長月北陸近畿純情物語



  1.奇襲攻撃

この秋にまた大阪旅行を企画した。
毎年秋になると大阪旅行に行くことにしている。
別に決めているわけではないのだが、
そういう巡り合わせなのである。
最初は3年前にJASのバースディ割引を利用して、
初めてひとりで飛行機に乗り大阪旅行をした。
この時は大阪に1泊し、主にJRの鉄道取材と、
近鉄バファローズのフランチャイズ、大阪ドームの取材をした。
2年前はやはり大阪泊でオリックスブルーウェーブのフランチャイズ、
グリーンスタジアム神戸、現ヤフーBBスタジアムの取材と、
翌日は京都に行って取材をした。
去年は会社の合併などがあって、
急な研修が入るかも知れないとのことで旅行禁止令が出されていたこともあり、
大阪旅行は出来なかったが、
今年はその分、近畿圏の私鉄と阪神タイガースのフランチャイズ、
甲子園球場の取材をするつもりだった。
しかしその計画はもろくも崩れてしまうのである。
林檎乃麗の大阪取材は、常になにわの魔の力との戦いであった。
過去2回の旅行の計画を悉く妨害し、
林檎乃麗に大阪で鉄道写真を撮らせまいとしてきたなにわの魔の力。
鉄道のダイヤを乱すことによって、
予定していた取材を悉く変更せざるを得なくされてしまった。
しかし今度の大阪旅行では奇想天外な奇襲攻撃で妨害工作をしてきた。
それはなんと阪神タイガースの躍進という思いもよらぬ手段である。
万年Bクラスで、
ゴールデンウィークが開けると共にシーズンも事実上終了するタイガースが、
今年はなんと常にリーグのトップに立っているのである。
これは2年目の星野監督の手腕の表れだとか、
原・巨人の低迷が阪神躍進に拍車を掛けたとか、
野球解説者はいろいろ云っているけれど、
本当の理由はなにわの魔の力によるものである。
それも低能なフォトグラファー林檎乃麗に、
なにわの聖地を荒らさせないための手段だったのだ。
この阪神タイガースの躍進によって9月の甲子園球場は、
内野指定席はもちろんのこと、外野まで完全にsold outの状態だった。
これでは甲子園球場の取材は完全に無理である。
ここに至って大阪取材3ヶ年計画は脆くも崩れ去ったのである。

2003/10/14 01:35


  2.修正された旅行計画書

以前、夜行急行「能登」で金沢に行き、
朝から晩まで金沢とその近くの高岡、富山などを取材し、
その日の夜にまた「能登」で帰るという企画を立てた。
上野発の「能登」は23:33で、翌朝6:32に金沢に着く。
金曜日に一度家に帰って着替えてから上野に行けば、
土曜日は丸一日取材出来る。
金沢発の「能登」は22:43で、翌朝6:05に上野に着く。
つまり日曜日の朝に帰ってくれば、ゆっくり休める。
この作戦は計画のまままだ実行していなかったが、
せっかくなので今回この計画で行こうとしていたエリアに、
大阪旅行を絡めていこうと思った。
最初は米子、松江、鳥取などから大阪を目指そうと思ったが、
それだと大阪入りが意外と面倒だということに気付いた。
それに小浜線に投入された125系も取材したい。
しかし鳥取から小浜線経由で敦賀に行き、
そこから京都に行くとなるとかなりの遠回りになってしまう。
そこでこの計画は中止して、金沢、高岡、富山経由で京都に行き、
更に大阪に行くというルートに変更した。
しかしこの計画を1泊2日でやるとなると、
かなりの強行スケジュールになってしまう。
そこで有給休暇を取って2泊3日の予定でこのルートを移動しようと思う。
そこでJALのバーゲンフェアの日程を調べ、
それに合わせて9月6日土曜日から8日の月曜日に決め、
航空ルートを行きは羽田−富山、帰りは関空−羽田に決めて予約を入れ、
宿泊地を金沢、京都に決めてネットでビジネスホテルを探して予約を入れた。
こうして9月の旅行は富山から北陸本線を敦賀まで行き、
サンダーバードで京都に出て、ここで私鉄を中心に鉄道取材することにする。

