東武鉄道デイドリーム



  1.偶然の「お休みきっぷ」と手書きの予定表

それは偶然の発見だった。
8月21日に発売になった「鉄道ファン10」」の、
“イベントインフォメーション”のコーナーに、
「JR東日本東京支社『東京総合車両センター一般公開』開催」という記事があった。
これは毎年夏休みの終わりに開催されている大井町にある車両基地の一般公開で、
4年前に一度行ったことがあった。
普段は入れない車両基地の中に入れることもあり、
また車籍を失った旧型保存車両も公開されることから、今年はこれに参加しようと思った。
そして8月25日土曜日にこのイベントに参加した。
そして参加当日にもう一度この雑誌で開催時間を確認しようとした時に、
その後にある記事に目がいった。
そこには「東武鉄道 スタンプラリー開催中!」という記事だった。
スタンプラリーにはあまり興味はないが、
そこに「お休みきっぷ(1日券)」という文字を目にした。
そのときには時間がなかったのだが、
帰ってきて改めて確認したところ、
すでに発売中で、東上本線系統を除く東武線全線を一日乗り放題で\1,800である。
これは使えると思った。
私鉄はなかなか一日乗り放題という切符を発売しない。
埼玉県民の日に合わせて埼玉県内のみ乗り放題という切符が埼玉を走るJRや私鉄で発売されるが、
全線乗り放題というのは珍しい。
関西エリアでは「スルッとKANSAI」なので乗り放題はあるが、
関東の私鉄で乗り放題はなかなかない。
埼玉県民の日の乗り放題で東上線と越生線は全駅取材が終了しているが、
東武本線系統はほとんどが手つかずである。
そこでこの切符を使って東武本線系統の主要な駅を取材しようと思った。
東武佐野線の終点である葛生は一度取材したかったし、
今年の夏の猛暑のニュースで館林が今夏最高という時に流れた映像を見て、
館林駅も取材してみたいと思った。
時間を稼ぐために行きは特急を使って移動、帰りは東武野田線を使って船橋まで戻ることにした。
そして以下のような計画を立てた。

9月8日(土)

05:44幕張−総武緩行線・下り515C(7)−05:51津田沼[9]
06:00津田沼−総武緩行線・下り657B(33)−06:33浅草橋[9]
06:42浅草橋−都営浅草線・上り605T(3)−06:45浅草[15]
 ※お休みきっぷ\1,800
 ※特急りょうもう1号特急券
07:00浅草※−特急りょうもう1号(114/1:54)−08:54赤城[1]
08:55-57赤城−上毛電気鉄道・下り13(10)−09:07西桐生[23] \270
09:30桐生※−わたらせ渓谷鐵道・下り757D(6)−09:36-37相老[23] \230
10:00相老−東武桐生線・下り809(5)−10:05赤城[40]
10:45赤城※−東武桐生線・上り814(38)−11:23東小泉[10]
11:37-38東小泉−東武小泉線・上り726(13)−11:51館林[21]
12:12館林※−東武佐野線・下り623(33)−12:45葛生[25]
13:10葛生※−東武佐野線・上り630(34)−13:44館林[13]
13:57館林−東武伊勢崎線・上り422(28)−14:25久喜[11]
14:36久喜−JR東北本線・下り587M(8)−14:44-45栗橋[54]
15:39栗橋−東武日光線・上り60(22)−16:00-01春日部[18]
16:19春日部−東武野田線・下り1547(39)−16:58柏[13]
17:11柏※−東武野田線・下り1709(28)−17:39船橋

本来ならこの計画表をプリントアウトして持参するつもりでいたが、
予定の直前に今まで使っていたパソコンが突然使用不可能になってしまい、
ハードディスクは取り外して別のパソコンに繋ぎ、
何とかデータは救済したものの、
プリンタがうまく動作せずにプリントが出来なくなってしまった。
そのため緊急手段として予定表を手書きして当日持参することにした。

