箱根デイドリーム



  1.延期されていた箱根旅行計画

箱根に行こうと思ったのは何時の時だったのだろうか、
もう既に正確に思い出せないが、
最初に何となくこの企画を思いついたのは、
小田急のホームページを何気なく見ている時だった。
“おとくなきっぷのご案内”というコーナーで、エリア別のフリーパスを紹介してあった。
小田急のフリーパスは、以前「江ノ島・鎌倉フリーパス」を利用し、
江ノ電全電停取材を試みたことがある。
その時に、いつか箱根の取材もしてみたいなと漠然と思っていたのだ。
そして今年、再び小田急のホームページを見てこの計画を実行に移そうと思った。
箱根へのアクセスは小田原までが小田急線で、そこから先は箱根登山鉄道、ケーブルカー、ロープウェイと続くが、
鉄道取材の対象は箱根登山鉄道とケーブルカーまでで、
ロープウェイや遊覧船はさすがに対象から外れてしまう。
そこで今回はケーブルカーの終着駅である早雲山駅をゴールと決めた。
そして5月12日土曜日に決行日を決めて、以下のような計画を立てた。

5月12日(土)

06:04幕張−総武緩行線・上り559B(5)−06:11津田沼[7]
06:18津田沼※−総武緩行線・上り605B(53)−07:11新宿[40]
 ※箱根フリーパス購入\5,500
07:51新宿※−小田急小田原線2207(101/1:41)−09:32小田原[18]
09:47小田原−箱根登山鉄道・下り1221(3)−09:50箱根板橋[16]
10:06箱根板橋−箱根登山鉄道・下り2001(4)−10:10風祭[13]
10:23風祭−箱根登山鉄道・下り1225(4)−10:27入生田[15]
10:42入生田−箱根登山鉄道・下り2003(5)−10:47箱根湯本[18]
11:05箱根湯本※−箱根登山鉄道・下り437(8)−11:08塔ノ沢[15]
11:23塔ノ沢−箱根登山鉄道・下り439(4)−11:37大平台[15]
10:52大平台−箱根登山鉄道・下り441(10)−12:02宮ノ下[15]
12:17宮ノ下−箱根登山鉄道・下り443(5)−12:22小涌谷[15]
12:37-39小涌谷−箱根登山鉄道・下り445(3)−12:42彫刻の森[15]
12:57彫刻の森−箱根登山鉄道・下り447(2)−12:59強羅[63/1:03]
 ※餃子センター
14:02強羅※−箱根登山ケーブルカー・早雲山方面(2)−14:04公園下[23]
14:27公園下−箱根登山ケーブルカー・早雲山方面(3)−14:30公園上[20]
14:50公園上−箱根登山ケーブルカー・早雲山方面(2)−14:52中強羅[17]
15:09中強羅−箱根登山ケーブルカー・早雲山方面(1)−15:10上強羅[22]
15:32上強羅−箱根登山ケーブルカー・早雲山方面(2)−15:34早雲山[13]
15:47早雲山−箱根登山ケーブルカー・強羅方面(9)−15:56強羅[22]
16:18強羅※−箱根登山鉄道・上り482(39)−16:57箱根湯本[51]
17:48箱根湯本※−特急「はこね38号」(91/1:31)−19:19新宿 \870

厳密に云えば今回が初めての箱根旅行ではない。
幼い頃、父に連れられて箱根旅行をしたことがある。
その目的はケーブルカーに乗ることだった。
父から自ら動力を持たない、山頂からつり下げられて上下する列車があるという話を聞き、
どうしてもこの目で見てみたくなって、
父にせがんで連れて行って貰ったことがある。
ただ、箱根にケーブルカーを乗りに行ったという記憶は確かにあるのだが、
登山鉄道の車両に乗った記憶はないし、
小田原まで新幹線で行ったのか、ロマンスカーで行ったのか、
あるいは在来線で行ったのかも記憶が全くない。
何歳くらいの時か良く覚えていないが、たぶん物心ついてすぐのことだろう。
もちろんカメラなんて持っていなかったし、
正直云ってケーブルカー以外の乗り物にはそれほど興味を示していなかった。
それがなぜなのかも今となっては全く分からないが・・・。
しかしこの計画はある理由で挫折することになる。
その理由とは「二日酔い」だった。
前日に会社の歓送迎会があり、
仕事では遅番のために一次会には間に合わずに二次会からの参加となった。
そのため必然的に帰りも遅くなってしまい、
前日までは箱根旅行に行くつもりでカメラバッグも用意していたのだが、
はっきり云って全然起きられなかった。
この日は良く晴れて旅行日和だったのにもかかわらず、
箱根取材の旅は延期となってしまった。
その後も幾つかの機会はありながらなかなか実行には移せず、
計画が実行されたのは9月15日になってからのことだった。

