文月金沢富山純情物語



  1.北陸フリーきっぷ−中断された計画

JR東日本が2004年に発売した特別切符に、
「北陸フリーきっぷ」というものがある。
これは「Japanese Beauty ホクリク」のキャンペーンの一環として新発売され、
しかも通年利用可能な新設切符となった。
これは北陸本線富山から加賀温泉の区間とその支線がフリー区間となり、
往復の急行、特急、新幹線の料金を含めて普通車東京都区内発\21,400というもの。
有効期間は4日間である。
この切符の発売を知った時、「これは使える」と思った。
往復には東京から越後湯沢、長岡までの新幹線と「はくたか」「北越」の特急のほか、
寝台特急「北陸」のB寝台も利用できる。
しかも勿論「ソロ」も利用可能だ。
「ソロ」というのはB寝台と同一料金ながら個室が利用できるのである。
確かにほとんどベッドだけしかないという狭い個室ではあるが、
B寝台と同一料金で個室が楽しめるというのはお得である。
特にひとり旅には有効だ。
そこでこの切符を利用して北陸方面の取材を漠然と考えていた。
金曜日に有休を取り3連休とし、
木曜の夜に仕事帰りに「北陸」に乗るのである。
そうすれば金曜日の朝から取材開始できる。
宿泊は金曜日と土曜日の2泊だけで経費も抑えられる。
具体的に何時とは決めていなかったものの、
次のような計画を立てていた。

 木曜日
−会社−5:15p.m.〜6:00p.m.退社−8:00p.m.迄に帰宅−入浴−9:30p.m.に家を出る−
23:03上野駅発寝台特急「北陸」乗車

 金曜日
−06:25金沢駅着−フリーエリア取材−金沢泊

 土曜日
−金沢泊−フリーエリア取材−金沢泊

 日曜日
−金沢泊−午前中フリーエリア取材−金沢14:29発「はくたか13号」−17:03越後湯沢着
−18:04「Maxたにがわ452号」−19:44東京−秋葉原、北陸フリーきっぷでout−
Suica定期券でin−幕張

具体的な日程は決めていなかったものの、
漠然と2004年秋に行こうと思っていた。
しかし他の旅行予定が色々とあったこともあって実現できずにいた。
そして突然この計画が頓挫する事態が起こってしまった。
2004年10月23日土曜日午後5時56分、新潟県中越地震が発生。
上越新幹線200系K25編成の「とき325号」が脱線したあの地震である。
営業運転中の新幹線の脱線事故は初めてだったため、
かなりショッキングなニュースとして流れたが、
当然のことながら在来線にも大きな被害が出た。
その中でも震源地に近かった上越線は多大な被害が出た。
地震後、水上−長岡間で運転が中断され、
路盤の崩落や土砂崩れなどで寸断された線路の復旧作業が続けられ、
水上側から部分運転再開が始まり、2004年12月27日に全線再開に至る。
しかし越後川口−越後滝谷は被害が激しく単線での営業再開となった。
寝台特急「日本海」、「トワイライトエクスプレス」、
特急「はくたか」「北越」、夜行急行「きたぐに」等は12月27日に再開されたが、
上越線を利用する寝台特急「北陸」、「あけぼの」、
夜行急行「能登」、夜行快速「ムーンライトえちご」等は翌年の、
2005年3月25日まで待たなければならなかった。

2005/07/25 23:29


  2.復活した上越線−としちゃんからのメッセンジャー

3月28日月曜日、会社のパソコンでで暇潰しにJR東日本のホームページを見ていたら、
3月25日付の上越線経由の夜行列車が運転を再開のお知らせを見つける。
それまで新潟中越地震の影響で一部区間単線運転をしていた上越線が、
全線複線で再開し、
それによって今まで取りやめていた寝台特急「あけぼの」、「北陸」、
急行「能登」、快速「ムーンライトえちご」等の夜行列車が運転再開したとのこと。
このニュースを偶然見つけた時、
忘れかけていた「北陸フリーきっぷ」の計画を思い出す。
新潟中越地震で計画が頓挫していた北陸旅行を再度計画してみようと思った。
その場でホームページで調べて金沢市観光課に電話で問い合わせたところ、
前回行った時に工事中だった金沢駅東口も完成しているとのこと。
こで懸念材料はなくなった。
今年の夏休みは北陸旅行を決行しようと思った。
いろいろと日程を検討した結果、7月後半に決行することにした。
具体的に日程を絞ろうとした段階で突然転勤になった。
以前は板橋区の支店に勤務していたが、
4月から千葉県市原市の支店に異動になった。
板橋区の支店の最寄り駅は東武東上線中板橋で、
仕事が押して家に戻れなくなった場合は最悪直接上野に行くことも出来る。
しかし内房線姉ヶ崎では全く逆方向で、
一度家に戻って上野を目指すという日程は変更できなくなった。
ともあれ、7月21日木曜日からの4日間で計画を立て、
5月9日には以前泊まったことのあるR&Bホテル金沢駅西口に、
ホームページ経由で宿泊予約を入れ、
6月21日火曜日に昼休みに姉ヶ崎駅まで行って「北陸フリーきっぷ」を購入し、
同時に寝台特急「北陸」のソロ(B寝台個室)の指定席も取る。
また6月24日には帰りの「はくたか」と上越新幹線の指定席も取る。
ホテルと切符が揃ったところで具体的な取材計画を立てていった。
今回は北陸本線の支線や接続する中小私鉄などを中心に計画を立てて、
以下のような計画を立てた。

