睦月岡山倉敷純情物語



  1.岡山・倉敷ぐるりんきっぷの旅

それは一枚のパンフレットから始まった。
通勤途中の駅で見つけ、読んでいくうちに今回の企画を思いついた。
それは「岡山・倉敷ぐるりんきっぷ」という企画切符のパンフレットだった。
この切符は往復の新幹線指定席とフリーク間乗り放題がセットになったもので、
フリー区間は山陽本線岡山−倉敷間と瀬戸大橋線岡山−児島間、
それに吉備線岡山−総社間、伯備線総社−倉敷間である。
それにJRだけではなく、岡山電軌軌道も全線乗り放題となる。
この切符は更に関連施設の入場無料券や割引券なども豊富についている。
価格は発着地東京都区内おとな\32,000である。
有効期間は3日間である。
これは使えると思った。
岡山電軌軌道は岡山駅でMOMOを含めて多少の取材をしたが、
これなら全電停取材が出来る。
同じような企画で広島に行った時は1日休暇を取り2泊3日にしたが、
今回は新幹線駅の取材が出来ないし、
在来線の取材対象もそれほど多くないことから、
今回は土日の1泊2日で行くことにする。
日程は当直などの予定を考慮して1月21日土曜日22日日曜日に決定、
ネットで宿泊地を倉敷に絞って検索し東横イン倉敷駅南口に決定、
以下のような計画を立てた。

1月21日(土)

04:56幕張−総武緩行線・下り407B(40)−05:36秋葉原[3]
05:39秋葉原−京浜東北線・南行565A(4)−05:43東京[17]
06:00東京※−東海道・山陽新幹線・下り「のぞみ1号」500系(196/3:16)−09:16広島[18]
09:34岡山※−快速マリンライナー17号3137M(20)−09:54児島[23]
10:17児島−快速マリンライナー20号3140M(22)−10:39岡山[11]
10:50岡山※−吉備線・下り1741D(15)−11:05吉備津[36]
11:41吉備津−吉備線・下り1743D(21)−12:02総社[22]
12:24総社−伯備線・下り1832M(10)−12:34倉敷[59]
13:33倉敷市−水島臨海鉄道・下り33(24)−13:57水島[105/1:45] \310
15:42三菱自工前−水島臨海鉄道・上り48(28)−16:10倉敷市 \330
 ※大原美術館見学
※18:00東横イン倉敷駅南口
 ※チボリ公園夜撮

1月22日(日)

 ※6:20a.m.起床
 ※7:00a.m.朝食
 ※7:30a.m.チェックアウト

07:43倉敷※−伯備線・上り843M(12)−07:55総社[26]
 ※08:11井原鉄道取材
08:21総社−伯備線・下り846M(29)−08:50岡山[507/8:27]
 ※岡山電軌全電停取材
17:17岡山−東海道・山陽新幹線・上り「のぞみ64号」700系(196/3:16)−20:46東京
21:02※東京−総武快速線・下り2169F−21:40千葉

2006/10/04 21:50


  2.雪の朝−旅の始まり

寒い朝だった。
岡山倉敷旅行当日、
4:00a.m.に起床して04:56幕張発の電車に乗ろうと思ったが、
04:40の初電に間に合ったので秋葉原まで行き、
山手線で東京へ。
天気予報では午後から雪という予報だったが、
朝家を出る時に既に雪は降っていた。
凍えるような寒さである。
東京駅に着いてから東海道新幹線ホームに入場する。
東海道新幹線はその第一列車が06:00の「のぞみ1号」で、
早くつきすぎたためにまだ自動改札の準備が出来ていなかった。
係員の合図とともに入場・・・と思ったが、
きっぷが中で詰まってしまい、係員に取り出してもらう羽目になった。
さい先の悪いスタートだ。
ホームに上がると既に「のぞみ1号」の500系は入線していた。
何時見ても500系新幹線はずば抜けたスタイルで異彩を放っている。
車両取材し、東海パッセンジャーズで駅弁「東海道」\850等を購入する。
「温飯」タイプで、おかずと御飯が別々になっていて、
御飯は温めたまま保管されている。
寒い朝には嬉しいサービスである。
自社売店だからこそ出来るサービスであるともいえる。
定刻通り、06:00に東京駅を出発した「のぞみ1号」の車内で、
購入した駅弁を喰い、直ぐに爆睡する。
そのために気が付かなかったのだが、
電光掲示板には「品川〜小田原間は雪のため徐行運転しています」との表示。
名古屋駅を出発したのは11分遅れだった。
東海道新幹線は雪に弱い新幹線といわれている。
特に内陸部を走る米原付近では翌雪の影響でダイヤが乱れる。
しかしまだ東京に近い品川−小田原間で雪の影響が出るとは思いもしなかった。
結局岡山に到着したのも11分遅れだった。

