青春の旅立ち−北へ



  1.青春の旅立ち第2弾

JR最南端の駅を目指して旅をした“青春の旅立ち−西へ”から一週間、
まだ2泊3日の旅の余韻が消えきらぬうちに、
今度は北を目指して旅立つことになった。
月曜日に有休を取ったので実際は4日間の仕事の後、
また初電に乗ることになった。
今回は「青春18きっぷ」の4回(人)分目を使い、
日帰りで東北本線をひたすら北上する旅に出る。
東北本線は東京から青森までを結ぶ長距離路線である。
但し東京−上野間は京浜東北線、山手線がむすび、事実上は上野が起点となっている。
それは歴史的な経緯が関係している。
日本鉄道が最初に東北線を開業した時の起点が上野駅であったために、
現在でも東北方面の列車の発着は上野が始発であることが多いのである。
東北本線のうち、黒磯までは愛称名で「宇都宮線」と呼ぶ。
東北新幹線八戸延伸の時に盛岡−八戸間が第三セクター化されたため、
現在は東北本線はふたつに分断されてしまっている。
今回は分割された東京方の上野−盛岡間を在来線で旅したいと思う。
既に帰りは19:39盛岡発の東北新幹線「はやて28号」の指定席を予約してある。
今回はこの19:39をタイムリミットに日帰りで東北本線北上の旅に出る。
以下のように計画を立てた。

3月12日(土)

04:40幕張−総武緩行線・西行461B(40)−05:20秋葉原[9]
05:29秋葉原−京浜東北線・北行418B(3)−05:32上野[15]
05:47上野※−東北本線・下り525M(101/1:41)−07:28宇都宮[9]
07:37宇都宮※−東北本線・下り1531M(50)−08:27黒磯[72/1:12]
 ※駅取材、朝食
09:39黒磯※−東北本線・下り2131M(61/1:01)−10:40郡山[27]
11:07郡山※−東北本線・下り1135M(46)−11:53福島[7]
12:00福島※−東北本線・下り1185M(33)−12:33白石[34]
 ※駅取材、昼食
13:07白石※−東北本線・下り445M(61/1:01)−14:08岩切[23]
 ※駅取材
14:31岩切−東北本線・下り1547M(38)−15:09小牛田[19]
15:28-35小牛田−東北本線・下り539M(48)−16:23一ノ関[40]
 ※駅取材
17:03一ノ関※−東北本線・下り1547M(98/1:38)−18:41盛岡[52]
 ※夕食
19:33-39盛岡−東北新幹線はやて28号(149/2:29)−22:08東京[22]
22:30東京※−総武快速線・下り2283F(38)−23:08千葉[10]
23:18千葉※−総武緩行線・上り2305C(9)−23:27幕張

この旅の中で未取材駅である黒磯、白石、一ノ関と、
以前2度も取材していながら2回とも撮影に失敗した岩切駅を取材する。
岩切駅の取材は再リベンジ取材である。
今回は日帰りということもあって荷物は原則的にカメラだけである。
2泊3日の疲労が蓄積したまま4日間の仕事をして、
ゆっくり眠る暇もなく再び始発電車に乗るために4:00a.m.前に起床した。

2005/05/01 22:38


  2.初電−再び旅の始まり

3月12日土曜日、今日も4:00a.m.前に起床して、総武緩行線461Bに乗り込んだ。
花粉症が酷く小青竜湯を飲んで出掛ける。
まだ夜は全く明けておらず、
明かりがついているのは駅とコンビニとバス会社の車庫を兼ねた乗車場だけである。
今日も幕張駅の改札には人はおらず、検印されないまま強引に改札を突破する。
闇の中をヘッドライトの光で切り裂きながら461Bが入線してくる。
E231系に乗り込み終点の御茶ノ水のひとつ前、秋葉原で下車する。
前回は東京から東海道線に乗るために京浜東北線で南に行ったが、
今回は東北本線を北上するために京浜東北線で北行きに乗って上野に行く。
秋葉原で9分の乗換時間で京浜東北線418Bで2駅北上し、
05:32に上野に到着する。
上野駅での乗換時間は15分。
宇都宮線525Mで宇都宮を目指すが、
その前に中央改札口で「青春18きっぷ」に検印して貰う。
「青春18きっぷ」は1枚のきっぷで5回(人)分使える。
今回は4回(人)のところに、
「ありがとうございます JR東日本3.−12 上野駅(C)」と検印して貰う。
これでここからがいよいよ東北本線北上の旅の始まりである。
この時間ではまだ駅弁は売っておらず、朝食はおあずけである。
検印後、上野駅7番線ホームに上がる。
まだ宇都宮行きの525Mは入線しておらず、
自販で伊右衛門のヘットボトルを買って入線を待つ。
東北本線は明治時代に日本鉄道という会社が施設した長距離路線で、
1883年に上野−熊谷間が開業した。
つまり上野−大宮間は高崎線と東北本線が共有しているが、
そもそもこの区間は高崎線の路線として開業した区間なのである。
その後1885年には大宮−宇都宮間が開業したが、
まだ利根川橋梁が完成していなかったため、この区間は船を利用していた。
約1年後の1886年6月17日に利根川橋梁が完成し、宇都宮まで直通した。
その後もどんどん北に延伸していき、1891年には青森まで開通している。
1906年には鉄道国有法によって国有化されたが、
東京−上野間が完成したのは1925年11月1日になってからである。
つまり東北本線の始発駅は長い間上野駅であり、
現在も東京−上野間は東北本線ということになっているが、
実際は京浜東北線や山手線の一部であって、
現在でも東北本線、高崎線の列車はほとんどが上野駅を始発としている。
暫くしてE231系近郊形が10両編成で入線してきた。
宇都宮線宇都宮行きの525Mである。

