師走関西純情物語



  1.大好きな君に−緊急関西旅行

小田和正はオフコース時代から大好きなアーティストのひとりである。
オフコース時代はコンサートには一度も行かなかったものの、
ソロになってからは何回かコンサートにも行った。
また、50歳を過ぎたアーティストであるにもかかわらず、
チケットの入手が非常に困難なアーティストのひとりでもある。
その小田さんが今年コンサートツアーを敢行している。
「明治安田生命Presents 小田和正 “大好きな君に”」
そういったツアータイトルで日本全国を回っていて、
東京で行われたコンサートには、
イープラスでプレオーダーしたがチケットを入手することは出来なかった。
そのツアーが今度大阪に行き、
日程が12月10日土曜日、11日日曜日で場所は大阪城ホール。
もちろん大阪ではコンサートが終わってから帰るのは難しいが、
土曜日なら1泊してもいいなと思った。
そこで12月10日のコンサートチケットにプレオーダーをかける。
東京で駄目なものは大阪でも駄目だろうと思うが、
万が一のこともあり、チケットが取れた時のために、
ネットで飛行機と新幹線について調べてみた。
飛行機に関してはJALもANAも安売り期間に入っていた。

 JAL 12月2日〜12月12日 「バーゲンフェア」東京−大阪 \8,000
 ANA 12月2日〜12月12日 「超割」 東京−大阪 \8,300

東海道新幹線での東京−新大阪についてもえきねっとで調べてみた。

東海道新幹線
 のぞみ指定席 東京−新大阪 \5,540
 片道乗車券 東京−新大阪 556.4km \8,510 合計 \14,050

航空会社はちょうど安売り期間に入っている。
これならチケットが取れる取れないにかかわらず、
12月10日土曜からの一泊大阪旅行を計画しようと思った。
チケットが取れなかった時は普通の大阪鉄道取材旅行にすればいい。
この時は既に先行予約期間過ぎ、明日から一般受付という時であった。
翌日の一般販売を待ってJALとANAのホームページにアクセスして、
東京−大阪間の空席状況を確認した。
JALの方が\300安いが、JALの「バーゲンフェア」では帰りの席が既になかった。
そこでANAの「超割」を申し込むこととした。
しかも11日日曜日の飛行機も17:00伊丹発しかなく、
それ以降だと最終便の22:05関空発23:10羽田着という厳しいものだったので、
17:00伊丹発の便を申し込む。

12月10日土曜日 ANA141便 東京(羽田)07:35発−大阪(関西)08:50着
12月11日日曜日 ANA034便 大阪(伊丹)17:00発−東京(羽田)18:10着

また同時にホームページから大阪泊の定宿(と云っても2回しかないけど^^;)、
ヴィアイン新大阪にインターネット経由で宿泊予約する。
早割料金で\5,250だった。
そして10月6日、いよいよ抽選結果が発表される。
イープラスからメールが来て、
「・・・様の下記お申込みについては、抽選の結果、
残念ながらチケットをご用意することができませんでした。

公演名: 小田和正
会場 : 大阪城ホール

<第1希望>
日時 :2005年12月10日(土)19:00開始
席種・枚数:指定S×1
<第2希望>
日時 :2005年12月10日(土)19:00開始
席種・枚数:指定A×1」
とほほ・・・。
だいたい予想はしていたのだけれど、
これで12月の大阪一泊は単なる旅行になってしまった。

2006/05/31 01:55


  2.アクシデント−Travel and Trouble

12月の関西旅行では“スルッとKANSAI”の2daysカードを使おうと思う。
これは関西の私鉄で作っている共通カード“スルッとKANSAI”の、
該当エリアがほぼ2日間乗り放題になるという、
駅取材をするにはまさに夢のようなカードである。
以前同じ“スルッとKANSAI”の大阪周遊パスを用いて私鉄取材をしたことがあった。
関東にも同じ私鉄で作っている“パスネット”があるが、
共通カードのようなものは存在しない。
さすがはJR(国鉄)と私鉄とが熾烈な顧客争奪戦を繰り広げている大阪である。
今回も最初は大阪周遊パスを使うつもりでいたが、
“スルッとKANSAI”のホームページを見ていてこのカードを見つけたのだ。
2日間有効で大人\3,800である。
一日\1,900で乗り放題というのであるから使い勝手がよい。
大阪はもちろんのこと、“スルッとKANSAI”参加の私鉄が走っている、
京都、奈良、神戸、和歌山でも使うことが出来る。
このほかにも3日間有効の3daysカードもあり、こちらは大人\5,000である。
これは事前にクーポン券を旅行会社などで購入しておけば、
現地に行って引き替えするだけで直ぐに手に入る。
関空でも南海の窓口で購入することが出来るため、飛行機で降りて直ぐに使える。
この“スルッとKANSAI”の2daysカードを使うことを前提で、
駅から時刻表などで以下のような予定を組んでいった。

