西武鉄道デイドリーム



  1.偶然の「沿線グルメ夏きっぷ」と西武鉄道の歴史

それは偶然の発見だった。
ネットサーフィンをしていて西武鉄道のホームページで、
“沿線グルメ夏きっぷ”を見つけた。
西武線全線一日乗り放題と、
沿線の西武グループで利用できるミールクーポンがセットになった、
夏季限定の切符で、おとな\1,980である。
西武鉄道の本線格である新宿線と池袋線からは独立した場所にある多摩川線をのぞく、
西武鉄道の全線に一日乗り放題に加え、
サンシャインシティ、新宿、飯能、川越のプリンスホテル、
BIGBOX高田馬場、山口線遊園地西近くの菊水亭などのバイキングなどに使える、
ミールクーポンがセットになっている。
これらの価格が\1,800なので、考えようによっては\180で西武線が一日乗れるともいえる。
まあ、この切符じゃなかったら、ホテルのバイキングなんかで昼食は喰わないと思うけれど・・・。
そこでこの切符を使って西武線の駅取材に出かけることにした。
昼食は本川越にある川越プリンスの9階にある「ブッフェレストラン エトワール」で、
ランチ&デザートブッフェを利用することにして、
以下のような計画を立てた。

8月2日(土)

07:43幕張※−総武緩行線773B(59)−08:42新宿[3]
08:45新宿−山手線・外回り801B(5)−08:50高田馬場[16]
 ※沿線グルメ夏きっぷ\1,980購入
09:06高田馬場−西武新宿線・上り5316(2)−09:08西武新宿[60/1:00]
 ※駅取材、車両取材
10:08西武新宿※−西武新宿線・下り・準急4609(62/1:02)−11:10本川越[176/2:56]
 ※川越プリンスホテル ブッフェレストランエトワール(9F)
  ランチ&デザートブッフェ 11:30-14:30
14:06本川越※−西武新宿線・上り・急行2656(18)−14:24航空公園[20]
14:44航空公園−西武新宿線・5620(6)−14:50東村山[14]
15:04東村山※−国分寺線・上り6694(11)−15:15国分寺[15]
15:30国分寺※−西武多摩湖線・下り6503(7)−15:37萩山[14]
15:51萩山−西武多摩湖線・下り6065(7)−15:58西武遊園地[24]
16:22西武遊園地※−西武山口線・下り55(8)−16:30西武球場前[22]
16:52西武球場前※−西武狭山線・上り6170(6)−16:58西所沢[18]
17:16西所沢−西部池袋線・下り・快速3631(20)−17:36飯能[59]
18:35飯能※−特急「むさし40号」(42)−19:17池袋

