睦月大阪和歌山純情物語



  1.九州縦断ディドリーム計画

JALからメールで「バーゲンフェア」の案内が来た。
2月のバーゲンフェアの期間は18日金曜日から27日日曜日である。
当初は2月に旅行に行くつもりはなかったのだが、
気紛れでいろいろと検討していった結果、
日帰りで鹿児島へ行く計画が出来上がった。
鹿児島中央から指宿枕崎線で19番目の西大山に行くためである。
この駅は指宿枕崎線の中では特に重要という駅ではない。
指宿や枕崎には温泉やリゾート地もあるが、
西大山は何もない無人駅である。
しかしこの駅はある意味で非常に有名な駅なのである。
それは普通鉄道としては最南端の駅なのである。
2004年夏には最北端の駅“稚内”を取材しているので、
今年は是非最南端の駅を取材したいと思った。
因みに敢えて「普通鉄道」と書いたのは、
沖縄に沖縄都市モノレール、通称“ゆいモノレール”が開通したため、
索道軌道も含めるとゆいモノレール赤嶺駅が最南端ということになるからだ。
鹿児島中央から指宿の隣の山川まではある程度本数があるが、
その先は極端に本数が少なくなる。
ここは一日がかりでないと取材できない。
そこで敢えて今回は日帰りでこの最南端の駅、西大山を取材するために、
飛行機で九州に行くことにした。
ANAもJALと同じ期間に「超割」を設定している。
九遊きっぷを使用するため、今回はANAを利用しなければならない。
九遊きっぷとはANAの「超割」利用者限定で発行される特別割引切符で、
JR九州管区内の全線が、
新幹線を含む特急自由席が一日\5,000で乗り放題というものである。
移動にはこの切符を使うのが経済的なのだ。
ANA利用で以下の通りの計画を立ててみた。

 −2月19日(土)−
 
04:40幕張−総武緩行線・御茶ノ水行461B−05:20秋葉原
05:24秋葉原−京浜東北線・南行403A−05:33浜松町
05:42浜松町−東京モノレール・下り−06:05羽田空港
06:30羽田空港−ANA981便−08:15福岡空港
08:30福岡空港−福岡市営地下鉄空港線−08:35博多
 ※九遊きっぷ購入
09:10博多−リレーつばめ5号−10:47新八代
10:50新八代−つばめ5号−11:30鹿児島中央
11:53鹿児島中央−快速なのはな3339D−12:54山川
13:07山川−8333D−13:18西大山
 ※11月28日までの土曜・休日運転
14:00西大山−5328D−14:16指宿
14:19指宿−1352D−15:39鹿児島中央
(14:58−快速なのはな3354D−16:01鹿児島中央)
16:09鹿児島中央−きりしま20号6020M−18:21宮崎
18:37宮崎−にちりん15号5015M−18:46宮崎空港 
20:35宮崎空港−ANA618便−22:05羽田空港

以前にANAで\10,000で「一日乗り放題」という、
今では考えられないようなチケットがあった。
設定日は毎月1日で、普段ではなかなか月初に有休は取れないが、
たまたま1日が土曜日に当たる日に、
このチケットで九州に日帰り旅行を計画したことがあった。
2003年3月1日のことである。
この計画は東京航空管制センターのトラブルという想定しきれなかった原因により、
とうとう幻のものとなってしまった。
今回の九州日帰り旅行にはこの時のリベンジという意味合いもある。
実際に九州縦断計画を立て、
後はANAの「超割」の発売日を待つだけとなったある日、
とんでもないミスに気付いたのである。

2004/12/03 03:36


  2.ミステイク

九州縦断ディドリームを計画した時には気付かなかったが、
あとからネットで“駅から時刻表”で確認していて、
大きなミスに気がついた。
指宿枕崎線の山川−西大山間の5328Dが運転日注意で、
“11月28日までの土曜・休日運転”になっていたのである。
目が点になった。
ただでさえ、指宿枕崎線は運転本数が少ないのである。
しかもそのなかで運転されない列車があるということであれば、
計画を大幅に変更せざるを得ない。
博多からリレーつばめ、九州新幹線つばめでの移動を楽しもうと思ったが、
それでは早朝の時間帯が取れないので、
鹿児島空港に下りて直ぐに鹿児島中央までリムジンバス移動し、
指宿枕崎線の旅を楽しむというもの。
しかしこれもうまく計画を組めない。
そこで今度は日帰り旅行を断念し、
鹿児島に一泊して早朝に出るという計画、
或いは指宿のホテルに一泊、
枕崎のホテルに一泊するという計画なども立ててみたが結局うまくいかなかった。
西大山まで行くと帰りの飛行機に間に合わないのである。
いろいろ考慮した結果、
つまり山川−西大山間の5328Dが運転再開するであろう、
春まで待つしかないということになった。
ここに九州縦断旅行の計画は断念せざるを得ないという結論に至った。
とほほ・・・。
九州旅行の計画を断念し、
2月の「超割」での旅行自体も断念してネットサーフィンしていた時、
以前大阪モノレールの大阪空港駅で見たポスターのことを急に思い出した。

2005/01/03 16:08


  3.大阪周遊パス

以前大阪を日帰り旅行した時に伊丹空港から梅田に行く時、
大阪モノレールで阪急蛍池にアクセスした。
その大阪モノレールで一枚のポスターを目にした。
それは「大阪周遊パス」のポスターだった。
そのポスターには大阪の電車・バスが乗り放題と書かれていた。
その時は急いでいたのでそのまま通り過ぎてしまったが、
後で気になり戻ってからネットで検索した。
それによると「大阪市内を中心に電車・バスが1日乗り放題になり、
24の人気施設にも入場できる観光カード。」とのこと。
観光施設の入場が無料になったり割引になったりもするが、
一番の特徴は大阪市内の電車、バス、ニュートラムが、
一日自由に乗り放題になるということ。
しかも大阪エリア版は\2,000である。
これは使える!
何時かこれを使って大阪私鉄の取材をしようと思っていた。
いままでJRは大阪、新大阪、京都と充分に車両取材してきたが、
大阪エリアの私鉄だけはほとんど手つかずだった。
正しく渡りに船である。
いつか1泊2日で大阪私鉄取材の旅をしようかと思っていた。
折角なので九州旅行が“没”になった現在、
いつかやろうと思っていた大阪パスネットを使った旅を、
この2月の「超割」で決行しようと思った。
そこでANAのホームページにアクセスして、
東京−大阪の便を確認した。
東京に羽田と成田のふたつの空港があるように、
大阪にも伊丹と関空というふたつの空港がある。
成田が主に海外便を受け持つように、
関空、正確には“関西空港”が海外便を主に受け持っている。
それでも関空にも何便かは国内便が発着していて、
東京−大阪のように便数が多いルートには関空発着が何便かがある。
発着便が過密にならないようにとの配慮だろう。
前回の大阪日帰り旅行の時は伊丹に下りて帰りは関空から帰った。
そのため関空に着く時には完全に夜になっており、
人工島である関西空港に渡る手前の人口都市、
りんくうタウン取材にも完全な夜撮になってしまった。
そこで今回は先に関西空港に下りてりんくうタウンを自然光で取材したい。
関西空港から大阪市内までは南海電鉄が結んでいる。
そこで「大阪周遊パス」南海拡張版を購入することにした。

