青春の旅立ち−西へ



  1.愛と青春の旅立ち

去年発売された「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」で、
10月2日土曜日から1泊して、
東海道本線完乗の旅と大阪環状線完乗の旅をした。
この切符は鉄道の日の10月14日をはさんで3日間、
10月2日土曜日から15日の金曜日までの間で、
1券片で3回、或いは3人まで使えて、
JR各社路線全線の快速と普通の自由席及び宮島航路が、
一日乗り放題になるという切符である。
価格はおとな\9,180。
これの2日分を使って東海道本線の旅、
残りの1日分を使って土合駅取材をした。
土合駅取材は予定変更して吾妻線に乗ってしまい、
結局土合まで行く電車に間に合わなくなってしまったが・・・。
東海道本線の旅をした時、
思った程の疲労や苦痛ではなく、
寧ろ各駅停車の旅も良いものだと思い始めていた。
そして今までしんどそうだったので敬遠していた「青春18きっぷ」も、
今後は考えてもいいんじゃないかと思い始めていたのだ。
そこで今回、「青春18きっぷ」の旅を本格的に計画してみることにした。
「青春18きっぷ」とは、設定された期間の中で1券片で5回、或いは5人まで使えて、
JR各社路線全線の快速と普通の自由席及び宮島航路が、
一日乗り放題になるという切符である。
価格はおとな\11,500。
つまり1日分で\2,300となる。
これで前回は東海道本線の終点神戸で終わりにしていた旅を、
更に西へと向かうことにした。
東海道本線は東京から神戸までの長距離路線であるが、
その先は山陽本線に繋がっている。
この山陽本線は中国地方の瀬戸内海側を行き、下関から関門海峡を渡って、
門司からは鹿児島本線と接続している。
鹿児島本線の終着駅は鹿児島中央だが、
更に日豊本線で宮崎まで行き、
南宮崎から田吉までは日南線、田吉から宮崎空港までは宮崎空港線を使い、
最終目的地を宮崎空港とした2泊3日の旅を企画したのである。
更に残りの2日(回)分に関しては、
1日分を使って東北本線の旅を企画する。
残りの1日分では前回達成できなかった土合駅取材を決行する。
新潟中越地震により一時運休していた上越線だが、
JR東日本のホームページなどで確認した結果、
この路線も運転を再開したようなのでリベンジしたいと思う。
こうして人生で初めての「青春18きっぷ」の旅を企画したのであった。

2004/12/27 01:59


  2.「青春の東京−宮崎の旅」計画

今回の「青春18きっぷ」の旅は、
2005年発売の春季用を使って計画を実行することにする。
計画を策定した時点ではまだ2005年版の発売は予告されていなかったが、
毎年同じ発売日と利用可能期間であるため、
今年も去年と同じ発売日と利用可能期間と推測して、
この期間で計画を策定することにした。
去年と同じとすると今年の発売期間は2月20日日曜日から3月31日木曜日で、
設定期間は3月1日火曜日から4月10日日曜日となる筈である。
そこで今回は2泊3日で旅行するため、
発売直後の3月第1週に計画を遂行することとして、
金曜日に出発することで計画を組むことにした。
前回の旅行では東海道本線の終点である神戸をゴールと設定し、
名古屋泊にしたために細かく駅取材できたが、
今回は2泊3日で宮崎まで行かなければならない。
電車の遅れなどの万が一のことも想定してなるべく遠くに行くことを考慮し、
今回はなるべく快速に乗るようにした。
「駅から時刻表」で調べ、1泊目を岡山、2泊目を八代とした。
帰りは宮崎空港発の最終便、JAL1892便で羽田空港に戻ることとし、
以下のような計画を組んでみた。

3月4日(金)

04:40幕張−総武緩行線・上り461B−05:20秋葉原
05:24秋葉原−京浜東北線・南行403A−05:28東京
05:46東京※−東海道本線・下り323M−07:57三島
08:25三島※−東海道本線・下り221M−11:45豊橋
11:56豊橋※−東海道本線・下り・新快速5221F−13:14大垣
13:36大垣※−東海道本線・下り3221F−14:10米原
14:45米原※−東海道本線・山陽本線・下り−17:58曽根
18:15曽根−山陽本線・下り797T−18:54上郡
19:37上郡−山陽本線・下り1335M−20:27岡山

 ※岡山泊 岡山ビジネスホテル

3月5日(土)

07:35岡山※−山陽本線・下り1727M−08:54尾道
(08:00岡山−山陽本線・下り429M−09:26三原
09:14尾道−山陽本線・下り429M−09:26三原
09:50三原−山陽本線・下り・快速シティーライナー5341M−12:56徳山
13:17徳山−山陽本線・下り549M−15:16下関
15:56下関※−日豊本線・下り5569M−16:09小倉
16:16小倉※−鹿児島本線・下り4165M−18:47銀水
18:55銀水※−鹿児島本線・下り5363M−20:33八代

 ※八代泊 八代オリエンタルホテル

3月6日(日)

07:53八代※−肥薩線(えびの高原線)下り1225D−09:10人吉
10:10人吉※−肥薩線(えびの高原線)下り・いざぶろう101号8245D−11:23松吉
11:46松吉※−肥薩線・下り4229D−12:37隼人
13:18隼人−日豊本線・下り6943M−13:54鹿児島中央
14:25鹿児島中央※−日豊本線・上り6944M−15:09国分
16:07国分−日豊本線・上り6948M−16:56都城
17:03都城−日豊本線・上り6890M−17:58南宮崎
18:12南宮崎−宮崎空港線・上り747M−18:17宮崎空港
18:55宮崎空港−JAL1892便−20:25羽田空港

この日程でJALのバーゲンフェアで飛行機を予約し、
更にホテルの予約をしていこうと思った。
しかしここで大きなミスに気がついたのである。
それはこの計画を根本から覆すような大きなミスであった。

2005/02/13 20:55


  3.mistake−大幅計画変更

2泊3日の宮崎への旅の計画で、計画策定段階で大きなミスをした。
ネットの「駅から時刻表」で調べていったのだが、
3日目の肥薩線の人吉から松吉へはいざぶろう101号を使用するつもりでいた。
「いざぶろう」はキハ140形1両編成の列車で、
2004年3月13日のダイヤ改正で登場した。
このダイヤ改正で登場した九州新幹線の新八代−鹿児島中央の部分開業に合わせ、
JR九州が新しく投入した新設列車系で、
キハ183系「ゆふDX」、
キハ140・147形「はやとの風」、
キハ200形「なのはなDX」と並び、
新しく観光資源を発掘するために肥薩線に投入された。
ちなみに人吉から松吉に向かう時は「いざぶろう」の愛称名だが、
松吉から人吉に戻る時には「しんぺい」の愛称名が付させる。
「駅から時刻表」でコースを再確認していた時に初めて気がついたのだが、
「普通いさぶろう101号 人吉〜吉松」は、
「運転曜日 平日/土曜日/休日、運転期間 11月30日まで運転」と書かれていた。
目が点になった。
11月30日までで運転が終了してしまうらしい。
肥薩線はそれでなくても本数が少ないので、
この列車に乗れないと肥薩線経由で鹿児島中央に行くこと自体が不可能になってしまう。
そこで今回は肥薩線経由の鹿児島中央行きは断念せねばならなくなった。
しかし鹿児島本線は九州新幹線が開業した時に、
新八代−川内間がJRから分離され、第三セクター化してしまい、
肥薩オレンジ鉄道となってしまった。
この区間は「青春18きっぷ」が使えない。
やはりこの区間は九州新幹線を使うしかない。
そして色々と迷い、色々なシミュレーションをした結果、
前回の「九州縦断ディドリーム計画」で断念した日本最南端の駅、
指宿枕崎線の西大山駅の取材を再度検討した。
その結果、休日では不可能だがそれが平日なら可能ということは分かった。
そこで今回、3月4日金曜日に有給休暇を取るという計画を変更し、
3日目に平日になるように3月5日土曜からの2泊3日の計画にして、
3月7日に有給休暇を取ることにした。
この計画を実行すると宮崎まで行くことが出来ない。
そこで帰りは鹿児島空港から帰ることとして、
JALの予約をキャンセルして新たにANAの3月7日の最終便を予約した。
この日も「超割」の期間なのである。
また、1日目の岡山泊は、岡山ビジネスホテルより安い宿を見つけたので、
そちらに宿泊を変更した。
そして最終的に以下のような計画を策定した。

3月5日(土)

04:40幕張−総武緩行線・上り461B−05:20秋葉原
05:24秋葉原−京浜東北線・南行403A−05:28東京
05:46東京※−東海道本線・下り323M−07:57三島
08:25三島※−東海道本線・下り221M−11:45豊橋
11:56豊橋※−東海道本線・下り・新快速5221F−13:14大垣
13:36大垣※−東海道本線・下り3221F−14:10米原
14:45米原※−東海道本線・山陽本線・下り−17:58曽根
18:15曽根−山陽本線・下り797T−18:54上郡
19:37上郡−山陽本線・下り1335M−20:27岡山

 ※岡山泊 ビジネスホテル幸荘

3月6日(日)

07:35岡山※−山陽本線・下り1727M−08:54尾道
(08:00岡山−山陽本線・下り429M−09:26三原
09:14尾道−山陽本線・下り429M−09:26三原
09:50三原−山陽本線・下り・快速シティーライナー5341M−12:56徳山
13:17徳山−山陽本線・下り549M−15:16下関
15:56下関※−日豊本線・下り5569M−16:09小倉
16:16小倉※−鹿児島本線・下り4165M−18:47銀水
18:55銀水※−鹿児島本線・下り5363M−20:33八代

 ※八代泊 八代オリエンタルホテル

3月7日(月)

08:01八代※−鹿児島本線・下り6334M−08:04新八代
08:18新八代※−九州新幹線・下り・つばめ33号−08:52川内
09:52川内※−鹿児島本線・下り2439M−10:36鹿児島中央
10:40鹿児島中央※−指宿枕崎線・下り・なのはなDX1号43335D−11:31指宿
11:37指宿※−指宿枕崎線・下り5325D−11:53西大山
14:04西大山−指宿枕崎線・上り5328D−14:21指宿
15:02指宿−指宿枕崎線・下り1343D−15:17山川
15:38山川−指宿枕崎線・上り1350D−16:49鹿児島中央
17:35鹿児島中央−南国交通−18:35鹿児島空港
19:10鹿児島空港−ANA630便−20:45羽田