12月10日(土)

07:35羽田空港−ANA141便−08:50関西空港
09:27関西空港※−南海・空港急行・上り2124−10:15難波
10:24難波※−南海・高野線(りんかんサンライン)・下り−11:13橋本
11:21橋本※−南海・高野線(りんかんサンライン)・下り−12:07極楽橋
 ※12:10発特急「こうや2号」取材
12:42極楽橋−南海・高野線(りんかんサンライン)・上り−13:25橋本
13:57-14:02橋本−JR和歌山線・下り−14:43吉野口 \400

12月11日(日)

17:00伊丹空港−ANA034便−18:10羽田空港

・・・非常に中途半端な計画である。
何故こうなってしまったのかというと、
この計画を立てている途中でパソコンがハングアップしてしまったのである。
大阪旅行直前には新しいパソコンが来たものの、
詳細を決めかねているうちに当日になってしまった。
とほほ・・・。
後はぶっつけ本番で、行き当たりばったりに行動するしかない。

2006/06/01 23:08


  3.漆黒の朝と手書きの予定表−旅の始まり

羽田を7時台に離陸する飛行機に乗るためには、
5時台の電車に乗らなければならない。
12月10日土曜日、4:30a.m.に起床して05:14の御茶ノ水行きに乗る。
何時も会社に行くよりも更に40分早い時間である。
空はまだ漆黒に閉ざされたままで満点の星々が煌めいている。
05:55に秋葉原に到着し、ここで山手線に乗り換えて浜松町に向かう。
06:20の東京モノレールで羽田空港第2ビルに向かう。
モノレールの車窓からは朝焼けのお台場の街が見えた。
ちょうど夜が明け始めた時間である。
チケット発券手続きをして手荷物検査のゲートを潜り、
61番ゲートANA FESTAでシウマイ弁当\710と伊右衛門\150買い、
飛行機に乗り込む前にベンチで喰う。
ANA141便関西空港行きは07:35出発である。
今回初めて非常口前の、足下の広い座席になった。
緊急脱出の時にお手伝いをお願いされる座席である。
足下が広いのはいいが、
前に座席がないためにテーブルが横から引き出すタイプとなる。
その分、腹回りが狭くて窮屈になる。
今回はパソコンで予定表がプリントアウトできなかったため、
前日に「駅から時刻表」で大まかな予定を立てて手書きのメモを持参した。

12月10日(土)

05:14幕張−575B−05:55秋葉原
06:00秋葉原−573G−06:10浜松町
06:20浜松町−C0609−06:39羽田空港第2ビル
07:35羽田空港−ANA141便−08:50関空
09:27関西空港※−南海・2124−10:15難波
10:24難波※−南海・高野線−11:13橋本
11:21橋本※−南海・高野線−12:07極楽橋
 ※12:10「こうや2号」
12:42極楽橋−南海・高野線−13:25橋本

 ヴィアイン新大阪 060-6327-6111

12月11日(日)

17:00伊丹空港−ANA034便−18:10羽田空港

今回はおおざっぱに10日土曜日は高野山と奈良近辺、
11日日曜日は比叡山と京都近辺を取材しようと思う。
特に11日は予定を全く立てていないでぶっつけ本番になる。
こんな旅行はこれまでの鉄道取材の旅でも初めてである。
08:50に関西空港に着陸し、南海の窓口で購入してあったクーポン券を、
スルッとKANSAI2dayチケットに交換する。
プリペイドカードタイプで、自動改札もこれで通過できる。
予定通り南海の空港急行で難波まで行き、10:24の高野線で極楽橋を目指す。

