霜月しらかみ純情物語



  1.五度目の正直−幻の指定席購入

それはおいらにとってまさしく幻の指定席券だった。
過去に4度もリゾートしらかみの旅を企画し、そして失敗してきた。
最初は2004年10月で、その時は一時中断していた三連休パスが復活し、
1泊3日での計画を立てた。
1日目は日帰りで「きらきらうえつ」の旅を楽しみ、
2日目に「こまち1号」で秋田入りし、「リゾートしらかみ3号」に乗る。
その頃はまだ2編成しかなかったため、
「・・・3号」は蜃気楼ダイヤを実施していた。
蜃気楼ダイヤとは一端通り過ぎた列車が蜃気楼のように再びやって来るというダイヤである。
観光名所の駅で次々と乗客を降ろしていったあとに、
逆戻りして再び同じ観光名所の駅を今度は乗客を乗せて走るというものである。
鉄道というものは本来速達ということに重点を置く傾向にあるが、
この列車は敢えて逆走することで1本の列車で途中下車を堪能できることになっている。
ウエスパ椿山で下車して蜃気楼ダイヤで再び「リゾートしらかみ3号」に乗車し、弘前まで行く。
弘前で一泊して3日目は木造や五所川原からの津軽鉄道を堪能して「つがる」、「はやて」で帰る。
しかしこの計画は実際に三連休パスを購入する前に断念することとなった。
秋の行楽シーズンの三連休ということもあって、弘前でのホテルが押さえられなかったのである。
大鰐温泉、青森にまで範囲を広げてみたが、結局全てのホテルが満室だった。
そのためこの計画は中止した。
そして2度目のリゾートしらかみの旅の計画は、翌年の2005年に計画された。
リベンジの意味合いもあって予定の3ヶ月前の7月には弘前のホテルを押さえ、
ほぼ同じ日程で計画を立てた。
1日目の「きらきらうえつ」の指定席を取れたものの、
やはり「リゾートしらかみ3号」の指定席が取れなかったのである。
結局この年は計画を変更し、
2日目は秋田から奥羽本線を取材し、大鰐温泉から弘南鉄道大鰐線で弘前中央に出て、
五能線で五所川原まで行って宿泊し、
3日目に津軽鉄道で金木まで行って帰るという計画を実行した。
しかしどうしてもリゾートしらかみの旅を実行したくて、
翌年、2006年9月の三連休で三度リゾートしらかみの旅を企画した。
この時は三連休パスで0泊3日の旅を企画し、
その前日に別料金を払って寝台特急「あけぼの」の秋田入りすることにした。
1日目は「リゾートしらかみ1号」でウエスパ椿山に行き、
「リゾートしらかみ3号」で弘前まで来たらそのまま直ぐに、
「つがる30号」で八戸、「はやて30号」で東京まで帰ってくる。
2日目は「SLばんえつ物語」の旅、
3日目は「さんりくトレイン宮古2号」と「さんりくトレイン宮古1号」の旅を楽しむ。
しかしこの企画は2006年7月13日に起きた集中豪雨で、
羽越本線小岩川−あつみ温泉で土砂崩れが発生し、
「あけぼの」を含む羽越本線を走る長距離列車が全て運休となってしまった。
この計画では「あけぼの」での前乗りは必須であり、そのために中止せざるを得なくなってしまった。
三度目の正直が二度あることは三度あるということになってしまった。
そして今年も懲りもせずにリゾートしらかみの旅を企画した。
今年はそれまでの三連休パスを利用した旅から、
新しく登場した“秋田・大館フリーきっぷ”を利用した旅に切り替えた。
三連休パスは三連休の時にしか発売されないが、
この“秋田・大館フリーきっぷ”発売期間の制限がないため、普通の土日にも利用できる。
五能線は全区間がフリーエリアなので、追加して指定席券だけ購入すれば「リゾートしらかみ」を利用できる。
そこで11月9日金曜日から11日日曜日の3日間で、2泊3日の旅を企画した。
1日目は秋田新幹線で前日入りし、
2日目に「リゾートしらかみ1号」と「リゾートしらかみ3号」で五能線を完乗し、
3日目に再び秋田新幹線で帰る。
今年こそはリゾートしらかみの旅を決行しようと思った。
しかし「・・・3号」の指定席は取れたものの、「・・・1号」は満席だった。
せっかく新しい切符で取りやすい時に企画したにもかかわらず、
やはり“リゾートしらかみ”の指定席券は幻に終わってしまった。
だが、よく考えてみるとこの切符は期間が決まっているわけではないので、
その翌週でも良いわけである。
無理は承知の上で翌週にもう一度申し込んでみた。
通算5度目のリゾートしらかみの旅の企画である。
無理だと思っていたら、なんと「・・・1号」も「・・・3号」も指定席が取れた。
・・・取れてしまった。
そこで急遽「秋田・大館フリーきっぷ」を指定席券売機で購入し、
同時に新幹線の指定席も同時に取り、翌日には帰りの新幹線の指定席も取った。
そして以下のような計画を立てた。