2007/12/30 23:18


  2.特急「りょうもう」の旅と桐生近辺一周の旅

07:00の浅草発の特急に乗るために4:50p.m.に起床する。
予定では05:44幕張発の電車で津田沼に行き、そこから始発に乗るつもりだったけれど、
05:29の電車に間に合い、更に座れたのでそのまま浅草橋まで行く。
06:17の都営浅草線で浅草まで出る。
早めに浅草に出たので雷門の取材をする。
東武鉄道浅草駅の窓口でお休みきっぷ\1,800を購入する。
受付で聞いて特急「りょうもう」の指定席を購入する。
自動販売機で特急指定券を購入出来て、
しかも窓側、通路側、どちらでもいいを選べるようになっている。
当然窓側をチョイスし、「りょうもう1号」2号車6列21番となった。
指定席は\1,000だった。
売店で駅弁「深川めし」\800と十六茶\150を購入し、
時間まで車両取材などする。
07:00に浅草駅を出て約10分後に北千住に停車し、
そのあと東武動物公園までノンストップで突っ走る。
さすがは有料特急だけあってあっという間に東武動物公園まで到着した。
ここで日光線と伊勢崎線が分かれ、館林、足利市、太田、藪塚、新桐生、相老と停車し、
08:54に終点の赤城に到着する。
車中で駅弁を喰い、そのあと爆睡する。
08:54に赤城に到着し、3分の乗り換え時間で上毛電気鉄道の下り列車に乗車する。
赤城駅は東武桐生線の終点駅で、同時に上毛電気鉄道の途中駅でもある。
東武鉄道は終点のために頭端式になっているのに対し、
上毛電気鉄道は通過駅のために駅舎には踏切を渡る形になっている。
慌てて特急を下車して乗務員に聞いて西桐生行きの電車に飛び乗る。
勿論、駅で切符を購入している暇はない。
上毛電気鉄道は中央前橋駅−西桐生間25.4km、22駅を有する地方鉄道である。
1926年に設立され、1928年に全区間が開業した。
東武鉄道が筆頭株主になっているが、利用客の減少から存続が不安視されている。
車両は元京王井の頭線3000系を導入した700型を使用している。
デザインも井の頭線当時のままなので、ちょっと違和感を覚える。
まるで井の頭線が走っているみたいだ。
約10分で終点の西桐生に到着する。
赤城で切符を買えなかったので、東武のお休みきっぷを見せて赤城から乗車したことを伝え、
駅で\270の精算をする。
西桐生駅は洋風建築の洒落た駅舎で、1998年には関東の駅百選に選ばれ、
2005年12月26日には国の登録有形文化財に指定された。
西桐生はJR桐生駅から徒歩圏内であり、ここから歩いてJR桐生駅に移動する。
ここでの乗り換え時間は23分を取ってあり、ゆっくりと歩いてJR桐生駅に行き、駅取材する。
桐生駅は以前に来たことがあったのだが、時間があったので再取材する。
JR桐生駅にはわたらせ渓谷鉄道が接続している。
わたらせ渓谷鉄道は元国鉄足尾線が分離され、第三セクター化された鉄道会社で、
桐生から間藤までの44.1kmを有する。
自販機で\230の切符を買って入場し、から二つの目の駅の相老まで行く。
相老はわたらせ渓谷鉄道の管理駅だが東武鉄道桐生線も接続していて、ここで東武桐生線に乗り換える。
東武鉄道のホームページによると、根本は一つだが途中で二つに分かれている松があり、
樹齢は300年をあるという県の天然記念物の黒松と赤松があり、
その松にちなんで“相生”と名づけられたが、
兵庫県にある山陽新幹線も停車する山陽本線にも相生駅があるために、「相老」と変更された。
また、駅に掲示されている手書きの駅名由来には以下のように書かれている。

相老駅の由来

相老駅は謡曲高砂の一節「おいて白髪の生えるまで相たずさえて相生の松」から命名されたものと言い伝えられています。
最近「おいて白髪の生えるまで」ということで縁起の良い駅名として結婚する若人の関心を集めています。
なお、地名は群馬県桐生市相生で、駅は明治44年4月15日足尾鉄道株式会社が足尾鉄道を創設した際誕生し、
国鉄が大正7年6月1日に買収したものです。

相老で23分の乗り換え時間の間に駅取材する。
わたらせ渓谷鉄道の管理駅のため、わたらせ渓谷線にあわせて駅舎が設置されている。
わたらせ渓谷鉄道は相対式2面2線で1番線は駅舎に直結している。
2番線と東武鉄道の島式1面2線へは駅舎の外に設置された跨線橋を利用する。
屋根がついていないので遠目に見ると横断歩道橋のようである。
ここから東武桐生線で再び赤城駅まで行く。
赤城から上毛電気鉄道、わたらせ渓谷鉄道、東武鉄道と回って再び赤尾駅に戻ってきたのだ。

