続・冬が来る前に〜東海道本線の旅〜



  1.「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」

それはほんの気紛れからだった。
仕事中にたまたまネットを見ていてJR東日本のホームページを開き、
“「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の発売について”という記事を見つけた。
この切符は10月2日土曜日から15日の金曜日までの間、
1券片で3回、或いは3人まで使えて、
JR各社路線全線の快速と普通の自由席及び宮島航路が、
一日乗り放題になるという切符である。
価格はおとな\9,180。
これは言い換えれば青春18切符の短縮版といったところか・・・。
確かに面白い切符ではあるが、
特急や新幹線に乗れないというのはやはり辛い。
若いうちなら良いのだけれど、
さすがに40を過ぎると、
普通電車の堅い椅子に一日中座っているというのは勘弁してもらいたい。
しかしこの切符の良いところはJR東日本以外の場所も使えるということである。
今までの駅取材はどうしてもその切符の構成から、
JR東日本の駅が中心になってしまっていた。
もしこの切符を使うとしたらなどと漠然と考え、
会社の同僚と“ムーンライト”を使わないとしたら、
何処まで行けるだろうなどと話しているうちに、
この切符の可能性について具体的な青写真が見えてきた。
それは東海道本線の旅である。
東海道本線は新幹線を含めてほとんど取材していない。
ただ行くだけなら一日で終点の神戸までも行けなくなもないが、
やはり駅取材に時間をかけなければならないのが林檎乃麗の旅のスタイルである。
名古屋で1泊して神戸まで行き、関空までいって飛行機で帰ることにする。
関空までは直接JRの路線が走っている。
ミッション名「冬が来る前に」で企画していた1泊3日の旅の予定日である、
10月9日土曜、10日日曜、11日月曜の三連休のうち、
9日と10日を使って決行することにする。
在来線普通&快速の旅はかなりの疲労が蓄積するだろうが、
11日月曜日をお疲れ休みにすれば何とかなるだろう。
切符の発売日は10月1日金曜日からだが、
今回は指定席を取る必要がないので問題はない。
先に飛行機と名古屋でのホテルをキープすることにしよう。
こうして東海道本線全線完乗を目指した各駅停車(と快速)の旅の企画はスタートした。

2004/09/21 23:36


  2.大失敗!

10月9日土曜日に名古屋で一泊しようと思ったが、
さすがに三連休で絶好の行楽日和であり、
この日はたとえ都会の名古屋でも宿泊は難しかった。
仕方がないので翌週の16日土曜日に東横イン名古屋駅桜通本館に予約を取る。
それと同時に帰りの関空からの飛行機もネットで予約する。
大阪関空21:10発JAL1320便東京22:15着の便を取る。
座席指定9A、特便割引1\10,100だった。
これをチケットレスでカード決済で購入する。
しかしここまで準備が終わってから大きなミスを犯してしまったことに気付いた。
「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の有効期間は、
10月2日土曜日から15日金曜日までなのである。
つまり16日土曜日には期間外になってしまうのである。
こんな単純なケアレスミスをするとは・・・。
とほほ・・・。
仕方がないのでJALの航空券の方はネットからキャンセルする。
キャンセル料が発生してしまった。
ホテルの方は当日4:00p.m.までだったらキャンセル料が発生しない。
あとは2日土曜日から1泊で行くしかない。
しかしこの日は飛行機のチケットが取れなかった。
あまりにも期日が迫りすぎているからだろう。
仕方がないので翌日JR浮間舟渡駅で新大阪→東京の新幹線のチケットが取る。
新大阪19:30発東京22:06着の「のぞみ154号」6号車15番E席を購入する。
この区間は「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」が通用しないので、
乗車券\8,510、特急券\5,540で合計\14,050だった。
航空機と比べると割高だが仕方がない。
新幹線のチケットを購入し、帰りの足を確保したことを確認してから、
東横イン名古屋駅桜通本館に電話して16日土曜日をキャンセルし、
2日土曜日に改めて予約を入れる。
9月1日金曜日、
月初で忙しい仕事の合間を縫って、
JR赤羽駅で「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」を購入する。
指定席を取ったりする必要がないので購入できないということはない。
あとは翌日決行するだけである。

2004/10/11 18:55


  3.東海道本線の旅 東京〜熱海

いつも会社に行く時間に起床し、05:44幕張発御茶ノ水行きで秋葉原に行く・・・、
つもりだったが寝過ごして御茶ノ水まで行ってしまった。
初っぱなからドジって閉まった。
御茶ノ水で06:36発の快速線東京行きに乗って東京駅を目指す。
しかしここまではまだスタート台を目指しての旅だった。
東京駅についてからが本当の今回の東海道本線の旅の始まりである。

 05:44幕張−515C−06:27御茶ノ水 209系500番台
 06:36御茶ノ水−462T−06:40東京 201系

予定より6分遅れだが、予定に大きく響くような遅れではない。
東京での乗り換え時間は28分だったが、実際は22分になってしまった。
07:02東京駅始発の小田原行きに乗り込む。
早めに行って並んで席を確保する。
座席を確保してから売店でおにぎり2個と生茶500ml\150購入する。
おにぎりはうめ\100と焼たらこ\120を買う。
小田原行きは211系でロングシート車両とクロスシート車両があり、
勿論、クロスシート車両の方を確保する。
乗車率は8〜9割といった感じで立っている人はほとんどいなかった。
この区間は特急「東海」で熱海まで行ったことはあるが、
東海道線で行ったことがあるのは多分茅ヶ崎くらいまでで、
そこから先は初体験ということになる。
1時間26分かけて小田原に着く。
この乗車時間は東海道本線の旅で一番長い時間である。
08:28に小田原に着き、38分の取材時間で小田原駅を取材する。
小田原で駅取材し、09:39の熱海行きに乗車する。
小田原駅は小田急小田原線、伊豆箱根鉄道大雄山線、箱根登山鉄道が接続する。
西口には北条早雲の火牛の計の銅像があった。
火牛の計とは牛の角に松明を結んで大群の夜襲に見せかけたという、
北条早雲の小田原責めの時の逸話である。
やはり38分では時間がなくて箱根登山鉄道の駅舎は取材できなかった。
次に乗る熱海行きは始発ではなく、東京から来た電車である。
しかし何とか座ることが出来た。
小田原で電車を待っている時に遠くに小田原城が見えた。