西武鉄道は東京西部に路線を持つ大手鉄道会社で、
箱根土地が沿線開発のために多摩湖線を設立したのに始まる。
箱根土地は堤康次郎が創業した後のコクド、現在はプリンスホテルとなった会社で、
所有している土地を開発しては鉄道会社を設立したり、
沿線の鉄道会社を買収したり伸して開発した土地の価値を高めるという手法を用いた。
多摩湖線は1928年4月6日に国分寺−萩山間が開業し、
1936年12月30日に村山貯水池(現・西武遊園地)まで全通した。
箱根土地は1912年5月7日に設立し、池袋から飯能の区間を開業した武蔵野鉄道の株式を取得、
経営再建に乗り出してこれを成功させている。
武蔵野鉄道が敷設した路線が現在の池袋線となる。
練馬から分岐して豊島園に向かう豊島線を1927年に、
西所沢から村山公園(現・西武球場)を結ぶ狭山線を1929年に開業させている。
堤康次郎は武蔵野鉄道に多摩湖鉄道を合併させている。
一方で新宿線系統となる川越鉄道は1982年8月5日に設立され、
現在の国分寺線となる国分寺−久米川(現・東村山)を開業させた。
1895年3月21日には久米川(現・東村山)−本川越間を開業させる。
これが現在の新宿線の一部となる。
1902年5月9日に川越馬車鉄道として設立され、
川越電灯と合併して出来た川越電気鉄道が、
1906年4月16日に川越町−大宮町間を開業させた。
1914年12月に川越電気鉄道は武蔵水電と合併する。
武蔵水電は1921年10月に淀橋町角筈−荻窪村間を開業させた西武軌道を合併する。
1922年6月1日に武蔵水電は帝国電灯に吸収合併されるが、
鉄軌道部門は切り離され、武蔵鉄道として独立した。
同年8月156日に社名を西武鉄道に変更した。
これは“西武軌道”から取ったものだが、西武軌道の路線は後に都電杉並線となる。
1925年に南大塚−安比奈間の安比奈線が開業し、1927年4月16日に東村山−高田馬場間を複線化し、
1927年8月30日に多摩鉄道を合併した。
多摩鉄道は現在の多摩川線である武蔵境−是政間を開業させた鉄道である。
1941年に大宮線を廃止している。
1944年6月に戦時下の食糧不足に対応するために耕地開拓を目的とした食糧増産を設立した。
戦時下の陸上交通事業調整法によって武蔵野鉄道と西武鉄道と食糧増産が合併することになった。
しかし実際は手続きに時間がかかり、合併が成立したのは戦争終結後の1945年9月22日となってしまった。
新社名は西武農業鉄道となったが、1946年11月15日に現在の社名である西武鉄道となった。
1950年5月4日には現在の拝島線の一部となる小川−玉川上水間が上水線として開業。
同年5月27日には西武園線、8月1日には現在の山口線となるおとぎ線の一部が開業した。
1952年3月25日には高田馬場から西武新宿間が開業した。
1962年9月1日には小川−萩山間が開業し、新宿線へ直通運転も開始された。
1968年にし浜川上水から拝島までが延伸し、拝島線が全通する。
1983年10月1日は西武有楽町線新桜台−小竹向原間が開業する。
1985年にはおとぎ線の一部を大手私鉄としては国内唯一となる新交通システムに変更した。
1994年12月7日には西武有楽町線新桜台−練馬間が延伸開業した。
現在の路線はこの時点で完成した。
その一方で2004年には総会屋への利益供与が問題となり、
有価証券報告書虚偽記載問題が相次いで浮上して、
堤康次郎の三男である堤義明会長が退任することになった。
東証は西武鉄道の上場廃止を決定し、
2005年3月27日に西武ホールディングスが設立し、西武グループ再編した。
旧経営陣を刷新して新体制として再出発した。
現有路線の総延長は176.6kmにもなり、
休止、廃止されたのは貨物線である安比奈線3.2km、大宮線12.9kmと、
山口線として新交通システムに転換されたおとぎ線遊園地前−ユネスコ村間3.7kmだけで、
意外と廃止路線が少ないのもこの会社の特徴である。
譲渡後に廃止された西武軌道線は後に都電杉並線となった。
現有路線は池袋線系列と新宿線系列に大別できる。

 池袋線系
池袋線/池袋−吾野間57.8km
西武秩父線/吾野−西武秩父19.0km
西武有楽町線/練馬−小竹向原2.6km
豊島線/練馬−豊島園1.0km
狭山線/西所沢−西武球場前4.2km

 新宿線系
新宿線/西武新宿−本川越47.5km
西武園線/東村山−西武園2.4km
拝島線/小平−拝島14.3km
多摩湖線/国分寺−西武遊園地9.2km
国分寺線/東村山−国分寺7.8km

