長月四国純情物語



  1.四国縦断取材計画

春には九州新幹線開業を記念して九州に旅行をし、
夏には4泊4日とちょっとで北海道旅行をした。
だからというわけではないが、9月の恒例のバースディ旅行には四国を選んだ。
四国は以前に広島と岡山を旅行した時に、帰りに少しだけ寄った。
・・・と云うよりも、瀬戸大橋を渡ってみたくて高松に来てしまい、
高松からの帰りの飛行機が取れなかったので、
仕方がなく特急「うずしお」で徳島に移動して、ここから帰ったのである。
つまり四国はあくまでも旅程の中ではオマケであって、
四国をメインにした旅行というのは今までしたことがなかった。
そこで9月のANAの“超割”期間中に四国旅行を計画した。
四国はその名の通り香川、徳島、愛媛、高知の4つの県があり、
高知と愛媛の松山にライトレール、乃ち路面電車が走っている。
今回の旅行はこの高知の土佐電と松山の伊予鉄道の取材を中心に組むことにする。
高知と松山は四国の南と北に位置し、その間には巨大な山々が連なり、
高知と松山を直接結ぶ鉄道は施設されていない。
そのため高知からは土讃線で一度多度津まで行き、そこから予讃線で松山まで行く。
このルートが最短で、それでも乗車時間だけで3時間36分、
実際には4時間以上掛かるだろう。
宇和島経由だったら6時間以上掛かることになる。
そこで高松で1泊して翌日に松山まで移動することにする。
余談だが土讃線は「どさんせん」と読み、
高知の旧名“土佐”と香川の旧名“讃岐”の間を行く路線ということ、
予讃線は「よさんせん」と読み、愛媛の旧名“伊予”と讃岐の間を行くという意味である。
このルートで以下の様な予定を組んだ。

−9月11日(土)−

08:35羽田空港−ANA561便−09:50高知龍馬空港
10:00高知龍馬空港−土佐電リムジンバス−10:37JR高知
 ※高知駅取材
11:46高知駅前−土佐電−11:49はりまや橋
 ※土佐電車両取材
12:56はりまや橋−土佐電−12:59高知駅前
13:40高知−普通250D−13:58後免
14:28後免−ごめん・なはり線−14:30後免町
 ※土佐電後免町電停取材
15:17後免町−ごめん・なはり線−15:19後免
15:29後免−普通249D−15:47高知
16:01高知−南風22号−17:47宇多津
18:21宇多津−いしづち26号−18:42高松
19:00高松−普通379D−19:05栗林公園北口
 ※東横イン高松チェックイン

−9月12日(日)−

07:45 ※東横イン高松チェックアウト
08:36瓦町−高松琴平電気鉄道−08:40高松築港
09:00JR高松駅入場
10:38高松(7)−いしづち11号(151/2_31)−13:09松山
 ※車両取材
 ※JR松山駅観光案内所“市内電車・ループバス1Dayチケット”\300購入
14:20〜伊予鉄道市内線電停取材
18:20JR松山駅前−伊予鉄リムジンバス−18:35松山空港
19:10松山−ANA598便−20:30羽田空港

しかしこの計画は挫折することになる。

2004/09/13 23:25


  2.修正された四国縦断計画

高知龍馬空港に降りて1日目に高知取材をするという計画は挫折した。
超割のチケットが取れないのである。
今回の9月の超割は9日木曜日から15日水曜日までだが、
この区間全ての便に超割の設定があるわけではないようである。
東京羽田から高知への便は1日4便で、
そのうち一番早い08:35羽田発09:50高知着のANA561便は、
12日日曜日と13日月曜日にしか設定がない。
その次の便になると11:25羽田発12:40高知着になってしまう。
これでは十分な取材が出来ない。
そこで1日目に松山を取材し、逆ルートを辿って高知から帰るルートに変更してみた。
しかし松山も1日6便あるうち、
朝一番早い07:25東京08:45松山は12日日曜日と13日月曜日にしか設定がなかった。
次の便は09:25羽田10:45松山で、松山での取材時間が短くなってしまう。
そこでいろいろと悩んだ挙げ句、
最終手段として高松空港に降りる日程を決定した。
高松空港ならば11日土曜日も朝一便から超割の設定がある。
そこで高松−高知間の移動の時間の分だけ、
高知からの帰りの時間を遅らせて予定を組んだ。
今度のホテルは駅から遠いようなので、はじめから夜撮は諦めた。
そこで以下のような予定に組み直し、決定した。

