皐月九州縦貫純情物語



  1.栄光の愛称名「つばめ」

2004年3月13日、JRグループのダイヤ改正があった。
その中でなんといっても一番の目玉が九州新幹線開業だった。
九州新幹線は1970年6月に施行された、
全国新幹線鉄道整備法によって建設が決定され、
1972年に出来た基本計画によってルートが福岡市−鹿児島市間と決定した。
1989年には工事が着手され、
それから16年をかけて鹿児島中央−新八代間が部分開業した。
標準軌のフル規格で着工され、
それに合わせて専用車体800系も製造された。
そしてこの新幹線の愛称名が、
それまで博多−鹿児島間を結んでいた特急「つばめ」の愛称をそのまま移行し、
九州新幹線「つばめ」が誕生した。
21世紀に誕生した新幹線車両に相応しく外見のデザインは斬新で近未来的であるが、
内装は逆に素材に“木”を多用し、
木製の椅子にモケットは古代漆、瑠璃、緑青となり、
窓のブラインドも桜材を使った簾にするなど、
それまでの新幹線のデザインとは明らかに一線を画したデザインを採用している。
21世紀に誕生した新しい新幹線の名となった「つばめ」だか、
この名前が特急の愛称名として初めて使われたのは、
1930年10月1日、年号でいえば昭和5年である。
東京から神戸を当時としては驚愕の9時間で結んだ列車に付けられた。
電車が登場したのは今から丁度100年前で、
この当時は勿論蒸気機関車に牽引された客車だった。
戦争激化によってこの特急は廃止され、
戦後1949年に東京と大阪を結ぶ客車列車「へいわ」の改称として再び登場した。
1960年になって電車車両151系による「つばめ」が誕生、
山陽本線電化によって広島まで延伸した。
しかし1964年に東海道新幹線が開業すると東京−大阪間の運行は中止され、
大阪から博多までの特急列車になった。
1965年からは481系列の電車車両が使われ、
区間も名古屋から熊本までに延伸された。
しかし山陽新幹線が開業すると区間が岡山−博多、熊本、西鹿児島へと変更になった。
一時期は夜行「金星」と兼用運行されたこともあり、
583系が使用されたこともある。
1975年に山陽新幹線が博多まで延伸すると、
とうとう栄光の特急「つばめ」は廃止されてしまった。
国鉄の分割民営化後に再び九州内の特急として、
西鹿児島から博多、一部は門司港までを結ぶ特急として復活した。
そしてこの区間が新幹線化することになり、
栄光の名は九州新幹線に受け継がれることになった。
この新幹線車両はどうしても写真に撮りたい!
フォトグラファーとしての触手の動くモチーフである。
そこでこの九州新幹線800系を実際に暫定開業区間全線完乗とともに、
その車両取材を行い、
またこれに合わせてJR九州が用意した4本の新型車両も完全取材したい。
そして九州に存在する路面電車のうち、
前回の旅行で取材済みの筑豊電鉄を除く、
鹿児島、熊本の市電と長崎電気軌道の路面電車を取材したい。
新幹線は土日は観光客が殺到することも予想されるため、
金曜日に有給休暇を取って乗ることにしよう。

2004/05/27 22:35


  2.4つの新設気動車と3つの路面電車

JR九州では九州新幹線の誕生に合わせ、
4つの気動車による新型車両や新設特急が登場した。
一つ目はキハ200形特別快速「なのはなDX」、
二つ目はキハ140+キハ147の観光特急「はやとの風」、
三つ目はキハ140+キハ220の観光列車「いざぶろう」、「しんぺい」、
四つ目はキハ183系特急「ゆふDX」である。
九州新幹線800系「つばめ」と並んで、
これらの新造車両も食指の動くモチーフである。
キハ200形特別快速「なのはなDX」は、
鹿児島中央から指宿枕崎線山川までを結ぶキハ200系快速「なのはな」に、
座席指定で展望スペースを設置した車両を投入したもので、
従来の快速「なのはな」の一部を置き換える形で投入されている。
指宿枕崎線は鹿児島中央から薩摩半島を走る路線で、
山川は指宿の隣り駅である。
ちなみに「指宿」は「いぶすき」と読む。
また指宿から三つ目の駅の西大山はJR最南端の駅である。
ここも機会があったら何時かは行ってみたい。
二つ目のキハ140+キハ147の観光特急「はやとの風」は、
鹿児島中央から隼人を経由して吉松までを結ぶ観光特化した気動車特急で、
ロイヤルブラックの車体に車両中間には展望スペースを設置している。
今までにない新設特急で、一日2往復している。
三つ目はキハ140+キハ220の観光列車「いざぶろう」、「しんぺい」で、
肥薩線人吉から吉松までは「いさぶろう」、
逆に吉松から人吉までは「しんぺい」と、
進行方向が逆になると愛称名が変わる変わった列車である。
因みに「いさぶろう」とは、
明治42年当時の逓信大臣、山県伊三郎から、
「しんぺい」とは鉄道院総裁、後藤新平から名前を取っている。
本来は1時間のところを1時間半かけてゆっくりと回る。
この車両は1両編成で、やはり中間に展望スペースが設置されている。
そして四つ目はキハ183系特急「ゆふDX」である。
この列車は博多から久大本線湯布院を経由して別府までを結ぶ編成で、
キハ185系「ゆふ」や、観光特急「ゆふいんの森」が結んでいた路線に、
新たに投入される形になった。
この車体はもともと長崎−佐世保間で運転されていた、
特急「シーボルト」用の車体を古代漆色に塗色変更して登場させた。
今回の旅行ではこれらの新設車両の全てを取材したい。
また九州には4つの路面電車が走っていて、
黒崎から直方までを結ぶ筑豊電鉄は前回の旅行で既に取材済みで、
残る鹿児島、熊本、長崎の路面電車を、
特に最近話題の超低床車を中心に取材したい。
鹿児島の鹿児島市電はJR鹿児島本線鹿児島駅から、
指宿枕崎線谷山までを結ぶ路線で、
高見馬場から分岐して海側を走る第1系統と、
鹿児島中央の前を走る第2系統があり、郡元で合流する。
鹿児島市交通局1000形は「ユートラム」の愛称が付いた、
3車体構成の超低床車で、2002年1月15日に初登場した。
熊本の熊本市電は健軍町から豊肥本線新水前寺を経由し、
辛島町から熊本駅前を通って田崎橋へ向かう2号線と、
上熊本駅前まで向かう3号線とがある。
日本国内としては初めての低床車である9700形が
1997年8月に登場した。
初めて登場したこともあり、愛称名はない。
長崎の長崎電気軌道は民間会社で、
全区間\100で乗れる低料金で経営圧迫に苦しむ路面電車の中で、
お手本的存在とも云える。
長崎電軌も2004年3月1日にようやく超低床車を導入した。
3連接車で、3000形の形式名が付されている。
今回の旅行ではこれらの新型低床車を中心に車両取材もしたい。
鹿児島中央から新八代までの新幹線の乗車と4つの列車の取材、
それに鹿児島、熊本、長崎の九州を走る3つの路面電車の取材を中心に、
旅行計画を策定していった。