 独立線系
多摩川線/武蔵境−是政8.0km

2008/08/03 20:56


  2.航空公園のYS−11と川越のブッフェランチ

土曜、休日には07:43に幕張駅始発という設定が1本だけある。
それに乗って新宿まで行き、山手線外回りに乗り換えて高田馬場まで行く。
西武新宿線の始発駅は西武新宿なのだが、
歌舞伎町の先にあってJRからでは少し歩くことになる。
だからほとんどの人は高田馬場でJRに乗り換えている。
今回は高田馬場の窓口で沿線グルメ夏きっぷ\1,980を購入し、
ここから西武鉄道の取材を開始する。
予定より1本早い電車で西武新宿まで行く。
朝食を喰っていなかったので、一端外に出て、
「MacDonald西武新宿店」でソーセージエッグマフィンセット\420喰う。
ドリンクのオーダーはミニッツメイドS(オレンジジュース)。
最初にいつか取材しようと思っていた北口を取材し、
09:31の準急本川越行きに乗車する。
西武新宿線は西武新宿から本川越の区間が本線格である。
まずはこの路線を完乗する。
予定ではこのまま本川越まで行くことになっていたが、
予定よりも30分以上速い電車に乗れたので、
予定を変更して所沢で下車して駅取材する。
所沢は西武新宿線と西武池袋線が交差するところで、
いわば西武鉄道の要の駅ともいえる。
次に帰りに取材を予定していた航空公園駅に下車する。
ここはその名の通り、航空記念公園の最寄り駅であり、
駅東口を降りると目の前には公園が広がっている。
所沢が日本の航空発祥の地ということからこの公園が出来た。
その中には国産初の旅客機であるYS−11の実機が展示されている。
普段は中に入ることは出来ないが、年に何回かは機内見学会があるようで、
フェンスにはその日程が張り出されてあった。
案内板には以下のように書かれていた。

 YS−11A−500R 中型輸送機

YS−11は日本の航空工業界が総力をあげて開発した
唯一の本格的な近距離用のターボプロップ中型旅客機です。
1962年(昭和37年)8月に初飛行し、182機が製造され、
国内需要だけではなく世界各国に輸出されました。

展示のJA8732機は1969年(昭和44年)に製造された第101号機で
全日本空輸(株)及びエアーニッポン(株)のご好意により寄贈を受けたものです。
1997年(平成9年)4月13日の大島→東京便を最後に、
総飛行時間52,991時間、総飛行回数58,253回で現役を引退しました。

次に狭山で駅取材したあと終点の本川越に行き、
駅取材後に川越プリンスホテル9階の「ブッフェレストラン エトワール」に行く。
開店の11:30a.m.より少し前に行ったのだが、既に並んでいた。
順番に座席に通され、11:30a.m.ちょうどに支配人から声がかけられ、一斉に料理を取りに行く。
料理は以下の通りである。

 タンドリーカレーライス
 白身魚の中華風
 オムレツエトワール風
 飲茶のセイロ蒸し
 冷製うどん
 本日おすすめパスタ ナポリタン
 揚げ物料理プラッター
 フレッシュフルーツと杏仁豆腐
 ケーキ8種
 トッピングサラダバー
 アイスクリーム
 オレンジジュース
 コーヒー

確かにレストランの料理なのだが、正直云って特別美味いとは思わなかった。
量はたくさん喰って正直云っておなかが苦しかったのだが、また来たいとは思わない。
満腹のままで再び本川越の駅に行き、少し車両取材してから東村山まで行く。
ここでも駅取材してから国分寺線に乗車する。