7月21日(木)

18:38姉ヶ崎※−内房線・上り2130M(25)−19:03千葉[10]
19:13千葉※−総武緩行線・上り1947B(9)−19:22幕張[106/1:46]

 ※シャワー、支度

21:08幕張−総武緩行線・上り2013C(42)−21:50秋葉原[6]
 ※小岩までの切符を券売機で購入
21:56秋葉原−山手線・外回り2102G(4)−22:00上野[62/1:02]
23:02上野※−寝台特急「北陸」3011−

7月22日(金)

−寝台特急「北陸」3011(441/7:21)−06:23金沢[57]
 ※06:35急行「能登」5番線
 ※駅弁購入
07:20金沢※−はくたか3号(26)−07:56富山[6]
08:02富山※−富山港線・下り1129M(19)−08:21岩瀬浜[14]
08:35岩瀬浜※−富山港線・上り1130M(21)−08:56富山[28]
09:24富山※−高山本線・上り848D(21)−09:45越中八尾[64/1:04]
10:49越中八尾−高山本線・上り850D(23)−11:12猪谷[12]
 ※11:26神岡鉄道・下り
11:19猪谷※−高山本線・下り857D(43)−12:02富山[33]
 ※12:10特急「うなづき」5号
12:35電鉄富山※−富山地方鉄道本線・下り33(37)−13:12滑川[45] \590
 ※昼食
13:57滑川−北陸本線・下り556M(15)−14:12富山[4] \320
14:16富山※−サンダーバード32号(11)−14:27高岡[40]
 ※万葉線高岡駅前取材
 ※14:26-14:30
  14:41-14:45
  14:56-15:00 アイトラム
15:07高山※−氷見線・下り541D(27)−15:34氷見[7]
15:41氷見※−氷見線・上り540D(29)−16:10高岡[25]
16:35高岡※−城端線・下り341D(50)−17:25城端[13]
17:38城端※−城端線・下り344D(47)−18:25高岡[5]
18:30高岡−しらさぎ16号(23)−18:53金沢

 ※R&B金沢駅西口チェックイン 19:00予定
 ※夕食

7月23日(土)

06:30起床
07:00朝食

07:36-07:50金沢−北陸本線・下り520M(3)−07:53西金沢[12]
08:05新西金沢−北陸鉄道石川線・上り10(6)−08:11野町[6] \140
08:17野町−北陸鉄道石川線・下り9(4)−08:21新西金沢[10] \140
08:27西金沢−北陸本線・上り223M(5)−08:32金沢[10]
08:42金沢−北陸本線七尾線・下り835M(94/1:34)−10:16七尾[20]
10:36七尾−七尾線・下り131D(6)−10:42和倉温泉[9]
10:51和倉温泉−七尾線・上り132D(6)−10:57七尾[40]
11:37七尾※−のと鉄道七尾線・下り133D(43)−12:20穴水[46] \810
13:06穴水※−のと鉄道七尾線・上り136D(37)−13:43和倉温泉[28] \810
14:11和倉温泉※−しらさぎ12号(66/1:06)−15:17金沢[23]
15:40北鉄金沢※−北陸鉄道浅野川線下り・私鉄無料急行(14)−15:54内灘[30] \310
16:24内灘※−北陸鉄道浅野川線上り52(17)−16:41北鉄金沢 \310

 ※夕食

7月24日(日)

06:30起床
07:00朝食

※駅取材
※コインロッカー使用

08:15金沢※−雷鳥12号(28)−08:43加賀温泉[20]
09:03加賀温泉−北陸本線・下り131M(13)−09:16小松[24]
09:40小松※−北陸本線・下り339M(20)−10:00松任[19]
10:19松任−しらさぎ51号(8)−10:27金沢[17]
10:44金沢−しらさぎ1号(37)−11:21富山[66/1:06]
12:27富山−はくたか6号(37)−13:04金沢[19]
13:23金沢※−はくたか13号(170/2:50)−16:03越後湯沢[11]
16:14越後湯沢−Maxたにがわ448号(94/1:34)−17:48東京

そして決行の一週間前になって富山に住むとしちゃんからメールが来た。
臨時発行したメールマガジン「新りんごのれい通信」に返信する形で久しぶりに連絡してきた。
そしてメッセンジャーのIDを教えてもらい、直接チャットするようになり、
一週間後に金沢、富山に行くことを話したら、富山で会おうということになった。
としちゃんはネットを始めた当時からの仲間のひとりであり、
そして今でも大切な仲間のひとりである。
ネットを始めた当時、
初めて知り合った仲間から「帰去来」というメーリングリストに誘われた。
「帰去来」はshinkunというハンドルを持つ堺の内刃物職人が開設したメーリングで、
としちゃんともそこで知り合った。
22日金曜日の午前中なら時間が取れるということで、
高山本線取材の富山−越中八尾間の移動をとしちゃんの車で送ってもらうという形で、
緊急ミニオフ会を決行することにした。
北陸旅行にひとつの楽しみを加え、8月21日木曜日を迎えた。