2005/01/03 17:45


  4.大阪周遊パス南海拡張版

「大阪周遊パス」は大阪市内の電車、パス、ニュートラムに一日乗り放題の、
大阪エリア版\2,000のほか、
このエリアに私鉄各線の沿線をプラスしたエリア拡張版がある。
エリア拡張版は以下の私鉄各社版である。
阪急拡大版は\2,300で、
大阪エリア+阪急電鉄の神戸本線、今津線、甲陽線、伊丹線、宝塚本線、箕面線、千里線の全線、
および京都本線の梅田〜水無瀬間。
京阪拡大版は\2,200で、
大阪エリア+京阪電車の大阪府内(千林〜樟葉、枚方市〜私市)。
阪神拡大版は\2,300で、
大阪エリア+阪神電車の全線。
近鉄拡大版は\2,500で、
大阪エリア+近鉄の大阪府、奈良県内「スルッとKANSAIエリア」で、
道明寺線、吉野線、田原本線では使用できない。
南海拡大版は\2,300で、
大阪エリア+南海電鉄の大阪府内全線。
北急拡大版は\2,100で、
大阪エリア+北大阪急行全線。
泉北拡大版は\2,200で、
大阪エリア+泉北高速鉄道全線である。
今回は南海拡張版\2,300を購入して関空から大阪市内へのアクセスにも使用する。
関西空港は空港内へ直接JRと私鉄の南海電鉄が乗り入れているのが特徴で、
丁度成田空港にJRと京成電鉄が乗り入れているのと同じである。
空港アクセス特急としてJRには「はるか」、南海には「ラピート」があるのも、
成田空港にJRに「成田エクスプレス」、京成に「スカイライナー」があるのと似ている。
この大阪周遊パス南海拡張版購入を前提として、
まずは以下のような計画を立てた。

 −1月22日(土)予定−

05:44幕張−総武緩行線下り515C−06:25秋葉原
06:30秋葉原−京浜東北線南行509A−06:39浜松町
06:45浜松町−東京モノレール下り−07:06羽田空港
 ※発券、搭乗手続き、手荷物検査
 ※朝食購入
07:35羽田空港−ANA141便−08:50関西空港
 ※大阪周遊パス南海拡張版\2,300購入
09:06関西空港−南海空港線−09:18りんくうタウン
09:33りんくうタウン−南海空港線−09:39関西空港
09:50関西空港−南海空港線−10:38難波
10:50なんば−大阪市営御堂筋線−11:05新大阪
 ※コインロッカー使用
新大阪−大阪市営御堂筋線−梅田
大阪−JR大阪環状線−天満 \120 Suica使用
天満−JR大阪環状線−桜ノ宮 \120 Suica使用
桜ノ宮−JR大阪環状線−京橋 \120 Suica使用
京橋−京阪本線−千林
 ※京阪本線車両取材
千林−京阪本線−天満橋
天満橋−大阪市営谷町線−天王寺
 ※阪堺電気軌道天王寺駅前電停取材
大阪阿部野橋−近鉄南大阪線−矢田
矢田−近鉄南大阪線−大阪阿部野橋
天王寺−大阪市営谷町線−谷町九丁目
谷町九丁目−大阪市営千日前線−なんば
難波−南海本線−羽衣
 ※JR阪和線東羽衣取材
羽衣−南海本線−貝塚
貝塚−南海本線・多奈川線−多奈川
多奈川−南海本線・多奈川線−難波
なんば−大阪市営御堂筋線−新大阪
 ※ロッカー荷物取り出す
 ※ヴィアイン新大阪チェックイン 6:00p.m.予定

ここまで計画を立ててこの予定を変更することにした。
それはある本との出会いだった。

2005/01/03 18:07


  5.「1月22日(土)予定」決定稿

大阪周遊パスの旅を企画している途中で一冊の本と出会った。
それは梅原淳氏著の「鉄道 駅と路線の謎と不思議」という本である。
この本の「紀和駅の謎」という部分をこの計画を立てている途中に読んだ。
これによると紀勢線の駅であり阪和線、和歌山線の分岐駅にもなっている和歌山駅、
南海電鉄と接続する和歌山市駅と、
和歌山市を代表するふたつの駅にはさまれて紀和駅という駅がある。
この駅は今でこそ無人駅になってしまっているが、
この3つの駅の中では一番最初に出来た駅であり、
もともと「和歌山駅」を名乗っていた駅だったのだ。
つまり本来ならこの紀和駅が和歌山市の中心となるべき駅だったのである。
しかし市街地から少し遠いことや南海電鉄が国有化されなかったことなど、
いろいろな要素が絡み合ってこの駅は廃れてしまったそうである。
折角南海拡張版で大阪府と和歌山県の県境まで行くのだから、
多少の乗越料金を払ってでもこの駅は取材したい。
和歌山市の中心となる駅として生まれ、
運命に翻弄されてふたつの代表駅にはさまれて無人駅になってしまった紀和駅。
こんなおいしいモチーフは、
「Station−駅から始まる物語」を主催する林檎乃麗としては見逃せない。
そこで駅すぱあとで調べたところ、
大阪周遊パス南海拡張版の南海線の境界である孝子駅、
そこから和歌山市駅までは2駅、\250で行ける。
これなら乗り越して取材に行かない手はない。
そこで各私鉄の取材を日曜日にずらし、南海線の取材を中心に土曜の予定を変更、
更に和歌山市駅、紀和駅、和歌山駅の駅取材も土曜日に敢行することにした。
そこで以下の通り、予定を変更して計画を立て直した。

 −1月22日(土)予定−

05:29幕張−総武緩行線下り517B(41)−06:10秋葉原[4]
06:14秋葉原−山手線外回り501G(10)−06:24浜松町[5]
06:29浜松町−東京モノレール下り(22)−06:51羽田空港[44]
 ※発券、搭乗手続き、手荷物検査
 ※朝食購入
07:35羽田空港−ANA141便−08:50関西空港[16]
 ※大阪周遊パス南海拡張版\2,300購入
09:06関西空港−南海空港線(12)−09:18りんくうタウン[15]
09:33りんくうタウン−南海空港線(6)−09:39関西空港[11]
09:50関西空港−南海空港線(48)−10:38難波[12]
10:50なんば−大阪市営御堂筋線(15)−11:05新大阪[38]
 ※コインロッカー使用
11:43新大阪−大阪市営御堂筋線(7)−11:50梅田[23]
12:13大阪−JR大阪環状線外回り(2)−12:15天満[11] \120 Suica使用
12:26天満−JR大阪環状線外回り(1)−12:27桜ノ宮[16] \120 Suica使用
12:43桜ノ宮−JR大阪環状線外回り(2)−12:45京橋[8] \120 Suica使用
12:53京橋−京阪本線準急(7)−13:00淀屋橋[5]
13:05淀屋橋−大阪市営御堂筋線(5)−13:10なんば[52]
 ※昼食
14:02難波−南海本線急行(15)−14:17羽衣[22]
 ※JR阪和線東羽衣取材
14:39羽衣−南海本線急行(12)−14:51貝塚[39]
15:30貝塚−南海本線(34)−16:04和歌山市[28] 乗越\250
16:32和歌山市−JR紀勢本線(2)−16:34紀和[30] \140
17:04紀和−JR紀勢本線(4)−17:08和歌山[23] \140
17:31和歌山−JR紀勢本線(6)−17:37和歌山市[3] \180
17:40和歌山市−南海本線急行(60/1:00)−18:40難波[14] 乗越\250
18:54なんば−大阪市営御堂筋線(13)−19:09新大阪
 ※ロッカー荷物取り出す
 ※ヴィアイン新大阪チェックイン 7:30p.m.予定

