5月の風に誘われて



  1.「快速奥久慈風っ子号」

5月の風に誘われて、旅に出ようと思った・・・。
・・・という書き出しでこの旅行コラムを書き始めようと思ったが、
本当のことを云うと、
今回の0泊2日の旅は始めに「快速奥久慈風っ子号」在りきであった。
この「快速奥久慈風っ子号」は、
水郡線を走るジョイフルトレインで、
気動車ジョイフルトレインの「びゅうコースター風っ子」が使われる。
5月の8日9日、15日16日、22日23日の土日だけ、
臨時列車として水戸から日立大子間を往復する。
実はこのジョイフルトレインの写真を撮ることが、
今回の0泊2日の最大で唯一の目的なのである。
気動車ジョイフルトレインということは、
逆に云えば非電化区間でしか企画されないということだ。
これまでにも何度も走っているが、
北上線や只見線などの首都圏から遠く、
なかなか簡単に取材に行けない場所を走っている。
日帰りだとその場所にたどり着く頃には既に出発した後になってしまう。
首都圏の近くで走ることが少ないこの列車は、
JR東日本のジョイフルトレインでは唯一取材していない列車どころか、
見たこともない列車だったのだ。
今回は4月の「卯月函館札幌純情物語」と、
5月に予定している九州旅行の谷間で、
本当はここで0泊2日はやる予定は全くなかったのだが、
やはりこのチャンスを逃すことは出来ないと思い、
急遽無理矢理0泊2日の旅を決行することにした。
そこで水戸でこの「びゅうコースター風っ子」を中心に予定を組んでいった。
また常磐線沿線では接続する中小私鉄や第三セクターも多く、
その中でも大甕を挟む形で運行されている日立電鉄は、
来年の3月で廃止が申請されている。
前回の常磐線取材では取材しきれなかったので、
今回は乗車も含めて廃止前にこの鉄道取材も決行しよう。
そして常磐線の終点仙台でから東北本線岩切まで行く。
東北本線岩切は2度も取材に出掛け、
2度とも写真撮影に失敗した林檎乃麗にとっては因縁の駅である。
今回はここの取材も含めて以下のような予定を組んだ。

 −5月8日土曜日−

07:30上野−フレッシュひたち5号−08:59東海
09:09東海−上り普通628M−09:13佐和
09:24佐和−上り普通2742M−09:37水戸
 ※09:56(1)奥久慈風っこ号
09:06水戸−水郡線・下り527D−10:57常陸太田
 ※09:23−09:44上菅谷
10:28常北太田−日立電鉄線−10:51大みか \490
11:00大甕−スーパーひたち15号−14:09仙台
14:20仙台−下り普通1547M−14:28岩切
14:43岩切−下り普通539M−15:07松島
15:46松島−上り普通1574M−16:11仙台
16:24仙台−はやて20号−18:08東京
18:45東京−すいごう−19:17千葉

しかしこの計画はよく考えて没とした。
土日きっぷでは費用に関係なく移動距離を設定出来るが、
逆に欲張りすぎて移動時間が多くなり、
取材時間や取材対象が少なくなってしまったのでは本末転倒だ。
そこで仙台移動は諦め、常磐線沿線の駅取材に切り替えた。
そして二日目の取材場所も漠然と中央本線から長野新幹線と考えていたが、
予定を変更して山形新幹線で前回取材していない駅にすることにした。

2004/05/11 22:38


  2.修正された行動計画書

東北本線岩切駅の取材を断念し、
その代わり常磐線の水戸−いわき間で未取材の駅取材に集中する、
新しい計画案を「駅から時刻表」で丹念に調べ上げる。
また以前から予定していた奥羽本線(山形線)で、
前回の取材で未取材の山形新幹線停車駅を取材する2日目の計画も考案した。
その結果、以下のような行動計画を策定したのである。