2008/01/03 13:17

※写真:JR桐生駅 撮影時刻 2007/09/08 09:19:53


  3.赤城駅と西小泉駅−東武鉄道の二つの終着駅と館林駅

10:05に赤城駅に到着し、ここでの乗り換え時間は40分あるためにゆっくりと駅取材する。
最初に赤城駅に到着した時には直ぐに上毛電気鉄道に乗り換えてしまったために、
駅取材が全く出来なかったが、今度は十分にあるためにゆっくりと駅取材する。
もともとこの駅は上毛電気鉄道の駅として1928年11月10日に開業した。
開業当時は「新大間々」という駅名だった。
国鉄桐生線(現・わたらせ渓谷鉄道)に「大間々」という駅名が徒歩10分の距離にあるため、
開業当初は新大間々駅となったのだ。
1932年3月18日には東武鉄道桐生線が延伸してきて接続した。
東武鉄道はここから更にケーブルカーを設置して赤城山観光に力を入れようとして、
1957年6月11日に赤城登山鉄道株式会社を設立して鋼索鉄道を設置した。
そのため1958年11月1日に駅名を新大間々から赤城に変更した。
しかしこの鋼索鉄道は道路の整備などから利用客が減少し、
1967年11月15日に全線休止され、翌年6月1日には廃止された。
2003年1月6日には現在の駅舎が完成した。
新しい駅舎にも「赤城駅」の駅名表示の上に平仮名で「おおまま」と書かれている。
地元の人にとっては“赤城”という名称よりも“大間々”の方が馴染み深いのかもしれない。
相老から乗ってきた8000系更新形がそのまま折り返し運転されるために、
駅舎取材を終えてから入場し、列車の中に荷物を置いてホームでの取材をする。
その間に上毛電気鉄道の700型が上下線ですれ違ったため、車両取材する。
上毛電気鉄道は単線運転のため、赤城駅で上下線の列車の待ち合わせをするのである。
700型は京王井の頭線から譲渡され、2両編成ワンマン化され、8本が在籍している。
導入当時は上半分の塗色が薄緑色のターコイズブルーのみだったが、
現在では塗色変更が進み、
711F、717F、718Fはターコイズブルー、
713Fはフェニックスレッド、714Fはサンライトイエロー、
712Fはロイヤルブルー、715Fはジュエルピンク、
716Fはラベンダーパープルとバラエティに富んでいる。
今回の取材では最初に乗った713Fのフェニックスレッドと、
赤城駅取材ですれ違った714Fのサンライトイエローと715Fのジュエルピンクを取材出来た。
10:45赤城駅始発の東武桐生線で東小泉まで行く。
予定ではここで10分の待ち時間を利用して駅取材し、
西小泉から来た東武小泉線で館林に行くことになっていた。
しかし間違って西小泉行きに直ぐに乗車してしまい、
西小泉駅での折り返し5分の待ち時間の間に駅取材する。
西小泉駅は島式だが終着駅のために跨線橋などはない。
わずか5分の間に駅取材をして折り返し列車に乗り込み、館林駅まで行く。
館林駅は東武伊勢崎線の駅ながら、小泉線、佐野線の分岐の駅でもある。
その歴史は古く、1907年に開業し、現在の駅舎は1937年に竣工された。
館林市の駅舎取材をする。
駅前にはたぬきの像が設置され、以下のような看板が立てられていた。

分福茶釜の茂林寺

 童話 ぶんぶく茶釜

ある日、お寺の和尚さんがどこかからか茶釜を手に入れてきた。
さっそく火にかけたところ、茶釜に化けていた「たぬき」。
たまらず、手足をだして「あっちっち」。
これに驚いた和尚さん、この茶釜を古道具屋に売ってしまった。
助けられた茶釜たぬきは根恩返ししようと見せ物小屋で曲芸をする。
たちまち古道具屋は大儲け。
思わぬ福にありついた古道具屋は、
これも茶釜を売ってくれたお寺のお陰と茶釜を寺に返すことにする。
その後、ぶんぶく茶釜とあがめられ、寺の宝物になったという。

福を分け与えると言われる茶釜のたぬき、
このたぬき像をここに設置し、
市の繁栄と、市民並びに本市を訪れる全ての人々に
幸福になっていただきたいと思います。

平成十一年六月吉日 館林市

このお話に出てくるお寺とは館林市堀江町にある茂林寺のことです。
茶釜は、今でも寺の宝物として大切に保管されています。

ここで初めて知ったのだが、「ぶんぶく茶釜」の“ぶんぶく”とは“分福”ということなのである。
ここでの乗り換え時間は21分しか無く、結局昼食を取る暇はなかった。
12:12館林市発の東武佐野線で終点の葛生駅に向かうことになる。