JR新大阪駅入場券にて入場20:10〜22:10
 20:22(12)「日本海3号」
 20:22始発(17)「なは」
 20:48-56[8](18)「あかつき/彗星」

去年東海道本線の旅で2日目に大阪環状線の旅を決行したが、
天満と桜ノ宮を取材した時には完全に夜撮になってしまった。
そこで今回はまずこのJR2駅のリベンジ取材をしたい。
その後、難波に移動して南海電鉄の取材と和歌山エリアの取材をする。
宿泊は何回か利用したことのあるJR西日本傘下のヴィアイン新大阪を利用する。
また夜間はJR新大阪駅に入場券を購入して入場、
寝台列車の取材をすることにする。

2005/01/27 02:46


  6.「1月23日(日)予定」決定稿

翌日は無料朝食を喰って8:00a.m.にはチェックアウトし、
今回は梅田のコインロッカーに荷物を預け、
当初土曜日に予定していた私鉄各線の車両取材を中心に考慮して計画を立てる。
また南港タウンのニュートラムなども折角なので乗ってみたい。
南港タウンを通って大阪港に至る路線も取材経路に加え、
以下のような予定を立ててみた。

 −1月23日(日)予定−

 06:20起床、07:00朝食
 ※ヴィアイン新大阪チェックアウト 8:00a.m.予定
08:21新大阪−大阪市営御堂筋線(7)−08:28梅田[18]
 ※コインロッカー使用
08:46梅田−大阪市営御堂筋線(3)−08:49淀屋橋[13]
08:58淀屋橋−京阪本線(13)−09:11千林[21]
 ※京阪本線車両取材
9:32千林−京阪本線(10)−09:42天満橋[8]
09:50天満橋−大阪市営谷町線(9)−09:59天王寺[42]
 ※阪堺電気軌道天王寺駅前電停取材
大阪阿部野橋09:41−近鉄南大阪線(10)−10:51矢田[17]
00:08矢田−近鉄南大阪線−11:19大阪阿部野橋[101/1:41]
 ※昼食
13:00天王寺−大阪市営御堂筋線(16)−13:16なかもず[35]
13:51なかもず−大阪市営御堂筋線(21)−14:12大国町[34]
14:46大国町−大阪市営四つ橋線(11)−14:27住之江公園[20]
14:47住之江公園−大阪市営南港ポートタウン線(4)−15:01中ふ頭[30]
15:31中ふ頭−OTSニュートラムテクノ線(4)−15:35コスモスクエア[18]
15:53コスモスクエア−OTSテクノポート線(3)−15:56大阪港[28]
16:24大阪港−大阪市営中央線(10)−16:34阿波座[8]
16:42阿波座−大阪市営千日前線(4)−16:46野田阪神[21]
17:07野田阪神−阪神本線急行(5)−17:12尼崎[22]
17:34尼崎−阪神本線特急(7)−17:41梅田[79/1:19]
 ※夕食
 ※コインロッカーから荷物を出す
19:00梅田−阪急宝塚線(14)−19:14蛍池[16]
19:30蛍池−大阪モノレール(3)−19:33大阪空港[47] \200
20:20伊丹空港−ANA040便−21:25羽田空港

当初の予定では2月の「超割」で計画していたが、
ANAのホームページを見た時に1月でも十分に超割の席が残っていることを知り、
1月に決行することにした。
3月には「青春18きっぷ」を使って3回の旅を検討している。
そこで時間を空けた方がいいということもあり、
1月の「超割」期間である1月22日土曜日、23日日曜日に計画した。
1月の「超割」は既に購入開始になっているため、
早速ネットからANAのホームページにアクセスして以下のように予約を取る。
 1月22日(土) ANA141便07:35東京(羽田)−08:50大阪(関西)普通席
 1月23日(日) ANA040便20:20大阪(伊丹)−21:25東京(羽田)普通席
予約を入れると同時にチケットレス、クレジットカード決済する。
これで後は当日羽田に行けば発券される。
更に予定していたヴィアイン新大阪にもホームページにアクセスし予約を入れる。
メールにて予約完了の返事来る。
チェックイン日 :2005年 1月 22日
到着予定時刻  :pm06:00
ご宿泊日数   :1日
ご希望のプラン :シングル(禁煙)/1名様/1室 \6,195
これで後は当日予定を決行するだけとなった。

2005/01/03 20:55


  7.羽田空港第2旅客ターミナルビル

何時も会社に行く時間よりも30分早く起きて、
05:29幕張発の総武緩行線御茶ノ水行きに乗る。
初電から4番目の電車である。
2003年1月22日土曜日、大阪私鉄取材のために羽田空港に向かう。
秋葉原から山手線で浜松町に出て東京モノレールに乗り換える。
Suica定期券が使えるので乗り換えも便利である。
偶然にも06:30発の快速に乗れた。
ダイヤ改正で快速が増発し、
快速だと浜松町の次に天王洲アイルに停車した後そのまま羽田空港まで直通し、
浜松町−羽田空港間が約3分短縮した。
去年12月に羽田空港は第2旅客ターミナルビルが開業し、
JALは第1旅客ターミナルビル、
ANAは第2旅客ターミナルビルと航空会社別に分かれた。
京浜急行はもともと第1旅客ターミナルと第2旅客ターミナルの中間に、
ホームが設置されていたため、
第2旅客ターミナルビル側に入り口を増設しただけだったが、
東京モノレールは第1旅客ターミナルビルの真下に駅があるため、
大きくカーブして反対側の第2旅客ターミナルビルの真下に駅を開業した。
今回の旅行では第2旅客ターミナルビルを初めて利用することになった。
今までビッグウイング(第1旅客ターミナルビル)に慣れていたため、
勝手が違うので少し戸惑った。
モノレールから見た車窓のビルの電光掲示板にはただいまの気温「2度」と出ていた。
寒いはずだ。
06:49には羽田空港第2旅客ターミナルビルに到着し、
早速出発ロビーに行ってクレジット決済した航空券を発券し、
手荷物検査のゲートを通過する。
ターミナルビルが分かれたことでバス移動が少なくなった。
もともと東京−大阪間のように頻繁にある空路は直接乗り込めることが多いが、
地方空港ではバス移動も多かった。
それが直接乗り込めるようになっただけでも空港第2旅客ターミナルが出来た意義がある。
ANA FESTA61番ゲートコンビニショップでシウマイ弁当\710と、
伊右衛門500ml\150購入してロビーで喰う。
ロビーで弁当を喰っている間に搭乗開始になる。
ANA141便は07:35に羽田空港をtake offし、
一路関西空港に向けて跳び続けていた。