2005/05/14 23:39


  3.東北本線の旅 上野〜黒磯

上野駅7番線に入線してきた525MはE231系近郊形10両編成だった。
近郊形E231系は基本10両+付属5両の編成からなり、
通勤時間帯や多客期には15両の長編性で運行されるが、
朝早いこの時間帯では基本10両編成のみの運用となる。
入線した車両に乗り込んで出発の時を待つ。
05:47、525Mは上野駅を出発した。
いよいよ東北本線北上の旅の始まりである。
車窓はまだ濃厚な闇に包まれており、人々の生活の息吹は感じられない。
まだほとんどの人が夢うつつの中を、
宇都宮行き東北本線525Mは疾走していた。
やがて僕も微睡みの中に誘われ、爆睡してしまった。
やはり朝が早いのは辛い・・・。
それに先週の旅の疲弊が蓄積したままの旅立ちである。
それで初電での旅はやはり過酷であり、爆睡は当然だろう。
目が覚めると辺りは明るくなっていたが、車窓は霧に包まれていた。
上野駅を出て1時間41分、電車は宇都宮駅に到着した。
ホームの反対側には189系ジョイフルトレイン「彩野」が停車していた。
525Mとの接続を取って出発するのであろう。
ジョイフルトレイン「彩野」は、
中央本線特急「あずさ」「かいじ」が183系・189系からE257系に置き換えられ、
余剰となった車両を改造して登場した簡易改造型のジョイフルトレインであり、
その外観は「華」や「宴」のように車体を新造したわけではなく、
国鉄型特急のボディをそのまま流用して安上がりに出来ている。
普段は新宿から宇都宮線、日光線を経由して日光までを走る「やすらぎの日光号」や、
宇都宮から武蔵野線経由で京葉線に入る「マリンビュー舞浜号」等に使用されている。
しかし今回は「快速鎌倉物語号」のヘッドマークを掲げていることから、
新宿湘南ラインと同じルートで鎌倉に至る臨時快速として使用されるのであろう。
525Mが宇都宮駅に到着すると、多くの人が慌てて「彩野」に乗り込んでいった。
「彩野」の取材後に宇都宮名物の餃子も喰わず、
乗換時間9分で黒磯行きの東北本線下り1531Mの乗車する。
1531Mは211系3000番台のロングシート車だった。
この列車は50分で終点の黒磯に到着する。
東北本線は上野から宇都宮を経て黒磯までが宇都宮線の愛称で呼ばれている。
そして東北本線は黒磯までが直流区間であり、ここから先は交流区間となる。
黒磯は交直の分岐点でもあるのだ。
08:27に黒磯に到着し、駅取材を開始する。

2005/06/04 11:25

※写真:宇都宮駅に停車中の189系「彩野」 撮影時刻 2005/03/12 07:45:03


  4.東北本線の旅 黒磯〜新白河

黒磯では交直流の分岐点でもあり、
十分な取材時間を取るということで列車を1本見送って1時間12分を取っていた。
そしてここで朝食を取る予定でもいた。
しかし黒磯駅は駅の西側のみに出入り口があり、反対側には改札外の跨線橋を使用する。
そして駅舎の反対側にはJR貨物の黒磯機関区がある。
ここは交直流の分岐点であるために、多くの電気機関車が取材できると思った。
しかし実際にはホームに停車中のEF66型電気機関車を取材できたが、
あとはそれ程時間を掛けるほどのこともなかった。
駅の外は地方都市特有の寂れた印象が拭いきれない。
この一帯は鎌倉幕府を開いた源頼朝が巻狩りをした一帯ということで、
駅前には黒磯市が設置した「とちぎふれあい自然歩道」の案内板に、
「巻狩りの里めぐり」が案内されている。