 07:02東京−737M−08:28小田原 211系クロスシート車
 09:39小田原−743M−09:31熱海 113系クロスシート車

2004/10/11 20:48

※写真:北条早雲公の銅像 撮影時刻 2004/10/02 09:03:04


  4.東海道本線の旅 熱海〜浜松

この旅4つめの車両は小田原から熱海までの25分間の短い旅だった。
小田原を09:06に乗り、09:31には熱海に着く。
熱海は以前にもう駅取材済みなので、ここは下車せずに乗り換える。
この列車は東京を07:40に出た列車で熱海が終点である。
ここで接続する熱海始発の豊橋行きの列車に乗る。
熱海駅の乗り継ぎは悪く、地下道を通らなければ乗り換えられない。
乗り換えた始発電車は113系2000番代クロスシート車だった。
そしてJR東日本管区はこの熱海駅までである。
ここからはJR東海の管理区となる。
熱海まではJR東日本の「土日きっぷ」で来たことがあるが、
ここから先は東海道本線には入ったことはない。
自分にとっても未知の領域である。
09:39熱海始発の113系で静岡まで行き、ここで途中下車する。
ここまでは1時間13分の旅であった。
途中、富士駅に入線する直前で富士山が見えた。
雪をいただいていない夏富士であった。
静岡では43分の取材時間を用意していたが、
思ったよりも早く取材できたので予定を変更し、11:15静岡始発の島田行きに乗る。
予定より20分早い出発である。
211系5000番代であった。
この電車は島田駅で折り返して富士行きになった。
島田駅はそれ程大きな駅ではなく、10分で取材が完了してしまった。
11:52島田発の浜松行きに乗って浜松まで行く。
浜松には結局予定より10分早く着いたことになる。
ここで駅取材して昼食を喰う予定だったが、
思わず予定に影響を与える出来事が起こっていた。
雨である。
全く予想もしていなかったが、浜松で下車したら雨が降っていた。

 09:39熱海−481M−10:52静岡 113系2000番代
 11:15静岡−129M−11:43島田 211系5000番代
 11:52島田−747M−12:36浜松 113系クロスシート車

2004/10/11 21:42

※写真:JR静岡駅に展示されている東海道新幹線開業40周年記念展示 撮影時刻 2004/10/02 11:22:12


  5.東海道本線の旅 浜松〜大垣

浜松駅では本格的に雨が降っている中、何とか駅取材し、
更に遠州鉄道新浜松駅も取材する。
取材が終わってから駅構内の「自笑亭」で天ぷらうどん\350喰う。
つゆは関東風だった。
以前テレビで関東風と関西風の境目はどこかという特集をやっていて、
結局天下分け目の大決戦が行われた関ヶ原が境目になっていると云っていた。
つまり浜松ではまだ関東風なのだろう。
それでは関ヶ原の駅の立ち食い蕎麦ではどちらの味なのだろう。
今日関ヶ原まで行く予定なので、喰ってみたい気もする。
そんなことを考えながらホームにあがり、
ここからはまた予定通りの13:27浜松始発で豊橋を目指す。
浜松から豊橋までは35分の短い旅になる。
それにしても都内からずっとホームの脇にカメラを構えた鉄道マニアの姿を目にしたが、
今日は何か臨時列車などの被写体になる列車が走るのだろうか。
東京を出てからも沿線各地で三脚を構える鉄道マニアの姿を多く目にしてきた。
それがここまで来てもまだ目撃される。
それ程凄い車両が走るのだろうか。
全く情報がなかったのでかえって気になる。
14:02に豊橋に着き、ここで駅取材する。
豊橋駅は名鉄名古屋本線、豊橋鉄道渥美線が接続し、
更に豊橋鉄道東田本線という路面電車も走っている。
路面電車の車両取材して、そのあと駅舎取材する。
35分の取材時間を使い切って豊橋始発の米原行き新快速に乗る。
この東海道本線の旅で初めての快速である。
それまではずっと各駅停車の旅であった。
車両も313系である。
313系はJR東海が開発した近郊形の車両である。
名古屋も通り抜けて岐阜も越え、大垣まで来たところで途中下車する。
豊橋から大垣までは普通では32駅あるのだが、
そこを快速なら14駅停車で行ってしまう。
普通電車では2時間20分掛かるところを、快速なら1時間22分である。
さすがに豊橋−大垣間116.4kmの距離になると時間にはっきりとした差が出る。
15:59に大垣に到着した。

 13:27浜松−943M−14:02豊橋 211系ロングシート車
 14:37豊橋−5313F−15:59大垣 313系

2004/10/11 22:47

※写真:大垣駅の豊橋鉄道東田本線電停 撮影時刻 2004/10/02 14:27:10


  6.東海道本線の旅 大垣〜美濃赤坂

大垣について駅取材してから樽見鉄道の車両取材する。
樽見鉄道は大垣から樽見までを結ぶ中小私鉄で、
大垣では独自の駅舎はなく、JRのホームの6番線に間借りしている。
勿論その方が乗り継ぎに便利であるという利点がある。
樽見鉄道開業20周年という芝浦工業大学鉄道研究会のヘッドマークが付いていた。
16:22美濃赤坂支線で美濃赤坂に行く。
これは扱い的には東海道本線の一部なのだが、
地元の人たちには美濃赤坂線と呼ばれている支線である。
距離は5.0kmで、途中に荒尾という駅があるだけである。
そのため車内アナウンスが終わったあとに車掌が切符を回収する。
美濃赤坂は旅客駅としては終点であるが、
側線は何本もあってここから更に線路が延びている。
ここから先は西濃鉄道という貨物専門の民間会社が施設していてJRに接続している。
この先から産出される石炭を運ぶ為の路線だが、
現在は列車運行は事実上運休状態に近く、
駅前で「西鉄サロン」という喫茶店を細々と開店している。
ここでの取材時間は26分。
木造の味のある駅舎が建っていて、待合室のベンチの椅子も木造である。
更に駅名表示板までが木で出来ていて情緒を醸し出している。
それでも時間を持て余してしまった。
同じ列車で大垣まで戻り、更に関ヶ原まで行く。
大垣から関ヶ原までは僅か13分の旅であった。
美濃赤坂に行く313系に乗り込んだ時、車窓から583系月光型車両を見かける。
583系は昼行・夜行の両用に使える特急車両で、
「つばめ」のヘッドマークを付けている。
東海道線沿線の鉄道マニアが狙っていたのはこれかと思った。
「つばめ」は1930年(昭和5年)に登場した東京−神戸を結ぶ、
東海道本線初めての特急であり、戦時中と、
山陽新幹線登場で中断した時期もあったが、
現在では九州新幹線の愛称名として受け継がれている。
183系や485系のような昼行急行はクリームの車体に、
昼間を顕す太陽の色の赤が窓枠に配されているが、
583系は夜を顕す群青が窓枠に配されている。