  −9月6日土曜日−

06:05幕張−総武緩行線−6:45秋葉原
06:48秋葉原−京浜東北線−06:57浜松町
07:03浜松町−東京モノレール−07:25羽田空港
07:55羽田空港−JAL653便−08:55富山空港
09:20富山空港−バス−09:40富山
 ※富山駅取材、朝食
10:51電鉄富山−富山地鉄−11:29滑川
 ※滑川駅取材
12:30滑川−普通546M−12:47富山
 ※駅構内取材
13:51富山−普通438M−14:08高岡
14:45高岡−万葉線−15:00米島口
 ※JR能町駅取材
15:51米島口−万葉線−16:11高岡
16:29高岡−普通558M−17:07金沢
 ※駅構内取材
17:36北鉄金沢−北鉄浅野川線−17:40上諸江
18:13上諸江−北鉄浅野川線−18:17北鉄金沢
 18:30頃 R&B金沢駅西口ホテルチェックイン

  −9月7日日曜日−

 07:30頃 R&B金沢駅西口ホテルチェックアウト
 ※金沢駅構内取材
09:11金沢−加越8号 3号車3番A席−10:00福井
 ※福井駅取材
10:20福井−京福三国芦原線−10:28田原町
(10:50福井−京福三国芦原線−10:58田原町)
11:10田原町−福井鉄道福武線−11:20福井駅前
12:13福井−普通4846M−13:06敦賀
 ※敦賀駅取材、小浜線125系取材
14:12敦賀−サンダーバード26号 4号車3番A席−15:06京都
 ※京都駅取材
15:34京都−快速772T−15:47石山
 ※ここからは時間未設定
京阪石山−京阪石山坂本線−石山寺
石山寺−京阪石山坂本線−皇子山
JR西大津−JR琵琶湖線−JR京都
JR京都−京都市営バス206号(左回り)−四条大宮
 東横イン京都四条大宮ホテルチェックイン

  −9月8日月曜日−

 東横イン京都四条大宮ホテルチェックアウト
四条大宮−京福嵐山本線−嵯峨駅前
JR嵯峨嵐山−JR山陰本線−京都
 ※京都駅構内取材
京都−JR京都線−新大阪
 ※新大阪構内取材
新大阪−大阪市営御堂筋線−なんば
 ※道頓堀川、くいだおれ取材
南海難波−南海本線−りんくうタウン
りんくうタウン−JR関西本線−関西空港
18:40関西空港−JAL934便−19:45羽田空港

2003/10/26 20:55


  3. 空中旋回

9月6日土曜日、北陸近畿旅行1日目。
5:00a.m.に起床し、5:44a.m.のお茶の水行きで秋葉原に行く。
京浜東北線で浜松町に出て、東京モノレールで羽田空港へ。
今回もネット上で予約を入れ、カード決済のために当日カウンターに行き、
発券機でクレジットカードを差し込みだけで発券と搭乗手続きが完了する。
手荷物検査をして、
少し時間があったので搭乗口の売店で掻き揚げうどん\550喰う。
そして8:00a.m.フライトのJAL653便に搭乗する。
約1時間で富山に着く。
フライト中にCAから機内アナウンスで、
「富山の天候は雨です」と聞いて驚いた。
天気予報では東京も富山も快晴になっていた筈だ。
しかし富山に近づいて高度を下げていくと窓に雨がぶつかってきた。
雲の上を飛んでいたので分からなかったが、
富山ではかなり激しい雨になっていたのである。
そして飛行機が高度を下げていく途中に急上昇した。
それは突然の上昇だった。
CAからのアナウンスで富山空港が悪天候で降りられないとのことで、
暫く旋回するといっていた。
こんな経験は初めてである。
雲の中を突っ切ってかなり揺れたことはあったが、
飛行機が降りられないということはなかった。
上空で30分くらい旋回して、
またCAからのアナウンスで、
「機長から再度着陸を試みてみますとありました」とあった。
あの〜、“試みてみます”って・・・、
無理して着陸するなよなあ〜と思った。
再び降下した飛行機の窓には雨粒がバジバシと当たる。
機体もかなり揺れたがそれでも何とか着陸することが出来た。
外は激しい雨だった。
おかげでこの後の予定は大幅に狂ってしまった。
そもそもこの雨では外での取材は出来ない・・・、
着陸して空港に降り立った時にはそう思っていた。