 源頼朝が鎌倉幕府を開いた翌年(1193年4月)その勢力を天下に知らしめるため
 ここ那須野ヶ原一帯で、大きな巻狩りが繰り広げられました。
 この巻狩りは「那須野巻狩」と呼ばれ、三浦氏、和田氏、梶原氏などの鎌倉幕府を支える
 有力な武将が参加したほか、獲物を追い出す勢子(せこ)10万人が加わりその声は、
 天地を揺るがす雷鳴のようであったと伝えられています。

 解説 「吾妻鏡」によりますと、那須野巻狩が行われたのは建久4年(1193)
    4月2日〜23日までの22日間となっています。
     巻狩り〔狩り場を四方から囲みも獲物を中に追い込む狩り〕
     勢子 〔獲物を追い出す人〕

予定では09:39黒磯始発の東北本線下り2131Mで郡山を目指すことになっていたが、
期待したほどの取材対象がなく、また朝食を喰う場所もなかったので、
停車していた417系郡山行きに乗り込む。
この列車は08:44に黒磯を出発し10:00に郡山に到着する予定より1本前の列車である。
黒磯から先は1時間に約1本しか列車がない。
予定より55分速い列車に乗り込み郡山を目指すことにした。
既に1531Mの乗客で満席に近い状況になっていた。
乗車してから手帳に載っていた鉄道路線図で新白河駅が東北新幹線接続駅であることを知り、
急遽この駅で下車することにした。
黒磯を08:44に出た2129Mの417系は09:07に新白河駅に到着する。

2005/06/04 13:05

※写真:JR黒磯駅ホームから見える黒磯機関区 撮影時刻 2005/03/12 08:53:26


  5.東北本線の旅 新白河〜郡山

08:44に黒磯を出た2129Mは新白河のひとつ手前の白坂で、
上りの寝台特急「北斗星」とすれ違う。
去年の夏に北海道を旅した時に帰りに乗った列車である。
417系は09:07に新白河駅に到着した。
新白河駅は東北新幹線の停車駅であり、
そのため新幹線16両分のホームの長さがあるために、
東側駅舎は新幹線ホームと同じ大きさがあり、
駅前ロータリーも完備されている。
それに対して西側は在来線の駅舎という側面が強い。
駅前にはロータリークラブによって設置された松尾芭蕉像があり、
そこには次の句が書かれている。

 心ともなき日数重るまヽに
 白河の関にかヽりて旅心定りぬ
           芭蕉 奥の細道

更に側面にはこの句の英訳と思われる次の英文が書かれている。

 It was not until we finally
 reached the checkpoint, or
 barrier, at Shirakawa that we
 felt we were really on our
 way at last.

 OKUNO HOSOMICHI 1689
 Translated by Dorothy Britton

この文を「コリャ英和!一発翻訳バイリンガル」で訳したところ、
「我々が我々がついに本当に途中であったと感じたのは
 我々が白川に最終的にチェックポイント、あるいは障壁に着いた時初めてでした。

OKUNO HOSOMICHI 1689。
ドロシー Britton によって翻訳されました。」となった。
新白河駅の由来について駅には次のような文章が掲げられている。

 「新白河駅」は、昭和三十四年七月に磐城西郷駅として誕生し、
 東北新幹線開業の昭和五十七年六月二十三日から現在の名称になる。
 城下町白河の西の郷にあって親しまれてきた磐城西郷駅は、
 新幹線の建設が進むにつれ「新幹線の停まる、新しい白河駅」へと変貌してきたが、
 昭和五十五年十二月の新駅舎完成を期に「仮称新白河駅」が定着した。
 奥州の玄関といわれた白河地方も、
 今や東京方面、仙台方面への通勤圏としてゆるぎない発展を続けている。
 なお、二・八キロ北にある白河駅は明治二十年七月十六日に開業し
 県南随一の交通の要所として栄えた。
 現在も「城下町白河」は古い伝統と香り豊かな歴史と文化の町でもある。
 白河の地名は、古関跡の下を流れる「白川」という小川に由来する説と
 アイヌ語の「シラガー(自分の陣地)」が訛ったとの二説がある。

