続々・冬が来る前に〜土合で気合いだ!〜



  1.「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」3日目

「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」は、
平成16年10月2日〜15日までの3回、乗車当日限り有効の切符である。
使用区間は「旅客鉄道会社線全線〔特急(新幹線を含む)急行列車及びJRバスを除く〕」で、
10月2日土曜日、3日日曜日の東海道本線の旅で2回分を使ってしまったが、
あと1回分が残っている。
そこで10月9日からの三連休の間の一日、
日帰り旅行に使おうと思っている。
本来はJR東日本だけではなく、全国のJRグループで使えるので、
普段土日きっぷや三連休パス、
それにホリデーパスなどでほとんど取材しているJR東日本エリアで使うのは、
正直勿体ない気もするが、
日帰りで使用するとしたらやはりJR東日本のエリアで計画するしかない。
そこでいろいろな日帰り計画を考えたが、
そのなかのひとつで上越線の土合駅取材を決行することにした。
土合駅は上下線の高低差が日本一の駅として有名である。
この駅は何れ「Station−駅から始まる物語」にコレクションしたいと思っていた。
そこで「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の残りの1回を使って、
この駅の取材を中心に日帰り取材の計画を策定した。

 −鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの旅・3日目−

08:39上野−高崎線高崎行3921M(87/1_27)−10:06倉賀野[26]
10:32倉賀野−八高線高崎行233D(5)−10:37高崎[31]
10:54高崎−637M(29)−11:23伊勢崎[13]
11:36伊勢崎−628M(30)−12:06高崎[11]
12:17高崎−735M(62/1_02)−13:19水上[20]
13:39水上−1739M(8)−13:47土合[105/1_45]
15:32土合−1736M(12)−15:44水上[10]
15:54水上−746M(61/1_01)−16:55高崎[32]
17:27高崎−快速アーバン3938M(99/1_39)−19:16上野

今回は特急の指定席とかを取っているわけではないので、
期間内なら何時決行しても良い。
10月15日は金曜日のため、
実質的には9日金曜日からの三連休が、決行予定日となる。
この3日間のうち、天候を考慮して決行日を決めればいい。
しかしその予定は台風22号の接近で早くも狂ってしまうのであった。

2004/10/07 22:47


  2.予定日変更

10月9日からの3日間で鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの、
残りの1回分の日帰り駅取材旅行を企画していた。
しかし無情にもこの3日間の天気予報は雨になっていた。
台風22号が接近していて、それも影響しているようである。
駅取材では車両取材以上に天候に左右される。
駅舎を撮るためには当然の事ながら駅舎の外に出なければならない。
雨では駅取材は困難を極める。
ましてや台風の影響下の雨では土砂降りになって、
折角現場に行っても駅取材できないということも想定される。
そこで予定を変更して、10月7日木曜日に予定を決行することにした。
もともとこの3連休は、
三連休パスを使って五能線取材を含めた1泊3日の旅に出るつもりだった。
しかし同時に毎年参加しているCEATEC JAPANも、
今年は10月5日火曜日〜9日土曜日に予定されていて、
三連休パスの旅に出るとCEATEC JAPANに参加できなくなってしまう。
そこで7日木曜日に有給休暇を取った。
この日にCEATEC JAPANに参加することにしたのだ。
しかし三連休が全て雨の予想のため、
計画を変更して7日の有給休暇の日に土合駅取材を決行し、
9日土曜日、最終日にCEATEC JAPANに参加することにした。
こちらは幕張メッセで開かれる屋内のイベントのため、雨の影響はない。
勿論、行きには雨に降られることになるが、
屋外を歩く区間は家から幕張駅までだけで、
あとは屋根の下を行くことが出来る。
そこで予定日を7日木曜日に変更して決行した。
秋の長雨の間の、良く晴れた日だった。

