卯月信州北回廊純情物語



  1.青春の旅のさなかで

3月に「青春18きっぷ」で旅に出た。
第1週は一泊二日で中央本線の旅、
第2週は土曜日の日帰りで常磐線の旅、
そして第3週は再び一泊二日でナローゲージと豊鉄市内線の旅である。
第1週の旅の途中で「風林火山 甲斐・信濃紀行」と題したパンフレットを見つけた。
そこには「信州北回廊フリーきっぷ」と「諏訪フリーきっぷ」が紹介されていた。
「信州北回廊フリーきっぷ」は都区内発おとな\16,000で、
フリー区間までの往復は長野新幹線普通車指定席、
フリー区間は長野を中心に、
篠ノ井線姨捨まで、信越本線妙高高原まで、飯山線森宮野原までである。
更にJRだけでなく、長野電鉄全線としなの鉄道上田までもフリー区間に含まれる。
「諏訪フリーきっぷ」は都区内発おとな\10,000で、
フリー区間までは中央本線特急が利用可能で、
フリー区間は中央本線勝沼ぶどう郷から下諏訪まで、
小海線小淵沢から野辺山までである。
「諏訪フリーきっぷ」に関しては「青春18きっぷ」で中央本線全駅取材は達成されたので、
あまり必要はなかったが、
「信州北回廊フリーきっぷ」は使えるなと思った。
特に長野電鉄全線が利用できるというのが決め手だった。
長野電鉄は既に一度取材しているものの、
終点の湯田中には行っていないし、
小田急からロマンスカー10000系を譲り受けて「ゆけむり号」として投入している。
これは取材したかったし、この切符は利用価値があると思った。
NHKの大河ドラマで「風林火山」をやっているので、
その影響で観光客が増えるのを見越して企画されたのだろう。
大河ドラマは見ていないが、この切符は使えると思い、
以下のような計画を立てた。

4月21日(土)

05:59幕張−総武緩行線・下り506C(10)−06:09千葉[15]
06:24千葉※−総武快速線・上り636F(39)−07:03東京[25]
07:28東京※−長野新幹線あさま505号(85/1:25)−08:53長野[10]
09:03長野※−信越本線・上り1222M(6)−09:09川中島[13]
09:22川中島−信越本線・上り3634M(5)−09:27篠ノ井[30]
09:57篠ノ井−しなの鉄道・上り1636M(7)−10:04屋代[24]
10:28屋代※−長野電鉄屋代線・下り412(36)−11:04須坂[21]
11:25須坂−長野電鉄長野線・下り521(20)−11:45信州中野[12]
11:57信州中野※−長野電鉄長野線・下り(20)−12:17湯田中[69/1:09]
13:26湯田中※−長野電鉄長野線・上り特急「ゆけむり」12A(47)−14:13長野[64/1:04] \100
15:17長野※−信越本線・下り「妙高7号」(42)−15:59妙高高原[53]
16:52妙高高原−信越本線・上り350M(40)−17:32長野[36]
18:08長野※−信越本線・上り2670M(40)−18:48上田

 ※東横イン上田駅前チェックイン

4月22日(日)

 ※東横イン上田駅前チェックアウト

08:10-12上田−しなの鉄道・下り3625M(40)−08:39篠ノ井[36]
09:15篠ノ井−篠ノ井線・上り1222M(14)−09:29姨捨[116/1:56]
11:26-33姨捨−篠ノ井線・下り1227M(32)−12:05長野[25]
12:30長野※−飯山線・下り135D(52)−13:22飯山[74/1:14]
14:37飯山−飯山線・下り137D(12)−14:49戸狩野沢温泉[20]
15:09戸狩野沢温泉※−飯山線・上り138D(61/1:01)−16:10長野[59]
17:09長野※−長野新幹線あさま542号(103/1:43)−18:52東京[25]
19:17東京※−総武快速線1941F(39)−19:56千葉