2004/05/29 11:28


  3.九州縦貫計画

今回の旅行では計画が2転3転した。
最初の計画では私鉄の取材も計画していた。
豊肥本線立野から高森までを結ぶ南阿蘇鉄道は9駅、17.7kmの路線で、
南阿蘇水の生まれる里白水高原駅は、
一畑鉄道が2001年4月、
古江駅を“ルイス・C・ティファニー庭園美術館前”に改名する前は、
日本一長い名前の駅として君臨していた駅である。
この駅は是非取材したい。
くま川鉄道は肥薩線人吉から湯前までを結ぶ14駅、24.8kmの路線で、
途中の“おかどめ幸福”は駅近くに、
伊邪那岐神(いざなきのみこと)、伊邪那美神(いざなみのみこと)を祀っている、
岡留熊野座神社があり、
蒙古来襲で相良一族の出征の際、
善男善女が勝利祈願したところ神風が吹いて勝利をもたらしたということから、
幸福をもたらすお社として尊崇を受けている。
いざぶろう・しんぺい号の取材と絡めてこの駅も取材したい。
長崎本線諫早から島原半島を海岸沿いに加津佐までの44駅、78.5kmの路線で、
普賢岳と有明海を左右に見ながら走るトロッコ電車が走っている。
雲仙普賢岳の噴火でダメージを受けた島原鉄道だが、
今は完全に復旧して観光鉄道としての地位を確保している。
これらの中小私鉄に加えて西鉄で太宰府取材、
西鉄宮地岳線の車両取材、
更に門司港の鉄道博物館も取材したい。
しかしこれらの計画は全て実現出来なかった。
今回は4つの新設気動車と3つの路面電車を取材すると、
ほかの取材する時間がなくなってしまうのだ。
それらを踏まえて以下のように予定を策定した。

 −5月21日 金曜日−

05:14幕張−総武緩行線・上り575B−05:55秋葉原
06:00秋葉原−山手線・外回り573G−06:10浜松町
06:19浜松町−東京モノレール−06:41羽田空港
 ※発券、手荷物検査
07:10羽田空港−ANA619便−09:00鹿児島空港
09:10鹿児島空港−バス\1,200−10:10鹿児島中央
 ※九遊きっぷ\5,000購入
   10:28 なのはなDX2号
   10:40 なのはなDX1号
 ※鹿児島市電取材
   10:32 ユートラム
10:34 ユートラム
11:46 ユートラム
12:03 ユートラム
11:16 きりしま10号    11:20 つばめ44号
12:13 きりしま12号    11:49 つばめ8号
12:18 (着)はやとの風1号 12:16 つばめ46号
12:39 はやとの風4号
12:45鹿児島中央−つばめ10号−13:24新八代
 ※新八代駅取材
14:00新八代−鹿児島本線・下り5341M−14:04八代
14:07八代(始)−肥薩線(えびの高原線)1229D−15:18人吉
 ※15:59しんぺい
16:08人吉(始)−九州横断特急8号−17:33熊本
 ※熊本駅取材
 ※17:33-18:20熊本市電取材
 ※18:30ホテルルートイン熊本チェックイン

 −5月22日 土曜日−

 ※06:30起床、シャワー
 ※07:00朝食
 ※07:45ホテルルートイン熊本チェックアウト
 ※08:00-08:40熊本市電取材
   08:13 9700形
   08:30 9700形
 ※九遊きっぷ\5,000購入
 ※熊本駅取材 08:40-09:00
09:10熊本−有明10号−09:13上熊本
 ※上熊本駅取材
 ※熊本市電取材
09:47上熊本−鹿児島本線・下り5327M−09:51熊本
 09:57-09:58リレーつばめ37号
 10:04-10:10有明12号
 10:14(始)SLあそBOY
10:25熊本−リレーつばめ5号−10:47新八代
 ※11:03リレーつばめ42号着
11:06新八代−リレーつばめ42号−12:52(1)博多
13:02博多(3)−かもめ21号−14:57長崎
 ※14:59 低床車
 ※15:00-15:45長崎電気軌道取材
15:45長崎−長崎電気軌道1系統、3系統−15:55大学病院前
 ※16:00アルファイン長崎チェックイン
16:30浦上−長崎本線下り・普通865M−16:33長崎
 ※16:50 寝台特急さくら(始)
17:30長崎(始)−かもめ36号−19:00鳥栖
 ※18:39-19:17 寝台特急はやぶさ
 ※19:04-19:17 寝台特急さくら
19:22鳥栖−かもめ41号−20:56長崎(−20:53浦上)

 −5月23日 日曜日−

 ※06:30起床、シャワー
 ※07:00朝食
 ※07:45アルファイン長崎チェックアウト
 ※九遊きっぷ\5,000購入
08:02浦上−長崎本線・下り823M−08:05長崎
 ※長崎市電取材
09:50長崎−かもめ12号−12:00博多
 ※JR博多駅車両取材
   12:16 ゆふDX3号
13:04博多−ソニック25号−14:55別府
   14:58 にちりん15号
 ※JR別府駅取材
15:26別府−ソニック27号−15:35大分
 ※JR大分駅取材
   16:08 にちりん16号
16:15大分−ソニック42号−18:14博多
博多−福岡市営地下鉄空港線−福岡空港
20:40福岡空港−ANA272便−22:10羽田空港