11月16日(金)

06:33幕張※−総武緩行線・下り621C(48)−07:21秋葉原[4]
07:25秋葉原−京浜東北線・南行775A(5)−07:30東京[58]
08:28東京※−秋田新幹線「こまち7号」(216/3:36)−12:04大曲[23]
12:27-32大曲−奥羽本線・上り440M(12)−12:44後三年[59]
13:43後三年−奥羽本線・上り2442M(28)−14:11湯沢[27]
14:38湯沢※−奥羽本線・下り445M(108/1:48)−16:26秋田

 ※ホテルメトロポリタン秋田チェックイン

11月17日(土)

 ※ホテルメトロポリタン秋田チェックアウト

08:26秋田※−「リゾートしらかみ1号」(128/2:08)−10:34ウエスパ椿山[166/2:46]
 ※ブナ編成
 ※東能代09:17-25[8]
13:20ウエスパ椿山−「リゾートしらかみ3号」(150/2:30)−15:50弘前[10]
 ※くまげら編成
 ※千畳敷14:02-12[10]
16:00弘前−弘南鉄道弘南線35(13)−16:13平賀[33] \330
13:36平賀−弘南鉄道弘南線38(13)−16:49弘前[20] \330
17:09-12弘前−奥羽本線・下り657(38)−17:50新青森[12]
18:02-03新青森−奥羽本線・上り666M(96/1:36)−19:39-52大館

 ※ロイヤルホテル大館チェックイン

11月18日(日)

 ※ロイヤルホテル大館チェックアウト

07:45-47大館−奥羽本線・上り1634D(20)−08:07鷹ノ巣[21]
08:28鷹ノ巣−奥羽本線・上り3936D(63/1:03)−09:31井川さくら[30]
10:01井川さくら−奥羽本線・上り2630M(31)−10:32秋田[44]
11:16秋田※−男鹿線・下り1131D(58)−12:14男鹿[16]
12:30男鹿※−男鹿線・上り1134D(61/1:01)−13:31秋田[34]
14:05秋田※−秋田新幹線「こまち20号」(243/4:03)−18:08東京

この予定に沿ってメトロポリタン秋田にネット経由で予約を入れた。
これでリゾートしらかみの旅をようやく実行できると思った。
しかし直前の天気予報では、秋田や青森は3日間とも雨の予報になっていた。
これは厳しい取材になるかもしれないと思った。

2007/11/20 22:16


  2.真夜中の予約と大曲での途中下車−旅の始まり

11月16日金曜日に有給休暇を取り、
いよいよリゾートしらかみの旅を実行に移そうとした前日、
17日に宿泊を予定していたロイヤルホテル大館に予約を入れていないことに気付く。
まさしく目が点になってしまった。
翌朝は06:33の始発電車に乗るため、5:30a.m.に目覚まし時計をかけていたが、
寝る直前にそのことに気付いて慌ててパソコンを立ち上げ直し、
改めてホームページ経由でロイヤルホテル大館に予約を入れた。
予約完了の返事のメールが来たのは、
真夜中というよりは、むしろ当日の早朝に近い3:26a.m.だった。
そのため睡眠時間が2時間になってしまった。
5:30a.mに目覚ましをかけたのだが、起きられたのは6:00a.m.を過ぎてからだった。
06:33の幕張駅始発電車で御茶ノ水まで行き、中央快速で東京駅まで行く。
ここで少し車両取材し、更に東海道線のホームで入線してきた湘南ライナーの車両取材をする。
以前、少し遅めの新幹線に乗ろうとした時、
新幹線ホームの駅弁がほとんど売り切れていたことがあったので、
今回は新幹線改札口をくぐる前に駅弁を購入することにした。
NREの売店で「秋の吹き寄せ弁当 秋露のささやき 平成十九年」\1,300とペットボトルをお茶を購入する。
この弁当は毎年春と秋にそれぞれ期間限定で発売されるNREの名物弁当で、
今年の秋のお品書きには以下のように書かれている。