 −5月8日土曜日−

06:19幕張−総武緩行線・上り617C−06:59秋葉原
07:03秋葉原−山手線内回り608G−07:07上野
07:30上野−フレッシュひたち5号−08:59東海
09:09東海−上り普通628M−09:13佐和
09:24佐和−上り普通2742M−09:37水戸
 ※09:56(1)奥久慈風っこ号
10:20水戸−水郡線・下り823D−10:57常陸大宮
11:06常陸大宮−水郡線・上り834D−11:21上菅谷
11:34上菅谷−水郡線・下り529D−11:48常陸太田
12:19常北太田−日立電鉄線・上り24−12:42大みか \490
12:57大甕−下り普通359M−13:06日立
13:32日立−スーパーひたち23号−13:56勿来
14:15勿来−下り普通363M−14:25泉
14:50泉−下り普通641M−14:56湯本
15:03湯本−スーパーひたち27号−15:09いわき
15:46いわき−上り普通648M−15:51内郷
16:13内郷−上り普通448M−16:51磯原
17:17磯原−上り普通450M−17:31十王
17:39十王−下り普通649M−17:44高萩
18:10高萩−フレッシュひたち52号−20:04上野
20:11上野−あさま528号−20:16東京
(20:19上野−Maxやまびこ528号−20:24東京)
20:45東京−すいごう−21:15千葉

 −5月9日日曜日−

05:14幕張−総武緩行線・上り575C−05:55秋葉原
(05:29幕張−総武緩行線・上り517C−06:10秋葉原)
06:00秋葉原−山手線外回り573G−06:04東京
(06:16秋葉原−京浜東北線・南行511A−06:20東京)
06:28東京−つばさ101号−9:42大石田
09:58大石田−つばさ110号−10:45かみのやま温泉
11:07かみのやま温泉−上り普通1432M−11:25赤湯
11:38赤湯−つばさ185号−12:06山形
13:07山形−左沢線・下り1335D−13:35寒河江
13:56寒河江−左沢線・上り1338D−14:22山形
14:38山形−仙山線・上り普通5826M−14:56山寺
15:38山寺−仙山線・ホリデー仙山13号−15:54山形
16:36山形−つばさ122号−19:24東京
19:45東京−しおさい13号−20:16千葉

はじめは奥羽本線取材のほうが朝が早かったため、
こちらを土曜日にし、
疲労が溜まってきた日曜日に常磐線取材にしようと思った。
しかし常磐線取材のほうが終了時間が遅いし、
次の日はまた会社に行かなければならないことを考慮して、
土曜日に常磐線取材、日曜日に奥羽本線取材とした。

2004/05/12 01:26


  3.上野物語

5月8日土曜日、0泊2日の旅、一日目。
本来の予定では06:19発の電車で上野を目指すことになっていたが、
支度が思ったよりも早くできたため、
06:04幕張発の三鷹行きで秋葉原に行き、
そこで乗り換えて上野に行く。
そのため予定にはなかった寝台特急「あけぼの」の入線に間に合う。
これを取材した後、NEWDAYS上野中央口店で伊右衛門500ml\147購入し、
売店で上野限定弁当「上野物語」\1,000を購入して入場する。
駅弁「上野物語」はその名の通り、上野駅限定の、
「上野駅長おすすめ おふくろの味〜上野物語〜」が正式名称で、
包み紙には「明治二十二年ごろの上野山下鉄道館(現上野駅)の風景」をバックに、
現上野駅長の似顔絵がデザインされている。
そして包み紙には更に、
「2002年2月22日上野駅は、
かつてのよき鉄道の思い出を残しつつ『みんなの駅』として
大きく誕まれ変わりました。
この記念すべき日に、
ふるさとの駅として親しまれ愛されてきた駅にふさわしい、
おふくろの味がにじみ出るようなお弁当をどうぞご賞味下さい。
  東日本旅客鉄道株式会社 上野駅長 丸山祐樹」と書かれている。
上野駅から旅立つ時は是非食べたい弁当である。
これを喰うのは多分3度目でないかと思う。
鮭塩焼きがメインの幕の内弁当であるが、何故か旅情を誘う。
玉子焼、蒲鉾、葉唐辛子の付け合わせに、
鳥肉、こんにゃく、人参の煮物、
ブロッコリー、マカロニ、エビ等のサラダが入っている。
この弁当などを買い込んで07:30上野発の「フレッシュひたち5号」に乗り込む。
上野発の時点で乗車率は9割程度で、柏駅では既に満席状態だった。
その半数以上は常磐線沿線にあるゴルフ場に行く客で、
ゴルフバックを持っての乗車は少ないものの、
明らかにゴルフルックの客がかなり目立っていた。
水戸、勝田を過ぎ、08:59に「フレッシュひたち5号」は東海に到着する。

