文月北海道純情物語2006



  1.日本一周の旅

今勤めている会社には永年勤続表彰という制度があって、
勤続20年で15万円、30年で20万円の旅行券と、
リフレッシュ休暇がもらえる。
まだ勤続20年には数年あるが、
上司が今年30年表彰で何処に旅行に行くか悩んでいて、
「おいらだったら、日本一周に行きますね」と答えたのだ。
この権利を取得するのはまだ先だが、
実際日本一周をするとしたらどうなるのか、
「駅から時刻表」などを使って計画を立ててみた。
計画立案に当たっては、
日本の最北端の駅、宗谷本線稚内駅と、
日本の最南端の路線の終着駅、指宿枕崎線枕崎駅を目指す。
最南端の駅は指宿枕崎線西大山駅だが、
ここは既に取材済みなのでまだ行ったことのないその先まで行ってみることにする。
日本一周というと移動距離が長いので、
限られた時間の中で大木の距離を移動するために、
積極的に夜行列車を利用する。

前日

22:00東京※−寝台特急「サンライズ瀬戸」−

 ※車中泊

1日目

 −寝台特急「サンライズ瀬戸」−07:26高松
07:35高松※−特急「いしづち5号」−10:05松山
10:11松山※−特急「宇和海5号」−10:57八幡浜
12:45八幡浜港※−九四オレンジフェリー104便−15:00臼杵港
15:49臼杵−特急「にちりん17号」−18:36宮崎
18:57宮崎※−特急「きりしま15号」−21:03鹿児島中央

 ※鹿児島中央ホテル泊

2日目

07:53鹿児島中央−特別快速「なのはなDX1号」−09:13山川
11:43山川−指宿枕崎線・下り5329D−12:51枕崎
13:05枕崎※−指宿枕崎線・上り5330D−14:19指宿
14:32指宿※−指宿枕崎線・上り1348D−15:51鹿児島中央
16:16鹿児島中央※−九州新幹線「つばめ54号」−17:03新八代
17:06新八代※−特急「リレーつばめ54号」−18:52博多

 ※博多ホテル泊

3日目

08:28博多※−山陽新幹線「のぞみ10号」−10:51新大阪
11:09新大阪−東海道本線(京都線)・下り3439M−11:13大阪
12:00大阪−寝台特急「トワイライトエクスプレス」−

 ※車中泊

4日目

−寝台特急「トワイライトエクスプレス」−09:07札幌
12:20札幌※−特急「サロベツ」−17:44稚内
18:02稚内※−特急「スーパー宗谷4号」−23:01札幌

 ※札幌ホテル泊

5日目

08:34札幌※−特急「スーパー北斗6号」−11:53函館
12:53函館※−特急「スーパー白鳥24号」−15:50八戸
16:05八戸※−東北新幹線「はやて24号」−19:08東京

この計画では移動距離を稼ぐために2本の長距離夜行列車を使用している。
また日本縦断ではなくあくまでも一周に拘ったため、
極力行きと帰りが同じルートを通らないようにした。
「サンライズエクスプレス」と「トワイライトエクスプレス」は、
山科−大阪間が同じ東海道本線を使用することになるが、
後は青森まで同じルートはない。
北海道に関しては現存している路線が周遊ではなく、
原則的に札幌から放射線状に延びる路線しか残っていないため、
別ルートというのは難しい。
旭川から富良野線経由で根室本線に出るというルートも、
無理すれば出来るがあまり意味がない。
しかしこれは数年先の絵空事の計画を立てたひとり遊びである。
しかしこの計画を立てているうちに、
今年の夏休みはまた北海道に行ってみようかなという気持ちに傾いていた。

2006/05/07 01:44


  2.北海道旅行計画−チケット入手失敗と代替案

航空会社大手二社にはバーゲン型運賃というものがある。
期間限定で破格の運賃を各便に何席ずつか用意するもので、
JALでは「バーゲンフェア」、ANAでは「超割」と呼ばれている。
各社ともこの期間は同じで、7月では21日金曜日から23日日曜日が設定されている。
そこでこの期間に北海道2泊3日の旅を企画することにした。
今の会社は“お盆休み”という統一の休暇はなく、
夏期休暇として7月と8月の間で2日間の所定休日を取ることになっている。
そこでこの2日分の権利のうち、1日分を使って7月21日金曜日に休暇を取り、
2泊3日で北海道に行ってこようと思う。
北海道を2泊3日というのは、鉄道事情を考えればかなりの強行日程になるが、
往復の飛行機がこの期間しか取れないのであれば仕方がない。
今回の旅行ではまず釧網本線北浜駅を取材する。
ここは駅マニアであれば一度は訪れておかなければならない有名な駅である。
もっともオホーツク海に近い駅として旅行雑誌などでも時々紹介されている。
九州の嘉例川駅と同様、ここは押さえておきたい駅である。
更に一昨年の北海道取材では時間がなくてお座なりの取材になってしまった宗谷本線の、
音威子府と稚内の再取材も試みたい。
日本最南端の駅、指宿枕崎線の西大山駅は取材済みなので、
是非、日本最北端の駅、宗谷本線の稚内もきちんと取材したい。
また、これも一度は取材してみたいと思っていた函館発のSL列車、
「SL函館大沼号」も完乗してみたいと思う。
そこで次のような計画を立てた。

7月21日(金)

06:55羽田空港−ANA4771便−08:35女満別空港
08:50女満別空港−網走バス−09:20網走駅
10:01網走※−釧網本線・下り快速「しれとこ」−10:14北浜
11:51北浜−釧網本線・上り快速「しれとこ」−12:05網走
13:29網走※−特急オホーツク6号−17:11旭川
17:45旭川−宗谷本線331D−19:18名寄

 ※名寄一泊

7月22日(土)

07:50名寄−宗谷本線・下り4325D−08:52音威子府
09:40音威子府−宗谷本線・下り4327D−11:59稚内
13:45稚内−特急サロベツ−19:08札幌
19:22札幌−スーパー北斗22号−22:42函館