吹き寄せ弁当 秋露のささやき 〜平成十九年〜
   〜おしながき〜

鯵南蛮漬焼
玉子焼
有頭海老煮
秋味きのこ和え
秋刀魚旨煮
笑い栗
翡翠銀杏串
零余子真丈
炊き込み御飯
 (契約栽培農家による有機認証米 秋田県産 あきたこまち使用)
 松茸
 赤とんぼ人参
季節の煮物
 海老芋六万
 がんも
 秋茄子
 木の葉南瓜
 絹さや
椎茸海老詰揚げ
タコ唐揚げ
蓮根天ぷら
舞茸天ぷら
青唐素揚げ

駅弁をゲットして安心して新幹線ホームに上がり、
少し車両取材などをしてから「こまち7号」の入線を待って指定席に乗り込む。
予約していたのは15号車13番A席である。
当然のことながら、駅弁を喰って爆睡してしまった。
仙台に入線する手前まで爆睡していたが、さすがにそこから先は眠れずに起きていた。
盛岡に入る直前にファステックCH360S、E954形とすれ違う。
噂には聞いていたが、実際に目にしたのは初めてだった。
もちろん、写真を撮る余裕などは全くなかった。
盛岡から「はやて7号」と分離して田沢湖線に下りる。
田沢湖線は本来は在来線なのだが、「こまち」直通のために標準軌に改軌され、
在来線普通列車の701系も田沢湖線用は標準軌対応となっている。
田沢湖線に入っていきなり踏切を通るとちょっと違和感を感じる。
今までは新幹線に乗っているという感覚でその感覚のまま在来線を走っているわけで、
新幹線にあるはずのない踏切がいきなり車窓に流れていくとやはり変な感じだ。
「こまち」は田沢湖線に下りた途端、普通の特急電車に成り下がるのだ。
しかも上り列車とのすれ違いのため、無人駅で停車したりもする。
完全に新幹線の領域から逸脱している。
そして「こまち7号」は大曲に到着する。
指定席は秋田まで取っていたが、旅の計画は大曲で下車することになっていた。
大曲での停車時間は23分で、その間に駅取材をして昼食のための駅弁を購入する。
大曲では新幹線ホームにしか駅弁を売っている場所がなく、
いったん出てしまったが駅員に断って駅弁を購入するために新幹線ホームに入れて貰う。
購入したのは「秋田比内地鶏弁当」\1,100だった。

2007/12/10 01:24

※写真:JR東京駅に停車中の秋田新幹線「こまち7号」 撮影時刻 2007/11/16 08:23:34


  3.後三年の役の駅と雨の湯沢

大曲駅でゲットした駅弁を持って12:32大曲発の奥羽本線・上りに乗り込む。
約12分の旅で後三年駅に到着する。
後三年は無人駅で取り立てて取材するべき駅ではなかったが、
「後三年の役」という歴史上の舞台になっていることから何となく以前から一度は取材してみたいと思っていた。
駅には「後三年の役」の説明看板が立っており以下のように書かれている。

 後三年の役

 奥羽を支配した清原氏の内紛に端を発し発した争いは、
 後に源氏の介入により後三年の役へと発展しました。
 清原家衡、武衡軍と、藤原清衡、源義家軍との戦いは、
 「雁行の乱れ」や「剛臆の座」、「鎌倉源五郎影正の奮戦」など
 数々の逸話を今に残しています。
 一〇八六年、沼の柵(横手市雄物川町)で清衡、義家軍に勝利した家衡、武衡軍は、
 より堅固で難攻不落といわれた金沢柵(横手市)に本拠を移し、
 ここで最後の攻防が行われることになりました。
 金沢柵の堅い守りに清衡、義家軍は日本史上初といわれる兵糧攻めを展開、
 堅城の誉れ高い金沢柵も一〇八七問十一月十四日、ついに戦火の中に落ちました。
 家衡、武衡も討ち取られここに後三年の役は集結、
 藤原清衡は北方の王者の初代として奥州平泉文化の基礎を築くことになります。

