春風に誘われて



  1.ふたつの特急

幕張本郷駅付近に幕張電車区がある。
記号で云うと「千マリ」と車体に書かれている電車である。
総武快速線と、千葉以遠で運行されている113系、
そして千葉県で活躍する特急車両が在籍する。
毎朝の通勤で幕張駅に行くと、
丁度幕張電車区から回送されたE257系が、
JR幕張駅側線に停車している。
ここで運転手と車掌が乗車して千葉まで回送し、
6:37a.m.千葉発の「あずさ」となるのである。
中央本線特急「あずさ」は基本的に新宿から松本までを結ぶが、
一部の路線は東京、また千葉からも発車する。
以前は千葉発の「あずさ」は183系だったが、
2002年12月のダイヤ改正で、
「あずさ」は全てE257系に統一された。
183系の時はあまり感じなかったが、
E257系になってから何時も、
「ああ、この電車に乗って旅に出たいなぁ」と思うようになった。
デザイン的には今ひとつ好きになれないE257系だが、
それでも最新車両の乗り心地の良さは魅力的である。
ましてや、これから2時間をかけて通勤しなければならない身にとっては、
より一層その思いは深まるばかりである。
中央特急「あずさ」は何度か乗っているが、
千葉から松本までを一気に乗ったことはまだない。
今度土日きっぷで千葉発「あずさ」の旅を実行しようと思う。
6:37a.m.に千葉を出た「あずさ」は3時間45分かけて松本まで行く。
これに乗ってE257系を心行くまで味わってみようと思う。
E257系が千葉まで回送されると今度は255系が入線してくる。
この車両もまたここで運転手と車掌が乗り込んで回送されていく。
255系は房総半島専用の特急で、
内房線用は「ビューさざなみ」、外房線用は「ビューわかしお」と呼ばれている。
255系は東京−勝浦間で以前乗ったことがあるが、
内房線ではまだ乗ったことはない。
何時かは255系で房総半島一周をやってみたいと思う。
正確には館山−安房鴨川間は在来線の移動になるが、
それでも何時かはやってみたい。
これも土日きっぷで実行しよう・・・。

2003/04/15 01:16


  2.土日きっぷ

この春から「土日きっぷ」がリニューアルした。
「土日きっぷ」とはJR東日本が発売する割引切符で、
土曜日曜の連続する2日間、
指定された区間内なら乗り降り自由という切符である。
しかも新幹線を含む特急、急行にも乗ることが出来る。
料金は大人で\16,000。
つまり一日当たり\8,000である。
指定区間はJR東日本管轄エリアの南半分で、
東北本線では小牛田まで、
奥羽本線では新庄まで、
羽越本線では村上までのエリアである。
陸羽西線、陸羽東線もエリア内なので、
東北新幹線で云えば古川までということになる。
たぶん乗ることはないと思うが、石巻線もエリア内である。
以前は指定席も無制限で取ることが出来た。
ところが今回のリニューアルで、
“指定席も4回までならご利用OK!”に変更になった。
一日当たり2回までである。
つまり目的地に行くための往路復路は指定席を認めるが、
横移動は自由席にしか乗れないということである。
これでは今まで通りの自由な駅取材が出来ない。
おいらのように“0泊2日”をする人が多いのだろうか。
しかし逆境になればこちらも逆に燃えるというもの・・・。
指定席制限という中で、
4月第3週と5月第3週の連続で土日きっぷの旅を企画した。
4月は「あずさ」と「ビューざざなみ」「ビューわかしお」を利用して、
横軽バスの旅と房総一週の旅、
5月は「はやて」で仙台に出て仙石線取材と、
桐生でわたらせ渓谷鐵道の取材に行こうと思う。
林檎乃麗の旅は終わらないのだ。

2003/04/16 00:10


  3.アクシデント

3月18日火曜日、
JR浮間舟渡駅で4月18日土曜日からの土日きっぷを購入、
翌日4月19日分の指定席を取り、
4月の0泊2日の旅の準備を完了した。
ところが突然のアクシデントがある。
同僚の奥さんが予定の2日前に亡くなり、
4月18日土曜日、19日日曜日が通夜と告別式になってしまったのだ。
色々と調節して、
土曜日の通夜だけ参加し、日曜日の告別式は欠席することにする。
土曜日は午前中、
「ビューさざなみ」と「ビューわかしお」を乗り継いで房総半島一周し、
午後から「しおさい」で銚子へ行き、
銚子電鉄の主要な駅の取材をする予定だった。
しかし通夜が行われるのは埼玉県志木市で、
同僚と4:00p.m.に池袋で待ち合わせをしているため、
午後の予定は全てキャンセルせざるを得ない。
銚子電鉄の取材は別の日に行くことにしよう。
片道101分、\1,450で、往復でも\2,900で行って来られる。
幕張からだと敢えて特急に乗るほどの距離でもないので、
土日きっぷとは別に在来線の往復で取材に行くことにする。
4月の0泊2日の旅の前日、
4月18日金曜日にJR浮間舟渡駅で、
5月17日土曜日、18日日曜日分の土日きっぷを購入する。
しかしここでもアクシデントがあった。