2004/10/07 23:25


  3.モーニング

何時も会社に行く時間に起床し、
支度に時間の掛からない分何時もより2本早い05:47の中野行きで秋葉原に行く。
秋葉原から06:30の北行き京浜東北線で上野に出る。
予定では08:39の高崎線快速「アーバン」に乗る予定で、
ここでは余裕で朝食を喰うつもりだったが、
「あじさい」も「HOMEMADE CARRY」も7:00a.m.からで、
まだ朝食を食えるような店は開いておらず、
仕方がないので06:47高崎行きの高崎線に乗る。
E231系10両編成だった。
上野では客はほとんどいなかったが、
赤羽、大宮と乗客は学生を中心に増えていった。
しかし本庄でほとんどの客が降りていってしまった。
そのほとんどが学生だった。
終点の高崎に08:29に到着し、ここで朝食を喰おうと思って西口に出る。
朝食はカレーを喰おうと思ったのだが、
だがここではベーカリーやハンバーガーショップだけで、
カレーの食えるような店はなかった。
そこで08:56の上野行きで隣り駅の倉賀野に行く。
予定では高崎に到着する前にここで下車して駅取材するつもりだったが、
朝食を喰うために先に高崎に来たのだ。
しかし高崎で朝食を食えなかったので先に倉賀野に行って駅取材する。
ここで良い店があったら朝食を喰おうと思った。
しかし倉賀野では朝食を食えるような店はなかった。
更に云うなら、駅前には“店”という概念のものはなかった。
駅前には自転車置き場しかなかった。
09:15の高崎行きで高崎まで戻り、
両毛線小山行きに乗って伊勢崎駅の取材に行こうと思って電車に乗り込んだが、
さすがに腹が減ったので一端電車を降り、
東口の「たかべん」でカレーライス\350喰う。
「たかべん」は高崎駅にある立ち食い蕎麦屋で、
高崎弁当が経営しているので「たかべん」という名称なのである。
この高崎弁当は高崎駅名物「だるま弁当」を作っている会社である。
カレーうどんのある立ち食い蕎麦屋も少ないが、
更にカレーライスを食える店というのは希少である。
しかも立ち食い蕎麦屋の\350という価格にしては辛口で味は悪くない。
漸く空腹を見たし、両毛線に乗って伊勢崎駅取材に出掛ける。
しかしここで大きな・・・結果的に大きな失敗をしてしまった。

2004/10/24 23:04

※写真:高崎駅に停車中の吾妻線直通529M 撮影時刻 2004/10/07 09:54:28


  4. mistake−吾妻線設立の経緯

「たかべん」でカレーライスを喰って再び両毛線のホームに行く。
ホームに行くと6両編成の115系が停まっていて、
係員から「大前行きは前の車両です。もうすぐ出ますので急いで下さい。」と云われた。
よく見ると6両編成は真ん中で切り離されている。
6両編成に見えたのは基本3両編成が連結された3+3編成で、
たぶん高崎まで6両で来て、ここで前の3両だけが折り返し編成になるのだろう。
慌てて全面の写真を撮り、電車に乗り込む。
この電車は09:42に高崎駅を出発した。
慌てて乗ったので気付かなかったが、
高崎を出て新前橋から群馬総社へと入っていった。
ここで「おかしい・・・」と初めて気がついた。
両毛線なら新前橋の次は前橋の筈だが・・・。
群馬総社は上越線の駅ではないか。
しかし上越線に“大前”なんて駅があったかな・・・、などと考えていると、
渋川から吾妻線に入ると車内放送があった。
大前は吾妻線の終着駅だったのだ。
吾妻線というと大前のひとつ手前の“万座・鹿沢口”が有名だが、
実際は無人駅の大前が終着駅になっている。
勿論特急「草津」も万座・鹿沢口までしか行かない。
そこで予定していた両毛線伊勢崎駅の取材を断念して、
吾妻線で万座・鹿沢口まで行ってここで駅取材をすることにする。
吾妻線は上越線渋川から大前までを結ぶ55.6km、17駅の単線路線で、
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)1月に、
渋川から長野原(現・長野原・草津口)まで長野原線の路線名で開業した。
開業当時は貨物専用路線だった。
吾妻郡六合村の鉱山から鉄鉱石を運ぶのが目的だった。
鉄鉱石は重要な軍事物資であり、鉄鉱石の確保が当時の日本の命題だった。
渋川−長野原間は国鉄の施設だったが、
長野原から群馬鉄山のあった太子(おおし)までは日本鋼管によって施設された。
戦争が終わると直ぐに中之条までの旅客営業が開始され、
翌年には長野原まで延伸され、1954年(昭和29年)には全線旅客開業した。
戦後は貨物線と旅客線の併用路線として存在したが、
1963年(昭和38年)には群馬鉄山が閉山し、3年後には貨物営業が廃止された。
この路線は旅客営業に生き残りをかけ、
近隣の温泉地への足として観光路線へと転身していった。
1971年(昭和46年)には長野原から万座・鹿沢口方面へ別路線を施設し、
同年3月には長野原−大前間を開業し、2ヶ月後に長野原−太子間を廃止し、
路線名を吾妻線としてルート変更することでますます観光路線をアピールした。
最終的には飯山線まで接続する予定だったがそれは実現せず、
現在の路線となった。
沿線には草津温泉をはじめとして四万温泉、沢渡温泉、川原湯温泉、尻焼温泉など名湯が多くあり、
また浅間山と草津白根山に挟まれた渓谷も美しい。
10:07、115系3両編成529Mは渋川から吾妻線に入っていった。