日本史は苦手なので後三年の役がどういうものなのか、ここに来るまで全く分からなかったが、
奥州平泉の中心となった奥州藤原氏の誕生がこの戦いに端を発しているということだけは分かった。
それだけにこの戦いは東北の文化にとって重要な意味があったのだろう。
駅取材をしてから大曲で購入した「秋田比内地鶏弁当」を駅の待合室で喰う。
「秋田比内地鶏100%使用」と書かれている。
最近、比内地鶏というとどうも“偽装”という言葉がついて回るような気がするが、
これはJAあきた北央がそういっているのだからたぶん間違いないだろう。
確かに美味いのだが、ちょっと独特の味がすると思った。
新幹線で仙台を出た時は快晴だったのだが、ここでは小雨が降り出していた。
59分の駅取材で13:43に後三年をあとにして奥羽本線・上りで湯沢まで行く。
28分の移動時間だったが、この間に雨はすっかり本降りになってしまった。
そのため、湯沢駅の取材は雨の中の撮影となってしまった。
駅に掲げられていた「駅名の由来」には以下のように書かれている。

−湯沢駅−

湯沢は、横手盆地南端の御嶽山から愛宕山麓沿いに位置しています。
御嵩山麓には、かつて七人の落ち武者が温泉を発見して住みついたといわれる、
「湯の原」部落があります。
これにちなみ、湯沢の地名がついたといわれています。
また、湯沢の南にある東鳥海山麓の一支谷、金池川扇状地の原野にも「湯の原」といい、
これにちなんだという説もあります。

14:38湯沢始発の奥羽本線・下りで1時間48分かけて秋田に戻る。
車中で爆睡してしまった。
秋田についてホテルメトロポリタン秋田にチェックインする。
入り口が分からずにアピコの案内係に訊いてようやくチェックインする。
少し休んでカメラだけを持って出掛ける。
アピコ3階の「龍苑 三龍亭」という中華専門店に入って回鍋肉定食\950、ビール\250喰う。
回鍋肉に麻婆豆腐、中華スープ、杏仁豆腐などが付いてきた。
定食をオーダーするとビールが半額になるというので、ビールも頼んでしまう。
ビールを飲みながらなので満腹になってしまい、
少し休んで買い物などしてホテルに戻り、テレビを見ながらまたビールなど飲む。