はじめは2日目は博多に泊まる予定でいたが、
取材の都合で長崎に変更、
九遊きっぷを使う都合からANAの超割でチケットを取り、
熊本での宿泊はホテルルートイン熊本、
長崎での宿泊はアルファイン長崎に決定してネット経由で予約、
こうして後は当日決行するだけになった。
九州や四国は台風の影響を受けやすいため、
台風シーズンや梅雨が来る前のこの時期に取材を決行した。
しかしその作戦は大いに裏切られることになるのである。

2004/05/29 12:29


  4.台風2号襲来

台風シーズンを避けて5月のうちに九州旅行を計画したのだけれども、
その作戦は出発の3日前から裏切られた。
台風2号が金曜日朝に関東を直撃するというのである。
まだ梅雨も来ていないのにもう台風なのか!
その天気予報は木曜日になっても変わることなく、
実際当日に飛行機が飛ぶのかどうかが心配だった。
そして5月21日金曜日、有給休暇を取って2泊3日で九州旅行に出発する。
案の定、台風2号の影響で外は大雨だった。
しかし長い傘は旅行中邪魔になると考え、折り畳みで幕張駅まで行く。
結局この旅行中で傘を差したのは家から幕張駅までの約5分間だけだった。
予定では05:14幕張駅発の総武緩行線に乗るつもりだったが、
実際は05:15の電車だった。
予定を土日の休日ダイヤで組んでいたが、
今日は有休を取っていたので平日なのであった。
秋葉原から京浜東北線で浜松町に行く。
何時も会社に行くよりも1時間も早いダイヤだったので、
幕張から秋葉原までは余裕で座れたが、
京浜東北線はまだ6:00a.m.だというのは立錐の余地もないほど混んでいた。
それでも東京駅で大半の人が降りていったが・・・。
06:13発の東京モノレールで羽田空港に行き、
発券、手荷物検査後に待合いロビーの売店で、
万世ハンバーグ弁当\600、まろ茶茶葉の功\180購入する。
さすがにソファーで喰っている暇はなかったため、
機内に持ち込んでベルト着用サインが消えてから朝食を喰うことにする。
機内へはバスで移動し、3+3列の小さめの飛行機だった。
07:10羽田空港を飛び立った。
予定では09:00鹿児島空港到着だったが、
機長の説明では強い西風の影響で10分ほど到着が遅れた。
当たり前のことなのだが、
空港を飛び立つまでは土砂降りの雨の中にいたのだが、
雲の上に出ると快晴だった。
雲の絨毯の上を滑るように飛行機は西に向かった。
降下する途中に宮崎シーガイアなども目視出来た。
09:10鹿児島空港到着、地上でも既に台風一過の快晴が広がっていた。

2004/05/29 16:39

※写真:台風2号襲来で大荒れの上空は快晴だった 撮影時刻 2004/05/21 08:07:18


  5.薩摩〜鹿児島中央駅取材〜

ANA619便の到着が10分遅れたため、
鹿児島空港で乗ったバスも10分遅れで、
そのため鹿児島中央駅に着いたのも10分遅れだった。
バスが鹿児島中央駅に近づくに連れて、
写真やニュース映像などで見てきた東口の階段のある駅舎が見えてきた。
鹿児島中央駅についてまず最初にみどりの窓口に行き、
九遊きっぷを購入する。
九遊きっぷはANAの「超割」の利用特典の一つで、
超割の半券を窓口で提示すると購入出来る切符で、
\5,000で特急自由席を含めて一日乗り放題になる。
今回開通した九州新幹線も含まれる。
以前は\3,000だったが、新幹線が開通したために\5,000に値上がった。
予定では今日使う分だけ購入するつもりだったが、
訊いてみたら3日分まとめて購入出来るとのことだったので、
今日まとめて購入する。
この後旅行バッグをコインロッカーに預け、
鹿児島中央駅取材の開始である。
まずは在来線に入場し、
キハ200系特別快速「なのはなDX」、
485系特急「きりしま」、
717系近郊形電車、
817系CommuterTrain、
キハ200系快速「なのはな」等取材する。
改札を出て駅舎取材をしてから鹿児島市電の取材する。
1000形「ユートラム」を含む車両取材する。
1000形は鹿児島市電が採用した超低床車で、3連接機構を持つ。
一通り取材してから日生ビル地下の「ラーメンさつま」で黒豚味噌ラーメン\600喰う。
叉焼は入っておらず、何故か温泉玉子が付いていた。
戻って新幹線ホームに上がり、つばめ46号を取材する。
勿論800系新幹線車両を見るのはこれが初めてとなる。
写真や映像では何度も見ているが、実物はやはり存在感がある。
一度在来線ホームに降りて、
キハ147観光特急「はやとの風」を取材し、
コインロッカーから旅行バッグを取り出し、
再び新幹線ホームに上がってつばめ10号に乗り込む。
いよいよ新幹線の旅に出発である。

