国鉄木原線の旅



  1.国鉄木原線

国鉄木原線とは、その名の通り国鉄時代に企画された路線であり、
“国鉄”と名が残っていることからも推測されるとおり、
JRに移行した時には既に存在していない路線である。
国鉄木原線の“木原”とは“木更津と大原”の意であり、
その発端は1922年(大正11年)に発布された改正鉄道施設法に至る。
そこには木更津から久留里、大多喜を経由して大原に至る鉄道が、
予定鉄道路線として挙げられていたのである。
それによって国鉄木原線は計画された。
大原から大多喜までは1912年(大正元年)12月に、
県営の人車鉄道として開業し、
のちに民間に売却されて夷隅軌道が発足、
ガソリンカーを導入して営業されていた。
1927年(昭和2年)に国営化され、木原線計画線の一部となった。
木原線は1933年(昭和8年)に上総中野まで延伸された。
一方、1912年(明治45年)5月には県営鉄道久留里線が着工、
同年(大正元年)12月に開業した。
この路線は1923年(大正12年)国有化され、
1936年(昭和11年)には久留里から上総亀山まで延伸されたものの、
その先は山岳地域でトンネルの施設が多くなり、
また戦争へと進んでいく時代背景もあって計画は頓挫し、
戦後も国鉄木原線の計画が推進されることなく、
国鉄の累積赤字が問題となる中、
1981年(昭和56年)に公布された「国鉄再建法」によって、
国鉄からの切り離しが決定された。
しかし廃線にするには利用客が多いということで、
大原−上総中野間は第三セクター化され、いすみ鉄道が発足した。
久留里線は利用客も多く、国鉄からJRに移行する時も引き継がれた。
こうして国鉄木原線の計画路線は完成を見ないまま、
現在はJR久留里線と第三セクターいすみ鉄道に別れ、
しかも上総亀山−上総中野間は一度も鉄道が開通せずにバス路線が結んでいる。
余談だが、五井から上総中野を通り、
安房小湊までを結ぶ路線として小湊鐵道が設立されたが、
予算不足で上総中野−安房小湊間が開業されないまま現在にいたり、
いすみ鉄道は上総中野で小湊鐵道と連絡している。

この久留里線といすみ鉄道の全駅を取材することを目標にし、
国鉄木原線の軌跡を追っていきたいと思う。
今回は初めて車での取材にした。
この区間はどちらも非電化区間で本数も少なく、
しかも上総亀山−上総中野間はバス移動になってしまうので、
今回は鉄道利用を諦めて車での取材とした。
車の方が機動力を生かせるからである。
2003年5月10日、久留里線側からの取材を開始した。

2003/05/12 02:06


  2.館山自動車道と房総交通事情

2003年5月10日土曜日、久留里線取材のため車で出掛けた。
6:07a.m.に駐車場から車を出し、
6:11a.m.には京葉道路武石IC下り線に入り、
蘇我ICをそのまま直進して館山自動車道に入り、
6:31a.m.には市原SAに入る。
ここで朝食として掻き揚げうどん\460喰う。
まだ朝早いためか寒さが残り、ここは温かいものが欲しかった。
6:50a.m.にはここから出て木更津北ICで館山自動車道を降りる。
館山自動車道はその名の通り、
最終的には京葉道路を通じて東京と館山を結ぶ高速道路だが、
現在では木更津までしか出来ていない。
木更津北ICでは国道409号線、
木更津南ICでは国道127号線、
そして終着では国道16号線に接続している。
そしてこれが本来の開通の目的なのだが、
木更津北ICと木更津南ICの間にある木更津JCTから、
東京湾アクアラインと連絡している。
アクアラインがなかったらたぶん館山自動車道の開通は更に遅れていただろう。
日本道路公団の民営化問題などもあって、
今後は更に館山までの延長は難しくなっていくだろう。
千葉県は道路整備が遅れている。
館山自動車道は漸く木更津まで開通したものの、
その先は国道16号、127号が内房を結び、
北条からは128号に入って外房を繋ぐ。
しかし途中から片道一車線になってしまい、
海水浴時期には渋滞が続く。
このため高速バスも運行されておらず、
それがJR東日本千葉支社のやる気をなくしている。
房総半島の特急は255系が投入されたものの、
まだ183系が主流といった現状である。
255系も1993年投入で最新式とは云えず、
ましてや183系は経年を過ぎた車両で座席は旧式、
デッキから客室のドアも自動ドアではないという酷いものだ。
去年まで中央本線でも183系が走っていたが、
こちらの方が部分的に更新されていて程度が良かった。
JR東日本千葉支社のやる気の無さが、
房総半島の観光開発の妨げになっている事も否めない。
半島は他県からの流入が難しい分、
交通基盤の整備が観光開発には必須である。