2005/01/29 20:48

※写真:第2旅客ターミナルビルの窓越しに見たANA141便 撮影時刻 2005/01/22 07:35:06


  8.予定変更

07:35に羽田を飛び立ったANA141便は約1時間で関西空港に到着した。
関西空港はとなりにJRと南海電鉄の関西空港駅が併設されていて、
この駅の取材をしてから南海電鉄のサービスカウンターに行き、
大阪周遊パス南海拡張版\2,300を購入する。
これは大阪市内の私鉄各線と市営地下鉄、バスが一日乗り放題になる、
大阪周遊パスに南海電鉄の大阪府内のエリアにも乗れるエリア拡張版で、
勿論関西空港からも乗ることが出来る。
関西空港からこのパスを使ってまずは隣り駅のりんくうタウン駅で下車する。
前回来た時は既に夜になっていたために駅取材が出来なかった。
そこで今回はこの駅の取材も目的の一つになっていた。
駅取材してから南海電鉄のホームでラピートなどを取材し、
JRと分かれて最初の駅、泉佐野へ行く。7.羽田空港第2旅客ターミナルビル
関西空港は大阪湾を埋め立てて作られて人工島に造られている。
関西空港に行くにはその入り口のりんくうタウンから、
スカイゲートブリッジRを渡らなければならない。
この橋にはJRと南海の線路があるほか、関西空港自動車道の道路も併設されている。
JRは阪和線日根野から関西空港線が分岐して関西空港道と合流し、
国道481号線にはさまれてりんくうタウンまで併走する。
それに対し南海電鉄は南海線泉佐野から分岐して、
大きくカーブしながらりんくうタウン直前でJRと合流する。
りんくうタウンで南海線急行に乗ったが、
難波まで行かずにとなり駅の泉佐野で下車する。
当初の予定ではそのまま難波まで行き、更に大阪市営地下鉄御堂筋線に乗り、
新大阪に行って旅行用バッグをコインロッカーに入れ、
身軽になってから本格的取材をするつもりだった。
しかし昨日までの天気予報では日曜日の降水確率が40%で、
雨の予報になっていたために思い切って予定を変更し、
なるべく今日中に駅取材の予定をこなしておきたかった。
そのため泉佐野で下車して先に和歌山方面の取材をすることにしたのである。

2005/01/29 21:25

※写真:関西空港から見たJR/南海の関西空港駅 撮影時刻 2005/01/22 09:11:49


  9.紀和−運命に翻弄された無人駅

現在の和歌山市には市を代表する駅がふたつある。
ひとつはJRのターミナルとなっている和歌山駅。
そしてもう一つは南海電鉄の終着駅である和歌山市駅である。
先に出来たのは和歌山市駅で、1903年(明治36年)3月21日である。
それまでの南海電鉄は難波から大阪府阪南市の尾崎までを結んでいた。
和歌山市からの要請に乗った形で尾崎から和歌山市まで延伸した。
それに対し、現在の和歌山駅は1924年(大正13年)2月28日である。
開業当時の駅名は東和歌山である。
何故ならば既に“和歌山駅”を名乗った駅が存在していたからである。
既に和歌山駅を名乗っていたのは1898年(明治31年)5月4日開業の、
紀和鉄道和歌山駅で、現在の紀和駅である。
紀和鉄道は現在の和歌山線の前身で、
開業当時の和歌山線は東西方向に直線で現在の紀和駅まで開業した。
この紀和鉄道が和歌山市で初めて出来た鉄道でもあった。
この駅が本来ならば和歌山を代表する駅になる筈だった。
しかしこの和歌山駅は和歌山市の地元の商工会議所などに評判が悪く、
そのために南海電鉄に対して和歌山市駅までの延伸が要請されたのである。
それというのもこの駅は当時の市の中心部からは少し外れていたのである。
和歌山市駅開業と同時に紀和鉄道が和歌山駅から1.8km延伸して接続した。
この1.8kmのうち、和歌山市よりの1.0kmは南海電鉄が建設している。
南海鉄道は紀和鉄道を合併する予定で接続線を建設したのである。
しかしこの合併話は結局実現できず、
1904年(明治37年)8月に関西鉄道に吸収されてしまう。
関西鉄道は現在の関西本線であり、
和歌山線も関西本線の王寺駅から分岐している。
そして関西鉄道も1907年(明治40年)10月1日には国有化されてしまう。
紀和鉄道和歌山駅は国有鉄道の和歌山駅となった。
1919年(大正8年)には紀勢本線の建設が始まり、
終着の和歌山駅が紀勢線、和歌山線、南海電鉄のターミナルになる予定だった。
そして南海鉄道は国有化も計画された。
和歌山駅と大阪方面を結ぶ路線として白羽の矢が立ったのである。
しかし南海電鉄は国有化を頑なに拒否し、
更に紀勢本線の建設が始まったこの年に、
阪和電気鉄道が天王寺−東和歌山の免許を申請したのである。
阪和電気鉄道は現在のJR阪和線の前身で、
この阪和電気鉄道は紀勢線への乗り入れを前提に免許を許可され、
終着が和歌山駅ではなく、紀勢線東和歌山となったのである。
この段階で和歌山駅は一大ターミナルの予定から外れてしまった。
阪和電気鉄道は1930年(昭和5年)6月16日に全線開業した。
日本はやがてアメリカに宣戦布告、太平洋戦争に突入していった。
この戦争が和歌山駅の運命を更に変えていった。
1945年(昭和20年)7月8日には和歌山市も大空襲を受け、
市の中心部の3分の2が焼失してしまった。
戦後の復興は東和歌山駅を中心に進められた。
東和歌山は戦前の市の中心部からは外れていたが、
国有鉄道のターミナルとなっているために復興の中心となった。
1968年2月1日には和歌山駅は「紀和駅」と名称を変更し、
その1ヶ月後の1968年3月1日には東和歌山駅が「和歌山駅」へと昇格した。
こうして和歌山市の中心駅になるべく生まれ、
紀勢線の登場によって再び一大ターミナルとなるべく計画されたが、
その計画も南海電鉄の国有化拒否や戦争などが影響し、
1972年(昭和47年)のダイヤ改正では全ての列車が和歌山駅発着となり、
和歌山−和歌山市間は単線のままの紀勢本線のオマケのような路線になってしまった。
現在では紀和駅は無人駅となり、
時代から完全に取り残された駅となってしまったのである。

2005/01/29 23:31


  10.和歌山−ふたつの代表駅と和歌山ラーメン

泉佐野で駅取材後、停車していた普通の和歌山市行きに乗る。
この電車は尾崎で後から来る急行に連絡する。
ここで急行に乗り換えて和歌山市駅に行く。
大阪周遊パス南海拡張版の拡張エリアは大阪府までなので、
孝子から先は乗越ではなく初乗り料金からかかることになる。
孝子−和歌山市間は\250。
自動精算機は使えず、有人改札口で直接支払う。
和歌山市駅を駅取材してから和歌山までのJRの切符を購入して入場する。
和歌山市駅は南海によって作られた駅で、
JR紀勢本線が乗り入れてはいるが、JRの独自の自動券売機はなく、
南海の自動券売機でJRの切符を買う形になる。
当然、オレンジカードは使用できない。
切符を買って入場したがちょうどJR紀勢線が出てしまったばかりで、
次の列車が来るまで30分も時間が出来てしまった。
予定変更したためにダイヤが全く頭に入っていないのだ。
次のJR紀勢線が来るまで南海の車両取材する。
南海本線1000系、
南海本線10000系特急「サザン」、
南海本線7000系、
南海和歌山港線2200系など取材する。
JR紀勢線は関西本線亀山から紀伊半島をぐるっと回って和歌山市まで至る、
全長384.2kmの長距離路線であるが、
実際は和歌山から和歌山までは単線で105系が2両編成で往復しているだけで、
直通運転する編成はない。
更に途中駅の紀和は短いホームしかなく、長編成は停車できない。
和歌山駅まで行き、ここで駅取材する。
和歌山駅は逆にJRが造った駅であるが、南海電鉄貴志川線の駅が併設されている。
中央口、東口を取材後、複合商業施設VIVO内の「百番」に行き、
和歌山ラーメン\550喰う。
「郷に入れば郷に従え」ということで、
和歌山に来たからには和歌山ラーメンを喰おうと思って喰ったのだが、
正直云って味は今ひとつだった。
少し和歌山駅で車両取材して、12:17の紀勢線で紀和駅を目指す。