2005/08/01 22:45


  3.上司のいない木曜日

ミッションは木曜日の朝から始まっていた。
何故なら直前になって上司がこの日に夏休みを取ることになったからだ。
本来夏休みを取る予定だった日に急に会議が決まり、
急遽、7月21日木曜日に夏期休暇を取ることになったのだ。
今の会社は夏期休暇の統一日はない。
7月8月の2ヶ月間の間に所定休日という名目で2日間の休みが与えられる。
それを夏期休暇として利用するのだ。
7月22日金曜日に会社を休んだのも有給休暇ではなく、
この所定休日を利用してのことである。
仕事は原則として6:00p.m.に発伝された伝票をすべて出庫しなければならない。
特に6:00p.m.前には駆け込み発注が多い。
この時間のでに発注すれば翌日午前中の配達便に乗るからである。
そのため6:00p.m.に仕事を終わらせるというのは無理なのだが、
上司に旅行の旨を話して今日は6:00p.m.に上がらせて貰うつもりだった。
しかしその頼みにしていた上司が休んでしまったのである。
目が点になった!
しかし旅行の予定を中止させるわけにはいかない。
朝からなるべく早く仕事を終わらせるために根回しをして、
何とか予定より30分遅い6:30p.m.には会社を出ることにした。
それでも仕事は少し残してしまい、同僚に迷惑をかける形になってしまった。
千葉へ転勤したために会社を出る時間をあまり遅くさせるわけにはいかない。
姉ヶ崎を08:45発の快速で千葉に向かい、
千葉始発19:18の総武緩行線で幕張まで戻る。
家に戻って風呂に入り、
そのあとメッセンジャーでとしちゃんに最後の確認を取ってから9:00p.m.には家を出た。
家に戻る時間は30分遅くなってしまったけれど、
何とか予定していた総武緩行線上り2013Cに乗ることが出来た。
秋葉原では予定していた電車より1本速い山手線で上野に出る。
予定では上野で駅弁を買って「北陸」に持ち込もうかとも思っていたけれど、
kioskの駅弁専門店は10:00p.m.に閉店してしまった。
ちょうど駅のコンコースに着いた時にはシャッターを下ろすところだった。
駅弁を買いそびれてしまったため、
まだ開いていた「HOMEMADE CURRY」でハンバーグカレー\780喰う。
ここも10:30p.m.には閉店で最後の客になってしまった。
とにかく何とか夕食にありつくことが出来て気持ちの余裕を持ち、
構内の「NEWDAYS」で発泡酒と朝飲むためのペットボトルのお茶を買い込む。
到着は13番線ホームで、ここに降りて列車の到着を待つ。
当然のことながらホーム上は暑い。
特に上野駅のホームは上下2階建てになっており、
下の方のホームは地下のようなもので風が通り抜けない。
余計に暑いのである。
寝台特急「北陸」は出発の15分くらい前に到着した。
尾久の客車区から牽引のEF64型1000番台に逆牽引されて到着する。
上野駅下のホームは線路が切れていてホームが“コ”の字型になっている。
そのため前から牽引することが出来ない。
そこで出発方向に機関車を連結し、押し出す形で上野まで来る。
客車の最後尾には車掌がドアを開けて線路の様子を確認しながら運転士に伝え、
電気機関車の運転士はその指示に従いながら運転をする。
前を見ずに運転し、よく停車位置ピタリに停められると感心するのだ。
予約を入れておいた2号車3番個室ソロは下だった。
ここに荷物を置き、カメラだけ持って牽引してきたEF64型1000番台や、
客車などを取材する。
15分の停車時間があったのでゆっくりと写真を撮ることが出来た。

2005/08/05 23:19

※写真:上野駅に停車中のEF64型1000番台「北陸」 撮影時刻 2005/07/21 23:10:50


  4.SOLO−B寝台個室の居住性

寝台特急「北陸」は23:02に上野駅を出た。
高崎線経由で上越線に入り、
長岡でスイッチバックして信越本線で直江津まで行き、
北陸本線を終点の金沢まで行く。
上野から長岡までは電気機関車EF64型1000番台が牽引し、
長岡から逆方向に連結される電気機関車はEF81型になる。
長岡駅に到着するのは真夜中なので停車はするが上下車は出来ず、
牽引機の付け替えだけが行われる。
金沢駅に到着するのは06:23と早朝である。
つまり夜の11時過ぎに乗車して早朝には終点に到着する、
寝台特急の中では最短乗車時間となる。
日本海縦貫路線を行く「トワイライトエクスプレス」が、
1495.7km、21時間7分の乗車時間ということを考えれば、
517.4km、7時間21分と3分の1ということになる。
寝台特急の旅を楽しむという側面はあまり楽しめないが、
個室も多く、深夜に乗車して早朝から活動できるという面を見れば、
ビジネスユーズには充分対応できるのだろう。
昨今、寝台列車が次々と廃止の憂き目を見ている現状を考えれば、
この近さがまた良いのかも知れない。
新幹線での代替路線では越後湯沢経由で金沢−東京間が乗車時間だけで4時間24分、
半日は移動に潰されることを考えれば有用かも知れない。
寝台特急の旅は去年の「北斗星」に続いて2回目だが、
前回はBコンパートメントで、事実上の4人用B寝台だったのだが、
今回は初めてのソロ体験である。
ソロとはB寝台と同じ料金で利用できる個室のことで、
占有スペースはB寝台と同じということでほとんどベッドスペースしかない。
しかしベッドの一部を椅子として利用するようになっていて肘掛けもあり、
小さなテーブルも着いていて思ったよりも快適である。
今回はほとんど寝るだけだったが、
ふつうの2+2列の座席よりも遙かに居住性はいいし、
長距離でもこの居住性は悪くないと思う。
NEWDAYSで買ったビール・・・正確にいうと発泡酒を飲みながら車窓を眺める。
既に夜遅く通過する駅には週末ということで多くの乗客がこの時間でも確認できた。
仕事の疲れと発泡酒の酔いが回り、知らないうちに寝てしまった。
目が覚めると外に既に夜の帳が開け始めていて、
少し曇り勝ちながら写真の撮れない天候ではなかった。
当然のことながらスイッチバックしているので進行方向は逆になっている。
車窓からは北陸本線の沿線の風景が流れ、
そして06:23に金沢に到着する。

