秩父鉄道デイドリーム



  1.偶然の「わくわく鉄道フェスタ」と秩父鉄道概論

以前、ネットで調べものをして偶然秩父鉄道に行き当たり、
そこで秩父鉄道の1000系が国鉄色に回帰していることを知った。
秩父鉄道1000系は元国鉄101系を譲り受け、
白を中心としたオリジナル塗色で12編成が活躍中である。
しかしその1000系が大宮の鉄道博物館の開館にあわせて、
国鉄時代のリバイバルカラーに変更されたのである。
2007年9月1日から第11編成が中央快速線で使われていた、
朱色1号、オレンジバーミリオンに、
同年10月14日からは第1編成が青22号、スカイブルー、
同年11月24日からは第12編成が黄5号、カナリアイエローに変更していた。
オリジナル塗色は以前撮影していたことがあるが、
リバイバルカラーにはさすがに興味をそそられる。
秩父鉄道のホームページにアクセスして一日乗車券がないか調べてみようとしたところ、
ここで偶然にも「わくわく鉄道フェスタ」があることを知る。
しかも秩父鉄道を取材しようと思っていた5月17日が開催日である。
そこでこの日に秩父鉄道を取材することに決定した。
秩父鉄道のホームページには、
秩父鉄道1日乗り放題の秩父路遊々フリーきっぷが\1,400で販売されているとある。
これで秩父鉄道の駅取材を含めて「わくわく鉄道フェスタ」に行くことにする。
しかもリバイバルカラーの1000系は直通臨時列車として運用され、
そのあとは会場に展示されることになっている。
リバイバルカラーの車両取材を一度にできる機会もある。
さらに今年の4月5日からは第9編成が黄緑6号、帯が黄色5号のウグイス色に変更されている。
これらの1000系の取材をするために、
5月17日に秩父鉄道の取材を決行することにした。
14日水曜日に会社に行く前に稲毛駅の指定席券売機で、
5月17日土曜日の「とき305号」の東京−熊谷の指定席と乗車券\3,610を購入した。
秩父鉄道は羽生−三峰口間71.7kmの秩父本線を所有する地方鉄道であり、
ほかに武川駅から分岐して熊谷貨物ターミナルまでの7.6kmの三ヶ尻線という、
貨物専用線も所有している。
筆頭株主は太平洋セメントで、太平洋セメントの一部となった秩父セメント時代から、
武甲山で算出されるセメントの運搬が盛んな貨物鉄道の側面も持っている。
1899年に上武鉄道として設立され、1901年には熊谷−寄居間を開業させる。
1916年には秩父鉄道に改称した。
1922年には羽生−行田(現・行田市)間を開業させた北武鉄道を合併、
同時に熊谷−行田間を開業して直通させた。
1930年には三峰口までの延伸が完了し、全通した。
地方鉄道が苦戦する中で、
長瀞のライン下りや三峰口からのハイキングコースなど、
沿線の観光開発にも力を入れ、
それに併せてC58型蒸気機関車を使用した「SLレオエクスプレス号」の運転や、
急行「秩父路」の運行なども行っている。
「SLパレオエクスプレス号」は首都圏から一番近いSLとして人気も高い。