2003/05/12 22:45


  3.久留里線祗園−俵田間

木更津北ICを降りてから国道409号線を木更津方に向かい、
久留里線2番目の駅である「祗園」を目指す。
しかし通り過ぎてしまい国道16号長浦木更津バイパスまで行き、
慌てて戻るがまた曲がるところを間違いてしまい、
迷子になったが偶然「祗園」の駅前に着いた。
「祗園」は木更津を出て一つ目の駅で無人駅。
五角形の窓がちょっとお洒落な待合室がある。
409号を東に向かって次の「上総清川」に行く。
ここも無人駅で、駅名表示板もない。
道にも案内板などはなく、
地元の人間以外の利用を想定していないと思われる。
ここで車両取材もする。
隣の「東清川」では農業用道路を入って行っての取材。
一応舗装はされているものの、
車両一台の幅しかなく、
しかも両サイドは田圃で脱輪したらどうしようもない。
正しく決死の取材だった。
ここでも偶然車両取材できた。
次の「横田」は相対式ホームの有人駅で、ここでタブレット交換する。
久留里線はタブレット閉塞を採用しているが、
閉塞区間は木更津−横田、横田−久留里、久留里−上総亀山である。
この次は「東横田」になるが、場所が分からずまた迷子になる。
少し迷って偶然「東横田」にたどり着いた。
無人駅で待合室は車掌車を利用して造られている。
パステルカラーに塗色されているが、錆びも目立っている。
国道410号線は「東横田」を過ぎると久留里線からは離れ、
代わりに国道409号線が久留里線と平行してくる。
正確に云えば久留里線の方が「東横田」を出てから急に南下を始める。
国道410号線が久留里線に合流した地点が有人駅「馬来田」である。
更に国道410号線を南下すると「下郡」である。
道路標識では下郡は大きく載っているが、
駅はホームだけで、ベンチに辛うじて屋根がついている。
「下郡」から暫く進むと「小櫃」に至る。
待合室は新しい。
線路の隣に枕木だけが残っていて、
かつては上下線の行き違いが行われていたようである。
国道410号線が踏みきりで西側に来ると「俵田」になる。
場所が分からずと降りすぎてからまた戻った。
待合室はなく、掘っ立て小屋のようなベンチの屋根があるのみで、
北方は民家の塀の隙間からはいる形になっている。
子供が自転車でホームを突っ切っていた。
ここで車両取材する。
踏切を越えて国道410号が再び東に来ると「久留里」に至る。

2003/05/12 23:32

※写真:俵田駅に向かって走る久留里線キハ37形 撮影時刻 2003/05/10 10:14:22


  4.久留里の猫

「俵田」取材のあと、「久留里」に向かった。
「久留里」は2000年11月18日、鉄道で来たことがある。
久留里線気動車の取材と久留里城の見学が目的だったが、
久留里駅から久留里城まではかなりきつかった。
距離はそれ程ではなかったのだが、
坂道が続き、天守閣につく頃にはヘトヘトだった。
久留里城は戦国時代にも一度も落ちなかった難攻不落の山城だったと云われる。
戦国武将でも落とせなかったのに、
軟弱もののおいらが地上から登ろうというのが無理だった。
久留里城を訪れる人の大半は車で中腹の駐車場まで行き、
そこから歩くのが普通である。
久留里城見学のあと、駅まで戻って次の上り列車が来るまでの間、
コンビニでおにぎりとビールを買ってベンチで喰っていると、
一匹の猫がやってきた。
おにぎりの海苔の付いていない部分をやるとじゃれついてきたので、
次の列車の来るまでの間、ずっとその猫と遊んでいた。
その時撮った写真は「久留里の猫」として、
拙作ホームページ「REI RINGONO Home Page」の、
「REI RINGONO PHOTOs」に公開している。