 ※函館一泊

7月23日(日)

09:52函館※−SL函館大沼−11:13森
13:25森※−SL函館大沼−15:20函館
17:30函館JALシティ−函館帝産バス−17:50函館空港
18:35函館空港−ANA864便−19:55羽田空港

北浜を取材して当日移動で名寄まで行くには、女満別空港に降りるしかない。
またSL函館大沼を楽しむためには当日移動では厳しいので、
無理して前乗りする必要がある。
そこでこういうような結果となった。
そして飛行機のチケットを取るのだが、
ANAマイレージクラブの会員には、一般発売の前に先行予約というシステムがある。
だいたいこの先行期間でほとんどの「超割」は売り切れてしまうのである。
しかし今回この先行発売期間は、丁度九州旅行のまっただ中であった。
そこで旅行先から携帯でANAのホームページにアクセスして、予約を入れることにした。
しかし九州旅行中の肥薩線の車中からアクセスしたところ、
06:55羽田発のANA4771便女満別空港行きが満席だった。
或いは最初から設定がなかったのかもしれない。
いずれにしろ、これではどうしようもない。
他の空港からではこの日程を組むことは出来ない。
どうしてもこの便に乗らなければならないのだ。
この段階で北海道旅行の計画は中止になってしまった。
旅から戻っていろいろと模索したが、ANAでもJALでも予定は組めなかった。
しかし折角休みを取得したのだから、代替案として大阪旅行を計画した。
これななら充分に席が空いている。
7月の北海道旅行は2泊3日関西旅行に変更になった。

2006/07/20 01:36


  3.新たなる希望−再びの北海道旅行計画

北海道旅行の代替案として大阪を中心とした関西旅行を計画した。
これは以前に使ったスルッとKANSAIの2dayカードを使って、
関西の私鉄取材を再度試みることにした。
今回は2泊3日なので同じ効力の3日用の3daysカードを使用することにする。
これは\5,000でスルッとKANSAI参加の関西私鉄が乗り放題というもので、
大阪はもちろんのこと、京都、奈良、神戸、和歌山と利用エリアも広いし、
まだまだ未取材の車両や駅は多い。
そこで「超割」で以下のような便をキープした。

7月21日金曜日 07:35羽田−ANA141便−08:50関空
7月23日日曜日 17:00伊丹−ANA034便−18:10羽田

前回、去年12月に1泊2日で関西取材した時は高野山、比叡山を中心に、
南海電鉄、近鉄、叡山電車、嵐電などを取材したが、
予定していた奈良エリアの取材は時間切れで出来なかった。
そこで今回は大まかに7月21日金曜日は奈良エリアの近鉄中心、
22日土曜日は神戸エリアの阪神、山陽電鉄中心、
23日日曜日は京都エリアの京阪とJRでの車両取材に当てる。
このチケットの購入期限は5月25日であった。
インターネットからチケットレス決済をしようと思っていたが、
ネットに接続してANAのホームページにアクセスして、ふと、思いついたことがあった。
北海道旅行の06:55羽田空港発−08:35女満別空港着のANA4771便は、
エアドゥとのコードシェア便である。
エアドゥといえば格安の北海道便を提供している新興航空会社だ。
エアドゥでチケットの購入は可能かどうか調べてみる価値がある。
検索したホームページにアクセスして、
エアドゥスペシャルという、格安の料金設定があることを知り、
ANA4771便はエアドゥでは071便で設定されていて、
しかもまだ座席が残っている。
これを見て再び北海道旅行に望みが出てきた。
この便をエアドゥスペシャルで\12,150で購入し、同時にチケットレス決済する。
しかし帰りの函館便は既にソールドアウトで、新千歳便もない。
そこで同じ格安料金の新興航空会社であるスカイマークエアラインズにアクセスし、
何とか新千歳便の最終である、
21:10新千歳発−22:45羽田着の730便を“前割1”という割引料金で\14,000で購入した。
こうして今回はJALでもなくANAでもない、
今まで一度も利用したことのない航空会社での往復で、
再び北海道旅行を計画することになった。

7月21日(金)

04:40幕張−総武緩行線・上り461B(40)−05:20秋葉原[3]
05:23秋葉原−京浜東北線・南行403A(10)−05:33浜松町[9]
05:42浜松町※−東京モノレール(24)−06:06羽田空港第2ビル[49]
06:55羽田空港−ADO071便(100/1:40)−08:35女満別空港[15]
08:50女満別空港−網走バス(30)−09:20網走駅[41] \880
10:01網走※−釧網本線・下り快速「しれとこ」3727D(13)−10:14北浜[43]
10:57北浜−釧網本線・下り4729D(10)−11:07浜小清水[35]
11:42浜小清水−釧網本線・上り快速「しれとこ」4729D(23)−12:05網走[84/1:24]
13:29網走※−特急オホーツク6号(222/3:42)−17:11旭川[120/2:00]
19:11旭川−スーパー宗谷3号(53)−20:04名寄

 ※Bird INNチェックイン

7月22日(土)

07:50名寄−宗谷本線・下り4325D(62/1:02)−08:52音威子府[48]
09:40音威子府−宗谷本線・下り4327D(139/2:19)−11:59稚内[106/1:46]
 ※兜沼11:24-28(4)
13:45稚内−特急サロベツ(323/5:23)−19:08札幌[14]
19:22札幌−スーパー北斗22号(200/3:20)−22:42函館

 ※東横イン函館駅前朝市チェックイン

7月23日(日)

09:52函館※−SL函館大沼(81/1:21)−11:13森[132/2:12]
13:25森※−SL函館大沼(115/1:55)−15:20函館[83/1:23]
 ※大沼公園14:37-42(5)
16:43函館−スーパー北斗17号(153/2:33)−19:16南千歳[11]
19:27南千歳−快速エアポート186号(4)−19:31新千歳空港[39]
21:10新千歳空港−SKY730便(1:35)−22:45羽田空港
23:10羽田空港−東京空港交通(75/1:15)−0:25JR津田沼駅南口 \1,200