2005/08/14 13:25

※写真:寝台特急「北陸」のB寝台個室ソロ 撮影時刻 2005/07/21 23:19:58


  5.Good Morning−「もてなしドーム」とライトレール化される富山港線

金沢駅に到着してから長岡から牽引してきたEF81型電気機関車の取材をし、
更に寝台特急「北陸」に遅れて上野から来た急行「能登」の写真を撮り、
一端金沢の改札を出る。
金沢駅に来るのは2回目だが、
前回来たときにはまだ東口が工事中だったので、
完成した駅を取材するのは今回が初めてである。
コインロッカーに旅行用バッグを入れ、
カメラバッグだけを背中にしょってまず東口の駅取材する。
「もてなしドーム」という愛称が着けられた巨大な屋根が設置され、
更にその前には鼓門という木製の柱がちょうど鼓のように捻れている門が設置されている。
在来線と「もてなしドーム」の間には十分なスペースが取られていて、
北陸新幹線金沢延伸時にはこのドームを壊すことなくホームが設置できるよう、
最初から十分なホーム設置スペースを取ってある。
このドームが工事を開始した時点では、
まだ整備新幹線が今後も作られるかどうか全く不明だった。
その事を考えると行政がここまで先を見越して行動を起こすというのは異例のことだし、
それだけ北陸新幹線の延伸がこの地域の活性化にとって、
重要な課題となっているということだろう。
再び金沢駅の改札に入り、構内の「デリカ&カフェ」で、
金沢雅弁当\500、若武者500ml\150買い、07:20始発の「はくたか3号」に乗り込む。
北陸フリーきっぷはフリー区間内では特急を含めて乗り放題となる。
「はくたか3号」の自由席を確保し、富山に向かう。
今回の旅は北陸本線に接続する支線と私鉄線の取材が目的だが、
その中でも富山港線は来年2月には廃止され、
4月からライトレール化される、最後の取材チャンスなのである。
富山駅までの移動時間は26分で、この間に買い込んだ弁当で朝食を取る。
富山駅での乗換時間は6分で富山港線に乗る。
富山港線は終点の岩瀬浜までの9駅、8.0kmの路線である。
単線電化路線で475系が使用されたが、
乗客が少ない時などはキハ120系が1両で使用される。
19分で岩瀬浜へ到着し、ここで14分の取材時間で駅取材する。
岩瀬浜駅には「ありがとう富山港線」という顔だけ出せる撮影パネルが設置されていた。
08:36に乗ってきた475系で再び富山を目指す。
富山駅に着いて携帯を見ると着信があった。
としちゃんからだった。

2005/08/14 17:28

※写真:金沢駅東口の鼓門ともてなしドーム 撮影時刻 2005/07/22 07:34:34


  6.としちゃんと神岡鉄道と富山地方鉄道


としちゃんとは子供を保育園に送ってからということで、
9:15a.m.に富山駅北口で待ち合わせをしていたが、
既に9:00a.m.前に到着したとのこと。
慌てて北口に行ってとしちゃんと合流する。
彼女は車で来ていて、助手席に乗せて貰い高山本線越中八尾まで行く。
としちゃんと直接会うのは初めてだが、
想像していたとおりの素敵な人だった。
車で富山の街を走りながら色々な話をする。
越中八代に着いてから更におわらの街をドライブする。
越中八代は「おわら風の盆」で知られる街である。
としちゃんの車はカーナビが着いているので適当にドライブしても大丈夫なのだ。
越後八代駅に着いてこの駅を取材し、
10:49に到着したキハ120系に乗り込んで高山本線猪谷に向かう。
としちゃんとはこの駅で握手して分かれる。
猪谷駅は高山本線の駅であると同時に、
奥飛騨温泉口までを結ぶ神岡鉄道も接続する駅である。
猪谷駅で駅取材していると神岡鉄道の「おくひだ2号」が入線してきた。
上江か鉄道は国鉄神岡線を引き継いで誕生した第三セクターである。
地方の観光鉄道という側面のほかに、
神岡鉱山前駅の正しく駅前にある神岡鉱山から硫酸を輸送する貨物路線でもある。
この時はまだ知らなかったが、
神岡鉄道は廃止の方針が6月29日の出されていて、
8月2日の株主総会で2006年12月1日の廃止方針が正式に了承された。
たぶんこの神岡鉄道の車両取材をするのはこれが最後だろう。
一期一会とはこのことだなと思った。
越中八代から乗ったキハ120系が折り返し富山行きの列車になり、
11:19に猪谷を出発して43分後の12:02に富山に着く。
富山駅でJRを出て富山地方鉄道の滑川までの切符\590を購入して入場し、
富山地鉄の車両取材する。
しかし12:10出発の特急「うなづき」は、
特急用車両モハ16010形・クハ110形ではなかった。
この車両は元西武鉄道の5000形「レッドアロー号」である。
しかし特急「うなづき」にはモハ10020形が使用されていた。
この車両を見送り入線してきたモハ14760形を取材して、
10020形に乗って滑川まで行く。
しかしこの時乗った10020形の取材をするのをすっかり忘れてしまった。
とほほ・・・。
予定では12:35の列車に乗るつもりだったが、
取材対象がそれ程多くないと判断して、
予定より1本早い12:15宇奈月温泉行きの列車で滑川へ行く。
12:52には滑川に到着する。