2003/10/26 21:47

※写真:羽田空港でフライトを待つJAL機 撮影時刻 2003/09/06 07:54:23


  4.初陣

今回の旅行は初めての2泊3日の旅でもあり、
そしてそれを可能にしたのは新たに購入した一眼レフデジカメ、
Canon EOS 10Dの投入によるものが大きい。
今回の旅行は林檎乃麗としては初めてのレンズ交換式デジカメ、
Canon EOS 10Dの初陣でもあるのだ。
またこのカメラはCFカードだけでなく、
マイクロドライブも使用が可能なのである。
そのため1GBのマイクロドライブも持参出来るため、
メディアが一杯になるという心配がない。
3日間ぐらいの取材には十分に耐えうるだけのメディアを用意出来る。
このことは非常に大きいことだった。
以前使っていたOLYMPUS CAMEDIA E10は大きなメディアが使えなかったため、
128MBのCFカードを何枚も持って、
漸く500枚分の容量を確保出来た。
1日250枚としても2日間が限界で、
以前も2日目の終わりにメディアの残量が心細くなったことがあった。
今回はそういう心配もなく、
思いっきりシャッターを切ることが出来る。

富山に着いてバスで駅前まで行き、
早速Canon EOS 10Dでの取材を開始する。
富山に着く頃になると雨も小降りになり、
少し雨宿りをしているといつの間にか止んでしまった。
予定では富山地方鉄道で滑川に行くつもりだったが、
飛行機の遅れで時間が無くなり、
富山地鉄での滑り川取材は中止して、
富山駅で富山地鉄市電の写真を撮る。
17-40mmと28-300mmのレンズを使い分けて、
超広角と超望遠の威力に酔いしれながら、
通過する市電の写真を撮りまくる。
予定では13:51富山始発で高岡に向かう予定だったが、
滑川取材を中止したおかげで逆に時間が余ってしまい、
予定より早い12:39富山始発の419系で高岡に向かう。

2003/10/26 22:21

※写真:富山駅前を走る富山地鉄市内線 撮影時刻 2003/09/06 11:21:33


  5.平成倶利伽藍合戦

高岡に来て駅取材と万葉線の取材をして、
駅ビル1階に入っている「ラ・ポール」でサービスランチ\680喰う。
エビフライカレーとカツカレーが選べ、カツカレーにする。
他にサラダとコーヒーが付いた。
本当はこのあと金沢に行く予定だったが、
滑川行きを中止したために逆に時間が余ったため、
思いつきで石動で下車する。
「石動」は「いするぎ」と読む。
北陸本線でこの駅を選んだのは単に読み方が珍しかったためだ。
本当はその隣の「倶利伽藍」に目がいったのだが、
雰囲気からいって無人駅のようなのでここはパスする。
石動は「源平倶利伽藍合戦」のあった場所として、
当時の絵などが設置されている。
この地は鎌倉時代の源平の戦いで、
木曽義仲と平維盛の軍が戦った古戦場として有名なのだそうである。
北陸方面で勢力を増していった源義仲を討とうとして、
平家は平維盛、平通盛を大将にして十万の軍勢を派遣した。
これに対し源義仲は平家軍を狭い倶利伽羅峠に誘い込み、
昼間は時間を稼いで日が暮れてから一気に四方から襲いかかった。
辺りが暗くて路も分からないこともあり、
平家軍は慌てて谷の方へ退いたために谷に落ちて多くが死んだ。
源義仲は牛の角に火のついた松明を付けて平家軍を混乱させた逸話から、
石動では火祭りが行われているそうである。
このあと金沢まで出る。
この地は鎌倉時代に源平の合戦があった場所だが、
林檎乃麗はたったひとりで倶利伽藍合戦を繰り広げているのである。
フォトグラファー林檎乃麗対なにわの魔の力の合戦を!