2004/05/31 22:56

※写真:九州新幹線の終点となるJR鹿児島中央駅 撮影時刻 2004/05/21 11:14:29


  6.つばめ、翔ぶ。

九州新幹線“つばめ”は、2004年3月13日に登場した。
元々九州新幹線の計画路線は博多から鹿児島中央だったが、
今回、鹿児島中央−新八代間が暫定開業したのだ。
そのため今回開業した新幹線は初めて東京から直通しない新幹線となった。
しかしJR九州は博多−鹿児島中央が新幹線区間であると捕らえていて、
鹿児島中央の案内の電光掲示板も、
行き先は新八代ではなくあくまでも博多となっている。
現在は新八代−博多間は在来線特急「リレーつばめ」で繋いでいる。
「リレーつばめ」には新幹線開業以前に“つばめ”として活躍していた、
787系がそのまま当たる。
鹿児島中央−新八代間には途中川内、出水、新水俣があり、
その距離は137.6kmで、その69%がトンネル内である。
車両は標準軌採用の800系6両編成で、
グリーン車はないものクラスだが、普通車でも4+4列とゆったりとしている。
それまでの新幹線車両のイメージとは大きく変わって、
和のテイストを前面に打ち出したデザインで、
仕切り壁は九州特産楠製、ロールブラインドは桜材、
シートも木製で座面は西陣織で布色は古代漆、瑠璃、緑青となっている。
鹿児島中央−新八代間を約40分で結ぶ。
12:45に鹿児島中央駅を出たつばめ10号は、13:24には新八代駅に滑り込んでいた。
あっという間の旅であった。
あまりに距離が短いため、車内販売もない。
新幹線に乗り込んでから、
鹿児島中央駅の西口を取材していないことに気がついた。
これは次回来た時の宿題にしておこう。
新八代駅は、暫定開業した九州新幹線の終着駅という意外には、
正直云ってこれという目玉はなかった。
八代駅の方が地元に密着した発展をそれなりに遂げていたが、
新八代駅は本当に駅前に何もない駅であった。
駅前には大きなバスロータリーやタクシープール、
それに地元住民のための大型駐車場が用意されていたが、
そのほとんどが明いていた。
乗客のほとんどがリレーつばめに乗り込んでしまい、
この駅で降りたもの好きは2〜3人であった。
この駅は在来線と新幹線が斜めに交差していて駅舎も独立している。
新幹線の駅舎には八代亜紀の油彩画「故郷への想い 球磨川」が飾ってあった。
駅取材後、在来線ホームに入場し、下り電車を待つことにする。

2004/06/01 01:03

※写真:新八代駅に停車中の九州新幹線800系 撮影時刻 2004/05/21 13:36:17


  7.人吉〜川線と山線の間〜

14:00丁度に入線してきた鹿児島本線下り815系八代行きで、
終点の八代に行く。
因みに“八代亜紀”は「やしろ」読むが、
地名の“八代”は「やつしろ」と読む。
八代で始発の肥薩線人吉行きに乗る。
キハ140形の単行気動車で、既に座席はほとんど埋まっていた。
平日ということもあって学生が多かった。
これに乗って終点の人吉まで行く。
この区間は球磨川沿いを走ることから“川線”と呼ばれている。
学生達は比較的近い場所で降りていって、残ったのは観光客ばかりだった。
キハ140形はキハ40形の高出力エンジンへの換装車で、
外観はキハ40形と全く変わらない。
この気動車は71分かけて終点の人吉に到着する。
ここで下車して駅取材し、更にくま川鉄道の取材もする。
くま川鉄道は人吉から湯前までを結ぶ第三セクターで、
旧国鉄の路線が赤字から第三セクター化された経緯から、
人吉の駅はJRと共通・・・というか、間借りしている形になっている。
ここで15:59に入線してくるキハ140形「しんぺい」を待って取材する。
この観光列車は人吉から松吉を結ぶ。
人吉から松吉に向かう時は愛称名が「いざぶろう」となり、
逆に松吉から人吉まで戻る時には愛称名が「しんぺい」となる。
人吉から松吉まではスイッチバックやループ線があることから“山線”と呼ばれている。
ここから16:08始発の九州横断特急で熊本に戻る。
この列車に乗り込む前に、
駅前にある“汽車弁当”の看板が出ている「人吉駅弁やまぐち」で、
すし\370とペットボトルのお茶を購入する。
店員にここの名物を訊いたら、鮎すしと栗めしだと云っていた。
今度来た時は戴きます・・・と云って出てきたが、
今度人吉に来るのは何時になるのだろう・・・。
九州横断特急はキハ185系を使用した気動車特急で、
説明じみた名前だが、この“九州横断特急”が愛称名である。
九州は国鉄時代から受け継いだ名前に加え、
「ソニック」などといった今までの特急の愛称名にはないネーミングを考えるが、
この「九州横断特急」という愛称名もかなり変わった名前だと思う。
約1時間半かけてこの特急は熊本に着いた。

2004/06/01 23:03

※写真:九州横断特急の車窓から見た球磨川 撮影時刻 2004/05/21 16:43:27


  8.溶岩焼きと武者がえし

熊本で下車して直ぐにネットで予約しておいた、
ホテルルートイン熊本駅前にチェックインする。
“駅前”とホテル名に付けているだけあって徒歩3分の距離である。
シングルは税込みで\5,000と駅前という立地条件にしては格安である。
予定では駅取材をしてからチェックインということになっていたが、
旅行バッグが重く行動の自由が取れないことから、
先にチェックインしてバッグを部屋に置き、
バッテリーだけ交換して直ぐにホテルを出る。
先にチェックインしたことで夜の取材時間が大幅に増えた。
そのため駅取材、熊本市電の取材をした後、
急遽、リレーつばめに乗って隣の上熊本に行く。
上熊本は1913年に改築された駅舎がそのまま残っている駅で、
この駅は是非取材したいと思っていたのだ。
夏目漱石や小泉八雲の小説にも登場する歴史ある駅なのである。
またここでは熊本電鉄の駅もあり、
ここでは5100系1両編成も取材出来た。
5100系は元東急のデハ5000形で、
1両で運転されているために連結部にも切妻型の運転台が新設されている。
またここは熊本市電も取材する。
18:47のリレーつばめで熊本に戻り夕食を喰う。
熊本駅舎内の複合商業施設“フレスタくまもと”内の、
「溶岩焼 火の国とらや」で溶岩焼・黒豚定食を喰う。
溶岩焼きとは熱された石の上で自分で肉を焼いて喰うスタイルで、
鉄板焼きの変わりに石を使うといった感じ。
生の黒豚と野菜、それに冷や奴と味噌汁、御飯がついて\1,029。
ここを出てからkioskでビールと武者がえしという菓子を買ってホテルに戻る。
「武者返し」とは熊本城の扇勾配の石垣のことで、
銘菓「武者がえし」はさらし飴をパイ生地で包んで焼き上げた菓子である。
6個入り\630。
部屋に戻ってこの菓子をつまみにビールを飲む。
その前に大浴場に行く。
ビジネスホテルでありながら大浴場を備えている。
9:00p.m.頃行ったがまだ誰もいなかった。
大浴場を独り占めである。
ほとんど休憩なく取材し続けた疲労が溜まっていたためか、
11:00p.m.過ぎには寝てしまう。

