には大きな画面のテレビが設置されている。
ホテルの案内も冊子ではなく画面での案内になっている。



ファミマでハイボールや芋焼酎などのアルコールを購入した。
「喜味冨」は長崎かんぼこの店で、“かんぼこ”とは長崎の方言で蒲鉾のことだという。



先ずはホテルの共有スペースで貰った紙コップと氷に「黒霧島」を注ぎ、
長崎かんぼこをつまみに芋焼酎のオン・ザ・ロックを愉しむ。
買ったのはアジの平天140円、イカめんたい210円、
イワシバーグ140円、半熟竜眼320円などである。



部屋にはペットボトルの水が置かれていたが、
そこにはアパホテルの社長・元谷芙美子氏の顔写真が載っていた。
社長自らが広告塔になって宣伝しているので、
サービスのミネラルウォーターもこういうことになるのだろう。

素泊まりだったので朝食は喰わず、8:00a.m.過ぎにチェックアウトする。
本当はもう少し早めに起きるつもりだったが、
昨日飲み過ぎて寝過ごしてしまった。



ホテルを出て長崎駅まで行き、旅行用バッグをコインロッカーに預け、
事前に調べていた「SEATTLE'S BEST COFFEE・長崎駅店」に行く。
そこでツナメルト・オーブンサンド470円喰う。
コーヒーサイズアップでプラス40円だった。
今日はこのあと帰りの飛行機まで長崎電軌の取材に当てる。


 29.長崎電気軌道電車一日乗車券購入と長崎本線浦上駅

長崎駅のコインロッカーに荷物を預け、
駅構内の「SEATTLE'S BEST COFFEE・長崎駅店」で朝食を喰い、
観光案内所に行き、長崎電気軌道電車一日乗車券を購入する。



長崎電軌軌道全線に一日乗り放題になり、価格は600円である。

長崎電気軌道は長崎市内で路面電車路線を営業する軌道事業者である。
起伏が激しく坂道の多い長崎市内で地元の足として利用されている。
発足は1914年8月10日で、
現在1号系統から5号系統が運転されている。
本線は住吉から崇福寺までの6.9kmで全線が複線で敷設されている。
住吉から延伸する形で赤迫支線が0.4kmあり、実質的に本線と一体運用になっている。
長崎駅前から分岐して4号系統に短絡する桜町支線0.9km、
新地中華街で本線から分岐して石橋まで行く大浦支線1.1km、
本線西浜町から分岐して蛍茶屋までいく蛍茶屋支線2.2kmなどがある。

長崎駅前電停で電車に乗り込み、まずは本線浦上駅前電停まで行く。



ここで少し車両取材してから、近接するJR浦上駅まで行く。



ここで駅取材してからぐるっと九州きっぷで入場する。

JR浦上駅は島式1面2線の高架ホームを有する長崎本線の駅である。
1番線は下り長崎方面、2番線は上り鳥栖方面が私用する。
長崎本線の喜々津から浦上までの区間は長与経由と市布経由があり、
浦上から分岐する形になっている。
以前は相対式2面2線の地上ホームを有していたが、
西九州新幹線の建設に合わせるように、
長崎本線連続立体交差事業で高架化された。
地上ホーム時代の駅舎は国道206号に面した平屋建てで、
駅舎側のホームが下り長崎方面となっていた。
浦上から長崎間はは並行して走る路面電車の方が運賃が安く、
また運転本数も多いため、下り方面の利用客はほとんどなく、
上り線にはベンチなどが設置されているのに対し、下り線の設備は簡易であった。
1897年7月22日に九州鉄道が現地まで延伸した時に終着駅として開業したが、
開業当時は長崎駅と称していた。
1905年4月5日に現在の長崎駅まで長崎本線が延伸し、浦上駅と改称された。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日の線路名称制定により長崎本線となった。
1945年8月9日に長崎に投下された原爆の爆心地に近く、被害も甚大だった。
長崎本線は喜々津から長与経由で浦上に至る路線だったが、
1972年10月2日に市布、肥前古賀、現川を経由して浦上に至る新線が開業し、
浦上が喜々津と並んで分岐駅となった。
旧線は長与支線と呼ばれ、新線が電化されたのに対し、旧線は非電化のままであった。
しかし2022年9月23日の西九州新幹線開業に合わせ、
肥前浜から長崎の区間は電化廃止され、非電化区間となった。
この非電化への変更はJR九州が投入した、
YC1系ディーゼル・エレクトリック方式のハイブリッド気動車の使用が前提である。