2005/08/14 19:07

※写真:高山本線猪谷駅全景 撮影時刻 2005/07/22 13:11:15


  7.「こころ」のこころと万葉線「アイトラム」

予定では滑川で駅取材してここで昼食を取るつもりだったが、
予定より早く滑川に着いたこととJRの電車との関係でここでは昼食を取らず、
富山まで行ってから昼食を取ることにする。
それ以前と滑川の駅前には昼食を取るような店は見つからなかった。
富山に着いてから次に予定している高岡行きのサンダーバード32号は14:46に出発する。
富山駅到着から44分で次の電車に乗らなければならない。
そのため遠くには移動できないため、駅ビル内で昼食を喰える場所を探す。
富山駅ビル内にある「こころ」という店に入る。
ここで富山名物の白エビとますの押し寿司\1,500喰う。
白海老というのは富山湾だけで漁獲されている小さな海老で、
桜エビとほぼ同じ大きさの、名前の通り白いものである。
白海老と鱒の押し寿司が2貫ずつ、それに味噌汁が着いてくる。
白海老というのは足がはやく富山でなければ食べることが出来ないそうである。
店主は女性でカウンターに座ったこともあり、色々と話す。
白海老は手で向いて身だけにするのが大変で、
手間賃を考えるとこれでも採算が取れないという。
ひとつは白海老の味を知って貰うためにそのまま何もつけずに喰い、
もうひとつは海苔と一緒に食べて味の違いを楽しむ。
鱒寿しも弁当などで売られているものはほぐした身を固めたものだが、
ここでは一枚の身をそのまま使っているので手でもって喰うことが出来るのだそうである。
鱒寿司が一枚のみで出来ていることを説明するための模型まで用意されていた。
また白海老がどういうものかと説明するために、
白海老の酢付けが1匹だけと剥き身が1匹だけ着いてきた。
勿論これも食べることが出来る。
確かに美味かったし、大人の食事というのはこういうものなのだと思ったが、
店を出て富山駅でサンダーバード32号に乗り込んだときには既に小腹がすいていた(^_^;)
高岡駅は前回の旅行で既に取材済みで、
今回は万葉線高岡駅前電停で車両取材する。
その目的は前回は取材できなかった万葉線の超低床車MLRV1000形、
愛称「アイトラム」の取材である。
一時はポイント付近での脱線事故が頻発したために運休していたが、
車軸の交換などを経て今年になって運転を再開している。
事前に時間を調べていて「アイトラム」の写真を撮り、
そのあと高岡から接続する氷見線、城端線を取材する。
氷見線、城端線とも中越鉄道が施設した路線で、
現在ではふたつの路線に分かれているが、もともとひとつの路線だった。
氷見線の伏見−氷見間は軽便鉄道として開業したが後に氷見線に組み入れられた。
このふたつの路線をこの後取材する。