2003/10/26 22:57

※写真:石動駅にあった源平倶利伽藍合戦を伝える絵 撮影時刻 2003/09/06 15:21:14


  6.金沢の夜

石動から金沢行きに乗って終点金沢まで行く。
金沢駅に近づくにつれて建設中の巨大な建築物が見えてきた。
それが建設中のJR金沢駅と知ったのは駅を降りてからだった。
予定ではこの後直ぐに北鉄浅野川線を取材する予定だったが、
早めに金沢入りできたので、
先に予約していたR&B金沢西口店にチェックインする。
荷物を置いてバッテリーを交換して充電器に掛け、
シャワーを浴びてから着替えて再び出かける。
北陸鉄道は金沢駅西口の地下に設置されていて、
北鉄金沢は地下駅となっている。
17:36北鉄金沢発の北鉄浅野川線で上諸江まで行く。
ここで車両取材をして、
更に駅の取材をしてから駅周辺を散策する。
上諸江に着いたのは17:40で、上り電車は18:13までない。
駅は単線無人駅で取材するのはあっという間で、
後は時間を持て余してしまった。
18:13上諸江から上りの北鉄浅野川線で金沢まで戻り、
駅ビル内の「洋食サンライズ」でトンカツ定食\800喰う。
時間が余ってしまったのでコンビニでポテチとピールを買い、
一端部屋に戻って飲むことにする。
本当は夜撮に行く予定だったがビールを飲んで寝てしまい、
目が覚めたら既に予定していた急行能登や寝台特急北陸の出た後だった。
仕方がないので6:20a.m.に目覚ましを掛けてそのまま寝る。

2003/10/26 23:08

※写真:上諸江の入線する北陸鉄道浅野川線8000形 撮影時刻 2003/09/06 18:08:54


  7.失われた愛称名「加越」

特急「加越」は金沢を出て北陸本線を米原まで行く。
しかしこの愛称名は2003年10月1日の、
JR西日本のダイヤ改正で「しらさぎ」に統合され、事実上消滅する。
「しらさぎ」は名古屋を出て東海道本線を米原まで行き、
北陸本線に入って敦賀、福井、金沢を経由して富山まで、
一部の編成は七尾線和倉温泉までを結ぶ長距離特急である。
「しらさぎ」は以前は485系が投入されていたが、
新たに開発した683系1000番台が投入され、
それに伴って「しらさぎ」の部分特急である「加越」は吸収される。
683系の台頭で、またJR西日本地区の勢力地図が塗り替えられることとなった。
683系は681系の改良型で、外見上も681系と酷似している。
681系は最初、特急「雷鳥」の置き換え用として、
「サンダーバード」の愛称名で1995年7月に登場し、
後に北越急行ほくほく線の特急「はくたか」にも登場した。
683系は2001年3月に登場し、
「サンダーバード」のほか、1000番台は「しらさぎ」にも投入され、
681系、683系はかつて国鉄時代の183系、485系のように、
特急としてのスタンダードになりつつある。
今回の旅行でこの683系1000番台の「加越」に乗る。
特急「加越」に乗るのはこれが最初で、
たぶん最後になるだろう。

9月7日日曜日、この旅の二日目の朝を迎えた。
6:20a.m.にモーニングコールをセットしておいたのだが、
その直前の6:18a.m.に目が覚めた。
目が覚めた時は旅行に出てきていることを完全に失念していて、
「ここは何処だ!」と思ってしまった。
それから、ようやく旅行に来ていることに気が付いた。
シャワーを浴びてから1階に降りてモーニングサービスを喰う。
このホテルは朝食は無料で、
クロワッサンとオレンジジュース、コーヒーなど。
もちろんお代わりをしてしまう。
チェックアウトして金沢駅内で取材する。
金沢駅は東口がリニューアル工事中だった。
ここは完成したらまた取材に来なければならないだろう・・・。
駅舎取材後、購入してあった乗車券+指定席の切符で入場し、
車両取材する。
485系「雷鳥」、681系「サンダーバード」、
EF81型電気機関車牽引の「トワイライトエクスプレス」など、
エキサイティングな取材が出来た。
そして9:11の「加越8号」で福井に出る。
3号車3番A席に指定を受けていたのである。
約50分の北陸本線の旅で福井に着いた。