2004/06/02 22:47

※写真:夜のJR熊本駅 撮影時刻 2004/05/21 19:25:07


  9.肥後〜熊本市電とあそBOY〜

6:20a.m.に目覚ましで起床してシャワーを浴び、
7:00a.m.を待って食堂で朝食喰う。
ここは本格的なバイキング形式になっていて、
ウインナー、南瓜のクリーム煮、玉子焼き、トマトと胡瓜のサラダ、パイナップル、
鶏の唐揚げ、サラダ、アップルジュース、オレンジジュース、ロールパン、コーヒー等。
ボリュームは満足だった。
一度部屋に戻って歯を磨いてから荷物を持ってチェックアウト。
熊本駅に行って荷物をコインロッカーに預け、
熊本市電の取材をする。
熊本市電は上熊本駅前と熊本駅前を通って田崎橋を行く路線から、
豊肥本線新水前寺を通って健軍町までを結ぶ路面電車で、
とくに日本で初めて導入された超低床車9700形が目当て。
事前に調べた時間とは全く違っていたけれど、
それでもちゃんと9700形を取材することが出来た。
9700形は2両連接の超低床車で、
台車や機器類を輸入し、日本で車体を制作して組み立てたそうである。
予定では09:10の有明10号で上熊本へ行く予定だったが、
予定より早く9700系を取材出来たので、
08:50のリレーつばめ36号で上熊本に行く。
昨日既に取材済みだが、
改めて熊本電鉄と熊本市電を取材する。
昨日既に取材済みだが、
既に日が傾きかけてからの取材だったため、
改めて午前中の強い太陽光の元での取材をする。
熊本電鉄の駅に自転車を押してそのまま入っていった人がいた。
びっくりして跡をつけていくとそのまま自転車を電車の中に押していった。
無茶苦茶するなあ〜と思っていたが、
電車の中を見ると「自転車の電車内持込について」という張り紙があり、
自伝の車の車内持ち込みのルールが書いてある。
逆に云うとルールさえ守れば、
自転車を持ち込んでもいいと云うことである。
さすがは地方の電鉄会社だけあってそこら辺が大らかである。
東京では考えられない。
予定より早い09:21の普通で熊本に戻る。
既にあそBOY用の蒸気機関車8620形58654号機が音を立てて準備されていた。

2004/06/13 17:51

※写真:熊本市電9700形 撮影時刻 2004/05/22 08:35:41


  10.SL「あそBOY」

SL「あそBOY」は熊本駅から豊肥線を走り宮地駅までを結ぶ、
8620形蒸気機関車が牽引する全席指定の快速列車で、
立野駅ではスイッチバックもする、
カルデラ活火山阿蘇山を巡るジョイフルトレインである。
上熊本から戻ってくると、
既に牽引用の蒸気機関車8620形58654号機が準備されていた。
昨日夜のうちに煉瓦立ての車庫の中で蒸気の音も聞こえていた。
単機で測線を前後に走っていたので、
多分スイッチバック時にバックでもちゃんと走れるか試験していたのだろう。
明治から昭和初期にかけて活躍した蒸気機関車も、
その煙や燃費の悪さが嫌われて全て廃車になったが、
嘗ての雄志を望む声に後押しされて、
JR東日本では「SLばんえつ物語号」や「SL奥利根号」などで活躍する、
C57型180号機やD51型498型機をはじめとして、
JR北海道のC11型171号機、C11型207号機、
秩父鉄道のC58型363号機、
真岡鉄道のC11型325号機、C12型66号機、
大井川鉄道のC56型44号機、C12型164号機、
C10型8号機、C11型227号機、C11型312号機、
JR西日本のC57型1号機、C56型160号機などが復活して活躍している。
8620形58654号機が側線から留置線に留置中の客車を迎えに行っている間、
キハ140形、
787系特急「リレーつばめ」等取材する。
8620形58654号機がバックで客車を牽引してホームに入ってきた。
客車はウエスタン調に改造された50形700番台客車で、
1号車はオハフ50-701、
2号車はオハ50-701、
3号車はオハフ50-702である。
黒煙を煙突から吐きながら8620形58654号機はしばしホームに留まっていた。
その様子を写真で撮りまくり、
ホームから出て行く「あそBOY」を見送ってから、
10:30発の「リレーつばめ40号」で博多に行く。
予定では10:25のリレーつばめ5号で新八代に行き、
そこで始発のリレーつばめ42号で博多に行く予定だったが、
新八代での新幹線車両取材を諦め、
直接博多に行くことにする。