2006/10/05 23:21

※画像:雪の積もる500系新幹線「のぞみ」 撮影時刻 2006/01/21 06:02:48


  3.駅取材開始−瀬戸大橋線と吉備線

岡山駅に到着してまず最初に快速「瀬戸内マリンビュー」を取材する。
新幹線が遅れたために取材できないかと思ったが、何とか間に合った。
快速「瀬戸内マリンビュー」は2005年10月に登場した観光列車で、
呉線に投入された2両編成の気動車である。
自由席1両と指定席1両が連結されている。
“マリンビュー”という車名通り白と青のツートンで、
浮き輪やオールなどが飾られ、一部に丸窓を採用するなど雰囲気作りにも力を入れている。
自由席車両には車両入線前から列が出来ていた。
このあと旅行バッグをコインロッカーに入れて瀬戸大橋線に飛び乗る。
瀬戸大橋線はその名の通り、瀬戸大橋を含むJR西日本とJR四国を繋ぐ路線で、
厳密には岡山から茶屋町間がJR西日本宇野線、
茶屋町から児島間が本四備讃線のJR西日本領域、
児島から宇多津間がJR四国の本四備讃線、
そして宇多津から高松までが予讃線ということになる。
今回の切符ではJR西日本側の境界である児島駅まで行くことが出来る。
瀬戸大橋線には快速「マリンライナー」が投入されていて、
213系時代から高松方の1両がグリーン車扱いの展望車両を連結していた。
2003年10月1日から新型マリンライナーが投入され、
高松方の展望車両がダブルデッカーとなり、1階は普通車扱いになった。
この列車は四国側の3両がJR四国所属の5000系、
岡山側の2両がJR西日本所属の223系5000番台を連結するというユニークなもので、
展望車両であるJR四国5000系5100形は特色ある形をしているものの、
JR四国の5000系5000形と5200形は、
JR西日本の223系5000番台と同一デザインの車両となっている。
快速「マリンライナー」に乗りたかったが今回は時間の都合で普通車に乗って児島まで行く。
ここで降りて駅取材した後に再び岡山まで戻る。
岡山で今度は吉備線に乗り込み、吉備駅を目指す。
吉備線は岡山から総社を結ぶ非電化単線路線である。
吉備線は1904年に中国鉄道によって部分開業した路線で、
1925年には現在の路線が完成した。
戦時中の1944年6月1日に国有化され、現在はJR西日本の路線となっている。
JR西日本オリジナル塗色のキハ40で吉備駅に向かって出発した。