ここに来るまで朝食を全く喰っていなかったので、
新白河駅の中にある「家伝」という立ち食い蕎麦屋で天ぷらうどん\340喰う。
麺はコシがあってシコシコした口当たりがあり、立ち食いとしてはレベルが高い。
腹を満たしてから正面出口(東口)、高原出口(西口)と取材し、
予定では黒磯で乗車することになっていた2131Mに乗車する。
2129Mは417系交直流近郊形だったが、
2131Mは701系交流通勤形電車だった。
701系はJR東日本が交流エリアの通勤力増強を目指して開発投入した車両で、
205系をベースに交流区間では初めてのオールロングシート車として登場した。
10:02に新白河で2131Mに乗車し、郡山に到着したのは10:40だった。

2005/06/06 23:09

※写真:新白河駅正面口にある芭蕉像 撮影時刻 2005/03/12 09:38:56


  6.東北本線の旅 郡山〜岩切

新白河で乗った2131Mは10:40に郡山に到着し、
27分の乗換時間で福島行きの1135Mに乗り換えることになる。
郡山駅は既に取材済みだったのでこの時間に車両取材する。
郡山駅は磐越東線と磐越西線が合流する駅であり、取材車両には事欠かない。
磐越西線は信越本線新津と郡山を結ぶ路線であり、
新津から会津若松までは非電化路線、会津若松から郡山までは電化路線である。
会津若松から郡山までは以前特急「あいづ」が走っていたが今は廃止されている。
この区間には赤を基調とした専用塗色の455系が走っている。
磐越東線は常磐線のいわきから郡山までを結ぶ非電化路線であり、
この区間はJR東日本が開発した気動車キハ110系が走っている。
これらを取材し、11:07に郡山を出発する1185Mに乗り込む。
実はこの列車は新白河から乗ってきた2131Mだった。
後方の車両を切り離して回送させ、短編成として残りが福島まで行くのである。
1135Mは46分かけて更に福島まで行く。
車中で寝込んでしまい、危うく乗り過ごすところだった。
福島では7分の乗換時間で1185Mに乗り込む。
この車両も701系だった。
東北地方では701系が広く活躍していることが伺える。
1185Mは33分で白石に到着する。
白石駅での停車時間は33分。
予定ではこの時間で駅取材と昼食を取るつもりだった。
しかしここでは昼食を喰えるような店は見つからなかった。
仕方がないのでkioskでサンドイッチと伊右衛門を購入し、
次の列車の車中で喰うことにする。
外は小雨が降っていた。
白石駅構内には駅名由来が以下のように書かれている。

 「白石」という地名は、かつてこの地方に「神石白石」という
 純白で光沢のある大きな石が産出されたからという説や、
 アイヌ語で“石がたくさんあるところ”という意味の
 「シュラウシ」からきているという説、
 また、かつてこの地方を割拠していた白石氏という豪族の名前を由来するなど、
 諸説があります。
 白石は、慶長七年(一六〇二)、伊達政宗の第一の家臣であった
 片倉小十郎影綱が入場して以来、
 仙台藩の南の要衝として、また軍事拠点都市として発展してきました。

 この地名の由来を受けて、明治二十年(一八八七)十二月十五日、
 東北本線が当地に開通した時、白石駅が開業しました。

白石駅には開業当時に設置されたという赤煉瓦の油庫があった。
白石駅から次の目的地である岩切に向かう445Mも701系だった。
ロングシート車の中だが背に腹は替えられないのでここで昼食を喰う。
1時間1分をかけて岩切に到着する。
岩切駅はかつて2度も駅取材に来ていながら2度とも失敗した。
1度目は時間がなく慌ててシャッターを切ったため、
バッグから取り出す時にAF/MFの選択スイッチが間違ってMFに入ってしまった。
しかしその事に気がつかずにAFのつもりでシャッターを切ってしまった。
当然全てピンぼけになってしまった。
2度目はリベンジのつもりでフォーカス選択スイッチはきちんと確認したのだが、
花形フードがきちんとはまっておらず、画面下に影が出来てしまった。
今回は3度目の挑戦である。
「三度目の正直」となるか、或いは「二度あることは三度ある」になってしまうか。
14:08に701系445Mは岩切駅に到着した。