2006/08/16 23:37

※画像:羽田空港で購入したシウマイ弁当 撮影時刻 2005/12/10 07:25:06


  4.高野山−極楽に続く赤い橋

関西空港から乗った特急は10:15に難波に到着する。
ここで少し車両取材して、10:24の高野線に乗って橋本に向かう。
南海電鉄は大きく分けて南海線と高野線に分かれる。
南海線は本線である難波から和歌山市を始め、
それに分岐する高師浜線、多奈川線、加太線、和歌山港線、空港線がある。
高野線は汐見橋から極楽橋までを云うのだが、
実際は難波から極楽橋に直通しており、
汐見橋−岸里玉出間は汐見橋線と呼ばれ、支線扱いになっている。
優等列車は難波から極楽橋まで直通する「こうや」と、
途中の橋本まで行く「りんかん」がある。
高野線は橋本でその車窓をがらりと変える。
難波から橋本までは平坦区間で街中を走っているイメージだが、
橋本から極楽橋までは山岳路線の様相を呈す。
難波から乗った車両は6000系の高野線では標準的な車両だったが、
橋本で同一ホームで接続した車両は2300系ズームカーだった。
ズームカーは南海電鉄の橋本−極楽橋間の山岳路線を走れる列車の総称で、
平坦路線から直通する車両に使われるが、
2300系ズームカーは橋本−極楽橋間の山岳路線専用で運行されている。
2005年3月末から営業運転が開始されたばかりで、
そのデザインもそれまでの南海電鉄の車両とは異なっている。
橋本からは単線になり、カーブも多く、かなりゆっくりと進んでいる。
それだけ急勾配ということなのだろう。
12:07極楽橋に到着する。
魅力的な駅名だが、その名の通り駅近くに朱に塗られた橋がある。
しかし橋本から到着した2300系ズームカーの乗客は、
そのほとんど全てが高野山へ向かうケーブルカーに乗ってしまい、
この駅で下車する乗客はひとりだけだった。
極楽橋はほとんど高野山ケーブルに乗り換えるための駅となっている。
実際改札の外に出て極楽橋まで行ったが、
その橋を渡った先に人の住んでいる気配はなく、
何のためにここに橋が架かっているのかも分からない。
もしかしたら本当にこの橋は極楽浄土に繋がっているのかもしれない。
そんな空想をさせるのどかな景色だった。
駅取材して再び入場し、停車中の30000系特急「こうや」を取材し、
再び同じ2300系ズームカーで橋本まで戻る。
橋本はJR和歌山線と接続している。
本来の予定ではここでJRに乗り換えて奈良方面を目指すことになっていた。
しかし橋本まで来て急遽予定を変更することとなった。

2006/08/17 23:20

※画像:高野山の極楽橋 撮影時刻 2005/12/10 12:33:46


  5.予定変更−幻の奈良取材と大阪駅名問題

橋本駅で併設されているJRのホームから和歌山線に乗るつもりだったが、
2300系ズームカーで到着すると、
ホーム反対側には8200系急行難波行きが停車していたので、
思わずそれに乗ってしまう。
これで河内長野まで行き、そこから近鉄に乗り換えようと思う。
そこで駅取材してから「南海そば」で天ぷらうどん\370喰う。
ここから奈良までどれくらいの時間がかかるのか分からないし、
既に昼食を喰い終わったところで2:00p.m.を過ぎていたので、
ここで奈良取材を断念した。
ダイヤの状況も分からないし、何処を取材していいのかも分からない。
近鉄奈良駅とJR奈良駅は少し離れているように記憶していたし、
その地図も持参していないのでたどり着けるか分からない。
そこで今回は奈良エリアの取材は断念し、
近鉄に乗り換え、長野線、南大阪線経由で大阪阿部野橋へ行く。
関西では「私鉄王国」などと云われ、
JR(旧・国鉄)と私鉄との間で激しい顧客争奪戦が繰り広げられている。
そのためか、JRの駅名と私鉄の駅名が違うところが多いような気がする。
JRでは「大阪」だが、私鉄各社では「梅田」というし、
ミナミの天王寺も、私鉄では「あべの」の云う。
意図的に別名を使っているのか、敢えてJRを挑発しているのだろうか。
地元の人間では常識として知っているだろうが、
同じ場所にある駅ながら、全く別の名前にされると旅行客は利用しにくい。
しかも「あべの」のついても、
近鉄では「大阪阿部野橋」という駅名で「阿部野」と表記するが、
大阪市交通局の大阪市営谷町線では「阿倍野」と表記する。
何故二通りの表記が存在するのかは分からないが、
同じ“スルッとKANSAI”協議会のメンバーでも、
公営の大阪市交通局と民間の近鉄との間にも競争意識があるのだろうか。
天王寺で大阪市営御堂筋線に乗りなんばに行く。
ここでビックカメラに行き、シリアルATAを購入し、
ついでに購入予定の望遠ズームレンズと、それの入るカメラバッグなどを見る。
以前来た時からここにビックカメラがあるのを知っていたのだ。
外に出ると既に4:30p.m.なので予定よりかなり早いが、
先にヴィアイン新大阪にチェックインすることにする。
部屋に入ってテレビをつけると、
1週遅れの「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」がやっていて思わず見てしまう。
終わってから御堂筋線で梅田に出て、
少し街中を歩き、「ラーメン餃子専門店」の看板を見つけ、
看板通り、ラーメン+餃子を喰う。
夕食後、大阪市営谷町線東梅田駅で車両取材する。
しかしホテルでCFカードを付け替えるのを忘れてしまい、
途中でカードの残量がなくなってしまった。
仕方がないので撮影を切り上げ、ホテルに戻ってシャワーを浴びてビールを飲み、
1:00a.m.には消灯する。