2003/11/19 23:39

※写真:金沢駅に停車中の683系「加越」 撮影時刻 2003/09/07 09:07:07


  8.四十にして惑わず

「不惑」という言葉がある。
人の人生を語る上の言葉で、「四十にして惑わず」という意味である。
つまり、人は40歳を迎えたら人生の方向について、
もうあれこれ迷ってはいけないということである。
そしてこの旅の途中、
林檎乃麗は金沢の地で40歳を迎えた。
2003年9月7日午前3時36分のことであった。
“もう、迷いはないだろうか・・・”
自問してみる。
しかしその答えは永遠に出てこない。
何故ならば・・・、何も考えていないからだ!
人生、出たとこ勝負のおいらであった・・・。
チャンチャン・・・。

2003/11/19 23:46


  9.えちぜん鉄道発足の経緯

えちぜん鉄道の前身は京福電鉄で、
福井県内を走る越前本線、及び三国芦原線である。
京福電鉄は京都と福井に路線を持つ私鉄で、
京都府内では四条大宮から嵐山までを結ぶ嵐山線と、
北野白梅町から嵐山線帷子ノ辻駅までを結ぶ北野線があり、
福井県内では福井から勝山までを結ぶ越前本線、
越前本線東古市からJR北陸本線芦原温泉を結ぶ永平寺線、
福井から三国港までを結ぶ三国芦原線がある。
このうち永平寺線の芦原温泉−永平寺間は1969年に廃止され、
残っていた東古市―永平寺間も2001年6月より運行されず、
2002年2月にバス路線化が決定した。
もともと京福電鉄は残った永平寺線東古市―永平寺間と、
越前本線東古市−勝山間の廃線バス路線化を模索していた。
地元自治体では存続を求める運動が起こり、
存続に関して基本的な合意がなされる中、
最初の事故が起こった。
2000年12月17日午後1時28分頃、
京福電鉄越前本線志比堺―東古市間で正面衝突事故が起こり、
上り線運転手が死亡、重体1名、重軽傷者24人という惨事になった。
京福電鉄越前本線は単線で基本的に1本の線路を上下線が使い、
すれ違いには幾つかの駅で対抗路線を待避するという、
言うなれば非常に危険が伴う状態で運行されていた。
にもかかわらず、ATS(自動列車停止装置)の整備が遅れていて、
それが今回の事故の一因にもなった。
翌年2月23日に運転を再開するものの、
不幸な事故は重ねて起こってしまった。
2001年6月24日午後6時5分頃、
京福電鉄越前本線発坂―保田間でまた殿舎の正面衝突事故が起こってしまった。
今回は死亡者は出なかったものの、
また25人が重軽傷を出す結果となってしまった。
さすがに国土交通省も半年の間に2度も事故を起こした京福電鉄に対し、
「安全確保に関する事業改善命令」が出され、
それに対して京福電鉄ではこの路線の廃止を打ち出した。
地元自治体では協議をした結果、
第三セクターの方式で越前本線と三国芦原線を存続させることとし、
2002年9月17日、「えちぜん鉄道株式会社」が発足した。
2003年7月20日、勝山永平寺線永平寺口駅まで、
三国芦原線西長田駅まで部分開通、
2003年8月10日三国芦原線全線開通した。
そしてこの旅の後、2003年10月19日、勝山永平寺線が全線開通する予定である。