2008/09/23 22:08

画像:航空公園駅前のYS−11機 撮影時刻 2008/08/02 10:30:59


  3.西武山口線の「レオライナー」と東京メトロ10000系

東村山から国分寺線で国分寺まで出る。
そこで一端改札外に出て国分寺駅を取材してから多摩湖線に乗車する。
JR中央線国分寺駅に接続する西武鉄道の二つの路線だが、
国分寺線が中央線と平行してホームがあるのに対し、
多摩湖線は若干離れた場所に中央線に対して垂直にホームがある。
改札は共通だが、多摩湖線は専用通路を少し歩いてホームにたどり着く。
同じ鉄道会社でなぜ別のホームになっているのかというと、
もともと建設当時は別の鉄道会社だったからである。
国分寺線は1894年に川越鉄道によって敷設された路線であり、
また川越鉄道は甲武鉄道(現・JR中央本線の一部)の子会社であったため、
一時期は中央線との直通運転もされていた。
その名残で現在でも中央線とホームが並んでいるのである。
一方多摩湖線は多摩湖鉄道が開業させた路線を武蔵野鉄道が合併したもので、
武蔵野鉄道は現在の西武池袋線を敷設した鉄道会社である。
多摩湖線で萩山まで行き、西武遊園地に行く前に先に拝島線を取材する。
終点の拝島まで行き、そこで駅取材してから再び萩山まで戻る。
拝島はJRとの共通駅であり、JR青梅線と五日市線との分岐駅でもある。
萩山から西武遊園地まで行き、ここで駅取材してから西武山口線に乗り換える。
西武山口線は西武鉄道の路線の中では唯一の新交通システムを採用している路線である。
ゴムタイヤを履いた列車がコンクリートのガイド上を走るシステムで、
東京ではお台場のゆりかもめなどが有名である。
ゆりかもめなどは高架上を走るが、
西武山口線は都心ではなく、西武が所有する遊園地やゴルフ場を沿線を走るため、
以外と地上に近いところを走っているのが特徴である。
単線だが途中に信号所があり、そこで対向線とのすれ違いを行う。
山口線の車両は通常の鉄道車両より小振りな車両であり、
白い車体にライオンズのマークが付けられ、「レオライナー」の愛称が与えられている。
西武遊園地の次は遊園地西という駅があり、しばらく行って西武球場前に到着する。
狭山の西武グループが所有する娯楽施設を結ぶ路線である。
かつては遊園地と球場を結ぶことから“おとぎ線”の路線名であった時代もあった。
今回の目的の一つはこの山口線「レオライナー」の取材でもあった。
西武ドームではプロ野球の試合が行われていなかったが、
アマチュアのイベントで使用されていて球場自体は開いていた。
西武球場前から狭山線で西所沢まで行き、
ここで駅取材してから西武池袋線飯能まで行き、ここで駅取材する。
西武池袋線は吾野が終点であり、そこから先が西武秩父線ということになるが、
飯能でスイッチバックする関係で池袋発の列車は乗り入れ列車も含めてほとんどが飯能止まりであり、
また西武秩父からの列車もほとんどが飯能まで乗り入れているため、
西武池袋線は池袋−飯能間で、そこから先が西武秩父線と勘違いされることが多いし、
運用上はそのような形になっている。
予定ではここから特急「むさし」に乗って帰るつもりだったが、
ちょうど東京メトロ副都心線の10000系が停車していて、思わずそれに乗ってしまう。
以前東武東上線で見かけて車両取材はしているものの、実際に乗車するのは初めてである。
やはり真新しい車両は気持ちがいい。
この列車は練馬から西武有楽町線に入り、小竹向原から東京メトロ有楽町線に入って、
池袋から副都心線に入り、最終的には渋谷まで行く。
飯能で“渋谷行き”の電車に乗るというのも何だか不思議な気持ちである。
このきっぷでは小竹向原までしか行けないため、そこで降りて練馬まで戻り、
練馬駅を取材してから豊島線に乗って豊島園まで行く。
ここで駅取材してからとしまえんの門だけ取材して、
池袋行きに乗って池袋まで戻る。
豊島園に着いたときにはもうだいぶ日は傾きかけていた。
池袋で西武鉄道の取材を終了し、JRで新宿まで出て、
ビックカメラ新宿西口店で買い物をして、
小田急ハルク地下の「スパッソ」で夕食を喰って帰る。
今回の取材で西武新宿線全線、拝島線全線、多摩線全線、国分寺線全線、
池袋線池袋−飯能間、狭山線全線、山口線全線、豊島線全線、西武有楽町線全線を乗車する。
既に今年秩父鉄道を取材した時に西武秩父から池袋まで、
特急「ちちぶ」に乗っているために西武池袋線、西武秩父線は完乗済みである。
西武鉄道の旅客営業路線のうち、未乗車区間は西武園線全線東村山−西武園間と、
独立系である多摩川線武蔵境−是政間のみとなった。

2008/09/23 23:50

画像:西武球場前駅に停車中の山口線「レオライナー」 撮影時刻 2008/08/02 15:32:14




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