 http://www.asahi-net.or.jp/~ez9t-sn/photos/cat/kururi-cat.htm

「久留里」で駅取材をしていると、あの時の猫がやってきた。
呼ぶと足にじゃれついてくる。
相変わらず人懐こい性格である。
彼女に会えただけでも、今回の取材の成果があったと云える。
ここで暫く彼女と遊んでいた。
そのうちに気動車が入線してくる。
「久留里」はタブレット交換駅で、
先に入線した下り列車は上りの列車が来るのを待っている。
「久留里」の駅は相対式ホームになっていて、
上りと下りは対角線に斜めに停まる。
つまり運転席同士が構内踏切の直前で停まる形である。
そして駅員がタブレット交換をする。
下り列車の運転手から馬来田−久留里間のタブレットを受け取り、
上り列車の運転手に渡す。
この時上り列車の運転手から久留里−上総亀山間のタブレットを受け取る。
上り列車を発車させてから下り列車の運転手にタブレットを渡して発車させる。
列車取材をしてからも暫く猫と遊んでいたが、
腹が減ったので前におにぎりを買ったセブンイレブンに行って、
またおにぎりと生茶を買ってくる。
今回は車での取材のためビールは飲めない。
お昼御飯を買う前に藤平酒造で久留里の銘酒「福祝」を購入する。
純米原酒無濾過生詰720mlである。
久留里は井戸水が美味いことで知られていて、
その水を使って醸造したのが「福祝」なのだ。
普通の日本酒はアルコール分約15度前後だが、
原酒の場合は18度以上19度未満なのだ。
原酒を水で薄めて15度まで落とすのが日本酒の作り方だと、
藤平酒造の店員さんに教えて貰った。
久留里駅に戻るともう猫はいなかった。
ベンチでおにぎりを喰って出掛けることにする。
ここから先は同じ久留里線でも少し違った様相になる。

2003/05/13 23:45

※写真:人懐こい久留里の猫 撮影時刻 2003/05/10 10:57:53


  5.久留里線平山−上総亀山間

久留里線は国鉄木原線として位置づけられていたが、
最初から国鉄によって建設されたわけではなく、
木更津−久留里間は762mmの軌間で、
県営鉄道久留里線として1912年(大正元年)に開業し、
国有化されてから1936年(大正11年)になって、
漸く久留里−上総亀山間が開通した。
国鉄木原線は大原側からは上総中野まで開通していたが、
木更津側からは上総亀山までで、
その先は山岳区間になるため延長工事は保留され、
そのまま実現することはなかった。
実際に上総亀山から上総中野まで車で走ってみたが、
かなり急な道で、しかも国道でありながら急に道が狭くなり、
途中で路肩に寄せて地図を見ている車をよく見かけた。
迷子になってしまったと思ってしまうらしい。
それ程厳しい道だった。
ここに鉄道を通すとしたら多くのトンネルを掘らなければならない。
利用客数を考えると開通しなかったのも無理はない。
久留里を出ると急に道の様相が変わる。
それまでは田圃の中を走っていたのだが、
久留里から先は山道になる。
「久留里」の次は「平山」なのだが、
場所が分からず先に「上総松丘」まで行ってしまった。
「上総松丘」の駅は待合室が「松岡ふれあい館」と名付けられていて、
単に待合室というだけではなく、
地域社会のコミュニティとしても使われているようである。
しかし取材時には誰もいなかった。
国道410号線からはガードレールの隙間から獣道のようなものがあり、
そこを降りていくしかない。
しかも駅に行くには線路を無断横断しなければならない。
踏切などという気の利いたものはなく、
利用者は無断横断が日常になっているのだろう。
国道410号線を戻って漸く「平山」を見つける。
「志保沢」という焼きそば屋の裏が駅になっていた。
ここではたぶん「志保沢」の飼い犬と見られる、
真っ黒い犬が出迎えてくれた。
そしていよいよ終着の上総亀山である。
途中工事区間などもあって迷い、
先に亀山湖を取材しようかと思っていたら、
偶然上総亀山駅に着いてしまった。
上総亀山は山の中にある駅で、
亀山湖という人造湖以外には特になにもない場所である。
「久留里」で見かけた下り列車が停車していて、
駅取材中に発車していった。
折り返し路線のために島式ホーム1面2線に、
更に留置線と思われる線路が西側に設置されているが、
最後は線路はひとつになり、
そこに車止めが設置されている。
山の中に突然線路が現れ、そして突然途切れているという感じである。
たぶん今後も上総亀山−上総中野間が開通することはないだろう。
久留里線取材の旅はここで終焉を迎える。