23:59津田沼−総武緩行線・下り2328B−00:04幕張
00:16津田沼−総武緩行線・下り2342B−00:22幕張
00:25津田沼−総武緩行線・下り2348B−00:31幕張
00:47津田沼−総武緩行線・下り2404B−00:52幕張
01:16津田沼−総武緩行線・下り2458B−01:12幕張

名寄泊ではネットで調べてBird INNというところを予約する。
名寄は一昨年の北海道旅行でもいったことがあるが、
寂れている印象のある街だった。
チェーンのホテルはなく、ネット上では3件くらいしか検索できなかった。
ホームページ上ではシングル\5,775となっていたが、
予約完了のメールには、
「7月21日(金)(ご宿泊1泊)翌22日のご出発にてご予約承りました。
シングルのお部屋(禁煙室)をご用意させていただきます。
ご料金¥6,300となります。」となっていた。
\6,300はダブルの料金だと思うのだが・・・。
まあ、それでも安いので特にクレームはつけないことにする。
ほかに行くところもないし・・・。
函館では東横インの函館駅前朝市の方に予約した。
前に函館に泊まった時は函館大門の方に泊まったが、
実際に行ってみて函館駅前朝市の方が近いことが分かったので、
今回はこちらに予約を取った。
また今回は最終便ということで羽田空港から初めてリムジンバスを利用することにする。
今までは池袋から新宿経由の定期券があったので、
これに接続する形でなるべく交通費を浮かすようにしていたが、
今は東京方面の定期券がないので、全額実費となる。
駅すぱあとで調べてみると、
東京モノレール経由で浜松町からJRに乗って帰ってくると1時間28分で\1,010、
京急からそのまま京成で船橋まで来て、
ここでJRに乗り換える方法で1時間39分で\1,170となる。
リムジンバスは東京空港交通のホームページによると津田沼線で、
45分から75分で\1,200となっている。
津田沼から別に\150かかるが、それでも直接乗り換えずに行けるのは楽である。
調べたところ、75分かかっても最終電車には間に合いそうである。
日曜日だからそれほど混まないと思うし・・・。
大阪便の「超割」の予約は敢えて期限切れで流してしまい、
2件のホテルも予約し、
また1ヶ月前になって北海道フリーパス\23,750を購入し、
特急とSLの指定席も取る。
全て予定通りに指定席も取ることが出来、あとはいよいよ実行するだけとなった。

2006/07/24 23:32


  4.大空と大地の中で−旅の始まり

旅の始まりは雨だった。
昨日までの天気予報では朝のうちはまだ雨は降らないと云っていたが、
玄関を出ると雨が降っていた。
しかし傘を差すのは面倒だったのでそのまま駅に向かう。
本来なら傘を差すほどの雨だったが、
長い傘は旅行中に邪魔になるし、折りたたみ傘を探す暇はなかった。
7月21日金曜日、この日所定休日(夏期休暇)を取り、
4:00a.m.に起床し、眠気を堪えながら04:40の上り電車に乗り込む。
総武緩行線朝一番の上り電車は04:31に千葉駅を出る。
幕張駅には04:40に到着する。
この電車に乗って羽田空港を目指す。
秋葉原から京浜東北線で浜松町まで行き、東京モノレールで羽田空港第2ビルへ。
今回はエアドゥを利用するが、
サービスカウンターはANAと同じなので、
ANAの自動発券機でチケットを受け取り、手荷物検査へ。
手荷物検査の列の10人くらい前に石ちゃん(ホンジャマカの石塚英彦)がいた。
飛行機までの移動はバスで、手荷物検査後に1階に下りる。
ここで空弁を買って朝食にしようと思っていたが、まだ入荷していなかった。
とほほ・・・。
ベンチで持参したポッキーを喰って空腹を紛らし、時間まで待ってバスに乗り込む。
まだ雨は降り続いていた。
乗り込んだエアドゥ071便の飛行機はシートが3+3という小さいもので、
機内モニターもない。
救命胴衣の使い方などはキャビンアテンダントが実演していた。
離陸して分厚い雲を抜けると上空は青空だった。
雨を降らしている分厚い雲の上を下に見ていると、正しく雲の絨毯という感じだった。
ドリンクサービスのスープは、コンソメでなくオニオンスープだった。
北海道便の会社らしく、北海道北見産の玉葱を使用している。
少し遅れて女満別空港に到着するが、連絡バスはちゃんと待っていてくれた。
網走駅行きの連絡バスは乗客が7人しかいなかった。
みんな北見駅行きに乗ったのだろう。
空港の近くには選挙ポスターがまだ残されていて、その中に「新党大地」のものもあった。
自民党を追われた鈴木宗男氏が設立した北海道限定の政党で、
同じ足寄出身の松山千春が全面支援している。
そのポスターを見た瞬間から、頭の中では「大空と大地の中で」がリフレインしていた。
空港に下りた時は曇天ながら雨は降っていなかったが、
網走駅に近づくと雨が降り出していた。
昨日までの天気予報では全国的に雨の中、
北海道だけはこの三日間とも晴れの予報だったのだが、思ったよりも良くない。
雨の中を網走駅でバスを降り、まずは駅の立ち食い蕎麦で天ぷらうどん\370喰う。
本日初めてのまっとうな食事である。
朝食を喰っている間に雨はほとんどや見かけ、
駅取材をしてから改札を潜る。
北海道フリーきっぷに初めて鋏が入る。
最近はスタンプだけれども・・・。
そしてホームで車両取材などをしてから、10:01発の釧網本線快速「しれとこ」に乗り込む。
この列車が駅を出る頃にはもう雨は上がっていた。