この計画で1ヶ月前の3月22日木曜日の会社の帰りに、
JR稲毛駅の指定席券売機で「信州北回廊フリーきっぷ」東京都区内発\16,000を購入し、
同時に4月21日土曜日の07:28東京発長野新幹線あさま505号と、
4月22日日曜日の17:09長野発あさま542号の指定席をゲットする。
また、3月25日には東横イン上田駅前に予約を入れた。

2007/04/22 23:32


  2.右往左往した朝−旅の始まり

今回の旅は空との戦いとなった。
週の始めからずっと週末は雨の予報で、
前日の予報も土曜日は午後から雨、日曜日は終日雨となっていた。
それだけに、行く前から憂鬱な気持ちになった。
日曜日の雨が激しいものならば、予定を全て中断しても良いと思っていた。
取り敢えず、長野電鉄の取材だけは完了しておきたい。
そう願いながら当日を迎えた。
4月21日土曜日、5:00a.m.に起床し、予定通り05:59で一端千葉に行き、
06:24千葉駅始発の快速で東京駅に向かう。
東京駅で一端Suica定期券で出場し、再び「信州北回廊フリーきっぷ」で入場した。
Suica定期券の場合、出場記録がないままだと次回入場できなくなる。
そこで精算は窓口で行うことになるのだが、
それが面倒なので一端改札の外に出て、再入場した方が手っ取り早いのだ。
在来線の改札をくぐり、指定席券と一緒に新幹線改札もくぐった。
ホームに上がるとちょうど乗る予定だった長野新幹線あさま505号が入線するところだった。
簡単に車両取材して売店で駅弁を買い、車内で出発を待つ・・・つもりだった。
しかし、売店に行って目が点になる。
駅弁がほとんど売り切れていたのである。
そういう事態は正直云って全く予想していなかった。
今まで駅弁が買えないということが一度もなかったからだ。
今回の新幹線は「あさま505号」で07:28東京駅発である。
何時もは「はやて1号」が多く、この列車は06:56東京発なのだ。
その差はわずか30分程度。
それでもこれだけの状況の違いになるのかと改めて思い知らされた。
そこで隣のホームまで行って駅弁を買うことにした。
しかし北陸新幹線のホームも人が一杯で売店の前が長蛇の列である。
これに並んでいたのでは「あさま505号」の出発に間に合わない。
そこで仕方なく何も買わずに元のホームに戻る。
この間にも25分あった乗り換え時間はどんどん過ぎていて、
上越新幹線のホームに戻った時には出発1分前となっていた。
ここまで来たらもう駅弁など買っている暇がない。
構内アナウンスにせかされて慌てて車両に飛び乗った。
おかげで駅弁をおろか、飲み物さえ買う余裕もなく、
座席に座っても何も口にすることが出来ない惨めな出発となった。
結局、NREの車内販売で「平成十九年度吹き寄せ弁当 春小町」を購入することが出来た。
内容は以下の通りである。

 吹き寄せ弁当 春小町〜平成十九年度〜
   〜おしながき〜

さくらます西京焼
新生海苔入り玉子焼
蕗しその実漬け
有頭海老艶煮
桜海老三色真丈
山独活醤油漬け
若桃甘煮
桜餅
筍ご飯
(契約栽培農家による有機認証米 秋田県産 あきたこまち使用)
 桜の花
季節の煮物
 蓬稲荷
 亀甲里芋
 帆立
 花蓮根
 筍
 花こんにゃく
 菜の花
蛸磯辺揚げ
子持白魚黄金揚げ
筍香煎揚げ
しし唐
桜花人参

〜春の食材〜
 さくらます、桜海老、白魚、蛸、菜の花、蕗、よもぎ、うど、筍、等々・・・

駅弁「平成十九年度吹き寄せ弁当 春小町」\1,300とお茶\150を購入して車中で喰い、
そのあとは当然のごとく爆睡する。
長野新幹線「あさま505号」は東京を出ると大宮、上田にしか停まらず、
1時間25分で長野に到着する。
08:53、予定通り長野駅に到着した。
この駅に来るのも久しぶりのような気がする。