2007/01/15 23:39

※画像:瀬戸大橋線児島駅 撮影時刻 2006/01/21 10:21:02


  4.吉備津彦命と桃太郎伝説

JR吉備線で吉備津駅まで行き、吉備津神社を参拝する。
吉備津神社は第七代孝霊天皇の皇子の吉備津彦命を祀っている。
吉備津彦命は桃太郎のモデルになったとされる。
日本書紀によれば北陸、東海、西道、丹波を平定した四道将軍のひとりとされ、
吉備津彦命は山陽道に派遣され、吉備を平定していった。
四道将軍は他に大彦命(おおびこのみこと)、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、
丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)がいる。
吉備津彦命は第7代孝霊天皇と倭国香媛の間に、
大和黒田盧戸宮(現・奈良県磯城郡田原本町)で生まれた。
四道将軍として稚武彦命と共に山陽道に沿って吉備国を制圧していった。
この事が吉備津神社に伝わる言い伝えでは、
地元を荒らしていた鬼ノ城に住む温羅(うら)を、
犬飼健、楽々森彦、留玉臣という三人の家来と共に打ち破り、
温羅の祟りを鎮めるためにその首を神社の釜の下に封じたとされている。
吉備津神社では温羅の首を封じたという釜で吉兆を占う鳴釜神事というのがある。
神官とこの神事に使える阿曽女(あぞめ)という女性が、
釜に水を張り、湯を沸かして釜の上のセイロに器に入れた玄米を振ると、
鬼のうなるような音が鳴ってその音の大小で占うというものだそうである。
阿曽女(あぞめ)とは生前、温羅が寵愛した女性とされ、
鬼ノ城の麓に阿曽の郷があり、代々この郷の娘が奉仕しているのだという。
鬼ノ城に住む温羅を退治する時に随行した3人の家来、犬飼健、楽々森彦、留玉臣。
このエピソードが“桃太郎”の原型になったのだろう。
「犬飼健(いぬかいたける)」から“犬”は容易に連想できるし、
「楽々森彦(ささもりひこ)」の“ささ”から“さる”が連想され、
「留玉臣(とめたまおみ)」は“鳥取部(ととりべ)”という部族の長であり、
弓矢を使って鳥類を狩猟する部族であったことから“雉”が連想されたのであろう。
鬼ノ城に住む“温羅”は一説には百済人となっているが、
或いはもっと南方系の人種かもしれないと思う。
いずれにしろ、当時の日本人が自分たちとは明らかに人種が違う種族を見て、
そこから“鬼”を連想したのは容易に推測できる。
この伝承に興味があって、時間を割いて吉備津神社まで行った。
吉備津神社は独創的な造りから吉備津造りなどと呼ばれ、国宝に指定されている。
残念ながらその後の日程が詰まっているため、
ゆっくりと本殿を見学する時間はなかったが、
それでも時間を割いて吉備津神社まで来た甲斐は充分にあった。

2007/01/19 23:14

※画像:吉備津神社の山門 撮影時刻 2006/01/21 11:35:28


  5.総社だそうじゃ−井原鉄道の入線

吉備津駅で降りて吉備津神社に向かい、
戻ってから次の列車が車で吉備津駅で駅取材する。
吉備津駅は無人駅で単線の吉備線が列車交換できるように、
ホームは2面2線の相対式になっている。
吉備津彦命は倭武命などと並び、国造りに貢献した神であり、
皇族にとっては崇拝すべき対象なのだろう、
こんな無人駅にもかかわらず、
「明治天皇御駐車跡」とか「攝政宮殿下御駐車跡」などという石碑も建っていた。
吉備津から11:41の吉備津線・下りで総社まで行く。
総社で駅取材する。
ここには“雪舟”の石像があった。
雪舟といえば幼少時に寺に入ったが経を読まずに絵ばかり描いていたため、
和尚さんに仏堂に縛られてしまったが、
こぼれた涙を浸かって足の指で鼠を描き、
それがあまりにも素晴らしかったために絵を描くことを許されたというエピソードが有名。
石像には「雪舟さんは総社市赤浜で生まれました」と書かれている。
また高木聖鶴の書による「黒媛の歌」のモニュメントもある。
黒媛は吉備では美人で有名で仁徳天皇が宮中へ呼び寄せたが、
后の磐之媛命(いわのひめのみこと)の嫉妬で宮中都にいられなくなり、
また吉備に戻った。
しかし仁徳天皇はどうしても黒媛に逢いたくて、
わざわざ吉備まで逢いに行ったというエピソードが残っている。
「黒媛の歌」には「やまとへに西風ふきあけて雲離れ 退きおりとも我忘れめや」とある。
このあと一端倉敷まで出て、水島臨海鉄道の取材をしようと思ったのだが、
ちょうどそこに井原鉄道のIRT355形が入線してきた。
井原鉄道は旧日本鉄道建設公団の建設線であった井原線を運営する、
岡山県、広島県などが出資する第三セクターである。
井原鉄道の車両はIRT355形という中途半端な形式名だが、
これは「井原鉄道の車両」を意味する「Ibara railways Train」の頭文字と、
この気動車の出力355PSから来ているそうである。
明日取材する予定の車両を今日取材してしまったため、
明日は井原鉄道の取材をせずに、
まるまる一日岡山電軌の取材に当てられるなと思った。

