神無月広島瀬戸内純情物語



  1.1枚のパンフレット

それはJR姉ヶ崎のコンコースに置かれていた1枚のパンフレットだった。
通勤の帰りに偶然そのパンフレットを見つけ、
何気なしに手にとって上り電車を待つ3番線ホームの上で眺めていた。
ペラ刷りのそのパンフレットには、
「広島・瀬戸内フリーきっぷ」と書かれ、
“JR往復新幹線普通車指定席+路面電車・観光船・JR乗り放題”と書かれていた。
この“乗り放題”という文字に目がとまった。
フリーエリアは山陽本線の福島から岩国、山陽新幹線の福島から広島で、
更に呉線全線、芸備線広島−三次間、JR宮島航路と、
広電全線に観光船ファーストビーチが乗り放題となる。
有効期間は3日間で価格は東京都区内発で大人\35,000である。
広電は以前取材したことがあるものの、
日本で一番営業距離の長い路面電車であるためにほとんど取材しきれていない。
また路線が長いだけではなく、車種も豊富でここはいずれ再取材したいと思っていた。
それに芸備線広島−三次間には急行「みよし」が走っている。
急行列車が激減している中で、常設の急行列車は珍しい。
取材対象の多いこの切符は使える。
利用期間は10月から12月までで、
ちょうど“鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの旅”のために取った、
10月21日金曜日の有給休暇がまだ生きているため、
この日を利用して2泊3日で広島瀬戸内旅行もいいかもしれない。
家に着く頃にはすっかりと取材のプロットが出来上がっていて、
早速ネットで調べて予定を組んだ。

10月21日(金)

04:56幕張−総武緩行線・下り407B(40)−05:36秋葉原[3]
05:39秋葉原−京浜東北線・南行565A(4)−05:43東京[17]
06:00東京※−東海道・山陽新幹線・下り「のぞみ1号」500系(231/3:51)−09:51広島[38]
 ※10:06呉線瀬戸内マリンビュー取材
 ※コインロッカー使用
10:29広島※−呉線・安芸路ライナー5624M(31)−11:00呉[31]
11:31呉−呉線・安芸路ライナー5626M(9)−11:40広[38]
12:18広※−呉線・下り138M(82/1:22)−13:40三原[22]
14:02三原−山陽新幹線・上り「こだま652号」(7)−14:09新尾道[24]
14:33新尾道−山陽新幹線・上り「こだま654号」4両編成(9)−14:42-50福山[5]
14:55福山−山陽新幹線・下り「のぞみ51号」6両編成(24)−15:19広島[41]
16:00広島※−芸備線・快速みよしライナー5868D(86/1:26)−17:26三次[30]
17:56三次※−芸備線・急行「みよし7号」(78/1:18)−19:14広島
 ※コインロッカー
 ※東横イン広島新幹線口チェックイン

10月22日(土)

 ※6:30a.m.起床、朝食
 ※7:30a.m.東横イン広島新幹線口アウト
08:00広島−山陽本線・下り快速シティライナー5331M(39)−08:39岩国[17]
08:56岩国−山陽本線・上り540M(21)−09:17宮島口

 ※広電フリー取材
 ※東横イン広島新幹線口イン

10月23日(日)

 ※6:30a.m.起床、朝食
 ※7:30a.m.東横イン広島新幹線口チェックアウト
 ※コインロッカー使用

08:00広島駅※−広電1系統23(23)−08:23本通[12]
 ※セットカード購入\1,090
08:35本通※−アストラムライン(26)−09:01長楽寺[246/4:06]
 ※広島市交通科学館見学 09:00-17:00
13:07長楽寺−アストラムライン(25)−13:32本通[148/2:28]

 ※広電フリー取材
 ※コインロッカー
16:00広島※−東海道・山陽新幹線・上り「のぞみ62号」700系(239/3:59)−19:59品川[22]
20:21品川−横須賀・総武快速線1908S・1909F(51)−21:12千葉[16]
21:28千葉※−総武緩行線159B(10)−21:38幕張

21日金曜日は新登場の観光列車「瀬戸内マリンビュー」取材を含め、
JR在来線、新幹線の駅取材、
22日土曜日は広電線駅取材、
23日日曜日はアストラムライン取材と広島市交通科学館見学をする。
この計画に沿って東横イン広島新幹線口に予約を入れ、
1ヶ月前を待ってこの切符を購入し、往復の新幹線の指定を受けた。
“鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの旅”は中止になったが、
その時のために取得した有給休暇は全く違った形で有効利用されることとなった。