2005/08/14 22:20

※写真:高岡駅前電停前の超低床車MLRV1000形「アイトラム」 撮影時刻 2005/07/22 15:14:14


  8.中越鉄道の2つの路線と金沢の夜

中越鉄道は1897年5月4日に黒田−福野間を開業させたのがその始めである。
開業当時は既に官設鉄道北陸線の計画はあったものの、
まだ現在の高岡駅の場所が決まっていなかったために暫定的に黒田駅を開設した。
北陸線の場所が決定して高岡駅の場所が決定した1989年1月2日に、
現在の高岡駅に始点を変更している。
官設鉄道北陸線(現・北陸本線)が開業したのは1899年11月1日で、
結果的には中越鉄道に官営鉄道北陸線がそこに乗り入れる形になっている。
中越鉄道は更に1897年内に福光、城端と延伸を果たしている。
城端−高岡間を開業した中越鉄道は更に高岡駅を越えて、
1900年12月29日には伏木まで延伸した。
12年後の1912年4月4日には島尾まで延伸、
同年9月1日には氷見まで延伸が完了した。
1920年には中越鉄道が国有化されたが、
この時城端−伏木間が城端線、伏木−氷見間が氷見軽便線となった。
2年後には氷見軽便線が氷見線に改称、
1942年に城端線を城端−高岡、氷見線を高岡−氷見間と変更し、現在の形になる。
15:00に高岡駅前電停を出発したアイトラムを見送り、
15:07高岡発の氷見線に乗車して27分の旅で終点の氷見まで行き、
約7分の取材時間で高岡まで戻る。
また25分の乗換時間で今度は城端線に乗り、50分の旅で終点の城端まで行く。
ここで13分の取材を終えて高岡まで戻る。
高岡に到着したのは18:25でここで5分の乗換時間で「しらさぎ16号」に乗って金沢へ、
・・・のつもりだったが車中で眠り込んでしまい、
高岡に着いてから乗客のひとりに起こされて漸く下車した。
高岡駅の階段を登っている途中で、
乗車する予定だった「しらさぎ16号」はホームから動き出していた。
仕方がないのでそのあとの在来線に乗ろうと思ったが、
発車番線を確認するために改札に行ったところでこの在来線も出発してしまう。
仕方がないので改札の駅員に訊き、18:46発の「北越8号」に乗る。
金沢駅に到着したのは19:14だった。
ホテルには7:00p.m.にチェックインと連絡してあったが、30分くらい遅刻してしまう。
高岡から連絡を取ろうと思ったが、
ホテルの地図を旅行バッグに入れっぱなしにしてあったので、
電話番号が分からずに連絡が取れなかった。
R&B金沢西口にチェックインし、少し休んでから再び出掛ける。
金沢百番街の「八番麺屋」で味噌野菜ラーメン\600、焼き餃子\260、生ビール\450等。
サークルK金沢駅西口店でつまみなど買い、
ホテルの自販でビールを買ってシャワー後に飲む。

2005/08/14 23:45

※写真:夜の金沢駅西口 撮影時刻 2005/07/22 20:51:56


  9.モーニングと北陸鉄道石川線

6:20a.m.に起床し、シャワーを浴びて支度をして、
7:00a.m.になって1階に降りて無料の朝食を喰う。
クロワッサン、バターロール、本日の特別メニューとしてアップルパイ、
飲み物はコーヒー、オレンジジュース。
すべてお代わりする(^_^;)
部屋に戻って歯を磨いてから7:30a.m.には部屋を出る。
連泊なので荷物は置いてカメラバッグだけ持って出掛けられる。
07:50金沢発の北陸本線下りで隣の西金沢駅に行く。
JR西金沢駅から直ぐ近くに北陸鉄道石川線新西金沢駅がある。
北陸鉄道はふたつの鉄道路線を有するが、
前回金沢に来た時に取材した浅野川線がJR北陸本線の北側に延びるのに対し、
石川線は南側に延び、この新西金沢駅で接続するものの、
JR北陸本線とは基本的に独立した線形を描く。
その一つの終点の野町駅まで行く。
北陸鉄道石川線は元東急の7000系を譲り受けて2両編成化して使用している。
そのため東急7000系の前面のデザインをそのまま残している車両と、
中間車両に運転台を新設した車両とが存在する。
東急7000系は貫通扉が存在するが、
運転台を新設した車両は貫通扉はなく、妻切り型の正面を覆って窓を付けただけの、
ちょっとのっぺりとした印象の車両である。
この車両に乗って終点の野町まで行き、ここで駅取材する。
東急7000系は片側3扉車だが北陸鉄道石川線ではそれ程乗客も多くないため、
まん中の扉は開かなくなっている。
本当は野町駅で車両取材することを目的にしていたのだが、
野町駅のホームは車長ギリギリで前面の写真を撮ることが出来ない。
ここでの取材を諦めて駅取材だけする。
駅取材の途中にCFカードが入っていないことに気がついた。
目が点になる。
慌てて予備のCFカードを入れて駅取材をやり直し、
6分の取材時間を十分に使って下りの電車に乗り、新西金沢駅まで戻る。
ここで無理矢理車両の写真を撮るがうまくいかなかった。
北陸鉄道石川線の車両取材は次に北陸旅行をする時の宿題としよう。
JR西金沢駅から08:27発の上り電車で金沢に戻り、ここで七尾線に乗る。
七尾線は津幡から能登半島に伸びる北陸本線の支線である。
以前は非電化区間だったが1991年に電化され、
113系を改造した415系800番台が誕生した。
113系の外観を残す交直流近郊形車両でオリジナルの塗色が目立つ。
この車両に乗って七尾駅を目指す。