2007/07/02 02:12

※写真:JR東京駅に停車中のE2系新幹線「あさま」 撮影時刻 2007/04/21 07:20:08


  3.長野電鉄−温泉まんじゅうと猿の話

長野駅に到着して北回廊きっぷ・ゆき券で新幹線の自動改札を出ようとしたが、
自動改札が反応せずに有人改札から出ることになった。
そして再び北回廊きっぷで自動改札から在来線に乗ろうとしたが、
こちらも反応せずに有人改札からの入場となった。
みどりの窓口で購入せず、指定席券売機から購入したのが原因なのだろうか。
長野から信越本線でまず川中島に行く。
“川中島”といえば武田信玄と上杉謙信が五度に渡って激突した古戦場として有名だが、
実際に合戦が行われた場所と駅とは直接は関係ない。
それでも“川中島”という響きにこの駅の取材を決定した。
ホーム自体は地上にあるが長野新幹線の高架があるため、
駅舎は長野新幹線の高架下を利用した形になり、あまり面白味もない駅だった。
次に篠ノ井駅を取材する。
ここははもともと信越本線と篠ノ井線の分岐駅で、
長野新幹線の開業によって信越本線軽井沢−篠ノ井間が分離され、
第三セクターのしなの鉄道となったために、
今では三つの路線が接続する駅となった。
この駅を取材中にポツポツと雨が落ち始めた。
このあとしなの鉄道で屋代に行く。
屋代で長野電鉄に接続している。
長野電鉄は1920年に創立した河東鉄道と1923年に創立した長野電気鉄道が、
1926年9月30日に合併して誕生した地方鉄道である。
JR長野駅から須坂を経由して湯田中に至る長野線33.2kmと、
長野線須坂からしなの鉄道屋代までを結ぶ屋代線24.4kmを所有する。
1925年に開業した河東線信州中野−木島間は2002年4月1日付けで廃線となっている。
屋代駅はしなの鉄道の管理駅で、長野電鉄が間借りしている形になっている。
1番線から3番線がしなの鉄道をが使用し、5番線が長野鉄道のホームとなっている。
しなの鉄道のホームや駅舎はコンクリート製だが、長野鉄道のホーム屋根や待合室は木造製である。
ここで駅取材と車両取材し、10:28始発の長野鉄道屋代線で須坂まで行く。
須坂駅ではマルーン色に塗色変更された2000系特急「しが」を偶然取材することができた。
また廃車となった10系OSカーが留置されていて、それも望遠で撮影することに成功した。
ここでの取材時間は21分で、おかげで駅取材の時間が少なくなってしまった。
須坂から信州長野まで行き、ここで12分の乗り換え時間を利用して駅取材する。
途中に小布施という駅で旧型車両が保存されているのを見かけ、
今度来る時に取材しようと思った。
12:17に湯田中に到着する。
この駅はかつては3両編成の特急はスイッチバックして駅構内に入るという名物駅であったが、
駅構造を改良して現在はスイッチバックを解消し、
スイッチバックのために使用されていた踏切も撤去されたが、
スイッチバックに使っていた用地はそのままになっている。
湯田中駅は昭和30年に作られた駅で、趣のある2階建ての駅舎である。
駅舎の天井の染布には「志賀高原大沼池の黒龍」という題の絵が描かれている。
それは「黒姫物語」という民話を題材にしている。

 「黒姫物語」

志賀高原・大沼池の主である大蛇(黒龍)は、山里の黒姫に恋をしました。
若侍に姿を変え、父である高梨城主・摂津守政盛に結婚をお願いしましたが、
策略にはめられ、ひどい仕打ちを受けました。
怒った大蛇は大雨を降らせ、志賀高原の全ての池を切り、
夜間瀬川を氾濫させ、里はとてもひどいありさまになりました。
それを見た黒姫は大蛇の怒りを鎮めようと大蛇の花嫁になることを決心して叫ぶと、
雨が止み大蛇が現れ、その背中に乗って志賀高原の山へと飛んでいきました。
二人は大沼池で仲良く暮らしているということです。