※画像:広島・瀬戸内フリーきっぷ

2006/06/26 01:46


  2.500系新幹線と快速「瀬戸内マリンビュー」

予定より1本早い04:40の電車で御茶ノ水まで行く。
この1本速い電車は初電である。
広島瀬戸内旅行の初日は06:00に東京駅を出る「のぞみ1号」に乗るため、
仕事に行くよりも遙かに早い時間に起きることとなった。
秋葉原から京浜東北線で東京まで出て、東海道新幹線の改札を潜る。
東京駅で良く東北・上越新幹線の改札を潜ることはあるが、
東海道新幹線に乗ることはほとんどないため、新鮮な気持ちだった。
売店で「21世紀出陣弁当」を購入して車中で喰う。
この弁当は「東海道新幹線21世紀私の食べたい駅弁コンテスト」で、
大人の部グランプリ受賞作品なのだそうである。
「お品書き」には以下のように書かれている。

竹かごを使い、昔ながらの日本の味を詰め合わせました。
戦国時代に武将が縁起をかついで「勝ち栗(勝って)」や「昆布(喜ぶ)」などの
肴で杯を酌み交わしたのにちなみ、
栗・昆布まきを盛り込みました。
また、バイ貝は出陣に欠かせない「ホラ貝」を、串こんにゃくは「出陣旗」を形取りました。
食べて元気!新しい21世紀の門出を祝うお弁当です。

 ぶりの照り焼き
 バイ貝の旨煮
 こんにゃくの味噌田楽
 しそ薩摩揚げ
 鶏唐揚げ
 香り卵
 野菜の炊き合わせ(里芋、椎茸、蓮、ごぼう、人参、ひたし豆)
 栗甘露煮
 昆布巻き
 小女子の佃煮
 おにぎり(ひじき二ヶ、ゆかり一ヶ)
 漬物

今回、初電にまで乗って「のぞみ1号」にこだわったのは、
「のぞみ1号」に使用される車体が500系新幹線だからである。
東海道・山陽新幹線の「のぞみ」に使用される車体は500系と700系があり、
700系はスピードを多少犠牲にしてまで乗り心地に重点を置いて開発されたのに対し、
500系はJR西日本が単独でスピード重視で開発した車体で、
まるでロケットのような円筒形に近い車体で、
その塗色と相まってまるでヒーローものの悪者のようだ。
まだこの500系新幹線には乗ったことがない。
そこで今回はどうしても500系に乗ろうということで、早朝から気合いを入れたのだ。
500系新幹線はホームグラウンドの山陽区間に入るとその真骨頂を表す。
姫路を過ぎた辺りから300km/hの最速を出す。
電光掲示板にも「ただいま速度は300km/hです」と表示されている。
営業速度最速を体験したのは感動だった。
「のぞみ1号」は3時間51分で広島に到着する。
ここで旅行用バッグをコインロッカーに入れるのより早く、
10:06発の呉線快速「瀬戸内マリンビュー」を取材する。
快速「瀬戸内マリンビュー」は広島と三原を呉線経由で結ぶ観光特化の列車である。
2両編成で1号車は指定席、2号車は自由席である。
今回は車両取材だけで実際には乗ることはなかったが、
特急の走らない広島地区で新しい鉄道観光資源になることは間違いない。
この列車を取材後に改めて旅行用バッグをコインロッカーに預け、呉線取材に出掛ける。