2006/08/18 23:36

※画像:河内長野の「南海そば」 撮影時刻 2005/12/10 14:39:47


  6.比叡山−天狗の鼻と鞍馬の黒い犬

6:20a.m.に起床してシャワーを浴び、
7:10a.m.に1階「はるか」に下りて無料朝食喰う。
パンかおにぎりが選択できたが、パンを選択し、サラダ、バナナ、コーヒー等と喰う。
サラダとコーヒーはお代わりする。
部屋に戻って歯を磨いてからチェックアウトし、御堂筋線で淀屋橋へ行く。
淀屋橋は京阪本線の始発駅で、ここで特急に乗って終点の出町柳に向かう。
車両は8000系で1989年に登場した特急車両である。
車内は転換クロスシートで、
特急料金のいらない私鉄無料特急の中では最高のアコモデーションではないかと思う。
08:30に淀屋橋を出て京橋までは各駅に停まるが、
京橋を出ると枚方市まではノンストップで、出町柳到着は09:25である。
淀屋橋から出町柳まで各駅停車では1時間34分かかるので、
1時間を切る特急の威力はやはり魅力的だ。
出町柳で駅取材してから叡山電鉄に乗り換える。
叡山電鉄は出町柳から八瀬比叡山口を結ぶ叡山本線と、
宝ヶ池で本線から分岐して鞍馬に向かう鞍馬線とがある。
最初に鞍馬線で終点の鞍馬を目指す。
デオ800系で終点の鞍馬まで行き、折り返して宝ヶ池まで戻る。
出町柳では全く予想していなかったのだが、
鞍馬の山頂に着いた時は辺りはうっすら雪が積もっていた。
鞍馬駅は木造の味のある駅舎で、大きな天狗のオブジェが飾られていた。
鞍馬山は天狗信仰の地でもあり、その説明看板には以下のように書かれている。

「鞍馬山・僧正が谷の天狗

●僧正が谷は木の根道が続く奥の院の大杉権現、不動堂、魔王殿の辺り一帯をさす。
 この付近は古来から天狗が棲みつき出没、
 牛若丸(義経)はここで鞍馬の天狗をはじめ
 高雄・愛宕の天狗などから武芸を教わったと伝えられる。
●天狗は古くから山岳信仰とかかわりがあり、修験者が守護神として祀っていたが、
 中世以降山伏の堕落もあり天狗を妖怪や「魔」とみなす風潮が生まれるなど、
 時代とともに姿やイメージも変貌していった。
 本来の天狗とは、山に宿ると考えられる「精霊」で、
 姿を見せない神秘的存在であろう。
●鞍馬・比叡・愛宕・飯綱・白峯・大峯・大山・彦山など全国各地の霊山には天狗伝承があり、 また大天狗・小天狗・烏天狗・木の葉天狗などの階層もつけられているが、
 なかでも鞍馬山の大天狗は「僧正坊」と呼ばれ日本各地の天狗たちの総元締めとして、 また僧正が谷は総本山ともいえる場所の一つとして語り継がれている。」