ANAのホームページで3月7日月曜日のANA630便の予約を入れ、
チケットレス、クレジット決済で購入、
岡山の「ビジネスホテル幸荘」はホームページからメールで予約を入れ、
八代の「八代オリエンタルホテル」は電話で予約を入れる。
また1ヶ月前の2月7日を待って、
九州新幹線「つばめ33号」の新八代−川内の乗車券、特急券を、
仕事中にJR浮間舟渡駅に行って購入する。
そして2月10日になって今年の「青春18きっぷ」の発売が、
JR東日本のホームページでアナウンスされた。
発売は2月20日からで、21日にJR浮間舟渡駅で購入した。
これで後は当日、決行するだけとなった。

2005/02/15 23:08


  4.初電−旅の始まり

3月5日土曜日、4:00a.m.前に起床し(眠い・・・)、総武緩行線461Bに乗り込んだ。
この電車は04:30に千葉を出た総武緩行線上りの初電で、
幕張駅には04:40に到着する。
一週間前間天気予報では金曜日から雨、または雪になり、
それは土曜日まで残るということだった。
実際に木曜日の夜遅くから雨が降り、それは雪となった金曜日になっても降り続いた。
しかしこの雪も金曜日の午後には止んで、
当日は足下に雪は残っていたものの、新たな雪には降られずに済んだ。
微かに小雨は降っていたが傘を差すほどではない。
この時間だとまだ辺りは暗く、駅だけが煌々と明かりをつけている。
JR幕張駅に行くと改札窓口は無人だった。
自動改札だから基本的に今は入鋏する必要はないのだけれども、
しかし「青春18きっぷ」は最初に入場する駅で刻印して貰わなければならない。
駅員を捜している暇はなかったので、そのまま強行突破して入場する。
この時間の電車に乗ったのは、
金沢からの急行「能登」を赤羽駅に取材に行った時以来である。
この急行は初電でないと取材できない。
その時以来で初電に乗る。
こんな時間に電車に乗る人などそんなにいないと思っていたが、
ホームに行くと何人かが電車を待っていた。
この人達はどういう理由で初電に乗るのだろう。
そんなことを思いながら電車を待っていると間もなく461Bが入線してきた。
よく見ると電車にはまだ少し雪が残っている。
電車が西船橋を出る頃にはかなり強く雨が降り出したが、
秋葉原で乗り換える頃にはまた小振りになっていた。
05:20には秋葉原に到着し、乗り換え時間4分で京浜東北線に乗り換える。
05:28には東京駅に着く。
ここから東海道本線の旅が始まる。
東海道本線は東京から神戸までの長距離路線で、
JR東日本、JR東海、JR西日本の旅客3社に跨る。
東海道本線は神戸で山陽本線と繋がっている。
山陽本線は神戸から下関まで行き、関門トンネルを潜って門司に至る。
門司からはJR九州管区に入って鹿児島本線が鹿児島まで続く。
この1本に繋がったレールをただひたすら西に向かう。
東京に着いてからまず丸の内口の改札で、
「青春18切符」の1回(人)のところに、
「ありがとうございます JR東日本3.−5 東京駅(C)」と検印して貰う。
さて、ここからいよいよ東海道本線の旅の始まりである。
ホームに上がるとまだ電車は来ておらず、kioskもNEWDAYSも開いていなかった。
コンコースに下りて売店でかつサンド\580、生茶500ml\150買う。
そして再びホームに上がり、
05:46東京始発の東海道線下り323Mを待った。
程なくして湘南色の113系が入線してきた。

2005/03/08 22:51

※写真:かつサンドと生茶ペットボトル500ml 撮影時刻 2005/03/05 05:56:30


  5.東海道本線の旅 東京〜三島

05:46の東京駅に323Mが7番線に入線してきた時は、
まだ夜の帳は明け切っていなかった。
東海道線の電車は211系やE231系が投入され、
鋼製の湘南色の113系は淘汰が進んでいるが、
朝早いこの列車は113系が投入されていた。
東海道本線の旅は既に去年体験しているが、早朝の東海道線乗車初めてだ。
東京駅を出る頃はまだ空は暗かったが、
線路を進んで行くに当たって徐々に夜が明けていくのを車窓から感じることが出来た。
323Mは東京から沼津までの長距離を結ぶ列車で、
この列車で沼津のひとつ前の三島までを行く。
東海道本線は分割民営化後、3つの旅客会社に跨るが、
JR東日本とJR東海の境界となっているのが熱海駅である。
つまり熱海から先はJR東海の管轄下となっている。
東京から一度も乗り換えることなくこの旅の2社目のJR東海管下に入ってしまった。
車内アコモは固定ボックスシートで、
直角の背もたれはやはり長時間乗車は辛い。
2時間11分の旅で終点沼津のひとつ前の三島駅で下車する。
三島駅での取材時間は28分。
まずは玄関口の南口を取材する。
JRの南口の左には伊豆箱根鉄道駿豆線三島駅がある。
伊豆箱根鉄道は西武鉄道グループの中小私鉄路線で、
ある意味では西武鉄道グループの礎を作った路線ともいえる。
西武鉄道は今は本線格は西武新宿線と西武池袋線だが、
もともと現在の西武グループの中核となってる“コクド”は、
初代オーナーの堤康次郎氏が“箱根土地株式会社”という社名で、
箱根エリアの開発など不動産業で延びてきた会社なのである。
自社開発エリアにアクセスするために鉄道を施設し、
それが現在の西武鉄道の原点となった。
余談だが、もともと「西武」を名乗っていたのは、
箱根土地株式会社とはライバル関係にあった帝国電灯系列の鉄道会社で、
東村山−川越間を運行していた“川越鉄道”である。
この会社は甲武鉄道(現・JR中央本線の一部)から分岐して、
東京−川越間の輸送を担っていた会社で、
現在の国分寺線と西武新宿線の一部に当たる路線を有していた。
この会社は池袋−川越間を施設した東上鉄道(現・東武東上線)の登場で、
(serori・network/真夜中のパロディ「駄洒落621」参照)
集客力が低下し、
更に池袋−所沢−飯能間の路線を開業させた武蔵野鉄道の登場で、
更に窮地に追い込まれた。
武蔵水電という電力会社との合併を機に、
東村山−高田馬場間を新規に施設して起死回生を測った。
武蔵水電の祖である川越電気鉄道や西武軌道の軌道線も傘下に治め、
武蔵野鉄道との集客合戦に挑んだのである。
川越鉄道は合併を機に西武鉄道を名乗った。
川越鉄道=西武鉄道が現在の西武新宿線、武蔵野鉄道が現在の西武池袋線に当たる。
この2社の対立に参戦してきたのが堤康次郎氏が率いる箱根土地の系列会社の、
多摩湖鉄道(現・西武多摩湖線)である。
人工貯水池である多摩湖、狭山湖は、昭和初期に新しい観光地として注目を浴びた。
多摩湖鉄道はこれに目をつけて施設された。
しかしここに目をつけたのは多摩湖鉄道だけではなかった。
武蔵野鉄道、旧・西武鉄道も路線を延ばして集客に努め、三つ巴の争いとなった。
現在の西武狭山線が武蔵野鉄道、西武園線が旧・西武鉄道の施設である。
多摩湖鉄道は国分寺から分岐する路線で、
ライバル2社と違って東京に直通していない。
そこで堤康次郎氏は武蔵野鉄道を乗っ取り、多摩湖鉄道を合併させ、
更に東武鉄道の根津嘉一郎氏が取締役に就任している旧・西武鉄道をも狙いをつけた。
東武グループの持っていた旧・西武鉄道の株を武蔵野鉄道に譲り受け、
旧・西武鉄道と武蔵野鉄道は合併し「西武農業鉄道」が誕生する。
旧・西武鉄道の株が何故武蔵野鉄道に譲渡されたのかは日本鉄道史でも謎だが、
もしかしたら西武新宿線は東武鉄道新宿線になっていたのかも知れない。
こうしてライバル3社を合併で手中に収めた堤康次郎氏は、
社名だけはライバル会社の「西武」を残した。
これが現在ではグループの社名になっているのである。
名を捨てて実を取ったというところだろうか。
在るには合併された側の社員の意欲をそぐことのないようにという配慮からだろうか。
「西武」を名乗ったものの、存続会社は武蔵野鉄道である。
因みに「西武農業鉄道」の社名になったのは同時に“食糧増産”という、
農場経営会社を同時に合併させたためである。
後に社名を「西武鉄道」に改め、現在に至っている。
伊豆・箱根エリアにとって西武は小田急と並んで積極的に開発してきた会社であり、
伊豆箱根鉄道は伊豆急行とともに、
西武鉄道グループの伊豆・箱根エリアのリゾート開発を支えている鉄道である。