2006/08/03 23:20

※写真:釧網本線キハ54形快速「しれとこ」 撮影時刻 2006/07/21 09:52:02


  5.オホーツク海に一番近い駅−北浜

10:01に網走駅を出たキハ54形気動車は13分で北浜駅に到着する。
北浜はオホーツク海に一番近い駅として、
旅行雑誌などにも紹介されている有名な駅である。
今回の旅行ではどうしてもこの駅を取材しておきたかった。
女満別空港に拘ったのもこの駅の取材が目的だったからだ。
駅に到着すると木材を組み合わせて作った簡易な塀の向こうはもう海だ。
駅に隣接して展望台もあり、
冬になるとここから流氷を観測することも出来る。
またかつて有人駅だった時代の駅事務所は今、「停車場」という名の喫茶店になっていて、
取材時はまた開店前だったが、
次の列車が来るまでここでお茶や食事をするのが通な北浜の楽しみ方であるという。
座席も旧型客車のボックスシートを流用するなど、雰囲気も良いらしい。
そして待合室にはいつからかここに旅をした人が名刺や定期券を壁に貼り出し、
それが今や壁だけに留まらず、天井までに至っている。
どうやって貼ったのだろう・・・。
網走から乗った気動車でこの駅で降りたのは自分を含めて二人だったが、
43分の滞在時間で2組の旅行客がクルマでこの駅を訪れた。
九州の嘉例川駅ほどではないが、
この駅も駅そのものが観光地になっていることを実感した。
北浜から10:57発の列車に乗って2つ隣の浜小清水に行く。
ここは立派な駅舎があったが、
下りてから気が付いたのだがここはJRの駅というよりは、
「道の駅」にJRが間借りしているといった方が正確で、
駅の待合室はホームと駅舎の間のわずか3席のベンチだけである。
しかし道の駅は観光資源の紹介ビデオが繰り返し流され、
軽食コーナーやお土産物の売り場も充実していて、
更に隣接するスーパーにも客が来るので結構賑わっている。
35分の取材を終えて網走駅に戻る。
戻る途中で原生花園臨時駅を見て、ここで下車すれば良かったと思った。
浜小清水の観光資源紹介ビデオにも原生花園が映されていて、
この臨時駅を取材対象にするべきだったとちょっと後悔した。
今度釧網線を取材する時は原生花園を取材しよう。
更に今回は網走まで戻ったが、そのまま釧路を目指すのも面白い。
日本最東端の東根室も取材したいし、また釧網線を撮りに来よう。
11:42浜小清水発の上りの快速「しれとこ」で網走に戻り、ここで昼食を喰う。
網走駅の売店で「磯宴」シリーズの“うに・いくら”\1,360と、
サッポロ・クラシック350ml\230を買い、待合室のベンチで喰う。
「磯宴」シリーズは網走駅に売店を出しているモリヤ商店の駅弁で、
注文を受けてから併設されている軽食コーナーの厨房で作るという、
完全注文生産の駅弁である。
そのため直ぐ喰えばまだ暖かい弁当を喰う事が出来る。
多少割高だったがその分美味い。
「磯宴」シリーズはいくらとの組み合わせで蟹や鮭などのメニューがある。
美味い弁当を喰って再度網走駅の駅取材をしてから、
13:29網走駅発の特急「オホーツク6号」に乗り込む。
特急「オホーツク」は札幌と網走を結ぶ石北本線の特急で、
キハ183形の国鉄時代から使われている車両が従事している。
この列車に乗って旭川を目指す。
旭川までの乗車時間は3時間42分である。

2006/08/06 19:03

※写真:北浜駅全景 撮影時刻 2006/07/21 10:37:54


  6.元祖旭川ラーメン「梅光軒」の味噌ラーメン

13:29網走駅を出た特急「オホーツク6号」は石北本線をひたすら札幌に向かう。
今朝は初電に乗るためにほとんど寝ていない状況で、
しかも昼食時にビールを飲んでしまったものだから、
列車に乗って直ぐに爆睡してしまった。
目が覚めたのは、遠軽でスイッチバックするために周りの座席が回転した時だった。
目が覚めたというよりは周りに起こされたといった方が正しい。
ここで起こされなかったら何処まで寝ていたのだろうか。
今回の旅で初めての指定席での長距離移動である。
3時間42分の旅はやはり苦痛であった。
昼過ぎに網走を出たのに旭川に到着した時にはもう夕方に近かった。
このあと宗谷本線を名寄まで向かう。
明日は宗谷本線北上の旅に挑戦するが、
そのため宗谷本線でビジネスホテルが探せた最北端の名寄まで移動する。
名寄行きの特急「スーパー宗谷3号」への乗り換え時間は2時間ある。
この2時間で旭川駅での車両取材後に夕食を喰う。
旭川駅では乗ってきたキハ183形特急「オホーツク」のほか、
781系特急「ライラック」、711系普通列車、
785系特急「スーパーホワイトアロー」、
キハ183形特急「サロベツ」、キハ180形富良野線などを取材する。
旭川駅は既に取材済みだったので駅取材はせず、
そのまま駅前通を歩いていった。
駅前通では祭の最中らしく、半被姿の男女が集っていた。
何処で夕食を喰おうか迷いながら歩いていると「梅光軒本店」の看板を見つけた。
元祖旭川ラーメンの店として有名で、
ここを目指していたわけではなかったが名前だけは知っていた。
そこでこの店に入る。
有名店らしく、訪れた著名人のサインが壁一杯に貼ってある。
そこには“もしもツアーズ”のサインもあった。
旭川駅からスタートした番組を見た記憶があった。
旭川といえば塩ラーメンが有名だが、勿論おいらは味噌ラーメン\750を喰う。
確かに標準以上の仕上がりだが、特別に美味いとは思わなかった。
良くあるラーメン専門店の味噌ラーメンという感じだ。
それでも本店を含めて旭川に7店舗、名古屋と奈良にも支店があり、
札幌ラーメン共和国にも7月13日に出店したという。
ネットで調べたところ、旭川ラーメン大賞を受賞した店であるという。
時間が早かったせいか、店に入った時は直ぐに座れたものの、
食い終わって店を出た時には店の外にまで行列が出来ていた。
ここはビルの地下にある店で、地上にも看板や旗が出ているものの、特別目立つ店でもない。
それでもこれだけ有名なのだからそれなりに実力があるのだろう。
旭川駅に戻ってゆっくりしてから19:11発の特急「スーパー宗谷3号」で名寄を目指す。