 −9月11日(土)−

05:44幕張−総武緩行線下り515C−06:25秋葉原
(06:04幕張−総武緩行線下り535B−06:46秋葉原)
06:30秋葉原−京浜東北線南行509A−06:39浜松町
(06:30秋葉原−山手線外回り651G−06:57浜松町)
06:45浜松町−東京モノレール下り−07:06
(07:00浜松町−東京モノレール下り−07:18)
(07:05浜松町−東京モノレール下り−07:26)
 ※発券、搭乗手続き、手荷物検査
 ※朝食
08:10羽田空港−ANA631便−09:20高松空港[15]
09:35高松空港−コトデンバス−10:10JR高松駅[28]
 ※四国遊きっぷ購入 \3,000
 ※コインロッカー使用
10:38高松−いしづち11号(21)−10:59宇多津[25]
 ※いしづち11号→11:02しおかぜ11号と連結、11:05発
 ※宇多津駅取材
11:24着11:31発−うずしお9号(18)−11:49高松[20]
12:09高松−しまんと7号(131/2_11)−14:20後免[8]
14:28後免−ごめん・なはり線(2)−14:30後免町[81/1_21]
 ※土佐電後免町電停取材
15:51後免町−ごめん・なはり線(3)−15:54後免[23]
16:17後免−南風13号(8)−16:25高知[113/1_53]
 ※駅弁購入
18:18高知−しまんと6号(139/2_19)−20:37高松[15]
 ※コインロッカー
 ※東横イン高松に電話 087-831-1045
20:52高松−うずしお27号(4)−20:56栗林[0]
20:56栗林−普通7378D(4)−21:00栗林公園北口
 ※東横イン高松チェックイン

 −9月12日(日)−

07:45東横イン高松チェックアウト
08:00高松琴平電気鉄道瓦町に入場
 ※瓦町駅取材
 ※08:06瓦町−高松琴平電気鉄道−08:10高松築港[50]
  08:21瓦町−高松琴平電気鉄道−08:25高松築港[35]
  08:36瓦町−高松琴平電気鉄道−08:40高松築港[20]
09:00JR高松駅入場
 ※車両取材
  09:10(6)しまんと5号
  09:21(5)マリンライナー18号
  09:26-28(5)うずしお4号
09:38(7)いしづち9号(149/2_29)−12:07松山
 ※車両取材
  12:11-12:18 宇和海11号
 ※高松駅を退場
 ※コインロッカー使用
 ※JR松山駅観光案内所“市内電車・ループバス1Dayチケット”\300購入
12:30〜伊予鉄道市内線電停取材[360/6_00]
 ※全停取材
 ※コインロッカー
18:20JR松山駅前−伊予鉄リムジンバス−18:35松山空港
19:10松山−ANA598便−20:30羽田空港

この計画に合わせて東横イン高松に電話で予約を入れる。
当初の予定では栗林公園北口からホテルまで歩くつもりでいたが、
電話をかけた時に問い合わせたところ、
高松からホテルまで無料タクシー送迎があるとのこと。
高松に着いたらホテルに電話して欲しいといっていた。
これは良いことを聞いた。
JR高松駅からは少し遠いのでこういうサービスをしているのだろう。
これに乗らない手はない。

2004/09/14 00:50


  3.プチ・トラブル

何時も会社に行く時間に起床するが、
休みの日は髭を剃らないことにしているのでその分早く出られる。
05:44の総武緩行線で秋葉原に行き、06:30の京浜東北線で浜松町まで行く。
事前の計画ではここで10月の旅行の指定席を取るために、
みどりの窓口に寄るつもりでいたが、
この予定がホテルの予約が出来ないことから中止になったため、
乗り換え時間6分の06:45の東京モノレールに乗れる。
早めに空港に着いた分、ゆっくりと朝食を喰うことにする。
ANAの自動チェックイン機にクレジットカードを入れ、
ネットで予約していた航空券を発券しようと思ったが、
「お取り扱いできません」のメッセージが出て、
カウンターで手続きするようにと指示が出てしまう。
仕方がないのでカウンターに行くと、
係員の女性が就きっきりでクレジットカードによる発券を試してみるが、
それでも「お取り扱いできません」のメッセージが出てしまう。
そこでこの係員が奥にいって改めて発券してくる。
予定してきた機体が変更になったため、
事前座席予約した場所が取れずに変更になったのが理由とのこと。
ネット上では“14A”を予約していたのだが、
実際は“16A”になったとのこと。
まあ、たいした問題ではないけれど・・・。
このあと手荷物検査を受けるが、ここで引っかかってしまう。
ポケットにコインを入れっぱなしにしたわけでもないのに何故だろう・・・。
係員から靴を脱いで下さいと云われ、
靴が手荷物検査装置の中を潜っていった。
スリッパでゲートを潜ったらそのまま通れた。
テロ対策で手荷物検査がかなり厳しくなっているようだが、
最近では靴にもかなり神経を配っているのだろう。
搭乗口は34GATEで1階からバスによる搭乗機移動だった。
それは良いのだけれど、1階の売店には弁当が売っていなかった。
1階はエアー日本商事の経営する売店で、弁当は万世の万カツサンドしかなかった。
仕方がないので再び2階に行って売店で、
「中華 彩鳳」のシュウマイ弁当\750買ってベンチで喰う。
「彩鳳」は羽田空港限定の弁当で、崎養軒に対抗して登場した。
海老焼売になっているのが特徴的である。
バスで搭乗機に移動してANA631便に搭乗した。
08:10に離陸して大阪上空を通って四国の高松に向かう。
離陸している途中に雲から頭を出した富士山が見えた。