2005/01/31 01:04

※写真:JR和歌山駅中央口 撮影時刻 2005/01/22 11:34:21


  11.歴史に埋もれたもう一つの代表駅

JR和歌山駅を12:17に出た105系2両編成は3分後に紀和駅に到着した。
ここで下りたのはおいらの他にはひと組の親子だけだった。
これでは無人駅になるのも無理はないだろう。
この駅はかつて有人駅であったため、2階建てで瓦屋根である。
しかし今は無人であるために2階の窓はガラスが外され、
ベニヤ板が填められている。
投石などの悪戯に対応してのことだろう。
1階の待合室の切符売り場であったところもすべてベニヤ板で覆われていて、
その駅が完全に死んでいることを物語っている。
かつては和歌山で初めての駅として誕生し、
たとえば神奈川県でいえば横浜駅、埼玉県でいえば大宮駅のような、
その県を代表するターミナル駅になるべくして生まれてきた駅なのに、
時代に翻弄されて戦後の復興開発で見捨てられ、
歴史に埋もれて無人駅となってしまった紀和駅。
この駅にはそういった哀しみが淀んでいるような気がする。
次の和歌山市駅の電車が来るまでの時間は25分。
駅取材は5分もあれば完了してしまう。
そこで駅近くの跨線橋で線路の反対側に行ってみることにした。
紀和駅の駅前は商店と呼べるようなものはほとんどなく、
つては店舗として営業していただろうという建物も今は雨戸を固く閉ざしていて、
街全体が死んでいるといった感じであるが、
逆に駅の反対側は市営紀和団地となっている。
団地といっても紀ノ川にはさまれた僅かなエリアであるが、
それでもこんな場所でも団地が出来ているというのが逆に新鮮であった。
市営紀和団地はいわゆる高度成長期に出来た標準的な団地であり、
近代的なモダンなマンション群とはかけ離れたマッチ箱的な建築物であった。
しかしそれだけにこの団地内にもコンビニといえるようなものは全くなく、
それどころか営業している商店は全くなかった。
これではこの団地に住んでいる人たちはさぞかし不便であろうと思った。
或いはそういうことも含めてこの街に住んでいるのかも知れない。
12:45の和歌山市行きで南海電鉄和歌山市駅まで行く。
この電車に乗ったのもおいらの他はひと組の親子だけだった。
こちらは親子といっても年老いた母親とおばさんといった親子である。
和歌山市からは急行難波行きに乗り、終点難波駅まで行く。
約1時間の旅であった。
勿論この電車に乗っている間はそれまでの疲労もあってか、爆睡していた。
目が覚めると既に難波駅に到着していたのである。

2005/02/01 02:53

※写真:紀和駅に入線する105系2両編成 撮影時刻 2005/01/22 12:49:01


  12.天王寺/阿部野橋−近鉄南大阪線と大阪市営御堂筋線

和歌山市を出発した南海電鉄急行電車は13:59に難波駅に到着した。
南海電鉄の難波駅は南海ビルの中にあり、
このビルは1932年に竣工された。
当時流行していたネオ・ルネッサンス様式によって造られ、
その豪華可憐な姿は現在も残っている。
設計者は久野節(みきお)氏である。
このビルは高島屋がテナントとして入っている。
その大きさから全景を撮影するのは困難であった。
このあと大阪市営地下鉄御堂筋線で天王寺に移動する。
天王寺は大阪環状線の駅でもあり、近鉄の大阪安部野橋駅もある。
これは大阪という都市の特徴なのかも知れないが、
ここでもJR(国鉄)と民鉄とでは駅名が違う。
キタの中心駅である大阪も、
JR(国鉄)では「大阪」であるが、阪急、阪神は「梅田」となっている。
近畿圏内ではJRと民鉄が国鉄時代から激烈な集客競争を繰り広げていたので、
対抗意識が違う駅名をつけさせたのだろう。
大阪市営地下鉄も1号・御堂筋線は「梅田」、2号・谷町線は「東梅田」、
3号・四つ橋線は「西梅田」となっている。
3つの路線が乗り入れているので区別しやすいように東西の冠詞をつけているが、
逆にそれでややこしくなっているような気がする。
地元の人間にはそれでも分かるのかもしれないが・・・。
天王寺でも近鉄では「大阪阿部野橋」という別の駅名をつけている。
そしてそこに乗り入れている大阪市営地下鉄は、
「天王寺」と「阿倍野」のふたつの駅がある。
エリアが広いため、JR天王寺駅の地下には「天王寺」、
阿倍野筋2丁目の地下には「阿倍野」の駅がある。
更にここで注目なのは地名や地下鉄駅名が「阿倍野」であるのに対し、
近鉄は「大阪阿部野橋」とおなじ「あべの」という音でも、
「倍」と「部」と文字が違っている。
近鉄が何故地名と違う「部」の字を使ったのか正確なところは不明だが、
一説によると近鉄の前身である大阪鉄道が大阪市に乗り入れる時、
大阪市の要請で「天王寺」ではなく「阿倍野」を名乗るように強要され、
大阪市の強引なやり方に反感を抱きながらも、
乗り入れのためにやむを得ず「あへの」を名乗ったのだという。
しかし大阪鉄道は独自性を誇示するために社名の「大阪」をつけ、
さらに「あべの」の表記も少し変えたという。
ここら辺がお上に屈しながらも信念を曲げない大阪人らしさが伺える。
大阪阿部野橋から近鉄南大阪線で大阪市の終端の駅、矢田まで行き、
ここで駅取材して大阪阿部野橋駅まで戻り、
再び大阪市営地下鉄御堂筋線に乗って終点のなかもず駅まで行く。
なかもずは南海高野線中百舌鳥駅に接続している。
駅前にはロータリーもある地方都市で、
南海高野線中百舌鳥駅には泉北高速鉄道の始発駅にもなっている。
駅取材、車両取材後に南海高野線に乗って再び難波を目指す。