2006/08/06 20:55

※写真:旭川の「梅光軒本店」 撮影時刻 2006/07/21 18:32:18


  7.名寄の夜と朝、そして音威子府の黒い蕎麦

19:11に乗った特急「スーパー宗谷」は宗谷本線を北上し稚内を目指す。
その途中の名寄までの53分間に乗車する。
ここも指定席を取っていたのだが、乗り込んだ場所が悪く、
車内を移動しなければならなかった。
この列車は20:04に名寄に到着する。
そこから歩いてネットで予約をしていたビジネスホテル「Bird INN」を目指す。
地図をコピーしていたのだがそれでも場所が分からず、
名寄の街を歩き回った。
ホテルに到着したのは9:00p.m.前になってしまった。
メールでは\6,300といってきたが、実際は\5,775だった。
シングルルームだったが部屋は思ったより広く、
普通のビジネスホテルのシングルデラックスクラスだった。
しかもトイレとバスが独立していてちゃんとした湯船と洗い場があり、
普段のホテル宿泊ではシャワーだけしか浴びないのだが、
ここではちゃんと湯船に湯を張ってゆっくりと風呂を楽しんだ。
風呂から出て、ホテルに着く前にLAWSONで購入したビールなどを飲む。
翌朝は6:20a.m.に起床し、シャワーを浴びて7:00a.m.になって朝食を喰う。
パン、コーヒー、フルーツヨーグルトなど。
7:30a.m.にはチェックアウトし、名寄駅に向かう。
駅で少し待って07:50名寄発の稚内行き列車に乗り込む。
今日も昨日快速「しれとこ」で乗ったキハ54形気動車で、
稚内までの宗谷本線北上の旅を楽しむ。
名寄まではキハ40形気動車と2両編成で到着したが、
ここでキハ40形を切り離して回送とし、キハ54形だけが稚内へ向かう。
07:50に名寄駅を出て、08:52には音威子府に到着する。
ここで特急の通過待ちなどで48分間停車する。
同じ車両が稚内まで行くが、
列車番号はここまでが4325Dでここからが4327Dと別列車扱いである。
“音威子府”は「おといねっぷ」と読み、
音威子府村のホームページによると、
「アイヌ語で濁りたる泥川、漂木の堆積する川口、または切れ曲がる川尻の意。」とのこと。
それまでは常盤村と呼ばれていたが、1963年に音威子府村に改称した。
また、音威子府は「北海道」という言葉が生まれたところでもあり、
北海道で一番小さな村だそうである。
1857年(安政4年)、幕末の探検家、松浦武四郎がこの村を訪れ、
アイヌの集落の長老から、
「この国に生まれたもの」という意味の「カイナー」という言葉を教えてもらう。
「ナー」は敬語で、この地の事を現地の人は「カイ」と呼んでいる事を知り、
1869年(明治2年)に蝦夷地の新しい名称を明治政府に付けるように命じられ、
日本の「北」にある「カイ」に、
旧領地を意味する「道」をつけて「北海道」と命名したとのこと。
また、かつて音威子府駅は天北線の分岐駅でもあり、
音威子府からオホーツク海側を走って稚内に至る路線で、
1989年(平成元年)に全廃された路線である。
そもそも最初は天北線が「宗谷線」と呼ばれていた。
現在の幌延を経由して稚内に至る路線はその短絡線である。
その後、宗谷線は1930年に北見線と改称され、1961年に天北線と改称された。
駅舎は同時に「交通ターミナル」も兼ねていて、
そこには天北線の資料室が併設されている。
また音威子府は黒い色の蕎麦として有名な「音威子府そば」が、
やはり駅の待合室にあり、調理室部分だけが敷地にあり、
実際に食べるのは待合室の中で、そのためにテーブルも用意されている。
かけそばは\330で、天ぷらそば\430を喰う。
前回来た時は店が開いていなかったが、今回は停車時間が長かったために開いていた。
バスで団体客がやってきて、ここのそばを喰っていた。
駅の窓口でモータカロータリーやラッセル車のオレンジカード買う。
再び同じ列車に乗り込み、稚内を目指す。
列車番号4327Dとなったキハ54形は09:40に再び走り始めた。

2006/08/10 21:47

※写真:音威子府の黒い蕎麦 撮影時刻 2006/07/22 09:02:04


  8.日本最北端の駅−稚内

09:40に音威子府駅を出たキハ54形気動車は2時間19分の旅で稚内に到着する。
稚内は宗谷本線の終点であり、また日本で最も北にある駅でもある。
現在は稚内のホーム北端で線路が切れているが、
戦前は樺太(現・ロシア領サハリン)まで連絡船が渡航し、
そのために稚内桟橋駅があったらしい。
11:59に稚内駅に到着してここで下車し、駅取材後に海まで歩いてみる。
夏でのここまで来ると風は冷たく肌寒さを感じた。
正直云って上着が欲しいと思った。
以前はここに桟橋があったのだが、今は跡形もなく、北防波堤ドームだけが残っている。
晴れていれば利尻島が見えるというが、
残念ながら空は曇っていてドンヨリとした空と海の境目だけが横にまっすぐ延びている。
稚内駅は1924年に今よりも南側に開業する。
ここは現在の南稚内駅である。
現在の稚内駅の場所にはその一年前、1923年に稚内港駅が開業しているが、
線路はなく、樺太に行く連絡船のために駅だけが開業したそうである。
1928年にはようやく稚内港駅(現・稚内)まで線路が延び、
1938年には仮乗車場扱いの稚内桟橋駅が開業している。
しかし大東亜戦争に敗戦して樺太が日本領でなくなってからは、
稚内桟橋駅はなくなり、線路も撤去されて最北端の駅は稚内駅になった。
稚内桟橋駅までの線路跡は現在駐車場になっている。
駅に戻って待合室で時間を潰し、改札が開始されてからホーム内に入り、
これから乗るキハ183形特急「サロベツ」と、
そこに入線してきたキハ261系特急「スーパー宗谷」を取材する。
kioskで「さいわくかにめし」という駅弁を購入し、「サロベツ」に乗り込む。
サロベツはキハ183形という国鉄時代から使われている気動車で、
同じ札幌−稚内間を結ぶ特急「スーパー宗谷」がJR北海道になってから開発された、
キハ261系と比較するとどうしても見劣りがする。
その分・・・という訳ではないが、札幌方にはお座敷列車が連結され、
しかも自由席扱いになっている。
この特急「サロベツ」は13:45に稚内駅を出る。
ここからこの旅で最も長い、5時間23分の旅に出るのだ。