浦上からこのYC1系気動車で隣の西浦上まで行く。


 30.長崎本線西浦上駅と長崎電軌車両車両取材

JR浦上駅からYC1系気動車で隣の西浦上駅まで行く。
ここは以前にも訪問していたが、駅取材していなかったため、
今回改めて駅取材のために再訪問する。



JR西浦上駅は単式1面1線の地上ホームを有する長崎本線の駅である。
長崎本線は1891年8月20日に九州鉄道佐賀線の名称で、
鳥栖から佐賀まで敷設したのが始まりで、
現在の佐世保線に当たる経路で1897年7月10日に早岐まで延伸、
同年7月22日に長崎(現・浦上)まで延伸した。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に佐賀から早岐までが長崎本線、
早岐から佐世保が佐世保線となった。
1897年7月22日に長崎(現・浦上)まで延伸した時には、
西浦上は存在していなかった。
ここに駅が出来たのは国鉄分割民営化直前の1987年3月9日で、
臨時駅として開業、同年4月1日に駅に昇格した。
臨時駅として計画されていた時の仮称は「赤迫」だった。



長崎電軌鉄道の西浦上駅の最寄りの電停は住吉電停で、
徒歩で約4分、280mの距離である。
住吉電停は本線の終着電停であり、この先は赤迫支線が0.4km延伸している。
終着の赤迫で折り返しの電車を車両取材する。



ここで約25分、折り返しの車両の取材を続ける。
このあと10:00a.m.前に始発に乗り込み、平和公園電停まで行く。


 31.長崎平和公園見学−世界平和と再びの核の脅威

赤迫電停で約25分の車両取材をして、
ここから始発の1号系統崇福寺行きに乗り込み、
平和公園電停まで行く。
ここで下車して長崎平和公園に行く。



訪問の目的はトイレを借りるためだったが、
折角ここまで来たので平和公園を散策することにした。
公園内にはたぶん修学旅行なのだろう、
小学生や中学生の集団がガイドの説明に聞き入っていた。



平和公園には世界各国から平和祈念の像が送られていた。
この像はソヴィエト社会主義共和国連邦から送られたもので、
ロシア語と日本語で解説が書かれている。

  この像は、ソヴィエト社会主義共和国連邦から
 長崎市が計画している「世界平和シンボルゾーン」建設の
 趣旨に賛同し寄贈された平和の像です。
  母親が子供を抱いた姿で、
 愛とともに平和を表現しています。
                1985年6月

ソ連が崩壊し、その中核であったロシア連邦が、
今はウクライナに侵攻し、戦闘は膠着、
その打開策として“使える核”が論議されている。

・・・使える核って何だよ!
ソ連時代にここに平和の像を寄贈した時のことを思い出せよ!
長崎を人類最後の被爆地にするため、
人類は愚かな行為を反省し続けなければならないのだ。



平和公園は長崎刑務所浦上支所の跡地にあり、
ここは正確には爆心地ではないものの、
爆心地にもっとも近い公共の建物であった。
1945年8月9日午前11時2分、
プルトニウム型原子爆弾により、
職員、官舎居住者、収容者計134名は全員即死した。
木造庁舎はもちろんのこと、
鉄筋コンクリートの壁も根元から倒壊した。



更に進んでいくとテレビなどでもよく見る平和祈念像が見えてきた。
説明文には以下のように書かれている。

   平和祈念像建立のことば

  昭和二十年八月九日午前十一時二分、
 一発の原子爆弾が、この地上空ででさく裂し、
 方五粁一帯を廃きょと化し、
 死者七万三千余、傷者また七万六千余におよんだ。
  哀愁悲憤の思いは、今もなお胸を裂くものがある。
  私ども生き残った市民は、被爆諸霊の冥福を祈り、
 かつ、この惨禍が再び地上にくり返されることを防ぐために、
 自ら起って、世界恒久平和の使徒となることを決意し、
 その象徴として、この丘に、平和祈念像の建立を発願した。
  かくて、私たちは、平和祈念像建設協賛会を組織し、
 内外の熱烈な協賛のもとに、昭和二十六年春、
 工を起してより、ここに四年、念願の像を完成し、
 除幕の式を挙げた。
  この日原爆十周年の日の前日である。
  私は、三十万市民とともに、この平和祈念像が、万人に仰がれ、
 世界平和の保持に大きな貢献をなすものと信ずる。

          昭和三十年八月八日
               長崎市長  田川 務

長崎平和公園を見学し、再び平和公園電停に戻る。
戻ってから気付いたのだけれど、
ここも車両取材しやすい電停なので、
ここで暫く車両取材することにした。


 32.徒歩移動の昼食と崇福寺電停への往復

長崎平和公園を散策し、平和公園電停で暫く車両取材する。
ここで通過する上下線の車両取材する。



10:30a.m.から約30分車両取材し、
そろそろ昼食を喰おうと思い、いったん撤収することにした。
もともとの予定ではJR長崎駅から浦上川を渡ったところにある、
カフェレストランでトルコライスを喰うつもりだったが、
ここから長崎駅まで戻るのもしんどいので、
以前、トルコライスを食った店に行くことにした。