2006/09/04 23:06

※写真:東京駅に停車中の500系新幹線 撮影時刻 2005/10/21 05:54:52


  3.「大和ミュージアム」で賑わう呉と新幹線駅取材

呉線は広島から三原までを海寄りに走る路線で、
正確には山陽本線海田市から呉を経由して山陽本線三原に至る路線で、
電化単線路線である。
呉は戦前から軍港として栄えた場所であり、
軍事都市であった広島との間に官設鉄道として1903年(明治36年)に敷設された。
広まで延伸したのは1935年(昭和10年)である。
三原から広までは三呉線と呼ばれ、
1930年(昭和5年)に三原から須波までが開業し、
その後翌年には安芸幸崎、その翌年には竹原まで延伸し、
1935年(昭和10年)には三津内海(現・安浦)まで延伸した。
同年11月24日には三津内海と広が接続し、この時に三呉線は呉線に編入された。
呉駅は戦艦大和が製造された港としても知られていて、
それを記念した“大和ミュージアム”も2005年4月23日にオープンしている。
また「男たちの大和/YAMATO」という映画も作られている。
呉線103系に乗って呉駅へ行き、駅取材してから大和ミュージアムまで行ってみる。
しかし入場はせずにそのまま鉄道取材に戻る。
途中、「レクレ」という複合商業施設の、
「大和温泉物語」という温泉テーマパークが今日オープンのようで、
跨線橋まで長い列が続いていた。
予定では11:31の安芸路ライナーで広まで行くつもりだったが、
大和ミュージアムまで行っていたため時間がなくなり、
11:41の電車で広に向かう。
広は“朝鮮通信使ゆかりのまち”だそうである。
広で駅取材に38分の時間を取っていたが、
思ったほど取材するべきものはなかった。
予定ではここから12:18始発の普通列車で1時間22分かけて三原まで行き、
三原からこだまで各駅取材して広島まで戻ることになっていたが、
思いたって12:11発の広島行き115系「安芸路ライナー」に乗りこむ。
広島まで戻ってエールエール・パノラマフードコート内「味の蔵」で、
ラーメン(普通)\580+味付け玉子\100喰う。
ここは博多ラーメンの店で、味はとんこつだった。
辛もやしがサービスで付いてくる。
本当に辛かった・・・。
広島から新幹線各駅取材を開始する。
今回の「広島・瀬戸内フリーきっぷ」のフリー区間には、
広島から福山までの新幹線も含まれており、
今回はいい機会なので日頃行くことのない新幹線駅の取材をすることにする。
広島から「こだま652号」大阪行きで新尾道を目指す。
のぞみ東京行きが5分遅れているとのことで、13:34広島発が少し遅れる。
食事をして、尚かつダイヤが乱れていたため、
広島で乗った列車は三原から乗る予定だった列車だった。
この列車で新尾道まで行き、改札を出る時に事件は起きた。

2006/09/06 02:06

※写真:呉の大和ミュージアム 撮影時刻 2005/10/21 11:39:27


  4.“誤入鋏”と“紅葉まんじゅう!”

新尾道で下車した時に、普通に改札に切符を通した。
そうしたら自動改札の反対側から切符が出てこない。
切符が回収されてしまったのだ。
JR西日本の場合、フリー区間の中でも新幹線の場合は切符が回収されてしまうのだ。
つまり、新幹線の改札を潜っただけで、“帰路”についたという扱いになるようである。
JR東日本の場合、フリー区間は何度での出入りできるので、
当然、山陽新幹線でも出来ると思っていたのだが、違った。
駅員に事情を説明して回収された切符を返してもらい、
穴の開いた部分に“誤入鋏”のスタンプを押してもらう。
もう、自動改札は使用できないので、駅員のいる改札を通って下さいとのこと。
初日にもう切符がこういう状態だと、ちょっと気が滅入るな・・・。
新尾道はこだましか停まらない駅で、
沿線の自治体が全額負担して作られた請願駅である。
しかし在来線の接続がなく、しかも山陽本線尾道駅までバスで15分の距離にあり、
乗降客は山陽新幹線の中でも最低グループに属する。
ここで駅取材してこだま659号で広島まで戻る・・・つもりでいたが、
途中で気が変わり、急遽東広島で下車する。
ここで下車することによって芸備線の取材が出来なくなってしまうが、
今回は新幹線駅の取材に特化することにして、東広島駅で下車する。
たぶんこの機会を逃したら、この駅で下車することはないような気がしたからだ。
東広島駅も新尾道同様、請願駅であるが乗降客は少なく、こだましか停車しない。
駅取材後にこだまで広島に戻り、
日芸線の取材は明後日に先延ばしにして、
ホテルに電話して早めにチェックインさせてもらう。
「金券でホテルに泊まろう」キャンペーンで、
使わなくなったテレフォンカード@1,000×2=\2,000分を利用して、
東横イン広島新幹線口にチェックインする。
残りはカードを使用。
部屋で少しゆっくりしてから5:30p.m.頃部屋を出る。
福屋広島駅前店1階「トンカツ和幸」に行き、ヒレカツロース御膳\1,186喰う。
ご飯、みそ汁、キャベツ・・・、全ておかわりする。
食い過ぎ(^_^;)
LAWSON広島光町店で発泡酒など買い、
駅の売店で紅葉まんじゅうなど買ってホテルに戻り、
シャワーを浴びてから紅葉まんじゅうをつまみに発泡酒を飲む。
しかし考えると紅葉まんじゅうはビールや発泡酒のつまみにはならないな・・・。