2005/03/15 22:47

※写真:伊豆箱根鉄道三島駅 撮影時刻 2005/03/05 08:18:16


  6.東海道本線の旅 三島〜豊橋

JR三島駅の南口は趣のある屋根が特徴的な駅舎であり、
また伊豆箱根鉄道が接続するなど三島の玄関口として機能しているのに対し、
北口は新幹線のホーム側ではあるものの、
ほとんど人のいない寂れた感じのする駅舎である。
新幹線のホームが高架上にあるために新幹線車両分の長さがあるが、
人が少ないためにその大きさが帰って寂れたイメージを増長している。
駅前にはタクシー待合い駐車場や一般車の送迎用駐車場があるものの、
乗降客も少ないことからタクシーが客待ちで暇を持て余しているといった感じである。
三島駅の駅取材を完了してから再び入場し、
ここで偶然寝台特急「富士/はやぶさ」を牽引するEF66を見掛ける。
2005年3月1日のダイヤ改正で、
寝台特急「さくら」と「あさかぜ」が姿を消し、
「さくら」と東京から鳥栖まで併結運転を行っていた「はやぶさ」は、
今まで単独運行だった「富士」と門司まで併結運転をすることになったのだ。
寝台特急「さくら」は東京−長崎間、
寝台特急「あさかぜ」は東京−下関間を結ぶ。
東京から熊本までを結んでいた「はやぶさ」は、それまで「さくら」と組み、
分岐点である鹿児島本線鳥栖まで併結運転していたが、
「さくら」の消滅で東京−大分間を結ぶ寝台特急「富士」と組み、
分岐点である鹿児島本線門司まで併結運転されることとなった。
「富士」はここから日豊本線大分まで行く。
2系統を併結運転する「富士/はやぶさ」はやはり重量車両の牽引に定評のある、
電気機関車EF66型の仕事となる。
新しいヘッドマークを取り付けて、
丁度この時間に東京に向かってひたすら走っていたのだった。
ここでこの寝台列車の取材をして221Mで一気に豊橋を目指す。
乗車時間は3時間20分で、今回の旅で最も長い乗車時間である。
車両は113系クロスシート車で、4両編成2連の8両編成で08:25に三島を出る。
しかし隣り駅の沼津で後ろの4両編成を切り離し、前の4両編成で豊橋まで行く。
この解結は輸送需要に応需したというよりも、
車両の回送という意味合いが強いように思われる。
沼津での停車時間は15分。
この間にkioskでプリングス(オニオン味)50g\120買って車内で喰う。
正直云ってさすがに200分の乗車時間は退屈だった。
221Mは11:45に豊橋の駅に入線する。

2005/03/16 22:46

※写真:寝台特急「富士/はやぶさ」 撮影時刻 2005/03/05 08:38:48


  7.東海道本線の旅 豊橋〜米原

豊橋での乗り換え時間は11分で、ホームの反対側に入線するという形だった。
乗り換えには便利だが、反対側に並んだため、トイレに行く暇もなかった。
ここから大垣までは313系の新快速に乗る。
313系はJR東海が主に快速用に開発した近郊形車両で、
転換クロスシートを採用している。
転換クロスシートとは背もたれの部分が移動して、
上り、下りとも進行方向に座ることが出来るというものである。
背もたれの裏側も同じ材質で出来ていて両側から使うことが出来る。
113系のボックスシートは直角の背もたれで、
長時間乗っていると背中が痛くなるが、
313系のシートは背もたれの角度もついていて座りやすい。
特急のリクライニングシートにも匹敵する座り心地である。
1時間18分で大垣まで行く。
さすがに新快速は速い。
JR東海の玄関口となっている名古屋駅も通り越し、
岐阜からは各駅停車で13:14に大垣に到着する。
大垣での乗り換え時間は22分で、
当初の予定ではここで昼食を取るつもりだったので一端改札を出る。
しかし大垣駅に立ち喰い蕎麦は見つからず、
仕方がないのでここでの昼食は諦めてここから米原まで行く列車のホームに下りる。
既にホームでは人が並んでいて、入線してくる3221Fを待っている。
ここで並んで待って13:36大垣始発の3221F米原行きに乗車する。
程なくして211系3両編成が入線してきた。
この211系は5000番台、つまりロングシート車だった。
幕張から東京までの総武緩行線、京浜東北線は別として、
東海道本線の旅に出てからはロングシート車は初めてだった。
大垣から米原までは34分の短い旅であった。
そして東海道本線の旅の2社目のJR東海の管区もここまでである。
米原からはJR西日本の管区となり、
東海道本線は京都までの区間を琵琶湖線という愛称で呼ばれることになる。
関東でいえば、東北本線上野−黒崎間が宇都宮線と呼ばれるのと同じだ。
米原に到着してまずはホームにあった立ち食い蕎麦屋「井筒屋」で、
天ぷらうどん\400喰う。
価格が\400とJR池袋駅構内の「J.T.S.生そば処」並みの高さだが、
麺はコシはなく、天麩羅も完全なパック製品で、価格に見合う味ではなかった。
つゆは勿論関西風のダシの味が前面に出ている薄い色をしたものだ。
それでも2:00p.m.を過ぎて漸くの昼食で何とか腹も落ち着いた。
更に売店で鯖寿し\600と宇治茶\150買い、車中で喰うことにする。
予定では14:45米原始発の795Tで曽根に向かうことになっていたが、
停車していた3265Mに飛び乗る。
発車は14:25で予定より20分早い米原発である。

2005/03/17 22:22

※写真:米原駅ホームの立ち食い蕎麦「井筒屋」 撮影時刻 2005/03/05 14:37:07


  8.東海道・山陽本線の旅 米原〜岡山

米原駅での取材予定時間は35分であった。
この時間で昼食を喰ったために残り時間が少なくなってしまった。
本当はJR総研風洞試験センターを取材しようと思ったのだが、
昼食で時間を使ってしまったために外に出る暇がなくなってしまった。
JR総研風洞試験センターには新幹線開発で登場した試作車、
300X、STAR21、WIN35が飾られている。
見学は出来ないが、塀越しに写真を撮るくらいのことは出来る。
955形「300X」は700系開発のために登場した高速試験車で、
1996年7月には443.0km/hの記録を達成した。
952系「STAR21」はJR東日本の開発した高速試験車で、
1993年12月には425km/hを記録した。
500系900番台「WIN35」は山陽新幹線500系開発のために、
1992年に落成し、同年8月には350.4km/hを記録し、
500系「のぞみ」の300km/h運転の基礎を造った。
これらの車両が一堂に会してJR総研風洞試験センターに集まっている。
出来ればこれを取材したかった。
前回の去年10月に決行した東海道本線の旅でも取材できなかったので残念だ。
何時か米原で多く時間を取ってこれは是非取材したい。
その思いを胸に予定より20分早い電車で終点の網干に向かった。
車中で売店で買い込んだ鯖寿しと喰う。
米原から東海道本線はこの旅の3社目になるJR西日本の管轄になる。
ここからはJR西日本の近郊形車両である221系2000番台になった。
クロスシート車で窓際の席を確保したが、
この中距離電車は利用客も多く、旅気分で昼食を喰う雰囲気ではなかった。
それでも周りの目を無視して早々に鯖寿しを喰い、
また車窓を見ながらいつの間にか爆睡してしまった。
この中距離電車は関西エリアの主要ターミナル駅である京都、新大阪、大阪、三宮、神戸を通り、
神戸で東海道本線の終点に至り、ここから山陽本線に入った。
この旅の大きな本線経路であるふたつめの山陽本線に知らないうちに入っていた。
そして姫路でほとんどの客が降りてしまった。
そして16:53に姫路からふたつ先の網干に到着した。
網干には網干総合車両所がある。
到着した電車はそのまま回送車両となったことから姫路行きの回送という意味合いで、
網干行きという設定になっているのだろう。
予定よりも早く岡山に向かうため、
網干で後続列車を検討し、22分後に来る播州赤穂行きで相生まで行き、
そこで接続する岡山行きに乗ることにした。
播州赤穂は赤穂線の駅でそこからも岡山に行くことは出来るが、
相生で山陽線に乗った方が早いだろう。
網干で22分の待ち時間の間に網干駅を取材し、
17:15の播州赤穂行きで相生まで向かい、
ここで待ち時間1分の岡山行きに乗り換えて終点岡山に向かった。
岡山到着は約2時間早い18:29到着だった。

2005/03/21 14:43

※写真:米原駅で購入した鯖寿しの宇治茶 撮影時刻 2005/03/05 14:43:30


  9.岡山の夜と岡山の朝

相生で乗り換えた播州赤穂行きも221系2000番台だった。
網干から2駅、相生で岡山行きの115系に乗り換える。
相生で乗り換えた115系は湘南色でボックスシート車だった。
1時間4分の旅で岡山に到着する。
日は西に傾いていて、瀬戸内側を走る山陽本線ではあるが、
思ったよりもカーブの多い路線であった。
18:29に岡山駅に到着する。
今回の旅の1日目はこの岡山で取り敢えず終了となる。
一端東口側に出て地下で廣榮堂本店で「黒糖きびだんご」\350購入する。
もちろん猿、犬、雉にあったら家来にするためである(^_^;)
東西自由通路の場所が分からなかったため、
改札を通って西口に出て、ここで携帯からホテルに電話し、
メールで告知していた予定時間より早いけれどチェックインできるかどうか尋ねた。
早い分には構わないということで、
地図を見ながら「ビジネスホテル幸荘」に行く。
ホテル提供の地図に加えて、
ホテルの住所から“ゼンリン電子地図帳Z5”で場所を確認、
プリントアウトしておいたので迷わず行くことが出来た。
フロントには人はおらず、インターホンで呼び出す形式であった。
チェックインしてから部屋に行って驚いた。
一人部屋で予約しておいたのに部屋には行ったら二人部屋だった。
フロントに電話したら、
「うちは一人でも二人部屋で片方のベッドだけ使うんです」と云っていた。
確かにその方が機動性がいいのだろうけれど・・・。
部屋はその分広いが、バス、トイレは共同である。
8:00p.m.頃ホテルを出て夕食を喰うことにする。
ホテルを出る時にフロントの人がやってきてこのホテルは土足禁止なのだ怒っていた。
そういうことはチェックインの時に云えよなぁ・・・。
初めて利用するのにいきなりそういうことを云われても困るのだ。
岡山駅2階に行き、「五彩」という中華料理店でチンジャオロース定食\850喰う。
チンジャオロースに、鶏の唐揚げ、スープ、ご飯、お新香、杏仁豆腐など。
カメラを背負って出たものの夜撮はせずにLAWSON岡山駅西口店でビールなど買い、ホテルに戻る。
フロントの前を通った時にスタッフに、
団体客がセミナーを行っているので今のうちに風呂には入れという。
買ってきたビールを飲む暇もなく早々に風呂に入る。
部屋風呂はなく大浴場だけで、
大浴場といっても洗い場は6人分しかなく、
浴槽も6人がいっぺんにはちょっときついという大きさなのだ。
男風呂、女風呂の区別もなく、ふたつある風呂のうち開いている方に鍵を掛けて入った。
とてもビジネスホテルというレベルではなく、ほとんど民宿に近い。
料金は素泊まり\4,200と安いがその分サービスには限界がある。
多少高くても普通のビジネスホテルの方がいいな・・・。
風呂上がりに買ってきた缶ビールを飲みながらそんなことを考えていた。
6:20a.m.にモーニングコールをセットして11:30p.m.には就寝する。
旅の疲れからかぐっすり寝て、
モーニングコール前に誰かに背中を思いっきり叩かれて目が覚める。
夢だった。
ボックスシートのきつい背もたれでずっと座ってきたので、
背中に疲弊が溜まっていたのだろう。
それが誰かに叩かれた夢になったのだ。
ウトウトとそんなことを考えていたら6:20a.m.のモーニングコールが鳴った。
部屋に風呂がないためにシャワーは浴びず、共同トイレの洗面所で顔だけ洗った。
学校じゃないんだからトイレの洗面所で顔を洗うホテルというのも如何なものか・・・。
たぶんこのホテルは二度と使うことはないだろう。
支度して6:50a.m.にはチェックアウトする。
いよいよこの旅の二日目が始まった。