2003/04/23 23:48


  4.横手職員からの電話

4月18日金曜日、
仕事から帰ると留守電が入っていた。

「もしもし、えーと、曽根様のお宅でしょうか。
えーと、こちらJRの浮間舟渡の駅なんですが、
昼間、えーと、お買い物頂きました土日きっぷの件なんですが、
一枚、あの、切符をお返し、お渡しするのが、えー、忘れまして、
駅の方に御座います。
後ほど駅の方に来て頂ければと思いまして、ご連絡差し上げました。
大変失礼いたしました。
土日きっぷの本券、一枚だけ、
えー、お返し、お渡しするのを忘れてしまいまして、
大変ご迷惑をおかけいたしますが、
えー、明日以降、浮間舟渡の駅にお来し頂ければと思います。
よろしくお願いいたします。
浮間舟渡の駅で横手と申します。
大変失礼いたしました。」

これは4月21日月曜日に取りに行った。

2003/04/23 23:51


  5.各駅下車の旅

4月19日土曜日、
4月の0泊2日の旅の一日目、
何時も会社に行く時間に起床し、6:17幕張発千葉行きに乗る。
今日の午前中の予定は、
255系「ビューさざなみ」「ビューわかしお」で房総半島を一周する。
8:03蘇我発の「ビューさざなみ」で館山を目指すが、
時間があるので幕張−千葉間の各駅取材をする。
定期券は幕張−池袋間なので、
上り方面の総武線の駅は何度も取材を重ねているのだが、
下り方面は近所であるにもかかわらず、
殆ど行く機会がなく、十分な取材が出来ていない。
そこでこれを機会にきっちりと取材しておこうと思う。

6:17幕張−6:20新検見川、
 JR新検見川駅取材13分、
6:33新検見川−6:36稲毛、
 JR稲毛駅取材12分、
6:48稲毛−6:50西千葉、
 JR西千葉駅取材13分、
7:03西千葉−7:05千葉。

千葉で「万葉軒」に行き、カレーうどん\320喰う。
予定では7:34に乗る予定だったが、
予定より1本早い7:17の内房線に間に合ったのでこれで本千葉に移動し、
ここでも駅取材する。
蘇我に移動し、取材をしながら「ビューさざなみ」が来るのを待つ。
偶然「ニューなのはな」が入線してきた。
「ニューなのはな」は幕張電車区所属のジョイフルトレインで、
旅行先で偶然で会うと何故か嬉しい。
地元意識が働くのか、
「おまえも頑張っているな・・・」という気になる。
kioskで生茶\150購入。
8:03、蘇我駅に255系「ビューさざなみ」が入線してくる。
いよいよ房総一周の旅の始まりである。

2003/04/24 02:05

※写真:JR蘇我駅に停車中の「ニューなのはな」 撮影時刻 2003/04/19 07:53:08


  6.房総半島一周内房編

255系は1997年7月にデビューした、
房総半島特急専用車両である。
それまで房総半島は183系直流型特急のみが運行されていたが、
房総エリアの需要拡大を狙って5編成が投入された。
従来の「さざなみ」「わかしお」と区別するため、
「ビュー・・・」という云い方がされる。
JR東日本の特急としては初めてVVVFインバータが採用された。
183系は経年車両が多く、
同じ特急料金を払って乗るなら絶対255系の方がいい。
・・・ということで、
今回の房総半島一周も「ビュー・・・」のダイヤに合わせて予定を組んだ。

8:03蘇我を出た「ビューさざなみ」に乗って、
昨日買ったちょこバナナポッキーを頬張りながら、内房の車窓を楽しむ。
暫くは工場地帯で煙突も多いが、
五井当たりを過ぎると海の見える長閑な風景になる。
五井では小湊鉄道のキハ200形などが見られた。
朝の取材の疲れからか、途中眠ってしまった。
房総半島山の稜線に沿って線路が敷かれているためか、結構カーブが多い。
車で走ると結構しょっちゅうハンドルを切っているように感じるが、
電車もほぼ同じ軌跡を辿っているのである。
寧ろ房総半島にこそ、振り子式車両を投入した方がいいくらいだ。
9:28「ビューさざなみ」は館山に着く。
館山は観光の駅らしく綺麗だった。
ここで40分取材して、10:08普通電車で安房鴨川に向かう。
乗車率は20%くらいだった。
海水浴シーズンだとかなり混むのだろうが、
オフシーズンでは閑散としていた。
40分で安房鴨川の駅に着く。

2003/04/25 01:09

※写真:JR蘇我駅に入線する「ビューさざなみ」 撮影時刻 2003/04/19 08:14:09


  7.房総半島一周外房編

10:48普通電車は安房鴨川に着く。
ここで内房と外房に別れる。
以前は房総一周という特急もあったらしいが、
安房鴨川でスイッチバックしなければならず、
現在では内房線は館山、一部は千倉まで、
外房線は安房鴨川止まりとなっている。
安房鴨川は海側にしか改札口がなく、
山側の西口には跨線橋を渡らなければならない。
鴨川シーワールド行きの無料送迎バスが止まっていた。
鴨川シーワールドは行川アイランド、太海フラワーセンターと並んで、
外房の三大レジャーランドのひとつである。
しかしフラミンゴのショーで有名だった行川アイランドが閉園となり、
鴨川シーワールドも集客作戦に必死である。
無料送迎バスもそういった作戦の一環なのだろう。
「シャチとkissしませんか」というコピーで、
テレビCM等も流している。
また西口には駅前にジャスコがある。
本当は津田沼に戻ってから買おうと思っていたのだが、
時間があったのでここで白いワイシャツと黒いネクタイを購入する。
これは午後から参加する通夜用のもので、
鴨川のジャスコで葬儀用のネクタイを買うことになるとは、
この企画を考えた時点では想像すら出来なかった・・・。
11:35安房鴨川発の255系「ビューわかしお」で蘇我へ戻る。
安房鴨川駅ホーム内の南総軒で弁当「かもがわ」\1,020と緑茶\150を購入し、
車内で昼食として喰う。
「ビューさざなみ」がA席が海側だったのに対し、
スイッチバックしているため「ビューわかしお」では、D席側が海側となる。
海を見ながら弁当を喰っていたらまた眠くなり、
いつの間にか眠ってしまう。
13:03蘇我に着く。
予定では13:12で千葉に向かう予定だったが、
0分乗り換えで千葉行きに乗れたのでこれで千葉まで戻る。
13:10千葉発の緩行線で幕張まで戻る。
今日は半日で0泊2日の予定を終えた。