2007/10/07 23:58


  2.ロマンスカーEXEと雨の箱根

先週は土曜日に日帰りで東武鉄道の旅を決行したのだが、
9月15日も天気予報が良い状況だったので引き続き箱根の旅を決行することにした。
05:44御茶ノ水行きで終点の御茶ノ水まで行き、
ここで06:34発の中央特快高尾行きに乗り換えて新宿まで出る。
新宿でJRから小田急に乗り換える。
ここからは割引周遊券である「箱根フリーパス」での旅となる。
この切符の買い方が分からず、改札で聞いたところ券売機で購入できるとのこと。
3日間有効で新宿から\5,500である。
同時に特急「はこね3号」の特急券\870も購入する。
予定では帰りはロマンスカーを使うが、行きは急行で行くつもりだった。
しかし時間を短縮したいのとゆったりとロマンスカーを味わいたいと思い、
行きも急遽特急券を購入することにした。
これで並ばずにゆっくりと車両取材も出来る。
「はこね3号」は30000形EXEを使用していた。
売店で「てまり弁当 箱根八里」\1,050を購入し、
ロマンスカーのシートでゆったりと食べる。

 《てまり寿司》

当店の緑色の舎利は、無農薬・有機栽培、田河内(粉末)の煎茶と米酢を合わせたものです。
8種類のネタで押した「てまり寿司」は、お菓子のようにかわいい寿司です。

緑の寿司の効能 静岡県田河内は山間地のため昼夜の気温差が大きく独特の香りの
        強いお茶ができ、無農薬栽培に適したところです。
        田河内(粉末)を使用することにより、お茶にはカロチン・ビタミンA・
        ミネラルなど様々な成分が豊富に含まれています。
        1.ガンの予防  3.糖尿病の予防  5.虫歯と口臭の予防
        2.高血圧の予防 4.老化防止

 〈姫てまり〉 ★とびっこ  少し甘い錦糸卵で巻いてみました。
 ●華乃舞   ★いか    赤いかの削ぎ身にレッドペッパーを添えて。
        ★いくら   甘いおぼろに上に醤油づけのいくらを乗せました。
        ★こはだ   新鮮なこはだを酢でほどよくしめて。
        ★和菓子   甘いデザートの季節の和菓子。
        ★海老    海老を蒸してショウガと甘酢につけて。
        ★サーモン  岩塩でしめ、生酢に1時間つけてあります。
        ★鯛昆布シメ 昆布で一昼夜巻いて寝かしてあります。

   ※サーモンは2個使用しております。  ※季節により異なる場合もあります。
   ※無農薬粉末煎茶ですので寿司めしが変色する場合がありますがお茶特有なもの
    ですのでさしつかえございません。

在来線の特急に乗っていると当然のことながら同じ線路に普通列車も走っていて、
駅ではその普通の電車を待っている多くの人たちを見ることになる。
こちらは特急のシートで駅弁を喰いながらくつろいでいるのに、
窓の外では混雑した電車に乗っている乗客を見るとちょっとした優越感に浸れる。
「はこね3号」は向ヶ丘遊園、町田、本厚木、新松田と停まったあと、08:45には小田原に到着する。
駅弁を喰ったあと、朝早いこともあって爆睡してしまった。
車窓には青空が広がっていて、気持ちの良い旅になった。
しかし小田原の直前で目が覚めると外は曇っていた。
そして小田原から箱根登山鉄道の路線に進入する頃になるとポツポツと雨が降り始めた。
“えっ〜、聞いてないよぉ〜”と思わず叫びたくなってしまった。
天気が良いから今日を選んで箱根の旅を決行したのに、
雨が降るのなら無理して今日来ることはなかったのだ。
雨は箱根湯本に向かうにつれて少しずつ強くなっていった。

