文月北海道純情物語



  1.所定休2日間

それは本当に気紛れな思いつきから始まった。
今の会社は夏期休暇として固定した休みの設定はなく、
その代わり7月8月で2日間の休暇を全員で交代で取ることになっている。
それはこの会社では「所定休」と呼ばれている。
仕事が忙しい期間ではなかったが、
それでも全員の所定級消化の推進のために、
労働組合からも改めて完全実施の依頼が出ていた。
会社の同僚とその事について話していたら、
ある同僚がこういった。
「以前“海の日”と土日に所定休を使って5連休にして、
“青春18きっぷ”を使って旅行してきたよ」
う〜む。それは面白いアイデアだな・・・。
以前から5日間の休みが取れれば、北海道一周をしてみたいと思っていた。
そこには「ぐるり北海道フリーきっぷ」の存在があった。
この切符は北海道までの往復と、
JR北海道内の全区間が乗り降り自由になった切符で、
往復は途中下車は出来ないものの、
新幹線を含む特急や夜行列車のB寝台(ソロを含む)の指定席が使え、
しかもJR北海道内全域がフリーエリアで、
フリーエリア内の特急の指定席が取り放題なのである。
この切符の有効期間は5日間で、
多客期の7月から9月までは山手線内出発で\45,200である。
何時かこの切符を使って北海道一周をしてみたいと思っていた。
今年の“海の日”は19日の月曜日で三連休になっている。
これに所定休2日を付ければ5連休に設定できる。
この北海道一周という企画は現実味を帯びていた。
そこで7月15日木曜日、16日金曜日に所定休を申請し、
仕事を調整してこの日で許可を得て5連休を実現した。
これに合わせて北海道一周についての企画を練ることにする。
だが、ここで大きな誤算が生じた。
北海道は札幌と函館しか行ったことがなく、
それに付随して周辺の駅取材をしたものの、
北海道全体の鉄道事情については分かっているつもりで実はよく分かっていなかった。
北海道の鉄道事情は思ったよりも厳しかったのである。

2004/07/19 22:21


  2.特急の設定に見る北海道の現状

北海道一周計画は「ぐるり北海道フリーきっぷ」の計画が具体化して、
インターネットの“駅から時刻表”や、
“駅すぱあと”等で具体的な計画を立てていくに連れ、
そもそも北海道を一周するというのが、
かなり難しいことだと分かってきた。
時間が十分にあるというのならそれも不可能ではないが、
5日間という限られた期間の中では、
それは意外と難しいことが分かったのである。
その理由は北海道という都道府県の中では群を抜いた広さにあった。
そしてそれは札幌という道庁所在地が全ての中心になっていて、
JR北海道の特急も1本だけを除いて全て札幌始発となっていた。
例外の1本というのが八戸と函館を結ぶ青函トンネル横断特急、
「スーパー白鳥」である。
この特急は東北新幹線八戸延伸に合わせて登場した特急で、
それまでは東北新幹線は盛岡までで、
盛岡から青森までを特急485系3000番台「はつかり」や、
E751系「スーパーはつかり」が結んでいて、
この485系3000番台「はつかり」が函館まで足を伸ばしていた。
JR北海道としてはこの区間を客車快速の「海峡」を走らせていたのである。
本来はJR北海道の管理区である青函トンネルは、
JR東日本の特急に任せっぱなしになっていたので、
東北新幹線八戸延伸に合わせ、
自社2番目となる電車特急を開発し、
「白鳥」と愛称名を変えた485系3000番台とともにこの区間を走り、
集客に一役買っている。
この789系特急以外は全て札幌を始点としている。
それは北海道という場所が全て札幌中心の中央集権で動いているということであり、
逆にいうと地方都市はその距離故、なかなか発展できないという現状も見えてくる。
地方間を結ぶ特急の設定はない。
それが北海道のおかれた現状でもある。
結果的に北海道一周ではなく、
札幌にベースキャンプを置く北海道各都市旅行に計画変更する。

2004/07/19 22:48


  3.北海道取材計画

今回の北海道旅行でどうしても行っておきたかったのが稚内である。
この稚内は日本の鉄道で最北端にある駅である。
「Station−駅から始まる物語」には是非コレクションしたい駅だった。
しかしその分、稚内は遠かった。
札幌から特急で約5時間である。
往復で10時間、つまりここ一カ所だけで一日を使ってしまう。
それでもここは取材しておきたかった。
そのほか夕張駅も取材しておきたい駅である。
宮脇俊三氏のエッセイにも夕張駅の2度の引越が紹介されている。
炭坑の街として発展し、そして石炭の需要減少とともに衰退していった街が夕張で、
そのため石炭を運ぶ路線として発展した石勝線は、
衰退に合わせて路線を中心部から街の入り口へと縮小してきた。
そのため、夕張駅は2回も移動したのである。
しかしこの駅の凄いところは、
というよりもこの街の凄いところはただ衰退を受け入れるだけではなく、
新たな集客資源を観光に求め、
映画の街として観光リゾート施設を造ったことである。
夕張では映画祭が催され、メロンに次ぐ新たな観光資源とした。
そんな力強い存在の駅も是非取材したい。
それに北海道といえば“富良野”も捨てがたいだろう。
テレビドラマ「北の国から」で有名になった街だが、
それ以外にもラベンダーで有名で、
ちょうど7月はラベンダーの季節でもある。
そこでこの時期だけ臨時に運行される特急「フラノラベンダーエクスプレス」に乗り、
富良野駅も取材しておきたい。
そのため、以下のような取材予定を立案した。

 −北海道取材計画−

7月15日(木)

05:47幕張−総武緩行線・上り151C(38)−06:25秋葉原[7]
06:32秋葉原−山手線・外回り571G(4)−06:36東京 [20]
06:56東京−はやて1号(188/3_08)−10:04−八戸 [12]
10:16八戸−スーパー白鳥1号(176/2_56)−13:12函館 [211/3_31]
 ※コインロッカー使用
 ※函館市電1日乗車券 \600購入
 ※函館市電未取材電停全駅取材
 ※市民会館前、杉並町、千代台、堀川町、昭和橋、千歳町、魚市場通
 ※コインロッカー
16:30函館駅入場
 ※函館駅車両取材 16:39 寝台特急日本海4号
16:43函館−スーパー北斗17号(180/3_00)−19:43札幌
 ※20:00東横イン札幌駅北口チェックイン
 ※シャワー、バッテリー充電
21:30−23:30JR札幌駅取材 夜撮
 ※22:00 急行はまなす(5)
 ※23:00 特急まりも(5)
 ※23:02 特急利尻(7)

7月16日(金)

 ※06:30起床、シャワー
 ※07:00朝食
 ※07:45東横イン札幌駅北口アウト
08:00札幌−スーパーホワイトアロー3号(80/1_20)−09:20旭川[33]
 第1案
09:53旭川−スーパー宗谷1号(215/3_35)−13:28稚内[205/3_25]
16:53稚内−スーパー宗谷4号−(297/4_57)21:50札幌
 第2案
09:53旭川−スーパー宗谷1号−10:47名寄[115/1_55]
 ※昼食
12:42名寄−普通下り 4329D・4333D(3_57)−16:39稚内[14]
 ※音威子府 13:48-13:55[7]
 ※幌延 15:14-15:36[22]
 ※名寄−(66/1_06)−音威子府−(109/1_49)−幌延−(63/1_03)−稚内
16:53稚内−スーパー宗谷4号−(297/4_57)21:50札幌
 ※22:00東横イン札幌駅北口イン
 ※シャワー、バッテリー充電

7月17日(土)

 ※06:30起床、シャワー
 ※07:00朝食
 ※07:45東横イン札幌駅北口アウト
08:02札幌−スーパーとかち1号(55)−08:57新夕張[6]
09:03新夕張−2629D(26)−09:29夕張[9]
09:38夕張−2628D(22)−10:00新夕張[93/1_33]
11:33新夕張−とかち3号(101/1_41)−13:14帯広[40]
13:54帯広−2551D(29)−14:23池田[3]
14:27池田−スーパーおおぞら5号(75/1_15)−15:42釧路[36]
16:18釧路−スーパーおおぞら10号(235/3_55)−20:13札幌
 ※シャワー、バッテリー充電

7月18日(日)〜 7月19日(月)

 ※06:30起床、シャワー
 ※07:00朝食
 ※07:45東横イン札幌駅北口チェックアウト
 ※コインロッカー使用
08:04札幌−フラノラベンダーエクスプレス1号(114/1_54)−09:58富良野[4]
10:02富良野−普通728D(12)−10:14ラベンダー畑[16]
10:30ラベンダー畑−普通727D(11)−10:41富良野[51]
11:32富良野−3430D快速狩勝(63/1_03)−12:35滝川[23]
13:03滝川−ライラック10号(57)−14:00札幌[3_12/192]
 ※札幌駅バスターミナルにて共通1DAYカード\1,000購入
さっぽろ−市営地下鉄南北線−すすきの
 ※札幌市電未取材全電停取材
 ※山鼻19条、西線16条、西線14条、西線11条、西線6条、西15丁目、西8丁目
 ※コインロッカー
17:12札幌−北斗星2号(988/16_28)−翌日09:40上野