2005/03/21 15:51

※写真:夜のJR岡山駅西口 撮影時刻 2005/03/05 18:56:01


  10.山陽本線の旅 岡山〜尾道

ビジネスホテル幸荘をチェックアウトして岡山駅西口に行き、
まずここで朝食を喰うことにした。
駅前で開いているのは「松屋」と「MacDonald」だけだったので、
「MacDonaldJR岡山駅西口店」に行き、ソーセージエッグマフィンセット\378喰う。
腹を満たしていよいよ青春18切符の旅、2日目のスタートである。
JR岡山駅西口に行き、「青春18きっぷ」“2回(人)”のところに、
「(西)岡山駅 3.−6入鋏済」の検印を押して貰う。
そしてホームに上がり、1727Mが来るまで車両取材する。
キハ120(JR西日本所属気動車)、
8000系「しおかぜ」(JR四国所属制御振り子式直流特急電車)、
115系(JR四国所属直流近郊形電車「金比羅山デザイン」)、
381系「やくも」(JR西日本所属自然振り子式直流特急電車)。
このあと入線してくる1727Mを待って乗車する。
岡山始発の1727Mで今日最初の取材駅である尾道に向かう。
1時間19分の旅である。
JR西日本の211系1000番台のクロスシートは転換シートが採用されている。
やはり転換シートは座り心地がよい。
JR東日本でも転換シートを採用すればいいのにと思う。
ここのところがJR西日本とJR東日本の車両に関する考え方の違いがある。
これは旅客会社の方針というよりは関西と関東の気質の違いなのかも知れないが、
JR西日本では新型の車両を導入するところはするが、
その一方で使える国鉄時代の車両はとことん修理改良して使う。
大阪環状線では未だに全車が103系である。
それに対してJR東日本は基本的に新型車両を次々に投入していくが、
その分全ての車両に神経が行き届いていない気がする。
残っている113系、115系は未だに国鉄時代の堅くて座りづらいシートである。
211系では多少シートのグレードは上がったが、
それでも国鉄時代のシートであることには変わりない。
JR西日本ではアコモ改造して国鉄型車両でも乗り心地を損なわないように工夫している。
関西圏では私鉄との熾烈な競争があるため、
乗り心地ということに関しても神経を使っている。
関東の人間は乗り心地が悪くても我慢しているが、関西では直ぐにクレームがつく。
そういったところで関西では客が電車の乗り心地を育てていると言えるかも知れない。
08:54に尾道に到着して駅取材する。
尾道について少し驚いたのだが、尾道駅は海の近くの駅なのである。
“尾道”といえば大林宣彦監督の映画を思い出すのだが、
どれも坂の多い山間の様子が背景で写っていた気がするのだ。
だから山間の駅ではないかと思っていたのだが、
実際は瀬戸内海に面した駅で、島や船が見渡せる。
また遊覧船やドックも見える。
それが尾道駅の駅前から見える風景なのだ。

2005/03/30 22:37

※写真:駅前から見える瀬戸内の様子 撮影時刻 2005/03/06 09:15:34


  11.山陽本線の旅 尾道〜三原

尾道での取材時間は20分。
駅舎の写真を撮り、駅前から瀬戸内の様子を取材して再び入場する。
偶然通過した貨物列車を牽引するEF66型電気機関車を撮影できた。
09:14着の429Mで尾道からふたつ先の三原に行く。
429Mは岡山を08:00に出た列車で、
1727Mに乗れなかったらこの列車で岡山から三原まで直接来ようと思っていた。
三原駅での取材時間は24分。
三原駅の出入り口は3ヵ所あり、メインになるのが南口である。
駅は絵は大きなロータリーになっており、その先に三原港がある。
三原駅は新幹線の停車駅でもあり、そのため南口は新幹線16両分の長さがある。
入口付近には「絹本著色登覧画図」のレリーフがある。
説明書きに配下のように書かれている。

  このレリーフは、享和2年(1802)
 に旧広島藩士で画家として著名な岡眠山
 が画いた「絹本著色登覧画図」の一部分
 の複製である。
  原画は、左に妙正寺全景を近景にいれ、
 東町の町並み、三原城、佐木島をはじめ
 滴戸内の島々を遠望したものである。
  三原浅野家の菩堤寺である妙正寺の所
 蔵で、三原市重要文化財に指定される。
 (昭和38年12月17日)

“岡眠山”には「おかみんざん」、
“絹本著色登覧画図”には「けんぽんちゃくしょくとらんがず」とルビが振ってある。
西口は「西口(隆景広場)」と書かれてあって、
高架下に駅名表示板もない出入り口があり、
タクシーが数台停まっている小さなロータリーの中に公園があり、
そこに小早川隆景の石像がある。
また石垣が効果の下にまで組まれており、三原城のものであるという。
説明看板には以下のように書かれている。

   天主台石垣  (舘町)

  日本一の規模を持つこの天主台は広島城の
 天守閣なら六つも入るという広さを持つ。三
 原城が造られた一五六七年より約十年後に信
 長によって安土城が造られ、初めて天主台に
 天守閣が聳えるようになり、以後全国に流行
 しました。然しこの三原城築城の時はまだ天
 守閣を造る思想のない時代だったと考えられ
 ます。山城から平城に移行する時代のごく初
 期の城築です。
  この据を引いた扇の勾配の美しい姿は群を
 抜きます。しかも余人は真似るべきではない
 と言われた「アブリ積み」という特殊の工法
 は、古式の石積形式を四百年経た舎日まで立
 派に伝えてあります。
  一七〇七年の大地震では、城内を役夫二万
 五千人を動員して修理した。しかし破損箇所
 は・・「元のごとく成りがたかりしを、伝石衛
 門(竹原市下市)をして築かしめられけるに、
 遂に築きおさめければ・・」とあるが、これは
 東北陵面のことと推測します。

そして北口はこの石垣の反対側に出ることが出来て、
そこには「三原城跡 天主台跡」と書かれている。
また駅内部から天主台跡の上にも直接出られるようなっており、
そこには以下のような看板が立っている。

  史跡
  三原城跡

 三原市館町・本町・天主台跡・大櫓及びこれらをめぐる壕、
 壕外六尺まで城町・五番櫓並びに船入跡・船入六尺まで
            昭和三十二年十二月十一日指定

 小早川隆景は、兄の吉川元春とともに、
 おいの毛利輝元を助けて中国統一を完成させて
 瀬戸内海の水軍を掌握していた。
 隆景は、天正年間毛利氏の広島築城と相前後して、
 沼田川口の三原の児島をつないで城郭を築きここに移った。
 三原城は海に向かって船入りを開き、
 城郭兼軍功としての機能を備えた名城で、
 満潮時には、あたかも海に浮かんだように見えたので「浮城」と、
 よばれている。
 小早川氏の移封後も、福島氏、浅野氏の支城になっていたが、
 国鉄山陽本線が本丸を貫き、
 今は天主台とそれをめぐる壕、及び五番櫓と
 船入り跡が残るのみである。
                   三原市教育委員会

確かにここからだと見晴らしがよい。
また「NHK大河ドラマ 春日局ゆかりの城跡」という案内もある。
天主台跡を取材していたら次の電車の乗る時間が迫ってきてしまった。
慌ててここを出て改札を潜り、
ギリギリで徳山行きの快速「シティーライナー」5341Mに乗り込む。

2005/03/30 23:48

※写真:三原城天主台跡 撮影時刻 2005/03/06 10:00:23


  12.山陽本線の旅 三原〜下関

三原での取材を終えて慌てて乗り込んだ5341Mは、
「シティーライナー」という愛称で呼ばれる快速電車である。
この「シティーライナー」に乗るのは実は2度目である。
以前、広島空港からリムジンバスで山陽本線白市駅まで来て、
ここから広島駅まで行く時にこの「シティーライナー」を利用したことがある。
快速電車でありながら、今日の旅では最長乗車時間の3時間6分の旅である。
車窓からは瀬戸内の美しい海が見えた。
途中柳井駅で14分間停車した。
この間に下車して駅取材する。
柳井は白壁の街並みが有名で、
駅前から白壁の街並みまで延びる道は“麗都路通り”と呼ばれている。
これは「レトロとおり」と読む。
柳井を出てからまた暫く走り、12:56徳山駅に到着する。
徳山での停車時間は21分で、ここから549Mで一気に本州の最西端、下関まで行く。
・・・つもりだったが、ここで目が点になった。
予定していた549Mが走っていない。
徳山でそういった列車は存在していなかったのである。
これには焦った。
一番近いのは13:26徳山発の新山口行き列車3549Dである。
事前に立てていた予定では13:17徳山発だったので9分遅れで徳山を発つことになる。
新山口での乗り換え時間が全く分からなかったが、
取り敢えず行けるところまで行くことにした。
徳山駅の駅取材して、ホームの徳山駅弁当で天ぷらうどん\320喰う。
少し車両取材して、3549Dに乗り込む。
3549Dは4両編成の気動車で、全電化区間にもかかわらず気動車が走るのは珍しい。
この列車は広島発だったが、何とか座ることが出来た。
この旅で初めての気動車の移動は55分だった。
列車の中で落ち着いて考えたのだが、
そういえば3月1日にJRグループのダイヤ改正があったのだ。
今回の旅の予定はかなり前から考えていたので、
当然ダイヤ改正以前のダイヤで計画を立てている。
それでも今までこういった大きなイレギュラーはなかったので気がつかなかった。
この先の予定が全く経たない不安を抱えたまま、新山口まで行くのであった。
しかし案ずるほどのこともなかった。
新山口駅では乗り換え時間1分で下関行きの3545Mに乗ることが出来た。
この列車は1時間5分かけて下関に到着する。
下関の到着時間は15:17で、
以前の計画では15:16到着の乗り換え時間40分だったので、
1分減の39分の乗り換え時間となった。
これはほとんど問題にならない数字である。
イレギュラーがあって一瞬不安になったが、ほぼ計画通り下関に着くことが出来た。
そして下関駅が本州の最西端の駅であり、
ここから関門トンネルを潜ればそこは九州である。