2003/05/15 02:08

※写真:久留里線平山駅の犬 撮影時刻 2003/05/10 12:08:41


  6.疲弊

上総亀山から山を越えて上総中野に行く。
幻の久留里線最終区間である。
車で走っていてもかなり厳しい道だった。
これなら建設を断念したのも分かるような気がする。
国道465号線で山越えをして、
そのまま七里川温泉を左折して465号を進み、
「上総中野」の駅まで行く。
ここからがいすみ鉄道取材である。
いすみ鉄道は旧国鉄木原線で、
「大原」からここ「上総中野」までを結んでいる。
現在は第三セクター化され、
バス車体を応用して造られたLEカーが走っている。
「上総中野」で停車中のいすみ200形を目撃した。
「上総中野」はいすみ鉄道と小湊鐵道の共同の駅であるが、
無人駅で、しかも相互乗り入れはしていない。
線路反対側にいすみ鉄道の木造の小屋があるが、
人のいる気配はなかった。
整備や清掃の時だけ使うのだろう。
本来ならここからいすみ鉄道の各駅を取材して「大原」に出て、
国道128号を北上して一宮から県道30号線に入り、
更に北上を続けて九十九里有料道路、通称波乗り道路に入って、
真亀ICから九十九里東金有料道路に入って台方ICまで行く。
ここで国道126号線に降りて東金ICから千葉東金道路に入り、
そのまま千葉東JCTで京葉道路に入って帰る予定だった。
しかし「上総中野」に来た段階でかなりの疲労が蓄積していた。
いすみ鉄道の全駅を取材するのはちょっと無理だった。
そこで大原まで気が付いた駅だけを取材して帰ることにして、
場所の分からないところは次回に回すことにした。
「上総中野」のあと、ひとつ飛ばした「総元」を取材する。
無人駅で、駅舎は「黒原公民館」と繋がっている。
このあと戻って「西畑」を取材する。
無人駅で、駅の看板も子供が作ったような感じだった。
道の反対側が小学校なので、もしかしたらそこの児童が作ったのかも知れない。
「西畑」を出てからは予定通り駅が見つからないところは飛ばして、
いすみ鉄道の中心駅、「大多喜」に着く。

2003/05/15 22:19

※写真:久留里線上総亀山駅の車止め 撮影時刻 2003/05/10 12:28:11


  7.撤収

国道465号線を大原に向かって走り続ける。
「総元」を過ぎると465号は夷隅川沿いを走り、
いすみ鉄道は国道沿いから離れたルートを取る。
夷隅川と別れると再びいすみ鉄道と併走する形になる。
駅取材はせずに八声から国道297号を左折する。
そして「大多喜」に行って駅取材する。
ここはいすみ鉄道の本社のある駅で、
無人駅ばかりのいすみ鉄道の中で数少ない有人駅である。
この後本来なら船子で再び465号に入って大原まで行く予定だったが、
疲弊はピークに達していたのでそのまま297号を直進し、
羽黒山のS字カーブなども通って内房を目指す。
国道465号は途中で小湊鐵道と合流する。
途中「上総牛久」の取材をする。
ここは小湊鐵道のタブレット交換駅で、
実際に交換シーンの取材にも成功した。
また「光風台」も取材する。
ここは小湊鐵道では珍しく大きな駅で、
近くに「マルエイ」というスーパーがあり、踏切通過が大変だった。
また更に297号を北上し、
市原から館山自動車道の測道を走って蘇我から京葉道路に入り、
幕張PAでちょっと休憩してから幕張ICで降りて、
スタンドで給油してから津田沼で買い物をして帰る。
撤収時に小湊鐵道を取材したことで、
今回の国鉄木原線の旅に、JR久留里線といすみ鉄道に加えて、
小湊鐵道全駅取材も加えることにしようと思う。
体力の限界を感じながらも久留里線全駅取材、いすみ鉄道13駅中4駅取材、
さらに小湊鐵道18駅中3駅取材を完了した。
また小湊鐵道五井駅は既に取材を完了している。
また日を改めていすみ鉄道全駅取材を目指すことにする。
2003年5月10日土曜日、国鉄木原線の旅、春の部を終了した。