2008/01/03 15:06

※写真:赤城駅全景 撮影時刻 2007/09/08 10:13:43


  4.繁栄と衰退の葛生駅と予定変更

12:12に館林駅を出た東武佐野線は33分で終点の葛生に到着する。
途中の佐野駅では両毛線と接続していて新駅舎は共有されているが、
佐野駅での両鉄道の接続は良くない。
そのために佐野駅は2度訪れたことがあるが、葛生駅の駅取材はまだだった。
今回の東武鉄道の旅での一つの目標はこの葛生駅の駅取材である。
東武佐野線は1889年6月23日に安蘇馬車鉄道によって葛生から吉水まで開業したのに始まる。
同年8月10日には佐野まで延伸し、1983年4月13日には安蘇馬車鉄道が佐野鉄道する。
その後に馬車鉄道から普通鉄道に変わり、
1912年3月30日に佐野鉄道が東武鉄道に吸収され東武佐野線となった。
佐野から館林まで延伸したのは1914年8月2日で、東武鉄道になってからである。
葛生は石炭、セメント、ドロマイドなどを運搬する貨物基地としての役割が大きく、
かつては東武会沢線、東武大叶線、日鉄鉱業羽鶴専用鉄道の3つの路線が敷設されていた。
物流の中心が貨物輸送であった頃にはこの駅は相当栄えたようだが、
現在ではトラック輸送が中心となり、東武鉄道の貨物取り扱いも次第に減って、
1986年10月12日には貨物扱いは全廃された。
現在では旅客営業だけの小さな駅になってしまったが、
貨物輸送華やかりし頃の名残として貨物ヤードに使われたと思う広い用地が残っている。
しかし線路は撤去されていて、もの悲しさだけが漂う。
葛生駅での取材時間は25分で、
この時間を利用して駅舎取材のほかに近くにあった「手打ちラーメン あずま」に入り、
チャーシューメン\850を喰う。
確かに手打ちらしく、平たくしかも所々麺が切れていないところもあった。
昼食を喰って13:11の折り返し列車で再び館林に戻る。
東武佐野線には800系が充当されていた。
予定では館林で13分の待ち時間で東武伊勢崎線に乗り久喜まで行き、
11分の乗り換え時間で東武からJR東北本線まで歩き、
JR東北本線で栗橋まで移動する。
栗橋で54分の待ち時間で東武日光線で春日部まで出て、
ここから東武の打線で帰ることになっていた。
しかし久喜駅で1分の乗り換え時間で特急中央林間行きが待っていた。
思わずそれに乗ってしまう。
栗橋駅の駅取材を断念し、先に春日部まで行ってここで下車し、駅取材する。
14:59発の東武野田線に乗り船橋へ向かう。
春日部駅のホームには「オラも春日部市民だゾ!!」と書かれた、
クレヨンしんちゃんのキャラクターが描かれた看板が設置されていた。
東武野田線は柏でスイッチバックする形になっていて、
実際はそのほとんどが船橋-柏間、柏−大宮間で分かれて運行されている。
柏まで行く途中、栗橋駅の駅取材をとばしたために帰路がだいぶ早くなったので、
急遽柏の一つ前の豊四季で下車して駅取材する。
豊四季は木造で瓦のある駅舎だが、
駅舎自体の価値よりもその名前に大きな意味がある駅である。
豊四季は明治時代に政府の命を受けた三井財閥系の下総開墾会社によって開拓された13の地区の一つである。
下総開墾会社は幕府の直轄地の開墾と職にあぶれた武士階級の雇用対策の意味で設立された。
開墾し入植した順に初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三となる。
開墾地は小金牧と佐倉牧という幕府直轄の牧場地が使われた。
初富(はつとみ)は小金牧の中野牧で現在の鎌ケ谷市、
二和(ふたわ)は小金牧の下野牧で現在の船橋市、
三咲(みさき)は小金牧の下野牧で現在の船橋市、
豊四季(とよしき)は小金牧の上野牧で現在の柏市、
五香(ごこう)は小金牧の中野牧で現在の松戸市、
六実(むつみ)は小金牧の中野牧で現在の松戸市、
七栄(ななえ)は佐倉牧の内野牧で現在の富里町、
八街(やちまた)は佐倉牧の柳沢牧で現在の八街市、
九美上(くみあげ)は佐倉牧の油田牧で現在の佐原市、
十倉(とくら)は佐倉牧の高野牧で現在の富里町、
十余一(とよひと)は小金牧の印西牧で現在の臼井町、
十余二(とよふた)は小金牧の高田台牧で現在の柏市、
十余三(とよみ)は佐倉牧の矢作牧で現在の成田市となる。
豊四季で駅舎取材したあと、柏まででここで船橋行きに乗り換え、終点の船橋まで出る。

 −撮影データ−

2007.09.08._1 撮影 555枚 保存 42枚
2007.09.08._2 撮影 120枚 保存 11枚

2008/01/03 16:48

※写真:葛生駅に停車中の東武鉄道800系 撮影時刻 2007/09/08 13:09:15





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