2004/05/17 01:19

※写真:上野駅限定弁当「上野物語」 撮影時刻 2004/05/08 07:41:22


  4.幻のダブルデッカー

常磐線東海での取材時間は10分。
この駅は思った以上に大きく、
西口と東口の取材をしなければならず、
予定していた09:09の上り普通に間に合わず、
結局、佐和駅の取材を断念し、
佐和駅で乗る予定だった上り普通2742Mで水戸駅に行く。
ここで09:56水戸発の「快速奥久慈風っ子号」を取材する。
これはキハ48をベースに改造したジョイフルトレイン、
「ビューコースター風っ子号」が使われている。
この車両は今まで取材したことがないばかりか、
見かけたこともなかった車両だった。
今回の0泊2日の旅もこの車両取材をしたいために企画したものだった。
この後水郡線で常陸太田に行く予定だったが、
まだ時間があったので常磐線普通電車ホームで取材する。
最初は455系を取材するつもりだったが、
ここに上野方面からダブルデッカーを先頭車両にした415系が入線してきた。
ダブルデッカーとは2階建ての車両で、
新幹線や特急などは別として、
一般車両でダブルデッカーを採用しているのは近郊形のグリーン車用中間車と、
東海道線、中央本線快速用の215系、
JR四国の5000系「マリンライナー」などしかない。
特に先頭車がダブルデッカーになっているのは5000系と、
この415系1900番台だけである。
「マリンライナー」はJR四国の5000系とJR西日本223系500番台の連結で、
先頭車はグリーン車になっているため、
一般型車両で先頭車ダブルデッカーは415系1900番台だけである。
215系もオールダブルデッカーとなっているが、
正確には先頭車両の1階部分は機械室になっているため、
正確にはダブルデッカー先頭車とは云えない。
415系1900番台は常磐線の輸送力改善を目指し、
座席数を増やすことによって着席通勤を向上しようとして開発された。
しかし乗降に時間が掛かる上に立ち席乗車がし辛い等の欠点が多く、
結局クハ415-1901の1両だけしか造られなかった。
しかも一般車両のために何時走るかは分からない。
1日1往復しか走っておらず、取材出来る可能性は非常に少ない。
これが取材出来ただけでも今日は成果があった。
10:20水郡線下り電車で常陸大宮を目指す。