2004/09/20 11:47

※写真:乗客搭乗中のANA631便 撮影時刻 2004/09/11 08:14:19


  4.四国遊〜土佐くろしお鉄道設立の経緯〜

09:20に高松空港に到着した。
この時期の四国なので台風の影響も懸念していたのだが、
高松は快晴だった。
先週、先々週と終末には台風が来て高松築港も波に洗われている映像などを見ると、
今回の旅行も中止しなければならないかと思っていたが、
無駄な心配に終わったようだ。
コトデンバス\740でJR高松駅に行き、
まずはみどりの窓口で「四国遊きっぷ」を購入する。
これはANAの“超割”利用者のみに適用される切符で、
JR四国の全線が一日\3,000で特急自由席を含めて乗り放題なのである。
しかも実際に購入するまで知らなかったのだが、
土佐くろしお鉄道会社線全線も含むになっている。
土佐くろしお鉄道は国鉄再建法で特定地方交通線となった中村線を引き受け、
高知県を中心に地元の自治体が90%以上を出資して作られた第三セクターである。
設立は1986年5月8日で、
翌年には中村線の中村から宿毛までの宿毛線を施設する免許を受け、
1997年10月1日に開業した。
宿毛線の免許交付から1年後には予定線だった阿佐線の免許も交付された。
しかし第三セクターで財政的に体力のない土佐くろしお鉄道は、
宿毛線開業に注力したため阿佐線には手つかずのままで、
阿佐線が開業したのは2002年7月1日になってしまった。
阿佐線は始点と終点の名を取ってごめん・なはり線という愛称名がついた。
この区間の一部の後免−安芸間は元々土佐電が路面電車で繋いでいたが、
徳島から海岸沿いを走って日和佐を通り、安芸から後免に至る阿佐線が計画され、
土佐電安芸線は廃止され、用地は国鉄に売却された。
後免−奈半利間は阿佐西線と呼ばれ、
徳島から阿佐線として延びた路線は日和佐を通り海部まで延び、
その先8.5kmの甲浦までは第三セクターの阿佐海岸鉄道が結んでいる。
ごめん・なはり線が延伸して阿佐東線と繋がり、阿佐線が完成することは多分ないだろう。
元々阿佐西線も免許交付から開業までに14年の歳月が掛かったのだ。
この先の開業はもうないだろう。
ごめん・なはり線は改正鉄道施設法の最後の開業路線といえる。
改正鉄道施設法は1892年(明治25年)6月21日に交付された法律で、
国が建設すべき鉄道路線を定めたものである。
それまでの鉄道は官設の東海道線を除くとそのほとんどが民間が施設したもので、
北海道を除く33路線が掲載されていた。
1920年に鉄道省が発足した後に更に地方路線の拡充を図るため、
1922年4月11日に改正鉄道施設法が公布され、149路線が掲載、
更に別表として52路線が順次掲載されていった。
その中に四国ノ部、107番目として、
「高知県後免ヨリ安芸、徳島県日和佐ヲ経テ古庄附近ニ至ル鉄道」として掲載されていた、
その路線の一部であり、
法律施行後80年2ヶ月19日後に漸く開業したのだった。

2004/09/20 14:40


  5.宇多津と讃岐うどんと「しまんと」

JR高松駅のみどりの窓口で2日分の四国遊切符を購入したあと、
コインロッカーに旅行用バッグを預け、
高松駅構内で車両取材する。
8000系「いしづち」、
121系「快速サンポート」、
キハ185系「うずしお」、
キハ40形、
5000系+223系5000番台「マリンライナー」、
2000系「うずしお」など。
特に本来N2000系で運行される「うずしお」が、
キハ185形や2000系での姿を見られたことは収穫だった。
10:38高松始発の8000系「いしづち」に乗って宇多津に向かう。
宇多津は瀬戸大橋線との分岐の駅で、
瀬戸大橋を渡った児島までがJR四国の管理区分になる。
特急「いしづち」は岡山始発で瀬戸大橋を渡ってきた「しおかぜ」とここで合流、
連結作業を行って松山まで行く。
宇多津は分割併合の見られる駅でもある。
ここで同じ8000系で運行されている「しおかぜ」との連結シーンを見学してから、
改札を出て駅取材する。
思ったよりも大きな駅で新幹線の駅のような雰囲気を漂わせていた。
宇多津で取材したあと、再び高松に戻る。
オレンジカード\1,000購入する。
「思い出の鉄道 181系『しまんと』(四国色)」である。
高松から高知へ行く予定だが、
少し時間があったので駅取材のためにわざわざ宇多津まで足を伸ばしたのである。
予定では11:24宇多津着11:31発の「うずしお9号」で高松まで戻ることにしていたが、
少し早い11:22宇多津着の「いしづち12号」で高松まで戻る。
20分の乗り換え時間で今度は本当の目的地へ行くため、
12:09高松始発の「しまんと7号」に乗り込む。
その前にやはり讃岐に来た以上、これは喰わなければならないと思い、
駅の立ち食い蕎麦で野菜天うどん\400喰う。
高松駅の立ち食い蕎麦屋は店名も「さぬきうどん」になっている。
元々何時も蕎麦よりはうどん派なのだが、ここでは堂々とうどんをオーダーする。
掻き揚げという設定はなく、天麩羅うどんの中に野菜天という設定がある。
しかも面白いことにやはり駅蕎麦だけあってちゃんと「そば」というメニューもある。
これが本物の讃岐うどんなのかは分からないが、
東京のうどんより少しモチモチした食感があるような気がした。
つゆは薄くダシの味が強調されている。
刻み葱の替わりにアサツキが散らしてある。
うどんを喰ってしまったので車内に持ち込む弁当は少し小降りのものの、
むすび弁当\600を売店で購入する。
売店も“高松駅弁総菜店”になっていた。
前回来た時にホームでカレーを喰った店も確か“高松駅弁”の経営だった筈だ。
高松駅の弁当関係は全て“高松駅弁”が仕切っているのだろう。
おむすび3個に卵焼、ウインナー、金時豆、かまぼこ天麩羅、
それにデザートにゼリーまで入っている。
2000系+N2000系「しまんと」、
キハ58形、
5000系+223系5000番台「マリンライナー」、
7000系「快速サンポート」など取材し、
「しまんと7号」に乗り込んで高知方面を目指す。