2003/05/15 22:58

※写真:運転手にタブレットを渡す上総牛久駅員 撮影時刻 2003/05/10 14:31:29


  8.35枚のペーパードキュメント

2003年11月1日土曜日、三連休の初日に当たるこの日、
再び国鉄木原線の旅に出ることにした。
既に国鉄木原線木更津ルート、
つまり現在のJR久留里線は取材を完了している。
今回は大原から上総中野までの外房からのルート、
つまりいすみ鉄道全線の取材をすることにする。
既に前回の春の部で帰りがけに上総中野、西畑、大多喜は取材済みである。
残りの全駅と、
出来れば現在いすみ鉄道と上総中野で接続している小湊鐵道の、
前回取材した上総牛久、光風台を除く全駅も取材したい。
前回はいすみ鉄道の久我原駅が分からずに苦労したこともあって、
パソコンに入れているゼンリン電子地図帳Z5で、
駅すぱあとから取材対象の全駅を呼び出してプリントアウトした。
そのペーパードキュメントは全部で35枚にものぼる。
カーナビなどと云う気の利いた機器を搭載していない愛車プリメーラ・カミノでは、
こういったものを万全に用意しておかないとまた苦労することになる。
前日までの週間予報ではこの三連休は快晴ということになっていた。
そのため、11月1日に国鉄木原線の旅、秋の部を決行したのである。
出来れば紅葉などの写真も撮れればいいななどと考えていた。
しかし世の中そんなに甘くはないのである。
当日、朝何時も会社に行く時間に起床してみると、
辺り一面が黒い雲に覆われた曇天であった。
そして京葉道路下り路線に武石ICから入ると、
ポツポツと小雨が降り出してきた。
「え〜、聞いてないよ!」とダチョウ倶楽部のギャグのような言葉を叫びながら、
小雨が降る中、車を外房に向けて走らせたのである。

2003/11/08 18:13

※写真:準備された35枚のペーパードキュメント 撮影時刻 2003/11/02 18:04:22


  9.rainy day blue

6:30a.m.駐車場から車を出す。
いよいよ国鉄木原線の旅、秋の部の始まりである。
しかし空は曇天で、
6:41a.m.に武石ICから京葉道路下り路線に入った時には、
ポツポツと雨も降り出してきた。
6:43a.m.には千葉西料金所でチケットを受け取る。
そして東関道との分岐点である宮野木JCTを直進し、
千葉東JCTから東金自動車道に入り、
7:17a.m.東金ICから126号に下りる。
小雨は止むことなく降り続け、
台方ICから東金九十九里有料道路に乗る頃には更に強くなってきた。
予定では真亀からそのまま九十九里有料道路に入り、
一松の料金所まで一気に行く予定だったが、
交通量は少ないと判断して真亀で県道30号線に下りる。
料金所は無人で料金は硬貨の場合、バケツのような料金入れに放り投げるのである。
そうすると自動的に計算し、おつりのある場合はちゃんと出てくる。
自動販売機などのコイン入れのようなものでは、
運転席から入れ辛いのでこのようなシステムになっているのであろう。
京葉道路以外の有料道路はほとんど利用しないので、
最近のシステムはよく分からなかった。
それに京葉道路は回数券を持っているので現金で払うことはほとんど無い。
県道30号線を南下して大原に向かう。
計画では一松まで九十九里有料道路で南下して、
ここから県道30号線で大原まで向かうことになっていたため、
途中の上総一ノ宮駅、東浪見駅、三門駅を取材する予定になっていたが、
雨で取材が思うように進まないことを考慮して、
外房線の駅取材は全てキャンセルする。
因みに「東浪見」は「とらみ」、「三門」は「みかど」と読む。
県道30号を南下して大原漁港の交差点を右折し、大原駅に行く。
大原駅はJR外房線の駅にいすみ鉄道の駅が併設されている。
小雨の降る中、ここ大原からいすみ鉄道の駅取材は始まった。