南駅舎の反対側に旧駅舎の跡地を利用して「湯田中駅前温泉 楓の湯」という日帰り入浴施設ができていた。

 湯田中駅旧駅舎の歴史紹介

この「楓の館」は、昭和2年(1927年)4月28日に開業しました旧湯田中駅舎を、リニューアルしたものです。
志賀高原にちなんだ山小屋風駅舎は当時とすれば大変モダンな建物で建築当時は大変な人気でした。
湯田中駅は町内の書く温泉や志賀高原への玄関口として、多くのお客様を迎えてきました。
しかし、昭和31年に上の・長野間の急行列車の乗り入れにより、反対側の現駅舎に利用が移りました。
このたび、湯田中駅前温泉「楓の湯」開湯に併せ、
旧駅舎を建築当時の配色に極力近いものでリニューアルし、「楓の館」としました。
交流室や展示室として、どなたでもお気軽にご利用ください。

ここで入用していると昼食を喰う暇がなくなってしまうため、
写真だけ撮って湯田中の街を散策する。
その途中で昼食を喰えそうなところに入ろうと思ったが、いいところがなかった。
桜の写真を撮りに川まで行き、そこで湯田中渋温泉郷のアーチがあって、
その先におみやげ屋さんがあった。
そこで弁当が売っていないかなと思って入ったが、饅頭しか売っていなかった。
仕方がないのでオーソドックスな温泉まんじゅう10個入り\630を購入する。
昼食にはならないが、何とか飢えは凌げる。
カメラを首からぶら下げていたので、店員のおばさんから「地獄谷に行った方がいい」と云われる。
外国人の観光客はみんな地獄谷に行って一日中猿の写真を撮っているのだという。
そのときはよく分からなかったが、地獄谷野猿公苑という野生のニホンザルを観察できる施設があるようだ。
湯田中からバスかタクシーで上林温泉まで行き、さらに徒歩で30分くらいの場所にあるようだ。
湯田中駅まで戻り、時間まで「楓の湯」の無料足湯につかっている。

2007/10/14 20:47

※写真:「湯田中駅前温泉 楓の湯」の足湯施設と桜の木 撮影時刻 2007/04/21 12:25:13


  4.「ゆけむり」の旅と妙高高原の午後

時間いっぱいまで足湯を愉しみ、13:26の特急「ゆけむり」で長野まで戻る。
長野電鉄の特急は指定席がなく、全席自由である。
しかも特急料金は一律\100と破格である。
少し早めに駅に行って特急券を購入し、ちょっと並んでパノラマ席の前から3番目を確保した。
特急「ゆけむり」に使用されている1000系は、
元小田急電鉄10000形で、“HiSE”と呼ばれているパノラマカーである。
小田急が50000形“VSE”導入のために運用を離れた3編成のうち、
2編成が長野電鉄に無償で譲渡された。
小田急ではなかなかパノラマ席を予約を取ることができないが、
ここでは\100で乗ることができる。
展望席でパノラマビューを愉しみながら長野までの47分を楽しんだ。
長野電鉄の長野駅は地下に設置されていて、
JRとの乗り換えにはいったん外に出なければならない。
乗り換え時間1時間4分の間に長野駅待合室にある「小菅亭」でかき揚げうどん\360喰う。
JRの改札口を入場し、車両取材してから15:17発の快速「妙高7号」に乗車する。
快速「妙高」はあさま塗色の189系が使用されている。
経年車両とはいえ、普通料金で特急車両に乗れるのはお得だと思う。
42分かけて今回の北回廊きっぷのフリーエリアの信越本線の境界である妙高高原駅に行く。
せっかく駅取材に行ったのだが、屋根の工事中で足場が組まれてしまっていた。
4月9日から5月18日にまで本屋外装修繕をしているとのこと。
たった1ヶ月ちょっとの軌間に当たってしまうとは本当に運が悪い。
しかもポツポツと雨も降り出してきて「とほほ・・・。」な気分に拍車をかけた。
16:52の列車で長野駅まで戻り、
予定では18:08の長野駅始発の列車で上田駅に行くつもりだったが、
1本早い17:41に乗って上田まで行く。
今回は上田駅近くの東横イン上田駅前に予約を取っていたのである。
チェックインして部屋に荷物を置き、すぐにカメラだけもって出掛ける。
駅前をいろいろ散策し、「麺将 武士(もののふ)」というラーメン専門店に入る。
ここはラーメンに上田にゆかりのある真田氏の武将の名前を付けていて、
メインは“こってり白豚骨系”の「左近」で自称「長野県最強豚骨」だそうである。
もう一つのメインは“あっさり白醤油系”の「幸村」でこちらも自称「日本最強白醤油系」だそうである。
価格はどちらも\600で、味玉と海苔が\100増し、肉が\200増しである。
また両方のラーメンを半分ずつ味わえる左近VS幸村\800というのもある。
オーダーは“信州味噌系”の「道山」で\700と武士ギョーザ\290である。
このあとOH!LA!HOビールを見つけるが、拙作「REI RINGONO Presents Beers」に収録していたかどうか分からず、
携帯で「REI RINGONO Presents Beers」を検索して確認して購入した。
さらにLOWSON上田駅前店でビールとつまみを買い、MacDonaldでフライドポテトLだけ購入し、
ホテルの部屋に戻ってシャワーを浴びてから飲む。
しかしシャワーを浴びている間にポテトが冷めてしまった。