2005/02/05 12:36

※写真:阪堺電気軌道上町線天王寺駅前電停 撮影時刻 2005/01/22 14:46:07


  13.リベンジ−大阪環状線の残されたふたつの駅

当初の予定では今日、22日土曜日の予定は、
JR大阪環状線の天満、桜ノ宮駅取材と、
南海電鉄のりんくうタウンと和歌山の3つの駅取材だった。
予定を組み替え、また南海の羽衣、貝塚の取材などを省略したため、
余裕が出来た分、明日予定していた近鉄南大阪線や中百舌鳥駅取材を先取りできた。
しかしまだ今日の予定だった天満、桜ノ宮駅取材が完了していない。
このふたつの駅は去年大阪環状線全駅取材を決行した時に、
時間切れで夜撮になってしまった駅であり、
このふたつの駅の再取材が今回の旅の目標のひとつでもあった。
中百舌鳥で泉北高速鉄道5000系車両に乗り込んだ時は、
高野線で岸里玉出まで行き、ここで南海本線に乗り換えて難波まで行く。
そして大阪市営地下鉄御堂筋線で梅田まで出て、
ここでJR大阪環状線に乗るというものだった。
しかしこの車両は難波直通だった。
更に車内で大阪周遊パスを購入した時に貰った「大阪周遊ガイド2004」を見ていたら、
天下茶屋で大阪市営地下鉄堺筋線で扇町まで行き、
ここから天満まで歩いた方がいいと分かり、
急遽予定を変更して天下茶屋で下車し、ここを駅取材。
大阪市営地下鉄堺筋線で扇町まで行った。
前回来た時は完全に夜の帳が降りていたが、
今回は少し日が暮れかかってはいたものの駅取材にはまだ十分な光量が残っていた。
天満からSuica定期券で桜ノ宮に移動する。
近畿圏ではJR東日本が首都圏で採用しているICカード「Suica」と同じく、
「ICOCA(イコカ)」がある。
更に最近「Suica」と「ICOCA」が相互使用が出来るようになり、
Suicaのチャージ金額でICOCA区間をiOカード代わりに乗れるのである。
これは非常に便利である。
今回の取材では初めて大阪でSuicaを使用するという経験もした。
天満、桜ノ宮と取材して本日の駅取材の予定はすべて終了した。
桜ノ宮の西出口を取材する頃にはかなり光量が厳しくなってきていた。
大阪まで出て、Suicaで出場し、大阪市営地下鉄御堂筋線で新大阪に行く。

2005/02/05 13:56

※写真:南海と地下鉄堺筋線の天下茶屋駅 撮影時刻 2005/01/22 16:23:46


  14.チェックイン−「またきてや」と夜間撮影

梅田から乗った大阪市営地下鉄御堂筋線は中津止まりだった。
ここで更に乗り換えて新大阪駅まで行く。
大阪市営地下鉄御堂筋線は新大阪から地上に出る。
初めて大阪に来た時に伊丹空港からリムジンバスで新大阪駅に向かった時、
道路の上下線の真ん中に電車が走っているのが見えて驚いたのだけれども、
それが大阪市営地下鉄御堂筋線であった。
御堂筋線はその先江坂で北大阪急行電鉄に乗り入れ、千里中央まで行く。
御堂筋は国道423号線であり、
中国自動車道の両脇を走る大阪府道2号線大阪中央環状線とのジャンクションである、
千里中央間直前で再び地下に潜る。
大阪の場合、原則的に南北に延びる道を「筋」、東西に延びる道を「通り」としている。
西からなにわ筋、四つ橋筋、御堂筋、堺筋とあり、
そこを長堀通りや千日前通りが横切っているという感じである。
一説によれば豊臣秀吉が大阪の街を整備した時の名残であるという。
欧陽菲菲を例に出すまでもないけれど一番有名なのは御堂筋で、
銀杏並木でも全国的に知られている。
その御堂筋の北側は道路と地下鉄が共存するエリアであり、
地下鉄駅は跨線橋ならぬ歩道橋を渡って地上に出る形になっている。
新大阪駅内のHeart・inで買い物をしてからヴィアイン新大阪駅にチェックインする。
6:00p.m.前にチェックインしたので休憩を兼ねて「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」を見て、
バッテリーの充電などをしてから再び出掛ける。
本当は梅田に出て夕食を喰おうと思ったのだが、
先に下り電車が来たために大阪周遊パスで行けるギリギリの江坂で下車してみる。
ここも御堂筋沿いに歩道橋を渡っており、
歩道橋上から見えていた中華料理店「またきてや」に入る。
店名の付け方がいかにも大阪人らしくていい。
スタミナ定食\800+40喰う。
スタミナ焼き、玉子スープ、サラダ、ライス。
中華料理店なのにライスは皿の上に持って出てきた。
このあと大阪市営地下鉄御堂筋線で新大阪に戻り、
入場券\120で入場して夜行列車などを取材する。
20:22新大阪始発の寝台特急「なは」、
20:48新大阪着、20:56新大阪発の寝台特急「あかつき/彗星」などである。
「なは」はもともと新大阪と西鹿児島(現・鹿児島中央)を結ぶ寝台特急だったが、
九州新幹線開業で新八代−川内間が第三セクター化されたため、
現在は熊本止まりになっている。
「あかつき/彗星」は京都を始発し連結したまま門司まで行き、
「彗星」は鳥栖から長崎本線に入って長崎まで、
「あかつき」は門司から日豊線経由で宮崎まで至る。
さすがに寒さが厳しく、2本の寝台列車を取材後は直ぐに撤収し、
FamilyMart新大阪駅東店でつまみなど買い、
ホテル内の自動販売機でビールを買ってシャワー後に飲む。
疲労は蓄積していた筈だが、撮影の興奮が醒めやらぬのか、
1:00a.m.くらいまで起きていた。

2005/02/05 17:02

※写真:江坂の「またきてや本店」 撮影時刻 2005/01/22 19:42:25


  15.炭酸水素ナトリウム

阪急電車の要と掛けまして、炭酸水素ナトリウムと解きます。
その心は、「じゅうそう(重曹/十三)」です(^_^;)

モーニングコールは6:20a.m.に設定しておいたのだけれども、
6:00a.m.には目が覚めた。
先にシャワーを浴びて7:00a.m.を待って1階に降り、朝食喰う。
おにぎり、いなり等の和食も用意されていたが、
パン、コーヒー、サラダなどを喰う。
もちろん、すべてお代わりする(^_^;)
旅行に出た時って、何故か朝食が美味いのだ。
7:40a.m.にはチェックアウトし、JRで大阪駅まで行く。
ここでもSuica使用する。
阪急梅田駅まで行き、ここで大阪周遊パス阪急拡張版\2,300購入する。
天気予報では今日は雨になっていたが、
雲は多かったものの雨は降っていなかった。
昨日、予定を変更して天王寺の阪堺電気軌道取材、
近鉄南大阪線矢田駅取材、大阪市営地下鉄御堂筋線なかもず駅取材を済ましたため、
今日はその分与呈していなかった阪急電鉄の取材をする。
まず旅行用バッグを阪急梅田駅のコインロッカーに預け、
08:22発の阪急宝塚線雲雀丘花屋敷駅行きに乗り、曽根へ行く。
ここで駅取材してから十三まで戻る。
十三は「じゅうそう」と読む。
“扇の要”という言葉があるけれど、阪急電鉄の扇の要といえば、ここ十三である。
阪急電鉄は宝塚本線、神戸本線、京都本線と3つの本線系統を持つ、
関西でも最大手の民間鉄道である。
阪急電鉄の始発駅は阪急梅田駅であるが、3つの本線系統はここ十三までは併走する。
十三で三つに分かれてそれぞれに向かっていく。
だからここ十三は阪急電鉄の扇の要となっている。
梅田から出た阪急電鉄は3本の鉄橋で淀川を渡り、十三に至る。
十三の駅自体が扇状に広がっていて、
神戸本線の線路はまっすぐなのに対し、宝塚本線、京都本線の線路は曲がっていて、
ホームもそれにあわせて弧を書いている。
神戸本線下りと宝塚本線上りのホームは正しく扇状で中間に飲食店が入っている。
宝塚本線と神戸本線は十三のホーム上でも併走するが、
十条を出ると京都本線は更に東に弧を描いて完全に東に路線を引き、
大阪市営地下鉄御堂筋線と十時に交差する。
十三で駅取材してから急行で阪急宝塚線の終点、宝塚駅まで行く。