2003/11/08 20:08

※写真:いすみ鉄道大原駅のホーム 撮影時刻 2003/11/01 08:11:51


  10.いすみ鉄道大原−小谷松間

小雨の降る中、大原から駅取材が始まった。
8:12a.m.、大原で駅取材の後、いすみ鉄道とほぼ並行して走る、
国道465号線を行く。
大原からひとつ目の駅は西大原で、
住宅街にあるものの単線の片面ホームで、
ホーム全体には屋根はなく、
トタン張りの待合室だけが唯一の雨をしのげる場所である。
大原はJRに併設されているために屋根のある立派な駅舎だが、
そのほかの駅は基本的に西大原と同様、
ホームにひとつだけ待合室がある構造で、
待合室にも入り口のドアなどはなく、
片側が完全にあいている形の簡易なもので、
風の強い時などはとても雨を凌げるとは思えない構造である。
次の上総東は相対式ホームである。
いすみ鉄道は単線のため、上下線が行き交うことが出来るように、
幾つかの駅は駅の部分で線路が分かれて待ち合わせが出来るようになっている。
上総東もそのうちのひとつである。
次は新田野で国道465号線沿いに片面駅がある。
次の国吉は無人駅ではあるものの、夷隅町商工会の建物と併設されていて、
ここも相対式ホームであり、ここで偶然車両取材が出来る。
いすみ鉄道はバス車体を鉄道用に改良したLEカーを使用しており、
形式はいすみ200形としている。
このLEカーは富士重工が標準設計し、
全国の第三セクターで採用されている。
次の上総中川も単線片側ホームで、次は大多喜となる。
大多喜はいすみ鉄道の本社が併設されている駅で、
車両の車庫や整備工場も兼ねている。
時間があればここも再取材したかったが、
雨も降っていたためにここには向かわず、
船子の交差点を左折して国道297号に入った。
八声のT字路を右折して国道465号には入り、小谷松を取材する。
小谷松は国道465号から少し入ったところにあり、
ここでも車両取材する。
2両編成で走っていて、後ろの車両は完全にホームからはみ出していた。
2両編成で走っているのは乗客が多いからではなく、
回送車両を自走させるより連結した方がコストダウンになるからである。
小谷松の次は東総元、久我原だが、
東総元駅が見つからず、国道465号を西畑まで行ってしまった。
西畑は上総中野の隣駅で、既に取材済みである。
ここからが今回最も難関を極めた取材となった。

2003/11/08 22:15

※写真:上総東のホームから見たいすみ鉄道の線路 撮影時刻 2003/11/01 08:33:18


  11.幻の駅「久我原」

小谷松駅を取材したのは9:26a.m.である。
その後東総元を探しながら西畑まで行ってしまい、
また元に戻って先に久我原を取材しようと思ったが、
道を迷って国道297号、通称“大多喜街道”を南下してしまい、
そのまま勝浦まで行ってしまう。
途中に勝浦有料道路の料金所が見えてきた時に完全に間違っていると思った。
しかし急にUターンも出来ず、
更に雨も強くなってきたこともあってそのまま行ってしまった。
勝浦はかつて駅取材したことがあり、
その時の写真に不満があって何れは再取材しなければならないと思っていたので、
これは丁度いいと思い、ここで駅取材する。
大多喜街道を下っていた時はかなり強い雨だったが、
勝浦に着くと小雨になっていた。
山の中を走っていたので雨が強かったのだろうか・・・。
勝浦で緊急駅取材の後、再び大多喜街道を北上する。
久我原の駅を通り過ぎて「道の駅 たけゆらの里 大多喜」まで行ってしまう。
雨も強くなってきたのでとりあえずここで休憩する。
ここで掲示してあった地図を確認して再び久我原を目指すが、
また場所が分からずに「道の駅 たけゆらの里 大多喜」に戻ってしまう。
再度挑戦して465号を行き、先に東総元駅にたどり着く。
偶然に発見したのだった。
東総元を起点にして隣り駅の久我原駅を目指してまたあちこちを行く。
地図で場所を大まかに特定して、
更に慎重に走って漸く久我原駅を見つける。
久我原駅を取材出来たのは11:53a.m.になっていた。
小谷松から2時間半も掛かってしまったことになる。
久我原駅は山腹にある駅で、
山から下りてきて駅があり、また下っていくという起伏の激しい途上にある。
こんな駅にどうやっていくのだろうか。
駅へ続く路の少し前に自転車置き場があったが、
国道297号にバス停もあり、それらを利用してここに来るのだろう。
それにしても行くのにこんなにも苦労する駅というのも珍しい。
何はともあれ、これにていすみ鉄道取材は終了した。
0:24p.m.にはいすみ鉄道と小湊鐵道の接続駅、上総中野に到着した。