2007/12/16 11:53

※写真:後三年駅に停車中の701系N8編成 撮影時刻 2007/11/16 12:49:28


  4.「リゾートしらかみブナ編成」とウエスパ椿山

翌朝はホテルで朝食を取らないために7:00a.m.まで寝ている。
シャワーを浴びて歯を磨いてからチェックアウトするが、
既に朝食を取る時間がなくなってしまったためそのまま秋田駅に入場する。
既にホームにはリゾートしらかみ・ブナ編成が入場していた。
リゾートしらかみは3編成が存在するがブナ編成は2番目に落成した車両である。
もともと1編成だけで1997年3月22日から運転されていた。
当時は1編成しかなかったために蜃気楼ダイヤといってあきた白神から鰺ヶ沢までの、
五能線の有名観光地で乗客を降ろしてから、再び回送して降ろした乗客を乗せて走るという、
時刻表にも乗らない運転形態を取っていた。
五能線は普通列車の運転本数が少ない上に単線で特急や急行も走らず、
リゾートしらかみは白神山地の世界遺産登録とも相まって、人気が爆発した。
そのためにジョイフルトレインの中でも運転本数がダントツに多い割には、
指定席が取れない列車として有名だった。
そのため2003年4月からはブナ編成が投入され、
更に3年後の2006年3月からは3編成目になるくまげら編成も投入され、
同時に4両編成だった第1編成を3両編成に編成変更された。
第2編成投入時から第1編成は「青池」という名称が与えられた。
「ブナ編成」、「くまげら編成」ともに落成時の旅客営業投入前の品川駅の一般公開時に取材しているが、
旅客営業されている車両を見たのは初めてだ。
「ブナ編成」は本来木偏に“無”と書くのだが、
JIS漢字でないために表記できないのでカタカナで代用している。
リゾートしらかみ1号は08:26にあきたを発車する。
2号車のボックス席を取ったが、相席にはならなかった。
列車が発車して直ぐに車内販売が来て、駅弁「しらかみ弁当」を購入する。
東能代で8分、能代で5分の停車時間があったため、
その時間を利用して駅舎取材する。
秋田から東能代までは奥羽本線を行くが、
東能代でスイッチバックする形で五能線に入る。
五能線は東能代から川部までの147.2kmで、
1908年7月1日に官設鉄道として能代(現・東能代)−能代町(現・能代)が開業したのに始まり、
国鉄能代線として1932年10月14日には陸奥岩崎まで延伸した。
1918年9月25日には陸奥鉄道五所川原線が川部から五所川原まで開業し、
1934年12月3日には深浦まで延伸した。
1927年6月1日には陸奥鉄道が国有化され、国鉄五所川原線となった。
1936年7月30日には一気に陸奥岩崎−深浦間が開通し、
五所川原線と能代線を合わせた路線ということで五能線という名称になった。
10:35にはウエスパ椿山に到着する。
ここまでは海岸寄りを走りながらもどちらかというと山間地を走っているというイメージだった。
WeSpa椿山は1995年4月に開業した深浦町の第三セクターふかうら開発が運営している観光施設で、
近くを走る五能線の駅が出来たのは2001年12月である。
駅といっても単線の線路にホームだけがあるだけで、駅舎はない。
当然無人駅だが、リゾートしらかみが停車する時には深浦開発の職員が駅長に扮し、
観光駅長として客を迎えてくれる。
コテージや温泉施設、レストラン、それに昆虫館やガラス工房まで兼ね備えている。
国道101号線を挟んだ反対側の山頂には風力発電施設があり、
風車の隣に立つ展望台までスロープカーが設置されている。
リゾートしらかみ・青池編成をもしたデザインで、往復で\400だが、リゾートしらかみ利用者は\100引きになる。
ウエスパ椿山に到着して直ぐにこのスロープカー「しらかみ号」で山頂に行き、
風車の丘「白神展望台」かせの眺望を楽しむ。
この展望台にはガラスのはまった室内展望台の上に、
階段で行く屋上の展望台がある。
写真を撮るために屋上まで上ったが、
しかし風車を回すほどの風が吹き抜ける場所なので、
当然激しい風の中での撮影となった。
特に海から吹き抜ける風は激しく行きも出来ないほどだった。
戻ってから静態保存されている蒸気機関車8620型78653号機を取材し、
12:19に普通列車が到着するのを待って駅取材する。
そのあと昼食を喰おうと思ってレストラン「カミリア」に行くが満席だったので諦め、
石鍋温泉開閉式展望温泉に入る。
ここはドーム形の開閉式温泉施設だが、ドームが開閉されるのは4月から10月までの好天時だけで、
11月だったのでもう閉まったままになっていた。
入浴料は\500だが、リゾートしらかみ利用者は半額になる。
ここでゆっくり入浴していたら13:21のリゾートしらかみ3号の到着が近づいていた。
慌てて出て汗をしたたらせながらウエスパ椿山駅に向かう。
それでも列車到着の5分くらい前には駅に到着する。
汗だくだったが外気は冷たく、直に汗はひいていた。
観光駅長がスタンバって、入線してくるリゾートしらかみ3号「くまげら編成」に頭を下げていた。