2004/09/20 16:41

※写真:JR高松駅の「さぬきうどん」 撮影時刻 2004/09/11 11:56:03


  6.ごめん。

12:09に高松を出発した2両編成の「しまんと」は、
宇多津で岡山始発の「南風9号」と連結して高知を目指す。
終点の高知到着は14:28である。
しかし高知までは行かず、ひとつ前の駅で降りてしまうのである。
ごめん・・・。
自販でまろ茶茶葉の功\150購入し、
kioskで黒ごまのソフトクッキー\155購入して「しまんと」に乗り込む。
乗車率は2〜3割程度といったところである。
駅のチャイムは「瀬戸の花嫁」だった。
弁当を喰って爆睡する。
途中目を覚ましたら雨が強く降っていてびっくりしたが、
この列車を降りる頃にはまた晴れていた。
高知のひとつ前の「後免」という駅で下車する。
理由はよく分からないが3分遅れで到着した。
単線路線では特急といえども良く遅れることがある。
「後免」は「ごめん」と読む。
以前、土佐電に「ハートラム」という低床車が導入された時、
その写真を見てびっくりした。
愛くるしい表情にも見える「ハートラム」が上部に「ごめん」と表示しているのである。
何を謝っているのかと思ったのだが、
実はそうではなくて土佐電は伊野から後免町までを結ぶ路線で、
終着駅を顕しているのであった。
それを見て以来、駄洒落にもなりそうなこの町を一度訪れなければと思っていたのである。
後免駅で降りてごめん・なはり線で隣り駅の後免町へ行く。
ここで土佐電が接続しているため、それを取材するためである。
ごめん・なはり線は全駅に漫画家のやなせたかし氏が付けたキャラが設定されていて、
“後免駅”には「ごめんえきお君」というキャラクターがあり、
それのオブジェがやなせ氏の詩とともに設置されている。
「 ごめん駅でごめん やなせたかし
 ごめんごめんごめん
 ごめん駅に行こう
 電車が着くたびに
 ごめんごめんごめん
 ごめん駅みんな
 ごめんごめんごめん
 私もあなたも
 ごめんごめんごめん
 
 ごめんごめんごめん
 言いそびれた言葉
 ごめんごめんごめん
 ごめん駅でごめん
 ごめんごめんごめん
 ごめんねごめんね
 ごめんごめんごめん」
そのオブジェの隣りにのベンチにはちゃっかりアンパンマンも座っている。