2006/09/08 22:56

※写真:宮島藤い屋のもみじまんじゅう 撮影時刻 2005/10/21 17:50:55


  5.広島電鉄の成立と全系統

広島電鉄は広島市内に路線を持つ鉄道会社で、路面電車とバスを運行する。
路面電車はJR広島駅を起点に軌道法の適用を受ける市内線と、
鉄道法の適用を受ける西広島から宮島口までを結ぶ路線を有する。
軌道線、鉄道線を合わせた全延長は国内最大である。
その成立は1910年(明治43年)6月に設立された広島電気軌道に始まる。
1912年(大正元年)11月には広島から御幸橋に至る路線と、
八丁堀から分岐して白島に至る路線が開業している。
1917年(大正6年)に広島瓦斯と合併し、広島瓦斯電気となった。
1924年(大正13年)4月には西広島からの電車線が部分開通し、
1926年(大正15年)7月には宮島までの延伸が完了した。
宮島航路もその前の年に就航している。
1942年(昭和17年)4月に広島瓦斯電気の交通事業部門が独立し、
広島電鉄となった。
1945年(昭和20年)には現在の路線の形がほぼ完成したが、
同年8月6日御膳8時15分、広島に原爆が投下された。
人類史上初の核攻撃に晒され、軍都広島は廃墟となった。
しかしその3日後には一部の区間で運転を再開し、復興の礎となった。
この時被爆した車両が今でも動態保存され、
ある意味で原爆の生き証人として原爆記念日などには営業運転にも赴いている。
広島電鉄は全国の廃止路線から車両を譲り受け、
多くの形式が走っている路線でもあり、動く博物館と化している。
その一方で、3950形「Green Liner」、5000形「GREEN MOVER」などを導入し、
更に純国産超低床車5100形「Green mover max」なども活躍する。
5000形、5100形は5車体連接形という、国内でも例を見ない、
全長30m級車両である。
路線は軌道線8系統と鉄道線1系統が存在する。
軌道線は1号線、3号線、4号線から9号線、鉄道線は2号線である。
4号線は縁起が悪いということで存在しないらしい。
各系統は以下の通り。

1系統(宇品線)

広島駅−猿猴橋町−的場町−稲荷町−銀山町−胡町−八丁堀−立町−紙屋町東−本通−
袋町−中電前−市役所前−鷹野橋−日赤病院前−広電本社前−御幸橋−皆実町六丁目−
広大附属学校前−県病院前−宇品二丁目−宇品三丁目−宇品四丁目−宇品五丁目−
海岸通−元宇品口−広島港(宇品)

2系統(宮島線)

広島駅−猿猴橋町−的場町−稲荷町−銀山町−胡町−八丁堀−立町−紙屋町東−紙屋町西−
原爆ドーム前−本川町−十日市町−土橋−小網町−天満町−観音町−西観音町−福島町−
広電西広島(己斐)−東高須−高須−古江−草津−草津南−商工センター入口−井口−
鈴峯女子大前−広電五日市−佐伯区役所前−楽々園−山陽女子大前−広電廿日市−平良−
宮内−JA広島病院前−地御前−阿品東−広電阿品−競艇場前−広電宮島口

3系統(己斐線)

広島港(宇品)−元宇品口−海岸通−宇品五丁目−宇品四丁目−宇品三丁目−宇品二丁目−
県病院前−広大附属学校前−皆実町六丁目−御幸橋−広電本社前−日赤病院前−鷹野橋−
市役所前−中電前−袋町−本通−紙屋町西−原爆ドーム前−本川町−十日市町−土橋−
小網町−天満町−観音町−西観音町−福島町−広電西広島(己斐)

5系統(比治山線)

広島駅−猿猴橋町−的場町−段原一丁目−比治山下−比治山橋−南区役所前−
皆実町二丁目−皆実町六丁目−広大附属学校前−県病院前−宇品二丁目−宇品三丁目−
宇品四丁目−宇品五丁目−海岸通−元宇品口−広島港(宇品)
 
6系統(江波線)

広島駅−猿猴橋町−的場町−稲荷町−銀山町−胡町−八丁堀−立町−紙屋町東−紙屋町西−
原爆ドーム前−本川町−十日市町−土橋−舟入町−舟入本町−舟入幸町−舟入川口町−
舟入南町−江波

7系統(都心線)