2011年2月に長崎電軌を取材した時に、
昼食に入った「タローズキッチン」という店だ。
平和公園電停から長崎大学電停まで移動し、
記憶を頼りに店の場所まで行ってみる。



しかしその場所は「DandeLion next stage」というヘアサロンになっていた。
階段の感じなども記憶通りだったが、
さすがに約12年の月日が経っている。
店がなくなっていても仕方がない。



 ※12年前に訪問した「タローズキッチン」
 ※撮影日時 2011/02/26 12:06:50

家に帰ってから当時の画像を検索してみたが、
やはり画像から判断しても同じ場所だった。
仕方がないので同じサンモール住吉の中で店を探すことにする。



同じ区画の中に「割烹たなか・住吉本店」を見つけ、ここに入ることにする。
割烹だがランチサービスもやっていて、ここでお昼の松花堂1,078円を喰う。

昭和町通電停から赤迫電停に行き車両取材する。
そのあと01系統で終点の崇福寺電停に行って電停取材する。



崇福寺電停は以前は正覚寺下という名前の電停だった。
本線の終点は1921年4月30日に西浜町から延伸した時は思案橋だった。
しかし思案橋付近は観光地でもあり、交通渋滞が激化していった。
そこで1968年6月17日に現在地まで延伸し、
折り返し運転することで思案橋付近の混雑緩和を目指したのだ。



崇福寺電停は玉帯川の暗渠が途切れた先に設置され、
そのため、線路の一部は川に迫り出すように設置されている。



ここは思案橋電停の混雑緩和を目的に作られたため、
ここから先への延伸は考えられておらず、
道から外れた場所にあり、前にはビルが建設されていて、
この先の延伸は全くないことを物語っている。
ここで電停取材してから折り返しに乗り込み、再び平和公園電停を目指す。


 33.原爆資料館電停での車両取材と長崎電軌取材の撤収

折角全線乗り放題の長崎電気軌道電車一日乗車券を購入したので、
崇福寺電停まで往復し、再び平和公園電停に戻った。
あとは長崎電軌撤収までここで車両取材することにする。



赤迫では単線でホームが設置されていて、
道路を挟んでの取材になるので車両の通行の合間でないと撮影できない。
しかし平和公園電停は踏切を挟んで千鳥足配置になっており、
踏切の横から通過する車両や反対側から停車車両を取材できる。



近接する長崎市営陸上競技場があり、
そこにトイレが設置されていることを知り、ここを利用させて貰う。
わざわざ長崎平和公園まで行く必要はなかったのだ。
ただ、ここへの訪問には意味はあるものだった。



平和公園電停には長崎電軌1800形を模した自販機があった。
ここで1時間20分車両取材を続け、2:50p.m.頃、原爆資料館電停に移動する。



こくこは以前、浜口町電停の名称だったが、2018年8月に名称変更された。
16:00長崎駅発のシーサイドライナーで大村に移動する予定なので、
移動やお土産を買う時間などを考慮し、
最終撤収時間を3:30p.m.に決め、残りの35分はここで取材する。



ここの電停は近接する長崎西洋館の下を通過する。
トンネルを通過する路面電車はあるが、建物の下を潜るのは珍しい。
これを取材したくてここに移動したのだ。

長崎西洋館には「路面電車資料館」が設置されていて、
2011年2月に長崎電軌を取材した時に訪問している。
この時はこの中にあった「カルベラ」というレストランで、
西洋バイキング・男性100分1,200円を喰った。



しかしこのレストランは既になかった。
12年も経っているので仕方がない。
訪問時もバイキングなのに客は自分ひとりだけで、
バイキング会場に並んだ料理が空しく見えた。
家に戻って「長崎西洋館」に関して調べてみたら、
2023年5月に閉店していることが分かった。
建物の存続は分からないが、下を潜る光景は残って欲しい。
時間いっぱいまで車両取材を続け、
3:30p.m.に電車に乗って長崎駅前電停に移動する。



長崎駅前電停では通過する最新車両を歩道橋から撮影できた。


 34.大村線大村駅と大村駅の夕食

長崎電軌での取材を3:30p.m.に切り上げ、
長崎駅に向かって歩き出した。



長崎駅での乗り換え時間は30分で、
コインロッカーから荷物を取り出し、
お土産などを購入した。



ここから16:00長崎駅始発のシーサイドライナー・佐世保行に乗り込む。



充当されているのはYC1系であり、これに乗るのもこの旅では最後である。
長崎本線で諫早まで行き、大村線に乗り入れて大村まで行く。
乗車時間は53分で、16:53に大村に到着する。