2005/02/05 21:17

※写真:扇の要となっている阪急十三駅ホーム 撮影時刻 2005/01/23 09:46:14


  16.宝塚−花の道と小林一三先生

宝塚は阪急宝塚本線の終着駅であり、
ロータリーをはさんでJR福知山線宝塚駅もある。
また駅の反対側にはソリオ宝塚があり、それを抜けると花の道に至る。
“花の道”とは阪急宝塚駅から宝塚歌劇に至る遊歩道の名称である。
阪急宝塚駅は宝塚歌劇団の聖地、宝塚歌劇大劇場のための駅でもあり、
そのため遊歩道にも夢のある名称が付けられている。
阪急宝塚駅とJR宝塚駅を取材後、花の道を行って宝塚大劇場まで行く。
劇場前にはいかにも宝塚歌劇のファンと思われる女性達が屯していた。
宝塚には“宝塚ファミリーランド”という遊園地があり、
花の道をはさんで宝塚大劇場があった。
しかし今は“宝塚ゴールデンフィールズ”という複合住宅街に変わっていた。
そしてその入り口には小林一三先生像が建っている。
小林一三氏といえば阪急電鉄の創業者として、
明治の民間鉄道黎明期に根津嘉一郎氏、五島慶太氏とともに活躍した人物である。
銅像には以下のようなプレートがつけられていた。

  逸翁の多方面にわたる業績は天下に普きところ夙に
 當地に嘱目され明治四十年箕面有馬電気軌道株式会社
 を創立して開発に着手せられ独創的なる少女歌劇並に
 動植物園を設立し以て今日の殷盛を基礎つけられた。
 寔に本市産みの親とも言うべくここに宝塚市民は在り
 し日の温容を朝倉文夫先生に嘱し銅像を鋳て永久にそ
 の偉業を讃えんとするものである。

           昭和三十二年十月十五日 除幕
                    宝塚市長

小林一三氏は鉄道の新しいモデルを創った人物として評価できる。
宝塚歌劇団は今までにない新しい娯楽として多くの人を引きつけ、
その聖地たる宝塚に多くの人を呼び込んでいる。
鉄道会社はそのターミナル駅に百貨店を作り、そこに人を呼ぼうとした。
その事で集客力が上がる。
しかし小林一三氏はもっと大胆な方法で、集客に取り組んだ。
それは“宝塚ファミリーランド”という遊園地をつくり、
さらに宝塚歌劇団という新しい舞台を創ってそこに人を呼んだ。
阪急が近畿圏で随一の私鉄に成長したのも小林一三氏の先見の明があったからである。
小林一三先生の銅像に一礼し、宝塚大橋で武庫川を渡った。
そして阪急今津線の線路を目安に南下した。
阪急の取材は今日になって決めたことであり、
事前の下調べが全くされていなかったが、
それでも線路を伝っていけば必ず駅に出くわすと信じていた。

2005/02/06 01:28

※写真:宝塚ガーデンフィールドと小林一三先生像 撮影時刻 2005/01/23 10:40:44


  17.宝塚南口から西宮北口へ−阪急今津線の旅

阪急宝塚本線は梅田から宝塚までを結ぶ路線だが、
終点の宝塚では神戸本線西宮北口から延びた今津線が接続する。
川西能勢口あたりからJR福知山線とほぼ並行に走る宝塚本線に対し、
宝塚駅から大きくカーブして南に向かい、
距離を置きながらも武庫川とほぼ並行して走り、
西宮北口で神戸本線と垂直のまま辿り着く。
直通する線路も設置されているが、原則として今津線は単独路線である。
宝塚から出て大きくカーブして武庫川を渡る今津線に沿って、
宝塚大橋を渡り、宝塚南口駅まで歩く。
宝塚南口駅はその名の通り武庫川をはさんで宝塚の南側に位置し、
また小さな駅前ロータリーのある反対側には宝塚ホテルがある。
駅舎には「阪急宝塚南口駅」とだけ書かれているが、
ホームにある駅名表示板には「たからづか みなみぐち 宝塚南口」と下に、
「(宝塚ホテル前)」と書かれている。
自社ホテルだけあってそれだけ力を入れているのであろう。
多分、宝塚歌劇を見に来る客を当て込んで設置されたホテルなのであろう。
この駅から阪急今津線に乗って西宮北口を目指す。
乗降客は立ち客もいるほどの混雑具合だった。
仁川駅の東側には阪神競馬場が見えた。
乗車時間は約12分で西宮北口に着いた。
西宮北口は神戸本線の駅であるが今津線の垂直に接続する駅であるが、
今津線が宝塚から今津まで直通するのではなく、
原則として宝塚−西宮北口と西宮北口−今津間は別路線になっている。
西宮北口−今津間は去年日帰りで甲子園取材をした時に使っている。
駅の構造が神戸本線をはさんで今津線が垂直に交わりながらも分断されているため、
駅舎自体が大きくなっていて駅取材が大変だった。
駅取材後、神戸本線の特急で梅田まで戻る。
阪急の取材を一端終了して、午後からは大阪ベイエリアの取材に入る。
この特急が終点に到着する時、
車内アナウンスでは「大阪梅田!」と云っていた。
やはりJRへの対抗意識から“梅田”と名付けたものの、
乗客への利便性を考えると、
JRでの駅名である「大阪」も云わなければならないのだろう。

2005/02/06 14:31

※写真:西宮北口駅に停車中の阪急3000系今津線 撮影時刻 2005/01/23 11:15:53


  18.大阪ベイ−観覧車とOTS

梅田に到着してまず阪急32番街の「とんかつKYK」で昼食喰う。
昼メニューのヘレ一口カツ膳\930。
ここは関東で云えば「とんかつ和幸」のような店で、
御飯、味噌汁、キャベツがお代わり自由で、もちろん全部お代わりしてしまう(^_^;)
満腹のまま大阪市営地下鉄四つ橋線に乗り、終点の住之江公園を目指す。
住之江公園で一端下車して駅取材した後、
ニュートラムである大阪市営南港ポートタウン線に乗る。
これはコンクリートのガイド内をゴムタイヤで走る新交通システムで、
東京で云えば「ゆりかもめ」に相当する。
しかしこのニュートラムは路線は住之江公園からコスモスクエアまでだが、
運営は住之江公園から中ふ頭までが大阪市交通局で、
中ふ頭からコスモスクエアまでがOTSという第三セクターになっている。
OTSは“大阪港トランスポートシステム”の略で、
大阪市が中心となって設立し、
大阪市住之江区で鉄道事業やトラックターミナルの運営を行っている。
鉄道事業では大阪市が運営する南港ポートタウンと相互直通し、
ニュートラムの運営を行っているほか、
コスモスクエアから大阪港までのOTSテクノポート線という地下鉄路線を施設し、
大阪市営地下鉄中央線を直通させている。
逆に云うとこの区間だけ別会社扱いになっているため、その分割高になる。
もちろん直通で割引制度はあるのだとは思うけれど・・・。
ニュートラムはゆりかもめのように隔離されたホームの中で車両も待つ形になっており、
直接撮影する機会はなかった。
大阪港で下りて天保山まで行ってみる。
天保山といっても本当に山であるわけがなく、そういう名前の公園があるだけである。
またこの公園には大きな観覧車があり、
これが以前ゆめ咲線の取材をした時に終点の桜島駅から見えた観覧車であろうと思われる。
大阪市営南港ポートタウン線のポートタウン東から中ふ頭、
OTSニュートラムテクノポート線の中ふ頭からコスモスクエアまでの区間は、
咲州という埋め立ての人工島になっている。
観覧車の撮影をしてからOTSテクノポート線直通で阿波座まで行き、
ここで大阪市営千日前線で終点の野田阪神まで行く。
ここからいよいよ阪神電車の取材に入る。