※写真:白石駅に開業当時からある油庫 撮影時刻 2005/03/12 12:52:46


  7.東北本線の旅 岩切〜一ノ関

岩切駅での取材時間は23分だった。
東北本線で仙台から2つ目の駅で、ここから利府方面への分岐駅でもある。
東北本線は1894年開業当時は岩切から利府を経由して松島に至る線形だった。
1944年に陸前山王経由の所謂“海線”が開業し、
利府経由の路線は“山線”と呼ばれるようになった。
その後1962年には海線が東北本線の主線となり、山線は廃止された。
しかし人口の多い利府までを支線として残したのである。
穿った見方をすれば新幹線の車両基地の通勤路線を確保したとも云える。
岩切駅を初めて取材したものも新幹線車両基地の見学が目的の時だった。
今回は時間をたっぷり取ってある。
ミスのないようにフォーカス選択スイッチや花形フードをきちんと確かめ、
撮影モードもきちんと確認し、いよいよ取材に入る。
今回は何とか取材に成功した。
岩切駅の構内には由来が次のように書かれている。

 昭和三十年(一九五五)、川内市木ノ下にある陸奥国分寺跡の発掘調査の際、
 寺院の土台として使用されていた岩を調査したところ、
 岩切・入山地区産の岩と同質であることが分かりました。
 入山地区は、現在「県民の森」となっている高森山の、南東の山麓一帯のことで、
 陸奥国分寺の礎石はここから切り出され、運ばれたのだろうと推測されています。
 入山地区には、今も赤い岩盤が随所に露出していて、
 岩を切った痕跡が、赤地の岩肌に直角な形状で残されています。
 そして、その切り場の平坦な部分には人家が建ち並んでいます。
 陸奥国分寺の岩を切り出した地ということが、
 当地名の発祥の由来となったというのが通説になっています。

 この地名の由来を受けて、明治二十年(一八八七)十二月
 十五日、東北本線の岩切駅として開業しました。

岩切駅のホームで偶然国鉄時代の塗色に塗り直されたED75型700番台を見掛けた。
そして14:31に到着した1547Mで小牛田まで行く。
小牛田は以前に宮脇俊三氏のエッセイ「駅は見ている」で、
小牛田駅と古川駅の衰勢の話を読んで取材に来たことがある。
現在は東北新幹線が古川駅経由となったため、寂れた感が否めないが、
それでも町としては観光客の誘致に必死な努力をしていることが、
駅前を見てもよく分かる。
小牛田駅はかつての貨物ヤードがそのまま車両基地にも利用されていて、
また扱いはかなり少なくなったであろうが今もDE10型ディーゼル機関車が、
貨物車の入れ換えに精を出していた。
小牛田は石巻線と陸羽東線が接続する駅でもあり、
地方の駅としてはバラエティに富んだ車両が取材できた。
更に遠くの留置線には「ビューコースター風っこ」や「こがね」などの、
ジョイフルトレインの姿も目にすることが出来た。
前に来た時はジョイフルトレイン「ふるさと」も目撃した。
小牛田で一ノ関行きの539Mに乗り込む。

2005/06/26 23:18

※写真:岩切駅上を斜めに横切る東北新幹線高架 撮影時刻 2005/03/12 14:40:23


  8.東北本線の旅 一ノ関〜盛岡

小牛田から乗った539Mも701系だった。
一ノ関に到着したのは16:23だった。
午後の日差しは徐々に弱まり、自然光による取材の限界の時間に達していたが、
それでも快晴だったために十分に自然光で写真が撮れた。
一ノ関駅は西口が表玄関として機能していて、
そこには「大槻三賢人」の銅像が建っている。
大槻三代の胸像が建っており、以下のような解説文がついていた。

 大槻三代

大槻玄沢(げんたく 一七五七−一八二七)正面像
 一ノ関藩医大槻玄梁の子、今の一関市中里に生まれる。
 号は磐水、我が国蘭学の先駆者であり、
 杉田玄白、前野良沢の教えを受け蘭学を開花せしめた。
 「蘭学階梯」「重訂解体新書」を著した。
大槻盤渓(ばんけい 一八〇一−一八七八)左像
 大槻玄沢の次男、儒学者で幕末にあって開国論を主張し、
 日本の進路を予見した。
 「孟子約解」「近古史談」「献芹微喪」を著し、
 佐久間象山、福沢諭吉等にも親交があった。
大月文彦(ふみひこ 一八四七−一九二八)右像
 大槻盤渓の三男、国語学者、史伝家、
 我が国初めての国語辞書「言海」を著し日本の近代化に大きく貢献した。
 「広日本文典」等時折中里でも執筆。「大言海」編纂中に逝く。
         建立 社団法人 一関青年会議所