 16:22大垣−4219F−16:28美濃赤坂 313系
 16:54美濃赤坂−4218F−17:01大垣 313系

2004/10/11 23:44

※写真:美濃赤坂駅付近の様子 撮影時刻 2004/10/02 16:50:54


  7.東海道本線の旅 大垣〜関ヶ原

美濃赤坂から大垣まで戻り、
僅か3分の接続で米原行きの快速に乗り換える。
しかし今日は米原までは行かずに手前の関ヶ原で下車する。
そしてここが今日の東海道本線の旅の終了地点でもある。
ここから先は明日になる。
東京からkmの距離に当たる。
関ヶ原は云わずと知れた1600年の関ヶ原の戦いで有名な場所である。
豊臣秀吉の意向を組んだ石田三成率いる西軍と、
天下を我がものにせんとする徳川家康率いる東軍とが戦った、
天下分け目の大決戦の古戦場である。
実際に駅には関ヶ原町観光協会が設置した「古戦場の町 関ヶ原」という看板があり、
両軍の主な武将までが紹介されている。
  【東軍】
 徳川家康 関東 江戸城主 240万石 推定兵数 30,000
 井伊直政 上野 箕輪城主 12万石 推定兵数 3,000
 加藤嘉明 伊予 松前城主 10万石 推定兵数 3,000
 細川忠興 丹後 宮津城主 23万石 推定兵数 5,000
 黒田長政 豊前 中津城主 18万1千石 推定兵数 5,400
 福島正則 尾張 清洲城主 20万石 推定兵数 6,000
 竹中重門 美濃 岩手城主 6千石 推定兵数 200
  【西軍】
 石田三成 近江 佐和山城主 19万4千石 推定兵数 6,000
 島津惟新 薩摩 鹿児島城主 60万9千石 推定兵数 1,600
 小西行長 肥後 宇土城主 20万石 推定兵数 4,000
 宇喜多秀家 備前 備中岡山城主 57万4千石 推定兵数 18,000
 大谷吉継 越前 敦賀城主 5万石 推定兵数 3,100
 小早川秀秋 筑前 名島城主 52万2千石 推定兵数 13,000
 平塚為広 美濃 垂井城主 1万2千石 推定兵数 400
関ヶ原での取材時間は僅か15分しかなく、
しかも日は完全に傾きかけていて寧ろ夜撮に近い状態でこれ以上の取材は無理である。
関ヶ原の取材を終えて17:32の浜松行きに乗り、名古屋を目指す。
これは東海道本線の旅ではなく、単なる撤収である。

 17:04大垣−5317F−17:17関ヶ原 313系
 17:32関ヶ原−5122F−18:25名古屋 313系

2004/10/12 01:29

※写真:関ヶ原の戦いを伝える看板 撮影時刻 2004/10/02 17:41:52


  8.味噌カツだがにゃ〜ぁ!

関ヶ原で浜松行きの快速を待っている間に花火が上がった。
何処で上げているのだろう・・・。
最初「バンバン!」と聞こえたので、鉄砲の音かと思った。
また関ヶ原の合戦が始まったかと思った。
(まさかね・・・。)
17:32に関ヶ原に着いた313系特別快速で名古屋まで戻る。
車窓は既に夜の帳が降りてきていて、
18:25に名古屋に着いた時にはすっかり夜になっていた。
予約しておいた東横イン名古屋桜通口本館にチェックインする。
改装中ということで天井の配管が剥き出しになったりしていた。
部屋に行ってシャワーを浴びてから夕食を喰いに出掛ける。
やはり名古屋で夕食を喰うのだから、名古屋らしいものを喰いたい。
名古屋といえば、味噌カツ、棊子麺、エビフライ、焼きそば、ウイロウ・・・。
まあ、ウイロウは夕食にならないけれど、
やっぱり地のものを喰うというのであれば、味噌カツがいいだろう。
そう思って名古屋駅テルミナ内「けやき」でねぎとろ丼セット\900+45喰う。
ネギトロ丼にみそカツ、みそ豆腐、きしめん、味噌汁、新香が着いてくる。
ここで使われている味噌は八丁味噌で、味噌汁まで八丁味噌が使われている。
ここまでついて\900なら安い。
JR名古屋駅に入場して少し車両写真を撮るが、それ程の収穫はなかった。
ホテル近くまで戻り、LW21シバタでビールなど買う。
もう一度シャワーを浴び、買ったビールを飲み、11:30p.m.には消灯する。
こんな早い時間に寝たのは久しぶりである。