2003/04/25 01:50

※写真:JR安房鴨川に停車中の「ビューわかしお」 撮影時刻 2003/04/19 11:42:24


  8.夜伽

1:30p.m.に帰宅し、デジカメのバッテリーの充電と、
CFカードのデータをパソコンに移して画像管理ソフトに読み込ませる。
あとでハードディスクに残す画像と消去する画像に振り分けるためだ。
この後支度して、14:39幕張発で新宿へ。
ここで山手線に乗り換えて池袋へ。
会社の同僚と4:00p.m.に東武東上線の改札口で待ち合わせる。
毎日使っている池袋駅だが、
降りた位置が違うと西口がどちらだか分からなくなる。
本当に方向音痴だ!
3:45p.m.には池袋に着いたのだが、
同僚との待ち合わせ場所にたどり着いたのは3:55p.m.を過ぎていた。
東武東上線の急行で志木まで行き、有楽町線07系で柳瀬川まで行く。
ここで車で来ている同僚に電話で連絡を取り、迎えに来て貰う。
東上セレモニーホール志木で同僚の奥さんの通夜に参加する。
通夜は6:00p.m.からで、
早めに行ったが提灯持ちなどの手伝いはなく、
特にやることもなかった。
喪主の同僚の落ち込みぶりはとても見ていられず、
声をかけることも出来なかった。
終わってから斎場のマイクロバスで志木駅まで送ってもらい、
池袋経由で帰る。
明日はいよいよ碓氷峠越えだ!

2003/04/26 21:40


  9.千葉発「あずさ」

何時も会社に行く時間に起床し、6:17幕張発千葉行きで千葉まで行く。
幕張で待っていると何時ものようにE257系が入線してきた。
E257系はここで快速線が通過するのを待って千葉に向かう。
千葉6:37発の松本行き特急「あずさ」として運行されるのだ。
毎日このE257系を見ながら通勤しているのだが、
今日はこれに乗るのだ。
6:17千葉行きは6:27に千葉に着く。
8番線に移動する途中でE257系が入線してくる。
ホームが空くのを待っての入線である。
乗り換え時間10分の間に駅ホームの売店で弁当を購入する。
万葉軒の「万葉弁当」と玉露入りお茶。
「万葉弁当」は幕の内でおかずは今ひとつだったが、
\590という価格を考えればお買い得といえる。
JREの幕の内弁当\1,000の半額近い価格なのだ。
千葉の弁当らしく浅蜊の串刺し、味噌ピー、梨などが入っていた。
6:37に千葉を出て、10:22終着の松本まで行く。
乗車時間は225分、3時間45分である。
千葉発の「あずさ」は総武快速線を通って船橋停車で錦糸町まで行く。
ここを出てから両国の先で緩行線の線路に入り、
御茶ノ水を出たところで中央快速線の線路に入る。
総武快速線は錦糸町のあと地下に入って東京に行き、
そのまま横須賀線に接続している。
同じ東京でも中央快速線とは全く別の線路である。
朝食を喰ったあと、御茶ノ水を出た当たりでウトウトしてしまう。
新宿に着いたときには完全に熟睡していた。
その後も心地よい微睡みに包まれながら「あずさ」の旅を楽しむ。
山梨にはいると桜の花が見えてきた。
種類が違うのか、気候が違うのか、この当たりではまだ桜が見られる。
家を出るときには雨は降っていなかったが、
幕張で待っているうちにポツポツと雨は降り出し、
「あずさ」に乗っているうちに雨は強くなって、
松本で降りる頃にはかなりの降りになっていた。
天気予報通り、今日は一日雨に悩まされることになった。

2003/04/20 23:46

※写真:JR千葉駅に停車中のE257系「あずさ」 撮影時刻 2003/04/20 06:46:11


  10.晴れ、時々土砂降り

10:22松本に着いたときには既に強く雨が降っていた。
ここからは「ワイドビューしなの7号」で長野に向かう。
松本駅で松本電気鉄道3000形やE351系などを撮影する。
11:00松本発の「ワイドビューしなの7号」は、
約1時間かけて長野に向かう。
松本を出た時にはまだ雨は降り続いていたものの、
途中で雨は止んで、綺麗な青空も見えてきた。
これでこのまま晴れてくれれば、
午後からの取材は楽だな・・・この時はそう思っていた。
11:53長野駅に着き、
ここで165系「快速とがくし」回送車両や、
しなの鉄道の115系などを撮影する。
長野から新幹線で軽井沢に移動する。
本当はしなの鉄道で軽井沢まで行きたかったのだが、
時間短縮と経費節減のために新幹線利用する。
長野新幹線開業とともに失われた信越本線を辿る旅である。
12:25発「あさま552号」東京行きに乗る。
指定席は既に「あずさ」と「・・・しなの」で取ってしまったため、
ここからは自由席での移動である。
車内清掃するドアの前に並んで、
1号車2Eに座ることが出来た。
約30分で軽井沢に着く。
12:58軽井沢で下車して驚いた。
辺り一面霧に覆われているのである。
ホームの逆端は勿論、隣のホームすら見えないほどである。
こんな霧は久しぶりに体験した。
そして駅取材のために外に出て、かなり強い雨が降っていることに気付いた。
霧だけではなくて雨も強かったのだ。
駅取材は土砂降りの雨に降られての強行撮影になった。