2005/04/05 00:55

※写真:車窓から見た瀬戸内の海 撮影時刻 2005/03/06 12:12:13


  13.山陽・鹿児島本線の旅 下関〜小倉

下関で下車して駅取材する。
JR西日本管区はこの下関までで、関門トンネルはJR九州管区となる。
山陽本線は関門トンネルを越えた門司までであるが、
2社の境界線は本州側にあるのである。
下関といえばフグが有名であるが、
東口にはフグの日時計が設置されている。
コンコースにはEF66型電気機関車が「あさかぜ」のヘッドマークを付けた写真が、
記念撮影用に展示してある。
ここで取材を終えていよいよ関門トンネルを越えて九州に上陸する。
九州には何度か行ったことがあるが、何れも飛行機による移動だった。
陸路で関門トンネルを越えるのはこれが初めてである。
予定では15:56の列車で一気に小倉まで行くことになっていたが、
ダイヤ改正で15:43下関始発門司15:50終着の関門トンネルの海峡越え専用の列車、
237Mが設置されている。
これによって少し早い時間ではあるが関門トンネルを越える。
関門トンネルの開通は1942年11月15日である。
つまり第2次世界大戦の最中に開通ということになる。
九州には軍事的な重要拠点である小倉や佐世保などがあり、
本州と九州の直通トンネルの開通は輸送力増強の意味からも軍事的重要事項だった。
そして関門トンネルが約3.6kmという短い区間ながら、
世界で初めての海底トンネルということになる。
日本は当時植民地としていた満州までの海底トンネル設置まで夢想していたといわれている。
鉄道後進国であった日本がその後の努力により、
世界初の海底トンネルを開通させたことは高く評価したいが、
それはまた戦時下という特殊な事情が後押ししたこともまた事実である。
全区間6分という237Mで九州入りし、15:50に門司駅に到着する。
門司駅は前回来た時はまだ古びた駅舎の地上駅だったが、
2004年3月30日に橋上駅化された。
出来ればこの駅も取材したかったのだが、
門司駅で乗り換え時間1分の早岐行きの2945Mに乗り換える。
この電車で隣の小倉駅まで行き、ここで快速に乗り換える。
小倉到着は15:57で、小倉始発の快速スペースワールド発車まで19分ある。
小倉駅は既に取材済みのため改札の外には出ず、
座席を確保して売店でツナエッグ\250を買い、出発を待つ。
小倉駅始発荒尾行きの快速スペースワールドは811系の区間快速である。
811系はJR九州オリジナルデザインの近郊形電車であり、
また隣のホームには833系「ソニック」第4編成が停まっている。
このデザインを見ると「ああ、九州に来たんだな・・・」と実感する。

2005/04/09 23:23

※写真:下関駅東口にある「“ふく”の日時計」 撮影時刻 2005/03/06 15:43:44


  14.鹿児島本線の旅 小倉〜八代

16:16に小倉を始発する快速スペースワールドは、区間快速である。
東京近県ではあまり区間快速という列車は見掛けないけれど、
関西では快速の上位バージョン“新快速”が出来たため、
従来の快速が一部の区間だけ快速運転される“区間快速”が登場した。
首都圏の国電のように距離が短かったり、
複々線化されていれば緩行線と快速線を別路線に出来るが、
複線(上下線1本ずつ)では緩行線と快速線を同じ線路に走らせなければならず、
また特急も同じ線路を走るとなれば快速線もそれ程速く走れない。
そのため、快速線の上位バージョンが必要になり、
また長距離の快速線では閑散地区で快速運転すると、
閑散地区の駅ではほとんど電車が停まらないという状況になってしまう。
そのために区間快速という発想が出てきた訳だ。
事実、この区間快速スペースワールドも、
小倉からスペースワールドを停車して荒尾までの140.6kmの長距離で、
博多から8つ目の二日市駅から先は各駅に停車する。
予定より早く小倉に到着したために余裕で着席できたが、
このあと来た列車からの乗換客で発車する時はかなり混んでいた。
博多で更に大勢の客が乗ってきて立っている客も多くいたが、
鳥栖で大多数の客が降りていった。
博多過ぎで車窓から雨を確認できたが、いつの間にか止んでしまった。
2時間31分の旅で小倉から九州のほぼ中央部に当たる荒尾の、
ふたつ手前の銀水まで行く。
銀水駅は無人の駅で特別重要と思われる駅ではないが、
折り返し線があることから八代からの上り線の終着駅になっている。
終点の荒尾まで行くよりもここで乗り換えた方がいいと思い、
銀水で下車したのである。
既に銀水には815系が停車しており、8分の乗換時間で慌てて駅舎取材する。
しかし完全に夜の帳が降りていて完全な夜撮になってしまい、
フラッシュなしでは取材不可能なところまで来てしまっていてた。
乗り換えた銀水始発5363Mは815系2両編成が充当されていた。
815系はJR九州が開発した交流近郊形列車で、
在来線用でありながらかなり変わった突拍子もないデザインであり、
JR九州の車両デザインに対する姿勢がはっきり見て取れる。
しかしこの815系はワンマン運転で、乗客は自分を含めては2名しかいなかった。
しかし荒尾で大勢乗り込んでくる。
多分小倉から乗ってきた4165Mの乗客であろう。
この列車は熊本に約15分停車した後、20:38に八代に到着する。
八代到着は予定より5分遅い20:38だった。

2005/04/10 11:22

※写真:誰も乗っていない815系車内 撮影時刻 2005/03/06 19:10:15


  15.鹿児島本線の旅 八代〜新八代

八代の駅に到着した時にはもう完全に夜の帳が降りきっていた。
事前にゼンリン電子地図帳Z5からプリントアウトした地図を持参していたので、
ホテルの場所は比較的迷わずに到着することが出来た。
八代オリエンタルホテルにチェックインして部屋に入る。
このホテルは岡山で泊まったホテルとは違い、特別問題のないホテルだった。
駅から多少距離があるのと冷蔵庫がないくらいである。
しかし八代ではこの距離はほぼ駅前と言い切っても問題がないし、
まだ涼しい時期だったので冷蔵庫がなくてもさほど困らなかった。
部屋で少し休憩してから直ぐに出掛ける。
ホテルに来る途中でチェックしておいたが、
夕食の喰えそうなところは隣の「リンガーハット」だけであった。
そこでこの「リンガーハット熊本八代店」に入り、ちゃんぽんセット\651をオーダーする。
チャンポンに餃子がセットされている。
久しぶりにリンガーハットでチャンポンを喰ったがやはり美味かった。
ここを出てやはり隣のLAWSON八代旭中央通店で発泡酒など買い、
ホテルに戻ってシャワーを浴びてから飲む。
11:45a.m.には就寝する。
翌朝、6:20a.m.にモーニングコールを掛けておいたのだけれども、
6:08a.m.には目が覚めてしまった。
0:00a.m.前に寝たのだから当然だろう。
シャワーを浴びて7:20a.m.にはチェックアウトする。
八代は九州のほぼ中央の西側に位置し、八代海に流れ込む球磨川の麓に位置する。
この立地条件で駅北側には日本製紙八代工場が広がり、
駅前からも工場の煙突がよく見える。
駅まで歩き、JR八代駅の駅取材する。
昨日降りた時はそこまで確認できなかったのだけれども、
肥薩オレンジ鉄道の駅はホームはJRに間借りする形になっているのだけれども、
駅舎は独立して存在する。
また駅舎の隣にはプレハブ建ての本社が隣接する。
この駅舎も取材して八代駅から入場する。
「青春18切符」の3回(人)のところに、
「八代駅 3.−7 「九」ありがとうございます」と検印して貰う。
いよいよこの旅も最終日に突入した。
偶然目撃したキハ185形「九州横断特急」を取材し、
ここから新幹線乗車駅である新八代に向かう。
08:01八代駅折り返し始発の815系に乗車し、隣り駅である新八代へ行く。
新八代は九州新幹線登場に際して誕生した新しい駅で、
八代からは2.8km北の距離に位置する。
鹿児島本線を1駅分逆戻りする形で08:04新八代駅に到着した。

2005/04/19 02:24

※写真:八代駅前から見た跨線橋と日本製紙八代工場の煙突 撮影時刻 2005/03/07 07:42:30


  16.九州新幹線の旅 新八代〜川内 つばめ、翔ぶ。

九州新幹線鹿児島ルートは2004年3月13日に部分開業した。
部分開業した区間は鹿児島中央−新八代間である。
九州新幹線鹿児島ルートは博多から鹿児島本線と平行して走り、
鹿児島中央に至る路線であり、
完全開業時には博多で山陽新幹線と接続し、
山陽新幹線区間と相互乗り入れする予定である。
つまり九州新幹線区間に700系“ひかりレールスター”が走り、
山陽新幹線区間に800系車両が走ることになる。
これによって東京から直通車両は実現しないが、
一度の乗換で鹿児島まで行くことが出来るようになる。
九州新幹線に使用される800系は性能的には700系を踏襲しているが、
そのデザインはJR九州の新型車両をほぼ手がけている水戸岡鋭治氏によるものである。
スタイルは高速で走るためのデザインになっているが、
内装は木彫を中心とした和のテイストでまとめられている。
車内のシート配列は2+2で、
新幹線では・・・というより最近の鉄道車両としては珍しい木製である。
モケットには西陣織が採用され、古代漆、瑠璃、緑青の色が使われている。
車体の「つばめ」の文字デザインもまるで習字で書いたような文字である。
現在は博多へのアクセスの悪さを改称するため、
新八代駅で博多−新八代間を結ぶ「リレーつばめ」と、
同じホームで乗り換えられるように工夫されている。