2004/05/17 21:36

※写真:クハ415-1901 撮影時刻 2004/05/08 10:09:58


  5.廃線予定線「日立電鉄線」

水郡線はその名の通り、水戸と郡山を結ぶ非電化路線で、
キハ110系が結んでいる。
これで常陸太田を目指す。
常陸太田は水郡線の上菅谷から分岐している路線の終点で、
常陸太田から日立電鉄に乗り換えることが出来る。
時間の関係から一端常陸大宮まで行き、
そこから上菅谷に戻って常陸太田に行く。
常陸大宮、上菅谷、常陸太田の駅取材し、
11:48に常陸太田に着く。
ここから道を挟んだ反対側に日立電鉄常北太田駅がある。
日立電鉄はここ常北太田から常磐線大甕駅と接続して鮎川までを結ぶ、
14駅、18.1kmの路線であり、
しかもこの路線は来年4月1日付けで廃止が申請されている。
廃止の理由として日立電鉄は、
自家用車の普及、沿線事業所の従業員の減少等の事情によって、
年間旅客数は1961年の717万人をピークに、
2002年には177万人と全盛期のわずか25%にまで激減し、
料金改定や全線ワンマン化、労働条件の改定、駅務員無配置化等で対応してきたが、
老朽化した施設の維持管理や更新がままならない状況で、
これ以上の安全運行が不可能と判断したという。
地方中小私鉄を巡る経営環境の悪化はここまで来たかという感じだった。
特に日立電鉄は関東エリアで東京から1時間半という近さにありながら、
廃線という選択肢を選んだことはやはり衝撃だった。
廃線の前に一度乗っておきたいと思い、
今回の取材に組み入れたのだった。
常北太田駅は日立電鉄線の車庫にもなっていて、
営業投入されていない車両が留置されている。
ここで留置されている車両の取材をする。
日立電鉄線車両は日立で製造された元営団地下鉄車両で、
片運転台の2000形と両運転台付の制御電動車の3000形がある。
それらを思う存分取材し、12:19発の上り線で大みかまで行く。
約23分の旅だった。
JRでは「大甕」と表記するが、日立電鉄は「大みか」としている。
実際「大甕」を「おおみか」と読むのは難しい。
ここで少しだけ駅取材した後、再び常磐線の駅取材に入る。

2004/05/17 22:33

※写真:日立電鉄2000形 撮影時刻 2004/05/08 12:18:26


  6.新幹線移動距離“3.6km”

12:57に大甕から下り普通列車で日立に行く。
取材時間は26分あったが駅の出入り口が海岸口と中央口に別れており、
結局両方の出入り口を取材したために駅弁を買う時間がなく、
13:32日立発のスーパーひたち23号に乗り込む。
これは4両編成だった。
651系付属編成のみの運転なのだろう。
24分の旅で次の勿来を目指す。
乗り込んで間もなくして車内販売のワゴンが来て、
ここで釜めし弁当\880を購入して勿来に着くまでに喰う。
「勿来」は「なこそ」と読む。
これも難読駅名と云っていいだろう。
勿来、泉、湯本と取材し、スーパーひたち27号でいわきに行く。
ここで37分の取材をした後、更に内郷、磯原、十王と取材する。
磯原取材中に5:00p.m.を越え、光量不足は限界に達していた。
十王は改装中だった。
高萩まで行き、ここで18:10高萩始発のフレッシュひたち52号で上野に帰る。
20:04に上野に着く。
本来はこの帰りのフレッシュひたちの中で夕食の駅弁を喰う予定だったが、
高萩駅でも駅弁を売っているところがなく、
車内販売もなかなか来なかった。
待っている間にラーメンを食べたい気分になり、
上野に着いてから下のホームの9番線近くに新しくできたラーメン店、
「ラーメン粋家」に入り、
味玉ラーメン\700、餃子\200喰う。
具は白菜が中心で、白菜から出た甘みと豚バラの旨味が醤油スープに滲み出している。
コシがある自家製玉子つなぎ麺を使用している。
トッピングは白菜のほか、薬味の万能ねぎ、チャーシュー等。
これは後から思いついたのだが、
店名の「粋家」は「すいか」と読み、
これはJR東日本が推奨しているICカード「Suica」を意味しているのだろう。
JR日本の子会社、JREの経営である。
土日きっぷは2日間、エリア内の新幹線を含む特急に乗り放題のきっぷなので、
上野から新幹線で東京に移動する。
以前から一度はやってみたいと思っていたのだが、今回はついに決行した。
上野から20:43発のMaxたにがわで東京に行く。
勿論、上野駅上りホームで電車を待っている人は皆無だった。
下りホームの人がおいらを見て驚いていた。
乗車時間約5分、営業距離3.6kmの、在来線でも4駅分の旅を楽しみ、
21:02始発の佐倉行きに乗って津田沼で下車・・・の予定だったが、
寝過ごして千葉まで行ってしまう(^_^;)
21:40千葉着、21:49お茶の水行きの総武緩行線で幕張まで戻る。
一日目の旅はこうして終わった。

2004/05/17 23:22

※写真:上野駅「麺酒房 らーめん粋家」 撮影時刻 2004/05/08 20:22:26


  7.“つばさ”を下さい!