2004/09/20 17:08

※写真:後免駅のキャラクター「ごめんえきお君」 撮影時刻 2004/09/11 14:39:14


  7.ごめん、・・・そしてありがとう。

後免駅で14:28発のごめん・なはり線に乗って隣の後免町に行く。
ここは料金を払わなければと思っていたが、
四国遊きっぷでは土佐くろしお鉄道にも乗れるため、
運転手に切符を見せてそのまま下車する。
後免町は後免の隣り駅で、1.1kmの距離である。
ここに来た理由は土佐電の終着駅であるからである。
ここで土佐電の車両取材を1時間21分の撤収までの時間を使ってやる。
後免町はやなせたかし氏のキャラクターでは「ごめんまちこさん」になっている。
しかもやなせたかし氏は後免と後免町ではややこしいと云うことで、
勝手に・・・という訳でもないのだろうけれど、
愛称名を「ありがとう」にしてしまった。
駅名表示には「後免町」は小さく書かれていて、
「愛称 ありがとう駅」がやなせ氏の筆跡で大きく掲示されている。
こうした演出も地方赤字路線ならではの営業努力なのだろう。
少なくてもこうして駅取材に来た馬鹿は一人はいたのである。
たぶんやなせ氏のファンは喜んでくるし、鉄道マニアの間でも肯定派はいるだろう。
こうしたことは話題性には富んでいると思う。
馬鹿馬鹿しと思わずに、ここは営業努力を素直に評価したい。
この駅にもまたやなせ氏の詩が掲示されていた。
「ごめん駅があれば
 ありがとう駅もほしい
 ごめん駅と
 ごめん町駅では
 まぎらわしい
 ごめん町の愛称を
 ありがとう駅にすれば
 ひびきあう
 ふたつの美しい言葉
 ごめんごめん
 ありがとう
 とりがとう
 ありがとう駅
   やなせたかし」
駅取材した後に今度は土佐電の取材をする。
ごめん・なはり線の駅のすぐ近くに土佐電の後免町駅がある。
今はここが終着駅になっているが、
以前はここから更に安芸まで路線が延びていたのである。
そのため、安芸線の線路の一部がまだ残っていたりする。
単線終着駅であるが、直前までは複線になっている。
ここで待って車両取材する。
600形620号オリジナル塗色車(1960年製)、
800形803号塗装広告車(1959年製/旧山陽電気鉄道)、
600形629号塗装広告車(1964年製)、
100形101号3車体連接車「ハートラム」(2002年製)、
200形206号オリジナル塗色車(1952年製)、
600形603号アンパンマン塗装車(1958年製)などを取材する。
この車両取材が撤収期限ギリギリだった。
15:51上りのごめん・なはり線で後免町をあとにする。

2004/09/20 18:00

※写真:後免町駅のキャラクター「ごめんまちこさん」 撮影時刻 2004/09/11 14:55:02


  8.喜多方ラーメンと「しまんと」とタク送

後免町では思った通りの取材が出来た。
ハートラムは平日は1日2回、休日は1日1回しか運転されていない。
土曜日は平日扱いになっていたため、偶然にも取材できた。
運が良かったというしかない。
15:51のごめん・なはり線で後免に戻り、ここで駅取材する。
16:17の「南風13号」で高知に行く。
「しまんと」は本数が少ないため、「南風」と単独運行が多い。
「南風13号」も「しまんと」とは連結していない単独運行だった。
後免では土佐くろしお鉄道の2030系「南風」アンパンマン車も取材できた。
これはJR四国の2000系と同仕様の車両で、
ピンクの車体にアンパンマンが描かれている。
四国はやなせたかしに席巻されているのだろうか。
16:25に高知に到着し、ここで少し車両取材した後、
高知駅で駅取材、さらに土佐電の取材などをする。
高松に戻るまでにまだ時間があったため、
駅内にある「喜多方ラーメン麺小町」でとんこつラーメンBセット\760喰う。
土佐にも確か“土佐っこ”といった御当地ラーメンがあった筈だが、
何故土佐で「喜多方ラーメン」なのだろう。
Bセットは炒飯付きのセットメニューである。
18:18高知発の「しまんと6号」で高松まで戻る。
高知で夕食を喰ってしまったので車内ではお茶だけ飲んで爆睡する。
乗車率は帰りも2割くらいだった。
予定では20:37高松到着だったが、何故か4分遅れだった。
コインロッカーに預けていた旅行用バッグを取り出し、
駅内の四国kiosk経営のビックキオスク高松店で買い物をして、
携帯で東横イン高松に電話してタクシーで迎えに来て貰う。
高松駅ロータリーに隣接するミニストップの前で待ち合わせをしたのだが、
駅を出てミニストップの前に行く途中に既にタクシーが到着していた。
JR高松駅からホテルまでは約1.8kmあり、徒歩だと20分以上はかかる。
重い鞄を持ってこの距離を歩くのは辛い。
タクシー送迎というサービスは有難い。
チェックインのあと、一端部屋に行ったあとにロビーに下りてビール買い、
再び部屋に行ってシャワーを浴び、
デジカメのバッテリーの充電やレンズの掃除などする。
あとはテレビを見ながら、
ビックキオスクで買った一六タルトをつまみにビールを飲む。
しかし一六タルトは正直云ってビールのつまみにはならなかった。
カステラに最高級の白双糖と生柚子で造った独特の餡が入っている。
結局夜は外には出ずに0:15a.m.には消灯する。

2004/09/20 19:12

※写真:JR高知駅に停車中の2000系「しまんと」 撮影時刻 2004/09/11 18:35:57


  9.デカっ!