新八代駅は九州新幹線と鹿児島本線が交差する部分に新しくできた駅で、
在来線と新幹線の駅舎は独立している。
新八代駅を青春18きっぷで下車し、
前から購入していた切符で新幹線改札口を入場する。
今回の旅は原則として青春18きっぷで鹿児島を目指していたが、
九州新幹線が開業したために同じ区間を走る在来線はJRから切り離なされ、
八代−川内間が第三セクター化され、肥後オレンジ鉄道として開業した。
つまりこの区間は青春18きっぷでは乗ることが出来ない。
折角別に切符を購入するならと、この区間は新幹線移動することにした。
ずっと狭いシートに身を置いてきたので、やはり新幹線のシートは気持ちがいい。
しかし新幹線乗車時間に朝食を喰おうと思ったのに、
新八代駅では駅弁を購入することが出来なかった。
つばめ33号の指定席3号車9番A席を事前に購入してあった。
34分の新幹線の旅を楽しみ、08:52に川内駅に到着する。

2005/04/20 22:09

※写真:九州新幹線800系の木製シート 撮影時刻 2005/03/07 08:32:57


  17.鹿児島本線の旅 川内〜鹿児島中央

川内駅に到着して少し新幹線の上り車両の写真を撮ってから東口側に出る。
こちら側は一応ロータリーはあるものの完全な裏側となっていて、
17-40mmの広角ズームレンズの広角側一杯でも全景を取るのが難しいほど狭かった。
西側には大きなロータリーになっていて完全な表玄関になっている。
まずは駅前のロータリーにおりて昼食を喰えそうなところを探す。
駅前には立ち喰い蕎麦屋は見あたらなかったものの、
「ITALIAN TOMATO Cafe Jr.」があったのでここに入り、モーニングを喰う。
トースト+コーヒーで、トーストにはバターをチョイスする。
腹を満たしてから西口の駅取材する。
西口には大伴家持の銅像があり、「未来へ語る歴史像」と題が付けられ、
更に以下のように書かれている。

 薩摩守 大伴家持

 碑文

 律令制による中央の政治支配力が強まり、
大宝二年(七〇二)川内の地に、薩摩国府(薩摩国の都)が置かれました。
 そして、天平宝字八年(七六四)、大伴家持が薩摩守(長官)に任命されました。
                               「続日本紀」より)
 大伴家持は「万葉集」を編纂した三十六歌仙の一人です。
また、そのなかに最も多くの歌を残した代表的な歌人で、
次の歌は薩摩守に任命される五年前、七五九年に万葉人として最期に詠んだ歌です。

 新しき 年の始の 初春の
 今日降る雪の いや重け吉事
               (万葉集巻二十 四五一六より。因幡守時代に詠む。)

 大伴家持像は、「従五位上の大伴宿祢家持を薩摩守に任じた。」という
続日本紀(巻第二十五)の記述に基づき、
この地に置かれた薩摩国府のシンボルとして建立されたものです。
この像から川内の歴史が未来に語り継がれていくことを願うものです。
                 平成一六年二月吉日  題字 川内市長 森 卓朗
                            制作 川内市
                         (原型・文化課学芸員 小原 浩)

実際の碑文には振り仮名が振られていた。
西口の取材を完了してコンコースに上がり、kioskで駅弁\500購入する。
これは昼食用である。
多分旅程から昼食は指宿枕崎線西大山駅になると思われるが、
この駅には駅前に昼食を喰えるような店は期待できない。
そこで川内駅で駅弁を買って持参することにしたのだ。
川内駅で在来線ホームに青春18切符を使って入場する。
既に鹿児島本線鹿児島中央行きに電車、2439Mは入線していた。
この列車はJR九州オリジナルの817系が使用されている。
817系はJR九州が投入した交流近郊形電車で車内は転換クロスシートである。
しかも座面や背もたれ、フットレストは革張りという贅沢な仕上がりになっている。
JR九州では885系特急車両では既に普通車でも総革張りのシートを用意しているが、
在来線の普通車で部分的とはいえ革張りを採用しているのは驚いた。
これも水戸岡鋭治氏のアイディアで、この辺がJR九州の営業姿勢が伺える。
出発まで少し時間があったので肥後オレンジ鉄道川内駅を取材する。
肥後オレンジ鉄道は九州新幹線開業と同時にJRから切り離された、
鹿児島本線八代−川内間を受け持つ第三センターである。
八代駅ではホームはJR九州に間借りしているものの駅舎は独立していたが、
川内駅ではJR九州の在来線のホームの奥に肥後オレンジ鉄道のホームがあるという形になっており、
JR九州のホームから肥後オレンジ鉄道のホームに移る間に駅舎を建て、
ここで改札業務を行っている。
09:52、鹿児島本線の下り電車2439Mが川内駅を出発する。
平日のためか、思った以上に混んでいた。
34分で鹿児島中央駅に着く。
そしてこの2439Mが鹿児島本線の、
そして東京駅から続く東海道、山陽、鹿児島本線の旅の最後の列車となる。
東京からここ鹿児島中央までは1本のレールで繋がっている。
それは嘗て東京から鹿児島中央(西鹿児島)まで直通していた夜行列車が証明している。
10:36、3429Mは鹿児島中央駅に到着した。
しかしここで1本のレールが繋ぐ旅の余韻に浸っている間もなく、
指宿枕崎線のホームに駆け込む。
何しろ乗換時間が4分しかないのだ。
ここに東海道、山陽、鹿児島本線の旅は終わり、指宿枕崎線の旅が始まる。

2005/04/23 04:17

※写真:川内駅西口の「ITALIAN TOMATO Cafe Jr.」 撮影時刻 2005/03/07 09:35:39


  19.Still a long way to go

西大山駅の取材時間は2時間11分とこの旅の中で、
それどころか多分今まで全ての駅取材の中で最長時間である。
最南端の駅ということで入念に取材するが、それでも2時間11分は多すぎる。
駅から南に少し歩いてみると海が見えた。
少しでも海に近づいて海の写真を撮ろうと、南に向かって歩いた。
2時間11分の取材時間があるので1時間が撤収目標である。
右手に開聞岳を望みながら南へ、更に南へと歩き続けた。
西大山は駅前にも民家らしきものはほとんど見あたらず、ほとんどが畑だった。
畑の中を更に南を目指して歩いた。
途中に公園・・・と呼ぶにはあまりにも小さいが、
遊歩道の途中に屋根のついたベンチのようなものがあり、ここで休憩することにする。
川内駅のkioskで購入したさつま味弁当を喰う。
お品書きには以下のように書かれている。

 くらま    川内名産のチリメンをたっぷり入れたご飯です
 大学芋    体力と気力パワーアップ効果大
 鯖の竜田揚げ 特製のタレに漬け込みました
 おからのコロッケ 
        おからが変身しました
 人参のアチャラ漬
 棒天     鹿児島名産薩摩揚げ
 たまご焼き
 だいこんなますの黄身酢かけ
        フルーティーな味に仕上げてみましたご賞味下さい
 麦味噌漬け  桜島の火山灰で育った大根です

ここで弁当を喰い、腹を満たしてから更に南を目指す。
道はまだ長く続いていて海は遙か彼方に微かに見えるだけだったが、
それでも太陽の光をはじいて輝いていた。
“まだこの長く続く道をいくよ”
長く続く一本道を歩きながらそんなことを思っていた。
鉄道の旅は西大山で終わった。
それでも林檎乃麗の旅はまだ終わらなかった。
鉄路が終わればそこからは歩いて南を目指す・・・、それが林檎乃麗の旅なのだ。
道は遙かに続いていたが、それでも終着はあった。
約50分歩いていくと国民宿舎かいもん荘があった。
そこの脇を通って裏に出ると一面に海が広がっていた。
薩摩富士の異名を取る開聞岳は海にそそり立つようにそびえ立っていて、
海から見るとその迫力が更に増して見えた。

「Still a long way to go」はオフコースの最後のアルバムタイトルで、
同名の曲の日本語タイトルには「−また会う日まで−」と副題が付けられていました。

2005/04/23 18:58

※写真:南に続く長い道 撮影時刻 2005/03/07 12:51:26


  20.ここに地終わり、海始まる〜旅の終わり

長い旅の果てに辿り着いたのは海だった。
鉄道での旅を続ける林檎乃麗がたどり着いた最南端の駅西大山。
更にそこから約50分歩き続けて辿り着いたのは東シナ海の海だった。
鉄路がないところには基本的に行くことのない林檎乃麗の旅は、
この西大山駅が最南端であり、
つまりこの海の光景が林檎乃麗が目にした最南端の景色ということになる。
光を受けて煌めきを放つ海の光景を目に焼き付けてから再び同じ道を戻った。
林檎乃麗の旅をこの海で終わった。
ここから同じ道を西大山駅まで戻る・・・つもりだったが途中で迷子になってしまい、
農作業をする老夫婦に訊いたりしながら何とか西大山駅まで戻った。
2時間11分の余裕があったが、西大山駅に到着したのは10分前だった。
駅前には民家はなく、勿論タクシーなど全く来ない駅でもし乗り損なったら、
今日中に帰ることは不可能になる。
有休を取った次の日に無断欠勤するわけにはいかない。
14:04に到着した5328Dで指宿まで戻る。
次に来た下り電車で来たのだろうか、何人かの乗客が既に西大山駅にいた。
指宿に到着し駅取材する。
予定では一端大山駅まで戻ってここでも駅取材するつもりだったが、
予定を変えて上りの指宿枕崎線1346Dで鹿児島中央に戻り、
未取材だった西口を取材してから少しゆっくりと早めの夕食を喰う。
この前九州旅行に来たときはまだ未完成だった複合商業施設“アミュプラザ”に行き、
「かつ寿」というトンカツ店に入る。
ここは野菜カツと肉のカツの組み合わせを出す店で、
肉に行く前に必ず野菜のカツを喰わされる。
カウンター式で揚げ上がった順にカツが出てくる。
まるで天麩羅屋さんのようである。
ここでヒレとロースと野菜カツ\950をオーダーする。
野菜カツは茄子と南瓜だった。
早めの夕食を喰ってから南国交通のリムジンバス\1,200で鹿児島空港まで行き、
ANA630便で東京に戻る。
チェックインして手荷物検査を受けてから、
飛行機が出発するのを待つ時間に売店でさつまビール\610飲む。
羽田空港から東京モノレールで浜松町まで戻る。
この区間も「青春18きっぷ」は使用できないのでSuica定期券を使用する。
浜松町から山手線で秋葉原まで出て、総武緩行線で帰る。
これで西を目指した旅は終わった。
しかし青春の旅はこれで終わりではない。
まだ「青春18きっぷ」の5分の3を使ったに過ぎない。
来週はまた北を目指して旅立つのだ。