2003/11/08 22:55

※写真:久我原駅付近のいすみ鉄道の線路 撮影時刻 2003/11/01 11:54:00


  12.小湊鐵道養老渓谷−高滝間

雨で取材が滞る中、何とか昼過ぎに上総中野まで来ることが出来た。
国道465号を直進し、そのまま県道32号を進んで養老渓谷へ行く。
上総中野から養老渓谷までは営業距離で4.2kmも離れている。
最初は通り過ぎてしまったかと思ったくらいだった。
養老渓谷駅の近くでは農家が自然薯を直売していたりした。
養老渓谷駅は有人駅で木造の立派な駅が建っている。
日高誠實翁ゆかりの地の碑が経っている。
次の上総大久保は県道32号が県道81号と分岐した直ぐ後に、
養老川を超えた直ぐ先を脇道に入る。
ここは脇道に入る場所が分からずに通り過ぎてしまった。
トタンで出来た粗末な駅舎があるだけの、単線片側だけのホームである。
小湊鐵道も基本的には単線で、タブレット閉塞で走っている。
しかも上総中野まで来る編成は一日に5本しかない。
県道32号から県道172号に入って月崎に行く。
月崎駅は木造の駅舎があるが、現在では無人駅になっている。
駅前のコスモスが綺麗だった。
次の飯給は県道172号を進んで県道81号線を北上し、
県道160号へ左折して小湊鐵道を踏みきりで超えるところにある。
飯給の駅も単線片側ホームだが、待合室にはちゃんと窓がある。
ちなみに「飯給」は「いたぶ」と読む。
同じ路を戻って再び県道81号に戻り、北上する。
里見駅も木造の駅舎が建っているが、現在は無人駅である。
片面ホームに島式ホームが組み合わさった形で、
現在では島式ホームの方は使われていない。
駅入り口にも「平成10年9月16日より運転方法の変更により、
駅舎側のホームのみの乗降となりました。
向ホームは、使用いたしませんので、ご注意下さい。」と書かれている。
次の高滝も駅舎はあるものの、無人駅になっている。
この高滝に来る頃になると雨は完全に止んで日差しも見えてきた。
そしてこの駅で素敵な出会いがある。

2003/11/09 00:04

※写真:小湊鐵道月崎駅付近に咲いている秋桜 撮影時刻 2003/11/01 13:45:42


  13.高滝の猫

高滝で駅舎取材をしていると、
愛車プリメーラ・カミノのボンネットの上に猫が座っていた。
そっと写真を撮ると、
こっちに気付いたのか、そっと逃げていった。
そして遠くの民家の入っていったので、
カメラをOLYMPUS CAMEDIA E10からCanon EOS 10Dに変え、
28-300mmの望遠ズームレンズで狙った。
すると逃げていった猫の周りに子猫が群がってきた。
数えてみるとほかに4匹の子猫がいる。
そのうちの一匹の猫が人なつこく近づいてきた。
その猫の写真を撮っていると、
たぶん生まれたばかりだと思われる子猫もやってきて遠巻きに見ている。
レンズを向けると逃げ出すが、
また直ぐに近づいてきて物珍しそうに見ている。
そのうちに慣れてきたのか、まわりをじゃれついてきた。
遠巻きで見ている猫、車の下に潜り込んでいる猫、
ボンネットの上で寝ている猫、
中にはタイヤによじ登ってホイルベースの中で爪を立てている猫もいた。
幾らボロい車でもそこまでは我慢出来ないので、
引きずり出して地面に押さえつけ、軽くお仕置きをした。
それでも一端は逃げてたものの、またすぐにじゃれついてきた。
途中で高滝駅に上り電車が入線してきたのでそれの撮影を行ったが、
それでも猫たちは車のまわりで遊んでいた。
しかし何時までもずっとこのままにしているわけにも行かない。
まだ取材しなければならない駅があるのだ。
名残惜しいが彼らとお別れの時が来た。
車のエンジンをかけ、更にふかして車体の下にいる猫を追い出し、
地面の下を直接見て猫がいないかを確認してから、
更にクラクションを鳴らして猫たちを追い払い、
ゆっくりと車を走らせる。
バックミラー越しに猫たちを見ると、
チラッとこっちを見ていたが、
やがて何事もなかったように駅舎の中に駆け込んでいった。
さよなら、高滝の猫たちよ・・・。