7月16日は特急「スーパー宗谷」で稚内まで往復する案と、
途中の名寄で普通に乗り換え、
途中で長めに停車する駅では駅取材するという2つの案を立案し、
これは当日の天候や体調によって決めることにする。
もちろん指定席は第1案で取っておく。
また今回は宿泊費を浮かすためと、体調のコントロールのため、
4日目に寝台特急「北斗星」で帰ることにする。
札幌から東京までは特急、新幹線の乗車時間だけで9時間を要する。
つまり1日がかりになってしまう。
それなら夜行で5日目の朝に東京に戻ってきた方がいい。
それなら最終日のホテル代を浮かすことも出来て一石二鳥である。
15日の函館と18日の札幌では、
それまでの旅行で取材できなかった市電の電停取材を完了させる。
この計画で「ぐるり北海道フリーきっぷ」を購入し、
それに合わせて指定席を取っていく。
本当は18日の「北斗星」は“ソロ”を取りたかったのだが、
実際はBコンパートメントの、しかも喫煙席しか取れなかった。
とほほ・・・。

2004/07/19 23:27


  4.5日間日本一周

そもそも何故北海道一周を思いついたのであろうか。
勿論「ぐるり北海道フリーきっぷ」という切符が存在していたことが大きい。
しかし最初からこの切符で旅行をしたいと思っていたわけではない。
寧ろ妥協策としてこの切符に目がいったのだ。
それではそもそもの最初の計画とは何だったのだろうか。
それは“日本一周”である。
この無茶苦茶な計画を思いついたのは、
やはり会社で同僚と話をしていた時のことであった。
今の会社では勤続20年、及び30年で旅行券がプレゼントされる。
その金額は忘れてしまったが、
それに合わせて有休消化も奨励され、
この旅行券で旅行に行く人も多いという。
もしこの旅行券をもらえたら何処に行くかという話になり、
独身のおいらはひとりで全額使えるので、
「いっそのこと、日本一周しちゃおうかな・・・」と、
その時は冗談で云ったのであった。
しかし後日ネットを繋いでいる時にふと思いついて、
本当に日本一周したらどれくらい掛かるのだろうと思い、
“駅から時刻表”のホームページにアクセスして、
実際にシミュレーションしてみた。
その時はまだ九州新幹線が開通する前だったので、
なかなか上手く立案できなかったが、
今は九州新幹線が開通して九州の移動がかなり楽になり、
以下のような計画を立ててみた。

 −1日目−

05:47幕張−総武緩行線・上り151C−06:25秋葉原 Suica定期券使用
06:32秋葉原−山手線・外回り571G−06:36東京 \130
06:56東京−はやて1号−10:04−八戸 \15,350(指定席)
10:16八戸−スーパー白鳥1号−13:12函館 \6,720(指定席)
13:25函館−北斗11号−16:58札幌 \8,590(指定席)
17:22札幌−スーパー宗谷3号−22:20稚内 \10,170(指定席)

※稚内泊

 −2日目−

07:37稚内−スーパー宗谷2号−12:35札幌 \10,170(指定席)
14:05札幌−トワイライトエクスプレス− \25,620(B寝台)

※トワイライトエクスプレス車中泊

 −3日目−

−トワイライトエクスプレス−12:38新大阪
13:29新大阪−のぞみ13号−15:57博多 \14,890(指定席)
16:10博多−リレーつばめ19号−17:46新八代 \4,710(指定席)
17:49新八代−つばめ19号−18:28鹿児島中央 \5,330(指定席)
18:38鹿児島中央−なのはなDX107号−19:42山川 \1,080
19:50山川−普通5329D−20:00西大山 \220
20:44西大山−普通1374D−22:19鹿児島中央 \1,250

※鹿児島中央泊

 −4日目−

08:44鹿児島中央−きりしま4号−10:51宮崎 \4,090(指定席)
11:01宮崎−にちりん12号−14:10大分 \6,070(指定席)
14:15大分−ソニック34号−15:31小倉 \4,090(指定席)
15:46小倉−普通5564M−16:07下関 \270
16:50下関−あさかぜ− \22,620(B寝台)

※あさかぜ車中泊

 −5日目−

−あさかぜ−07:33東京
07:40東京−快速771F−08:07津田沼 Suica定期券区間外 \130
08:09津田沼−普通656B−08:15幕張 Suica定期券使用

つまり実質4泊4日で日本一周が出来てしまうのである。
厳密に言えば日本一周とは云えないかも知れないが、
それでも僅か4日半で日本一周が出来てしまうのは驚きである。
しかしこれには観光も駅取材も、
そして多分ほとんど車両取材も出来ず、
ただ同じ旅行行程の中で日本最北端の駅「稚内」と、
索道軌道を除く日本最南端の駅「西大山」を、
同時に取材できるというただそれだけである。
しかもどちらも取材時は夜になっている。
因みにこの日程の旅行代金は\141,500で、宿泊費などは含まれない。
この金額は正直云って遊び半分で行く旅行に出せる金額ではない。
そこでこの計画はお蔵入りし、
その代わりせめて北海道一周くらいはしたいなと思ったのが、
今回の旅の始まりであった。

2004/07/20 01:44


  5.旅の始まりは御茶ノ水駅・・・

2004年7月15日木曜日、所定休を取って北海道旅行に行く。
4:45a.m.起床、予定していたより1本早い05:34御茶ノ水行きに乗る。
平日ではあるが、さすがにこの時間だと空いている。
幕張で改札を通る時はSuica定期券を使用し、
終点御茶ノ水まで行って一端Suica定期券で改札を出て、
「ぐるり北海道フリーきっぷ」で再入場する。
この切符は山手線内が有効区間なので、
ここまでは定期券で来たのである。
今回の北海道旅行の始まりは御茶ノ水駅からだった・・・。
06:20上り東京行き中央快速線で東京に行く。
この電車は東京行き快速線としては2番目に早い電車である。
東京で新幹線改札を指定席券と同時に切符を等して入場、
こうすることによって車掌の端末に指定席の情報が行き、
現場での検札が省略される。
NRE売店で夏季限定の弁当、
「夏の吹き寄せ弁当 ゆめ花火」\1,300、伊右衛門500ml\150を購入する。
弁当を持ってはやて1号に乗り込む。
座席は7号車12番E席。
はやて1号は06:56東京を出て上野、大宮に停車した後は仙台、盛岡に停車し、
盛岡でこまち1号と別れて八戸延伸で開業したいわて沼宮内、二戸に停車し、
10:04に八戸に到着する。
東京での乗車率は3割くらいだったが、
上野で5割、大宮ではほぼ満席になっていた。
仙台や盛岡である程度の人数が降りていったが、
それと同時に乗り込む人も多く、
八戸までほぼ満席に近い形で運行されていた。
朝早いダイヤであるということもあるのだろうけれど、
東北新幹線八戸延伸は成功したと云っていいかも知れない。
大宮に着く前に弁当を喰い終わり、仙台までは爆睡する。
仙台をでる頃には車窓は少し曇っていたが、
盛岡につく頃にはまた青空が見えていた。

  ゆめ花火〜お品書き〜

 網打ち冬瓜煮
 椎茸の肉詰め煮
 蓮根の煮物
 いちじくの白染揚げ(田楽みそがけ)
 こぼうの煮物
 帆立煮
 御所車人参煮
 絹さや
 玉子焼き(築地すし玉青木)
 姫鯛の南蛮焼き
 たこ旨煮
 木の葉豆腐煮
 釜たき山くらげ醤油煮
 甘海老の唐揚げ
 抹茶ゆず団子
 鱧と茄子の南蛮漬け(三色さしみコンニャクのせ)

 ぜんまいご飯(国産有機認証米)
 いくら

NRE大増 総料理長 横山勉

2004/07/21 23:22

※写真:早朝の御茶ノ水駅 撮影時刻 2004/07/15 06:35:55


  6.津軽海峡夏景色

東北新幹線はやて1号は10:04に八戸に着く。
この駅にはもう何回か来ているのでよく分かっている。
在来線への乗り換え改札を潜り、
5番線に停車している「スーパー白鳥1号」の、
予約を入れてある4号車7番A席に旅行用バッグを置き、
1番線から発車する快速「うみねこ」を取材する。
北陸新幹線はやてと八戸接続の特急「白鳥」や「つがる」は、
八戸駅で接続を取るようにダイヤが組まれている。
はやて1号で八戸まで行けば、
白鳥1号に接続するように設定されている。
それと同時にはやて1号と接続するように八戸線の快速「うみねこ」にも接続する。
快速「うみねこ」はキハ48形を使用した快速車両で、
10:16に八戸を出て12:01に八戸線の終点である久慈に到着する。
これの車両取材をしてから再び5番線の「スーパー白鳥1号」に戻る。
「うみねこ」の取材に時間を取られて慌てて5番線に戻ったため、
自販でペットボトルのお茶を買っている暇が無くなってしまう。
仕方がないので車内販売で買えばいいかと思っていたが、
結局青森に到着するまで車販は回ってこなかった。
10:16に八戸を出たスーパー白鳥は約1時間で青森に着く。
ここでスイッチバックして函館を目指す。
青森駅や函館駅は駅で乗客を降ろしてそのまま列車を連絡船に積みやすくするため、
港に垂直に駅が設置されている。
そのため連絡船が廃止されて青函トンネルが出来た時、
逆方向に行く路線から分岐する線形しか取れなくなってしまった。
青森からは津軽線に入って中小国駅過ぎから津軽海峡線に分岐し、
函館では江差線の木古内から分岐して青函トンネルに入る。
八戸から出たJR東日本所属485系3000番台「白鳥」や、
JR北海道所属789系「スーパー白鳥」は、
ここでスイッチバックして函館を目指す。
同じ八戸接続特急のJR東日本所属E751系「つがる」は、
青森でスイッチバックして奥羽本線弘前まで行く。
スイッチバックで停車している僅かの間にホーム売店で伊右衛門500ML\150買う。
前回購入したリンゴ味の銅鑼焼きを買おうと思ったが、今回は売っていなかった。
青森を11:20に出た「スーパー白鳥1号」は、
12:02に青函トンネルに突入する。
車販が巡回してきたのは0:00p.m.になってからだった。
ここでサンドイッチ\500を購入して間食として喰う。
青函トンネルを抜け北海道に入ってから暫く行き、
13:12に「スーパー白鳥1号」は函館駅に滑り込んだ。