「僧正が谷」は「そうじょうがだに」と読む。
また天狗のオブジェと並んで目を引くのが、
デナ21型電車の先頭部で、動輪と一緒に展示保存されている。
そこには次のように書かれている。

「この電車は当社の前身京都電灯と鞍馬電鉄の両社が、
昭和三年鞍馬線の開通に備えて共通設計した車両で、
昭和四年八月に就役しました。
以来平成六年十一月に引退する迄の六十五年間に二一七万粁余を走行し、
沿線の皆様をはじめ多くの鉄道ファンに親しまれてきました。
最盛期には一〇両の仲間がいましたが、この車両を最後に姿を消しました。
 ここに、この車両の一部を保存展示し、
当社の歴史にその名を留めたいと思います。

平成七年八月六日

                           叡山電鉄株式会社
                            社長 伊藤貞男」

鞍馬山を少し行くと鞍馬寺の入り口に当たる仁王門があり、そこまで行って引き返した。
山門に行く途中に黒い犬がいた。
カメラを向けても全く微動だにせず、
冷たく凍ったアスファルトの上に座ってただあらぬ方向を凝視し続けていた。
この駅から鞍馬寺を参拝する客になれているのだろうか、
全く人に反応しない犬だった。
それがかえって健気に思えた。
ここから宝ヶ池に引き返すが、乗った車両がデオ900形「きらら」だった。
デオ900形はパノラミック電車として、
谷川に当たる片面がロングシートをオフセット配置し、
更に天井近くまでガラスがはめ込まれているなど、
紅葉シーズンの集客を狙って「きらら」の愛称が付けられた車両で、
2両編成2本が在籍する叡山電鉄を代表する車両で、
第1編成はメープルレッド、第2編成はメープルオレンジと、
カラーリングも紅葉をイメージしている。
10:30発の出町柳行きに乗って宝ヶ池に行き、ここで駅取材してから叡山本線に乗り換え、
終点の八瀬比叡山口に行く。
ここは京福の鋼索線のケーブル八瀬駅があり、ここを取材してから出町柳へ戻る。

2006/08/22 22:27

※画像:新大阪の早朝 撮影時刻 2005/12/11 06:43:37


  7.嵐電−京福電車最後の路線

出町柳まで戻ってから京阪電車で丹波橋まで戻り、
ここから近鉄京都線に乗り換えて竹田で京都市営烏丸線に直通する電車に乗る。
丹波橋では同じ駅舎の中で交差する京阪と近鉄に乗り換えられる。
ここでは駅取材してから「麺座」で天ぷらうどん\300喰う。
のれんには「炙りきつねうどん」と書かれている。
京都だけあって「立ち喰い」は“蕎麦”ではなく“うどん”なのだ。
京都市営烏丸線四条駅と阪急京都線烏丸駅は徒歩移動圏内である。
阪急で隣駅の大宮まで行き、
地上に出て京福電気鉄道嵐山本線四条大宮駅に行く。
京福電気鉄道嵐山本線は支線である北野線と合わせて「嵐電」と呼ばれている。
嵐電取材は2度目だが、前回は四条大宮から嵯峨駅前に行き、
そのままJR嵯峨嵐山から山陰本線で京都に戻ってしまったので、
今回は嵯峨駅前以外の電停を取材することにする。
京福電気鉄道はその名の通り、京都と福井に路線を持つ鉄道会社であった。
しかし福井県内の路線は、
2000年12月と2001年6月の2度に渡る正面衝突事故のため、
国土交通省から運行停止命令を受け、再開の目処が立たないまま撤退することとなり、
路線を第三セクターのえちぜん鉄道に譲渡し、
京都の嵐電だけを所有する鉄道会社となった。
京福電気鉄道が設立したのは戦時中の1942年(昭和17年)3月2日で、
配電統制令によって解散する京都電灯が所有していた路線を受け継いだ。
電力会社の鉄道兼営が禁じられ、
嵐山本線、北野線、叡山線と福井の越前電気鉄道線が引き継がれた。
嵐山本線は1910年3月25日に嵐山電車軌道により開設され、
1918年4月2日に合併して京都電灯の路線となった。
北野線は1925年から26年にかけて京都電灯が施設した路線である。
京福電気鉄道が設立したその年の8月1日には鞍馬電気鉄道、三国芦原電鉄を合併、
1944年12月1日には永平寺鉄道、丸岡鉄道も合併している。
これらの合併は戦時か体制の維持が目的のものと思われる。
戦後、1968年7月11日には丸尾線を廃止、
1986年4月1日に叡山本線、鞍馬線を叡山電鉄に分離譲渡した。
2000年12月17日に越前本線志比堺−東古市(現・永平寺口)間で正面衝突事故。この時、運転士が死亡した。
半年後の2001年6月24日にはまた越前本線保田−発坂間で正面衝突事故。
この2度に渡る正面衝突事故に国土交通省から福井地区の列車運行停止命令を受け、
再開を断念して福井県内の鉄道路線を2002年10月21日に永平寺線を廃止の上、
2003年2月1日にえちぜん鉄道へ譲渡し、
京福電気鉄道は嵐電などの京都の路線のみを所有する鉄道会社となったのである。
四条大宮からまずは嵐山本線の終点である嵐山電停に行く。
ここは電停と云うよりはちゃんとした駅となっていて、
ホームの端には足湯まである。
入湯料はタオル付きで\150である。
ここで駅取材と車両取材をしてから帷子ノ辻まで戻り、
北野線に乗り換えて終点の北野白梅町まで行き、ここでも駅取材する。
終点だけあって、四条大宮のように屋根のついた場所にホームが設置されている。
帷子ノ辻まで戻って駅取材し、留置されているモボ101形を取材する。
この段階で既に3:00p.m.になってしまっていた。