2007/12/16 15:55

※写真:風車の丘「白神展望台」からみたウエスパ椿山全景 撮影時刻 2007/11/17 11:08:57


  5.「リゾートしらかみくまげら編成」と弘南鉄道弘南線

13:21発の「リゾートしらかみ3号」は「くまげら編成」が充当されていた。
リゾートしらかみの中でも一番新しい車両で、その分車内も綺麗いだった。
「リゾートしらかみ3号」は1号車1番A席で、全面眺望が自分の席からも楽しめる特等席だった。
ウエスパ椿山のを過ぎると次の深浦は停車時間が5分あり、そのわずかな時間で駅取材する。
昼食を喰いそびれたので車内販売で「あったけぇきりたんぽ弁当」\1,200を購入する。
正式には「加熱式きりたんぽ弁当」で、紐を引いて発熱パックで加熱するタイプで、
添付のスープを入れてから加熱して約8分後に食べられるきりたんぽ鍋の弁当で、
御飯はなく、鍋そのものが弁当として再生されているのは画期的だ。
加熱するのは千畳敷に停車するのを待って行うことにした。
千畳敷は3号車のみが停車する無人駅でホームだけしかなく、
津軽藩主が畳を千枚敷き詰めて宴を開いたという逸話からその名が付いた。
10分間の停車時間の間にこの千畳敷を散策する。
太宰治や大町桂月の文学碑もあり、みんなこの時間にちょっとした海岸散策を楽しむ。
列車に乗り遅れないように発車3分前に汽笛を鳴らして教えてくれる。
汽笛を合図に列車に戻り、きりたんぽ弁当を喰う。
鰺ヶ沢も停車時間が5分あったので駅取材する。
鰺ヶ沢から五所川原までの間、1号車の展望ラウンジで津軽三味線の生演奏がある。
当然一番前の特等席で聴くことになる。
五所川原では8分の停車時間があったので、
跨線橋を渡って津軽鉄道のホームに行き津軽21形気動車と、
DD35型ディーゼル機関車を取材する。
この機関車には既に「ストーブ列車」のヘッドマークが取り付けられていた。
津軽鉄道では冬季のみダルマストーブが設置された客車を牽引する。
そのほか夏には風鈴列車、秋には鈴虫列車などを走らせ、集客に努めている。
五所川原では4号車「ブナ編成」とすれ違う。
このあと川部に停車してスイッチバックして再び奥羽本線に入り、終点弘前まで行く。
弘前到着は15:50で、10分の乗り換え時間で弘南鉄道弘南線に乗り換える。
弘南鉄道は1926年3月27日設立された地方鉄道で、
現在の弘南線の一部である弘前−津軽尾上間が1927年9月7日に開業する。
1950年7月1日には弘南黒石(現・黒石)まで延伸され、弘南線は全通した。
また弘南鉄道は1949年7月25日に設立され、大鰐−弘前中央間を開業させた弘前電気鉄道を、
1970年10月1日に経営権の譲渡を受けて大鰐線とした。
1984年11月1日には国鉄の特定地方交通線の黒石線の譲渡を受けたが、
1998年4月1日には廃止されている。
今回は時間の関係から終点の黒石までではなく、途中駅の平賀まで行く。
平賀駅は農協会館と弘南鉄道本社を兼ねているため、大きなビルだった。
ここで駅取材してから33分の待ち時間で弘前まで戻る。
予定では弘前から奥羽本線・下りで新青森まで行き、
12分で駅取材してから奥羽本線・上りで大館まで出るつもりだったけれど、
既に平賀で駅取材している間に日は暮れていて、
弘前に戻ってきた段階で自然光での駅舎取材には限度を超えていた。
しかも後から分かったことだが、秋田・大館フリーきっぷでは新青森までは行けないことが分かった。
そこで弘前から直接大館まで行くことになった。
大館駅は思ったよりも栄えていない感じだった。
駅前には飲食店らしいものは見受けられず、ホテルまでに飲食店は1軒の居酒屋とモスバーカーだけだった。
ロイヤルホテル大館にチェックインして部屋で少し休んでからカメラを持って出掛けるが、
適当な飲食店が見つからなかったのでコンビニでビールなどを買っていったん部屋に戻り、
ホテル内のレストラン「ヴィラロイヤル」で牛肉とピーマンの炒め定食\1,200喰う。
グラスビールが1杯付いてきた。
食事後、ホテルに併設されている温泉大浴場へ行って入浴する。
ホテルの部屋にもユニットバスが着いているが、折角なので大浴場でゆっくりと入浴する。
部屋に戻ってビール飲みながらBS2で「猿の惑星」を観て、11:30p.m.には就寝する。