2003/04/22 23:44

※写真:霧に噎ぶJR軽井沢駅 撮影時刻 2003/04/20 13:56:58


 11.失われた信越本線

信越本線は高崎から新潟までを結ぶ長距離路線である。
しかし現在は高崎から横川までと長野から新潟までに分断されている。
長野新幹線の開通とともに、
山岳路線の中でも最難関区間といわれた横川−軽井沢区間は廃止、
バスによる代替え輸送が行われ、
長野−軽井沢間は法律によって第三セクター化された。
この第三セクターがしなの鉄道である。
横川−軽井沢区間は碓氷峠越えの難関区間で、
1893年(明治26年)に開業した時はアプト式を採用した。
アプト式とは線路中央にラックレールという歯形の軌条を置き、
機関車下部に取り付けた歯車でこれを咬んで上り下りするというもの。
その後機関車の性能向上とともに、
アプト式に替わって粘着運転が可能な、
EF63型電気機関車重連による協調運転が始まった。
協調運転とは189系や489系など、
電車側に協調運転用の機器を取り付け、
碓氷峠越えの間は電気機関車側による制御で電車を運転できるというもの。
これによって峠越えを同一列車による運行が可能になり、
他の幹線列車に劣ることなく輸送力を確保できた。
1997年の長野新幹線開通とともにこの区間は廃止された。
今回はこの区間を代替え輸送のJRバスに乗って実際に移動し、
その苦労を偲ぼうという企画である。
約1時間の待ち時間の間、
軽井沢駅の取材のあと、
旧軽井沢駅舎記念館を見学する。
ここには当時活躍したアプト式EC40型電気機関車や、
協調運転用の電気機関車EF63型2号機、
軌道モーターカー200形(185PS)等が保存されていた。
14:00JRバス関東線で横川を目指す。
峠越えはかなり揺れたが、それがこの区間の厳しさを物語っていた。
14:34横川に到着する。
本当はここで「碓氷峠鉄道文化むら」を見学する予定だったが、
まだ雨がかなり降っていたために断念する。
ここにはまた何時か来ることにしよう。

2003/04/23 00:15

※写真:JR横川駅に保存されている189系「あさま」 撮影時刻 2003/04/20 14:53:01


  12.終わらない旅

横川は信越本線が突然途切れた駅で、
本来ならここからEF63型電気機関車重連が連結し、
いざ碓氷峠に出発する筈の活気ある駅なのだが、
長野新幹線開通以来、首都圏から軽井沢に行くには新幹線経由になり、
横川は完全に取り残された駅になった。
信越本線は高崎から29.7km地点のここで突然途切れる。
ここから信越本線107系で高崎へ行く。
14:53発で高崎着は15:25。
まだ昼食を喰ってなかったが、
107系は3扉ロングシートの通勤形で、
とても横川名物の峠の釜飯を喰うことは出来ない。
仕方がないので高崎まで我慢し、「たかべん」で天麩羅うどん\350喰う。
上信電鉄のサファリパーク塗色車のほか、
偶然見かけた客車スハフ42形などを撮影する。
両端にDD51型ディーゼル機関車が連結されていた。
高崎から新幹線で東京まで戻るが、
自由席は満席でデッキにも人が溢れ、
大宮までは立って乗車することになった。
新幹線で立って乗ったのは実はこれが始めてかも知れない。
今までは指定席が必ず取れたので、自由席に乗るのも初めてである。
大宮で下車する客がいたので何とか座れたが、
ある意味で屈辱的な体験だった。
東京からまた快速で立って帰るのはどうしてもプライドが許さず、
17:30発の「さざなみ15号」館山行きに乗る。
京葉線経由なので、乗り換え時間約10分で京葉線のホームまで移動する。
何とか座れたが、疲労のため途中で寝てしまい、
検札の時に「蘇我まで・・・」と云ったのを聞いていた隣の人に、
蘇我駅の直前で起こして貰った。
うっかりするとそのまま館山まで行って帰れなくなっていたかも知れない。
4月の土日きっぷの旅は多くのアクシデントに見舞われながらも何とか終了した。
しかし林檎乃麗の旅は終わらない。
春風に誘われながら、
また5月も新たなる旅に出るのである。