2004/10/12 22:42

※写真:夜のJR名古屋駅ツインタワー 撮影時刻 2004/10/02 21:08:25


  9.バッドモーニング

6:20a.m.にモーニングコールをセットしておいたのだが、
目が覚めたら6:45a.m.になっていた。
目が点になる!
モーニングコールが鳴らなかったのか、
それとも一度起きたのにまた寝てしまったのか、それは分からない。
6:45a.m.には「いつまで寝ているんだ!!」と誰かに怒鳴られて目が覚めた。
ずっと夢を見ていて、夢の中で怒鳴られたらしい。
シャワーを浴び、7:05a.m.にはロビーに下りて朝食を喰う。
東横インの無料朝食はおにぎりと味噌汁が定番だが、
ここはパンとコーヒーだけで、しかも従業員はひとりしかいなく、
カウンター業務をやりながらの朝食準備で、
1階に降りた時にはまだコーヒーが出来ていなかった。
しかもオーブントースターといった気の利いたものはなく、
パンはバターもマーガリンもなくそのまま喰うだけだった。
パンを食い終わる頃に漸くコーヒーが出てきたが、
それでもまだ“熱い”とは言い難い、ちょっとぬるめのコーヒーだった。
これで同じ料金ではちょっと納得がいかないな・・・。
ここは東横インの中でも一番サービス品質が悪かった。
同時期に新館がオープンしたので、
staffがそちらに手伝いに行ってしまったのかも知れない。
しかも新館の方はオープン記念で“サンキューごめんね”企画で、
シングルの価格が\3,950になっている。
そうと知っていたら、最初から新館に予約を入れていた。
これで規定通り\6,090を取られたのだからちょっと納得がいかない。
改装中でとてもホテルのロビーとは云えない場所でこの食事では、
まるで被災者の炊き出しみたいだった。
無料なので文句は云えないと云われればその通りだけれども・・・。
一端部屋に戻って歯を磨いてから7:30a.m.にはチェックアウトする。
予定通り07:45の名古屋駅始発に乗るために、
ホームでの車両取材はほとんどせずに直ぐに電車に乗り込む。

2004/10/16 11:57

※写真:朝のJR名古屋駅ツインタワー 撮影時刻 2004/10/03 07:49:28


  10.東海道本線の旅 名古屋〜米原

名古屋から始発の岐阜行きに乗って終点の岐阜まで行く。
211系5000番代は07:45に名古屋を出て、
25分後には岐阜にと到着した。
乗車率はそれ程多くなく、
車内にはロングシート車ながらゆったりとした空気が流れていた。
08:10に岐阜に着いた時、思いがけない収穫があった。
ここでキハ11形気動車が入線してきたのである。
岐阜が終点で乗客を降ろしたあと回送していったが、
ちゃんと取材できた。
キハ11形はJR東海が1989年に開発した、
ローカル線のサービス向上を目指して作られた気動車で、
キハ85系「ワイドビュー」と同じカミンズ社製の大出力エンジンが搭載されている。
キハ85系といえば、「ひだ」や「南紀」の特急気動車である。
2両連結で入線したが、単行運行も可能の両運転台仕様である。
岐阜は新幹線駅ではないが、高山線との分岐でもあり、
新幹線の駅並みの大きさを誇る。
長良口、加納口、中央北口、中央南口と全て取材し、
08:58の特別快速に乗って米原を目指す・・・予定だったが、
思った以上に早めに取材が終わったので、
予定より30分早い08:28の313系米原行きに乗って終点米原を目指す。
米原は「まいばら」と読む。
比較的有名な駅なのだが、「よねばら」とか「こめはら」とかの誤読も多い。
米原は東海道新幹線接続駅なのだが、
新幹線ホームも地上にあり、在来線と並んでいる。
駅舎は東西にあり、跨線橋を渡る形になっていて、
新幹線改札口は跨線橋上にあって改札を通って1階のホームに下りていく。
東口は近江鉄道近江本線の米原駅がある。
JRの駅とは駅前ロータリーを挟んで反対側にある。
近江鉄道はここ米原からJR草津線貴生川駅までを結ぶ近江本線と、
八日市から分岐して東海道線近江八幡までを結ぶ八日市線とからなる。
西口の方が多分玄関口になるのだろうが、
平屋の小さな駅でとても新幹線の駅とは思えない。
新幹線というと高架橋駅というイメージがあるので、
東西の駅舎が独立して跨線橋で結ぶスタイルが、
あまりしっくりしないのであろう。
予定では米原の取材時間は26分だったが、
30分早く来たのでその分十分に取材できた。
それでも時間が十分にあったので予定より1本早い電車で神戸を目指した。


 09:45名古屋−3111F−08:10岐阜 211系5000番代
 08:28岐阜−5103F−09:19米原 313系

2004/10/16 13:13

※写真:岐阜駅に停車中のキハ11形116号車 撮影時刻 2004/10/03 08:26:10


  11.東海道本線の旅 米原〜神戸

予定では10:15米原始発の快速で2時間20分かけて神戸に行くことになっていた。
神戸到着は12:35である。
ここで駅取材した後に朝食を喰い、13:36の新快速で大阪に行く。
大阪到着は13:59でここから大阪環状線取材をするつもりだった。
しかし予定より30分は約米原入りしたので、
09:56の新快速に乗って神戸に行くことにする。
この列車は223系2000番代で、
北陸本線長浜から8両で米原まで来て、ここで4両増結し姫路まで行く。
つまり前4両は米原始発ということになる。
これなら十分に座っていける。
今回の旅行の中で在来線では最長移動距離なので、
この区間を立っていくのでは体力の消耗が心配だったのだ。
そしてここから先がJR西日本の管理区間となる。
つまりこの列車に乗った段階でこの旅で3社目の管区に入ったことになる。
そして東海道本線は米原から京都までは琵琶湖線という愛称で呼ばれる。
東北本線上野−宇都宮間が宇都宮線の愛称で呼ばれるのと同じである。
天気予報では今日は午後から雨という予報だったが、
米原を出る時は曇りがちだがまだ雨は降っていなかった。
米原駅西口には、「お知らせ」として、

「昨日の台風21号の影響により、
 次の区間で運転を見合わせています。
 現在も、復旧作業を行っておりますが、
 運転再開のめどは立っておりません。

  ○因美線(智頭〜用瀬)
   ※「スーパーはくと」・「スーパいなば」号は、
  智頭〜用瀬間バス代行を実施しています。

  ○媛新線(播磨新宮〜上月)
   ※道路の通行止めもあり、
   バス代行は実施しておりません。

              西日本旅客鉄道株式会社
                     米原駅長」
と書かれていた。
台風の爪痕は山陰地方にもまだ生々しく残っているようである。
もしかしたらこの週末にも台風が来ていたかも知れない。
昨日は浜松で雨には降られたものの、
電車が遅れたり運休したりしなかっただけでも良かったのかも知れない。
09:52に米原で待機していた増結用4両に、
長浜から北陸本線を進んできた8両が連結し、
09:56に米原を出た新快速は姫路に向けて出発した。
そしてこれが東海道本線の旅、最後の乗車になった。