 −旅行データ−

3月5日(土)

04:40幕張−総武緩行線・上り461B(40)−05:20秋葉原[4]
05:24秋葉原−京浜東北線・南行403A(4)−05:28東京[18]
05:46東京※−東海道本線・下り323M(131/2:11)−07:57三島[28]
08:25三島※−東海道本線・下り221M(200/3:20)−11:45豊橋[11]
11:56豊橋※−東海道本線・下り・新快速5221F(78/1:18)−13:14大垣[22]
13:36大垣※−東海道本線・下り3221F(34)−14:10米原[15]
14:25米原−東海道本線・山陽本線・下り3265M(148/2:28)−16:53網干[22]
17:15網干−山陽本線・下り3267M(9)−17:24相生[1]
17:25相生−山陽本線・下り1331M(64/1:04)−18:29岡山

 ※岡山泊 ビジネスホテル幸荘

3月6日(日)

07:35岡山※−山陽本線・下り1727M(79/1:19)−08:54尾道[20]
09:14尾道−山陽本線・下り429M(12)−09:26三原[24]
09:50三原−山陽本線・下り・快速シティーライナー5341M(186/3:06)−12:56徳山[21]
13:26徳山−山陽本線・下り3549D(55)−14:11新山口[1]
14:12新山口※−山陽本線・下り3545M(65/1:05)−15:17下関[26]
15:43下関※−山陽本線・下り237M(7)−15:50門司[1]
15:51門司−鹿児島本線・下り2945M(6)−15:57小倉[19]
16:16小倉※−鹿児島本線・下り・快速スペースワールド4165M(151/2:31)−18:47銀水[8]
18:55銀水※−鹿児島本線・下り5363M(43)−20:38八代

 ※八代泊 八代オリエンタルホテル

3月7日(月)

08:01八代※−鹿児島本線・下り6334M(3)−08:04新八代[14]
08:18新八代※−九州新幹線・下り・つばめ33号(34)−08:52川内[60/1:00]
09:52川内※−鹿児島本線・下り2439M(34)−10:36鹿児島中央[4]
10:40鹿児島中央※−指宿枕崎線・下り・なのはなDX1号43335D(51)−11:31指宿[6]
11:37指宿※−指宿枕崎線・下り5325D(16)−11:53西大山[132/2:11]
14:04西大山−指宿枕崎線・上り5328D(17)−14:21指宿[16]
14:37指宿※−指宿枕崎線・上り1346D(75/1:15)−15:52鹿児島中央[93/1:33]
17:35鹿児島中央−南国交通(60)−18:35鹿児島空港[35]
19:10鹿児島空港−ANA630便−20:45羽田

  ※始発列車

幕張−総武本線・東北本線−東京 32.2km
東京−東海道本線−神戸 589.5km
神戸−山陽本線−下関 528.1km
下関−鹿児島本線−八代 233.1km
八代−鹿児島本線−新八代 2.8km
新八代−九州新幹線−川内 91.5km
川内−鹿児島本線−鹿児島中央 46.1km
鹿児島中央−指宿枕崎線−西大山 56.7km
西大山−指宿枕崎線−鹿児島中央 56.7km
鹿児島中央−南国交通リムジンバス−鹿児島空港 29.2km ※直線距離
鹿児島空港−全日本空輸−羽田空港 1111.0km
羽田空港−東京モノレール−浜松町 16.9km
浜松町−東海道本線・東北本線・総武本線−幕張 35.3km

総移動距離:2,829.1km
 鉄道利用移動距離:1,688.9km
 バス利用移動距離:29.2km ※直線距離
 空路利用移動距離:1111.0km
鉄道利用料金:\6,900※+新幹線料金\3,950+東京モノレール料金\470=\11,320
  ※青春18きっぷ\11,500の5回のうちの3回分価格分
正規料金利用の場合の推定料金:\25,670※+新幹線料金\3,950東京モノレール料金\470=\30,090
バス利用料金:\1,200
空路利用料金:\11,250※
  ※ANA超割使用運賃\11,600、チケットレス割引適用
利用料金合計\23,770
鉄道正規料金の場合の利用料金合計42,540

2005/04/24 03:06

※写真:鹿児島空港搭乗口から見たANA630便 撮影時刻 2005/03/07 18:45:53


特別付録


  特別付録1.

区間:幕張−秋葉原間(JR東日本管区)
路線名:総武本線/総武緩行線・上り
年月日:2005年3月5日土曜日
乗車/下車時刻:04:40/05:20
乗車時間:40分
区間距離:30.2km
普通料金:\540
累計距離:30.2km
累計料金:\540
通算乗車回数:1回
車両:E231系
種類:直流通勤形(JR東日本開発)
編成:29編成
所属:JR東日本八王子支社三鷹電車区所属(八ミツ)
列車番号:461B
登場年:2000年

画像 dd03669
取材地:JR秋葉原駅
撮影時刻 2005/03/05 05:36:16
特別付録2

区間:秋葉原−東京間(JR東日本管区)
路線名:東北本線・上り/京浜東北線・南行
年月日:2005年3月5日土曜日
乗車/下車時刻:05:24/05:28
乗車時間:4分
区間距離:2.0km
普通料金:\130
累計距離:32.2km
累計料金:\670
通算乗車回数:2回
車両:209系
種類:直流通勤形(JR東日本開発)
編成・所属:編成不明
所属:JR東日本大宮支社浦和電車区所属(宮ウラ)
列車番号:403A
登場年:1993年

画像 dd03670
取材地:JR東京駅
撮影時刻 2005/03/05 05:43:23
特別付録3

区間:東京−三島間(JR東日本管区/JR東海管区)
路線名:東海道本線・下り
年月日:2005年3月5日土曜日
乗車/下車時刻:05:46/07:57
乗車時間:2時間11分
区間距離:120.7km
普通料金:\2,210
累計距離:152.9km
累計料金:\2,880
通算乗車回数:3回
車両:113系
種類:直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:K55編成
所属:横浜支社国府津電車区(横コツ)
列車番号:323M
登場年:1963年

画像 dd03671
取材地:JR東京駅
撮影時刻 2005/03/05 05:54:03
特別付録4

区間:三島−豊橋間(JR東海管区)
路線名:東海道線・下り
年月日:2005年3月5日土曜日
乗車/下車時刻:08:25/11:45
乗車時間:3時間20分
区間距離:172.9km
普通料金:\2,940
累計距離:325.8km
累計料金:\5,820
通算乗車回数:4回
車両:113系
種類:直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:T16編成
所属:静岡支社静岡車両区(静シス)
列車番号:221M
登場年:1963年

画像 dd03680
取材地:JR三島駅
撮影時刻 2005/03/05 08:33:44
特別付録5

区間:豊橋−大垣(JR東海管区)
路線名:東海道線・下り
年月日:2005年3月5日土曜日
乗車/下車時刻:11:56/13:14
乗車時間:1時間18分
区間距離:116.4km
普通料金:\1,890
累計距離:442.2km
累計料金:\7,710
通算乗車回数:5回
車両:313系
種類:直流近郊形(JR東海開発)
編成:Y2編成
所属:東海鉄道事業本部大垣車両区(海カキ)
列車番号:5221F
登場年:1999年

画像 dd03683
取材地:JR大垣駅
撮影時刻 2005/03/05 13:31:34
特別付録6

区間:大垣−米原(JR東海管区)
路線名:東海道線・下り
年月日:2005年3月5日土曜日
乗車/下車時刻:13:36/14:10
乗車時間:34分
区間距離:35.9km
普通料金:\650
累計距離:478.1km
累計料金:\6,470
通算乗車回数:6回
車両:211系5000番台
種類:直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:C13編成
所属:東海鉄道事業本部大垣車両区(海カキ)
列車番号:3221F
登場年:1986年

画像 dd03684
取材地:JR大垣駅
撮影時刻 2005/03/05 13:43:33
特別付録7

区間:米原−網干(JR西日本管区)
路線名:東海道線・山陽本線・下り/琵琶湖線・京都線・神戸線・下り
年月日:2005年3月5日土曜日
乗車/下車時刻:14:25/16:53
乗車時間:2時間28分
区間距離:208.7km
普通料金:\3,570
累計距離:686.8km
累計料金:\10,040
通算乗車回数:7回
車両:221系2000番台
種類:直流近郊形(JR西日本開発)
編成:編成不明
所属:神戸支社網干総合車両所(神ホシ)
列車番号:795T
登場年:1993年

画像 dd03689
取材地:JR網干駅
撮影時刻 2005/03/05 17:09:53
特別付録8

区間:網干−相生(JR西日本管区)
路線名:山陽本線・下り
年月日:2005年3月5日土曜日
乗車/下車時刻:17:15/17:24
乗車時間:9分
区間距離:10.4km
普通料金:\230
累計距離:697.2km
累計料金:\10,270
通算乗車回数:8回
車両:221系2000番台
種類:直流近郊形(JR西日本開発)
編成:V41編成
所属:所属不明
列車番号:3267M
登場年:1993年

画像 dd03693
取材地:JR網干駅
撮影時刻 2005/03/05 17:29:19
特別付録9

区間:相生−岡山(JR西日本管区)
路線名:山陽本線・下り
年月日:2005年3月5日土曜日
乗車/下車時刻:17:25/18:29
乗車時間:1時間4分
区間距離:67.9km
普通料金:\1,110
累計距離:765.1km
累計料金:\11,380
通算乗車回数:9回
車両:115系
種類:直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:K01編成
所属:所属不明
列車番号:1335M
登場年:1963年