0泊2日の旅、二日目。
4:30a.m.に起床し、05:14幕張発の総武緩行線で秋葉原へ。
5分の待ち合わせで06:00秋葉原発の山手線外回りで東京に行く。
さすがに何時も会社に行くより更に1時間早く起きたので眠い!
新幹線ホームに上がり、
売店で中華弁当\1,000、伊右衛門500ml\150買い、
06:28東京発のつばさ101号に乗り込む。
発車時間までつばさ用400系やE4系、
それに隣のホームの東海道新幹線用700系などを取材する。
700系は車体に“AMBITIOUS JAPAN”と書かれている。
今年4月のダイヤ改正で品川駅開業をアピールしようと、
JR東海がTOKIOを起用してのキャンペーンのキャッチコピーである。
06:28に東京駅を滑り出した400系は単独で盛岡を目指す。
つばさはE4系との連結が多いが、
早朝で比較的ダイヤに余裕があるために単独で運行されているのだろう。
日中の過密ダイヤ時には「やまびこ」と連結して福島まで行く。
同じく秋田新幹線「こまち」は「はやて」と連結して盛岡まで行く。
東京を出た時は乗車率は3割程度だったが、
大宮では9割になった。
駅弁で腹を満たした後、爆睡する。
山形に着くまで結構寝られた。
09:42、大石田に着く。
大石田は山形新幹線の終着、新庄の一つ手前の駅であり、
今まで未取材だった駅である。
16分の取材時間後、つばさ110号でかみのやま温泉に行く。
ここでは自由席に乗るが、
禁煙席は満席で、仕方なく喫煙席に乗った。
自由席は2両で、1両が禁煙車両でもつひとつが喫煙車両である。
禁煙車両の方が混んでいるというのは現代の風潮を顕しているのだろうか。
かみのやま温泉からは普通車両で赤湯に行く。
ここで駅取材する。
このあと予定では11:38赤湯発のつばさ185号で山形に行く予定だった。
しかし幾ら待ってもこの新幹線は来なかったのである。

2004/05/29 21:16

※写真:東京駅で出発を待つ400系新幹線 撮影時刻 2004/05/09 06:35:05


  8.やってもぉーたっ!

やってもぉーたっ!
11:38が近づいても構内アナウンスがないのでちょっと不安になり、
待合室の手書きの臨時列車の案内を再確認した。
そして思わず「やってもぉーたっ!」と口走ってしまった。
11:38赤湯発の「つばさ185号」は臨時列車である。
5月は1日から3日だけしか走っていない。
仕方がないのでその後の12:05のつばさ107号で山形に行くことにする。
ここで余った27分で駅取材と進入する車両取材する。
そしてここで山形への移動時間を変更したことで、
山形鉄道フラワー長井線のYR800形を取材することが出来た。
この車両は以前米坂線で米沢から坂町までの旅をした時に、
フラワー長井線と接続する今泉で見かけたことはあるが、
きちんと取材出来たのは思いがけぬ収穫であった。
また西口も取材する時間が出来た。
赤湯駅西口は山形鉄道の駅舎に繋がっている。
JRのきっぷでも乗降することが出来るが、ここは無人駅であった。
改札口に人が立てるようになっていたので、
通勤時間帯には有人になるのかも知れない。
むしろ「つばさ185号」に乗れなかった方がよい結果になった。
山形鉄道の車両取材までは念頭になかったので、
これはミスから生まれた絶好の取材機会だった。
12:05のつばさ107号で山形に移動する。
自由席禁煙席に座れた。
当初の予定では山形の滞在時間が約1時間で、
ゆっくりと昼食を喰う時間があったのだが、
約30分予定が押してしまったので、
昼食は3番線4番線ホームにあった「Cafe Express」で天麩羅うどん\350喰う。
山形駅は6番線7番線ホームは「あじさい」だが、
3番線4番線ホームは同じNRE系でも店名が違う。
どうしてなのだろうか・・・。
このあと左沢線で寒河江を目指す。