2004/06/05 21:28

※写真:子供の前で黒煙を吐く8620形58654号機 撮影時刻 2004/05/22 10:22:29


  11.諫早〜ギロチンとトロッコ列車〜

熊本で乗り込んだ787系リレーつばめは7両編成で、
7号車が喫煙車両でその他は全て禁煙車である。
7号車の中間の関は指定席になっているが間仕切りはなく、
指定席には背もたれに「指定席」と書かれている。
それでも禁煙車両よりは空いていた。
今回は7号車に乗って博多まで行く。
予定より1時間早く博多に着いたため、
予定より1時間早い12:02博多始発の「かもめ17号」で長崎へ向かう。
特急「かもめ」は783系はハイパーサルーンを使用したものと、
885系を使用した「白いかもめ」とがある。
今回は“白いかもめ”に乗る。
885系は普通車でも革張りのシートで、
まるで重役や社長の椅子みたいである。
予定ではこのまま長崎に行くことになっていて、
検札でも長崎まで行くといってしまったが、
このまま行くと1時間も早くついてしまうために予定が大幅に狂ってしまう。
そこで急遽、諫早で下車することにした。
諫早は元々最初の計画では明日下車して取材することになっていたが、
予定変更で今回は取材を断念していたのだ。
そこで急遽下車して取材することにした。
諫早は諫早湾干拓事業で問題となった場所で、
諫早湾の一部を水門で塞いで干拓事業を行ったが、
それが原因で海苔が取れなくなったと地元漁民が訴え、
一時期は工事を実力で差し止めるなど騒然とした。
諫早湾の水門はまるでギロチンを連想させるもので、
実際にこの湾に済む小さな生き物にとっては多くの命を奪ったギロチンとなった。
車窓からも水門が僅かだけ見えた。
諫早では島原鉄道が接続していて、
最初の予定ではこれに乗って更にトロッコ列車にも乗るつもりでいた。
しかし今回はホームから車両取材するだけで、
トロッコ列車による風景取材は次回にお預けになった。
駅取材後にkioskで大村すし\450等買ってハイパーサルーンのかもめで長崎へ。
まだ昼食を喰っていなかったので、
腹の足しにと3個入りの小さな方を購入した。
大村すしは「長崎大村藩五百年の味」とキャッチコピーがついている、
はんぺん、椎茸、かんぴょう、卵でんぶ、ごぼうなどの入った押し寿司である。
諫早ではキハ67国鉄色を偶然取材出来た。
長崎に向かう間に大村すしを喰う。

2004/06/05 22:22

※写真:車窓から見た諫早湾干拓事業地の水門 撮影時刻 2004/05/23 09:11:29
※参考画像


  12.浦上の猫

長崎に着いて留置線に停めてあった、
寝台特急「あかつき」用レガートシート車や、
ED76型電気機関車「あかつき」ヘッドマーク装着車などを取材し、
下車して駅舎取材する。
このあと長崎電軌軌道の取材をするが、
長崎電気軌道は道の真ん中に軌道がある完全な路面電車で、
その分取材しづらい。
目標だった今年3月1日から営業運転を開始した3000形は、
事前に調べた時間通りに取材出来たが、
写真を撮るにはいい場所ではなかった。
このあと早めに予約していたアルファイン長崎に行こうと思い、
携帯電話からホテルに電話するが、
チェックインは4:00p.m.からということで、
少し我慢して長崎電軌の取材をして、
15:30始発のかもめ30号で隣り駅の浦上に行く。
アルファイン長崎はここから更に歩いて10分くらいの距離にある。
浦上の駅取材をした後、
ここでも長崎電軌の取材をする。
そして4:00p.m.を待ってホテルにチェックインする。
ここのホテルはワンルームマンションを改築したような作りで、
廊下も外に面しているなどマンションと同じ作りである。
フロントは11:00p.m.で閉まってしまい、
外出は鍵を預けるのではなく自分で持って行き、
11:00p.m.以降は自分で玄関の鍵を開けて入る方式である。
部屋に入ってカメラのバッテリーを交換して充電器にかけ、
着替えて直ぐに出てくる。
16:50長崎始発の寝台特急「さくら」の取材をするためである。
16:33浦上発の普通下り電車で長崎に向かう予定だった。
しかし上り電車に猫の鳴き声がしたのでそちらに行ってみる。
ベンチの下に猫がいて、それを撮影する。
猫の撮影に夢中になっているうちに下り電車が来てしまった。
上り電車は電光掲示板にインフォメーションが出ているのに、
下り電車は全然案内がない。
全く営業努力をしていないのだ。
下りホームにはベンチすらない。
予定していた電車に乗り遅れてしまったため、
長崎電軌で長崎駅まで行く。
長崎電軌に乗って初めて気がついたが、
長崎電軌は全線\100となっている。
JR九州の初乗り料金は\160で、
同じ区間を移動するなら長崎電軌の方が全然いい。
長崎本線は長崎止まりなのでそこから先に行く客はいない。
つまりよっぽどの物好きじゃないと浦上から長崎へJRでは行かないのだ。
乗り放題の九遊きっぷを持っていたからここから長崎に行こうとしたが、
本来なら長崎電軌を選択しているところであろう。
6駅先の長崎駅には約8分後には到着した。

2004/06/05 23:24

※写真:浦上の猫 撮影時刻 2004/05/22 16:34:36


  13.寝台特急「さくら」を追いかけて

寝台特急「さくら」は長崎から東京までを結ぶ夜行列車で、
鳥栖で鹿児島本線熊本から来た「はやぶさ」と連結する。
「さくら」は東京駅では既に取材済みだが、
単独編成の「さくら」はまだ見たことがない。
そこで16:50に長崎を出る「さくら」をここで取材し、
更に先回りして鳥栖で「はやぶさ」と連結するところを取材したかった。
長崎電軌でJR長崎駅に着くと、
既に寝台特急「さくら」は入線していた。
客車は14系15形で、牽引電機はED76型である。
東京側ではEF66型だし、ヘッドマークも違う。
牽引電機のヘッドマークには、
連結運転に備えて既に「さくら/はやぶさ」と書かれている。
ここで十分に車両取材し、
更に817系CommuterTrain、
キハ66形「SEA SIDE LINER」、
キハ200形「SEA SIDE LINER」等を取材し、
17:30始発の「かもめ36号」で鳥栖に先回りする。
大村すしは喰ったものの、
ちゃんとした昼食は喰っていなかったので、
売店で「かもめ弁当」\850購入し、車中で喰う。
885系白い特急「かもめ」をイメージした弁当だが、
駅弁の指定は受けていない。
早めに列車に行ったので禁煙自由席に座ることが出来た。
長崎を出て丁度1時間半、19:00に鳥栖に着く。
既に熊本を出た寝台特急「はやぶさ」は、
18:39からここで「さくら」が来るのを待っている。
ここで寝台特急「はやぶさ」を取材する。
「はやぶさ」を牽引してきた電機はすでに姿を消していた。
19:04、先に長崎を出た「さくら」が到着する。
ここで「はやぶさ」と「さくら」の連結を取材し、
本来ならそのまま19:22の「かもめ41号」で長崎方面に帰るつもりだった。
しかしまだ自分で納得出来ない。
予定にはなかったが、
連結した「さくら/はやぶさ」が出る前に到着した「有明36号」に飛び乗り、
博多に先回りすることにする。
とうとう長崎を出て博多まで一つの列車を追いかけることになってしまった。