2007/10/14 22:23

※写真:上田のラーメン専門店「麺将 武士(もののふ)」 撮影時刻 2007/04/21 19:49:39


  5.予定変更−小布施の旧型保存車両

二日目は6:00a.m.に起床し、シャワーを浴びて7:00a.m.を待って1階に下りる。
東横イン名物のおにぎりの無料朝食を喰う。
おにぎり3個、みそ汁、コーヒーなど。
相席になった老夫婦と桜の話などする。
昨日湯田中で見た時はまだ桜が残っていたのだ。
部屋に戻って歯を磨いたあと、チェックアウトする。
少し早めに駅に着き、車両取材して08:10の電車に乗る。
今日の予定は篠ノ井で篠ノ井線に乗り換えて姨捨の駅取材をすることになっていた。
しかし雨が降りそうな空模様で、姨捨駅で1時間56分の待ち時間はちょっと辛い。
晴れていればホームから見える風景なども楽しめるのであるが、
雨が降るとそうもいかない。
いろいろと迷った挙げ句、長野まで行って今日も再び長野電鉄に乗る。
昨日車窓から見かけた小布施の旧型保存車両の取材をしようと思ったのだ。
JR長野駅から長野電鉄に行き、ぎりぎりで須坂行きに飛び乗る。
須坂で湯田中行きに乗り換え、小布施で下車する。
小布施で下りた時に偶然2000系B特急が停車し、取材する。
小布施で駅取材し、そのあと保存されていた旧型車両を取材する。
これは「ながでん電車の広場」という名前が付いていて、
そこには4両の旧型車両が生態保存されている。

 電気機関車ED502(1927年製造)
 電車デハニ201(1926年製造)
 600形電車デハ354(1927年製造)
 1000形電車モハ1005(1949年製造)

留置線に屋根をつけてそのまま「電車の広場」にしているのだが、
留置線に無理矢理留置しているため、全景の写真が撮りづらかった。
それでも旧型車両の中にまで入れるのは良かった。
ただ、その分保存状態ははっきり云って良くない。
いったん改札を出て特急券\100を購入し、10:32の特急に乗って長野に戻る。