横川駅−横川一丁目−別院前−寺町−十日市町−本川町−原爆ドーム前−紙屋町西−本通−
袋町−中電前−市役所前−鷹野橋−日赤病院前−広電本社前

8系統(横川線)

横川駅−横川一丁目−別院前−寺町−十日市町−土橋−舟入町−舟入本町−舟入幸町−
舟入川口町−舟入南町−江波

9系統(白島線)

八丁堀−女学院前−縮景園前−家庭裁判所前−白島

各系統は重複している部分が多く、路線は以下の通りである。

本線/広島駅−広電西広島5.5km
 運転系統 1号線、2号線、3号線、5号線、6号線、7号線、8号線
宇品線/広島港(宇品)−紙屋町東・西5.7km
 運転系統 1号線、3号線、5号線、7号線
江波線/江波−土橋2.6km
 運転系統 6号線、8号線
白島線/白島−八丁堀1.2km
 運転系統 9号線
皆実線(比治山線)/皆実町六丁目−的場町2.5km
 運転系統 5号線
横川線/横川駅−十日市町1.4km
 7号線、8号線
宮島線/広電宮島口−広電西広島16.1km
 運転系統 2号線

2006/09/09 23:09


  6.錦川鉄道緊急取材と広電取材

6:20a.m.にモーニングコールをかけておいたのだが、
6:15a.m.に目が覚めた。
シャワーを浴びて7:00a.m.に無料朝食のおにぎり、みそ汁、コーヒーなど喰う。
7:30a.m.にはホテルを出て、07:46五日市行きに乗車する。
今日の予定は広電取材なのだが、
まずはこの切符で行ける最西端の岩国まで行って駅取材し、
宮島口まで戻ってそこから広電取材を開始する。
予定より早い電車で岩国まで行く。
岩国で偶然錦川鉄道NT2000形を車両取材する。
錦川鉄道は旧国鉄の岩日線を譲り受け、
錦川清流線として運営している第三セクターである。
路線は川西から錦町だが、岩国まで乗り入れている。
眼中になかったが、急遽車両取材した。
08:56の上り電車で宮島口まで行って乗り換える予定だったが、
予定を変更してそのまま廿日市まで行き駅取材、
09:37の下りで阿品まで戻って駅取材してから広電の阿品駅まで徒歩移動する。
宮内、広電廿日市、広電五日市、商工センター入口と取材し、
一端広電宮島口まで戻ってから西広島へ行き、
ここの「夢そば」でカツとじ丼+温かいそば喰う。
土橋まで戻って直ぐに乗り換えて江波へ行き、土橋まで再び戻って十日町、横川と取材する。
JR横川駅も取材し、広電本社行きに乗る。
JR山陽本線横川駅は前の駅舎の時に取材したことはあるが、
新しくなってからは初めてである。
広島港まで行き、八丁堀、白島、的場町、皆川町六丁目、広電本社前、本通、
徒歩移動で紙屋町西、紙屋町東と取材し、原爆ドーム前まで行って、
夕食として「浅草軒」でオムハヤシのハイカラセット喰う。
ドリンクのオーダーは赤ワイン。
各電停取材の合間に多くの車両取材も同時にこなす。
帰りに広島駅内の本屋で鉄道ファンを購入し、LAWSON広島光町で買い物してホテルに戻り、
シャワーを浴びてから鉄道ファンを読みながらビールを飲む。