6:20a.m.に起床してシャワーを浴び、
7:00a.m.を待って1階ロビーに下りて朝食を取る。
おにぎり4個、味噌汁、コーヒー。
ここは意外と混んでいなかった。
札幌では座る場所がないくらいで7:00a.m.前から行列が出来ていたのに・・・。
同じ東横インでは立地条件によっていろいろあるのだろう。
7:30a.m.にはチェックアウトして琴電瓦町まで歩く。
高松駅からホテルまではタクシーで迎えに来てくれるけれど、
チェックアウト後は面倒は見てくれない。
まあ、高松駅まで送るといわれても、
琴電の取材をしたかったので断ったと思うけれど・・・。
ホテルから瓦町までは距離で約950m、徒歩10分の距離だが、
重い旅行用バッグを持っての移動は大変だった。
しかし朝早いためか歩いている人はほとんどいなかったので移動は楽だった。
瓦町駅にたどり着いてびっくりした。
思わず「デカっ!」と声を出してしまった。
地方の中小私鉄ということで、
ターミナルになっているとはいえ小さな平屋の駅を想像していたのだが、
実際は天満屋というデパートの中に入っているため、
駅舎は17mmの超広角でも撮れないくらいにデカかった。
高松天満屋の2階に改札口があり、1階がホームになっている。
天満屋はアテネオリンピックで7位入賞した坂本直子の所属している百貨店である。
高松築港まで\180の切符を買って改札を入場する。
ここは天満屋の1階部分がホームになっているために自然光では写真を撮るのは難しい。
ISOを400にあげて何とか撮影する。
それでも撮影し辛い事は事実なので、08:06の琴平線で高松築港まで行く。
高松築港は終点であるが、ここは乗車と降車のホームが別れていて、
しかも4両分ギリギリのホーム長しかなく、前面の写真が撮れない。
ここでの取材も諦めて改札を出る。
琴電はまた別の機会に取材場所を考えて車両取材をしなければならないだろう。
高松築港から歩いてJR高松駅まで行く。
ここは約200mしか離れておらず、道を渡った反対側がJR高松駅の駅前広場である。
予定ではここで30分の車両取材をしてから、
09:38始発の「いしづち9号」で松山を目指すことになっていたが、
琴電の取材を省いた分だけ時間が余ってしまったので、
1本早い08:44始発の「いしづち7号」で松山まで行くことにする。
松山では6時間の伊予鉄市内線の取材時間を取っていたが、
これで7時間の取材時間が確保できた。
これならもしかしたら全電停の取材を今日中に完了できるかも知れない。
淡い期待を抱いて松山を目指した。
しかしその期待は裏切られることになる・・・。

2004/09/28 23:19

※写真:瓦町駅全景 撮影時刻 2004/09/12 07:58:06


  10.あゝ、松山は雨だった・・・

08:44に高松を出た特急「いしづち7号」は宇多津で「しおかぜ」と連結し、
予讃線を西に進んで松山まで行く。
途中、瀬戸内海が見えた。
11:10には松山駅に到着する。
到着した時には空には分厚い雲が垂れ込めていて日差しを遮っており、
今にも雨が降りそうな雰囲気を称えていた。
「いしづち+しおかぜ」と接続して特急「宇和海」が出発する。
特急「宇和海」は予讃線の終点、宇和島までを行く特急である。
四国はその中心部は高い山に阻まれて鉄道を施設できず、
鉄道は瀬戸大橋で本州と繋がっている高松を中心に北側を予讃線が松山、宇和島と繋ぎ、
南側には後免、高知と窪川まで土讃線が繋ぎ、
予讃線と土讃線を予土線が結ぶ形で大きく循環路線を形成している。
しかし特急が結んでいるのはその一部で、
この区間を一周しようとすると乗車時間だけでも8時間50分、
乗り換え時間を考慮すると12時間36分(駅すぱあと計算データ)もかかる。
また高松から徳島まで高徳線が結び、土讃線佃と高徳線佐古の間を徳島線が結ぶ。
牟岐線は徳島から海部まで延び、その先は阿佐海岸鉄道が甲浦まで延びている。
この路線は土佐くろしお鉄道が土讃線後免から奈半利までごめん・なはり線を施設したが、
最終的には奈半利まで延びて接続する予定だった。
今となっては実現は限りなく難しくなってはいるが・・・。
特急「宇和島」は2000系が使用されていた。
そのほか、偶然TSEも取材できた。
TSEはJR四国が開発した特急用車両のプロトタイプで、
このデータが後の2000系となる。
TSEはTRANS SHIKOKU EXPERIMENTALの略である。
キハ185系3000番台の普通「宇和海」行きなどを取材し、改札の外に出る。
改札の外に出た時は既に雨が降り始めていた。
旅行用バッグをコインロッカーに預け、
観光センターで市内電車・ループバスDayチケット\300購入する。
一日乗り放題で\300とは安い。
全路線距離数9.6km、電停数27ヵ所を\300というのは路面電車の中でも最安値だろう。
乗車する年、月、日を自分でスクラッチで削って使う方式である。
雨は止みそうにもなかったが、松山駅前まで行ってここで写真を撮る。
写真を撮っているうちに小振りになってきたので、道後温泉行きの電車に乗り込んだ。