2007/03/13 23:26

※画像:「黒媛の歌」の石碑 撮影時刻 2006/01/21 12:28:46


  6.鉄道貨物輸送の生きる街

12:24の伯備線で倉敷までで倉敷で駅取材をしたあと、
南口駅前のビルの地下にある「れんが屋」でハンバーグランチ喰う。
ここの地下は飲食店街になっていたが、
その半数以上はシャッターを下ろしていて、
それがかえってここに入り辛くしている。
昼食後に水島臨海鉄道倉敷市駅に行き、
ここから水島駅まで行く。
倉敷市駅は地上ホームだが、そこから直ぐに高架に上がり、
その先ずっと高架区間を走っていく。
水島臨海鉄道は1970年2月2日に、
国鉄や倉敷市などの出資により設立された第三セクターである。
現在でもJR貨物と倉敷市が筆頭株主になっている。
旅客営業を行っている水島本線倉敷市−三菱自工前以外にも、
水島本線三菱自校前−倉敷貨物ターミナル間、
港東線水島−東水島間、西埠頭線三菱自工前−西埠頭間の貨物専用線を持つ。
最初に路線が敷設されたのは戦時中の1943年6月30日のことで、
三菱重工水島航空機製作所専用線として開業し、
戦後にを水島工業都市開発に移管された。
三菱重工航空製作所は戦時中、名機「紫電改」などを製造した工場である。
軍需工場専用路線としてスタートし、戦後も貨物線として存続したが、
1948年8月20日に旅客営業を開始した。
1952年4月1日には全路線が倉敷市に譲渡され、
倉敷市交通局運営の市営鉄道となった。
1970年4月1日に乗り入れをする国鉄と倉敷市などによる出資で、
水島臨海鉄道が設立されて全路線が移管された。
旅客営業は倉敷市−三菱自校前間だが、
終点の三菱自校前まで行く列車は通勤時間に限られ、その多くは水島で折り返す。
そこで今回は下りは水島まで行き、そこから徒歩で三菱自校前まで移動し、
三菱自校前からの列車を待って倉敷市に戻ることにした。
13:33倉敷市発の列車で13:57に水島に着き、ここで駅取材してから三菱自校前を目指す。
地図をプリントアウトするのを忘れてしまい、
高架線をたどりながら三菱自工前を目指すが、
途中で貨物専用線が分岐するために余計迷ってしまった。
それでも何とか三菱自工前までたどり着いた。
しかしここは駅名からも分かるとおり完全に三菱自動車の通勤用の駅であり、
周囲には民家も商店も全くなかった。
時間は1時間45分とたっぷり取ってあったので、
・・・と云うよりは15:42にならないと三菱自工前からの列車がなかったので、
迷子になって時間をロスしたがそれでもまだ列車到着まで1時間以上の時間があった。
そこで予定にはなかったが再び水島駅まで歩くことにした。
途中貨物専用線にはディーゼル機関車にひかれた貨物車が何度か目撃した。
全国的に貨物輸送が低迷する中で、
ここではまだ貨物輸送が生きているのだなと思った。
水島から14:59の列車で倉敷市に戻った。