2004/07/25 18:40

※写真:函館駅に到着したスーパー白鳥1号 撮影時刻 2004/07/15 13:27:45


  7.あゝ、函館は今日も雨だった

函館駅を降りると駅前は改修中で、
函館駅前バスターミナル案内所も撤去されていた。
その代わり、函館商工会議所の売店で市電1日乗車券を販売していた。
ここで市電1日乗車券\600を購入し、早速市電取材する。
札幌市電は過去2回の函館旅行でも取材していたが、
1回目は大雪で、2回目は大雨で十分取材できず、
まだ7電停が未取材のままである。
今回は札幌接続の「北斗」の乗車を遅らせて、
3時間半の取材時間を作って函館市電未取材電停全電停取材をする。
函館駅前から一端魚市場通に行き、
逆方向に向かって千歳町、堀川町と取材していく。
函館駅前では「箱館ハイカラ號」を見かける。
堀川町から一つ戻って昭和橋を取材しようかと思っていたが、
この電停で一緒に降りたおばさんから、
「左に行けば海に出られるから、右に行ってもないもないよ」と教えられる。
おいらは別に風景写真を撮りに来たわけではないのだが、
首からカメラを提げていたので親切に教えてくれたのだろう。
本当は市電の写真さえ撮れればいいのだが、
わざわざ説明するのも面倒なので海の方に歩き出す。
直ぐに戻ればいいやと思っていたら、このおばさんも後からついてくる。
親切にもほどがあるぜっ!
彼女の足が悪いのをいいことにどんどん先に行き、
途中で曲がって昭和橋の電停に行く。
千代台、杉並町、市民会館前と取材して今回の取材を完了する。
市民会館前から函館駅前まで戻る途中、雨が降り出した。
函館取材で雨や雪に降られなかった時はない。
今回も最後に雨が降ってきた。
しかし既に全電停の取材が終了した後なので今回は雨の影響はなかった。
本当なら時間まで車両取材しようかと思っていたが、
雨が降り出したので函館駅に戻り、
「和華」でカニ炒飯\750喰う。
本当は車中で駅弁を喰うつもりだったが、
時間が出来たので咲に昼食を取る。
国産のページへで昼食を喰った後、
2階のギャラリーでサラブレットの写真を見て、
既に寝台特急「日本海」が入線していることを知りホームに行く。

2004/07/25 15:23

※写真:函館駅前の「箱館ハイカラ號」 撮影時刻 2004/07/15 13:38:21


  8.札幌の夜

寝台特急「日本海」は大阪から函館までを結ぶ寝台特急で、
「日本海4号」は16:39に函館を出て大阪を目指す。
函館から青森までは青函トンネル線用の電気機関車、
ED79型が牽引する。
逆向きには「はまなす」のヘッドマークを付けている。
青森に行ってから札幌に向かう「はまなす」を牽引するのだろう。
函館駅で「日本海」にED79型電気機関車の連結シーンや、
これから乗るキハ281系「スーパー北斗」、
留置してあったディーゼル機関車DE10型1692号機、
485系3000番台「白鳥」、
キハ40形気動車等取材する。
ひととおり取材してから一端改札を出てコインロッカーから旅行用バッグを取り出し、
売店でいかめし\360、自販で生茶500ml\150購入して再び改札を潜る。
16:43函館発のスーパー北斗17号に乗り、札幌を目指す。
既に昼食を喰ってしまっていたが、
車中で間食代わりにミニいかめしを喰う。
イカめしを喰った後、爆睡する。
やはり疲れが出ていたのだろうか・・・。
登別の手前で上りの“北斗星2号”とすれ違う。
これは19日に乗って帰ってくる列車である。
19:43予定通りに札幌に着く。
函館から札幌までは丁度3時間である。
札幌駅を北口に出て電話で予約してあった東横イン札幌北口にチェックインする。
既に2回目だったので迷わず行く。
今回は3泊分だったのでクレジットカードを使用し、
金券のテレフォンカードは使わなかった。
@6,980×3=\20,940。
シーズン料金のために冬期よりも\2,000高かった。
部屋に入ってちょっとくつろいでから着替えだけして直ぐに出掛ける。
8:30p.m.には部屋を出て、
札幌駅パセオ内「札幌ラーメン えぞっこ」で、ラー麺と炒飯のセットを喰う。
定価\819(780)が\737になっていたのでこれをオーダーする。
ラー麺は味噌、塩、醤油と\100増しでタンメンから選ぶことが出来る。
勿論味噌をオーダーする。
この後札幌駅で車両取材する。
カメラのISOを800まで上げて夜間撮影する。
本当は22:00発の急行「はまなす」のほか、
23:00特急「まりも」、23:02特急「利尻」を取材するつもりだったが、
明日が今回の旅で一番過酷であるために「はまなす」の取材後、撤収する。
売店で札幌タイムズスクエアや北海道限定のお茶等買い、
更にLAWSON札幌北7条西一丁目店でビールなど買い、
部屋に戻ってシャワーを浴びてからビール飲む。
0:00a.m.には消灯する。

2004/07/25 16:38

※写真:夜の東横イン札幌北口 撮影時刻 2004/07/15 22:23:34


  9.アロー・スルー・ミー

7月16日金曜日、北海道旅行2日目。
6:20a.m.に起床し、シャワーを浴びて7:00a.m.を待ってロビーに降りる。
無料の朝食、おにぎり、味噌汁、パン、コーヒー等喰う。
一端部屋に戻って歯を磨いてから7:30a.m.にはホテルを出る。
札幌駅に行って少し写真を撮る。
自販で伊右衛門500ml\150買い、売店でブルボンチュエル\160買い、
08:00発のスーパーホワイトアロー3号に乗り込む。
「スーパーホワイトアロー」は直訳すれば“超、白い矢”になるが、
これは781系「ライラック」を補完する形で投入された、
JR北海道の開発としては初めての電車特急785系である。
元々この区間には781系「ホワイトアロー」という特急が存在していたが、
それがバージョンアップした形である。
そのほかの気動車特急は統一したデザインが取られているが、
785系は全体がシルバーメタリックで、
独自のデザインを取っている。
正面のデジタル表示は特急らしいが、
それ以外はまるで地下鉄の車両のようである。
JR札幌駅に入線してくる様子を見ていると、
まるで地下鉄が迷い込んでしまったように思える。
731系普通電車よりも通勤形電車っぽいと思う。
北海道第一の都市“札幌”と第二の都市“旭川”を1時間20分で結ぶ。
JR北海道の中でも主力路線の主力特急と位置づけていいだろう。
5両編成で4号車のみが指定席である。
指定席である4号車は普通の座席より座り心地のいいuシートを採用している。
“uシート”はグリーン車普通車の中間に位置するもので、
普通車でもuシートがあり、特別料金が必要である。
「スーパーホワイトアロー」は指定席がuシートで、
指定席料金を払っているので追加料金は必要ない。
車内はほぼ満席であった。
チュエルを喰いながら車窓を眺め、09:20に旭川に到着する。

余談だが、Arrow Threw Meが収録されているのアルバム“BACK TO THE EGG”は、
原点に返ろうとしたポールの意向に反して、
Wingsの事実上のラストアルバムになってしまった。