2006/08/10 23:03

※写真:日本最北端の駅稚内 撮影時刻 2006/07/22 12:06:42


  9.714.9km、8時間43分の旅と2つの駅弁

13:45に稚内駅を出た特急「サロベツ」は、5時間23分かけて札幌を目指す。
席について少し遅めの昼食として、
kioskで購入した「さいほくかにめし」という駅弁を喰う。
これはその名の通り、プラスチックのカニ形の容器にカニ飯が入っている、
非常にシンプルな駅弁である。
この駅弁を喰って直ぐに爆睡してしまった。
そして目が覚めたらまだ森の中を走り続けていた。
そこは音威子府の手前の辺りだった。
さすがに5時間以上、ずっと座席に座り続けているのは辛い。
それにキハ183形という国鉄時代からある車両の乗り心地は正直云ってあまり良くない。
キハ261系は振り子式車両なのでまだいいのかもしれないが・・・。
石狩川を渡った辺りで車窓では雨が降り出し、
それは大雨になっていたが、旭川に到着する頃には止んでいた。
札幌には19:08に到着する。
稚内を出る時はまだ昼過ぎで日は高くあったが、
札幌に到着いる頃には既に辺りは薄暗くなっていた。
ここで14分の乗り換え時間で特急「スーパー北斗」に乗車する。
この14分の乗り換え時間が同時に今回の旅の札幌での総滞在時間でもある。
この間に今度は夕食用として「北海道日本ハムファイターズ ホームラン弁当」を購入する。
これは弁当がグランドの形になっており、
北海道産の食材と、全国各地の球団のある名物が弁当の中で競っている。
「食の宝庫『北海道』の味覚!」として、
「帆立と道産野菜の炊き込み、カニしゅうまい、昆布玉子焼き」がおかずとして、
「北海道米『ななつほし』のカニめし、鮭・イクラめし」がご飯とし、
「全国各地の球団と勝負だ」として、
「ポテトサラダ明太飾り(九州)、カキフライ(広島)、たこ焼き(大阪)、
エビフライ(名古屋)、鶏の落花生揚げ(関東)、笹かまぼこ(仙台)」が入っている。
いろいろなおかずやご飯が楽しめ、面白い駅弁だった。
キハ281系「スーパー北斗」は途中で急ブレーキをかけた。
乗客はみんなどうしたのかなと不安そうにしていると、
車内放送があり「ききてきトラブルのようです」という。
最初この「ききてき」を「危機的」と思い、人身事故なのかなと思ったが、
良く聞くと直ぐに発車し、これは「機器的」のことなのだと分かった。
「非常ブレーキの誤作動」との事で、この後は特に“機器的トラブル”もなく、
結局4分遅れで函館に到着した。
札幌−函館間は3時間20分の旅だった。
札幌駅に着く前当たりから雨が降り出し、駅の外に出た時も強く雨が降っていた。
今回は傘を持たずに出てきてしまったので、ホテルまで濡れていく。
東横イン函館駅前にチェックインし、
もう外に出る気もしないのでホテルの自販でビールとつまみを買い、
ホテルの部屋でシャワーを浴びてから飲む。
北海道最南端の駅ではないが、
稚内から函館まで距離にして714.9kmの移動である。
列車に乗っている時間だけでも8時間43分だった。
ホテルにチェックインしたのは11:00p.m.だったが、
さんざん列車の中で爆睡してきたのでそれほど眠くならず、
1:00a.m.過ぎまで起きていた。

2006/08/10 23:30

※写真:函館駅に到着したキハ281系「スーパー北斗」 撮影時刻 2006/07/22 22:47:07


  10.函館の朝−函館市電定点取材

6:20a.m.に目覚ましをかけておいたが、6:10a.m.には目が覚めてしまった。
シャワーを浴びて7:0a.m.過ぎに1階に下りて無料の朝食を喰う。
おにぎり4個、みそ汁2杯、コーヒー1杯。
部屋に戻って歯を磨いてから支度して7:50a.m.にチェックアウトする。
今日はSL函館大沼号を楽しむ予定だが、
函館発が09:52のため、時間が来るまで函館市電を取材する。
一端函館駅に行ってコインロッカーに旅行用バッグを預け、
カメラバッグだけを背負って再び駅の外に出る。
函館市電は今まで3回取材していて、
既に全電停取材も完了しているが、今回は駅前交差点で車両取材する。
定点取材である。
持参したEF 70-300mm F4-5.6 IS USMの威力を発揮する時である。

 3000形3003号車「五勝手屋号」
 8000形8002号車「シゴトガイド号」
 800形812号車「エトランゼ号」
 8100形8101号車「ノンステップ車」
 700形718号車「道新スポーツ号」
 1000形1008号車「こくほ号」
 8000形8005号車「美鈴号」
 8000形8008号車「NCV号」
 8000形8004号車「JAL号」
 700形722号車「SNAFFLE'S号」
 8000形8007号車「おさめ〜る号」
 800形811号車「冬の夢 ひかりの電車号」
 8000形8003号車「AIR DO号」
 2000形2002号車「ドコモ号」
 3000形3002号車「布目号」
 700形719号車「オサルの電車」
 700形724号車「東京アカデミー号」
 700形715号車「マルハン号」
 700形721号車「さわやか号」