 09:56米原−3229M−11:38神戸 223系2000番代

2004/10/16 15:11

※写真:JR米原駅 撮影時刻 2004/10/03 09:46:25


  12.旅の終わりと旅の始まり

09:56に米原を出た223系2000番代は、
姫路を目指し東海道本線を下っていった。
東海道本線の終点は神戸である。
そしてここからJR西日本管区に入り、
また米原から京都までは琵琶湖線の愛称で、
京都から神戸までは神戸線の愛称で呼ばれている。
予定では2時間20分かかる筈だったが、新快速で1時間42分で神戸まで着く。
米原を出たところで窓の外に新幹線試作車両が見えてきた。
これは後から知ったのだが、
米原にはJR総研風洞試験センターがあり、
そこで新幹線の開発の為に試作された車両、
300X、STAR21、WIN350が保存されている。
“300X”は300系東海道新幹線の性能向上の為に作られた995系車両で、
高速試験では1996年7月26日に443.0km/hをマークした。
この試験結果の蓄積が700系開発のベースとなった。
“STAR21”はJR東日本の開発した952系試験車両で、
1993年12月21日には425km/hのレコードをマークした。
“WIN350”はJR西日本の製造した500系900番代を名乗る試験車両で、
その結果の結実が500系量産型となった。
高速走行試験では1992年10月27日には352km/h、
1993年12月21日には425km/h時速352kmを達成した。
今回は写真を撮ることも出来なかったが、
次に米原に来る時には是非取材したい。
3239M新快速は11:38に神戸に着いた。
ここに東海道本線の旅は終了した。
東京から589.5kmの旅であった。
神戸は東海道本線の終着であり、また山陽本線の始発駅でもある。
しかし実際は朝一番の05:03京都行き以外はほとんどが共通運行で、
神戸が始発になるケースはほとんどない。
神戸で駅取材した後、
11:58の上り普通電車京都行きで大阪に向かった。
予定では13:16の新快速に乗る予定だったので1時間18分の前倒しになる。
201系スカイブルーの通勤形車両である。
これは12:37に大阪に着く。
大阪まで戻り、ここから大阪環状線の旅が始まる。
帰りの新幹線の予定時間まで目一杯大阪環状線の取材をしよう。
これはタイムトライアルでもある。
一端改札を出た後、コインロッカーに旅行用バッグを預け、再び大阪駅に入場した。

 11:58神戸−164B−12:37大阪 201系

2004/10/16 17:45

※写真:神戸駅に入線する201系京都線 撮影時刻 2004/10/03 12:11:39


  13.大阪環状線の旅 大阪〜芦原橋

旅行用バッグをコインロッカーに預けてカメラ用デイパックだけを背負い、
身軽になって大阪環状線全駅取材の旅に出た。
事前の天気予報では今日は雨ということになっており、
その場合は弁天町の交通科学博物館を見学しようと思っていたが、
何とか天気は持ち、午後からは日差しも見えてきた。
取材開始は12:48の内回り環状線に乗り込んだところから始まった。
大阪環状線はその名の通り、大阪の北と南を円形で結んで環状線であり、
東の環状線である山手線が米粒形の歪な楕円であるのに対し、
大阪環状線はほぼ円に近い形を描いている。
始点は大阪駅で今回は内回りに回っていこうと思う。
山手線が101系、103系、205系とその車両を変え、
現在205系からE231系500番代に置き換え中なのに対し、
大阪環状線は未だにバーミリオンの103系が現役で走っている。
大阪の方が物保ちがいいのだろうか・・・。
一周21.7kmで19の駅があり、規模としては山手線のほぼ3分の2といったところか。
大阪の次の駅は「福島」である。
ここは高架駅で駅舎機能は高架下にあり、
その北西には梅田貨物線が走っており、高架下の道路には踏切もある。
この梅田貨物線は新大阪から梅田貨物駅を通って大阪環状線の脇を通り、
西九条から桜島線(ゆめ咲線)に入って桜島まで行く。
ゆめ咲線はUSJ最寄り駅のユニバーサルシティ駅が有名だが、
もともとは貨物線が中心で安治川口などでは側線に貨物線路がたくさんある。
次の「野田」も高架駅で駅の名所案内では、
野田藤の名所・東へ800メートル、
野田城後・南へ100メートル、
恵比須神社・南東へ500メートル、
二十一人討ち死の遺蹟(極楽寺・円満寺)・南東へ400メートルとある。
次の西九条は既に取材済みなので飛ばして「弁天町」を取材する。
弁天町は駅の高架下を利用して交通科学博物館があり、
交通科学博物館のための駅といっても過言ではない。
結局晴れたので交通科学博物館の見学はしなかったが、
保存されている車両が外からでも南両か覗くことが出来る。
弁天町を出ると岩崎運河橋梁をと通って大正に行く。
岩崎運河橋梁は緑色のトラス橋で、ここは大阪ドームに来た時に取材済みである。
大阪環状線内回りは大正を通り過ぎて次の芦原橋を目指していた。