2003/11/20 02:54

※写真:座席を取り払い設置されたATS装置 撮影時刻 2003/09/07 11:03:50 


  10.福井から敦賀へ

福井に降り立って東口の取材をした後、
えちぜん鉄道福井駅に行く。
実はこの旅の直前まで京福電鉄の福井県内の路線が、
2度の事故で第三セクター化されたことを知らなかったので、
京福電鉄当時の時刻表で予定を組んでいたため、
その後の予定が大きく狂ってしまった。
予定では10:00に着いて10:20の電車に乗るつもりだったが、
実際には特急のダイヤに合わせてダイヤが組まれているようで、
JRの駅取材をしたために時間が無くなり、
あわてて電車に飛び乗った。
そのために車両取材が出来なくなってしまった。
これで田原町まで行き、
帰りは福井鉄道福井線で福井駅前まで戻る予定だったが、
車両取材していないため、
帰りもえちぜん鉄道で帰ることにする。
田原町はえちぜん鉄道と福井鉄道の接続する駅で、
福井鉄道は無人駅だったために勝手に入って取材し、
上りのえちぜん鉄道で福井に戻り、
ここで車両取材する。
またJRの西口の駅舎取材をしてから、
予定より速い電車で敦賀まで行く。
途中、武生で特急通過待ちの間にも取材する。
敦賀は車両基地も兼ねていて、
除雪用ディーゼル機関車DE15型1518号機や、
小浜線用125系など、
エキサイティングな取材が出来る。
駅舎は古いがそれ程味のあるものではなく、
正直いって期待外れだった。
駅前には都怒我阿羅斯等の銅像が建っている。
「都怒我阿羅斯等」は「つぬがあらひと」と読み、
日本書紀巻第六の項に崇神天皇の時代に、
大加羅国から額に角の生えた都怒我阿羅斯等がやってきて、
そのため笥飯の浦を角鹿(つぬが)と呼ぶようになり、
それが敦賀の語源になったそうである。
そのほか、明らかに「銀河鉄道999」パクったと思われる、
オブジェなどもある。
売店で角鹿弁当を買って、
14:12敦賀発「サンダーバード26号」に乗り込む。
本当は名物鯖寿司を買おうかとも思ったが、
おかずが全くなく、
しかもかなり高かったのでやめてしまった。

2003/11/20 23:40

※写真:虚ろな目つきの敦賀駅の小便小僧 撮影時刻 2003/09/07 12:59:39


  11.琵琶湖最南端の秋桜

14:12に敦賀を出た「サンダーバード26号」は、
約1時間かけて次の停車駅、京都に向かう。
座席は4号車3番A席。
もっと先から乗り込む客がほとんどのようで、
「サンダーバード26号」の車内はほぼ満席状態であった。
指定席を取っておいて良かった・・・。
“サンダーバード26号”と云っても、
別に「国際救助隊」のことではない。
大阪、京都から湖西線を経由し、
北陸本線を金沢まで結ぶ特急「雷鳥」の後続特急で、
「サンダーバード」は金沢を越えて富山、
または七尾線を和倉温泉まで結ぶ編成となっている。
「雷鳥」が485系、
一部では相変わらずボンネット車が使われているのに対し、
「サンダーバード」は新型車両の681系が投入されていて、
この区間の増客に一役買っている。
車中で購入した駅弁で遅めの昼食を喰い、
15:06には京都に着く。
京都駅構内で少し取材し、快速で石山に行く。
石山は京阪電鉄との接続駅にもなっていて、
駅取材の後、京阪石山阪本線で石山寺に行く。
石山寺は京阪石山阪本線の終着駅であり、
また日本最大の湖である琵琶湖の最南端に当たる。
午後の日差しを受けて、オレンジの秋桜が綺麗だった。
行きは石山経由で乗り換えたので、
帰りは京阪石山阪本線で皇子山まで行き、
そこでJR西大津まで歩いてJR琵琶湖線で京都まで行く。
京阪石山阪本線は2両編成で、
基本的には専用軌道を走っているが、
一部では道路上に出て路面電車にもなる面白い電車である。
こうして再び京都まで戻り、少し車両取材して京都駅を出る。
ここからバスで今夜の宿である東横イン四条大宮店に向かう。

2003/11/21 01:30

※写真:石山寺付近に咲いている秋桜 撮影時刻 2003/09/07 16:32:14


  12.四条大宮の夜

再び京都駅に戻ってきて、北側正面口のバスロータリーから、
京都市営バス206号(左回り)で四条大宮まで行く。
少し迷ったが、予約を入れていた東横イン四条大宮店にチェックインする。
シャワーを浴びてから着替えて外出する。
ここは阪急電鉄京都本線大宮駅、京福電鉄嵐山本線四条大宮駅があるが、
阪急は地下路線であるし、
京福も明日取材する予定なので駅舎の写真を撮るにとどまる。
ネットで調べた「洋食すぎやま」を探したて四条大宮を歩き回ったが、
なかなか見つからなかった。
約1時間歩き回り、漸く場所を突き止めたが、既に潰れていた。
とほほ・・・。
歩き回っていた時に見つけた四条堀川の「惣菜レストラン わくわく」で、
豚しょうが焼き\580、中生\390等喰う。
ここは四条大宮から東にバス停ひとつ分歩いたところにある。
ここは京料理などとは全く関係ない、所謂大衆食堂である。
ずっと歩いていたのですごくビールが飲みたくなってしまった。
中生をほとんど一気飲みする。
更にホテル近くまで戻り、
LAWSON四条大宮店でポテチ買い、更にホテルの自販で缶ビール買って、
部屋に戻ってまた飲み出す。
明日のアラームをセットして眠りに着く。