2003/11/09 18:48

※写真:高滝駅付近にいた猫 撮影時刻 2003/11/01 14:16:01


  14.幻の駅「上総川間」

高滝を出て更に県道81号線を北上し、
次の上総久保を取材する。
更に上総川間を取材しようと思ったが、
場所が分からず県道81号から国道297号に入り、
国道297号から上総川間駅に行こうとしたが、
曲がる場所を通り過ぎてしまい、
先に上総鶴舞駅に行ってここを取材する。
上総川間は前回の春の部でも見かけていながらたどり着けなかった。
国道297号から見ると本当に畑の真ん中に線路が一本だけ走っていて、
納屋のような掘っ立て小屋がひとつだけ立っている。
それが上総川間駅である。
川間というよりも田んぼの真ん中にポツンとある、
上総田中とした方がいいような駅である。
今回もなかなかたどり着けなかった。
いすみ鉄道久我原駅は場所が分からずに苦労したが、
小湊鐵道上総川間駅は見えているのにたどり着けない駅である。
正しく蜃気楼のような駅なのだ。
先に上総鶴舞を取材し、
国道297号を再び北上して更に迷子になり、
それでも漸く上総川間駅にたどり着いた。
近くに行ってみるとやっぱり田んぼの中にあった。
駅舎は小湊鐵道で一番ボロく、階段は朽ち果てていた。
近くには自転車置き場も見あたらないが、
どうやって駅まで来たらいいのだろうか。
それでも上総川間駅にたどり着いたことは今回の取材での大きな収穫である。

2003/11/09 20:41

※写真:小湊鐵道上総川間のホームから見た風景 撮影時刻 2003/11/01 15:39:00


  15.小湊鐵道上総久保−上総村上間

高滝の次は上総久保を取材した。
ここも単線片側ホームで、ここでまた偶然に車両取材出来る。
駅取材ではOLYMPUS CAMEDIA E10、
車両取材はCanon EOS 10Dと使い分けていたのだが、
ここでは間に合わなかったためにOLYMPUS CAMEDIA E10で撮影した。
次に上総川間を取材しようと思ったが、
場所が分からずに先に上総鶴舞を取材した。
ここは関東の駅百選にも選ばれた駅であるが、
他の小湊鐵道の駅との違いはよく分からない。
木造で味のある駅舎ではあるが・・・。
迷いながらも何とか上総川間を取材し、次に馬立を取材する。
上総川間の次は上総牛久駅であるが、
ここは前回の春の部で取材済みである。
上総牛久はタブレット交換駅で、有人駅である。
馬立の次は光風台で、ここも取材済みである。
光風台は小湊鐵道の中でも乗降客の多い駅で、
JRに間借りしている五井駅を除くと唯一跨線橋の設置されている駅である。
この後上総山田、上総三又と取材する。
上総山田駅も木造で、外見上は馬立や上総鶴舞と変わらない。
木造で瓦の乗った屋根を持つ、一軒家のような作りである。
上総三又も単線無人の片面ホーム駅だが、
乗降客がここら辺に来ると多くなるのか、
山小屋風の立派な駅舎である。
更に国道297号線を北上し、海士有木に行く。
海士有木は有人駅であり、
京成千葉から延伸した千葉急行線が延伸の最終目標にしていた駅でもある。
しかし赤字経営のためにこの会社は解散し、
路線は京成電鉄が受け継いで京成千原線としている。
この路線は現在ちはら台駅まで出来ているが、
その先の延伸計画はほとんど白紙状態で工事に着手する気配はない。
因みに「海士有木」は「あまありき」と読む。
ここの段階でかなり日が傾いてきて、
駅取材には限界に達していたが、それでも最後ひとつだけなので、
上総村上の取材をする。
場所が分からずに少し迷ったこともあって、
フラッシュを使わなければ写真が撮れないほど日は落ちていた。
取材が完了したのは5:11p.m.だった。
こうして国鉄木原線の全駅、更にそれを保管する小湊鐵道の全駅取材が完了した。

  −取材結果−

 ※OLYMPUS CAMEDIA E10

2003.5.10._1 撮影 189 保存 99
2003.5.10._2 撮影 151 保存 86
2003.5.10._3 撮影 16 保存 3

 計     撮影 356 保存 188 52.8%

2003.11.1._1 撮影 185 保存 87
2003.11.1._2 撮影 25 保存 9

 計     撮影 210 保存 96 45.7%

 総計    撮影 566 保存 284 50.2%

2003/11/09 21:09

※写真:上総久保駅に停車中の小湊鐵道キハ200形 撮影時刻 2003/11/01 14:50:14




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