2004/08/02 22:32


  10.「ノロッコ」に乗ろっと・・・

10:20にスーパーホワイトアロー3号を降り、
車両取材してから改札を出て旭川駅を取材する。
旭川での取材時間は33分で、
ここで札幌を30分遅れて出発したスーパー宗谷1号を待つ。
駅取材を十分した後に車両取材をしようと思って再び入場する。
この時、旭川から10:03に出る「富良野・美瑛ノロッコ号」が入線してくることを知る。
09:53旭川発のスーパー宗谷1号に乗らなければならないが、
それまでの時間はこの「富良野・美瑛ノロッコ号」の取材に当てる。
「富良野・美瑛ノロッコ号」はトロッコ客車をディーゼル機関車が牽引するもので、
専用塗色を施したDE15型2516号機が就任している。
DE15型はラッセル除雪用のディーゼル機関車で、
勿論2516号機はラッセル装置は取り外されている。
ここで入線する車両を取材し、
更に客車や牽引ディーゼル車を取材していると、
人が良さそうな男が近づいてきて、
「写真撮りましょうか」と云ってくる。
この男は誰だろうと一瞬躊躇していると、彼は「私は車掌です」と云った。
ノロッコの雰囲気を損なわないように、
車掌も制服ではなくラフな格好をしている。
そして出発までの時間に機関車と一緒に乗客に写真を撮ってあげるのも、
彼なりのサービィスなのだろう。
ディーゼル機関車の前面部に乗って写真を撮って貰う。
おいらは乗客じゃないんだけれどね・・・。
でも折角の機会なので「ノロッコ」に乗ろっと思った。
(結局、駄洒落オチか・・・)
因みに「ノロッコ」とは「のろのろ走るトロッコ列車」の意味で、
観光ポイントではわざとのろのろ走ってくれるのである。
鉄道を単なる移動手段と考えれば、1分でも早く着くことが顧客サービスだが、
全く逆転の発想で鉄道車両からの車窓を楽しんで貰うことに主眼を置いて、
わざとゆっくり走ることを顧客サービスにしたのがノロッコ号である。
JR北海道は沿線に観光スポットが多いことと、
ダイヤが閑散としていてこういう列車を走らせやすいということもあって、
「富良野・美瑛・・・」意外にも、
釧路から塘路までを結ぶ「くしろ湿原ノロッコ号」を走らせている。
車掌に写真を撮って貰って直ぐに退散した。
kioskでJR北海道限定のお茶を買って、
09:53、スーパー宗谷1号に乗り込む。
車内は思ったよりも混んでいた。

2004/08/02 23:30

※写真:旭川駅に停車中の富良野・美瑛ノロッコ号 撮影時刻 2004/07/16 09:50:45


  11.宗谷本線完乗、ふたつの案

09:53に旭川に入線してきたスーパー宗谷1号に乗り、
稚内を目指す。
今日の計画は日本の鉄道の中で最北の駅、稚内の駅取材であり、
同時に稚内駅に行くということは宗谷本線を完乗することになる。
旅行の前からこの稚内行きには二つの予定を用意していた。
第1案はこのまま旭川から稚内までスーパー宗谷で行き、
稚内で約3時間半を取材に当てる。
第2案はスーパー宗谷を名寄で下車し、
ここから稚内まで普通で行くという作戦。
普通では宗谷本線全駅に停車し、
更に音威子府では7分、幌延では22分の停車時間がある。
この時間を利用して駅取材をしたい。
宗谷本線に乗ってからもどちらの案にするか迷っていたが、
天気もいいし、思い切って第2案を決行する。
当然、第1案の方が体的には楽であるが、
敢えて、フォトグラファーとして棘の道を歩むことを決意する。
それ程大げさなことではないけれど・・・。
10:47、スーパー宗谷1号は名寄駅に到着する。
この駅で多くの乗客が下車していった。
名寄駅は嘗ては興部(おこっぺ)までを結ぶ名寄本線、
そして深川までを結ぶ深名線の始発駅であり、
3つの路線が乗り入れる要の駅であったが、
名寄本線、深名線が廃止になり、
今は宗谷本線の途中駅に過ぎなくなってしまった。
それでも駅の前は整備されていてバスのロータリーもあり、
スーパー宗谷の停車駅にもなっていている。
しかし近くの大型小売店舗は閉鎖されていて、
駅前商店街もシャッターが閉まっている店もあって活気がない。
名寄での取材時間は、稚内行きの普通列車の出発までの約2時間あり、
昼食は駅前にあった「三星食堂」でカツ定食\850、アイスコーヒー\150等喰う。
ここはうどん、そば、ラーメン、定食と何でもある大衆食堂で、
看板には“SINCE 1914”と書かれている。
1914年といえば、年号でいえば大正3年になる。
つまり90年も続いていることになり、
名寄の衰勢をずっと駅前で見続けてきたのだろう。
大衆食堂では味は期待できないと思ったが、
思ったよりもきちんとした料理を出していた。
ここを出てからベンチで時間を潰し、12:42名寄始発の稚内行き気動車を待つ。
待っている間に名寄駅オリジナルのオレ・カ3枚購入する。

 −参考−

 第1案

09:53旭川−スーパー宗谷1号(215/3_35)−13:28稚内[205/3_25]
16:53稚内−スーパー宗谷4号−(297/4_57)21:50札幌

 第2案
09:53旭川−スーパー宗谷1号−10:47名寄[115/1_55]
12:42名寄−普通下り 4329D・4333D(3_57)−16:39稚内[14]
 ※12:42名寄−普通下り(66/1_06)−13:48-13:55音威子府[7]−普通下り(109/1_49)−
   15:14-15:36幌延[22]−普通下り(63/1_03)−16:39稚内[14]
16:53稚内−スーパー宗谷4号−(297/4_57)21:50札幌

2004/08/03 23:14

※写真:旭川駅に到着したスーパー宗谷 撮影時刻 2004/07/16 10:07:00


  12.音威子府

0:30p.m.過ぎ、稚内行き気動車キハ54形513が名寄駅に入線してきた。
キハ54形は国鉄がJRに分割民営化する時に投入された気動車で、
JR北海道に投入されたキハ54形は寒冷地仕様の500番台である。
JR四国で使用されているキハ54形はデッキがないが、
車内の暖気を逃さないようにするためにデッキが設置されている。
座席は183系国鉄型特急車両で使用されているものと同じものが使われ、
普通車ながら座り心地は悪くなかった。
しかも1両編成ながら乗客はそれ程多くなく、
ゆったりと座っていくことが出来た。
12:42に名寄駅を出て12駅を進み、13:48に音威子府駅に着く。
“音威子府”は「おといねっぷ」と読む。
多分アイヌ語を無理矢理漢字に置き換えたのだろう。
考えてみれば「稚内」もずいぶん慣れているからそれ程違和感を感じないが、
“稚”を「わっか」という読み方は「稚内」以外にはない。
これも多分アイヌ語なのだろう。
北海道にはこうしたアイヌ語のものと思われる珍名が多い。
漢字に置き換えることが出来ない「ニセコ」や「キロロ」等という地名もある。
この駅の停車時間は僅か7分。
この時間で改札の外に出て駅取材する。
ここは嘗ては天北線の分岐駅になっていたが、
JR化2年後に廃止されてからは単なる通過駅になってしまった。
ここは駅蕎麦の「音威子府そば」が黒い麺で有名だそうである。
残念ながら、僅か7分では蕎麦など喰っている暇はなかったが・・・。
13:55に再び音威子府を出る。
ここから10駅行ったところで幌延に到着する。
途中、車窓からは牧場も見え、線路の直ぐ近くでも牛が草をはんでいる場面が見られた。
幌延では22分の停車時間があり、ゆっくりと駅取材する。
15:36に幌延を出て稚内を目指す。
音威子府を出てからは乗客がひとり、つまりおいらしかいなくなる区間も出てしまったが、
幌延でまた何人か乗ってきた。
ここからまた北へキハ54形は目指すのであった。

2004/08/04 23:11

※写真:音威子府駅 撮影時刻 2004/07/16 13:59:58


  13.最北端の駅

15:36に幌延を出たキハ54形はまた約1時間、宗谷本線を北上し、
16:39に稚内に到着した。
折り返し札幌を目指すスーパー宗谷4号となるキハ261系は、
稚内のひとつ手前の南稚内に停車していた。
スーパー宗谷1号として稚内に13:28に到着し、
ここでずっと待機していたのであろう。
稚内での取材時間は14分。
16:53には札幌に向かうスーパー宗谷4号が出発する。
これに乗り遅れたら今日は札幌に戻れなくなってしまう。
稚内駅に停車して駅取材する。
駅には「日本最北端 稚内驛 北緯45°24′44″」と書かれている。
駅取材後に改札内に入場し、キハ261系の取材する。
線路の終末には「最北端の線路」と書かれ、
「最南端から北へ伸びる線路はここが終点です。」と書かれていて、
「昭和3.12.26.開駅『指宿枕崎線 西大山駅』」と、
「昭和3.12.26.開駅『宗谷本線 稚内駅』」という看板が立っている。
この先は駐車場があってその先は既に宗谷海峡が広がっていて、
もうここから線路は造ることはないということを物語っている。
宗谷海峡は日本海とオホーツク海の間の海である。
名寄から3時間57分、とうとう最北端の駅まで来ることが出来た。
滞在時間は僅かだったが、
しかし最北端の駅に来たのだという感慨はあった。
どんなに科学が進歩し、インターネットなどで情報網が充実しても、
写真を撮るという作業は現場に行かなければ出来ない。
その事に価値があるし、現場の空気間というか雰囲気というものを肌で感じることが、
良い写真を撮ることの近道でないかと思う。
また現場の空気間をファインダー越しに切り取ることが出来た写真が、
良い写真であると思う。
それまでは本気で考えたことはなかったが、
折角最北端の駅に来たのだから、
今度は最南端の駅、指宿枕崎線の西大山駅も取材したいと思う。
今度九州に取材に行くことがあったらここも取材することにしよう。
そんな思いを抱きながら、16:53札幌行きのスーパー宗谷4号に乗車する。
結局取材するので時間がなくなってしまい、駅弁を買う暇もなかった。
ホームの自販機でお茶だけ買う。
車内販売で「わっかない弁当」という幕の内弁当を購入する。
かにの佃煮、いくら、ホタテ、酢いか、鶏肉唐揚、エビフライ、鮭、いかフライ、
煮物(竹の子、フキ、油揚、コンニャク)、もみじ子、玉子、赤坂かまぼこ等。
少し早いが車中で夕食代わりに喰う。