2008/06/06 2:45


  2.「秩父路遊々フリーきっぷ」と秩父鉄道3つの顔

当日の朝、4:50a.m.に起床して05:44幕張発のお茶の水行きに乗る。
予定では津田沼で06:00津田沼始発に乗り換えるつもりだったが、
座れたのでそのまま秋葉原まで行き、京浜東北線で東京まで行く。
新幹線改札をくぐる前に「膳まい・東京北口店」でハンバーグ弁当\850を購入する。
予定より少し早く付いたので、
ホームで新幹線の写真などを撮っている。
今回初めて隣のホーム越しにN700系を見ることができた。
07:08東京発の「とき305号」は200系リニューアル社が充当されていた。
廃止になる200系がある一方で、
東海道新幹線から0系が消滅し、
山陽新幹線からもN700系の登場で押し出される形で0系が、
いずれは消滅していくだろう。
最初の新幹線である0系のシルエットを残した200系は、
出来ればなるべく長く残ってもらいたい。
リニューアルでアコモは改善されていて、他の車両とも見劣りしない。
社内で購入した駅弁を食べていると既に大宮を過ぎ、
寝る暇もなく39分の旅で熊谷に到着する。
熊谷では11分の乗り換え時間で切符を購入しなければならないが、
秩父鉄道は以前車両取材するために入場券で熊谷駅に入ったことがある。
そのため駅の配置などは頭に入っていたので迷うことなく乗り換えが出来た。
今回は1日乗車券である「秩父路遊々フリーきっぷ」\1,400を購入した。
車両基地の「わくわく鉄道フェスタ」見学と前後して、
秩父鉄道の駅取材も決行するためだ。
07:58発の上り列車で終点の羽生まで行く。
1000系オリジナル塗装車が充当されていた。
臨時列車にリバイバルカラーが駆り出されてしまったので、
結果的に定期運用はオリジナルカラーの1000系と5000系になってしまった。
土曜日だったが高校生が多くてかなり込んでいた。
秩父鉄道はセメントなどの貨物輸送路線と、
長瀞や三峰口にアクセスするための観光路線の側面と同時に、
3つめの顔として沿線住民の足として根付いた生活路線の側面も持っているのだ。
地方鉄道が苦戦する中で、秩父鉄道は積極的な観光施策や、
リバイバルカラーの登場など、
話題作りにも果敢に挑戦している。
羽生駅の取材時間は23分で、
駅取材と同時に1000系の車両取材もする。
この駅は東武伊勢崎線との接続駅にもなっており、秩父鉄道の始点でもある。
東西の跨線橋は「りくはし」と呼ばれ、
現在の跨線橋は平成16年に羽生市の市政50周年を記念して全面改装され、
新しくかけ直されたものであるが、
最初の橋は昭和38年に地元の金子農機の社長が妻の遺志を受け付いで、
建設費を全額負担して造られたものらしい。
そのことが「“りくはし”メモリアルボード」に社長の歌とともにかかれている。
羽生駅から始発の電車でいったん武川駅まで行き、ここで駅取材する。
ここは貨物線との分岐点にもなっていて、
秩父鉄道の一つの顔である貨物路線を意識させる駅なのである。
測線には秩父鉄道オリジナルデザインの電気機関車が3機停まっていた。
ここでの取材時間は7分しかなかったが、
その間にも貨物列車が通過していった。
ここから再び上り列車に乗り、ひろせ野鳥の森駅に向かう。
ここが秩父鉄道広瀬川原基地の最寄り駅である。

08/05/19 11:15

画像:熊谷駅に並んで停車中の秩父鉄道1000系 撮影時刻 2008/05/17 07:53:32


  3.「わくわく鉄道フェスタ」と3色の1000系

ひろせ野鳥の森公園駅は比較的新しく出来た駅で、
1面1線のホームに木造の駅舎があるだけのシンプルな駅である。
そこから土手を歩いて広瀬川原車両基地の正面口まで移動することになっている。
駅取材をして土手に行こうとしたら踏切が鳴り出した。
そこで少し待ってみるとカナリアイエローの1000系が通過していった。
この列車は熊谷から広瀬川原に直通する3001列車で、
熊谷駅で上り列車を待ってる時に下りホームに入線した列車である。
このまま直接車両基地内まで行き、そこで乗客を降ろす直通臨時列車である。
土手からは車両基地全体が見渡せ、
ちょうどカナリアイエローの1000系が乗客を降ろしているところだった。
行列が出来ていたが、それほど待たずに入場することが出来た。
入り口では鉄道女優の史絵さんが記念品を配布していた。
記念品は列車のイラストが描かれたオリジナルのノートとボールペンだった。
会場にはオリジナルグッズの販売所や出店なども並び、
オリジナルキャラのパレオくんが子供たちを出迎えていた。
展示車両は茶色に塗色されたデキ101に、
無蓋車トキ512、ホッパー車ヲキ111の貨物車両が連結されて展示されていた。
またパレオエクスプレス仕様のデキ201と、
秩父鉄道標準色のデキ501も展示されていた。
3機の電気機関車の展示が、
秩父鉄道が貨物輸送を中心とした鉄道会社であることを物語っている。
しかし今回の展示車両の目玉の一つは何と云っても、
蒸気機関車C58型363号機である。
これはパレオエクスプレス牽引のために国鉄から譲り受けたもので、
実際にカマを燃やして水蒸気や煙を噴出させるようにしていた。
それだけに多くの人集りが出来ていた。
パレオエクスプレスの客車として利用されている12系は、
休憩用車両として利用されていた。
売店でこの日のためだけに用意された「広瀬川原駅弁当」\800を購入し、
12系客車に持ち込んで喰う。
ちょっとした旅気分を味わうことになるが、それにしてもみんな同じことを考えたらしく、
列車内は大混雑となっていた。
10:31にはスカイブルーの1000系が充当された3003列車が到着し、
10:52には寄居から到着したバーミリオンの1000系も来て、
3色の1000系が並んだ。
駅弁を喰い終わってから12系の車窓からこれを撮影し、
さらに外に出て反対側から1000系の撮影をする。
今回の目玉はやはり去年に誕生したこのリバイバルカラーの1000系だろう。
今年になって誕生した関西仕様のウグイス色は定期運用に付いているようで、
「わくわく鉄道フェスタ」には顔を出さなかった。
これらのリバイバルカラーの1000系はしばらくここで展示車両となり、
イベント終了近くになると今度は帰りの臨時列車として運用される。
検修庫、電気車修繕庫、転写台なども取材し、予定より早く0:00p.m.過ぎにここを後にする。
天気も良くて十分に展示車両も取材出来たし、
わざわざ新幹線を使ってここまで来た甲斐があった。