2008/01/21 23:57

※写真:新宿駅に停車中の小田急ロマンスカーEXE 撮影時刻 2007/09/15 07:24:47


  3.箱根登山鉄道全駅取材

箱根湯本でロマンスカー「はこね3号」を下りて、
ここからは箱根登山鉄道の車両に乗り換えることになる。
予定では一つずつ上りながら駅取材するつもりだったが、
思ったよりも混雑しているのでそのまま終点の一つ前の「彫刻の森」まで行く。
ここは駅名通り、箱根彫刻の森美術館の最寄り駅で、
上る途中でも幾つかの彫刻が車窓から見ることが出来た。
箱根登山鉄道は1888年2月1日に設立された小田原馬車鉄道に端を発する。
馬車鉄道として同年10月1日に国府津から小田原を経て湯本までの区間を開業させる。
1896年10月31日には社名を小田原電気鉄道に変更し、1900年3月21日までに全線電化を成し遂げる。
1919年6月1日には箱根湯本から強羅までの鉄道線も開業させるが、
1920年12月6日に国府津−小田原間の市内線を廃止される。
1928年1月21日に小田原電気鉄道は日本電力と合併し、
同年8月16日に新たに箱根登山鉄道が設立され、日本電力から鉄道線の事業を譲渡される。
1935年10月1日に現在の路線である小田原−箱根湯本間の鉄道線が開業し、
市内線は箱根板橋−箱根湯本間が廃止され、1956年6月1日に小田原−箱根板橋の市内線も廃止された。
戦時中の1942年5月30日には日本電力が箱根登山鉄道の持株を東京急行電鉄に譲渡、東急の子会社となる。
東急は小田急、京急、京王を次々と合併し、巨大な首都圏の私鉄王国を作り上げるが、
戦後GHQの指導によって再び元の会社に分割された。
この時に小田原までの路線を持っている小田急が箱根登山鉄道を子会社に組み入れることを希望し、
その代わり小田急だった井の頭線が路線の少ない京王に割り当てられた。
そのため今でも京王本線と京王井の頭線は軌間が違っていて、
下北沢では京王井の頭線と小田急小田原線の線路が繋がっている。
2003年8月1日には小田急の完全子会社となり、
2004年10月1日には小田急箱根ホールディングスに商号変更して純粋持株会社に移行、
同時に新たな箱根登山鉄道が新設され、鉄道事業を引き継いだ。
箱根湯本から彫刻の森までは2000系3両編成に乗った。
2000系は「サンモリッツ号」の愛称が付けられている。
これは姉妹提携を結んでいるスイスのレーテッシュ鉄道の経由地の名称である。
レーテッシュ鉄道にも「Hakone」の愛称の付けられた列車が存在する。
この2000系第3編成が強羅から折り返してくるのを待って次の「小涌谷」へ行く。
ここでも雨の中の取材だったが、幾分勢いは衰えていた。
遠くの山には湯煙も見える。
ここからモハ1形で「宮ノ下」に行く。
ここでは行き違い列車の待ち合わせのため少し停車時間があったので、
その時間を利用して慌てて駅取材をする。
「宮ノ下」は坂の途中に駅があり、駅前は狭い道だったが、駅舎自体は洒落たデザインだった。
同じモハ1形に乗り込んで次の「大平台」まで行く。
途中に「上大平台信号場」でスイッチバックがある。
スイッチバックは列車の進行方向が変わることで、
山岳列車の場合は急勾配を回避するためにこのような線形を取ることがある。
また「大平台」の駅自体もスイッチバックになっている。
駅員はホームの横に設置された切符売り場に常駐しているが、
実際の改札は階段をあがった上にある。
ここからまたモハ1形に乗って次の「塔ノ沢」に向かう。
途中「出山信号場」があり、ここでもまたスイッチバックが行われる。
ここでは上ってくる下り電車って、ちょっとややこしいが、
下り電車とのすれ違いが行われるが、
これが旧塗色に変更されたモハ2形で、「箱根ワクワク号」として運行されていた。
信号場は駅ではないが、運転手と車掌が前後に乗り換えるための細いホームが存在する。
「塔ノ沢」は上りホームに深沢銭洗弁天がある。
ホームは相対式で上りホームに跨線橋は隣接するトンネルに沿って設置されていて、
更にその階段はハイキングコースへの入り口も兼ねている。
クモハ1000形で箱根湯本まで行って、ここから小田急車両に乗り換えて更に駅取材する。
ちなみにクモハ1000形には「ベルニナ号」の愛称が付けられている。
スイスのレーテッシュ鉄道のベルニナ線から取られている。
小田急の車両に乗って一つ目の駅は「入生田」で、
ここは「『春日局』ゆかりの長興山紹符太寺」の最寄り駅で、
駅前の看板には「小田原稲葉氏一族と春日局の墓所や、
稲葉正則の忘れ形見天然記念物『長興山しだれ桜』などが見どころです」と書かれている。
次の「風祭」は工事中で仮設駅舎だった。
この駅はホームの長さが30mしかないために、小田急の長い編成では全てホームに入りきれず、
箱根湯本方の1両だけを、車掌や駅員が非常用ドアコックを操作してドアを開ける。
列車が近づくと駅員が軍手をしてホームに待機している。
取材時はホームの拡張工事中で、駅舎も仮設のものになっていた。
次の「箱根板橋」は既に小田原の近くであり、
ホームからは東海道新幹線の高架線も見える。
ここで駅取材してから「山竹」というラーメン専門店に入り、味噌ラーメン\500、餃子\400喰う。
普通のラーメン店の味だった。
ここから更に小田原駅を目指す。