2004/08/05 22:43

※写真:最北端の駅「稚内駅」 撮影時刻 2004/07/16 16:54:19


  14.297分−4時間57分鉄道の旅−

稚内を16:53に出発したスーパー宗谷4号は297分、
即ち4時間57分後の21:50に札幌駅に到着する。
この乗車時間は林檎乃麗の鉄道の旅の中で最も長い旅になった。
考えてみれば、秋田新幹線「こまち」で、
こまち1号で東京から秋田に行くのでも、
東京発06:56、秋田着10:56で、240分、つまり4時間丁度である。
更に1時間近くも長い旅というのは想像を絶する。
こまちで秋田から東京に帰ってきた時も、
あまりの長さにウンザリしたものだが、
今回はそれより更に長い旅である。
北海道というところが如何に広いかを切実に感じる旅でもあった。
この記録は2日後の特急「北斗星」乗車によってあっさりと破られるのだが、
それでも昼行列車の乗車時間としては最高記録を堅持している。
車販で購入した駅弁を食べてそのあと爆睡してもまだ時間が余っている。
持参した村上春樹のコラム「村上ラヂオ」を読み、
更にボッーとしながら札幌に着くのをジリジリと待っている。
たった14分の駅舎材のために片道約5時間を掛ける。
馬鹿みたいである。
いや、“・・・みたい”ではなくておそらく本当に馬鹿なことだと思う。
でも、そうやって実際に現場に行くことでしか写真は撮れない。
そのことが経済合理性だけでは推し量れない浪漫であり、
フォトグラファーとしての試練でもある。
そんなことをつらつら考えているうちに、漸くキハ261系は札幌駅に到着した。
車内は思ったよりも混雑していて、指定席はほぼ満席に近かった。
車中で夕食はすませてしまったが、
さすがに5:00p.m.過ぎに夕食を喰ったので小腹が空いてきている。
そこで札幌に着いてから札幌ステラプレイスのレストランフロアに行き、
夕食を喰おうと思った。
建前は11:00p.m.まで営業となっていたが、
ほとんどの店は既にオーダーストップになっている。
「中国麺飯居 北老虎(ペイライオー)」でラーメンを喰おうと思ったが、
ここでも既にラストオーダーが終わってしまったと云われる。
とほほ・・・。
仕方がないので駅から出て北口を歩き回り、
「かつや」でかつ丼セット\680喰って、コンビニでビールなど買ってホテルに戻る。
考えてみれば昼食もトンカツだったような気がする。
しかも「かつや」はこの前の九州旅行の時も、
長崎で長崎チャンポンが喰えずにこの店に入ったような気がする。
なんだか因縁の店だな・・・。
シャワーを浴び、ビールなど飲んで1:00a.m.過ぎには就寝する。

2004/08/06 02:42


  15.ふたつの“夕張”

7月17日土曜日、北海道旅行3日目。
6:20a.m.に起床し、シャワーを浴びて7:00a.m.を待ってロビーに降りる。
無料の朝食、おにぎり、味噌汁、パン、コーヒー等喰う。
同じホテルに連泊しているのだから当然なのだけれど、
昨日の朝と全く同じメニューだった。
一端部屋に戻って歯を磨いてから7:30a.m.にはホテルを出る。
これも昨日と全く同じである。
札幌駅に行って少し写真を撮り、08:02のスーパーとかち1号に乗車する。
特急「とかち」、「スーパーとかち」は札幌から帯広までを結ぶ。
同じルートを行って釧路まで行く列車は「スーパーおおぞら」と呼ばれる。
「とかち」は国鉄時代からあるキハ183系気動特急列車、
「スーパーとかち」、「スーパーあおぞら」はJR北海道が開発した特急車両、
キハ283系がその任に赴いている。
キハ283系は1997年3月に登場した制御振り子式特急型気動車で、
側面には振り子式車両である“FURICO 283”と書かれている。
札幌から55分、新夕張駅に到着する。
ここでキハ40形単行気動車に乗り換えて夕張駅を目指す。
夕張は炭坑の街として栄えたところで、
千歳から夕張までの路線と、新夕張から新得までの二つの路線に分けられているが、
実際には新夕張から夕張までは事実上は盲腸路線となっていて、
新夕張と夕張の間を往復する列車がメインで千歳から夕張まで直通する車両は少ない。
特急と接続を取って夕張行きの列車が出るため、
新夕張では駅取材をせずに単行キハ40形に乗り込む。
思ったほど乗客は多くなかった。
夕張といえば今は「夕張メロン」で有名だが、
実際にこの街を訪れる人は少ないのだろう。
以前から夕張駅は無人の寂れた駅だという情報を得ていたが、
実はこの新夕張駅も特急の停車駅ではあるが、
ホームから見た感じでは駅前にこれといった建築物はなく、
ターミナルとなる駅とはとても云えないようである。
6分の乗り換えで夕張行きの気動車に乗り換え、
26分の旅で夕張に着く。
途中の清水沢駅の近くには映画「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地がある。
夕張駅に到着してびっくりしたのだが、
無人駅の寂れた場所を想像していたのだが、
駅前には近代的な「ホテルMt.レースイ」があって、
寂れた感じを想像していたイメージは大きく裏切られた。

2004/08/11 23:22

※写真:札幌駅で出発を待つスーパーとかち1号 撮影時刻 2004/07/17 07:55:19


  16.夕張駅の衰退と再生

現在の夕張駅は3代目の駅である。
3代目の駅舎ではなく、3カ所目の駅ということなのである。
それは“夕張”という街の持つ歴史と大きく関わっている。
夕張は石炭産業とともに発展してきた街であった。
最初に駅が出来たのは1892年(明治25年)11月である。
現在の夕張駅から更に2.1km先の街の奥に設置されていて、
そこから更に貨物専用線が炭坑まで延びていた。
石炭は明治時代の富国強兵の名の下に、
日本の産業振興に大きく貢献した。
そのため初代の夕張駅には集積してきた石炭を運ぶために、
多くの側線に石炭車が常駐していたという。
しかしエネルギーの主流が石炭から石油に移り石炭の需要も減すると、
それとともに炭坑も次々と閉鎖していった。
そして夕張の炭坑も例外ではなかった。
炭坑が閉鎖されると夕張の街は大きく衰退していった。
街の奥まで伸びていた線路は1.3km縮小され、
町の中心部に駅は移された。
しかし往年の繁栄を見てきた初代の夕張駅とは打って変わって、
貨物列車の廃車で作られた簡易の待合室があるだけの、
無人の寂れた駅になってしまった。
普通はこのまま現在まで続くか、
或いは路線そのものが廃止されてしまうのが北海道の地方路線の辿ってきた運命である。
盲腸路線での終着駅である夕張も同じ運命を辿るかと思えた。
しかし街は再生を目指して試行錯誤し、
日本中にその名を轟かす「夕張メロン」をはじめ、
スキー場や映画祭などの観光にその活路を見いだそうとした。
冷水山にレースイスキー場を造り、
その麓に「ホテルMt.レースイ」を作って観光客を呼び込もうとした。
しかしこのレースイスキー場の麓は2代目の夕張駅からは800m手前になる。
このスキー場やホテルを開発した松下興産はここに駅の開業を誘致した。
しかしJR北海道側は僅か800mの距離に駅は作れないと主張、
そのため大胆にも2代目の夕張駅を廃止し、
路線を800m縮小してレースイスキー場の前に駅を移動した。
初代の夕張駅が廃止され、街の中心に駅が移されたのが1985年10月だった。
それから僅か5年の1990年12月に、夕張駅は再び移された。
冬場にはスキー客で賑わい、
また映画祭が催される「ホテルMt.レースイ」では映画館が併設され、
訪問時には「長崎ぶらぶら節」「白昼の無頼漢」「007・ドクターノオ」が上映されていた。
「長崎ぶらぶら節」は吉永小百合、渡哲也主演のなかにし礼直木賞受賞作の完全映画化、
「白昼の無頼漢」はまだ霊界の使者となっていない若い頃の丹波哲郎が主演で、
曽根晴美、中原ひとみ、八代万智子出演の深作欣二作品、
「007・ドクターノオ」はショーンコネリーがボンドを演じていた、
シリーズ第1作の映画だ。
僅か9分の滞在時間では駅舎の写真を撮るのがいっぱいいっぱいだったが、
それでもこの街が再生に向かって新たな道を歩んでいるのは十分に分かった。
09:38の折り返しに乗って10:00丁度に新夕張に戻ってくる。

2004/08/14 10:56

※写真:夕張駅付近の「ホテルMt.レースイ」 撮影時刻 2004/07/17 09:45:40


  17.急遽予定変更!