2003/04/23 02:07

※写真:高崎駅に入線する200系新幹線 撮影時刻 2003/04/20 16:22:11


  13.調子に乗って銚子への旅

4月の0泊2日の旅で行く予定だった銚子電鉄取材を、
急遽、4月29日火曜日、みどりの日に決行した。
本当はその前の土曜日に行こうと思っていたのだけれど、
風邪をひいて体調不良だったため、
土曜日は旅行を見送って3日後のこの日に決行した。
本当は体調は完全ではなく、
本来だったら静養しているべきだったのだが、
体調もだいぶ戻ってきたので調子に乗って銚子へ行ってしまいました(^_^;)
6:00幕張発の千葉行きに乗って千葉まで行き、
ここで「万葉軒」でカレーうどん\320喰う。
6:32千葉始発の総武本線銚子行きに乗り込む。
千葉から銚子へのルートは総武本線のほかに、
佐倉から成田線をまわるルートもある。
乗客も同じ銚子行きでも途中駅で降りる場合は乗り間違えると大変である。
そこで総武本線は“()”の中に「八日市場まわり」と書かれている。
そして電車の行き先表示も総武緩行線のイメージカラーの黄色になっている。
成田線経由は「成田まわり」と書かれていて、
行き先表示が成田接続の我孫子線のイメージ色である黄緑になっている。
千葉駅ではそれぞれ色によって行き先表示を分けていて、
誤乗車を防ぐ工夫が成されているのである。
kioskでポッキーと生茶買う。
林檎乃麗の旅にはポッキーが不可欠なのだ。
このポッキーがのちに思わず役立つことになる。
千葉を出て住宅街の中を走っていたのは都賀辺りまでで、
物井を過ぎた辺りからは完全な田園風景の中を進んでいった。
佐倉から先は総武本線も単線区間になる。
南酒々井で上り電車の入れ違いで3分停車した。
停車中にはウグイスの鳴き声も聞こえた。
八街では上りの各駅停車と快速の待ち合わせのために10分待った。
更に松尾で2分待ち、干潟で5分待ち。
総武本線は単線の割りには本数が多い。
逆に云うとしょっちゅう対向車線の待ち合わせがある。
銚子に着いたのは8:29、幕張を出てから約2時間半後だった。

2003/04/29 23:40

※写真:JR千葉駅に停車中の113系総武本線銚子行 撮影時刻 2003/04/29 06:33:18


  14.弧廻手形

銚子行きの113系が銚子駅に着いたのは8:29。
それから跨線橋を渡り、
銚子電鉄のホームへ行って8:32発の銚子電鉄1001系に乗り込む。
JRと銚子電鉄の間には改札があるのだが、
時間が早かったせいか、無人だった。
これじゃ、折角きちんと切符を買ったのに張り合いがない。
車内で車掌から弧廻手形という一日乗車券を購入する。
銚子−犬吠、外川までが片道\310で、
この弧廻手形が\620である。
つまり犬吠まで往復するなら、この切符を買ってしまった方がいい。
乗り降り自由というだけではなく、
沿線各施設の割引があり、
何より嬉しいのが犬吠の売店で銚電名物「ぬれせん」が1枚貰えるのだ。
銚子電鉄の沿線には醤油工場があることから、
経営危機を「ぬれせん」作りで乗り切ったというユニークな会社である。
観光でこの電車に乗る場合、
ほとんどの人が犬吠埼へ行くはずであるから、
それならこの切符を購入することをお勧めする。
まず終点の外川まで行く。
ここはNHK朝の連続テレビ小説「澪つくし」のロケが行われた駅だそうだ。
ここで折り返しの同じ電車に乗って西海鹿島へ行く。
ここは地元の要望で出来たという駅で、
周り中キャベツ畑で駅名表示板さえない寂しい駅である。
隣の君ヶ浜は白亜のアーチがある駅でお洒落なのだが、
長年潮風に吹き付けられているせいか、
近くに行ってみるとかなりボロボロだったりする。
隣の海鹿島まではたった400mの位置である。
海鹿島駅の由来はそのものズバリ、
明治30年頃まではアシカの生息地だったということから名付けられた。
ここで“澪つくし号”が来たのでそれに乗って再び外川まで行く。
“澪つくし号”は国鉄から有蓋貨車ワム80000形を購入し、
トロッコ列車に改造したもので、これを電車で牽引する。
外川には機廻り線が設置されていて、
“澪つくし号”を切り離して機廻り線から反対側に出てに連結し、
再び銚子を目指す。
これで観音まで行く。
観音は飯沼観音の最寄り駅で、駅売店の鯛焼きが有名。
実際、取材中にも車で駅までやってきて、
鯛焼きだけ買って帰っていく人も何人かいた。
銚子電鉄は副業にも・・・というより、
本業よりも副業で目立っている鉄道会社である。
このあと仲ノ街へ行く。
ここは銚子電鉄の本社があり、電留線や車両研修場にもなっている。
また裏にはヤマサ醤油の工場があり、
駅自体にも醤油の匂いが漂っているのである。