2004/05/18 23:19

※写真:JR山形駅3番線4番線ホーム「Cafe Express」 撮影時刻 2004/05/09 13:04:05


  9.晴れの寒河江と雨の山寺

「Cafe Express」で昼食を喰った後、
13:07山形始発の左沢線でこの列車の終点寒河江を目指す。
左沢は「あてらざわ」と読み、12駅、26.2kmの単線非電化路線である。
左沢線の愛称は“フルーツライナー”で、
ここを走るキハ100系もホワイトとライトブルーのツートンに塗色され、
JR東日本の標準色とは異なる。
寒河江は「さがえ」と読み、左沢線の中間に位置し、
しかも車両基地を備える大きな駅である。
駅前には寒河江御輿会館もあり、本物の御輿が4基展示されている。
寒河江で駅取材した後、
13:56寒河江始発の左沢線・上りで山形に戻る・・・予定だったが、
急遽、思いつきで山形の一つ手前の北山形で下車する。
北山形は奥羽本線と左沢線の分岐の駅であり、
既に分離した線形を取っているために駅は扇形になってしまっている。
また北山形の隣の羽前千歳で奥羽本線から仙山線が分離しているため、
ここで予定していた14:38山形発の仙山線・上り普通電車を待つことにする。
そして仙山線で山寺まで行き、駅取材する。
趣のある駅舎で以前から取材すべき対象だと考えていた。
取材時間は42分で、駅前だけでなく山寺山門まで取材する時間があった。
しかし山寺の駅を出たあたりで既に雨が降り出していた。
前から日曜日は雨の予想だったが、午前中は何とか持った。
寒河江では晴れているといっても良かった。
しかし山寺に移動するととうとう雨が降り出してしまった。
山寺は松尾芭蕉の名句、「閑さや 岩にしみ入 蝉の聲」はあまりにも有名である。
駅から歩いて山寺の登山口と根本中堂を取材する。
登山口には1932年3月25日に国指定の名勝史跡に指定されたことを受けて、
山寺について解説してある。
「山寺
 宝珠山立石寺を中心とする山寺は、清和天皇の勅許をいただいた慈覚大師により、
貞観二年(八六〇)年に開かれたと伝えられています。
 全山を構成する角礫凝灰岩は、永年の水蝕と風蝕を受けて奇岩怪石となり、
これが樹木の間に見え隠れする姿は、四季折々に本当にすばらしい景観となっています。
 また、境内地の参道石段は、立ち並ぶ句碑や板碑とともに苔むして、
老杉や怪石の問にはたくさんの堂塔が建てられ、千古の静寂をたたえています。
 元禄二年(一六八九)には、俳聖松尾芭蕉が門人の河合曽良とともにこの地を訪ね、
  閑さや 岩にいみ入 蝉の聲
の名句をおくの細道に残しています。」
宝珠山立石寺は以前来たことがあり、奥の院まで登ったこともある。
しかし今回はここまでが時間的に限度であった。
まあ、時間があってもまた登りたいとは思わないが・・・。
15:38の仙山線・ホリデー仙山13号で山形に戻り、
売店で「山形特選牛めし」\980買い、
16:36山形発のつばさ122号で東京に戻る。
指定席はほぼ満席だった。
19:24に東京に着き、地下の総武快速線ホームに行き、
19:45東京始発のしおさい13号で千葉まで行き、緩行線で幕張まで戻る。

 −取材結果−

2004.5.8._1 撮影 422枚 保存 69枚
2004.5.8._2 撮影 205枚 保存 32枚
2004.5.9. 撮影 436枚 保存 62枚

 合計    撮影 1063枚 保存 163枚 採用率 15.3%

2004/05/19 22:06

※写真:山寺立石寺本堂 撮影時刻 2004/05/09 15:20:18





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