予定では夕張からの折り返し列車で10:00に新夕張に着き、
ここで1時間33分取材の後に、
11:33の「とかち3号」で帯広に行く事になっていた。
計画を立てた時は特急の停車駅なのだから、
それなりに開けた場所だろうと思っていた。
しかし実際は違っていた。
札幌から「スーパーとかち1号」で新夕張にやってきた時、
車窓から見た風景だけで「コリャ駄目だ!」と思った。
とても1時間33分の取材に耐えうる素材はない。
駅舎も有人ではあるが駅前にはロータリーはあるものの他に取材対象はなく、
あっという間に取材し終えてしまう。
そこで予定を変更して、
10:05の「スーパーおおぞら3号」に乗って帯広に行くことにした。
この列車は夕張からの折り返し列車に接続する特急で、
つまり本来ならホームを移動するだけの時間しかない。
その5分の間に改札を出て駅舎を取材し、
再びホームに上がって「スーパーおおぞら3号」に乗車する。
神業的な取材だが何とかこれをこなし、
10:05に札幌方面からやってきた「スーパーおおぞら3号」に乗車できた。
勿論事前に指定席を取っていなかったので自由席に乗る。
最初は禁煙席に乗ったのだが満席でデッキにまで人が溢れていたので、
これまでの経験から喫煙席の方に行ってみる。
思った通り喫煙席の方はまだ座席の空きがあった。
圧倒的に禁煙席の方が多いにもかかわらず、
自由席は、・・・多分指定席もそうなのかも知れないが、喫煙席の方が空いている。
予定では新夕張で駅弁を買って帯広までの車中で喰うつもりだったが、
時間が早すぎるので車販ではお〜いお茶350ml\150だけ買い、
昼食は帯広に着いてから取ることにする。
10:05に新夕張を出た「スーパーおおぞら3号」は11:35に帯広に到着する。
予定より1時間59分早い到着である。

2004/08/16 22:48

※写真:鬼首山のトンネルから出るキハ283系 撮影時刻 2004/07/17 10:16:06


  18.豚丼!

帯広に着いて乗ってきた「スーパーおおぞら3号」を見て、
それがキハ283系試作車であったことを知る。
試作車は前面のヘッドライトのケーシングが四角形になっていて、
増備車の外側が丸く縁取られているのは異なっている。
またスカート部分の空き部分も連結器よりも大きく取られている。
更に停車中のキハ150形も取材し、改札を出る。
次の下り列車は12:38の普通釧路行きであった。
外に出て駅舎取材をした後に昼食を取る。
帯広駅は札幌や旭川に次いで駅前が開けている駅であった。
東通り北口、東通り南口、西通り北口、西通り南口の4カ所を取材する。
そのあと駅構内のエスタ西館内の飲食店街を歩き、
「ぶたはげ」という豚丼専門店に入る。
他の店はまだ0:00p.m.前ということでそれ程混んでいなかったが、
この店だけは外に待っている人がいた。
そういえば雑誌で帯広は帯広は豚丼の発祥の地で、
十勝産の豚肉は厚いのに柔らかいと書いてあった。
そこで時間もあることなのでこの店を選んだ。
豚丼(4枚)\895をオーダーする。
確かに美味い。
雑誌に書かれたとおり、厚みがあるのに噛まないのに千切れるほど柔らかい。
これには感動した。
それにタレも豚肉に絶妙にマッチして、いい。
豚丼は「ぱんちょう」という店が元祖で、
ここははげ天グループの店になる。
はげ天は天麩羅が専門の店だが、
豚丼も取り入れて帯広を中心に釧路など6店舗を展開する。
「ぶたはげ」は駅ビルの中にあるスペースの狭い店にもかかわらず、
昼前から多くの客で賑わっていて、帯広の豚丼の地位を不動のものにしていた。
値段は全然違うが、
それでもここの豚丼を喰ったら「吉野家」では豚丼は喰えない。
ここで十分豚丼の味を堪能したあと、
ソフトクリームが喰いたくなったので駅前にあった長崎屋に向かう。
ここならフードコーナーがあるだろうと思ったからだ。
思った通りフードコーナーがあり、
ここでミックス(北海道メロン+バニラ)\210喰う。
余裕をコイていたら0:36p.m.になってしまった。
次の下り列車は0:38帯広発である。
あと2分しかない。
目が点になってしまった。
慌てて店を出て全力疾走で帯広駅に向かい、
改札口を通って長いエスカレーターを駆け上ってギリギリ0:38帯広行きに間に合う。
車掌に大声で呼びかけて発車をちょっと待って貰った。
地方では本数が少ない分、こういう融通が利くのがいいところだ。
食後の運動にしてはかなりハードだった。

2004/08/16 23:23

※写真:帯広駅内の豚丼専門店「ぶたはげ」 撮影時刻 2004/07/17 12:22:26


  19.ワイン城の恐怖

帯広から乗ったキハ40形709号車は33分かけて池田に着く。
ここは当初の予定は取材する予定は無かったが、
新夕張での取材時間をここの取材に当てることにした。
池田は北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線との分岐駅であり、
またワインでも有名な場所である。
北海道ちほく高原鉄道は廃線や廃止の続いた北海道鉄道の中で、
唯一第三セクター方式で生き残った旧国鉄池北線で、
松山千春や鈴木宗男で有名な足寄(あしょろ)もこの路線の中にある。
池田には13:11から9分間停車している。
池田駅だけ取材して再びこれに乗ろうかと思ったが、
結局池田駅で予定していた特急に乗ることにする。
駅で写真を撮っているとある男が声をかけてきて、
カメラのシャッターを押して欲しいという。
快く受けると「コルク抜きとワイン城が写るようにしてください」と云われた。
「ワイン城・・・」初めてその言葉を聞いた。
池田がワインで有名なのは知っていたが、
ワイン城というものがあるのは知らなかった。
丘の上に微かに見える灰色の建物がワイン城というらしい。
当初の予定ではここでの乗り換え時間は3分だったが、
新夕張での取材時間をここに持ってきたので1時間16分ある。
そこで丘の上に見えるワイン城まで行ってみることにした。
距離的にはそれ程ではないが、
丘の上にあるため上り坂がきつく、ワイン城に辿り着くまでにはヘトヘトだった。
池田ワイン城は正式名称は「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」といい、
池田町名産の十勝ワインの啓蒙のために造られたもので、
今は改修工事中で地下熟成室見学者通路と町営レストランがプレオープンしていて、
展示ルームとショッピング・サービスエリアは来年4月になってからである。
地下熟成見学者通路では係員がいて試飲させてくれ、更に中にまで見せてくれた。
ワイン城からは逆に麓の池田駅が小さく見えた。
ここから戻って14:27発のスーパーおおぞら5号釧路行きに乗車する。
釧路までは1時間15分の旅だった。

2004/08/22 20:48

※写真:丘の上の「池田ワイン城」 撮影時刻 2004/07/17 12:22:26


  20.さよなら湿原の夏

釧路駅での取材時間は36分である。
駅の改札口はひとつしかなく、駅取材には十分すぎる時間である。
張り紙によると今年5月30日で“釧路ステーションデパート”が閉店し、
地下改札口が閉鎖になったとのこと。
これが北海道のおかれている現状なのかも知れない。
釧路からも「釧路湿原ノロッコ号」が設定され、
それに合わせてホームには「釧路驛 湿原の鐘」が設置されている。
釧路の湿原は元々有名であるが、
水森かおりの「釧路湿原」でますます有名になった。
彼女の曲によって観光効果も上がっているのだろう、
駅舎にも「紅白歌合戦連続出場」との垂れ幕があり、
そこには「JR釧路支社も応援しています」と書かれている。
駅取材後、駅の中にある「やまだ」て゜おにぎりを買い、
16:18釧路始発の「スーパーおおぞら10号」で終点の札幌まで戻る。
おにぎりの具は梅干しと葱味噌だった。
釧路を出た時はまだ午後の日差しが車内に差し込み眩しいくらいだったのだけれど、
徐々に残照が弱まり、日が暮れていくのが分かった。
夜の帳が降りてくるのを感じながら列車に揺られる旅というのも悪くない。
20:13に札幌に到着する。
札幌駅アピア内の「みそラーメンのよし乃」で味噌ラーメン\700+味付たまご\100喰う。
麺は加藤製麺製の玉子麺で、味はまあまあ悪くない。
ここは旭川で有名な店だそうで、
「APIA INFORMATION」には、
「旭川寒水を使った麺は、炭酸カルシウムが豊富。
麺通をうならせる少加水の太ちぢれ硬質麺が、
ちょっぴり辛めのこってりとした味噌スープに絡んで、絶妙です。」とある。
LAWSON札幌アピア店でビールなど買い、kioskでおみあげなど買ってホテルに戻る。
シャワーを浴びてビールを飲み、0:15a.m.には消灯する。