2003/05/30 01:21

※写真:海鹿島駅を出る銚子電鉄801形 撮影時刻 2003/04/29 09:22:01


  15.地球は丸かった・・・

「笠上黒生」は「かさがみくろはえ」と読む。
日本の駅の中でも難読駅に数えられる。
銚子電鉄は仲ノ町−外川間がスタフ閉塞で、
笠上黒生でで上下の電車がスタフ交換をする。
スタフ閉塞は1閉塞区間にひとつの通票しかなく、
その通票を持っていない車両はその区間を走ることが出来ない。
単線で車両がぶつかることを防ぐために開発された方法で、
銚子から来た車両はここで下り車両を待ち、
上下の車両が斜めに止まって運転手が仲ノ町−笠上黒生間のスタフと、
笠上黒生−外川間のスタフを交換する。
車掌は銚子−笠上黒生間しか乗車しないため、
下り線に乗ってきた車掌は上り線に乗り換える。
ここには廃車になった101号が放置されていて、
車内は倉庫として使われている。
駅取材の時に駅隣の民家で飼っていた犬を撮影しようとしたが、
吠えられたので持参したポッキーを見せたら急に尻尾を振り出した。
本当にゲンキンなものだ・・・。
何本かポッキーをあげてお座りさせた。
本銚子は「もとちょうし」と読み、
「澪つくし」では沢口靖子演じる主人公のかをるの通学シーンで出てきた駅で、
雰囲気のある駅である。
電車線を渡る愛清橋から駅入線車両の取材もする。
犬吠は銚子電鉄最大の駅で、
関東の駅100選にも選ばれた綺麗な駅である。
駅取材のあと、弧廻手形で「ぬれせん」を貰う。
これで駅取材は終了だったが、少し時間があったので犬吠埼まで行く。
灯台には登らなかったが、岬からは太平洋が一望出来た。
ここからでも地球が丸いことを微かに感じることが出来る。
ガリレオが地動説を発表する前から、
銚子の漁師達は地球が丸いことを知っていたのかも知れない。
電車レストランでわっぱめし定食\900+45喰う。
本当は海軍のカレーが喰いたかったのだがやっていなかった。
また「澪つくし号」が来たのでそのまま外川まで乗り、銚子に戻る。
銚子で駅取材したあと、帰りは成田経由で帰る。

2003/05/05 22:47

※写真:笠上黒生駅入口の民家で飼われている犬 撮影時刻 2003/04/29 11:17:53


  16.新特急じゃない特急「水上」

5月の0泊2日の旅は、5月17日土曜日に始まる。
特急「水上1号」で新前橋まで行き、
両毛線で桐生に出て、わたらせ渓谷鐵道の度を楽しむ。
5:00a.m.起床・・・のつもりが、目が覚めたら5:20a.m.だった。
慌てて支度をして5:44幕張発御茶ノ水行きに何とか間に合う。
秋葉原から京浜東北線に乗って上野へ。
6:32に上野に着き、約40分、上野で車両取材する。
フレッシュひたちなど撮るが、
間違ってMFのままAFと思って撮ってしまい、
ほとんどピンボケになってしまった。
とほほ・・・。
7:20上野発の「水上1号」で新前橋に向かう。
思ったよりも混んでいた。
朝食として売店で「上野物語」という駅弁を買って車中で喰う。
上野駅限定の弁当で、
「ふるさとの 訛なつかし 停車場の
 人ごみの中に そを 聴きにゆく」
という石川啄木の詩が書かれている。
新前橋に8:49に着き、9:00の両毛線で前橋に行く。
その僅か11分の間に駅取材する。
107系両毛線に乗って隣の前橋駅に行く。
ここでも駅取材する。
次の電車は9:40で37分の取材時間があったため、
余裕を持って取材が出来た。
「あかぎ」が入線してきたが、
ここの駅員はまだ「あかぎ」のことを新特急と云っていた。
去年のダイヤ改正から“新特急”という名称は廃止されているのた。
鉄道マニアの前で「新特急『あかぎ』が・・・」などと云ったら、
鬼の首を取ったように非難されるだろうが、
寧ろ現場の駅員などの方が無頓着なのである。
9:40に入線してきた211系3000番台の両毛線で桐生を目指す。
車内は座席が埋まるくらいに混んでいたが、
伊勢崎で大半の乗客が降りていった。
10:09桐生に着く。
ホームには既にわたらせ渓谷鐵道の茶色い車体が停車していた。

2003/06/01 23:53

※写真:JR前橋駅に停車中の185系「あかぎ」 撮影時刻 2003/05/17 09:42:23


  17.わたらせ渓谷鐵道

わたらせ渓谷鐵道は、旧国鉄足尾線で、
国鉄再建法案によって第三セクター化され、
わたらせ渓谷鐵道となった。
発足は1989年(平成元年)3月29日である。
わたらせ渓谷鐵道の全身は旧国鉄足尾線と書いたが、
正確には国鉄の分割民営化後もJR東日本が、
第三セクターへの橋渡しとして2年間受け継いでいたのである。
単線非電化区間で、現在では観光に活路を見いだそうとして努力している。
車両もバス車体応用のLEカーが中心で、
現在はすべて焦げ茶の塗色に統一されている。
旧国電を思わせる車体が郷愁をそそる。

今回は桐生からわたらせ渓谷鐵道に乗って、
わたらせ渓谷鐵道の本社のある大間々まで行く。
乗ったのはわ89-203「あずま」+わ89-315「わたらせII」。
10:39に桐生を出発し、「相老」で東武桐生線の接続を待って8分停車。
この間に上り線も回避する。
そして大間々に着く。
大間々駅での取材は思った以上にエキサイティングだった。
駅舎取材して、駅前のLAWSON大間々駅前店で買い物をし、
切符を買って再入場して保線区の車両や、
ここから出発するトロッコ列車「トロッコわたらせ渓谷号」、
それに留置中の「サロン・ド・わたらせ」などを取材する。
「サロン・ド・わたらせ」は元JRのお座敷列車「やすらぎ」である。
一通りの取材を終え、
予定より早い11:36発で桐生に戻る。
乗車したのはわ89-101「こうしん」+わ89-314「あかがねII」。
桐生から11:53下りの両毛線に乗る。
予定より1時間55分も早くなってしまった。