2007/12/16 18:59

※写真:「リゾートしらかみ3号」の全面から見た五能線と日本海 撮影時刻 2007/11/17 13:49:55


  6.予定変更と鷹ノ巣駅ホームの全力疾走

前日に11:30p.m.に就寝したので翌朝は5:50a.m.に起床し、
6:00a.m.から営業を開始した大浴場の一番風呂に入る。
結局このホテルではユニットバスを使うことはなかった。
フロアから戻って涼んでから7:00a.m.を待って1階の「ヴィラロイヤル」に行く。
ここは昨日の夜に夕食を食ったところで、朝食は\800のバイキング形式。
昨日チェックインの時に申し込んでおいたのだが、
フロントで朝食券を渡すのを忘れていたため、入り口で止められてしまった。
フロントに確認して貰って入れて貰う。
普段は洋食と和食が選べる時は洋食を食うことが多いのだが、
今回は和食の料理が充実していたために御飯をチョイスする。
おかずは梅干し、ウインナー、スクランブルエッグ、コロッケ、ハムフライ、
サラダ(野菜、マカロニ、ハム)、塩辛、海苔、みそ汁、コーヒーなど。
予定では07:47大館発の列車に乗るつもりだったが、
朝食をゆっくり喰っていたら時間が無くなってしまったことと、
外は本降りの雨で午後からは雪の予定になっていてため、
男鹿線男鹿駅の取材を断念する。
今日の予定は07:47大館発の奥羽本線・上りで鷹ノ巣に行って鷹ノ巣を28分間取材、
さらに奥羽本線・上りで井川さくらに行って30分の駅取材、
秋田まで出て男鹿線で男鹿まで行って16分の駅取材、
秋田まで戻って34分の乗り換え時間で秋田新幹線「こまち20号」に乗ることになっていた。
しかし雪で列車が遅れた場合、「こまち20号」に間に合わなくなる危険性もある。
そこで男鹿線の取材を諦め、鷹ノ巣と井川さくらだけを取材して帰ることにした。
そのため少しゆっくりとして8:30p.m.頃ホテルをチェックアウトする。
朝起きた時には本降りの雨だったが、
チェックアウトする時には何とか傘を差さなくても済むくらいまでの小降りになっていた。
駅に行って目が点になったのだが、乗る予定だった07:47鷹ノ巣行きの後、
08:09の秋田行きがあったが既にチェックアウトする前に出発していて、
そのあとは10:03の秋田行きまで列車はない。
2時間、大館から秋田方面の列車はないのである。
1時間半近く大館の駅で待たなければならなかった。
駅前にはハチ公の銅像と更にその奥に秋田犬の親子の銅像が建っていてそれを取材する。
それでも時間が余ってしまったため、待合室のベンチでコーヒーなど飲みながら時間を潰す。
10:03の大館始発の電車で鷹ノ巣まで行く。
早口−糠沢間で寝台特急「日本海」とすれ違う。
普通列車だったが、糠沢には停車しなかった。
鷹ノ巣でも雨は降り続いていたが、無理してJR鷹ノ巣駅と秋田内陸線鷹巣駅の駅舎取材をする。
秋田内陸線は正確には「秋田内陸縦貫鉄道」といい、
国鉄特定地方交通線である阿仁合線、角館線と一部建設線を引き継いで設立された第三セクターである。
阿仁合線は1934年12月10日に鷹ノ巣−米内沢間が部分開業し、
その後延伸を続けて1963年10月15日には比立内まで延伸開業した。
一方角館線は1971年11月1日に角館−松葉間が一気に開業したが、
10年後の1981年には早くも廃止が承認され、阿仁合線も1984年には廃止が承認された。
地元秋田県や沿線市長選が主体となって設立された第三セクターの秋田内陸縦貫鉄道が路線を引き継ぎ、
1984年10月31日に設立され、
1989年4月1日には比立内−松葉間が新たに建設開業し、
名実ともに秋田を縦貫する鉄道として一体運転が開始された。
秋田内陸縦貫鉄道は角館駅取材の時に駅取材と車両取材をしているが、
鷹ノ巣川の取材はまだだったので今回念願の取材が出来た。
しかし車両取材は残念ながら出来なかった。
駅の時刻表で今後の予定を考え、11:17鷹ノ巣発の「かもしか2号」に乗り込むことにする。
JR鷹巣駅と秋田内陸線鷹巣駅は駅名表示が違い、駅舎と改札は独立しているが、
阿仁合線の時代からの名残で、秋田内陸線は同じホームの一部を使っている。
「かもしか2号」をホームで待っているとぞろぞろと人がやってくるのが見え、
行ってみるとちょうど秋田内陸線の車両が入線したところだった。
近くに行って急遽車両取材をする。
写真を撮っている間に校内放送があって「かもしか2号」が入線して、
慌ててホームを奪取してギリギリで飛び乗ることが出来た。
深追いしていたら乗り損なうところだった。
ホームを全力疾走したので息が上がってしまったが、ペットボトルのお茶を買う暇もなかった。