2004/06/07 22:36

※写真:かもめ弁当と生茶 撮影時刻 2004/05/22 17:24:40


  14.長崎シティセレナーデ

予定では19:17に鳥栖を出る寝台特急「さくら/はやぶさ」を見送り、
19:22の「かもめ41号」で長崎に帰るつもりだったが、
急に気が変わって19:15に来た上りの特急「有明36号」で、
博多まで行く。
余談だが鳥栖駅は外国製古レールでホームの屋根を支える柱が造られている。
1897年(明治30年)にイギリスのキャンメル社で造られたものである。
博多では完全な夜間撮影になってしまった。
マナーとして走行中の車両にはフラッシュは使わない。
そのためかなり暗い・・・というか、
ヘッドマークが全く見えないという過酷な状況での撮影になった。
ここで「さくら/はやぶさ」を取材して、
20:02博多始発の「かもめ43号」で博多に帰る。
時間が時間だけあってかなり混んでいた。
取材後直ぐに並んで何とか座れたが、座れない人もいた。
この特急は1時間47分かけて長崎に行く。
つまりない話だが、
車内の電光掲示板に流れるニュースなのかで、
“大リーグ マイナーズ イチロー日米通算2000本安打達成”とあった。
イチローは何時移籍したのだろう・・・。
帰りの車中で折角長崎に来たのだから、
本場の長崎チャンポンが喰いたいと思いだしていた。
そのため浦上で下車せずに終点の長崎まで行く。
しかし駅ビル内の食堂街は勿論、
到着した21:49ではほとんどの店は閉まっていて、
開いているのは居酒屋だけであった。
とほほ・・・。
その中で開いていた「かつや」というトンカツ店のフランチャイズで、
かつ丼セット\630喰う。
単品では\500で、味噌汁とお新香が付いている。
LAWSON長崎駅前通店でビールなど買い、
歩道橋の上から街の様子や市電の写真を撮る。
三脚は持たない派だが、夜撮では三脚は必要である。
そこで三脚代わりに欄干にカメラを固定してブレをおさえる手法で、
絞りを解放して写真を撮った。
この後JRで帰ろうと思ったが、
23:10の最終電車まで20分もあったので、
長崎電軌で帰ることにした。
この時間にもかかわらずかなり混んでいた。
長崎市電が市民の足として定着していることを実感した。
11:00p.m.過ぎにホテルに着く。
受付のおじさんが丁度帰るところだった。
あまりにアットホームなホテルだったので、
思わず「お疲れ様でした」と行ってしまった。
このホテルはユニットバスではなく、
トイレと風呂が独立していてちゃんと湯船に湯を張って入ることが出来る。
湯船に使ってゆっくりと今日一日の疲れを落とした。
上がってから買ってきたビールを飲んで寝る。

2004/06/07 23:09

※写真:夜の長崎の街 撮影時刻 2004/05/22 22:49:20


  15.予定変更〜博多駅車両取材〜

6:20a.m.に起床し、シャワーを浴びる。
7:00a.m.を待って2階に降りて朝食を喰う。
和食と洋食が選択できて、
和食は10食限定である。
洋食を選択したが、こちらはパンとコーヒー、サラダ。
和食はお重のおかずに御飯、味噌汁が着く。
7:45a.m.にチェックアウトし、長崎電軌を取材しながら浦上駅に行く。
08:02の普通電車で長崎まで行き、
ここで長崎電軌の取材・・・の予定だったが、長崎駅前の長崎電軌は取材し辛い。
そこで予定を変更し、
08:30のかもめ6号で博多を目指す。
予定では09:50のかもめ12号に乗ることになっていたので、
1時間20分も早く長崎を後にすることになる。
長崎で乗車した885系「白いかもめ」と817系CommuterTrainを取材する。
10:18に博多に到着し、早く着いた分、十分に車両取材する。
787系特急「有明」、
811系三井グリーンランド車、
811系通常車、
787系特急「リレーつばめ」、
885系特急「ソニック」、
817系福北ゆたか線CommuterTrain、
783系特急「みどり」「ハウステンボス」連結車、
キハ183系特急「ゆふDX」、
883系特急「ソニック」4次車シルバーフェイス、
813系、
883系特急「ソニック」4次車ブラックフェイスと取材する。
今回取材したかった新設4つの気動車のうち、
最後に残っていた「ゆふDX」も取材できた。
883系は1994年8月に登場し、
その後4回の増備が繰り返され、
それぞれ前面のデザインが若干違っている。
1次車はフロントグリルがリーフ形、
2次車はスロットグリル、
3次車はフロントグリルが「ソニック」を顕す“S”の字マーク、
4次車はフェースカラーがブラック、シルバー、イエローに塗り分けられている。
4次車が増備されたのは1997年春で、
JR化10周年記念だった。
2001年には885系の「白いソニック」が誕生していることから、
今後883系の増備はないものと思われる。
JR博多駅での車両取材は13:04まで続けられた。