2005/09/10 17:38

※写真:新西金沢駅付近を走る北陸鉄道石川線7000系 撮影時刻 2005/07/23 08:39:08


  10.のと鉄道設立の経緯と現状−NOTo EXPRESS

のと鉄道は1987年4月30日に設立された第三セクターで、
翌年3月25日に国鉄能登線を引き継いだ。
能登線は北陸本線津幡から輪島まで伸びる七尾線の穴水駅から蛸島まで延びる路線で、
国鉄の特定地方交通線として廃止が決まった。
特定地方交通線とは、「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」、
所謂「国鉄再建法」に規定された地方交通線の中で、
旅客輸送密度4000人未満で鉄道路線廃止バス転換が妥当とされた路線のことである。
能登線は第3次廃止対象の12路線として選定路線の1つである。
輸送密度とは1日の平均輸送人数のことである。
のと鉄道は1988年3月25日から能登線を引き継いで開業した。
蛸島は能登半島の石川県珠洲市にある駅で、能登半島の先端に近い場所まで行く。
のと鉄道は更に1991年9月1日から七尾線の一部を引き継いだ。
七尾線はJR北陸本線津幡から輪島までを結ぶ107.9kmの路線だが、
津幡から和倉温泉が電化した際、非電化区間の和倉温泉−輪島の48.4kmを引き継ぎ、
更に電化区間の七尾−和倉温泉間をJR西日本と共同使用することによって、
七尾−輪島間を開業させた。
七尾−和倉温泉間5.1kmは在来線はのと鉄道が走るが、
特急「サンダーバード」が和倉温泉まで乗り入れるために、
ふたつの鉄道会社の運賃が発生し、そのため料金の設定が複雑になっている。
能登線、七尾線を引き継いだのと鉄道だが、
1年半にして七尾線の一部である穴水−輪島間を廃止し事業を縮小、
更に論議を呼んだ設立の基礎となった能登線穴水−蛸島間も2005年4月1日、
遂に廃止して自社路線を持たない第2種鉄道事業者となった。
今回は金沢から七尾線で七尾まで行き、更にのと鉄道の終点を目指す。
08:42発の七尾線七尾行きで終点七尾に行き駅取材する。
予定ではこのあと10:36七尾発ののと鉄道で和倉温泉に行き、
ここからもう一度七尾に戻って穴水を目指すことになっていたが、
和倉温泉には行かずに七尾から直接穴水を目指すことにした。
10:36七尾発ののと鉄道で終点の穴水まで行く。
穴水到着は11:17で36分の取材時間で再びのと鉄道で七尾方面に戻る。
穴水では主力のNT200型の登場でほとんど使用されることがなくなった旧車、
NT100形が多く留置されていていた。、
103号車はボランティアに特別塗色されて黒い「NOTo EXPRESS」となって、
それも留置されていた。
各駅停車のNOT EXPRESSと“能登”をかけている。
12:28に和倉温泉に着き、ここで下車して駅取材する。
12:48発の特急「サンダーバード28号」が停車していて、
kioskで駅弁と伊右衛門、それに「竹内のみそまんじゅう」を購入して車内で喰う。
駅弁は松乃寿しの特製幕の内弁当で、次のように書かれている。
「霜満軍営秋気清 数行過雁月三更 越山併得能州景 遮莫家卿憶遠征 上杉謙信」
「サンダーバード28号」は13:52に金沢に到着した。

2005/09/10 21:36

※写真:松乃寿しの幕の内弁当とみそまんじゅう 撮影時刻 2005/07/23 12:57:51


  11.北陸鉄道浅野川線と加賀温泉駅から見えるの黄金の観音像

13:52に金沢に到着し、西口取材をしてから北陸鉄道浅野川線の取材をする。
北陸鉄道は石川線と浅野川線のふたつの路線を所有するが、
このふたつの路線は接続しておらず、独立した路線である。
しかも使用されている車両が浅野川線では元京王3000系を使用しているため、
東急7000系を使用している石川線とは同じ鉄道とは思えないほど、
イメージを異にしている。
北鉄金沢駅は地下に設置されており、
金沢駅東口の「もてなしドーム」には地下へのエスカレーターが設置されている。
北鉄金沢駅から終点の内灘まで\310で行き、ここで駅取材して同じルートを戻る。
北陸鉄道には無料急行という設定があり、
ほぼ一駅飛ばしで運行されるが、三ツ屋から蚊爪までは2駅飛ばす。
内灘駅での取材をしてから金沢に戻る。
予定では北陸鉄道浅野川線の取材で終わりになっていたが、
七尾線取材で時間を短縮したために明日取材予定だった北陸本線金沢以西に行く。
北陸フリーきっぷで行ける最西端の加賀温泉駅に行く。
15:36の福井行き普通電車に乗るつもりで改札を抜け、
構内でオレンジカードなどを購入してからホームに上がる。
そこには15:16金沢発の485系特急「雷鳥34号」が停車していた。
出発直前だったが、外から車掌に自由席の車両を訊き慌てて乗り込む。
これで加賀温泉まで行くことにする。
加賀温泉駅は駅前に大きなバスロータリーがあり、加賀温泉郷へのバスが出ている。
駅取材をしていて気になったのだが、駅の向こう側の山に観音像が見える。
黄金色の子供を抱く観音像である。
駅前の観光案内板などにこの観音像に関する説明がなかったので、
きっと新興宗教団体が建てたもので、
正しく「触らぬ神に祟りなし」ではないけれど、
この話題には触れない方がいいのかなと思った。
しかしあとから調べたらこれは仏教系のテーマパーク「ユートピア加賀の郷」というところで、
裏には「ユートピアランド」という遊園地がある・・・いや、あったが、
今は閉鎖されているようである。
そうと知っていたら近くまでいってみるのだった。
16:13加賀温泉発金沢行きの普通電車で金沢駅まで戻る。
本当は西金沢駅で下車して朝のリベンジをしようかとも思ったが、
光量不足だったので中止して金沢に戻り、ホテルにチェックインする。
R&Bホテルは連泊でも1泊ずつの精算で、二泊目からは自動精算機が使用できる。
テレビで「機動戦士ガンダム・シード・ディスティニー」観る。
1週間遅れで先週分が放映されていた。
これを見終わってから外出し、
金沢百番街内にある「わくら」というトンカツ屋さんでロースカツ定食\1,350喰う。
ここは和倉温泉にある「加賀屋」というホテルの直営店である。
値段は高めだがその分やはり美味しかった。
注文するとすり鉢の中に入った胡麻が渡され、お好みで胡麻をすって待つ。
それを御飯にかけて喰うのだ。
夕食後、金沢百番街を見て回ってからビールなどを買ってホテルに戻り、シャワー後に飲む。