 大阪−1.0km−福島 103系
 福島−1.4km−野田 103系
 野田−2.8km−弁天町 103系

2004/10/16 18:46

※写真:大阪環状線103系 撮影時刻 2004/10/03 13:11:17


  14.大阪環状線の旅 芦原橋〜天王寺

「芦原橋」は高架下に駅舎機能が集約されているが、
道路に面してで入り口が張り出している。
芦原橋駅は1966年4月1日に出来た比較的新しい駅である。
この付近は太鼓の名産地なのであろうか、
バス停には太鼓の種類が紹介されている。
桶胴太鼓、平胴太鼓、長胴太鼓、締太鼓。
それに駅から見える場所にも太鼓専門店があった。
次の駅は「今宮」で、
ここは関西本線のJR難波駅分岐駅である。
関西本線は大和路線の愛称で呼ばれており、
奈良から天王寺に至り、天王寺から今宮までは大阪環状線内を走り、
今宮で再び分岐して地下に入りJR難波に至る。
JR難波駅はOCATの地下の中にあり、
南海なんば駅や近鉄難波駅、大阪市営地下鉄の駅からは少し外れた所にある。
今宮駅も高架駅であるが、
関西本線もここで分岐している為に4線全てが並列させることが出来ず、
2階に片面ホームと島式ホームを配し、
1番線が関西本線上り奈良方面、2番線が関西本線下りJR難波方面、
そして3番線が大阪環状線外回りになっている。
3階には片面ホームがあり、大阪環状線内回りになっている。
内回りで下りるとほかにホームがなく凄く寂しい感じがするが、
2階は3線があって賑やかである。
隣の新今宮は取材済みなので飛ばして更に次の「天王寺」に行く。
ここまで取材を先行させていて昼食を取る機会がなかった。
そこで天王寺で駅取材の後、天王寺ステーションプラザ内の飲食店街で昼食を取る。
天王寺に着いた時には既に2:00p.m.を過ぎていた。
天王寺はJRでの駅名で、
接続する近鉄では阿部野橋という駅名になっている。
JRと私鉄で駅名が変わるのは“大阪”と“梅田”の関係に似ている。
JR天王寺駅の谷町筋を挟んだ反対側には天王寺公園があり、
美術館や動物園がある。
ひととおり取材を終えてから天王寺ステーションプラザの4階に行き、
「とんかつKYK」でロースカツ御膳\1,000(税込み)を喰う。
ご飯、味噌汁、キャベツがお代わり自由なのは、
「とんかつ和幸」と一緒である。
勿論全てお代わりしてしまった(^_^;)

 芦原町−0.6km−今宮 103系
 今宮−2.2km−天王寺 103系

2004/10/16 21:09

※写真:天王寺ステーションビル全景 撮影時刻 2004/10/03 14:59:13


  15.大阪環状線の旅 天王寺〜京橋

天王寺駅は大阪環状線のほか、関西本線、阪和線が接続する。
阪和線ホームは行き止まり式になっていて、
大阪環状線と関西本線のホームとは階が違っている。
駅の近くには阪堺電軌天王寺駅前電停があり、
そこを取材したかったが地図を把握していなかったので結局場所が分からなかった。
昼食を喰って腹一杯になったところで再び大阪環状線の取材を開始する。
天王寺の次は「寺田町」で、高架下に駅機能があり、
また高架下がずっと商店が入っていて、
雰囲気は山手線でいえば神田のような感じである。
次は「桃谷」で西口はきちんとした出入り口があるのだが、
反対側は高架下の中に出口があり、左右に店舗のある通路が少しある。
次は「鶴橋」でここは近鉄線と交差していて、
東側の出入り口には近鉄の改札口と隣接しているが、
鶴橋商店街が広がっていてゴチャゴチャしている感じがあり、
雰囲気は東京で云えばアメ横といったところだろうか。
次の「玉造」は1895年(明治28年)5月28日の路線誕生からある駅で、
高架下には商店街になっている。
次は「森ノ宮」で、阪神高速13号東大阪線を挟んで大阪城公園があり、
公園の南側の駅としての機能もある。
そして「大阪城公園前」に至る。
ここはその名の通り、大阪城公園へのメインの駅となっており、
跨線橋を通って大阪城公園に続く出入り口があり、
そこから公園まで広い階段が続いている。
駅の東側にはJR森之宮電車区があり、その奥には大阪市交通局車両工場がある。
そしてその次が「京橋」になる。
京橋は大阪環状線と交差するように片町線、JR東西線が交差しており、
山手線でいえば秋葉原のような構造になっている。
北口の高架下は広場を挟んで京阪電車の京橋駅になっている。
南口には大阪大空爆京橋駅爆撃被災者慰霊碑と納経塔がある。
そこには説明書きとして次のように書かれている。
「大阪大空爆京橋駅爆撃被災者慰霊碑

  太平洋戦争終戦前日の昭和二十年八月十四日、大阪は最後の大空襲を受けた。B29
 戦略爆撃機は特に大阪城内の大阪陸軍造兵廠に対し、集中攻撃を加えたが、その際、流れ
 弾の一トン爆弾が四発、京橋駅に落ちた。うち一発が多数の乗客が避難していた片町線
 ホーム上の城東線(現、環状線)を、突き抜けて落ちた為、まさに断末魔の叫びが飛び交
 う生き地獄そのものであったという。判明している被爆犠牲者は二百十名であるが、他
 に無縁仏となったみ霊は数え切れなく、五百名とも、六百名とも言われている。
  当時、地獄のような惨状を目撃した大東市の森本栄一郎氏が、あまりの悲惨さに胸を
 痛め、その霊を弔おうと昭和二十二年八月十四日、自費で建立された慰霊碑である。

 納経塔

  戦後、被爆犠牲者を弔う法要が毎年八月慰霊碑の前で鴨野・妙見閣寺によって行われ
 ているが、三十七回忌を機に写経による供養をと、遺族及び、当時駅での体験者、大阪大
 空襲の体験を語る会々員他多数の市民から基金、協力を得て建立した納経塔である。

  昭和五十八年二月

                                 国鉄京橋駅長」
日本は戦後めざましい経済発展を遂げ、
今では世界に名だたる国の一つとなって国連常任理事国入りを目指すまでになったが、
その一方で過去に大きな過ちを犯し、
そのために国民の多くが犠牲になったことを忘れてはいけないと思う。

 天王寺−1.0km−寺田町 103系
 寺田町−1.2km−桃谷 103系
 桃谷−0.8km−鶴橋 103系
 鶴橋−0.9km−玉造 103系
 玉造−0.9km−森ノ宮 103系
 森ノ宮−0.9km−大阪城公園 103系
 大阪城公園−0.8km−京橋 103系