東口を取材してから構内を通り抜けて西口の取材もする。
東口は駅というよりは「東口交流センター」となっており、
公民館や観光館的な役割を果たしている。
一ノ関での取材時間は40分、17:03には1547Mに乗り、盛岡を目指す。
1547Mも701系だった。
しかしそれまでの701系は仙台支社の所属だったが、
一ノ関から乗った701系は盛岡支社の所属だったために腰板の塗色が違っていた。
地方路線は首都圏ほどに路線の車両が固定されてはいないが、
それでも各支社事にオリジナルの塗色で個性を出そうとしている。
国鉄時代から受け継いだ鋼製車両はオリジナルの塗色で塗り分けているが、
701系も腰板のラインを変えてオリジナリティーを出している。
平泉を出た辺りでチラチラと雪が降り始め、水沢を超えた辺りで既に積雪が見られた。
18:41に盛岡に到着する。
盛岡に到着した時には既に夜の帳が完全に降りきっていた。

2005/06/27 22:39

※写真:一ノ関駅東口の大槻三賢人像 撮影時刻 2005/03/12 16:42:05


  9.8時間59分/2時間29分〜旅の終わり

盛岡での乗換時間は52分である。
十分に時間はあるがこの駅は既に取材済みだしそれに完全に夜になってしまっている。
盛岡駅で夕食を喰おうと思って駅ビル内を歩いたが、
何処も混んでいて新幹線の時間に間に合うか分からない。
そこで夕食は駅弁を購入して車中で喰うことにし、
自分へのお土産として南部煎餅だけ買って新幹線ホームに入場する。
19:39盛岡駅発のはやて28号の指定席は事前に購入してあった。
新幹線コンコース内の売店で駅弁「南部わっぱめし」\1,000と缶ビール500ml\300買う。
事前に購入してあったはやて28号4号車5番E席に着席し、駅弁喰う。
はやて28号は田沢湖線からやってきたこまち28号と連結し、
19:39に盛岡駅を出て東京を目指す。
仙台、大宮、上野と停車し、東京駅に到着したのは22:08だった。
乗車時間は2時間29分である。
上野駅から東北本線を乗り継いで盛岡までやってきた、
乗換時間を含まない純然たる乗車時間は8時間59分。
この差が新幹線の存在意義となる。
実際に体験してみて改めて新幹線の速さというものが実感できた。
東京から総武快速線で千葉まで行き、緩行線で帰る。
幕張に到着したのは23:27だった。

 −旅行データ−

3月12日(土)

04:40幕張−総武緩行線・西行461B(40)−05:20秋葉原[9]
05:29秋葉原−京浜東北線・北行418B(3)−05:32上野[15]
05:47上野※−東北本線・下り525M(101/1:41)−07:28宇都宮[9]
07:37宇都宮※−東北本線・下り1531M(50)−08:27黒磯[72/1:12]
 ※駅取材
08:44黒磯※−東北本線・下り2129M(23)−09:07新白河
10:02新白河−東北本線・下り2131M(38)−10:40郡山[27]
11:07郡山※−東北本線・下り1135M(46)−11:53福島[7]
12:00福島※−東北本線・下り1185M(33)−12:33白石[34]
 ※駅取材
13:07白石※−東北本線・下り445M(61/1:01)−14:08岩切[23]
 ※駅取材
14:31岩切−東北本線・下り1547M(38)−15:09小牛田[19]
15:28-35小牛田−東北本線・下り539M(48)−16:23一ノ関[40]
 ※駅取材
17:03一ノ関※−東北本線・下り1547M(98/1:38)−18:41盛岡[52]
19:33-39盛岡−東北新幹線はやて28号(149/2:29)−22:08東京[22]
22:30東京※−総武快速線・下り2283F(38)−23:08千葉[10]
23:18千葉※−総武緩行線・上り2305C(9)−23:27幕張

  ※始発列車

幕張−総武本線・東北本線−上野 31.8km
上野−東北本線−盛岡 531.9km
盛岡−東北新幹線−東京 535.3km
東京−総武本線−千葉 39.2km
千葉−総武本線−幕張 7.6km

総移動距離:1,145.8km

鉄道利用料金:\2,300※+新幹線料金\13,840=\16,140
  ※青春18きっぷ\11,500の5回のうちの1回分価格分
正規料金利用の場合の推定料金:\10,990※+新幹線料金\13,840=\24,830

2005/06/28 21:57

※写真:駅弁「南部わっぱめし」と缶ビール 撮影時刻 2005/03/12 19:56:39



特別付録


  特別付録1.