2004/09/29 23:29

※写真:「いしづち7号」の車窓から見た瀬戸内の海 撮影時刻 2004/09/12 09:35:40


  11.伊予鉄道市内線と鉄道線の現状

伊予鉄道は鉄道線と市内線を営業している地方私鉄である。
鉄道線は松山市駅を中心に、
高浜までを結ぶ高浜線、
横河原までを結ぶ横河原線、
郡中港までを結ぶ郡中線の3路線がある。
高浜線は9.4km、9駅、横河原線13.2km、14駅、郡中線11.3km、11駅である。
高浜は松山観光港まで1.0km、連絡バスでも2分の距離である。
郡中港は予讃線伊予市まで徒歩3分の距離である。
一方市内線はいわゆる路面電車として松山市を回っており、
JR松山駅前から松山城を回るように環状線になっていて、
南堀端から複線で松山市駅前に行く。
環状線は1系統が外回り、2系統が内回りであるが、
全てこの松山市駅で折り返し運転をしている。
上一万で分岐して複線で道後温泉に行く。
松山では一番の観光名所と云っていい道後温泉に繋ぐ路線である。
更に環状線の西堀端から本町六丁目まで本町線が走っている。
この路線は西堀端からは分岐しているが、
本町六丁目では線路は繋がっておらず、
本町線本町六丁目駅は単線の行き止まり駅で、
その僅か先を専用軌道を走る城北線の駅が、
内回りと外回りが左右に分かれて設置されている。
伊予鉄市内線は全面広告車は見あたらず、全てオリジナル塗色なのも見事である。
超低床車の2100形も導入されているが、
連接構造にはなっておらず、1両で走っている。
またここの名物が坊ちゃん列車で、機関車が客車を牽引するスタイルの列車で、
機関車は外見は蒸気機関車をかたどっているが、
実際はディーゼルエンジンを搭載している。
市内線は松山市駅や道後温泉など行き止まりもあるが、
ここでは機関車は内蔵された油圧式ジャッキで車体を上げ、
機関士と車掌が人力で方向転換させる。
何とも風情のある光景だが、それが逆にアトラクションとして人気を集めている。

2004/10/10 21:31

※写真:JR松山駅前電停付近を行く伊予鉄市内線2100形 撮影時刻 2004/09/12 11:58:16


  12.雨の伊予鉄市内線全電停取材

JR松山駅電停は地下道から電停に行く方式で、
上下線では電停の場所が違う。
内回りの電停に行って少し車両取材をして、
まず道後温泉電停に行くことにする。
全電停取材の場合、近くの電停から取材していくのが効果的だが、
今回は天候が心配で何時中断するか分からないので、
まず取材すべきところから順番に取材していくことにする。
JR松山駅前電停で既に超低床車2100形の取材が出来た。
道後温泉電停は有人の電停でちゃんとした駅舎もあり、
電停と云うよりはちゃんとした駅と云っていいと思う。
売店もあってここで坊ちゃん列車の乗車券なども販売されている。
坊ちゃん列車は普通の乗車券では乗ることは出来ず、
特別に大人\300、子供\200の特別料金が設定されている。
特急などと同じ概念ではないかと思う。
そのためか、道後温泉を出て大道町に停まって松山市駅に行く編成と、
同じく道後温泉を出て大街道、JR松山駅前から古町に行く編成とがある。
あとの電停には停まらない。
道後温泉から今度は松山市駅まで行く。
松山市駅は市内線、鉄道線ともにターミナルになっている駅であり、
いよてつ高島屋のビルがあって鉄道線の駅はその中にある。
温情には観覧車まであり、
ここが伊予鉄の中心地であることを主張しているかのようである。
昼食を喰おうと思って地下を散策するが気に入った店はなく、
雨も止みかけていたので南堀端まで歩く。
外回りで大手町まで行く。
ここはJR松山駅前の隣の電停であり、300mしか離れていない。
そしてここは鉄道線が市内線を交差するように横切る。
市内線は鉄道線が通る時は自動車と一緒に踏切を待つ。
古町でも市内線と鉄道線が交差するが、
ここは車両基地にもなっていて、ポイントを信号で切り替えて転線する。
完全に垂直で平面交差するのは全国でもここ大手町だけであり、
路面電車ファンには踏切待ちの車両を見るのは一つの楽しみでもある。
このあと大道街に行く。
ここに行けばショッピングセンター街なので昼食を喰うことも出来るだろう。
大手町から内回りで大街道に向かう途中、
ひとりの女性が話しかけてきた。
そして松山で写真を撮るのなら大街道から松山城に行けばいいと教えてくれた。
そこからロープウェイに乗ることが出来ると教えてくれた。
本当はおなかが空いていたので先に昼食を喰いたかったが、
折角その女性が教えてくれたので、松山城取材に行くことにした。
しかしまたここで予定が狂ってしまうのである。