2007/03/14 22:25

※画像:水島臨海鉄道三菱自工前駅 撮影時刻 2006/01/21 14:52:43


  7.倉敷の夜と朝

予定では15:42三菱自工前の列車で倉敷市に戻り、
そのあと大原美術館を見学して、
6:00p.m.に東横イン倉敷駅南にチェックインすることになっていた。
しかし水島まで歩いて乗った列車は水島発14:59で、
予定していた列車より2本速く、
倉敷市到着も16:10が15:22には着いてしまった。
そこで予定を変更して中庄駅を取材することにした。
中庄は倉敷から山陽本線上りに一つ行ったところにある駅で、
倉敷マスカットスタジアムの最寄り駅である。
倉敷マスカットスタジアムはフランチャイズにしている球団はないものの、
オープン戦などではプロ野球の試合などが行われる球場である。
再び倉敷に戻り、ホテルに電話してからチェックインする。
到着予定を18:00で連絡していたので、
2時間近く早く着くことになるためだ。
チェックイン時に受付の人に勧められて、4&5クラブカードに入会する。
部屋で少し休んで再び出掛ける。
「岡山・倉敷ぐるりんきっぷ」は往復の新幹線指定席とフリーエリア乗り放題のほかに、
15観光施設入場券が着いている。
倉敷チボリ公園、大原美術館、児島虎次郎記念館、大橋家住宅、倉紡記念館、
アイビー学園、倉敷貯金箱博物館、日本郷土玩具館、いがらしゆみこ美術館、岡山後楽園、
岡山県立美術館、岡山城、鷲羽山ハイランド、鷲羽山吹上温泉鷲羽ハイランドホテル、萩野美術館。
夜は倉敷チボリ公園に行って夜撮の練習をしようと思ったが、休園中だった。
そこで美観地区に行って夜撮をした。
そのあと昼間行った倉敷シティプラザ西ビル地下に行き、
「きくや」というトンカツ店には行って夕食を喰う。
このあとLAWSONでビールやつまみなどを買ってホテルに戻り、
シャワーを浴びてから飲み出す。
しかし疲れのためか途中で寝てしまい、2:00a.m.頃起きて再び飲み出す。
それでも6:20a.m.には起床して7:00a.m.から朝食を喰う。
朝食のパンをトースターで焼いていて焦がしてしまった(^_^;)
予定では伯備線で総社に行って井原鉄道の取材をすることになっていたが、
昨日偶然取材できてしまったため、少しホテルでゆっくりする。
「マジレンジャー」と「仮面ライダー響鬼」を観てしまう。
おいらがこどもの頃はこの手の番組は土曜夜と決まっていたが、
最近は日曜日の朝にやっているらしい。
その方がこどもは早起きになるのかもしれないが・・・。
倉敷から岡山まで山陽本線で移動して、岡山電軌を取材する。

2007/03/14 23:18

※画像:倉敷美観地区の夜 撮影時刻 2006/01/21 18:04:06


  8.岡山電軌全電停取材午前の部

岡山についてコインロッカーに旅行用バッグを預け、
いよいよ岡山電軌の全電停取材を開始する。
「岡山・倉敷ぐるりんきっぷ」のフリーエリアには、
岡山電気軌道全線も含まれている。
今回このたびを企画したのも、実は岡山電軌を取材したかったからだ。
岡山電気軌道は明治時代に設立された会社で、
設立当時から現在まで社名変更されていない珍しい会社である。
岡山電気軌道は1910年6月9日に設立され、
1912年に内山下線、内山下支線を開業、
1921年には番町線、1923年には旭東線が相次いで開業した。
1928年に柳川線、1946年には清輝橋線が開業した。
清輝橋線開業と同時に柳川線を清輝橋線に編入する。
ここまでは相次いで路線を延ばしていったが、
1968年6月1日には番町線が廃止され、
内山下線、旭東線を統合して東山本線とし、現在の形になる。
2002年、岡山県出身の水戸岡鋭治氏のデザインで、
超低床車「MOMO」を導入して話題になった。
その一方で3000形を真っ黒に塗色した「KURO」も人気を博している。
路線は岡山駅前から東山に至る東山本線と、
柳川から分岐して清輝橋に至る清輝橋線があるが、
運行に関しては清輝橋線も岡山駅前から直通する。
まずは最初に東山まで行き、ここで少し車両取材する。
岡山電軌の象徴とも云える9200形「MOMO」を早速取材した。
それから留置中の3000形「KURO」も取材できた。
柳川、清輝橋、岡山駅前と取材する。
ここで既に11:30a.m.なので、少し早めに昼食を取ることにした。