区間:幕張−秋葉原間(JR東日本管区)
路線名:総武本線/総武緩行線・上り
乗車/下車時刻:04:40/05:20
乗車時間:40分
区間距離:30.2km
普通料金:\540
累計距離:30.2km
累計料金:\540
通算乗車回数:1回
車両:E231系
種類:直流通勤形(JR東日本開発)
編成:18編成
所属:JR東日本八王子支社三鷹電車区所属(八ミツ)
列車番号:461B
登場年:2000年

画像 dd03818
取材地:JR幕張駅
撮影時刻 2005/03/12 04:55:27
  特別付録2.

区間:秋葉原−上野間(JR東日本管区)
路線名:東北本線/京浜東北線・北行
乗車/下車時刻:05:29/05:32
乗車時間:3分
区間距離:1.6km
普通料金:\130
累計距離:31.8km
累計料金:\670
通算乗車回数:2回
車両:209系
種類:直流通勤形(JR東日本開発)
編成:50編成
所属:JR東日本大宮支社浦和電車区所属(宮ウラ)
列車番号:418B
登場年:1993年

画像 dd03819
取材地:JR上野駅
撮影時刻 2005/03/12 05:48:06
  特別付録3.

区間:上野−宇都宮間(JR東日本管区)
路線名:東北本線/宇都宮線・下り
乗車/下車時刻:05:47/07:28
乗車時間:1時間41分
区間距離:106.1km
普通料金:\1,890
累計距離:137.9km
累計料金:\2,560
通算乗車回数:3回
車両:E231系
種類:直流近郊形(JR東日本開発)
編成:U502編成
所属:JR東日本大宮支社小山電車区所属(宮ヤマ)
列車番号:525M
登場年:2000年

画像 dd03820
取材地:JR上野駅
撮影時刻 2005/03/12 05:57:38
  特別付録4.

区間:宇都宮−黒磯間(JR東日本管区)
路線名:東北本線/宇都宮線・下り
乗車/下車時刻:07:37/08:27
乗車時間:50分
区間距離:53.8km
普通料金:\950
累計距離:191.7km
累計料金:\3,510
通算乗車回数:4回
車両:211系3000番台
種類:直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:A55編成
所属:JR東日本高崎支社新前橋電車区所属(高シマ)
列車番号:1531M
登場年:1986年

画像 dd03823
取材地:JR宇都宮駅
撮影時刻 2005/03/12 07:50:30
  特別付録5.

区間:黒磯−新白河間(JR東日本管区)
路線名:東北本線・下り
乗車/下車時刻:08:44/09:07
乗車時間:23分
区間距離:22.1km
普通料金:\400
累計距離:213.8km
累計料金:\3,910
通算乗車回数:5回
車両:417系
種類:交直流近郊形(日本国有鉄道開発)
編成:K3編成
所属:JR東日本高崎支社新前橋電車区所属(高シマ)
列車番号:2129M
登場年:1978年

画像 dd03828
取材地:JR黒磯駅
撮影時刻 2005/03/12 08:54:35
  特別付録6.

区間:新白河−郡山間(JR東日本管区)
路線名:東北本線・下り
乗車/下車時刻:10:02/10:40
乗車時間:38分
区間距離:41.3km
普通料金:\740
累計距離:255.1km
累計料金:\4,650
通算乗車回数:6回
車両:701系
種類:交流通勤形(JR東日本開発)
編成:F2-504編成
所属:JR東日本仙台支社仙台車両センター所属(仙セン)
列車番号:2131M
登場年:1992年

画像 dd03836
取材地:JR郡山駅
撮影時刻 2005/03/12 10:09:07
  特別付録7.

区間:郡山−福島間(JR東日本管区)
路線名:東北本線・下り
乗車/下車時刻:11:07/11:53
乗車時間:46分
区間距離:46.1km
普通料金:\820
累計距離:301.2km
累計料金:\5,470
通算乗車回数:7回
車両:701系
種類:交流通勤形(JR東日本開発)
編成:F2-504編成
所属:JR東日本仙台支社仙台車両センター所属(仙セン)
列車番号:1135M
登場年:1992年

画像 dd03841
取材地:JR郡山駅
撮影時刻 2005/03/12 11:01:07
  特別付録8.

12:00福島※−東北本線・下り1185M(33)−12:33白石[34]
区間:福島−白石間(JR東日本管区)
路線名:東北本線・下り
乗車/下車時刻:12:00/12:33
乗車時間:33分
区間距離:34.0km
普通料金:\570
累計距離:335.2km
累計料金:\6,040
通算乗車回数:8回
車両:701系
種類:交流通勤形(JR東日本開発)
編成:F2-18編成
所属:JR東日本仙台支社仙台車両センター所属(仙セン)
列車番号:1135M
登場年:1992年

画像 dd03842
取材地:JR白石駅
撮影時刻 2005/03/12 11:05:37
  特別付録9.