2005/09/10 23:46

※写真:加賀温泉駅から見える黄金の大観音像 撮影時刻 2005/07/23 16:25:21


  12.北陸鉄道石川線再びと小松の隣のコマツ

6:20a.m.にモーニングコールをセットしておいたのだけれども、
6:10a.m.には目が覚めてしまった。
シャワーを浴び、無料のモーニングを喰ってチェックアウトする。
チェックアウトといってもカードキーでそれが領収書にもなっているため、
黙って出てくるだけである。
旅行用バッグをコインロッカーに預け、
昨日と同じ07:50金沢発の福井行きに乗り西金沢に行く。
予定では加賀温泉、小松、松任を取材することになっていたが、
昨日既に加賀温泉を取材しているためその時間を北陸鉄道石川線取材に回す。
昨日は野町駅まで行ったが、今回は新西金沢に留まって外から取材する。
長い(28mm−300mm)レンズで狙ったが、
その分シャープさにかける画像しか得られなかった。
08:10の221M金沢行きに乗って金沢に戻り、
予定していた08:15金沢発の「雷鳥12号」大阪行きに乗る。
221Mの金沢到着が10:14に到着だったので、
隣のホームに階段の降り登りをしての乗換は不可能と思っていたが、ギリギリ間に合った。
加賀温泉は既に取材済みだったため、小松に行く。
08:34小松到着。
高架上にホームがあり、高架下に駅舎機能を集約した新しい駅で、
駅前には大きなロータリーがあった。
そしてこれはホームから見て笑ってしまったのだが、
小松駅東口には農業器機などで有名な小松の小松工場がある。
また小松駅からは少し遠いが勧進帳で有名な安宅の関の最寄り駅でもある。
08:52小松発の337Mで金沢に戻る。
ホームに上がってから気がついたのだが、
西口のロータリーには義経、弁慶と思われる銅像が建っていた。
337Mは419系で09:23に金沢に到着し、
09:25に金沢を出る「はくたか7号」に乗って富山取材に行くつもりだったが、
「はくたか7号」に使用されていたのが北越急行所属の683系3000番台だったため、
急遽、写真を撮ることを優先に乗車しないことにした。
富山には20分後の「サンダーバード1号」で行くことにした。

2005/09/11 21:26

※写真:新西金沢駅に停車中の石川線7000系 撮影時刻 2005/07/24 08:23:36


  13.富山取材と「はくたか13号」−旅の終わり

09:40金沢発の「サンダーバード1号」は10:20に富山に着く。
ここで富山駅取材をする。
前回の旅行でも取材していたのだが、
気に入った写真が撮れなかったので再取材となった。
約30分の取材後、10:51「北越2号」で金沢に戻る。
金沢に戻る途中、高岡で下車して再び氷見線取材をしようと思ったが、
時間が読めないので躊躇した。
撤収の「はくたか13号」には絶対に乗らなければならない。
氷見線には「雨晴」という駅がある。
駅取材する駅を決めるのはその駅がターミナルであったり、
歴史的に勝ちのある駅であるということが決め手になるが、
そのほかに興味深い名前の駅というのも選択のひとつになる。
「雨晴」もその一つで、どんな駅かいってみたいと思った。
金沢まで戻り、余った時間で金沢の街を散歩する。
途中で迷子になり、LAWSON金沢彦三二丁目店で生茶を買ったついでに道を訊く。
0:45p.m.くらいに金沢駅に到着し、地ビールやお土産など買い、
「百万石弁当」という駅弁を購入する。
13:23金沢発の「はくたか13号」に乗って越後湯沢に行く。
東京方面には越後湯沢経由ではかなり遠回りにはなるが、金沢から直接行く特急はない。
北陸新幹線が北陸本線まで延伸すればいいのだろうが、
現在は長野まででそこから先の長野−直江津間の特急設定はない。
「はくたか13号」は北越急行ほくほく線内を通過して16:03に越後湯沢に到着する。
ほくほく線内は特例的に160km/hが認められている。
線形が緩やかで高架区間だからで、緑の信号がふたつ着く。
越後湯沢で11分の乗換時間で新潟新幹線「Maxたにがわ448号」に乗る。
1時間34分で東京に着く。
弁当を買う暇がなかったため、売店まで行き「だるま弁当」\900購入する。
E4系車両でダブルデッカー車のため階段が多く、
ワゴン販売がし辛いために売店だけの販売になっている。
弁当はだるま弁当しかなかった。
東京駅に戻って少し新幹線の車両取材をして、
19:05発の総武快速線上総一ノ宮行きに乗って千葉まで行き、
19:57三鷹行きの総武緩行線で帰る。

 −取材結果−

2005.07.22._1 撮影 404枚 保存 48枚
2005.07.22._2 撮影 167枚 保存 22枚
2005.07.23.  撮影 319枚 保存 41枚
2005.07.24.  撮影 411枚 保存 24枚

 合計     撮影 1301枚 保存 135枚 採用率 10.4%

2005/09/11 22:32

※写真:東京駅に停車中のE4系新幹線 撮影時刻 2005/07/24 18:10:46





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