2004/10/25 22:37


  5.吾妻の秋−タイムトライアル

高崎を09:42に出発した大前行きは10:06には渋川に到着した。
使用されている電車は115系1000番代のクロスシート車である。
予定外の行動であるが、
この時間なら高崎を12:17に出る上越線水上行きに間に合うだろう。
希望的観測ではあるが・・・。
吾妻線は単線であるため、上下線の行き違いのために暫く駅で停車することもある。
最初の行き違い停車は川原湯温泉駅であった。
到着は10:54、出発は10:58、僅か4分の停車である。
しかし下り線は跨線橋を渡らずに駅舎に出ることが出来るため、
緊急下車して駅舎取材する。
川原湯温泉駅はその名の通り、川原湯温泉への下車駅で、
川原湯温泉は“湯かけまつり”でも有名な場所だそうである。
毎年1月20日に裸の老若男女が湯を掛け合うという祭りだそうで、
湯の神様に感謝するという温泉ならではの祭りである。
またこの川原湯温泉は将来建設が進められている八ツ場ダムに沈むことになっており、
この場所ももう二度と訪れることはないのかも知れない。
八ツ場ダムが完成した折りには吾妻線も岩島−長野原草津口完が水没する予定になっており、
この川原湯駅もなくなってしまう。
その時には別のルートに路線を変更することになる。
4分間のタイムトライアルでこの川原湯温泉駅を取材し、
この電車は11:19に万座・鹿沢口に到着した。
ここで下車して駅の時刻表で上り電車を確認する。
折り返し電車は11:32に大前から到着する。
その時間、僅か13分。
この間に万座・鹿沢口駅の取材を終了させる。
観光地の駅ではあるが、実際には単線の高架橋駅で高架下が駅舎を兼ねている。
ここから嬬恋の各方面や浅間山へのバスなどが発着するため、
駅前のバス乗り場は広く取ってあるが、
バスが一台も来ていなかったので薄ら寒さを感じさせた。
11:32に大前から到着した上り電車に到着する。
この時間なら何とか渋川で高崎駅12:17発の水上行きに乗れるのではないかと思ったが、
それが誤算であった。
上り電車は下り以上にすれ違い停車が多かった。
下りに取材済みの川原湯温泉で6分停車、
隣の岩島でもまた6分停車である。
この段階でちょっとやばいのではないかと思い始めていた。
既に12分のロスで、岩島を出た時には12:13になっていた。
もうすぐ水上行きの上越線が発車してしまう。
この後中之条駅でも7分間停車し、ここでは開き直って駅取材を敢行する。
中之条を出た時には12:35になっていた。
それでも微かな期待を持っていたが、渋川に着いた時には13:01になっていて、
12:17高崎発の上越線735Mは既に渋川を出ていた。
これは後で調べて分かったのだが、
この時間には渋川から4つ先の沼田の手前に到達していて、
あと駅ふたつで水上に到着するという位置にいたのである。
この段階で土合駅取材は不可能となった。
この後の電車で無理矢理取材すれば帰りの足は確保できない。
渋川では下車せずにそのまま高崎方面に向かっていった。
今回のミッションの最大の、そして唯一の課題は未達のままに終わってしまったのである。

2004/10/26 01:32

※写真:万座・鹿沢口駅 撮影時刻 2004/10/07 11:35:45


  6.両毛線完乗の旅

11:32に万座・鹿沢口駅から乗り込んだ吾妻線532Mは、
13:01に渋川を出て13:26に高崎に到着する予定になっていた。
既に今回の日帰りの旅の目的を失ってしまったので、
この先どうするか渋川からの車内でずっと考えていた。
そこで取り敢えず、万座・鹿沢口に取材に云ったために断念した、
両毛線伊勢崎駅の取材をすることにしようと思った。
そこで終点高崎までは行かず、ふたつ手前の新前橋で下車する。
ここから両毛線に乗り換えて伊勢崎駅を目指す。
新前橋は新前橋電車区のある駅で、
駅の側線にはジョイフルトレイン「せせらぎ」が留置されていた。
13:25の伊勢崎行きの電車に乗る。
107系2両編成だった。
伊勢崎は思ったよりも大きな駅ではなかった。
寧ろ田舎の駅の中では有人駅の分だけマシといった感じの、
良くある田舎の駅であった。
伊勢崎はまた東武伊勢崎線の終点でもある。
東武伊勢崎線は浅草から伊勢崎までを結ぶ東武鉄道の事実上の本線である。
浅草はデパートの中に入っている大きな駅だが、
終点の伊勢崎はJRのホームの橋に間借りしている感じで、
独自の駅舎はなく、
伊勢崎駅には「JR」の看板だけで「東武鉄道」の文字はない。
6時台、7時台は5本ずつの発車があるが、
10時から14時は1時間に1本、それ以降も約1時間に2本しかない。
東京を中心に放射状に延びる私鉄の一つの姿を見たような気がした。
駅取材後、駅構内にある「上州そば」で天ぷらうどん\350喰う。
ここは東日本キヨスク高崎支社経営の立ち食い蕎麦屋で、
良くある田舎の立ち食い蕎麦といった感じである。
漸く空腹を見たし、14:06の小山行きに乗り込む。
107系ロングシート車だったが、疲れが溜まっていたのか爆睡する。
途中下車しないでそのまま小山まで行く。
小山は東北本線の駅で、東北新幹線も接続する駅である。
ここは以前取材済みだったので直ぐに15:21の小金井行きに乗る。
ここまで来た以上、東北本線黒磯の取材をしたいと思った。
黒磯は交流と直流の境目の駅である。
そのため上野を出た直流電車はほとんどが小金井や宇都宮、
最長でも黒磯までしかない。
ここから先は115系やE231系では走ることが出来ないのである。
取り敢えず、小山の隣の小金井に行く。
ここで駅取材し、宇都宮行きに乗って終点宇都宮に行く。
だが、今回の取材はここが終点となった。
ここから更に先に行くには既に光量不足になってきていたのである。