2003/06/14 01:53

※写真:大間々駅に留置中のわたらせ渓谷鐵道わ89-311 撮影時刻 2003/05/17 11:38:47


  18.両毛線出たとこ勝負の旅

予定では桐生から両毛線で小山まで行き、
宇都宮、那須塩原と新幹線「なすの」で移動し、
在来線で黒磯まで行って再び那須塩原に戻り、
ここから17:43発「なすの252号」で東京まで戻ることになっていた。
しかし予定より2時間近く早まったため、
急遽佐野で途中下車して駅取材する。
佐野は東武佐野線と接続していて、
しかも佐野プレミアムアウトレットで注目されている場所である。
佐野で取材後、小山を目指そうと思ったが、
下りは1時間も間があるので、12:52の上りで足利まで戻る。
足利は足利尊氏由来の屋敷のある場所で、
佐野と同様、“関東の駅百選”に選ばれた美しい駅である。
駅前にはEF60型電気機関車が展示されている。
昼食を喰う暇が全然なかったので、
駅前の「きそば」で天ぷらうどん\350喰う。
やはり下り電車が時間が空いてしまったので、
13:45の上り電車で一端高崎まで戻り、
そこから新幹線で小山までに行こうと思った。
しかし考えてみたら高崎は上越新幹線で、小山は東北新幹線。
つまり大宮まで戻らないと乗り換えられない。
高崎まで戻ってその誤算に気付いた。
上信電鉄の車両取材後に新幹線ホームに上がり、
15:21「あさま554号」東京行きに乗る。
E2系車両で、自由席1号車1番E席に座れた。
大宮まで戻って今度は東北新幹線で宇都宮を目指す。
駅に貼ってあった時刻表を見て乗り込む列車を決める。
「Maxやまびこ119号」仙台行きで3号車1階9番E席に座る。
2階席は人気があるので敢えて1階席を選んだ。
宇都宮で駅取材し、在来線黒磯行きがあったので、
那須塩原で乗る予定だった車両かどうか車両前面まで行き、
車両番号で確認したが1本後の編成だと分かった。
仕方がないので黒磯駅取材は断念し、
16:45「やまびこ116号」で那須塩原に行く。
200系非リニューアル車で、5号車自由席5番E席で、
乗車率は8割程度だった。
デッキとのドア上に電光掲示板もない旧式であったが、
3人掛けは回転式リクライニングシートが採用されていた。
那須塩原で乗る予定だった快速「フェアウェイ」を見かける。
485系特急型型車両が採用されていた。
NEWDAYSでサンドイッチ\350と生茶\150買って、
指定席を取っていた「なすの252号」に乗り込む。
17:43那須塩原発で、18:56に東京駅に着く。
200系2000番台だった。
2000番台は100系東海道・山陽新幹線と同じデザインの、
細目タイプである。
東京から総武快速線地下ホームに行って「あやめ」に乗り込む。
2号車自由席3階A席で、19:15東京発で千葉まで行く。
19:10発の総武快速線が先行しているため、
「あやめ」は結構ノロノロ運転だった。
追い越し線は市川にしかないため、そこまでは先行車両の後ろに着くしかない。
とても“特急”とは云えない。
錦糸町で上り回送183系特急を見かけた。
たぶん19:45東京発の「しおさい」と思われる。
19:49に千葉に着き、19:59三鷹行きで幕張まで戻る。
5月旅行1日目の日程は終わった。

2003/06/15 22:41

※写真:JR足利駅に保存されているEF60型電気機関車 撮影時刻 2003/05/17 13:32:34


  19.リベンジ→返り討ち

5月旅行2日目は「はやて」で仙台に出て、
仙石線取材後に仙山線で山形に出て山形新幹線駅取材する。
何時も会社に行く時間に起床し、
5:44御茶ノ水行きで秋葉原に出て、
6:30発の京浜東北線で東京駅に向かう。
新幹線改札をくぐる時に指定券も同時に入れる。
駅売店ではやて弁当\1,050と生茶\150買い、
6:56発「はやて1号」の指定席10号車11番E席に座る。
仙台には8:37に到着する。
仙石線取材の前に東北本線旧線で利府まで行く。
利府は以前の0泊2日で一度行ったが、
その時途中の岩切で駅取材に失敗した。
時間がなかったこともあって、
撮影時にモードをMF(マニュアルフォーカス)のまま、
オートフォーカスだと思って撮影してしまい、
当然すべてピンボケになってしまった。
そこで今回は利府に交流型電気機関車の現状と増設ホームの取材も兼ねて、
岩切と利府でリベンジ駅取材した。
9:00に仙台を出て9:09に岩切に着き、ここで9分の駅取材後に、
9:22で利府まで行き、同じ列車で岩切まで戻り、
松島経由できた東北本線に乗り換えて仙台まで戻る。
仙台到着は10:03である。
利府ではワールドカップで宮城スタジアムの最寄り駅になったことによって、
ホームが増設され、
そのために側線に留置されていた交流型電気機関車が近くの空き地に集められ、
しかも一部にはビニールシートが被せられていた。
あとから知ったのだが、
シートが被せられていたのは悪戯書きのペイントのためであった。
こうしてリベンジ取材は無事終了した。
あとは仙石線取材である。
しかし戻ってパソコンに画像を取り込んで初めて気付いたのだが、
レンズにはめる花形フードが上手くはまっておらず、
画面の下にぼんやりと写ってしまったのだ。
大失敗である。
リベンジ取材のつもりが返り討ちにあってしまった。
とほほ・・・。
岩切駅には2度も負けた。
この屈辱は何時か晴らさなければならない。
3度目の正直で、もう一度岩切駅には取材に行こうと思っている。