2004/08/22 21:19

※写真:釧路駅ホームの「釧路驛 湿原の鐘」 撮影時刻 2004/07/17 16:17:48


  21.北の国から

7月18日日曜日、北海道旅行4日目。
6:20a.m.に起床し、シャワーを浴びて7:00a.m.を待ってロビーに降りる。
無料の朝食、おにぎり、味噌汁、パン、コーヒー等喰う。
同じメニューも3日目になるとさすがに飽きてくる。
一端部屋に戻って歯を磨いてから7:30a.m.前にロビーで降りてきてチェックアウトする。
3連泊した東横イン札幌駅北口とも今日でさよならである。
旅行用バッグを北口のコインロッカーに預けて、
カメラだけ持ってJR札幌駅の改札を潜る。
今日はキハ183のジョイフルトレイン「クリスタル・エクスプレス」を使用した、
富良野行き臨時特急「フラノラベンダーエクスプレス1号 」に乗り、
終点富良野まで行くことにする。
ジョイフルトレイン「クリスタル・エクスプレス」は、
キハ183系500番台をベースに新造された観光特化の特急車両である。
キハ183系は北海道を中心に一部九州でも活躍していた、
国鉄型特急気動車の基本型で、
現在でも「ライラック」や「すずらん」、「北斗」など、
JR化後に新造されたキハ281、キハ283、キハ261を補完する形で活躍している。
1989年にJR北海道のジョイフルトレインとしては5番目に登場した。
JR北海道はそのエリア的な問題で、
他の分割民営化されたJRグループよりも困難な経営を強いられた。
経済が冷え込む中でビジネス需要も頭打ちとなり、
観光への注力が必須課題となっていて、
そのためジョイフルトレインも次々と開発され、実践投入されていった。
「クリスタル・エクスプレス」もその中のひとつであり、
全身がシルバーメタリックの運転席2階タイプで前面眺望に考慮した設計で、
ハイデッカー車となっている。
また投入当初は3両編成だったが、
翌年にはダブルデッカーに4人用個室や4人用ボックスシートを配備した車両を加え、
現在では4両編成で運転されている。
特にラベンダーのシーズンであったこともあって、
この列車は指定席は満席、自由席は立ち客も多くいた。
08:04に札幌駅2番線を出発し、
岩見沢、滝川、芦別と停車して09:58には富良野に到着する。
車内には各席から見えるようにモニターが随所に設置され、
運転席からの眺望を放映しているほか、
途中からは富良野の大自然の様子をビデオで流したりもしている。
富良野と云えばやはりドラマ「北の国から」で有名になった場所であり、
この列車が富良野に着く直前の車内BGMは、
やはりさだまさしが唄う「北の国から」のテーマソングだった。
“ソング”と云ってもほとんどスキャットだけれども・・・。

2004/08/24 01:04

※写真:JR札幌駅に停車中のクリスタル・エクスプレス 撮影時刻 2004/07/18 08:08:55


  22.幻の“ラベンダー畑”

フラノラベンダーエクスプレス1号は09:58に富良野駅に到着した。
そこから富良野線旭川行きの普通電車に乗り換える。
乗り換え時間は4分間。
ここまで乗ってきたクリスタル・エクスプレスの写真を慌てて撮り、
すぐに隣のホームのキハ150-1に乗り込む。
既に満員で立ち客も車内に溢れていた。
フラノラベンダー・エクスプレスに乗ってきた客の大半は、
この時期に咲くラベンダーが目当てなのだろう。
富良野から富良野線に乗り換えて中富良野や、
ラベンダー畑で下車して「ファーム富田」へ行くのが大半だ。
ラベンダー畑駅は中富良野と西中の中間に、
6月5日から10月11日の間だけ設置される臨時駅で、
普通の臨時駅は駅そのものは設置されていて、
普段は停車せずに通り過ぎてしまうのが普通だが、
この駅は駅そのものが期間の時だけ急設えで作られる幻の駅である。
改札口はないが駅員が常駐していて、
改札業務や記念オレンジカードの販売などを行っている。
ラベンダーの見頃は7月の上旬から下旬で、
ここを訪れた時が正しく見頃の時であったため、
ここで下車する客も多く、「ファーム富田」まで長い列が続いていた。
しかし今回は駅取材が目的だったので「ファーム富田」までは行かず、
駅取材しただけで富良野行きの普通電車に乗って富良野まで戻る。
ラベンダー畑駅は鉄パイプを組んでそこに木材の板を渡しただけの駅で、
本当に臨時駅の雰囲気があり、ある意味貴重な駅である。
10:41に富良野に戻り、ここで駅取材する。
「北の国から」で有名になったためか、観光客は多かった。
改札を潜って側線に留置中の「クリスタル・エクスプレス」を取材していると、
フラノラベンダーエクスプレス3号として、
「ノースレインボー・エクスプレス」が富良野にやってきた。
このジョイフルトレインはJR北海道の6番目に製造したキハ183使用の車両で、
レインボーと云いながら実際は5両編成である。
駅には手書きの詩が掲げられていた。

   都会ではなく 田舎でもなく
   観光地でもなく
   北海道でさえないような
   不思議な時間が流れる町。
   ラベンダーの花香る
   北の国・富良野から
   初夏のスケッチをお届けします

これの取材などしながら51分の取材時間を使い果たし、
11:32富良野発の快速「狩勝」で滝川に向かう。
キハ40単行車両だった。

2004/08/24 22:23

※写真:鉄パイプで組み立てられた“ラベンダー畑駅” 撮影時刻 2004/07/18 10:35:45


  23.おあずけ!

11:32富良野を出た快速「狩勝」は根室本線を北上し、
12:35に滝川に到着した。
“滝川”が今回の旅行の取材の最後の駅となる。
滝川での取材時間は23分。
函館本線の駅であり、根室本線の始点でもある。
この駅は正直云って観光地の駅でもなく、大都市の駅でもない、
中途半端な地方都市の駅といった感じだった。
石狩川河川敷を利用したグライダーのためのスカイパークがあるが、
他には特質するほどのものもなく、
駅前には大型商業施設がシャッターを下ろしていて、
北海道の地方都市の持つ現状がここにも垣間見られる。
本当はここで駅弁を買って札幌行きの「ライラック10号」に乗り込むつもりだが、
観光地ではないために駅弁というものが売っていない。
仕方がないので列車に乗ってから車内販売で買おうと思った。
特急「ライラック」は札幌から旭川を結ぶ列車で、
同区間を走る「スーパーホワイトアロー」を補完する形で運行されている。
まだまだ北海道は非電化区間が多く、
その列車のほとんどが気動車だが、
札幌−旭川区間は電化されていて、
従って「スーパーホワイトアロー」も交流型電車特急785系だが、
「ライラック」も国鉄時代から使われている781系を使用している。
13:01に特急「ライラック10号」は滝川に入線してきた。
乗車時間は57分。
ここで席について車内販売がくるのを待つが、
いつまでたってもワゴンサービスが来る気配がなかった。
札幌−旭川間は90分なので、車販はないのかも知れない。
考えてみれば16日に「スーパーホワイトアロー」に乗った時も、
車販は無かったような気がする。
自販で生茶500mlを買っておいといたのがせめてもの救い・・・。
朝食以来ほとんど何も喰わず、空腹を堪えて惨めな気持ちのまま、
14:00に特急「ライラック」は札幌駅に滑り込んだ。

2004/08/24 23:00

※写真:滝川に停車中の781系「ライラック」 撮影時刻 2004/07/18 13:14:42


  24.札幌市電補完取材

予定では14:00に札幌駅に到着し、
帰りの北斗星2号出発時間の17:12までの約3時間を、
札幌市電補完取材に当てるつもりだった。
しかし滝川で駅弁を買い損ない、車販も無くて昼食を喰えなかったため、
市電取材の時間を少し削って駅弁を買ってベンチで喰うか、
或いは市電取材を中止してラーメンを喰いに行こうかと思った。
少し迷ったが結局予定通り札幌駅バスターミナルで1DAYカード\1,000を購入し、
市営地下鉄南北線ですすきのに出て、市電取材を開始する。
すすきので市電に乗って最初の取材駅の山鼻19条に行く。
見える範囲にコンビニでもないかなと思ったが、
開いている店はENEOSしか無かった。
おいらはペスターじゃないんだから、ガソリンスタンドじゃどうしようもない。
西線16条、西線11条、戻って西線14条と取材する。
西線14条でLAWSONを発見し、
ここでおにぎり2個と生茶を買い、取材しながら喰う。
これじゃ仕事中と変わりない。
あるにはそれ以下だ。
しかし3:20p.m.を過ぎて漸く昼食にありつけたのは有難かった。
更に西線6条、西15丁目、西8丁目と取材し、
4:00p.m.には未取材電停の全ての取材が完了した。
この時間になると既に吹き抜ける風は冷たかった。
北斗星2号の出発時間まであと1時間。
今回の旅行の全ての取材を完了し、撤収した。
西4丁目まで出て大通から東西線でさっぽろまで戻る。
4:30p.m.には札幌駅に到着する。
出発まで約30分。
この30分という時間は喫茶店で時間を潰すには短すぎるが、
ホームで列車が入線するのを待つには長すぎる中途半端な時間である。
会社などへのお土産を購入し、
コインロッカーから旅行用バッグを出して、
夕食用の駅弁「夏のお祭り弁当」購入し、更に自販で生茶も購入する。
これは列車に乗り込んでから思ったのだが、
どうせならここでビールを買っておけばよかった。
少し早いがホームに上がって北斗星2号が到着するのを待つ。
5:05p.m.頃、重連のDD51型ディーゼル機関車に牽引されて、
14系15形客車の「北斗星」が入線してきた。