画像 dd03694
取材地:JR岡山駅
撮影時刻 2005/03/05 18:44:51
特別付録10

区間:岡山−尾道(JR西日本管区)
路線名:山陽本線・下り
年月日:2005年3月6日日曜日
乗車/下車時刻:07:35/08:54
乗車時間:1時間19分
区間距離:78.4km
普通料金:\1,280
累計距離:843.5km
累計料金:\12,660
通算乗車回数:10回
車両:213系
種類:直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:C4編成
所属:岡山支社岡山電車区(岡オカ)
列車番号:1727M
登場年:1986年

画像 dd03702
取材地:JR岡山駅
撮影時刻 2005/03/06 07:46:44
特別付録11

区間:尾道−三原(JR西日本管区)
路線名:山陽本線・下り
年月日:2005年3月6日日曜日
乗車/下車時刻:09:14/09:26
乗車時間:12分
区間距離:11.5km
普通料金:\230
累計距離:855.0km
累計料金:\12,890
通算乗車回数:11回
車両:115系1000番台
種類:直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:D9編成
所属:岡山支社岡山電車区(岡オカ)
列車番号:429M
登場年:1963年

画像 dd03711
取材地:JR尾道駅
撮影時刻 2005/03/06 09:29:17
特別付録12

区間:三原−徳山(JR西日本管区)
路線名:山陽本線・下り
年月日:2005年3月6日日曜日
乗車/下車時刻:09:50/12:56
乗車時間:3時間6分
区間距離:181.6km
普通料金:\2,940
累計距離:1,036.6km
累計料金:\15,830
通算乗車回数:12回
車両:115系2000番台
種類:直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:広L−11編成
所属:広島支社広島運転所(広ヒロ)
列車番号:5341M
登場年:1963年

画像 dd03729
取材地:JR柳井駅
撮影時刻 2005/03/06 12:31:36
特別付録13

区間:徳山−新山口(JR西日本管区)
路線名:山陽本線・下り
年月日:2005年3月6日日曜日
乗車/下車時刻:13:26/14:11
乗車時間:55分
区間距離:44.3km
普通料金:\740
累計距離:1,080.9km
累計料金:\16,570
通算乗車回数:13回
車両:キハ40形
種類:気動車(日本国有鉄道開発)
編成:編成不明
所属:広島支社山口鉄道部(広クチ)
列車番号:3549D
登場年:1977年

画像 dd03736
取材地:JR徳山駅
撮影時刻 2005/03/06 13:40:03
特別付録14

区間:新山口−下関(JR西日本管区)
路線名:山陽本線・下り
年月日:2005年3月6日日曜日
乗車/下車時刻:14:12/15:17
乗車時間:1時間5分
区間距離:68.9km
普通料金:\1,110
累計距離:1,149.8km
累計料金:\17,680
通算乗車回数:14回
車両:115系500番台
種類:直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:セキT−02編成編成
所属:広島支社下関地域鉄道部下関車両管理室(広セキ)
列車番号:3545M
登場年:1963年

画像 dd03737
取材地:JR下関駅
撮影時刻 2005/03/06 15:34:07
特別付録15

区間:下関−門司(JR九州管区)
路線名:山陽本線・下り
年月日:2005年3月6日日曜日
乗車/下車時刻:15:43/15:50
乗車時間:7分
区間距離:6.3km
普通料金:\220
累計距離:1,156.1km
累計料金:\17,900
通算乗車回数:15回
車両:415系100番台
種類:交直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:Fd−109編成
所属:大分支社大分鉄道事業部大分運輸センター(分オイ)
列車番号:5569M
登場年:1971年

画像 dd03744
取材地:JR下関駅
撮影時刻 2005/03/06 15:53:20
特別付録16

区間:門司−小倉(JR九州管区)
路線名:鹿児島本線・下り
年月日:2005年3月6日日曜日
乗車/下車時刻:15:51/15:57
乗車時間:6分
区間距離:5.5km
普通料金:\200
累計距離:1,161.6km
累計料金:\18,100
通算乗車回数:16回
車両:415系300番台
種類:交直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:Fm−1編成
所属:北部九州地域本社南福岡電車区(本ミフ)
列車番号:2945M
登場年:1971年

画像 dd03745
取材地:JR小倉駅
撮影時刻 2005/03/06 16:13:56
特別付録17

区間:小倉−銀水(JR九州管区)
路線名:山陽本線、鹿児島本線・下り・快速スペースワールド
年月日:2005年3月6日日曜日
乗車/下車時刻:16:16/18:47
乗車時間:2時間31分
区間距離:133.3km
普通料金:\2,420
累計距離:1,294.9km
累計料金:\20,520
通算乗車回数:17回
車両:811系三井グリーンランド編成
種類:交流近郊形(JR九州開発)
編成:P9編成
所属:北部九州地域本社南福岡電車区(本ミフ)
列車番号:4165M
登場年:1989年

画像 dd03746
取材地:JR小倉駅
撮影時刻 2005/03/06 16:18:48
特別付録18

区間:銀水−八代(JR九州管区)
路線名:鹿児島本線・下り
年月日:2005年3月6日日曜日
乗車/下車時刻:18:55/20:33
乗車時間:38分
区間距離:88.0km
普通料金:\1,600
累計距離:1,382.9km
累計料金:\22,120
通算乗車回数:18回
車両:815系
種類:交流近郊形(JR九州開発)
編成:N014編成
所属:熊本支社熊本鉄道事業部熊本運輸センター(熊クマ)
列車番号:5363M
登場年:1999年

画像 dd03751
取材地:JR熊本駅
撮影時刻 2005/03/06 20:08:45
特別付録19

区間:八代−新八代(JR九州管区)
路線名:鹿児島本線・上り
年月日:2005年3月7日月曜日
乗車/下車時刻:08:01/08:04
乗車時間:3分
区間距離:2.8km
普通料金:\160
累計距離:1,385.7km
累計料金:\22,280
通算乗車回数:19回
車両:815系
種類:交流近郊形(JR九州開発)
編成:N013編成
所属:熊本支社熊本鉄道事業部熊本運輸センター(熊クマ)
列車番号:6334M
登場年:1999年

画像 dd03763
取材地:JR八代駅
撮影時刻 2005/03/07 08:14:14
特別付録20

区間:新八代−川内(JR九州管区)
路線名:九州新幹線・下り
年月日:2005年3月7日月曜日
乗車/下車時刻:08:18/08:52
乗車時間:34分
区間距離:91.5km
普通料金:\3,950
累計距離:1,477.2km
累計料金:\26,230
通算乗車回数:20回
車両:800系
種類:新幹線車両(JR九州開発)
編成:U002編成
所属:川内新幹線車両センター(本セイ)
列車番号:33F
登場年:2004年

画像 dd03764
取材地:JR新八代駅
撮影時刻 2005/03/07 08:26:03
特別付録21

区間:川内−鹿児島中央(JR九州管区)
路線名:鹿児島本線・下り
年月日:2005年3月7日月曜日
乗車/下車時刻:09:52/10:36
乗車時間:34分
区間距離:46.1km
普通料金:\910
累計距離:1,523.3km
累計料金:\27,140
通算乗車回数:21回
車両:817系
種類:交流近郊形(JR九州開発)
編成:V007編成
所属:北部九州地域本社鹿児島総合車両所(本カコ)
列車番号:2439M
登場年:2001年

画像 dd03778
取材地:JR川内駅
撮影時刻 2005/03/07 09:59:47
特別付録22

区間:鹿児島中央−指宿(JR九州管区)
路線名:指宿枕崎線・下り
年月日:2005年3月7日月曜日
乗車/下車時刻:10:40/11:31
乗車時間:51分
区間距離:45.7km
普通料金:\970
累計距離:1,569.0km
累計料金:\28,110
通算乗車回数:22回
車両:キハ200形
種類:気動車(JR九州開発)
編成:編成不明
所属:北部九州地域本社鹿児島総合車両所(本カコ)
列車番号:43335D
登場年:1990年

画像 dd03780
取材地:JR指宿駅
撮影時刻 2005/03/07 11:48:47
特別付録23

区間:指宿−西大山(JR九州管区)
路線名:指宿枕崎線・下り
年月日:2005年3月7日月曜日
乗車/下車時刻:11:37/11:53
乗車時間:16分
区間距離:11.0km
普通料金:\270
累計距離:1,580.0km
累計料金:\28,380
通算乗車回数:23回
車両:キハ40+キハ47
種類:気動車(日本国有鉄道開発)
編成:編成不明
所属:北部九州地域本社筑豊篠栗鉄道事業部(本チク)
列車番号:5325D
登場年:1977年

画像 dd03781
取材地:JR指宿駅
撮影時刻 2005/03/07 11:50:00
特別付録24

区間:西大山−指宿(JR九州管区)
路線名:指宿枕崎線・上り
年月日:2005年3月7日月曜日
乗車/下車時刻:14:04/14:21
乗車時間:17分
区間距離:11.0km
普通料金:\270
累計距離:1,591.0km
累計料金:\28,650
通算乗車回数:24回
車両:キハ40+キハ47
種類:気動車(日本国有鉄道開発)
編成:編成不明
所属:北部九州地域本社筑豊篠栗鉄道事業部(本チク)
列車番号:5328D
登場年:1977年

画像 dd03803
取材地:JR指宿駅
撮影時刻 2005/03/07 14:36:32
特別付録25

区間:指宿−鹿児島中央(JR九州管区)
路線名:指宿枕崎線・上り
年月日:2005年3月7日月曜日
乗車/下車時刻:14:37/15:52
乗車時間:1時間15分
区間距離:45.7km
普通料金:\970
累計距離:1,636.7km
累計料金:\29,620
通算乗車回数:25回
車両:キハ40+キハ47
種類:気動車(日本国有鉄道開発)
編成:編成不明
所属:北部九州地域本社鹿児島総合車両所(本カコ)
列車番号:1346D
登場年:1977年

画像 dd03807
取材地:JR指宿駅
撮影時刻 2005/03/07 14:43:14






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