JR大村駅は相対式2面2線の地上ホームを有する大村線の駅である。
1番線は上り早岐方面、2番線は諫早方面が使用する。
1番線側に木造駅舎が設置され、2番線とは跨線橋で結ばれている。
大村線は現在の長崎本線の一部として開業し、経路変更により分離されたものである。
1898年1月20日に支線として諫早から大村まで開業し、
この時同時に終着駅として開業した。
同年11月27日に大村から諫早、更に長与まで延伸し、途中駅になる。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に佐賀から早岐までが長崎本線、早岐から佐世保が佐世保線となった。
1934年4月16日に有明線として開通した部分が長崎本線に編入、
既存の長崎本線は早岐から佐世保までを佐世保線に編入、
この時に諫早から早岐までを大村線として分離させた。

大村からバスで長崎空港に向かうことにしていたが、
ここでの乗り換え時間は1時間13分を予定していて、
その間に夕食を取ることにしていた。
事前にネットで調べていた「長崎きしめん創新」に行く。



ネット情報ではディナータイムの営業は17:30から22:30となっていたが、
店の前まで行くと閉まっていて、営業時間は「11:00〜14:30」になっていて、
ランチタイムのみの営業になっていた。
とほほ・・・。
仕方がないので大村駅付近で夕食を食える店を探し、
「扇屋食堂」で皿うどん750円を喰う。
昨日の夕食にちゃんぽんを喰ったので、
今日はもうひとつの長崎名物の皿うどんにしたのだ。


 35.路線バスと初めての手荷物預け入れ−旅の終わり

乗り換え時間の1時間13分で皿うどんを食い、
あとはバスで長崎空港に向かうだけである。
予定では18:04大村ターミナル発の長崎県交通局大村市内線10系統で、
14分の乗車時間で長崎空港に行くことにしていた。
これに間に合わなかった場合は、
18:34でも空港乗り換え時間は22分でかなり厳しいが間に合わないことはない。
しかし実際には「扇屋食堂」ではほかに客がなく、早めに料理が提供されたこともあって、
予定より1本早い17:33に間に合い、これに乗り込むことした。



車内で帰りの飛行機の搭乗手続きする。
行きの飛行機はSkipを使ったのだが、
帰りは初めてスマホでの搭乗手続きに挑戦した。



 ※プライバシー保護のため、一部画像を加工しています。

登録完了すると2次元バーコードが発行される。
これを保安検査場や搭乗ゲートで読み込ませることで通過できる。
通過時に上手く画面が出ないことを避けるため、
この画面のスクリーンショットをしておいた。



長崎空港での滞在時間は52分を設定していたが、
更に30分前倒しで到着してしまったため、時間を持て余す。
空港には充電スポットもあり、待っている間にスマホを充電する。



構内放送で搭乗する飛行機が満席で機内持ち込み荷物のスペースが少なく、
大きな荷物は持ち込めませんと繰り返し放送していた。
普段は荷物を預けずに機内に持ち込んでいるのだが、
仕方がないのでカウンターで旅行用バッグのみを預けることにした。



 ※プライバシー保護のため、一部画像を加工しています。

カメラバッグは機内に持ち込むことにして機内に搭乗する。



 ※プライバシー保護のため、一部画像を加工しています。

スマホで保安検査場、搭乗ゲートを通過する。
初めての体験である。



保安検査場を通過してから待っている間に、自分へのお土産を買う。
予約していたANA670便は19:10に長崎空港を離陸した。
羽田までの搭乗時間は1時間40分で、
ほぼ定刻通り20:50に羽田空港に到着した。



飛行機を降りて普段はそのまま通過している手荷物受け取り場で荷物を待つ。
飛行機が到着してから荷物を下ろし、
そのあとベルトコンベアに流すので少し時間がかかる。



荷物を受け取ってから券売機で空港リムジンバスのチケットを購入する。
もともとここの乗り換え時間は25分を設定していて、
予定通りの21:15羽田空港第2ターミナル発のバスに間に合った。
約50分でJR津田沼駅まで戻り、総武緩行線で帰宅する。

今回の旅での撮影枚数は、

 EOS90D(一眼レフ)

  11月20日日曜日/撮影1529枚、保存105枚
  11月21日月曜日/撮影1963枚、保存105枚
  11月22日火曜日/撮影2562枚、保存128枚

 G9X(コンデジ)

  全日/撮影579枚、保存116枚

だった。
今回の旅で西九州新幹線の乗り潰しが完了し、
九州の旅客鉄道線は全て乗り潰しが完了した。
・・・と思ったが、この旅の翌年、
2023年3月27日に福岡市地下鉄七隈線が、
天神南から博多まで延伸し、未乗車区間が出来てしまった。
ちゃんちゃん・・・。





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