2004/10/17 01:55

※写真:京橋駅南口の大阪大空爆京橋駅爆撃被災者慰霊碑 撮影時刻 2004/10/03 16:47:06


  16.大阪環状線の旅番外編 ゆめ咲線の旅

京橋駅の取材を終えて乗ったのが221系関空快速だった。
これは京橋を出ると大阪、西九条と停まって行き、
天王寺から阪和線に入って関西空港まで行く快速なのである。
京橋での取材は既にもう日が西に傾き始めていたが、
それでも時間的にはまだ余裕があったので、
大阪では下車せずそのまま西九条まで行き、
そこでゆめ咲線に乗り換え、
取材済みのユニバーサルシティ駅を除く2駅を取材することにした。
西九条から隣り駅の「安治川口」で下車する。
ここは側線が多く貨物車が停車している駅であり、
ゆめ咲線が貨物列車の為の路線であるということを再認識させられる駅でもある。
USJが出来てユニバーサルシティ駅が開業し、
この路線はUSJのための路線というイメージが強くなったが、
もともとはこの路線は工業地域の中を走る貨物線に、
旅客線が乗り入れたのが設立の経緯である。
取材時も側線には多くのタンク車を中心にした貨車が停車し、
貨車を連結して停車している電気機関車EF66型30号機が見えた。
このあとゆめ咲線の終点、「桜島」駅に行くが、
ここで乗ったのが201系“スパイダーマン”ラッピング車両であった。
このラッピング車両は201系リニューアル車に、
USJの人気アトラクションのラッピングを施したもので、
集客に一役買っている。
桜島駅でこのスパイダーマンラッピングトレインの取材をして、
そのあと駅取材する。
この桜島駅はUSJの南側に位置し、
また遠くに天保山の観覧車も見える。
桜島は工業地帯とレジャー地帯のふたつの顔を持っている。
17:24発の大阪環状線直通で桜ノ宮に行く。

 京橋−7.8km−西九条 221系
 西九条−2.4km−安治川口 103系
 安治川口−1.7km−桜島 103系スパイダーマンラッピングトレイン

2004/10/17 12:18

※写真:ゆめ咲線201系スパイダーマンラッピング車 撮影時刻 2004/10/03 17:29:01


  17.大阪環状線の旅 桜島〜大阪

桜島から大阪環状線直通電車に乗った時には既に日は傾き始めていて、
自然光で写真を撮るのには限界に達していた。
ISOを400から800に上げて対応したが、
それでもホームページに使えるかどうかは疑問だった。
それでもまだ時間的余裕はあるので取り敢えず残した2駅を取材する。
「桜ノ宮」はその名の通り、
駅の直ぐ近くを流れる大川(旧淀川)の川沿いには桜が植わっていて、
春には川沿いをピンクに染め上げる。
桜の通り抜けで有名な大阪造幣局もこの川沿いにある。
次の「天満」も高架の下に駅の機能が集約した駅で、
この次は大阪駅に戻る。
これにて大阪環状線の旅は完了した。
自然光不足で桜ノ宮、天満は再取材しなければならないと思うが、
それでも下調べにはなった。
大阪で少し車両取材し、
一端改札を出てコインロッカーから旅行用バッグを取り出し、
201系京都行きに乗って新大阪に行く。

 桜島−10.1km−桜ノ宮 103系
 桜ノ宮−0.8km−天満 103系
 天満−1.6km−大阪 103系
 大阪−3.8km−新大阪 201系

2004/10/17 12:41

※写真:夜撮になってしまったJR天満駅 撮影時刻 2004/10/03 18:15:04


  18.旅の終わりに見えてきたもの

新大阪に着いてから一端改札外に出てお土産を買い、
新幹線改札口に事前に購入していたチケットで入場する。
入場してから売店で駅弁を買い、
更にビール\230と宇治茶入りお茶\150を買ってのぞみ154号に乗り込む。
少し早めに新大阪に着いたので新幹線ホームで写真撮る。
浮間舟渡駅で事前に購入した新幹線の切符は、
新大阪19:30発、東京22:06着、のぞみ154号6号車15番E席\14,500である。
新大阪では乗車率2〜3割だったが、京都ではほぼ満席になった。
ビールを飲みながら購入した弁当を喰い、そのあと爆睡する。
購入した弁当は「おもてなし弁当」で「新幹線パーサーおすすめ」だそうである。
“新幹線パーサーおすすめ”の弁当を、
パーサーからではなく売店で買って普通席で喰ったのだ。
二段重になった弁当で、胡麻とゆかりの入った御飯、海老フライ、
煮物(ゴボウ、薩摩揚げ、こんにゃく、椎茸、里芋、ハス、人参、その他)、
厚焼き玉子、鶏唐揚げ、鶏つくね、マカロニサラダ、赤ピーマンと隠元のじゃこ炒め、
切り干し大根ピリ辛和え、赤梅、漬け物、付合せ等が入っている。
京都を出ると、名古屋、新横浜に停車し、
新しくできた品川に停まって終点東京に停車した。
既に10:00p.m.を回っていた。
ここから京浜東北線で秋葉原まで行き、総武緩行線で幕張まで戻る。
かなりの疲弊が蓄積しているだろうと思ったが、
思った程でもなかった。
各駅停車の旅も悪くないな・・・と思い始めていた。
今度は「青春18きっぷ」で旅に出てみたいなと思い始めていた。

 19:30新大阪−のぞみ154号−22:06東京
 
 東京−京浜東北線−秋葉原 209系
 秋葉原−総武緩行線−幕張 E231系

 −旅行データ−

幕張−総武本線・東北本線−東京 32.2km
東京−東海道本線−神戸 589.5km
神戸−東海道本線−大阪 33.1km
大阪−大阪環状線・桜島線・東海道本線−新大阪 42.7km
新大阪−東海道新幹線−東京 552.6km
東京−東北本線・総武本線−幕張 32.2km

総移動距離:1,282.3km
鉄道利用料金:\6,120※+新幹線料金\14,050=\20,170
  ※鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ\9,180の3回のうちの2回分価格分
正規料金利用の場合の推定料金:\15,410※+新幹線料金\14,050=\29,460
  ※幕張−秋葉原間はSuica定期券使用の場合

2004/10/17 14:19

※写真:新大阪駅に入線する「のぞみ154号」 撮影時刻 2004/10/03 19:36:14


特別付録


  特別付録1.