2003/06/15 23:40

※写真:花形フードが下部に写り込んでしまったJR岩切駅画像 撮影時刻 2003/05/18 09:25:44


  20.マンガッタンライナー

仙台に戻ってきてすこし車両取材した後に、
地下の仙石線ホームに降りる。
仙石線は仙台と石巻を結ぶローカル線で、
103系が運行されている。
山手線E231系500番台投入で余剰になった205系が、
各地に転属していったが、
仙石線には中間車両が先頭車化された3100番台が投入されている。
今回はそれを撮影したくて仙台まで来たのだ。
3100番台には一般通勤形のほか、
2Wayシート車と云って、
ロングシートとクロスシートの両方に転換できるタイプがあり、
2Wayシート車は4両編成すべてが違うイメージ色で飾られている。
さらに石巻に石ノ森章太郎の記念館があることから、
「マンガッタンライナー」と名付けられた、
石ノ森章太郎の漫画キャラで飾られた編成もある。
サイボーグ009、仮面ライダー、ゴレンジャー、ロボコンの各キャラクターが、
編成ごとに描かれていて、
特にサイボーグ009とロボコンは先頭車両のために前面にも描かれる。
それも出来れば撮影したかった。
10:21東塩釜行きで多賀城へ行く。
仙石線はあおば通−陸前原ノ町間は地下路線で車両取材には向かない。
そこで「多賀城行き」があることから、
ここで折り返し車両が取材できるのではないかと思い、取材地に選んだ。
しかし島式+片面式のホームがある国鉄型配線で、思ったより取材しづらい。
多賀城で駅取材後少し車両取材し、
来る途中で島式ホームであることを確認していた福田町に移動する。
多賀城で早速「マンガッタンライナー」の撮影に成功する。
福田町は宮野木電車区の近くで、駅取材後にホームで車両取材。
2Wayシート車も結構走っていて、
寧ろ一般型205系3100番台の撮影の方が難しいほどだった。
それに成功して仙台に戻る。
予定では多賀城11:56発で仙台に戻るつもりだったが、
結局福田町を出たのは0:30p.m.になってしまった。
エキサイティングな取材が出来た。

2003/06/16 22:47

※写真:JR多賀城駅に停車中の205系3100番台「マンガッタンライナー」 撮影時刻 2003/05/18 11:10:15


  21.標準軌

奥羽本線は福島から山形、新庄、横手、大曲を経由して秋田を結ぶ、
298.7kmの長距離路線である。
しかし線路は繋がっていない。
信越本線の横川−軽井沢間のように廃線になったわけではないが、
山形新幹線が福島から山形、そして新庄延伸のため、
この区間は在来線を含めて標準軌に改軌されている。
今回は奥羽本線山形−新庄間の山形新幹線停車駅を取材する。
仙石線取材から時間オーバーで仙台に戻り、
少し車両取材した後に「ホリデー快速仙山13号」で山形に向かう。
駅売店「コンボストアたぶれっと」でサラダサンド\160、まろ茶120\150買う。
サンドイッチは伯養軒で造られている。
伯養軒は小林亜星の会社だ。
「ホリデー快速仙山13号」は719系で、乗車率は7割といったところか・・・。
12:56に仙台を出て、14:02に山形に着く。
山形で駅取材後に14:34発の普通で天童に行く。
天童は将棋で知られている街で、駅にも「桂馬」の駒が飾ってある。
まだ昼食は喰っておらず、LAWSONの看板も見えていたが往復する時間がなく、
kioskで菓子パン買ってベンチで喰う。
15:18の普通で村山に行く。
ここで駅取材後に16:01にさくらんぼ東根へ。
ここでは取材時間13分しかなく、
駅の移動は走らなければならなかった。
そのためにヘトヘトになってしまう。
駅弁を買う時間など勿論なく、
自販機でペットボトルのお茶を買うのがやっとだった。
16:20さくらんぼ東根発の「つばさ12号」で東京に帰る。
車内販売で「郷土料理 紅花の里」という幕の内弁当\1,100を購入する。
昼食に有り付けたのは4:30p.m.を過ぎていた。
「つばさ」は天童、山形、米沢、福島、郡山、宇都宮、大宮、上野と停車し、
19:24東京駅に着く。
郡山でEast-i-Dを見かける。
総武快速地下ホームに降りて、
19:45発「しおさい13号」で千葉まで帰る。
地下に降りていくと既に入線していた。
自由席3号車5番A席に陣取る。
20:17に千葉に着く。
新検見川−稲毛間でニューなのはなとすれ違った。


 撮影データ

2003.4.19. 撮影 150枚、保存 63枚、保存率 42.0%
2003.4.20. 撮影 184枚、保存 67枚、保存率 36.4%

2003.4.29. 撮影 281枚、保存 146枚、保存率 52.0%

2003.5.17. 撮影 314枚、保存 123枚、保存率 39.2%
2003.5.18. 撮影 262枚、保存 88枚、保存率 33.6%

2003/06/16 23:25

※写真:標準軌 撮影時刻 2003/05/18 16:30:16




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