2003/11/22 12:40

※写真:潰れちゃった四条大宮の「洋食すぎやま」 撮影時刻 2003/09/07 20:29:19


  13.ひとり嵯峨野路へ

9月8日月曜日、この旅行の三日目。
本来なら今日は仕事なのだが、
有給休暇を取って三日目の北陸近畿旅行を楽しむ。
6:30a.m.前に起きてシャワーを浴び、
1階ロビーに降りて無料の朝食のおにぎりなどを喰う。
部屋に戻って荷物を持ってチェックアウトする。
四条大宮で阪急電鉄京都本線大宮駅や、
京福電鉄嵐山本線四条大宮駅の駅舎を取材し、
京福嵐山本線でひとり嵯峨駅前に行く。
別に恋に破れた女ではないけれど・・・。
京福嵐山線は別名「嵐電」とも呼ばれる専用軌道も走る路面電車で、
四条大宮から太秦を経由して嵐山まで結んでいる。
600型の最新型車両が中心だが、
中にはレトロ調の車両も走っている。
太秦を経由していることから「映画村」のヘッドマークを付けて走っている。
嵯峨駅前は終点嵐山のひとつ前の駅で、
JR嵯峨嵐山駅やトロッコ嵯峨駅の接続駅となっている。
トロッコ嵯峨駅は嵯峨野観光鉄道の始発駅で、
JR山陰本線とほぼ並行してトロッコ嵐山、トロッコ保津峡、トロッコ亀山を結ぶ、
その名の通り観光に特化した鉄道である。
トロッコ列車を専用カラーに塗色された、
ディーゼル機関車DE10型1104号機が牽引する。
時間があったら乗ってみたかったが、
今回はJR嵯峨嵐山駅ホームから車両取材するだけにとどめる。
山陰本線で京都駅まで行き、
コインロッカーに荷物を入れて京都駅で車両取材する。
電気機関車EF210型105号機「桃太郎」、
103系奈良線、
681系特急「サンダーバード」、
183系特急「はしだて」、
281系特急「はるか」、
183系特急「スーパーくろしお」、
智頭急行HOT7000系、
113系湘南色大型ヘッドライトバージョン、
183系特急「きのさき」、
683系特急「サンダーバード」等を取材する。
本来ならこの後新大阪に行き、
更に車両取材する予定だったが、
思いつきで取材予定を変更し、長岡京に行くことにする。

2003/11/22 14:05

※写真:四条大宮駅を出る嵐電レトロ調車両 撮影時刻 2003/09/08 08:23:58


  14.長岡京

京都線で京都から新大阪に向かう途中の長岡京で、
急に思い立って途中下車する。
長岡京市はその名の通り長岡京市の中心駅であり、
歴史的には西暦784年に桓武天皇によって、
平城京から遷都された場所としても有名である。
京都というと平安京が有名だが、
平安京に遷都されて京都が日本の中心地として定着する前に、
この地が日本の都として君臨していた時代がある。
そのほか、長岡市に加えて向日市と大山崎町は「乙訓(おとくに)」と呼ばれ、
古事記や日本書紀にも「弟国」の表記で残されている、
歴史のある街なのである。
また一説にはかぐや姫伝説発祥の地とも云われているそうである。
長岡京駅東口には0系新幹線輪軸とD51型蒸気機関車の動輪があり、
更にヨ8000型緩急車(シ630401)が飾ってある。
緩急車とは緊急時にブレーキをかけることの出来る車両という意味で、
一般的な言い方をすれば車掌車と云うことになる。
長岡京遷都千二百年記念として飾られたようである。
・・・ということは、1984年ということだろうか・・・。
京都のコインロッカーに荷物を入れっぱなしにしてきてしまったので、
再び京都線で戻って荷物を取り出してから新大阪に向かう。
京都では207系、117系、
そして北近畿タンゴ鉄道KTR8000形「タンゴディスカバリー」などを取材する。
大阪ではそれ程面白い車両に遭遇はなかったため、
1:30p.m.過ぎに改札を出て「KELLER Yamato」でヤマトランチ\750喰う。
ここは麒麟麦酒系列のビアレストランで、
ヤマトランチはハンバーグ、エビフライに生野菜とうどんが付いてくる。
うどんは「温」と「冷」が選択できて、
冷たいうどんの方をオーダーした。
ビールも飲みたかったが、
これからまだ取材が残っているために我慢した。