区間:東京−小田原間(JR東日本管区)
区間距離:83.9km
普通料金:\1,450
累計距離:83.9km
累計料金:\1,450

車両:211系クロスシート車
種類:直流近郊形(国鉄開発)
編成:N1編成
列車番号:737M
登場年:1986年

画像 dd03188
取材地:JR小田原駅
撮影時刻 2004/10/02 09:08:15
  特別付録2.

区間:小田原−熱海間(JR東日本管区)
区間距離:20.7km
普通料金:\400
累計距離:104.6km
累計料金:\1,850

車両:113系クロスシート車
種類:直流近郊形(国鉄開発)
編成:K45編成
列車番号:743M
登場年:1963年

画像 dd03190
取材地:JR小田原駅
撮影時刻 2004/10/02 09:19:14
  特別付録3.

区間:熱海−静岡間(JR東海管区)
区間距離:75.6km
普通料金:\1,280
累計距離:180.2km
累計料金:\3,130

車両:113系2000番代
種類:直流近郊形(国鉄開発)
編成:C9編成
列車番号:481M
登場年:1963年

画像 dd03195
取材地:JR静岡駅
撮影時刻 2004/10/02 11:06:36
  特別付録4.

区間:静岡−島田間(JR東海管区)
区間距離:27.6km
普通料金:\480
累計距離:207.8km
累計料金:\3,610

車両:211系5000番代
種類:直流近郊形(国鉄開発)
編成:SS9編成
列車番号:129M
登場年:1986年

画像 dd03203
取材地:JR島田駅
撮影時刻 2004/10/02 12:01:24
  特別付録5.

区間:島田−浜松間(JR東海管区)
区間距離:49.3km
普通料金:\820
累計距離:257.1km
累計料金:\4,430

車両:113系クロスシート車
種類:直流近郊形(国鉄開発)
編成:T6編成
列車番号:747M
登場年:1963年

画像 dd03204
取材地:JR浜松駅
撮影時刻 2004/10/02 12:52:24
  特別付録6.

区間:浜松−豊橋間(JR東海管区)
区間距離:36.5km
普通料金:\650
累計距離:293.6km
累計料金:\5,080

車両:211系ロングシート車
種類:直流近郊形(国鉄開発)
編成:C27編成
列車番号:943M
登場年:1986年

画像 dd03210
取材地:JR豊橋駅
撮影時刻 2004/10/02 14:15:30
  特別付録7.

区間:豊橋−大垣間(JR東海管区)
区間距離:116.4km
普通料金:\1,890
累計距離:410.0km
累計料金:\6,970

車両:313系
種類:直流近郊形(JR東海開発)
編成:不明
列車番号:5313F
登場年:1999年

画像 dd03215
取材地:JR大垣駅
撮影時刻 2004/10/02 15:59:47
  特別付録8.

区間:大垣−美濃赤坂間(JR東海管区)
区間距離:5.0km
普通料金:\180
累計距離:415.0km
始点(東京)からの累計距離:415.0km
累計料金:\7,150

車両:313系
種類:直流近郊形(JR東海開発)
編成:Y39編成
列車番号:4219F
登場年:1999年

画像 dd03221
取材地:JR大垣駅
撮影時刻 2004/10/02 16:17:48
  特別付録9.

区間:美濃赤坂−大垣間(JR東海管区)
区間距離:5.0km
普通料金:\180
累計距離:420.0km
始点(東京)からの累計距離:410.0km
累計料金:\7,330

車両:313系
種類:直流近郊形(JR東海開発)
編成:Y39編成
列車番号:4218F
登場年:1999年

画像 dd03229
取材地:JR美濃赤坂駅
撮影時刻 2004/10/02 16:59:35
  特別付録10.

区間:大垣−関ヶ原間(JR東海管区)
区間距離:13.8km
普通料金:\230
累計距離:433.8km
始点(東京)からの累計距離:423.8km
累計料金:\7,560

車両:313系
種類:直流近郊形(JR東海開発)
編成:Y15編成
列車番号:5317F
登場年:1999年

画像 dd03230
取材地:JR大垣駅
撮影時刻 2004/10/02 17:15:34
  特別付録11.

区間:関ヶ原−名古屋間(JR東海管区)
区間距離:57.8km
普通料金:\950
累計距離:491.6km
始点(東京)からの累計距離:366.0km
累計料金:\8,510

車両:313系
種類:直流近郊形(JR東海開発)
編成:不明
列車番号:5122F
登場年:1999年

画像 dd03236
取材地:JR関ヶ原駅
撮影時刻 2004/10/02 20:30:56
  特別付録12.

区間:名古屋−岐阜間(JR東海管区)
区間距離:30.3km
普通料金:\450
累計距離:521.3km
始点(東京)からの累計距離:396.3km
累計料金:\8,960

車両:211系5000番代
種類:直流近郊形(国鉄開発)
編成:C27編成
列車番号:3111F
登場年:1986年

画像 dd03242
取材地:JR名古屋駅
撮影時刻 2004/10/03 07:56:59
  特別付録13.

区間:岐阜−米原間(JR東海管区)
区間距離:49.6km
普通料金:\820
累計距離:570.9km
始点(東京)からの累計距離:445.9km
累計料金:\9,780

車両:313系
種類:直流近郊形(JR東海開発)
編成:Y5編成
列車番号:5103F
登場年:1999年

画像 dd03249
取材地:JR米原駅
撮影時刻 2004/10/03 09:35:21
  特別付録14.

区間:米原−神戸間(JR西日本管区)
区間距離:143.6km
普通料金:\2,520
累計距離:714.5km
始点(東京)からの累計距離:589.5km
累計料金:\12,300

車両:223系2000番代
種類:直流近郊形(JR西日本開発)
編成:不明
列車番号:3229M
登場年:1994年

画像 dd03255
取材地:JR米原駅
撮影時刻 2004/10/03 09:57:04






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