2004/10/10 22:14

※写真:伊予鉄鉄道線の踏切を渡る伊予鉄市内線2100形 撮影時刻 2004/09/12 13:19:09


  13.休止されたロープウェイと大道街

伊予鉄市内線を大街道で下りてロープウェイ街を登っていく。
大街道で下りればいいと教えてくれた50代ぐらいの女性も大道街で下り、
そして大街道の中に歩いていった。
仕方がないので反対側のロープウェイ街を歩いていった。
ここはロープウェイへ行く道で当然上り坂である。
ホテルで朝食として喰ったおにぎりと昨日の残りの一六タルトしか食べていなかったので、
かなり空腹だったが取り敢えずロープウェイ駅まで行くことにした。
城山公園に行けば何か食事が取れるところがあるかも知れない。
しかしロープウェイ駅までいって目が点になった。
ロープウェイ駅には一枚の張り紙があり、
「改修工事の為、運休しております。」と書かれていた。
とほほ・・・。
ロープウェイ駅の前にはタクシーが列をなしていて、
松山城まで登ろうという客の客待ちをしている。
更に運転手は言葉巧みに松山城ではなくもっと別のところを観光した方がいいと、
客を勧誘している。
頂上までの短距離よりもタクシーで観光させた方が距離が稼げるからである。
勿論、頂上までタクシーで行く気はなく、そのまま大街道まで歩いて戻る。
大街道の中を歩いて昼食が食えそうな店を探し、
「しなとら」というラーメン店に入り、
味噌ラーメン\650、炒飯セット\350喰う。
ここはチェーン店のようである。
昼食を喰って腹がいっぱいになって「さあ、午後からもどんどん取材するぞ」と思ったら、
大街道の外は雨だった。
しかも激しく降り続いていた。
これではとても電停取材は続けられない。
一端道後温泉まで行き、ここで車両取材して少し小振りになったので6系統、
つまり本町線に乗って本町六丁目まで行く。
ここは環状線とは接続しておらず、しかもまた雨は強くなってきた。
雨の中を環状線内回り駅まで行き、ここから古町まで行く。
ここは鉄道線と接続しており、本社機能と車両基地を有していて、
鉄道線と市内線が同じ駅を使っている珍しい駅である。
しかも鉄道線の切符回収は併設されたコンビニの定員が行っている。
ここのコンビニでアイスを買って喰い、駅取材してからJR松山駅前まで行き、
市内線電停取材を断念して駅構内でJRの車両取材をする。
そのうちにまた雨が止んだので市内線電停取材を開始する。
本当はこのまま雨が止まなかったら、隣り駅の市坪に行こうと思ったのである。
と、云うのも松山駅の駅名表示板には隣り駅も乗っているのだが、
「いちつぼ」のところには「野球」というシールが貼ってあり、
しかも「の・ボール」というルビが振ってある。
これがどうも気になったのである。
ここは松山中央公園野球場(坊ちゃんスタジアム)の最寄り駅であり、
だからこそそうなっているのだろうか。
市坪の駅舎がどうなっているのか見てみたい気もした。
しかし結局市内線取材を再開してしまったので、ここの取材は宿題となった。
次に松山に来る時は是非取材したい。

2004/10/10 22:45

※写真:運転休止中の松山城ロープウェイのりば 撮影時刻 2004/09/12 13:33:44


  14.さよなら−坊ちゃん列車と道後ビール

市内線電停取材を再開し、今回は内回りから鉄砲町に行き、
ここから歩いて赤十字病院前まで行き、
ここで取材は終了とする。
飛行機の時間もあるのであんまり深追いはしたくない。
それにどうしてももう全電停取材は無理である。
結局全電停取材を目指していたが、取材できたのは27ヵ所中10ヵ所だけである。
完敗だった。
完全に天候に負けた。
敗北感を抱いたまま松山市駅前まで行く。
ここで昼食を取る場所を探して地下街を歩いた時に、
道後地ビールを売っているのを見かけたからである。
荷物になるので最後に来ようと思っていたのだ。
ここに来て、坊ちゃん列車を見かけた。
この取材の中で何度かみかけたのだが写真を撮ることは出来なかったのだ。
ここに来て坊ちゃん列車が止まっていたのは本当にラッキーだった。
まつちか名店街のまつちか名産店でお土産を買う。
ここで道後地ビール3本セットを購入しようと思ったが、売り切れだった。
とほほ・・・。
日曜日なので入荷がないのが売り切れの理由だった。
JR松山駅前まで戻ってここでコインロッカーから旅行用バッグを出し、
18:06の普通路線バスで松山空港へ向かう。
予定では18:20のリムジンバスに乗るつもりだったのだが、
早めに取材を切り上げたのでこちらの方が早く空港に着くのだ。
18:24には松山空港に着き、ここで直ぐに登場手続きをして出発ロビーに行く。
おにぎりとビールを売店で買って待っている間に喰う。
更に伊右衛門のペットボトルを購入して機内に持ち込む。
19:10のANA598便で羽田に戻る。
夜間飛行なので窓際でも何も見えなかったが、
羽田に着く前に東京湾上空で旋回している時に花火が見えた。
あの場所は多分舞浜辺りなので東京ディズニーランドの花火だろう。
20:30に羽田に到着する予定だったが、遅れて到着したのは20:45だった。
京急で品川まで出て、
JR品川駅構内の「あじさい」で山菜冷やしそば\400喰う。
家に着いたら11:40になっていた。

 −撮影データ−

2004.9.11._1 撮影 400 保存 60
2004.9.11._2 撮影 140 保存 18
2004.9.12._1 撮影 421 保存 54
2004.9.12._2 撮影 140 保存 18

 計       撮影 1101 保存 150 採用率 13.6% 

2004/10/10 23:15

※写真:坊ちゃん列車が走り去る松山市駅前 撮影時刻 2004/09/12 17:43:22





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