取材順、重複取材は除いたデータである。
函館市電はほとんど全て車体広告車で、
車体広告のない車両は8100形8101号車「ノンステップ車」と、
30形29号車「箱館ハイカラ號」だけである。
札幌市電は“2系統”と“5系統”が存在し、
両系統は湯の川電停から十字街まで同一区間を通り、
十字街で分岐して2系統は〜谷地頭電停、5系統は函館どつく前電停までいく。
最盛期には12系統17.9kmの路線が存在していたが、
現在では多くが廃止され、2系統10.9kmとなっている。
函館市電は1897年は亀函馬車鉄道が敷設した路線がその始まりで、
1911年10月1日に函館水電と合併し、電化されていった。
1914年10月31日には全路線で電化開業し、
函館水電は1940年8月6日に大日本電力に合併、
1943年2月3日に道南電気軌道にに譲渡の上、
陸上交通事業調整法により同年11月1日に函館市に譲渡された。
9:30a.m.まで取材して函館駅に向かう。
函館駅に向かう途中で汽笛が聞こえてきた。
既にSL函館大沼号は函館駅に入線しているようである。
心ときめいて改札口を潜っていった。

2006/08/14 22:29

※写真:函館市電700形715号車 撮影時刻 2006/07/23 08:18:54


  11.SL函館大沼号の編成

函館駅に入場し、ホームに行くとまでディーゼル機関車DE10型1690号車が見えた。
SL函館大沼号牽引のためにSLと同系色に塗色されている。
続いて車掌車ヨ3500形ヨ4647号車が接続されている。
車掌車は貨物列車の最後尾に連結する車両で、
以前は用務車と云っていいたために記号は「ヨ」となっている。
勿論、SL函館大沼号の車両が乗るわけではない。
客に自由に乗せてよりリアルにSLの旅を味わってもらうために連結されているのである。
先頭には既にC11型蒸気機関車が連結されている。
SL函館大沼号用の蒸気機関車はC11型181号機とC11型207号機がある。
今回はC11型207号機が連結されていた。
C11型蒸気機関車はタンク車と呼ばれる炭水車と本体が一体になったタイプだ。
D51型やC61型などの大きな蒸気機関車は炭水車が別になっていて、
運転席の後ろに着いているテンダー型と呼ばれている。
後ろの炭水車から石炭を釜にくべ、水を補給するのである。
この方が多くの石炭や水を積む事が出来るため、長距離を移動できる。
しかし蒸気機関車は前後が決まっているため、
炭水車が後ろに連結されていると後ろ向きに運転できない。
そのため昔は転写台が車両基地や大きな駅の側線に用意されてあった。
しかし蒸気機関車が全廃されて定期運用から退いた今ではほとんど転写台も姿を消している。
そのため現在では運行できる区間も限られている。
しかしタンク型と呼ばれる炭水車一体型は後ろの視界も十分確保されているため、
反対向きにも運転できる。
このSL函館大沼号も森駅から戻る時は後ろ向きに運転される。
客車は4両で先頭側からスハフ14形505号車、スハシ44形1号車、
オハ14形526号車、オハ14形519号車である。
客車の記号はまず先に重量記号が来る。
牽引する機関車を選択するためにも牽引総重量が簡単に計算できるよう、
客車+定員分の重量を加えた自重を記号で表しているのである。
「コ」は22.5t未満で現存していない。
「ホ」は22.5t以上27.5t未満でこれも現存していない。
「ナ」は27.5t以上32.5t未満。
「オ」は32.5t以上37.5t未満。
「ス」は37.5t以上42.5t未満。
「マ」は42.5t以上47.5t未満。
「カ」は47.5t以上である。
「マ」や「カ」は集中電源供給車としての役割を担う荷物車の「マニ」や「カニ」に多い。
次の「ハ」は旧三等客車の意味で、現在の普通車である。
明治初めの客車では一等から三等を「イ」「ロ」「ハ」で表した。
その名残で現在もグリーン車を「ロ」、普通車を「ハ」で表す。
最後の「フ」と「シ」であるが、
「フ」はブレーキの意味で緩急車、つまり車掌の乗務している車両の意味である。
「シ」は食堂車の意味で、「スハシ」となっている事は、
普通座席と食堂車の合造車を意味している。
実際には食堂は撤去されていて売店となっているが、
車両記号は国鉄自体のものをそのまま利用しているようである。
車掌も戌辰戦争時代の制服を身につけ、
女性乗務員も当時を彷彿させる華やかなドレスで乗務している。
出発前に親子連れが盛んに記念写真を撮っている。
みんなワクワクしながらその出発の時を待っていた。

2006/08/14 23:37

※写真:C11型207号機「SL函館大沼号」 撮影時刻 2006/07/23 09:43:55


  12.SL函館大沼号の旅と森駅名物「いかめし」

09:52定刻通りにSL函館大沼号は函館駅を出発した。
目的地は森駅である。
行きは駒ヶ岳を内陸側を通る短絡線を通るルートで大沼公園に停車した後は森駅を目指す。
この乗車時間は1時間21分である。
予想していた事だけれども、親子連れと同席になってしまった。
乗った車両はスハシ44形1号車で、
売店部分では女性乗務員が沿線のガイドなどを呼んだりするのを直接見る事が出来た。
大沼公園駅を抜けると大沼と小沼に挟まれた区間を通り、
正しく絶景を楽しむ事が出来る。
ただ、雨は降っていないものの雲が多くて景色は今ひとつであった。
11:13に森駅に到着する。
ここは駅名が「森」なのに実際はホームの直ぐ隣が海である。
森駅で蒸気機関車の分離と給水の様子や客車の移動などを取材して改札の外に出る。
ここでの取材時間は2時間12分。
昼食にはやはり森駅名物の「いかめし」を喰わねばなるまい。
阿部商店の「いかめし」はデパートで良く催される駅弁大会でも、
常に売り上げ上位に名を連ねる人気の駅弁である。
以前北海道旅行をした時に函館駅で購入し、
札幌に向かう特急「スーパー北斗」の車中で喰った事はあったが、
やはり森駅で「いかめし」を買うとなるとその重みが違う。
「いかめし」はその名の通り、イカの中に餅米が詰め込んであるという、
極めてシンプルな駅弁である。
駅弁と云うよりはおやつと云った方がいいかもしれない。
小さくて昼食代わりには少し物足りなかった。
ベンチで「いかめし」を喰い、駅取材を済ませるとする事がなくなってしまった。
持参した文庫本などを読んで時間を潰していると、
SL函館大沼号がホームに入線してきた。
時間よりかなり早いが入場して写真を撮る。
今回はディーゼル機関車が後ろにつき、蒸気機関車は前に付け替えているのだが、
C11形蒸気機関車は後ろ向きのまま先頭に連結されている。
森駅からは逆方向に進むためである。
ここで出発までSL函館大沼号を取材する。
帰りは13:25に森を出て海廻りで渡島砂原、鹿部、流山温泉と停車して、
スイッチバックで大沼公園駅に入線する。
流山温泉では車窓に200系新幹線の車両が見えた。
何故、ここに200系新幹線があるのだろう・・・。
大沼公園での停車時間はわずか5分。
この時間で改札の外に出て駅舎を取材する。
正しくタイムトライアルである。
再び函館駅に戻ってきたのは15:20だった。