2004/08/24 23:23

※写真:午後の西4丁目電停 撮影時刻 2004/07/18 16:18:04


  25.北斗星

寝台特急「北斗星」は、
1988年の青函トンネル開通と同時に設定され、
初めて首都圏と北海道を乗り継ぎ梨で結ぶことに成功した列車である。
東京エリア−札幌エリアでの時間競争だけを取ってみれば、
航空機には絶対適わないが、
ゆったりと夜を過ごしながら朝には目的地についてすぐ行動できるという、
夜行列車のメリットが評価されて意外と人気がある。
各地の夜行列車が乗客不足やそれによる廃止などに苦しんでいるが、
「北斗星」だけは一日2往復が設定され、
ピーク時には臨時の北斗星や更に同区間をオールB寝台で走る「エルム」、
更に「北斗星」の上位バージョンとして1編成だけ存在する「カシオペア」など、
この区間の夜行列車の人気は衰えない。
「北斗星」もゆったりと夜の旅を楽しんで貰うために、
“グランシャリオ”と名付けられた食堂車を連結するなど、
豪華な旅を演出する用意がされている。
札幌から函館までが非電化区間であるためDD51型ディーゼル機関車の重連、
函館から青森までが青函トンネル線用のED79型電気機関車、
本州に渡って青森からは交直流型のホープ、EF81型電気機関車が牽引する。
B寝台と同料金の個室「ソロ」も用意されているが、
今回はハイシーズンということもあって、
取れたのは“Bコンパートメント”といって4人用個室で、
相席として使用するために個室にはならず、
事実上の単なるB寝台と同じである。
予約が取れたのは喫煙可能な11号車6番上段で、
17:12発というかなり明るいうちからベットの上に押し込まれて窮屈な思いをした。
それでも初めての寝台列車の旅である。
まず買い込んだ駅弁「夏のお祭り弁当」を喰う。
これは「弁菜亭/(株)札幌駅立売商会」という会社の作った弁当で、
北海道の食材にこだわった「地産地消」コンセプトの駅弁ということで、
酢飯、コーン焼売、餡もち、煮物(茄子、しめじ、牛蒡、ふき)、鮭、ポテトタラコ和え、
帆立、昆布玉子焼き、イカ、鶏肉、アスパラ、海老、銀杏、鰻、いくら、蟹など。
夕食を喰い終わってしまうと特にやることもなくなってしまった。
この旅は988分、16時間28分の旅である。
夜はまだ長かった。

2004/08/25 01:15

※写真:JR札幌駅に停車中の24系25形「北斗星」 撮影時刻 2004/07/18 17:15:49


  26.スイッチバック

17:12に札幌を出た北斗星2号は、南千歳、苫小牧と走って室蘭本線に入り、
登別、東室蘭、伊達紋別、洞爺、長万部と行って函館本線に入り、
八雲、森と停車して21:39に函館に到着する。
ここまでは非電化区間を通るために、
DD51型ディーゼル機関車が重連で牽引する。
寝台列車牽引用のDD51型はブルートレインに合わせて青く塗色され、
さらに北斗星を意識して車体には星がデザインされている。
弁当を喰ってから持参した村上春樹のエッセイなどを読んで過ごす。
札幌を出た時にはまだ日が高かったが、
函館に到着する頃にはすっかり夜の帳が降りていた。
ここで北斗星はスイッチバックする。
もともと函館と青森は青函連絡船が繋いでいたため、
駅で乗客を降ろしてそのまま列車を連絡船に乗せられるように、
駅は港の間際に設置されている。
そのためこの二つの駅は駅の片側はすぐに海になっており、
この駅を途中停車する列車は進行方向を逆にする、
スイッチバック運転を行わなければならない。
両端に運転席のある電車や気動車ならば運転手が反対側に移ればいいのだが、
機関車の牽引の場合は手っ取り早く別の機関車を逆側に連結すればいい。
北斗星の場合もここで別の機関車が反対側に連結する。
青函トンネル専用の電気機関車ED79型である。
函館の停車時間は9分。
ここで一端ホームに出た多くの客はED79型の写真を撮ろうとしていたが、
11両編成に電源車を連結しているこの列車の長さから、
ED79型の正面からの撮影は不可能と判断し、
ここまで牽引してきたDD51型重連の写真を撮る。
その判断は正しかった。
そこがシロウトとフォトグラファー林檎乃麗との違いなのだ。
写真を撮ったあと、売店でビールを買おうと思ったが既に閉まっていた。
仕方がないのでロビー車の自販機でクラシック350ml\250購入する。
スイッチバックで逆側に走り出し、
青函トンネルを潜って青森を目指す。
青函トンネルに入る前の10:00p.m.に車掌から消灯の案内がある。
こんな時間に寝たのは子供の頃以来かも知れない。
青森の到着時間は0:04で、ここで7分停車して上野までの牽引機関車、
EF81型電気機関車を逆側に連結する。
勿論ビールの酔いもあって熟睡していて、この連結作業は全く気がつかなかった。

2004/08/25 22:17

※写真:JR函館駅に停車中のDD51型ディーゼル機関車 撮影時刻 2004/07/18 21:53:24


  27.小原庄助さん、何で身上潰した?

走っている列車で寝るという経験は、実は今回が初めてだった。
全然寝られないのかなとも思っていたが、思った以上に熟睡できた。
この4日間の疲れが溜まっていたかからも知れないが、
線路の上を走る定期的なリズムのある揺れは寧ろ心地良いのかも知れなかった。
6:15a.m.になって自然に目が覚めた。
ベッドの中で微睡んでいると、6:30a.m.くらいになって車掌から車内放送があった。
列車は東北本線をひたすら南下していて、既に仙台、福島と停車していた。
06:38には郡山に停車する。
郡山で降りる客も何人かいた。
車内放送で、郡山で弁当を積み込み、それを車販するという。
7:10a.m.くらいになって漸くワゴンサービスがやってきて、
幕の内弁当\1,000と札幌玉露入りお茶\130買う。
幕の内弁当は「小原庄助べんとう」という(株)福豆屋の弁当だった。
何故、小原庄助なのかはよく分からないが、
しめじご飯、鮭、白身魚フライ、えび天ぷら、鶏肉八幡巻、
煮物(イカボール、たけのこ、その他)、にしん昆布巻などが入った二段重ねの弁当である。
これらの料理が小原庄助と関係があるとは思えないが、
この料理をつまみに朝酒をしろということなのだろうか。
小原庄助といえば会津地方の民謡「会津磐梯山」の囃子文句に登場する、
朝寝坊で、朝から酒を飲んで風呂に入り、財産を食い潰したという体たらくの人物だが、
この人物が実在していたのだろうか。
「エンヤー、会津磐梯山は宝の山よ。笹に黄金が、エーまたなりさがる」という唄のあと、
「小原庄助さんなんで身上潰した。朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上潰した。
もっともだ、もっともだ。」とある。
この人物が実在していたのかは正直云ってよく分からないのがほんとらしい。
しかし朝6:15a.m.から起きて「小原庄助べんとう」を喰うというのも変な話だ。
まあ、朝早く起きたし、ビールは買わずにお茶で我慢したし、
それに列車の中だから風呂にも入れないので身上(しんしょう)を潰す心配はない。
潰すほどの身上もないが(^_^;)
08:10に宇都宮、09:13に大宮に停車し、そしていよいよ09:40に上野に到着する。

2004/08/25 22:46

※写真:小原庄助べんとう 撮影時刻 2004/07/19 07:33:17


  28.モーニング・コーヒー

上野に着いてここまで牽引してきた電気機関車EF81型を取材する。
EF81型は交直型の電気機関車で、
交流区間の東日本エリアの50KHzも西日本エリアの60KHzも走ることが出来る。
つまり原則として電化区間なら何処でも走れるという万能型電気機関車で、
長距離の寝台客車や高速貨物列車の牽引に活躍する。
関東に住む人間にとってはEF81型に牽引された北斗星というのが、
最も見慣れたスタイルともいうことが出来る。
これで全ての予定は終了したが、
最後にちょっと小腹が好いたので「Bravo上野中央口」で、
モーニング・パニーニセット(ツナサラダ+ホットコーヒー)\500喰う。
Suicaの電子マネー機能使用。
朝7:00p.m.過ぎに朝食を喰ったので、おなかが空いてしまった。
それに最後に温かいコーヒーが飲みたかった。
今回は取材旅行の中でも最長記録になった。
それでも動けないほどの疲労感はなかった。
このあとまた写真を撮りに行けと云われれば、そのまま行ってしまったかも知れない。
この後一端「ぐるり北海道フリーきっぷ」で改札を出て、
Suica定期券で再び入り直す。
山手線で秋葉原に出て、総武緩行線で幕張まで帰る。

 −取材結果−

2004.7.15._1 撮影 399枚 保存 32枚
2004.7.15._2 撮影 32枚 保存 2枚
2004.7.16 撮影 269枚 保存 49枚
2004.7.17 撮影 307枚 保存 58枚
2004.7.18.-19. 撮影 452枚 保存 72枚

 合計     撮影 1459枚 保存 213枚 保存率 14.59%

2004/08/26 21:38

※写真:JR上野駅に停車中のEF81型電気機関車 撮影時刻 2004/07/19 09:59:15





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