2007/12/16 21:56

※写真:JR鷹巣駅に入線してくる485系特急「かもしか2号」 撮影時刻 2007/11/18 11:22:36


  7.幻の女、井川さくらと緊急土崎取材−旅の終わり

JR鷹巣駅にあった時刻表で確認したところ、11:21の「かもしか2号」が一番近い列車だったが、
この列車は取材予定の井川さくらには停まらない。
次に来る列車は12:21の秋田行きだが、
これに乗って井川さくらで下車すると次の列車で秋田に戻れば14:58になってしまい、
14:05の秋田新幹線には絶対に乗れない。
つまりこの段階で井川さくら駅にはもう行けないことが決定したのである。
井川さくらは1995年12月1日に開業した奥羽本線でも比較的新しい駅である。
その名前からまるで芸能人のようだと思った。
そこで是非この駅を取材してみたいと思っていたのだ。
JR東日本のホームページでも駅の写真としてこの駅を取り上げている。
しかし今回は結局この駅を取材することは出来なくなってしまった。
井川さくらは近くに桜の名所があることから、
井川町の町名と組み合わせて“井川さくら”という駅名になったらしい。
女性アイドルにそんな名前がいたような気がしたが、
“井川遥”と“上原さくら”が混同していたらしい。
喉の渇きを我慢しながら秋田まで1時間12分の旅を楽しみ、12:28に秋田に到着した。
帰りの新幹線の時間まで1時間半の余裕がある。
何処かで昼食を喰おうかと思ったが、
この1時間半があればもう一駅取材できるかもしれないと思い、
秋田駅のみどりの窓口で時刻表で調べ、隣の土崎駅を急遽取材することにした。
追分までは奥羽本線上を男鹿線の車両が走る。
つまりこの区間なら運転本数が多いのである。
そこで隣の土崎駅を取材することにした。
土崎駅自体はそれほど有名な駅ではないが、JR土崎工場は車両改造などでは良く名前を聞く。
そこで急遽12:53の男鹿線車両で隣の土崎まで行く。
土崎に到着した時はまた雨が強くなっていた。
それでも駅取材を強行する。
駅に掲示されている「駅名の由来」には以下のように記されている。

−土崎駅−

旧雄物川の河口にある「土崎港」は、古くから能登や京都・大阪・北海道との交易で栄えました。
昔、雄物川の流れが変化してまわりの土を崩し、そこに河水が流れ込みました。
その後自然に河床ができ、やがて天然の港が形づくられました。
この川の動きから「土裂」の名がつき、「土崎」となったということです。
駅名は、この港の名にちなんでつけられました。

20分の取材時間で再び秋田に戻り、34分の待ち時間の間におみやげと駅弁を購入する。
駅弁は秋田駅のNEWDAYSで「鶏めし」\850をチョイスする。
「鶏めし」は本来は大館駅の名物であり、大館駅待合室の売店でも売られていたし、
駅前には製造元である“花善”のビルもあった。
普段は昼間からビールを飲むことはないのだが、
もうこれで全ての取材は終わったので缶ビールも買い込んで14:05秋田駅発の新幹線に乗車する。
秋田から大曲までは全員が後ろ向きに座っている。
それは大曲でスイッチバックするためである。
「鶏めし」を喰ってビールを飲んだら蓄積した疲弊もあってかなり眠くなってきた。
それでも近くの席からの完成で目が覚めると、車窓は一面雪景色だった。
結局この旅で直接雪に降られることはなかったが、田沢湖線の車窓から雪を見ることは出来た。
しかしその雪も盛岡につく頃にはすっかり止んでいた。
盛岡から「はやて20号」と連結して東京まで向かう。
東京駅で新幹線を降り、在来線への改札を出ていったんは総武快速線のホームへ向かうが、
どれも混雑していたために急遽京葉線で帰ることにした。
京葉線の方が遠回りにはなるが始発駅なので座っていける。
それに東京への到着時間は18:08なのでまだ夜遅い時間というわけでもない。
京葉線に向かう途中、新しく出来たグランスタを通り、途中のはせがわ酒店で地ビール1へ本購入する。
京葉線で蘇我まで出て外房線で千葉まで戻る。
乗り込んだ113系は側面の行き先表示板が故障しているということで、
走りながら作業員が修理していた。
ちょうど座った席の表示板が故障していたらしく、途中席を譲って修理の様子を見ることになった。
千葉駅構内の「ちゃぶぜん」でカツカレー\580喰って帰る。

 −取材データ−

2007.11.16.  撮影 440枚 保存 21枚
2007.11.17._1 撮影 509枚 保存 45枚
2007.11.17._2 撮影 288枚 保存 27枚
2007.11.17._3 撮影 38枚 保存 5枚
2007.11.18._1 撮影 287枚 保存 17枚
2007.11.18._2 撮影 173枚 保存 13枚

 合計    撮影 1735枚 保存 128枚 採用率 7.4%

2007/12/16 23:22

※写真:秋田新幹線「こまち20号」の車窓から見た田沢湖線沿線の雪景色 撮影時刻 2007/11/18 15:21:39





REI RINGONO travelnotes
All rights reserved,
Copyright (C) Semisweet Apple Company and REI RINGONO 2008-2012

inserted by FC2 system