2007/03/14 23:33

※画像:岡山電軌3000形3007号車「KURO」 撮影時刻 2006/01/22 10:21:45


  9.岡山電軌全電停取材午後の部

岡山駅前電停まで戻って、
岡山駅までの地下通路にある飲食店街の中で「陣山ラーメン」に行く。
ここは以前岡山で宿泊した時に夕食に行ったことがある場所で、
半熟煮玉子ラーメン\700、爆発餃子\380喰う。
0:00p.m.から再び岡電取材を開始する。
西大寺町、西川、田町、大雲寺前、新西大寺町筋、郵便局前、
折り返して門屋屋敷、城下、小橋、歩いて中納言と行き、
再び東山で車両取材する。
城下で下車した時に岡山城まで歩いて城の写真も撮る。
「岡山・倉敷ぐるりんきっぷ」では岡山城に入場することも出来るのだが、
岡電取材を優先して城の写真を撮るだけに留めた。
今回は3000形3005号車が出番がなかったので、
車両基地の中に止まっている車両を撮ることにした。
3000形3005号車は東武鉄道から譲渡された車両で、
東武鉄道当時の塗色に戻されている。
「KURO」も3000形だが、こちらの方がよりクラシックな感じがする。
岡電全電停を取材して、車両取材も大まかに終了したところで、
9200形「MOMO」が来るのを待って、
これで岡山駅前まで戻ることにする。
「MOMO」は岡山出身の水戸岡鋭治氏のデザインで、
超低床車が流行っている日本の路面電車の中でも、
その奇抜なデザインと「MOMO」という愛称で存在感を示している。
岡電の運転手も制服の背中に「MOMO」のデザインが書かれている。
少し早めに帰りの新幹線の1時間前には岡山駅に到着する。

2007/03/21 18:58

※画像:烏城とも呼ばれる漆黒の岡山城 撮影時刻 2006/01/22 14:27:26


  10.さよならMOMO−旅の終わり

岡山駅に入場して新幹線の時間まで在来線の車両取材する。
岡山駅は瀬戸大橋線の事実上の始発駅にもなっているため、
JR四国の車両も顔を出す。
そのため市や両取材には事欠かない駅と云える。
381系振り子式特急「やくも」、
8000系電車特急「しおかぜ」、
117系快速「サンライナー」、
2000系気動車特急「南風」、
5000系+223系5000番台快速「マリンライナー」など取材する。
コインロッカーで預けていた荷物を受け取り、
おみやげなどを買って新幹線の改札をくぐり、駅弁を購入して新幹線に乗り込む。
購入した駅弁は「桃太郎の祭ずし」。
以前にも購入して特急「やくも」で岡山から出雲市に行く車中で食べたことがある。
しかし揺れる車中で取材したため、
画像が全てピンぼけになってしまった。
さすがに自然振り子式の381系の車中だけのことはある。
そこで今回画像を得るために再び購入した。
弁当の包みの裏には以下のように書かれていた。
「岡山名物 まつりずし
 江戸時代の初め 備前と呼ばれていた岡山を 治めていたのは 池田光政というお殿様でした。
その頃 岡山の財政は けっして豊かではなかったので
このお殿様は いろいろな倹約令をお出しになりました。
 そのひとつが 毎年おこなわれていたお祭りのお神輿やお囃子の廃止で、
さぞかし これでは お祭り気分も何もあったものではなかった事でしょう。
 備前の喰い祭札といって ちらし寿司を作って お客に振る舞う事が
お祭りの一番の楽しみになってしまったのです。
 そんなものですから お祭りの時のちらし寿司は 年々豪華になる一方。
しまいには、一升の ちらし寿司を拵えるのに、一両もの大金を惜しげもなくかける商人も出て
寿司一升、金一両とまで 云われるようになりました。
 地元では ちらし寿司の事を 岡山寿司とか ばら寿司などと呼んでいますが
私共では このちらし寿司が お祭りとは 切っても切れないものであると云うところから
祭ずしと命名させていただき、現在では 広く全国の皆様に ご賞味いただいております。」
弁当を喰って車中で爆睡して、予定通り東京に到着する。
21:04東京始発の佐倉行きに乗って千葉まで行き、
ちょっと小腹が空いたので「万葉軒」で玉子うどん\280喰い、
22:04の御茶ノ水行きに乗って帰る。

2007/03/21 20:12

 撮影データ

2006.01.21._1 撮影 432枚 保存 35枚
2006.01.21._2 撮影 225枚 保存 15枚
2006.01.22._1 撮影 452枚 保存 35枚
2006.01.22._2 撮影 123枚 保存 8枚

 合計     撮影 1,232枚 保存 93枚 採用率 7.5%

※画像:岡電超低床車9200形「MOMO」 撮影時刻 2006/01/22 16:00:34





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