2008/01/29 23:43

※写真:出山信号場に入線しようとするモハ2形「箱根ワクワク号」 撮影時刻 2007/09/15 10:53:27


  4.強羅の一般公開とロマンスカーLSE旧塗色

小田原駅は以前一度訪ねたことがあるが、そのときはまだ東口は工事中だった。
そのため今回改めて東口の取材ために小田原まで来たのだ。
東口はペデストリアンデッキが完成し、LUSCAという複合商業施設も併設されていた。
また東西自由通路であるアークロードの入り口には、
二宮尊徳の銅像が建っていて、以下のように書かれていた。

二宮尊徳(金次郎) 〔一七八七〜一八五六〕

郷土の偉人、二宮尊徳(金次郎)は、今の小田原市栢山に生まれ、
少年時代に両親を亡くして苦労しましたが、それを乗り越えて立派に成人し、
後に栃木・茨城・福島・神奈川など各地で多くの村の復興に尽力しました。
また「どんなものにも徳がある」「譲って損なく奪って益なし」など、
たくさんの教訓を残して、今でも多くの人から尊敬されています。

小田原で駅取材を終えてから再び小田急車両で箱根湯本まで行き、
箱根登山鉄道に乗り換えて終点の強羅駅まで行く。
強羅駅ではちょうど一般公開の日に当たっていて、
「箱根ワクワク号」として運行されたモハ2形が展示され、
その前で子供たちが運転手の衣装を借りて記念撮影などをしていた。
モハ2形108号車は旧塗色の下半分がスカイブルーになっていて、
みんなその前で写真を撮っていた。
また普段はなかなか見かけることのない工事資材運搬用の電動貨車モニ1形も公開されていた。
強羅駅での一般公開で車両取材したあと、駅舎取材して改札に入る。
当初の予定ではケーブルカーにも乗るつもりだったが、
すごく混んでいたので断念する。
強羅駅からまっすぐに箱根湯本まで戻り、ここで特急券を購入する。
当初の予定では帰りはVSEに乗るつもりだったが、
ケーブルカーの取材を断念したために予定よりも早く箱根湯本に着いてしまった。
VSEは「はこね38号」に充当されていたが、
箱根湯本発が17:48で2時間以上も時間がある。
そこで一番近い「はこね30号」で帰ることにした。
「はこね30号」にはLSE7000形が充当されていた。
これは小田急ロマンスカーの現役車両ではもっとも古いタイプで、
しかも旧塗色を纏っていた。
特急券は\870で、ロマンスカーで新宿まで行くのだからこの料金はまあ妥当だろう。
売店で「四季の味 秋」という駅弁を購入し、車中で喰う。
当然のことながら蓄積した疲労もあって爆睡してしまった。
15:48に箱根湯本を出て17:19には新宿に到着した。
ビックカメラで買い物などして帰る。

 −撮影データ−

2007.09.15._1 撮影 507枚 保存 42枚
2007.09.15._2 撮影 275枚 保存 23枚
2007.09.15._3 撮影 118枚 保存 5枚

2008/02/06 02:24

※写真:箱根湯本駅に停車中の小田急ロマンスカーLSE旧塗色 撮影時刻 2007/09/15 15:43:27





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