2007/10/15 22:32

※写真:長野電鉄小布施駅の「ながでん 電車の広場」 撮影時刻 2007/04/22 10:14:43


  6.6分間の戸倉取材と飯山の散りゆく桜

長野に戻ってJRに入場し、11:07発の小諸行きに乗る。
今朝、上田から長野に向かう途中、
偶然車窓から戸倉の測線に169系が留置されているのを見かける。
本当はそこで下車しようかとも思ったのだが、体が動く前に戸が閉まってしまった。
そこで長野電鉄の取材から戻ってから改めて行くことにした。
しなの鉄道は独自の塗色をしているが、
メインで使用されている115系は3扉車であるのに対し、
169系は2扉なので走る電車の窓越しからでも確認ができる。
169系は急行列車用に国鉄時代に誕生した車両で、
急行の設定から離脱したあとは波動需要に投入されていたが、
JRになってから次々に新しい特急車両が誕生し、
国鉄形の183系や485系が余剰になると、
これらの車両が波動需要に投入されるようになり、
必然的に急行形の165系列が波動需要からも離脱し、廃車が進んだ。
逆にしなの鉄道の例のように、他社に譲渡された車両の方が生き残っている。
640Mは11:31に戸倉に到着した。
そこで望遠レンズで留置線に留置されている169系S52編成の写真を撮る。
そのあと改札を出て駅舎を取材していると下り列車が入線してきたので慌てて入場して乗車する。
たった6分の取材で車両取材と駅舎取材を完了させた。
さすがにしんどい取材だった。
このあと下り列車で再び長野駅まで戻り、
6、7番線ホームにある「信州そば処 しなの」で天ぷらうどん\360喰う。
ここからは予定通りに12:30長野発の飯山線に乗車し、飯山駅を目指す。
途中、豊野で上り列車とのすれ違い待ちの4分間の間に駅取材する。
JR東日本長野支社が掲示している「小さな駅の物語」には以下のように書かれている。

 信越本線 豊野駅 TOYONO
 〔篠ノ井起点 20.1キロメートル〕
 所在地:長野県長野市豊野町豊野
 開業:明治21年(1888年)5月1日
 標高:334.6メートル
 一駅一名物:島崎藤村の文学碑
 豊野駅が開業すると各方面へ新道が開かれ、
 駅前には人力車や荷馬車が営業し、
 北信濃の交通の中枢になった。
 戦後の昭和23年頃からリンゴの出荷が増加し、
 最盛期には年間2万5千トンを貨物輸送で記録した。

また「ふるさとの散歩道」という長野市が設置した掲示物もある。

観音堂

 眺めの良い所にあり、三十三番観世音菩薩の石像が安置してある。

聖林寺大悲閣跡

 弘長2年(1262年)に創建されたという。鎌倉〜室町時代に栄え塔頭十二坊もあったと言われたが
 次第に衰微し、享保14年(1729年)に観音山の中腹に移転中興された。

八雲台古墳

 伊豆毛神社旧社地にある。大変眺望のよい所で、大永3年(1523年)まで鎮座の地であった。
 昭和10年頃氏子の考えによって八雲台と名づけた。社標の裏面には万葉仮名で三首の歌が刻んである。

丹霞郷

 昭和8年春、美術界の巨匠岡田三郎助、和田三造等の画伯一行が北信州の風景を探勝した。
 この時、たまたま見晴らしのよい高台桃源の郷を見て天下の絶景と誉め称え、丹霞郷と名づけた。

権現山

 老松の木立ちの中に御獄大神・成田不動尊・米子滝不動尊が祭られ、又四国八十八箇所霊場の
 弘法大師の石仏が静かにたたずんでいる。

長秀院

 天文元年(1532年)石村城主下村勒負によって開基され、揚天宗播禅師の開山で石田山長秀院と
 名づけられている。

神宮寺跡

 小高い山の中腹の栗野神社境内に建てられた寺で、弘治、永禄年間甲越両将合戦の兵火にかかり
 焼失したという。大きな礎石が静かに点在し往時をしのばせる。

4分の取材で駅舎の写真だけ撮ってすぐに同じ列車に乗り、飯山駅を目指す。
飯山駅に着いた時には、既に雨は本降りになり始めていた。
雨の中を無理して駅舎取材をするが、もうこれ以上の取材は無理だなと判断した。
本来ならここで1時間14分待って下り電車でさらに信州北回廊きっぷのフリーエリアの境界である、
戸狩野沢温泉駅を20分で取材し、始発の列車で長野に戻ることになっている。
しかしこれ以上雨の中の取材はきついので、14:04の上り列車で長野に戻ることにした。
飯山駅にも「小さな駅の物語」の掲示があった。