2006/08/23 22:30

※画像:嵐電嵐山駅の足湯 撮影時刻 2005/12/11 13:54:01


  8.Time Trial−旅の終わり

帷子ノ辻で駅取材を終わったのは3:00p.m.を過ぎてしまっていた。
予定では2:30p.m.を撤収期限としていたのだが、
予定よりも30分も押してしまった。
帷子ノ辻で偶然にもモボ21形レトロ調車両を目撃してしまったため、
これはどうしても取材しないわけにはいかなくなってしまった。
嵐電モボ21形は平安遷都1200年を記念して登場したレトロ調車両で、
2両存在するうちの1両、27号車である。
本来なら四条大宮まで戻ってそこで阪急大宮に乗り換えるつもりだったが、
時間がなくなってしまったので、四条大宮の一つ手前の西院まで行き、
そこから阪急西院に乗り換える。
ちなみに嵐電は「西院」と書いて「さい」と読むが、
阪急では「西院」を「さいいん」と読む。
二つの読み方が存在する理由は正確には分からないが、
平安初期、淳和天皇がこの付近に造営した離宮を、
京都御所から見て西の方角に当たるために「西院」と呼んだのがはじめで、
その時は「さいいん」と呼んだらしいが、
この近くに佐比川が流れており、この地を「さい」とも呼ぶようになったとのこと。
公式には「さいいん」と読むのが正しいが、
嵐電では1910年(明治43年)開業当時の「さい」の読み方を踏襲している。
阪急で南茨木まで行き、ここで大阪モノレールに乗り換える。
当然駅取材などしている暇はない。
南茨木駅に到着した段階で4:00p.m.になっていた。
帰りの飛行機は伊丹空港17:00発である。
あと1時間しかない。
16:07南茨木発の大阪モノレールで大阪空港方面に乗り、
終点の大阪空港に到着したのは16:30になっていた。
モノレールは外から見ているとそれなりのスピードが出ているのだが、
中に乗っていると高い位置にあるせいか、かなり遅く感じる。
急いで発券、手荷物検査を受けたが、
ANA034便は東京上空が混雑しているとのことで、出発が遅れていた。
おかげでおみやげを買う余裕も出来た。
搭乗中に5:00p.m.を過ぎてしまう。
今回もまた足下が広い、緊急脱出の時にお手伝いしなければならない席だった。
羽田からは京浜急行でそのまま京成青砥まで行く。
青砥は以前の会社で10年以上通い続けた懐かしい駅である。
京成で船橋まで行き、JRに乗り換えて帰る。

 −撮影データ−

2005.12.10. 撮影 345枚 保存 24枚
2005.12.11._1 撮影 423枚 保存 42枚
2005.10.11._2 撮影 133枚 保存 12枚

 合計    撮影 901枚 保存 78枚 採用率 8.7%

2006/08/23 23:10

※画像:嵐電西院駅の午後 撮影時刻 2005/12/11 15:26:05





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