2006/08/15 21:58

※写真:車窓から見た森駅近くの景気 撮影時刻 2006/07/23 11:12:14


  13.さよなら北海道の夏−旅の終わり

新千歳空港に向かうため函館から乗る特急「スーパー北斗17号」は、
16:43で1時間23分ある。
この時間で再び函館市電を取材する事にする。

 800形811号車「冬の夢 ひかりの電車号」
 30形39号車「箱館ハイカラ號」
 700形718号車「道新号」
 3000形3001号車「スーパー白鳥号」

最初は特急「スーパー北斗17号」の車中で駅弁を喰うつもりだったが、
昼食が「いかめし」だけだったので、
少し早いが3:50p.m.で函館市電取材を切り上げ、
函館駅2階の「とんかつ自由亭」でロースカツ定食\1,280喰う。
八雲ポークのロースカツ・レギュラーサイズで、
揚げにはサラダオイルを選択する。
ご飯おかわり自由とのことで、勿論おかわりしてしまう(^_^;)
ちょっと食い過ぎた・・・。
売店でおみやげや地ビール4本などを買い、
コインロッカーからバッグを取り出して函館駅のホームに行く。
既に特急「スーパー北斗17号」のキハ281系は入線していた。
これに乗り込んで南千歳を目指す。
16:43に函館駅を出るが、
その時隣のホームには781系「ドラえもん海底列車」がちょうど入線してきた。
「ドラえもん海底列車」は青函トンネルの北海道側の臨時駅である、
吉岡海底駅に作られた「ドラえもんワールド」に行く列車で、
函館新幹線の建設がいよいよ本格的になるために、
この列車は今年で最後となり、
吉岡海底駅の「ドラえもんワールド」も資材置き場となってしまう。
そのため今年は特に「ドラえもん海底列車」の人気が高いのである。
しかしそれを取材することなく函館駅を後にした。
既に夕食を喰っているので、車中では売店で買ったアサヒビールの地域限定ビール、
「北の職人」350mlを飲む。
おかげで直ぐに爆睡してしまい、目が覚めたのは、
車内アナウンスの「まもなく南千歳・・・」の声だった。
危うく乗り過ごすところだった。
危ない、危ない・・・。
ここで11分の乗り換え時間で快速エアポート186号で新千歳空港に行く。
帰りはスカイマークエアラインズで帰るため、
カウンターに行って発券してもらう。
ここは自動発券機はないらしい・・・。
手荷物検査を終えて出発ゲートの前まで行き、人が全然いないことに気付いた。
予定表には乗り換え時間39分と書いていたが、
よく見ると新千歳空港駅到着が19:31で、
スカイマークエアラインズ羽田行きの730便の出発時間が21:10。
つまり1時間39分ある。
目が点になる。
仕方がないので売店でソフトクリーム\280買い、文庫本を読んで時間を潰す。
スカイマークエアラインズは安さが売りの航空会社で、
ドリンクサービスがないのも大きな特徴のひとつである。
それはいいのだけれども、その分上空ではCAはやることがなく手持ち無沙汰のようだった。
それとここの特徴は「安全のしおり」や緊急脱出の説明ビデオで、
使われているアニメキャラが思いっきりチープなのである。
あまりにチープで思わず脱力感を感じてしまうほどだ。
このキャラを見るだけでもスカイマークエアラインズはお奨めである。
上空では飛行ルートを示すモニターも世界地図上を差していて、
函館から羽田に帰るだけなのに“ハバロスク”とか関係ないだろうにと思った。
今回は羽田到着が22:45と遅くなってしまったため、
初めてリムジンバスを利用する。
JR津田沼駅南口まで\1,200で、約50分で到着する。
外は雨が降っていた。
0:16津田沼発の千葉行きで帰る。
既に上り電車は終電を迎えていて、千葉まで行っていたら帰れなかった。
下りは津田沼発01:16が最終なので、遅い時間はリムジンバスはいいかもしれない。
こうして2泊3日の北海道の旅は雨の帰宅で終わった。

2006/08/15 23:38

 −撮影データ−

2006.07.21._1 撮影 580枚 保存 34枚
2006.07.21._2 撮影 67枚 保存 4枚
2006.07.21._3 撮影 74枚 保存 6枚
2006.07.22._1 撮影 281枚 保存 28枚
2006.07.22._2 撮影 120枚 保存 11枚
2006.07.23._1 撮影 286枚 保存 25枚
2006.07.23._2 撮影 282枚 保存 13枚
2006.07.23._3 撮影 284枚 保存 16枚
2006.07.23._4 撮影 63枚 保存 7枚

 合計    撮影 580枚 保存 34枚 採用率 7.1%

※写真:南千歳駅の石勝線0キロポスト 撮影時刻 2006/07/23 19:22:02




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