 飯山線 飯山駅 IIYAMA
 〔豊野起点 19.2キロメートル〕
 所在地:長野県飯山市大字飯山字桝ノ浦778−2
 開業:大正10年(1921年)10月20日
 標高:316.1メートル
 一駅一名物:七福の鐘
 豊野・飯山間は大正10年に開通したが
 越後川口・十日町間を合わせて飯山線が全通したのは
 昭和4年である。
 構内の車庫には、蒸気機関車に代わって
 除雪車が豪雪に備えている。
 ホームの七福の鐘には寺の町飯山の情緒が漂う。

ホームから見える測線の脇には桜の木があって、風が吹くたびに花びらが舞い散っていく。
14:04に飯山駅を出た136Dは、14:57に長野駅に到着した。

2007/10/18 20:55

※写真:飯山駅側線に咲く桜の木 撮影時刻 2007/04/22 13:54:15 


  7.雨天中止と峠の釜めしの攻防−旅の終わり

本来の予定なら飯山から戸狩野沢温泉の取材を20分して、
長野に戻って59分の乗り換え時間で長野新幹線「あさま542号」で帰ることになっていたが、
戸狩野沢温泉の取材を雨天中止したために時間が余ってしまった。
そこで長野駅ビルMIDORI内の改造社書店で鉄道ファンを購入して駅の待合室で時間までずっと読む。
待合室の中にいた時にも雨はどんどん強くなっていっていた。
帰りは17:09長野発の「あさま542号」で東京まで戻る。
おみやげと駅弁を買って新幹線改札口をくぐる。
駅弁にはおぎのやの「峠の釜めし」\900を購入した。
荻野屋の「元祖・峠の釜めし」といえば信越本線横川の名物駅弁で、
かつて横川から軽井沢までEF63型電気機関車重連の協調運転をしていた時に、
機関車の連結の待ち時間に売られていたのが「峠の釜めし」で、
その名の通り、本物の素焼きの釜が使われているのが特徴的である。
包み紙にも「山の幸にて風味豊かに調整いたしております。
容器はそのままご家庭で一四〇g(一合)の御飯がおいしく炊けます」と書かれている。
原材料はご飯(米、酒、みりん、しょうゆ、昆布)、鶏肉、筍、ごぼう、椎茸、栗、杏、うずらの卵、しょうが酢漬け、
グリンピース、砂糖、しょうゆ、食塩、酒、みりん、植物油、七味とうがらし、鰹節、昆布など。
おぎのやは「おかげさまで創業120年」なのだそうである。
長野新幹線の開通で横川−軽井沢間が廃止され、
横川駅は隣接された「鉄道文化むら」への客か、JRバスで軽井沢に向かう客しか利用しなくなり、
横川駅での釜めし消費量はたぶん激減したであろうが、
信越本線沿線を中心に近隣での販売に活路を見いだしているようである。
長野駅のほか、宿泊した上田駅には「峠の釜めし」専門の売店もあった。
1時間43分の旅で東京に到着し、快速で千葉まで出る。
「万葉軒」で玉子うどん\290喰って帰る。

 −撮影データ−

2007.04.21. 撮影 571枚 保存 48枚
2007.04.22._1 撮影 245枚 保存 20枚
2007.04.22._2 撮影 100枚 保存 10枚

 合計    撮影 916枚 保存 78枚 採用率 8.52%

2007/10/21 17:30

※写真:「おぎのや」名物駅弁峠の釜めし 撮影時刻 2007/04/22 17:02:29





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