2004/10/26 22:40

※写真:伊勢崎駅東武線ホーム 撮影時刻 2004/10/07 14:14:39


  7.餃子と下野山菜弁当とサロE231-1001

結局このまま黒磯まで行っても十分な光量での写真は撮れないと判断し、
今回は宇都宮でこの旅を終了することにした。
宇都宮は既に何回か来ていて、西口は取材済みである。
しかしその時は時間がなくて東口は未取材のままであった。
そこで今回は東口の取材をする。
東口は改札を出て測線を跨線橋で越えるためにちょっと遠い感じがある。
そしてここには有名な「餃子像」がある。
「餃子像」は宇都宮観光協会が設置した石像で、
説明書きには、
「宇都宮市は、一世帯当たりの餃子の消費額『日本一』の座を守り続けています。
 この像は、『ギョーザの街・宇都宮』のシンボルとして、
 餃子の皮に包まれたビーナスをモチーフに
 地元の大谷石を使い制作したものです。」と書かれている。
う〜む、ビーナスが餃子の皮に包まれているというのもどうなんだろう・・・。
宇都宮といえば確かに“餃子の街”というイメージが定着している。
駅構内には立ち食い蕎麦のかわりに立ち食い餃子がある。
冗談のような話だが、たたみ一畳程のスペースにカウンターだけの店があり、
一人前6個\210という価格である。
「さつき」というその店で一人前の餃子を喰い、
16:47普通の上野行きに乗車する。
E231系15両編成で、グリーン車連結車両である。
宇都宮線、高崎線は10月16日のダイヤ改正からグリーン車が営業開始する。
Suicaでグリーン券が購入できることや事前購入で割引になるなど、
それまでの敷居の高いグリーン車から身近になるように工夫されている。
駅ホームにはグリーン車搭乗口付近にグリーン券の券売機があり、
リーン券の情報をSuicaに移して乗車する。
グリーン券といってもデータがSuicaに移るだけで紙の切符が出るわけではない。
着席したら天井のタッチパネルにSuicaをタッチすると、
ランプが赤から青に変わってグリーン券情報がタッチパネルに移る。
車掌はそれを見るだけでグリーン券が購入されていることを確認できるため、
車内検札は省略される。
そして既にグリーン車両を連結した編成は、10月16日までは普通車として営業される。
つまりダイヤ改正まではただでグリーン車に乗れるのである。
これに乗らない手はない。
グリーン車サロE231-1001・5号車4Dに座席を確保し、
一端コンコースまで下りて売店で「下野山菜弁当」\700、
NEWDAYSでビールや伊右衛門などを購入して座席に戻り、
ビールを飲みながら弁当を食べて上野までの旅を楽しんだ。
「下野山菜弁当」は玄米御飯に鹿尾菜、薇、蕗の薹などの山菜を中心とした弁当である。
鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷで、
最後にこんなにリッチな旅が出来るとは思わなかった。
上野から山手線で秋葉原に出て総武緩行線で幕張まで帰る。
結局土合で気合いを入れるつもりが、
普通切符でグリーン車に乗り、
ビールで弁当を喰って爆睡して帰るという腑抜けな旅になってしまった。
こうして「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」の旅は、
ここに完全に終了した。

 取材データ

2004.10.7. 撮影 185枚 保存34枚 採用率 18.4%

2004/10/26 23:20

※写真:上野駅に戻ってきた“サロE231-1001” 撮影時刻 2004/10/07 18:49:14





REI RINGONO travelnotes
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2005-2012

inserted by FC2 system