2005/02/06 15:26

※写真:天保山の大観覧車 撮影時刻 2005/01/23 14:15:08


  19.阪神電車と京阪電車

大阪市営地下鉄千日前線の終点、野田阪神駅で下車して地上に出る。
高架上の阪神の路線が走り、高架下に阪神電鉄野田駅がある。
ホームに上がり東の方を見ると大阪環状線の高架が見え、
バーミリオンの103系が走るのがホームからでも確認できる。
大阪環状線にも「野田」という名前の駅があるが、
阪神電鉄の「野田」駅とは約600m離れている。
大阪市道大阪臨海線に改札口を持ち、
そしてこの道路の地下には大阪市営地下鉄千日前線が走っている。
大阪市営地下鉄千日前線の大阪環状線野田駅との乗換駅は「玉川」駅である。
つまり「野田」という名前の駅がJRと阪神にあり、
このふたつの駅は地下鉄でひと駅分の距離があり、
大阪市営地下鉄千日前線の阪神「野田」駅との乗換駅は「野田阪神」、
JR大阪環状線「野田」駅との乗換駅は「玉川」となっている。
更に国道2号線の地下にはJR東西線が走っていて、
阪神野田駅との乗換駅は「海老江」という全く違った名前になっている。
海老江というのは地名であり、
同じJRに「野田」という駅名を使ってしまっているので、
阪神と同じ「野田」には出来ないし、
「野田阪神」という大阪市営地下鉄と同じ駅名にすると、
ライバル会社の社名を駅名にすることになってしまう。
だから苦肉の策としてというか、正攻法として地名から駅名を取ってきた。
そのために余計ややこしくなってしまった。
野田駅で車両取材した後、大阪周遊パスで行ける限界の尼崎駅まで行く。
ここでまた駅取材と車両取材し、阪神梅田駅まで行く。
ここで大阪市営地下鉄御堂筋線で淀屋橋まで行き、ここで京阪電車に乗る。
京阪本線がこの大阪旅行の最後の車両取材となる。
淀屋橋で丁度特急が入ってきたので乗り込む。
4列のクロスシートで座り心地も良い。
車掌が検札に来て特急料金を徴収するのではないかと心配になるほどのグレードである。
特別料金不要の私鉄特急車両としては最高水準といえる。
JRの183系、185系特急車両よりもグレードが高い。
京橋までは各駅に停車していたが、ここを出ると枚方市までノンストップだった。
枚方市で下りて車両取材してから淀屋橋行きで戻る。
すべてのミッションは終了した。
天満橋で下車して一端外に出て急遽ここの駅取材をする。
そのあと大阪市営地下鉄谷町線で天王寺に出て大阪市営地下鉄御堂筋線でなんばに出る。
時間があるので少し道頓堀の取材をしておこうと思ったのだ。

2005/02/07 22:14

※写真:枚方市駅に停車中の京阪8000系 撮影時刻 2005/01/23 16:25:52


  20.くいだおれの街・道頓堀−やっぱり好きやねん、大阪

道頓堀の取材は今回が2度目なので場所は把握している。
前回は昼間だったが、今回は夜なので逆にネオンの撮影も期待していた。
思えば前回道頓堀に来た時は阪神タイガースが優勝直前で、
グリコのネオンサインもタイガースのユニフォーム使用になっていたし、
ビル一面に大きくタイガースのマークを掲げているところもあって、
なにわの街は大盛り上がりだった。
戎橋から道頓堀側を覗き、飛び降りる位置を確認している若者までいた。
今回はオフシーズンだったのでタイガースネタでの盛り上がりはなかった。
戎橋の改修工事が行われているようで、
道頓堀側に仮設橋が掛けられていて、片側は透明の板で覆われていた。
有名なグリコのネオンサインなどを取材し、道頓堀を歩く。
夕食は「くいだおれ」に入る。
かに道楽の蟹のオブジェと並んで道頓堀の有名なものとして、くいだおれの人形がある。
みんなこの人形の前で記念写真を撮っている。
観光名所にもなっている「くいだおれ」だが、ここはもともと食堂なのである。
人形ばかり見て実際中がどうなっているのかはよく分からない。
そこで今回はここで夕食を喰って帰ることにした。
「くいだおれ」といっても満腹になったお客さんが道ばたに倒れているわけではなく、
くいだおれ人形の中は普通の食堂だった。
オーダーはカツダブルライス\1,000。
これは皿の上にライスが盛られていて上にトンカツが乗っている。
その左右にはカレーとハヤシが掛けられている。
つまりカツカレーとカツハヤシの“ハーフ&ハーフ”になっている。
こういったお得感は大阪人の好きなところなのだろう。
レシートには「*****くいだおれ証明書*****」とあり、
更に「貴殿が以下明細の通りくいだおれたことを、ここに証明致します。」と書かれている。
ここを出てから大阪市営地下鉄御堂筋線で梅田に戻り、
阪急電鉄の駅に行って預けていたコインロッカーから旅行用バッグを取り出し、
阪急宝塚線で蛍池まで行く。
ここから大阪モノレールで伊丹空港まで行く。
手荷物検査を通り、21:25飛び立つANA040便に乗り込む。
余裕を持ってきたつもりだったが、意外と時間がなくなってしまった。
今回は取材できなかった路線や車両もまだ多いので、
また大阪周遊パスでの取材に来たいと思う。
次回は近鉄拡張版で奈良方面の取材にいってみたい。
なにわの魔の力との死闘を繰り返しながらも、
やっぱり大阪は林檎乃麗にとって最も興味ある取材対象なのである。
また機会を作って大阪に来よう。
帰りの飛行機は2階席になっていた。
2階席はこぢんまりしていいのだが、機体の天井の丸みのため、
天井の棚が狭くて大きなバッグが入らない。
そのため足下にバッグを置くしかなく、狭いエコノミーが更に狭くなってしまった。
2階席は出来れば避けた方がいいな・・・。
しかもこの飛行機は気流の関係でかなり揺れた。
概算だが、地震でいえば震度4クラスの揺れだった。
CAが「かなり揺れていますが飛行には影響はありません」と繰り返していた。
それでも予定通りに羽田空港に着陸した。
羽田空港について窓の外を見て驚いたのだが、雨が降っていた。
天気予報では関西は雨で関東は晴れているとなっていたが、実際は逆だった。
帰りも東京モノレールで帰る。
行きは気がつかなかったのだが、上りの東京モノレールは羽田空港第ターミナルビルから出る。
そして第1ターミナルビルに停まって浜松町方面に行く。
つまりANAの客の方が座れる可能性が高く、JALの客はほとんど座れない。
この点からもANAの方が有利だなと思った。
浜松町から京浜東北線で秋葉原に出て総武緩行線で帰る。

 取材結果

2005.01.22._1 撮影 418枚 保存 52枚
2005.01.22._2 撮影 80枚 保存  7枚
2005.01.23._1 撮影 396枚 保存 52枚
2005.01.23._2 撮影 53枚 保存  6枚

  合計    撮影 947枚 保存 117枚 採用率 12.4%

2005/02/08 22:39

※写真:戎橋から見た道頓堀のネオンサイン 撮影時刻 2005/01/23 18:40:47





REI RINGONO Travel record
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2006-2012

inserted by FC2 system