区間:白石−岩切間(JR東日本管区)
路線名:東北本線・下り
乗車/下車時刻:13:07/14:08
乗車時間:1時間1分
区間距離:53.1km
普通料金:\950
累計距離:388.3km
累計料金:\6,990
通算乗車回数:9回
車両:701系
種類:交流通勤形(JR東日本開発)
編成:F2-19編成
所属:JR東日本仙台支社仙台車両センター所属(仙セン)
列車番号:445M
登場年:1992年

画像 dd03848
取材地:JR岩切駅
撮影時刻 2005/03/12 13:10:28
  特別付録10.

区間:岩切−小牛田間(JR東日本管区)
路線名:東北本線・下り
乗車/下車時刻:14:31/15:09
乗車時間:38分
区間距離:35.1km
普通料金:\650
累計距離:423.4km
累計料金:\7,640
通算乗車回数:10回
車両:701系
種類:交流通勤形(JR東日本開発)
編成:F2-29編成
所属:JR東日本仙台支社仙台車両センター所属(仙セン)
列車番号:1547
登場年:1992年

画像 dd03848
取材地:JR岩切駅
撮影時刻 2005/03/12 13:10:28
  特別付録11.

区間:小牛田−一ノ関間(JR東日本管区)
路線名:東北本線・下り
乗車/下車時刻:15:28/16:23
乗車時間:48分
区間距離:50.1km
普通料金:\950
累計距離:473.5km
累計料金:\8,590
通算乗車回数:11回
車両:701系
種類:交流通勤形(JR東日本開発)
編成:F2-28編成
所属:JR東日本仙台支社仙台車両センター所属(仙セン)
列車番号:539M
登場年:1992年

画像 dd03857
取材地:JR一ノ関駅
撮影時刻 2005/03/12 16:41:13
  特別付録12.

区間:一ノ関−盛岡間(JR東日本管区)
路線名:東北本線・下り
乗車/下車時刻:17:03/18:41
乗車時間:1時間38分
区間距離:90.2km
普通料金:\1,620
累計距離:563.7km
累計料金:\10,210
通算乗車回数:12回
車両:701系
種類:交流通勤形(JR東日本開発)
編成:不明
所属:JR東日本盛岡支社盛岡車両センター所属(盛モリ)
列車番号:1547M
登場年:1992年

画像 dd03863
取材地:JR一ノ関駅
撮影時刻 2005/03/12 18:57:33
特別付録13.

区間:盛岡−東京間(JR東日本管区)
路線名:東北新幹線・上り
乗車/下車時刻:19:39/22:08
乗車時間:2時間29分
区間距離:535.3km
普通料金:\13,840
累計距離:1,099.0km
累計料金:\24,050
通算乗車回数:13回
車両:E2系1000番台
種類:新幹線車両(JR東日本開発)
編成:J51編成
所属:仙台支社新幹線総合車両センター(仙セシ)
列車番号:3028B
登場年:2001年

画像 dd03867
取材地:JR一ノ関駅
撮影時刻 2005/03/12 19:48:52
特別付録14.

区間:東京−千葉間(JR東日本管区)
路線名:総武本線/総武快速線・下り
乗車/下車時刻:22:30/23:08
乗車時間:38分
区間距離:39.2km
普通料金:\620
累計距離:1,138.2km
累計料金:\24,670
通算乗車回数:14回
車両:E217系
種類:直流近郊形(JR東日本開発)
編成:R11編成
所属:千葉支社幕張車両センター(千マリ)
列車番号:2283F
登場年:1994年

画像 dd03871
取材地:JR千葉駅
撮影時刻 2005/03/12 23:24:15
特別付録15.

区間:千葉−幕張間(JR東日本管区)
路線名:総武本線/総武緩行線・上り
乗車/下車時刻:23:18/23:27
乗車時間:9分
区間距離:7.6km
普通料金:\160
累計距離:1,145.8km
累計料金:\24,830
通算乗車回数:15回
車両:209系500番台
種類:直流近郊形(JR東日本開発)
編成:509編成
所属:八王子支社三鷹電車区(八ミツ)
列車番号:2305C
登場年:1998年

画像 dd03872
取材地:JR千葉駅
撮影時刻 2005/03/12 23:29:27






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