08/05/22 0:32

画像:広瀬川原車両基地で公開中の秩父鉄道1000系 撮影時刻 2008/05/17 11:30:28


  4.雨の秩父路取材と初めてのNRA

土手を歩いてひろせ野鳥の森公園駅まで戻る。
ちょうど羽生方面行きの電車が来たところなのでそれに乗り込む。
熊谷を通り越して行田市まで行く。
ここから本格的に駅取材開始である。
ここで駅取材してから12:31の下り電車で長瀞まで行く。
長瀞はその名の通り、長瀞渓谷の最寄り駅であり、
駅から徒歩5分くらいでライン下りの乗船場に着く。
ここは荒川の上流に当たり、岩畳が有名で、国の天然記念物でもある。
長瀞渓谷を取材してから駅に戻る。
駅に到着した頃からポツポツと雨が降り始めた。
広瀬川原車両基地で「わくわく鉄道フェスタ」を見学していた時には、
突き抜けるような青空だったのに、
あれから1時間くらいしかたっていないのにもう雨が降り出している。
山の天気は変わりやすいというが、本当にそう思う。
この後は秩父に行く予定だったが、
和銅黒谷で偶然ウグイス色の1000系を目撃して、
それを取材するために緊急下車する。
雨が降る中、何とか第9編成の関西バージョンのウグイス色の1000系を取材する。
和銅黒谷はもともと“黒谷”という駅名だったが、
黒谷の和銅が朝廷に献上されてから1300年目に当たるとして、
2008年4月1日から駅名が“和銅黒谷”に変更された。
それに当たり駅舎もリニューアルされたのである。
この駅で次に来る列車を待つことになるが、
雨はさらに激しくなり、雷も鳴り出していた。
結局、土砂降りの中で駅取材を強行することになる。
駅には「日本通貨発祥の地」として“和同開珎”のモニュメントがあり、
そこには「和銅遺跡」の説明として以下のように書かれている。

「秩父から和銅献上」と日本史に残る銅の産出地が「和銅露天掘り跡」です。
この和銅をもとに、日本最初の通貨「和同開珎」は造られました。
和銅の原石(自然銅)、和同開珎、元明天皇から賜った和銅製蜈蚣雌雄一対が
ここ黒谷の聖神社に伝えられています。

この和銅黒谷で乗り込んだ電車がもともと予定していた列車だった。
早めに広瀬川原車両基地を出た分の余剰時間を、
行田市駅取材と和銅黒谷駅取材で使い切ったことになる。
秩父で下車して駅取材し、そのまま次は終点の三峰口まで行く。
ここは秩父鉄道の終点であり、また三峯神社への最寄り駅ともなっている。
駅舎の反対側には「鉄道車両公園」があり、
24分の取材時間しかなかったが、ここの取材を強行する。
ここは秩父鉄道の旧型車両が展示されている。

 デキ1型電気機関車
 ED38型電気機関車
 デハ100形電車デハ107号車
 クハニ200形電車クハニ29号車
 スム4000形有蓋車スム4023号車
 テキ100形有蓋車テキ117号車
 トキ500形無蓋車トキ502号車
 ヨ10形車掌車ヨ15号車
 ワキ800形有蓋車ワキ824号車
 ワフ51形有蓋緩急車ワフ51号車

公園から戻り、ぎりぎりで予定していた16:24三峰口発の上り電車に間に合う。
これで御花畑まで行き、ここで駅取材してから西武秩父まで歩く。
最初逆の方に歩き出して少し迷うが、何とかたどり着く。
西武秩父を駅取材してから窓口で17:25西武秩父発の、
特急「ちちぶ38号」の池袋までの指定席特急券を購入する。
ニューレッドアローに乗るのは初めてである。
1時間21分の旅を楽しむ。
飯能でスイッチバックする。
池袋に到着してから宮城ふるさとプラザに行き、
中にある「伊達の牛たん」で牛たん定食\1,470喰う。
買い物をして帰る。

2008/08/21 0:03

画像:長瀞渓谷のライン下り 撮影時刻 2008/05/17 13:45:59




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