2003/11/22 14:34

※写真:JR長岡京駅東口 撮影時刻 2003/09/08 11:57:04


  15.好きやねん!大阪!

昼食後に新大阪の駅舎を取材し、
そのまま大阪市営地下鉄御堂筋線でなんば駅に行く。
新大阪駅はドームに覆われてはいるものの、
地上駅であったためにここで車両取材もする。
そして難波駅に移動して改札を出ようとして困ったことに遭遇した。
切符を無くしてしまったのである。
仕方がないので切符をなくしてしまったことを駅員に云ったらそのまま出してくれた。
改札を出た後に気付いたのだが、レンズキャップの裏に張り付いていた。
なんば駅を出てから新歌舞伎座の写真を撮ってから道頓堀川まで歩く。
9月は中村美津子特別公演、10月は五木ひろし特別公演、
そして11月は錦秋歌の祭典で、
1日から7日は石川さゆり、8日から10日は美川憲一、12日は三門忠司、
13日、14日は布施明、山本譲二、15日から17日は天童よしみ、
18日から20日は舟木一夫、22日、23日は伍代夏子、
24日、25日は藤あや子、26日から30日は坂本冬美だそうである。
なんば駅から北上し、千日前通り越えて道頓堀川へ行く。
御堂筋から一度川を渡ってから戎橋を戻り、
道頓堀商店街のミナミのコテコテの大阪の街を散策する。
有名なグリコの看板は既にタイガースのユニフォームに着替えていたし、
くいだおれ人形も「さぁ、いよいよやで・・・」の吹き出しとともに、
タイガースの半被とメガホンを持っていた。
ビル一面にタイガースのマークを翳すところもあり、
大阪の街はタイガース一色に染まっていた。
今日の時点でマジック5だから仕方があるまい。
戎橋には「危険!川に飛び込まないでください。」の看板が出ていたが、
どうせみんな飛び込んじゃうんだろう・・・。
現実に「ここで手を繋いで飛び込もうや」などと打ち合わせをしている若者もいた。
南の街を満喫してから再び御堂筋を南下し、
南海難波駅まで歩いてここで車両取材してからりんくうタウンを目指す。
しかし車中眠り込んでしまい、目が覚めたら既に海を渡っていた。
関西空港で下車して少し飛行機の写真を撮り、手荷物検査を通過する。
時間があったのでいろいろ写真撮る。
売店でアサヒの地方限定ビール「生一丁」を買ってベンチで飲む。
昼間に我慢したのですごぉ〜くビールが飲みたくなっていた。
会社へのお土産などを買って搭乗を待つ。
6:40p.m.関西空港発のJAL934便で羽田に行く。
東京モノレールで浜松町まで行き、山手線で東京駅まで行く。
中央線で中野まで出て「あじさい」で月見うどん\300喰い、中野始発で帰る。

今回の旅行では結局甲子園取材は出来なかった。
大阪取材三ヶ年計画はここで終了したが、
まだなにわの魔の力との対決は決着していない。
また来年に甲子園取材をかねて大阪に来ようと思う。

2003/11/22 14:56

  −取材結果−

2003.9.6.  撮影 334枚 保存 72枚
2003.9.7._1 撮影 494枚 保存 75枚
2003.9.7._2 撮影 120枚 保存 30枚
2003.9.7._3 撮影 15枚 保存 4枚
2003.9.8.  撮影 621枚 保存 100枚

 計     撮影 1584枚 保存 281枚 採用率 17.74% 

※写真:戎橋から見たグリコのキャラクター 撮影時刻 2003/09/08 15:19:58




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