2006/09/09 23:50

※写真:純国産超低床車5100形「Green mover max」 撮影時刻 2005/10/22 16:17:26


  7.予定変更−JR貨物広島車両所公開

三日目も6:20a.m.に起床し、シャワーを浴びて7:00a.m.になるのを待ち、
1階行って無料朝食を喰う。
この時アクシデントが起きた。
右奥歯のブリッジが取れたのである。
以前に一度取れてつけ直してもらったところがまた取れたのだ。
明日また歯科に行かなければならないな・・・。
とほほ・・・。
ホテルに設置してある無料パソコンで芸備線のダイヤを調べる。
いつもは朝食後慌てて歯を磨いてチェックアウトするのだが、
今回は余裕を持って8:00a.m.頃チェックアウトする。
予定では広電の追加取材をして、
アストラムラインで長楽寺へ行き、
広島市交通科学博物館を見学するつもりだったが、
一昨日広島入りしてコインロッカーに荷物を預けに行く時、
一枚のパンフレットを目にして計画を変更することにした。
それは「JR貨物広島車両所公開」というパンフレットだった。
公開日は10月23日日曜日、つまり今日である。
偶然にもこの旅の最後の日に偶然ぶつかったのだ。
そこで今回は急遽JR貨物広島車両所を取材する。
公開は9:30a.m.からなので、旅行用バッグをコインロッカーに預け、
一昨日取材できなかった芸備線急行「みよし」を取材する。
残念ながらこの急行に乗って三次まで行くことは出来なかったが、
車両取材することは出来た。
急行「みよし」取材の前後に広島駅南口で広電取材する。
09:15発の芸備線で矢賀へ行き、JR貨物広島支店広島車両所に行く。
約1時間に渡って展示されている機関車や解体中の機関車などを取材する。
 電気機関車EF67型1号機ヘッドマーク「あけぼの」
 電気機関車ED76型55号機ヘッドマーク「みずほ」
 電気機関車EF200型19号機」
 電気機関車EF65型98号機ヘッドマーク「みずほ」
 電気機関車EF66型11号機ヘッドマーク「富士」
 電気機関車EF59型21号機
 電気機関車EF66型119号機塗色変更駐車両
 電気機関車EF500型901号機
 電気機関車EF210型11号機愛称「桃太郎」
 電気機関車ED76型55号機ヘッドマーク「サザンクロス」
 電気機関車EF66型11号機ヘッドマーク「あさかぜ」
 電気機関車EF67型1号機ヘッドマーク「ウルトラライナー」
 ディーゼル機関車DD51型1802号機
 電気機関車EF76型55号機ヘッドマーク「あかつき」
取材を終えて駅に向かう途中、
蒸気機関車D52型1号機の取材をし忘れていることに気付く。
しかし戻ってもう一度取材する気力もなく、そのまま広島まで戻る。

2006/09/17 16:38

※写真:矢賀のJR貨物広島車両所 撮影時刻 2005/10/23 10:51:25


  8.空腹の広電追加取材

広島に戻ってから帰りの新幹線が出発するまでの時間、
広電の追加取材に費やす。
広島駅の南口には旧広島駅の本館と駅前広場の写真と、
その解説が設置されていた。

広島駅(爆心地から約1.9キロメートル)

人類史上最初の原爆投下により駅構内の屋根は崩れ落ち、
正面玄関の前に建てられていた待合室も破壊しました。
駅舎は炎に包まれて全焼し、旅客や駅職員に多くの死傷者が出ました。
しかし、生き残った職員の懸命の努力によって復旧がすすめられ、
翌8月7日には宇品線が開通、8日には山陽本線が部分開通し、
被災者の避難や物資の輸送に大きな役割を果たしました。

駅前で取材後に山陽本線11:35発の南岩国行きで横川駅に行き、
追加駅取材した後に昼食を喰う場所を探すがなかなかよいところが見つからず。
そのまま広電本社行きに乗って紙屋町西まで行き、
ファミマで肉まんと伊右衛門買って店内で喰う。
ここのファミマはミニストップみたいに店内に飲食コーナーがあるのだ。
ここから広島原爆ドーム前まで歩き、写真撮る。
朝のうちは曇りで雨が降りそうだったが、この時間になってよく晴れてきた。
広電で西広島まで行き、ここで時間まで車両取材する。
15:05広島行きの山陽本線で広島まで戻り、
おみやげともみじ弁当を買って16:00発の新幹線で東京に戻る。
指定席は広島から東京まで取ってあるのだが、
品川で下車してここから総武快速線直通の横須賀線に乗り換える。
しかし横須賀線の遅延で直通運転が中止になっていて、
東京駅で乗り換えになっていた。
これならそのまま新幹線で東京駅まで行った方がよかったな・・・。
総武快速線で千葉まで行き、「万葉軒」で玉子うどん\280喰って21:28の緩行線で帰る。

 −撮影データ−

2005.10.21._1 撮影 443枚 保存 28枚
2005.10.21._2 撮影 74枚 保存 6枚
2005.10.21._3 撮影 21枚 保存 2枚
2005.10.22._1 撮影 356枚 保存 41枚
2005.10.22._2 撮影 221枚 保存 20枚
2005.10.23._1 撮影 408枚 保存 49枚
2005.10.23._2 撮影 287枚 保存 31枚

 合計    撮影 1810枚 保存 177枚 採用率 9.8%

2006/09/17 17:32

※写真:原爆ドームの午後 撮影時刻 2005/10/23 13:56:53





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