2004/06/10 22:27

※写真:ホテルの窓から見た浦上の街 撮影時刻 2004/05/23 07:53:56


  16.○△□弁当とフリーゲージトレイン

13:02の特急「ソニック25号」で別府を目指す。
ソニックに使用される特急は883系と885系があり、
今回は883系「ソニック」に乗る。
885系は「かもめ」に使用されていた車輌で、
その外見から“白い”という形容詞を付けて呼ぶことがあり、
885系「ソニック」は“白いソニック”と呼ぶ。
この“白いソニック”はシートが普通車でも革張りで居住性は抜群である。
883系はその外見に合わせてシートもカラフルで、
まるで遊園地の乗り物のような奇抜なデザインである。
子供は喜ぶかも知れないが、
正直云って座り心地はそれ程いいとは思えない。
駅構内の「驛辯當 えきべんとう」で○△□弁当\756購入し、
別府に向かう車中で喰う。
○△□弁当は不思議な名前の弁当だが、
これは御飯が○△□のおにぎりになっていることから名付けられている。
小倉を出た辺りでJR九州小倉工場の脇を通ったが、
車庫の中に格納されていたフリーゲージトレインを見かける。
フリーゲージトレインとは、
JR在来線の狭軌と新幹線の標準軌の両方を走れる車両のことで、
今まで新幹線を在来線に走らせるには、
山形新幹線の奥羽本線や秋田新幹線の田沢湖線のように、
狭軌の在来線を標準軌に改軌し、そこを走らせる方法が取られていた。
しかし改軌の工事が大変だし、
在来線も標準軌の台車に履き替えなければならない。
また標準軌の区間と狭軌の区間の直通が出来ない。
狭軌のままで新幹線を走らせることが出来れば、
今後の新幹線計画が飛躍的に推進できる。
特に四国新幹線はフリーゲージトレインの存在なくては実現できない。
ソニック25号は中津の手前で停止信号で停車して11分遅れる。
そのため別府での「にちりん15号」との接続が出来なくなってしまう。

2004/06/10 23:02

※写真:○△□弁当とまろ茶茶葉の功 撮影時刻 2004/05/23 13:14:03


  17.別府と大分とRed Express

ソニック25号は博多を出て鹿児島本線、日豊本線を行き、
大分に至る特急で、
別府で始発の宮崎行き特急「にちりん」と接続する。
特急「にちりん」はJR九州のコーポレイトカラーである赤に塗られている485系で、
この485系は「Red Express」と呼ばれている。
JR化後既に17年が経ち、
国鉄時代の車両が淘汰される中で、
特急「にちりん」にも783系が投入され始め、
何時485系が廃止されるか分からない。
今回の旅行は新幹線800系や新規登場の気動車の取材がテーマだが、
もうひとつ、別府で何れ消えゆくこの「Red Express」の取材することも課題である。
しかし中津での停止信号の遅れのため、
別府でのにちりん15号の接続が間に合わなくなり、
大分で接続を取ることになる。
そのため予定を変更して別府では下車せず、
そのまま終点大分まで行くことにする。
大分ではホームの反対側に485系特急「にちりん」が接続待ちをしていた。
ここで「Red Express」485系を取材し、
このあと大分駅南口の駅取材する。
15:30に入線してきたキハ183系特急「ゆふDX」で別府まで戻る。
「ゆふDX」は博多で取材済みで、
この列車は博多から鹿児島本線を久留米まで行き、
久大本線で九州を横断し、別府まで至る。
この最後の区間大分から別府までの区間を自由席に乗る。
別府で駅取材し、
15:55の885系「ソニック29号」で再び大分まで戻る。
大急ぎで残った北口を取材し、
予定していた特急「ソニック42号」に乗る。
北口の取材開始は「ソニック42号」の出発5分前だった。
取材終了後、全速力で改札を抜け階段を駆け上がり、何とか間に合う。
息が上がり汗だくになってしまった。
「ソニック42号」は883系1次車だった。

2004/06/11 23:09

※写真:485系「Red Express」 撮影時刻 2004/05/23 15:28:51


  18.味噌チャンポンと“飛航醸”

16:15に大分を出たソニック42号は日豊本線、鹿児島本線を行き、
18:14に博多に到着する予定だった。
しかし行きに停止信号で停まった場所に再び停まり、
その後も徐行運転が続いてかなり遅れてしまう。
今回は“弥生山陰純情物語”の失敗を教訓に余裕を持った予定を組んであるから、
1時間以上遅れが出ても飛行機には間に合うようになっている。
しかし夕食を喰う時間がなくなってしまうが(^_^;)
中津で暫く停車し、
その先も前の電車が支えているのか徐行が続いた。
小倉駅に到着する段階で35分遅れになってしまった。
鹿児島本線に入ってからは順調に走った。
博多駅に着いてから乗っていた883系1次車を撮影し、
博多駅内の「ちゃんぽん亭」で味噌チャンポン\630(30)喰う。
長崎でチャンポンを喰いそびれたので、博多でリベンジである。
お土産を買い、コインロッカーから旅行用バッグを取り出し、
博多市営地下鉄で福岡空港へ向かう。
僅か2駅で\250とはやはり高い気がする。
福岡空港に着いてから搭乗手続き、手荷物検査を受け、
少し時間があったので売店で福岡空港限定地ビール「飛航醸」\500飲む。
本当は瓶ごと貰って持って帰りたかったが、
お土産を買いすぎたし、
それに博多の地ビール、
“ザ・ブラウマスター”と“ヒーリングタイム”を買ってしまったので、
もう旅行用バッグには余裕はない。
おいらはこんぺいではないのだ。
ビアエッセイスト林檎乃麗として「飛航醸」も是非データコレクションに加えたいが、
今回は断念して次回の宿題としよう。
搭乗手続きの開始が遅れ、そのまま出発が5分遅れる。
到着もそのまま5分遅れになる。
何時もは帰りは京浜急行で帰るのだが、
今回は荷物が重いこともあって東京モノレールで帰ることにする。
10:36の快速に乗ることが出来た。
羽田空港を出ると天王洲アイルに停車するだけで浜松町に行く。
山手線で秋葉原に行き、
23:16発の津田沼行きに乗り、23:59千葉行きに乗り換えて幕張に戻る。
家に着いたのは0:15a.m.だった。

 −取材結果−

2004.5.21._1 撮影 439枚 保存 56枚
2004.5.21._2 撮影 100枚 保存 13枚
2004.5.21._3 撮影 115枚 保存 21枚
2004.5.21._4 撮影 52枚 保存 9枚
2004.5.22.   撮影 780枚 保存 109枚
2004.5.23.   撮影 449枚 保存 64枚

 合計     撮影 1935枚 保存 272枚 採用率 14.1%

2004/06/12 18:42

※写真:福岡空港の窓から見た飛行機 撮影時刻 2004/05/23 20:29:00





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